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- えみ たなせ
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8 松崎遺跡から南に約3 隔てた砂堆上に知 多市法海寺遺跡がある 図5 法海寺遺跡で は5世紀後半のマガキ ハマグリを主体とする 貝層から 鞴羽口2点 鉄滓 骨鏃や刀子など の骨角製品 加工段階の骨角製品 骨角素材が 出土した 他に鉄鏃2点などの鉄製品も出土し て い る 図 6-1 10 法 海 寺 遺 跡 は 東 山 111 号窯期を主体とする初期須恵器 図6 も多く 加えて韓式系土器に系譜する 土器 図6-18 が出土していることから 5 世紀後半に渡来系工人が関与する鉄器製作技術 が移植されたと推測することも可能である さ らに韓式系土器の出土が名古屋台地に集中する 傾向 早野 2004 と 至近の下内橋遺跡で検 出された古墳において 知多半島としては異例 な尾張型埴輪が樹立されていた事実を加味する と 知多半島西岸の臨海集落への鉄器製作を含 む技術移植には 名古屋台地を活動拠点とする 有力氏族が関与した構図も思い描かれる さら に論を進めるなら 法海寺遺跡は6世紀以降の 生産活動が希薄で 総体的に松崎遺跡の遺物相 は法海寺遺跡に後出することから 松崎遺跡に おける鉄器加工を含む各種生産用具の生産は法 海寺遺跡からの流れに継起したと解釈したい 見 松村 1991 にも配慮が必要である 特に 臨海の集落遺跡である西庄遺跡から出土する鉄 鏃について久保和士は イヌをともなう陸棲哺 乳類の弓矢猟に使用されたと推測している 久 保他 1997 上に列記したように 鉄鏃のみを参照して も それを武器とする解釈に拘泥する危険性が 理解されるが 装飾付大刀や馬具がおよそ6世 紀後半の所産と判断しても矛盾がなく 同時期 の群集墳の副葬品とも共通することを重視する 立場から それらは武装を構成する遺物群であ ったと把握したい 製塩集団が有事に軍事活動 に参加したとすれば 問題は塩生産の専業性の みにとどまらず 中央における軍備の実体にも 派生することになる 3 各種生産用具の生産とその構図 松崎遺跡における鞴羽口や砥石などの鍛冶関 連遺物 鹿角製刀子柄などの骨角製品や加工段 階の骨角製品 骨角素材による生産関連遺物の 組成は 一貫した工程に沿って工具や漁具など 各種生産用具 あるいは武器などが生産された 可能性を示唆する ただし 出土遺物の年代的 な根拠が希薄であるので 生産活動の具体像を 叙述することは難しい 砂堆 炉内 炉外 丘陵 松崎遺跡 丸根古墳 畑間遺跡 7 4 上浜田遺跡 下浜田遺跡 王塚古墳 白色位置 岩屋口古墳 釈迦御堂遺跡 下内橋遺跡 白色位置 炉内 炉外 烏帽子遺跡 大木之本遺跡 柳ヶ坪遺跡 法海寺遺跡 20 岩之脇古墳 17 図5 松崎遺跡とその周辺 は1 4 17は1 16 他は1 8 図6 法海寺遺跡の遺物 は渡辺編 1993 より作成 臨海の古墳時代集落 松崎遺跡の歴史的素描 財 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター
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表1-1 鉄滓の金属学的分析成果 74 研究紀要 第6号 財 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2005.3 表1-2 鉄滓の金属学的分析成果 75 鍛冶滓の金属学的分析成果の検討 - 愛知県における金属器生産 8 - 財 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター 2005.3 表1-3 鉄滓の金属学的分析成果 76 研究紀要 第6号 財 愛知県教育サービスセンター愛知県埋蔵文化財センター
割付原稿
極大型であり それは 大規模 長期継続 集 落 遺跡なのであるから時期ごとの数量を描き 出すことは困難である せいぜい すでに崩壊 し去った数多の遺構に思いを馳せるのみである そもそも大規模であれば それが 過度な集 住 ということでなくても なぜ大規模な集落 遺跡が成立したのか その背景は何なのか と いう単純な問題設定で十分ではないかと考え 犬山扇状地 八王子 二タ子 猫島 大地 台地 大塚 野口
福知山-大地の発掘
福知山市の遺跡 平成18年1月に行われた1市3町の合併により 広大な市域を得た福知山市には現在約500箇所の遺跡が登録さ れています このうち古墳や窯跡など群として登録されているものも 多く 実数としては約2000箇所を越えることとなります 遺跡の位置と立地 福知山市域は本州の内陸部やや北側に位 置し 日本海へと注ぐ由良川とその支流によって形作られた盆地 周辺山岳部からなります 市域の約80パーセント近くは山林であり
I.平 成12年 遺跡発掘調査 につ い て 加茂市教育委員会社会教育課主事 伊 藤 秀 和 本年 の発掘調査 は下条陣ケ峰線道路建設工事 に伴 い 中沢遺跡が調査 され 加 茂市 では唯 一 の 弥生時代 の集落跡が確認 された 試掘 確認調査 は下条地区で行 われ 3遺 跡 4遺 跡周辺地 を 対象 に行 つた 1口 中沢遺跡 一弥生 平安 一 所 在 地 加 茂市大字下条字芝野地内 調 査 面
加茂市の遺跡 平 成 19年遺跡発掘調査について 加茂市教育委員会社会教育課係長 伊 計 溺 三 秀 禾口 本年 の遺跡調査 は 開発事業 に関連 した確認調査が 3地 区 本調査が 1事 業 によ り2遺 跡を 対象 に行われた 1.荒 叉遺跡一 古墳 古代一 所 在 地 加 茂市大字下条地 内 調 査 面積 約7 2 1 面 調 査期 間 平成 1 9 年 8 月 8 日 9 月 1 2 日 1地
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27 28 30 32 34 25 24 29 33 26 31 35 23 22 15 14 36 21 20 19 16 13 18 17 3 11 37 2 38 50 4 8 1 5 12 39 49 7 10 9 54 6 42 40 53 43 44 52 51 45 48 41 47 46 56 57 55 58 59 84 60 61 64 62 63 83 65 79 69 67
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月 古 墳 ガイドブック 日 文 化 の 日 出 発 : 午 前 8 時 半 帰 着 : 午 後 4 時 頃 見 学 場 所 庚 申 塚 古 墳 山 の 神 古 墳 ( 柏 原 ) 長 塚 古 墳 ( 沼 津 市 ) 清 水 柳 北 1 号 墳 ( 沼 津 市 ) 原 分 古 墳 ( 長 泉 町 ) 浅 間 古 墳 ( 増 川 ) 実 円 寺 西 1 号 墳 ( 三 ツ 沢 ) 富 士 市 教 育
す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査
高 速 自 動 車 国 道 近 畿 自 動 車 道 名 古 屋 神 戸 線 建 設 事 業 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 ( 茨 木 市 域 )その5 現 地 説 明 会 資 料 千 提 寺 西 遺 跡 の 調 査 平 成 25 年 3 月 23 日 公 益 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります
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Vol.60 2006 AUTUMN TALK&TALK 高 九 二 四 m そ び え そ 南 多 く 渓 流 集 め 麓 生 中 央 流 る 杭 瀬 名 高 米 じ め イ チ ゴ タ 茶 美 濃 び 茶 生 産 平 坦 地 麓 県 下 も 有 数 良 質 流 支 流 粕 平 野 部 中 心 展 開 時 代 高 畑 遺 跡 深 谷 遺 跡 ど 適 麓 分 布 弥 生 遺 跡 ど 多 数 あ り
近江の彦根から纏向遺跡に匹敵する大型建造物のある鉄器物流を担う拠点都市集落が出土弥生末から古墳時代前期 (3 世紀 ~4 世紀 ) の近畿北部の中心的な大都市集落 彦根市稲部遺跡 現地説明会に参加 彦根市稲部遺跡 卑弥呼の時代にヤマトと琵琶湖交通 東国を結ぶ結節点近江に 大和
近江の彦根から纏向遺跡に匹敵する大型建造物のある鉄器物流を担う拠点都市集落が出土弥生末から古墳時代前期 (3 世紀 ~4 世紀 ) の近畿北部の中心的な大都市集落 彦根市稲部遺跡 現地説明会に参加 2016.10.22. 彦根市稲部遺跡 卑弥呼の時代にヤマトと琵琶湖交通 東国を結ぶ結節点近江に 大和の纏向遺跡に匹敵する大型建物を持つ鉄の物流拠点とみられる都市集落 ( 彦根市稲部遺跡 ) が出土し 10
調査を実施した 調査成果としては 3 面の遺構面を確認し 中世後半 (l 5 ~ (l 3 ~ ところが 調査の結果は 中世後半 (1 5 世紀以降 ) 中世前半 (1 3 ~ ~m ~ 2mm ~ ~ ~ 0.125 ~ 0.063 ~ 0. 1 25111111 ~ 0.063mm ~ 細粒砂 ( ~ 中粒砂 (m.) - 一 \~ ら平安 ~ 鎌倉時代と弥生時代 ( 中期 )~ 古墳 5
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16 297 297 297 297 14 140 13 13 169 81 32 32 24 409 P48 P54 P56 P50 P52 2 3 4 5 6 7 8 9 11 12 13 14 15 みちしるべ 調べるほどに興味深い Q&A 上総国分寺 国分尼寺 Q 国分寺という地名は全国に多数ありますが どうしてなのですか A てんぴょう しょうむてんのう 国分寺は 天平13年(741)に聖武天皇が国情不安を鎮めるため
五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館
五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館 五條猫塚古墳出土遺物 竪穴式石槨内出土武器 武具 竪穴式石槨外出土武器 武具 青銅製品 金銅製品 武具 竪穴式石槨外出土工具 農工漁具 埴製枕 埴輪 例 言 1. 本書は奈良国立博物館が所蔵する 五條猫塚古墳出土資料の調査報告書の報告編である 2. 五條猫塚古墳は奈良県五條市西河内町 388 番地に所在する 発掘調査報告書は
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平野遺跡第 4 次 1 はじめに所在地調査目的調査期間調査面積 スライド説明会平成 26 年 5 月 18 日 ( 日 ) 14:00~ 鈴鹿市平野町地内保育施設建設に伴う埋蔵文化財の記録保存平成 25 年 1 月 29 日 ~6 月 9 日約 600 m2 2 主な遺構 古代 竪穴建物 13 棟以上 掘立柱建物 2 棟以上 柵 5 条以上 井戸 1 基 中世 溝 2 条 3 主な遺物土師器須恵器製塩土器鉄製品
Title 女性首長と軍事権 Author(s) 清家, 章 Citation 待兼山論叢. 史学篇. 32 P.25-P.47 Issue 1998 Date Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/11094/48104 DOI Rights Osaka University ~ 応淡鮫司 新納泉
象鼻山ペラ校正
第98 図 象鼻山山頂部の地形分類 S 1/1,000 162 第5章 考 察 出土した土器は 質 量ともに十分であり 具体的な編年的位置を示すことができる 一方 ②盛土中や遺構面から土器が出土し その編年的位置が築造時期の上限や下限を示すのみの 墳墓として 3号墳 砂岩礫集積 や4号墳 6号墳 9号墳がある また 遺構として平坦面2が ある このうち 遺構面から出土した3号墳 砂岩礫集積 の土器はその下限
~ 4 月 ~ 7 月 8 月 ~ 11 月 4 月 ~ 7 月 4 月 ~ 8 月 7 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 7 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 8 月 4 月 ~ 6 月 6 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 11 月 4 月 ~
美濃焼
一 美濃窯について 美濃は各務原市を中心に 須恵器が古くから焼かれていた 須恵器は 低火度で焼く 弥生 土師両土器と違って1200度以上 1300度内外に焼かれている高火度の焼 物であって 陶磁らしいものの出現はこの時から始まった このような高火度の窯業技 術は 新羅 百済クダラから渡来したものであり 今日では須恵器と云うのが学説に使 われる通語である 須恵器ははっきりしたロクロによる成形が行われ
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狐塚古墳現地説明会資料 静岡県浜松市北区細江町 2011 年 4 月 17 日 浜松市文化財課 狐塚古墳について 経 緯 浜松市北区細江町にある狐塚古墳は 半世紀ほど前に埋葬施設の一部が掘り出され 鉄製短甲 ( よろい ) や鉄鏃 ( やじり ) などが出土しました その後 埋葬施設を含む古墳の大部分は土取りによって消滅しましたが 幸いにも古墳全体の4 分の1ほどが残されていました この度 開発事業に伴い残存している墳丘部分を対象にした本格的な発掘調査を実施し
関 東 地 方 では 土 偶 は 早 期 ( 約 9000~8000 年 前 )には 登 場 するようである 前 橋 市
関 東 地 方 では 土 偶 は 早 期 ( 約 9000~8000 年 前 )には 登 場 するようである 前 橋 市 古 墳 は 3 世 紀 後 半 ~7 世 紀 にかけてつくられた 権 力 者 の 墓 で その 数 全 国 で 16 万 基 に 及 ぶ 神 聖 な 墓 を 飾 りたてる 道 具 * 元 禄 文 化 : 江 戸 前 期 (1 7 世 紀 末 ~ 18 世 紀 初 ) に 上 方
日本列島の 歴史 を記した 日本書紀 ~ (720 年 ) や 古事記 ~ 漢書 ~ ~ 三国 三国志 の編纂の方が古い ~ 後漢書 にも 1 世紀の列島を示した独自記事がある ~ 集安高句麗碑 ~ 求めたのである こうして 倭国王の名前と系譜などを知ることができる ~. 宋書 倭国伝には 宋 の古代史 ~ ~ 古事記 仁徳段 ) と歌っている 後の蕎城氏につながる氏族が 本拠地としていた可能性がある
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< 下 野 市 ホームページ 市 の 概 況 より> < 下 野 市 文 化 財 マップ しもつけシティーガイド 下 野 市 都 市 計 画 マスタープランより> 指 定 文 化 財 下 野 文 化 財 件 数 内 訳 ( 平 成 21 年 3 月 31 日 現 在 ) 有 形 文 化 財 無 形 文 化 財 民 俗 文 化 財 記 念 物 建 造 物 絵 画 彫 刻 工 芸 品 書 跡 古 文 書
最新レポート Ⅰ 金井東裏遺跡 平成 25 年度の調査 調査統括 友廣哲也 平成 24 年 11 月 渋川市の金井東裏遺跡で 甲を着た古墳人 が発見されました 6 世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火に伴う火山灰や火砕流に覆われ その後の6 世紀中頃に起きた二ツ岳の二回目の大噴火で降下した厚さ2mに及ぶ軽石に
過去現在未来をつなぐ埋蔵文化財 埋文群馬 MAIBUNGUNMA NO.58 公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団 http://www.gunmaibun.org/ 最新レポート Ⅰ 金井東裏遺跡 平成 25 年度の調査 調査統括 友廣哲也 平成 24 年 11 月 渋川市の金井東裏遺跡で 甲を着た古墳人 が発見されました 6 世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火に伴う火山灰や火砕流に覆われ その後の6
新潟県立歴史博物館研究紀要第4号
新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は
~ ~
~ ~ 古 墳 群 は, 弥 栄 町 西 端, 網 野 町 との 町 境 の 標 高 4 1~81m の 丘 陵 上 lζ 分 布 する こ 乙 は, 2~30 33~39 号 墳 ま 調 査 の 結 果 6 7 10 1 4 17 28 29 30 33~39 号 墳 については, 古 墳 として 認 8~ (3) の 段 階 ではそれぞれ 土 師 器 高 杯 が 2~3 3~5 8 9 1
哺 乳 類 2 H23 H12 H13 H14 H15 H16 H17 H18 H19 H20 H21 H22 12 321 564 423 576 572 470 704 290 181 108 67 2 33 180 261 462 357 321 564 423 576 572 470 704 323 361 369 529 359 H24.9
市報かすが12月15日号
6 職員の研修および勤務成績の評定の状況 (1) 職員研修の状況 平成24年度 総事業費 区 分 556万5000円 主な内容 派遣先 コース 回数 受講人数 自主開催研修 管理職研修 文書事務研修など 10コース 26回 延べ1411人 派遣研修 福岡県市町村職員研修所 市町村職員中央研修所など 97コース 97回 延べ182人 107コース 123回 延べ1593人 合 計 (2) 勤務成績の評定状況
膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)
記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成
05郷土の文化財(第6版)P#2860CB
ふくじゅう じ ぶん か 52 福 聚 寺 の 文 化 ざい 財 所 在 地 : 久 留 米 市 合 川 町 2-1 アクセス: 西 鉄 バス 十 三 部 下 車 徒 歩 10 分 だい す 52-1 臺 子 せいとくいんさまぼつ ご ( 盛 徳 院 様 没 後 ご 御 き 寄 ふ ) 種 別 : 有 形 文 化 財 工 芸 品 ( 昭 和 55 年 5 月 22 日 市 指 定 ) 附 こ げつぜん
表紙
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 設立 35 周年記念講演会 シンポジウム やまとごころとからざえ 和魂漢才 京都 東アジア 考古学 ʩ 1 テーマ 和魂漢才 京都 東アジア交流考古学 2 日 時 平成 27 年 11 月 29 日 日 12:30 16:30 3 主 催 京都府教育委員会 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 4 後 援 向日市教育委員会 5 会 場 向日市民会館
研究成果報告書
様式 C-19 科学研究費助成事業 ( 科学研究費補助金 ) 研究成果報告書 平成 24 年 6 月 14 日現在 機関番号 :37502 研究種目 : 基盤研究 (C)( 一般 ) 研究期間 :2008~2011 課題番号 :20520669 研究課題名 ( 和文 ) 自然科学的手法を用いた古墳時代の金属器製作技術の調査と工具の復元 研究課題名 ( 英文 ) The research for the
イベント詳細 1 公開ライブラリー 埼玉県が製作した映像の上映会とトークショー 古代へのいざない国宝 金錯銘鉄剣 日時 : 2 月 2 日 ( 土 )14:00~16:00 会場 : 彩の国ビジュアルプラザ 4 階映像ホール 料金 : 無料 定員 : 300 名 ( 事前申込制 / 先着順 ) 内容
イベント詳細 1 公開ライブラリー 埼玉県が製作した映像の上映会とトークショー 古代へのいざない国宝 金錯銘鉄剣 日時 : 2 月 2 日 ( 土 )14:00~16:00 会場 : 彩の国ビジュアルプラザ 4 階映像ホール 料金 : 無料 定員 : 300 名 ( 事前申込制 / 先着順 ) 内容 : 1968 年 行田市の埼玉古墳群 稲荷山古墳から後に国宝に指定される 金錯銘鉄剣 などの副葬品が出土しました
旧 市 町 村 コード 名 称 種 別 時 代 所 在 地 概 要 備 考 旧 30 実 竹 城 跡 城 跡 中 世 青 近 郭, 堀 切, 土 塁 広 島 県 中 世 城 館 遺 跡 総 17-47 001,( 実 竹 山 城 跡 ) 31 ほてくら 北 第 1 号 古 古 古 青 近 横 穴 式
世 羅 郡 世 羅 町 ( 旧 世 羅 郡 甲 山 町, 世 羅 西 町 を 含 む) 県 指 定 史 跡 旧 市 町 村 コード 県 7 康 徳 寺 古 世 羅 郡 世 羅 町 寺 町 径 17mの 円 長 さ8.3mの 横 穴 式 石 室 を 設 ける 平 成 7 年 発 掘 調 査 が 行 わ れ, 須 恵 器 などのほか 泥 塔 など 祭 祀 遺 物 が 多 数 出 土 した 県 9 万 福
4 調査の経緯と経過 発 掘 調 査 は 平 成 15(2003) 年 度 か ら 平 成 16(2004) 年度にかけて行われた 調査面積は 今回の発掘調査は 県道草井羽黒線道路改築事 平成 15 年度 2,700 平成 16 年度 850 であり 業に伴う事前調査として 愛知県建設部道路建設 合計 3,550 の調査を実施した 調査担当者は 課より愛知県教育委員会を通じた委託事業として 平成 15
~ ~ :~ 2001 ) とされている したがって, 保存状態が不良の試 ~q では, 計測数 ~ 玉 は高純度 Si 検出器 (Xerophy ) で, 試料室の大きさは 350X400X40 阻である 検出可能元素は Na~ 0.08 ~ 0.46mA, ビーム径 100p m, 測定時間 1000 ~ 2000s, パルス処理時間 P4 に ~Å-*, 禍色 ~1 go ~lno, ~f
遺跡分布地図から見る広島
遺跡分布地図からみる広島 レジュメ 2013.1.26 ( 財 ) 広島市未来都市創造財団文化財課玉置和弘 はじめに前回広島市内には開発に伴って様々な遺跡が調査された遺跡について主に紹介今回調査済の遺跡以外に地中に残されている遺跡も含め その分布をテーマとする 広島市内における遺跡の分布及びその立地を時代毎にみることによって 広島の遺跡の特徴を大雑把に見ることができる
【事前協議終了】古墳
別 記 様 式 第 1 号 -1 栃 木 県 わがまち 未 来 創 造 事 業 計 画 書 ( 市 町 総 括 表 ) 単 独 連 携 事 業 ( 単 位 : 円 ) 単 位 事 業 名 平 成 28 年 度 平 成 29 年 度 平 成 3 年 度 平 成 31 年 度 平 成 32 年 度 合 計 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1 しもつけ 古 墳 群 整 備 活 用 事 業 市 町 計
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津山弥生の里文化財センターは 名称のとおり沼弥生住居址群 ( 沼遺跡 ) に隣接して建てられ その資料館も兼ねて平成 2 年 11 月に開館しました この沼遺跡の調査は昭和 27 年にまで遡りますが 当初より遺跡は教材公園として位置づけられ 幅広い市民の支援を受けて 逐次津山市が整備を重ねてきました すでに昭和 30 年 1 月には 発見された火災住居跡の炭化材を基にして大型の竪穴住居を復元し 同
ほんぶん/pdf用表紙
公園としての整備 収蔵庫の建設が行われ 本遺跡の整備が完成した 発掘調査風景 金堂跡の瓦堆積 和同開珎 銀銭 法 量 外縁径 24 4 内郭 6 9 縁厚 1 4 重量 4 06g 品 質 銀 88 66 硫黄 9 01 その他塩素 カルシウム 鉄 銅等 和同開珎は7 08 和銅元 年に日本で鋳造 発行された銭であり 我が国で最初の流通貨 幣であるといわれる 特に銀銭は7 08年5月 に発行され翌年8月に廃止された鋳造
