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シリーズ人権 しあわせ 言っては ならないのに みさ 今回も随筆家熊谷操子女史の著作を お話しいたします 内容は夫君の闘病 と妻である女史の介護の記です と涙声で夫は言った それに対して私 やや語調は柔らか く言ったつもりだったが もう 目は 覚めたわよ と 言ってしまっていた を迎えられ 女史の夫君は当時八十す歳 いぞう たばかりなのですが 膵臓ガンと腹部 りゅう 大動脈 瘤 治療の為に 一九九七年 平 成 九 年 春 広 島 大 学 の 病 院 で 十 時 間に及ぶ大手術を受けられました 以 下は 入院から一年ばかり過ぎた頃の 記です そう言いながら夫の哀しそうな顔を見 ひど て たまらなくなった 酷いことを言 あの筋肉はどこへ行ってしまったのだ ろう 今は 骨にかろうじて皮がひっ ついているというような状態なのだ が 夫にとっては 大きい慰めになっ しゃくり上げる私に いいのよ あ なたは疲れてるのよ ご主人 分って たようだった くれるよ 早よ 顔を洗っておいで この後で 夫は 安心しきったよう にして 静かな眠りに入るのだった 完治することのない病状は 哀れと しか言いようがない 堂々としていた くちもと と 言ってくれた ぬぐ 涙を拭って室に戻り ようやく落ち ついた私 さっきは意地悪言うて ご めんね と言いつつ ハイ 宴会 夜会 の こ と よ と 夫 の 口 許 に 巨 峰 を 運 んだ それを飲みこんだ夫 自分に言 の時の夫の淋しそうな顔が忘れられな い 私に これ以上 辛い思いをさせ てはならないと 自分の苦痛を押さえ 元四天王寺国際仏教大学講師 岡本 次男 引用資料 みさ 熊谷操子女史随筆集 邂逅 熊谷女史は 今 九十四歳になられ ます この体験を生の戒めとして生き 続けているのだと文末に記しておられ ます い聞かすかのように シミジミとした こんな可哀想な夫 入院以来 私を 口調で あんたは 一人で何役もこな 頼りきっていたのに また あの夜の よみがえ してるもんな いつもすまんと思うて ことが伻る むご る ね ん で と 言 っ て く れ ま し た そ どうして あんな酷いことを言った ふだんは 自分を押さえて 言って して もう夜中の宴会はやめよう と のだろう どうして 夫の心に寄り添 いまし はならないと 戒めていた言葉をとう うことができなかったのだろう 付け加えました おだ とう言ってしまった とたんに 穏や 私は そんなん もう気にせんとい 夫は あの夜から一ヶ月半ばかりし ゆが かだった夫の顔が 少しずつ歪み始め て 返らぬ人となりました て と 言いつつ 心の中で そんな 目尻から涙がスーッと流れ落ちた す 私はあの夜のおだやかな夫の表情 こと出来ない 空腹を抱え 暗い天井 ひとこと まん すまん すぐ寝て すぐ寝て を眺め 眠れぬ時間をジッとこらえて が 私のあの一言で 徐々に泣き顔に 一人で過ごさせるなんて そんなこと 変っていった時のことを忘れることが 絶 対 に 出 来 な い そ れ な の に 病 人 に できません 今も 私の中のもう一人 し っ た こんな気兼ねをさせてしまった私 そ の自分が私を叱咤しています 夜 中 の 一 時 ば あ ち ゃ ん よ ば あ ち ゃ ん よ と 夫 は い つ も の よ う に 仮眠床の私を呼んだ 連日の介護でフ う て し も う た 激 し い 悔 い が 私 の 胸 を ながら告げる夫の心の内を思うと 反 ラフラする体をやっと起こして 夫の 締めつけた いたたまれなくなった私 省を何度くり返しても悲しい思いが残 わ ベッドの傍に立った 夫は 私の顔を は 湧き出る涙を押さえて廊下にとび るだけだった 見上げて おだやかに あれから一時 出した この時以後の宴会を 少しでも夫に 間半眠れたよ と 言った とって 心の慰めになるようにと 私 洗面所に向かって走り出そうとした 時 深夜巡回の看護婦さんが私の異様 は以前に倍しての心づかいを込めて続 その時の私は どうして夫の心の中 を読む余裕が無かったのか 夫の顔を な 様 子 に ど う し た の 熊 谷 さ ん っ けるように努めた 真上から見つめて もう こんな時間 と 私の体を抱きとめてくれた 量的には苺二粒であったり 巨峰三 に 起 こ さ ん と い て よ 私 が 倒 れ た ら あ の 人 に 可 哀 そ う な こ と を 言 う て し 粒であったり プリン数さじであった もたんよ りというように ほんの少量であった 誰があなたの介護をするのよ 6 2013.8
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1,600,000 1,500,000 1,400,000 1,300,000 1,200,000 1,431,368 1 299 1,470,049 311 1,554,830 331 22 23 24 400 350 300 250 200 17
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24 寄り道編 1 かなんフェス inかなんぴあ 8月31日(土)開催 河南台地の条里地割1 かなんだいちの 男 7,911人 町の面積 女 8,315人 25.26 町民憲章 金剛 城の山並みに抱かれて発展するわがまち河南町 目指そう 郷土を愛し人権を尊ぶ希望に満ちたまちを 発行 編集 河南町役場総合政策部秘書企画課 585-8585 大阪府南河内郡河南町大字白木 1359-6 TEL 0721 93 2500 FAX 0721 93 4691 ホームページアドレス http://www.town.kanan.osaka.jp 子どもたちにとっては うれ しい夏休みですね 家族や友人 と山へ 海へ と出かける方も 多いのではないでしょうか 水 や 車 の 事 故 に は 十 分 注 意 し て 楽しんでくださいね そして 夏休みの終わりの8 月 日 土 には かなんぴあで 開催される かなんフェス に遊 びに来ませんか 今年は 初の 夏開催です 農業フェアも同時 開催され 今が旬のイチジク展 示品評会 即売会も行われます また フリーマーケットや金魚 すくい大会 親子料理教室 ス テージイベントなど楽しい催し がいっぱいです 地車連合会に よる だんじり曳き歌やにわか も披露されます ぜひ お越し ください 育てよう 思いやりと安らぎのある楽しいまちを 31 造 ろ う 健やかな人間をはぐくむ文化発展のまちを ẟ 20 2013.8 じょうりちわり 築 こ う 働く喜びと生きがいのあるまちを こだいのくかく 町の人口 平成25年6月30日現在 世帯数 てくてくかなんで巡るコースの詳しい地図などは 町ホームページの 河南町 を散策しよう トップページ左側のバナー から見ることができます 明るいまちづくりのためこの憲章を定めます いまのこる 詳細は7ページ に あ る 荘 園 と し て 佐 備 大 友 仲 村 な ど と 記 さ れ て い ま す の で 奈 良時代には条里地割が成立していた の で は な い か と 考 え ら れ ま す と こ ろ で 河 南 台 地 で は 川 が 低 い と こ ろ を 流 れ る た め 直 接 水 を 引 く こ と が で き ま せ ん つ ま り 水 路 や 溜池なくして田畑の開発はできない の で す 溜池は江戸時代以降に造られたと 文 書 に あ り ま す の で そ れ 以 前 は 水 越川上流域から台地を北上する大島 ほ と ろ 水 路 保 止 路 水 路 畑 田 水 路 の3 本 地 が 四 角 に 区 切 ら れ 整 然 と 並 ん が主にその役割を担っていたと考え 今回からコースをはずれてぷ で い る 様 子 が 分 か り ま す こ の 四 ら れ ま す 約135 と 広 い 河 南 台 ら っ と 寄 り 道 し て み ま し ょ う 地 を 潤 す に は 計 画 的 で 長 大 な 水 路 建 水 分 神 社 の あ た り か ら 芹 生 谷 角 は 現 代 の も の で は な く な ん と 1 辺1 町 約10 9m を 単 位 と し を 造 ら な け れ ば い け ま せ ん 中 村 白 木 寺 田 と 石 川 に 至 る た 古 代 の 土 地 区 画 条 里 地 割 に で は こ の 水 路 を 造 り 台 地 を 開 発 ま で ゆ る や か に 傾 斜 し な が ら 水 していったのはいったいいつ頃から 田 が 北 へ ず っ と 広 が っ て い ま す 当 て は ま る の で す 寺 田 に は 一 ノ 坪 二 ノ 坪 と い っ た 地 名 も で ど の よ う に し て 今 の 景 観 が 作 ら こ こ を 河 南 台 地 と 呼 び 西 側 の 残っていて条里地割の存在を裏付 れていったのでしょうか 地面の下 崖 下 に は 千 早 川 東 条 川 が 流 れ て け ま す に眠る遺跡から具体的に考えてみま い ま す 元 慶 七 8 8 3 年 に 作 ら れ た し ょ う つ づ く 河南町を代表するような景観で 教 育 課 す が 航 空 写 真 や 地 図 を 見 る と 耕 観 心 寺 縁 起 資 材 帳 に は 石 川 郡 文 化 財 係 ゆり の花 町 さく ら の木 町 6,331世帯 16,226人 2013 8.1 8 平成25年 てくてくかなんかるた 河南台地の条里地割1かなんだいちのじょうりちわり 1 前年同月より75人減 No. 488 ha わたしたちは 河南町民であることに誇りと責任をもち 伝えよう 豊かな緑と歴史が薫るまちを