ターリンといったロシア 史 上 の 偉 大 な 改 革 者 の 伝 統 を 引 き 継 ぐ 指 導 者 であることを 国 民 に 理 解 させたという 見 解 もある (5) 次 に 外 交 政 策 との 関 連 からロシアの 歴 史 政 策 を 分 析 した 研 究 も 2000 年 代 半 ば



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Transcription:

No. 62 2015 現 代 ロシアの 歴 史 教 育 と 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 立 石 洋 子 はじめに 本 稿 の 課 題 は 1990 年 代 から 現 在 までのロシアにおける 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 をめぐる 政 治 を 歴 史 教 育 と 教 科 書 を 題 材 として 分 析 することである 現 代 ロシアにおいて 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 が 国 家 のアイデンティティの 中 心 に 置 かれていることはよく 知 られている ソ 連 で 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 が 国 家 的 アイデンティティの 中 核 として 賞 揚 され 始 めたのはブレジ ネフ 期 だと 言 われており (1) こうした 第 二 次 世 界 大 戦 の 位 置 づけはペレストロイカ 期 から 90 年 代 初 頭 には 一 時 的 に 揺 らいだものの 90 年 代 の 後 半 には 新 たに 誕 生 したロシアの 社 会 的 統 合 の 基 盤 としての 役 割 を 与 えられるようになった 現 代 ロシアの 歴 史 政 策 特 にスターリン 時 代 の 記 憶 をめぐる 政 治 的 社 会 的 論 争 について はすでに 多 くの 研 究 が 蓄 積 されている たとえば 移 行 期 正 義 論 の 観 点 から 90 年 代 のロ シアの 民 主 化 とソ 連 時 代 の 過 去 への 取 り 組 みの 関 連 を 論 じたものには アンドリューの 研 究 がある アンドリューによれば ロシアがその 暴 力 的 な 過 去 と 向 き 合 わないのは 90 年 代 の 民 主 化 の 失 敗 のためであり 70 年 に 及 ぶ 共 産 主 義 体 制 はロシアの 市 民 社 会 を 完 全 に 破 壊 し そのことがソヴィエト 体 制 による 犯 罪 の 国 家 的 承 認 と 調 査 を 不 十 分 なものにして いるという (2) アドラーも 同 様 に 90 年 代 に 共 産 党 の 創 設 禁 止 などの 措 置 がとられなかっ たことに 着 目 し ソ 連 時 代 の 抑 圧 の 歴 史 との 取 組 が 不 十 分 であることがロシアの 民 主 化 を 妨 げていると 主 張 する (3) 2000 年 に 大 統 領 に 就 任 したプーチンの 権 威 主 義 的 な 政 治 手 法 と 歴 史 の 政 治 的 利 用 に 着 目 する 研 究 も 多 数 存 在 する ウッドによれば プーチンは 第 二 次 世 界 大 戦 のイメージを 神 話 化 してロシアを 統 合 し 大 国 としての 地 位 を 維 持 するとともに 自 らの 個 人 的 な 戦 争 体 験 をそ の 神 話 と 結 びつけることで 祖 国 を 守 る 英 雄 としてのイメージを 確 立 したという (4) またプー チンは 大 祖 国 戦 争 の 歴 史 を 利 用 することで 自 分 がピョートル 一 世 やエカテリーナ 二 世 ス 1 Orlando Figes, Stalin s Ghost: The Legacies of Soviet History and the Future of Russia [http:// eprints.bbk.ac.uk/8432/]. 2 Kora Andrieu, An Unfinished Business: Transitional Justice and Democratization in Post-Soviet Russia, The International Journal of Transitional Justice 5 (2011), pp. 205, 218. 3 Nanci Adler, In Search of Identity: The Collapse of the Soviet Union and the Recreation of Russia, in Alexandra Barahona De Brito, Carmen Gonzaléz-Enríquez, and Paloma Aguilar, eds., The Politics of Memory: Transitional Justice in Democratizing Societies (Oxford: Oxford University Press, 2001), pp. 275 302. 4 Elizabeth A. Wood, Performing Memory: Vladimir Putin and the Celebration of WWII in Russia, The Soviet and Post-Soviet Review 38 (2011), pp. 172 200. - 29 -

ターリンといったロシア 史 上 の 偉 大 な 改 革 者 の 伝 統 を 引 き 継 ぐ 指 導 者 であることを 国 民 に 理 解 させたという 見 解 もある (5) 次 に 外 交 政 策 との 関 連 からロシアの 歴 史 政 策 を 分 析 した 研 究 も 2000 年 代 半 ば 以 降 増 加 し ている 特 に 2005 年 にモスクワで 開 催 された 対 独 勝 利 60 周 年 記 念 式 典 は 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 をめぐるロシアと 諸 外 国 の 対 立 を 浮 き 彫 りにした これ 以 降 ロシアと 旧 ソ 連 諸 国 な らびにヨーロッパ 諸 国 の 公 的 歴 史 認 識 との 対 立 がロシア 内 外 の 研 究 者 の 関 心 を 集 めている (6) これらの 研 究 は 第 二 次 世 界 大 戦 が 現 代 ロシアの 内 政 と 外 交 の 双 方 の 領 域 で 政 治 的 に 最 も 重 視 される 史 実 であり 続 けていることを 示 しているが その 多 くが 対 外 政 策 か 内 政 のいずれ かに 分 析 対 象 を 限 定 しており この 二 つの 領 域 の 相 互 作 用 が ロシアの 公 的 記 憶 の 形 成 に 与 える 影 響 を 分 析 するという 課 題 が 残 されている 先 行 研 究 のもう 一 つの 問 題 点 として 1990 年 代 のロシアの 民 主 化 のプロセスとプーチン の 大 統 領 就 任 後 の 歴 史 政 策 の 関 連 の 分 析 が 少 ないことが 挙 げられる たとえば 2009 年 前 後 に 活 発 化 した 記 憶 法 制 定 の 動 きを 検 証 したコポソフは ペレストロイカ 期 に 高 まった 歴 史 への 関 心 は 90 年 代 には 低 下 したが 2000 年 代 に 新 たな 高 揚 を 見 せていると 述 べる (7) し かし スミスが 指 摘 するように ソ 連 解 体 直 後 の 政 治 的 社 会 的 混 乱 と 生 活 水 準 の 低 下 ロ シアの 国 際 的 地 位 の 低 下 はロシア 社 会 のアイデンティティの 危 機 とソ 連 時 代 への 郷 愁 を 生 み 出 し 1993 年 の 選 挙 で 共 産 党 が 躍 進 する 背 景 を 作 りだした このことは 共 産 党 の 主 要 な 支 持 基 盤 である 退 役 軍 人 の 政 治 的 発 言 力 を 増 大 させ 国 家 的 アイデンティティの 源 泉 となりう る 第 二 次 世 界 大 戦 の 歴 史 への 政 治 的 関 心 の 高 まりをもたらしたと 指 摘 されている (8) つまり 第 二 次 世 界 大 戦 への 関 心 の 高 まりはエリツィン 政 権 後 期 にすでにみられた 現 象 であり プー チン 期 の 歴 史 政 策 を 理 解 するには 90 年 代 の 政 策 決 定 過 程 や 世 論 が 今 日 に 与 える 影 響 を 視 野 に 入 れる 必 要 があると 考 えられる これらの 問 題 点 を 克 服 することは 容 易 ではないが 本 稿 はその 第 一 歩 として ソ 連 解 体 後 のロシアにおける 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 をめぐる 政 治 的 社 会 的 論 争 を 歴 史 教 育 政 策 と 教 科 書 の 内 容 に 着 目 して 分 析 する 自 国 史 教 育 と 教 科 書 が 社 会 のアイデンティティの 形 成 に 与 える 影 響 の 大 きさは 広 く 認 識 されており ソ 連 解 体 後 のロシアの 歴 史 教 育 や 教 科 書 を 分 析 し た 研 究 も 多 数 存 在 する (9) しかし これらの 研 究 は 90 年 代 の 歴 史 教 育 や 教 科 書 あるいは 5 Miguel V. Liñán, History as a Propaganda Tool in Putin s Russia, Communist and Post- Communist Studies 43 (2010), p. 169. 6 その 例 として 橋 本 伸 也 旧 ソ 連 地 域 における 歴 史 の 見 直 しと 記 憶 の 政 治 :バルト 諸 国 を 中 心 に 歴 史 科 学 206 号 2011 年 10 30 頁 ; Liñán, History as a Propaganda Tool, pp. 169 171; Pavel Polian, For Whom Did the Tsar Bell Toll? Russian Politics and Law 48, no. 4 (2010), pp. 54 69; Копосов Н. Мемориальный закон и историческая политика в современной России // Ab Imperio. 2010. 2. С. 249 274. 7 Копосов. Мемориальный закон. C. 265. 8 Katheleen E. Smith, Mythmaking in the New Russia: Politics and Memory during the Yeltsin Era (Ithaca: Cornell University Press, 2002), pp. 158 160. 9 例 えば Мясникова О.Н. Школьное историческое образование: политика и практика (Россия, 1985 2004 гг.). Волгоград, 2007; Joseph Zajda and Rea Zajda, The Politics and Rewriting History: New History Textbooks and Curriculum Materials in Russia, International Review of - 30 -

教 科 書 におけるエリツィン 期 の 描 写 を 分 析 対 象 としており 近 年 出 版 された 教 科 書 のスター リン 時 代 の 描 写 はほとんど 分 析 されていない また Т.С. グゼンコヴァの 編 集 で 出 版 された 論 集 は 旧 社 会 主 義 諸 国 や 西 欧 諸 国 の 歴 史 教 科 書 における 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 の 比 較 分 析 を 試 みているが ここにはロシア 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 教 科 書 を 体 系 的 に 分 析 した 論 文 は 収 録 されていない (10) しかし 当 局 の 歴 史 教 育 政 策 を 分 析 するには ロシアで 出 版 されて いる 多 数 の 教 科 書 のうち 特 に 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けたものに 着 目 する 必 要 があると 思 わ れる (11) そこで 本 稿 では 1990 年 代 の 歴 史 教 育 政 策 や 教 科 書 の 記 述 と 近 年 の 歴 史 教 科 書 に 関 する 政 策 を 概 観 したうえで 2013/14 年 度 に 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けたロシア 史 教 科 書 のスター リン 時 代 と 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 を 検 討 する そのうえで 先 に 述 べたようなロシアの 民 主 化 の 失 敗 や 国 際 情 勢 とロシアの 歴 史 政 策 の 結 びつきに 関 する 先 行 研 究 の 見 解 についてあ らためて 考 察 したい 1. 1990 年 代 の 歴 史 教 科 書 ソ 連 時 代 の 歴 史 を 歴 史 教 育 でいかに 教 えるか 教 科 書 をどのように 書 くかという 問 題 はペ レストロイカ 期 の 政 治 改 革 の 中 で 大 きな 社 会 的 関 心 を 呼 んだが ソ 連 解 体 後 のロシアでも 新 国 家 の 建 設 という 困 難 な 課 題 に 直 面 する 中 で 歴 史 教 育 に 関 する 議 論 が 続 いた (12) 1990 年 代 には 欧 州 議 会 やヨーロッパの 歴 史 教 師 協 会 ユーロクリオ などの 国 際 組 織 との 協 力 によ り 歴 史 教 育 改 革 が 進 み 1992 年 にはロシア 教 育 省 (2004 年 に 教 育 科 学 省 に 改 組 )と 高 等 教 育 に 関 する 国 家 委 員 会 文 化 イニシアティヴ などの 国 際 組 織 が ロシアの 人 文 教 育 の 刷 新 プログラムを 発 表 した このプログラムは 歴 史 教 科 書 の 多 様 化 と 自 由 化 を 目 標 とし 2 年 間 にわたるソロス 財 団 の 支 援 を 得 て 実 現 した このプログラムにより 1993 94 年 には 約 400 冊 もの 教 科 書 や 参 考 書 が 新 たに 出 版 されたという (13) ソヴィエト 期 については ソ 連 時 代 の 教 科 書 の 記 述 と 類 似 したものやそれとは 距 離 を 置 く ものなど 多 様 な 解 釈 が 現 れたが (14) 90 年 代 の 新 たな 動 向 を 代 表 する 教 科 書 となったのが Education 49 (2003), pp. 363 384; Igor Ionov, New Trends in Historical Scholarship and the Teaching of History in Russia s Schools, in Ben Eklof, Larry E. Holmes and Vera Kaplan, eds., Educational Reform in Post-Soviet Russia: Legacies and Prospects (London: Frank Cass, 2005), pp. 291 308; Vera Kaplan, History Teaching in Post-Soviet Russia: Coping with Antithetical Traditions, in Eklof, Holmes and Kaplan, eds., Educational reform, pp. 247 271 などがある 10 Вторая мировая и Великая Отечественная войны в учебниках истории стран СНГ и ЕС: проблемы, подходы, интерпретации: Материалы международной конференции (Москва, 8 9 апреля 2010 года) / Под ред. Гузенковой Т.С. и др. М., 2010. この 論 文 集 については 注 46 参 照 11 教 育 科 学 省 の 教 科 書 推 薦 制 度 については 後 述 12 ペレストロイカ 期 から 90 年 代 のソ 連 史 の 見 直 しについては R.W. デイヴィス( 富 田 武 他 訳 ) ペ レストロイカと 歴 史 像 の 転 換 岩 波 書 店 1990 年 ;R.W. デイヴィス( 内 田 健 二 中 嶋 毅 訳 ) 現 代 ロシアの 歴 史 論 争 岩 波 書 店 1998 年 参 照 13 Мясникова. Школьное историческое образование. С. 64 65. 14 Zajda and Zajda, The Politics and Rewriting History, pp. 363 384; Ionov, New Trends in Historical Scholarship, pp. 291 308. - 31 -

И.И. ドルツキーの 10 年 生 用 の 教 科 書 であった この 教 科 書 は ロシアの 人 文 教 育 の 刷 新 プログラムが 実 施 したコンクールで 受 賞 した 教 科 書 の 一 つであり 著 者 ドルツキーの 草 稿 を もとに 出 版 社 が 読 者 に 募 った 改 訂 意 見 を 加 えて 完 成 した (15) 同 書 は 1993 年 に 教 育 省 の 推 薦 を 受 け その 後 7 版 を 重 ねた (16) ドルツキーの 教 科 書 の 特 徴 は 帝 政 ロシアとソ 連 の 国 家 的 犯 罪 や 国 家 組 織 の 非 効 率 性 を 示 し 両 者 が 人 道 的 かつ 自 由 な 近 代 化 に 失 敗 したことを 強 調 した 点 にあった (17) 執 筆 者 のド ルツキーは 序 論 で 学 者 も 教 師 も 絶 対 的 真 実 を 手 に 入 れているわけではない と 述 べ 70 年 間 におよぶ 祖 国 史 の 歪 曲 によって 形 成 された 神 話 を 越 えて 真 実 に 向 かわなければならな いと 記 している さらに この 教 科 書 には 統 一 された 見 解 は 存 在 しない とも 述 べて 読 者 は 多 様 な 見 解 の 中 から 最 も 信 頼 できるものや 自 分 の 見 解 に 最 も 近 いものを 選 択 することがで きるし あるいは 自 分 自 身 の 解 釈 を 示 すことができるとする このようにドルツキーは 読 者 との 対 話 と 共 同 の 探 求 が 教 科 書 の 基 盤 であることを 強 調 する (18) 第 二 次 世 界 大 戦 に 関 しては 同 時 代 に 出 版 された 多 くの 教 科 書 がミュンヘン 協 定 を 否 定 的 に 描 いたのに 対 して ヒトラーとスターリンを 戦 わせようとした 西 欧 諸 国 の 政 策 は 近 視 眼 的 であったものの スターリン 体 制 の 性 質 を 考 慮 すれば 道 徳 的 には 正 当 化 しうると 述 べて おり 宥 和 政 策 への 批 判 は 見 られない また 結 論 部 分 では ソ 連 と 西 欧 の 支 配 的 見 解 について 前 者 はソ 連 がドイツと 日 本 に 対 する 勝 利 に 決 定 的 役 割 を 果 たしたとし 後 者 はアメリカを 勝 利 の 建 設 者 民 主 主 義 の 武 器 庫 とみなしていることを 紹 介 する そのうえで どちらの 見 解 がより 適 切 であるか 第 二 次 世 界 大 戦 を 2 3 の 時 期 に 区 分 し それぞれの 時 期 を 比 較 して 検 討 せよという 課 題 を 生 徒 に 提 示 している (19) この 教 科 書 に 見 られるように 1990 年 代 に 作 成 された 教 科 書 は 生 徒 に 史 実 の 解 釈 の 多 様 性 を 教 えることを 重 視 した このような 教 科 書 がソ 連 解 体 の 直 後 に 出 版 されたことは ペ レストロイカ 期 から 続 く 自 国 史 像 への 社 会 的 関 心 の 高 まりと 研 究 の 進 展 の 成 果 だといえよ う しかし 急 激 な 改 革 は 同 時 に 教 育 現 場 に 混 乱 を 引 き 起 こした 教 科 書 出 版 の 自 由 化 によ り 教 科 書 の 種 類 が 急 増 しただけでなく ドルツキーの 教 科 書 のように 相 互 に 対 立 する 複 数 の 歴 史 解 釈 を 生 徒 に 示 す 教 科 書 が 現 れた このことは 歴 史 教 育 の 質 が 教 師 の 能 力 に 大 きく 左 右 されるという 状 況 を 生 み 出 しただけでなく 統 一 的 な 試 験 の 実 施 を 困 難 にしたといわれて いる (20) さらに ソロス 財 団 をはじめとする 西 欧 諸 国 の 支 援 を 受 けて 出 版 された 教 科 書 は 15 Долуцкий И.И. Отечественная история. ХХ век. Ч. 1. Учебник для Х класса сред. шк. М., 1994. С. 4. 16 イオノフはドルツキーの 教 科 書 を 現 存 の 最 良 の 教 科 書 と 評 価 し その 長 所 として 生 徒 との 対 話 を 工 夫 している 点 共 産 主 義 とリベラリズムの 双 方 から 距 離 を 置 き 公 平 な 描 写 を 試 みている 点 を 挙 げている Ionov, New Trends in Historical Scholarship, p. 303. 17 Thomas Sherlock, Historical Narratives in the Soviet Union and Post-Soviet Russia: Destroying the Settled Past, Creating an Uncertain Future (New York: Palgrave Macmillan, 2007), p. 169. 18 Долуцкий. Отечественная история. ХХ век. Ч. 1. C. 5. 19 Долуцкий И.И. Отечественная история. ХХ век. Ч. 2. Учебник для X XI класса сред. шк. М., 1996. C. 165; Sherlock, Historical Narratives, p. 171. 20 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 83 84; 国 立 中 央 現 代 史 博 物 館 館 長 С.А. アルハンゲロフへのインタビュー(2013 年 12 月 19 日 実 施 ) - 32 -

ロシアやソ 連 が 世 界 史 上 で 担 った 役 割 を 過 小 評 価 しているといった 批 判 も 起 こった (21) こ の 批 判 の 背 景 には ソ 連 解 体 後 の 急 激 な 生 活 水 準 の 低 下 やロシアの 国 際 的 地 位 の 低 下 それ がもたらしたアイデンティティの 危 機 といった 当 時 の 状 況 も 大 きな 影 響 を 与 えたと 考 えられ る こうしたなかで 2000 年 3 月 には ロシア 連 邦 総 合 教 育 研 究 所 が 歴 史 教 育 の 基 本 理 念 草 案 を 作 成 した この 草 案 は 統 一 的 な 教 育 空 間 と 平 等 な 教 育 を 受 ける 権 利 が 失 われて いるとして 歴 史 教 育 の 現 状 を 批 判 し 教 育 内 容 と 水 準 の 統 一 歴 史 教 育 への 統 一 的 アプ ローチの 作 成 など 統 一 という 用 語 を 繰 り 返 し 用 いて 歴 史 教 育 の 多 様 性 に 一 定 の 制 限 を 設 ける 必 要 性 を 訴 えた 草 案 は 専 門 家 の 抗 議 を 呼 び 結 局 採 択 されることはなかったが 91 年 以 降 の 歴 史 教 育 改 革 の 方 針 が 初 めて 公 的 批 判 の 対 象 となったという 意 味 で 一 つの 転 換 点 であったと 言 える (22) そしてこの 草 案 の 基 調 は 2000 年 代 にも 部 分 的 に 受 け 継 がれること となった 2. 愛 国 主 義 と 現 代 史 教 育 :2000 年 代 の 歴 史 教 育 改 革 2000 年 5 月 に 大 統 領 に 就 任 したプーチンは 当 初 から 国 民 意 識 や 愛 国 主 義 を 育 成 する 手 段 としての 歴 史 教 育 に 強 い 関 心 を 持 っていたと 言 われている 折 しもバルト 諸 国 やポーラン ドでは 1990 年 代 末 に 相 次 いで 第 二 次 世 界 大 戦 と 共 産 主 義 体 制 下 の 人 道 犯 罪 を 検 証 する 国 家 委 員 会 ないし 国 際 委 員 会 が 創 設 され 二 つの 全 体 主 義 による 占 領 下 で 生 じた 人 道 に 対 する 犯 罪 の 全 体 像 の 解 明 が 始 められていた (23) おそらくこうした 状 況 を 念 頭 に 置 いて 2001 年 6 月 22 日 の 大 祖 国 戦 争 開 戦 60 周 年 の 演 説 でプーチンは 次 のように 述 べている 第 二 次 世 界 大 戦 は 二 つの 全 体 主 義 イデオロギーによる 世 界 支 配 のための 戦 いに 過 ぎなかったと 言 われるのを 聞 くのは 悲 しいことです 英 雄 が 犯 罪 者 と 呼 ばれ 犯 罪 者 が 英 雄 と 呼 ばれるの を 見 ると 胸 が 痛 みます 大 祖 国 戦 争 はロシア 人 とドイツ 人 の 戦 いではありませんでした ソ 連 の 兵 士 は 同 盟 国 とともに 世 界 とドイツの 人 々を ファシズムという 疫 病 から 解 放 した のです (24) 2001 年 6 月 には 教 育 省 が 中 等 および 高 等 教 育 機 関 のロシア 現 代 史 教 科 書 を 審 査 するため に 専 門 家 を 選 出 し ロシア 科 学 アカデミー 世 界 史 研 究 所 所 長 А.О. チュバリヤンを 長 とする 作 業 グループが 編 成 された 審 査 の 結 果 作 成 された 報 告 書 は 現 在 の 教 科 書 の 長 所 として ソヴィエト 期 の 反 体 制 派 や 白 軍 の 活 動 1920 年 代 の 農 村 での 蜂 起 国 民 に 対 する 全 体 主 義 体 制 の 犯 罪 といった 以 前 の 教 科 書 にはなかった 問 題 を 新 たに 取 り 上 げている 点 を 指 摘 した それと 同 時 に 問 題 点 の 一 つとして 大 祖 国 戦 争 の 描 写 が 客 観 性 と 正 確 さを 欠 いており 戦 争 21 Кузнечевский В.Д. Без государственного взгляда на историю России (Вторая мировая и Великая Отечественная войны в школьных учебниках истории) // Вторая мировая и Великая Отечественная войны /Под ред. Гузенковой и др. С. 312. 22 Kaplan, History Teaching in Post-Soviet Russia, pp. 262 263. 23 橋 本 旧 ソ 連 地 域 における 歴 史 の 見 直 しと 記 憶 の 政 治 19 頁 24 http://archive.kremlin.ru/appears/2001/06/22/0000_type63374type82634type122346_28571.shtml (2015 年 1 月 16 日 閲 覧 ). 以 下 URL は 特 記 以 外 2015 年 1 月 16 日 現 在 有 効 - 33 -

の 英 雄 的 史 実 の 描 写 が 愛 国 主 義 教 育 の 観 点 から 不 十 分 であるとも 述 べた また 政 治 史 が 中 心 で 社 会 史 の 描 写 が 少 ないという 問 題 点 も 指 摘 された (25) 8 月 30 日 には 閣 議 がロシア 現 代 史 の 教 科 書 を 議 題 に 取 り 上 げ 現 在 の 教 科 書 は 絶 望 的 に 抽 象 的 であり あまりにも 政 治 化 されている などの 厳 しい 批 判 があがった (26) 続 いて 2002 年 初 頭 には В.М. フィリッ ポフ 教 育 相 が 教 科 書 数 を 削 減 する 意 向 を 表 明 した さらに 教 育 省 が 推 薦 する 教 科 書 は 著 者 の 見 解 ではなく 国 家 の 公 式 見 解 を 示 すべきだとして 同 省 の 教 科 書 推 薦 制 度 を 刷 新 すると 発 表 した (27) 歴 史 教 科 書 に 対 する 政 府 の 関 心 が 高 まるなか 2003 年 11 月 には 教 育 省 がドルツキーの 教 科 書 に 対 する 推 薦 の 取 り 消 しを 決 定 した 同 省 次 官 В.А. ボロトフは 決 定 の 理 由 は 同 書 が 著 者 の 主 観 を 過 度 に 反 映 させ 政 治 化 されていること 複 雑 な 史 実 を 否 定 的 側 面 のみから 解 釈 しており 史 実 に 対 する 政 治 的 評 価 が 偏 っているなどの 問 題 点 にあるとし このような 問 題 点 はソ 連 時 代 の 教 科 書 に 代 わる 観 点 が 必 要 とされた 1990 年 代 には 許 されたが 現 在 の 歴 史 教 育 は 異 なる 課 題 に 直 面 していると 主 張 した 決 定 採 択 の 契 機 となったのは 同 書 による 第 二 次 大 戦 の 否 定 的 描 写 を 批 判 した 軍 将 校 と 退 役 軍 人 からの 教 育 省 への 手 紙 であったとも 言 われている (28) さらに 教 育 相 フィリッポフがこの 教 科 書 に 否 定 的 態 度 を 示 したのは 同 書 がプーチン 政 権 を 権 威 主 義 的 独 裁 としたジャーナリスト Ю.Г. ブルチンと 2001 年 以 降 のロシアを 警 察 国 家 としたヤブロコ 党 首 Г.А. ヤヴリンスキーの 見 解 を 紹 介 し これら の 見 解 に 対 する 意 見 を 生 徒 に 求 めたためだという 指 摘 もある (29) 2003 年 11 月 にロシア 国 立 図 書 館 で 歴 史 家 と 対 談 したプーチンはこの 決 定 に 言 及 して 一 党 制 と 単 一 のイデオロギーが 歴 史 解 釈 から 消 えたことは 喜 ぶべきだとしながらも 自 らの 歴 史 と 国 家 への 尊 敬 を 教 育 しうる 歴 史 教 科 書 が 必 要 だと 発 言 した プーチンによれば 旧 体 制 を 破 壊 するという 課 題 に 直 面 していたエリツィン 期 に 歴 史 家 たちがソ 連 史 の 否 定 的 側 面 を 強 調 したことは 理 解 しうるが 現 在 のロシアは 建 設 的 課 題 に 直 面 しており 新 たな 教 科 書 が 必 要 なのであった (30) こうして 2000 年 代 の 歴 史 教 育 改 革 は 愛 国 主 義 の 育 成 という 新 た な 課 題 を 背 負 うことになった 他 方 でドルツキーの 教 科 書 に 対 する 教 育 省 の 推 薦 の 取 り 消 しは 歴 史 家 の 反 発 を 呼 んだ 科 学 アカデミーロシア 史 研 究 所 所 長 の A.Н. サハロフは 11 月 に 国 立 図 書 館 で 行 われたプーチ ンとの 会 談 の 際 もし 軍 将 校 が 学 者 に 教 科 書 の 書 き 方 を 強 要 することになれば それは 非 常 に 悪 いことです と 発 言 して 決 定 に 異 議 を 表 明 した サハロフは イズヴェスチヤ 紙 のインタビューに 対 して 若 者 や 退 役 軍 人 民 主 派 の 知 識 人 などすべての 人 が 愛 国 主 義 には 賛 成 するが 各 自 がそれぞれの 解 釈 で 愛 国 主 義 を 理 解 しているとして 国 民 性 と 愛 国 主 義 の 基 盤 には 歴 史 の 正 しい 理 解 がなければならない と 主 張 した また 同 世 界 史 研 究 所 所 長 の 25 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 79 81. 26 Kaplan, History Teaching in Post-Soviet Russia, p. 263. 27 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 76 78. 28 Иванова-Гладильщикова. Н. У нас в магазине спрашивают только учебник Долуцкого // Известия. 14.02.2004. С. 10. 29 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 104. 30 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 79 81; Sherlock, Historical Narratives, p. 172. - 34 -

チュバリヤンは 教 科 書 は 大 祖 国 戦 争 をより 愛 国 主 義 的 に 描 くべきだと 述 べるとともに 教 科 書 の 多 様 性 を 否 定 してはならないと 主 張 した モスクワ 大 学 心 理 学 講 座 長 の A.Г. アスモ ロフは 教 科 書 の 多 様 性 を 失 えば 我 々は 再 び 単 一 の 教 科 書 へ 転 落 することになるとし これ は 教 育 の 問 題 であるだけでなく ロシアが 開 かれた 市 民 社 会 と 閉 じられた 社 会 のどちら に 向 かうのかという 問 題 なのだと 主 張 した さらにモスクワ 国 立 教 育 大 学 歴 史 講 座 長 の A.А. ダニーロフも 研 究 の 自 由 化 と 視 点 の 多 様 化 を 90 年 代 の 主 要 な 達 成 の 一 つとしたうえで そこからの 静 かな 後 退 が 起 こっているのではないかという 危 惧 を 表 した (31) それと 同 時 に 教 育 省 の 決 定 に 同 意 する 声 も 歴 史 家 のなかには 存 在 した たとえば Л.Н. アレクサシキナは ドルツキーの 教 科 書 はソ 連 史 の 脱 神 話 化 に 大 きく 貢 献 したものの それ が 成 功 した 現 在 ではロシア 社 会 は 安 定 と 統 合 を 必 要 としており 愛 国 主 義 の 促 進 が 現 在 の 歴 史 教 育 の 重 要 な 課 題 なのだと 述 べる ドルツキーの 教 科 書 はこうした 状 況 の 変 化 を 考 慮 して おらず ソ 連 史 の 悲 劇 的 側 面 への 敬 意 を 欠 いているとして 彼 女 は 教 育 省 の 決 定 に 賛 同 し ている (32) また О.Н. ミャスニコヴァも 90 年 代 の 国 際 協 力 に 基 づく 歴 史 教 育 改 革 はロシ アが 諸 外 国 の 経 験 を 取 り 入 れる 機 会 をもたらすと 同 時 に 学 術 的 に 誤 った 教 科 書 や 反 愛 国 主 義 的 イデオロギーに 満 ちた 教 科 書 の 流 入 を 招 いたと 述 べる 彼 女 によれば 健 全 な 愛 国 主 義 は 悲 劇 的 な 史 実 を 含 めてすべての 歴 史 を 知 ることにより 生 まれるが 同 時 に 生 徒 が 自 国 を 誇 りに 思 えるような 肯 定 的 論 調 も 教 科 書 には 必 要 なのであった (33) 2013/14 年 度 に 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 教 科 書 の 著 者 であり 90 年 代 に 学 校 教 師 として 歴 史 を 教 えた 経 験 を 持 つ А.Ю. モロゾフは 教 師 が 自 由 に 教 育 できた 90 年 代 に 郷 愁 を 感 じ ると 述 べながらも 当 時 の 授 業 は 教 師 の 能 力 と 教 科 書 の 質 によって 大 きく 左 右 されるという 問 題 があったという またドルツキーの 教 科 書 は 対 象 年 齢 の 生 徒 にとって 難 解 であり 参 考 文 献 や 資 料 の 提 示 も 十 分 ではなかった したがって 政 府 は 教 科 書 の 多 様 性 を 維 持 しながらも その 質 を 保 障 するために 一 定 の 枠 を 定 める 必 要 があるとモロゾフは 主 張 する (34) 教 科 書 への 政 府 の 介 入 を 求 める 見 解 は 一 般 の 人 々にも 共 有 されている 2007 年 7 月 に 44 の 連 邦 構 成 主 体 に 住 む 1500 人 を 対 象 として 実 施 された 世 論 調 査 によれば 歴 史 教 科 書 は 多 様 な 見 解 を 提 示 すべきかという 問 いに 対 して 60%の 回 答 者 が 賛 成 すると 同 時 に ソ 連 時 代 の 統 一 的 教 科 書 に 基 づく 歴 史 教 育 システムと 現 在 の 複 数 の 教 科 書 に 基 づく 歴 史 教 育 のど ちらが 良 いかという 質 問 に 対 しては 52%の 人 が 前 者 のほうが 良 いと 答 えている さらに 政 府 の 歴 史 教 科 書 への 介 入 についても 56%の 回 答 者 が 当 局 は 教 科 書 の 内 容 を 統 制 すべきだと 答 え その 主 な 理 由 として そうしなければ 誤 りや 史 実 の 美 化 が 教 科 書 に 入 り 込 む 可 能 性 が あるという 理 由 を 挙 げた これに 対 して 教 科 書 の 統 制 に 反 対 する 回 答 者 は 13%にとどまっ た (35) これらの 調 査 結 果 は 多 くのロシア 人 が 歴 史 解 釈 の 多 様 性 と 政 府 による 教 科 書 の 質 31 Иванова-Гладильщикова. У нас в магазине. С. 10. 32 Sherlock, Historical Narratives, pp. 172 173. 33 Мясникова. Школьное историческое образование. C. 83 84. 34 筆 者 によるインタビュー(2013 年 12 月 18 日 実 施 ) 35 この 調 査 では 学 歴 の 違 いによる 回 答 の 差 異 は 目 立 たなかった Бавин П. Школьные учебники по истории какими им быть? 19.07.2007 [http://bd.fom.ru/report/map/d072906]. 教 科 書 の 内 容 の 統 一 を 望 む 声 が 多 いことは 2014 年 に 実 施 された 世 論 調 査 にも 反 映 されている これについては 後 述 - 35 -

の 保 障 がともに 必 要 だと 考 えていることを 示 している こうした 要 望 には 1990 年 代 の 歴 史 教 育 の 混 乱 の 経 験 が 影 響 を 与 えているのかもしれない このように ドルツキーの 教 科 書 や 90 年 代 の 歴 史 教 育 の 状 況 に 対 する 批 判 は 歴 史 家 や 社 会 のなかにも 存 在 したが その 理 由 は 自 国 史 の 否 定 的 描 写 だけに 限 定 されていたわけではな かった しかし その 後 まもなく 起 こった 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 をめぐる 国 際 的 論 争 は 歴 史 教 育 への 関 心 を 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 に 集 中 させることになった 3. 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 をめぐる 論 争 の 国 際 化 と 教 師 用 教 科 書 の 出 版 2005 年 5 月 にモスクワで 行 われた 対 独 戦 勝 60 周 年 記 念 式 典 は ロシアと 他 国 の 第 二 次 世 界 大 戦 の 認 識 の 違 いをあらためて 際 立 たせた EU の 東 方 拡 大 後 ヨーロッパでは 東 中 欧 諸 国 の 公 的 歴 史 認 識 をヨーロッパ 全 体 が 共 有 することが 新 たな 課 題 となり 欧 州 議 会 は 5 月 22 日 に 採 択 した ヨーロッパの 未 来 第 二 次 世 界 大 戦 60 周 年 のなかで ソ 連 が 東 欧 諸 国 にもたらした 専 制 を 含 む あらゆる 全 体 主 義 体 制 と 共 闘 することを 宣 言 した さらに 翌 年 には 同 議 員 会 議 が 全 体 主 義 的 共 産 主 義 体 制 の 犯 罪 への 国 際 的 非 難 の 必 要 性 を 採 択 した またブッシュ 大 統 領 とアメリカ 議 会 も ソ 連 の 支 配 をナチスの 占 領 と 同 一 視 するバルト 三 国 の 公 的 歴 史 観 に 賛 同 する 意 向 を 表 明 した こうした 国 際 社 会 の 動 向 に 対 して 多 くのロシアの 政 治 家 が 不 快 感 を 表 した たとえば 欧 州 議 会 のロシア 代 表 С.В. ヤストルゼムスキーは ソ 連 はバルト 諸 国 を 占 領 したのではなく 合 法 的 に 選 挙 されたバルト 諸 国 の 政 府 との 間 に は 合 意 があったと 主 張 した (36) こうした 国 際 社 会 の 動 向 のなかでロシアでは 2006 年 にロシア 現 代 史 の 教 師 用 教 科 書 の 作 成 が 始 まった 翌 年 出 版 されたこの 教 科 書 は 大 統 領 府 と 教 育 科 学 省 の 直 接 の 依 頼 で 作 られ たこと 編 者 の А.В. フィリッポフが 外 務 省 と 密 接 なつながりを 持 つシンクタンクの 副 所 長 であったことから 国 内 外 の 知 識 人 やメディアの 注 目 を 集 めた (37) 本 書 の 出 版 後 歴 史 と 社 会 科 学 の 教 師 と 会 談 したプーチンは ロシアの 多 くの 教 科 書 が 外 国 の 資 金 援 助 で 出 版 され ていることを 批 判 したうえで スターリン 期 の 抑 圧 の 歴 史 を 忘 却 してはいけないとしながら も 同 様 の 出 来 事 は 他 国 にも 存 在 した と 発 言 した 私 たちは 人 類 に 核 兵 器 を 用 いたこと はありません 私 たちはベトナム 戦 争 のように 大 量 の 化 学 兵 器 を 用 いたことはありません 36 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 をめぐるロシアとバルト 諸 国 EU アメリカの 対 立 については 小 森 宏 美 エストニアの 政 治 と 歴 史 認 識 三 元 社 2009 年 ; 橋 本 伸 也 歴 史 と 記 憶 の 政 治 :エストニ アの 事 例 を 中 心 に 塩 川 伸 明 小 松 久 男 沼 野 充 義 編 記 憶 とユートピア(ユーラシア 世 界 3) 東 京 大 学 出 版 会 2012 年 127 155 頁 ; 橋 本 旧 ソ 連 地 域 における 歴 史 の 見 直 しと 記 憶 の 政 治 10 30 頁 ; Russia Denies Baltic Occupation, BBC News, 5 May 2005 [http://news.bbc.co.uk/2/ hi/europe/4517683.stm]; Maria Mälksoo, The Memory Politics of Becoming European: The East European Subalterns and the Collective Memory of Europe, European Journal of International Relations 15, no. 4 (2009), pp. 653 680 参 照 欧 州 議 会 議 員 会 議 決 定 については http://assembly. coe.int/mainf.asp?link=/documents/adoptedtext/ta06/eres1481.htm 参 照 37 Alexei Miller, Russia: Power and History, Russian Politics and Law 48, no. 4 (2010), p. 18; Качуровская А. Исторический припадок // Коммерсант.ru. 16.07.2007 [http://www.kommersant. ru/doc/782464]. - 36 -

我 々の 歴 史 には 例 えばナチズムのような 他 の 暗 黒 のページは 存 在 しないのです プー チンはこのように 述 べて ヨーロッパ 諸 国 やアメリカによるスターリン 体 制 の 否 定 的 解 釈 に 異 議 を 唱 えると 同 時 に 歴 史 教 科 書 を 統 一 する 要 項 を 作 成 する 必 要 性 も 強 調 した (38) 同 時 期 には 教 育 科 学 省 の 国 家 政 策 と 規 範 法 規 制 部 門 代 表 の И.И. カリナも ノーヴァヤ ガゼ タ 紙 のインタビューに 答 えて ロシア 史 教 科 書 は 100%が 国 産 でなければならない ロ シア 史 教 科 書 はロシア 国 民 を 形 成 する 一 つの 重 要 な 手 段 であり 輸 入 品 であってはならない と 発 言 している (39) フィリッポフ 編 の 教 師 用 教 科 書 の 出 版 はロシア 内 外 の 知 識 人 や 人 権 団 体 ロシア 正 教 会 や メディアの 批 判 を 呼 び 新 たな 小 教 程 つまりソ 連 時 代 の 歴 史 教 科 書 のような 単 一 の 公 的 教 科 書 になるのではないかという 危 惧 が 表 明 された (40) 同 書 のスターリン 時 代 の 記 述 は 極 度 にバランスを 欠 いているとは 言 えないものの ソ 連 の 国 家 統 合 と 強 化 を 一 貫 して 重 視 し ており スターリン 体 制 下 における 工 業 化 や 教 育 水 準 の 向 上 などを 肯 定 的 に 描 きすぎている という 批 判 が 提 起 された (41) 例 えば 大 都 市 紙 が 編 者 フィリッポフと 他 の 歴 史 家 や 教 師 を 招 いた 会 議 では 大 テロルが 結 果 的 に 新 たなカードルの 養 成 につながったことを 強 調 する ことによって 政 治 的 抑 圧 を 正 当 化 しているといった 批 判 や グラーグが 工 業 化 に 労 働 力 を 提 供 したという 描 写 は 不 適 切 だという 意 見 が 提 起 された ソ 連 解 体 後 のロシアについても 事 実 に 反 して ロシアが 民 主 化 を 達 成 したと 描 写 しているという 批 判 が 挙 がった 他 方 で 祖 国 史 編 集 部 В.А. ネヴェジンは 周 辺 諸 国 が 歴 史 を 自 国 に 都 合 の 良 いように 書 くなかで グ ラーグを 思 い 出 す 必 要 があるのか と 述 べて 同 書 を 擁 護 し 諸 外 国 による 歴 史 の 歪 曲 の 一 例 として ポーランドでは スターリンは 1944 年 のワルシャワ 蜂 起 を 故 意 に 援 助 しなかっ たと 主 張 されていると 述 べた しかしこの 意 見 は 他 の 出 席 者 には 受 け 入 れられず 歴 史 家 Е.С. ガルキナは 周 辺 国 が 歴 史 を 歪 曲 しているとしても それは 我 々も 同 じことをすべきだとい う 理 由 にはならないと 反 論 した 会 議 の 最 後 には 編 者 フィリッポフも 現 在 の 歴 史 教 科 書 を 支 配 する 強 制 的 道 徳 から 逃 れようとした 結 果 逆 の 方 向 に 行 き 過 ぎてしまったと 述 べて 批 判 を 一 部 認 めるに 至 った (42) その 後 この 教 科 書 が 他 の 教 科 書 に 影 響 を 与 えることはなく 当 局 の 目 的 が 同 書 による 歴 史 教 科 書 の 内 容 の 統 制 にあったのだとすれば それは 不 成 功 に 終 38 Стенографический отчет о встрече с делегатами Всероссийской конференции преподавателей гуманитарных и общественных наук [http://archive.kremlin.ru/text/appears/2007/06/135323. shtml]. 39 Рыбина Л. Последний писк истории государства российского [http://www.novayagazeta.ru/ politics/33931.html]. 40 Thomas Sherlock, Confronting the Stalinist Past: The Politics of Memory in Russia, The Washington Quarterly (Spring 2011), pp. 97 98. 41 なお 本 書 は 1945 年 以 降 を 対 象 としており 第 二 次 大 戦 は 描 かれていない Филиппов А.В. Новейшая история России. 1945 2006 гг. Книга для учителя. М., 2007. 本 書 の 詳 細 については Vladimir Solonari, Normalizing Russia, Legitimizing Putin, Kritika: Explorations in Russian and Eurasian History 10, no. 4 (2009), pp. 835 884; David Wedgwood Benn, The Teaching of History in Putin s Russia, International Affairs 84, no. 2 (2008), pp. 365 370; Liñán, History as a Propaganda Tool, pp. 172 174. 42 Краткий Курс // Большой город. 3.08.2007 [http://bg.ru/society/kratkiy_kurs-6887/]. - 37 -

わったと 言 える しかしこれ 以 降 も 第 二 次 大 戦 やスターリン 体 制 の 評 価 をめぐる 国 際 社 会 特 に 欧 州 議 会 の 動 向 はロシアを 刺 激 しつづけた 2008 年 9 月 に 欧 州 議 会 は 独 ソ 不 可 侵 条 約 が 締 結 された 8 月 23 日 を スターリニズムとナチズムの 犠 牲 者 を 追 悼 する 欧 州 の 日 とする 決 定 を 採 択 し 続 いて 10 月 には 1930 年 代 初 頭 にウクライナで 起 こった 飢 餓 を 人 災 により 引 き 起 こされた ものとして 追 悼 する 決 定 を 採 択 した さらに 翌 年 には ヨーロッパにおけるナチズムや 共 産 主 義 体 制 権 威 主 義 体 制 の 犠 牲 者 を 追 悼 する ヨーロッパの 良 心 と 全 体 主 義 に 関 する 決 定 が 採 択 された (43) こうした 国 際 情 勢 のなかで 2009 年 5 月 には ロシア 大 統 領 府 に ロシアの 利 益 を 害 する 歴 史 の 歪 曲 に 対 抗 する 大 統 領 委 員 会 ( 大 統 領 委 員 会 ) が 設 置 された この 組 織 については すでに 多 くの 研 究 があるため 詳 細 は 省 くが 委 員 会 の 代 表 には 当 時 大 統 領 府 長 官 であった С.Е. ナルイシキンが 副 代 表 には 教 育 科 学 省 副 大 臣 カリナらが 就 任 し 大 統 領 府 や 法 務 省 文 化 省 国 防 省 外 務 省 など 国 家 機 関 の 高 官 が 委 員 の 中 心 となった 歴 史 家 としては ロシ ア 科 学 アカデミー 世 界 史 研 究 所 所 長 チュバリヤンや 同 ロシア 史 研 究 所 所 長 サハロフのほか に ナショナリスティックな 歴 史 像 の 普 及 を 目 指 す 歴 史 的 展 望 研 究 所 代 表 Н.А. ナロチ ニツカヤが 加 わった このほかにジャーナリストで 社 会 院 の 民 族 間 関 係 と 良 心 の 自 由 委 員 会 代 表 Н.К. スヴァニッゼも 委 員 となった (44) 委 員 会 は 第 一 回 会 議 で 歴 史 教 科 書 の 問 題 を 審 議 しており フィリッポフ 編 の 教 師 用 教 科 書 の 出 版 時 と 同 様 に 歴 史 認 識 を 政 治 的 に 統 制 するための 検 閲 組 織 になるのではないかという 危 惧 が 多 くの 知 識 人 から 表 明 された (45) 大 統 領 委 員 会 は 2012 年 2 月 まで 活 動 を 続 け 第 二 次 世 界 大 戦 に 関 する 史 料 集 や 研 究 書 の 出 版 援 助 国 際 会 議 の 開 催 アルヒーフ 資 料 の 公 開 促 進 などを 行 ったが 結 局 歴 史 教 育 や 教 科 書 に 直 接 介 入 することはなかった 委 員 の 一 人 であった 歴 史 家 チュバリヤンは ヴレー ミャ 紙 のインタビューで 委 員 が 作 成 に 加 わった 複 数 の 書 籍 の 中 に 第 二 次 世 界 大 戦 につい て 対 立 する 評 価 が 見 られることから 委 員 会 には 重 要 な 史 実 についてさえも 統 一 的 見 解 が 存 在 しなかったのではないかと 問 われて それは 委 員 会 に 対 する 政 治 的 圧 力 がなく 委 員 の 間 で 自 由 な 議 論 が 行 われていたためだと 答 えて 委 員 会 の 活 動 を 肯 定 的 に 評 価 した (46) 43 http://www.europarl.europa.eu/sides/getdoc.do?pubref=-//ep//text+ta+p6-ta- 2008-0523+0+DOC+XML+V0//EN; http://www.europarl.europa.eu/sides/getdoc. do?type=ta&reference=p6-ta-2008-0439&language=en; http://www.europarl.europa.eu/sides/ getdoc.do?pubref=-//ep//text+ta+p6-ta-2009-0213+0+doc+xml+v0//en 44 http://www.rg.ru/2009/05/20/komissia-dok.html 委 員 会 の 詳 細 とその 設 置 に 関 する 世 論 について は 寺 山 恭 輔 反 歴 史 捏 造 委 員 会 とロシアにおける 歴 史 観 をめぐる 闘 争 ロシアの 政 策 決 定 : 諸 勢 力 と 過 程 日 本 国 際 問 題 研 究 所 2010 年 149 165 頁 参 照 45 例 えば 人 権 団 体 メモリアル は 委 員 会 の 創 設 に 反 対 する 声 明 を 発 表 し 歴 史 家 ニコライ コポ ソフらは サンクトペテルブルクの 欧 州 大 学 で 歴 史 の 自 由 のために と 題 された 記 者 会 見 と 会 議 を 組 織 した Косинова Т. Дискуссия о борьбе с «фальсификацией истории» в Петербурге // Cogita!ru. 06.06.2009 [http://www.cogita.ru/pamyat/kultura-pamyati/diskussiya-o-borbe-sfalsifikaciei-istorii-v-peterburge]. 46 Александр Чубарьян: Обойтись без перехлестов // Время. 21.01.2010 [http://www.vremya. ru/2010/8/13/245798.html]. たとえば 委 員 会 は 旧 ソ 連 諸 国 の 教 科 書 における 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 の 比 較 分 析 を 試 みた 国 際 シンポジウムの 開 催 (2010 年 4 月 )と 学 術 論 集 (Вторая мировая и - 38 -

これに 対 して 愛 国 主 義 的 歴 史 像 の 普 及 を 目 的 とする 民 間 組 織 歴 史 記 憶 財 団 代 表 А.Р. デューコフは 委 員 の 一 人 である 社 会 院 議 員 スヴァニッゼがソ 連 によるバルト 諸 国 の 編 入 を 占 領 と 公 的 な 場 で 発 言 したにもかかわらず 委 員 会 がこの 発 言 に 何 ら 反 応 しなかったこ とを 批 判 して 大 統 領 委 員 会 の 活 動 には 一 貫 した 方 針 がなく 東 欧 諸 国 による 歴 史 の 歪 曲 に 対 抗 することができなかったと 主 張 する (47) このように 大 統 領 委 員 会 に 対 するチュバリ ヤンとデューコフの 評 価 は 対 照 的 だが 委 員 会 の 活 動 に 厳 格 な 政 治 的 統 制 が 存 在 しなかった という 認 識 は 共 有 されていると 言 えよう 4. ロシア 歴 史 協 会 の 創 設 と 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 の 作 成 大 統 領 委 員 会 の 廃 止 は ロシアの 利 益 を 害 する 歴 史 像 に 対 抗 しようとする 当 局 の 試 み が 終 わったことを 意 味 してはいなかった 2012 年 11 月 に 開 かれた 連 邦 構 成 地 方 政 策 地 方 自 治 北 方 問 題 に 関 する 連 邦 委 員 会 会 議 は 歴 史 の 歪 曲 との 対 抗 について 審 議 し この 問 題 は 依 然 として 重 要 な 政 治 的 課 題 であるとの 認 識 を 示 した この 会 議 には 連 邦 構 成 主 体 や 政 府 機 関 アルヒーフ マスメディアの 代 表 と 歴 史 家 が 参 加 し 2012 年 2 月 に 廃 止 さ れた 大 統 領 委 員 会 はあらゆる 歴 史 の 歪 曲 の 問 題 を 解 決 したわけではないとして その 例 とし てナチズムとスターリニズムの 同 一 視 ロシアに 編 入 された 諸 民 族 の 友 好 的 関 係 の 否 定 など を 挙 げ ロシア 歴 史 協 会 でこの 問 題 に 引 き 続 き 取 り 組 むべきだと 結 論 した (48) ロシア 歴 史 協 会 (Российское историческое общество)は 2012 年 に 創 設 された 社 会 団 体 であり その 目 的 に 歴 史 の 歪 曲 との 対 抗 に 加 えて 国 民 的 記 憶 を 保 存 することでロシアの 社 会 と 政 府 知 識 人 芸 術 家 歴 史 家 を 統 合 することなどを 掲 げている (49) 代 表 には 大 統 領 委 員 会 と 同 様 にナルイシキンが また 共 同 代 表 には 同 委 員 会 のメンバーであった 歴 史 家 チュバリヤンが 就 任 した (50) ナルイシキンは 2011 年 12 月 に 大 統 領 府 長 官 を 辞 して 下 院 議 長 に 就 任 しており このことが 大 統 領 委 員 会 の 廃 止 とロシア 歴 史 協 会 の 創 設 そして 同 協 会 が 歴 史 の 歪 曲 との 対 抗 という 課 題 を 継 承 した 要 因 だと 考 えられる 2013 年 2 月 に 開 催 された 民 族 間 関 係 委 員 会 でプーチンは 連 邦 内 の 諸 民 族 の 相 互 理 解 を 深 める 手 段 として ロシア 語 教 育 とともにロシア 史 教 育 に 言 及 した プーチンは 生 徒 の 多 様 な 年 齢 に 対 応 すると 同 時 に 単 一 の 枠 組 み に 基 く 歴 史 教 科 書 が 必 要 だと 述 べ 歴 史 教 科 書 はロシアのあらゆる 歴 史 を 敬 い 内 容 に 矛 盾 が 無 く ロシアの 運 命 が 多 様 な 民 族 や 伝 統 Великая Отечественная войны / Под. ред. Гузенковой и др.)の 出 版 を 援 助 する 一 方 で 第 二 次 世 界 大 戦 でのソ 連 の 勝 利 を 東 欧 にとっての 敗 北 とする 歴 史 の 歪 曲 との 対 抗 を 目 的 とした 論 文 集 (Великие войны XX столетия / Под ред. Нарочницкой Н.М., 2010)の 出 版 も 援 助 している 47 デューコフは ウクライナの 国 民 記 憶 院 のような 政 府 組 織 をロシアにもつくるべきだと 主 張 して いる Полубота А. С фальсификацией истории покончено // Свободная Пресса. 21.03.2012 [http://svpressa.ru/society/article/53717]. 48 http://region.council.gov.ru/activity/round_tables/30331 49 http://rushistory.org/?page_id=23 50 http://rushistory.org/wp-content/uploads/2013/11/ 歴 史 家 モロゾフは ロシア 歴 史 協 会 は 上 から のイニシアティヴで 組 織 された 官 製 団 体 に 等 しいという 筆 者 によるインタビュー(2013 年 12 月 18 日 実 施 ) - 39 -

文 化 によって 形 成 されたことを 示 すものでなければならないと 主 張 した これに 加 えて 教 育 科 学 省 の 専 門 家 だけでなくロシア 歴 史 協 会 と 軍 事 史 協 会 もこのような 教 科 書 の 作 成 に 参 加 すべきだと 発 言 した 続 いて 翌 月 には 教 育 科 学 相 Д.В. リヴァノフがテレビ 番 組 の 中 でこの 提 案 に 同 意 を 示 し プーチンが 言 及 した 新 たな 歴 史 教 科 書 は 1 年 で 作 成 可 能 だという 見 込 み を 表 明 した (51) これらの 発 言 を 受 けて ロシア 歴 史 協 会 内 にロシア 史 教 科 書 の 基 本 指 針 となる 新 たな 祖 国 史 教 科 書 教 育 法 参 考 書 の 概 念 ( 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 ) を 作 成 するための 作 業 グループ が 組 織 された 作 業 グループは 教 育 科 学 相 リヴァノフや 歴 史 家 芸 術 家 など 35 人 から 構 成 され 代 表 には 同 協 会 と 同 様 にナルイシキンとチュバリヤンが 就 任 した (52) ただし 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 草 案 を 審 議 したロシア 歴 史 協 会 拡 大 会 議 に 出 席 した 国 立 中 央 現 代 史 博 物 館 館 長 アルハンゲロフは 草 案 作 成 はすでに 2012 年 に 科 学 アカデミーの 18 人 の 歴 史 家 によっ て 開 始 されていたという 報 告 を 聞 いたという (53) したがってロシア 史 教 科 書 の 指 針 作 成 の 試 み 自 体 は 大 統 領 委 員 会 が 廃 止 された 2012 年 から 続 いており それを 引 き 継 ぐ 形 でロシア 歴 史 協 会 を 中 心 とする 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 の 作 成 作 業 が 始 まったと 推 測 される 7 月 1 日 には 概 念 の 草 稿 がロシア 歴 史 協 会 ロシア 軍 事 史 協 会 歴 史 と 社 会 科 学 の 教 師 協 会 のウェブサイトや Live Journal の 教 育 科 学 省 の 公 式 ウェブサイトで 発 表 された こ れらのサイトや 会 議 を 通 して 教 師 や 保 護 者 退 役 軍 人 など 1000 人 以 上 の 人 々が 草 稿 の 審 議 に 加 わったという また 草 稿 の 審 議 はほぼすべての 連 邦 構 成 主 体 でも 行 われた ロシア 歴 史 協 会 によれば これらの 審 議 のなかで 特 に 議 論 が 集 中 したのは 20 世 紀 史 に 関 する 問 題 であっ たという (54) 一 連 の 審 議 を 経 て 草 案 は 2013 年 10 月 に 開 かれたロシア 歴 史 協 会 会 議 で 正 式 に 承 認 さ れた 序 文 によれば 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 の 目 的 はロシア 史 に 関 する 社 会 的 コンセンサ ス の 形 成 にあり 概 念 は 古 代 から 現 代 までのロシア 史 の 概 説 を 時 系 列 に 記 述 している これに 加 えて 教 科 書 に 描 かれるべき 重 要 な 史 実 と 人 物 年 表 が 記 されている たとえば 第 二 次 大 戦 期 については 戦 争 を 3 つの 時 期 に 区 分 したうえで この 戦 争 で 最 大 の 犠 牲 者 を 出 したのがソ 連 であったこと 戦 争 は 全 国 民 の 祖 国 戦 争 であり 聖 戦 であったことな どが 記 述 されている こうした 記 述 と 現 在 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けている 教 科 書 の 内 容 との 間 には 目 立 つ 差 異 は 見 られない 全 体 として 概 念 は 特 定 の 歴 史 解 釈 を 提 示 した 51 http://www.kremlin.ru/news/17536; ИТАР-ТАСС. 18.03.2013 [http://itar-tass.com/ obschestvo/584091]. 52 http://rushistory.org/wp-condtent/uploads/2013/11/ 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 の 作 成 については 半 谷 史 郎 氏 にご 教 示 をいただいた 53 筆 者 によるインタビュー(2013 年 12 月 19 日 実 施 ) 国 立 中 央 現 代 史 博 物 館 は ロシア 歴 史 協 会 の 法 人 会 員 の 一 つである 54 http://rushistory.org/wp-content/uploads/2013/11/ なお タタルスタン 共 和 国 の 科 学 アカデミー 副 総 裁 との 審 議 を 経 て 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 では タタールのくびき という 用 語 を 用 いない ことになった Новоселова Е. Кто попал в историю // Российская Газета, 01.10.2013 [http:// www.rg.ru/2013/10/01/uchebnik.html]; Из российской истории исчезнет «татаро-монгольское иго» // ZU, UA, 30.10.2013 [http://zn.ua/world/iz-rossiyskoy-istorii-ischeznet-tataromongolskoe-igo-131879_.html]. - 40 -

というよりも 教 科 書 に 書 くべき 史 実 を 列 挙 したものであり さらに 巻 末 には ロシア 史 の 困 難 な 問 題 つまり 激 しい 論 争 が 存 在 し 教 育 が 困 難 である 問 題 のリストも 添 付 され ている このリストは 歴 史 家 モロゾフが 教 育 方 法 論 の 参 考 書 のために 作 成 したリストを 改 訂 したものであり スターリン 期 に 関 しては 一 党 制 とスターリン 独 裁 の 成 立 の 要 因 と 結 果 政 治 的 抑 圧 の 要 因 第 二 次 大 戦 前 後 のソ 連 の 外 交 政 策 の 評 価 戦 勝 の 代 償 といった 項 目 が 並 んでいる (55) ロシアの 主 要 な 人 権 団 体 の 一 つであるサハロフ センター 代 表 の С.М. ルカシェフスキーは 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 を 作 成 したのは 著 名 な 歴 史 家 たちであるにも かかわらず 彼 らはロシア 史 上 の 困 難 な 問 題 を 回 避 して それらに 明 確 な 判 断 を 示 さなかっ たと 述 べる 彼 によれば これは 自 由 な 議 論 の 余 地 を 今 後 に 残 したという 点 では 肯 定 的 に 評 価 しうるが 現 在 のロシア 社 会 に 自 国 史 に 対 する 共 通 見 解 が 存 在 しないことを 示 してもいる という (56) 現 在 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 世 界 史 とロシア 史 の 教 科 書 が 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 に 適 合 しているかどうかを 審 査 する 作 業 がロシア 科 学 アカデミー ロシア 教 育 科 学 アカデミー モスクワ 国 際 関 係 大 学 ロスアルヒーフなどの 専 門 家 により 進 められており 今 後 の 動 向 が 注 目 される (57) 他 方 で 2014 年 6 月 に 実 施 された 世 論 調 査 によれば 概 念 の 作 成 につい てよく 知 っていると 答 えたのは 11% に 過 ぎず 聞 いたことがあるが 詳 細 は 知 らない また は 初 めて 聞 いたという 回 答 がそれぞれ 35% と 52%を 占 めており 調 査 の 時 点 では 概 念 作 成 に 対 する 社 会 的 関 心 はそれほど 高 くなかったことがうかがわれる それと 同 時 に 54% がこの 試 みを 支 持 するとも 答 えており 反 対 という 回 答 の 16% を 大 きく 上 回 った 賛 成 の 理 由 として 最 も 多 かったのは 教 科 書 には 統 一 的 な 規 格 と 歴 史 に 対 する 見 方 が 必 要 であると いう 回 答 であり(25% 自 由 回 答 複 数 回 答 可 ) 前 述 の 2007 年 の 世 論 調 査 と 同 様 に 歴 史 教 科 書 には 一 定 の 枠 組 みが 必 要 だという 意 見 が 多 くの 人 に 共 有 されているようである (58) しかし 知 識 人 の 多 くは 教 科 書 の 多 様 性 を 維 持 すべきだと 考 えており 当 局 も 歴 史 教 育 へ の 政 治 的 介 入 に 対 する 強 い 反 発 を 良 く 理 解 しているように 思 われる 2014 年 1 月 16 日 に 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 の 作 成 者 と 会 談 したプーチンは この 概 念 の 作 成 は 政 府 が 国 史 の 解 釈 を 統 一 することや 学 術 的 議 論 の 終 わりを 意 味 するわけではないと 強 調 した ナルイシキ ンも 同 様 に 新 たな 小 教 程 つまりソ 連 時 代 のような 単 一 の 歴 史 教 科 書 が 作 成 されている のではないかという 憶 測 が 社 会 に 広 まっていると 述 べたうえで これを 明 確 に 否 定 した (59) これらの 発 言 からは 歴 史 教 育 への 政 治 的 介 入 を 警 戒 する 知 識 人 への 一 定 の 配 慮 がうかがわ れる あるいはスターリン 時 代 を 無 条 件 に 復 権 すれば 社 会 の 中 のいまだ 癒 えない 傷 を 55 http://rushistory.org/wp-content/uploads/2013/11/ 56 筆 者 によるインタビュー(2013 年 12 月 12 日 実 施 ) 57 審 査 結 果 は 2015 年 3 月 1 日 までに 公 表 される 予 定 である Новая концепция преподавания истории: единообразие, но не единомыслие. 18.11.2014 [http://минобрнауки.рф/%d0%bd% D0%BE%D0%B2%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%B8/4601]. 58 調 査 は 42 の 連 邦 構 成 主 体 に 住 む 1600 人 を 対 象 として 行 われた Единый учебник истории: за и против [http://wciom.ru/index.php?id=459&uid=114349]. 59 Встреча с авторами концепции нового учебника истории. 16.01.2014 [http://www.kremlin.ru/ news/20071]. - 41 -

再 び 開 く 危 険 性 があるという 認 識 (60) が 歴 史 教 科 書 への 政 治 的 介 入 に 当 局 が 慎 重 な 姿 勢 を 示 す 一 因 になっているとも 考 えられる そもそも 大 統 領 府 に 設 置 された 委 員 会 ではなく 社 会 団 体 であるロシア 歴 史 協 会 を 祖 国 史 教 科 書 の 概 念 作 成 の 中 心 に 置 いたこと 自 体 が 歴 史 教 育 に 対 する 政 治 的 統 制 への 反 発 を 回 避 する 手 段 であったとも 考 えられる 5. 9 年 生 用 ロシア 史 教 科 書 の 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 これまで 見 てきたように 近 年 のロシアでは 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 をめぐる 諸 外 国 との 対 立 を 背 景 として 歴 史 教 科 書 の 内 容 を 統 一 しようとする 動 きが 続 いているが 現 在 学 校 で 使 用 されている 歴 史 教 科 書 は 第 二 次 世 界 大 戦 をどのように 描 いているのだろうか はじめに 述 べたように 教 科 書 の 内 容 に 介 入 しようとする 政 治 指 導 部 の 動 向 には 多 くの 研 究 が 着 目 してい るが 実 際 に 学 校 で 用 いられている 教 科 書 の 内 容 特 に 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 教 科 書 の 内 容 を 分 析 した 研 究 は 管 見 の 限 りでは 存 在 しない 現 在 の 普 通 学 校 の 歴 史 教 育 では まず 5 年 生 で 中 国 とギリシャ インドの 古 代 史 を 学 び 次 に 6 年 生 から 9 年 生 では 世 界 史 とロシア 史 を 並 行 して 時 系 列 に 学 ぶ 20 世 紀 のロシア 史 を 学 ぶのは 9 年 生 である その 後 10,11 年 生 で 世 界 史 とロシア 史 の 授 業 が 繰 り 返 され 11 年 生 で 20 世 紀 のロシア 史 を 再 び 学 ぶが これらの 学 年 での 学 習 内 容 は 高 等 教 育 機 関 への 入 学 試 験 と 密 接 に 結 びついている (61) そこ で 本 節 では 2013/14 年 度 に 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 普 通 学 校 の 9 年 生 用 教 科 書 を 対 象 とし て スターリン 期 と 第 二 次 世 界 大 戦 の 描 写 を 分 析 する ロシアでは 多 くの 歴 史 教 科 書 や 参 考 書 が 出 版 されているが 前 述 のように その 一 部 は 教 育 科 学 省 により 公 的 に 推 薦 あるいは 承 認 されており 毎 年 これらの 教 科 書 のリスト が 同 省 により 発 表 される (62) このリストに 掲 載 されるには ロシア 科 学 アカデミーやロシ ア 教 育 科 学 アカデミー あるいは 他 の 機 関 の 専 門 家 による 鑑 定 を 経 る 必 要 がある この 鑑 定 結 果 は さらに 教 育 科 学 省 の 専 門 家 によって 審 査 される (63) リストに 掲 載 されていない 教 科 書 を 購 入 することも 可 能 だが リストに 掲 載 された 教 科 書 は 国 費 で 支 給 されるため ほと んどの 学 校 がこの 中 から 教 科 書 を 選 択 するという (64) 2013/14 年 度 の 教 育 科 学 省 の 推 薦 教 科 書 のリストには 10 冊 の 9 年 生 用 ロシア 史 教 科 書 が 掲 載 されているが そのうち 一 冊 は 入 手 できなかったため 本 節 では 残 る 9 冊 の 内 容 を 分 析 する 60 Sherlock, Confronting the Stalinist Past, p. 94. 61 歴 史 家 モロゾフに 対 するインタビュー(2013 年 12 月 18 日 実 施 ) 62 2013/14 年 度 の 普 通 学 校 用 推 薦 教 科 書 については http://www.rg.ru/2013/02/08/uchebniki-dok. html 参 照 63 専 門 家 と 教 育 科 学 省 の 審 査 を 通 過 した 教 科 書 のうち 全 学 年 の 教 科 書 がすべて 完 成 しているも のは 推 薦 教 科 書 一 部 の 学 年 の 教 科 書 しか 作 成 されていないものは 承 認 教 科 書 のリス トに 掲 載 される 推 薦 制 度 の 詳 細 については Билецкая М. Анализ правового регулирования и существующего порядка обеспечения Министерством образования и науки Российской Федерации повышения качества учебной литературы [http://www.urokiistorii.ru/learning/ manual/2009/05/analiz]. 64 Miller, Russia: Power and History, p. 33. - 42 -

1)スターリン 時 代 の 描 写 まず 第 二 次 世 界 大 戦 を 含 むスターリン 時 代 全 体 の 描 写 を 概 観 すると すべての 教 科 書 が 最 先 端 の 研 究 成 果 を 取 り 入 れて 当 時 の 政 治 や 経 済 社 会 文 化 の 多 面 性 を 示 そうとしているこ とが 見 て 取 れる Н.В. ザグラディン С.Т. ミナコフ С.И. コズレンコ Ю.А. ペトロフの 教 科 書 は 序 文 で 20 世 紀 は 祖 国 史 のなかで 最 も 困 難 で 矛 盾 した 時 代 であり ロシアにとっ て 大 きな 飛 躍 と 凋 落 達 成 とカタストロフの 時 代 であったと 説 明 しているが この 理 解 は 他 の 教 科 書 にも 共 有 されている (65) たとえば 大 テロルについて 説 明 した В.В. スホフ モロゾフ Э.Н. アブドゥラエフの 教 科 書 は 大 テロルの 拡 大 の 要 因 は 政 治 指 導 部 による 抑 圧 的 政 策 だけでなく 普 通 の 人 々の 上 昇 志 向 や 個 人 的 敵 対 心 住 居 を 手 に 入 れたいという 望 みもその 背 景 に 存 在 したと 説 明 する (66) О.В. ヴォロブエフ В.В. ジュラヴレフ А.П. ネナロコフ А.Т. ステパニシチェフの 教 科 書 は 1930 年 代 のソ 連 では 情 熱 と 抑 圧 古 い 社 会 の 伝 統 との 闘 争 全 人 類 的 な 規 範 の 忘 却 啓 蒙 への 志 向 と 大 衆 意 識 の 公 然 たる 操 作 といった 相 容 れない 現 象 が 同 時 に 起 こったとし これがソ 連 の 全 体 主 義 の 基 本 的 特 徴 だとする 同 書 は この 時 代 には 新 たな 生 活 の 建 設 への 情 熱 と 飢 餓 や 抑 圧 イデオロギー 独 裁 という 悲 劇 が 密 接 に 織 り 交 ぜられていたとも 述 べ このような 矛 盾 の 原 因 は 何 かという 問 いを 授 業 中 のディスカッションの 課 題 の 一 つとして 生 徒 に 提 起 している (67) この 課 題 と 同 様 に それぞれの 教 科 書 の 節 や 章 の 末 尾 には 生 徒 への 課 題 が 掲 載 されており 生 徒 自 身 に 史 実 の 意 味 を 考 えさせようとする 工 夫 がみられる たとえばスホフらの 教 科 書 は 電 子 データベース グラーグの 回 想 とその 著 者 たち を 用 いて 1930 年 代 の 政 治 的 抑 圧 の 犠 牲 者 となった 人 々の 生 涯 について 調 査 せよという 課 題 を 課 している またスターリン 時 代 を 生 きた 多 くの 人 々が 大 テロルの 抑 圧 を 受 けた 人 々は 実 際 に 罪 を 犯 したと 考 えたとし そ の 理 由 を 考 察 するように 求 めている (68) 他 方 で Д.Д. ダニーロフ Д.В. リセイツェフ В.А. クロコフ А.В. クズネツォフ С.С. クズネツォヴァ Н.С. パヴロヴァ В.А. ロゴシキン の 教 科 書 は 生 徒 に 対 して なぜ 1930 年 代 に 政 治 的 抑 圧 を 受 けた 人 々はスターリン 体 制 を 肯 定 的 に 捉 えたのか あるいは 非 難 しなかったのかという 問 いを 投 げかけている (69) スター リン 体 制 下 の 政 治 と 社 会 の 関 係 を 生 徒 に 理 解 させようとするこれらの 課 題 には 政 治 史 と 比 較 して 社 会 史 の 記 述 が 少 なかったと 言 われる 90 年 代 の 教 科 書 からの 大 きな 変 化 が 見 られる スターリン 時 代 の 農 村 の 状 況 は 概 して 否 定 的 に 描 かれている たとえばザグラディンらの 教 科 書 は 強 制 的 な 農 業 集 団 化 は 農 村 にカタストロフをもたらしたと 述 べる (70) В.С. イズ 65 Загладин Н.В., Минаков С.Т., Козленко С.И., Петров Ю.А. История России. ХХ век. 11-е изд. М., 2013 [10,000]. С. 5([ ] 内 は 発 行 部 数 ) 66 Сухов В.В., Морозов А.Ю., Абдулаев Э.Н. История России. 6-е изд. М., 2013 [2000]. C. 194. 67 Волобуев О.В., Журавлев В.В., Ненароков А.П., Степанищев А.Т. История России. ХХ начало ХХI века. 8-е изд. М., 2010 [5,000]. C. 138, 159. 68 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 194. 69 Данилов Д.Д., Лисейцев Д.В., Клоков В.А., Кузнецов А.В., Кузнецова С.С., Павлова Н.С., Рогожкин В.А. История России. Учебник. ХХ начало ХХI века. 3-е изд. М., 2012 [13,000]. C. 183. 70 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. С. 114. - 43 -

モジク О.Н. ジュラヴリョーヴァ С.Н. ルドニクの 教 科 書 は 人 口 増 加 や 短 期 間 での 教 育 水 準 の 向 上 といった 都 市 の 発 展 は 農 村 の 犠 牲 によって 達 成 されたのであり 飢 餓 と 政 治 的 抑 圧 は 数 百 万 人 の 死 者 を 出 したとし そのためスターリン 時 代 とその 代 償 は 現 在 も 常 に 激 しい 論 争 を 呼 んでいると 説 明 する (71) В.А. シェスタコフ М.М. ゴリノフ Е.Е. ヴャゼムスキー の 教 科 書 は 生 徒 に 対 して 1930 年 代 の 工 業 化 と 農 業 集 団 化 がソ 連 市 民 に 与 えた 犠 牲 は 正 当 化 しうるかという 問 題 を 年 配 の 人 々にインタビューして 考 察 せよという 課 題 を 生 徒 に 課 し ている (72) ヴォロブエフらの 教 科 書 は 1932 33 年 にウクライナ 北 カフカース ヴォルガ 沿 岸 カ ザフスタンなどの 穀 倉 地 帯 で 拡 大 した 飢 餓 を 農 業 政 策 における 指 導 部 の 重 大 な 誤 算 と 説 明 する そのうえで 授 業 中 のディスカッションのテーマとして この 飢 餓 で 数 百 万 人 の 死 者 が 出 たにもかかわらず 穀 物 の 支 給 量 は 常 に 高 い 水 準 を 維 持 しており 1930 年 の 穀 物 輸 出 は 1928 年 と 比 べて 50 倍 にも 増 大 していたと 説 明 し 飢 餓 の 真 の 要 因 は 何 だったのかと いう 問 題 を 掲 載 している (73) またスホフらの 教 科 書 は 飢 餓 が 特 定 の 地 域 で 起 こったのは 偶 然 だったのか 飢 餓 はウクライナではどのように 呼 ばれているか という 問 いを 掲 載 し 飢 餓 について 教 えるだけでなく それについてウクライナとロシアの 両 国 間 に 解 釈 の 違 いが あることを 教 えようとしている (74) このように 生 徒 自 身 に 史 実 を 調 べさせ その 意 味 を 考 えさせようとする 工 夫 は それぞれ の 教 科 書 が 写 真 や 政 治 指 導 者 の 演 説 内 務 人 民 委 員 部 の 報 告 日 記 や 回 想 手 紙 など 豊 富 な 一 次 史 料 を 掲 載 している 点 にも 見 て 取 れる たとえば Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 は ソ 連 社 会 は 社 会 主 義 体 制 に 到 達 したとする 1936 年 のスターリン 演 説 と 当 時 の 農 村 での 苦 しい 生 活 状 況 を 訴 える 農 民 の 声 を 伝 えた 内 務 人 民 委 員 部 の 報 告 を 並 べて 掲 載 し 両 者 を 比 較 せよ という 課 題 を 課 している (75) スターリン 体 制 とナチズムを 全 体 主 義 体 制 として 同 一 視 する 歴 史 解 釈 がロシア 政 府 と 諸 外 国 との 間 で 外 交 問 題 に 発 展 していることはすでに 述 べたが 教 科 書 のなかには 全 体 主 義 という 用 語 をスターリン 期 の 説 明 に 用 いるものもある たとえばヴォロブエフら の 教 科 書 は 1930 年 代 について 述 べた 節 に 全 体 主 義 システムの 形 成 という 題 目 をつ けている (76) また Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 は 国 家 と 社 会 の 関 係 に 関 するムッソリー ニの 理 念 は 1930 年 代 のソ 連 社 会 に 当 てはまるか といった 質 問 や 30 年 代 のソ 連 の 政 治 体 制 の 全 体 主 義 的 兆 候 を 具 体 例 を 挙 げて 検 討 せよという 問 題 を 掲 載 している (77) シェ スタコフらの 教 科 書 は スターリン 末 期 の 社 会 と 政 治 経 済 のシステムは 全 体 主 義 体 制 の あらゆる 特 徴 を 帯 びたとし その 主 な 特 徴 として 国 家 と 党 の 主 要 組 織 の 一 体 化 党 の 中 心 71 Измозик В.С., Журавлёва О.Н., Рудник С.Н. История России. М., 2013 [3,000]. С. 124. 72 Шестаков В.А., Горинов М.М., Вяземский Е.Е. И стория России. ХХ начало ХХI века. 7-е изд. М., 2011 [12,000]. C. 141. 73 Волобуев, Жулавлев, Ненароков, Степанищев. История России. C. 136 137, 159. 74 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 183. 75 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. С. 173. 76 Волобуев, Журавлев, Ненарроков, Степанищев. История России. C. 133. 77 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. C. 182. - 44 -

的 国 家 組 織 への 変 貌 個 人 を 完 全 に 統 制 しようとし あらゆる 反 対 派 と 自 由 な 思 考 を 禁 じた ことなどを 挙 げている (78) 2) 第 二 次 世 界 大 戦 期 の 描 写 次 に 第 二 次 世 界 大 戦 期 の 描 写 を 考 察 する 多 くの 研 究 者 が 指 摘 するように 大 祖 国 戦 争 は ロシア 人 のアイデンティティの 中 核 を 形 成 している すべての 教 科 書 が 第 二 次 世 界 大 戦 とそ の 帰 結 に 多 くの 紙 幅 を 割 いて 詳 細 に 記 述 しており この 戦 争 が 現 代 史 教 育 の 中 心 であること は 疑 いがない 推 薦 教 科 書 にみられる 共 通 点 の 一 つは 1938 年 のミュンヘン 協 定 の 評 価 である すなわ ち ヨーロッパの 指 導 者 たちは 宥 和 政 策 によってドイツをソ 連 の 攻 撃 に 向 かわせ 戦 争 から 逃 れようと 考 えたというものである (79) 例 えば А.А. ダニーロフ Л.Г. コスリナ М.Ю. ブ ラントの 教 科 書 によれば 西 欧 諸 国 がドイツをソ 連 との 戦 争 に 向 かわせたことや ヒトラー がソ 連 東 部 を 支 配 しようとしていたことはソ 連 の 指 導 部 にとって 明 らかであり 集 団 安 全 保 障 構 想 にヨーロッパ 諸 国 の 支 持 を 得 られなかったソ 連 は ドイツとの 協 定 を 余 儀 なくされた のであった (80) ザグラディンらの 教 科 書 も ミュンヘン 協 定 は 英 仏 へのソ 連 の 信 頼 を 失 わ せ ソ 連 を 犠 牲 にして 新 たなミュンヘン を 準 備 しているのではないかという 疑 いを 抱 か せたとし 第 二 次 世 界 大 戦 への 道 を 開 いたのはミュンヘン 協 定 だと 述 べる またイギリスは 1939 年 7 月 に 事 実 上 ソ 連 と 戦 争 状 態 にあった 日 本 の 中 国 での 権 益 を 認 めたとも 記 述 して いる (81) ヴォロブエフらの 教 科 書 もまた ミュンヘン 協 定 を 英 仏 の 近 視 眼 的 政 策 と 説 明 する (82) しかし 単 にソ 連 の 政 策 を 正 当 化 しようとする 記 述 だけが 目 立 つわけではない グゼンコ ヴァは 近 年 のロシアの 教 科 書 の 第 二 次 世 界 大 戦 の 評 価 は 一 義 的 ではなく その 矛 盾 した 側 面 を 描 いていると 述 べているが (83) この 特 徴 は 教 育 科 学 省 の 推 薦 を 受 けた 教 科 書 にも 共 有 されており 政 策 の 失 敗 や 軍 事 的 敗 北 についての 記 述 も 目 立 つ たとえば A.A. ダニーロフ の 教 科 書 は 大 祖 国 戦 争 は 正 義 の 戦 争 であり 全 人 民 的 性 質 を 持 ったとしながらも 戦 勝 の 78 Шестаков, Горинов, Вяземский. История России. С. 236. 79 Киселев А.Ф., Попов В.П. История России. ХХ начало ХХI века. 2-е изд. М., 2013 [2,000]. C. 144. 80 Данилов А.А., Косулина Л.Г., Брандт М.Ю. История России. ХХ начало ХХI века. М., 2013 [50,000]. С. 199 200. 81 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. С. 139. なお 日 本 に 関 してはそれ 程 多 くの 紙 幅 が 割 かれているわけではないが ソ 連 の 対 日 参 戦 は 同 盟 国 に 対 する 義 務 に 基 づくもので あり それによって 第 二 次 大 戦 が 終 結 したという 記 述 が 一 般 的 である 東 アジアにおける 第 二 次 世 界 大 戦 の 記 憶 とロシアの 歴 史 政 策 の 関 わりは 別 個 に 検 討 すべき 重 要 な 問 題 であり 今 後 の 課 題 としたい 82 Волобуев, Журавлев, Ненароков, Степанищев. История России. С. 151. 83 Гузенкова. Т.С. У каждого своя война? (К проблеме нитерпретации истории Второй мировой войны в школьных учебниках стран СНГ и ЦВЕ) // «Расскажу вам о войне...» Вторая мировая и Великая Отечественная войны в учебниках и сознании школьников славянских стран / Под ред. Гузенковой Т.С. и др. М., 2012. С. 16. - 45 -

代 償 は 政 治 指 導 部 の 誤 った 政 策 の 結 果 でもあったと 述 べる (84) 特 にフィンランド 戦 争 につ いては 国 際 連 盟 からの 除 名 や 軍 事 的 敗 北 がすべての 教 科 書 で 否 定 的 に 描 写 されている た とえばイズモジクらの 教 科 書 は フィンランド 民 主 共 和 国 の 成 立 はソ 連 が 国 際 社 会 を 欺 く ための 試 み であったとし カレロ フィン 共 和 国 の 成 立 についても 勝 利 は 達 成 された しかしなんと 大 きな 代 償 を 払 ったことか! と 述 べて この 戦 争 が 赤 軍 の 威 信 を 喪 失 させ ヒトラーに 赤 軍 の 弱 さを 確 信 させたこと ソ 連 が 国 際 連 盟 から 侵 略 国 として 除 名 された ことを 説 明 する (85) ザグラディンらの 教 科 書 も フィンランド 国 民 にとってこの 戦 争 は 正 義 の 戦 争 であり 国 際 連 盟 もソ 連 を 侵 略 国 とみなしたと 述 べる (86) A.A. ダニーロフ が 作 成 に 関 わった 2 冊 の 教 科 書 も 同 様 に ソ 連 の 行 為 が 国 際 社 会 に 侵 略 行 為 とみなされ 国 際 的 孤 立 を 招 いたことと 赤 軍 の 威 信 の 失 墜 を 強 調 している (87) 次 に 1939 年 に 締 結 された 独 ソ 不 可 侵 条 約 と 秘 密 議 定 書 については 中 立 的 な 記 述 が 多 い たとえばシェスタコフらの 教 科 書 は 独 ソ 不 可 侵 条 約 と 議 定 書 はヒトラーをヨーロッパでの 戦 争 に 向 かわせ 世 界 史 を 大 きく 変 えたとする 一 方 で この 条 約 を 評 価 するには 西 欧 諸 国 も 同 様 にヒトラーを 戦 争 に 仕 向 ける 政 策 をとったことを 理 解 する 必 要 があると 述 べる さら に ポーランドやバルト 諸 国 も ドイツのソ 連 侵 攻 を 可 能 とするような 反 ソ 協 定 をドイツと 結 ぼうとしていたと 説 明 する (88) ヴォロブエフらの 教 科 書 は 多 くの 人 がこの 条 約 によっ て スターリンがヒトラーと 同 じ 道 に 立 った と 考 えてきたし 現 在 も 考 えていると 説 明 す る そのうえで 政 治 的 冒 険 主 義 と 近 視 眼 性 に 対 するソ 連 指 導 部 の 責 任 は 否 定 できないが スターリンはこれによってドイツとの 戦 争 を 回 避 しようとしたのに 対 して ヒトラーは 正 反 対 の 目 的 を 追 求 したことを 指 摘 しなければならないと 述 べる (89) Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 は 独 ソ 不 可 侵 条 約 の 本 文 を 資 料 として 掲 載 し この 条 約 によってソ 連 はドイツと 日 本 と 同 時 に 戦 うことを 回 避 できたと 説 明 している (90) それと 同 時 に この 条 約 の 評 価 について 論 争 が 存 在 することを 教 え 生 徒 自 身 にその 解 釈 を 考 えさせようとする 工 夫 が 多 くの 教 科 書 に 見 られる たとえば А.Ф. キセリョーフと В.П. ポポフの 教 科 書 は 独 ソ 不 可 侵 条 約 は 現 在 も 政 治 家 や 外 交 官 研 究 者 の 議 論 の 対 象 であり 続 けていると 説 明 したうえで 独 ソ 不 可 侵 条 約 に 関 する 国 内 の 文 献 のなかで 最 も 説 得 力 がある と 思 われる 説 を 探 し そのうえで 自 分 の 見 解 を 説 明 するように 生 徒 に 求 めている (91) シェ スタコフらの 教 科 書 は 独 ソ 不 可 侵 条 約 の 評 価 が 現 代 歴 史 学 のなかで 論 争 を 呼 び 続 けている 理 由 を 考 察 すること さらに 独 ソ 不 可 侵 条 約 と 議 定 書 が 世 界 史 を 大 きく 変 えた つまり ヒトラーをヨーロッパでの 戦 争 に 向 かわせたという 同 教 科 書 の 記 述 に 対 して 賛 否 両 論 を 提 84 Данилов А.А. История. Россия в ХХ начале ХХI века. 3-е изд. М., 2013 [13,000]. С. 130. 85 Измозик, Журавлёва, Рудник. История России. С. 130 132. 86 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. С. 141. 87 Данилов А.А. История. Россия в ХХ начале ХХI века. С. 106 107; Данилов А.А., Косулина, Брандт. История России. ХХ началоххi века. С. 204. 88 Шестаков, Горинов, Вяземский. История России. C. 165. 89 Волобуев, Журавлев, Ненароков, Степанищев. История России. С. 152. 90 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. С. 201. 91 Киселев, Попов. История России. C. 146, 151. - 46 -

起 することを 課 題 としている (92) スホフらの 教 科 書 もまた ミュンヘン 協 定 とソ 仏 交 渉 独 ソ 不 可 侵 条 約 に 対 する 同 教 科 書 の 評 価 を 他 の 教 科 書 や 学 術 論 文 学 術 書 の 評 価 と 比 較 し それぞれの 見 解 について 議 論 するように 求 めている (93) 1939 年 のソ 連 のポーランド 侵 攻 と 翌 年 のバルト 諸 国 の 編 入 の 評 価 は 教 科 書 によって 異 なっている 例 えばザグラディンらの 教 科 書 は バルト 諸 国 やポーランドの 指 導 部 は 内 戦 期 からソ 連 を 主 要 敵 とみなしており ドイツを 敵 とは 考 えていなかった そのためソ 連 とはい かなる 協 定 を 結 ぶ 意 図 もなかったと 説 明 し ソ 連 とこれらの 国 の 敵 対 的 関 係 を 強 調 する (94) ポーランド 東 部 の 併 合 については その 目 的 は 同 地 域 のウクライナ 人 ベラルーシ 人 の 保 護 にあったという 説 明 が 一 部 の 教 科 書 にみられる しかしこれらの 教 科 書 も カティンの 森 事 件 はソ 連 の 犯 罪 であったと 述 べる 例 えば Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 は 公 式 声 明 によ ればポーランド 東 部 の 編 入 の 目 的 は 兄 弟 民 族 であるベラルーシ 人 とウクライナ 人 が 住 む 土 地 の 解 放 にあったとし 両 民 族 の 抵 抗 はほとんどなかったと 説 明 する それと 同 時 に 内 務 人 民 委 員 部 の 職 員 はソ 連 の 捕 虜 となった 2 万 人 以 上 のポーランド 人 将 校 を 秘 密 裏 に 射 殺 し たとし その 大 部 分 がカティンの 森 で 殺 害 されたと 説 明 する (95) ボロブエフらの 教 科 書 にも カティンの 森 事 件 について 同 様 の 説 明 が 見 られる (96) キセリョーフとポポフの 教 科 書 は ポーランドに 住 むウクライナ 人 とベラルーシ 人 を 保 護 するために 赤 軍 は 進 行 命 令 を 下 された と 説 明 するとともに 全 連 邦 共 産 党 政 治 局 の 決 定 で 捕 虜 となった 約 1 万 9 千 人 のポーラン ド 人 将 校 が 罪 の 宣 告 なしに 射 殺 されたと 述 べている (97) ポーランド 内 部 での 受 け 止 め 方 の 違 いを 記 述 した 教 科 書 もある 例 えばスホフらの 教 科 書 は ポーランドは ソ 連 とドイツの 対 立 の 犠 牲 となり チェコスロヴァキアのように 裏 切 られたとするが それと 同 時 に 東 部 の 地 元 住 民 は 赤 軍 を ポーランドの 抑 圧 からの 解 放 者 として 歓 迎 したとも 記 述 している (98) イズモジクらの 教 科 書 も 多 くのポーランド 人 がソ 連 の 侵 攻 を 裏 切 り と 考 えたのに 対 して 東 部 に 住 むウクライナ 人 ベラルーシ 人 は 一 部 の 例 外 を 除 いて 赤 軍 を 解 放 者 として 迎 えたと 述 べる (99) ポーランド 東 部 の 編 入 と 比 較 すると バルト 諸 国 の 編 入 については 否 定 的 な 記 述 が 多 い たとえばシェスタコフの 教 科 書 は ポーランド 東 部 の 編 入 については 1920 年 のポーラン ド 戦 争 の 際 に 占 領 された 地 域 に 再 び 赤 軍 が 進 駐 したと 説 明 するが バルト 諸 国 の 編 入 は 西 欧 諸 国 に 侵 略 とみなされたと 述 べている (100) スホフらの 教 科 書 は バルト 諸 国 ではソ 連 への 編 入 後 多 くの 人 々が 抑 圧 され シベリアに 追 放 されたと 述 べる さらに 生 活 水 準 の 低 下 は 当 初 赤 軍 を 歓 迎 した 人 々さえも 失 望 させたとし ソ 連 の 強 制 的 介 入 によって 実 施 された 92 Шестаков, Горинов, Вяземский. История России. ХХ начало ХХI века. C. 164. 93 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 200. 94 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. С. 139. 95 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. С. 205. 96 Волобуев, Журавлев, Ненароков, Степанищев. История России. С. 155. 97 Киселев, Попов. История России. C. 146. 98 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 201. 99 Измозик, Журавлёва, Рудник. История России. C. 127. 100 Шестаков, Горинов, Вяземский. История России. С. 165 166. - 47 -

選 挙 では 共 産 党 の 反 対 勢 力 を 支 持 した 人 々は 逮 捕 されたと 説 明 している 同 書 によれば 人 々 に 投 票 を 強 制 する 手 段 として 投 票 に 来 た 人 々のパスポートにスタンプが 押 され パスポー トにスタンプがないことは 人 民 の 敵 であることを 意 味 したのであった (101) 編 入 後 のバ ルト 諸 国 での 選 挙 については Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 にも 同 様 の 記 述 がみられる (102) A.A. ダニーロフが 作 成 に 携 わった 二 冊 の 教 科 書 も バルト 諸 国 は 自 発 的 にソ 連 と 協 定 を 結 んだわけではなかったとする 共 産 主 義 者 を 加 えた 新 政 府 の 形 成 というソ 連 の 要 求 に 対 して 軍 事 的 統 制 の 脅 威 に 直 面 したバルト 諸 国 は 同 意 せざるを 得 なかった こうして 誕 生 した 新 政 府 がソ 連 への 編 入 を 要 請 したのであった (103) バルト 諸 国 に 対 するソ 連 の 政 策 の 変 化 を 説 明 したものとしては たとえばキセリョーフと ポポフの 教 科 書 は バルト 諸 国 がヒトラーと 接 触 しようとしたことが ソ 連 がバルト 諸 国 へ の 介 入 を 強 める 要 因 となったとするが それとともに 新 政 府 がソ 連 の 厳 しい 統 制 下 での 選 挙 で 形 成 されたことも 説 明 している (104) イズモジクらの 教 科 書 は ドイツによるデンマーク ノルウェー オランダ ベルギー フランスの 占 領 後 ドイツがバルト 諸 国 を 占 領 する 可 能 性 をソ 連 が 恐 れるようになったこと 同 時 期 のバルト 諸 国 で 反 ソ 連 プロパガンダが 広 まって いたことが ソ 連 がバルト 諸 国 の 内 政 へ 介 入 する 要 因 となったと 説 明 する それと 同 時 に 同 教 科 書 は 現 地 住 民 の 支 持 のもとで 共 産 党 政 権 が 形 成 されたとも 述 べている (105) 推 薦 教 科 書 にみられる 顕 著 な 共 通 点 のひとつは 多 民 族 国 家 ソ 連 の 道 徳 的 政 治 的 団 結 の 強 調 である たとえば A.A. ダニーロフらの 教 科 書 やザグラディンらの 教 科 書 は 多 民 族 国 家 であるソ 連 は 軍 事 攻 撃 により 簡 単 に 崩 壊 すると 考 えたヒトラーは その 多 民 族 性 を 利 用 し ようとしたが これは 誤 りであったとし すべての 人 が 国 家 の 防 衛 を 自 らの 民 族 的 課 題 と 考 えたと 説 明 する また 前 者 は 生 徒 への 課 題 として 赤 軍 に 作 られた 非 ロシア 諸 民 族 の 部 隊 に ついて 調 べ これらの 部 隊 への 参 加 の 動 機 について 考 察 せよという 課 題 を 出 し 赤 軍 の 多 民 族 性 を 生 徒 に 理 解 させようと 試 みている (106) 他 方 でソ 連 の 諸 民 族 による 対 独 協 力 もすべての 教 科 書 で 言 及 されている ザグラディンら の 教 科 書 は バルト 諸 国 や 西 ウクライナ クリミア チェチェン カルムィクではドイツを 支 援 することで 自 らの 民 族 主 義 的 理 念 を 実 現 できると 考 える 民 族 運 動 が 起 こったと 述 べる しかし これらの 地 域 でも 大 部 分 の 住 民 がドイツとの 戦 いに 加 わり 祖 国 を 守 った のであっ た (107) イズモジクらの 教 科 書 は ドイツ 兵 をボリシェヴィズムからの 解 放 者 とみなす 人 々が 現 れ た 背 景 にはスターリンの 圧 政 と 強 制 的 な 農 業 集 団 化 があり このような 気 分 は 戦 争 直 前 にソ 101 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 183. 102 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. С. 207. 103 Данилов А.А. История. Россия в ХХ начале ХХI века. C. 107; Данилов А.А., Косулина, Брандт. История России. С. 205 206. 104 Киселев, Попов. История России. C. 147. 105 Измозик, Журавлёва, Рудник. История России. C. 128. 106 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. C. 144; Данилов А.А., Косулина, Брандт. История России. С. 234, 239. 107 Загладин, Минаков, Козленко, Петров. История России. С. 144 145. - 48 -

連 に 併 合 された 西 部 地 域 で 最 も 顕 著 だったと 述 べる また 対 独 協 力 を 理 由 とする 民 族 強 制 移 住 については 一 部 の 人 々の 裏 切 り 行 為 の 責 任 を 民 族 全 体 が 背 負 わされたと 説 明 することで 特 定 の 民 族 全 てがドイツ 軍 と 協 力 したわけではないことを 示 している (108) ヴォロブエフら の 教 科 書 は 戦 後 の 政 治 的 抑 圧 の 強 化 について 述 べた 節 の 中 で その 犠 牲 者 として 反 体 制 活 動 で 逮 捕 された 人 々とともに 対 独 協 力 の 嫌 疑 で 強 制 移 住 に 処 せられた 諸 民 族 を 紹 介 し 30 年 代 から 50 年 代 初 頭 にかけて 約 350 万 人 の 人 々が 強 制 移 住 に 処 されたとする (109) A.A. ダニー ロフらの 教 科 書 も ドイツ 軍 との 協 力 者 だけでなくその 民 族 全 体 が 非 難 されることが 稀 では なかったとし ドイツ 人 やバルト 三 国 の 諸 民 族 カラチャイ 人 カルムィク 人 バルカル 人 クリミア タタール 人 らの 民 族 強 制 移 住 と 自 治 領 の 廃 止 について 記 述 し 特 にチェチェン 人 とイングーシ 人 については 最 大 の 事 例 として 詳 述 している さらにこうした 過 酷 な 抑 圧 が 戦 後 の 新 たな 民 族 運 動 の 波 を 作 り 出 したとも 説 明 する そのうえで 生 徒 への 課 題 として 対 独 協 力 者 が 掲 げた スターリン 体 制 との 闘 争 という 理 念 は 正 当 化 しうるかという 問 いを 考 察 するように 求 めている (110) Д.Д. ダニーロフらの 教 科 書 は 強 制 移 住 は 1940 年 代 から 50 年 代 には 合 法 的 な 罰 と 考 えられていたが 1980 年 代 に 自 国 民 に 対 する 犯 罪 と 認 められたと 説 明 したうえで 現 代 ロシアの 国 民 として どちらの 立 場 にどのような 理 由 で 同 意 するかという 問 いを 投 げか けている (111) シェスタコフらの 教 科 書 はチェチェン 人 イングーシ 人 ドイツ 人 の 強 制 移 住 を 命 じた 公 式 文 書 や 強 制 移 住 の 過 程 を 報 告 した 内 務 人 民 委 員 ベリヤのスターリン 宛 て 報 告 を 資 料 として 掲 載 し 強 制 移 住 という 単 語 の 意 味 を 辞 書 で 確 認 するとともに これらの 民 族 の 強 制 移 住 の 理 由 を 調 べて 指 導 部 の 行 為 の 合 法 性 について 考 察 せよという 課 題 を 課 して いる さらに 利 敵 協 力 とは 何 か その 原 因 は 何 か ドイツが 占 領 した 他 国 とソ 連 の 利 敵 協 力 の 共 通 点 と 違 いは 何 かという 問 題 を 掲 載 している (112) A.A. ダニーロフらの 教 科 書 も 同 様 に 覚 えるべき 新 たな 用 語 として 強 制 移 住 を 挙 げ その 意 味 を 説 明 している さ らに 生 徒 への 課 題 として 強 制 移 住 の 対 象 となった 諸 民 族 から 一 つの 民 族 を 選 び その 民 族 がたどった 運 命 を 調 べて 授 業 で 発 表 するように 求 めている (113) 教 科 書 のなかには 対 独 協 力 についてロシア 人 非 ロシア 人 を 区 別 せずに 記 述 するものもあ る たとえばスホフらの 教 科 書 は A.A. ヴラーソフや 亡 命 ロシア 人 などロシア 人 による 対 独 協 力 について 説 明 し その 理 由 は 臆 病 や 貪 欲 さ ボリシェヴィズムへの 憎 しみなど 様 々であっ たと 述 べる (114) ヴォロブエフらの 教 科 書 も 対 独 協 力 者 の 中 にはスターリンの 抑 圧 や 集 団 化 の 被 害 者 帝 政 の 支 持 者 民 族 主 義 者 のほかに 単 なる 臆 病 者 や 利 己 的 な 人 々 勝 利 への 信 念 を 失 った 者 がいたとし その 例 としてヴラーソフが 率 いたロシア 民 族 解 放 委 員 会 につい 108 Измозик, Журавлёва, Рудник. История России. C. 170, 184. 109 Волобуев, Журавлев, Ненароков, Степанищев. История России. С. 211. 110 Данилов А.А., Косулина, Брандт. История России. С. 237 238. 111 Данилов Д.Д., Лисейцев, Клоков и др. История России. С. 252. 112 Шестаков, Горинов, Вяземский. История России. C. 186, 188. 113 Данилов А.А., Косулина, Брандт. История России. С. 239. 114 Сухов, Морозов, Абдулаев. История России. C. 219. - 49 -