税務大学校 税大論叢



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Transcription:

出 羽 国 村 山 郡 における 代 官 と 村 - 入 間 家 文 書 を 素 材 として- 堀 亮 一 税 務 大 学 校 租 税 史 料 館 研 究 調 査 員

526 要 約 1 研 究 の 目 的 租 税 史 料 館 で 所 蔵 する 近 世 文 書 を 中 心 とする 文 書 群 として 入 間 家 文 書 があ る 入 間 家 文 書 は 出 羽 国 村 山 郡 入 間 村 ( 現 在 の 山 形 県 西 村 山 郡 西 川 町 大 字 入 間 )の 幕 府 領 の 名 主 家 に 伝 存 した 文 書 である 近 世 の 租 税 を 概 観 すると 幕 府 領 の 村 の 場 合 その 支 配 は 代 官 によって 行 わ れており 租 税 は 代 官 を 通 じて 幕 府 の 勘 定 所 に 納 められている 代 官 は 元 禄 期 の 将 軍 徳 川 綱 吉 による 粛 清 や 寛 政 期 における 代 官 の 風 紀 取 り 締 まりの 中 で 更 迭 が 行 われる 中 で 領 主 性 が 失 われ 幕 府 役 人 として 官 僚 化 の 道 をたどるとされている 本 稿 では まず 入 間 村 の 変 遷 などと 入 間 家 文 書 の 近 世 から 近 代 までの 内 容 を 紹 介 し 文 書 群 全 体 としてのまとまりについて 述 べる そして 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 特 徴 をふまえた 上 で 入 間 村 が 幕 府 代 官 の 支 配 を 受 けて いた 期 間 の 内 主 に 享 保 期 以 降 を 取 り 上 げ 入 間 家 文 書 をもとに 入 間 村 を 治 め ていた 代 官 と 村 との 間 で 結 ばれていた- 主 に 近 世 の 租 税 である 年 貢 を 介 した - 関 係 を 見 ていく 2 研 究 の 内 容 1 入 間 家 文 書 の 分 類 と 特 質 本 稿 では 入 間 家 文 書 の 特 質 を 明 らかにするため 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 特 徴 に 則 した 形 の 分 類 項 目 を 立 てた そして 近 世 文 書 の 大 項 目 として 名 主 家 と 入 間 家 を 近 代 文 書 の 大 項 目 として 入 間 村 ( 区 長 戸 長 など)と 入 間 家 を 設 定 し これに 中 小 の 項 目 を 付 けて 分 類 を 行 った 入 間 家 文 書 の 近 世 史 料 は 名 主 という 役 職 に 伴 って 生 成 される 文 書 と 入 間 家 という 家 及 び 家 経 営 に 関 連 して 残 された 家 文 書 の 二 つに 分 ける 事 が 出 来 る また 入 間 家 は 入 間 神 社 の 神 主 を 務 めている 家 でも あった この 他 入 間 家 文 書 の 全 体 的 な 特 徴 として 書 状 が 多 く 現 存 して

527 いることが 上 げられる 近 代 に 入 ると 入 間 家 は 区 長 及 び 戸 長 を 務 めて いるが いわゆる 公 文 書 の 類 は 区 長 を 辞 めた 明 治 九 年 以 降 は 少 なく 以 後 私 文 書 中 心 に 移 行 している 近 代 文 書 では 家 文 書 の 争 論 ( 争 論 関 係 ) 借 金 買 物 ( 領 収 証 など)が 点 数 の 多 い 項 目 として 上 げられる 2 入 間 村 ( 幕 領 分 )と 支 配 代 官 入 間 村 の 幕 府 領 は 寒 河 江 領 の 幕 府 領 として 元 和 八 年 ( 一 六 二 二 )に 山 形 藩 の 最 上 家 が 改 易 になった 後 に 幕 府 領 となり 安 政 二 年 ( 一 八 五 五 )まで 幕 府 領 として 幕 府 代 官 の 支 配 を 受 けている この 内 入 間 村 の 幕 府 領 を 治 めていた 享 保 期 以 降 の 代 官 について 見 てみると まず 代 官 陣 屋 の 廃 止 や 出 張 陣 屋 化 などに 伴 い 入 間 村 を 治 めている 代 官 の 代 官 陣 屋 が 移 動 している また 代 官 によっては 入 間 村 を 治 めた 期 間 は 異 なる この 内 柴 橋 陣 屋 支 配 の 時 代 の 特 徴 としては 池 田 仙 九 郎 が 柴 橋 陣 屋 に 寛 政 元 年 ( 一 七 八 九 )から 寛 政 七 年 ( 一 七 九 五 )と 文 化 七 年 ( 一 八 一 〇 )から 天 保 五 年 ( 一 八 三 四 )までという 長 期 にわたって 在 任 している 点 が 上 げられる そして 池 田 仙 九 郎 が 天 保 五 年 の 在 任 中 に 死 去 した 後 に は 息 子 の 池 田 岩 之 丞 が 代 官 見 習 から 代 官 となり 天 保 五 年 から 天 保 七 年 まで 勤 めている また 入 間 村 を 治 めた 代 官 の 特 徴 としては 馬 喰 町 詰 代 官 関 東 郡 代 付 代 官 に 就 任 あるいはこれらの 代 官 を 勤 めた 家 出 身 の 代 官 を 確 認 できる 点 も 上 げられる ところで 入 間 村 では たびたび 近 世 を 通 じて 大 きな 飢 饉 に 見 舞 われ た このような 際 に 代 官 が 御 救 を 行 っている 例 えば 宝 暦 五 年 ( 一 七 五 五 )から 宝 暦 六 年 までは 凶 作 のため 年 貢 を 役 所 に 納 められなか ったため 結 局 宝 暦 五 年 分 の 内 不 納 の 分 は 拝 借 金 で 上 納 し 宝 暦 六 年 の 年 貢 と 共 に 二 十 ヶ 年 賦 で 返 納 することとなっている また 天 保 九 年 ( 一 八 三 八 ) 四 月 に 兵 助 新 田 の 惣 百 姓 が 代 官 池 田 仙 九 次 他 下 役 の 武 運 長 久 を 神 に 祈 願 する 旨 の 議 定 書 を 作 成 している これは 天 保 四 年 九 月 に 大 雨 による 洪 水 の 時 用 水 路 が 崩 れた 際 村 高 二 十 九 石 二 斗 二 合 の 内 田

528 方 十 二 石 を 引 高 にした 処 置 によるものであった この 他 入 間 村 本 郷 の 一 ツ 小 柳 では 宝 暦 五 年 の 大 凶 作 で 全 員 退 転 しているが 当 時 の 代 官 (= 池 田 仙 九 郎 )が 一 ツ 小 柳 の 有 高 を 全 て 引 高 とした また 現 在 の 代 官 (= 添 田 一 郎 次 )も 検 見 の 引 方 については 格 別 の 救 引 をしたとして 天 保 九 年 四 月 に 入 間 村 本 郷 の 惣 百 姓 が 一 ツ 小 柳 の 地 蔵 尊 に 代 官 と 手 代 の 武 運 長 久 を 祈 念 している また 天 保 七 年 三 月 にも 同 様 の 願 望 書 が 作 られている このように 天 保 期 には 入 間 村 本 郷 兵 助 新 田 では 代 官 の 顕 彰 を 行 っている 事 例 を 確 認 できる これは 池 田 仙 九 郎 は 長 期 間 に 渡 って 寛 政 期 と 文 化 期 から 天 保 期 にかけて 柴 橋 陣 屋 で 代 官 を 勤 めており その 後 も 池 田 岩 之 丞 が 天 保 五 年 から 天 保 七 年 まで 代 官 を 勤 め 支 配 所 の 村 々にとって 特 別 な 存 在 であったことなどが 背 景 にあると 考 えられる しかし 代 官 は 幕 府 勘 定 所 の 官 僚 として 全 国 に 配 置 されていた が 代 官 の 行 動 には 支 配 を 担 当 する 幕 府 領 以 外 に 江 戸 の 幕 府 勘 定 所 を 政 策 の 視 野 において 行 動 する 事 があった 寛 政 三 年 ( 一 七 九 一 )に 代 官 池 田 仙 九 郎 によって 柴 橋 陣 屋 付 の 村 々に 郡 中 備 金 仕 法 が 導 入 された ところが これ 以 後 文 化 十 四 年 ( 一 八 一 七 )に 幕 府 が 幕 府 の 公 金 貸 付 政 策 の 中 心 であった 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 の 統 制 集 中 化 を 行 った この 幕 府 の 政 策 は 柴 橋 陣 屋 付 の 村 々の 郡 中 備 金 に 大 きな 影 響 を 与 えるように なり 郡 中 備 金 は 文 化 十 五 年 以 後 幕 府 勘 定 所 による 公 金 貸 付 政 策 に 連 動 することとなった 3 結 論 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 構 成 は 租 税 史 料 館 に 寄 贈 されるまでの 間 の 推 移 もあり やや 史 料 群 としては 偏 りのある 文 書 構 成 となっている こうした 文 書 群 の 中 入 間 村 を 支 配 してきた 代 官 とその 対 応 を 見 てきた 代 官 は 幕 府 勘 定 所 の 職 として 全 国 を 転 々とする 身 分 であったが その 中 で 入 間 村 の 場 合 池 田 仙 九 郎 支 配 の 時 代 が 長 かった 点 が 特 徴 として 上 げられる

529 入 間 村 の 年 貢 をめぐる 対 応 を 見 ると 飢 饉 時 の 村 に 対 する 対 応 は 時 代 によっ て 変 化 が 見 られたと 思 われるが 郡 中 備 金 の 制 度 の 導 入 などの 事 例 から 考 え るのであればこの 池 田 仙 九 郎 が 代 官 を 勤 めた 時 代 が 入 間 村 にとって 一 つの 転 換 期 であったと 言 えよう 池 田 仙 九 郎 は 天 保 期 には 入 間 村 及 び 兵 助 新 田 では 顕 彰 の 対 象 とな っており 村 からは 名 代 官 として 評 価 されているように 見 える しかし 郡 中 備 金 をめぐる 代 官 と 幕 府 勘 定 所 そして 領 地 の 村 々の 間 の 対 応 を 見 てみ ると 池 田 仙 九 郎 に 限 らず 各 代 官 が 地 域 の 経 済 あるいは 全 国 的 な 視 野 に 立 った 政 策 を 行 っていることが 確 認 出 来 る 代 官 という 幕 府 勘 定 所 支 配 下 の 役 職 には その 就 任 過 程 政 策 などに 時 代 差 はあったものの その 根 底 には 幕 府 勘 定 所 支 配 の 地 方 における 遂 行 者 としての 立 場 があったのである

530 目 次 はじめに 531 一 入 間 家 文 書 の 紹 介 と 文 書 群 533 ( 一 ) 入 間 村 ( 幕 府 領 分 )の 概 要 533 ( 二 ) 入 間 家 文 書 の 文 書 群 の 構 成 536 二 入 間 村 を 治 めた 代 官 とその 性 格 548 ( 一 ) 陣 屋 の 変 遷 と 代 官 の 履 歴 548 ( 二 ) 入 間 村 と 代 官 の 御 救 553 ( 三 ) 代 官 柴 橋 陣 屋 附 村 々 江 戸 559 おわりに 564

531 はじめに 近 世 の 租 税 を 概 観 すると 通 常 村 が 領 主 に 納 める 租 税 は 領 主 の 勘 定 所 に 納 め られる 幕 府 領 の 場 合 は その 支 配 は 代 官 によって 行 われており 代 官 を 通 じ て 幕 府 の 勘 定 所 に 納 められている 代 官 は 元 禄 期 の 将 軍 徳 川 綱 吉 による 粛 清 や 寛 政 期 における 代 官 の 風 紀 取 り 締 まりの 中 で 更 迭 が 行 われる 中 で 領 主 性 は 失 われ 幕 府 役 人 として 官 僚 化 の 道 をたどるとされている (1) ところで 租 税 史 料 館 で 所 蔵 する 近 世 文 書 を 中 心 とする 家 文 書 の 文 書 群 とし て 入 間 家 文 書 がある 入 間 家 文 書 は 租 税 史 料 館 で 所 蔵 している 近 世 文 書 の 約 半 分 を 含 む 文 書 群 であり 出 羽 国 村 山 郡 入 間 村 ( 現 在 の 山 形 県 西 村 山 郡 西 川 町 大 字 入 間 )の 幕 府 領 の 名 主 家 に 伝 存 した 文 書 である 入 間 家 は 寛 文 十 二 年 ( 一 六 七 二 ) 四 月 時 には 当 時 の 入 間 家 の 当 主 であった 清 右 衛 門 が 十 九 才 で 入 間 村 の 庄 屋 として 検 地 の 案 内 人 を 勤 めており 入 間 家 は 近 世 初 期 から 入 間 村 の 名 主 であった (2) 本 稿 では まず 第 一 章 で 入 間 村 の 変 遷 などと 入 間 家 文 書 の 近 世 から 近 代 まで の 内 容 を 紹 介 し 文 書 群 全 体 としてのまとまりについて 述 べる (3) そして 第 (1) 代 官 に 関 する 研 究 史 については 村 上 直 代 官 ー 幕 府 を 支 えた 人 々ー ( 人 物 往 来 社 一 九 六 三 年 ) 天 領 ( 人 物 往 来 社 一 九 六 五 年 )を 始 めとする 諸 研 究 があ るが 一 九 八 〇 年 代 迄 の 研 究 史 については 村 上 直 和 泉 清 司 西 沢 淳 男 幕 領 ( 天 領 ) 及 び 代 官 文 献 目 録 ( 日 本 海 地 域 史 研 究 会 村 上 直 編 日 本 海 地 域 史 研 究 第 十 輯 文 献 出 版 一 九 九 〇 年 )を 参 照 なお それ 以 降 の 主 な 研 究 成 果 としてここで は 西 沢 淳 男 幕 領 陣 屋 と 代 官 支 配 ( 岩 田 書 院 一 九 九 八 年 )を 上 げておく (2)( 寛 文 11 年 2 月 ~ 寛 文 12 年 4 月 ) 寛 文 拾 弐 壬 子 年 四 月 御 検 地 ニ 付 被 仰 渡 候 覚 書 寒 河 江 領 入 間 村 清 右 衛 門 扣 ( 昭 53 仙 台 207) なお 以 下 入 間 家 文 書 を 引 用 する 際 には 租 税 史 料 館 の 受 入 番 号 を 付 ける 租 税 史 料 館 の 受 入 番 号 は 受 入 年 代 受 入 の 窓 口 となっている 地 方 研 修 所 名 受 入 番 号 から 構 成 されているが 入 間 家 文 書 の 場 合 その 受 入 年 代 は 複 数 年 に 渡 っている また 写 本 や 控 の 内 書 写 年 代 が 分 から ないものについては 原 本 の 年 代 を( ) 付 で 示 している (3)なお 租 税 史 料 館 所 蔵 史 料 で 入 間 家 文 書 以 外 の 入 間 村 関 係 の 史 料 としては 花 巻 税 務 署 から 移 管 された 明 治 前 期 の 入 間 村 の 絵 図 がある( 昭 56 仙 台 11 19 29 184 226)

532 二 章 では 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 特 徴 をふまえた 上 で 入 間 村 が 幕 府 代 官 の 支 配 を 受 けていた 期 間 の 内 主 に 享 保 期 以 降 を 取 り 上 げ 入 間 家 文 書 をもと に 入 間 村 を 治 めていた 代 官 と 村 との 間 で 結 ばれていたー 主 に 近 世 の 租 税 である 年 貢 を 介 したー 関 係 を 見 ていく そして 近 世 を 通 じて 代 官 が 幕 府 支 配 におけ る 身 分 立 場 を 変 容 させていく 中 で 村 に 対 してどのような 対 応 をとっていっ たのかについて 見 ていきたい (4) (4)これまで 入 間 家 文 書 を 使 用 した 研 究 論 文 としては 多 仁 照 廣 江 戸 時 代 出 羽 寛 文 検 地 条 目 について ( 税 大 論 叢 第 十 三 号 一 九 七 九 年 ) 同 羽 州 入 間 村 名 主 常 右 衛 門 の 書 残 ( 税 大 論 叢 第 十 四 号 一 九 八 一 年 )がある

533 一 入 間 家 文 書 の 紹 介 と 文 書 群 ( 一 ) 入 間 村 ( 幕 府 領 分 )の 概 要 入 間 村 は 月 山 の 南 方 の 山 麓 最 上 川 の 支 流 寒 河 江 川 の 渓 谷 に 位 置 する 村 で 幕 府 領 の 石 高 は 宝 暦 三 年 ( 一 七 五 三 ) 段 階 で 四 百 十 石 九 斗 四 升 四 合 (5) 寛 政 六 年 ( 一 七 九 四 ) 段 階 で 四 百 五 十 石 九 斗 四 升 四 合 (6) 明 治 二 年 ( 一 八 六 九 ) 段 階 で 四 百 七 十 二 石 六 斗 四 合 (7) となっている なお 入 間 村 は 幕 府 領 と 出 羽 松 山 藩 領 に 分 かれていた (8) また 隣 村 の 兵 助 新 田 は 承 応 年 間 ( 一 六 五 二 ~ 一 六 五 四 )に 入 間 村 の 入 会 の 山 野 の 空 き 地 よ り 開 発 した 村 で 入 間 村 の 名 主 である 入 間 家 が 名 主 を 代 々 勤 めていた 例 (5) 宝 暦 3 年 3 月 宝 暦 三 年 酉 三 月 日 羽 州 村 山 郡 入 間 村 明 細 指 出 帳 入 間 村 名 主 善 右 衛 門 同 利 左 衛 門 同 久 兵 衛 ( 昭 53 仙 台 4) (6)( 寛 政 6 年 閏 11 月 ) 寛 政 六 寅 年 閏 十 一 月 羽 州 村 山 郡 入 間 村 明 細 差 出 帳 扣 証 文 村 名 主 清 吉 ( 昭 53 仙 台 9) (7) 明 治 2 年 9 月 明 治 二 巳 年 九 月 村 明 細 取 調 書 上 帳 羽 前 国 村 山 郡 入 間 村 ( 昭 53 仙 台 96) (8)なお 入 間 村 の 御 料 私 領 が 協 力 して 行 動 している 事 例 として いわゆる 御 救 のため 植 えた 杉 苗 の 事 例 がある これは 文 化 五 年 ( 一 八 〇 八 )に 入 間 村 の 幕 府 領 の 増 五 郎 が 後 年 村 内 が 困 窮 に 迫 った 時 の 助 力 となるため 山 野 の 空 き 地 に 杉 苗 を 植 え 付 けたい 旨 を 常 右 衛 門 方 へ 申 し 出 たため 御 料 御 私 領 両 村 に 申 し 聞 きした 上 で 植 えたのが 始 まりである その 後 安 兵 衛 ( 天 保 六 年 当 時 は 組 頭 )が 村 内 合 力 の ため 植 え 付 けを 行 っているが 最 初 に 植 え 付 けた 杉 木 の 中 で 成 木 になった 分 を 売 り 払 う 時 節 になったため その 代 金 は 入 間 村 の 幕 府 領 松 山 藩 領 そして 兵 助 新 田 に 割 賦 配 分 されている この 際 天 保 六 年 ( 一 八 三 五 ) 十 一 月 に 議 定 書 が 作 成 され 増 五 郎 の 子 孫 である 清 右 衛 門 へ 渡 されている( 天 保 6 年 11 月 村 備 杉 木 売 払 候 節 代 金 割 賦 議 定 昭 53 仙 台 18) なお この 文 書 では 村 人 の 氏 名 に 文 化 五 年 当 時 の 先 祖 の 名 前 が 付 記 されているが この 他 にこの 議 定 書 の 写 し(( 天 保 6 年 11 月 ) 村 備 杉 木 売 払 候 節 代 金 割 賦 議 定 ( 写 ) 昭 55 仙 台 133)もある 文 化 五 年 段 階 の 議 定 証 文 は 文 化 5 年 4 月 杉 植 附 議 掟 之 事 ( 入 間 村 御 料 私 領 杉 植 附 ニ 付 ) 昭 55 仙 台 69) この 後 飢 饉 を 凌 ぐためこの 杉 林 を 伐 ろうとする 者 が 出 て( 文 久 元 年 4 月 27 日 差 出 申 一 札 之 事 ( 先 祖 植 附 の 杉 林 伐 木 の 儀 連 印 ニ 付 詫 書 ) 昭 55 仙 台 419 文 久 元 年 4 月 22 日 詫 入 申 一 札 之 事 ( 村 方 植 備 杉 林 伐 木 願 出 ニ 付 ) 昭 55 仙 台 426) 文 久 元 年 ( 一 八 六 一 ) 四 月 二 十 七 日 に 名 主 清 右 衛 門 に 詫 入 れの 一 札 が 出 されている( 文 久 元 年 4 月 27 日 詫 入 申 一 札 之 事 ( 御 先 祖 ニ 而 植 備 候 杉 林 伐 木 企 てニ 付 ) 昭 55 仙 台 130 ー6)

534 えば 入 間 家 文 書 では 文 化 二 年 ( 一 八 〇 五 ) 三 月 に 作 成 された 入 間 村 と 兵 助 新 田 の 村 明 細 帳 の 控 えが 残 っているが 兵 助 新 田 の 名 主 は 入 間 村 と 同 じ 小 三 郎 であり この 段 階 ですでに 入 間 村 の 名 主 は 兵 助 新 田 の 兼 帯 名 主 を 勤 めている (9) この 入 間 村 の 中 は 大 きく 本 郷 と 枝 郷 に 別 れていた 天 保 九 年 ( 一 八 三 八 )に 巡 検 使 が 来 た 際 に 代 官 の 役 所 へ 提 出 した 入 間 村 本 郷 と 隣 村 の 兵 助 新 田 の 絵 図 の 控 えを 見 ると 枝 郷 は 本 郷 よりさらに 山 間 部 に 位 置 している (10) 入 間 家 文 書 には 弘 化 三 年 ( 一 八 四 六 ) (11) 以 降 の 年 貢 仕 訳 帳 が 現 存 しており 年 貢 が 本 郷 と 枝 郷 に 分 けて 取 り 集 めている 事 がわかる また 本 郷 枝 郷 にはそれぞれ 村 役 人 がおり 入 間 家 は 本 郷 の 名 主 家 であった 嘉 永 二 年 ( 一 八 四 九 )に 起 きた 枝 郷 の 名 主 跡 役 をめぐる 争 論 時 の 願 書 から は 枝 郷 も 名 主 組 頭 を 立 てており 玄 米 四 俵 が 名 主 役 給 となっている 事 が 分 かる (12) 入 間 村 は 農 業 中 心 の 村 であったが 若 干 の 産 業 も 見 られた 入 間 村 の 年 貢 皆 済 目 録 を 見 ると 小 物 成 として 漆 蝋 薪 代 永 百 三 十 四 文 が 課 税 されており 天 保 十 二 年 ( 一 八 四 一 )からは 酒 造 冥 加 永 永 百 文 も 課 税 され ている (13) この 小 物 成 の 額 は 慶 安 三 年 ( 一 六 五 〇 )の 年 貢 割 付 状 (14) の 漆 代 ( 永 九 文 ) 蝋 代 ( 永 三 十 三 文 ) 薪 代 ( 永 九 十 二 文 )を 足 した 額 と 同 じで あり これらは 定 納 の 小 物 成 として 近 世 を 通 じて 同 額 で 課 税 されてい (9)( 文 化 2 年 3 月 )ひかへ 兵 助 新 田 ( 村 明 細 帳 控 )( 昭 53 仙 台 10) ( 文 化 2 年 3 月 )ひかへ 入 間 村 ( 村 明 細 帳 控 )( 昭 53 仙 台 11) (10)( 天 保 9 年 閏 4 月 )( 入 間 村 本 郷 兵 助 新 田 絵 図 写 )( 昭 55 仙 台 151) (11) 弘 化 3 年 6 月 7 日 弘 化 三 午 年 六 月 七 日 去 巳 御 年 貢 割 賦 本 郷 枝 郷 仕 分 取 調 帳 名 主 清 右 衛 門 扣 ( 昭 54 仙 台 1) (12)( 嘉 永 2 年 6 月 25 日 ~ 嘉 永 2 年 6 月 26 日 ) 嘉 永 二 酉 年 六 月 廿 五 日 入 間 村 枝 郷 名 主 跡 役 一 件 ( 昭 55 仙 台 303) (13)( 享 保 8 年 7 月 ~ 嘉 永 5 年 7 月 )( 入 間 村 皆 済 目 録 写 )( 昭 55 仙 台 452) (14) 慶 安 3 年 霜 月 11 日 入 間 村 寅 御 成 ヶ 可 納 割 付 之 事 ( 昭 55 仙 台 698)

535 た 次 にこの 他 の 産 業 について 村 明 細 帳 で 確 認 してみよう 入 間 家 文 書 には 宝 暦 三 年 ( 一 七 五 三 ) (15) 寛 政 六 年 ( 一 七 九 四 ) (16) 文 化 二 年 ( 一 八 〇 五 ) (17) 天 保 九 年 ( 一 八 三 八 ) (18) 明 治 二 年 ( 一 八 六 九 ) (19) 明 治 三 年 ( 一 八 七 〇 ) (20) の 村 明 細 帳 がある ここでは 幕 府 代 官 所 その 後 に 入 間 村 を 支 配 する 松 前 藩 の 東 根 役 所 ではなく 明 治 三 年 に 明 治 政 府 の 下 新 たに 入 間 村 を 治 めることとなった 山 形 県 に 提 出 した 村 明 細 帳 の 内 容 を 挙 げる これは この 村 明 細 帳 が 入 間 家 文 書 に 現 存 する 村 明 細 帳 の 中 で 一 番 詳 細 に 農 間 余 業 について 触 れているからである これによると 入 間 村 では 稲 作 の 他 畑 では 夏 に 大 豆 粟 を 秋 に 蕎 麦 菜 大 根 の 類 を 作 っており 農 間 稼 ぎとしては 男 は 炭 灰 砂 金 蝋 袋 菅 筵 折 薪 伐 をしており 女 は 蚕 養 布 麻 打 綿 機 織 山 稼 をしてい る また 入 間 村 の 産 物 は 生 糸 青 芋 砂 金 で 寒 河 江 川 の 内 で 六 月 中 に 刎 鱒 が 取 れたという そして 村 内 に 大 工 一 人 木 挽 三 人 紙 漉 一 人 炭 焼 四 人 鋳 掛 一 人 塗 師 一 人 砂 金 掘 四 人 がいた 入 間 村 の 幕 府 領 は 寒 河 江 領 の 幕 府 領 として 元 和 八 年 ( 一 六 二 二 )に 山 形 藩 の 最 上 家 が 改 易 になった 後 に 幕 府 領 となったものである その 後 寛 永 (15) 宝 暦 3 年 3 月 宝 暦 三 年 酉 三 月 日 羽 州 村 山 郡 入 間 村 明 細 指 出 帳 入 間 村 名 主 善 右 衛 門 同 利 左 衛 門 同 久 兵 衛 ( 昭 53 仙 台 4) ( 宝 暦 3 年 3 月 ) 宝 暦 三 年 酉 三 月 日 羽 州 村 山 郡 入 間 村 明 細 指 出 帳 写 入 間 村 名 主 善 右 衛 門 同 利 左 衛 門 同 久 兵 衛 ( 昭 53 仙 台 5) (16)( 寛 政 6 年 閏 11 月 ) 寛 政 六 寅 年 閏 十 一 月 羽 州 村 山 郡 入 間 村 明 細 差 出 帳 扣 証 文 村 名 主 清 吉 ( 昭 53 仙 台 9) (17)( 文 化 2 年 3 月 ) ひかへ 入 間 村 ( 村 明 細 帳 控 )( 昭 53 仙 台 11) (18)( 天 保 9 年 4 月 15 日 ) 村 差 出 書 上 帳 添 田 一 郎 次 御 代 官 所 羽 州 村 山 郡 入 間 村 ( 写 )( 昭 53 仙 台 20) 天 保 9 年 閏 4 月 15 日 村 差 出 書 上 帳 添 田 一 郎 次 御 代 官 所 羽 州 村 山 郡 入 間 村 ( 昭 55 仙 台 147) (19) 明 治 2 年 9 月 明 治 二 巳 年 九 月 村 明 細 取 調 書 上 帳 羽 前 国 村 山 郡 入 間 村 ( 昭 53 仙 台 96) (20) 明 治 3 年 12 月 明 治 三 庚 午 年 十 二 月 明 細 村 鑑 書 上 帳 羽 前 国 村 山 郡 入 間 村 ( 昭 53 仙 台 97)

536 三 年 ( 一 六 二 六 )に 山 形 藩 鳥 居 家 の 加 増 分 となったが 寛 永 十 三 年 ( 一 六 三 六 )に 藩 主 鳥 居 忠 恒 が 嗣 子 が 無 く 死 去 したため 断 絶 となり 再 び 幕 府 領 に 復 している 以 後 入 間 村 は 安 政 二 年 ( 一 八 五 五 )まで 幕 府 領 として 幕 府 代 官 の 支 配 を 受 けている (21) しかし 安 政 三 年 ( 一 八 五 六 ) 正 月 松 前 藩 が 蝦 夷 地 の 上 知 に 伴 い 陸 奥 国 伊 達 郡 出 羽 国 村 山 郡 の 内 で 替 地 が 与 えられたことに 伴 って 入 間 村 は 松 前 藩 領 となった この 際 入 間 村 では 安 政 三 年 正 月 に 代 官 松 永 善 之 助 の 柴 橋 役 所 へ 松 平 伊 豆 守 (= 松 前 藩 主 )の 私 領 への 引 き 渡 しの 勘 弁 を 願 う 願 書 を 提 出 したが この 時 には 手 代 宮 坂 の 手 入 直 しを 受 けており その 後 再 び 差 し 出 している (22) しかし 安 政 三 年 二 月 八 日 には 松 前 藩 の 東 根 役 所 から 松 前 藩 領 になっ た 旨 を 伝 える 達 しが 出 され これに 対 して 入 間 村 兵 助 新 田 では 三 月 六 日 に 請 印 帳 を 提 出 している (23) そして 二 月 二 十 八 日 には 代 官 松 永 善 之 助 から 松 前 藩 領 への 移 動 の 旨 を 通 達 する 廻 状 が 出 されている (24) ( 二 ) 入 間 家 文 書 の 文 書 群 の 構 成 租 税 史 料 館 で 入 間 家 文 書 と 称 する 文 書 群 は 総 点 数 約 四 千 六 百 点 にのぼる が 最 初 に 租 税 史 料 館 の 前 身 である 租 税 資 料 室 に 寄 贈 されたのは 戦 時 中 に 山 形 市 内 の 造 り 酒 屋 が 酒 樽 とふたの 間 を 密 閉 する 和 紙 として 買 い 集 めた 文 書 であった (25) その 後 入 間 家 文 書 の 所 蔵 者 である 入 間 幸 補 氏 から 昭 (21) 寒 河 江 領 の 幕 府 領 の 変 遷 については 本 間 勝 喜 出 羽 天 領 の 代 官 ( 同 成 社 2000 年 )を 参 照 (22) 安 政 3 年 正 月 乍 恐 以 書 付 奉 願 上 候 ( 松 平 伊 豆 守 私 領 渡 の 儀 勘 弁 願 )( 昭 55 仙 台 361) (23) 安 政 3 年 3 月 6 日 安 政 三 辰 年 三 月 被 仰 渡 候 御 請 書 羽 州 村 山 郡 入 間 村 兵 助 新 田 ( 東 根 御 役 所 御 領 分 ニ 相 成 ニ 付 )( 昭 53 仙 台 37) (24)( 安 政 3 年 正 月 7 日 ~ 安 政 3 年 12 月 25 日 ) 安 政 三 丙 辰 年 正 月 七 日 御 用 御 留 帳 名 主 清 右 衛 門 ( 昭 54 仙 台 223) (25) 山 形 新 聞 ( 昭 和 五 十 四 年 六 月 十 三 日 付 )

537 和 五 十 五 年 昭 和 六 十 三 年 の 二 回 に 渡 って 寄 贈 を 受 け 今 日 に 至 っている (26) 租 税 史 料 館 で 所 蔵 する 入 間 家 文 書 は 寛 永 十 八 年 ( 一 六 四 一 )の 検 地 帳 が 最 も 古 い 史 料 であるが 近 世 後 期 から 明 治 時 代 迄 を 中 心 の 文 書 群 である この 他 所 蔵 者 の 家 に 慶 長 八 年 ( 一 六 〇 三 )の 最 上 家 親 の 発 給 文 書 二 通 と 安 政 六 年 ( 一 八 五 九 )の 字 一 ツ 小 柳 の 絵 図 が 保 管 されている 租 税 史 料 館 は 租 税 史 料 館 独 自 の 分 類 項 目 で 史 料 整 理 を 行 っており こ れは 入 間 家 文 書 についても 同 様 である そこで まずこの 分 類 項 目 で 入 間 家 文 書 の 内 訳 を 見 てみよう 近 世 文 書 を 概 観 すると 最 も 多 いのはD 行 財 政 ( 約 650 点 )で 次 にE 金 融 貸 借 売 買 ( 約 470 点 ) C 租 税 ( 年 貢 物 成 以 外 の 税 等 )( 約 300 点 ) B 租 税 ( 年 貢 物 成 )( 約 230 点 ) O 宗 教 学 芸 医 療 ( 約 220 点 ) H 産 業 ( 商 工 鉱 業 関 係 )( 約 130 点 ) A 土 地 ( 約 120 点 ) G 産 業 ( 農 林 水 産 業 関 係 )( 約 100 点 )と 続 く また 近 代 文 書 について 見 てみると 租 税 では 点 数 としてはT920 市 町 村 税 ( 民 費 地 方 費 学 校 費 )( 約 110 点 ) T590 地 租 ( 帳 簿 類 )( 約 50 点 )が 目 立 つ 程 度 である また その 他 では W320 法 律 ( 司 法 訴 訟 手 続 法 )( 約 270 点 ) W590 家 政 学 生 活 科 学 ( 家 庭 経 済 管 理 ) ( 約 200 点 ) W330 経 済 ( 金 融 )( 約 190 点 ) W300 行 政 ( 地 方 自 治 ) ( 約 170 点 ) W320 法 律 ( 民 法 私 法 一 般 )( 約 130 点 )が 多 い 項 目 で X000 地 図 も 約 100 点 ある ただし この 項 目 では 文 書 の 種 類 や 内 容 に 対 して 不 適 当 かつ 把 握 しにくいものも 多 く また 同 系 統 の 史 料 を 別 項 目 で 分 類 されているケースもまま 見 られる このため ここでは 次 に 入 間 家 文 書 の 特 質 をさらに 明 らかにするため 上 記 の 分 類 ではなく 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 特 徴 に 則 した 形 の 分 類 項 目 を 立 てる そして 近 世 文 書 の 大 項 目 として 名 主 家 と 入 間 (26) 昭 和 五 十 五 年 に 入 間 家 文 書 が 租 税 資 料 室 ( 当 時 )に 寄 贈 された 経 緯 については 多 仁 照 廣 入 間 家 文 書 について ( 税 大 通 信 昭 和 五 十 六 年 八 月 一 日 号 )を 参 照

538 家 を 近 代 文 書 の 大 項 目 として 入 間 村 ( 区 長 戸 長 など)と 入 間 家 を 設 定 し これに 中 小 の 項 目 を 適 宜 加 えた なお 近 代 文 書 の 入 間 村 に 関 しては 入 間 家 が 歴 任 した 役 職 を 分 類 の 軸 にすえた 図 1 は 現 段 階 における 入 間 家 文 書 の 文 書 群 の 構 成 を 示 すものである

539 図 1 入 間 家 文 書 の 文 書 群 (( )は 史 料 点 数 ) 近 世 文 書 ( 明 治 五 年 一 八 七 二 までを 対 象 ) 名 主 家 支 配 法 令 御 用 留 (33) 廻 状 達 (36) 東 根 会 所 ( 詰 )(46) 戊 辰 戦 争 (9) 大 区 小 区 (122) 検 地 検 地 (9) 破 免 検 見 (7) 立 毛 見 合 附 取 調 帳 (14) 土 地 帳 簿 土 地 帳 簿 (22) 年 貢 年 貢 (38) 免 状 (5) 減 免 (21) 買 替 米 (41) 帳 簿 (22) 米 代 金 (19) 諸 役 諸 役 (140) 国 役 金 (47) 備 金 (26) 夫 食 (53) 拝 借 金 (13) 村 明 細 帳 (12) 村 入 用 帳 (147) 林 野 入 会 (13) 願 書 土 地 (5) 支 配 替 (3) 減 免 (19) 郡 中 備 金 (1) 夫 食 (10) 伐 木 一 件 (2) 拝 借 金 (2) その 他 (11) 証 文 土 地 (27) 跡 式 譲 渡 (1) 米 借 用 証 文 (1) 借 用 金 証 文 (13) 百 姓 株 請 証 文 (1) 米 売 渡 証 文 (1) 家 諸 道 具 引 当 証 文 (1) 下 男 給 金 引 当 証 文 (3) 争 論 山 境 争 論 (2) 飯 代 滞 り 一 件 (22)

540 一 件 (42) 用 水 普 請 (10) 枝 郷 (26) 一 ツ 小 柳 (9) 左 沢 領 (1) 兵 助 新 田 兵 助 新 田 (44) 備 金 (23) 諸 役 (81) 国 役 金 (25) 寺 社 (25) 宗 門 払 手 形 (22) 五 人 組 帳 (1) 宗 門 人 別 改 (11) 鉄 砲 改 (2) 道 中 手 形 (3) 書 状 (228) その 他 (142) 絵 図 (12) 入 間 家 土 地 帳 簿 (4) 小 作 証 文 帳 簿 (18) 開 発 (2) 林 野 入 会 (6) 万 覚 帳 (3) 土 地 証 文 (80) 借 金 証 文 帳 簿 (79) 百 姓 株 預 り 証 文 (2) 蚕 絹 (10)

541 家 (9) 会 計 帳 簿 (4) 奉 公 人 (3) 書 籍 (1) 書 状 (147) 領 収 証 (175) 御 初 穂 神 納 帳 (2) 香 典 帳 (5) 神 主 (27) 手 控 え (1) 文 芸 (52) 願 書 (1) 絵 図 (13) その 他 (119) 近 代 文 書 ( 明 治 五 年 一 八 七 二 以 降 を 対 象 ) 入 間 村 区 長 土 地 (11) 年 貢 税 (56) 一 件 (6) 地 租 改 正 (8) 備 金 (1) 酒 造 (1) 分 郷 合 併 (4) 合 併 願 (3) 民 費 (45) 神 社 (23) 戸 籍 (5) 種 痘 (1) 山 形 県 達 (20) 徴 兵 (3) その 他 (96) 戸 長 地 租 改 正 (4) 山 林 (1) 備 金 (3) 土 地 (10) 年 貢 金 地 祖 金 (4) 民 費 (5) 神 社 (2) 争 論 (22) その 他 (13) 村 長 村 長 (34) 貸 附 金 一 件 (54) 戸 籍 (4)

542 行 政 (29) 年 貢 (8) 民 費 (41) 撰 挙 投 票 用 紙 (21) 備 金 年 賦 金 (4) 地 租 改 正 (7) 土 地 (67) 争 論 (10) 村 絵 図 (93) 書 状 (179) その 他 (21) 入 間 家 税 金 (10) 諸 雑 金 (13) 神 主 (64) 土 地 (31) 山 林 (19) 争 論 (247) 証 券 印 紙 売 捌 人 (14) 郵 便 局 (7) 借 金 (144) 買 物 (146) 酒 造 (7) 生 糸 (3) 養 蚕 (17) 小 作 下 男 奉 公 人 (16) 文 芸 (26) 家 系 履 歴 ( 含 賞 状 類 )(9)

543 徴 兵 ( 書 状 含 ) (46) 書 状 (252) その 他 (128) 以 下 ここでは この 系 統 図 をもとに 入 間 家 と 入 間 家 文 書 の 特 徴 につい て 近 世 近 代 に 分 けて 述 べてみる 近 世 上 記 の 分 類 からも 分 かるように 入 間 家 文 書 は 出 羽 国 村 山 郡 入 間 村 の 幕 府 領 の 名 主 家 文 書 である 入 間 家 文 書 の 近 世 史 料 は 名 主 とい う 役 職 に 伴 って 生 成 される 文 書 と 入 間 家 という 家 及 び 家 経 営 に 関 連 して 残 された 家 文 書 の 二 つに 分 ける 事 が 出 来 る この 内 名 主 家 に 分 類 される 文 書 の 中 には 入 間 家 が 郡 中 惣 代 を 勤 め た 時 のものも 含 まれる 例 えば 入 間 家 では 清 右 衛 門 が 文 久 二 年 ( 一 八 六 二 ) 十 二 月 に 東 根 郡 中 会 所 詰 惣 代 として 帳 面 を 作 成 している (27) が 入 間 家 では 名 主 の 他 に 少 なくとも 文 久 三 年 ( 一 八 六 三 )から 元 治 二 年 ( 一 八 六 五 )までは 東 根 村 名 主 小 池 郁 太 郎 と 共 に 郡 中 惣 代 を 勤 めていることが 確 認 できる (28) さらに 慶 応 二 年 ( 一 八 六 六 ) 二 月 に 清 右 衛 門 は 東 根 会 所 附 道 具 取 調 帳 の 控 えを 作 っている (29) この 他 清 右 衛 門 は 安 政 二 年 ( 一 八 五 五 )には 救 石 代 願 の 惣 代 となっており 田 代 村 の 仁 左 衛 門 と 共 に 出 府 している (30) (27)( 酉 ( 文 久 元 年 )12 月 ~ 戌 ( 文 久 2 年 )12 月 17 日 ) 文 久 二 壬 戌 年 十 二 月 御 領 分 村 々 日 掛 銭 当 戌 未 迄 向 拾 ヶ 年 積 立 毎 年 寄 高 御 割 印 帳 東 根 郡 中 会 所 詰 惣 代 入 間 清 右 衛 門 扣 ( 昭 53 仙 台 46) (28)( 文 久 3 年 正 月 10 日 ~ 文 久 3 年 12 月 27 日 ) 文 久 三 癸 亥 年 正 月 十 日 御 用 御 留 帳 松 前 領 入 間 村 名 主 清 右 衛 門 ( 昭 54 仙 台 229) ( 元 治 2 年 正 月 14 日 ~ 元 治 2 年 12 月 19 日 ) 元 治 二 乙 丑 年 正 月 十 旦 御 用 御 留 帳 松 前 領 入 間 村 名 主 入 間 清 右 衛 門 ( 複 写 ) ( 昭 54 仙 台 281) (29) 慶 応 2 年 2 月 慶 応 二 寅 年 二 月 東 根 会 所 附 道 具 取 調 帳 扣 入 間 清 右 衛 門 扣 ( 昭 53 仙 台 65) (30)( 安 政 2 年 正 月 7 日 ~ 安 政 2 年 12 月 18 日 ) 安 政 二 乙 卯 年 正 月 七 日 御 用 御 留 帳 名 主 清 右 衛 門 ( 昭 54 仙 台 222) ( 卯 ( 安 政 2 年 )6 月 24 日 ) 乍 恐 以 書 付 奉 申 上 候 ( 天 保 四 巳 年 以 来 凶 作 ニ 付 御 救 安 石 代 願 )( 下 書 )( 昭 55 仙 台 1556) ( 卯 ( 安 政 2

544 なお 年 貢 の 内 の 買 替 米 の 項 目 は 松 前 藩 領 となった 安 政 四 年 に 清 右 衛 門 が 買 替 米 惣 代 を 勤 めた 時 の 史 料 群 である 安 政 四 年 ( 一 八 五 七 ) 九 月 に 入 間 村 兵 助 新 田 宮 内 村 熊 野 村 石 田 村 柳 沢 村 綱 取 村 岩 根 沢 村 水 沢 村 八 兵 衛 新 田 沼 山 村 に 安 政 四 年 の 年 貢 米 を 買 い 納 めるよう 東 根 役 所 から 廻 状 が 出 され 同 年 十 月 には 東 根 役 所 から 年 貢 酒 田 買 替 米 納 人 惣 代 の 者 を 決 める 旨 の 廻 状 が 出 された 事 に 伴 い (31) 入 間 家 が 買 替 米 惣 代 を 勤 めたことによるもので 買 替 米 代 の 残 金 を 名 主 清 右 衛 門 が 安 政 六 年 ( 一 八 五 九 ) 十 二 月 まで 払 っていることが 確 認 出 来 る (32) この 安 政 四 年 という 年 は 同 年 二 月 に 熊 野 村 石 田 村 柳 沢 村 綱 取 村 岩 根 沢 村 水 沢 村 八 兵 衛 新 田 兵 助 新 田 入 間 村 沼 山 村 の 名 主 組 頭 百 姓 代 が 定 式 石 代 の 歎 願 を 行 う 旨 の 約 定 を 結 び 十 ヶ 村 の 名 主 に 宛 てて 提 出 している 年 である (33) また 入 間 家 は 入 間 神 社 の 神 主 を 務 めており 嘉 永 六 年 ( 一 八 五 三 ) 三 月 に 入 間 津 志 間 が 入 間 村 の 薬 師 十 二 神 神 主 として 神 道 裁 許 状 を 得 ている (34) その 後 慶 応 四 年 ( 一 八 六 八 ) 正 月 入 間 津 志 間 の 死 去 に 伴 い 息 子 の 入 間 昇 が 入 間 神 社 の 神 主 を 継 いでおり 明 治 七 年 ( 一 八 七 四 ) 二 月 十 五 日 には 沼 山 村 の 郷 社 大 沼 神 社 の 祠 官 を 拝 命 している (35) この 他 入 間 家 文 書 の 全 体 的 な 特 徴 として 書 状 が 多 く 伝 存 していること が 挙 げられるが 名 主 家 の 書 状 に 分 類 した 史 料 には 入 間 家 の 入 間 村 の 中 にとどまらない 広 域 的 な 関 係 を 見 ることが 出 来 る 以 下 例 をいくつか 年 )6 月 24 日 ) 乍 恐 書 付 を 以 奉 申 上 候 ( 定 式 御 救 安 石 代 願 )( 下 書 )( 昭 55 仙 台 1822 ー1) (31)( 安 政 4 年 正 月 10 日 ~ 安 政 4 年 12 月 19 日 ) 安 政 四 丁 巳 年 正 月 十 一 日 御 用 御 留 帳 松 前 領 入 間 村 名 主 清 右 衛 門 ( 昭 54 仙 台 224) (32) 未 ( 安 政 6 年 )12 月 3 日 覚 ( 買 替 米 代 残 金 受 取 ニ 付 )( 昭 55 仙 台 384ー17) (33) 巳 ( 安 政 4 年 )2 月 覚 ( 定 式 石 代 歎 願 の 儀 ニ 付 約 定 )( 昭 55 仙 台 1754) (34)( 明 治 6 年 5 月 ) 四 冊 取 調 壱 冊 者 山 形 県 壱 冊 者 佐 個 菅 雄 壱 冊 者 無 名 ニ 而 宛 名 なし 壱 冊 者 扣 入 間 昇 ( 明 治 六 年 神 道 裁 許 状 )( 昭 55 仙 台 203ー1) (35) 明 治 7 年 12 月 履 歴 ( 昭 55 仙 台 204)

545 挙 げると 巳 年 五 月 付 で 水 沢 村 名 主 久 右 衛 門 綱 取 村 名 主 次 右 衛 門 から 入 間 村 名 主 清 右 衛 門 に 出 した 書 状 によると 白 岩 橋 一 件 について 石 田 村 柳 沢 村 綱 取 村 水 沢 村 で 集 まる 約 束 をして 一 同 で 岩 根 沢 村 の 太 左 衛 門 宅 へ 出 かけて 評 議 をすることとなっている (36) また 沼 山 村 の 権 兵 衛 が はけ 山 田 地 番 代 の 義 について 兵 助 新 田 の 長 右 衛 門 入 間 村 の 私 領 名 主 次 兵 衛 と 共 に 御 領 名 主 である 清 右 衛 門 に 書 状 を 出 しており (37) 水 沢 村 の 者 か らは 伐 木 代 の 一 件 に 伴 い 名 主 久 右 衛 門 が 宿 預 りになった 事 により 立 合 名 主 であった 清 右 衛 門 らに 一 件 の 取 り 計 らいを 願 う 旨 の 口 演 が 出 されてい る (38) この 他 入 間 家 文 書 では 清 右 衛 門 が 郡 中 惣 代 を 勤 めていた 時 の 書 状 も 多 く 残 っている なお 名 主 家 の 一 件 の 項 目 には 名 主 として 職 務 上 の 参 考 としたと 思 われる 他 村 の 一 件 記 録 も 含 まれており 中 項 目 小 項 目 で 諸 役 備 金 国 役 金 といった 項 目 に 入 れた 史 料 は そのほとんどが 領 収 関 係 の ものである 近 代 これに 対 して 近 代 に 入 ると 天 保 期 以 降 名 主 を 勤 めていた 入 間 清 右 衛 門 は 明 治 三 年 ( 一 八 七 〇 ) 五 月 十 三 日 に 書 かれた 書 状 に 清 右 衛 門 改 名 入 間 昇 という 署 名 が 見 られる (39) ことから この 頃 昇 と 改 名 した ものと 思 われる また これにともない 名 主 見 習 であった 増 五 郎 が 清 右 衛 門 と 改 名 したと 考 えられる 入 間 昇 が 明 治 七 年 ( 一 八 七 四 ) 十 二 月 に 中 教 院 講 究 課 に 出 した 履 歴 によ れば 明 治 四 年 八 月 七 日 に 第 四 大 区 小 四 区 区 長 を 仰 せ 付 けられたとしてい る (40) が 実 際 には 明 治 四 年 四 月 に 戸 籍 法 が 出 され 八 月 に 戸 籍 区 が 制 定 さ (36)( 江 戸 ) 巳 5 月 6 日 ( 白 岩 橋 一 件 評 議 ニ 付 呼 出 の 儀 書 状 )( 昭 55 仙 台 1409) (37)( 江 戸 ) 卯 月 10 日 (はけ 山 田 地 番 代 兼 帯 之 儀 頼 ニ 付 書 状 )( 昭 63 仙 台 758) (38)( 江 戸 )8 月 20 日 口 演 ( 名 主 久 右 衛 門 宿 預 り 之 儀 掛 合 取 計 願 ニ 付 )( 昭 63 仙 台 713) (39) 午 ( 明 治 3 年 )5 月 13 日 ( 松 前 藩 村 替 之 儀 御 知 らセニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1537) (40)( 明 治 6 年 5 月 ) 四 冊 取 調 壱 冊 者 山 形 県 壱 冊 者 佐 個 菅 雄 壱 冊 者 無 名 ニ 而 宛 名

546 れると 入 間 村 は 第 十 八 区 となっており 入 間 昇 は 明 治 四 年 九 月 には 十 八 区 副 戸 長 心 得 (41) 戸 長 (42) となっていることが 確 認 できる 第 十 八 区 はそ の 後 第 二 十 一 区 第 二 十 三 区 と 変 わっているが 明 治 五 年 四 月 以 降 には 区 長 副 区 長 といった 肩 書 も 見 ることができる(なおこの 区 には 仮 区 長 は 置 かれず 副 区 長 に 入 間 昇 松 田 助 太 郎 が 就 いている) 明 治 五 年 九 月 に 大 区 小 区 制 が 公 布 されると 入 間 村 は 第 四 大 区 小 四 区 と なっている この 後 も 入 間 昇 は 戸 長 の 肩 書 のままだが 明 治 六 年 には 第 四 大 区 小 四 区 区 長 として 登 場 する (43) 入 間 清 右 衛 門 はそれまでは 名 主 見 習 ( 場 合 によっては( 副 ) 戸 長 の 代 理 も 勤 めていたと 思 われる)であったが これにともない 戸 長 となっている (44) そして 明 治 九 年 十 月 五 日 に 入 間 村 が 第 二 大 区 四 小 区 となると 明 治 九 年 十 一 月 一 日 に 第 二 大 区 四 小 区 は 三 小 区 の 区 務 所 で 事 務 を 取 り 扱 う 旨 の 達 が 出 たため 事 務 の 引 き 渡 しを 願 う 書 状 が 入 間 昇 に 出 されている (45) これを 受 けて 明 治 九 年 十 月 二 十 六 日 に は 入 間 昇 は 戸 長 (46) に 十 一 月 二 十 九 日 には 入 間 清 右 衛 門 は 村 長 となって いることが 確 認 できる (47) (48) 翌 明 治 十 年 中 には 一 月 以 降 に 入 間 清 右 衛 門 の 肩 書 は 保 正 となっており 入 間 昇 ( 登 )に 関 しては 明 治 十 年 十 なし 壱 冊 者 扣 入 間 昇 ( 明 治 六 年 神 道 裁 許 状 )( 昭 55 仙 台 203ー1) (41)( 辛 未 ( 明 治 4 年 )9 月 )( 第 十 八 区 窮 民 救 助 仕 法 仰 渡 ニ 付 請 書 )( 写 )( 昭 55 仙 台 947) 未 ( 明 治 4 年 )9 月 晦 日 ( 関 東 出 生 士 分 の 儀 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1112) (42) 未 ( 明 治 4 年 )9 月 12 日 ( 戸 籍 改 場 所 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1169) 未 ( 明 治 4 年 )9 月 20 日 ( 廻 達 請 取 及 び 戸 籍 帳 差 上 ニ 付 廻 文 )( 昭 63 仙 台 252) (43) 例 えば 明 治 6 年 9 月 25 日 ( 取 落 しの 金 札 紙 入 拾 得 の 件 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1030) (44) 例 えば 明 治 6 年 6 月 田 畑 立 附 米 小 拾 取 調 書 上 帳 第 四 大 区 小 四 ノ 区 入 間 村 ( 昭 53 仙 台 111) (45)( 明 治 )9 年 11 月 1 日 ( 第 二 大 区 四 小 区 区 務 所 変 更 ニ 付 事 務 引 渡 の 件 書 状 )( 昭 55 仙 台 582) (46) 明 治 9 年 10 月 26 日 地 価 帳 総 計 取 調 帳 第 二 大 区 四 小 区 吉 川 村 ( 昭 55 仙 台 581) (47) 明 治 9 年 11 月 29 日 神 社 寺 院 取 調 書 上 第 二 大 区 小 四 区 入 間 村 ( 昭 55 仙 台 587) (48)( 明 治 10 年 1 月 31 日 ) 差 出 申 詫 書 之 事 ( 田 地 売 約 定 書 奥 印 差 拒 ミの 件 ニ 付 ) ( 写 )( 昭 55 仙 台 600ー3)

547 月 十 六 日 に 副 区 長 から 四 小 区 吉 川 入 間 沼 山 志 津 月 岡 原 月 山 沢 砂 子 関 村 の 里 正 の 申 付 状 が 出 されている (49) 以 上 の 入 間 昇 および 入 間 清 右 衛 門 の 履 歴 をふまえて 近 代 史 料 を 概 観 する と いわゆる 公 文 書 の 類 は 入 間 昇 が 区 長 を 辞 めた 明 治 九 年 までのものが 中 心 であり 以 後 私 文 書 中 心 に 移 行 している この 他 入 間 家 の 項 目 に 郵 便 局 という 項 目 を 設 けたが 入 間 清 右 衛 門 は 郵 便 取 扱 役 を 務 めており 郵 便 取 扱 役 は 明 治 十 年 十 月 十 七 日 には 務 めていたことが 確 認 できる (50) 明 治 十 四 年 四 月 二 十 一 日 に 郵 便 取 扱 役 の 退 任 の 再 伺 書 を 出 している (51) また 入 間 昇 は 証 券 印 紙 売 捌 人 を 勤 めていた 時 期 があり 明 治 七 年 七 月 十 五 日 には 証 券 印 紙 界 紙 の 売 払 代 価 の 上 納 書 を 山 形 県 に 提 出 している (52) その 後 も 明 治 十 年 一 月 段 階 (53) 明 治 十 一 年 十 二 月 段 階 (54) でも 確 認 出 来 る なお 書 状 中 に 御 師 匠 様 という 文 言 が 出 てくる 事 があるが こ れは 入 間 昇 を 指 すと 思 われる (55) 近 代 文 書 では 入 間 家 の 争 論 ( 争 論 関 係 ) 借 金 買 物 ( 領 収 証 など)が 点 数 の 多 い 項 目 として 挙 げられる 全 体 的 に 入 間 家 文 書 は 文 書 群 としてはやや 偏 りのある 内 容 となっている この 中 で 近 世 文 書 における 租 税 関 係 の 史 料 は 受 取 書 類 を 除 けば 極 め て 少 ない しかし これをカバーするものとして 入 間 村 の 皆 済 目 録 の 綴 (49)( 明 治 10 年 10 月 16 日 ) ( 四 小 区 里 正 辞 令 )( 写 )( 昭 63 仙 台 85) (50)(( 明 治 )10 年 10 月 17 日 ) 郵 便 御 勘 定 表 之 義 ニ 付 御 伺 書 ( 写 )( 昭 55 仙 台 628) (51) 明 治 14 年 4 月 21 日 郵 便 局 退 任 願 再 伺 書 ( 昭 55 仙 台 658) (52) 明 治 7 年 7 月 15 日 ( 明 治 七 年 六 月 中 証 券 印 紙 受 払 并 代 価 上 納 表 )( 昭 55 仙 台 270) (53) 明 治 10 年 1 月 ( 証 券 印 紙 界 紙 受 払 并 代 価 上 納 書 )( 昭 55 仙 台 597) (54) 明 治 11 年 12 月 ( 印 税 上 納 印 紙 界 紙 売 捌 計 算 表 )( 昭 55 仙 台 646ー1) (55) 午 ( 明 治 3 年 )6 月 7 日 ( 詩 韻 含 英 異 同 弁 并 対 白 自 在 買 調 之 願 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1549)

548 りが 現 存 しており (56) これにより 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )から 嘉 永 五 年 ( 一 八 五 二 )までの 入 間 村 の 幕 府 領 における 年 貢 の 課 税 納 入 の 状 況 を 見 る 事 が 出 来 る 二 入 間 村 を 治 めた 代 官 とその 性 格 ( 一 ) 陣 屋 の 変 遷 と 代 官 の 履 歴 以 上 入 間 家 文 書 の 文 書 群 の 紹 介 とその 特 徴 について 見 てきた ここで は この 入 間 家 文 書 をもとに 入 間 村 を 治 めた 代 官 の 事 例 から 代 官 とい う 職 の 持 つ 性 格 と 特 徴 について 見 てみよう 入 間 村 の 幕 府 領 を 治 めていた 代 官 は 入 間 家 文 書 をもとにまとめてみる と 表 1 のようになる (57) 表 1 入 間 村 ( 幕 府 領 )を 支 配 した 代 官 入 間 家 文 で 確 認 出 来 る 年 代 代 官 ( 陣 屋 ) 名 前 職 後 職 享 保 8 年 (1723) 森 山 勘 四 郎 実 輝 ( 出 羽 国 寒 河 江 陣 代 官 ( 陸 奥 国 川 老 免 ~ 享 保 18 年 (1733) 屋 )( 享 保 7 年 ~ 享 保 18 年 ) 俣 陣 屋 ) 享 保 19 年 (1734) 池 田 喜 八 郎 季 隆 ( 出 羽 国 寒 河 江 陣 屋 )( 享 保 18 年 ~ 享 保 19 年 ) 小 普 請 代 官 ( 美 作 国 倉 敷 陣 屋 ) 享 保 20 年 (1735) 黒 沢 直 右 衞 門 高 室 ( 出 羽 国 寒 河 江 大 坂 金 奉 行 死 去 ~ 延 享 元 年 (1744) 陣 屋 )( 享 保 19 年 ~ 延 享 元 年 ) 延 享 2 年 (1745) ~ 寛 2 年 (1749) 山 本 平 八 郎 親 行 ( 出 羽 国 寒 河 江 陣 屋 )( 延 享 元 年 ~ 寛 延 2 年 ) 代 官 ( 江 戸 詰 ) 代 官 ( 伊 豆 国 三 島 陣 屋 出 張 : 甲 斐 国 谷 村 陣 屋 ) 寛 延 3 年 (1750) 柴 村 藤 右 ( 左 ) 衛 門 盛 香 ( 出 羽 長 瀞 陣 屋 )( 延 享 3 年 ~ 寛 延 3 年 ) 代 官 ( 江 戸 詰 江 戸 廻 代 官 ) 勇 退 (56)( 享 保 8 年 7 月 ~ 嘉 永 5 年 7 月 ) ( 入 間 村 皆 済 目 録 写 )( 昭 55 仙 台 452) (57)( 享 保 8 年 7 月 ~ 嘉 永 5 年 7 月 ) ( 入 間 村 皆 済 目 録 写 )( 昭 55 仙 台 452) 西 沢 淳 男 幕 領 陣 屋 と 代 官 支 配 ( 岩 田 書 院 一 九 九 八 年 ) 付 録 CDーROM 幕 領 代 官 陣 屋 データベース なお 同 データを 用 いた 研 究 としては 飯 島 章 最 後 の 下 総 武 蔵 代 官 佐 々 井 半 十 郎 の 下 吏 の 履 歴 ( 房 総 の 近 世 1 千 葉 県 史 研 究 第 十 号 別 冊 近 世 特 集 号 千 葉 県 二 〇 〇 二 年 )がある また この 表 には 出 て 来 ないが 白 石 吉 郎 が 嘉 永 四 年 から 嘉 永 五 年 まで 柴 橋 代 官 を 勤 めている

549 寛 延 4 年 (1751) 蔭 山 外 記 包 暠 ( 出 羽 国 尾 花 沢 陣 大 番 死 去 屋 )( 寛 延 3 年 ~ 宝 暦 元 年 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 宝 暦 2 年 (1752) 辻 六 郎 左 衛 門 富 守 ( 出 羽 国 尾 花 沢 代 官 ( 江 戸 詰 ) 代 官 ( 大 坂 3) ~ 宝 暦 3 年 (1753) 陣 屋 )( 宝 暦 元 年 ~ 宝 暦 3 年 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 宝 暦 4 年 (1754) 風 祭 甚 三 郎 国 辰 ( 陸 奥 国 小 名 浜 陣 代 官 ( 出 羽 国 塙 代 官 ( 備 中 国 笠 ~ 宝 暦 9 年 (1759) 屋 )( 宝 暦 3 年 ~ 宝 暦 10 年 ) 陣 屋 ) 岡 陣 屋 ) ( 出 張 : 出 羽 国 白 岩 陣 屋 ) 宝 暦 11 年 (1761) 小 田 切 新 五 郎 光 禄 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 出 羽 国 大 代 官 ( 駿 河 国 駿 ~ 明 和 元 年 (1764) 屋 )( 宝 暦 11 年 ~ 明 和 元 年 ) 山 陣 屋 出 張 : 柴 橋 陣 屋 宝 暦 10 年 出 張 : 白 岩 陣 屋 ) 府 陣 屋 明 和 2 年 ~ 出 張 : 甲 斐 国 市 川 陣 屋 ) 明 和 2 年 (1765) 会 田 伊 右 衛 門 資 敏 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 駿 河 国 駿 代 官 ( 石 見 国 大 ~ 明 和 6 年 (1769) 屋 )( 明 和 元 年 ~ 明 和 6 年 ) 府 陣 屋 ) 森 陣 屋 ) 明 和 7 年 (1770) 野 田 弥 市 右 衛 門 政 啓 ( 出 羽 国 柴 橋 代 官 ( 陸 奥 国 桑 勇 退 ~ 安 永 8 年 (1779) 陣 屋 )( 明 和 6 年 ~ 安 永 9 年 ) 折 陣 屋 ) 安 永 9 年 (1780) 野 田 松 三 郎 正 晟 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 勘 定 代 官 ( 駿 河 国 島 ~ 天 明 8 年 (1788) 屋 )( 安 永 9 年 ~ 天 明 8 年 ) 田 陣 屋 ) 寛 政 元 年 (1789) 布 施 弥 一 ( 市 ) 郎 胤 将 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 屋 )( 天 明 8 年 ~ 寛 政 元 年 ) 代 官 ( 江 戸 詰 ) 代 官 ( 江 戸 詰 江 戸 廻 代 官 ) 寛 政 2 年 (1790) 池 田 仙 九 郎 但 季 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 勘 定 代 官 ( 大 坂 1) ~ 寛 政 6 年 (1794) 屋 )( 寛 政 元 年 ~ 寛 政 7 年 ) 寛 政 7 年 (1795) 三 河 口 太 忠 輝 昌 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 郡 代 屋 敷 代 官 ( 備 中 国 倉 ~ 享 和 2 年 (1802) 屋 )( 寛 政 7 年 ~ 享 和 3 年 ) 詰 ) 敷 陣 屋 ) 享 和 3 年 (1803) 山 田 常 右 衛 門 至 倍 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 勘 定 代 官 ( 美 作 国 久 ~ 文 化 元 年 (1804) 屋 )( 享 和 3 年 ~ 文 化 元 年 ) 世 陣 屋 ) 文 化 2 年 (1805) 川 崎 平 右 衛 門 定 安 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 甲 斐 国 石 代 官 ( 江 戸 詰 ~ 文 化 7 年 (1810) 屋 )( 文 化 元 年 ~ 文 化 7 年 ) 沢 陣 屋 出 張 : 谷 江 戸 廻 代 官 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 村 陣 屋 ) 文 化 8 年 (1811) 池 田 仙 九 郎 但 季 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 大 和 国 五 死 去 ~ 天 保 4 年 (1833) 屋 )( 文 化 7 年 ~ 天 保 5 年 ) 条 陣 屋 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 天 保 5 年 (1834) 池 田 岩 之 丞 季 秀 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 見 習 代 官 ( 大 坂 1) ~ 天 保 7 年 (1836) 屋 )( 天 保 5 年 ~ 天 保 7 年 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 )

550 天 保 8 年 (1837) 添 田 一 郎 次 彭 章 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 代 官 ( 大 坂 1) 裏 門 切 手 番 頭 ~ 天 保 14 年 (1843) 屋 )( 天 保 7 年 ~ 天 保 14 年 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 天 保 15 年 (1844) 大 貫 次 右 衛 門 光 証 ( 出 羽 国 尾 花 沢 代 官 ( 甲 斐 国 石 死 去 陣 屋 )( 天 保 2 年 ~ 弘 化 元 年 ) 和 陣 屋 出 張 : 谷 ( 天 保 14 年 ~ 出 張 : 柴 橋 寒 河 村 ) 江 陣 屋 ) 弘 化 2 年 (1845) 石 井 勝 之 進 ( 出 羽 国 尾 花 沢 陣 屋 ) 代 官 ( 信 濃 国 中 新 番 ~ 嘉 永 元 年 (1848) ( 弘 化 2 年 ~ 嘉 永 元 年 ) ( 出 張 : 柴 橋 寒 河 江 陣 屋 ) 之 条 陣 屋 ) 嘉 永 2 年 (1849) 吉 田 條 ( 条 ) 太 郎 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 勘 定 吟 味 方 改 役 死 去 ~ 嘉 永 3 年 (1850) 屋 )( 嘉 永 元 年 ~ 嘉 永 4 年 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 嘉 永 4 年 (1851) 森 田 岡 太 郎 清 行 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 屋 )( 嘉 永 4 年 ~ 嘉 永 4 年 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 小 普 請 方 代 官 ( 甲 斐 国 石 和 陣 屋 出 張 : 谷 村 陣 屋 ) 嘉 永 5 年 (1852) 松 永 善 之 助 祐 貫 ( 出 羽 国 柴 橋 陣 屋 )( 嘉 永 5 年 ~ 安 政 5 年 ) 作 事 下 奉 行 代 官 ( 大 和 国 五 条 陣 屋 ) ( 出 張 : 寒 河 江 陣 屋 ) 幕 府 の 代 官 は 在 任 中 は 支 配 地 の 代 官 陣 屋 と 江 戸 を 往 復 しており 代 官 陣 屋 に 在 陣 する 期 間 と 江 戸 に 在 府 する 期 間 があった 表 1 によると 入 間 村 を 治 めていた 代 官 の 代 官 陣 屋 の 場 所 は 必 ずしも 一 定 ではない 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 ) 当 時 は 寒 河 江 陣 屋 であったが 寒 河 江 陣 屋 は 寛 延 三 年 ( 一 七 五 〇 )に 長 瀞 陣 屋 宝 暦 元 年 ( 一 七 五 一 )には 尾 花 沢 陣 屋 の 出 張 陣 屋 と なっている そして 宝 暦 三 年 ( 一 七 五 三 )には 白 岩 陣 屋 を 出 張 陣 屋 に 持 つ 陸 奥 国 小 名 浜 陣 屋 の 支 配 となり その 後 宝 暦 十 一 年 ( 一 七 六 一 )に 出 来 た 柴 橋 陣 屋 の 管 轄 となり 文 化 元 年 ( 一 八 〇 四 )からは 寒 河 江 陣 屋 が 出 張 陣 屋 となっている しかし 天 保 二 年 ( 一 八 三 一 )には 尾 花 沢 陣 屋 の 管 轄 となり 天 保 十 四 年 から 柴 橋 寒 河 江 陣 屋 が 出 張 陣 屋 となる そして 嘉 永 元 年 ( 一 八 四 八 )には 再 び 柴 橋 陣 屋 が 寒 河 江 陣 屋 を 出 張 陣 屋 として 入 間 村 を 治 めているのである このように 代 官 陣 屋 の 廃 止 や 出 張 陣 屋 化 などに 伴 い 入 間 村 を 治 めている 代 官 の 代 官 陣 屋 も 移 動 していたのである なお 天 保 十 三 年 ( 一 八 四 二 ) 十 月 に 東 北 関 東 信 越 地 方 を 支 配 する

551 十 二 ヶ 所 の 代 官 に 陣 屋 の 在 陣 が 命 じられているが 柴 橋 陣 屋 の 添 田 一 郎 次 もその 対 象 となっている (58) しかしその 後 在 任 中 に 亡 くなった 吉 田 条 太 郎 は 嘉 永 三 年 ( 一 八 五 〇 ) 八 月 三 日 に 寒 河 江 陣 屋 に 着 き 同 月 十 四 日 に 支 配 地 の 村 役 人 の 御 機 嫌 伺 いを 受 けた 直 後 に 病 気 となり 同 月 二 十 六 日 夜 に 死 去 した この 吉 田 条 太 郎 の 死 去 が 公 にされたのはこの 半 年 後 の 事 であっ たらしく 翌 年 二 月 十 四 日 に 死 去 の 触 れが 出 たため 同 月 十 八 日 に 葬 送 し 真 言 宗 楯 北 村 惣 持 寺 へ 寒 河 江 陣 屋 より 葬 っている この 葬 儀 には 村 々の 名 主 が 裃 で 詰 め 焼 香 に 寒 河 江 柴 橋 陣 屋 の 手 付 らが 参 り 尾 花 沢 代 官 の 名 代 が 来 ている (59) また 安 政 二 年 ( 一 八 五 五 )に 清 右 衛 門 が 惣 代 となり 救 石 代 願 のため 江 戸 に 出 府 した 際 には 同 年 六 月 二 十 三 日 には 神 田 仲 町 久 保 田 屋 源 四 郎 方 に 止 宿 している (60) この 際 には 見 越 願 であるた め 今 年 の 秋 に 代 官 が 下 向 した 際 に 一 同 より 申 し 上 げる 事 としている (61) さらに 表 1 では 入 間 村 を 治 めていた 代 官 の 履 歴 について 代 官 の 前 職 と 後 職 も 示 している また 代 官 によっては 入 間 村 を 治 めた 期 間 は 異 なりまちまちである 例 えば 享 保 期 では 森 山 勘 四 郎 が 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )から 享 保 十 八 年 ( 一 七 三 三 )まで 勤 めた 後 池 田 喜 八 郎 に 変 わるが 池 田 喜 八 郎 は 一 年 後 に 倉 敷 陣 屋 の 代 官 になっている そしてその 後 黒 沢 直 右 衛 門 が 享 保 二 十 年 ( 一 七 三 五 )から 延 享 元 年 ( 一 七 四 四 )まで 勤 めている この 内 柴 橋 陣 屋 支 配 の 時 代 の 特 徴 としては 池 田 仙 九 郎 が 柴 橋 陣 屋 に 寛 政 元 年 ( 一 七 八 九 )から 寛 政 七 年 ( 一 七 九 五 )と 文 化 七 年 ( 一 八 一 (58) 大 口 勇 次 郎 天 保 期 の 性 格 岩 波 講 座 日 本 歴 史 12 近 世 4 ( 岩 波 書 店 一 九 七 六 年 ) (59)( 嘉 永 3 年 正 月 28 日 ~ 嘉 永 4 年 12 月 ) 嘉 永 三 戌 年 嘉 永 四 亥 年 書 留 録 入 間 村 長 名 主 清 右 衛 門 良 隆 用 ( 昭 55 仙 台 312) (60) 卯 ( 安 政 2 年 )6 月 23 日 ( 石 代 願 経 過 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1264) 卯 ( 安 政 2 年 )6 月 23 日 ( 伜 作 兵 衛 江 戸 浅 草 弘 福 寺 奉 公 ニ 付 書 状 )( 昭 55 仙 台 1271) (61)( 卯 ( 安 政 2 年 )6 月 24 日 ) 乍 恐 書 付 を 以 奉 申 上 候 ( 定 式 御 救 安 石 代 願 )( 下 書 ) ( 昭 55 仙 台 1822 ー1)

552 〇 )から 天 保 五 年 ( 一 八 三 四 )までという 長 期 にわたって 在 任 している 点 が 上 げられる しかも 池 田 仙 九 郎 が 天 保 五 年 の 在 任 中 死 去 した 後 には 息 子 の 池 田 岩 之 丞 が 代 官 見 習 から 代 官 となり 天 保 五 年 から 天 保 七 年 まで 勤 め ているのである(なお この 後 池 田 岩 之 丞 は 大 坂 駿 河 国 駿 府 の 後 豊 後 国 の 日 田 郡 代 を 勤 めている また 池 田 仙 九 郎 の 祖 父 は 寒 河 江 陣 屋 時 代 の 享 保 十 八 年 から 享 保 十 九 年 に 入 間 村 を 治 めた 池 田 喜 八 郎 季 隆 である) こうした 二 代 に 渡 って 同 じ 代 官 陣 屋 の 代 官 を 勤 めた 事 例 は 安 永 期 にも 見 られる 野 田 弥 市 右 衛 門 が 明 和 六 年 ( 一 七 六 九 )から 安 永 九 年 ( 一 七 八 〇 )まで 柴 橋 陣 屋 で 代 官 を 勤 めて 勇 退 すると 息 子 の 野 田 松 三 郎 が 安 永 九 年 から 天 明 八 年 ( 一 七 八 八 )まで 勤 めている(なお この 後 野 田 松 三 郎 は 駿 河 国 島 田 駿 河 国 駿 府 甲 斐 国 甲 府 に 勤 めている) ところで 近 世 中 期 以 降 において 新 たに 登 用 された 代 官 の 家 がそ のまま 代 官 職 を 継 承 していく 事 例 をよく 確 認 することができる 代 官 は 一 度 代 官 に 就 任 すると 代 官 のまま 引 退 あるいは 死 去 する 者 が 多 いが その 後 息 子 が 代 官 職 を 継 ぎ そのまま 代 官 の 家 を 継 続 させていく 事 例 を 見 ることが 出 来 るのである 入 間 村 を 支 配 していた 代 官 でも こうした 代 官 の 家 の 出 身 者 が 多 い 例 えば 前 出 の 池 田 家 は 天 和 元 年 ( 一 六 八 一 )に 池 田 新 兵 衛 重 富 が 麻 布 薬 園 預 かりから 還 俗 の 後 代 官 となって 以 降 代 官 を 勤 めた 家 系 である (62) また 辻 家 の 場 合 は 辻 弥 五 左 衛 門 守 参 が 元 禄 十 二 年 ( 一 六 九 九 ) 美 濃 郡 代 を 勤 めている そして その 養 子 の 辻 甚 太 郎 守 雄 が 享 保 三 年 ( 一 七 一 八 ) に 父 に 代 わって 美 濃 の 代 官 となり 同 十 七 年 に 家 を 継 ぎ 郡 代 となっている が これ 以 降 代 々 代 官 を 勤 める 家 系 となっている (63) また 川 崎 家 の 場 合 は 川 崎 平 右 衛 門 定 孝 が 寛 保 三 年 ( 一 七 四 三 )に 新 田 世 話 役 から 代 官 と なり 明 和 四 年 ( 一 七 六 七 )に 勘 定 吟 味 役 となっている これは 特 殊 な 事 (62) 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 第 五 巻 p170~172 (63) 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 第 二 十 二 巻 p296~298

553 例 ではあるが 川 崎 家 もまたこれ 以 降 代 官 の 家 となっているのである (64) また 入 間 村 を 治 めた 代 官 のもう 一 つの 特 徴 としては 馬 喰 町 詰 代 官 関 東 郡 代 付 代 官 に 就 任 あるいはこれらの 代 官 を 勤 めた 家 出 身 の 代 官 を 確 認 できる 点 が 上 げられる 三 河 口 太 忠 輝 昌 は 関 東 郡 代 付 代 官 から 柴 橋 陣 屋 の 代 官 になっている(なお この 息 子 の 三 河 口 太 忠 輝 清 は 文 化 十 三 年 に 代 官 見 習 から 越 後 国 水 原 陣 屋 の 代 官 に 就 いているが 文 政 三 年 ( 一 八 二 〇 ) 父 の 咎 のため 知 行 を 召 し 上 げられ 御 家 人 となっている) また 大 貫 次 右 衛 門 光 豊 は 天 明 六 年 勘 定 吟 味 方 改 役 から 越 後 国 水 原 陣 屋 の 代 官 とな った 後 関 東 郡 代 付 代 官 馬 喰 町 詰 代 官 となりその 後 勇 退 している (65) 入 間 村 を 治 めた 大 貫 次 右 衛 門 光 証 は この 光 豊 が 勇 退 した 文 政 六 年 五 月 に 見 習 から 代 官 となっており 息 子 であると 思 われる ( 二 ) 入 間 村 と 代 官 の 御 救 入 間 村 では たびたび 近 世 を 通 じて 大 きな 飢 饉 に 見 舞 われた 前 記 の 通 り 入 間 家 文 書 には 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )から 嘉 永 五 年 ( 一 八 五 二 )まで の 年 貢 皆 済 目 録 を 記 録 した 一 冊 の 帳 面 があるが (66) グラフ1 は こ れをもとに 入 間 村 で 納 めた 年 貢 の 内 本 途 物 成 の 推 移 をまとめたものである これによると 入 間 村 では 代 官 所 に 納 める 年 貢 の 額 が 大 きく 落 ち 込 んで いる 時 期 がある ここでは このような 際 に 代 官 が 御 救 を 行 っている 事 例 を 挙 げる 宝 暦 五 年 ( 一 七 五 五 )から 宝 暦 六 年 までは 凶 作 のため 年 貢 を 役 所 に 納 めら れなかったため 宝 暦 八 年 十 月 に 代 官 風 祭 甚 三 郎 (67) から 年 貢 皆 済 目 録 が (64) 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 第 二 十 二 巻 p217~218 (65) 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 第 二 十 巻 p256 (66)( 享 保 8 年 7 月 ~ 嘉 永 5 年 7 月 ) ( 入 間 村 皆 済 目 録 写 )( 昭 55 仙 台 452) (67)その 一 方 で 風 祭 甚 三 郎 は (( 天 保 6 年 8 月 ) 乍 恐 以 書 付 御 歎 申 上 候 ( 一 ツ 小 柳 大 凶 作 一 件 ニ 付 損 地 願 )( 写 )( 昭 55 仙 台 130ー2)では 入 間 村 の 枝 郷 の 字 一 ツ 小 柳

554 宝 暦 七 年 分 と 同 時 に 発 行 されている で 荒 地 となり 以 来 手 余 地 となった 土 地 について 歎 願 した 際 沙 汰 に 及 び 難 いとしてこ れを 退 け 強 いて 願 い 出 た 村 役 人 に 対 して 手 鎖 等 の 処 罰 を 行 った 代 官 とされている

グラフ1 入 間 村 年 貢 高 の 推 移 555

556 この 時 には 結 局 宝 暦 五 年 分 の 内 不 納 の 分 は 拝 借 金 で 上 納 し 宝 暦 六 年 の 年 貢 と 共 に 二 十 ヶ 年 賦 で 返 納 することとなっている (68) しかし 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 によれば 宝 暦 八 年 に 代 官 風 祭 甚 三 郎 は これより さき 亥 年 (= 宝 暦 五 年 )の 凶 作 の 時 に 子 年 (= 宝 暦 六 年 )の 年 貢 で 収 納 したことなどにより 出 仕 を 一 時 とどめられている (69) また 天 保 九 年 ( 一 八 三 八 ) 四 月 に 兵 助 新 田 の 惣 百 姓 が 代 官 池 田 仙 九 次 他 下 役 の 武 運 長 久 を 神 に 祈 願 する 旨 の 議 定 書 を 作 成 している これは (70) 天 保 四 年 九 月 大 雨 による 洪 水 の 時 用 水 路 が 崩 れたことにより 池 田 仙 九 郎 に 見 分 を 願 い 出 た 際 村 高 二 十 九 石 二 斗 二 合 の 内 田 方 十 二 石 を 引 高 にし た 処 置 によるものであった( 下 役 の 名 前 として 元 〆 山 崎 勤 五 郎 の 他 竹 内 弥 門 次 真 壁 弥 四 郎 の 名 前 が 上 がっている) (71) なお この 天 保 四 年 の 八 月 には 入 間 村 他 一 ヶ 村 が 左 沢 大 庄 屋 の 阿 部 伝 五 郎 に 飢 饉 のため 御 救 いの 願 書 を 作 成 している (72) (68)( 享 保 8 年 7 月 ~ 嘉 永 5 年 7 月 )( 入 間 村 皆 済 目 録 写 )( 昭 55 仙 台 452) ただし 宝 暦 十 二 年 の 年 貢 皆 済 目 録 では 三 十 ヶ 年 賦 宝 暦 十 三 年 以 降 は 三 十 三 ヶ 年 賦 とな っている (69) 新 修 寛 政 重 修 諸 家 譜 第 二 十 巻 p329 なおこの 後 天 明 年 間 には 村 山 郡 幕 府 領 二 百 五 十 ヶ 村 では 幕 府 の 廻 米 強 化 策 の 阻 止 安 石 代 を 要 求 する 訴 願 運 動 が 展 開 さ れた この 点 については 宮 崎 勝 美 天 明 期 羽 州 村 山 郡 幕 領 の 石 代 納 闘 争 と 惣 代 名 主 制 ( 尾 藤 正 英 先 生 還 暦 記 念 会 編 日 本 近 世 史 論 叢 下 巻 吉 川 弘 文 館 一 九 八 四 年 )を 参 照 の 事 同 論 文 によると 天 明 三 年 十 月 から 天 明 四 年 十 月 には 柴 橋 附 の 郡 中 惣 代 には 米 沢 村 と 仁 田 村 の 名 主 が 就 いており 天 明 六 年 十 月 には 米 沢 村 と 金 谷 原 村 の 名 主 となっている (70)( 天 保 4 年 6 月 28 日 ~ 寅 ( 天 保 13 年 )11 月 以 降 )( 兵 助 新 田 用 水 路 大 破 ニ 付 修 復 御 救 損 地 関 係 綴 )( 昭 53 仙 台 17) ただし 同 史 料 によれば 池 田 岩 之 丞 から 添 田 一 郎 次 に 代 官 が 代 わると 損 地 の 起 返 が 命 じられている (71)( 天 保 9 年 4 月 ) 惣 百 姓 神 文 を 以 議 定 之 事 ( 大 洪 水 の 砌 引 高 ニ 付 代 官 武 運 長 久 祈 願 )( 下 書 )( 昭 53 仙 台 19) なお 相 沢 時 之 進 は 万 延 元 年 に 豊 後 日 田 陣 屋 で 亡 く なっているが 惣 持 寺 の 役 僧 から 入 間 村 の 愛 染 院 法 印 と 名 主 清 右 衛 門 に 相 沢 他 二 名 (この 二 名 の 氏 名 は 不 明 )の 戒 名 を 連 絡 する 旨 の 書 状 が 出 されている(( 江 戸 )12 月 11 日 ( 戒 名 ニ 付 書 状 カ 前 欠 ) 昭 55 仙 台 130-9) (72)( 天 保 4 年 8 月 ) 乍 恐 書 付 を 以 奉 願 上 候 事 ( 飢 饉 ニ 付 御 救 い 願 )( 下 書 )( 昭 55 仙

557 この 他 入 間 村 本 郷 の 一 ツ 小 柳 では 宝 暦 五 年 の 大 凶 作 で 全 員 退 転 して 荒 地 化 してしまったため 天 保 四 年 の 大 凶 作 の 時 に 地 蔵 堂 の 前 の 杉 の 大 木 を 売 り 払 った 代 金 で 荒 地 の 起 返 しをしようとして 伺 いを 立 てた 所 当 時 の 代 官 (= 池 田 仙 九 郎 )が 一 ツ 小 柳 の 有 高 を 全 て 引 高 とした また 現 在 の 代 官 (= 添 田 一 郎 次 )も 検 見 の 引 方 については 格 別 の 救 引 をしたとして 天 保 九 年 四 月 に 入 間 村 本 郷 の 惣 百 姓 が 一 ツ 小 柳 の 地 蔵 尊 に 代 官 と 手 代 の 武 運 長 久 を 祈 念 している (73) また 天 保 七 年 三 月 にも 同 様 の 願 望 書 が 作 られている (74) このように 天 保 期 には 入 間 村 本 郷 兵 助 新 田 では 代 官 の 顕 彰 を 行 っている 事 例 を 確 認 できる 池 田 仙 九 郎 は 前 記 したように 長 期 間 に 渡 って 寛 政 期 と 文 化 期 から 天 保 期 にかけて 柴 橋 陣 屋 で 代 官 を 勤 めており その 後 も 池 田 岩 之 丞 が 天 保 五 年 から 天 保 七 年 まで 代 官 を 勤 め 支 配 所 の 村 々にとって 特 別 な 存 在 であったことも 背 景 にあると 考 えられる (75) な お 天 保 四 年 六 月 八 日 に( 代 官 ) 役 所 から 近 年 飢 饉 が 続 き 金 銭 融 通 夫 食 等 に 差 し 支 え 米 価 も 次 第 に 引 き 上 がる 中 当 年 は 土 用 に 至 っても 季 候 が 不 順 であるため 五 穀 成 就 の 祈 念 をするよう 小 前 末 々 迄 申 し 聞 かせ 一 日 休 日 にして 鎮 守 社 内 等 で 格 別 金 銭 がかからぬよう 修 行 する 旨 の 廻 状 が 出 されて いる (76) それから 池 田 仙 九 郎 が 代 官 在 任 中 に 亡 くなった 際 には 天 保 五 台 721) (73)( 天 保 9 年 4 月 ) 乍 恐 奉 捧 再 願 書 之 事 ( 一 ツ 小 柳 大 凶 作 一 件 ニ 付 代 官 手 代 の 武 運 長 久 祈 念 ニ 付 )( 写 )( 昭 55 仙 台 130-5) (74)( 天 保 7 年 3 月 ) 奉 捧 一 ツ 小 柳 地 蔵 尊 願 望 書 ( 一 ツ 小 柳 大 凶 作 一 件 ニ 付 代 官 手 代 他 跡 支 配 代 官 等 安 全 武 運 長 久 ニ 付 )( 下 書 )( 昭 55 仙 台 130-4) (75)また 当 時 は 天 保 四 年 ( 一 八 三 三 )の 全 国 的 な 凶 作 以 来 毎 年 のように 御 取 箇 附 荒 地 起 返 免 直 についての 布 令 を 代 官 所 へ 達 し 年 貢 の 確 保 に 努 めている 時 期 であり( 大 口 勇 次 郎 天 保 期 の 性 格 ( 岩 波 講 座 日 本 歴 史 12 近 世 4 岩 波 書 店 一 九 七 六 年 ) こうした 動 向 に 逆 行 する 動 きであったことも 背 景 にあったと 思 われる しかし こうした 代 官 の 行 動 は 天 保 十 四 年 ( 一 八 四 三 )に 全 国 の 幕 府 領 で 行 われた 御 取 箇 御 改 正 につながったと 言 えよう (76)( 天 保 4 年 正 月 七 種 ~ 天 保 6 年 4 月 ) 天 保 四 巳 年 正 月 吉 祥 日 御 用 御 留 帳 入 間

558 年 六 月 に 柴 橋 会 所 から 村 々の 名 主 に 宛 てて 代 官 が 遠 行 したので 引 き 続 き 若 殿 様 (= 池 田 岩 之 丞 )の 支 配 所 になるよう 祈 念 する 旨 の 廻 状 が 出 されており (77) こうした 祈 念 という 行 為 の 背 景 には 当 地 の 天 保 期 に おける 神 に 対 する 社 会 的 意 識 があったものと 思 われる なお 弘 化 四 年 ( 一 八 四 七 ) 三 月 に 私 領 への 引 き 渡 しや 分 郷 の 御 免 を 入 間 村 ( 本 郷 枝 郷 ) 兵 助 新 田 沼 山 村 で 願 書 を 作 成 した 際 に その 理 由 として 天 保 四 年 七 年 の 飢 饉 の 際 に 私 領 とは 違 い 夫 食 の 拝 借 の 他 種 々の 救 筋 を 下 されたこと 弘 化 三 年 には 夫 食 米 金 の 拝 借 高 の 半 高 を 下 切 残 りの 半 高 を 永 年 賦 にしたことを 上 げている (78) この 後 領 主 が 松 前 藩 に 代 わった 後 も 慶 応 二 年 ( 一 八 六 六 )は 天 保 四 年 同 様 の 凶 作 とされているが (79) 慶 応 二 年 十 一 月 には 入 間 村 他 八 ヶ 村 ( 八 兵 衛 新 田 は 水 沢 村 代 兼 )の 村 役 人 が 東 根 役 所 へ 去 年 の 米 価 が 存 外 の 高 値 で あるため 破 免 検 見 は 行 われたものの 柴 橋 陣 屋 附 同 様 の 救 安 石 代 での 上 納 を 願 い 出 ている (80) また 同 年 十 二 月 朔 日 に 入 間 村 兵 助 新 田 は 東 根 役 所 から 百 両 の 拝 借 金 をしている (81) また 同 年 十 二 月 二 十 三 日 には 入 間 村 枝 郷 が 東 根 役 所 からこの 年 大 凶 作 であったため 種 籾 の 買 代 金 として 金 二 十 五 両 を 拝 借 している (82) 村 清 右 衛 門 主 ( 昭 54 仙 台 211) (77)( 天 保 4 年 正 月 七 種 ~ 天 保 6 年 4 月 ) 天 保 四 巳 年 正 月 吉 祥 日 御 用 御 留 帳 入 間 村 清 右 衛 門 主 ( 昭 54 仙 台 211) (78)( 弘 化 4 年 3 月 ) 乍 恐 書 付 を 以 奉 願 上 候 ( 私 領 御 引 渡 之 儀 御 免 ニ 付 )( 写 )( 昭 55 仙 台 196) (79) 寅 ( 慶 応 2 年 )11 月 27 日 乍 恐 以 書 付 御 歎 願 奉 申 上 候 ( 柴 橋 陣 屋 附 同 様 の 安 石 代 願 )( 昭 55 仙 台 986) (80) 寅 ( 慶 応 2 年 )11 月 27 日 乍 恐 以 書 付 御 歎 願 奉 申 上 候 ( 柴 橋 陣 屋 附 同 様 の 安 石 代 願 )( 昭 55 仙 台 986) (81) 慶 応 2 年 12 月 朔 日 御 拝 借 金 証 文 之 事 ( 当 卯 年 貢 上 納 金 其 外 ニ 差 支 ニ 付 )( 昭 55 仙 台 455ー3) (82) 慶 応 2 年 12 月 23 日 御 金 拝 借 証 文 之 事 ( 当 寅 大 凶 作 ニ 付 種 籾 代 金 拝 借 ニ 付 )( 昭 55 仙 台 455ー4) なお 慶 応 二 年 の 破 免 検 見 の 際 に 作 られた 当 寅 田 方 立 毛 内 見 合 附 取 調 書 上 帳 ( 入 間 村 本 郷 昭 54 仙 台 31)と( 兵 助 新 田 分 昭 54 仙 台 46)を 作 成 す

559 こうした 代 官 の 支 配 地 に 対 する 御 救 や 代 官 の 顕 彰 に 関 する 事 例 は これまでも 研 究 史 の 中 で 報 告 されているが 入 間 村 の 場 合 も 凶 作 の 際 には 同 様 の 事 例 を 確 認 する 事 が 出 来 るのである ( 三 ) 代 官 柴 橋 陣 屋 附 村 々 江 戸 近 年 菊 池 勇 夫 氏 は 東 北 における 宝 暦 天 明 の 飢 饉 の 問 題 を 江 戸 廻 米 とからめて 論 じているが このように 東 北 の 農 村 の 問 題 を 論 じる 場 合 江 戸 大 坂 に 対 する 視 座 が 必 要 である (83) 代 官 は 幕 府 勘 定 所 の 官 僚 として 全 国 に 配 置 されていたが 代 官 の 行 動 には 支 配 を 担 当 する 幕 府 領 以 外 にも 江 戸 の 幕 府 勘 定 所 を 政 策 の 視 野 において 行 動 する 事 があった 寛 政 三 年 ( 一 七 九 一 )に 代 官 池 田 仙 九 郎 によって 柴 橋 陣 屋 付 の 村 々に 郡 中 備 金 仕 法 が 導 入 された これは 村 で 高 百 石 に 付 き 二 百 文 ずつ 金 を 出 し この 他 百 姓 の 中 で 奇 特 之 者 が 金 を 出 すというもので 翌 年 から 五 年 間 で 百 十 二 両 余 りになった 所 でどこかに 貸 す 際 には 郡 中 惣 代 などが 立 ち 会 い 取 り 締 まる 事 となっていた この 郡 中 備 金 は 文 化 十 年 ( 一 八 一 三 )に は 三 千 四 百 両 程 となったため 仕 法 を 申 し 立 て 年 一 割 の 利 金 を 郡 中 の 品 々の 入 用 困 窮 の 村 々の 貧 民 の 手 当 て 江 戸 大 坂 への 廻 米 として 納 める 際 の 不 足 分 の 買 い 納 めに 利 用 されていた (84) しかし これ 以 後 文 化 十 四 年 ( 一 八 一 七 )に 幕 府 が 幕 府 の 公 金 貸 付 政 策 の 中 心 であった 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 の 統 制 集 中 化 を 行 った 幕 府 は 関 東 東 北 北 陸 筋 代 官 二 十 二 名 を 対 象 に それぞれの 代 官 が 従 来 個 別 で 扱 っていた 貸 付 業 務 を 以 後 江 戸 の 馬 喰 町 御 用 屋 敷 詰 代 官 が 一 手 に 引 き 受 け る 際 にメモ 代 わりに 用 いられた 付 木 が 残 っている( 昭 63 仙 台 79ー1~8) (83) 菊 池 勇 夫 享 保 天 明 の 飢 饉 と 政 治 改 革 ( 藤 田 覚 編 幕 藩 制 改 革 の 展 開 山 川 出 版 社 二 〇 〇 一 年 ) (84)なお この 郡 中 備 金 をめぐる 一 連 の 動 向 については ( 弘 化 5 年 3 月 ) 御 代 官 吉 田 條 太 郎 御 支 配 柴 橋 付 郡 中 備 金 願 書 留 書 入 間 長 名 主 清 右 衛 門 良 ( 花 押 ) ( 写 )( 昭 55 仙 台 201)による これは 柴 橋 陣 屋 附 の 村 々の 名 主 から 当 時 の 柴 橋 陣 屋 の 代 官 であった 吉 田 條 太 郎 役 所 に 宛 てて 出 された 願 書 の 写 しである

560 ることとし 同 年 に 勘 定 奉 行 以 下 十 八 名 の 勘 定 所 役 人 を 馬 喰 町 御 用 屋 敷 詰 めの 貸 付 掛 に 任 命 したのである (85) この 幕 府 の 政 策 は 柴 橋 陣 屋 付 の 村 々の 郡 中 備 金 に 大 きな 影 響 を 与 えるようになり 郡 中 備 金 は 文 化 十 五 年 以 後 幕 府 勘 定 所 による 公 金 貸 付 政 策 に 連 動 することとなった 文 化 十 五 年 当 時 の 代 官 ( 再 び 柴 橋 陣 屋 の 代 官 となった 池 田 仙 九 郎 )から 郡 中 備 金 を 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 に 差 し 出 す 旨 が 仰 せ 渡 され 郡 中 備 金 は 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 に 引 き 上 げられ 貸 し 付 けの 取 り 扱 いも 貸 附 役 所 で 行 うこととなった これにより 利 金 は 年 七 分 に 利 下 げとなり この 利 金 の 内 が 郡 中 へ 下 げら れる 事 となった その 後 天 保 三 年 四 年 に 村 々で 前 代 未 聞 の 大 凶 作 が 起 き ると 郡 中 では 郡 中 備 金 の 内 七 千 両 余 りの 御 救 い を 願 い 上 げ その 結 果 四 千 両 が 下 げ 渡 されたが 残 りの 三 千 両 は 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 に 差 し 置 か れた こうした 江 戸 を 中 心 とした 幕 府 勘 定 所 の 貸 付 金 体 制 が 強 化 された 事 にともなう 一 連 の 動 向 は 支 配 代 官 の 村 に 対 する 郡 中 備 金 政 策 を 転 換 させ ることになった 公 金 貸 付 政 策 の 軸 となっていたのもまた 馬 喰 町 御 用 屋 敷 詰 代 官 という 代 官 であったのである その 後 天 保 七 年 ( 一 八 三 六 )の 代 官 添 田 一 郎 次 支 配 の 時 天 保 七 年 か ら 一 年 に 三 千 両 の 利 金 二 百 十 両 が 天 保 七 年 八 年 に 下 げ 渡 しになった し かし 天 保 九 年 には 村 山 郡 幸 生 銅 山 の 御 手 山 稼 ぎに 損 失 金 が 出 たため 天 保 九 年 より 郡 中 備 金 の 利 金 から 一 年 に 八 十 両 ずつ 償 上 納 をする 旨 が 仰 せ 出 されている これに 対 して 村 々は 郡 中 備 金 はもともと 銅 山 とは 関 わ りがないものであるため 反 対 したが 代 官 に 押 し 切 られ 結 局 この 償 上 納 分 を 除 いた 金 百 三 十 両 ずつが 下 げ 渡 しになっている 天 保 十 四 年 ( 一 八 四 三 ) こうした 馬 喰 町 の 貸 附 役 所 による 郡 中 備 金 の 管 理 体 制 に 転 機 が 訪 れた 天 保 十 四 年 に 幕 府 が 馬 喰 町 の 貸 付 金 の 回 収 や 利 金 収 取 の 渋 滞 が 一 段 と 厳 しくなったため 貸 付 金 の 半 高 棄 捐 半 高 無 利 (85) 馬 喰 町 御 用 屋 敷 貸 付 金 ( 国 史 大 辞 典 第 十 二 巻 吉 川 弘 文 館 飯 島 千 秋 氏 執 筆 分 )

561 息 永 年 賦 返 納 にふみ 切 ったのである (86) この 時 郡 中 備 金 の 利 金 は 天 保 十 一 年 から 下 げ 渡 されなくなっており 出 雲 屋 弥 太 夫 という 者 に 三 ヶ 年 分 三 百 九 十 両 が 渡 されていた 代 官 は 郡 中 に 対 してこの 分 については 天 保 十 四 年 から 年 賦 で 取 り 立 てて 下 げ 渡 すという 事 としていたが この 馬 喰 町 御 代 官 附 所 御 改 革 の 趣 意 により 三 千 両 を 丸 ニ 上 ヶ 切 にす る 旨 が 仰 せ 渡 された これに 対 して 村 側 は 嘆 願 を 繰 り 返 し その 結 果 三 千 両 の 半 分 の 千 五 百 両 が 郡 中 に 下 げ 渡 しとなり 郡 中 会 所 に 御 預 けとな った このように 郡 中 備 金 が 郡 中 会 所 に 御 預 けになると 郡 中 の 村 々では 今 度 は 代 官 所 に 郡 中 備 金 の 管 理 を 願 い 出 るようになった 郡 中 では 弘 化 三 年 ( 一 八 四 六 ) 十 二 月 ( 当 時 の 代 官 は 石 井 勝 之 進 )から 貸 附 取 締 方 仕 法 附 を 決 めてくれるよう 代 官 に 願 い 上 げたが 下 知 の 沙 汰 がなくそのまま 差 し 置 かれた このため 郡 中 の 村 々では 再 度 弘 化 五 年 に 柴 橋 役 所 に 願 い 出 ている その 内 容 は 銅 山 の 償 上 納 と 郡 中 備 金 の 二 つに 分 けること が 出 来 る まず 銅 山 の 償 上 納 については もとは 三 千 両 の 七 分 の 利 金 ( 二 百 十 両 )が 対 象 となっていて 一 年 間 に 八 十 両 ずつ 償 上 納 をしても 残 りの 百 三 十 両 を 郡 中 の 助 成 に 使 えたが 今 回 下 げ 渡 しとなったのは 千 五 百 両 で あるためその 利 金 の 内 四 十 両 を 償 上 納 をした 場 合 その 残 高 では 郡 中 の 助 成 にはならないとしている また 銅 山 も 盛 山 となっており 現 在 は 出 銅 百 斤 の 内 銀 十 匁 ずつを 増 手 当 てとして 下 されているので この 増 手 当 ての 内 から 償 上 納 を 少 々 出 させても 請 負 稼 人 の 難 渋 にもならないと している また 銅 山 の 稼 人 が 償 上 納 を 引 き 受 けた 場 合 山 稼 ぎには 盛 不 盛 があるので 不 盛 な 時 期 になり 手 当 銀 が 減 少 したり 年 季 請 負 稼 が 休 みになった 時 には 郡 中 備 金 から 償 上 納 をするとしている また 柴 橋 陣 屋 附 の 村 々の 実 情 として 村 々の 中 には 私 領 となった 村 も (86) 前 掲 馬 喰 町 御 用 屋 敷 貸 付 金

562 あり 村 高 も 四 分 の 一 程 となって 郡 中 が 小 さくなったものの 囲 籾 蔵 が 取 り 立 てとなり 修 復 入 用 も 臨 時 に 増 額 になるため どのような 倹 約 をしても 入 用 は 減 少 にならない さらに 里 方 の 村 々では 江 戸 大 坂 への 廻 米 が 多 分 に 納 不 足 になり 買 い 納 め 代 を 年 々 取 り 立 てれば 二 重 三 重 に 年 貢 を 納 めるのと 同 じであり 村 々は 困 窮 してしまっているとした 上 で 弘 化 三 年 十 二 月 に 郡 中 で 願 い 出 た 御 貸 附 方 仕 法 の 通 り 下 げ 渡 された 千 五 百 両 は 柴 橋 役 所 で 取 り 扱 って 欲 しいとしている その 際 には 柴 橋 陣 屋 附 の 村 々 は 勿 論 他 領 の 支 配 であっても 慥 成 もの が 拝 借 を 願 い 出 た 時 は 身 元 を 糺 し 慥 成 親 類 請 人 を 立 てて 五 人 組 村 役 人 一 同 が 連 印 し 所 持 の 田 畑 を 質 地 に 差 し 出 せるように 名 寄 帳 に 突 き 合 わせ 証 文 を 認 めさせる そ の 上 で 質 地 の 場 所 を 会 所 詰 の 郡 中 惣 代 と 年 番 の 名 主 が 立 ち 会 って 惣 代 が 奥 印 をして 役 所 へ 差 し 上 げ 年 一 割 の 利 附 で 元 金 を 十 ヶ 年 賦 で 返 済 するよ う 取 り 立 てるとしている そして もし 返 済 が 滞 ったら 加 判 の 者 から 弁 金 させ 証 人 どもも 契 約 を 破 らなければ 質 地 の 分 を 御 威 光 を 以 て 引 き 上 げ この 代 金 で 返 納 させるとしている 柴 橋 陣 屋 附 の 村 々は 以 上 の 提 案 をした 上 で 郡 中 備 金 の 利 息 は 年 一 割 なので 一 年 に 百 五 十 両 取 り 立 てられれば 銅 山 の 償 上 納 をする 請 負 稼 人 たちが 上 納 出 来 ない 時 は 郡 中 備 金 の 内 から 上 納 するので 差 し 支 えには ならないとし この 仕 法 をもって 千 五 百 両 を 柴 橋 役 所 の 取 り 扱 いにしてく れるよう 願 い 出 ている このように 柴 橋 陣 屋 附 の 村 々は この 仕 法 が 採 用 出 来 ないようであ れば 利 金 は 年 々 損 毛 になってしまうので もともと 出 金 した 者 で 身 分 を 選 び 割 りつけて 預 け 置 き 相 応 の 利 附 にして 利 金 を 郡 中 の 難 渋 の 浚 にするしか 無 いので 半 高 千 五 百 両 を 以 前 の 通 り 柴 橋 役 所 の 御 貸 附 取 り 扱 いにし 銅 山 の 償 上 納 は 請 負 稼 人 から 盛 山 の 年 季 中 に 上 納 してくれる よう 村 々で 願 い 出 ているのである この 郡 中 の 申 し 出 は このようにかなり 具 体 的 なものであったが 実 際 にこの 申 し 出 の 通 り 実 現 したかどうかは 定 かではない しかし 郡 中 備 金

563 を 村 々の 主 導 のもとで 貸 し 付 けを 行 うとは 言 え その 管 理 を 代 官 所 に 求 め ている 点 は 注 目 すべき 点 であろう その 後 東 根 役 所 時 代 には 文 久 元 年 ( 一 八 六 一 ) 十 二 月 中 に 郡 中 村 々 備 金 永 続 方 仕 法 が 仰 せ 出 され 郡 中 貸 附 として 金 三 百 両 が 備 え 置 か れこの 趣 意 に 准 じて 郡 中 でも 文 久 二 年 から 十 ヶ 年 に 一 日 銭 二 文 づつ 積 銭 を 行 う 日 溜 備 金 が 行 われている (87) 元 治 元 年 ( 一 八 六 四 )には 郡 中 で 郡 中 入 用 に 差 し 支 えたため 郡 中 備 金 金 三 十 両 を 下 げ 渡 されているが これは この 日 溜 備 金 であろう この 際 には 郡 中 惣 代 の 入 間 村 名 主 入 間 清 右 衛 門 東 根 村 名 主 小 池 郁 太 郎 が 郡 中 最 寄 惣 代 の 名 主 四 名 と 共 に 拝 借 証 文 を 東 根 役 所 に 提 出 している (88) なお 郡 中 備 金 の 制 度 は 明 治 期 も 継 続 し 郡 中 備 金 は 郡 中 元 会 計 取 扱 備 金 と 称 せられ 明 治 五 年 ( 一 八 七 二 ) 十 一 月 には 元 柴 橋 附 備 金 取 扱 掛 りより 吉 川 村 入 間 昇 ( 入 間 村 ) 大 山 権 三 郎 ( 入 間 村 枝 郷 ) 砂 子 関 月 山 沢 両 村 志 津 村 の 年 賦 金 一 時 返 納 分 とも 返 済 を 求 められている (89) また 明 治 七 年 一 月 に 月 岡 村 で 備 金 を 借 用 しており (90) 同 じ 明 治 七 年 一 月 には 入 間 村 の 大 山 権 三 郎 が 備 金 を 借 用 し 備 金 取 扱 掛 岸 伝 四 郎 他 三 名 に 証 文 を 出 している (91) また 明 治 七 年 十 二 月 に 入 間 昇 が 柴 橋 年 賦 金 とし て 備 金 を 十 ヶ 年 賦 で 借 用 している (92) (87)( 酉 ( 文 久 元 年 )12 月 ~ 戌 ( 文 久 2 年 )12 月 17 日 ) 文 久 二 壬 戌 年 十 二 月 御 領 分 村 々 日 掛 銭 当 戌 未 迄 向 拾 ヶ 年 積 立 毎 年 寄 高 御 割 印 帳 東 根 郡 中 会 所 詰 惣 代 入 間 清 右 衛 門 扣 ( 昭 53 仙 台 46) (88) 元 治 元 年 8 月 10 日 備 金 拝 借 証 文 事 ( 郡 中 入 用 ニ 差 支 ニ 付 )( 昭 53 仙 台 53) (89) 壬 申 ( 明 治 5 年 )11 月 24 日 ( 郡 中 元 会 所 取 扱 備 金 貸 附 年 賦 当 申 返 納 元 利 一 時 返 納 ニ 付 報 告 )( 昭 55 仙 台 527) (90)( 明 治 7 年 1 月 ) 差 出 申 拾 ヶ 年 賦 割 証 文 之 事 ( 下 書 )( 昭 55 仙 台 255) ( 明 治 7 年 1 月 ) 備 金 借 用 証 文 之 事 ( 明 治 六 年 御 貢 金 上 納 ニ 差 支 ニ 付 )( 写 )( 昭 63 仙 台 56) (91)( 明 治 7 年 1 月 ) 備 金 借 用 拾 ヶ 年 賦 割 証 文 第 四 大 区 小 四 区 入 間 村 大 山 権 三 郎 ( 写 )( 昭 55 仙 台 256) (92) 明 治 7 年 12 月 柴 橋 年 賦 金 証 文 入 間 昇 ( 昭 55 仙 台 263)

564 おわりに 以 上 まず 第 一 章 では 入 間 家 文 書 の 文 書 群 としての 構 成 を 見 てきたが 入 間 家 文 書 は 租 税 史 料 館 に 寄 贈 されるまでの 間 の 推 移 もあり やや 史 料 群 とし ては 偏 りのある 文 書 構 成 となっている しかし これは 入 間 家 文 書 の 史 料 的 な 価 値 を 何 ら 損 なうものではなく 貴 重 な 史 料 群 であることに 変 わりは 無 い こうした 文 書 群 の 中 本 稿 では 第 二 章 で 入 間 村 を 支 配 してきた 代 官 とその 対 応 を 見 てきた この 入 間 家 文 書 をもとに 入 間 村 の 支 配 を 担 当 してきた 代 官 につ いて 見 てきたが 代 官 は 幕 府 勘 定 所 の 職 として 全 国 を 転 々とする 身 分 であ ったが その 中 で 入 間 村 は 池 田 仙 九 郎 支 配 の 時 代 が 長 かった 点 が 特 徴 として 上 げられる 入 間 村 の 年 貢 をめぐる 対 応 を 見 ると 飢 饉 時 の 村 に 対 する 対 応 は 時 代 によって 変 化 が 見 られたと 思 われるが 郡 中 備 金 の 制 度 の 導 入 などの 事 例 か ら 考 えるのであればこの 池 田 仙 九 郎 が 代 官 を 勤 めた 時 代 が 入 間 村 にとって 一 つ の 転 換 期 であったと 言 えよう 池 田 仙 九 郎 は 天 保 期 には 入 間 村 及 び 兵 助 新 田 では 顕 彰 の 対 象 となっ ており 村 側 にとってはいわば 名 代 官 としての 評 価 をされているように 見 え る しかし 郡 中 備 金 をめぐる 代 官 と 幕 府 勘 定 所 そして 領 地 の 村 々の 間 にお ける 対 応 を 見 てみると 池 田 仙 九 郎 に 限 らず 各 代 官 が 地 域 の 経 済 あるいは 全 国 的 な 視 野 に 立 った 政 策 を 行 っていることが 確 認 出 来 る 代 官 という 幕 府 勘 定 所 支 配 下 の 役 職 には その 就 任 過 程 政 策 などに 時 代 差 があったものの その 根 底 には 幕 府 勘 定 所 支 配 の 地 方 における 遂 行 者 としての 立 場 があったのである