第 1 章古代までの日本 1 文明のおこり 人類の出現から国家の誕生までの流れをつかませる 各文明の特徴を写真や資料を使っておさえていく P.5 ~ 10 1 人類の出現 (P.5) ⑴ ⑵ 猿人アウストラロピテクス 原人ジャワ原人 北京原人 新人クロマニヨン人 旧石器時代打製石器や骨格器 狩りや採集 新石器時代磨製石器や土器 農耕が始まる 2 古代文明と宗教のおこり (P.5) ⑴ 国 家の誕生 余剰生産物をめぐる争いから支配する者, 支配される者が発 生し国家が誕生した ⑵ エジプトエジプト文明 メソポタミア インドインダス文明 中国 中国文明 ⑶ 仏教シャカ ( インド ) メソポタミア文明 キリスト教イエス ( 西アジア, パレスチナ地方 ) イスラム教 ムハンマド ( 西アジア )7 世紀 3 アジアの古代文明 (P.6) ⑴ 中国 ( 黄河 ) 文明 1 殷 2 紀元前 16 世紀ごろ, 黄河流域でおこる 青銅器, 甲骨文字, 占い 周 紀元前 11 世紀ごろ殷を滅ぼし紀元前 8 世紀ごろ勢力はお とろえた 3 春秋 戦国時代 4 秦 5 漢 紀元前 8 世紀ごろから戦乱の時代 鉄製の農具や武器の使用 農業や商業の発達 孔子儒教 ( 儒学 ) 6 朝鮮半島 紀元前 221 年, 始皇帝による厳しい政治 万里の長城 中国を統一して大帝国を築いた シルクロード, 紙 紀元前後, 北部に高句麗がおこった ⑵ インダス文明インダス川流域でおこった 住居や上下水道, 大浴場の遺跡もみつかり計画性のある都市 づくりがされていた 仏 教 ⑶ メ ソポタミア文明 紀元前 5 世紀ごろ, シャカが教えを説いた インドか ら中国 朝鮮半島を経て, 日本にも伝わった 紀元前 3500 年ごろに現在のイラクを流れる 2 つの大河には さまれた地域でおこった くさび形文字, 太陰暦,60 進法 4 アフリカ, ヨーロッパの古代文明 (P.7) ⑴ エジプト文明紀元前 3100 年ごろ, ナイル川流域でおこる ⑵ ⑶ 王の墓ピラミッド, 神殿や墓に刻まれた象形文字 ( 神聖文字 ) ギリシャ ポリスという都市国家が生まれた それぞれのポリスに神殿 があり, アテネでは成人男子による民主政治 ギリシャ文字が のちにアルファベットになる ローマ イタリア半島の都市国家は戦争や外交で領土を広げ, 地中海 一帯を支配 紀元前 1 世紀ごろからローマは皇帝が治めるよう になり, ローマ帝国が成立 2 世紀ごろにはヨーロッパの大部 分を支配した 道路や水道橋がつくられた ユダヤ人の中から イエスがあらわれキリスト教のおこりとなった 1 人類の出現 ⑴ 猿人アウストラロピテクスは猿人と呼ばれ,1924 年, 南アフリカのトランスバードで発見された 最古の人類と言われるが, アフリカ西部などで更に古いといわれる人骨も発見されている 原人 ジャワ原人や北京原人は原人といわれる ジャワ原人 ( 直立猿人 ) はピカントロプス = エレクトゥス, 北京原人はシナントロプス = ペキネンシス 原人は現在の人類の祖先ではない 新人現在の人類の直接の祖先はホモ = サピエンスであり, その最古のものはクロマニヨン人などである クロマニヨン人は 1868 年, 南フランスのエーゼル川流域の遺跡から発見された 長身でヨーロッパや北アフリカの各地に分布し, ラスコーやアルタミラに有名な壁画を残している ⑵ 旧石器時代は, 人類はまだ狩猟と採集の段階にあり, 打製石器や骨格器を使用したが, 土器や磨製石器は制作することができなかった 猿人の時代から新人の時代まで極めて長い時期であり先土器時代 ( 無土器時代 ) ともいわれる 新石器時代は磨製石器を使用するようになった時代であり, 約 1 万年前から金属器が発明されるまでの時期である 日本では縄文時代がこれにあたる 2 古代文明と宗教のおこり ⑴ 国家は都市や神殿をつくり, 文字や青銅器を使用した ⑵ エジプト文明 ( ナイル川 ), メソポタミア文明 ( チグリス ユーフラテス川 ), インダス文明 ( インダス川 ), 中国文明 ( 黄河 ) それぞれの文明と関係する大河の名称を地図上で確認すること ⑶ 仏教, キリスト教, イスラム教が開かれた地域を地図上で確認すること 3 アジアの古代文明 ⑴ 中国文明占いによる政治が行われ, 漢字のもととなった甲骨文字が使われた 甲骨文字は, 亀の甲羅や牛の骨に刻まれた象形文字である 孔子は儒教のもとになる教えを説き, 秦の始皇帝は遊牧民の侵入を防ぐため, 万里の長城を整備した その後, 西方との交通路としてシルクロードが開かれ, 中国の絹がローマ帝国へ運ばれた ⑵ インダス文明優れた青銅器が使われ, 整った都市施設やレンガづくりの住宅が建てられた 麦や綿花などの栽培が行われた ⑶ メソポタミア文明天文学が発達し, 太陰暦がつくられた 7 日を 1 週間とする 7 曜制や 60 進法が発明された 粘土の板に刻みつけて記録をとっていた ( くさび形文字 ) 4 アフリカ ヨーロッパの古代文明 ⑴ エジプト文明ナイル川の洪水の時期を知るために天文学が発達し, 太陽暦がつくられた また, 洪水のあとの土地を測量するために数学や測量術が発達した ⑵ ギリシャアクロポリスという小高い丘に神殿を作っていた アテネはペルシャ王朝の侵入に対して多くのポリスをまとめて撃退した 西アジアにいたフェニキア人が作った文字を改良 のちのアルファベット ⑶ ローマローマの支配のもと, アフリカやヨーロッパに多くの都市が発達 都市と都市を結ぶ道路や, 都市に水を引く水道橋がつくられた イ エス神を信じる者は救われると説いた キリスト教のおこり
第 1 章古代までの日本 2 日本の成り立ち 日本の歴史のはじまりを遺跡や古墳などを中心につかませる 地名や人名が難読なので, くり返し指導する P.11 ~ 16 1 原始の日本 (P.11) 1 原始の日本 ⑴ 旧石器時代岩宿遺跡 ( 群馬県 ) 打製石器が発見 ⑴ 岩 宿遺跡 ⑵ 縄文時代縄文土器 ( 縄目の模様 ), 磨製石器, 竪穴住居 1949 年, 相沢忠洋という青年が関東ローム層の中から打製 石器を発見した このことによって, 日本にも旧石器を使う大森貝塚, 土偶, 三内丸山遺跡人々がいたことが明らかになった ⑶ 弥生時代稲作, 石包丁, 高床倉庫, 弥生土器 ( 赤褐色 ) ⑵ 縄 文時代 青銅器銅剣, 銅鐸, 銅鏡 祭りの宝物 狩りに都合のよい台地などに竪穴住居をつくって住み, 移動 鉄器 武器や工具 する生活を送っていた 獲物は仲間で分け, 貧富の差はなかっ 2 小国の誕生 (P.12) たと考えられている 自然を神とし, 占いやまじないに頼って ⑴ むらからくに ( 国 ) へ食料が余るようになると貧富の差が生まれた むらの取り決 いた ⑶ 弥 生時代 めをする指導者の出現 他のむらと争うようになり, 有力な指導者のいるむらは周りのむらを従え, くにという政治的なまとまりを作った 各地に小国が生まれた 稲作が広まり, 人々はむらを作り, 共同作業で田を耕し, 収穫した米やもみは高床倉庫に貯蔵した むら には指導者が現れ, 有力なむらが小さなむらを従え, 小さな国家が形成され ⑵ 吉野ヶ里遺跡 ( 佐賀県 ) 弥生時代の遺跡 物見やぐらや柵, 濠をそなえた大きな集落のあとが発見された ていく時代である 2 小国の誕生 ⑴ むらで行われる共同の仕事を指示する指導者が現れた 稲作 ⑶ 紀元前後の日本 漢書 倭 100 余りの国がある により食料が余るようになると貧富の差が生まれ, 水や土地を ⑷ 奴国の王 めぐる争いがおきると仲裁したり, むらの人々をひきいて他の 後漢書 金印を中国の皇帝から授かったと記されている むらを攻めた ( むらの周囲には柵や濠がめぐらされていた ) ⑸ 邪馬台国 3 世紀ごろ 30 余りの小国を従えた有力な国 稲作や養蚕を くにというまとまりが各地に増え, 小国の指導者は王や豪族と呼ばれ, その地方を支配した 行い, 納税していた 王から奴隷まで身分の違いがあった 卑弥呼邪馬台国の女王 ⑵ 吉野ヶ里遺跡物見やぐらや柵, 二重の深い濠のある集落のあとが発見され た 矢が刺さったままの人骨も発見され争いがあったと考えら 魏志 倭人伝れている 卑弥呼は魏に使いを送り, 親魏倭王 の称号と金印や銅 ⑶ 中国の歴史書 漢書 に倭には 100 余りの国があり, その中 鏡がおくられたと記されている (239 年 ) には中国に使者を送る国があったと記されている 3 古代国家の成立 (P.13) ⑷ 後漢書 には中国の後漢に使いを送り, 皇帝から金印を授 ⑴ 大和政権九州から東北北部までを支配 大王は天皇の祖先といわれる かったと記されている 江戸時代に福岡県の志賀島の土の中から見つかった 資料で金印の特徴を確認させること ⑵ 古墳の出現大規模な墓がつくられるようになった その多くが前方後円 ⑸ 卑弥呼 魏志 倭人伝によると, 巫女のような存在で, 占いやまじな 墳だった ( 円形と四角形を組み合わせた形 ) いで政治を行った 死んだあと大きな墓が造られたと言われて ⑶ 大陸との関係 鉄などの資源を求めて朝鮮半島南部へ進出 いる 魏から 親魏倭王 の称号と金印や銅鏡 100 枚などが贈 伽耶 ( 加羅 任那 ) 地方の小国や百済と組み高句麗 新羅と戦った 倭王 武 中国南部へ使いを送り, 倭王としての地位と朝鮮半島南部を軍事的に支配する権利を認めてもらおうとする られた 邪馬台国の場所は九州や近畿などさまざまな説がある 3 古代国家の成立 ⑴ 豪族氏という集団を作り, 代々決まった仕事で大和政権に仕えた 地方の豪族はその土地を支配し, 大和政権へ貢ぎ物を納めた ⑵ 大和政権の支配が広がるにつれて, 各地に豪族をほうむるた ⑷ 古墳文化古墳天皇や豪族の墓 頂上や周りには埴輪 内部には銅鏡 や武器, 馬具などが納められた めに古墳が作られるようになった ⑷ 古墳は表面に石がしきつめられ, 頂上や周りには埴輪が並べられた 埴輪は人物や馬, 家屋など様々な形をしたものがあっ 神 太陽や雨風など自然現象を神のしわざと信仰するように た 近畿地方の豪族から勢力を伸ばした大和政権 埼玉県の稲 荷山古墳や熊本県の江田船山古墳があるように九州から東北なる 地方北部までを支配していたことがわかる この 2 つの古墳か渡来人 朝鮮半島や中国大陸から一族で移住 土木 養蚕 らは ワカタケル大王 の名前が刻まれていた鉄器が出土した 機織 須恵器 漢字 儒教 仏教などを伝えた 倭王 武 は ワカタケル大王 と同一人物と考えられている
第 1 章古代までの日本 3 飛鳥時代 6 ~ 7 世紀の東アジアの動きと日本への影響, イスラム帝国の成立についてつかませる 聖徳太子の政治と飛鳥文化, 天皇中心の国づくりへの動き ( 大化の改新と律令制度の成立 ) を理解させる P.17 ~ 22 1 東アジアの動きとイスラム帝国 (P.17) ⑴ 隋 ⑵ 唐 ⑶ ⑷ 6 世紀末, 南北に分かれていた中国を統一 7 世紀はじめ, 隋にかわって中国を支配 律令制度, 均田制, 租 庸 調の税制 都の長安 朝鮮半島 新羅 国際都市 7 世紀後半, 唐と組んで百済 高句麗を滅ぼし, 唐の勢力 も押しのけて朝鮮半島を統一 仏教文化が栄える 白村江の戦い (663 年 ) 百済 高句麗と日本が組み, 唐 新羅の連合軍と戦い敗れた イスラム帝国 7 世紀, ムハンマドがイスラム教をおこす 後継者たちが各地を征服 イスラム帝国 2 聖徳太子の政治 (P.18) ⑴ 豪 族の対立 6 世紀後半, 仏教の導入を求める蘇我氏は対立する物部氏を 倒し, 政権をにぎった ⑵ 聖徳太子 推古天皇の摂政 冠位十二階 十七条の憲法 遣隋使の派 遣 法隆寺の建立 ⑶ 飛鳥文化 飛鳥地方を中心に日本で最初の仏教文化 建築や美術品はシ ルクロードを通って中国へ渡り日本にも大きな影響を与えた 法隆寺日本最古の木造建築 聖徳太子が建立 3 大化の改新と律令制度の成立 (P.19) ⑴ 大化の改新 645 年中大兄皇子 中臣鎌足らが蘇我氏を滅ぼす 公地公民 ⑵ 天智天皇 ⑶ 壬申の乱 ⑷ 藤 原京 ⑸ 白村江の戦い 大津宮 ( 滋賀県 ) で中大兄皇子が即位 天智天皇の後継者争い 天武天皇が即位 天武天皇の妃で, 夫の死後に即位した持統天皇が飛鳥地方に つくった 日本史上最初で最大と言われる 律令制度の確立 大宝律令 701 年に制定された律令政治の基本法 天皇と貴族を中心に 2 官 8 省などの役所がおかれた 地方 には国 郡 里の 3 つに分け九州には大宰府, 東北には多賀 城が設置された 6 年ごとに戸籍も作られ身分制度があった 1 東アジアの動きとイスラム帝国 ⑴ 隋法律を整える ( 残酷な刑罰の廃止, 律を簡素化 ) 試験による役人選出 ( 今までは貴族に任命権があった ) 大運河の建設, 外国への遠征 国民の負担 ( 大 ) 反乱 滅亡 ⑵ 唐律令制度全国を支配する中央集権のしくみ 均田制農民を戸籍に登録して土地を支給する 租 庸 調 ( 租 ) 粟 ( 穀物 )2 石 ( 庸 ) 年間 20 日の労役の免除 1 日あたり絹 3 尺または布 3.75 尺 ( 調 ) 絹 2 丈, 綿 3 両 府兵制戸籍に基づき 3 年に 1 度徴兵の義務 長安 唐の都 日本からは遣唐使が送られ唐の制度や文 化を学んだ ⑶ 白村江の戦い以降, 日本は九州北部に防人という兵士を配置 各地に山城 水城を築き西日本の守備をした ⑷ イスラム帝国 ムハンマドの後継者たちは各地を征服し,8 世紀には中央ア ジアからスペインにまたがる帝国になった 2 聖徳太子の政治 冠位十二階 冠の色で朝廷での地位を示した制度 家柄にとらわれず才能 や功績のある人物を役人にするため始めた 十七条の憲法 天皇に仕える役人としての心構えを示した 仏教や儒教の考 え方も取り入れている 遣隋使小野妹子らを派遣 随と対等な国交を目指した 飛鳥文化 仏教が根づき始めると, それまでの古墳にかえて寺院を建て ることで権威を示そうとする豪族が増えた 法隆寺 別名 : 斑鳩寺釈迦三尊像や玉虫厨子などの工芸品がある 3 大化の改新と律令制度 中大兄皇子 大化の改新後, 百済を助けて朝鮮半島に出兵したが白村江の 戦いで敗れ, 撤退した 後に天智天皇となり律令政治の基礎を かためた 死後, 皇位をめぐって壬申の乱が起こった 天武天皇 壬申の乱にて大友皇子を破り, 大海人皇子が即位 天皇を称 号とし, 日本を国号とした最初の天皇とも言われる 大宝律令 この律令の制定によって, 天皇を中心とした 2 官 8 省の役所 がおかれた 天皇 神祇官 太政官 中務省天皇周辺の仕事 式部省役人の人事, 学校の管理 治部省貴族 僧の儀式, 外交 民部省戸籍の管理, 租税 兵部省武人の人事 軍事一般 刑部省刑罰 良民 賤民の管理 大蔵省財政 計量の単位の管理 宮内省宮中の一般的な業務
第 1 章古代までの日本 4 奈良時代 奈良時代の政治と経済についてつかませる 遣唐使 ( 派遣の目的 影響 ), 天平文化の特色と重要事項を理解させる P.23 ~ 28 1 平城京 (P.23) ⑴ 奈良の都 710 年, 平城京唐の長安が見本 広い道路, ごばんの目のように区分 ( 内裏や役所, 皇族や貴族, 庶民の家, 寺院 ) ⑵ 貨幣の発行和同開珎 (708 年 ) 都の市にて流通していた ⑶ 木簡の記録木簡 細長い木の板に墨で字を書いたもの ⑷ 交 通の整備 都と地方を結ぶ道路が整備され一定の間隔で駅が設けられた 2 農民の生活と土地制度 (P.24) ⑴ 班田収授法 6 歳以上の男女に口分田が与えられた ⑵ 農民の義務 租 庸 調の税 雑徭 兵役などの重い義務があった ⑶ 農民の生活 1 平城京 ⑴ 710 年, 藤原京から移され 784 年に京都の長岡京に移るまでの都 唐の都, 長安にならった東西 4 km 南北 5 km の大規模 な都であった ⑵ 和 同開珎 708 年, 唐の貨幣にならって造られた 都やその周辺の地域で使われたが, 地方では使われていない ⑶ 木 簡当時は紙が貴重だったため, 荷札や書類, 手紙にも使われていた 削って書き直したり, 再利用したりしていた ⑷ 駅当時の駅には馬が飼われていた 駅では, 馬に対する給餌や ⑷ 税 租 口分田の面積に応じて稲を納める 庸 労役の代わりの布を納める 農民が都 まで運ん 調 地方の特産物を納める で納める 労役雑徭国司のもとで年間 60 日以内の労働につく 兵役 兵士 衛士 防人 開墾の奨励 墾田永年私財法 成年男子は, 地方の軍団に所属する 兵士から選ばれ, 都の警備につく 兵士から選ばれ, 九州北部の警備につく 開墾した土地であれば永久に私有してもよいと認める法律 荘園 貴族や豪族が逃亡してきた農民などを使って開墾を行い私 有地にしていった土地 公地公民の崩壊 3 遣唐使と天平文化 (P.25) ⑴ 遣唐使唐の制度や文化を学ぶ 阿 倍仲麻呂 唐に渡った留学生 唐の皇帝に重用され, 唐の高官になっ た 日本に帰国できず唐で一生を終えた 鑑真 ⑵ 聖武天皇 ⑶ 天 平文化 ⑷ 中国から来日 奈良に唐招提寺を建て, 仏教を広めた 国ごとに国分寺 国分尼寺 都に東大寺と大仏 都を中心に唐と仏教の影響を受けた国際色豊かな文化 歴史書 和歌集の慣性 古事記 日本書紀 神話や伝承, 記録などをもとにして国の成り立ち, 天皇が 国を治めるいわれをまとめた歴史書 風土記 地方の国ごとに地理や自然, 産物, 伝説などをまとめた書物 万葉集 天皇, 貴族, 農民や防人の歌者含めた約 4500 首の作品を まとめた和歌集 柿本人麻呂, 山上憶良, 大伴家持など 乗り換えが行われていた 2 農民の生活と土地制度 ⑴ 班 田収授法 律令制のもとになった土地制度 戸籍 計帳に基づいて口分 田が与えられた こうして与えられた田は課税対象であり, そ の収穫から租が徴収された ⑵ 農 民の義務 ⑷ 税や労役, 兵役さらには工事などにも動員され, 生活は大 変苦しかった そのため負担から逃れようと逃亡 浮浪する者, 偽籍する者が増えた 墾 田永年私財法 税が重く, 逃亡する農民が増えて口分田が荒れた また人口 も増加した口分田が不足してきた 聖武天皇は開墾を奨励する ために, 新しく開墾した土地の私有を認めた その結果, 有力 な貴族や豪族が農民を使い, 開墾を進めて私有地を増やし, こ れが荘園となった 3 遣唐使と天平文化 ⑴ 遣 唐使 ⑵ 630 年から 894 年まで,10 数回に渡って派遣された ふつう 4 隻の船に分乗し, 僧や留学生なども加わった 聖 武天皇 奈良時代の中で最も政治が充実した また仏教を保護したの で, 仏教文化が栄えた 東大寺は総国分寺で, 倉庫として建て られた正倉院には大仏開眼の儀式に使われた品物や聖武天皇の 日用品などが収められている 宝物にはインドや西アジアの文 化の影響がみられるものもある 行 基 民衆や豪族層を問わず広く仏教の教えを説き, 人々に篤く 崇敬された 道場や寺, 橋や用水路などをつくった 東大 寺 大仏建立の責任者として招かれている
第 1 章古代までの日本 平安時代の政治 ( 桓武天皇による政治 摂関政治 ) についてつかませる 国風文化の特色と重要事項を理解させる 5 平安京と摂関政治 P.29 ~ 34 1 平安京 (P.29) 1 平安京 ⑴ 平 安京 ⑴ 794 年に桓武天皇が京都の長岡京から移した 構造は平城京 桓武天皇が奈良から京都 ( 長岡京 ) に都を移し,794 年に平安京 ( 京都府 ) を造営 と似ている これから 400 年間は日本の政治 文化の中心地であった ⑵ 律令政治の立て直し ⑵ 班 田収授法の強化 貴族や寺院による大土地所有者が進み班田の実施が困難と班田収授法の強化 国司の監督を強化 郡司の子弟から兵士なった そのため,801 年に班田の支給を 6 年から 12 年にのばの募集し, 完成に励行させようとした しかしあまり効果はなかった ⑶ 東北地方の支配 ⑶ 東 北地方の支配 坂上田村麻呂 征夷大将軍として東北征定 胆沢城 ( 岩手県 ) を拠点とし, 蝦夷を攻めた 東北地方には独自の生活を送る蝦夷がいた 朝廷に従わなかったため, 坂上田村麻呂を征夷大将軍に命じ, 蝦夷を攻め朝 ⑷ 新しい仏教 廷の勢力を広げていった 最澄 天台宗 比叡山延暦寺 2 摂関政治 空海 真言宗 高野山金剛峰寺 2 摂関政治 (P.30) ⑴ 藤 原氏の勢力拡大 藤原氏は他の貴族を退けるとともに, 娘を天皇の妃にし, そ の子を天皇に立て, 勢力を拡大していった ⑵ 摂関政治 藤原道長 頼道のとき全盛 摂政 天皇が幼いとき, または女性 関白 成人した天皇を補佐する ⑶ 遣唐使の廃止 894 年, 遣唐使派遣の停止 ( 菅原道真 ) ⑷ 地方の動き国司 自分の収入を増やすことばかりに熱心になり, 地方の政 治が乱れた 豪族や有力な農民が開墾した土地は荘園となり, 貴族や寺社が名目上の所有者となり大きな収入源となった ⑸ 東アジアの動き 9 世紀後半に藤原良房が摂政に, 藤原基経が関白となり, 摂関政治の基礎を築いた その後, 多くの荘園をもち豊かな経済力の藤原氏が代々摂政と関白の地位を独占した 11 世紀の後半に藤原氏と関係のうすい後三条天皇が即位して衰えた 藤原道長 4 人の娘を天皇の妃にし, その子を天皇にして政治を独占した この子の頼道は, この世に極楽浄土を実現しようと宇治に平等院鳳凰堂を建てた ⑶ 遣 唐使の廃止唐の衰退と往復の危険を理由に菅原道真の建議により中止された 907 年, 唐は滅亡し, 遣唐使は再開されぬままその歴史に幕を下ろした ⑸ 東 アジアの動き中国や朝鮮半島で王朝が交替し, 日本は新しい王朝とは国交を開かなかった しかし, 商人や僧の活動によって文物は輸入された 中国 10 世紀はじめ (907 年 ) に唐が滅亡 3 国風文化 979 年に宋が中国を統一 朱子学, 禅宗 ⑵ 国 文学の発達 朝鮮半島 10 世紀後半に新羅が滅亡 摂関政治で摂関となる条件は天皇の外戚になることであっ 936 年に高麗が建国された た 外戚になるためには娘を天皇の後宮に入内させ, 皇子の誕 3 国風文化 (P.31) 生を待つことである 藤原氏は娘を宮中に入れたが, 天皇に気 ⑴ 国風文化 遣唐使の停止から日本風文化がおこる に入られる為に, 選り抜きの美女と才女を集めて娘の侍女とし た これらの女性たちはここで更に磨かれて女流作家として活 ⑵ 国文学の発達かな文字の発達 躍した 紀貫之 古今和歌集 紫式部 源氏物語 ⑸ 浄 土信仰 清少納言 枕草子 阿弥陀仏を信仰して, その名号を唱えれば極楽浄土に往生で ⑶ 建築寝殿造自然の風景が庭園に取り込まれた きるという考え この世を濁り汚れた末世と考え, 早く極楽浄土に往生することを願うものである 華やかな平安京の生活の ⑷ 絵画大和絵寝殿造のふすまや屏風に描かれた 物語や伝承を書きあらわす絵巻物も生まれた 反面, 盗賊の横行 火災 疫病が流行し, 社会不安が増していた 人々は 1052 年を初年とする末法思想の表れととらえ, 現世に対する失望から来世に願いを託した また, このころは, 人間の霊の存在を信じ, その怨霊のたたりを恐れる気持ちが強 ⑸ 浄 土信仰阿弥陀仏 ( 浄土教 ) にすがって極楽浄土に生まれ変わる 京都宇治平等院鳳凰堂 かった 貴族は密教による加持祈祷以外にそのたたりを除く方法を模索していた 極楽浄土をこの世に実現しようとした建築物に平等院鳳凰堂, 中尊寺金色堂などがある
第 2 章中世の日本 武士のおこりと武士の成長の流れを院政とのかかわりを通じて理解させる 鎌倉幕府の誕生の流れと鎌倉幕府のしくみについてつかませる 6 武家政治の始まりと鎌倉幕府 P.39 ~ 44 1 武士のおこり (P.39) 1 武士のおこり ⑴ 武士の登場 有力な農民 豪族に成長 ⑴ 武 士 自分達の安全や財産, 地方の治安を守るために武装 平将門 935 年に関東で反乱をおこす 都から離れた地方の政治が乱れ, 豪族は自分の土地を守るために武装するようになった そして一族の 家の子 ( 武士の一 藤原純友 939 年に瀬戸内海で反乱をおこす 族 ) や 野党( 一族以外の家来 ) を従え, 他の豪族と争った ⑵ 武士団源氏 ( 東国 ) と平氏 ( 西国 ) ⑶ 東北地方の反乱 11 世紀後半, 前九年合戦 後三年合戦がおこり, 源義家が鎮圧 この時, 協力した奥州藤原氏は平泉 ( 岩手県 ) に中尊寺金色堂を建立 これが武士のおこりである やがて各地の武士は有力な武士と主従関係を結び, 大きな武士団を形成した その中で, 源氏と平氏が武士の頭となった ⑵ 源氏 清和天皇を祖とする 平氏 桓武天皇を祖とする ⑷ 新しい土地制度荘園武士は土地を貴族 寺社に荘園として寄進 荘官と ⑶ 中 尊寺金色堂 ( 岩手県 平泉 ) 平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例である なって勢力拡大 世界文化遺産に登録 公領国司は武士に対抗して荘園以外の土地を公領として支配 2 院政と武士の成長 2 院政と武士の成長 (P.40) ⑵ 院 政 ⑴ 後三条天皇 11 世紀中ごろ即位 藤原氏を外戚としない天皇 政治の改革を行った ⑵ 院政白河上皇 院で政治を始める 摂関政治をおさえる目的 ⑶ 平 氏の政権 12 世紀の中頃, 保元の乱と平治の乱がおこり,( 京都 ) 勝利した平氏が政権をにぎった 平 治の乱 1159 年平氏と源氏の戦い 平清盛が源義朝を破った 平氏の独裁 1167 年, 平清盛は太政大臣に任命された 日宋貿易兵庫の大輪田泊を修築し中国の宋と貿易を行った 3 鎌倉幕府の始まり (P.41) ⑴ 平氏の滅亡源氏の挙兵伊豆 ( 静岡県 ) 源頼朝 白河天皇が位を譲って上皇となった後も, 上皇の御所である院で政治を行った 白河 鳥羽 後白河上皇の 3 代の約 100 年間にわたり院政が行われたが, その後政治の実権を失った 院は増兵に対抗するため源氏や平氏などの武士を警護に利用したため, 政治の動きに武士が関わるようになった ⑶ 平氏の政権平 清盛保元の乱で後白河上皇の信頼を得て, 平治の乱で源氏を破り, 最終的な勝利者となり武士で初めての太政大臣に任ぜられる 娘を天皇の妃にし, その皇子を天皇に立て政治の実権をにぎる 平氏の一族は朝廷の高い役職を独占し, 全国に 500 余りの荘園を保有し, 日宋貿易を推進して莫大な財貨を手にした 1168 年ごろに厳島神社の社殿を造営し, 平家納経などを納め平家の守り神としてあつく信仰した 木曽 ( 長野県 ) 源義仲平氏の滅亡 1185 年, 壇ノ浦の戦い ( 山口県 ) 3 鎌倉幕府の始まり平氏を滅ぼした源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開いた ⑵ 源頼朝の政治 1185 年, 守護 地頭の設置 1192 年, 頼朝は征夷大将軍に任命される 鎌倉幕府を開く 日本最初の武家政権で 1333 年まで約 150 年間続いた 頼朝は自分の元に集まってくる武士は御家人としてその土地の所有権を認め, その代わり幕府への忠誠を義務づけた 政治の機関として将軍を中心に中央に政所, 侍所, 問注所がおかれ, 政所は ⑷ 封建制度将軍と御家人は土地を仲立ちに御恩と奉公の主従関係 政治を, 侍所は軍事を, 問注所は裁判を受けもった 一方, 地方には朝廷や公家の公領や荘園があったので一応これを認めな ⑸ 2 つの政府 ( 鎌倉 ) 武家政権と ( 京都 ) 公家政権が並立した がらも, 自分の御家人を任命して諸国に守護を, 公領や荘園に 地頭をおいた 守護はその国の軍事や警察の仕事を, 地頭は荘 園の年貢の取り立てや警察の仕事をした
第 2 章中世の日本 執権政治の内容や行われた政策, 中世の武士や民衆の生活のようすについてつかませる 新しい仏教や鎌倉時代の文化の特色や重要事項を理解させる 7 鎌倉時代の政治とくらし 文化 P.45 ~ 50 1 執権政治 (P.45) ⑴ 北条氏の台頭源頼朝の死後, 妻政子の生家北条氏が勢力をのばした ⑵ 執権政治執権 将軍の補佐役政子の父北条時政が執権につく ( 北条氏独占 ) ⑶ 承久の乱 1221 年, 後鳥羽上皇が政権を奪回しようと挙兵 しかし幕府は御家人たちの大軍を送り勝利 後鳥羽上皇は隠岐 ( 島根県 ) に追放される 朝廷の権力は失なわれ幕府の力は全国に及ぶ 六波羅探題 朝廷の監視 西国の御家人の統括 ⑷ 御成敗式目 ( 貞永式目 ) 1232 年 3 代執権北条泰時が制定 51 か条にもわたる日本初の武家法 武士のしきたりをもとにまとめられたもので, 守護 ( 地頭の仕事や領地に関する決まりを定めた法律 ) 2 武士と民衆のくらし (P.46) ⑴ 武士の生活 惣領一族の中心となり, 庶子や家来を統率した 弓馬の道戦いに備えて, 馬や弓矢の訓練に励んだ ( もののふの道 ) 領地は分割相続されるようになり, 女子も相続できるようになった ⑵ 農民の生活耕作に牛馬, 肥料, 鉄製の農具を使用し, 生産が高まった 西日本では二毛作も広まった ⑶ 商工業の発達市 ( 定期市 ) 寺や神社の門前など人が多く集まる場所で開かれた 売買には銅銭 ( 宋銭 ) が使用された 3 鎌倉文化 (P.47) ⑴ 新しい仏教法然浄土宗, 親鸞浄土真宗 ( 一向宗 ) 日蓮日蓮宗 ( 法華宗 ), 一遍時宗栄西臨済宗, 道元曹洞宗 ⑵ 公家の文化 新古今和歌集 藤原定家らが後鳥羽上皇の命令により編集 随筆 徒然草 吉田兼好 方丈記 鴨長明似絵 源頼朝像 などの写実的な肖像画 ⑶ 武士の文化建築東大寺南大門彫刻金剛力士像運慶 快慶の作 軍記物 平家物語 琵琶法師によって語られた 1 執権政治 ⑴⑵ 頼朝の死後, 将軍となった頼家 (2 代 ), 実朝 (3 代 ) の時代には有力な御家人の間で勢力争いが続き, 多くの御家人が滅ぼされた 北条時政は 3 代将軍に実朝をたて執権となり, 北条義時は政所と侍所の長官となり幕府の実権は北条氏がにぎった 実朝が 2 代将軍頼家の子に暗殺され, 源氏の正統が断絶すると義時は頼朝の遠縁にあたる藤原氏を将軍としてむかえ執権として名目上の将軍をあやつる執権政治を行った ⑶ 承 久の乱源氏の将軍が 3 代で絶えた後, 政治の実権を朝廷に再び取り戻そうと考えた後鳥羽上皇は幕府の執権北条義時を追放せよと命令を出し挙兵した 北条政子の訴えにより, 団結を固めた幕府軍は北条泰時を頭として京都に攻め上り朝廷の軍勢を破った 結果, 幕府の勢力は西日本にも及び, 後鳥羽上皇を隠岐に流刑し, 京都に六波羅探題を設置して朝廷の監視を厳しくした 上皇側に味方した貴族の土地を没収し, 新たに地頭を設置した 2 武士と民衆のくらし ⑴ 武士の生活武士は領地に住み, 常に戦いに備えた 地頭として荘園を管理し, 収入を得ている有力な武士は荘園領主と支配権をめぐって争った 有力な武士は荘園領主と契約を結んだり荘園を分割したりして, 土地の支配を強めた ⑵ 農民の生活農民は荘園領収と地頭の二重支配を受けていたので荘園領主に年貢の減免を要求したり, 地頭の乱暴を訴える時にまとまって行動するようになった 次第に村のまとまりが生まれ, 用水路の維持管理や野山の立ち入りなどをめぐって隣りあう村々が対立するようになった 3 鎌倉文化 新しい仏教と信仰した人々 ( 浄土宗 ) 貴族 武士 庶民に信仰された ( 浄土真宗 ) 関東の武士や農民 ( 時宗 ) 武士や庶民 ( 日蓮宗 ) 関東地方の武士や商人 ( 臨済宗 ) 将軍家や鎌倉の上級武士 ( 曹洞宗 ) 地方の武士 ⑵ 公家の文化京都を中心とする伝統的な文化 日本三大随筆清少納言 枕草子 吉田兼好 徒然草 鴨長明 方丈記 ⑶ 武士の文化素朴で力強い武士の文化 金剛力士像像高 8 メートルを超える 阿形と吽形の二体一対でヒノキを使用している 着手よりわずか 2 ヶ月という驚くべき短時間で製作された 平家物語保元の乱 平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照, 源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を描いたもの
第 2 章中世の日本 元の襲来から鎌倉幕府の滅亡に至る流れをつかませる 建武の新政から南北朝の動乱,14 世紀ごろの東アジアの変動について理解させる 8 鎌倉幕府の滅亡と室町幕府の成立 P.51 ~ 56 1 元の襲来と幕府の滅亡 (P.51) 1 元の襲来と幕府の滅亡元寇 ⑴ モンゴル帝国文永の役では, 元 高麗軍約 3 万 2000 人,900 隻 元軍は 13 世紀はじめチンギス ハンが築いた大帝国 博多に上陸, 日本は苦戦した その反省から幕府は御家人と九 ⑵ 元 フビライ ハン ( チンギス ハンの孫 ) は中国本土を支配して 州の全ての領土に防塁の建設を命じた 前面の高さ約 2.6 m の防塁が 20 km 以上にわたって築かれた 弘安の役でこの防塁をみた元軍は博多への上陸をあきらめた 元軍は二手に分かれ 国号を元と改め, 都を大都とした 朝鮮半島から東路軍約 4 万 2000 人,900 隻に南方から後続の ⑶ 元寇元が 2 度にわたり北九州に襲来 暴風雨により退却 江南軍約 10 万人 3500 隻が平戸で合流, 先頭が博多湾に着いた 文永の役 1274 年, 元と高麗の連合軍が博多湾に来襲 時に後尾はまだ東シナ海にいたという ( 幕府財政の破綻 ) 弘安の役 1281 年, 再び連合軍が博多湾などに来襲 幕府は 2 度の元寇で戦費を支出し,3 度目の来寇に備えて警戒 ⑷ 幕府の衰退と滅亡 態勢を続ける必要があった その上, 外国との戦いであったた め, 土地などの戦利品は皆無だったが困窮した御家人は救わね元寇 幕府の財政悪化, 恩賞の不足 御家人の不満ばならず, 恩償も出さなければならなかった 御家人たちは都 ( 永仁の ) 徳政令御家人の借金帳消し, 経済は混乱 市の貨幣経済に巻き込まれ, 生活が贅沢になって出費がかさん 悪党 近畿地方を中心に力をのばした新興の武士 ( 荘園を侵 だ また元寇に多額の出費をした上, 次に備えて警備も課せら 略して領主や幕府に反抗する地頭や非御家人のこと ) れていた さらに分割相続によって領地は細分化され, 収入は減っていたが幕府の恩償はないに等しかった 幕府の滅亡 (1333 年 ) 後醍醐天皇の呼びかけに応じ, 各地の武士が倒幕に立ち上がった 足利尊氏 六波羅探題を攻めた 新田義貞 鎌倉を攻めた 楠木正成 河内国 ( 大阪 ) 赤坂城にて挙兵 ( 永仁の徳政令 ) 1297 年, 幕府は窮乏化した御家人を救おうと徳政令を発した 御家人の所領の売却 質入を禁止し, 御家人に売却した土地で売却後 20 年未満のものは無償で持ち主に返還させ, 非御家人や庶民に売却した土地は期限に関係なく返還させた また 2 南比朝の動乱と室町幕府の成立 (P.52) 以後, 幕府は御家人への金銭貸借の訴訟は受け入れなかった ⑴ 建武の新政 1334 年, 公家中心の政治 しかしこれは一時的な救済にすぎなかった 非御家人や庶民は莫大な損害を被り, 高利貸しは徳政を恐れて御家人に金を貸す 武家の反発を招き, 南比朝に分裂 ことを避けた この結果, 幕府 御家人の信用は失墜し反感が ( 京都方 北朝 吉野方 南朝 ) 強まった ⑵ 南 比朝の動乱 1335 年, 足利尊氏が建武の新政に不満を持つ兵士を集め挙兵 京都に光明天皇をたて武家政治を復活 ( 北朝 ) 2 南北朝の動乱と室町幕府の成立 ⑴ 建 武の新政初めて吉野にあった南朝は, 動乱の進展に伴い各地を移動した ⑵ 南 北朝の動乱 1336 年, 光明天皇は足利尊氏の手によって即位したが, 後 後醍醐天皇は吉野へ逃れた ( 南朝 ) 醍醐天皇は京都を脱出して吉野に逃れ, 南朝をうち立てた こ ⑶ 室 町幕府の成立こに京都の朝廷と吉野の朝廷が並び立つことになった 圧倒的 1338 年, 足利尊氏が征夷大将軍に任命され, 京都に幕府を な武力を持った北朝と, 一地方政権に過ぎない南朝との対立は 開く 3 代将軍足利義満は京都の室町に花の御所を建てる 60 年間も続き, 争乱は全国に広がった ⑶ 室町幕府の成立 = 室町幕府 1392 年, 南北朝の合一室 町幕府のしくみ 鎌倉幕府にほぼならい, 義満の時代に ⑷ 守 護大名各地の守護が国内の武士を従え一国を自分の領国のように支 整った 管領 将軍の補佐 配するようになった このような守護を鎌倉時代と区別して守護大名という ( 中央 ) 侍所 軍事と警察問注所 記録の保管政所 幕府の財政 ( 地方 ) 鎌倉府 関東の政治守護 地頭 3 東アジアの変動 (P.53) ⑷ 守護大名 ⑴ 倭 寇 14 世紀頃, 中国や朝鮮の沿岸に出現した海賊 貿易の強要を行った 南北朝の争乱を通じて守護の多くは荘園を侵略し, 地頭や新興の武士を自分の家臣としていき守護大名に成長した 尊氏は南北朝の争乱を乗り切るために守護体制の強化を図り, 統制した ⑵ 明 中国を統一した明は, 日本に倭寇の取り締まりと国交を 3 東アジアの変動 倭寇求めてきた 義満は求めに応じる 倭寇は, 大陸沿岸で海賊行為をする日本人とされた人々で ⑶ 日明貿易 ( 勘合貿易 ) 倭寇と区別するために勘合符を所持 ( 日本人以外でも倭寇を名乗る者があった ) 南北朝や戦国時代な おもな輸出品 : 銅 刀剣 硫黄 まき絵など ど日本が政情不安のころ盛んに活動, 朝鮮や中国を襲った 日 おもな輸入品 : 銅銭 生糸 絹織物 陶磁器など明貿易では, 日本の正式な貿易船は勘合符という割符を所持し, 明の底簿と照合して倭寇と識別した ⑷ 朝鮮国 1392 年, 高麗が滅び, 李成桂が朝鮮をたてる ⑸ 琉 球 日朝貿易 綿布や経典を輸入, 銅を輸出 琉球王国は北は奄美大島から南は先島諸島まで統一,13 世 ⑸ 琉球 ( 沖縄県 ) 1429 年, 尚氏が琉球を統一 紀後半 ~ 15 世紀の大交易時代, 東アジアから東南アジアまで中継貿易に活躍 この頃, 独特の文化も育った 中国の三弦を中断貿易で繁栄 改良した三線 ( さんしん ) が発明され, 伝承歌謡のオモロは お ⑹ 蝦夷地 ( 北海道 ) 先住民アイヌ民族が狩猟 漁業を行っていた もろさうし にまとめられた
第 2 章中世の日本 室町時代の産業 経済の発達のようすと応仁の乱のあとの社会の変化についてつかませる 室町文化の特色と重要事項を理解させる 9 社会の変動と応仁の乱 P.57 ~ 62 1 産業 経済の発達 (P.57) 1 産業 経済の発達 ⑴ 農業の発達 全国に二毛作が普及 ⑴ 農業 特産物茶 藍 麻や綿花の栽培が始まる 多様化し, 手工業原料の栽培も盛んになる 農村加工業も発 ⑵ 手工業の発達 専門の職人が増えた 達し各地に自然条件に応じ特産物が生まれる 座の増加にとも 西陣織 ( 京都府 ) 博多織( 福岡県 ) ない, 特産物は商品として流通する ⑶ 鉱業の発達 鉱山の発達が進んだ 石見銀山 ( 島根県 ) 海外へ輸出された ⑸ 座有力な社寺や公家の保護をうけ閑銭 ( 関所の通行料 ) 免除や販 ⑷ 商業の発達定期市月 3 回から月 6 回へ宋銭 明銭 売独占権などの特権を持つ手工業者の同業組合である座が畿内を中心に各地に成立する 馬借 馬を用いた運送業者 2 民衆の成長と下剋上の世 問丸 港に現れた運送業者 ⑴ 村の自治 土倉 質屋 高利貸し 惣は周囲の惣と連合してより大きな郷村を形成する こうし 酒屋 酒の製造業者で高利貸しを兼ねた て領主の支配は次第に困難になる ⑸ 座 商人や手工業者の同業者組合 様々な特権をもつ ⑶ 土一揆 ⑹ 都 市の発達商工業や貿易の発達で交通の栄んな場所には港町や宿場町, 土一揆や徳政一揆は, 貨幣経済が発展し, 早くから惣が形成された畿内を中心に発生 一揆の根拠地は交通の要地で馬借な 寺や神社の門前には門前町が発達した 関所通行税を取り立てた ( 幕府や神社へ ) ど運送業集団のある地域に多い 一揆は商品貨幣経済の発達と密接に関係している 正長の土一揆 (1428 年 ) 2 民衆の成長と下剋上の世 (P.58) 徳政令を要求し, 借金を帳消しにしようとする徳政一揆であ ⑴ 村の自治惣 ( 村の自治組織 ) 寄合で掟を決める る 近江の馬借一揆に始まり, これに京都周辺の農民たちが ⑵ 町の自治 京都や堺 博多では町衆が自治を行った 加わり, 土倉 酒屋 寺院を襲い, 貸借売買証文を焼却した ⑶ 土一揆 ⑷ 応 仁の乱 8 代将軍足利義政の後継争い 足利義尚 ( 義政の実子, 母は 1428 年, 正長の土一揆近江国 ( 滋賀県 ) の馬借が中心とな日野富子 ) と足利義視 ( 義政の養子 ) の対立に侍所所司の山名持り, 徳政令を要求して土倉や酒屋を襲った 豊 ( 宗全 )[ 西軍約 12 万 ] と管領の細川勝元 [ 東軍約 16 万 ] がそれ ⑷ 応仁の乱 1467 年, 足利義政,8 代将軍後継問題ぞれ加勢して戦い 有力守護大名の争乱山城の国一揆 (1485 ~ 93 年 ) 京都を中心に 11 年続き京都は荒廃 国一揆のことを国人一揆ともいう 応仁の乱で畠山氏内部 山城の国一揆 1485 ~ 93 年, 国人 地侍などによる一揆 が分かれ, 家督相続で対立したとき山城の国の国人層が土一 加賀の一向一揆 1488 ~ 1580 年, 一向宗の門徒による一揆 揆を結んで南山城を占拠し, 守護の畠山氏を山城国から追放 ⑸ 戦 国大名戦乱の間に主がない土豪の勢力が伸長し, 守護大名を倒して して 8 年間合議制による政治を行った 加賀の一向一揆 (1488 ~ 1580 年 ) その地位を奪う下剋上の風潮が一般化し, 戦国大名が出現した 下剋上身分の下の者が, 実力で上の者にとってかわること 分国法 分国法 ( 家法 ) とよばれる法律を定め, 家来や農民を支配した 城下町 城を中心に城下町をつくり領国を支配した 朝倉氏 浄土真宗本願寺門徒による一揆 本願寺第 8 代の法主蓮如が吉崎に道場を構えて布教すると, 越前 加賀の一向宗の勢力は急激に増大し, 加賀の守護富樫政親と対立した 一揆軍は 20 万人をもって政親を倒し, 以後 100 年にわたり領国として支配した の一乗谷 ( 福井県 ), 北条氏の小田原 ( 神奈川県 ) 3 室 町文化 公家と武家の文化が融合し, 中国 ( 元 明 ) や禅宗の影響がみら 3 室町文化 (P.59) れる 民衆の文化がおこり, 応仁の乱をきっかけに都の文化が広 ⑴ 仏教 浄土真宗, 日蓮宗, 禅宗 まった ⑵ 北山文化金閣 ( 寝殿造 禅宗寺院 ) 能 ( 能学 ) 観阿弥 世阿弥 ⑴ 禅 宗 日本に禅宗が伝えられたのは鎌倉時代, 室町時代に幕府の庇護の下で発展した ⑶ 東山文化銀閣 ( 書院造 ), 水墨画 ( 雪舟 ), 茶の湯, 石庭 ⑵ 北山文化 3 代将軍足利義満の頃に栄えた文化 ⑷ 民衆への広がりお伽草子, 狂言, 連歌, 足利学校 ⑶ 東山文化 8 代将軍足利義政の頃に栄えた文化
第 3 章近世の日本 キリスト教世界の動きからヨーロッパの世界進出への流れをつかませる ヨーロッパの世界進出と鉄砲とキリスト教の伝来の関係について理解させる 10 ヨーロッパの進出と日本への来航 P.67 ~ 72 1 キリスト教世界の動き (P.67) 1 キリスト教世界の動き ⑴ 中世ヨーロッパ ( キリスト教世界の確立 ) ⑴ 中世ヨーロッパ 4 世紀にローマ帝国が衰退 分裂 フランク王国と結びついて発展し, 西ヨーロッパ諸国へ拡大西ヨーロッパ ローマ教皇 カトリック教会した ローマ教皇を頂点とし, 各教会が民衆を精神的に支配し東ヨーロッパ ビザンツ ( 東ローマ ) 帝国 正教会た ローマ教皇は, 国王をしのぐほどの力を持つようになっ ⑵ イスラム世界の動きオスマン帝国 トルコ中心, ヨーロッパにも進出ムガル帝国 インド ( 経済 ) 陸上でラクダ, 海洋で船 大きく栄えた ( イスラム文化 ) ギリシャ ローマ インド 中国などの東西文化を受け継いだ国際色豊かな文化 た 学問 芸術もキリスト教中心となった ⑵ イスラム文化自然科学が発達し, 後世のヨーロッパ世界に大きな影響を与えた ( 数 学 ) アラビア数字 ( 医学 ) 外科手術 ( その他 ) 天文学 物理学 化学など ( 十字軍 ) 11 世紀, イスラム勢力がエルサレムを独占 エ ( 文学 ) 千夜一夜物語 ( アラビアンナイト ) 十字軍ルサレム奪還の目的でヨーロッパ諸国に呼びかけ イスラム帝国がおとろえると, 小アジア地域では, トルコ十字軍は結成された 人の建国したイスラム教国であるセルジュク=トルコが勢 ⑶ ルネサンス 14 世紀にイタリアの諸都市で始まった 力を伸ばした セルジュク=トルコはキリスト教の聖地エル ( 美術 ) レオナルド =ダ= ビンチ, ミケランジェロ, ラファエロ ( 文学 ) ダンテ, ボッカチオ サレムを占領し, 東ローマ帝国を圧迫した セルジュク=トルコは, エルサレムに巡礼するキリスト教徒を圧迫した 東 ⑷ 宗教改革 16 世紀はじめ, ローマ教皇が免罪符を販売 ローマ帝国は, ローマ教皇に助けを求めた ローマ教皇は聖 ルター ( ドイツ ), カルバン ( スイス ) が宗教改革をはじめた プロテスタント ( 新教 ) に対しカトリック教会はイエズス会を組織した 地回復のため, 遠征軍 ( 十字軍 ) の派遣を提案した 結局, 目的は失敗したが遠征を通して東西交通が盛んになり貿易が発展した 2 ヨーロッパの世界進出 (P.68) ⑷ 宗教改革ルターはそれを買うと罪が許されるという免罪符を教皇が ⑴ 新 航路の開拓十字軍以降, ヨーロッパ人はアジアに強い関心を持つように 売るような教皇庁とカトリック上層部の腐敗体質を攻撃し, キリスト教本来の聖書の教えに帰るように説く カトリック側は, なりイスラム勢力の国々を通らずに直接アジアへ行く方法が考えられた ロヨラを中心にイエズス会を結成し, 海外にキリスト教を広め, その勢力を拡大しようとした 日本にキリスト教を伝えたザビ ⑵ ポルトガルの進出 1488 年, バスコ=ダ=ガマが大西洋を南下, 喜望峰を回っ エルもイエズス会の宣教師であった また, スペインの植民地だったフィリピンや中南米には今でもカトリック教徒が多い てインドへ到達 ( アジア, ブラジル ) 2 ヨーロッパの世界進出 ⑶ ⑵ ポルトガルゴア ( インド ) マカオ( 中国 ) を拠点に貿易 インドのゴアを拠点にマラッカ モルッカ諸島へ進出した スペインの進出中国のマカオへも進出し, アジアの香辛料をヨーロッパへもた 1492 年, コロンブスが大西洋を横断, カリブ海の西インドらして莫大な利益をあげた 諸島へ到達 ( アメリカ, フィリピン ) アステカ帝国 インカ帝国を滅ぼした ⑶ スペイン南アメリカ大陸およびフィリピンのマニラへ進出した アス 三角貿易 ヨーロッパ アメリカ大陸 アフリカ テカ帝国 インカ帝国を滅ぼした 先住民のインディオを征服 マゼラン 1522 年, 世界一周に成功 し多くの金銀財宝を本国へもたらした インディオとアフリカ ⑷ オランダの進出 17 世紀, スペインから独立 大陸から強制的に連れてきた黒人奴隷を使って鉱山や農園を経 プロテスタント系の国も海外へ進出 営した ⑷ オランダ 3 鉄砲とキリスト教の伝来 (P.69) スペインから独立し, ジャワ島のバタビアを拠点に東方貿易 ⑴ 鉄砲の伝来 ( アジアとの貿易 ) を行った 1602 年に東インド会社を設立し, 1543 年, 種子島 ( 鹿児島県 ) へポルトガル人漂着 堺 ( 大阪府 ) や国友 ( 滋賀県 ) で製造されるようになった セロインやインドネシアを支配下においた 3 鉄砲とキリスト教の伝来 ⑵ キリスト教の伝来 1549 年, 鹿児島にイエズス会宣教師フランシスコ=ザビエ ⑴ 鉄砲の伝来戦国大名たちは戦いを有利に進めようと考え, 競って新兵器 ル 2 年余り滞在 である鉄砲を求めるようになった 鉄砲が使用されるようにな ⑶ キリスト教の広がりると, これまでの一騎打ちにかわり, 足軽の鉄砲隊が活躍するようになり城は厚い壁や頑丈な石垣をもつようになった キリスト教が広まると大名の中にも信者になるものが現れた 足軽 農民から徴発した兵で軽便な鎧をつけ身軽に動 キリシタン大名 ( けた 応仁の乱ごろから重要な戦力となった ) 1582 年, 天正遣欧少年使節 ローマ教皇の元へ派遣 ( 九州鉄砲の使用により, 戦いの勝敗が早く決まるようになり全国統 のキリシタン大名 大村氏, 大友氏, 有馬氏 ) 西日本を中心に 一が早まることとなった 信者が増えた 民衆へも広がった ⑷ 南蛮貿易 ⑷ 南蛮貿易 長崎県の平戸や長崎で行われた 南蛮貿易の中心となったポルトガルは定期的に日本へ南蛮船 主な輸入品 生糸 絹 鉄砲 火薬 毛織物 ガラス製品 線香など を派遣した この交易により中国産の生糸 絹織物や鉄砲などが日本に持ち込まれる一方, おもに銀が持ち出され, 中国との 主な輸出品銀 刀剣 漆器 屏風など 中継貿易的性格が強かった
第 3 章近世の日本 11 安土桃山時代 織田信長 豊臣秀吉の統一事業について重要政策とともにつかませる 安土桃山時代の文化の特色と重要事項について理解させる P.73 ~ 78 1 織田信長の統一事業 (P.73) ⑴ 統一への歩み尾張 ( 愛知県 ) の戦国大名織田信長 1560 年, 桶狭間の戦いで今川義元を破る 1573 年, 室町幕府を滅ぼす 1575 年, 長篠の戦い鉄砲で武田氏の騎馬隊を破る ⑵ 信長の政策 1576 年, 安土城を築く ( 天下統一の拠点 ) 楽市 楽座, 関所の廃止 比叡山延暦寺焼き討ち キリスト教の保護 ⑶ 本能寺の変 1582 年, 京都の本能寺で家臣の明智光秀にそむかれ自害し た 2 豊臣秀吉の統一事業 (P.74) ⑴ 天 下統一豊臣秀吉 信長の家臣 本能寺の変のあと明智光秀を倒し, 信長の後継者になった 1583 年, 大阪城を築く ( 石山本願寺の跡地 ) 1585 年, 関白に任命される 1590 年, 全国統一 ⑵ 兵農分離 武士と農民の区別 太 閣検地 全国の田畑を同一基準で測量 ( 目的 ) 農民の直接支配, 年貢の確保 刀狩農民の一揆を防ぎ, 農業の安定をはかる ⑶ 経済政策 ( 基盤 ) 征服した土地など 200 万石の領地貨幣の統一, 鉱山の開発 ⑷ 宣教師の追放キリスト教は禁止 宣教師を国外へ追放 貿易は奨励 ⑸ 朝鮮侵略 2 度にわたり朝鮮に出兵するも失敗 1592 年, 文禄の役 ( 水軍や明の援軍に苦戦 ) 1597 年, 慶長の役 ( 秀吉の病死とともに引き上げた ) 3 安土 桃山時代の文化 (P.75) ⑴ 豪 華 壮大な文化桃山文化戦国大名や大商人の気風を反映し, 豪華で雄大な文化 ⑵ 天守閣支配者の権威を表した城の中核にある高層の楼閣 安土城, 大阪城, 姫路城, 伏見城など ⑶ 絵画狩野永徳 唐獅子図屏風 ⑷ 茶の湯千利休 わび茶の作法を大成 ⑸ 芸能 出雲の阿国 阿国歌舞伎 ⑹ 陶磁器有田焼 ( 佐賀県 ), 薩摩焼 ( 鹿児島県 ) ⑺ 庶民の生活 衣料が麻から木綿へ普及 1 日 3 食 ⑻ 南 蛮文化 活版印刷術, カステラ, タバコ, カルタ, 時計などの輸入品 1 織田信長の統一事業 ⑴ 統 一への歩み約 1 世紀にわたる戦国の世にあって, 各戦国大名は領国政治を確立し, 次第に全国統一の覇権が争われるようになった 甲斐 ( 山梨県 ) の武田氏, 越後 ( 新潟県 ) の上杉氏, 駿河 ( 静岡県 ) の今川氏は京都に上って天下を統一しようとしたが失敗し, 尾張の織田信長がこの野望を達成した ⑵ 楽 市 楽座座の特権を廃止し, 誰でも自由に商売ができるようにした 関所の廃止物資の流通や交通の便をよくし, 商工業の発達をうながすのが目的であった キリスト教の保護南蛮貿易による利益とともに一向宗などの敵対する仏教勢力の牽制が目的であった 2 豊臣秀吉の統一事業 ⑵ 太 閣検地秀吉は検地の基準となる全国共通の度量衡 重さや長さ, 面積, 体積の単位を定めた 度量衡の統一は全国を一律に治めるためには欠かせないものであった 刀狩方広寺大仏建立を名目に刀狩り令を発布 目的は農民の武装解除で農業の安定と農民の身分を固定することにあった ⑷ 九州を平定したとき, 長崎が信者の寄進でイエズス会の領地とされていることを初めて知って, 背後のポルトガル スペインの領土的野心を疑い, キリスト教を禁止する決意をした ( 当初はキリスト教の布教を許可していた ) ⑸ 明の征服を企て, その先導を朝鮮に要求し拒否されると 2 度にわたって大軍を朝鮮へ送ったが, 激しい抵抗にあい失敗 3 安土 桃山時代の文化 ⑴ 桃山文化特色は支配階級に成り上がった大名と, それを経済的に支えた豪商の気風と財力を反映し新鮮で豪華 壮大である 寺院勢力は没落して武士 庶民が文化の担い手として台頭したため仏教色が少なく, 世俗的 現実的な精神に富んでいた また, 南蛮貿易にともなって海外文化が流入し芸術や生活に影響を与え, 日本のルネサンスともいわれた ⑵ 安土城琵琶湖畔に築かれた豪華壮大な安土城は, その完成まで 3 年を要した その 5 層 7 重の天守は後の天守建築の見本となる 金色に輝く最上階, 朱色の欄干, 青い屋根瓦の城はヨーロッパの城に劣らないと宣教師たちが驚嘆した ⑻ 南蛮文化明や南蛮から世界地図や地球儀がもたらされ, 地理学 天文学 力学 暦学 医学も移入し世界に対する知識が広まった 活版印刷機によるローマ字の イソップ物語 や 平家物語 などのキリシタン版も出版された また南蛮文化が影響を及ぼし, ズボン ジュバン カッパ カルタ シャボン コンペイトウなどの外来語は今日でも国語化され使われている