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- そう えいさか
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3 1 遺跡の位置と環境 かな海岸が広がっていた 鶴見区No 104遺跡 風早台貝塚 は JR京浜東北線 本遺跡の周囲には 低位沖積地と接する台地縁辺を中 新子安駅から北東約0 8km 京急生麦駅から西南西約 心に多くの遺跡がみられる 入江川の左岸 本遺跡の北 0 7kmの 鶴見 神奈川区境に位置する横浜市立生麦中 約0 4kmに位置する蕃神台貝塚は 貝層中より縄文時代 学校をのせる台地を中心に所在する 後期 周囲の包含層より中期の遺物が出土している 当 横浜市東部域にあたるこの付近の地形は下末吉台地と 初 風早台貝塚と混同されていたが 尾根続きの台地上 呼ばれ 頂部に平坦面を有する標高40 50mのなだらか にある 北東約0 6kmの安養寺境内貝塚では縄文時代後 な台地が広がり 北部の急峻な多摩丘陵とは対照的であ 期の土器が出土している 西約0 7kmには神之木台遺跡 る 東京湾に面した臨海部では 標高40mほどの台地が および富士見塚古墳がある 神之木台遺跡は弥生時代後 海岸近くまで迫り また台地には樹枝状に小谷戸が刻ま 期の集落址であるが 一方台地斜面では縄文時代早期の れ 沖積面が深く形成されている 本遺跡をのせる子安 遺物包蔵地となっている 富士見塚古墳は円墳で 同出 台の丘は 鶴見川と入江川に挟まれた東京湾を臨む台地 土とされる土師器が東京国立博物館に収蔵されている 南端付近に 舌状に張り出した丘のひとつである 東西 南西約1 1kmの溝ノ下遺跡は縄文時代早 前期を中心と には支谷が入り込み かつて寺尾方面ヘと続いていた尾 した遺物包蔵地として知られる また右岸には 西約 根は 国道1号線により分断されている 子安台公園の 1 6kmの大口台遺跡 大口坂貝塚がある 大口台遺跡は 中に設置されている三角点は標高39 2mを示し 南側の 縄文時代中期 弥生時代中期の集落址で 加曽利E式期 眼下に開ける海岸は今でこそ沖合まで埋め立て地が延び には貝塚の形成が認められた 縄文時代早期の大口坂貝 ているが 明治後期までは旧東海道に沿って遠浅の穏や 塚は 大口台遺跡と同一台地上に位置する 入江川 滝 ばんしんだい 第1図 遺跡の位置と環境 1/25 000 1
4 の川の間にあたる西南西約1 8kmの白幡浦島丘遺跡 同 にE F地点を調査した E地点では 純貝層が約三尺 約2 1kmの浦島ヶ丘遺跡 同約2 7kmの白幡西貝塚など 餘の厚さをなしている ことを確認し さらに伸展葬の も知られている 白幡浦島丘遺跡は縄文時代前期 古墳 人骨1体を検出した 今回の調査区域に比定されるF地 時代 近世の各時期で貝層の検出がみられた 浦島ヶ丘 点は僅か約3m四方の発掘であったが 確認された貝層 遺跡は弥生後期の遺跡で 白幡西貝塚は縄文時代早期末 は 厚さは約三尺 とかなり厚く また出土遺物も多かっ の小貝塚である たようである その後 発掘調査は途切れるが 石野瑛 横浜市鶴見区から神奈川区の沿岸地域には 古くから は周囲の二見台貝塚 東寺尾貝塚 生麦岸貝塚とともに 貝塚が多く存在することが知られている 風早台貝塚は 子安町ツクリ松貝塚 および風早台貝塚を 石野 これらの貝塚のうちの一つで 大正末期に続けて発掘が 1927 酒詰仲男 土岐仲雄 らは蕃神台貝塚 生麦岸 行われている 甲野 1 924 移川 橋本 1 925 甲野 貝塚 池谷貝塚 風早台貝塚を紹介している 土岐 勇らが報文中で バンシン台貝塚 と呼称しているこの 竹下 1934 ただし 石野はのちに地名表の中で ツ 調査では 確認されたA Dの4地点の貝層のうちA クリ松貝塚 を風早台の異称としながらも別項で打越貝 D地点の発掘を行ない A地点で約15ßを発掘し厚さ約 塚 子安町打越つくり松 を挙げており 酒詰も 池谷 4 0cmの貝層を D地点では2ßほどの狭小な範囲を発 貝塚 を風早台貝塚の異称としているように 当時は近 掘し 厚さ40 54cmほどの貝層が堆積しているのを確 辺の貝塚の名称と位置についてかなり錯綜していたよう 認した また翌年に移川子之蔵 橋本増吉らは名称を 子 で 石野 1953 酒詰 1959 岡本孝之氏がこれらの 安池谷貝塚 とした上で 甲野らの発掘を踏まえ 新た 検証を行なっている 岡本 2001 昭和48年には生麦中 学校の校庭整備に伴い貝塚の発掘調査が行われ 縄文時 代早 後期の土器が出土しているが詳細については不明 写真1 遺跡遠景 東より 写真2 調査区近景 着手前 第2図 調査区配置図 1/400 ー 2 ー
5 である 横浜市教育委員会 1983 は ローム漸移層とともに縄文時代の遺物包含層相当で 今は生麦中学校の校庭となっている風早台 戦前ま ある暗褐色土層の一部が堆積していたものの 調査区中 では一帯の畑地で と記されているように 稲葉 央付近より北東部では すでにローム層中まで深く削平 池谷 1969 子安台の丘は戦前には耕地として利用さ されており 暗褐色土層の上位および削平された跡に れていたが 空襲時の非難や延焼阻止などのための防空 は ガラス片や金属片および僅少の貝殻片が混入した土 緑地として 保土ケ谷区常磐公園や港北区綱島公園など 層が認められ 近年に埋め戻し 整地がなされていたこ が開設され 昭和20年3月には三ツ池緑地とともに子安 とが判明した とくに調査区東側では崖状に大きく削平 台緑地が完成した 防空緑地は高射砲陣地や農地として され 撹乱の深さは現地表面より約2 5mまで達し 作業 も活用され 高射砲陣地として使用されていた子安台 は予想以上に時間がかかり 表土掘削作業および撹乱部 は 終戦後進駐軍により接収され 米陸軍の高射砲陣地 分の掘削は18日まで続いた 続いてローム面で確認され として引き続き利用されていった 22年に接収地の北側 た近年の撹乱および木根痕を人力にて掘削し 同時に撹 に横浜市立生麦中学校が開校したが 25年12月には校庭 乱土中に散見された土器小片や貝殻の収集を行なった の過半を米軍に接収された 30年12月に接収が解除され 21日にはローム面での記録作業を実施し 合わせてロー 約27 000ßが返還されたが 民有地および生麦中学校用 ム層の試掘に着手した ローム層の比較的安定した地点 地を除く約21 000ßが陸上自衛隊子安分屯地として44年 に1 1mの試掘溝を2か所設定し 調査を行なった まで貸与された そして50年3月にようやく公園として なお東側の深い撹乱穴については 安全管理の点から 整備され 市民に公開された 写真撮影 測図などの記録作業を先行して実施し 直ち 2 調査経過 現地作業は 平成17年2月14日に測量作業から着手し た まず調査区域を設定し レベル原点を既存の三角点 より移設した 翌15日に掘削作業を開始し 重機及び人 力による表土層の掘削除去作業を行なった 周囲の樹木 の保護や 調査エリア以外への進入を極力控えたため 重機の稼働できる範囲が限られ 調査区西側から東側へ と退路を確保しながら掘削に着手した 表土掘削の結 果 深さ約60cmでローム層が検出された その上位に 写真4 遺跡見学会 2/19 写真3 表土除去作業 写真5 遺跡見学会 2/21 3
6 に埋め戻した 土層断面図の作成や写真撮影等の記録作 業を22日に行い 調査を終了した 調査の結果 今回の調査範囲からは 想定された縄文 時代前期の貝塚も含め 遺構と考えられるものは全く検 出されなかった また撹乱土中に混在していた遺物を除 き 暗褐色土層およびローム層中からの出土遺物は皆無 であった 写真6 表土除去終了 第3図 先土器時代調査区図 1/200 写真7 先土器時代調査風景 写真9 先土器時代調査区 2 調査期間中に3回の見学会を開催した 18日に岸谷小 学校6年生 教職員2名 生徒5 2名 ほか1名 19日 に一般市民 37名 21日には生麦中学校有志 教職員 2名 生徒20名 ほか3名 をそれぞれ対象とした 3 調査の所見 1 層序 写真8 先土器時代調査区 1 今回の調査で確認された土層堆積状況は以下のとおり ー 4 ー
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8 ミガキを施す 1023は内面口縁および外面にハケ目 内 妥当であろう 撹乱土中に貝殻片が混入していたが 数量 面胴部にはミガキを施す 1024 1025は外面にハケ目 的には僅かなもので ここに本来存在していたものか 内面にはミガキを施す 1026は台付甕の脚部で 内外面 他所から埋め戻し土と一緒に運ばれてきたものかは詳ら ともミガキを施す 2001は土製円板でRLの縄文を施 かでない 調査区南東部で検出された崖状の削平は 調 す 径2 9cm 2 002は土錘で長さ2 2cm 径0 9cm 重 査区外の南北に直線的に延びており このラインの東側 量1 6gをはかる では同様に大きく削平されている可能性が高いと考えら 発見された貝は ハマグリ アサリ シオフキ オキ れる またこの部分の埋め戻し土からは 著しく腐食し シジミ カガミガイ ハイガイ サルボウ マテガイ マガキ アカニシ バイガイ キサゴ ウミニナなど 整理箱1箱分である とくにハマグリ カガミガイ キ サゴが多く マテガイは僅かである 4 まとめ 今回の調査では 貝塚や住居址 柱穴などの遺構に伴 う掘り込みの痕跡と考えられるものは 全く確認されな かった 調査を実施した区域内では 暗褐色土層下部か 写真10 調査終了全景 らローム層中にまで達する削平がなされていた このこ とから 過去の調査で検出された縄文時代前期の貝塚を 包含する土層は すでに失われているものと考えるのが 写真11 出土遺物 1001 1008 第7図 縄文時代調査区図 1/200 写真12 出土遺物 1009 1019 ー 6 ー
9 第8図 出土遺物 1/3 たドラム缶も何点か出土しており 米軍あるいは自衛隊 の管理下にあった時期に埋められたものと考えられる 大正年間にいくつかの地点で調査された風早台貝塚の 周辺は 昭和に入り高射砲陣地を経て米軍に接収され 接収解除ののち陸上自衛隊子安分屯地として利用されて きた また台地頂部付近には 昭和22年に開校した市立 生麦中学校の校舎が建設され 台地周辺は高度成長期に 入り宅地化が進んだ 現代のこうした土地利用の変遷の 中で当台地の形状も大きく変わり これに伴い遺跡の一 写真13 出土遺物 1020 1026 2001 2002 部も失われていった可能性は高い 7
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12 写真14 掘削前全景 写真16 2T土層断面 写真15 1T土層断面 長さ2m余りの試掘溝を2か所設定した 図中で1Tと した試掘溝では 斜面上位で約2m また2Tでは約1 7 mの深さまで掘削したが 自然堆積土は認められず 全 て埋め戻しなどの人為的な再堆積土であった このた め 遺構と考えられる落ち込みは検出されず これらの 再堆積土中から 若干の貝殻と少量の土器片を採集した 第11図 出土遺物 1/3 にとどまった 出土遺物は 土器片約2 0点および若干の貝がみられ た 土器片は縄文時代前期の土器が主体となっており 弥生時代後期の壺の破片が1点みつかっている これら の遺物はすべて表土層および撹乱層から出土している 1027は深鉢の口縁部片で RLの縄文を施す 1028か ら1035は深鉢の胴部片で 1028はLRの 1029はRLの 縄 文 を 施 す 1030は R L の 縄 文 及 び 結 節 文 を 施 す 1031 1034はLRの縄文を地文とし 沈線を施す 1032 は平行沈線を施す 1033はRLの縄文を地文とし 刻み 写真17 出土遺物 1027 1036 を付した隆帯を施す 1035は沈線を施す 1036は壺の胴 ー 10 ー
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新潟県立歴史博物館研究紀要第4号
新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は
す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査
高 速 自 動 車 国 道 近 畿 自 動 車 道 名 古 屋 神 戸 線 建 設 事 業 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 ( 茨 木 市 域 )その5 現 地 説 明 会 資 料 千 提 寺 西 遺 跡 の 調 査 平 成 25 年 3 月 23 日 公 益 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります
~ 4 月 ~ 7 月 8 月 ~ 11 月 4 月 ~ 7 月 4 月 ~ 8 月 7 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 7 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 8 月 4 月 ~ 6 月 6 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 11 月 4 月 ~
KANTO_21539.pdf
8 20 5 6 9 4 10 21 1 11 13 7 3 2 12 22 14 摩国府 17 定域 18 15 19 23 25 16 24 33 26 32 27 28 29 31 0 500 1000 1500 第5図 2000ⅿ 遺跡の位置及び周辺の遺跡 1 25,000) 16 30 2.7ⅿ
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津山弥生の里文化財センターは 名称のとおり沼弥生住居址群 ( 沼遺跡 ) に隣接して建てられ その資料館も兼ねて平成 2 年 11 月に開館しました この沼遺跡の調査は昭和 27 年にまで遡りますが 当初より遺跡は教材公園として位置づけられ 幅広い市民の支援を受けて 逐次津山市が整備を重ねてきました すでに昭和 30 年 1 月には 発見された火災住居跡の炭化材を基にして大型の竪穴住居を復元し 同
<4D F736F F D20967B C8B9E91E58A778D7593B089FC8F438D488E9682C994BA82A48E96914F92B28DB88A F18D908F912E646F63>
本 143 講堂改修工事事前調査概要報告書 3 遠景北 ~ 2015 年 1 月 23 日 東京大学埋蔵文化財調査室 本 143 東京大学講堂改修工事に伴う事前調査概要報告書 所在地東京都文京区本郷台遺跡群 (NO.47) 遺跡番号 略号本 143 HKO13 調査期間 2013 年 9 月 26 日 10 月 21~25 日 11 月 5 11 日 12 月 12~13 16 日 2014 年 5
I.平 成12年 遺跡発掘調査 につ い て 加茂市教育委員会社会教育課主事 伊 藤 秀 和 本年 の発掘調査 は下条陣ケ峰線道路建設工事 に伴 い 中沢遺跡が調査 され 加 茂市 では唯 一 の 弥生時代 の集落跡が確認 された 試掘 確認調査 は下条地区で行 われ 3遺 跡 4遺 跡周辺地 を 対象 に行 つた 1口 中沢遺跡 一弥生 平安 一 所 在 地 加 茂市大字下条字芝野地内 調 査 面
加茂市の遺跡 平 成 19年遺跡発掘調査について 加茂市教育委員会社会教育課係長 伊 計 溺 三 秀 禾口 本年 の遺跡調査 は 開発事業 に関連 した確認調査が 3地 区 本調査が 1事 業 によ り2遺 跡を 対象 に行われた 1.荒 叉遺跡一 古墳 古代一 所 在 地 加 茂市大字下条地 内 調 査 面積 約7 2 1 面 調 査期 間 平成 1 9 年 8 月 8 日 9 月 1 2 日 1地
図 版 1 遺跡遠景 南より 遺跡遠景 東より 191 図 版 2 調査区 発掘状況 A区 調査状況 ー192 0 4m 放射断面 1 炭化材1 コナラ属アカガシ亜属 215 SCl土層断面 SCl半載状況 227 228 ー229 図 版 5 16 苧 L 13 14 ー230 図 版 6 図 版 7 3 4 5 6 13 7 14
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月 古 墳 ガイドブック 日 文 化 の 日 出 発 : 午 前 8 時 半 帰 着 : 午 後 4 時 頃 見 学 場 所 庚 申 塚 古 墳 山 の 神 古 墳 ( 柏 原 ) 長 塚 古 墳 ( 沼 津 市 ) 清 水 柳 北 1 号 墳 ( 沼 津 市 ) 原 分 古 墳 ( 長 泉 町 ) 浅 間 古 墳 ( 増 川 ) 実 円 寺 西 1 号 墳 ( 三 ツ 沢 ) 富 士 市 教 育
6-3
6-3 6-3-1 2 3 2 168 6-10 169 6-3-2 空間形成への影響要因 以上のような過程を経て白山 2 丁目地区の斜面地は現在の状況を呈するようになるわけだが 斜面地の空間形成に関わる要因としては 次の 3 点が挙げられる 例えば 白山地区の台地端に 向かって南北に伸びる袋小路周辺 以下 A 図 6-10 では 3 つの因子が複合作用しながら斜 面地空間を構造的に規定するとともに
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27 28 30 32 34 25 24 29 33 26 31 35 23 22 15 14 36 21 20 19 16 13 18 17 3 11 37 2 38 50 4 8 1 5 12 39 49 7 10 9 54 6 42 40 53 43 44 52 51 45 48 41 47 46 56 57 55 58 59 84 60 61 64 62 63 83 65 79 69 67
阿智村概報.indd
長野県下伊那郡阿智村 狐塚1号古墳の調査 第1次調査概要報告書 2009 東海大学文学部歴史学科 考古学第1研究室 1 3 2 4 5 6 7 8 9 1 武陵地1号古墳 2 北本城古墳 3 高岡1号古墳 4 石塚1号 2号古墳 5 郭1号古墳 6 飯沼雲彩寺古墳 7 姫塚古墳 8 上溝天神塚古墳 9 おかん塚古墳 10 塚越1号古墳 11 御猿堂古墳 12 馬背塚古墳 10 11 12 狐塚1号古墳
割付原稿
極大型であり それは 大規模 長期継続 集 落 遺跡なのであるから時期ごとの数量を描き 出すことは困難である せいぜい すでに崩壊 し去った数多の遺構に思いを馳せるのみである そもそも大規模であれば それが 過度な集 住 ということでなくても なぜ大規模な集落 遺跡が成立したのか その背景は何なのか と いう単純な問題設定で十分ではないかと考え 犬山扇状地 八王子 二タ子 猫島 大地 台地 大塚 野口
調査を実施した 調査成果としては 3 面の遺構面を確認し 中世後半 (l 5 ~ (l 3 ~ ところが 調査の結果は 中世後半 (1 5 世紀以降 ) 中世前半 (1 3 ~ ~m ~ 2mm ~ ~ ~ 0.125 ~ 0.063 ~ 0. 1 25111111 ~ 0.063mm ~ 細粒砂 ( ~ 中粒砂 (m.) - 一 \~ ら平安 ~ 鎌倉時代と弥生時代 ( 中期 )~ 古墳 5
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国の中心地であり 近世には中山道 通の要衝となってきました 古代美濃 通路であったため 古来より垂井は交 坦部が畿内と美濃以東を結ぶ重要な交 隘な平坦地となっており この狭い平 の西部は両山地に挟まれた極めて狭 古代におけ 考えられます 構えていたと 部の高燥地に け 扇頂 扇央 の低湿地を避 は扇状地扇端 東西交通の要衝として 栄えてきた垂井町 岐阜県不破郡垂井町は 岐阜県の南 垂井宿として栄えてきましたが
塚畠遺跡Ⅲ ーE地点の調査ー
序 本庄市が所在する埼玉県の北部に位置する児玉地方は 県内でも有数の遺跡の宝庫として知られており 本庄市だけでも市内に 500 ヵ所以上もの埋蔵文化財の包蔵地が存在しています これらの遺跡は 旧石器時代から中近世の長い時代に及ぶものですが 中でも古墳時代の遺跡の多さは 県内随一とも言われています 特に 県指定史跡の鷺山古墳 市指定史跡の金鑽神社古墳 八幡山古墳 庚申塚古墳 秋山古墳群 二本松古代住居跡
膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)
記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成
福知山-大地の発掘
福知山市の遺跡 平成18年1月に行われた1市3町の合併により 広大な市域を得た福知山市には現在約500箇所の遺跡が登録さ れています このうち古墳や窯跡など群として登録されているものも 多く 実数としては約2000箇所を越えることとなります 遺跡の位置と立地 福知山市域は本州の内陸部やや北側に位 置し 日本海へと注ぐ由良川とその支流によって形作られた盆地 周辺山岳部からなります 市域の約80パーセント近くは山林であり
象鼻山ペラ校正
第98 図 象鼻山山頂部の地形分類 S 1/1,000 162 第5章 考 察 出土した土器は 質 量ともに十分であり 具体的な編年的位置を示すことができる 一方 ②盛土中や遺構面から土器が出土し その編年的位置が築造時期の上限や下限を示すのみの 墳墓として 3号墳 砂岩礫集積 や4号墳 6号墳 9号墳がある また 遺構として平坦面2が ある このうち 遺構面から出土した3号墳 砂岩礫集積 の土器はその下限
第1章 調査に至る経緯 平成 17 年 4 月 アジア太平洋戦争終戦 60 年と っており まさにこの地域をあげての大工事であっ いう節目の年を迎え 南アルプス市教育委員会は たことが知られている 戦争末期に南アルプス市有野 築山 飯野新田及び このような 地域におけるアジア太平洋戦争の象 飯野地区を中心に構築された陸軍の秘匿飛行場 通 徴ともいえる 戦争遺跡 ロタコ を調査し その 称 ロタコ について総合的な調査を開始した
(Microsoft Word - \201\2403-1\223y\222n\227\230\227p\201i\215\317\201j.doc)
第 3 編基本計画第 3 章安全で快適な暮らし環境の構築 現況と課題 [ 総合的な土地利用計画の確立 ] 本市は富士北麓の扇状に広がる傾斜地にあり 南部を富士山 北部を御坂山地 北東部を道志山地に囲まれ 広大な山林 原野を擁しています 地形は 富士山溶岩の上に火山灰が堆積したものであり 高冷の北面傾斜地であるため 農業生産性に優れた環境とは言い難く 農地利用は農業振興地域内の農用地を中心としたものに留まっています
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古墳など百舌鳥古墳 群を一望に見渡せたであろう 百舌鳥古墳群では平坦な土地に築かれる古墳が多いなか 眺望のよ
Microsoft Word - 第5章07地盤沈下.docx
5. 7 地盤沈下 5. 7. 1 現況調査 (1) 調査内容事業計画地周辺における地盤沈下及び地下水位の状況を把握するために 既存資料調査を実施した また 事業計画地における地盤状況等について 現地調査を実施した 現況調査の内容は 表 5-7-1 に示すとおりである 表 5-7-1 調査内容 調査対象項目調査対象範囲 地点調査対象期間調査方法 事業計画地周辺における地盤沈下の状況及び地下水位の状況
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香芝市 1. 施行地区の位置 1 位置図 西名阪自動車道 JR 和歌山線 本地区は奈良市の南西約 18km 大阪市の南東約 25kmにあり 奈良県香芝市の東部に位置する南北約 400m 東西約 700mの区域であり 面積は約 17.6haである 近鉄大阪線 中和幹線 地区の東約 200mには近鉄大阪線五位堂駅がある 国道 165 号 五位堂駅前北第二地区 近鉄五位堂駅 国道 168 号 1 2 地区の従前の状況
目 次 1. 想定する巨大地震 強震断層モデルと震度分布... 2 (1) 推計の考え方... 2 (2) 震度分布の推計結果 津波断層モデルと津波高 浸水域等... 8 (1) 推計の考え方... 8 (2) 津波高等の推計結果 時間差を持って地震が
別添資料 1 南海トラフ巨大地震対策について ( 最終報告 ) ~ 南海トラフ巨大地震の地震像 ~ 平成 25 年 5 月 中央防災会議 防災対策推進検討会議 南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ 目 次 1. 想定する巨大地震... 1 2. 強震断層モデルと震度分布... 2 (1) 推計の考え方... 2 (2) 震度分布の推計結果... 2 3. 津波断層モデルと津波高 浸水域等...
高橋公明 明九辺人跡路程全図 神戸市立博物館 という地図がある 1663年に清で出版された地 図で アジア全域 ヨーロッパ さらにはアフリカまで描いている 系譜的には いわゆ る混一系世界図の子孫であることは明らかである 高橋 2010年 この地図では 海の なかに 日本国 と題する短冊形の囲みがあ
テキストのなかの明州 高 橋 公 明 1 地図にひかれた2本の線 清国十六省之図 図1 という地図が名古屋市の蓬左文庫にある 中国製の地図を基本にして 朝鮮半島や日本列島を充実させて 1681年 延宝9 に日 本で木版印刷されたものである すでに江戸幕府は日本人が中国へ行くことを禁じていた 時代にあたる この地図のなかで目につく特徴の一つは 海のなかに2本の赤い線が引い てあることである いずれも東西に引かれており
火山活動解説資料 ( 令和元年 5 月 ) 栗駒山の火山活動解説資料 ( 令和元年 5 月 ) 仙台管区気象台地域火山監視 警報センター 火山活動に特段の変化はなく 静穏に経過しており 噴火の兆候は認められません 30 日の噴火警戒レベル運用開始に伴い 噴火予報 ( 噴火警戒レベル 1 活火山である
栗駒山の 仙台管区気象台地域火山監視 警報センター 火山活動に特段の変化はなく 静穏に経過しており 噴火の兆候は認められません 30 日の噴火警戒レベル運用開始に伴い 噴火予報 ( 噴火警戒レベル 1 活火山であることに留意 ) を発表しました 予報事項に変更はありません 活動概況 噴気など表面現象の状況 ( 図 1~9) 監視カメラによる観測では 噴気は認められませんでした 14 日から 15 日にかけて実施した現地調査
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松崎遺跡から南に約3 隔てた砂堆上に知 多市法海寺遺跡がある 図5 法海寺遺跡で は5世紀後半のマガキ ハマグリを主体とする 貝層から 鞴羽口2点 鉄滓 骨鏃や刀子など の骨角製品 加工段階の骨角製品 骨角素材が 出土した 他に鉄鏃2点などの鉄製品も出土し て い る 図 6-1 10 法 海 寺 遺 跡 は 東 山 111 号窯期を主体とする初期須恵器 図6-11 17 も多く 加えて韓式系土器に系譜する
立川市雨水浸透施設設置基準 1. 目的この設置基準は 立川市雨水浸透施設設置補助金交付要綱 ( 以下 要綱 という ) の雨水浸透施設の設置にあたり 必要な事項を定めることを目的とする 2. 用語の定義補助対象の雨水浸透施設とは 雨水浸透ます 及び 雨水浸透管 とし 雨水浸透施設の設置に伴い発生する
立川市雨水浸透施設設置基準 1. 目的この設置基準は 立川市雨水浸透施設設置補助金交付要綱 ( 以下 要綱 という ) の雨水浸透施設の設置にあたり 必要な事項を定めることを目的とする 2. 用語の定義補助対象の雨水浸透施設とは 雨水浸透ます 及び 雨水浸透管 とし 雨水浸透施設の設置に伴い発生する簡易工事を 付帯工事 とする (1) 雨水浸透ます は 有孔又は多孔性の浸透ますの周辺を砕石で充填し
( 文化庁記念物課 ), 村﨑孝弘 長谷部善一 池田朋生 木庭真由子 ( 熊本県教育庁文化課 ), 黒住耐二 ( 千葉県立中央博物館 ), 樋泉岳二 ( 早稲田大学 ), 中村俊夫 ( 名古屋大学 ), 濱口俊夫 吉田恒 根本なつめ 佐藤伸二 辻誠也 前川清一 髙木恭二 ( 宇土市文化財保護審議会
第 1 章序 章 第 1 節調査に至る経緯 宇土市宮庄町に所在する轟貝塚は, 縄文時代早期末 ~ 前期の轟式土器の標式遺跡であり, 古くから研究者の間で注目されてきた 第 4 節で述べるように, 古くは大正の頃から, 複数の大学や研究者により調査が行われ, 縄文時代から中世にかけての土器 人骨 貝製品 石器 骨角器 陶磁器など多種多様な遺物が出土している それらの調査で出土した遺物の多くは, それぞれ調査主体となった大学等が持ち帰り保管してきた
図 1 平成 19 年首都圏地価分布 出所 ) 東急不動産株式会社作成 1963 年以来 毎年定期的に 1 月現在の地価調査を同社が行い その結果をまとめているもの 2
調査レポート 地価構成の類型化とさいたま市の地価分布 はじめに一般的に地価は その土地を利用して得られる収益 ( 便益 ) に応じて形成されるものと考えられる 例えば 大規模ターミナル駅周辺では 商業や業務の需要も多く 高い地価水準となる 一方 駅から概ね徒歩 3 分以上の場所の土地は バス等の交通手段が整っていない場合 住環境が整っている場合でも地価は限定され低廉な値段となる また 人々が便利だと感じる度合いによって
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公園としての整備 収蔵庫の建設が行われ 本遺跡の整備が完成した 発掘調査風景 金堂跡の瓦堆積 和同開珎 銀銭 法 量 外縁径 24 4 内郭 6 9 縁厚 1 4 重量 4 06g 品 質 銀 88 66 硫黄 9 01 その他塩素 カルシウム 鉄 銅等 和同開珎は7 08 和銅元 年に日本で鋳造 発行された銭であり 我が国で最初の流通貨 幣であるといわれる 特に銀銭は7 08年5月 に発行され翌年8月に廃止された鋳造
仮設 万博中央駅 常磐自動車道谷田部インターチェンジ 万博客の輸送に貢献した土浦高架橋 土浦市 昭和60年 鹿島開発と道路 鹿島町 神栖村及び波崎町の砂丘地に鉄鋼 石油化学コンビナート 製粉工場 発電所などの大工業 地帯を造ろうというプロジェクトが鹿島開発である Y字型の堀込式の港湾を中心に工場を配置しよう とするものである 昭和38年4月鹿島港が重要港湾に指定され 建設が着工された また工業整備特別
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10-13 電波障害 存在 供用時における施設の存在に伴う電波受信状況の悪化が考えられるため 計画地周辺の電波の受信状況に及ぼす影響について予測及び評価を行った また 予測及び評価するための基礎資料を得ることを目的として 電波の受信状況等の調査を行った 1. 調査 1) 調査内容 (1) 電波の発信送信状況地上デジタル放送 衛星放送 (BS) 及び通信衛星による放送 (CS) 等のチャンネル 送信場所
(4) 対象区域 基本方針の対象区域は市街化調整区域全体とし 都市計画マスタープランにおいて田園都市ゾーン及び公園 緑地ゾーンとして位置付けられている区域を基本とします 対象区域図 市街化調整区域 2 資料 : 八潮市都市計画マスタープラン 土地利用方針図
市街化調整区域まちづくり基本方針の目的や位置付け (1) 目的 市街化調整区域まちづくり基本方針 ( 以下 基本方針 という ) では 市街化調整区域のあり方及び今後の土地利用の方向性を明らかにし 施策の展開による計画的な土地利用の保全 規制 誘導を図ります (2) 位置付け 基本方針は 都市計画マスタープランの市街化調整区域編として位置付け 都市計画マスタープランをはじめ 県や本市の上位 関連計画に即して定めます
将来都市計画道路ネットワークの検証結果
将来都市計画道路ネットワークの検証の考え方 都市計画道路は 都民生活や都市活動を支える最も基本的な都市基盤の一つです 将来都市計画道路ネットワークの検証 では こうした都市計画道路の中でも 区部及び多摩地域の幹線街路 [1] に着目し その未着手区間 ( 概成路線を含む ) を対象に必要性を確認しました 都市計画道路の整備に関して設定した四つの基本目標を掲げ 都市計画道路の果たす様々な役割や機能を考慮し
考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)
遺 跡 速 報 福岡県 首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院 Syurasan-Ruins in Fukuoka Prefecture えがみ ともえ 江上 智恵 久山町教育委員会 Tomoe Egami Hisayama Town Board of Education 近世の地誌類が記すとおり 調査前の首羅山遺 はじめに 跡は藪に覆われ 僅かな文献と伝承のみが残ってい 首羅山遺跡は福岡県糟屋郡久山町大字久原の白
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3 3 4 藤沢厚木線 区間-1 1 1横浜湘南道路 W=18 m 3 1国道1号線 W=1m 3 藤沢羽鳥線 と交差 W= 3m W= 3m W= 3m W=3m W=3m 3 藤 沢羽鳥 線 W=1 m 3 1藤沢駅辻堂駅線 と立体交差 JR東海道本線 と立体交差 W=m 未着手 L=180 現道なし =1m 鳥線 W 羽 山 高 3 3 3 3 辻堂駅 W=m =m 遠藤線 W 県道と 交差
資料 -5 第 5 回岩木川魚がすみやすい川づくり検討委員会現地説明資料 平成 28 年 12 月 2 日 東北地方整備局青森河川国道事務所
資料 -5 第 5 回岩木川魚がすみやすい川づくり検討委員会現地説明資料 平成 28 年 月 2 日 東北地方整備局青森河川国道事務所 現地説明資料 富士見橋 経年変化 富士見橋は 51.8k 付近に H7~H22 の河川水辺の国勢調査で早瀬が確認しており H5~ で近傍で最深河床高の低下したことで 平水流量時の水深が 0.2~0.4m の浅場 ( 瀬 ) が減少したと推定されるが その後も早瀬が確認されている
4 調査の経緯と経過 発 掘 調 査 は 平 成 15(2003) 年 度 か ら 平 成 16(2004) 年度にかけて行われた 調査面積は 今回の発掘調査は 県道草井羽黒線道路改築事 平成 15 年度 2,700 平成 16 年度 850 であり 業に伴う事前調査として 愛知県建設部道路建設 合計 3,550 の調査を実施した 調査担当者は 課より愛知県教育委員会を通じた委託事業として 平成 15
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⑧生産緑地地区 生産緑地地区は 市街化区域内の農地等の農業生 産活動に裏付けられた緑地機能に着目し 公害や災 害の防止 都市環境の保全に役立つ農地等を計画的 に保全することによって 調和の取れた潤いのある 都市環境を形成するために定める制度です 武蔵野市では 平成3年の生産緑地法の大幅な改 正に伴い 宅地化する農地 と 保全する農地 とを明確に区分することになったため 良好な都 市環境の形成と将来の公共施設等の敷地の確保な
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千葉県印西市 ( 旧印旛郡印旛村 ) 戸ノ内貝塚第 6 次発掘調査概報 45 千葉県印西市 ( 旧印旛郡印旛村 ) 戸ノ内貝塚第 6 次発掘調査概報 高橋龍三郎 川畑隼人 中門亮太 青木弘 大網信良 岩井聖吾 服部智至 平原信崇 1. はじめに 戸ノ内貝塚では 今までの継続調査を通じて 発掘区全体にわたり縄文時代後 晩期を中心とする多くの土器や遺物が分布し それに対応して多くの遺構が展開していることがわかった
