シリーズ 日鋼記念病院ヒストリー 1 誕生 1911年(明治44年)日本製鋼所職員の医療施設として 日鋼記念病院の前身 私立楽生病院が誕生しました それから 過ぎること約1世紀 来年は日鋼記念病院 兄弟病院である天使病院 共に開設100年を迎えます この間の社会環境の変化 医療の進歩は目覚しく日鋼 記念病院は激しい流れと共に歩んできました 日鋼記念 病院の100年の歴史を紐といてみたいと思います 私立楽生病院 私立楽生病院誕生 明治44年1月15日 日清 日露戦争を経て富国強兵が国策 の時代 重工業の振興の一つとして明治 40年に日本製鋼所が誕生しました 当時 応急処置をする仮診療所が工場内にあり ましたが 従業員の増加に伴い 私立楽 生病院 を設立 当時 海軍軍医中佐で あった立花保太郎氏を初代院長とし 5 初代院長 立花保太郎 名の医師と薬剤師も立花院長と共に東京 から来道しました 開設当初の病床数は50床 内科 外科 眼科 小児科 耳鼻咽喉科の診察室 レントゲン室 細菌室 手術室な ど当時の最新器具が完備されていました ボイラーを使 ったスチームヒーターや白熱電灯が各部屋に設置され 真 冬でも寒冷地にいることを忘れるほどであった という 記録が残っています 当時は一般的に灯油ランプが使わ れていたと言われていますので 画期的な設備であった ことが伺われます 看護学校誕生 手術室 私立楽生病院 誕生と時を同じくして 病院附属私 立産婆養成所 も併せて誕生しました 大正8年には 看 護婦養成所 として設立されています 伝染病と結核との闘い 明治から大正初期の室蘭は上下水道も無く 衛生状態 は決して良いものではありませんでした また 赤痢 腸チフスなどが流行し 多くの方が亡くなっています このとき道庁からの指示で4万6千人に種痘が行われ 病院職員も対応にあたったようです また 当時は国民病といわれていた結核に対応が求め られており 大正6年には細菌室を増築し 病床数は 110床 伝染病床は12床に増えています 4 当時の室蘭 明治41年 歯科医師会設立 明治42年 室蘭ほか5郡が医師会を結成 現医師会 大正12年 関東大震災に室蘭からも医師派遣 明治44年の社会 平塚雷鳥による 青鞜 創刊 普通選挙法衆議院可決 辛亥革命勃発 小樽商業高等学校開校 現小樽商科大学 大通逍遥地 現大通公園 完成 日鋼記念メディカル情報 1月号 No274
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