一 中条本 桓武平氏諸流系図 をめぐる先行研究の状況今回扱う中条本 桓武平氏諸流系図 は 奥山荘史料集( ) および 中条町史 資料編( )で活字化され 野口実氏によってその重要性を紹介された( ) 野口氏は検非違使を 使 蔵人を 蔵 などと系線の上部に記入する点や 官位を従五位下なら 従五下 など
|
|
|
- そう あいきょう
- 7 years ago
- Views:
Transcription
1 文学研究論集 号' 第 研究論集委員会受付日二〇一七年九月二十二日承認日二〇一七年十月三十日中条本 桓武平氏諸流系図 所収の両総平氏系図に関する覚書 神代本 千葉系図 との記載事項比較を通じて Note for the genealogy of Ryousou- Heishi in the Genealogy of Kanmu- Heishi Shyoryuu handed down by Nakajou family Through a comparison with entries on the Genealogy of Chiba family handed down by Kumashiro family 博士後期課程史学専攻日本史学専修二〇一二年度入学岩橋直樹IWAHASHI Naoki 論文要旨 本稿では 野口実氏が 原型部分の成立が鎌倉時代末期ごろにまで溯りうる系図として注目された 中条本 桓武平氏諸流系図 について分析する 同系図はそれ以降の研究でも 高い評価を与えられる一方で 編纂主体となったと思われる鎌倉幕府 北条氏の意図を反映した曲筆の可能性を指摘されたり 特に海道平氏 奥州藤原氏の部分の記載については 懐疑的な見解も多い とはいえ 青山幹哉氏の指摘のように 同系図があくまで来歴を異にする系図群の集成であり 各ブロックごとに史料学的検討を行なう必要がある 今回はその中でも 桓武平氏諸流系図 中でも鎌倉幕府草創の過程で大きな役割を果たした有力御家人である 千葉氏 上総氏を含む両総平氏系図について検討する 両総平氏の系図には 極めて充実した情報量と 原型の成立が鎌倉末期ごろまで溯りうる点で注目される神代本 千葉系図 が存在し その成立には鎌倉中期以降の千葉氏の嫡宗観念の形成が密接に関わることが福田豊彦氏や野口実氏によって指摘されている 本稿では中条本 桓武平氏諸流系図 所収の両総平氏系図と神代本 千葉系図 の記載事項の比較を行なうことで 中条本 桓武平氏諸流系図 の成立 性格を考えるための基礎作業としたい キーワード 鎌倉時代 千葉氏 系図 中条本 桓武平氏諸流系図 神代本 千葉系図
2 一 中条本 桓武平氏諸流系図 をめぐる先行研究の状況今回扱う中条本 桓武平氏諸流系図 は 奥山荘史料集( ) および 中条町史 資料編( )で活字化され 野口実氏によってその重要性を紹介された( ) 野口氏は検非違使を 使 蔵人を 蔵 などと系線の上部に記入する点や 官位を従五位下なら 従五下 などと省略する点に 尊卑分脈 と通じる部分を指摘された 加えて 同系図が独立した十四の系統からなり( ) 系図を伝えた中条氏に連なる三浦和田氏の系統以前の部分については十三世紀半ば頃の世代で筆を止めていることから 同系図は遅くとも鎌倉時代末期までに原型が成立し 以後三浦和田氏の系統が書き継がれていったものと推定された その後 井原今朝男氏は 伊勢平氏庶流と越後平氏の信濃への展開を考察するにあたって 同系図の原本調査を行なわれた その結果 料紙の紙質 筆跡 墨色などから 同系図が四種の異筆からなり 野口氏が原型として指摘した部分は 一筆で書かれていることから 原型部分(ただし原本そのものとは断定できない)の成立は野口氏の指摘するように 鎌倉時代末期か 遅くとも南北朝期まで溯ると考えられるとされ 内容面についても 考察対象とした伊勢平氏庶流と越後平氏については 古記録等や 吾妻鏡 の記事と一致する部分が多く 記載内容も信憑性は高いものとされた( ) また白根靖大氏は 特に北条氏の部分について 注記の行なわれた時期が建長年間に集中することから 成立の下限を康元元()年の北条重時出家後 時頼出家以前とされた そしてその成立時期と当時これだけの大部の系図を作成できること 記載されている氏族の範囲等から 寛元 宝治 建長の政変の終結による有力御家人層の変動と親王将軍の招聘 経時の病死による時頼の執権就任などによる 鎌倉幕府の再編に合わせて御家人の出自を把握し 桓武平氏全体の中で北条氏と他氏の関係を可視化することで御家人を統制するための氏族系図の一部ではないか と推定された また そうした成立経緯からすれば 当然鎌倉幕府 特に北条氏周辺の人物が編纂主体として想定され 彼らの立場からの曲筆を念頭に置きつつ記載事項を利用する必要があることを強調された( ) 白根氏が指摘されたように 同系図の記載事項については北条氏の立場からの曲筆の危険性は常に考慮されるべきであり 野口実氏もすでに指摘されているように 単純な誤記 誤写と思しき部分が多く( ) その部分をどう解釈するかによって意見が割れる事例もある( ) しかしながら 中条本 桓武平氏諸流系図 の原型部分が 白根氏の研究が示すように 貴重な鎌倉期の系図史料の中でも (少なくとも北条氏の部分については)とりわけ古い十三世紀半ばから後半にまで溯りうる 重要な史料であることは間違いない 青山幹哉氏は 中条本 桓武平氏諸流系図 を構成する系図の各部分が一本の系図に統一されず バラバラのまま記載されている点などから 同系図が別個に成立した系図をある段階で取りまとめたものであると推定されたが( ) 個別の系図ごとの成立時期や信憑性を考えることで 史料としての性格を確定できれば 鎌倉期の武士団研究にとって大きな益となるだろう そのための基礎作業として 以下では中条本 桓武平氏諸流系図 所収両総平氏系図
3 を取り上げる 両総平氏に関する系図としては 十三世紀頃に形成された 千葉氏嫡宗観念の影響を受けて成立し 信憑性が高いとされる神代本 千葉系図( ) があり その記載事項の比較を行なうことで今後の研究の一助としたい 二 中条本 桓武平氏諸流系図 と神代本 千葉系図 の異同本来であれば 中条本 桓武平氏諸流系図 の両総平氏系図に記載のある全ての人物について 史料上の所見を確認して その信憑性を確かめなければならないところだが 紙幅の都合上 それは稿を改めることとして ここでは中条本 桓武平氏諸流系図 の両総平氏系図の中で 比較的参考にできる史料が存在する忠常以降の世代で 神代本 千葉系図 の記載と人名 父子関係 注記等が相違する人物を採り上げてみる ただし 相違が名前の同音異字のみに留まる場合については ここでは省略した なお 以下の章では煩雑となるのを避けるため 両総平氏の系図について言う場合 中条本 桓武平氏諸流系図 と神代本 千葉系図 についてはそれぞれ 中条本 神代本 のように略記する( ) また 同音異字が用いられる場合は 史料を引用する場合を除き 後掲する中条本 桓武平氏諸流系図 との比較の便宜から 原則として用字は同系図に合わせた 常重以前 両総平氏の黎明 忠常平忠頼の子として見えている 長元元()年に房総で反乱を起こしたことでよく知られており 続柄に関しては神代本や 尊卑分脈 ( 忠垣 とするが 忠恒 の誤写か ) 千葉大系図( ) などの諸系図でも一致している 神代本では 下総権介 上野次郎 上総居住 などの注記が見え 対して中条本には次のような彼の起こした反乱に関する 以下のような長文の注記が見えている 前上総介 長元被レ仰二検非違使平直方 少志中原成通等一 追討也 而其節不レ遂 仍故仰二甲斐守源頼信一 被二追討一之日 東平満降 仍召具参洛之処 於二三乃国一 爰病死了 然間首伝二京師一 于時長元四六廿六 反乱鎮圧に到る過程は 小右記 小記目録 や 左経記 日本紀略 などの史料が伝えるものと概ね一致する ただし 忠常の首が入洛したのは 長元四()年六月十六日とされる( ) 忠常の官途に関しては 前上総介( ) 上総国住人前介( ) 下総権介( ) など一定せず 野口実氏は一次史料には一切官職を記さないことから 雜任=在庁官人であったと理解されている( ) 官職ほか 諸史料で記述にぶれの大きい忠常だが 神代本の採用している説が 源平闘諍録 の 嫡男忠常居二 住上総国上野郷一 後移二下総国千葉庄一 号二下総権介一 領二両国一( ) という記述と一致する点が多く 両者の関係を窺わせる一方 中条本はこれとは異なる史料や伝承に基づいて作成されたことを窺わせる 恒永 恒兼中条本では恒永は恒将の子 恒兼は恒永の子とする 神代本ではそれぞれ 常長 常兼 で 用いる字は異なるが実名 続柄に違いは無
4 い ただし 中条本では恒永は 千葉大夫 恒兼は 千葉次郎大夫 とするが 神代本では常長は 千葉介 従五下 常兼は 千葉介 とし 神代本は常将以降全ての千葉氏嫡流に 千葉介 と注記を付している 一方で 千葉大夫 という呼称についても 吾妻鏡 承元三年十二月十五日条にも 千葉介成胤者先祖千葉大夫元永以後為二当庄検非違所一之間 右大将家御時 以二常胤一被レ補二下総守護職一之由申レ之 と見えており これが千葉氏のいずれの人物に該当するかは断定しがたいが 成胤の時代の伝承ではあるものの実際に使用されていた可能性はある( ) 大夫 の呼称について 峰岸純夫氏は 地名+大夫 の呼称は その地の開発者であると同時に五位に任官したことを示す 大夫 の呼称が結びついたものとされ 家 の創始者として系図上に位置付けられているとされ( ) 一方高橋秀樹氏は 地名 の部分が荘園名ではなく郡名であることを指摘し 郡規模の範囲で国衙支配の一端を担うような(ただし郡域全体を私領として掌握していたわけではない)在地有力者のシンボル的な称号として捉えられている( ) 大夫 の称号と在庁官人としての 介 の呼称が必ずしも結びつくわけではなく 前述した 吾妻鏡 の 千葉大夫 も 当庄検非違所 であったとするように 国衙支配に関わってはいても 実際に 介 の称号を千葉氏が獲得するのは時代が下る可能性もあり そうした場合 神代本は 千葉介 の呼称をより古いものとして権威付けを図っているとも考えられる 千葉大夫 の呼称は 入来院本 平氏系図( ) では中条本よりさらに一代溯って常将に付しており ここで深く立ち入ることはしないが 後考を期すべき論点と言えるだろう 恒親 恒遠中条本では ともに恒将の子で恒永の兄弟として見える 神代本では記載が無い 尊卑分脈 や 千葉大系図 では ともに忠常の子 すなわち常将の兄弟とされている 同時代史料では恒親については 又忠常男常昌 常近不レ進二降状一( ) と見え 恒親(常近)については恒将(常昌)と同じく忠常の子とする 恒遠については同時代史料に見えず不明とせざるを得ない 恒家前述の恒永の子として見える 神代本では該当する世代に所見は無い あるいは神代本では 常宗原四郎 とされる人物の誤記の可能性もあるが 野口実氏が指摘するように 他系図には所見がある( ) 千葉上総系図 千葉系図 千葉系図別本 般若院系図 相馬系図 (以上 続群書類従 六輯上所収) 千葉大系図 松蘿館本千葉系図 (以上 房総叢書 九巻所収)など 近世成立の系図類では 常兼の子 常時( 千葉上総系図 般若院系図 千葉大系図 では常明 時 と 明 の誤記か )の父として見えており いずれも後述する恒兼(常兼)から相馬郡を継承した常晴(時)の系統と 本来そのあとに続くはずの上総氏の系統を分断する役割を持っている ただし野口氏の指摘のように 平姓指宿系図( ) には 中条本と同じ位置に 常家坂太郎 を置いていることから 実在の人物である可能性も残る 現状 系図以外の史料では所見が無いため 不明とせざるを得ないが 近世以降に実在の不明確な 常家 という人物を 近世以降の系図において 相馬郡を継承した常晴の系統と その後千葉常重と相馬郡を
5 巡って争った上総常澄以降の系統を分断して 上総氏の相馬郡(御厨)支配を否定するための方便として この人物が活用されたとも考えられる 常平恒兼の子として見え 続柄は神代本も同様 中条本は 同(千葉)余一介 神代本は 海上與一介 とし 名乗りには違いがある また 神代本は 常兼 の子として 常衡 が見えるのとは別に 常長 の子にも 常平 を載せ 註に 與一平 実常兼子 とあることから両者が同一人物であることが分かる また 常平は神代本では庶流の筆頭の位置に配置されるが 中条本では恒兼子息の内で最も右に置かれており 一般的な系図配列から言えば 長子として扱われている これは神代本が恐らく千葉介の継承者を嫡流として表記法の上で区別しているためのもので 源平闘諍録( ) も 常重を常兼の次男とし 他に長子がいたことを推測させる この中条本 神代本の記述の違いは 後述する常晴の扱いと同様 十三世紀中期以降に形成されていく千葉氏の長子嫡宗観念と関係していると思われる( ) 常重以降 千葉氏嫡流 常重恒兼の子として見え 中条本と神代本で続柄は同様 中条本では 号二同大権介一 母海鳥三郎大夫忠平女 と注記がある 大権介 の呼称に関しては 神代本には注記がないものの 源平闘諍録( ) には 常重大権介 と見える 丸井敬司氏は 千学集抜粋 で 常重の父常兼について 常兼大椎権介 観宥 法諡星成院殿 大椎にて御捐館也( ) とすることから 常重も当初父と同じく 大椎(権)介 と名乗っていて 大権介 は 大椎介 の誤写であろうと理解される( ) ただ 大介 という称号自体は三浦氏など他の有力地方武士の称号として見えるし 他史料には見えないものの 中条本では続く千葉常胤も 大千葉介 という表記が見える(中条本は 小権守 ) また 上総氏系で言えば 上総弘常の子能常(神代本では常顕)は 小権介 を名乗っていることが 中条本 神代本双方に見えている 中世後期の成立とされる 千学集抜粋( ) は 千葉氏に引き継がれた史料や伝承に独自の 解釈 を加えている可能性もある (権)介 を代々の名乗りとする家において 先代に対して敬意を込めて 大(権)介 年少者を 小(権)介 と称した( )可能性も考慮すべきだろう 母についての記述は他の史料には見えない 野口実氏は 海鳥三郎大夫忠平 の 海鳥 を 海道 の誤写と考え 磐城系図 ( 続群書類従 六輯上所収)の貞衡の孫 忠衡 岩城国魂系図 (太田亮 姓氏家系大辞典 (角川書店 年)に言及あり )に見える 高久三郎忠衡 に比定され 文治五()年の奥州合戦における千葉氏の東海道大将軍としての活動や陸奥国南部の所領群獲得の前提として 千葉氏が早くから陸奥国の沿岸部と強い結びつきを持っていたことを指摘されている( ) 常胤常重の子 続柄については中条本と神代本で違いは無いが 号二大千葉介一 正治二三廿四卒八十四 と注記がある 単なる千葉介でな
6 く 大千葉介 とする記述は他史料に見えないが 千葉大系図 では常胤の父常重に 号二千葉大介一 とし 前述のように中条本 神代本で上総弘常(広常)の子能常(常顕)に 小権介 の呼称が見えるように 父の (権)介 が存命中に付された尊称のようなものである可能性もある 常胤の没年月日については 吾妻鏡 が建仁元()年三月二十四日とし( ) 千葉大系図 も 吾妻鏡 と同日とするが 改元前の正治三年の年号を用いる (改元は二月十三日 ) 本土寺過去帳( ) では正治二()年二月二十四日 平朝臣徳嶋系図( ) は正治二年二月二十一日とする 没年齢は 吾妻鏡 は中条本と同じく八十四歳 千葉大系図 本土寺過去帳 平朝臣徳嶋系図 は八十三歳とし一定しないが 吾妻鏡 がもっとも信憑性が高いか 胤正常胤の子 続柄は中条本と神代本で違いは無い 中条本では 千葉介 母秩父大(太カ)郎大夫重広女 と注記する 神代本は千葉介に加えて 上総介 の注記を付す 胤正が上総介であったことは確実な史料からは確認できない また 尊卑分脈 では父の常胤に 上総 下総等介 とする 胤正が上総(権)介を称する例は確認できないが あるいは上総弘常滅亡後 常胤もしくは胤正の代に下総(権)介と併せて 両総平氏の族長を表象する上総(権)介の地位を吸収したことを示そうとしている可能性もある 後述するように中条本で角田定常の子胤親が千葉介胤正娘の所生とする記事とも関連しよう 胤正の生母に関する記述については 吾妻鏡 寿永元()年八月十八日条に頼家誕生七夜の儀の陪膳役を 胤正母 秩父大夫重弘女 が務めたことが見え この記事を裏付ける 源平闘諍録 では胤正の子成胤は養子ながら祖母の葬送のために祖父常胤らと別れて千葉に残っていたとし 千学集抜粋 はこの 祖母 を 秩父太夫重弘の中娘也 とする( )が 前掲 吾妻鏡 の記事により 源平闘諍録 の虚構であることが分かる( ) 福田豊彦氏が指摘するように この虚構は成胤の弟常秀を意識したものであり( ) さらに踏み込んで言えば 実質的に嫡子としての扱いを受けていた常秀( )に対して 妙見信仰を含む一族の 祭祀 というものを一つのキーワードとして 常秀流に対する成胤流の優位を主張したものであろう 頼胤 泰胤頼胤は時胤の子 泰胤は時胤の弟 続柄は中条本 神代本で違いは無い 中条本では 母修理権大夫時房女 と生母に関する注記がある 同時代史料では裏付けが無いものの 中条本 桓武平氏諸流系図 所収の北条氏系図では 北条時房の四番目の娘に 城介義景妻 後嫁千葉介時衡(胤カ) とあり 他に野津本 北条系図 でも 城介妻 後千葉妻イ頼胤母 入来院本 平氏系図 では 城介義景妻 後千葉介頼胤母 とあり 鎌倉末期頃まで原型の成立が溯る( )系図史料において同様の記載が見られる 一方 福田豊彦氏は 般若院系図 が頼胤の叔父泰胤を時房女所生とし 千葉大系図 は頼胤の注記で母を 臼井九郎尊胤女 とすることから 中条本の記事を退ける( ) しかしながら これらの系図では尊胤に該当する人物は確認できない また中条本 神代本では臼井盛常が 九郎 の仮名を用いており 改名の可能性も否定できないものの 千葉介嫡流に娘を嫁がせたという人物を他ならぬ 千葉大系図 が書き落とすのは違和感があるし 管見の限り改名の形跡は窺え
7 ない そもそも北条氏の有力庶流所生の母を持つ泰胤が 父が早逝した上に母方も両総平氏の庶流に過ぎない頼胤を後見する立場に留まったというのは 違和感が拭えない 幼少の頼胤を後見するのではなく それこそ 第二の上総千葉氏 になる可能性もあり得たのではないだろうか なお 頼胤の姉妹として中条本でも北条氏以外では珍しく女子二人が記されている うち一人には 信通朝臣妻 と注記されており 白根靖大氏は中関白家道隆流の坊門信通に比定されている( ) また泰胤の没年の注記について 福田豊彦氏は前掲論文において 般若院系図 で泰胤に付された 建治元年八月一日生 という注記が没年の誤りで 終見記事が 吾妻鏡 建長二年十二月二十七日条であることから 中条本の泰胤死没年を否定されている ただ 建治元()年八月は日付に多少の差こそあれ 頼胤の没年と重なる( ) また 般若院系図 は 続群書類従 第六輯上の翻刻では 左のようになっている 続群書類従 の翻刻が 系図の原型をどれほど留めているかは不明だが 時胤 頼胤と泰胤の間が近接しており 野口実氏が指摘したように( ) 本来頼胤の左側に付されていた母と生年(正しくは没年か)の注記が 泰胤の右側に付されたものとして誤って取り込まれてしまったものと考えるのが適切だろう 上総千葉氏 もう一つの常胤嫡流 時秀 政秀 泰秀 秀景いずれも上総千葉氏の秀胤の子だが 神代本とは異同がある また 吾妻鏡 には宝治合戦に関する記事に上総秀胤とその子息たちに関する史料があり とりわけ宝治元()年六月二十二日条の三浦氏方の戦死者 捕縛者 逃亡者の交名が載せられていて参考になる 廿二日癸卯 去五日合戦亡帥以下交名 為レ宗分日来注レ之 今日 於二御寄合座一及二披露一云々 自殺討死等(中略)上総権介秀胤同子息式部大夫時秀同修理亮政秀同五郎左衛門尉泰秀同六郎秀景垣生 埴カ 次郎時常(後略)時秀と泰秀は 神代本ではそれぞれ 秀時 秀泰 とされ 時秀については 吾妻鏡 には 式部大夫 と見える( ) 官職が一致することを考えると神代本の 秀時 と同一人物と見なして良いだろう 中条本は時秀の頭註に 式 とあり 式部省官人であったことを示す 官位を示す 従五上 については 吾妻鏡 では官位が分かる記事はないものの
8 寛元二()年正月に従五位上に叙された 平時秀( ) に比定できるだろう 泰秀については 中条本が 左衛門尉 とするが 神代本は 埴生修理介 としており異なっている 吾妻鏡 の記事を参照すると 修理亮は政秀( ) 五郎左衛門尉は泰秀であった( )ことが確認でき いずれも中条本と一致する 神代本が五郎左衛門尉とする秀綱は 吾妻鏡 には見えない 秀景は 吾妻鏡 の同記事によれば 同(秀胤子息)六郎秀景 と見え 神代本で欠落により名が見えず 同六郎 と注記された人物に比定できる 少なくとも 吾妻鏡( ) に照らす限り 上総千葉氏の記述については 中条本は神代本以上に正確であると言えるだろう 常重庶流 胤澄千葉常重の子で 小見六郎 と注記する 神代本では 胤隆小海六郎 とあり 澄 と 隆 は誤写の可能性が高い ほかの史料での所見がないため どちらが正しいかは不明とせざるを得ない 有光常重の子である椎名五郎胤光の子 神代本では胤光の子で 有光 という人物も 同大(太)郎 に一致する仮名の人物も見当たらない 大 が 太 ではなく 六 の誤りとするなら 胤高が該当するが 吾妻鏡 では椎名六郎は 胤継 と見える (建長三年正月二十日条)また 延慶本 平家物語 には 椎名小次郎有胤 という人物も見えており( ) 椎名の名乗りと有光 胤光と通じる字を用いた 有胤 という名も注目される 常胤庶流 家胤相馬師常の孫で 常家の子 中条本では 家胤 式部丞 号矢木式部 神代本では 胤家 矢木式部大夫 とある 吾妻鏡 では 矢木式部大夫 と見えるのみ( )で実名不詳だが 文永年間の造営に関わる 造宮記録断簡( ) で西廊作料の負担を 矢木郷本役 として 地頭式部大夫胤家 に宛てており また嘉元四年正月十三日付の 遠藤道正附属状( ) では 矢木式部大夫胤家 と見え 神代本が正しい 中条本は師常流相馬氏の系統について 相馬文書 を残した義胤の系統は胤綱までしか記さず 逆に神代本では常家の系統は常家 家胤しか記していない 入手できた原史料の差なのか 系図作成における意識の違いなのかは不明とせざるを得ないが 後考を期したい 胤頼千葉常胤の子 続柄は中条本 神代本で違いはない 中条本には 東六郎大夫 出家 の注記があり 一方で神代本は 木内六郎大夫 とする 吾妻鏡 の所見では 胤頼の名乗りは 千葉 および 東 を併用しており( ) 木内 は使用されていない 源平闘諍録 でも 未だに東庄を獲得していないためか 千葉六郎 を名乗っている ただ 木内の名乗りの由来となった木内荘は 吾妻鏡 文治二年三月十二日条に 橘并木内二位大納言庄 と見えており この橘荘の異名が東荘であり( ) 東荘と木内荘が強く結びついていたことを考えると 木内 という神代本の名乗りも軽視することはできない また胤頼の出家については 大番役で在京した際に法然の示寂に接し 法阿弥陀仏と号して出家したことが
9 知られる( ) 胤行東重胤の子 実名は中条本 神代本で同様だが 傍注は中条本では 中務丞出家 神代本では 東所中務 とする 中務丞であったことは 吾妻鏡 貞永元年十一月二十九日条以降 中務丞 と表記されることから問題なく 出家についても 吾妻鏡 宝治元年六月六日条以降 入道 と見え 素暹 を名乗っている 胤廉東重胤の子として見え 神代本では同じく 海上次郎 の傍注のある 胤方 と同一人物と思われる 改名や同訓異字表記の可能性も捨てきれないが 現状見える史料では 胤廉 と一致するものは見えず 吾妻鏡 建長四年十二月十七日条では 海上次郎胤方 とあり 海上荘の荘域であった千葉県銚子市常世田町の常燈寺所蔵薬師如来坐像の仁治四年三月二十四日の修理銘や 同市岡野台町の等覚寺で出土した建長四年二月五日の銘を持つ金銅製経筒銘には 平胤方 と書かれており( ) 神代本の記述に合致する史料は多い 胤朝東胤頼の子 実名は中条本 神代本で同様だが 傍注は中条本では 木内下総守 神代本では 木内次郎 とする 下総守補任に関しては 神代本で子息の胤時が 下総四郎 とされることや 吾妻鏡 建長二年三月一日条の 木内下総前司跡 は年代からするとこの胤朝を指すと思われることから 事実と考えてよいだろう 吾妻鏡 寛元四年八月十五日条で胤朝子息の胤家が 木内下野次郎 と表記されるが これもあるいは 下総次郎 を誤ったものか 任官時期は明確にしがたいものの 中条本の 木内下総守 の記述も問題ないと思われる なお 胤家は中条本では 木内六郎 とされるが 前掲 吾妻鏡 の記事のように彼の仮名は 次郎 であり 神代本が正しい 字形が似ているために誤ったものか 常兼庶流 常忠臼井六郎常安の子 実名は中条本 神代本で一致するが 中条本では 太郎 神代本では 三郎 と仮名が異なる 吾妻鏡 建久二年正月一日条では 臼井太郎常忠 承久三年六月三日条では 臼井太郎入道 と見え 太郎 が正しい 神代本の誤写か 常家中条本では瑳(匝瑳)八郎常弘の子として 常家 同太郎 と見えるが 神代本では常弘の子 飯高五郎高常の父として見えるのは 将胤 飯高次郎 という人物である 仮名については単なる誤写の可能性もあるが 他の史料上で該当する人物が確認できないためどちらか正しいかは不詳とせざるを得ない ただ 両総平氏における 胤 と 常 の通字の使用について 野口実氏は相馬師常と上総常秀の 常 の字の使用の理由を それぞれ相馬常清と上総介弘常の すなわち上総氏流の基盤を千葉氏流が継承したことを表すものと推測され( ) 丸井敬司氏は 千学集抜粋 や千葉神社の前身である尊光院に伝わった 妙見大縁起絵巻 九州千葉氏の後裔である徳島氏に伝来した 平朝臣徳嶋系
10 図 で相馬師常が 師胤 と表記されること 吾妻鏡 の文治四年三月十五日条や同五年六月九日条では 千葉次郎師胤 と見えることから 相馬師常の旧名が 師胤 であった可能性を指摘されている( ) いずれも千葉氏による治承 寿永内乱以降の獲得所領への入部をスムーズに行なうためや 逆に千葉氏に敵対していた勢力が千葉氏への服従を示すために通字の継承(あるいは実際に婚姻関係や養子 猶子関係の構築)が行なわれたことを想定されており 中条本の 常家 と神代本の 将胤 についても 同様の経緯を想定できるかもしれない 常晴流 両総平氏の族長 常晴中条本では恒兼の子とされるが 神代本では常晴は常長(恒永)の子として見えている ただし 中条本も 恒兼為子 実弟也 という注記があり 恒兼の弟 すなわち神代本と同様 常晴は恒永の子であるという血縁上の位置を認めながらも 系図構成上は兄恒兼との養子関係を強調していることになる 相馬御厨の来歴を伝える 櫟木文書 の千葉常胤寄進状( )には 以下のような記述がある 永附属進先祖相伝領地壱処事在下総国管相馬郡者四至 東限逆川口笠貫江 南限小野上大路 西限下川辺境并木埼廻谷北限衣川常陸国堺 右当郡者 是元平良文朝臣所領 其男経明 其男忠経 其男経政 其男経長 其男経兼 其男常重 而経兼五良弟常晴相承之当初 為二国役不輸之地一 令二進退領掌一之時 立二常重於養子一 大治元年六月所レ譲二 与彼郡一也 (下略)限られた範囲ながら 千葉氏の世系を伝える史料としては最も古いものであるが ここでも常晴(一部常時 誤記か)は 経兼五良(郎)弟 とされており 各系図の記述を裏付ける 問題は恒兼(常兼 経兼)と常晴に養父子関係があったかどうかである よく知られるように この寄進状は 相馬郡は常兼から弟の常晴に譲られ さらに常兼の常重が常晴の養子となって 相馬郡を継承したことを主張する 律令制の規定で言えば 本来養子関係を設定できるのは 養父となる人物の子の世代 具体的には甥 姪であった( ) ただ 現実的には十二世紀後半までには自身の弟を養子とするケースは見られ( ) 高橋秀樹氏はこの常晴 常重の養子関係を所謂順養子のケースとして捉えられている( ) 順養子の在り方では 弟が兄の子までの中継ぎとなるにあたって 兄の養子となるのが一般的であり( ) 中条本の常晴の記述はこれに適合する 実際 相馬郡は前述の常胤寄進状にあるように 常晴の子常澄が源義朝を担いで押領することになるものの 一度は常重へと渡っていることを見ても 当初はやはり常晴は常重への中継ぎとして位置付けられていたと思われる あるいは 後述する定常 胤親の項で見るように 地位や所領の継承関係を親子関係に見立て 恒兼 常晴間の相馬郡の継承を養父子関係に見立てたとも考えられよう
11 常景 常茂ともに上総常澄の子 常景は 神代本では 伊北新介 とし 中条本では 同介 として父と同様上総介であったとするほか 長寛年中為二弟常茂一被レ害 とし 印東(中条本では印南)次郎常茂により殺害されたとする 野口実氏は上総介を名乗る人物が常澄の子の中に複数存在することや 一族内での対立を示唆する記事から 上総常澄死後の上総介の地位を巡る競合関係を想定される( ) また 常茂については中条本が 印南次郎 とするが 神代本では 印東次郎 とする また 中条本には 為二弟弘常一被レ害 とあり 源平闘諍録 で富士川合戦に向かう追討軍の先陣押領使を務めた 上総国住人印東次郎常茂( ) 吾妻鏡 で富士川合戦の際に鮫島で討ち取られた印東次郎常義( )と同一人物と思われる 茂 と 義 は崩した字形が似ることを考えると 単純な誤記か 名乗りに話を戻すと 神代本 吾妻鏡 などが印東とすることや 常茂の父常澄が印東荘の荘官を努めていた( )ことを考えると 印南 は 印東 の誤記と考えるべきか( ) 弘常 能常上総常澄の子と孫 中条本では弘常は 介八郎 の名乗りに加えて 鎌倉大将起レ兵之時有二大功一 而寿永元年十二月廿二父子共為二鎌倉大将一被レ誅了 と注記がある 上総弘常の誅殺は 吾妻鏡 元暦元()年正月一日条に 去冬 とあり 寿永二()年の年末のことと考えられる( )が 鎌倉年代記 裏書では 今年 寿永一 の 同(十二月)廿二日 のこととする( ) また 源平闘諍録 には治承四()年の金砂合戦の記事に続いて 頼朝がそのまま奥州藤原氏を攻めようとし 上総弘常はそれを諌めて頼朝と対立して上総に帰ってしまい それを聞きつけた平家が弘常を味方に引き入れようとするくだりがある( ) 弘常と頼朝の対立については 比較的早い段階から異説が生じていた可能性も窺われる また 能常は神代本や 源平闘諍録 では 常顕 とするが 吾妻鏡 では 良常( ) 鎌倉年代記 裏書では 能常 で 中条本と一致する また 中条本は能常の名乗りを 小権守 とする 上総国は親王任国であるため( ) 実際の受領は 介 であることからしても 権介 が適当だろう ただし 源平闘諍録 でも同一人物の常顕を 小権守 としており 院政期の貴族も親王任国の守 介については混同しているところもある( ) また 延慶本 平家物語 巻二末 九では 山城権守 長門本 平家物語 巻十では 大和権守 とあり どの時点かは不明ながら 他国の権守に任じられていた可能性もある 定常 胤親定常は 中条本では前述の上総能常の子として見え 角田四郎 の傍注を付す 一方で神代本では 同一人物と思しき 貞常 が相馬常清の子として見え 同(相馬)太郎 上総介 の傍注を付す さらに定常の子胤親は 中条本では 同太郎 母千葉介胤正女 の注記があり 神代本では貞常の子として 親常 角田太郎 が見える この点について野口実氏がすでに踏み込んだ言及をされている 吾妻鏡 文治二年六月十一日条の記述で 上総弘常誅殺後 その遺領である上総国畦蒜荘を与えられた人物を 北条本は 上総介 吉川本では 相馬介 とある点に注目し 中条本で定常が上総氏の後裔として書かれている点と
12 神代本の貞常の 上総介 の注記を考え合わせると 上総弘常誅殺後に関与を疑われるものの釈放された相馬常清( )が上総氏の持っていた上総介とそれに象徴される両総平氏の族長としての地位を引き継いだものと推定され 中条本は血縁ではなく 上総介 両総平氏の族長という地位の継承に着目した表現であり 加えてその地位が定常の子胤親の注記に見えるように 定常と千葉胤正の娘の婚姻によって千葉氏に吸収されていくことが示されているとされた( ) 季常上総常澄の子 神代本では同じく常澄の子に 秀常 天羽庄司 十郎 が見え 源平闘諍録 にも上総広常の指揮下の武士として 天羽庄司秀常( ) が見えている 季 と 秀 の字形が似ることを考えると 秀常 を書き誤ったものか また 吾妻鏡 元暦元年正月十七日条には 広常弟天羽庄司直胤 が登場する 野口実氏は両総平氏の通字であった 常 から 千葉氏の通字である 胤 を用いた名前への変更を 上総氏系の武士団が千葉氏によって編成されていく過程としてなされたものとされる( ) まとめにかえて以上 中条本と神代本の両総平氏系図の記述の差異に着目し 比較検討を行なった 中条本 神代本の記述が異なる部分については 吾妻鏡 などの他史料を見ると 概ね神代本の記述に分があることが多く 神代本の信憑性の高さを裏付けることとなった ただ 一方で中条本の記述の方が正確な例もあり とりわけ上総秀胤の子息の部分では極端に混乱が大きいことも分かった その理由は今のところ明らかにし難いが あるいは上総千葉氏の滅亡によって(とりわけ 吾妻鏡 にあるように大柳館の炎上で)上総千葉氏の系図 文書などの家伝史料が焼失し 最後の世代であった秀胤の子息たちについての記憶がかなり薄れた段階になって 神代本が成立したためではないだろうか 中条本はそうした意味でも神代本の記述を補完しうるものである その史料的性格を明らかにすることで 鎌倉期の両総平氏の系図認識を知るための有力な素材となりうるものであり また逆に中条本の両総平氏系図の成立過程を明らかにすることで 中条本 桓武平氏諸流系図 全体の成立過程や性格を解明することにも繋がる 鎌倉期 あるいはそれ以前の武士団とその系図認識の研究にとっても 中世の系図史料論を考える上でも意義のある研究と考える また 本論でも言及したように 神代本は千葉氏の長子嫡宗観念の影響を受けた 源平闘諍録 との関係が指摘されており 中条本との記載の相違の中でも 平常晴と海上常平についての記述は嫡宗観念の影響を受けているか否かが関わってくる可能性がある 中条本の成立時期や嫡宗観念との関係については別稿を準備中のためそちらに譲ることとして ひとまず今回の検討を終えたい ( )新潟県教育委員会編 奥山荘史料集 新潟県教育委員会 年( )中条町史編さん委員会編 中条町史 (資料編第 巻 考古 古代 中世)中条町 年
13 ( )野口実 古代末期の武士の家系に関する二つの史料 永承二年二月二十一日付 藤氏長者宣 と 中条家本桓武平氏諸流系図 ( 中世東国武士団の研究 高科書店 年 初出年)( )野口氏註( )論文の分類は以下の通り 北条氏を中心とした維将流貞盛 維衡を始祖とする伊勢平氏越後城氏を中心とした維茂流貞盛の弟繁盛の系統良兼流良文流両総平氏の系統良文の孫将恒からはじまる秩父氏の系統忠頼の子孫のうち 中村 葛西一族の系統良文流三浦氏の系統忠道を祖とする鎌倉氏の系統常陸平氏の系統仲野親王流本康親王流(仁明平氏)是貞親王流(光孝平氏)( )井原今朝男 中世善光寺平の災害と開発 開発勢力としての伊勢平氏と越後平氏 ( 国立歴史民俗博物館研究報告 集 年)( )白根靖大 中条家文書所収 桓武平氏諸流系図 の基礎的考察 (入間田宣夫編 東北中世史の研究 下巻 高志書院 年)( )野口実 十一~十二世紀 奥羽の政治権力をめぐる諸問題 ( 中世東国武士団の研究 高科書店 年 初出年)( )小口雅史 延久蝦夷合戦をめぐる覚書 (中野栄夫編 日本中世の政治と社会 吉川弘文館 年)( )青山幹哉 顕わす系図 としての氏系図 坂東平氏系図を中心に ( 伝承文学研究 号 年) なお 青山氏は同論文で 同系図が桓武平氏のみならず 仁明平氏 光孝平氏も含み 系図端裏外題にも 平氏継 (系) 図 とあるように 平氏諸流系図 の呼称が適切であるとされる 指摘自体は首肯できるが 本論文では広く浸透していることもあり ひとまず従来の 桓武平氏諸流系図 の呼称で統一している ( )紀元二千六百年記念房総叢書刊行会編 房総叢書 九巻 系図 石高帳(紀元二千六百年記念房総叢書刊行会 年)所収 ( )なお 研究紀要 (千葉市立郷土博物館) 号 年)に丸井敬司氏によって翻刻された徳島本 千葉系図 は 系図の記述内容や様式が神代本と一致するところが多く 同氏は 神代本と同様に肥前千葉氏によって九州に持ち込まれた祖本に依ったもので 神代本以上に古態を残していると評価されている(同 千葉氏と妙見信仰 岩田書院 年)が 筆者自身が神代本と徳島本の関係や 歴史史料としての評価に関して十分な認識がないこと 現状広く知られていることなどもあり 本稿では中条本と神代本を比較するに留めた ( ) 房総叢書 九巻所収 ( ) 小記目録 追討使事 日本紀略 扶桑略記 同日条 ただし 百錬抄 は中条本と同じく六月二十六日とする なお 小記目録 は大日本古記録 日本紀略 扶桑略記 百錬抄 は新訂増補国史大系に依った ( ) 日本紀略 百錬抄 長元元年六月二十一日条 帝王編年記 後一条院 帝王編年記 は新訂増補国史大系に依った ( ) 日本紀略 久邇宮家旧蔵宮内省図書寮蔵本 神宮文庫本の同日条 ( ) 皇代記 万寿五年 大日本史料二編二十九冊長元元年六月二十一日の項に依った ( )野口実 平忠常の乱の経過について 追討の私戦的側面 ( 坂東武士団の成立と発展 弘生書林 年 初出年 戎光祥出版より年再刊 )( ) 源平闘諍録 巻一之上 一 自桓武天皇平家之一胤事 なお 源平闘諍録 本文は史籍研究会編 源平闘諍録 将門記抜書 陸奥話記 (汲古書院 年)の写真版に依った なお 文面の煩雑を避けるため 原本に付された振仮名 送り仮名は省略した 福田豊彦 服部幸造全注釈 源平闘諍録 坂東で生まれた平家物語 (上 下 講談社 年)も適宜参照した ( )ただし 吾妻鏡 によると千葉常胤の生まれが元永元年の生まれとす
14 るため( 同 建仁元年三月二十四日条) この 千葉大夫 は常胤の父常重もしくは祖父恒兼あたりとみるのが適切だろう ( )峰岸純夫 中世社会の 家 と女性 ( 日本中世の社会構成 階級と身分 校倉書房 年 初出年)( )高橋秀樹 三浦氏系図にみる 家 の創造神話 ( 三浦一族の研究 吉川弘文館 年 初出年)( )入来院本 平氏系図 では 常将 (恒将)と 常長 (恒永)に 千葉大夫 の注記を付す 入来院本 平氏系図 の翻刻と史料的評価は 山口隼正 入来院家所蔵平氏系図について(上) (下) ( 長崎大学教育学部社会科学論叢 号 年)を参照 ( ) 左経記 長元四年六月二十七日条 増補史料大成に依った ( )野口実 千葉氏系図の中の上総氏 (峰岸純夫 入間田宣夫 白根靖大 中世武家系図の史料論 上巻 高志書院 年) ( ) 指宿文書 号(鹿児島県歴史資料センター黎明館編 鹿児島県史料 旧記雜録拾遺 家わけ十(鹿児島県 年)所収 文書番号は同書に依る ) ( ) 源平闘諍録 巻一 一 自桓武天皇平家之一胤事 ( )千葉氏の嫡宗観念については福田豊彦 源平闘諍録 その千葉氏関係の説話を中心として ( 東京工業大学人文論叢 号 年) 同 源平闘諍録 の成立過程 千田合戦と伊藤三女の二説話を中心に ( 千葉県史研究 号別冊 年) 野口実 千葉氏の嫡宗権と妙見信仰 源平闘諍録 成立の前提 (同編 千葉氏の研究 名著出版 年 初出年)などを参照 この嫡宗観念およびそれを反映した神代本 源平闘諍録 と中条本の関係については 別稿を準備中のため そちらに譲りたい ( )註( )参照 ( ) 千学集抜粋 千葉家御代々の事 紀元二千六百年記念房総叢書刊行会編 房総叢書 三巻 史伝一(紀元二千六百年記念房総叢書刊行会 年)所収 なお 同書では 千学集抜粋 を 千学集抄 と表記している ( )丸井敬司 千葉氏系図附幕之次第 ( 旧妙見寺文書 )と千葉氏について ( 研究紀要 (千葉市立郷土博物館) 号 年) 同註( ) 千葉氏と妙見信仰 大椎は上総国山辺郡に属すが 千葉氏系の勢力の入部が確実に分かるのは 応永年間まで下り( 大慈恩寺文書 (紀元二千六百年記念房総叢書刊行会編 房総叢書 一巻 縁起及古文書(紀元二千六百年記念房総叢書刊行会 年)所収) 溯っても大慈恩寺を創建したと伝える大須賀氏の入部する鎌倉初期であり 当初は同じく山辺郡南西部の土気郡の 戸氣五郎 長実(常晴の子)や 大椎五郎 惟常(常澄の子)の勢力下にあったと考えられる 丸井氏は相馬郷が常晴から甥の常重に渡される際に 交換する形で常晴流に引き渡され それは下総を拠点とする常重らの千葉氏系と上総を拠点とする常晴らの上総氏系で それぞれ所領を同じ地域に集中させる意図があったと見る ( ) 房総叢書 三巻解題 ( ) 千葉大系図 の常重の注記には 保延元年乙卯二月 譲二 与累代所領於二嫡子常胤一 乃任二下総介一 於レ是 称二常重於千葉大介一 爾来父在レ之時 其子任レ介 則号二父於大介一 始レ于レ此 とある 千葉大系図 も成立は近世のため鵜呑みにはできないものの 留意すべき記述と言える ( )野口実註( )論文 ( ) 吾妻鏡 同日条 新訂増補国史大系に依った ( )千葉縣史編纂審議會編 本土寺過去帳 (千葉縣史料)千葉県 年 ( )丸井敬司 資料編(九州千葉氏伝来の系図) ( 研究紀要 (千葉市立郷土博物館) 号 年) ( ) 千学集抜粋 千葉家御代々の事 ( )福田豊彦註( )論文 ( )註( )福田豊彦 服部幸造全注釈 源平闘諍録 坂東で生まれた平家物語 の成胤養子説の注釈参照 ( )野口実 上総千葉氏について ( 中世東国武士団の研究 高科書店 年 初出年) ( )野津本 北条系図 と入来院本 平氏系図 の翻刻と評価は 田中稔 史料紹介野津本 北条系図 大友系図 ( 国立歴史民俗博物館研究報告 集 年) 山口隼正註( )論文をそれぞれ参照
15 ( )福田豊彦註( )論文 源平闘諍録 の成立過程 千田合戦と伊藤三女の二説話を中心に ( )白根靖大註( )論文 ( ) 千葉大系図 千学集抜粋 が建治元()年八月十六日 本土寺過去帳 が文永十一()年八月二十六日 平朝臣徳嶋系図 が建治元年八月十五日とし いずれも没年齢を三十七歳とする ( )野口実 慈光寺本 承久記 の史料的評価に関する一考察 ( 京都女子大学宗教 文化研究所紀要 号 年) ( )前掲の交名の他 吾妻鏡 仁治二年八月十五日条に 上総式部丞 同年十一月四日 寛元元年七月十七日 同三年八月十五日 十六日 同四年八月十五日 宝治元年六月十一日条に 上総式部大夫 と見える ( ) 平戸記 寛元二年正月二十三日条 増補史料大成に依った ( )政秀は 吾妻鏡 仁治二年八月二十五日 寛元元年八月十五日 宝治元年六月七日条にも 修理亮 と見えている ( ) 吾妻鏡 では寛元三年八月十五日 宝治元年六月七日 十一日条にも見える ( )前掲の 吾妻鏡 の交名に記された 自殺討死 した人々は百八名だが 上総秀胤追討以前の三浦氏一党の死者だけでも 宗たる輩 に限っても二百七十六人に及んだ( 吾妻鏡 宝治元年六月五日条)ことから考えて 交名は抄録と考えるべきだろう (高橋秀樹 宝治合戦記事の史料論 ( 三浦一族の研究 吉川弘文館 年))その意味で 吾妻鏡 に名が見えない上総秀綱の実在そのものは必ずしも否定できないが 交名自体は合戦後に作成された報告書などを素材としていると考えれば 神代本の記事によって時秀 政秀 泰秀に関する交名の記事を覆すことはできまい ( )延慶本 平家物語 巻九 二十 源氏三草山并一谷追落事 以下 延慶本 平家物語 は延慶本注釈の会編 延慶本平家物語全注釈 (汲古書院 年~)を参照した ( ) 吾妻鏡 宝治二年正月三日条 ( ) 香取神宮文書 九号文書 文書番号は千葉県史編纂審議会編 千葉県史料中世篇香取文書 (千葉県 年)に依った ( ) 中山法華経寺文書 号文書 なお 中山法華経寺文書 は 千葉県の歴史 巻 資料編中世 (県内文書 )(千葉県 年)に依り 文書番号は同書に従った ( )治承四年六月二十七日 十二月十二日 寿永元年七月十二日 文治元年十月二十四日 同四年三月十五日 同五年六月九日 八月十二日 二十五日 建久二年二月四日 同三年十一月二十五日 同四年正月一日 同五年八月八日 同六年三月十日の各条では 千葉 治承四年九月十三日 十七日 元暦元年二月五日 建久五年十月二十九日 十二月二十六日の各条では 東 とされており 終止混用されている ( ) 円福寺文書 正和二年四月二十五日付 関東下知状案 (海上町史編さん委員会編 海上町史 史料編 (原始 古代 中世 近世( ))海上町役場 年に所収 )に 橘庄号二東庄一 とある ( ) 法然上人行状画図 四十三 大日本史料五編四冊 安貞二年十月十二日の項に依った ( )ともに註( )海上町史編さん委員会編 海上町史 史料編 (原始 古代 中世 近世( ))所収 ( )野口実 中世東国武家社会における苗字の継承と再生産 吉川本 吾妻鏡 文治二年六月十一日条の 相馬介 をめぐって (同編 千葉氏の研究 名著出版 年 初出年)( )丸井敬司註( ) 千葉氏系図附幕之次第 ( 旧妙見寺文書 )と千葉氏について 論文 ( ) 櫟木文書 久安二年八月十日付下総国平常胤寄進状( 平安遺文 号) ( ) 令集解 巻九 戸令聴養条 新訂増補国史大系に依った ( ) 肥前河上神社文書 文治五年十一月日付橘成弘解案( 鎌倉遺文 号)など ( )高橋秀樹 在地領主層における中世的 家 の成立と展開 ( 日本中世の家と親族 吉川弘文館 年) ( )竹内利美 家族移動慣行の展望 ( 家族慣行と家制度 恒星社厚生閣 年) ただし 前註高橋秀樹論文では 家督相続にあたって実孫や実弟が養子となるのを義務づけられるようになるのは十四世紀に入って
16 からであるとする ( )野口実註( )論文 ( ) 源平闘諍録 巻五 五 権亮維盛於討手使東国下向事 ( ) 吾妻鏡 治承四年十月二十日条 ( )醍醐寺本 醍醐雑事記 巻七 八紙背久寿二年下総前権介平常澄解( 平安遺文 号) ( )ただし 四部合戦状本 平家物語 では 印南介常義 とする ( ) 鎌倉大日記 は弘常の誅殺を寿永二年十二月二十二日とする ( )ただし 鎌倉年代記 裏書は越中砺波山合戦 加賀藤早(篠原力)合戦 義仲 行家の入京 法住寺合戦など 寿永二年のできごとの記事に続けて弘常 能常誅殺の記事を載せていることから これは寿永二年の記事を取り違えたものと考えられる ほかの裏書の年号表記で 元年 はあっても 一年 と表記するものが無いことも 二年 の誤記 誤写であることの傍証になるだろう ただし 吾妻鏡 元暦元年正月十七日条で引用される弘常願文の日付は治承六()年=寿永元年の七月であり 誅殺事件までやや時期差があることや 寿永元年十二月三十日条に所領安堵の記事がある上総国御家人周西次郎助忠は 弘常が頼朝と合流する際に連れてきた軍勢に 周西 の輩が見える( 吾妻鏡 治承四年九月十九日条)ことから弘常の影響下にあった人物と思われ この安堵が弘常誅殺に関わるものであったとすると 弘常誅殺に関わる 吾妻鏡 の記事には年次の混乱がある可能性もある なお 鎌倉年代記 と前註の 鎌倉大日記 は増補続史料大成 鎌倉年代記 武家年代 鎌倉大日記 に依った ( ) 源平闘諍録 巻五 八 上総介与頼朝中違事 ( ) 吾妻鏡 寿永元年八月十一日条 ( ) 類聚三代格 巻五 天長三年九月六日付太政官符 新訂増補国史大系に依った ( )例えば 兵範記 保元元年七月二日条では上総介源資賢を 上総守 と表記する 兵範記 は 除目の引用記事などを除くと 親王任国の上総 上野 常陸の 介 を 守 と表記する例は多い なお 兵範記 は増補史料大成を参照した ( ) 吾妻鏡 元暦元年正月十七日条 ( )野口実註( )論文 ( ) 源平闘諍録 巻五 一 兵衛佐催坂東勢事 ( )野口実 吾妻鏡 における人名表記 両総平氏を素材として ( 中世東国武士団の研究 高科書店 年 初出年 )
17 9 >
18 胤朝木内下総守~
untitled
16 297 297 297 297 14 140 13 13 169 81 32 32 24 409 P48 P54 P56 P50 P52 2 3 4 5 6 7 8 9 11 12 13 14 15 みちしるべ 調べるほどに興味深い Q&A 上総国分寺 国分尼寺 Q 国分寺という地名は全国に多数ありますが どうしてなのですか A てんぴょう しょうむてんのう 国分寺は 天平13年(741)に聖武天皇が国情不安を鎮めるため
日本列島の 歴史 を記した 日本書紀 ~ (720 年 ) や 古事記 ~ 漢書 ~ ~ 三国 三国志 の編纂の方が古い ~ 後漢書 にも 1 世紀の列島を示した独自記事がある ~ 集安高句麗碑 ~ 求めたのである こうして 倭国王の名前と系譜などを知ることができる ~. 宋書 倭国伝には 宋 の古代史 ~ ~ 古事記 仁徳段 ) と歌っている 後の蕎城氏につながる氏族が 本拠地としていた可能性がある
見氏の勃興などあり 房総は戦乱の様相を呈するなかで 千葉氏の勢力は減退して わずかに後北条氏の後援のもとで命脈を保った かわって 千葉氏の重臣だった原氏 原氏の家老であった高城氏が勢力をもっていくが 当稿では原氏 高城氏が大きな勢力を持つ以前の鎌倉期 南北朝期の千葉氏に焦点をあてて その活躍の場を下
千葉氏と千葉 東葛 2012.01.22 1. はじめに ~ 千葉氏と下総地方 平安時代 関東では平将門の天慶の乱 平忠常の乱などの戦乱もあったが 領主として根を下ろし 武士団を形成した坂東平氏は着々と勢力を確立していった そのなかで 平忠常を祖とする千葉介常胤 上総介広常は 両総で勢力を伸ばし 平治の乱で源義朝が敗れた結果伊豆に流され そこを脱出した頼朝を庇護した 特に千葉介常胤は 治承 4 年
140110_千葉一族盛衰記.indd
佐倉市の城 といえば 歴史民俗博物館のある城址公園をまっさきに思い浮かべられる方が多いのではないかと思います もちろん 鹿島川を望む高台にあった佐倉城は 江戸幕府の重鎮たちが治める佐倉藩の城として 重要な役割を果たしたことは論を待ちません しかし その佐倉城からほんの2キロメートルほど離れた場所に 戦国時代下総の地を治めていた千葉一族が居城を構えていたことは 意外に知られていないのではないでしょうか
内 隣 家 む つ ま し く 法 筋 よ り 正 路 交 り 先 祖 名 跡 子 孫 養 裏 粕 屋 郡 触 次 西 光 寺 合 宗 旨 法 式 為 聴 聞 成 慥 は 方 角 宜 敷 寺 へ 参 詣 い た し 蒙 教 化 家 徒 中 教 化 筋 麁 抹 仕 間 敷 仍 て 請 印 形 指 上 已 上 弁 仕 旨 兼 被 示 尤 家 業 筋 障 時 分 は 家 内 隣 家 時 節 は 勿 論 農
目次 千葉市らしさ ( 都市アイデンティティ ) とは? 2 千葉市のルーツや魅力となる地域資源 3 千葉氏 4 加曽利貝塚 7 オオガハス 8 海辺 9 都市アイデンティティ戦略プラン 20 これからの取り組み 2
千葉市のルーツ ~ 千葉開府 890 年に向けて ~ 市長との対話会 20 年 月 目次 千葉市らしさ ( 都市アイデンティティ ) とは? 2 千葉市のルーツや魅力となる地域資源 3 千葉氏 4 加曽利貝塚 7 オオガハス 8 海辺 9 都市アイデンティティ戦略プラン 20 これからの取り組み 2 千葉市らしさ ( 都市アイデンティティ ) とは? 本市を取り巻く状況は 少子 超高齢社会人口減少都市間競争の激化
O-27567
そこに そこがあるのか? 自明性 (Obviousness) における固有性 (Inherency) と 機能的クレーム (Functional Claiming) 最近の判決において 連邦巡回裁判所は 当事者系レビューにおける電気ケーブルの製造を対象とする特許について その無効を支持した この支持は 特許審判部 (Patent and Trial and Appeal Board (PTAB))
<4D F736F F F696E74202D E696CA817A90E797748FED88FB82CC8CEA82E782EA95FB2E >
千葉常胤生誕九〇〇年記念平成29 年度千葉市 千葉大学公開市民講座於 千葉大学西千葉キャンパス平成三〇年二月三日(土)千葉常胤の語られ方 軍記物語の世界から千葉大学大学院人文科学研究院准教授久保勇1 徳島本千葉系図 (複製 千葉市立郷土博物館蔵) 本日の内容 開催案内から千葉常胤の伝記については 福田豊彦氏による 千葉常胤 (一九七三)によって広く知られるところです ただし そのすべてが史料によって構成されているわけではありません
PowerPoint プレゼンテーション
モンゴル襲来の授業開発 - 生徒の既有知のゆさぶりを視点に - M145889 辻本成貴 M142401 杠拓哉 小学校教科書にあるモンゴル襲来 御家人たちが命がけで戦う でも御恩をもらえた者はわずか 幕府に不満をもつ御家人が出る 鎌倉幕府は足利氏によって倒される 武士は 御恩と奉公の関係で成り立っていたが その関係が崩れると 幕府は成り立たない 御恩と奉公の崩壊 幕府の滅亡? 授業開発者の教材観
習う ということで 教育を受ける側の 意味合いになると思います また 教育者とした場合 その構造は 義 ( 案 ) では この考え方に基づき 教える ことと学ぶことはダイナミックな相互作用 と捉えています 教育する 者 となると思います 看護学教育の定義を これに当てはめると 教授学習過程する者 と
2015 年 11 月 24 日 看護学教育の定義 ( 案 ) に対するパブリックコメントの提出意見と回答 看護学教育制度委員会 2011 年から検討を重ねてきました 看護学教育の定義 について 今年 3 月から 5 月にかけて パブリックコメントを実施し 5 件のご意見を頂きました ご協力いただき ありがとうござい ました 看護学教育制度委員会からの回答と修正した 看護学教育の定義 をお知らせ致します
<4D F736F F D FCD81408FEE95F197CC88E682C68FEE95F18CB92E646F63>
8 章情報領域と情報源 78 8 章情報領域と情報源 本論では 情報領域による情報源に関して分析を行った 質問では 大きく ニュース 領域と 趣味 関心事 の二つの領域に分け それぞれ 6 領域にわけ情報源について質問した 8.1 節においては 6 つの ニュース 領域におけるそれぞれの情報源について分析し 内容をまとめる 8.1 ニュース 領域とその情報源 8.1.1 既存メディアの優勢 ニュース
301-312-324_本文2.indd
岩手県立博物館研究報告 第31号 2014年3月 日記 岩手県立図書館蔵 から知られている 奈良養斎日記 弘化二年八月六日条 一 烏山藩中粕谷永七 画名月嶺来也 実は鹿角花輪川口永八弟也 月嶺はこの時 粕谷姓を名乗っている 月嶺を永七 兄を永八と書いているが 栄七 栄八であろうか 養斎は現在の鹿角市尾去沢の出身で 月嶺の兄を知ってい るような書きぶりである 月嶺と養斎は後に親しく交際があったが そのことにつ
第 2 問 A インターネット上に掲載された料理レシピやその写真から料理の特徴の読み取りや推測を通じて, 平易な英語で書かれた短い説明文の概要や要点を捉える力や, 情報を事実と意見に整理する力を問う 問 1 6 イラストを参考にしながら, ネット上のレシピを読んで, その料理がどのような場合に向いて
英語 ( 筆記 [ リーディング ]), 及び等 第 1 問 A 簡単な語句や単純な文で書かれている交換留学生のお別れ会に関する伝言メモの情報の探し読みを通じて, 必要な情報を読み取る力を問う 問 1 1 コミュニケーション英語 Ⅰ 概要や要点をとらえたりする また, 聞き手に伝わるように問 2 2 音読する 英語の特徴やきまりに関する ( 句読法, 日常生活に関連した身近な掲示, カタログ, パンフレットなどから,
博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文
博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文 目次 はじめに第一章診断横断的なメタ認知モデルに関する研究動向 1. 診断横断的な観点から心理的症状のメカニズムを検討する重要性 2 2. 反復思考 (RNT) 研究の歴史的経緯 4 3. RNT の高まりを予測することが期待されるメタ認知モデル
IFRS基礎講座 IAS第37号 引当金、偶発負債及び偶発資産
IFRS 基礎講座 IAS 第 37 号 引当金 偶発負債及び偶発資産 のモジュールを始めます パート 1 では 引当金とその認識要件について解説します パート 2 では 引当金の測定を中心に解説します パート 3 では 偶発負債と偶発資産について解説します 引当金とは 時期または金額が不確実な負債をいいます 引当金は 決済時に必要とされる将来の支出の時期や金額が 不確実であるという点で 時期や金額が
高橋公明 明九辺人跡路程全図 神戸市立博物館 という地図がある 1663年に清で出版された地 図で アジア全域 ヨーロッパ さらにはアフリカまで描いている 系譜的には いわゆ る混一系世界図の子孫であることは明らかである 高橋 2010年 この地図では 海の なかに 日本国 と題する短冊形の囲みがあ
テキストのなかの明州 高 橋 公 明 1 地図にひかれた2本の線 清国十六省之図 図1 という地図が名古屋市の蓬左文庫にある 中国製の地図を基本にして 朝鮮半島や日本列島を充実させて 1681年 延宝9 に日 本で木版印刷されたものである すでに江戸幕府は日本人が中国へ行くことを禁じていた 時代にあたる この地図のなかで目につく特徴の一つは 海のなかに2本の赤い線が引い てあることである いずれも東西に引かれており
景品の換金行為と「三店方式」について
景品の換金行為と 三店方式 について 1 景品の換金が行われる背景と法令の規定について 2 三店方式 の歴史について 3 三店方式 を構成する3つの要素について 4 三店方式 に関する行政の見解について 5 三店方式 に関する裁判所の見解について 6 三店方式 とパチンコ店の営業について 株式会社大商姫路 - 1 - 1 景品の換金が行われる背景と法令の規定についてパチンコは 遊技客が 遊技機で遊技した結果獲得した玉
<4D F736F F D E937893FC8A778E8E8CB196E291E8>
博士前期課程第 1 期入学試験問題 小論文 2017 年 1 月 21 日 ( 土 ) 実施 問題 A~L のうち 2 問を選択し 答えなさい 問題 A 現在の日本の学校教育で行われている教育活動の具体例を挙げ その成立背景 歴史的変遷を概観した上で 今日的な課題を論じなさい その際 各種の学校段階のいずれかを想定して論じること 問題 B 次期学習指導要領が目指す教育の方向性について 中央教育審議会の提言のキーワードを二つ以上挙げて論じなさい
ジットカード発行会社が交付したカードを提示してその国外居住親族が商品等を購入したこと等により その商品等の購入等の代金に相当する額の金銭をその居住者から受領した 又は受領することとなることを明らかにする書類 注意事項 1 送金関係書類については 原本に限らずその写しも送金関係書類として取り扱うことが
国外居住親族に係る扶養控除等の適用について 平成 27 年 9 月 ( 平成 30 年 1 月改訂 ) 国税庁 給与等又は公的年金等の源泉徴収及び給与等の年末調整において 非居住者である親族 ( 以下 国外居住親族 といいます ) に係る扶養控除 配偶者控除 障害者控除又は配偶者特別控除 ( 以下 扶養控除等 といいます ) の適用を受ける居住者は その国外居住親族に係る 親族関係書類 や 送金関係書類
HORIOKA_33708.pdf
佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第44号 2016年3月) まず 十七世紀後半に刊行された大阪近郊の地図よりみてみたい 貞享四年 1687 に刊行 された 新 増補大坂大絵図 には四天王寺北東の位置に不明瞭ではあるが みこまち と読 み取ることができる 図1 ではこうした図版に神子町はいつ頃から登場してくるのか 現 在 大阪市立図書館にて被見可能である 近世大坂地図集成(15) その他披見できた十八世紀
03genjyo_快適環境.xls
< 下 野 市 ホームページ 市 の 概 況 より> < 下 野 市 文 化 財 マップ しもつけシティーガイド 下 野 市 都 市 計 画 マスタープランより> 指 定 文 化 財 下 野 文 化 財 件 数 内 訳 ( 平 成 21 年 3 月 31 日 現 在 ) 有 形 文 化 財 無 形 文 化 財 民 俗 文 化 財 記 念 物 建 造 物 絵 画 彫 刻 工 芸 品 書 跡 古 文 書
3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 上 代 Nara Period 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 中 古 Heian Period 57 58 59 60 61 62 63 64
第 2 問問題のねらい青年期と自己の形成の課題について, アイデンティティや防衛機制に関する概念や理論等を活用して, 進路決定や日常生活の葛藤について考察する力を問うとともに, 日本及び世界の宗教や文化をとらえる上で大切な知識や考え方についての理解を問う ( 夏休みの課題として複数のテーマについて調
現代社会 問題のねらい, 及び小問 ( 速報値 ) 等 第 1 問問題のねらい 功利主義 や 正義論 に関して要約した文書を資料として示し, それぞれの基盤となる考え方についての理解や, その考え方が実際の政策や制度にどう反映されているかについて考察する力を問うとともに, 選択肢として与えられた命題について, 合理的な 推論 かどうか判断する力を問う ( 年度当初に行われる授業の場面を設定 ) 問
1. 主な新機能 1 2 新機能 一つの相続関係から 遺産分割の割合ごとに 複数の相続関係説明図を自動で作成できます 相続データをコピーし 被相続人を他の相続関係者に変更した相続関係説明図を作成することができます 項番 財産ごとに記載する遺産分割協議書も作成できます 25 4 法定相
相続関連書類作成システムをご利用のみなさまへ 相続財産管理システム ( 新相続 ) のご案内 ( サムポローニア 8 8CLOUD) 2018.10 版 ここでは 新システム 相続財産管理システム ( 新相続 ) の操作方法について 従来の 相続関連書類作成システム との相違点を中心に説明します 項番 項目名 参照ページ 1 主な新機能 2ページ 2 新機能に伴う主な変更点 2ページ 3 相続財産管理システム
協 議 会 事 務 局 長 民 生 委 員 協 議 会 会 長 身 体 障 害 者 協 議 会 会 長 老 人 クラブ 連 合 会 会 長 ( 平 成 25 年 6 月 1 日 現 在 ) 母 子 寡 婦 福 祉 会 会 長 手 をつなぐ 育 成 会 会 長 中 馬 惠 雄 元 野 濱 子 里 島
市 町 村 社 会 福 祉 市 町 村 長 福 祉 主 管 課 課 ( 所 ) 長 名 称 所 在 地 郵 便 番 号 電 話 番 号 会 長 福 祉 事 務 所 重 田 久 夫 福 祉 政 策 課 重 山 納 奄 美 市 幸 町 894-8555 52-1111 朝 山 毅 前 田 篤 夫 保 護 課 中 元 幸 立 高 齢 者 福 祉 課 泉 賢 一 郎 大 和 村 大 和 浜 894-3105
簿記教育における習熟度別クラス編成 簿記教育における習熟度別クラス編成 濱田峰子 要旨 近年 学生の多様化に伴い きめ細やかな個別対応や対話型授業が可能な少人数の習熟度別クラス編成の重要性が増している そのため 本学では入学時にプレイスメントテストを実施し 国語 数学 英語の 3 教科については習熟
濱田峰子 要旨 近年 学生の多様化に伴い きめ細やかな個別対応や対話型授業が可能な少人数の習熟度別クラス編成の重要性が増している そのため 本学では入学時にプレイスメントテストを実施し 国語 数学 英語の 3 教科については習熟度別クラス編成を実施している 本稿では さらにの導入へ向けて 既存のプレイスメントテストを活用したクラス編成の可能性について検討した 3 教科に関するプレイスメントテストの偏差値を説明変数
表紙
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 設立 35 周年記念講演会 シンポジウム やまとごころとからざえ 和魂漢才 京都 東アジア 考古学 ʩ 1 テーマ 和魂漢才 京都 東アジア交流考古学 2 日 時 平成 27 年 11 月 29 日 日 12:30 16:30 3 主 催 京都府教育委員会 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 4 後 援 向日市教育委員会 5 会 場 向日市民会館
猪俣佳瑞美.indd
3 1978 25-220 6 1 1971 1972 706 654-684 1974 1 1982, p71 1982 71-73 2 2014 7-8 31 34 20 32 34 16 630 630 710 702 2007 p170 150 833 850 3 4 2 40 40 20 3 1982, p21 4 2010, p300 5 6 7 8 5 19 1972, p593 6
1 等郵送交付申請書 B 氏名五島花子印 本人 配偶者 子 父母 孫 その他 ( ) 必ずご記入ください 連絡がとれない場合はそのまま返送する場合があります 本 長崎県五島市武家屋敷町一丁目 1 番地 必要なもの謄本 ( に記載のある方全員 ) 抄本 ( 必要な方のみ抜き出したもの ) 改製原 (
下記の請求にあてはまる場合は 該当番号の記載例を参考に請求書を記入してく ださい 該当する請求内容をクリックしてください 謄本 1 婚姻届や転届に添付するために 謄本を請求する場合 抄本 2 パスポート申請のために 抄本を請求する場合 3 4 5 のために 配偶者の出生から死亡までの一連のを請求する場合 年金等の手続きで と の関係が分かるを請求する場合 のため 直系尊属 ( 祖父母 父母 ) 直系卑属
★リーダーの学習指導案(26道場・小社3班)(西山 智)
1 単元名 武士の世の中 小学校第 6 学年社会科学習指導案日時平成 26 年月日 ( ) 第校時 : ~ : 対象第 6 学年 組 名学校名 小学校授業者職 氏名会場 階 ( 組 ) 教室 2 単元の目標源平の戦い 鎌倉幕府の始まり 元 との戦いを調べることを通して 源頼朝が幕府を開き 武士による政治が始まったことが分かる 3 単元の評価規準ア社会的事象への関心 意欲 態度 1 源平の戦い 鎌倉幕府の始まり
博士学位論文審査報告書
2 氏 名 RANADIREKSA, Dinda Gayatri 学 位 の 種 類博士 ( 文学 ) 報 告 番 号甲第 377 号 学位授与年月日 2014 年 9 月 19 日 学位授与の要件 学位規則 ( 昭和 28 年 4 月 1 日文部省令第 9 号 ) 第 4 条第 1 項該当 学位論文題目複合辞に関する研究 審 査 委 員 ( 主査 ) 沖森卓也加藤睦阿久津智 ( 拓殖大学外国語学部教授
日本語「~ておく」の用法について
論文要旨 日本語 ~ ておく の用法について 全体構造及び意味構造を中心に 4D502 徐梓競 第一章はじめに研究背景 目的 方法本論文は 一見単純に見られる ~ておく の用法に関して その複雑な用法とその全体構造 及び意味構造について分析 考察を行ったものである 研究方法としては 各種辞書 文法辞典 参考書 教科書 先行研究として ~ておく の用法についてどのようなもの挙げ どのようにまとめているかをできる得る限り詳細に
なぜ社会的責任が重要なのか
ISO 26000 を理解する 目次 ISO 26000-その要旨... 1 なぜ社会的責任が重要なのか?... 1 ISO 26000 の実施による利点は何か?... 2 誰が ISO 26000 の便益を享受し それはどのようにして享受するのか?... 2 認証用ではない... 3 ISO 26000 には何が規定されているのか?... 3 どのように ISO 26000 を実施したらいいか?...
全 仏 第3種郵便物認可 1990年6月1日 黙 大正大学助教援 多 田孝 科学的な仏教学が創設されていった が 一貫し というもの それぞれのグループが持つ悩み 置かれ 大乗仏教の諸経典は成立過程において はない 時に 同グループからできて来たもので 典は中国語化され しかも同一人物であ 中国には一度に花開く様に入って来た経 訳される事になってしまったのである 紀元五世紀に渡来した鳩摩羅什の翻訳
Microsoft Word - 中世武家礼法における中国古典礼書の影響.doc
中世武家礼法における中国古典礼書の影響 Influences of Chinese classical manners texts on Japanese samurai manners in the Medieval Period. 山根一郎 2 1. 問 題 本研究は 我が国室町期に大成した 武家礼法 という作法体 作法の構造的集合体 の作法学的構 造分析の準備として 武家礼法とその形成の根拠となったと思われる中国古典礼書との作法素
KOBAYASI_28896.pdf
80 佛教大学 合研究所紀要 第22号 状況と一致していない 当地の歴 を幕末期に って 慶応4 1868 年に刊行された 改正 京町御絵図細見大成 を見ると 寺町通の東側に妙満寺 本能寺 誓願寺 歓喜光寺 金 寺といった大規模な寺院境内地が連続し 誓願寺以南では寺町通の東を走る裏寺町通の両側に 小規模な寺院境内地が展開しており 寺町と呼ばれた理由が良く かる 図1 図1 慶応4 1868 年の 寺町
<90C28E5293AF918B89EF30382E30372E696E6464>
同 窓 報 ご 挨 拶 同 窓 長 長 谷 川 義 明 61 回 同 窓 報 こ ん な 学 校 に 学 校 長 大 滝 祐 幸 校 長 退 任 挨 拶 前 学 校 長 小 林 崔 同 窓 報 心 鏡 P T A 長 大 野 茂 85 回 平 成 20 年 同 窓 新 年 報 告 渋 谷 聡 88 回 東 京 同 窓 二 〇 〇 八 新 人 歓 迎 講 演 現 職 員 横 堀 真 弓 91 回 同
ピタリ7号_表紙.eps
vol.07 2012 July 菊田 裕樹さん 息子 誕生 1991年 H3 藤嶋 賢斗さん 息子 誕生 1997年 H9 1999年 H 1981年 S56 藤嶋 秀和さん 父 卒業 菊田 充彦さん 父 卒業 目 標に出 会 うため 父の母 校 大 商 大へ いかがはっきり と 定 まっていな 高 校 時 代 大 学で 何 をした たいで す ね と 卒 業 ま で の ビ な 範 囲でたく さんの経
内部統制ガイドラインについて 資料
内部統制ガイドラインについて 資料 内部統制ガイドライン ( 案 ) のフレーム (Ⅲ)( 再掲 ) Ⅲ 内部統制体制の整備 1 全庁的な体制の整備 2 内部統制の PDCA サイクル 内部統制推進部局 各部局 方針の策定 公表 主要リスクを基に団体における取組の方針を設定 全庁的な体制や作業のよりどころとなる決まりを決定し 文書化 議会や住民等に対する説明責任として公表 統制環境 全庁的な体制の整備
せ ず 素 稿 以 外 訓 み を す べ て カ ラ 見 出 シ と し た 一 二 頚 印 を 必 ず 連 用 す る 場 合 不 期 身 後 京 山 蔵 よ う に し て 掲 出 し 三 思 山 蔵 を も 別 に 立 て カ ラ 見 出 シ と し た 一 所 蔵 者 名 は 通 称 雅
近 時 蔵 書 印 譜 類 重 刊 復 刻 が 続 い た 蔵 書 印 は 伝 来 を 証 す る い わ ば 書 籍 履 歴 書 で あ る 印 譜 類 が 座 右 に 備 わ る こ と に よ っ て 書 物 来 歴 解 明 に 便 宜 が 与 え ら れ た こ と 言 う ま で も な い し か し 凡 蔵 書 印 譜 に は 印 影 収 集 印 文 解 読 所 蔵 ( 使 用 ) 者
kisso-VOL60
Vol.60 2006 AUTUMN TALK&TALK 高 九 二 四 m そ び え そ 南 多 く 渓 流 集 め 麓 生 中 央 流 る 杭 瀬 名 高 米 じ め イ チ ゴ タ 茶 美 濃 び 茶 生 産 平 坦 地 麓 県 下 も 有 数 良 質 流 支 流 粕 平 野 部 中 心 展 開 時 代 高 畑 遺 跡 深 谷 遺 跡 ど 適 麓 分 布 弥 生 遺 跡 ど 多 数 あ り
紀要6.indd
松崎遺跡から南に約3 隔てた砂堆上に知 多市法海寺遺跡がある 図5 法海寺遺跡で は5世紀後半のマガキ ハマグリを主体とする 貝層から 鞴羽口2点 鉄滓 骨鏃や刀子など の骨角製品 加工段階の骨角製品 骨角素材が 出土した 他に鉄鏃2点などの鉄製品も出土し て い る 図 6-1 10 法 海 寺 遺 跡 は 東 山 111 号窯期を主体とする初期須恵器 図6-11 17 も多く 加えて韓式系土器に系譜する
国民年金法による改定率の改定等に関する政令
国民年金法による改定率の改定等に関する政令 国民年金法施行令等の一部を改正する政令 平成 17 年 3 月 30 日政令第 92 号 平成 23 年 3 月 31 日政令第 81 号 - 本則 - 改正前 施行日 : 平成 23 年 4 月 1 日 ( 平成二十二年度における国民年金法第二十七条に規定する改定率の改定 ) 第一条平成二十二年度における国民年金法第二十七条に規定する改定率は 〇 九九二とする
エクセル版家系図作成ソフト「我家の記録」R2の利用方法
エクセル版家系図作成ソフト E の記録 株式会社ひかりコンサルティング 本資料は マイクロソフト社の Microsoft Office Excel 2007/2010/2013 上で動作する家系図作成ソフト E の記録 の利用法を解説するものです Microsoft Office Excel 2007 以前のエクセル ( Excel97 Excel2000 Excel2002 Excel2003)
横09_西村俊範.smd
1200 1 1 17 18 2 17 83 1 11 1698 2 1 18 3 2 4 1763 5 1764 13 5 1768 7 1770 2 19 6 1760 10 7 30 84 笠森お仙と隠元薬罐 様子は舞台背景でしかない 当然茶の状況を知る手掛かりとしては断片的 であるが 浮世絵の内容を総合的 集積的に検討して当時の庶民の茶のあ り様を見る手掛かりとして活用してみたい どの絵も茶屋
測量士補 重要事項「標準偏差」
標準偏差 < 試験合格へのポイント > 士補試験における標準偏差に関する問題は 平成元年が最後の出題となっており それ以来 0 年間に渡って出題された形跡がない このため 受験対策本の中には標準偏差に関して 触れることすら無くなっている物もあるのが現状である しかし平成 0 年度試験において 再び出題が確認されたため ここに解説し過去に出題された問題について触れてみる 標準偏差に関する問題は 基本的にはその公式に当てはめて解けば良いため
厚生労働科学研究費補助金 (地域健康危機管理研究事業)
平成 23 年度厚生労働科学研究費補助金循環器疾患 糖尿病等生活習慣病対策総合研究事業循環器疾患等の救命率向上に資する効果的な救急蘇生法の普及啓発に関する研究 (H21- 心筋 - 一般 -001) ( 研究代表者丸川征四郎 ) 平成 23 年度研究報告 研究課題 A AED の普及状況に係わる研究 研究分担者近藤久禎国立病院機構災害医療センター臨床研究部政策医療企画研究室長 平成 24(2012)
1. 主な新機能 1 2 新機能 一つの相続関係から 遺産分割の割合ごとに 複数の相続関係説明図を自動で作成できます 相続データをコピーし 被相続人を他の相続関係者に変更した相続関係説明図を作成することができます 項番 財産ごとに記載する遺産分割協議書も作成できます 25 4 法定相
相続関連書類作成システムをご利用のみなさまへ 相続財産管理システム ( 新相続 ) のご案内 ( サムポローニア 8 8CLOUD) 2017.6 版 ここでは 新システム 相続財産管理システム ( 新相続 ) の操作方法について 従来の 相続関連書類作成システム との相違点を中心に説明します 項番 項目名 参照ページ 1 主な新機能 2ページ 2 新機能に伴う主な変更点 2ページ 3 相続財産管理システム
厚生労働科学研究費補助金(循環器疾患等生活習慣病対策総合研究事業)
厚生労働科学研究費補助金 ( 循環器疾患 糖尿病等生活習慣病対策総合研究事業 ) 分担研究報告書 健康寿命の全国推移の算定 評価に関する研究 評価方法の作成と適用の試み 研究分担者橋本修二藤田保健衛生大学医学部衛生学講座 教授 研究要旨健康寿命の推移について 平均寿命の増加分を上回る健康寿命の増加 ( 健康日本 21( 第二次 ) の目標 ) の達成状況の評価方法を開発 提案することを目的とした 本年度は
<4D6963726F736F667420576F7264202D208DE3905F8D8291AC8B5A8CA48A948EAE89EF8ED0208BC696B18BA492CA8E64976C8F91816995BD90AC3237944E378C8E89FC92F994C5816A>
第 1 編 共 通 業 務 共 通 仕 様 書 平 成 27 年 7 月 第 1 章 一 般 1.1 目 的 業 務 共 通 仕 様 書 ( 以 下 技 研 仕 様 書 という )は 阪 神 高 速 技 研 株 式 会 社 ( 以 下 会 社 という )が 発 注 する 調 査 検 討 資 料 作 成 設 計 補 助 測 量 作 業 その 他 こ れらに 類 する 業 務 に 係 る 業 務 請 負
015-028_ŁyàV†E“²fi¡
532011 1528 Tomizawa KazuhiroSato Yuta 22 1560 11 高崎経済大学論集 第53巻 第4号 2011 参考 制札一覧表の一部 参考 地域別一覧表の一部 愛知県史 資料編10中世3 愛知県 平成21年3月 愛知県史編さん委員会 愛知県史 資料編 11織豊1 愛知県 平成15年3月 今川氏文書の集大成であり 現在天文15年 1546 まで編纂さ れている久保田昌希
Microsoft Word - T2-11-1_紙上Live_生計維持_13分_
生計維持関係の認定基準及び認定の取扱い1 今回は 生計維持 生計同一関係の認定基準および認定の取扱いについて見ていきましょう 最初に 遺族基礎年金を例にして 国民年金法ではどのように規定されているかから始めます 法第 37 条の2 第 1 項には 遺族基礎年金を受けることができる配偶者または子は 被保険者または被保険者であった者の配偶者または子であって 被保険者または被保険者であった者の死亡の当時その者によって生計を維持し
1 アルゼンチン産業財産権庁 (INPI) への特許審査ハイウェイ試行プログラム (PPH) 申請に 係る要件及び手続 Ⅰ. 背景 上記組織の代表者は
1 アルゼンチン産業財産権庁 (INPI) への特許審査ハイウェイ試行プログラム (PPH) 申請に 係る要件及び手続 -------------------------------------------------------------------------- Ⅰ. 背景 上記組織の代表者は 2016 年 10 月 5 日 ジュネーブにおいて署名された 特許審査手続における協力意向に係る共同声明
0900167 立命館大学様‐災害10号/★トップ‐目次
22 西山 第2表 被害程度 昭仁 小松原 琢 被害状況と被害程度 被害状況 気象庁震度階級 大 建造物の倒壊が明らかに認められるもの もしくは倒壊数が多いもの 中 小規模な建造物に倒壊はあるが 大規模な建造物に倒壊が認められないもの 小 建造物に破損が認められるもの 史料記述の信憑性 震度 5 強 6 弱程度 震度 4 5 弱程度 震度階級については以下の文献を参照した 宇佐美龍夫 歴史地震事始
KIDERA_51917.pdf
カラマーゾフの兄弟 24 における国家と教会の問題 カラマーゾフの兄弟 で フョードルの殺害という事件 本も読んだことがなさそうな 百姓 同然の人々である に際して イヴァン ドミートリーが実際の犯人ではな ことが書かれている ドミートリーに陪審員たちによる いにもかかわらず罪の意識を持ち 罪はイヴァンが負う 有罪判決が下ったときには 傍聴人たちの間から 百姓 べきものであると主張したはずのスメルジャコフも自殺
Exploring the Art of Vocabulary Learning Strategies: A Closer Look at Japanese EFL University Students A Dissertation Submitted t
Exploring the Art of Vocabulary Learning Strategies: A Closer Look at Japanese EFL University Students MIZUMOTO, Atsushi Graduate School of Foreign Language Education and Research, Kansai University, Osaka,
