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3. 市街化調整区域における土地利用の調整に関し必要な事項 区域毎の面積 ( 単位 : m2 ) 区域名 市街化区域 市街化調整区域 合計 ( 別紙 ) 用途区分別面積は 市町村の農業振興地域整備計画で定められている用途区分別の面積を記入すること 土地利用調整区域毎に市街化区域と市街化調整区域それぞ

( 株 ) 荒 井 建 設 興 業 市 内 南 房 総 市 和 田 町 布 野 205 番 地 水 道 施 設 工 事 特 定 B ( 株 ) 安 房 環 境 衛 生 市 内 南 房 総 市 千 倉 町 瀬 戸 2344 番 地 76 管 工 事 一 般 B 安 房 住 宅 設 備 機 器 ( 有

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Transcription:

A 市内遺跡試掘 確認調査報告 平成 24 年度 津山市が平成 24 年度に国庫補助事業 市内遺跡発 査を実施しており 今年度は 昨年度調査地の東側に 掘調査等 でおこなった事業についての概要報告であ 隣接する部分にトレンチ2本を設定して調査を行った る 調査は 開発に伴う確認調査 西吉田地区 美作 調査期間及び面積等は上記のとおりである 国府跡 北小学校 保存に伴う確認調査 衆楽園 トレンチ1 院庄構城跡 龍王塚古墳測量調査の7件である 東西方向に長さ 17.5 m 幅 2 mのトレンチである 耕作土を取り除くと黄色褐色の粘土層が現れ 一部耕 1 旧津山藩別邸庭園 衆楽園 確認調査 a 調 査 地 津山市山北 546-51 番地 b 調 査 期 間 平成 25 年2月 20 日 平成 25 年3月6日 c 調 査 面 積 約 34.5 d 調査の概要 旧津山藩別邸庭園 衆楽園 は平成 14 年に国指定 第1図 遺跡位置図 S 1 25,000 の名勝に指定され 平成 15 年度から継続的に確認調 * ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㨀㧝㨪㧤㧔㕙 ট㧕 * * ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㨀㧝㨪 㧔㕙 ট㧕 ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔㕙 ট㧕 ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔 㧟 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 * ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔 㧞 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔 㧟 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 * 㨺 * 㨺 ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔 㧞 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 * ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ 㧔 㧝 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 * ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ ቯ 㧔 㧝 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 ᐔᚑ ᐕᐲ ᩏ ቯ 㧔 㧝 ᚲ ޔ 㕙 ট㧕 * * 㨺 * * * 㨺 * * 㨺 * 㨺 * 㨺 * 㨺 * 㨺 * 㨺 * * 㨺 * * 㨺 * 㨺 * 㨺 * 㨺 * * * * 㨺 * 㨺 * 㨺 * ฬൎᜰቯ ᓮኻ㕙ᚲ ᄤ ᐕ㧔 㧕ផቯ ᓮ ᄤ ᐕ㧔 㧕ផቯ 第2図 トレンチ位置図 S 1 2,500 年報津山弥生の里 21 号 11

作土が混じる その下からは 多くの礫を含む黒色の 1 2 3 4 6 層が現れた この層より下には遺構面はないと判断し たが 確認のためトレンチ西端部分をさらに掘り下げ 6 るも同じ層が続いており 遺構面は検出できなかった トレンチ1では遺構 遺物ともに確認できなかった トレンチ2 東西方向に長さ 17 m 幅 2 mのトレンチである 耕作土を取り除くと黄褐色の砂質土層が現れこの層に 昭和の頃のものと思われるコンクリート瓦が混じって いたことから 比較的最近の埋土の層と考えられる その下からは ほぼ耕作土と同じ質の層が現れ その 下からは黄色褐色の粘土層が現れた その下は多くの 礫を含む黒色の層が現れ これはトレンチ1でこの層 より下には遺構面はないと判断した層と同じものであ る 土層観察からこのトレンチ周辺では ごく最近 耕作土上に土を盛り新たに畑として利用したことが分 かったが 遺構 遺物ともに確認できなかった まとめ 1 3 4 今回の調査範囲では 旧津山藩別邸庭園 衆楽園 2 4 に関連する遺構及び遺物は確認されなかった 1 黒褐色粘質土 耕作土 埋立後 2 黄褐色砂質土 コンクリート瓦片含む 3 明黒褐色粘質土 耕作土 4 黄褐色粘質土 5 4に3が混じる 6 暗黒褐色土 礫を多量に含む 平井泰明 着手前 6 3 5 5 6 3 0 5m 1/100 第3図 確認調査トレンチ平 断面図 12 年報津山弥生の里 21 号 着手前 トレンチ設定

2 中原遺跡 東消防署予定地 確認調査 a 調 査 地 b 調 査 期 間 津山市中原 71-4 番地 外 平成 25 年5月 16 日 平成 25 年6月5日 c 調 査 面 積 約 102.8 d 調査の概要 中原地区は 津山市南東部に位置する田園地帯であ る 当該地区内に津山圏域消防組合東消防署の建設予 定地が選定され 周知の埋蔵文化財包蔵地 中原遺跡 西側トレンチ の範囲に該当するため 工事着手前に確認調査を実施 して遺構の有無及び範囲を確認のうえ その結果によ って以後適宜の対応をとることになった 以上の経過 から 庁舎施設の建設予定地を対象として確認調査を 実施した 確認調査は 建設予定範囲にトレンチ2本を設定し 上記のとおり遺構の有無及び内容 範囲の確認を目的 として実施した 調査位置は 南から延びる丘陵性山 地の突端にあたり 調査位置付近は頂部から北東方向 にやや下った位置にあたる 地形的には西 南方向に 東側トレンチ 向かってはほぼフラットもしくは緩く傾斜するが 東 及び北方向については谷地形が入り込み 最低位部で ある北方の広戸川支流の肘川に向かって落ち込む地形 を呈する 調査にあたっては 庁舎建設予定位置において2か 所のトレンチ T 1 T 2 を掘り下げ 作業員 による精査を行って遺構の有無を確認した 調査地に ついては 現況は更地であったが 以前に土地造成と 建築行為が行われていた このことからトレンチ掘削 に伴って相当量の排土量が予測されたことから 調査 作業終了 作業風景 実施にあたっては造成土の排土を主目的として重機を 使用し のち人力によってトレンチの精査を行ってい 第1図 遺跡位置図 S 1 25,000 年報津山弥生の里 21 号 13

る トレンチの規模は2m 24 m T 1 2m 22.3 m T 2 である 調査完了後は重機によ り埋め戻しを行った 調査の結果 造成土下層に暗褐色 黒色粘質土 遺 物包含層 が認められ 現地表からそれぞれ約 1.2m 高 位 2.3m 低位 T 1 約 0.85m 高位 1.9m 低位 T 2 で黄褐色土 基盤層 が検出 された 加えて T 2においては旧建物の基礎によ り攪乱を受けている状況が確認された そのほか 土 地造成以前の状況とみられる水田耕土の残欠や 下層 の自然堆積層も部分的に各トレンチで認められた トレンチ 14 北から 調査位置については 旧地形がT 2付近を最高位と し T 1及び各トレンチの北方向に向かって傾斜し ていく状況が確認されたが それぞれのトレンチにお いて遺構は確認されなかった また 出土遺物は 主として暗褐色 黒色粘質土から 弥生土器 須恵器片が少量出土した 今回の調査位置においては 遺跡範囲のほぼ中央で あり 事前の地形等の検討から遺構の所在が想定され たが 遺構は確認されなかった 調査結果から敷衍し て判断すれば 旧地形は丘陵頂部から北に向かってや トレンチ 14 断面 北から や急激に傾斜するため地形的に遺構が所在しない可能 性と 水田造成等の土地利用により削平されている可 能性が指摘される 仁木康治 トレンチ 15 北から トレンチ 15 断面 北から 14 年報津山弥生の里 21 号

3 下横野三宅池頭遺跡確認調査 隔てる山地から樹枝状に延びた丘陵性山地の頂部であ る 地形的には大まかに南西方向に向かって緩く傾斜 a 調 査 地 津山市上横野 79-1 番地 し 最低位部を流れる横野川に向かって下降する b 調 査 期 間 平成 24 年6月 22 日 調査にあたっては 駐車場法面に確認された竪穴住 c 調 査 面 積 約 71.5 居跡の現状記録を行うため 作業員による精査を行っ d 調査の概要 て遺構の断面検出と遺物の有無を確認した 上横野地区は 津山市北部に位置する田園地帯であ 調査の結果 径7m程度とみられる竪穴住居址1棟 る 当該地域にある高田神社の駐車場工事施工中に竪 が検出された以外の遺構は認められなかった また 穴住居址とみられるものが発見された 住居址の所属時期は 出土した遺物から弥生時代後期 この位置は 周知の遺跡に該当していない位置であ に属するものと判断した ったことから 津山市教育委員会は工事主体者である 今回の調査は 遺跡の不時発見というケースであっ 高田神社の役員と協議し 新規発見遺跡 遺跡範囲の た 発見位置が丘陵性山地のほぼ頂部であるため 周 拡大 として文化財保護法第96条に規定する届出を 辺地形等を考えると 遺跡地図上で想定されている遺 行ったうえで確認調査を実施した 確認調査は 遺構 跡範囲がより拡大する可能性があるとみられる の現状記録を目的とした また 当該地域は遺跡がやや希薄な地域であり この 調査位置は 津山市上横野 大篠地域と加茂地域を 地域に関する考古資料の増加をみたことは成果として あげることができるとみられる 仁木康治 第1図 調査位置図 S 1 25,000 作業状況 南西から 16 年報津山弥生の里 21 号 調査完了後 南から

D D T1 A B T2 A B C C A 1 2 B A 1 2 B 3 4 5 4 5 C 3 1 2 4 D C 1 2 4 D 5 0 2m 5 0 1/80 1 黒 茶 褐 色 土 ( 耕 作 土 ) 2 明 茶 褐 色 砂 質 土 ( 真 砂 土 ) 3 明 灰 色 粘 質 土 4 黒 茶 褐 色 土 (やや 粘 質 5を 含 む) 5 黒 色 土 (やや 粘 質 )

5 美作国府跡確認調査 a 調 査 地 b 調 査 期 間 津山市総社 77-1 番地 平成 25 年 3 月 21 日 平成 25 年 3 月 30 日 c 調 査 面 積 約 15 調査前 北から 第1図 遺跡位置図 S 1 25,000 d 調査の概要 店舗の建設及びそれに伴う造成予定地内の 掘削を 行う範囲の確認調査を実施した T-1 トレンチは 東西方向に長さ 6.2 m 幅 2.4 mの範 囲を設定し掘削を行った まず 耕作土を取り除くと黄褐色の粘土層が現れ その下からは 多くの礫を含む黒色の層が現れた こ の層からは 勝間田焼 須恵器及び土師器片が出土し た ただ 遺構に伴う出土ではなく 遺物包含層と考 えられる また 極小破片のみの出土のため 図示で きるものはなかった さらに下層で黄褐色の砂礫層 20 30 の石を含む を検出した この時点で この 層より下には遺構面はないと判断したが 確認のため T-2 トレンチ西端部分をさらに掘り下げるも 表土から約 1.8 mまで この砂礫層がさらに続き 遺構面は検出 できなかった 今回の調査では遺構は確認できず 出土遺物につい ても包含層に伴うものとみられることおよび当地が谷 地形であることを考えると 今回の調査地には遺構は 存在しないと判断される 平井泰明 作業風景 年報津山弥生の里 21 号 19

① ② ③ ④ ⑤ ① ② ③ ⑤ 石 0 2m 1/80 ① 黒灰色土 耕作土 ② 黄褐色粘質土 同程度の灰色粘質土を含む ③ 暗黒褐色粘質土 礫を含む 遺物包含層 ④ 茶褐色粘質土 礫を含む ⑤ 黄褐色砂礫層 20 30cmの石を含む 灰色砂礫層が混じる 粘度高い 美作国府跡トレンチ平面 断面図 S=1:80 完掘 調査前 6 地蔵二つ塚古墳測量調査 a 測 量 地 津山市山北 238 番地 b 測 量 期 間 平成 23 年8月 17 日 c 測 量 面 積 約 1,800 d 測量の概要 市町村合併に伴い 新たに津山市指定史跡となった 古墳 群 は 19 件あるが ほとんどは墳丘測量図が 未作成であるなど 基礎資料が不足している状況であ る 作業風景 20 年報津山弥生の里 21 号 このため これらの古墳 群 の基礎資料の作成の

B クリーンセンター建設事業に伴う 埋蔵文化財発掘調査概報 丘墓である可能性も想定している 次に 小口溝をもたない土壙墓は 南斜面の2基の 台状墓内にみられた この台状墓は 周囲に溝を掘り L字状に河原石を立てて墓を区画したもので これら 1 黒岩遺跡 2基の台状墓のうち 東側の墓内の土壙墓3基にはす a 調 査 津山市領家 1141 1 他 べてに枕石が置かれていたが 西側の墓内の土壙墓に 平成 24 年4月 12 日 は 枕石は存在しなかった 地 b 調 査 期 間 平成 24 年8月3日 c 調 査 面 積 約 4,600 調査区東斜面には 墓壙上に石を配した土壙墓の一 群を検出した 遺物が出土していないため正確な時期 d 調査の概要 は不明だが 墓の形態から 弥生時代のものと推測さ 黒岩遺跡は 平成 23 年度から調査を行い 供献に れる 用いたと考えられる土器等が出土したが 主体部の遺 構が確認できなかった そのため 今年度では 更に 人力にて掘下げを行い主体部の検出を行った 調査結 果は以下のとおりである なお 平成24年7月7日には 現地説明会を開催 し 調査結果の公開を行った 第1図 遺跡位置図 S 1 25,000 1 弥生時代の遺構 黒岩遺跡遺構配置図 弥生時代の遺構は 土壙墓及び木棺墓をあわせて 74基検出した その土壙の多くは両端部に小口溝が みられ 検出された土壙墓のうち 52基にこの小口 溝がみられたことから 黒岩遺跡では 小口板を埋め て固定するタイプの木棺墓が多くをしめることがわか った まず 溝と列石によって区画された3基の台状墓を 中心とした墳墓群を確認した そのうち 丘陵頂部に 位置する台状墓は 12.5 m 11 mの規模で 墓域内 には30基の土壙墓を検出した また 墓を区画する 溝が確認され 特に北東 南東側で列石や溝が外側に 向かって弧を描いて並んでいることから四隅突出型墳 24 年報津山弥生の里 21 号 黒岩遺跡全景

A 文化財の保護 1 文化財保護委員会 市指定文化財 第 1 回 8月 21 日 千年寺第二代鐡堂道融和尚墳墓ほか歴代住持墓所 史 第 2 回 3月 26 日 跡 6月 26 日付け 大隅神社の木造獅子狛犬 彫刻 9月 25 日付け 2 新指定 登録の文化財 3 文化財防火訓練 県指定文化財 泰安寺本堂及び表門 建造物 3月1日付け 1月 27 日 田熊の舞台 神伝流古式泳法 無形文化財 3月1日付け 泰安寺本堂 千年寺第二代鐡堂道融和尚墳墓ほか歴代住持墓所 泰安寺表門 大隅神社の木造獅子狛犬 神伝流古式泳法 文化財防火訓練 年報津山弥生の里 21 号 29

場 が設けられている 塀で囲まれた敷地内には 主 屋と附属屋がみえる 敷地内には塀で仕切られた小庭 があり その庭に面して主屋が建てられている 清眼寺 主屋は迎賓用 附属屋は御茶屋守の居住空間として 用いられたものと考えられる また 藩主などの賓客 は御成門から敷地に入り 露地門を潜って主家に通さ 池 主屋 小庭 れ その随行者は附属屋に設けられた式台 玄関から 入ったのであろう 絵図と地籍図とを照合すると 敷 附属屋 露地門 長屋門 地面積はおよそ 1,180 坪と推定できる 式台 同御茶屋は本陣と同様 藩主専用の休憩 宿泊施設 であり 門 玄関を設けた建物となっている 施設の 御成門 性格や建物の格式からみれば 御茶屋と本陣との違い 馬場 はあまり明確ではない 仮に本陣の類型に当てはめる と 往還筋に面していない点では 後退型 であるが 出雲往来 院庄往還 塀で囲まれている点では 遮蔽型 ということになる 図3 天明二年西々条郡神戸院庄二宮村之図 院庄御茶屋部分拡大 矢吹家資料 弓斎叢書 302 津山郷土博物館所蔵 だろう 註 13 なお 平成 19 年度の発掘調査では 江戸時代の石 北 瓦 陶磁器類が出土したほか 同御茶屋の遺構と考え 御成門 門長屋 られる溝の一部を検出している 遺物は 時期的にみ て同御茶屋で用いられたものと考えられる また 溝 状の遺構は 位置や形状からみて 同御茶屋の敷地内 の庭園にある池の遺構ではないかと推定される この 遺構は トレンチの東端で落ち込むような形状となっ ている 註 14 畑 畑 馬場 また 航空写真からみた同御茶屋周辺の地割の様子 と 発掘調査により確認された土層の状況を検討する と 同御茶屋は氾濫原に立地している しかしながら 同御茶屋の背後は 街道沿いに比べて土地がやや高く 横弐間御引地 横弐間御引地 なっており そこに広い境内を持つ寺院 高野山真言 宗 極楽山清眼寺 が営まれている 註 15 立地条件か 長弐拾壱間 往還 らみて 同寺は洪水などの災害時の避難所としての機 図4 明和二酉年 1765 年六月 院庄 御茶屋御道具預り帳 写 津山松平家史料 愛山文庫C5 津山郷土博物館所蔵 能を持たせていたものと考えられる 類例として 周 辺の寺院を非常時の 御立退場所 に設定した久世本 成立の御茶屋の略絵図 図4 の2点があげられる 陣の事例があげられる 註 16 図5は明和2年に御茶屋前の往還において 東西 21 間 横幅2間 計 42 坪 を松江藩主通行の便宜を図 c. 機能 って拡幅した時に作成された書付である 院庄御茶屋は 雲州侯御茶屋 とも呼ばれている 註 図4によると構城跡の東隣に長屋門を設けた庄屋構 17 えの屋敷が描かれている 往還筋から少し入った通り いの新庄 久世 美甘宿に設置された松江藩主専用の に面して2つの門があり それぞれ 長屋門 と 御 本陣でも用いられている ただし 同じ呼称を持つ新 成門 と表記されている 往還筋と御茶屋との間には 庄宿の本陣 佐藤家 や久世宿の本陣 景山家 は松 駕籠立の際に用いられたのではないかと思われる 馬 江藩と請負契約を結んだ民間施設であるのに対して この呼称は 18 世紀半ばの宝暦年間に出雲往来沿 年報津山弥生の里 21 号 43

美作の狛犬 5 田渕千香子 はじめに 狛犬の特徴を挙げていきます 狛犬調査を始め 早 4 年以上がたちました 最初は 右も左も分からない状態でしたが 調査を続ける中で 耳 立っているもの 垂れているもの 横にのびてい 出 狛犬の形式や時代背景などもわかるようになりました るものなど様々です 大阪の狛犬 写真 A ① さて 今回は視点を変えて 狛犬を調査するときの着 雲型 写真 A ② は垂れ耳 岡崎型 写真 A ③ 眼点や 楽しみ方などを私なりに紹介したいと思います 尾道型 写真 A ④ は 横にのびていることが多 狛犬とは いです 神社 仏閣の参道などでよく見かける狛犬の歴史は 古く 平安時代頃に発生したとされています このこ ろの狛犬は 木製で建物の中に奉納されていました 今 見るような石造の狛犬は江戸時代頃からのもので A ① A ② A ③ A ④ 左右の違いは殆どありませんが 平安時代頃のものは 角があり口を閉じているのが 狛犬 角がなく口を あけているのが 獅子 と外見で分かるように区別さ れていました この狛犬を神殿狛犬といい 後に影響 を受けた石造狛犬もあります 2010 年から書いてき た 美作の狛犬 1 4 では 参道に所在して いる石造狛犬について考察しています 註 1 狛犬の観察 目 丸く周囲をかたどっただけのものや 写真 B ① 目の中を彫って眼球を描きくわえたもの 着色された ものもあります 写真 B ② 狛犬を前にして まず目に入ってくるのは 顔 で す 顔と言っても 目 耳 鼻 口 歯などに分けて 見ても一個体ずつ違いがあることがわかります たて 髪や尻尾 胴体にも特徴があり こまやかな細工の様 子からは高い技術力が感じられます また 狛犬の姿 勢には 直立したもの 構えて今にも飛びかかってき B ① B ② そうなもの 玉乗りをしているもの等があります さ らに 台座には 年代 寄進者 石工銘 寄進理由な 鼻 豚鼻 人の様な鼻 ど多くの情報が書かれています これらの顔の形 姿 団子鼻など 実にユニー 勢 台座の情報などから狛犬の型式などを判断してい クな表情を見せてくれま ます また 台座本体の石材は 狛犬本体と違ったも す 写真 C ① ③ C ① のを使用することが多く 運搬のしやすい地元の石材 を用いることがよくあります また 実際に観察を行 うときに注意している事ですが 観察ノートを自作し メモをとりながら 狛犬の情報を書き留めています 現地に行って観察しないと分からない情報などもある ので 書きもらさないように注意しています では C ② C ③ 年報津山弥生の里 21 号 47

口 歯 口の形 歯の本 角 獅子 阿形 狛 数などに着目します 口 犬 吽形 と分けて考 中に玉を入れた狛犬は えられていた神殿狛犬の 出雲型狛犬によく見られ 形式を継いでいる大阪の る特徴です 口の中を空 D ① 狛犬の吽形に見られるこ 洞にする際 玉の部分だ とがあります け残して彫るため職人の 胴体 唐草文様 写真 H 高度な技術を窺わせます ① 斑点文様 羽など 写真 D ① ③ G ① が体表に描かれています 写真 H ② この渦 D ② は太陽を表し 吉祥の意 H ① 味が込められているよう です 古代オリエントに は 獅子に羽が生えてい ることからこれが日本に D ③ E ① 入ってくる段階で簡略化 たて髪 カール ストレ され ヒレのようなもの ート ウェーブなどがあ が描かれるようになった り 細やかな細工に驚か と考えられています 註 2 されることがあります 姿勢 座った姿勢 座型 写真 E ① ③ E ② 構えた姿勢 構え型 玉乗り型などがあります しっぽ 筆先のような尻 座型は 大阪の狛犬 岡 尾は出雲型によく見られ 崎型の基本姿勢 写真 I ます 写真 F ① 蝋 ① 構 え た 姿 勢 は 燭のような尻尾は 岡崎 出雲型によく見られる形 E ③ です 写真 I ② 玉 扇型は 大阪の狛犬の特徴としてよくみられます 写真 乗り型は 尾道型などに F ③ はめ込み式なのか彫って尻尾を表現している 見られる形です 写真 I 型 で す 写 真 F ② のか分かりませんが 珍しい狛犬もいます 写真 F ④ ③ F ① F ② F ③ F ④ 48 年報津山弥生の里 21 号 H ② I ① I ② I ③

玉取り 子取り 手に玉を持った狛犬 写真 J ① 子どもの狛犬がじゃれる狛犬 写真 J ② など作者 のこだわりが感じられる部分です L 花崗岩 L 来待石 L 凝灰岩 L 砂岩 L 備前焼 L コンクリート L 樹脂 L 木 ③ J ① J ② 台座 台座には 時代 寄進者銘 寄進理由など多く の情報が書かれています 字が読めなくなっているも のがあるので 拓本を取ったりカメラの写し方を工夫 しています 獅子や 牡丹などが描かれたものもあり ます K ① 材料 平安時代には木で造られていた狛犬は 江戸時 代へ入ると参道に出現し風雨に耐えられる石で造られ るようになったようです 使用される石材には 花崗 岩 凝灰岩 砂岩などが使用され 岩石以外にも 備 前焼 コンクリート 銅 樹脂など様々な材料で 狛 犬は形作られています さて 現在は車などで運搬す れば簡単に運べる石材ですが 江戸時代には運搬する だけで一苦労だったと思われます こうした事情から 江戸時代の狛犬の中には 地元の石材を使ったものが 多数存在しているのだと考えられます L 銅 年報津山弥生の里 21 号 49

種類と型 狛犬を分類すると 大阪の狛犬 大阪 関西地方 出雲型 島根県 尾道型 広島県 岡崎型 愛知県 江戸獅子 関東地方 など 地域の特色ある狛犬が造 られ進化していることがわかります 美作地域では 大阪 島根 愛知 広島 鳥取など各地から狛犬が流 入してきています 大阪の狛犬 写真 M ① 大阪の狛犬は 形が多種 多様であるため形式が定まっておらず 大阪の狛犬と M ① よんでいます 美作地域では 江戸時代後期 明治時 代までの古い狛犬に多く見られます 中山神社 津山 市一宮 の狛犬は 県下で最古の狛犬であり 大阪の 石工が造った狛犬です 大阪の狛犬の特徴を挙げると 垂れ耳 横広の鼻 団扇状の尻尾 前足は 太く短く たてがみが螺髪のように回転しています 姿勢は 座 形が基本で 顔は縦長で彫が浅く 目の中に彫り込み があり 鬼面 人面に近い印象です また 獅子 狛犬 の形式を踏襲している為 吽形の頭部には角が あるものがあります 花崗岩で造られたものが多いな どの特徴を挙げることができます M ② 註 3 出雲型 写真 M ② 出雲型狛犬は 島根県松江地 方で採れる来待石で造られた狛犬です 細かな細工が可 能な砂岩で 耳が長く 尻尾は筆先のような形をしてい ます 構形と座形と姿勢が 2 パターンあります 美作地 域には 来待石ではなく地元の石材で造られたものが多 数所在しています これは 明治時代までは 来待石の 藩外への搬出が禁止されていたためと考えられていま す 砂岩であるため風雨に弱いところもあります 註 4 尾道型 写真 M ③ 尾道型狛犬の特徴は 長く伸 びた鋭い犬歯を持ち 尻尾は刺々しく逆立ち 耳が横 M ③ に大きく突出するもので 座形 構形 玉乗り形の 3 タイプがあります また 美作地域には 小豆島の石 工が入ってきており 出雲型 尾道型と大阪の狛犬を ミックスしたような狛犬を造っています 註 5 岡崎型 写真 M ④ 岡崎型狛犬は 愛知県の岡崎 地方で誕生した狛犬です 神殿狛犬の様式を踏襲した もので 酒井孫兵衛 6 代目 という石工が岡崎型の 造り方を大工仲間に教えたため 大正から現在にかけ て多く分布するようになりました 美作地域にも酒井 孫兵衛の作品が奉納されています 註 6 50 年報津山弥生の里 21 号 M ④