4 産 業 (1) 産 業 構 造 三 島 の 産 業 別 就 業 者 数 ( 平 成 22 年 国 勢 調 査 )は 飲 食 店 宿 泊 業 を 中 心 に 第 3 次 産 業 が 最 も 多 く 総 就 業 者 数 2,112 人 のうち 990 人 (46.9%)を 占 めている 第 1 次 産 業 の 就 業 者 数 は 894 人 (42.3%)で そのほとんどが 漁 業 就 業 者 (892 人 )だが 漁 業 就 業 者 数 は 平 成 17 年 時 点 の 1,010 人 から 118 人 減 少 している 農 業 就 業 者 は 佐 久 島 の 2 人 のみとなっている 第 2 次 産 業 の 就 業 者 数 は 219 人 (10.4%)で 平 成 17 年 時 点 の 266 人 から 47 人 ( 17.7%) 減 少 している ( 表 5) 島 別 では 佐 久 島 は 第 1 次 産 業 就 業 者 が 53 人 (44.2%) 第 3 次 産 業 就 業 者 数 が 63 人 (52.5%)となり 第 1 次 産 業 と 第 3 次 産 業 の 就 業 者 数 が 逆 転 した 日 間 賀 島 では 漁 業 就 業 者 が 502 人 ( 平 成 17 年 )から 431 人 ( 平 成 22 年 )に 減 少 し 第 2 次 第 3 次 産 業 もあわせて 39 人 減 少 している 篠 島 では 塩 干 業 などの 水 産 加 工 業 に 従 事 するものが 多 く 第 2 次 産 業 就 業 者 (150 人 16.4%)が 三 島 で 最 も 多 い 100% 表 5 産 業 分 類 別 就 業 者 数 構 成 比 ( 平 成 22 年 ) 80% 60% 40% 第 3 次 産 業 第 2 次 産 業 第 1 次 産 業 20% 0% 佐 久 島 日 間 賀 島 篠 島 三 島 合 計 資 料 : 平 成 22 年 国 勢 調 査 9
(2) 主 な 産 業 ア 水 産 業 三 島 の 基 幹 産 業 である 水 産 業 は 伊 勢 湾 三 河 湾 及 び 渥 美 外 海 を 主 な 漁 場 とする 船 びき 網 刺 網 はえ 縄 等 の 漁 船 漁 業 と ノリの 養 殖 アサリの 採 貝 などが 中 心 である 漁 業 経 営 体 のほとんどが 個 人 経 営 体 である 平 成 25 年 漁 業 センサスにおける 個 人 経 営 体 数 は 505( 三 島 計 )であり 平 成 10 年 比 で 87 経 営 体 (14.7%)が 減 少 している 専 業 兼 業 a 別 では 専 業 の 経 営 体 数 が 190( 平 成 10 年 比 で 20 経 営 体 9.5%の 減 少 ) 第 1 種 及 び 第 2 種 兼 業 の 経 営 体 数 が 315( 平 成 10 年 比 で 67 経 営 体 17.5%の 減 少 )となっ ている 島 別 の 専 業 の 経 営 体 数 は 佐 久 島 45 日 間 賀 島 98 9 篠 島 477 であり 佐 久 島 は 平 成 15 年 に 平 成 10 年 比 で34 増 加 し その 後 減 少 している 日 間 賀 島 は 平 成 20 年 に 平 成 10 年 比 で 31 減 少 し 平 成 25 年 に 増 加 している 篠 島 は 平 成 20 年 に 平 成 10 年 比 で 28 減 少 し 平 成 25 年 に 増 加 している ( 表 6) 表 6 漁 業 経 営 体 数 b( 個 人 )の 推 移 ( 単 位 : 戸 ) 資 料 : 漁 業 センサス a 専 業 第 1 種 兼 業 第 2 種 兼 業 専 業 は 過 去 1 年 間 の 収 入 が 自 営 漁 業 からのみの 世 帯 第 1 種 兼 業 は 過 去 1 年 間 の 収 入 が 自 営 漁 業 以 外 の 仕 事 からもあり か か つ 自 営 漁 業 からの 収 入 がそれ 以 外 の 仕 事 からの 収 入 の 合 計 よりも 大 きかった 世 帯 第 2 種 兼 業 は 過 去 1 年 間 の 収 入 が 自 営 漁 業 以 外 の 仕 事 からもあり かつ 自 営 漁 業 以 外 の 仕 事 からの 収 入 の 合 計 が 自 営 漁 業 からの 収 入 よりも 大 きかった 世 帯 をいう b 漁 業 経 営 体 過 去 1 年 間 に 利 潤 又 は 生 活 の 資 を 得 るために 生 産 物 を 販 売 することを 目 的 として と 海 面 において 水 産 動 植 物 の 採 捕 又 は 養 殖 の 事 業 を 行 った 世 帯 又 は 事 業 所 をいう ただし 過 去 1 年 間 における 漁 業 の 海 上 従 事 日 数 が 30 日 未 満 の 個 人 経 営 体 は 除 く 10
漁 業 形 態 は 佐 久 島 では 住 民 のほとんどがアサリ 漁 に 従 事 しており 日 間 賀 島 篠 島 では シラス イカナゴ 等 を 対 象 とした 船 びき 網 が 主 体 の 漁 船 漁 業 やノリの 養 殖 等 が 行 われている ( 表 7) 佐 久 島 で 水 揚 げされたアサリは 西 三 河 漁 協 佐 久 島 支 所 を 通 じて 本 土 側 の 仲 買 業 者 に 卸 され ている 日 間 賀 島 では 島 内 消 費 や 加 工 原 魚 を 除 き 漁 獲 物 の 多 くが 本 土 側 の 水 産 物 地 方 卸 売 市 場 ( 片 名 )へ 陸 揚 げされている 篠 島 では 漁 獲 物 の 大 半 が 島 に 陸 揚 げされ 塩 干 品 等 に 加 工 さ れている (ア) 漁 獲 量 等 平 成 25 年 の 漁 獲 量 は 9,271t 漁 獲 高 は 29 億 25 百 万 円 であった 島 別 では 篠 島 が 漁 獲 量 (7,005t) 漁 獲 高 (22 億 84 百 万 円 )ともに 三 島 で 最 も 大 きい ( 表 7) 平 成 25 年 の 魚 種 別 水 揚 量 は 日 間 賀 島 篠 島 ではシラス イカナゴ ノリが 佐 久 島 で はたこ アサリ その 他 貝 類 が 多 い ( 表 8) 表 7 漁 獲 金 額 漁 獲 量 ( 属 地 集 計 ) 漁 獲 量 (t) 漁 獲 高 ( 百 万 円 ) 海 面 漁 業 海 面 養 殖 業 計 海 面 漁 業 海 面 養 殖 業 計 佐 久 島 155(319) 0(0) 155(319) 106(219) 0(0) 106(219) 日 間 賀 島 1,297(3,974) 814(820) 2,111(4,794) 363(2,398) 172(173) 535(2,571) 篠 島 5,336(5,678) 1,669(1,669) 7,005(7,347) 1,950(1,659) 334(334) 2,284(1,993) 合 計 6,788(9,971) 2,483(2,489) 9,271(12,460) 2,419(4,276) 506(507) 2,925(4,783) 資 料 : 港 勢 調 査 ( 平 成 25 年 ) 注 :() 内 数 値 は 属 人 集 計 佐 久 島 漁 港 (155t) 表 8 魚 種 別 水 揚 量 ( 属 地 集 計 ) 日 間 賀 漁 港 (2,111t) 篠 島 漁 港 (7,005t) その 他 39.2% アサリ 7.2% たこ 17.0% ノリ 38.6% その 他 0.9% シラス 40.2% ノリ 23.4% その 他 5.3% シラス 41.6% さわら 4.9% その 他 貝 類 31.7% イカナゴ 20.3% イカナゴ 29.7% 注 :1% 未 満 の 魚 種 はその 他 に 計 上 資 料 : 港 勢 調 査 ( 平 成 25 年 ) 11
(イ) 漁 港 漁 港 区 分 は 篠 島 漁 港 が 第 2 種 県 管 理 漁 港 a 佐 久 島 漁 港 が 第 2 種 市 管 理 漁 港 日 間 賀 漁 港 が 第 2 種 町 管 理 漁 港 であり 基 幹 産 業 である 水 産 業 の 基 盤 強 化 のため 漁 港 施 設 や 水 産 関 連 施 設 の 整 備 拡 充 が 順 次 進 められている ( 表 9) 区 分 基 本 施 設 機 能 施 設 種 類 表 9 漁 港 施 設 及 び 水 産 関 連 施 設 の 現 況 佐 久 島 漁 港 ( 第 2 種 市 管 理 ) 日 間 賀 漁 港 ( 第 2 種 町 管 理 ) 篠 島 漁 港 ( 第 2 種 県 管 理 ) 外 かく 施 設 防 波 堤 (m) 1,540 1,642 1,682 護 岸 (m) 3,758 5,668 1,690 けい 留 施 設 物 揚 場 (m) 830 1,548 2,713 船 揚 場 (m) 137 66 203 水 域 施 設 泊 地 (m2) 35,000 64,993 95,328 臨 港 道 路 (m) 716 4,516 3,165 漁 港 施 設 用 地 (m2) 13,180 60,952 85,878 荷 捌 所 (m2) - 1 か 所 200 2 か 所 3,392 製 氷 施 設 (トン) - 1 か 所 20 1 か 所 39 冷 凍 施 設 (トン) - - 1 か 所 41 冷 蔵 施 設 (トン) - 1 か 所 311 1 か 所 165 貯 氷 施 設 (トン) - 1 か 所 192 1 か 所 10 給 油 施 設 ( 最 大 貯 油 能 力 kl) 1 か 所 20 12 か 所 465 8 か 所 965 資 料 : 漁 港 台 帳 ( 平 成 27 年 3 月 31 日 現 在 ) 港 勢 調 査 ( 平 成 25 年 12 月 31 日 現 在 ) イ 農 業 佐 久 島 では 昭 和 30 年 代 に 樹 園 地 が 造 成 され 温 州 ミカンの 栽 培 が 行 われていたが 従 事 者 の 高 齢 化 や 後 継 者 不 足 により 現 在 は 出 荷 されていない 日 間 賀 島 では 昭 和 40 年 代 後 半 ~50 年 代 前 半 にかけて 約 15haの 農 地 が 造 成 され オリ ーブ ふき 梅 などの 栽 培 が 試 みられたが 病 害 虫 の 発 生 潮 風 土 質 浅 い 耕 土 農 業 用 水 の 整 備 困 難 などにより いずれも 定 着 に 至 らず 営 農 意 欲 の 減 退 と 従 事 者 の 高 齢 化 などか ら 現 在 では 農 家 は 皆 無 となり 農 地 は 自 家 消 費 的 にわずかに 耕 作 されているに 過 ぎない 篠 島 も 同 様 であり 畑 が 8ha 程 度 あるものの 農 家 は 皆 無 である 畑 の 一 部 は 家 庭 菜 園 と して 使 われているが 多 くは 山 林 化 している 現 在 は 三 島 とも 農 業 経 営 体 は 存 在 せず 農 地 の 多 くは 耕 作 放 棄 地 となっている なお 佐 久 島 では 遊 休 農 地 対 策 として 離 島 では 全 国 初 となる 宿 泊 滞 在 型 農 業 体 験 施 設 (クラインガルテン)を 平 成 24 年 に 開 園 し 農 業 を 通 じた 交 流 人 口 の 拡 大 に 取 り 組 んでい る a 第 2 種 県 管 理 漁 港 第 2 種 町 管 理 漁 港 第 2 種 漁 港 とは その 利 用 範 囲 が 第 1 種 ( 地 元 の 漁 業 を 主 とするもの)よりも 広 く 第 3 種 ( 全 国 的 なもの)に 属 さないもの を 言 い 県 ( 市 町 ) 管 理 とは 当 該 漁 港 管 理 者 が 県 ( 市 町 )であることを 指 す 12
表 10 耕 地 面 積 及 び 農 業 経 営 体 数 等 島 名 総 面 積 農 振 面 積 耕 地 面 積 総 数 田 畑 樹 園 地 耕 地 化 率 農 業 経 営 体 数 総 数 単 位 :ha( 面 積 ) 森 林 面 積 民 有 う 林 ち 人 工 林 う ち 人 工 林 A B B/A 佐 久 島 181 0 71 6 65 0 39.2% - 56 1 56 1 日 間 賀 島 77 0 19 0 19 0 24.7% - 3 1 3 1 篠 島 93 0 8 0 8 0 8.6% - 23 9 23 9 三 島 合 計 351 0 98 6 92 0 27.9% - 82 11 82 11 資 料 : 西 尾 市 南 知 多 町 調 べ 農 振 面 積 耕 地 面 積 ( 耕 作 放 棄 地 を 含 む) 森 林 面 積 は 平 成 27 年 3 月 31 日 現 在 農 業 経 営 体 数 は 農 林 業 センサス( 平 成 22 年 2 月 1 日 現 在 ) 13
ウ 商 工 業 等 平 成 26 年 経 済 センサス- 基 礎 調 査 では 事 業 所 数 従 業 者 数 ともに 観 光 関 連 の 宿 泊 業 飲 食 サービス 業 が 最 も 多 く 続 いて 事 業 所 数 では 卸 売 業 小 売 業 製 造 業 従 業 者 数 では 製 造 業 卸 売 業 小 売 業 の 順 になっている 製 造 業 は 主 に 篠 島 における 水 産 加 工 業 (シラス イカナゴの 塩 干 業 等 )であるが 小 規 模 な 事 業 所 が 多 く 原 材 料 の 漁 獲 量 により 経 営 が 左 右 されやすい ( 表 11) 表 11 製 造 業 卸 売 業 小 売 業 の 状 況 製 造 業 卸 売 業 小 売 業 宿 泊 業 飲 食 サーヒ ス 業 事 業 所 数 従 業 者 数 事 業 所 数 従 業 者 数 事 業 所 数 従 業 者 数 佐 久 島 1 1 5 8 17 53 日 間 賀 島 7 69 34 126 80 555 篠 島 18 244 39 116 48 210 合 計 26 314 78 250 145 818 資 料 : 平 成 26 年 経 済 センサス- 基 礎 調 査 ( 平 成 26 年 7 月 1 日 現 在 ) エ 観 光 レクリエーション 三 島 は 三 河 湾 国 定 公 園 の 島 しょ 景 観 の 中 心 にあり 豊 かな 自 然 や 独 自 の 歴 史 文 化 などの 魅 力 ある 地 域 資 源 に 恵 まれていることから 平 成 26 年 度 には 約 53 万 7 千 人 の 観 光 客 が 訪 れ 観 光 業 が 水 産 業 と 並 ぶ 基 幹 産 業 となっている 島 別 の 観 光 客 数 は 日 間 賀 島 が 約 24 万 8 千 人 と 最 も 多 く 篠 島 約 21 万 人 佐 久 島 約 7 万 9 千 人 である ( 表 12 参 考 資 料 9) 観 光 客 は 夏 季 に 集 中 していることから 日 間 賀 島 篠 島 では 島 内 環 境 整 備 や 観 光 施 設 の 充 実 を 図 るとともに 釣 りや 海 水 浴 海 浜 レジャー スポーツ 体 験 漁 業 夏 場 の 鱧 料 理 冬 場 のフグ 料 理 知 多 四 国 八 十 八 ヵ 所 霊 場 めぐりなどの 恵 まれた 地 域 資 源 を 活 かし 通 年 型 の 観 光 地 を 目 指 した 努 力 が 続 けられている 体 験 漁 業 については 日 間 賀 島 では 観 光 協 会 篠 島 では 民 宿 組 合 のグループが 中 心 となり キス 網 漁 や 底 引 網 漁 など 多 様 なプログラムを 用 意 して 集 客 に 力 を 入 れている また 多 くの 旅 館 や 民 宿 の 料 理 人 がフグの 処 理 師 免 許 を 取 得 し 質 の 高 いフグ 料 理 を 提 供 することで 課 題 であった 冬 季 の 観 光 客 誘 致 に 成 果 を 上 げている 表 12 観 光 客 数 の 推 移 ( 平 成 2 年 ~ 平 成 26 年 ) 単 位 : 千 人 500 400 300 200 100 0 H2 H4 H6 H8 H10 H12 H14 H16 H18 H20 H22 H24 H26 佐 久 島 日 間 賀 島 篠 島 資 料 : 西 尾 市 南 知 多 町 調 べ 14
三 島 の 観 光 客 の 受 入 体 制 は 平 成 27 年 3 月 末 で 旅 館 ホテルが 29 軒 民 宿 が 77 軒 あり 収 容 能 力 は 1 日 約 4,100 人 である ( 表 13) 民 宿 は 昭 和 49 年 頃 から 急 速 に 増 加 したが 近 年 は 減 少 傾 向 にある 佐 久 島 日 間 賀 島 篠 島 三 島 合 計 表 13 宿 泊 施 設 等 の 状 況 平 成 27 年 3 月 31 日 現 在 宿 泊 能 力 ( 上 段 : 旅 館 ホテル 下 段 : 民 宿 ) 主 な 観 光 資 源 軒 数 宿 泊 収 容 人 数 2 60 6 165 15 1,045 49 1,594 12 607 22 658 29 1,712 77 2,417 海 水 浴 海 釣 り 潮 干 狩 り 黒 壁 の 家 並 島 内 散 策 道 佐 久 島 歩 け 歩 け 海 原 三 里 八 日 講 祭 (1 月 8 日 ) 海 釣 りセンタ ー 弁 天 サロン アートイベント& 展 覧 会 ( 祭 りとアートに 出 会 う 島 佐 久 島 体 験 ) 海 水 浴 海 釣 り 潮 干 狩 り 知 多 四 国 八 十 八 ケ 所 霊 場 巡 り 自 然 体 験 漁 業 (4~10 月 ) キッズアドベンチャー( 夏 季 ) ほうろく 祭 り(7 月 第 2 土 曜 日 ) タコ 祭 り(8 月 12 日 ) 日 間 賀 島 資 料 館 イルカ 介 在 療 法 リラクゼーションプログ ラム 海 水 浴 海 釣 り 潮 干 狩 り 帝 井 清 正 の 枕 石 などの 旧 跡 万 葉 の 丘 歌 碑 公 園 知 多 四 国 八 十 八 ケ 所 霊 場 巡 り 大 名 行 列 (1 月 3 4 日 ) 篠 島 つり 天 国 衹 園 祭 野 島 祭 (7 月 第 2 土 日 ) おんべ 鯛 奉 納 祭 (10 月 12 日 ) 島 弘 法 巡 り 資 料 : 西 尾 市 南 知 多 町 調 べ 佐 久 島 佐 久 島 は 50 余 りの 古 墳 を 有 し 7 世 紀 にはすでに 木 簡 に 名 を 残 す 古 い 歴 史 を 有 する 観 光 レクリエーション 施 設 としては 生 活 環 境 保 全 林 整 備 事 業 によって 整 備 した 散 策 道 海 釣 りセンターなどがある 平 成 10 年 度 には 漁 港 海 岸 環 境 整 備 事 業 により 海 岸 環 境 の 保 全 と 併 せて 海 水 浴 場 も 整 備 され 各 種 イベントの 会 場 としても 活 用 されている 集 客 イベントでは 平 成 12 年 度 に 島 を 美 しくつくる 会 が 家 族 向 けに 企 画 した ネイチ ャーハイク 2000in 佐 久 島 を 契 機 に 平 成 13 年 度 から 佐 久 島 歩 け 歩 け 海 原 三 里 がスター トし 多 くの 参 加 者 が 集 う 一 大 イベントに 定 着 している また 7 月 から 8 月 には わくわく 西 尾 体 験 夏 として 西 尾 市 内 の 各 地 でイベント 等 が 行 われており 佐 久 島 でも 毎 年 夏 まつ りなどが 開 催 されている 平 成 8 年 度 に 始 まった 現 代 アートによる 島 おこしは 平 成 13 年 度 に 行 政 と 島 民 が 協 働 で 取 り 組 む 三 河 佐 久 島 アートプラン 21 へと 発 展 し 祭 りとアートに 出 会 う 島 をテーマ に 様 々なイベントや 展 覧 会 等 が 開 催 され 他 の 観 光 地 とは 一 線 を 画 した 文 化 的 な 島 づくり 活 動 が 続 けられている こうした 活 動 の 中 心 となっている 島 を 美 しくつくる 会 では 島 内 の 環 境 保 全 整 備 や 名 物 料 理 特 産 品 の 開 発 などにも 積 極 的 に 取 り 組 んでいる 15
平 成 21 年 には 古 きよき 時 代 の 日 本 の 漁 村 風 景 を 残 す 黒 壁 の 家 並 みや 里 山 それらを 保 全 する 人 々の 営 みが 評 価 され マスコミ 等 が 企 画 した にほん んの 里 100 選 に 選 出 された 近 年 では 佐 久 島 の 魅 力 がテレビや 雑 誌 などのメディアに 取 り 上 げられ 若 い 女 性 やカップルが 島 内 を 散 策 する 姿 も 見 られるようになっ っている 島 を 美 しくつくる 会 島 を 美 しくつくる 会 は 佐 久 島 の 資 源 ( 自 然 風 土 歴 史 産 業 など) を 発 掘 して 磨 きを かけ 島 の 活 性 化 を 進 めていくために 設 立 され た 自 主 活 動 組 織 島 の 子 どもたちや 島 外 ボランティアと 協 働 し ながら 活 動 している 佐 久 島 歩 け 歩 け 海 原 三 里 黒 壁 の 集 落 や 自 然 豊 かなコースを 廻 るウォークイベントは 毎 回 大 人 気 日 間 賀 島 日 間 賀 島 は 多 数 の 化 石 や 縄 文 弥 生 時 代 の 遺 跡 6~7 世 紀 頃 の 古 墳 群 が 存 在 するな ど 古 い 歴 史 を 持 つ 島 である 島 に 伝 わる タコと 阿 弥 陀 如 来 の 伝 説 a や 島 付 近 でタコが 豊 富 に 捕 れることに 着 目 し タコの 島 としてタコ 料 理 やタコのキャラクター 商 品 の 開 発 タコのモニュメントの 設 置 などを 推 進 してきた 近 年 では 稚 魚 の 放 流 や 魚 礁 の 設 置 等 によってて 漁 獲 量 が 増 えたフグが 特 産 品 に 加 わったことから 多 幸 (タコ)の 島 福 (フグ)の 島 として PR に 努 めてい る 日 間 賀 島 では 島 の 自 然 を 満 喫 できる 体 験 学 習 プログラムの 実 践 により 大 きな 成 果 を 上 げ てきたが 社 会 環 境 の 変 化 や 近 年 の 観 光 客 の 減 少 に 対 応 するため 全 国 に 通 用 する 日 間 賀 島 のブランド 化 創 業 事 業 への 取 り 組 みを 始 めた この 取 り 組 みは 島 のあらゆる 資 源 を 観 光 資 源 にして 疲 れる 旅 から 元 気 になる 旅 をテー ーマに 滞 在 型 観 光 地 を 創 出 し 全 国 展 開 するもの で 既 存 の 漁 業 体 験 プログラムやキッズアドベンチャーに 新 たに 海 のリラクゼーションプ ログラム 低 カロリーでミネラル 分 豊 富 な 健 康 料 理 イルカの 介 在 療 法 などを 加 え 団 塊 の 世 代 とジュニア 世 代 をターゲットに 何 泊 もできる 日 間 賀 島 を 目 指 している a タコと 阿 弥 陀 如 来 の 伝 説 その 昔 日 間 賀 島 と 佐 久 島 の 間 にあった 島 が 地 震 により 陥 没 した その 後 その 島 にあったた 寺 の 阿 弥 陀 如 来 像 が 漁 師 の 網 に 掛 かり 如 来 像 を 守 るようにタコが 絡 みついていた そのことが 始 まりといわれる タコ 阿 弥 陀 如 来 が 安 楽 寺 にまつら れている 16
篠 島 篠 島 は 800 年 以 上 続 くといわれる 伊 勢 神 宮 への 鯛 の 奉 納 おんべ 鯛 a の 島 として 知 られ ており タイとフグの 島 として PR に 力 を 入 れている 島 内 には 帝 井 b 清 正 の 枕 石 c など 多 くの 史 跡 があるほか 万 葉 の 丘 歌 碑 公 園 から 眺 める 夕 陽 が 美 しく NPO 法 人 日 本 列 島 夕 陽 と 朝 日 の 郷 づくり 協 会 によって 日 本 の 夕 陽 百 選 に 選 ばれるなど 古 くから 風 光 明 媚 な 島 として 東 海 の 松 島 とうたわれてきた 平 成 8 年 には 漁 協 青 年 部 が 中 心 となって 海 の 釣 堀 篠 島 つり 天 国 を 開 設 し タイやハ マチ アジなど 大 小 様 々な 魚 が 放 流 され 釣 り 客 の 人 気 スポットの 一 つとなっている また 島 で 自 生 するアシタバを 用 いた 料 理 や 商 品 を 開 発 したり 平 成 10 年 からは おん べ 鯛 の 伊 勢 神 宮 への 奉 納 行 事 を 昔 ながらの 唐 櫃 に 入 れ 漁 船 で 運 ぶ 古 式 に 復 活 するなど 観 光 振 興 に 取 り 組 んでいる 平 成 17 年 度 には 島 の 周 囲 に 100 年 ほど 前 に 祀 られた 88 体 の 石 仏 を お 参 りする 山 弘 法 参 り の 環 境 整 備 を 行 い 名 称 を 島 弘 法 d 巡 りに 変 えて 新 たな 観 光 資 源 として 復 活 させた なお 日 間 賀 島 篠 島 には 知 多 四 国 八 十 八 ケ 所 霊 場 めぐり e の 札 所 があり( 日 間 賀 島 :37 番 札 所 篠 島 :38 番 39 番 札 所 番 外 札 所 ) 四 季 を 通 じて 全 国 から 多 くの 人 が 訪 れ ている a おんべ 鯛 伊 勢 神 宮 の 三 大 祭 に 供 えられる 神 饌 (しんせん: 神 に 供 える 飲 食 物 )のひとつで 鯛 の 塩 漬 けを 海 水 で 洗 ってから 天 日 干 しにしたもの b 帝 井 (みかどい) 南 朝 の 後 醍 醐 天 皇 の 皇 子 義 良 親 王 ( 後 の 後 村 上 天 皇 )が 島 に 漂 着 された 際 飲 料 水 を 親 王 にさしあげるために 掘 られた 井 戸 また この 井 戸 水 は 愛 知 用 水 通 水 時 まで 島 民 の 大 切 な 飲 料 水 であった c 清 正 の 枕 石 名 古 屋 城 を 築 城 の 際 石 垣 を 担 当 した 加 藤 清 正 が 篠 島 南 風 ヶ 崎 より 石 を 切 り 出 したが どうしても 運 べなかった 大 きな 石 を 清 正 の 枕 石 と 呼 んでいる d 島 弘 法 巡 り 明 治 時 代 末 に 海 難 事 故 により 遭 難 死 した 10 名 の 漁 師 の 慰 霊 と 海 上 安 全 大 漁 などを 願 って 島 内 の 海 を 見 渡 す 道 沿 いに 祀 られた 88 体 の 石 仏 をお 参 りするもの 昭 和 40 年 代 までは 弘 法 命 日 に 島 民 が 弁 当 を 持 って 弘 法 参 りをするなど 手 軽 な 春 の 行 事 として 定 着 していた e 知 多 四 国 八 十 八 カ 所 霊 場 めぐり 弘 法 大 師 ( 空 海 )にちなむ 四 国 八 十 八 ケ 所 霊 場 になぞらえたものであり その 開 創 は 江 戸 時 代 ( 文 政 年 間 )に 遡 る 17
5 生 活 環 境 (1) 水 道 佐 久 島 では 昭 和 35 年 から 送 水 船 による 簡 易 水 道 事 業 が 開 始 された 日 間 賀 島 篠 島 で は 昭 和 37 年 に 離 島 簡 易 水 道 整 備 事 業 による 海 底 送 水 管 ( 口 径 75mm)が 完 成 し 師 崎 経 由 での 愛 知 用 水 からの 送 水 が 始 まった その 後 生 活 水 準 の 向 上 ノリ 養 殖 等 の 進 展 観 光 客 の 増 大 などに 伴 う 水 需 要 の 増 加 に 対 応 するため 昭 和 47 年 に 南 知 多 町 及 び 一 色 町 により 愛 知 三 島 水 道 企 業 団 が 設 立 され 昭 和 48 年 には 海 底 送 水 管 ( 口 径 150mm)が 日 間 賀 島 経 由 で 篠 島 佐 久 島 にそれぞれ 布 設 さ れ 三 島 への 送 水 が 開 始 した その 後 施 設 の 老 朽 化 に 伴 う 漏 水 等 により 送 水 量 が 低 下 して 慢 性 的 な 水 不 足 の 状 態 となっ たことから 平 成 9 年 度 から 平 成 12 年 度 までの 4 年 間 で 師 崎 ~ 篠 島 間 の 海 底 送 水 管 の 布 設 替 等 を 行 った また 平 成 22 年 度 に 師 崎 ~ 日 間 賀 島 間 の 送 水 管 1 本 ( 南 ルート 口 径 150 mm)の 布 設 替 を 行 った 現 在 は 師 崎 ~ 日 間 賀 島 間 2 本 ( 口 径 150mm) 師 崎 ~ 篠 島 間 1 本 ( 口 径 200mm) 日 間 賀 島 経 由 で 佐 久 島 へ 1 本 ( 口 径 150mm)の 送 水 管 が 布 設 されてお り 水 道 普 及 率 は 100%である ( 表 14) なお 昭 和 47 年 から 愛 知 三 島 水 道 企 業 団 が 運 営 してきた 三 島 の 水 道 事 業 は 平 成 13 年 度 に 南 知 多 町 水 道 事 業 へ 統 合 された 海 底 送 水 管 を 始 め 水 道 施 設 の 管 理 運 営 などに 多 額 の 経 費 を 要 するため 三 島 の 水 道 料 金 統 一 は 大 きな 課 題 であったが 給 水 区 域 内 の 安 全 で 平 等 な 供 給 を 目 指 し 平 成 17 年 度 の 段 階 的 な 値 下 げを 経 て 平 成 20 年 度 から 水 道 料 金 が 統 一 された 表 14 水 道 事 業 の 現 況 平 成 27 年 3 月 31 日 現 在 水 道 事 業 者 給 水 区 域 給 水 人 口 水 道 普 及 率 南 知 多 町 日 間 賀 島 篠 島 佐 久 島 4,020 人 100% 1 日 当 たり 給 水 量 年 間 給 水 量 稼 働 率 一 般 家 庭 の 1 か 平 均 計 (26 年 度 ) 最 大 計 画 最 大 平 均 ( 日 最 大 / 給 水 計 画 ) 月 平 均 使 用 量 画 663 千 m 3 4,300m 3 2,150 m3 2,120m 3 1,735m 3 49.3% 20.2m 3 / 月 資 料 : 南 知 多 町 調 べ (2) エネルギー 供 給 三 島 の 電 力 は 本 土 から 海 底 送 電 ケーブルを 通 じて 送 電 されている 昭 和 22 年 に 5kv のケーブルにより 南 知 多 町 片 名 から 日 間 賀 島 を 経 由 し 篠 島 佐 久 島 に 送 電 が 開 始 された 以 降 生 活 水 準 の 向 上 観 光 客 の 増 大 などによる 電 力 需 要 の 増 加 に 応 じてケーブルも 増 設 さ れ 現 在 は 本 土 から 日 間 賀 島 へ 33kvで 送 電 され 日 間 賀 島 内 及 び 篠 島 佐 久 島 へは 6kv に 下 げて 日 間 賀 島 から 送 電 されている 一 般 受 電 化 率 は 三 島 ともに 100%である ガソリン 等 の 燃 料 については 各 島 とも 本 土 から 海 上 輸 送 されており 平 成 23 年 度 から は 輸 送 コストによる 本 土 とのガソリン 価 格 差 を 緩 和 するため 国 の 助 成 制 度 を 受 け ガソリ ン 価 格 の 低 廉 化 が 図 られている 18
(3) ごみ 処 理 可 燃 ごみは 三 島 とも 島 内 に 設 置 されたバッチ 式 焼 却 炉 等 で 焼 却 処 理 してきたが ダイオ キシン 類 対 策 特 別 措 置 法 の 定 める 環 境 基 準 をクリアできないことから 平 成 14 年 10 月 以 降 佐 久 島 は 西 尾 市 の 焼 却 施 設 へ 運 搬 し 処 理 している 日 間 賀 島 と 篠 島 では 知 多 南 部 衛 生 組 合 が 収 集 し それぞれ 本 土 側 へ 運 搬 して 処 理 している ただ 運 搬 費 用 は 高 額 で 財 政 負 担 が 大 きい 資 源 ごみ(ビン カン 新 聞 紙 等 )は 佐 久 島 では 月 1 回 日 間 賀 島 篠 島 では 月 2 回 収 集 し 本 土 へ 搬 出 して 処 理 している 不 燃 ごみは 佐 久 島 には 平 成 元 年 度 に 2,660m 3 日 間 賀 島 には 平 成 5 年 度 に 26,625m 3 篠 島 には 昭 和 57 年 度 に 8,316 m3( 平 成 4 年 度 改 修 後 容 量 )の 埋 立 処 分 地 が 整 備 されている が 佐 久 島 では 平 成 26 年 度 で 埋 立 終 了 のため 本 土 へ 運 搬 し 処 理 している 日 間 賀 島 篠 島 においては 残 余 容 量 が 少 なくなっているため 一 部 を 本 土 へ 搬 出 して 処 理 している 粗 大 ごみは 佐 久 島 では 毎 月 1 回 市 が 日 間 賀 島 と 篠 島 では 毎 月 1 回 知 多 南 部 衛 生 組 合 が 収 集 し 本 土 へ 搬 出 して 処 理 している なお 三 島 とも 観 光 地 としての 良 好 な 環 境 づくりのため コミュニティ 活 動 等 による 島 内 美 化 運 動 が 行 われている (4) し 尿 処 理 等 し 尿 処 理 については 三 島 とも 早 くから 浄 化 槽 が 普 及 しており 平 成 27 年 4 月 1 日 現 在 の 水 洗 化 率 a は 佐 久 島 100% 日 間 賀 島 99.2% 篠 島 86.9%である 日 間 賀 島 篠 島 では 町 の 委 託 を 受 けた 業 者 が 収 集 運 搬 し 知 多 南 部 衛 生 センターで 処 理 し ている 佐 久 島 では 本 土 の 処 理 業 者 が 汲 取 車 を 搬 入 して 処 理 している また 日 間 賀 島 と 篠 島 では 旅 館 や 民 宿 等 からの 生 活 排 水 が 海 域 に 流 れ 込 んでいたため 日 間 賀 島 では 平 成 8 年 度 より 漁 業 集 落 排 水 処 理 施 設 の 設 置 に 着 手 し 平 成 15 年 8 月 から 日 間 賀 島 浄 化 センターが 供 用 開 始 され 生 活 環 境 の 改 善 に 成 果 を 上 げている 篠 島 では 地 域 の 実 情 に 応 じ 集 合 処 理 施 設 や 個 別 処 理 である 合 併 処 理 浄 化 槽 の 設 置 促 進 を 図 り 生 活 排 水 の 対 策 を 進 めている a 水 洗 化 率 水 洗 化 率 = 水 洗 化 人 口 計 画 処 理 区 域 内 人 口 19
6 医 療 福 祉 (1) 保 健 医 療 佐 久 島 では 市 営 診 療 所 (へき 地 診 療 所 )が 国 及 び 県 の 助 成 を 受 けて 運 営 されており 県 から 派 遣 された 自 治 医 科 大 学 の 卒 業 医 が 診 療 を 行 っている 当 該 診 療 所 では 平 成 11 年 か ら へき 地 医 療 支 援 システム を 導 入 しており へき 地 医 療 拠 点 病 院 から 専 門 医 による 画 像 診 断 など 技 術 支 援 を 含 めた 診 療 上 の 助 言 指 導 を 受 けることが 可 能 である 平 成 16 年 に は 診 療 所 に 隣 接 して 医 師 住 宅 を 建 設 するなど 医 療 体 制 の 整 備 を 図 っている なお 歯 科 医 師 はおらず 無 歯 科 医 地 区 になっている ( 表 15) 日 間 賀 島 は 町 所 有 の 施 設 に 個 人 開 設 の 診 療 所 が 設 置 されており 週 4 日 で 診 療 が 行 われ ている 歯 科 は 常 駐 の 開 業 医 が 診 療 を 行 っている 篠 島 は 町 所 有 の 施 設 に 知 多 厚 生 病 院 附 属 篠 島 診 療 所 (へき 地 診 療 所 )が 設 置 されており 週 5 日 で 診 療 が 行 われている 歯 科 は 開 業 医 により 週 1 日 の 診 療 がある 救 急 搬 送 については 三 島 とも 海 上 タクシーが 使 用 されており 佐 久 島 では 西 尾 市 が 日 間 賀 島 篠 島 では 知 多 南 部 消 防 組 合 が 搬 送 費 を 助 成 し 被 搬 送 者 の 負 担 軽 減 が 図 られてい る また 重 症 の 救 急 患 者 の 搬 送 は 平 成 14 年 から 愛 知 医 科 大 学 病 院 を 基 地 病 院 として 運 行 されているドクターヘリを 活 用 しており 県 内 医 療 機 関 への 迅 速 な 搬 送 と 到 着 までの 間 の 救 命 医 療 が 可 能 となっている 島 名 診 療 所 医 療 施 設 病 床 数 表 15 医 療 施 設 等 の 現 況 平 成 27 年 4 月 1 日 現 在 歯 科 診 療 所 医 師 歯 科 医 師 医 療 従 事 者 歯 科 衛 生 士 看 護 師 保 健 師 助 産 師 搬 送 施 設 等 佐 久 島 1 0 0 1 0 1 0 0 0 0 日 間 賀 島 1 0 1 1 1 1 0 0 0 0 篠 島 1 0 1 1 1 3 0 0 0 0 合 計 3 0 2 3 2 5 0 0 0 0 資 料 : 西 尾 市 南 知 多 町 調 べ (2) 高 齢 者 福 祉 三 島 の 高 齢 化 率 (65 歳 以 上 )は 佐 久 島 が 49.8% 日 間 賀 島 28.7% 篠 島 29.4%である また 一 般 世 帯 のうち 一 人 暮 らし 高 齢 者 世 帯 の 割 合 は 佐 久 島 が 29.1% 日 間 賀 島 10.3% 篠 島 11.2%となっており 三 島 の 一 人 暮 らし 高 齢 者 数 は 高 齢 化 の 進 行 にあわせて 増 加 し ている ( 表 16) 20
表 16 65 歳 以 上 のみの 世 帯 数 世 帯 数 65 歳 以 上 のみの 世 帯 数 うち 一 人 暮 らし 佐 久 島 134 68 39 日 間 賀 島 630 124 65 篠 島 634 156 71 三 島 合 計 1,398 348 175 平 成 22 年 国 勢 調 査 高 齢 者 福 祉 対 策 として 佐 久 島 では 高 齢 者 の 健 康 で 自 立 した 生 活 を 支 援 するため 離 島 開 発 総 合 センターにおいて 閉 じこもりや 要 介 護 状 態 となることを 予 防 するための 生 きがい サービスを 実 施 し 介 護 予 防 に 努 めている 日 間 賀 島 篠 島 では 平 成 13 年 から 生 きがい 活 動 支 援 センターによる 生 きがい 活 動 支 援 通 所 事 業 (デイサービス) が 開 始 され 入 浴 や 食 事 の 提 供 健 康 チェック 機 能 回 復 訓 練 等 が 実 施 され 介 護 予 防 に 努 めている ( 平 成 26 年 9 月 に 民 間 による 通 所 介 護 (デイサ ービス) 事 業 所 が 開 設 されたことに 伴 い 篠 島 生 きがい 活 動 支 援 センターは 事 業 を 休 止 し ている )また 両 島 には 老 人 憩 の 家 が( 日 間 賀 島 に 2 か 所 篠 島 に 1 か 所 ) 設 置 され 健 康 増 進 やレクリエーションの 場 として 利 用 されている なお 三 島 ともに 介 護 保 険 制 度 の 運 用 により 島 へ 派 遣 されるホームヘルパー 等 への 交 通 費 補 助 が 行 われている (3) 児 童 福 祉 児 童 福 祉 施 設 として 佐 久 島 には 市 立 保 育 所 (へき 地 保 育 所 ) 日 間 賀 島 には 町 立 保 育 所 篠 島 には 私 立 保 育 園 がそれぞれ 1 か 所 ずつ 設 置 されている 佐 久 島 では 児 童 数 の 減 少 により 平 成 12 年 度 から 休 園 となっていたが 平 成 15 年 度 に 再 開 され 6 名 が 通 園 しており 日 間 賀 保 育 所 では 37 名 篠 島 保 育 園 では 51 名 通 園 して いる ( 平 成 27 年 4 月 1 日 現 在 ) 21