新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は 土器1及び土器2 5が全て縄文時代の中期中葉に位置付けられるものであり 住居跡 よりも古く構築されたことになる5ピットが中期前葉の 阿玉台Ⅱ式 の時期に位置付けられることと も矛盾しない 第1図E なお 住居跡の規模によっては これと重複することになる2 4ピット 4
新潟県立歴史博物館研究紀要 第4号 2003年3月 3 2 4 5 0 10cm 第4図 塙東遺跡の土器º 土器2 5 S 1/4 工具による沈線で 渦状文等の文様が構成されている 胎土には 赤色粒子を含む 焼成は良い 色調 は 器外面の上部が暗褐色 下部が褐色 赤褐色を呈する 器内面は 褐色を呈する 土器3 第4図 ワ地点4層 という報告 塙東 2G という注記があり 2グリッドの4 層から出土したことが分かる 器種は 深鉢形土器である 法量は 残存高167 口縁部直径291 残存率61 胴部最大径288 と計測される 把手の突出を含めた口縁部の最大径は 342 になる 形態は 胴上部から口縁部にかけて内湾し 口縁部がやや外反する 口唇部は20 ほどの幅で平坦にな 8
鈴木素行 越の旅人 写真2 自立篇 塙東遺跡の土器3 4 5 る 口縁部には 4単位で橋状把手が付属し そのうち3箇所が残存する 口縁部には 縄文の上に 棒状工具による沈線で 直状文に上下を区画された中に波状文の文様が施されている この文様は 把 手に隠れる部分にも施文されていることから 文様の施文後に把手が貼付されたことが明らかである 胴部には 単節斜縄文LRが縦回転で施文されている 棒状工具による沈線で 胴上部には 波状文と 直状文が施されるが これは全周せずに右側の把手の下位で途切れて 鉤状文となる 胎土には 赤色 粒子を含む 焼成は良い 色調は 器外面が褐色 赤褐色 器内面が褐色 暗褐色を呈する 土器4 第4図 接合復元され 欠損部に石膏が充填された状態にある 注記は 塙東 と墨 書されている 器種は 深鉢形土器である 法量は 残存高277 口縁部直径289 残存率55 と 計測される 最大径は 口縁下部にあり 315 である 形態は 胴部から口縁部へと緩やかに開き 口縁部は 所謂 キャリパー状 に内湾する 残存部分の口縁は平縁であるが 口縁部が欠損する断面 の付近において 口唇部が突出するような歪みがあり 口縁部の文様にもこれに合致して上方へ向かう ように観察される 把手が付属していたことはほぼ確実であり それは1単位であったと考えられる 9
新潟県立歴史博物館研究紀要 1 底面 第4号 2003年3月 2 底面 3 ë3 4 ë3 8 覆下 5 ë2 9 覆土 13 覆土 7 覆上 6 ë2 10 覆土 14 覆土 11 覆土 15 覆土 第5図 参考資料 1 6 法正尻遺跡SK333 7 8 法正尻遺跡SK404 9 12 鴨打A遺跡SK370 13 16 妙音寺遺跡SK259 各報告書より引用 S 1/8 12 12 覆土 16 覆土