誑
a b c d e f g a b c d e f g b c f c
U
27 36 第図 龍興寺出土東魏 北斉時代如来立像 2 3 4
U A B A B A B A B U
4 5 第2図 33 30 2 漢民族式着衣の如来立像 3
4 第3図 2 5 3 6 漢民族式着衣の如来立像 2 3 32
2 5 3 第4図 3 32 4 漢民族式着衣の如来立像 3
U U
A A B A A B A A B A A B B A
2 3 4 第5図 通肩 A 式着衣の如来像 35 28
4 第6図 27 36 2 5 通肩 B 式着衣の如来像 2 3 6
第7図 2 3 通肩 B 式着衣の如来像 2 4 偏袒右肩 A 式 第8図 第図 偏袒右肩式の造像のうち 体部と左腕の間に袈裟が表現されるものを 偏袒右肩 A 式とした この形式の着衣も北魏 東魏時代にはみられず 北斉時代に入ってから現れている 偏袒右肩 A 式では胸元で袈裟の下 の僧祇支を表現する作例もある 袈裟の表現は漢民族式同様に多様で 彫刻で襞を表すものから 襞を 全く彫刻しないものまでがある 第8図は陰刻で襞を段状に彫刻して いる このような陰刻による襞の表現が東魏時代以前に一般的であった ことはすでに述べた 襞は右下から左肩へ身体の線に沿って自然に流れ るように表現されている 第8図2 3は北斉時代になって現れた浮き 彫りの例で 先の陰刻とは違い襞を高く突出させている ただし襞を右 下から左肩へと自然に流れるように彫刻しているのは 陰刻と同じであ る 第8図4 6は線刻の例 4は二重刻線で襞をあらわしている 襞 は極めて自然に身体の線に沿って刻まれている 5は一本の刻線で襞を 表した例で 襞の表現などは4に近い 6は二重刻線で襞を表している が 襞は漢民族式でみられた左右に波状であらわされる対称型であり やや表現は硬くなっている 第図 5は襞を彫刻しない例で 袈裟 37 26
4 第8図 25 38 2 5 偏袒右肩 A 式着衣の如来立像 3 6
4 第図 2 3 5 偏袒右肩 A 式着衣の如来立像 2 3 24
B B A B
2 3 4 第 0図 偏袒右肩 B 式着衣の如来立像 4 22
3 第 図 2 42 東魏時代の彫刻技法 2 4
1 2 4 3 5 第 2図 6 北斉時代の彫刻技法 43 20
U
A B A B
暼 暼 暼
図8 3 青州龍興寺佛教造像芸術 図8 4 青州龍興寺佛教造像芸 術 図8 0 5 青州龍興寺佛教造像芸術 図8 4 6 青州龍興寺佛教造 像芸術 図8 6 第図 青州龍興寺佛教造像芸術 図8 7 2 青州龍興寺佛教造像芸術 図8 3 青州北朝佛教造像 5 3頁 4 青州龍興寺佛教造像芸術 図 8 5 5 青州北朝佛教造像 3 頁 6 青州北朝佛教造像 3 頁 第 0図 青州北朝佛教造像 4 頁 2 青州北朝佛教造像 3 頁 3 青州龍興寺佛教造像芸術 図6 0 4 青州北朝佛教造像 5頁 第 図 青州北朝佛教造像 6 3頁 2 青州北朝佛教造像 0 4頁 3 青 州北朝佛教造像 7 頁 4 青州北朝佛教造像 6 頁 第 2図 青州龍興寺佛教造像芸術 図7 3 2 青州北朝佛教造像 5頁 3 青州北朝佛教造像 頁 4 青州北朝佛教造像 4 頁 5 青 州北朝佛教造像 6頁 注 常叙政 于豊華 山東高青県出土佛教造像 文物 8 7年第4期 2 山東省博興県文物管理所 山東博興龍華寺遺址調査簡報 考古 8 6 年第期 7 3 博興県文物管理所 山東博興県出土北朝造像等佛教遺物 考古 年第7期 4 諸城市博物館 山東諸城発言北朝造像 考古 0年第8期 杜 在忠 5 臨誑県博物館 山東臨誑明道寺舎利塔地宮佛教造像清理簡報 文物 2 0 0 2年第期 6 夏名采 荘明軍 山東青州興国寺故址出土石造像 文物 6年第5 期 7 この龍興寺窖蔵の発掘の経緯については 実際に発掘にあたった青州博 物館館長である夏名采氏による著書が詳しい 夏名采 青州龍興寺佛教造像窖蔵 2 0 0 4年 生活 読書 新和三聯書 店 北京 8 山東省青州市博物館 青州龍興寺佛教造像窖蔵清理簡報 文物 8 年第2期 また龍興寺の沿革などについては宿白氏の一連の考察がある 宿白 青州城考略 青州城與龍興寺之一 文物 年第8期 宿白 龍興寺沿革 青州城與龍興寺之二 文物 年第期 宿白 青州龍興寺窖蔵所出佛像的幾個問題 文物 年第 0期 楊泓 小澤正人訳 北朝後期における青州地区の石造仏教像 中国 国宝展 展覧会図録 朝日新聞社 2 0 0 4年 0 編年の概略については以下の文献に簡潔にまとめられている 王瑞霞 青州龍興寺佛教造像分期 中華世紀壇芸術館 青州市博物館 青州北朝佛教造像 所収 北京出版社 2 0 0 2年 5 2
暼