オランウータンにもわかる 超 入 門 マレーシア 語 Intraasia 著 2004 年 8 月 に 今 週 のマレーシア で 初 掲 載 マレーシアをというよりボルネオ 島 部 を 代 表 する 動 物 である オランウータンとは 森 の 人 という 意 味 である と 案 外 多 くの 方 がご 存 知 ですよね それではオラン ウータンはなぜオ ランウータンと 呼 ばれるのかお 考 えになったことはありませんか? そこでオランウータ ンをオランウータンと 呼 ぶ 仕 組 みからマレーシア 語 の 解 説 に 入 っていきましょう オランウータンをオランウータンと 呼 ぶ 仕 組 み オランは"orang" と 書 き 人 の 意 味 ウータンは"hutan" と 表 記 し 森 森 林 の 意 味 で す つまりオラン ウータンは 人 森 の 順 に 並 んでいます これがマレーシア 語 の 最 も 基 本 的 な 仕 組 み つまり 文 法 の 骨 格 と もいえる 部 分 です 被 修 飾 語 (オラン)の 後 ろに 修 飾 語 (ウータン)が 来 るのです 日 本 語 は 修 飾 語 ( 森 )が 被 修 飾 語 ( 人 )の 前 に 来 る 言 語 ですが マレーシア 語 は 違 います 注 : 東 南 アジア 語 にはこういう 被 修 飾 語 + 修 飾 語 の 言 語 が 目 立 ちます インドネシア 語 タイ 語 ベトナム 語 など ヨーロッパ 語 にも 多 く フランス 語 スペイン 語 などです ですから 被 修 飾 語 + 修 飾 語 という 形 の 言 語 はごく 普 通 です 一 方 日 本 語 のような 修 飾 語 + 被 修 飾 語 の 代 表 的 な 言 語 は 英 語 やド イツ 語 ですから こちらも 普 通 にある 形 で す 要 するにどちららも 世 界 の 言 語 ではごく 普 通 なのです 単 に 慣 れだけの 問 題 ですか ら 半 年 もまじめに 勉 強 すれ ばこの 修 飾 形 式 に 違 和 感 はなくなります 修 飾 語 は 名 詞 でも 形 容 詞 でも 構 いませんから 形 容 詞 の 例 :"orang tua" 老 人 年 とった 人 年 老 いたという 意 味 の 形 容 詞 "tua "が "orang" を 修 飾 しています これは 日 本 語 でも 同 じですね 形 容 詞 の 例 : 赤 い 屋 根 名 詞 が 名 詞 を 修 飾 の 例 : 農 民 = 農 業 の 民 は 農 業 という 名 詞 が 民 を 修 飾 していま す hutan の 発 音 は フタン ですが 中 には[ h ] を 発 音 しない 人 もよくいるので そういう 場 合 は ウタン となります とりわけ 姉 妹 言 語 であるインドネシア 語 ではこう 言 うよう です ウーと 延 ばす 必 要 はないです
マレーシア 語 は 被 修 飾 語 + 修 飾 語 の 言 語 であると 覚 えましたら あとは 指 示 詞 でも 同 じですよ "ini" これ "itu" それ 又 はあれ という 指 示 詞 は 被 修 飾 語 の 後 ろに 来 ます つまり ( 被 修 飾 語 + 修 飾 語 ) + 指 示 詞 という 順 序 ですから "orang utan ini" は このオランウータン という 意 味 ですね 文 字 は 英 文 字 と 全 く 同 じ これまで 上 で 例 に 出 した 単 語 からおわかりのように マレーシア 語 の 文 字 はローマンアル ファベットをそのまま 用 います つまり 文 字 は 英 語 のアルファベット 26 文 字 と 100% 同 じ です フランス 語 のような 母 音 識 別 記 号 もありませんので オランウータン 君 のマレーシ ア 語 学 習 における 文 字 学 習 課 程 は 省 略 されることになります 発 音 学 習 に 時 間 のかからない 言 語 である 英 語 のアルファベットと 全 く 同 じだからといって 発 音 が 英 語 と 同 じにならないのは 別 の 言 語 である 以 上 当 然 です しかしマレーシア 語 は 音 韻 構 造 が 複 雑 ではあ りません 日 本 語 のように 母 音 と 子 音 が 少 なく 且 つ 難 度 の 高 い 発 音 の 子 音 がないので 発 音 面 での 学 習 はそ れほど 手 間 取 りません 口 の 形 をあれこれ 変 えたり 舌 の 位 置 をいくつも 覚 えなければで きないような 種 類 の 発 音 がほとんどないので オランウータン 君 も 安 心 です 注 : 一 般 に 他 の 言 語 ( 外 国 語 という 言 い 方 は 国 という 字 が 含 まれてるので 誤 解 をうみま す なぜなら 言 語 は 国 を 越 えて 存 在 しますから) を 述 べるときに すべて 英 語 を 例 に 出 す のは 言 語 の 規 範 がすべて 英 語 かのような 印 象 を 与 えるのでよくありません 残 念 ながら そう 思 っている 人 も 多 いので す 英 語 は 世 界 にあまたある 言 語 の 一 つだという 認 識 が 必 要 です しかしそうはいうものの 日 本 人 が 一 番 普 通 に 習 いかつある 程 度 の 素 養 があるの は やはり 英 語 ですからその 知 識 を 利 用 しないのももったいないことですね 母 音 は "a" " i" "u" "e" "o" と "あいまい 母 音 の e " の 合 計 6 つだけです つまり [ e ] と いう 文 字 には 2 種 類 の 発 音 があるわけですが 発 音 を 識 別 する 記 号 は 一 切 付 きませんので 単 語 毎 に 覚 えることになります "terima kasih" ありがとう という 単 語 の[ e ] はあい まい 母 音 です つまり トゥリマカシ というように 発 音 し テリマではありませんよ "perak " 銀 という 単 語 の[ e ] ははっきりとしたエですから ペラッ と 発 音 します 正 確 に 言 えばマレーシア 語 の 母 音 "a i u e o" は 日 本 語 の アイウエオ とは 幾 分 違 い ますが 超 入 門 編 ですから 日 本 語 式 に 発 音 しても 構 いませんし それで 大 体 通 じます た だ[u] だけは 口 をはっきりと 突 き 出 す 形 で ウ と 発 音 してください
注 : 日 本 語 のウは 国 際 音 標 文 字 (IPA)で 表 すと [u] ではないのですが そういう 音 声 学 の 詳 しい 点 はここでは 一 切 省 きます 日 本 語 は 音 声 学 面 から 言 えば 複 雑 ではない 言 語 です つまり 発 音 学 習 にあまり 時 間 がかからない 言 語 です 子 音 は b c d f g h j k l m n p q r s t v w x y z です すぐお 気 づきのようにマレーシア 語 にも [ l ] と [ r ] の 区 別 があります [ l ] と [ r ] は 英 語 のそれとほぼ 同 じとここで は 言 っておきます ですから 英 語 を 話 す 時 に[ l ] と [ r ] の 区 別 をちゃんとできる 方 は 全 く 問 題 ありませんね できない 方 は 当 然 ながら 区 別 して 発 音 する 癖 をつける 必 要 がありま す アジア 語 ヨーロッパ 語 を 通 じ て[ l ] と [ r ] を 区 別 する 言 語 は 多 数 派 ですから これに 関 してはしっかりと 区 別 発 音 する 練 習 を 繰 り 返 すことが 大 切 です 尚 [ r ] の 発 音 で 無 理 して 巻 き 舌 にする 必 要 はありません [ b ] [ v ] の 区 別 も 英 語 と 同 じとここでは 言 っておきますが マレーシア 語 の [ v ] で 始 まる 単 語 はほとんど 全 部 英 語 からの 借 用 語 であり 数 がたいへん 少 ないので ほとんど 気 にする 必 要 はありません 例 :" visa" ビサ 英 語 のビザです [ x ] で 始 まる 単 語 も 英 語 借 用 語 であり [ q ] で 始 まる 単 語 はほぼアラビア 語 の 借 用 語 であ り どちらも 初 級 者 は 通 常 目 にすることはないほど 少 ない 気 にする 必 要 はほとんどあり ません [ h ] と [ f ] の 区 別 も 英 語 と 似 ていますが 両 方 ともは 英 語 ほど 明 確 さはありません ど ういうことかというと 英 語 は 上 の 歯 で 舌 唇 をしっかりと 噛 みますが マレーシア 語 は 上 下 の 唇 を 軽 く 合 わせる 程 度 です ですから 日 本 人 には 楽 ですね 超 入 門 ですからもちろん 英 語 式 に 発 音 しても 構 いません さらに [ f ] が 語 頭 にくる 単 語 は 少 ないです 例 :"fikir" フィキー 考 えるの 意 です あと 注 意 する 発 音 としては[ c ] でしょう [ c ] は 日 本 語 の チャチュチョ と 同 じような 発 音 です 例 : "cantik" チャンティッ きれい 美 しいの 意 "curi" チュリ 盗 むの 意 "cinta" チンタ 愛 の 意 難 しい 発 音 もあります 難 しい 点 も 書 いておきます 語 末 にくる 子 音 は 発 音 する 口 の 形 にするがそれほどはっき りと 音 に 出 さない 日 本 語 は 母 音 で 終 る 単 語 がほとんどなので 最 後 も はっきりと 発 音 す るくせがついています しかし 英 語 のような 言 語 は 語 末 が 子 音 で 終 る 単 語 が 多 いですよね
だから dog ドッグ というように グ をはっきり 発 音 すると 英 語 らしさがな くなります これとマレーシア 語 もほぼ 同 じとここでは 言 っておきます ですから 最 基 本 単 語 の tidak ( 否 定 する 時 に 使 う 否 定 詞 ) を ティダク と 発 音 してはおかしく なります 語 末 の[ k ] は 発 音 する 口 の 形 のままで 終 らせます しかし 単 に ティダ だ けではこれまたおかしく 聞 えます ここでは 便 宜 的 に ティダッ と 表 記 して 区 別 し ます オランウータン 君 には 多 分 この 発 音 はできないでしょうが 人 間 様 は 練 習 すればできます から オランウータンに 差 をつけるためにも( 笑 ) 頑 張 って 練 習 しましょう 例 :"dekat" ドゥカッ 近 いの 意 ドゥカット ではありませんよ 上 で 例 に 出 した"perak " は ペラク ではありません 語 順 は 英 語 式 マレーシア 語 の 語 順 は Monyet ( 主 語 ) + makan( 動 詞 ) + oren ( 目 的 語 ) が 基 本 です この 文 章 と 同 じ 意 味 の 日 本 語 は サル( 主 語 )がミカン( 目 的 語 )を 食 べる ( 動 詞 ) ですから 動 詞 と 目 的 語 の 位 置 がひっくり 返 っていますね 英 語 は A monkey eats an orange. ですからマレーシア 語 式 です 注 : 主 語 + 動 詞 + 目 的 語 の 順 番 の 言 語 は 世 界 に 数 多 くあると 言 語 学 の 本 には 書 か れています タイ 語 中 国 語 ( 漢 語 ) 諸 語 フランス 語 ドイツ 語 など よく 知 られた 言 語 はこの 順 序 です ただし 代 名 詞 などが 目 的 語 になると 順 番 が 日 本 式 になるフランス 語 の ような 言 語 もあるし 中 国 語 では 介 詞 をいれて 目 的 語 を 動 詞 の 前 におく 場 合 も あります 動 詞 と 目 的 語 の 語 順 は 上 で 説 明 しました 修 飾 語 と 被 修 飾 語 の 順 番 と 同 じく 慣 れの 問 題 で す 頭 の 中 で 動 詞 が 先 という 規 則 を 適 用 させる 練 習 を 繰 り 返 せば 自 然 とそうなります つまり 自 然 になるくらいまでの 練 習 は 必 要 と 言 えます 例 :"Azizan mencintai Siti" こ れは"Azizan loves Siti " と 意 味 も 形 も 同 じですから 難 しくないですよね Azizan は 男 性 名 Siti は 女 性 名 です 主 語 + 動 詞 の 形 といえば 雨 が 降 る のような 場 合 は 日 本 語 と 同 じで "Hujan turun " となります 英 語 のようなヨーロッパ 語 の 多 くは 仮 定 主 語 を 立 てて"it rains" のように しますが マレーシア 語 は 日 本 語 流 です 動 詞 に 時 制 変 化 形 はない
英 語 を 習 う 時 過 去 形 現 在 完 了 形 進 行 形 といった 時 制 の 変 化 を 学 びますよね もっと も 英 語 はヨーロッパ 語 の 中 でも 時 制 変 化 の 少 ない 言 語 なのでその 変 化 を 覚 えること 自 体 にあまり 時 間 を 使 う 必 要 はありません 幸 運 なことにマレーシア 語 にはこの 時 制 変 化 が 全 くないのです ですから 文 章 の 現 在 過 去 未 来 に 関 わらず 一 つの 動 詞 形 で 間 に 合 います 次 ぎはその 例 です: Saya pergi ke Kuala Lumpur. 私 はクアラルンプールへ 行 きます という 平 叙 文 で 特 に 時 制 は 示 していません "pergi" は 行 くの 意 Saya pergi ke Kota Kinabalu tahun yang lalu. 昨 年 私 はコタキナバルへ 行 きました 文 中 に 過 去 を 示 すことば "tahun yang lalu" 昨 年 を 加 えたが 動 詞 形 は 変 化 しません Saya pergi ke Penang minggu depan. 来 週 私 はペナンへ 行 きます 文 中 に 未 来 を 示 す ことば" minggu depan" 来 週 を 加 えたが 動 詞 形 は 変 化 しません すでに 起 ったことを 述 べるには 時 間 の 経 過 過 去 を 示 すことばを 加 えるだけでいいので す 例 :kelmarin 昨 日 tadi 先 ほど sudah すでに これから 起 こることを 述 べるには 未 来 を 示 すことばを 加 えるだけです 例 :esok 明 日 nanti 後 に bulan depan 来 月 これから 何 何 するという 意 思 を 示 す 単 語 akan を 加 えれば 必 然 的 に 未 来 のことになる が 意 思 を 強 調 しない 限 り 無 理 に akan を 加 える 必 要 はない 例 :Saya akan pergi ke Ipoh esok. 明 日 私 はイポーへ 行 きます と はっきり 意 思 または 予 定 を 示 していますね 動 詞 の 人 称 変 化 もない さらに 動 詞 の 人 称 変 化 は 日 本 語 の 動 詞 と 同 様 に 全 くありません 英 語 の "A monkey eats an orange" の 例 をもう 1 度 あげますと "eat" は 3 人 称 のため"eats" となっていますね しかしこういった 変 化 はマレーシア 語 にはありませんから 気 が 楽 ですよ Monyet ( 主 語 ) + makan ( 動 詞 ) + oren ( 目 的 語 ) の 文 で 主 語 が "saya" 私 "dia" 彼 または 彼 女 "kami" 私 たち つまりどんな 人 称 に 替 わろうと 動 詞 は 常 に"makan "です 注 : 代 名 詞 dia が 彼 または 彼 女 の 両 方 の 意 味 を 持 っていることに どうしてと 思 われ る 方 がいらっしゃるかもしれません タイ 語 でも 同 様 に 一 つの 単 語 で 両 方 を 示 します ヨ ーロッパ 語 の 中 にもフランス 語 の"on" のように 語 義 の 一 部 として 両 性 を 示 す 単 語 がありま す 文 脈 の 中 で 男 女 はわかりますし わからなければ 説 明 的 に 言 えばいいので 両 性 を 示 す 3 人 称 代 名 詞 は 便 利 な 単 語 です
冠 詞 がない さらにもうお 気 づきのように マレーシア 語 には 冠 詞 がありません monyet サル と oren ミカン にあえて "satu" 一 つ を 加 えて 限 定 する 必 要 はありません "satu" を 付 ければ 複 数 のミカンでなく 一 つのミカン と 強 調 することになります 尚 その 際 "biji " という 助 数 詞 も 必 要 となりますが 超 入 門 段 階 では 省 いても 差 し 支 えません "The monkey " と 定 冠 詞 が 着 いた 英 文 の 場 合 これに 匹 敵 するマレーシア 語 の 表 現 は "Monyet itu" と いうように 指 示 詞 をつけて 表 現 する とここでは 言 っておきます つまり 定 冠 詞 もありま せんから この 面 では 日 本 語 と 同 じです 注 :"monyet yang tersebut" 場 合 によっては"monyetnya" というようにも 言 えますが そういった 中 級 表 現 はここでは 省 略 します 疑 問 文 の 形 疑 問 文 は 平 叙 文 の 最 後 を 抑 揚 させる 形 で"kah" をつけるのが 一 番 簡 単 です 君 はこの 件 に ついて(この 事 柄 が)わかりますか? という 文 を 例 にします 新 出 単 語 : awak おま え 君 あんた faham わかる 理 解 する perkara 事 柄 件 Awak faham perkara ini kah? しかしこの 形 は 口 語 であり いつもこればかり 使 っているとちょっと 俗 語 的 になってしま います そこで 疑 問 文 として 口 語 でも 書 記 でも 使 える 形 も 覚 えて 時 には 使 いましょう faham + kah という 形 です Fahamkah awak perkara ini? さらにちょっとあらたまった 形 の 疑 問 形 には "adakah" という 疑 問 詞 を 付 けますが 超 入 門 段 階 ではしいて 覚 える 必 要 はないでしょう 英 語 の do you + 動 詞 とは 考 えずに 疑 問 を 示 す 疑 問 詞 を 文 頭 に 置 くと 素 直 に 考 えればいいのです Adakah awak faham perkara ini? 注 :"apakah" とすると それはインドネシア 語 になりますのであまり 使 わないように( 間 違 いではないので もちろん 通 じる) この 疑 問 文 に 対 する 答 えは 肯 定 の 場 合 :"Ya" で 受 けます つまり Yes です 発 音 は ヤ(ー)
否 定 の 場 合 :"Tidak" で 受 けます つまり No です 発 音 は ティダッ 尚 名 詞 を 否 定 する 場 合 のみ "bukan" ブカン という 否 定 詞 を 用 います 例 : Ini bukan kereta baru. これは 新 車 ではありませんという 意 味 単 語 : kereta 車 自 動 車 baru 新 しい それではまとめましょう Kami lihat perlawanan bolasepak. という 文 を 例 にします 新 出 単 語 : lihat 見 る perlawanan 試 合 bolasepak サッカー です 意 味 は 私 たちはサッカーの 試 合 を 見 る です これを 昨 日 彼 はサッカーの 試 合 を 見 ましたか? と 変 え てみましょう Dia lihatkah perlawanan bolasepak kelmarin? となります "Dia" を 主 語 にして "kelmarin" 昨 日 ということばを 加 えれば 過 去 の 意 味 になるので す "perlawanan" の 後 ろから 修 飾 語 "bolasepak "がかかって サッカーの 試 合 となっ ていますね "lihat" は 人 称 でも 時 制 でも 変 わりませんからそのままであり 語 尾 に 疑 問 形 を 示 す "kah" がついていますね マレーシア 語 は 最 初 の 学 習 障 壁 が 低 い このようにマレーシア 語 は 初 級 段 階 を 終 えるまでは 学 習 障 壁 の 低 い 言 語 です 文 字 を 新 に 習 う 必 要 はないし 発 音 面 ではタイ 語 やベトナム 語 や 中 国 語 諸 語 にあ る 声 調 及 び 有 気 音 無 気 音 という 大 きな 壁 がありません ヨーロッパ 諸 語 にある 面 倒 くさい 動 詞 の 時 制 変 化 と 人 称 変 化 もありませんから 覚 えたその 日 から 動 詞 が 使 えます ここまではオランウータン 君 にもわかる 超 入 門 段 階 でした 1 週 間 程 度 のマレーシア 旅 行 の 際 に 旅 の 会 話 帖 のような 便 利 ブックを 持 参 される 方 は こういった 特 徴 を 頭 にいれておか れれば マレーシア 語 の 理 解 に 役 立 つはずです マレーシア 旅 行 の 後 でマレーシア 語 に 興 味 持 った またはマレーシアに 住 むから という 方 はこういうマレーシア 語 の 特 徴 を 踏 ま えて マレーシア 語 の 学 習 書 を 買 って 学 習 を 始 めてくださいね 90 年 代 と 違 って 書 店 にはマレーシア 語 学 習 書 が 実 に 増 えました 白 水 社 大 学 書 林 め こん といった 語 学 書 専 門 出 版 社 から 出 版 されていますよ それらの 学 習 書 ではこの 短 い コラムでは 触 れていない 触 れられない 点 などを 解 説 していますので 詳 しくはそういっ た 学 習 書 を 参 考 にしてください 注 : 広 義 のマレー 語 (ムラユ 語 )に 属 するマレーシア 語 は マレーシアの 専 門 家 が 文 法 音 韻 綴 り 面 などで 統 一 の 規 則 を 定 め それを 国 が 普 及 一 般 化 させて いる 言 語 です 姉
妹 言 語 であるインドネシア 語 は 同 じようにインドネシアの 立 場 から 規 則 を 定 め 国 が 普 及 一 般 化 させている 言 語 です どちらもマレー 語 出 自 ですから 基 本 構 造 特 徴 は 当 然 同 じですが 諸 所 の 面 で 違 いがあります おまけ:オランウータンにはわからない 中 級 レベルは 急 に 難 しくなる 最 後 にオランウータン 君 にはわからない 中 級 レベルのマレーシア 語 のお 話 しです 超 入 門 レベルだけの 知 識 では ちょっとした 複 雑 な 会 話 はできませんし 文 章 も 読 めませんか ら 中 級 になれば 次 ぎに 紹 介 するようなことを 学 習 することになるという 単 なる さわり です "buka" という 単 語 ( 語 幹 )は 開 けるという 意 味 です これが 規 則 に 従 がって 派 生 語 を 生 み 出 して 語 彙 を 豊 かにしていきます ア Jangan buka pintu untuknya. イ Jangan bukakan dia pintu. 両 方 とも 彼 のために 戸 を 開 けてはいけません という 意 味 ですが 動 詞 形 が 違 いま す mem + buka で 開 ける という 他 動 詞 になります 会 話 では mem を 省 くこと がよくあり buka+ 何 々 と アのように 簡 略 化 します mem+buka + kan で 誰 誰 のために 開 ける となります それが イ の 例 です pem + buka は 開 ける 人 の 意 ま たは 栓 抜 きのように 開 ける 道 具 の 意 pem + buka + an は 開 始 の 意 ter + buka は 公 開 された 開 けられたまま という 意 味 尚 untuk + dia untuknya と 変 化 します マレーシア 語 の 単 語 はこの 基 本 形 とも 言 える 語 幹 にいろいろな 接 辞 を 付 加 することで 意 味 が 増 え 品 詞 が 変 化 します つまり 基 になる 語 幹 の 前 または 後 ろまたは 前 後 ろの 両 方 に 決 められた 規 則 に 従 がって 接 頭 辞 と 接 尾 辞 などがつくことにより 語 彙 を 豊 かにしていき ます その 際 語 幹 の 一 部 が 変 化 したり 消 えたりする ので 基 となる 語 幹 を 知 らないと 辞 書 が 引 けないことになります その 例 を 上 げます: 文 章 中 には 通 常 menganggur と 出 てきますが この 語 の 語 幹 は "anggur" なので 辞 書 は anggur で 引 きます meng + anggur 失 業 する peng + anggur 失 業 者 peng + anggur + an 失 業 というように 派 生 語 が 豊 かになります "tempat" は 場 所 容 器 地 点 場 所 地 区 などとたくさんの 意 味 がある 基 本 語 です これ が 動 詞 化 すると 語 頭 の[t] が 消 えます menempati その 場 に 住 む 占 有 する とい った 意 味 です petempatan 居 住 地 bertempat 住 むところがある つまり 住 む な どと 派 生 語 が 増 えていきます
どうですか? 複 雑 になってきますね この 中 級 レベルになると 嫌 になる 人 が 増 えてきま す(イントラアジアも 時 々そうなりますよ) でも 語 学 はここが 分 水 嶺 ですから オランウ ータン 君 との 差 を 広 げたい 人 はここで 頑 張 って 下 さい( 笑 )