東海大学大学院平成 26 年度博士論文 細胞の浸潤 増殖 遊走を制御する新規低分子化合物による 創傷治癒促進機序の検討 指導小澤明教授 東海大学大学院医学研究科 先端医科学専攻 山岡華児
この学位申請論文は Journal of Dermatological Science に掲載された主要公刊論文を基に作成された Journal of Dermatological Science に掲載された主要公刊論文の一部を学位申請論文に用いることに加えて 学位申請論文を機関リポジトリ -[ 電子書庫システム ] で公開することの承諾を得ている 総括 人口の高齢化に伴う難治性皮膚潰瘍患者の増加は 医療の現場において大きな問題になっている 創傷治癒は皮膚真皮の肉芽形成と表皮の再上皮化によってもたらされるが 両者のバランスを協調させて創傷治癒に導くような 難治性潰瘍に対する理想的薬剤はいまだに存在しない Transforming growth factor-β (TGF-β) は皮膚線維芽細胞のコラーゲン産生を亢進させるいっぽうで 皮膚角化細胞の増殖や遊走に対しては抑制的にはたらくことが知られており その細胞内シグナル伝達物質である Smad3 を欠失させたマウスでは 炎症細胞浸潤の抑制と欠損皮膚の再上皮化促進により早期の創傷治癒が得られることが報告された 共同研究者の稲垣らは TGF-β/Smad3 シグナルによるヒト I 型コラーゲン α2 鎖遺伝子 (COL1A2) の転写調節機構を解明する中で 転写因子 YB-1 が Smad3 に拮抗することで TGF-β の作用を抑制することを見出した さらに 新規低分子化合物 HSc025 が YB-1 の核内移行を促進して TGF-β/Smad3 シグナルの伝達を阻害すること また最近では HSc025 の投与が実験的臓器線維症の進展を抑制することを明らかにしたが 同化合物の創傷治癒に対する効果の有無は不明であった
そこで本研究では TGF-β/Smad3 シグナルの創傷治癒に対する影響を肉芽形成と再上皮化の両面から検証するとともに そのシグナルに拮抗する HSc025 の創傷治癒促進機序を検討することで 難治性潰瘍に対する新たな治療法を開発することを目的とした はじめに in vivo のマウス創傷治癒モデルでは HSc025 を投与したマウスで肉眼的ならびに組織学的に早期の創閉鎖が得られたが I 型コラーゲン α2 鎖遺伝子 (Col1a2) プロモーターの活性化やコラーゲンの沈着に有意な差異は見られなかった 浸潤した炎症細胞の免疫染色では 好中球やリンパ球数には両群間で差はなかったが F4/80 染色陽性のマクロファージが HSc025 投与群で有意に減少していた 次いで in vitro の検討では HSc025 は TGF-β の作用に拮抗して培養表皮角化細胞の増殖と遊走を亢進させたが 真皮線維芽細胞においては TGF-βの有無にかかわらず その遊走を促進した 線維芽細胞の遊走に対する効果を in vivo でも確認するため Col1a2 エンハンサー プロモーターに Enhanced green fluorescent protein (EGFP) 遺伝子を連結したレポーター遺伝子を組み込んだマウスの創部に人工真皮を埋め込んだ その結果 HSc025 群の創部では EGFP 発現線維芽細胞の浸潤が有意に促進していた 培養線維芽細胞の cdna マイクロアレイ解析を行ったところ HSc025 の添加により pirin 遺伝子の発現増強が確認された さらに pirin sirna を用いた検討では pirin 発現をノックダウンした状態では HSc025 の遊走亢進作用は消失した 最後に 抗体アレイにより血管新生関連因子のスクリーニングを行ったところ 真皮線維芽細胞では HSc025 の添加により vascular endothelial growth factor (VEGF) が 表皮角化細胞では platelet-derived growth factor (PDGF)-AA と placental growth factor (PIGF) の産生増加が認められた 以上の結果より HSc025 は炎症細胞浸潤や表皮角化細胞の増殖 遊
走に対しては TGF-βに拮抗するとともに pirin の発現誘導を介して真皮線維芽細胞の遊走を TGF-β 非依存的に亢進させるなどの多彩な作用により 創傷治癒を促進することが明らかになった これらの知見は 難治性の皮膚潰瘍に対する新たな治療薬を開発する上で 有用の情報をもたらすと考えられた 背景と目的 人口の高齢化に伴って医療の現場において褥瘡などの難治性皮膚潰瘍が高頻度に認められ その予防と治療は医学的に大きな問題になっている [1] 例えば 2006 年に日本褥瘡学会によって行われた実態調査によると 全褥瘡患者の 50% を 75 歳以上が占め 大学病院 一般民間病院 精神病院 介護老人福祉施設 介護老人保健施設 訪問看護ステーションなど 施設の種類を問わずに発症している これらの症例に対しては 主治医を筆頭に皮膚科医 形成外科医 リハビリテーション科 栄養科 皮膚 排泄ケア認定看護師 介護士がそれぞれ情報を共有して治療にあたっており 治療にかけられる医療費も大きい 多くの患者は高齢であるため 廃用症候群などによる ADL の低下 関節拘縮による体位変換の制限 栄養不良による全身状態の悪化により外科的処置が困難となる場合が多く 手術をしても再燃する可能性が高い また 年齢以外にも 糖尿病や肥満による循環不全や易感染性 さらに抗腫瘍薬やステロイドなどの薬剤が 創傷治癒に対して全身的あるいは局所的な影響を及ぼす [2] 現在一般的に行われている難治性皮膚潰瘍の治療としては 壊死組織が付着していれば潰瘍面に対して外科的デブリードマンやスルファジ
ン銀による化学的デブリードマンを繰り返して 壊死部分を取り除く 感染徴候があれば抗菌作用のある白糖 ポビドンヨード軟膏を使用し その後肉芽形成を促すアルプロスタジルアルファデクス軟膏などを使用している 大きな非感染創に対しては皮弁などを用いて外科的に治療する場合もあるが 全身麻酔をかけられないなど 手術適応のない潰瘍に対しては 従来の軟膏治療を用いる 褥瘡などでは 軟膏治療に加えてドレッシング剤による湿潤治療 陰圧閉鎖療法 エアーマットレスなどの体圧分散寝具の改良など 様々なアプローチがなされている [3] が 創部が上皮化して閉じるまでは感染症を併発するリスクが残り 筋膜炎や骨髄炎から播種性血管内凝固症候群に陥る患者も少なくない 残存している皮膚角化細胞の再生を促し 速やかに創部の閉鎖が得られるような 新たな治療法の開発と導入が急務である 皮膚の創傷治癒は浸潤する炎症細胞や表皮角化細胞 真皮線維芽細胞と これらが産生する様々な成長因子 サイトカインにより複雑に制御され その過程は血液凝固期 炎症期 細胞増殖期 ( 肉芽形成期 ) 成熟期 ( 組織再編成期 ) の 4 段階に分けられる [4][5] 血液凝固期では 受傷により血管壁の破壊と血管内皮細胞の損傷が起こり 活性化した血小板から血小板由来増殖因子 (platelet derived growth factor: PDGF) などのサイトカインが放出され フィブリン凝固塊が形成される 炎症期では これらの因子により好中球やマクロファージなどの貪食細胞の浸潤が起こり 異物や細菌が除去される 同時に これらの細胞からさらに連鎖的に transforming growth factor-β(tgf-β) や fibroblast growth factor (FGF) などのサイトカインが放出される 細胞増殖期では 放出されたサイトカインにより表皮角化細胞や真皮線維芽細胞の増殖と遊走が促され 肉芽形成と血管新生が起こる 最後に 成熟期では細胞外マトリックスのリモデリ
ングによって 組織の再編成が起こる [5] 創傷治癒に関わる多くの増殖因子 サイトカインの中でも TGF-βは重要な役割を果たしている 生理的な創傷治癒では 血小板 マクロファージやリンパ球から放出される TGF-βはさらなる細胞浸潤を促し 肉芽組織における血管新生やコラーゲン新生の促進に関与していることが知られている [4] これらの作用により TGF-βは創傷治癒を促進すると考えられていたが その細胞内シグナル伝達物質である Smad3 を欠失したマウスでは むしろ創傷治癒の促進が確認された [6] これは TGF-β/Smad3 シグナルの遮断が炎症細胞の浸潤を抑制し 表皮角化細胞の増殖と遊走を促進するためと考えられている さらに 創傷治癒では骨髄由来の線維芽細胞の関与が認められないが 線維化では皮膚局在の線維芽細胞と骨髄由来の線維芽細胞の両者が関与していることが報告され [7] 生理的な創傷治癒と病的な線維化では分子細胞機序が異なることが示唆されている これまで TGF-β/Smad3 シグナルに拮抗する成長因子やサイトカインは 臓器線維症に対する抑制効果の観点から注目されてきた [8] その中でも 臓器線維症の進展を抑制する IFN-γの細胞内シグナル伝達分子である YB-1 は 核内移行することでヒト I 型コラーゲン α2 鎖遺伝子 (COL1A2) の転写を抑制することが報告された [9][10] また アデノウイルスベクターを用いてマウス I 型コラーゲン α2 鎖遺伝子 (Col1a2) のエンハンサー プロモーターにより YB-1 強制発現させることで IFN-γの抗線維化作用が増強され 肝線維症の進行が抑制された [11] さらに近年では HSc025 が YB-1 の核内移行を促進して皮膚 肺 肝臓における実験的線維症の進行を抑制することが明らかにされた [12][13] が 生理的な創傷治癒過程に対する HSc025 の効果は不明であった そこで本研究は
TGF-β/Smad3 シグナルに拮抗する HSc025 の創傷治癒に及ぼす影響と その作用機序を解明することを目的とした 考察 本研究では 臓器線維症に対して開発された新規低分子化合物 HSc 025 が 皮膚全層欠損後のマクロファージの浸潤を抑制し 表皮の再上皮化を促すことを明らかにした 培養細胞を用いた in vitro の検討では HS c025 は表皮角化細胞と真皮線維芽細胞に対して それぞれ異なる作用を示した まず 表皮角化細胞の培養上清に 2.5ng/ml の TGF-βを添加すると 既報の如く増殖と遊走が抑制された [19] HSc025 は この TGFβの抑制作用に拮抗して 表皮角化細胞の増殖と遊走を亢進させた いっぽう HSc025 は真皮線維芽細胞の増殖に対して何ら影響を与えなかったにもかかわらず 遊走に対しては TGF-βの存在下 非存在下ともに促進効果を示した このことから HSc025 による線維芽細胞の遊走促進は 細胞増殖とは無関係と考えられ 実際マイトマイシン C を添加して細胞増殖を完全に抑えた条件下でも HSc025 による真皮線維芽細胞の遊走亢進が明らかにされた さらに HSc025 による真皮線維芽細胞の遊走促進作用を in vivo でも検証するため COL/EGFP Tg マウスの創部に人工真皮の埋め込み実験を行った結果 HSc025 投与群で人工真皮内に遊走するコラーゲン産生細胞数が有意に増加することを確認できた これまでに TGF-βの中和抗体 [20] や合成された TGF-β 拮抗薬 [21] が創傷治癒を促進し 過剰な瘢痕化を抑制すると報告されている また Smad3 ノックアウトマウスを用いた実験 [6] では 炎症細胞浸潤が抑えられ 表皮の再上皮化が進むことで 創傷治癒の促進が証明された 今回の実
験でも HSc025 を投与することで F4/80 染色陽性のマクロファージの浸潤が抑えられ 創傷治癒が促進したことは これに合致する しかしながら 創傷治癒を促進するために抗線維化作用のある物質を使用することは 肉芽組織におけるコラーゲン産生を抑え 創閉鎖後の真皮の強度を下げてしまう可能性が危惧される 今回の実験では ルシフェラーゼアッセイで確認したように肉芽組織全体の Col1a2 プロモーター活性に差はなく ( 図 1 B) シリウスレッド-ファストグリーン FCF 染色においても HSc025 存在下と非存在下で沈着したコラーゲン量に有意差は認められなかった ( 図 2E 2 F) これは HSc025 が真皮線維芽細胞の遊走を亢進させながらも 個々の細胞における Col1a2 転写を抑制し 組織全体としてのコラーゲン産生量に差がなかった可能性が考えられる あるいは 生理的な創傷治癒と病的な線維化では これに関わる細胞やサイトカインなどの作用機序が異なり [7][22] それぞれの状態における真皮線維芽細胞の動態や HSc025 に対する反応性に違いがあるのかもしれない 今後は HSc025 を投与したマウスで創閉鎖後の皮膚の強度などの病態を長期的に観察していく必要があると考える 真皮線維芽細胞の遊走能亢進の作用機序を解明するために行った cdna マイクロアレイを用いた遺伝子発現パターンの網羅的解析では HSc025 投与群で pirin 遺伝子の発現増加を認められ Real time RT-PCR および Western ブロッティングにより有意な増加が実証された Pirin は cupin スーパーファミリーに分類される核内転写に関与するタンパク質で 当初その機能は不詳であった [23] が 近年 Bcl3 と結合することにより悪性黒色腫細胞の運動を制御することが報告された [24] この実験では sirna により pirin 発現をノックダウンした細胞や pirin-bcl3 結合の阻害剤である TPh A を添加した細胞では遊走が抑制された さらに TPh A を添
加した悪性黒色腫細胞では SNAI2 発現の抑制も確認された SNAI2 は SLUG としても知られ 表皮角化細胞を含むさまざまな細胞の遊走に関与し [25] 創傷治癒では上皮化において重要な役割を果たしている[26] 今回の検討では HSc025 によって発現誘導された pirin の下流で SNAI2/SLUG が真皮線維芽細胞の遊走にも作用している可能性が示唆された 実際 in vivo の実験において HSc025 を投与したマウスの創部組織で pirin mrna の発現が増加していたことも これと合致していた いっぽう 真皮線維芽細胞を HSc025 刺激した際の pirin 発現の増加が mrna タンパク質レベルとも2 倍弱にとどまったにもかかわらず pirin sirna をトランスフェクションして内因性 pirin 発現をノックダウンすると HSc025 の遊走促進効果はほぼ完全に消失していた ( 図 7) これらの所見から HSc025 は pirin 発現量を大幅に増加させるのではなく その細胞内動態や Bcl3 やその他の核内因子との相互作用を増強させる可能性が考えられた 実際 HSc025 は YB-1 とその細胞質内アンカータンパク質 PABP の結合を妨げることにより YB-1 の核内移行を促進し 標的遺伝子の発現を調節することが報告されている [13] 今後は pirin ノックアウトマウスを用いて HSc025 が pirin を誘導する機序をさらに解明していく必要があると考える 創傷治癒過程においては 創部に遊走した線維芽細胞が血管新生を促すとともに肉芽形成を促進させる [5] 今回 HSc025 が pirin の発現誘導を介して真皮線維芽細胞の遊走亢進に関わることが示されたが さらに血管新生関連因子の産生に対する HSc025 の効果を 抗体アレイを用いて検討した その結果 真皮線維芽細胞の培養上清では VEGF の増加が 表皮角化細胞では PDGF や PIGF の産生増加が見られた VEGF は VEGF-A VEGF-B VEGF-C VEGF-D と PIGF からなる糖タンパク質フ
ァミリーであり 創傷治癒にとって必須の因子である 現在 結腸直腸癌や悪性神経膠腫に対して VEGF に対するモノクローナル抗体であるベマシズマブが使用されているが 創傷治癒を妨げることが懸念されている [27] また 結腸直腸癌の周術期にベマシズマブを化学療法と併用した症例でも 創傷治癒障害の合併が有意に高率であった [28] これらの所見と合わせ HSc025 による VEGF 産生の増加も マウスの創傷治癒が促進した機序の1つと推測された 以上 本研究では TGF-β/Smad3 シグナルに拮抗する新規低分子化合物 HSc025 の創傷治癒に対する効果を検討した [29] これまで HSc025 は臓器線維症の進展を抑制することが報告されてきたが 本研究の結果 HSc025 を投与したマウスでは早期に創傷治癒の促進が認められた また HSc025 は表皮角化細胞に対しては TGF-β/Smad3 シグナルに拮抗して増殖と遊走を促し 真皮線維芽細胞に対しては同シグナル非依存的に pirin 発現の増加を介して遊走を亢進させた さらに HSc025 は血管新生関連因子の産生を促すなど これら複合的機序の結果として創傷治癒を促進させることが明らかになった ( 図 9) 今後 さらに詳細な分子機序が解明されることで 難治性の皮膚潰瘍に対する新たな治療法開発の一助となることが期待されるが 実際の臨床応用に向けては投与量や投与経路などの検討とともに 副作用の有無についても十分な検証が必要と考えられる