遺 跡 速 報 福岡県 首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院 Syurasan-Ruins in Fukuoka Prefecture えがみ ともえ 江上 智恵 久山町教育委員会 Tomoe Egami Hisayama Town Board of Education 近世の地誌類が記すとおり 調査前の首羅山遺 はじめに 跡は藪に覆われ 僅かな文献と伝承のみが残ってい 首羅山遺跡は福岡県糟屋郡久山町大字久原の白 山 標高288.9m に所在する中世山岳寺院跡である 福岡平野の東端に位置し 低山でありながら 山頂付近からは博多湾をはじめ福岡平野周縁の 山々を見渡すことができる 図1 るだけであった 地元の要望もあり 平成17年度か ら調査を開始し 平成20年度からは九州歴史資料館 との共同調査を開始 調査を継続している 1 遺構の分布の概要 山の北には猪野川 南に久原川が流れ 福岡市 遺構は山の東側に集中し 本谷地区 西谷地 内で多々良川に合流し 博多湾に注ぐ 多々良川 区 山王 日吉 地区 山頂部を中心に分布してい の河口はかつて大きく内陸に入り組んでおり 香椎 る 山裾から中腹にかけては 坊跡と思われる平坦 宮周辺や多々良川流域の遺跡の調査によって古来 地があり 中腹に堂宇や礎石建物 墓地と想定され より対外交渉のひとつの拠点として重要な地域だ る集石群 池状遺構を伴う平坦地などがある 山頂 ったと考えられている 首羅山遺跡はその上流に 部に祠や礎石建物 経塚がつくられている 山の中 位置し かつては今より も海に近い山であった 開山伝承によると 天 平年間に白山権現が百済 から虎に乗って来山 聖 武天皇の詔により僧源通 が開山したなどの伝承が 残る 近世の地誌類には 最盛期には350坊があった が 天正年間に薩摩勢に よって焼き払われ すで に 棘深し と荒廃した状 況が書かれている 近世 には宝満山の春の峰入り の重要な行場となるが 山内の大きな改変は行な われていない 32 図1 首羅山遺跡遺構分布図 S=1/10,000 考古学ジャーナル 618, 2011