20 2013310 日 西 581983 1984 月 日 生 大 行行 方 青 高 青 青 西 高 民 生 日 月 日 大 行行 方 火 面 生
奥尻町の復旧 復興過程① 年 月 日 主なことがら 1993年7 月12 日 22 17北海道南 西沖地震発 生 13 日 救援 救助活動の本格化 16 日 仮設住宅のニーズ把握開始 奥尻町災害住宅復興資 金金貸付受付開始 フェリー運 行行再開 水道全島の2/3再開 電気復旧 17 日 航空機運 行行再開 18 日 第1次仮設住宅建設開始(100 戸) 沿岸部 津波被害 奥尻地区 斜 面崩落 青苗地区 津波と 火 災による被害 20 日 義援 金金の第 一部配分 北海道都市整備課 奥尻町 長 奥尻町企画課 長 区画整理の 方針 を協議 21 日 北海道住宅都市部 長視察(瀬棚 北檜 山 大成 江差 奥尻)(7/21 22) 北海道都市整備課 建設省区画整理課へ 区画整理の 方針決定 を連絡する 北海道 立立寒地住宅都市研究所 青苗地区の整備 方針の検討を始める (事業 手法の検討は 8 月半ばから) 22 日 奥尻町 第1次仮設住宅 入居説明会 選考会 23 日 北海道 復興区画整理(建設省) の 方針を決定 24 日 奥尻町 奥尻町被災者の住宅対策のため住 民アンケート調査実施(27 日回収) 撮影 国際航業株式会社 25 日 蘇る夢の島 奥尻町1996)より引用 奥尻町の復旧 復興過程② 年 月 日 奥尻町の復旧 復興過程③ 主なことがら 1993年7 月27 日 仮設住宅完成 28 日 仮設住宅の 入居開始 年 月 日 21 日 考える会 アンケート結果に基づき 一部 高台移転案を決議 22 日 一部 高台移転案が町議会で了承 8 月6 日 義援 金金配分 12 月3 日 奥尻町から北海道へ復興 方針について回答 19 日 北海道が復興計画素案を策定し 奥尻町へ 示す 9 日 北海道 南 西沖地震災害復興対策推進委員会 を設置 28 日 島内の避難所すべて閉鎖 20 日 町議会で上記素案を基本として復興計画を進めることを了承 1994年2 月 奥尻島全島にわたる防潮堤の整備事業計画が決定 3 月16 日 地震で倒壊した 青苗岬灯台が再建 点灯 3 月30 日 津波のため 立立て替えになった稲穂 小学校落成式 29 日 奥尻町が 行行 方不明者の捜索打ち切り 30 日 大学や国 立立研究機関の専 門家による 北海道南 西沖地震津波検討委員会 を設置 9 月1 日 道の災害弔慰 金金第1期2,500万円を5町に配分 11 日 合同慰霊祭 奥尻町 南 西沖地震災害復興対策推進委員会 内 まちづくり対策プロジェクトチー 24 日 ム により 青苗地区の①案 全 戸 高台移転 ②案 一部 高台移転(低地に90 戸 の漁師町)が 示される 30 日 上記2案が町議会に 示される 10 月1 日 役場内に災害復興対策室設置 9 日 奥尻の復興を考える会 以下 考える会 結成 19 日 青苗地区で集落移転に関する全体説明会 28 日 住区別の懇談会を開催 主なことがら 1993年11 月8-12 日 考える会 青苗地区住 民アンケート実施 30 日 北海道 奥尻災害復興 支援プロジェクトチーム 設置 20 日 北海道庁企画振興部に 南 西沖地震災害復興対策室 を設置 奥尻町 第2次仮設住宅建設開始(100 戸) 電話全 面復旧 12 月20 日 斜 面崩落をした観 音 山壁画除幕式 奥尻町 7 月12 日 北海道南 西沖地震奥尻島2周年追悼式 奥尻島追悼洋上慰霊祭 主催 奥尻町 奥尻島観光協会 1995年8 月1 日 ウニ漁再開 1996年2 月 各地区で防潮堤説明会開催 3 月 土盛 工事 防潮堤 工事 下 水道 工事終了 仮設住宅撤去 10 月 12 月 1997年3 月 6 月22 日 23 日 住宅新築ほぼ終了 防潮堤がほぼ完成 奥尻三 大祭り 賽の河原祭り 協賛 行行事復活 地区慰霊碑建 立立 2
20 2013310 月 日 月 日 長 言 月 日 月 日 西 月 日 民 月 日 月 日 青 人 工 月 日 月 日 月 日 入 長 月 日 月 日 月 大 行行 入 立立 高 月 日 月 日 月 日 日 大 月 日 行行 月 山 方 大 目 小 目 生 人 生 生 水 金金 子 文 水 文 土 用 文
青苗地区の復興計画 蘇る夢の島 より 人工地盤 人工地盤 4
被災3ヶ 月後の 青苗地区 1993年10月9日撮影 災害から10年後の 青苗地区 定池家所蔵 2003年10月 定池撮影 5
初松前地区 現在の 青苗地区 撮影日 2010年7月13日 蘇る夢の島 より 初松前地区の防潮堤 11m 6
地域住民の活動 復興事業終了後の奥尻町 奥尻の復興を考える会 青苗地区住民による既存組 織が災害後に変化し結成 住民の意見をとりまとめ 行政との交渉役を果たす 特に生活再建支援の獲得に関し 住民運動の高まりが 見られた 火災保険金を請求する会 青苗地区の住民を原告と し 損害保険会社に火災保険の支払いを求める 地震保険の説明の有無が問われ 説明があれば加入 した と原告が主張 損保会社は連日地震保険についてCMを流す 最高裁で敗訴したものの 損保会社が全国の火災保険 加入者で地震保険未加入の全世帯に地震保険加入の案 内を郵送した 奥尻町をめぐる状況 切り崩し型の復興基金 H19年で運用終了 復興事業で建設した施設のメンテナンス費用が 不足 建設業の停滞 若者の島外流出 業者の淘汰 多角経営化 不況そのものに加え フェリー 航空機の減便 による観光客数の減少 1993年当時の人口約4,300人 2013年1月末 3,033人 7
20 2013310 子 人 支 青 民 手 支