見氏の勃興などあり 房総は戦乱の様相を呈するなかで 千葉氏の勢力は減退して わずかに後北条氏の後援のもとで命脈を保った かわって 千葉氏の重臣だった原氏 原氏の家老であった高城氏が勢力をもっていくが 当稿では原氏 高城氏が大きな勢力を持つ以前の鎌倉期 南北朝期の千葉氏に焦点をあてて その活躍の場を下

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1 千葉氏と千葉 東葛 はじめに ~ 千葉氏と下総地方 平安時代 関東では平将門の天慶の乱 平忠常の乱などの戦乱もあったが 領主として根を下ろし 武士団を形成した坂東平氏は着々と勢力を確立していった そのなかで 平忠常を祖とする千葉介常胤 上総介広常は 両総で勢力を伸ばし 平治の乱で源義朝が敗れた結果伊豆に流され そこを脱出した頼朝を庇護した 特に千葉介常胤は 治承 4 年 (1180) 頼朝の挙兵のおり その六子 ( 太郎胤正 相馬次郎師胤 武石三郎胤盛 大須賀四郎胤信 国分五郎胤通 東六郎胤頼 ) を伴い 下総国府で頼朝と参会した 千葉常胤は上総介平広常が頼朝によって誅されると その領地をも併合し 有力な鎌倉御家人としての地位を確立した 千葉氏の本拠地は もともとは大椎であったが 今の千葉市中心部に進出し 千葉庄を根拠とした 常胤の子らは 下総の各地に散って多くの子孫を残していった 太郎胤正は宗家として千葉庄 千田庄などの下総の所領を継承したほか 上総介広常の上総の遺領や北九州の小城などを伝領した 相馬次郎は相馬御厨を継承し 奥州行方郡などを領して子孫は奥州相馬氏となった 武石三郎は千葉の武石郷と陸奥の宇多 伊具 亘理の三郡を 大須賀四郎は下総香取郡大須賀保と陸奥岩城郡などを領した 国分五郎は葛飾郡国分郷 香取郡大戸庄などを領し 東六郎は香取郡木内庄 立花庄 三崎庄などを領した 東氏の子孫は美濃郡上郡にも領地をもち 移住して美濃東氏となった 有名な東常縁は その美濃東氏の出身である また元寇に備え 鎌倉幕府の御家人は九州へ下向 一部はそのまま九州に留まることになり 千葉氏の一族でも七代当主千葉頼胤が元寇での戦傷で亡くなると 子の宗胤が九州に下向し大隅守に任じられたが 下総を離れたため千葉氏家督は弟の胤宗が継いだ 宗胤没後 その子胤貞は宗家復帰をかけて胤宗の子貞胤と争うが復帰はならず 胤貞の子孫は九州千葉氏として分立した さらに 室町期の享徳の大乱により 鎌倉を追われたものの関東に勢威をふるう古河公方足利成氏につくか否かで千葉家中は対立 古河公方についた馬加康胤や原胤房によって 関東管領上杉方についた千葉宗家は千葉城を追われ 当主胤直は千田庄に逃れて自害 一族の実胤 自胤はさらに市川を経て武蔵国に逃れ 武蔵千葉氏となった 一方 馬加康胤と子の胤持は幕府から派遣された東常縁らの軍勢によって滅ぼされたが 馬加系千葉氏の岩橋輔胤と原胤房は戦い続け 下総千葉氏は馬加系が継承する このように鎌倉時代以降 下総地方は千葉氏の一大本拠地であったが 室町 戦国時代と時代は遷るに従い 享徳の大乱の後も 小弓公方足利義明の登場と上総武田氏 里 1

2 見氏の勃興などあり 房総は戦乱の様相を呈するなかで 千葉氏の勢力は減退して わずかに後北条氏の後援のもとで命脈を保った かわって 千葉氏の重臣だった原氏 原氏の家老であった高城氏が勢力をもっていくが 当稿では原氏 高城氏が大きな勢力を持つ以前の鎌倉期 南北朝期の千葉氏に焦点をあてて その活躍の場を下総地方の千葉市周辺と東葛も含めて述べることにする 2. 千葉氏の出自と名字の地 千葉 坂東平氏の始祖である高望王は臣籍降下して平姓となり 上総介として下向したが その子である平国香 良将 良兼 良文らのうち 千葉氏は良文の子孫である 高望王が臣籍降下し 上総介として関東に下向したのは寛平元年 (889) で 平高望となってからは国司として職分田が与えられ 空閑地を耕して私営田を獲得することも可能となった 高望が没すると その子 国香 良将 良正 良兼 良文らが所領を継承 新たに開墾を行い多くの私営田を獲得 常総に根を張った強大な私有田領主となっていった < 平氏 ~ 忠常までの略系図 > 桓武天皇 葛原親王 高棟王 賜平朝臣姓 高見王 高望王 国香 貞盛 伊勢平氏 ( 平清盛など ) 良将 将門 良正 良兼 良文 忠光村岡五郎と称す 忠通 三浦氏など 忠頼 正常 秩父氏 畠山氏 豊島氏 忠常 常将 千葉氏 上総氏 平国香の子 貞盛の子孫は伊勢平氏の平清盛らや北条氏が出て繁栄したが 良文の子 孫からは代表的な鎌倉御家人となる三浦氏 秩父氏 畠山氏 豊島氏などとともに 千 葉氏 上総氏が生まれた 天慶の乱と平忠常の乱と房総武士団の形成 高望の孫 将門は 父良将の死後 遺領を伯父国香らが押領したとして 伯父国香ら 一族と争い 天慶 2 年 (939)11 月に常陸国府を襲撃占領して以降 中央への反逆とみな された 将門自身も武蔵権守の興世王らと組んで 新皇 と名乗り 関東一円を支配 2

3 しようとしたが 天慶 3 年 (940)2 月国香の子の平貞盛 下野の藤原秀郷と戦い 討死 討たれた将門の首は 京で晒されたという この天慶の乱は 関東に土着した平家一族の争いが 将門を 新皇 とした反乱へ発展したものであり 藤原純友の乱とともに 中央政界に大きな衝撃を与えた しかし この将門の反乱より大きな反乱を起こした者が 平良文の子孫から現れる すなわち 平良文の子忠頼の子の一人 大きな乱を起こし 一時房総半島一円を支配した平忠常である 平忠常の乱は万寿 4 年 (1027) から長元 4 年 (1031) までの 5 年間にわかり 下総 上総 安房の房総三国全体を巻き込んだ大反乱であったが 真の原因は明確でない ともかく平忠常の官物牢籠に端を発し 長元元年 (1028) には忠常は安房国府を襲撃して安房守藤原惟忠を焼殺し 同年 7 月には上総国府を占領するなどしたが 朝廷から差し向けられた追討使も乱を鎮圧できなかった 新しい安房守藤原光業などは 乱の勢いに恐れをなして国司の印を棄てて京都に逃げ帰った 結局 忠常の主人である源頼信が追討使に任じられると 大友城に拠った忠常はにわかに出家して降伏 京都に護送中に病死し 乱は終結した < 平忠常 ~ 千葉常胤までの略系図 > 忠常 常将 常長 常房 ( 鴨根氏 ) 常益 ( 千田 ) 金原氏 粟飯原氏 原氏 常継 ( 大須賀氏 ) 常門 ( 埴生氏 ) 常親 ( 白井氏 ) 常重 伯父の常晴の養子となる 常晴 常澄 広常 ( 上総氏 伊北氏 金田氏 印東氏等多数 ) 常遠 ( 安西氏 ) 常綱 ( 白井氏 ) 常幹 ( 海上氏 ) 常康 ( 臼井初代 ) 常員 ( 神保氏 ) 子孫は北陸へ 常忠 ( 臼井氏 山梨氏等 ) 常親 ( 白井氏 ) 常兼 常広 ( 匝瑳氏 ) 下総権介 常重 胤光 ( 椎名氏 ) 大椎千葉介? 胤隆 ( 小見氏 ) 常胤 ( 胤正 成胤 胤綱 千葉氏宗家 ) 千葉介 下総守護この平忠常の乱により 房総三国が 亡国 のあり様となったと言う 例えば 上総 3

4 介藤原辰重 ( 時重 ) が右大弁の源経頼に乱後の上総国の状況を語った話によると 乱の影響により国内の田畑の荒廃は著く 本来の田数 2 万 2984 町に対し 乱が終わった年の長元 4 年 (1031) に耕作された田はわずか 18 町にすぎないという惨状であった その忠常の乱後 忠常の子常将らは源頼信の取りなしによって許され 常将とその子孫らは 亡国と化した房総三国の再開発と繁栄を担うことになる 平忠常の子孫たちは 平忠常の乱によって 従来の支配関係が崩壊したなかで 再開発を行い 私営田を中央の有力貴族や寺社などに寄進 荘園化して 自らは荘官となることで実質支配するなどして その勢力を広げていった 彼らは 名前に 常 の字を通名とする同族意識のもとで 常長の子 常房 常継 常門 常親 常晴 常兼などの兄弟といった有力な者を中心に武士団を形成し 各地に割拠し 大規模な開発を行った 既に常長の代には 上総 下総の各地を支配し 安房の一部にまで支配領域は達していた 例えば平常長の子常房は千葉郡千葉郷や上総国伊南庄鴨根郷を領有したが 子の常益の代には千田庄に所領を得て常益が千田庄司と称したように 千田庄の開発に大いに関わったと思われる なお 千葉郡千葉郷は後に大椎常重が入部したことから 後に述べるように常房から常重に譲渡されたようである 千葉氏の始まり ところで 千葉氏の始まりについてであるが 平忠常の曾孫で下総権介であった常兼の子である大椎常重の代に千葉介を名乗ったことから千葉氏は始まるとされる また 吾妻鏡 では 元永年間に 千葉大夫 と称された平常兼あるいはその子常重が開発領主となって開いた荘園を鳥羽院に献上したとの記載がある 多くの系図は千葉介を最初に名乗ったのは 忠常の子である常将としているが それを裏付ける古文書の類は無い その 千葉 とは もちろん現在の千葉県の範囲ではない もともと 千葉という地名は 千葉郡千葉郷 現在の千葉市稲毛区黒砂 穴川辺りを指すが 現在の千葉市中央区 千葉県庁付近の都川が流れる平地部である千葉郡池田郷とともに その一帯を常重らが荘園として開発し 千葉庄となった 元永年間に千葉氏が開発した荘園は鳥羽院に寄進し 千葉氏は荘園の検非違使となるとともに 千葉庄の実質支配者として所領経営につとめた いずれにせよ 千葉 とは 後に下総一円を支配した豪族の権威の象徴である千葉介という呼び名から考えると あまりに狭くローカルな地名であった 常重の叔父である常房 常晴も上総 下総で大きな領地を有し 千葉郡千葉郷を常重以前に領有し そこにおいて武士団を構えたのは常房であったといわれる 常房は千葉 4

5 郷を大椎常重に譲渡し 常房の系統は千田庄を領有して 千田氏となり 粟飯原氏 原 氏が分家していった 常晴も上総介として上総に勢力を保ち その孫が有名な平広常である 常晴は当初相馬郡を領し それを常重に譲渡しているが 常晴の子 長実は戸気五郎を名乗って土気を領し 孫の惟常は大椎を領したようであり 常晴と常重の間で領地の交換があったと考えられている ( 上総下総千葉一族 丸井敬司) 常晴の子常澄が上総氏惣領と常晴の所領の大部分を継承 長実は土気郷を譲られ その後上総に勢力を広げた常晴の子孫たちは 所領を名字とする多くの支族に分かれた 常澄の子広常は上総氏惣領を継ぎ 玉前庄を領したが 上総氏は製鉄をさかんに行い 軍馬を多量に有するなどして 鉄と馬 を背景にした強大な軍事力を持った この上総介広常の支配は 上総一円におよぶが 同時に下総にいた同族に対する軍事指揮権も持ち 広常は両総平氏の族長であった 常兼は大椎権介と称したといい 上総国大椎 ( 現在の千葉市緑区土気 ) を本拠としていた 千葉郷を譲渡された常重が 大椎から千葉へ移住したのが大治元年 (1126)6 月と言われている また常重は 相馬郷を叔父常晴から譲渡されている 常晴と領地の交換をしたためとはいえ 常重が房総の山間部に位置する大椎から 水運等に恵まれた平野部である千葉に移住し そこに本拠を構えたことによって 千葉氏は大きく発展することになる 源頼朝を支援して千葉氏発展の基礎を築いた常胤 常重から家督を継いだ常胤は 平治の乱に敗れた源義朝の子で 伊豆蛭ヶ小島に流されていた頼朝が 治承 4 年 (1180)8 月 17 日に伊豆目代館を奇襲 石橋山合戦を行って敗れ 安房に脱出していたのに対し その求めに応じて参上し 9 月 13 日には常胤の子 東六郎胤頼と孫の千葉成胤をして下総目代を討たしめた 翌 9 月 14 日には 平家方の千田判官代藤原親正が千葉庄を攻めたが 千葉館にいた成胤が応戦し 成胤は上総との境の村田川まで押されたが 千葉氏 上総氏の軍勢が駆けつけ 激戦の末に藤原親正の軍勢は千田庄に戻った こうした戦いを経て 千葉常胤は 9 月 17 日には有名な頼朝との国府台参会を果たすことになる 頼朝は上総介広常の参入も得て 上総国府を攻撃 安房から上総に進攻すると 常胤に命じて下総国府を陥落させている こうした一連の武功により 常胤は平家方の藤原親正の領地であった千田庄 八幡庄を併合した 源義朝の代から源氏と主従関係を結び 源頼朝の安房からの進攻に当初から支援した 常胤は頼朝の信任を篤く受けた 一方 上総介広常は 上総一円の支配力を背景に独立 5

6 不羈の精神に富んでいたが その言動が頼朝に誤解されて誅され 嫡男能常も自刃し 上総氏宗家は滅んだ 広常が誅されると 常胤は上総の所領を継承し 源平合戦や文治 5 年 (1189) の奥州合戦の功により 下総 上総の領地以外にも奥州や九州の領地を獲得し 千葉氏は鎌倉幕府屈指の大豪族となった そして鎌倉時代より千葉氏は下総国の守護となり 同時に千葉庄の地頭となった 千葉介常胤の跡は胤正が相続し 千葉介 あるいは上総介を称した その子で上総の領地を伝領した常秀は上総介を称して上総千葉氏として勢力を振るった その子である秀胤は千葉一族ではただ一人鎌倉幕府の評定衆に列したが 秀胤が宝治合戦で三浦氏に連座し 北条方に討たれると 上総千葉氏は滅亡した 千葉氏は胤正の子で千葉介であった成胤中心の下総の武士団に千田氏系の原氏 粟飯原氏や千田庄周辺の円城寺氏 三谷氏 鏑木氏 椎名氏などが有力な家臣団として加わることによって再編され また妙見信仰を千葉氏の惣領の元服式に取り入れるなど 精神的な支柱とすることで 以降の下総千葉氏の武士団の原形が作られた 千葉六党 千葉氏の武士団は常胤の代に生まれた千葉六党を基盤とし 胤正 成胤の本宗が下総 地方の一族などを含めて形成された この体制は 鎌倉時代から戦国期まで続いた 六党 始祖 備考 千葉氏 太郎胤正 千葉常胤の嫡男 下総の千葉庄 千田庄 九州肥前小城などを伝領し 上総にも勢力を広げた 千葉氏の本宗 相馬氏 次郎師常 千葉常胤の次男 相馬御厨を継承し 奥州行方郡などを領した 後に奥州と下総に分立 武石氏 三郎胤盛 千葉常胤の三男 武石郷を本拠とし 陸奥国宇多 伊具 亘理郡も領した 後に奥州亘理郡へ主流は移動 大須賀氏 四郎胤信 千葉常胤の四男 元は多部田氏 上総系大須賀氏の所領であった大須賀保に入部し 陸奥岩城郡などを領した 国分氏 五郎胤道 千葉常胤の五男 葛飾郡国分郷 香取郡大戸庄の地頭となり 周辺をおさめる 東氏 六郎胤頼 千葉常胤の六男 香取郡立花庄 ( 東庄 ) を本拠 木内庄 三崎庄なども領した 一族は 東葛の風早郷にも広がる 美濃東氏もこの東氏の流れ 千葉常胤には 7 人の男子があり 嫡男は太郎胤正で 千葉介を継承して本宗となると ともに 下総だけでなく上総にも勢力をもった 胤正の後は 千葉介は成胤が継ぎ 連 6

7 綿と続く 次郎師常は下総国相馬郡の郡主となり 相馬御厨を領したが 後に相馬氏となり 子孫は主流が奥州へ出向き後に大名となるが 分立した下総相馬氏は守谷で局地勢力となった 後述するように その保有に苦労した相馬御厨は千葉氏にとって重要なものであり その経営を引き継いだ師常も 嫡男に準ずる立場であったろう 三郎胤盛は下総国千葉郡武石郷を伝領したが 子孫の主流は奥州亘理郡などに行き 亘理氏がうまれた 四郎胤信は香取郡大須賀を領し 戦国期まで続く 五郎胤通は下総国葛飾郡国分郷から後に香取郡大戸庄の地頭職となるなどして 勢力を香取郡に移し 香取郡矢作城などに拠った 六郎胤頼は下総国香取郡東庄三郷を領し 東氏の一族は現在の松戸市や柏市に及ぶ風早郷 流山市の矢木郷にも展開 美濃に移動した東氏からは有名な東常縁が出た < 千葉氏略系図 > 太字は千葉介継承者および継承したと推認される者 ( 馬加康胤等 ) 常胤 胤正 成胤 胤綱 = 時胤 頼胤 宗胤 胤貞 ( 千田氏 ) 九州千葉氏 泰胤 胤宗 貞胤 氏胤 満胤 兼胤 胤直 時胤 武蔵千葉氏 常秀 ( 堺氏 ) 秀胤 ( 上総千葉氏 ) 胤賢 実胤 観秀 ( 栗原氏 ) 自胤 胤忠 康胤 胤持 胤朝 ( 六崎氏 ) 馬加氏 輔胤 孝胤 胤広 ( 立沢氏 ) 岩橋氏 師胤 ( 神崎氏 ) 胤時 ( 白井氏 ) 師常 ( 相馬氏 ) 胤盛 ( 武石氏 ) 胤信 ( 大須賀氏 ) 胤通 ( 国分氏 ) 胤頼 ( 東氏 ) 日胤 なお 常胤の子は 以上の六人以外に 僧となった律静房日胤がおり 日胤は近江園城寺にあって千葉氏へ様々な情報をもたらしたと考えられ 後に以仁王の挙兵に参加し討死している 千葉氏重臣の円城寺氏は 日胤の末裔を称したが 信じがたい なお 千葉六党の所領のうち 千葉介が伝領した所領や相馬御厨以外の所領 大須賀 東 ( 立花 ) などはかつて千田荘の藤原親政や親政に従った房総平氏一族 あるいは後に 7

8 誅された上総介広常の一族の支配下にあったもので 頼朝によって討伐された者の旧領 か 所有者が没落して欠所となった土地が与えられたものか 千葉城と周辺寺社 千葉氏の居城とされてきた城が千葉城であるが この亥鼻の千葉城が大治元年 (1126) に常重が大椎から移ってきた当初に築城されたものであるかといえば かなり疑問であり 当初は同時期の城館と同様 水際に造られた単純な方形居館であったのではないか 代々の館の一つは 現在千葉地裁の場所が比定されている千葉館であったのだろう すなわち千葉宗家が拠り 享徳 4 年 (1455)3 月に古河公方に呼応して兵を挙げた原胤房によって攻められたのは 後述する千葉館の可能性もある 千葉城の遺構としては戦国時代のものがあり 永正 13 年 (1516) 真名城の三上氏が扇谷上杉氏の求めに応じ 古河公方足利高基派の千葉氏家臣の原氏らが籠る 当城を攻撃したことが記録されている よって 享徳 4 年 (1455) 以降まで使用されたことは間違いない しかし 千葉城の築城時期 戦国期に誰が支配していたかなど 詳細は不明である 千葉城址は千葉の市街地の南から東にのびる台地上にあって 台地の端に位置する 亥鼻という別名は 地形が猪の鼻に似ていたからという説もあるが 亥の端 で亥の方角に突き出た舌状台地の崖端という意味である また台地の南側の千葉高校のあるあたりは 葛城 という地名で呼ばれているが これも城跡にちなんだものであろうか 千葉城の北側に都川が流れ 天然の水堀の役割をはたし 西側は急な崖になっているほか 南には入りくんだ谷津があって 自然が作った大きな空堀としての役割を担っている 遺構としては 郷土資料館の北西にあたる幅約 50m 長さ 100m 程の舌状となった台地端を取り巻くように土塁が見られる そのうち 郷土資料館に近い 舌状となっている部分の基部にあり 舌状部分を仕切ろうとするように台地端のラインと直角になっている土塁は基底部が 5m 程はあり 高さも 3m 位ある 但し 後世に破壊されたらしく 台地端に近い部分しか残っていない また台地端にある土塁の周辺には空堀も見られる この郷土資料館北西部が第 1 郭で 郷土資料館のある場所に第 2 郭があった この第 1 郭が主郭部である 第 1 郭と第 2 郭の仕切り土塁が 前述の郷土資料館に近くにある大きな土塁であろう かつて第 1 郭と第 2 郭の間には 空堀があり 土橋で結ばれていたが 仕切り土塁が残っているだけで 平坦に改変されている 第 1 郭のさらに北西の台地先端には物見櫓があったと思われる物見台址があり 現在神明社が祀られている また 第 1 郭の土塁は この堀切に下りる階段のところで切れており ここが元々虎口であったと思われる 堀切は 深さ約 5m 幅約 10m で現在コンクリート製の階段つきの道にされているが 北側は女坂という坂道となって 台地下へ続いている それも遺構の名残であり 女坂も堀底道であったのであろう 台地下へ下りると 水の手であった お茶の水 のある辺りへ出る 西側の台地端 胤重寺の近くに下りる石段は か 8

9 つて池田坂と呼ばれ 千葉城の搦手に相当する間道であったが その左脇にも土塁の残欠と空掘跡がある なお 第 1 郭の土塁中から 13 世紀半ばの蔵骨器が出土している 第 2 郭は現在の郷土資料館が建つ辺りであるが この場所は郷土資料館が建つ前は 昭和 18 年 (1943) に護国神社が建てられ その際に土塁や堀が破壊された模様である 実は 近年の発掘調査により この郷土資料館の辺りには 14 世紀頃に掘立式の建物があったことが分かっている しかし それは一町四方の豪族居館のような立派な建造物ではなく また狛犬の破片が出土していることから神社であった可能性がある 他に西側池田坂周辺の土塁で囲まれた区画が第 3 郭で 郷土資料館の東側を含み その南側文化会館のある辺りまでは第 4 郭であったという この文化会館の辺りの台地は南側に突き出し まわりは急崖で谷津からの進入を防ぐ地形であり 重要な区画であったに違いない この第 4 郭までが 内郭部 実城に相当する部分である 外郭部は 現在の千葉大医学部のある城の北側台地上から東側に展開していたらしい この場所も現在の千葉大敷地 あるいは住宅地や商店街となっているが 千葉大敷地の発掘では 堀などの遺構が検出された また外郭部へは 南東側から谷津が入り込んでおり 自然の地形を利用した防備が考えられていたと思われる 千葉城の大手門は 千城の東南約 1km の中央博物館前のバス停付近にあったという 主郭土塁から 13 世紀中葉の蔵骨器が発見されていることから 築城時期は 14 世紀以降の可能性大で 猪鼻山はそれ以前は千葉氏に関連した墓地だったと思われる * * 蔵骨器以外に 12 世紀中国製の褐釉四耳壺という貴重陶器が発見され 千葉氏との関連が指摘された < 第 1 郭と第 2 郭の仕切り土塁 > なお 千葉城の周囲には 千葉城か後述する千葉館を守るように寺社が建立されている 千葉城内には神明社があるが 千葉城の外郭部である亥鼻の千葉大医学部周辺には北斗七星をかたどったという七天王塚がある しかし 七天王塚は単なる土塁の残欠とい 9

10 う説もある 鬼門の守りとしては曽場鷹神社があったが 明治期に貝塚町の大六天神社に合祀された 裏鬼門は結城神明が守ったといい 神明社は今も残り 付近は神明町と呼ばれる 千葉神社は 千葉介常胤の父大椎常重が 亥鼻城に入った際に 妙見神をここに祀り 北斗山尊光院金剛授寺を建立したのが起源といい 明治の神仏分離令により 仏教的要素が分離され千葉神社となった 千葉神社の南の公園となっている土地には 昭和 20 年 (1945) の空襲で焼けるまで 大日寺があった 大日寺は 大椎常重以降 16 代にわたる千葉氏歴代の墓所がある寺であるが 元は松戸市馬橋にあったものを当地に移した そして空襲で焼けてからは 千葉市稲毛区轟町の現在地に移動した その経緯は後述する ちなみに 千葉氏歴代の墓は千葉市稲毛区園生字石塔の千葉山にあったのが 大日寺に移されたとの伝承がある 事実 千葉山には中世鎌倉時代の墳丘墓があり 1908 年に地元の小学校校長であった安川辰蔵によって発掘調査が行なわれたが 3 個の壺が発掘され 現存する 1 個については 鎌倉時代の古常滑焼の壺であることが確認されている < 大日寺にある千葉氏歴代の墓 > 千葉寺は 和銅 2 年 (709) に行基によって創建されたと伝えられる古い寺で 本堂横の龍蔵権現は 千葉城の裏鬼門を鎮めるということで千葉氏の尊崇を受け 代々の当主の元服に際して ここに参じて武運長久を祈願していたという 千葉城址の北の台地下には お茶の水 という井戸跡がある この井戸から汲んだ水で千葉常胤がお茶をたてて 源頼朝に献じた あるいは源頼朝の使者を千葉氏がこの水でたてた茶で接待したという伝説があり 歴代の千葉城主の産湯にも使ったという 10

11 3. 千葉氏成立以降 各地にあった千葉氏関連城館 千葉氏の居館 ( 千葉市中央区中央など ) さて 千葉氏の日常居館は 現在千葉地方裁判所がある場所にあったといわれる 千葉地方裁判所の場所は 都川に程近い平地であるが かつて 御殿跡 といわれ 明治期までは土塁 堀が取り巻いていた 堀は当時 水田として耕作されていたという 現在は遺構が残っていないが 明治 15 年の地図にも載っていた土塁や堀の遺構から見て 1 辺約 100mの中世の方形居館であることは間違いなく 千葉氏の館であった可能性が高い 建武 2 年 (1335) 千葉氏宗家から九州へ赴き 九州千葉氏となった千田大隈守胤貞が 陸奥国行方郡の相馬一族の相馬親胤とともに下総奪還を目指してか 千葉楯 に攻め寄せている この 千葉楯 とは千葉城 いわゆる猪鼻城ではなく 上述の千葉氏居館であった可能性が高い なお 千葉館が館として機能していたのは鎌倉時代初期からではなく 南北朝期の当主千葉貞胤の頃からと思われ 都川の水運を使って 東京湾を経て鎌倉などとの往来を行っていたのであろう 諸豪の城館も各地に築かれた 千葉氏関連の下総地方の主な城館は 以下の通り < 千葉氏の本拠 > 千葉氏は 以下の城を居館 居城とした 千葉館など( 康正元年 (1455) 以前 ) 千葉氏嫡流平常重? ~ 千葉胤直 本佐倉城( 文明年間 (1486 頃?) 以降 ) 馬加系千葉氏千葉孝胤千葉親胤他に馬加系千葉氏が本佐倉城に移る前に 平山城や寺崎城に拠ったという説がある 佐倉城は鹿島城のあとに 千葉邦胤が築いている途中で大名としての千葉氏は滅び 江戸初期に土井氏が完成させた < 千葉六党の城館 > 千葉常胤の子らは 下総の各地に散って多くの子孫を残していった こうした千葉氏から出た分家諸家の城館址も 各地に残っている 太郎胤正は宗家として千葉庄 千田庄などの下総の所領を継承 千葉を本拠とする 相馬次郎は相馬御厨を継承し 相馬氏は代々千葉県北西部にあたる手賀沼を挟んだ南北に広い地域を治め 相馬氏関連の城館址がその地に残っている 後に相馬氏は奥州と下総に分立し 陸奥国行方郡 ( 現在の福島県南相馬市など ) 周辺と手賀沼の北部の守谷を中心とする地域に拠点を移した 武石氏は武石郷周辺 大須賀氏 国分氏 東氏は香取郡の各地に城館を築いた 現在 11

12 も遺構が明瞭に残る城址は少ないが 香取郡の各地 小見川町あたりにはかなりの数の 城館址が残っている 首都圏では 国分氏の国分城 ( 館 ) が 市川市国分の国分寺近く に残る < 臼井氏の城館 > 千葉氏の一族で 下総地方の現在の佐倉市 四街道市 船橋市 八千代市に及ぶ広大な地域を領有した臼井氏は特筆すべき存在であった 臼井城は 千葉城 本佐倉城と並ぶ下総地方の雄城であるが その臼井氏が築いた城である 臼井城周辺には 衛星状に 砦がつくられていて 臼井城の防備を固めている < 原氏 高城氏の城館 > 原氏は千葉氏の分家から出たいわゆる族臣であるが 室町 戦国と時代が移るにつれ 千葉氏をしのぐ実力をもち 生実城や前述の臼井城も戦国期に支配下においた 原氏の重臣であった高城氏は 上総武田氏によって生実城が攻められた時に脱出し 現在の千葉県東葛飾地方に拠点を移し 小金を中心に一帯を支配した 高城氏の居城は小金大谷口城であるが 現在の東京都東部にも勢力を伸ばしていたようで 原氏とともに後北条氏の部将という位置付けで 国府台合戦にも参加しているのが注目される < 千葉館があったといわれる千葉地裁付近 > 下総国府近くの千葉氏居館と国分館 ( 市川市国府台 / 国分 ) 鎌倉初期の千葉氏の館としては 千葉介常胤は 下総権介として下総国府周辺に居館 を構えていたと思われる 吾妻鏡 治承四年 (1180) 九月十七日条の 千葉介は子息 太郎胤正 次郎師常 三郎胤盛 四郎胤信 五郎胤通 六郎大夫胤頼 嫡孫小太郎成胤 12

13 等を相具して下総の国府に参会す 従軍三百余騎に及ぶなり という 有名な源頼朝との国府台参会は まさに下総国府近くで行われた 下総国府の場所は 市川市国府台のどこかにしても正確な場所が長年わからなかったが 最近の和洋女子大の新校舎建設に伴う発掘調査で 和洋女子大敷地から国府址と思しき建物の遺構の一部や墨書土器も発見され その近辺に存在したことが確かなものとなった さて 千葉介常胤の居館もその国府近くにあった筈であるが その場所も不明である 千葉氏の本拠としての地は 千葉常胤の父常重の代から千葉庄であったが 平安時代末から鎌倉時代の初め頃は国府 国衙のあった国府台が下総における政治の拠点であったと思われる そこには下総守護に任ぜられた千葉氏の守護所もあったのであろう その付近にあった居館が後世の市川城となり そこは下総権介としての千葉氏の居城であるとともに 何か有事の際に千葉氏が兵を率いて立て籠もれるような城であったのであろう おそらく下総国府の近く 国府台のどこかに 当時の様式通り単郭方形の館として築かれたと思われる 千葉氏は常兼 常重のころから 在庁役人 下総権介 として 下総国府近くに居住していたと思われ 官牧 国分寺領の管理をしていたらしい 千葉介常胤の五男である国分五郎胤通は 下総権介 である父の仕事を手伝い 国分寺領の経営を行っていたと見られる その国分五郎胤通が住んでいた国分館であるが それもまた場所が明確ではない 但し 市川市国分には いわゆる 国分城址がある 国分城址は 国府台から東へ六反田谷津を挟んだ国分台地上にある その台地の東には 国分川が流れる低地が広がり その低地を挟み東側には曽谷館址のある曽谷の台地がある 国分城址は下総国分寺の周辺にあり 国分台地の南端に位置し その台地と南の低地の出入口には石塔坂がある この国分城址の位置であるが 下総国分寺の南西端には L 字状の土塁痕が存在し 国分寺の敷地内にも一郭があったことがわかる また国分寺の南東約 150mの台地端に土塁 櫓台 虎口址がある 但し 国分寺敷地内の土塁は古い館址に起源を持つかもしれないが 現在残っている遺構は 戦国期のものである 治承 4 年 (1180)8 月石橋山合戦で一敗地にまみれた源頼朝が下総に逃れた後 下総国衙の目代平重国を千葉氏が討ち取ると 国府 国分寺の周辺を千葉氏が押さえた 吾妻鏡 治承四年九月十三日条に 千葉常胤が一族郎党を率いて目代館を襲撃し 東胤頼が目代を討ち取った様子が記述されている その後 千葉介常胤から 下総国葛飾郡国分郷 すなわち国分の地は 千葉介常胤五男である国分五郎胤通が受け継ぎ 名字の地とした 胤通は早くから 下総権介である常胤を下総国衙にて補佐などして助けていたと思われ 国分台地北部にあった馬牧や市川津の管理もしていたらしい 現在遺構の残る国分城址は 前述の通り戦国期のものである 国分五郎胤通の頃の国分館は 国分寺の近くであったにせよ 平安末から鎌倉初期当時の居館が一般的にそう 13

14 であったように 低地近くの台地の立上り端あるいは台地中段にあったのであろう < 下総国分寺敷地内の土塁 > 鎌倉の千葉氏居館 ( 鎌倉市長谷 ) 鎌倉幕府の有力御家人である千葉氏は 鎌倉にも当然居館を構えていた 千葉介常胤の居館については 現在の鎌倉市役所の北隣 スーパー紀伊国屋のある御成町辺りか 材木座 4 丁目に相当する弁ヶ谷東方ともいわれ どこにあったか不明である なお 弁ヶ谷は 正しくは別ヶ谷といい 鎌倉別駕谷 という千葉介の 介 の唐名 別駕 に由来する地名であるという 何れにせよ 千葉介常胤の鎌倉居館の場所は明確には分っていない 但し その嫡孫成胤の居館は甘縄にあったことが 吾妻鏡 などの資料からも分かっている 吾妻鏡 には 建暦 3 年 (1213) 二月大十五日丙戌天霽千葉介成胤生虜法師一人進相州是叛逆之輩中使也 ( 信濃國住人青栗七郎弟阿静房安念 ( 云々 )) 爲望合力之奉向彼司馬甘縄家處依存忠直召進之 ( 云々 ) とあり 源頼家の遺子千寿丸を擁して幕府に謀反を起こそうとしていた 泉親衡の家臣青栗七郎の弟で阿静房安念という僧が協力を依頼しに 千葉氏の甘縄の館に来たところを生捕りにし 直ちに幕府に突き出したという和田義盛の乱に繋がる逸話をのせている この 司馬甘縄家處 とは千葉常胤が源頼朝に すべからく司馬を以って父となすべし という有名な言葉の通り 司馬 といわれたことから 司馬すなわち千葉氏の甘縄館という意味で 千葉氏の鎌倉における館は 成胤の代には甘縄にあったことがわかる 甘縄は現在の鎌倉市長谷一帯で 長谷寺や甘縄神明宮のある高台からは由比ヶ浜や低地にある街並みが見渡せ 居館があったと思しき台地下は風をしのげて 稲瀬川が堀代 14

15 わりになっていたのであろう 安達盛長の邸宅も 甘縄神明宮のある高台のすぐ下にあった なお 相馬氏の始祖師常が勧請した相馬天王社は 鎌倉扇ヶ谷に近い今小路沿いにあった その近辺に相馬氏邸宅があり 臼井氏邸宅は材木座の光明寺辺りにあったという < 千葉氏の館があった鎌倉市長谷 写真は甘縄神社付近 ~ 安達盛長邸址 > 4. 千葉氏と東葛 前述の通り千葉氏の本拠地は 千葉庄などであったことは間違いないが 同時に千葉 氏は下総権介という国司として 下総国府のあった市川国府台など東葛との関わりが深 い ここでは 千葉氏と東葛との関わりについて いくつかの側面から紹介する 千葉氏と国府台 下総の国の政治上の中心は 古代は国府のあった 現在の市川中心部から北に位置する国府台辺りであった 国府の近くには 国分僧寺 国分尼寺があり それらがあった場所は 後に述べる国分氏ゆかりの国分という地名で呼ばれている 現在ある真間山弘法寺も 国府台と一続きの台地上にあり その台地の下の市川真間辺りは万葉集で詠われた真間の手児奈の伝説で有名である 平安時代末期 関東では坂東平氏は着々と勢力を確立していったが 平忠常を祖とする千葉介常胤 上総介広常は 両総で勢力を伸ばし 平治の乱で源義朝が敗れた結果流されていた伊豆を脱出した頼朝を庇護した 治承四年 (1180) 頼朝の挙兵のおり 頼朝とそれに従う千葉介常胤がその六子を伴って参会したのも 下総国府であったが その 9 月 17 日の国府台の 15

16 参会の際に 千葉氏が率いた総勢は三百余騎であったという 一方 上総介広常はニ万の軍勢を率いて来たが 大軍勢を集めるのに時間がかかり遅参した 三百騎の軍勢しか集められなかったが いち早く頼朝のために出陣し 頼朝の信任厚かった千葉介常胤に対して 上総介広常は大軍勢を率いて来たにも関わらず のちに謀反の嫌疑をかけられ 頼朝に誅されることになったのは皮肉なことである 鎌倉時代に下総国守護となった千葉氏の守護所は 国府台周辺にあったのは間違いないであろうが それが具体的にどこなのかはよく分からない しかし 千葉介常胤の子息で 唯一下総国府の近くに居住していた国分五郎胤通が 下総権介 であった常胤の手助けをしたとのことであるから 鎌倉時代に入ってからも守護所の近くにあって 何らかの支援をしていたとおもわれる さて 国府台の台地の南は 古代には前述した真間の手児奈で有名な 真間の入江になっていて 国府の津があったとされる 市川津の管理を国分寺の国分氏が行っていたことは 前述した通りで その他国分氏は同時に守護所の事務を行っていたようである 重要な相馬御厨をおさえた相馬氏 相馬師常にはじまる相馬氏が相馬郡を支配する以前から 相馬郡を千葉氏は支配し 重要 な拠点としていた それは平常長の頃に遡り 常長の子常兼から兄弟である上総介常晴に譲 渡されたが さらに常晴から常兼の子常重に相馬郡は譲渡された その時常晴には常澄とい う実嫡子があったが 常重は常晴の養子になっている 常重は大治 5 年 (1130) 相馬郡にもっていた所領を皇太神宮 ( 伊勢内宮 ) へ寄進し相馬御厨 みつちを成立させた その御厨の範囲は 東は利根町の蛟神社 西は常総市の菅生沼 南は我孫 子市の手賀沼 北の境はつくばみらい市を流れる衣河 ( 現在の小貝川 ) であった 長承 4 年 (1135) 常重は相馬御厨の下司職を子息の常胤に譲ったが 相馬御厨に課せられた公田官物の未納を理由に 下総国司藤原親通によって常重は召し捕えられた 藤原親通は常重に相馬郷 立花郷 ( 東庄 ) を親通に譲るという証文を書かせた さらに 常晴の子上総権介常澄まで御厨の支配権を狙い 康治 2 年 (1142) には常澄からの要請をうけた源義朝は常重に圧力を加え御厨を奪い取り 天養 2 年 (1145) 伊勢内宮へ寄進してしまった これに対して常胤は 久安 2 年 (1146) 国司対策として公田官物の未納分を国庫に納め相馬郡司に任じられた後 再度相馬御厨を伊勢神宮に寄進した そのため 相馬御厨の下司職は源義朝と千葉常胤が競合することになった 常胤は常澄との対抗上 義朝と主従関係を結び 義朝を上級領主とし 保元の乱 に際して 千葉介常胤は常澄の子息上総介広常と共に義朝方へ参陣して 義朝を領家とした相馬御厨の下司職を確保したらしい また 上総介広常の弟に相馬九郎常清という 相馬 姓を名乗る人物がおり 上総系の相馬 16

17 氏も相馬御厨の一部を領有していた可能性があり 事態は複雑であった 源義朝が平治の乱で敗死すると 相馬御厨は国衙に収公され このかつて藤原親通が常重に公田官物の未納を理由に書かせた譲り状をたてに 平家方である源 ( 佐竹 ) 義宗が相馬御厨の在地支配権を主張 永暦 2 年 (1161) 正月 御厨を伊勢二宮へ寄進した これに対抗して常胤も翌 2 月に再寄進するが 伊勢神宮は義宗の背後の平氏政権の威光を恐れ 義宗の主張が通って 千葉氏の手から相馬御厨は離れることになった それが回復されたのは 源頼朝による 治承 4 年 (1180)11 月の佐竹氏征伐の後であり 常胤が忠誠を誓った源頼朝の力で相馬御厨への支配権を常胤は再び得た訳である その相馬の地は 常胤から次男の相馬次郎師常に譲られた 相馬次郎師常は 常胤の子で一人だけ 名前に 胤 の文字がつかないが 当初は師胤というような名であったという それが相馬御厨を継承した時に改名したようで 常胤以前の通字 常 の入った改名には先祖代々の重要な土地を相続したという特別な意味があるらしい 相馬師常の子義胤が所領の大部分を相続し 以降相馬氏は相馬御厨の事実上の支配者として 繁栄した 相馬御厨が 香取の海 手賀沼の水運を利用して 現在の利根川下流地域や江戸川流域とも交易が可能であったことも 一つの要因であろう しかし 相馬氏の繁栄は分割相続が繰り返されたことや家督相続の争いから 次第に翳りがみえてくる 鎌倉中期 相馬胤綱の没後 未亡人である相馬尼は嫡子胤継を義絶 ( 尼の子 胤村が多くを相続 ) さらに 胤村の死後も家督争いが起った 結局 胤村没後は五男の師胤が陸奥国行方郡内を譲与され 奥州に基盤をもった 師胤は 多くの所領を継承したが それは当腹の嫡子であったためという 胤村の長子 胤氏は相馬郡内の所領を継承した 胤氏の子孫は下総に留まり 南北朝期には奥州相馬氏は北朝 下総相馬氏は南朝についたため 下総相馬氏は勢いを失い 守谷を拠点としたものの その他相馬郡に残存した所領に分散する 奥州に移った相馬氏からも相馬岡田氏など庶流が分立した 相馬氏の一族である戸張氏や 藤ヶ谷相馬氏 ( 藤ヶ谷氏 ) は 戦国時代にも残ったが 後述するように別の土地に退転 または高城氏配下となった 鎌倉大草紙 に記述された千葉氏 あまり知られていないが 鎌倉時代の後期には 千葉氏の嫡流は現在の松戸市馬橋辺りに居住し 守護所での政務を行うとともに 鎌倉との往来をしていたらしい その時期のことを含めて 千葉氏について室町時代末期の軍記物であると同時に歴史書である 鎌倉大草紙 が記述している 鎌倉大草紙 には所々明らかな誤りもあるが 江戸時代の軍記物のような脚色にとんだ 殆ど架空の物語ではなく ある程度歴史的事実を正確に伝えようと書かれているようである 少し長いが 鎌倉大草紙 から千葉氏の東葛に関する記述を引用する 17

18 *1 此千葉介は平将軍村岡五郎重門末葉にて右大将頼朝の御時 当家の元祖常胤は鎌倉へ無二の忠節ありて将軍より御崇敬あり 官加階はあらざれども諸家の上座に列 一男新介二男相馬小次郎三男武石三郎四男大須賀四郎五男国分五郎六男東六郎大夫胤頼とて東ノ庄三十三郷を知行し代々歌人にて禁中の御会にも参りければ子孫代々在洛す 常胤より五代の後胤に時胤は在鎌倉にて死去す *2 六代の頼胤の時 総州小金に居住す 此時鎌倉極楽寺の良観上人を請て小金のまばしと云所に大日寺を建立して頼朝公より代々の将軍并千葉一門の菩提を祈る 貞胤の時 此寺を千葉へ移す 然ども大日五仏の尊像は良観の自作り給ひし霊仏にて威力新にして猶此所に残り給ふ間 其後 貞胤氏胤 当所に在城の頃 尊氏将軍の御菩提のため夢想国師の御弟子古天和尚を請じ此寺中興開山となし号万満寺 此時 宗胤は三井寺にて討死し貞胤は北国落迄は宮方にて新田義貞の御供にてありしかども不心して尊氏の味方になりける間 宗胤の子息胤貞宮方にて千葉残り給ふ 此人の子息日祐上人法華学匠にて下総中山の法花寺の中興開山なり 是により胤貞より中山の七堂建立あり 五重の塔婆をたてらる 其後 胤貞上洛して吉野へ参 征西将軍の宮御下向のとき御供して九州へ下り大隅の守に補任し肥前国をも知行しけり 日祐上人も九州に下向して肥前国松王山を建立して総州の中山を引てすゑの世まで此所を中山と両山一寺を号す *3 さて又 貞胤の子孫千葉へ移り此胤直まで五代也 尊氏の御時 千葉の家二方にわかれ宮 *4 方将軍方とてありしが宮方は九州へ下り其後 終に下総へわたり給はず 関東は一統にてありけるが今度また馬加は成氏と一味して原是を主として千葉へ移り 千葉の跡を継ける 其後 原は小金の城に居住す 上杉より今度胤直と一所に討死ありし中務入道 *5 了心の子息実胤自胤二人を取たて下総国市川の城に楯籠て千葉又二流となる *6 引用者注 : *1 村岡五郎とは平良文のこと *2 これは現在の小金より広い範囲を指し 馬橋を含む *3 松王山とは松尾山光勝寺のことで 佐賀県小城郡にあり 鎮西本山と称する 文保元年 (1317) 千葉胤貞によって創建されたといわれ 千葉胤貞の猶子である日祐を開山とする 千葉家の外護により 14 世智観院日円までは中山法華経寺と両山一主制であった *4 宮方 ( 南朝方 ) とあるが 九州千葉氏は当初から将軍方 ( 北朝方 ) であり 誤っている 宮方 ( 南朝方 ) であったのは 下総千葉氏の方で 下総千葉氏は北陸で新田義貞の軍勢に合流しようとして 木ノ目峠で吹雪にあって立ち往生し 北朝方の斯波氏の軍勢に降伏して以来 北朝についた *5 千葉胤直の弟 千葉胤賢のこと 18

19 *6 千葉胤賢の子息 千葉実胤 自胤の兄弟は 逃れた香取郡多古を脱出し 市川城に立て籠もったが 古河公方足利成氏の軍勢に攻められ 実胤は武蔵国石浜 ( 現在の浅草附近 ) 自胤は武蔵国赤塚( 現在の板橋区赤塚 ) に逃れ 武蔵千葉氏として分立し 関東管領上杉氏の後援のもと しばしば古河公方方である下総千葉氏と戦った この 鎌倉大草紙 で記載されている 六代の頼胤の時 総州小金に居住す 此時鎌倉極楽寺の良観上人を請て小金のまばしと云所に大日寺を建立して頼朝公より代々の将軍并千葉一門の菩提を祈る と文章にあるように 鎌倉時代後期の千葉頼胤は小金周辺のどこかに居住したらしい この小金は現在の松戸市小金とその周辺の比較的広い範囲を指すようであるが 伝承では馬橋駅に近い松戸市二ツ木字三日月台に頼胤の館があったという 三日月という地名は 通常そのような形の土地をさすというが 松戸市史 によれば千葉氏の家紋である月星紋の月の形から三日月を地名にしたことが有力とされており 中世から ミコツキ ミコツイ とも呼ばれ 後に訛って ミコゼ と変化したという < 馬橋の三日月台周辺 > ( 歴史的農業閲覧システムの地図に文字入れ等行った ) しかし 千葉頼胤が構えた居館である小金屋敷は 戦国時代に舌状台地先端を区切っ 19

20 て築城された馬橋城とは別であろう 馬橋城は遺構が残っていないが 古い地図やかつて遺構が存在したときの見聞記事から 明らかに舌状台地の先端を堀切で区切り 複数の郭が連郭式に存在した城であり その立地 築城の仕方から 時代が下った戦国期の原氏 高城氏の時代の城と考えられるからである ただ 同じ台地に別に小金屋敷と称する中世の館があったことは十分に考えられ それは三日月台のどこかであったかもしれない 蘇羽鷹神社に伝わる伝承のように 蘇羽鷹神社を鬼門とし 万満寺を裏鬼門とした場所とすれば 三日月台あたりになる その場所は交通量の多い道路と商業施設 住宅のある市街地であり 遺構は何一つ確認出来ない 大日寺は 元は馬橋にあって鎌倉極楽寺の良観上人 すなわち忍性を開山として千葉頼胤が開創した寺で 南北朝期の千葉氏当主である貞胤の代に 現在の千葉市中央区印内の千葉神社の南側に移されたが 昭和 20 年 (1945) 空襲により焼け 千葉市稲毛区轟町に移転 現在は轟町にある 大日寺には千葉氏歴代の墓があるが それらの墓は千葉山にあったものが移されたものである 大日寺が移ったあとには万満寺があるわけであるが 千葉満胤が臨済宗の寺として再建したもので 市街地にあって唐様の独特の山門が目立つ この寺には 仁王股くぐりという珍しい風習があることでも有名である その万満寺の檀家である三枝松氏の先祖について 千葉氏に関連する伝承がある すなわち当地に屋敷を構えたという千葉頼胤の孫 千葉貞胤について 万満寺縁起 ( 昭和 9 年刊 ) によれば 貞胤が恒良親王を奉じて北陸越前木芽峠に進軍していたところ雪道に迷い 斯波高経の陣に踏み入り 心ならずも足利尊氏に降参した 正中 4 年 (1348) 正月 北朝方に味方して楠木正行と河内の四條畷で戦い その年の暮れに小金城 ( 馬橋付近の中根城 ) に戻ったところ 城が荒廃して人影もない その城主の姿に同情した近隣の農民が傍らの松の枝 3つを折り重ねて 貞胤を憩わしめた こうして貞胤は守護神妙見菩薩を背負って無事に千葉の館に帰ることができ 貞胤は農民に 三枝松 の姓を賜った 以来 千葉の妙見社の祭礼に際し 馬橋の三枝松氏が開扉することとなし 明治初頃までその儀を続けていたという この伝承では 千葉頼胤の孫 貞胤まで 当地の城 ( 中根城が比定されている ) の城主とされており 前記の 鎌倉大草紙 の 其後 貞胤氏胤 当所に在城 という記述にも合うものである 千葉頼胤 九州千葉氏と八幡庄 千葉頼胤は 伯父にあたる千葉胤綱が早世した跡をついだ胤綱の弟時胤が 24 才で亡くなると 仁治 2 年 (1241) 時胤の嫡男としてわずか 3 才で家督を継いだ しかし 千葉介としての職務は千葉次郎といった叔父の泰胤が代行していたらしく 頼胤はその泰胤から八幡庄を譲られたといわれる 20

21 実際 頼胤は 八幡庄にあった代表的な寺院である中山法華経寺にいくつかの文書を残しており その家臣である富木常忍の館は現在の中山法華経寺の奥の院に若宮館を構えた 富木常忍は 富木五郎源胤継という因幡国富城郡出身の武士で 千葉頼胤に文官としての能力を買われてその被官となった者である 常忍は熱烈な日蓮宗の信者でもあり 下総国八幡庄谷中郷若宮戸の領主になった常忍は日蓮を保護したことでも知られる 日蓮は 立正安国論 をもって執権北条時頼に諫暁したが省みられず 文応元年 (1260) かえって鎌倉松葉ヶ谷で焼き討ちにあい 鎌倉を逃れた日蓮が 身を寄せた先が下総国八幡庄の富木常忍の屋敷であったといわれる 頼胤自身は 前述のように現在の馬橋周辺に屋敷を構え 万満寺を開創するなど 八幡庄との結び付きが強いことが分かる 頼胤は 元寇に際し 九州に下向して 箱崎地の戦いで元軍から受けた矢傷がもとで建治元年 (1275) に 37 才で亡くなった その子 宗胤は 父の代わりに九州に赴き 以来宗胤の子孫は千葉氏の所領のあった肥前国小城郡にあって九州千葉氏となる 宗胤の子 胤貞は大隅守となり 下総の根拠地千田庄から千田胤貞を名乗ったが 南北朝期には北朝方として菊池氏など南朝方の豪族と九州で戦っている 一方 宗胤が九州下向のあと 下総に残った千葉氏は家督を宗胤の弟胤宗が継ぎ その子で正和元年 (1312) に千葉宗家を継いだ貞胤は元弘 3 年 (1333) 新田義貞の軍勢とともに鎌倉を攻め 南北朝期には南朝についたが 建武 3 年 (1336)10 月北陸の越前木ノ目峠で吹雪にあって立ち往生し 北朝方の斯波氏の軍勢に降伏して以来 北朝についた < 馬橋にある万満寺 > 千葉 ( 千田 ) 胤貞は 千田庄以外に八幡庄も継承しており 元応 2(1320) 年 12 月 1 日付 の胤貞の譲状などの文書も中山法華経寺に残されている 21

22 永仁 7 年 (1299) 日常と改めて下総の日蓮宗教団の指導者となっていた富木常忍は若宮で亡くなり 遺言によって日高が後継者となった 跡を継いだ日高は 大田乗明の館内の持仏堂に住み ここが本妙寺となった そして 法華寺の貫主を兼ねることによって 法華 本妙寺両山一主制が形成され ついには天文 14 年 (1545) の両寺合併により中山法華経寺が正式な寺号として称されることになる なお 日高が正和 3 年 (1314) に没する直前 譲状 3 通 置文 1 通に署名しているが 日高の花押があるのは譲状 2 通のみで 譲状 3 通 置文 1 通全部に千葉 ( 千田 ) 胤貞の署名 花押を認める これは 先代の富木常忍が千葉頼胤の被官であったことから 千葉宗家との結びつきが次代においても継続し 下総における日蓮宗の一大拠点である法華寺 本妙寺において 千葉介が貫主と並ぶ権力をもち 貫主の代行をも務める立場にあったことを示している 本来千葉宗家の宗胤の嫡男で千葉介を継承する血統でありながら 一族的な立場に置かれた千葉 ( 千田 ) 胤貞は これを不服とした 一方 胤宗が継いだ千葉宗家は さらに貞胤が継いだ 胤貞は千葉宗家と下総の所領を奪還すべく 建武 2 年 (1335)1 月陸奥国行方郡の相馬一族の相馬親胤とともに 千葉楯 を襲撃した また同年 8 月今度は千葉宗家方が千田庄に攻め込み 千田氏方の在地武士と千葉宗家方が戦っている その翌年には 千田氏の惣領争いがあり 本拠である大嶋城 ( または志摩城 ) をめぐる攻城戦があった 建武 3 年 (1336)11 月 奇しくも千葉貞胤が木ノ目峠で北朝に降伏した翌月 胤貞は望みを叶えぬまま病死し その子孫である九州千葉氏は下総国に千田庄 八幡庄 臼井庄神保郷といった所領を残しながら 下総に復帰することはなかった 以上 ( 参考文献 ) 上総下総千葉一族 丸井敬司著新人物往来社 (2000) 千葉氏鎌倉 南北朝編 千野原靖方著崙書房出版 (1995) 千葉城跡概説 千葉氏居城の基礎的考察 千葉いまむかし No.11 簗瀬裕一 (1998) 法王山万満寺史 万満寺 (1987) ほか * 室町期以降の千葉氏については 別途 東葛の戦国史 などを参照方 22

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Microsoft Word - matsugasakijo_setsumei1.doc 1 手賀沼沿岸地域の中世 千葉氏族 相馬氏などの支配 ( 中世前期 ) (1) 相馬御厨を中心とした相馬氏所領 分割相続で伝領される際に細分化 鎌倉中期相馬胤綱の没後 相馬尼嫡子胤継を義絶 ( 尼の子 胤村が多くを相続 ) 胤村没後は師胤が陸奥国行方郡内を譲与され 奥州に基盤 下総にも所領残存 相馬岡田氏など庶流も分立 (2) 印西は金沢氏 金沢氏所縁の称名寺などの所領 鎌倉北条政権の常陸方面へのおさえ

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140110_千葉一族盛衰記.indd 佐倉市の城 といえば 歴史民俗博物館のある城址公園をまっさきに思い浮かべられる方が多いのではないかと思います もちろん 鹿島川を望む高台にあった佐倉城は 江戸幕府の重鎮たちが治める佐倉藩の城として 重要な役割を果たしたことは論を待ちません しかし その佐倉城からほんの2キロメートルほど離れた場所に 戦国時代下総の地を治めていた千葉一族が居城を構えていたことは 意外に知られていないのではないでしょうか

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