九 州 鹿児島 県重富干 潟 再 生プロジェクト 地 域 資 源再 生への道 地 域 鹿 児 島 県 姶良 町 現 姶良 市 実 施 主 体 N P O 法 人くすの木自然 館 報 告 N P O 法 人くすの木自然 館 浜 本 麦 1 はじめに 重 富 しげとみ 干 潟 は 鹿 児 島 県 の 中 央にある鹿 児 島 湾 の 奥 に 位 置 する広 大な 干 潟 で す 面 積 が 最も 大きくなる 3 5 月には 3 0 ヘクタールに達します 鹿 児 島 湾 はもともと火 口 湖 のため 海 底が 急 激に落ち 込 み 干 潟 が できにくい 地 形 になっています 湾 奥 に 残る 大きな 干 潟 は 重 富 干 潟と加 治 木 町 にある 須 崎 干 潟だけです 重 富 干 潟と須 崎 干 潟を結 ぶ 湾 奥 湿 地 帯 には 原 生 的 な 環 境 が 残 っています 毎 年 1 0 月になると環 境 省 絶 滅 危 惧 ⅠA類 のクロツラヘラサギが 1 0 2 0 羽 ほど 海の家を改 装したカフェ 博 物 館 越 冬 のために飛 来します 準 絶 滅 危 惧 種 のハクセンシ で 4 年 になります 博 物 館を構える以 前 から 私 達 は オマネキやミサゴ などが 繁 殖し その 数を 年々増 やし 単 発 的な 干 潟 の 観 察 会 や 底 生 生 物 海 洋 ベントス ている貴 重な場 所です の 調 査 などをこの 地 域 で 行 なってきました その 中 で また 重 富 海 岸 は 鹿 児 島 湾 奥 で 唯 一 防 潮 林として 特 に 2 0 0 0 年 から 5 年 間 ほどの 観 察 会 や 調 査 で 干 潟 樹 齢 の 高 い 松 林 が 残る海 岸でもあり 桜 島を見ながら の 生 物 が 年々少なくなっているのを実 感 するようにな 松 林 で 休 むことが できる景 勝 地として 地 元 の 人々に りました 1 0 年 前 に 同じ 場 所 で おこなった 観 察 会 で 愛されています は 2 0cm の 立 法 体 の 土 壌 サンプルの 中 に 少なくとも NPO法 人くすの 木自然 館は この 重 富 干 潟に手 作 4 0 種 類 6 0 個 体 以 上 の 生 物 が いました それ が 2 0 0 4 りの 小さな 博 物 館を作り 干 潟 の 重 要 性 やそこにいる 2 0 0 6 年 の 調 査 で は 1 5 種 類 3 0 個 体 ほどまで 減って 生 物について広く市 民に伝える活 動をしています いました 加 藤 寛 人 佐 藤 正 典 浜 本 麦 未 発 表デー タ 原 因 が 分 からないまま 私 達 は 調 査を続けるしか 2 干 潟の博 物館設 立の経 緯 ありませんでした 調 査 結 果 は 鹿 児 島 大 学 や 姶 良 町 くす の 木自然 館 が 以 前 から活 動 のフィールドとして ションは 起こりませんでした 観 察 会 や 調 査 を 行 なってきたこの 重 富 海 岸 に 海と 地 元 の 人々によると この 海 岸は 2 0 年 位 前まで 貝 干 潟 の 環 境 教 育 拠 点として 博 物 館 を 構 えて 2 0 1 0 年 のわく海 といわ れるほど多くの 二 枚 貝 アサリ が 獲 鹿 児 島 県などにも提 出していました が 具 体 的なアク ESD 生物多様性 プロジェクト2009報告書 65
10 2006 10 3. 博 物 館 の2つの 柱 2 クロツラヘラサギ ゴカイ ハクセンシオマネキ 66 Ⅱ 事 例 調 査 報 告
1 4 180 5 15 15 2000 毎 日 の 海 岸 清 掃 干 潟 観 察 会 ESD 生 物 多 様 性 プロジェクト2009 報 告 書 67
15 15 15 3 4. 毎 日 の 投 棄 ゴミ 調 査 とその 影 響 5 1 20 1 100 2004 4 12 3 20 32 20 12 1 13 68 Ⅱ 事 例 調 査 報 告
5. 人 々の 誇 りとなる 海 岸 であり 続 けるた めに 73 30 2009 5 1 5 3 5 20 干 潟 まで 出 ることができる 車 イス ESD 生 物 多 様 性 プロジェクト2009 報 告 書 69