1/2 ページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について の 一 部 訂 正 について 平 成 27 年 12 月 1 日 宮 内 庁 は, 平 成 26 年 11 月 13 日 付 の 当 庁 ホームページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について と 題 する 発 表 文 の 中 で, 同 記 事 に 記 載 された 事 実 関 係 について 説 明 し,2003 年 10 月 のメキシコ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こ り 得 ないとの 見 解 を 示 し, 関 係 者 に 速 やかに 記 事 の 訂 正 を 求 めたことを 公 表 しました この 時 の 当 庁 の 見 解 に 何 ら 変 更 はありません 発 表 文 にある 秋 篠 宮 殿 下 の 御 発 言 は, 週 刊 文 春 がメキシコ 大 統 領 宮 中 晩 餐 において 大 統 領 に 対 する 紹 介 が, 皇 太 子 の 次 に 並 んでいた 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまったのだ との 友 納 氏 の 記 事 を 掲 載 したことから, 天 皇 陛 下 が 国 賓 に 皇 族 方 お 一 人 お 一 人 を 御 紹 介 する 場 において, 記 事 にあるような 奇 異 な 出 来 事 がこれまでにあったの かをお 伺 いしたことに 対 し, 殿 下 が, 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 万 一 にも 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 されそうになったら, 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げたと 思 うと 述 べられたことを 記 載 したものであります 週 刊 文 春 の 記 事 内 容 をそのままに 受 け 取 り, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 って しまったのだ との 同 誌 の 記 事 から, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた と 記 載 し たことにより, 実 際 には 当 日, 秋 篠 宮 殿 下 は 愛 知 県 お 成 りのため 欠 席 されていましたが, 秋 篠 宮 殿 下 がメキシコ 大 統 領 の 宮 中 晩 餐 におけるお 話 をされたような 印 象 を 与 えたことは 当 庁 の 不 手 際 でありました 当 時 の 発 表 文 の 中 で, 念 の 為 2003 年 10 月 にメキシコ 大 統 領 を 国 賓 としてお 迎 えした 際 の 宮 中 晩 餐 での 御 紹 介 の 状 況 につき, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた 秋 篠 宮 殿 下 に 伺 ったところ との 記 載 は, 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあったかを 伺 ったところ と 訂 正 します 以 上 の 経 過 を 踏 まえた 平 成 26 年 11 月 13 日 号 の 週 刊 文 春 の 記 事 についての 事 実 関 係 と 宮 内 庁 の 見 解 は 下 記 の 通 りです なお,この 点 における 当 庁 の 事 実 関 係 の 説 明 に 一 部 誤 解 を 与 える 点 があったことは, 週 刊 文 春 の 関 係 者 にも 通 知 しています 記
2/2 ページ 同 記 事 は, 十 一 年 前 の 衝 撃 的 な 出 来 事 との 小 見 出 しの 下 に,2003 年 10 月,メキシ コ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 大 統 領 に 対 する 天 皇 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 が, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまった ことから, 雅 子 妃 が 妃 殿 下 としての 自 己 の 存 在 について, 決 定 的 に 自 信 を 喪 失 した との 趣 旨 のことを 記 しています しかしながら, 以 下 に 記 すように,これまで 踏 襲 されてきた 皇 族 方 の 国 賓 に 対 する 御 紹 介 の 段 取 りからして, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして というようなことは 到 底 起 こり 得 ないこと です 宮 中 晩 餐 御 出 席 のために 宮 殿 南 車 寄 に 到 着 された 国 賓 御 夫 妻 をお 出 迎 えになった 両 陛 下 は, 国 賓 とご 一 緒 に 松 風 の 間 に 入 られます 間 内 では, 皇 太 子 同 妃 両 殿 下 始 め 皇 族 方 が, 御 身 位 の 順 に 列 立 してお 待 ちになっておられ, 天 皇 陛 下 は 皇 太 子 殿 下 から 順 番 に お 一 人 ずつ 国 賓 御 夫 妻 に 御 紹 介 になり,すぐその 後 に 続 き 皇 后 陛 下 が 同 様 にして 国 賓 夫 人 に 次 々と 皇 族 方 を 御 紹 介 になります そして 御 紹 介 が 完 了 すると 飲 み 物 が 供 され, 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の 御 懇 談 が 始 まります このようにして 進 められる 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の お 出 会 いは, 通 例 15 分 程 度 で 終 了 し, 次 いで 両 陛 下 と 国 賓 御 夫 妻 お 四 方 が 松 風 の 間 を 出,その 日 の 晩 餐 会 の 招 待 者 一 人 一 人 から 挨 拶 をお 受 けになるレシービング ラインに 立 たれるため, 石 橋 の 間 に 向 かわれます この 石 橋 の 間 での 行 事 の 完 了 後, 両 陛 下 は 国 賓 御 夫 妻 とご 一 緒 に,そして 皇 族 方 がその 後 を 進 まれ, 晩 餐 が 供 される 豊 明 殿 にお 入 りにな ります 以 上 のように, 国 賓 御 夫 妻 への 皇 族 方 の 御 紹 介 及 びそれに 続 く 行 事 は, 毎 回 全 く 同 じ 段 取 りで 取 り 進 められており,その 第 一 段 階 で, 秋 篠 宮 殿 下 以 下 全 員 の 皇 族 が 見 守 られ る 中 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こり 得 ません 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあ ったかを 伺 ったところ, 自 分 ( 殿 下 )は, 行 事 などの 際 に, 何 か 手 順 通 りに 進 められなかっ た 場 合 は, 直 ちに 気 が 付 く 方 だし,また, 再 発 を 防 ぐためにもかなりの 長 きにわたりそれを 記 憶 しているつもりだが,これまで 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 さ れたということは 決 してないと 思 う また, 万 一 にも 自 分 が 先 に 紹 介 されそうになったら, 自 分 は 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げ, 皇 太 子 妃 殿 下 の 紹 介 が 先 になるように 取 り 計 らったと 思 うとの 御 返 事 を 頂 きました 国 賓 を 迎 えるという 晴 れの 席 で, 天 皇 陛 下 がそのようなことをなさるという 事 実 に 反 する ことが 手 記 として 掲 載 されたことは, 陛 下 に 対 する 礼 を 失 する 誠 に 遺 憾 なことであります 宮 内 庁 : 100-8111 東 京 都 千 代 田 区 千 代 田 1-1 電 話 :03-3213-1111( 代 表 ) Copyright Imperial Household Agency. All Rights Reserved.
1/2 ページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について の 一 部 訂 正 について 平 成 27 年 12 月 1 日 宮 内 庁 は, 平 成 26 年 11 月 13 日 付 の 当 庁 ホームページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について と 題 する 発 表 文 の 中 で, 同 記 事 に 記 載 された 事 実 関 係 について 説 明 し,2003 年 10 月 のメキシコ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こ り 得 ないとの 見 解 を 示 し, 関 係 者 に 速 やかに 記 事 の 訂 正 を 求 めたことを 公 表 しました この 時 の 当 庁 の 見 解 に 何 ら 変 更 はありません 発 表 文 にある 秋 篠 宮 殿 下 の 御 発 言 は, 週 刊 文 春 がメキシコ 大 統 領 宮 中 晩 餐 において 大 統 領 に 対 する 紹 介 が, 皇 太 子 の 次 に 並 んでいた 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまったのだ との 友 納 氏 の 記 事 を 掲 載 したことから, 天 皇 陛 下 が 国 賓 に 皇 族 方 お 一 人 お 一 人 を 御 紹 介 する 場 において, 記 事 にあるような 奇 異 な 出 来 事 がこれまでにあったの かをお 伺 いしたことに 対 し, 殿 下 が, 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 万 一 にも 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 されそうになったら, 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げたと 思 うと 述 べられたことを 記 載 したものであります 週 刊 文 春 の 記 事 内 容 をそのままに 受 け 取 り, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 って しまったのだ との 同 誌 の 記 事 から, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた と 記 載 し たことにより, 実 際 には 当 日, 秋 篠 宮 殿 下 は 愛 知 県 お 成 りのため 欠 席 されていましたが, 秋 篠 宮 殿 下 がメキシコ 大 統 領 の 宮 中 晩 餐 におけるお 話 をされたような 印 象 を 与 えたことは 当 庁 の 不 手 際 でありました 当 時 の 発 表 文 の 中 で, 念 の 為 2003 年 10 月 にメキシコ 大 統 領 を 国 賓 としてお 迎 えした 際 の 宮 中 晩 餐 での 御 紹 介 の 状 況 につき, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた 秋 篠 宮 殿 下 に 伺 ったところ との 記 載 は, 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあったかを 伺 ったところ と 訂 正 します 以 上 の 経 過 を 踏 まえた 平 成 26 年 11 月 13 日 号 の 週 刊 文 春 の 記 事 についての 事 実 関 係 と 宮 内 庁 の 見 解 は 下 記 の 通 りです なお,この 点 における 当 庁 の 事 実 関 係 の 説 明 に 一 部 誤 解 を 与 える 点 があったことは, 週 刊 文 春 の 関 係 者 にも 通 知 しています 記
2/2 ページ 同 記 事 は, 十 一 年 前 の 衝 撃 的 な 出 来 事 との 小 見 出 しの 下 に,2003 年 10 月,メキシ コ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 大 統 領 に 対 する 天 皇 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 が, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまった ことから, 雅 子 妃 が 妃 殿 下 としての 自 己 の 存 在 について, 決 定 的 に 自 信 を 喪 失 した との 趣 旨 のことを 記 しています しかしながら, 以 下 に 記 すように,これまで 踏 襲 されてきた 皇 族 方 の 国 賓 に 対 する 御 紹 介 の 段 取 りからして, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして というようなことは 到 底 起 こり 得 ないこと です 宮 中 晩 餐 御 出 席 のために 宮 殿 南 車 寄 に 到 着 された 国 賓 御 夫 妻 をお 出 迎 えになった 両 陛 下 は, 国 賓 とご 一 緒 に 松 風 の 間 に 入 られます 間 内 では, 皇 太 子 同 妃 両 殿 下 始 め 皇 族 方 が, 御 身 位 の 順 に 列 立 してお 待 ちになっておられ, 天 皇 陛 下 は 皇 太 子 殿 下 から 順 番 に お 一 人 ずつ 国 賓 御 夫 妻 に 御 紹 介 になり,すぐその 後 に 続 き 皇 后 陛 下 が 同 様 にして 国 賓 夫 人 に 次 々と 皇 族 方 を 御 紹 介 になります そして 御 紹 介 が 完 了 すると 飲 み 物 が 供 され, 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の 御 懇 談 が 始 まります このようにして 進 められる 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の お 出 会 いは, 通 例 15 分 程 度 で 終 了 し, 次 いで 両 陛 下 と 国 賓 御 夫 妻 お 四 方 が 松 風 の 間 を 出,その 日 の 晩 餐 会 の 招 待 者 一 人 一 人 から 挨 拶 をお 受 けになるレシービング ラインに 立 たれるため, 石 橋 の 間 に 向 かわれます この 石 橋 の 間 での 行 事 の 完 了 後, 両 陛 下 は 国 賓 御 夫 妻 とご 一 緒 に,そして 皇 族 方 がその 後 を 進 まれ, 晩 餐 が 供 される 豊 明 殿 にお 入 りにな ります 以 上 のように, 国 賓 御 夫 妻 への 皇 族 方 の 御 紹 介 及 びそれに 続 く 行 事 は, 毎 回 全 く 同 じ 段 取 りで 取 り 進 められており,その 第 一 段 階 で, 秋 篠 宮 殿 下 以 下 全 員 の 皇 族 が 見 守 られ る 中 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こり 得 ません 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあ ったかを 伺 ったところ, 自 分 ( 殿 下 )は, 行 事 などの 際 に, 何 か 手 順 通 りに 進 められなかっ た 場 合 は, 直 ちに 気 が 付 く 方 だし,また, 再 発 を 防 ぐためにもかなりの 長 きにわたりそれを 記 憶 しているつもりだが,これまで 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 さ れたということは 決 してないと 思 う また, 万 一 にも 自 分 が 先 に 紹 介 されそうになったら, 自 分 は 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げ, 皇 太 子 妃 殿 下 の 紹 介 が 先 になるように 取 り 計 らったと 思 うとの 御 返 事 を 頂 きました 国 賓 を 迎 えるという 晴 れの 席 で, 天 皇 陛 下 がそのようなことをなさるという 事 実 に 反 する ことが 手 記 として 掲 載 されたことは, 陛 下 に 対 する 礼 を 失 する 誠 に 遺 憾 なことであります 宮 内 庁 : 100-8111 東 京 都 千 代 田 区 千 代 田 1-1 電 話 :03-3213-1111( 代 表 ) Copyright Imperial Household Agency. All Rights Reserved.
1/2 ページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について の 一 部 訂 正 について 平 成 27 年 12 月 1 日 宮 内 庁 は, 平 成 26 年 11 月 13 日 付 の 当 庁 ホームページ 週 刊 文 春 ( 平 成 26 年 11 月 13 日 号 )の 記 事 について と 題 する 発 表 文 の 中 で, 同 記 事 に 記 載 された 事 実 関 係 について 説 明 し,2003 年 10 月 のメキシコ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こ り 得 ないとの 見 解 を 示 し, 関 係 者 に 速 やかに 記 事 の 訂 正 を 求 めたことを 公 表 しました この 時 の 当 庁 の 見 解 に 何 ら 変 更 はありません 発 表 文 にある 秋 篠 宮 殿 下 の 御 発 言 は, 週 刊 文 春 がメキシコ 大 統 領 宮 中 晩 餐 において 大 統 領 に 対 する 紹 介 が, 皇 太 子 の 次 に 並 んでいた 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまったのだ との 友 納 氏 の 記 事 を 掲 載 したことから, 天 皇 陛 下 が 国 賓 に 皇 族 方 お 一 人 お 一 人 を 御 紹 介 する 場 において, 記 事 にあるような 奇 異 な 出 来 事 がこれまでにあったの かをお 伺 いしたことに 対 し, 殿 下 が, 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 万 一 にも 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 されそうになったら, 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げたと 思 うと 述 べられたことを 記 載 したものであります 週 刊 文 春 の 記 事 内 容 をそのままに 受 け 取 り, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 って しまったのだ との 同 誌 の 記 事 から, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた と 記 載 し たことにより, 実 際 には 当 日, 秋 篠 宮 殿 下 は 愛 知 県 お 成 りのため 欠 席 されていましたが, 秋 篠 宮 殿 下 がメキシコ 大 統 領 の 宮 中 晩 餐 におけるお 話 をされたような 印 象 を 与 えたことは 当 庁 の 不 手 際 でありました 当 時 の 発 表 文 の 中 で, 念 の 為 2003 年 10 月 にメキシコ 大 統 領 を 国 賓 としてお 迎 えした 際 の 宮 中 晩 餐 での 御 紹 介 の 状 況 につき, 当 時 皇 太 子 妃 殿 下 の 次 に 控 えておられた 秋 篠 宮 殿 下 に 伺 ったところ との 記 載 は, 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあったかを 伺 ったところ と 訂 正 します 以 上 の 経 過 を 踏 まえた 平 成 26 年 11 月 13 日 号 の 週 刊 文 春 の 記 事 についての 事 実 関 係 と 宮 内 庁 の 見 解 は 下 記 の 通 りです なお,この 点 における 当 庁 の 事 実 関 係 の 説 明 に 一 部 誤 解 を 与 える 点 があったことは, 週 刊 文 春 の 関 係 者 にも 通 知 しています 記
2/2 ページ 同 記 事 は, 十 一 年 前 の 衝 撃 的 な 出 来 事 との 小 見 出 しの 下 に,2003 年 10 月,メキシ コ 大 統 領 を 迎 えた 宮 中 晩 餐 の 前 席 で, 大 統 領 に 対 する 天 皇 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 が, 雅 子 妃 を 飛 ばして, 秋 篠 宮 殿 下 に 移 ってしまった ことから, 雅 子 妃 が 妃 殿 下 としての 自 己 の 存 在 について, 決 定 的 に 自 信 を 喪 失 した との 趣 旨 のことを 記 しています しかしながら, 以 下 に 記 すように,これまで 踏 襲 されてきた 皇 族 方 の 国 賓 に 対 する 御 紹 介 の 段 取 りからして, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして というようなことは 到 底 起 こり 得 ないこと です 宮 中 晩 餐 御 出 席 のために 宮 殿 南 車 寄 に 到 着 された 国 賓 御 夫 妻 をお 出 迎 えになった 両 陛 下 は, 国 賓 とご 一 緒 に 松 風 の 間 に 入 られます 間 内 では, 皇 太 子 同 妃 両 殿 下 始 め 皇 族 方 が, 御 身 位 の 順 に 列 立 してお 待 ちになっておられ, 天 皇 陛 下 は 皇 太 子 殿 下 から 順 番 に お 一 人 ずつ 国 賓 御 夫 妻 に 御 紹 介 になり,すぐその 後 に 続 き 皇 后 陛 下 が 同 様 にして 国 賓 夫 人 に 次 々と 皇 族 方 を 御 紹 介 になります そして 御 紹 介 が 完 了 すると 飲 み 物 が 供 され, 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の 御 懇 談 が 始 まります このようにして 進 められる 国 賓 御 夫 妻 と 皇 族 方 の お 出 会 いは, 通 例 15 分 程 度 で 終 了 し, 次 いで 両 陛 下 と 国 賓 御 夫 妻 お 四 方 が 松 風 の 間 を 出,その 日 の 晩 餐 会 の 招 待 者 一 人 一 人 から 挨 拶 をお 受 けになるレシービング ラインに 立 たれるため, 石 橋 の 間 に 向 かわれます この 石 橋 の 間 での 行 事 の 完 了 後, 両 陛 下 は 国 賓 御 夫 妻 とご 一 緒 に,そして 皇 族 方 がその 後 を 進 まれ, 晩 餐 が 供 される 豊 明 殿 にお 入 りにな ります 以 上 のように, 国 賓 御 夫 妻 への 皇 族 方 の 御 紹 介 及 びそれに 続 く 行 事 は, 毎 回 全 く 同 じ 段 取 りで 取 り 進 められており,その 第 一 段 階 で, 秋 篠 宮 殿 下 以 下 全 員 の 皇 族 が 見 守 られ る 中 で, 天 皇 陛 下 が, 皇 太 子 妃 殿 下 を 賓 客 に 御 紹 介 になることなく, 秋 篠 宮 殿 下 を 御 紹 介 になるというようなことは 到 底 起 こり 得 ません 念 の 為 宮 中 晩 餐 で, 出 席 されたすべての 皇 族 方 を 天 皇 陛 下 が 御 紹 介 する 場 において, 秋 篠 宮 殿 下 が 何 か 奇 異 に 感 じられたことがあ ったかを 伺 ったところ, 自 分 ( 殿 下 )は, 行 事 などの 際 に, 何 か 手 順 通 りに 進 められなかっ た 場 合 は, 直 ちに 気 が 付 く 方 だし,また, 再 発 を 防 ぐためにもかなりの 長 きにわたりそれを 記 憶 しているつもりだが,これまで 国 賓 をお 迎 えした 際 の 陛 下 の 皇 族 御 紹 介 で 何 か 手 順 と 異 なることを 陛 下 がなさったという 記 憶 は 全 くなく, 皇 太 子 妃 殿 下 を 飛 ばして 自 分 が 紹 介 さ れたということは 決 してないと 思 う また, 万 一 にも 自 分 が 先 に 紹 介 されそうになったら, 自 分 は 必 ずその 場 で 陛 下 に 申 し 上 げ, 皇 太 子 妃 殿 下 の 紹 介 が 先 になるように 取 り 計 らったと 思 うとの 御 返 事 を 頂 きました 国 賓 を 迎 えるという 晴 れの 席 で, 天 皇 陛 下 がそのようなことをなさるという 事 実 に 反 する ことが 手 記 として 掲 載 されたことは, 陛 下 に 対 する 礼 を 失 する 誠 に 遺 憾 なことであります 宮 内 庁 : 100-8111 東 京 都 千 代 田 区 千 代 田 1-1 電 話 :03-3213-1111( 代 表 ) Copyright Imperial Household Agency. All Rights Reserved.