資 料 4 岡 崎 地 域 活 性 化 ビジョン 検 討 委 員 会 ( 第 1 回 ) 参 考 資 料 歴 史 から 見 た 岡 崎 1 明 治 大 正 期 2 2 昭 和 初 期 10 3 昭 和 30 年 代 11 4 昭 和 60 年 代 以 降 12 ( 参 考 1) 近 代 以 降 の 岡 崎 地 域 の 変 遷 13 ( 参 考 2) 平 安 時 代 の 岡 崎 地 域 15 歴 史 的 な 写 真 の 出 典 琵 琶 湖 疏 水 の100 年 京 都 市 動 物 園 100 年 のあゆみ 京 都 市 政 史 第 1 巻 写 真 でみる 京 都 100 年 京 都 百 年 パノラマ 館 京 都 学 前 衛 都 市 モダニズムの 京 都 展 1895-1930 近 代 京 都 の 名 建 築 平 安 神 宮 百 年 史 前 川 國 男 作 品 集 建 築 の 方 法 1
1 明 治 大 正 期 ~ 京 都 の 近 代 化 を 牽 引 した 岡 崎 地 域 ~ 琵 琶 湖 疏 水 の 開 削 図 : 琵 琶 湖 疏 水 のルート 明 治 23 年 [1890]に 第 1 疏 水 が 竣 工 水 力 発 電 による 電 力 や 水 運, 灌 漑 用 水 を 提 供 し, 京 都 の 近 代 化 の 礎 を 築 いた 第 1 疏 水 の 開 削 に 伴 い, 鴨 川 以 東 の 新 市 街 開 発 が 進 められた 電 力 供 給 の 増 強 と 上 水 道 布 設 を 目 的 とした 第 2 疏 水 が 明 治 45 年 [1912]に 竣 工 第 2 疏 水 の 開 削 は, 京 都 市 の 都 市 改 造 を 行 う 三 大 事 業 として 実 施 第 1 疏 水 工 事 の 様 子 第 1 疏 水 竣 工 式 場 三 大 事 業 の 内 訳 : 第 2 疏 水 開 削, 上 水 道 整 備, 道 路 拡 幅 および 市 電 敷 設 2
第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 開 催 時 の 鴨 東 運 河 ( 明 治 28 年 [1895]) 疏 水 下 りで 活 躍 した 疏 水 屋 形 船 ( 大 正 9 年 [1920]) インクライン ( 大 正 期 ) 疏 水 舟 だまり 風 景 ( 蹴 上 ) ( 明 治 25 年 [1892] 頃 ) 3
内 国 勧 業 博 覧 会 開 催 前 の 岡 崎 地 域 の 様 子 明 治 26 年 [1893] 頃 の 岡 崎 地 域 現 在 の 平 安 神 宮 のあたりから 南 禅 寺 と 都 ホテル 方 面 を 望 む 4
第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 と 平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 の 開 催 ( 明 治 28 年 [1895]) 第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 の 会 場 門 内 国 勧 業 博 覧 会 図 付 京 都 名 勝 独 案 内 図 内 国 勧 業 博 覧 会 は, 明 治 時 代 に 計 5 回 開 催 されています ちなみに, 第 1 回 から 第 3 回 は 東 京 の 上 野 公 園 で, 第 5 回 は 大 阪 の 天 王 寺 公 園 と 堺 で 開 催 されています 内 国 勧 業 博 覧 会 は 産 業 や 技 芸 の 発 展 に 主 眼 をおいた 政 府 主 催 の 博 覧 会 で, 当 時 の 一 大 イベントでした 京 都 は, 平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 と 第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 の 同 時 開 催 を 計 画 し, 内 国 勧 業 博 覧 会 の 誘 致 に 成 功 しました 5
第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 の 概 要 博 覧 会 会 場 には, 平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 の 象 徴 として 平 安 神 宮 が 創 建 され, 美 術 館 や 工 芸 館, 工 業 館 や 器 械 館, 農 林 館, 水 産 館 などのパ ビリオンが 設 けられました 博 覧 会 にあわせて, 疏 水 によ る 電 力 を 用 いた 路 面 電 車 が, 伏 見 や 京 都 駅 から 会 場 まで 敷 設 されました 第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 ( 明 治 28 年 [1895])の 会 場 図 第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 の 会 場 模 型 6
平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 の 概 要 平 安 神 宮 地 鎮 祭 の 余 興 創 建 時 の 平 安 神 宮 ( 明 治 28 年 [1895]) 第 1 回 時 代 祭 に 参 集 の 人 々 ( 明 治 26 年 [1893]) ( 明 治 28 年 [1895]10 月 22 日 ) 明 治 維 新 以 降, 京 都 は 殖 産 興 業 を 推 進 し, 工 業 都 市 としての 振 興 を 探 る 一 方 で, 圧 倒 的 な 文 化 度 を 持 つ 都 市 を 前 面 に 出 す 方 策 を 打 ち 出 します 平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 はその 最 大 イベントで, 京 都 復 興 をかけた 一 大 事 業 でした 平 安 遷 都 1100 年 紀 念 祭 は, 京 都 市 が 主 催 した 事 業 で, 紀 念 祭 場 として 平 安 神 宮 が 創 建 されました 紀 念 祭 の 余 興 として 時 代 行 列 が 企 画 され, 評 判 になりました 以 後,この 行 例 は 時 代 祭 と 呼 ばれ, 毎 年 行 われるようになりました 7
内 国 勧 業 博 覧 会 後, 岡 崎 地 域 は 京 都 市 の 博 覧 会 場 として 定 着 大 典 記 念 京 都 博 覧 会 の 様 子 ( 大 正 4 年 [1915]) 大 礼 記 念 京 都 博 覧 会 の 様 子 ( 昭 和 3 年 [1928]) 大 典 記 念 京 都 博 覧 会 ( 大 正 4 年 [1915]) 京 都 市 が 主 催 した 大 正 天 皇 の 即 位 を 奉 祝 する 博 覧 会 で, 会 場 は 岡 崎 公 園 でした 会 期 は10 月 10 日 から12 月 19 日 で, 入 場 者 数 は86 万 人 に 達 しました 大 礼 記 念 京 都 博 覧 会 ( 昭 和 3 年 [1928]) 京 都 市 が 主 催 した 昭 和 天 皇 の 即 位 の 大 礼 奉 祝 の 記 念 博 で, 会 場 は 岡 崎 公 園 と 千 本 丸 太 町 の 刑 務 所 跡 地, 東 山 七 条 の 博 物 館 の3 会 場 でした 会 期 は9 月 20 日 から12 月 25 日 で, 入 場 者 数 は311 万 人 に 達 しました 8
岡 崎 文 化 ゾーンの 形 成 ( 明 治 後 半 ~ 大 正 ) 京 都 市 動 物 園 の 大 鳥 籠 旧 京 都 府 立 図 書 館 明 治 32 年 [1899] 武 徳 殿 の 建 設 明 治 36 年 [1903] 京 都 市 動 物 園 の 開 園 ( 当 初 は 京 都 市 紀 念 動 物 園 ) 明 治 37 年 [1904] 岡 崎 公 園 の 開 設 ( 内 国 勧 業 博 覧 会 跡 地 ) 明 治 42 年 [1909] 京 都 府 立 図 書 館 の 開 館 明 治 44 年 [1911] 京 都 市 第 一 勧 業 館 の 開 館 ( 市 美 術 館 建 設 の 際 に 撤 去 された) 大 正 2 年 [1913] 第 二 勧 業 館 北 館 の 開 館 大 正 4 年 [1915] 第 二 勧 業 館 南 館, 岡 崎 グラウンドの 開 設 大 正 6 年 [1917] 岡 崎 公 会 堂 の 開 館 ( 昭 和 9 年 の 室 戸 台 風 で 倒 壊 ) 第 二 勧 業 館 大 正 期 の 岡 崎 グラウンド 利 用 風 景 岡 崎 公 会 堂 9
2 昭 和 初 期 昭 和 4 年 [1929] 大 鳥 居 を 設 置 昭 和 5 年 [1930] 京 都 市 公 会 堂 東 館 の 開 館 ( 現 在 の 市 美 術 館 別 館 ) 昭 和 8 年 [1933] 国 内 で2 番 目 の 美 術 館 として, 京 都 市 美 術 館 が 開 館 ( 当 初 は 大 礼 紀 念 美 術 館 ) 昭 和 12 年 [1937] 昭 和 9 年 [1934]の 室 戸 台 風 で 倒 壊 した 第 二 勧 業 館 の 再 建 昭 和 5 年 頃 の 平 安 神 宮 周 辺 市 公 会 堂 東 館 ( 昭 和 5 年 [1930]) 京 都 市 美 術 館 ( 昭 和 8 年 [1933]) インクライン 沿 いをはしる 市 電 10
3 昭 和 30 年 代 勧 業 館 別 館 を 改 修 利 用 ( 場 所 は 現 在 と 同 じ) 昭 和 35 年 [1960] 京 都 会 館 の 開 館 昭 和 38 年 [1963] 国 への 誘 致 活 動 が 実 を 結 び, 京 都 国 立 近 代 美 術 館 が 開 館 ( 勧 業 館 別 館 の1 2 階 を 改 修 ) 京 都 国 立 近 代 美 術 館 の 開 館 ( 昭 和 38 年 [1963]) 11
4 昭 和 60 年 代 以 降 ~ 文 化 交 流 ゾーンの 機 能 更 新 の 実 施 ~ 京 都 国 立 近 代 美 術 館 みやこめっせ 京 都 市 国 際 交 流 会 館 市 美 術 館 別 館 本 館 昭 和 61 年 [1986] 京 都 国 立 近 代 美 術 館 の 建 替 え 旧 武 徳 殿 昭 和 62 年 [1987] 京 都 市 武 道 セ ンターの 完 成 ( 我 が 国 最 古 の 演 武 場 である 武 徳 殿 を 改 修 再 生 ) 平 成 元 年 [1989] 琵 琶 湖 疏 水 記 京 都 市 武 道 センター 念 館 と 京 都 市 国 際 交 流 会 館 の 開 琵 琶 湖 疏 水 記 念 館 館 平 成 7 年 [1994] 岡 崎 グラウンド ( 野 球 場 )と 岡 崎 公 園 地 下 駐 車 場 の 開 設 平 成 8 年 [1996] 第 二 勧 業 館 を 建 替 えたみやこめっせの 開 館 平 成 12 年 [2000] 市 公 会 堂 東 館 を 改 修 した 市 美 術 館 別 館 の 開 館 平 成 13 年 [2001] 旧 館 を 建 替 えた 京 都 府 立 図 書 館 の 開 館 建 替 え 後 の 府 立 図 書 館 12
( 参 考 1) 近 代 以 降 の 岡 崎 地 域 の 変 遷 その1 明 治 ~ 昭 和 初 期 大 きな 変 化 があった 箇 所 地 域 中 央 に 十 字 の 通 りができ, 土 地 が 大 き く4 分 割 されている ( 現 在 の 形 に 近 い) 2 大 典 記 念 京 都 博 覧 会 大 正 4 年 (1915 年 ) 新 しい 展 示 施 設 が 建 設 される ( 左 上 : 岡 崎 公 会 堂 も 特 別 余 興 館 と して 使 用 ) 現 在 の 神 宮 道 沿 1 第 4 回 内 国 勧 業 博 覧 会 明 治 28 年 (1895 年 ) いにも 様 々な 仮 設 物 が 見 られる 3 大 礼 記 念 京 都 博 覧 会 昭 和 3 年 (1928 年 ) 13
その2 昭 和 20 年 代 ~ 現 在 大 きな 変 化 があった 箇 所 4 航 空 写 真 昭 和 21 年 (1946 年 ) 5 航 空 写 真 昭 和 49 年 (1974 年 ) 現 在 も 残 る 大 鳥 居, 公 会 堂 東 館 ( 現 美 術 館 別 館 ), 市 美 術 館 などが 見 られる 動 物 園 南 側 は 米 軍 に 接 収 された 姿 京 都 会 館 も 完 成 その 東 側 は 駐 車 場 と して 利 用 されていた 現 在 の 姿 6 航 空 写 真 平 成 21 年 (2009 年 ) 14
( 参 考 2) 平 安 時 代 の 岡 崎 地 域 白 河 院 が 院 政 を 行 った 地 白 川 南 殿 得 長 寿 院 延 勝 寺 尊 勝 寺 成 勝 寺 最 勝 寺 円 勝 寺 法 勝 寺 平 安 末 期, 岡 崎 地 域 には, 法 勝 寺 を はじめとする6つ りくしょうじ の 寺 院 ( 六 勝 寺 ) の 大 伽 藍 が 存 在 し, 栄 華 をきわめ た ( 京 都 市 文 化 財 保 護 課 作 成 ) 六 勝 寺 範 囲 復 元 図 六 勝 寺 : 法 勝 寺 尊 勝 寺 最 勝 寺 円 勝 寺 成 勝 寺 延 勝 寺 15
六 勝 寺 のイメージパース 作 画 : 梶 川 敏 夫 氏 白 河 院 が 建 立 した 法 勝 寺 には, 白 川 の 水 が 引 かれ, 池 の 中 島 に 推 定 高 さ80m 以 上 の 壮 麗 な 八 角 九 重 の 塔 が 建 っていた 今 年 度, 動 物 園 内 でそ の 基 礎 が 発 掘 され,ほぼ 全 容 が 明 らかになった 16
法 勝 寺 八 角 九 重 塔 発 掘 の 記 事 ( 平 成 22 年 6 月 24 日 京 都 新 聞 ) 17
岡 崎 の 地 名 の 由 来 神 楽 岡 ( 吉 田 山 )や 栗 原 岡 ( 黒 谷 )の 南 に 位 置 し,その 山 際 が 迫 っていることに 由 来 するという ( 京 都 の 地 名 由 来 辞 典 より) ひゃくれんしょう 13 世 紀 末 に 編 集 されたとされる 歴 史 書 百 錬 抄 の 中 に 岡 崎 の 地 名 が 現 れていた ( 日 本 歴 史 地 名 体 系 27 京 都 市 の 地 名 より) 13 世 紀 末 鎌 倉 時 代 後 期 に, 公 家 の 日 記 を 抜 粋 編 集 した 歴 史 書 編 者 不 明 18