出 摂津高槻在東氏所蔵の切支丹遺物 京都帝國 研究 例 会 報 告 発表要旨 大學文學部考古學研究報告 京都帝國大學發行 第一回 二〇一七年五月十七日 恵崎麻美 非常勤研究員 銅版天使讃仰 大正十一年 十二年 図版第六に 口語聖書 における小磯良平の挿絵の特徴につ 図 として掲載された パリやウィー

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1 目 巻頭言 次 沈国威 頁 頁 頁 24 学 研 究 例 会 報 告 報 59 治二〇年 一八八七 代に入り 学術用語の整備 が一段落したのち 科学叙述の枠組みを支える叙 述語に在来の和語と同義の二字動詞 サ変動詞 形容詞 形容動詞 を用意することが日程に上っ てくる 叙述語の整備はまた言文一致の実現にと っても避けて通らない問題である 二字語の確保 に日本人が自ら作成する つまり和製漢語は一つ の方法であるが 中国の典籍から借用するほうが より簡便であるので借用のケースが多いが 漢籍 語 か ら 日 本 の 近 代 語 へ の 成 長 過 程 を 捉 え る に は 意味用法の記述だけではなく 使用頻度の経時的 変化も調査しなければならない しかしこれも手 作業では絶望的である わたしはいまゼミの大学 院生の協力を得ながら 三 〇〇〇語規模の二字 語の使用頻度について調査を実施しているところ である 近代中国の文献資料を収めたコーパスが あってこそ可能な取り組みである デジタル化された文献を利用することにより これまでに 時間 労力の面でできなかったこと を いとも簡単にやってのけた しかし 方法と してのデジタル化について 絶えず新しい利用法 の探索とデジタルリソースの限界を知ることは大 事であろう 研究の本質は 思考である それが人間の脳以 外ではまだできない 彙 2 大 二〇一八年 平成三十年 六月一日発行 国 威 編集発行人 沈 発 行 所 関西大学東西学術研究所 吹田市山手町三丁目三番三五号 電話 〇六 六三六八 〇六五三 FAX 〇 六 六三三九 七七二一 1 25 西 国威 関 デジタル時代の人文学研究 沈 IoTという語を目にすることが増えてきた の 略 で I o T と は 英 語 Internet of Things 様 々 な モ ノ 物 が イ ン ター ネッ ト に 接 続 さ れ 情報交換することにより相互に制御する仕組 みである つまり すべてのものは ネットに繋 がるということである ネットに繋がる電気ポッ トから一人暮らしの親の状況が分かり トースタ ーまでネットに繋がれば 美味しい焦げ加減が自 動的に実現される IoTによって生活が一変す ることは 容易に想像できよう ところで もし 人文学の研究対象が もれなくデジタル化され ネットに繋がるとなれば 研究自体は どのよう に変容するだろうか まず脳裏に浮かぶのは書籍の電子化とそれに対 する検索であろう 大規模なコーパスは その実 現形である 収録データ量一〇〇億字以上と唱え る漢籍等のコーパスは 中国で有料 無料の形で 公開されており 語彙研究 辞書編纂から 歴史 をめぐる諸研究まで広く利用されている わたし も参与した台湾政治大学の研究チームは 大規模 なデータベース 中国近現代思想及文学史専業数 第九十三号 據庫 一八三〇 一九三〇 を構築し 近代思想 史 概念史の研究に応用しようとしている 用語 検索により近代キーワードの語誌記述に威力を発 揮した そしていまは新しい研究手法を模索中で ある キーワードは 概念のネットワークのノー に位置し 他の語とリンクされている ド node 例えば 国家 という概念を支えているのは 国 土 国民 政府 憲法 などであるから あ る文献 或いは文献群において高い相関関係で一 緒に使用されることが予想されるが 果たしてど うであるのか キーワードを中心とした概念のネ ットワークのあり方は 新しい風景を見せてくれ るであろうという発想は 手作業による実現では 大きな困難を伴うが データベースでは容易に結 果が得られる つい先日 台湾中央研究院近代史研究所の黃克 武氏は 歴史研究における日記の史料性について 興味深い講演をした 日記は個人の日常を中心に 構築された記憶である これを史料として使用す るには 当時の文脈に戻す必要があり 公刊され た日記に 人名 地名 事件名に関して大量の注 釈が施された所以である もしデジタル環境で専 門家の手によって写真 文字情報までハイパーリン クされたら 史料的価値が飛躍的に高まるであろう 最後に筆者が最近行った研究を例に見よう 明 東西学術研究所々報 1 第九十三号

2 出 摂津高槻在東氏所蔵の切支丹遺物 京都帝國 研究 例 会 報 告 発表要旨 大學文學部考古學研究報告 京都帝國大學發行 第一回 二〇一七年五月十七日 恵崎麻美 非常勤研究員 銅版天使讃仰 大正十一年 十二年 図版第六に 口語聖書 における小磯良平の挿絵の特徴につ 図 として掲載された パリやウィーンに残る類 いて 似シリーズと比較した浅野ひとみは 天使讃仰図 比較信仰文化研究班 一 本発表では 画家小磯良平 一九〇三 一九八 銅版画 という呼称に疑義を呈している 実際 主幹 新谷英治 八 が 日本聖書協会からの依頼を受けて制作し ここに描かれている人物は天使ではなく 主禱文 た 口語聖書 日本聖書協会 一九七一年 挿絵 にある七祈願に七秘跡と七美徳とが組み合わされ 概要 の特徴について考察を行った た 抽象的な内容を表す擬人像であることがわか 本研究班は日本および世界の様々な 祈りの場 具体的には 挿絵制作に関する小磯の言葉を参 る このような内容が強調されたのは 十六世紀 の様相とその役割 意義を検討することにより人々 考にしながら 完成作を下絵と比較して見ること の宗教改革後のカトリック側からの対抗意識に基 の 祈り に見られる普遍性と個別性を探ろうと によって その変更点や手法を明らかにし 制作 づくものだと思われる 試みている 今回は次のとおり 日本におけるキ 過程における画家の意図や関心について分析した リスト教理解のあり方と南アジアにおけるヒンド その上で 彼の所蔵したキリスト教関係の書物に 野間晴雄 研究員 ゥー教信仰のあり方を中心テーマに四名が研究発 登場する西洋美術作品との比較を行うことによっ ロトンラル チャクラボルティ 招へい研究員 表を行い それらを受けて質疑応答 討論を行っ て 聖書 のテキストと宗教絵画の知識やイメー インド バングラデシュにおけるヒンドゥー教の た ジを念頭に置きながらも 画家の視点から 聖書 聖地 Hindu Sacred Places of India and の物語や場面を描くために必要なモティーフや構 Bangladesh 宗教は一年という通常の時間のなかに聖なる時 恵崎麻美 非常勤研究員 図 色彩表現を工夫し 構図や表現の検討を重ね 口語聖書 における小磯良平の挿絵の特徴 ていたことを指摘したのである 間を生み出すのみならず 空間のなかにも特別の について 以上のように 小磯の制作の意図や視点を探る 聖なる場所を見出す それは自然美に優れた場所 蜷川順子 研究員 ことにより 口語聖書 における挿絵の特徴の抽 や 特 別 の パ ワー ス ポッ ト 洞 窟 山 川 な ど の 茨木市の天使讃仰図にみる祈り ほか 歴史上における重要な宗教的イベントの場 出を目指した ロトンラル チャクラボルティ 東西学術研究 所が聖地となる場合も多い ヒンドゥー教の聖地 所招へい研究員 元ダッカ大学教授 としては クリシュナ神の誕生地などもあげられ 蜷川順子 研究員 野間晴雄 研究員 共同発表 る しかしヒンドゥー教は一宗教というよりも一 茨木市の天使讃仰図にみる祈り インド バングラデシュにおけるヒンドゥー 茨木市文化財資料館に保管されている 天使讃 つのコミュニティ アイデンティティとしての性 教の聖地 Hindu Sacred Places of India and仰図銅版画 では 天使のように羽をはやした人 格が濃厚である 原初的なヒンドゥー教では 仏 物が天に祈りを捧げるように描かれている 本発 教のように寺院が重要な役割を果たさず 寺院の Bangladesh 表ではここに描かれた祈りの意味について考察し 記録 史料も多くはない 都市化の進展のなかで た 八枚のうち五枚が現存するこのシリーズは 寺院の重要性が仏教からヒントを得て増していっ 一九一九年にキリシタン研究家藤波大超によって た側面がヒンドゥー教には強い ガンジス中流の 千提寺周辺で発見された遺物の一つであり 新村 最も著名な聖地であるヴァラーナーシーも 個々 第九十三号 2

3 の寺院の役割は二義的にすぎず 聖なる川ガンジ かを王国維 太田辰夫 裘錫圭などの著述から引 近似による混同使用の実際を明らかに解説してい スを沐浴する経験こそが人々の信仰と中心となっ 用 そのうえで北京大学所蔵の西漢竹書 倉頡篇 ただいた ている を取り上げ 従来の校訂に関わるいくつかの問題 以上の四つの異文の検討から 写経資料を通し 本報告では インドではガンジス流域の源流に について検討を加えていただいた 同音音通字に て行う仏典研究が今後しっかりと取り組む価値の 近いヒマラヤ山中のシャンクラチャヤ寺院 ジャ 関する問題の一つとして 嬰但 の例を挙げ 但 ある分野であると強調しご講演をまとめられた ムカシミール州 スリ ベカンテスワー タ 寺 院 は 撣 であり 提持 の意味であることを検証 発表要旨 アンドラプラデシュ州 をはじめ 南インドのメ された また 釈義に関しては多くの傍証を引い 山本孝子 非常勤研究員 ナキシュ寺院 タミルナドゥ州 シヴァ神で著名 て詳細にその意味を解釈すべきであるとして なソムナト寺院 グジャラート州 エローラ石窟 悍 巧亟 按 の三例を挙げて その意味を 五杉練若新学備用 巻中 論書題高下 に見え マディアプラデシュ州 ジャグナタ寺院 オリ 再検討してくださった これらの例を通じて 出 る待遇表現について ッサ州 などを バングラデシュではダッカのダ 土文献資料の解読がいかに重要かつ困難であるか 五杉練若新学備用 巻中には僧侶に関わる吉凶 さまざまな手紙の文例が収録されるが 論書題高 レシュワリ寺院をとりあげ スライドを提示しな を再認識しご講演を終えられた 下 では吉儀の手紙について 文例そのものや文 がら その立地 信仰する神 建築史 意匠 美 王雲路 浙江大學教授 中古佛經寫本與刻本比較 例に附される個別の注釈ではわかりにくい内容 術などについて詳細に解説した 漫議 あるいは手紙全般に関わる作法などの説明がなさ 今回の講演では 中本起経 出曜経 の二経を れている これは 敦煌発見の書儀で 凡例 と 取り上げ 敦煌寫巻と比較することが伝世の刻本 呼ばれる部分に相当する 本発表では 駒澤大学 の研究 校勘にいかに有効に資するかを具体例を 所蔵朝鮮刊本 五杉練若新学備用 巻中 論書題 第二回 二〇一七年六月三日 挙げて示してくださった まずロシア藏敦煌寫巻 高下 に見える待遇表現について 敦煌発見の書 中本起経 の 我用母人 を取り上げ 上海図書 儀と比較しつつ考察を加えた その結果 僧俗の 非典籍出土資料研究班 一 館藏敦煌寫巻および 中華藏 が同じく 母人 別 出家者に対する用語の制約などにはあまり触 主幹 玄 幸子 とするのに対して 大正藏 では 女人 と作っ れられておらず 敦煌発見の書儀に見える俗人の ていることを紹介し 敦煌寫巻の出現状況を確認 場合と同様に 主に尊卑を基準とした非対称な待 概要 した結果 母人 女人 が混在しているのに対 遇表現が用いられていることが確認できた 浙江大学の方一新 王雲路両教授を招き講演を し 刻本の 中華藏 ではすべて 母人 大正 していただいた そのあと本研究班非常勤研究員 藏 ではすべて 女人 となっていることを指摘 の山本孝子氏が研究発表を行った 講演内容を紹 された これは 写本には 母人 女人 が混在 介すると次のとおりである する実際の言語状況が反映されているのに対し 刻本では整理統一する意識が働いたことを明確に 方一新 浙江大学教授 出土文獻與傳世文獻互證 示していると検証されたものである 讀北大簡 倉頡篇 さらに 將來 持來 では語彙出現の時代差 第一次資料としての出土文献の重要性を説き を検証され また 興工立德 など四字成語の固 伝世文献の研究および解読に如何に有効に資する 定的な書写方法を考証 直可 宜可 では字形 3 第九十三号

4 第三回 二〇一七年六月三日 言語接触研究班 一 概要 奥村佳代子 始 を総合テーマとして開催されたが 報告者は 第四回 二〇一七年六月十六日 再論 華英通用雑話 と題して発表を行った 言語接触研究班 二 清末の中国における英語学習について ごく初 華英通語 をめぐって 期の 紅毛雑話 類のピジン英語から始めて 当 時極めて科学的に記述された英国人外交官ロバー 清末英語事始 ト トームの 華英通用雑話 の英語学習史上の 主幹 沈 国威 位置 語学的価値等について詳しく論じた 併せて 華英通語 との内容の違い等にも触 概要 れ 更には 他の英語教科書 たとえば 英話註 今回の研究例会は 中国の英語語彙集 華英通 解 英字入門 等についても言及した 語 に特化したものである 内田研究員による研 究史 直近の進展に関する発表の後 大阪大学教 陳 力衛 委嘱研究員 授の田野村忠温氏が 旧大阪外国語大学の図書館 辞書は伝道への架け橋である W H メドハ にこれまでに言及されなかった 華英通語 の版 ーストの対訳辞書の編纂をめぐって W H メドハースト Walter Henry Medhurst, 本を発見し 新出資料 華英通語 道光本と中国 漢 字 名 麦 都 思 は ロ ン ド ン 伝 道 会 初期英語教材の系譜 と題する発表を行った 続 , の 一 員 と し て 一 八 いて 京都産業大学教授の矢放昭文氏が 華英通 London Missionary Society 語 の音転写の問題を取り上げ 華英通語 狩 一七年七月十二日にマラッカに渡り その後ペナ 野本 の英漢対音と脱鼻音化 と題する発表を行 ンへ さらに一八二二年一月七日にバタヴィアへ った 最後に言語接触研究班委嘱研究員で 成城 と移り そこで二十一年にわたる長き宣教活動に 大学教授の陳力衛氏が十九世紀初頭 東南アジア 従事しながら後続の宣教師のために六冊の対訳辞 に来られた宣教師 メドハーストの英華辞書編纂 書を編纂した 中には 二 を除いて彼自身の手 その目的と継承を中心に 辞書は伝道への架け橋 による印刷がほとんどであった である W H メドハーストの対訳辞書の編 一 An English and Japanese, and Japanese 1830 纂をめぐって を発表した それぞれの発表につ and English vocabulary. Batavia. いて 参加者と発表者が時間をかけて 質疑応答 二 A dictionary of the Hok-këèn dialect of the 1832 を行った 第四回研究例会には 学内外の研究者 Chinese language. Macao. 三 Translation of a comparative vocabulary of 大学院生ら一〇〇人ほどが参加した the Chinese, Corean, and Japanese languages. 発表要旨 1835 Batavia. 内田慶市 研究員 四 Dictionary of the Favorlang Dialect of the 1940 再論 華英通用雑話 Formosan Language. Batavia. 今回は 華英通語 をめぐって 清末英語事 五 A Chinese and English Dictionary. Batavia. 本会は中国語教育学会との共催による講演会と して開催した フランス国立東洋言語文化学院教 授ジョエル バルサン先生を講師としてお招きし 关 于 当 前 汉 语 二 语 教 学 论 学 科 的 认 识 论 障 碍 と いうテーマでご講演いただいた フランスをはじめヨーロッパで確立されつつあ る 第二言語としての中国語教育を専門とする学 科の設置に至る経緯 またそれに伴う問題点およ び発想の転換の必要性について細やかに語られた ヨーロッパにおける第二外国語としての中国語 教育という観点ではあったが 日本の中国語教育 の将来を考える上で大いに参考にすべき視点を得 ることができた また バルサン先生の熱意あふ れる教育思想に触れることができたことは 幸い であった 一〇〇人を超える来聴者があり 盛会のうちに 終了した 第九十三号 4

5 という便宜上のメリットがあるだけでなく 一種 に対する清国駐日外交官の理解などを紹介した 六 English and Chinese Dictionary. Shanghai.の権威性をもたらすことにも意義がある 続いて非常勤研究員辜承堯氏が 大正期の青木正 辞書編集は宣教師にとって必要不可欠な第一歩 児と中国の知識人 胡適 呉虞 魯迅との交流 メドハーストの辞書編集は基本的に最初に習得 であり 中国語は両民族 朝鮮 日本 にとって について という報告で五四新文化運動に対する した中国語の力を頼りに行われてきた そして は 通 用 し て い る Chinese Language is common青木の同調と紹介を評価した 第二部 アメリカ と い う 三 の 朝 鮮 偉 国 字 の大統領と中国 日本 において 台湾中央研究 どの辞書も既成の底本があって 英訳からスター to both nations 彙 におけるこの認識に立って メドハーストは 院近代史研究所研究員 国際日本文化研究センタ トしていくものであった 一 の 英和和英語彙 は日本布教を見据えて 突き進んで六種の辞書を作ってきた功績はいくら ー外国人研究員潘光哲氏が ジョージ ワシント 作ったものであり 外国人による最初の英和和英 褒めたたえてもすぎることはないと思う一方 ど ンと中国 人物像と政治文化の視点からの考察 国父 と呼ばれるアメリカ 辞書として注目されているが その底本に使われ れほどの問題点が潜んでいるかをも検証すべき課 と題する報告を行い 合衆国のワシントン大統領と中華民国の臨時大統 ていた 蘭語訳撰 はまさに和蘭辞書として そ 題として避けて通れないであろう 領孫文に関する神話の形成過程と問題性を論じた の蘭語を英訳することで和英辞書に作り上げるこ 陶徳民研究員が エイブラハム リンカーンと日 とが可能となる 二番目に刊行された 二 の 福 本 アメリカ彦蔵および将軍家茂とのコンタク 建方言字典 は画期的なもので 先輩のモリソン トについて を報告し 一八五九年開港後の日本 の 広東省土話字彙 もむしろその刺激を受けて 第五回 二〇一七年六月二十四日 とアメリカの繋がりを 漂流民出身の米国駐日通 編集されたものとも考えられる 三 の 朝鮮偉 訳官 後に 海外新聞 を発行したジャーナリス 国字彙 も同じくその中国語の力を利用していた 近世近代日中文化交渉 日中移動 伝播 研究班 一 トとして有名 ジョセフ彦がホワイトハウスでリ 倭語類解 にしても 千字文 にしても漢字語を 近代における日 中 米の文化 ンカーン大統領に謁見したことや 二港二都開放 見出し語とする既成の字書であって 彼の中国語 延期交渉をめぐる将軍家茂とリンカーン大統領と 力ではそれらを英訳することが可能だった 四 交渉の諸相 の往復外交文書を例に紹介した の 台湾虎尾壟語辞典 だけはやや特殊である 陶 徳民 に 基 づ く 既 成 の 辞 書 Favorlang Woord boek 発表要旨 英訳からスタートしたことは前の辞書と共通して 概要 辜 承堯 非常勤研究員 い る た だ 日 本 語 や 朝 鮮 語 の 辞 書 と も 違 っ て 行ったことも話したこともなくても 少なくとも 近代における日 中 米の文化交渉の諸相 の 大 正 期 の 青 木 正 児 と 中 国 の 知 識 人 胡 適 呉 漢字という共通項があった その意味で 四 の テーマで研究例会を開催した 例会の第一部 明 虞 魯迅との交流について 本発表は大正期における青木正児 一八八七 辞書は逆にそれすらなかったので 中国語の力が 治大正期の日中文化交流 において まず 南開 どれほど働いていたかは不明である 五 の 華 大学外国語学院教授 国際日本文化研究センター 一九六四 と同時代の中国知識人胡適 呉虞 魯 英字典 と 六 の 英華字典 はもちろん最終 外国人研究員劉雨珍氏が 漢文筆談で放った時論 迅との交流を取り上げて考察したものである 彼 的な目的 中国布教を達成させるためのもので の精彩 清国初代駐日公使館員と明治漢学者の らの盛んな書簡往復を通じて このような交際実 あろう しかも 二 五 六 の辞書の底本を 交流について と題する報告を行い 晩清中国に 態を窺える 同じく 康煕字典 に求めることは先輩宣教師モ おける 西学 西洋の学問 が墨子 古代中国の 我素是一個専攻文学芸術之徒 と意識している リソンの辞書との音声的 意味的な照合ができる 思想家 に起源す という珍説や 自由民権運動 青木は 中国古典小説の考証に力を入れている胡 5 第九十三号

6 適とともに 共同関心を基盤として 水滸伝 の 成立時間 章実斎年譜の校訂 崔東壁遺書の整理 紅楼夢 に関する研究 呉敬梓伝 をめぐる討 論 姚際恒著書の探し求めなど多方面に深い交流 を行った 呉虞は諸子百家の研究しかに没頭していない理 由で 青木との思想交流は儒教批判に限られてい る 両氏の往復書簡を見ると 学術上の討論より 書籍寄贈に関するお世辞と褒め言葉が圧倒的に多 いため 時間が経つにつれて次第に疎遠になった のである 青木と魯迅との往復書簡が二通しかないことか ら見ると 両氏は互いにあまり交流しなかったに も関わらず 未来がある作家 と予言した青木の 鋭い眼力を評価すべきである 第九十三号 6 陶 徳民 研究員 エイブラハム リンカーンと日本 アメリカ彦 蔵および将軍家茂とのコンタクトについて ①リンカーンと将軍家茂 一八六〇年春 幕府の遣米使節が日米修好通商 条約の批准書交換のため首都ワシントンを訪れた その条約の規定により 横浜 長崎及び函館とい う三つの条約港がすでに一八五九年に開かれてお り 江戸と大坂の二大都市及び神戸と新潟の二つ の条約港をさらに開放することも義務付けられて いた しかし 横浜の開港によって起きたインフ レーションと政治的混乱を見た将軍家茂は これ らの二都二港の開放を期限より五年間延期するこ とを要請した リンカーンは一八六一年八月一日 付の返事において 初代在日公使となったハリス が 我々自身の福利や名誉に対する考慮に劣らな いほどの其方の帝国の利益と繁栄のために公正な 立場から事を進める ことを約束した 日本の支 第六回 二〇一七年七月七日 配者を対等者として見なしているリンカーンは 次のような慈悲心に富む文言で書簡を終えた 有 非典籍出土資料研究班 二 り余る繁栄と時間が貴方の統治する大国にあるよ 主幹 玄 幸子 う 閣下に常に神のご加護があることをお祈りし ます と 結局 アメリカ及び他の列強は 将軍 概要 の要求通り開港を五年間延期することを承認した ②リンカーンとアメリカ彦蔵 アメリカ彦蔵 Joseph Heco 本名 は浜田彦蔵 は播州出身 一八五〇年江戸観光か ら帰る際 乗った船が暴風で太平洋上に飛ばされ アメリカの商船に救助された 東海岸のミッショ ン ス クー ル に 通 い 十 七 歳 の 時 に 洗 礼 を 受 け 二十一歳でアメリカに帰化した 一八六二年三月 十二日 江戸の米国公使館で通訳を務めている彦 蔵は米国海軍のポストを探したく 面識のあるウ ィリアム シーワード国務長官の紹介により大統 領執務室でリンカーンに謁見した その回顧録に よれば 大統領は 私と温かく握手を交わし 私 の国の状況に関して多くの質問をした と 一八 六三年 彦蔵は米国公使館通訳の仕事を辞任し ジャーナリストに転身し その後は政府の事務系 役人や実業家ともなった 一八六四年最初の日本 語新聞 海外新聞 を創刊したことは その生涯 の最大な業績と言えるかもしれない 多くの日本 人は一八六五年七月付の 海外新聞 を通して三 か月前のリンカーン暗殺という衝撃的な事件を知 ったのである 辛善惠韓国高麗大学校韓国史研究所研究教授を お招きして 三国遺事の仏教金石文引用事例分 析 と題するご講演を拝聴した 続いて本研究所 東アジア宗教儀礼研究班の宮嶋純子非常勤研究員 が ベトナム仏教史研究における碑文資料活用の 模索 篠原啓方研究員が 新羅僧の謡号に対する 一考察 と題して研究発表を行った 辛善惠教授のご講演内容は 選者が確認採録し た史料を直接採録するため現存しない資料をも確 認しうるという 三国遺事 の書誌学的意味を明 らかにした上で その中に引用される仏教金石文 資料を取り上げ いくつかの事例について検討し たものである 文献を偏重し かつ個別研究を中 心とする従来の研究の不足を補うために先ず全体 的視点からグループ化を行い 現存しない資料を も対象として高麗時代の金石文の全体的把握を試 みた その上で 仏教金石文について全一四例の 個別の事例を詳細に検討し 先行研究における誤 釈訂正と並行して金石文を引用する態度について 考察を加え 三国遺事 における佛教金石文の引 用は 内容の亡失を防ぐためではなく 選者自身 の叙述の客観性を示すことを目的としたものであ ったと結論付けた 講演後の質疑応答では 活発 な意見交換がなされたが 九層塔の高さに関する 誤植について訂正があったことのみ付記するにと どめる なお 講演通訳は송미경 ソンミギョン

7 篠原啓方 研究員 新羅僧の諡号に対する一考察 本発表は 主に九 十世紀の禅僧碑文に基づき 国家から僧侶へ贈られた諡号の成立と展開につい て検討したものである 新羅における最初の 諡 号 とされるのは六世紀の王に対するものである が これらは高麗時代に編纂された 三国史記 の記述であり このうち 法興王 や 真興王 は 彼らの在位時に製作された金石文資料に登場 しているため厳密には諡号とは言えない また七 八世紀の高僧である元暁や義湘の諡号はいずれ 講演 エドアルド ジェルリーニ氏 国際日本文 化 研 究 セ ン ター 外 国 人 来 訪 研 究 員 博 報 財 団 国際日本研究フェローシップ 権力の言葉 平安朝と中世イタリアにおける 歌 儀式 王権 君主の政治が正しく行われていれば天もそれに 反応して順調に季節や気候が運行し 君主に欠点 があるせいで政治が正しくなければ天は災害や異 変を起こす これは中国をはじめ東アジアの諸国 に広まった 天人相関思想 であり 儒教文治主 吾妻重二 二〇一七年度東西学術研究所の第八回研究例会 として 東アジアにおける儀礼を中心に 五名の 研究員が現在進めているテーマにつき研究発表を 行った 中国における厲鬼 悪霊 の祭祀 近世 日本における楽律の研究 荻生徂徠と葬礼 韓国 近代の宗廟制度 現代台湾における葬送と道教な ど 領域としては儒教や道教 民間信仰にかかわ 概要 も高麗時代の贈与である したがって新羅におけ 義を導入した平安初期の文学作品にもその痕跡を 氏が担当した る僧侶への贈諡は 九世紀以降の禅僧のものが最 残している 発表要旨 初である可能性が高い 禅僧の諡号には 禅師 しかし 同様の思想が中世ヨーロッパにも存在 宮嶋純子 非常勤研究員 和尚 大師 という大まかな変遷が確認 していたことは 日本ではあまり知られていない ベトナム仏教史研究における碑文資料活用の模索 される これは 禅師 という個人の技術 能力 王権と自然の間に相互関係を持たせることによっ 報告前半は 二十世紀初頭以来フランス極東学 あるいは特定の宗派を指す名称から それらにと て君主の正当性を標榜する文学作品は 特に南イ 院及びベトナム漢喃研究院が行ってきた碑文拓本 らわれない包括的な尊称への変化を意味するもの タリアを領土とした神聖ローマ帝国のフェデリー 事業の概要と成果物の刊行状況について紹介する であり 新羅仏教界における禅宗の地位上昇を暗 コ二世の朝廷で散見される 十三世紀のイタリア と共に これらを研究に利用する際の問題点につ 示するものと思われる 九世紀の日本 時空を越えて 宮廷という特殊な いて指摘した 環境で詠まれた歌 行われた儀式 創作された作 後半は 碑文資料を用いたベトナム仏教史研究 品には さまざまな共通点が見出される その共 の試みとして ハノイ市内の古刹 蓮派寺に伝わ 通点に注目して 権力と想像力の緊張関係のあり る碑文類を取り上げた 十八世紀に創建された同 第七回 二〇一七年七月二十日 かたを考えることが可能である 寺は 一時荒廃するが十九世紀半ばに福田和尚安 そのことを考えるために 例として菅原道真の 禅を住持に迎え再興される 福田和尚による蓮派 漢詩とペトルス デ ヴィネアの作品を取り上げ 日本文学研究班 一 寺再興の事績は文献史料 禅苑統要継燈録 福田 具体的に比較した 山本登朗 和尚伝 によって確認されるが 蓮派寺に伝わる 碑文類 重興蓮派寺離塵院記 やその製作年代 概要 いずれも福田による再興以後に建立されたもの 日本の平安朝文学と中世イタリア文学をテーマ 第八回 二〇一七年七月二十二日 それ以前との状況の比較 からも 蓮派寺再興の にした下記の講演が行われ 終了後 活発な質疑 歴史について傍証されることを考察した が行われた 東アジア宗教儀礼研究班 一 7 第九十三号

8 り 地域としては中国 日本 韓国 台湾にまた に先行研究において徂徠学派の儒者たちによる取 の実践 行礼 は国情や個人の好みによって がるという 当研究班にふさわしい内容であった り組みが明らかにされているが これまで日本近 決めていけばよいとし その結果 仏教式の葬 いずれも最新の成果にもとづく有意義な研究例会 世期の ひいては東アジア近世期の思想界におい 祭をも許容する これは結局 儒者徂徠の意図 であり 活発な質疑応答もなされた とは違って 儒教儀礼を解体する方向に向かう て中心的な存在であった朱子学派による楽研究の であろう 様相については 明らかにされてこなかった そ 発表要旨 こで 発表者は中村惕斎から蟹養斎 中村習斎へ 五 このように 中国三代の礼楽刑政を絶対視す 董 伊莎 準研究員 と至る朱子学派における楽研究の実態を解明し る徂徠は その日本における実践を必ずしも意 古代中国礼典における厲の祭祀に関する一考察 当初は 燕楽 とされていた日本の宮廷音楽が 図しなかった このことは逆に 中国の礼楽の 本発表は礼典資料を中心に厲祭の記録を整理し 最終的には儒者が理想とする 雅楽 と同等の評 客観的究明に道を開くことになったように思わ てその歴史的な展開を考察した 関連資料からみ 価を得るまでに変化していく過程を明らかにした れる れば 厲の祭祀は漢と唐を切り目として三段階に 丁 世絃 非常勤研究員 分けられる まず そういった祭祀は漢の前に七 吾妻重二 研究員 祀や五祀の一部及び民間の風習として伝承されて 荻生徂徠 葬礼考 について 全集未収のテキ 近代韓国の宗廟について 今回の報告では現在韓国のソウルにある朝鮮王 きた その後 唐までの祀典に見える限り行われ スト 荻生徂徠 一六六六 一七二八 の著作 葬礼 朝時代の宗廟研究の必要性と韓国中央研究院に所 なくなった そして 唐の開元年間に再び復旧さ れ 後 の 時 代 に は 中 断 な く 行 わ れ て い た ま た 考 の諸問題と 徂徠における礼楽の意義につき 蔵されている宗廟資料を紹介した 韓国の宗廟は 左伝 における厲に関する記録を分析し 子産か 再検討を行った 主な論点は次のとおりである ユネスコ世界文化遺産として指定され それに関 らはじめとする一部の人が 有功烈於民 という 一 みすず書房 荻生徂徠全集 第一三巻所収の する研究も盛んになっているが 近代の宗廟特に 儒教的な価値標準に従って厲を再定義したことを 葬礼略 別名 葬礼考 は 版本調査に大き 日本植民地期における宗廟の研究は欠けている状 な不備があるため編集をやり直すべきである 態である 明らかにした 一方 実に民間で厲鬼を祀る風習 今回の調査により 韓国学中央研究院の図書館 が継承され 秦中 のような暴虐な人でも祭祀さ 二 徂徠と朱熹 家礼 の関係については 宝永 二年 一七〇五 十月 妻休 三宅氏 の死去 である蔵書閣に近代宗廟に関する資料が最も多く れたこともあった したがって 厲の祭祀につい にあたって 家礼 に忠実に葬儀を行なったこ 残っていることがわかった 宗廟日誌 のような て 礼典上の内容と実際の間にはズレがあったと とが注意される しかしこの頃を境に徂徠は古 唯一本をはじめ 一九四五年から一九四六年まで 推定した 文辞学に転じ 朱子学を批判するようになった の宗廟の管理 経営の状況を詳しく書いている 守 三 もっとも 徂徠の父の方庵の位牌は 荻生家 僕庁日記 のような日本植民地期から韓国の独立 榧木 亨 非常勤研究員 の家督を継いだ弟の北渓により 家礼 式の神 直後の宗廟の事情を述べている記録も見つけた 日本近世期の儒者と楽 楽研究の変遷を中心と して 主が作られた なお 北渓自身の神主は 家礼 また 朝鮮総督府に所属していた儒教機関であ 本発表では 日本近世期の儒者と楽の関係につ 以前の 唐代の形式 古い儒式 であり とも る 経学院 の大提学 明倫学院の総裁を歴任し いて 主に朱子学派の儒者たちによる楽研究の様 に現在に伝わる た鄭萬朝も宗廟の管理者として参加していたこと 相と 日本の宮廷音楽の 雅楽化 における儒教 四 抽象的な理ではなく 具体的な 礼楽刑政 や鄭が書いた 報告存案 という宗廟管理の記録 こそ先王の道とした徂徠であったが 制礼 を により 今後宗廟と経学院の人的交流や宗廟の経 の影響について 基礎的な考察を行なった なし得たのは 三代の聖人 のみであって そ 営に関する本格的研究ができると思う 日本近世期の儒者による楽研究については 既 第九十三号 8

9 った また外部講演者として システムアーティ 川 ギンズが研究ノートを遺していることがわか 山田明広 客員研究員 ストとしてご活躍されている安斎利洋氏をお招き り その資料を閲覧することで ジェンドリンと 台湾道教打城科儀についての初歩的考察 疑似アトラクターの森 セルオートマトン内 荒川 ギンズ相互の思想的影響関係が考察できる 台湾道教の功徳儀礼 死者救済 追善供養の儀 し 礼 を構成する儀式の一つに 打城科儀 という 部の眺望 というタイトルのご講演をいただいた ことを示した 儀式がある この儀式は 道士が実力行使により 安斎氏は 単純な計算規則 プログラミング規則 地獄中の城門を打ち破り そこから亡魂を救出す の反復による振る舞いの中で 一定の秩序や生命 稲垣 諭 委嘱研究員 るということが演劇的に示される儀式であり す 的活動が生み出される現象を考察する最前線の研 二重の自己 個体とその変容 なわち 亡魂を地獄より直接的に救い出すために 究紹介とご自身の作品制作 ワークショップ活動 二重の自己 個体とその変容 というテーマ をお話くださった これは 荒川 ギンズが目指 で発表を行った 荒川 ギンズの思想には 有機 行われる儀式である 本発表では この台湾道教の 打城科儀 につ した環境構築 住宅建設など によって 生命が 体という一個の個体が その環境の設定の仕方に いて 実施される条件や儀式の内容 構造 地域 変化生成していくという主張の基礎理論 原理論 応じていくらでも別様に変容できるという確信が を提供するものとして ご講演後の質疑応答およ ある この問題を吟味するにあたり 本発表はオ 的差異などといった基礎的事項を考察した ートポイエーシス理論を発展的に前進させた河本 まず 台湾道教における打城科儀とはいかなる び懇親会にて活発な議論を行った 英夫の 二つの自己 の定式化を手がかりに個体 儀式であるのか その概要について説明した 次 発表要旨 の 変 容 の 問 題 を 考 察 し た こ の 二 つ の 自 己 と は に どのような場合に打城科儀が行わ れ ま た システムの運動をきっかけにして 機能性を発現 儀式において用いられる糊紙製の城にはいかなる 三村尚彦 研究員 ものがあるのかについて 台南地域と高雄 屏東 荒川 ギンズ遺稿データベース構築に向けて N する 作動的自己 と空間内に明確な物性を伴っ た 構造的自己 のことである 一つのシステム 地域との間の地域的差異にも留意しつつ検討した Y出張報告 二〇一六年度から発足した身体論研究班の活動 に二つの自己の運動が含まれていることを見抜く 最後に 台南地域と高雄 屏東地域の打城科儀そ れぞれについて その内容と構造を分析し さら について紹介し 今年度四月から五年間の研究期 ことで それら両者の力関係の不均衡が個体の変 に相互に比較することで 各地域の打城科儀の特 間で採択された日本学術振興会科学研究費基盤研 容 構造の変容 機能の変容 システムの境界の 徴および両者の共通点と相違点を明らかにした 究 B 荒川修作 マ + ドリン ギンズ遺稿デー 変容が起きることが明らかになる 本発表は 上 タベース構築にもとづく天命反転思想の研究 課題 記の構想を基礎に据え サイバネティクスのベイ 番号一七H〇二二八九 の概要について話した トソンによる全体論的システム論との違いを判定 また二〇一七年五月二十八日 六月三日に実施 することで 荒川 ギンズの思想との繋がりを解 したアメリカ ニューヨーク出張について 写真 明するものとなる 第九回 二〇一七年七月二十九日 や資料を提示しながら報告した ニューヨーク荒 川 ギンズ財団 RDF との打ち合わせの模様 身体論研究班 一 荒川 ギンズの遺稿として現在倉庫に保管されて 主幹 三村尚彦 いる二二〇箱の資料のうち 一〇箱分を調査した その成果の一部を 具体的に提示した 荒川 ギ 概要 ンズについての論文を発表しているアメリカの臨 研究員 二名 による調査報告 研究発表を行 床心理学者ユージン ジェンドリンについて 荒 9 第九十三号

10 第十一回 二〇一七年十月十八日 主幹 新谷英治 比較信仰文化研究班 二 概要 本研究班は日本および世界の様々な 祈りの場 の様相とその役割 意義を検討することにより人々 の 祈り に見られる普遍性と個別性を探ろうと 試みている 今回の研究例会では 沖縄 日本における信仰 風俗の特異性 絨毯や時祷書の絵画表現に託され た意図 願意の解釈を中心テーマに 次のとおり 四名が研究発表を行い それらをうけて質疑応答 討論を行った 毛利美穂 非常勤研究員 潮と水の儀礼 沖 縄の聖水観念を中心に 松井幸一 研究員 伝播による信仰の変容 石敢當の形態 空間的分布を事例に 吉田雄介 非常勤研究員 絵画絨毯とペルシア 絨毯のデザインの系譜 田 辺 め ぐ み 非 常 勤 研 究 員 祈 り の 風 景 青衣の女 から辿るマルグリット ドルレア ンの子宝祈願 発表要旨 毛利美穂 非常勤研究員 潮と水の儀礼 沖縄の聖水観念を中心に 禊ぎ 沐浴 洗礼など 儀礼において 水 は 重要な役割を果たす その背景には 生物の命を つなぐ水そのものに対する神聖視と 雨や海 井 第十回 二〇一七年七月二十九日 の項目を比較し 念経總牘 はドチリナとは言え ないということ マニラ版ドミニコ会中国語ドチ 言語 接触研究班 三 リナと 天主聖教啓蒙 と日本語版 どちりなき りしたん の対話部分を比較し 先行研究で述べ 中国語版ドチリナをめぐって られている対話の 東洋化 に対する問題点 マ 主幹 沈 国威 ニラ版ドミニコ会中国語ドチリナの語彙を分析し 内容によって言葉を使い分けていることを報告し 概要 た 第十回研究例会は カトリック教理書の中国語 訳にフォーカスを当て 四名の研究発表を行った 内田慶市 研究員 奥村佳代子 研究員 中国語版ドチリナキ 天主教要 をめぐって リシタンをめぐって 今回は総合テーマを 中国語版ドチリナをめぐ 王雯璐 東京大学大学院 明末天主教教理書 って とし 四人の発表が行われたが そのうち の翻訳と変容 ローチャの 天主聖教啓蒙 を 私は 天主教要をめぐって というタイトルで報 中心に 告を行った 葛谷登 愛知大学教授 天主聖像略説 に ドチリナ キリシタンとは何か ということに ついての覚書 関しては広義と狭義で内容が異なるが 広く キ 内田慶市 研究員 天主教要 をめぐって リスト教理書 ということで 問答形式以外のも 発表後 盛んな質疑応答が行われた のをそれに含ませるという立場を報告者は採って いる その意味で 天主教要 は中国で出された 発表要旨 最初のドチリナと考えられるが 本報告では バ チカン図書館所蔵の各版を中心に その版本間の 違いや 他の教理書の 天主聖教啓蒙 や 天主 教要解略 天主教要註略 との関係等について論 じた 今回は詳細な語彙の使用状況や音訳語の問題 文体論については準備が出来なかったが今後の課 題とする 奥村佳代子 研究員 中国語版ドチリナキリシタンをめぐって ドチリナとは教理説明のことであり 最大の特 色は対話形式であるという点である また ドチ リナは布教地の言語に翻訳される際に現地の現状 に応じて内容に変更が生じ得る流動的な側面を持 っている 中国語に翻訳されたドチリナとしては 一五九三年マニラ刊ドミニコ会版の閩南語ドチリ ナ イエズス会版ドチリナとして 念経總牘 が 指摘されるのみであったが 王雯璐氏が指摘する ように 天主聖教啓蒙 は対話形式のイエズス会 版中国語ドチリナである 本発表では この三者 第九十三号 10

11 戸を通じた異界との接点を見出す視点があるだろ 吉田雄介 非常勤研究員 う 本発表では 沖縄フィールド調査を元に 潮 絵画絨毯とペルシア絨毯のデザインの系譜 と水の儀礼について考察する 今回の報告では 従来のペルシア絨毯とは異な 沖縄県久高島の神人 Mさんは 東御廻りにお るタブロー絨毯 日本語にすれば 絵画絨毯 絵 ける祈りの水は 水と潮が合わさらないといけな 画調絨毯 を対象に 伝統的な絨毯との異同を確 い という 従来 水もしくは海に対する神聖視 認した 具体的には タブロー絨毯の中で 現在 は指摘されている 例えば 王には水旱を調節す はどのようなデザインが好まれているのかを確認 る機能が要請されており そのため 王を水神 竜 し さらに 風景画 デザインに関してはどのよ 神 の子孫とする始祖説話も残されている ただ うなデザインが織られているのかを検討した な し 従来の見解からは 水と潮 が合わさる必然 お 今回の分析には絨毯商人が各地の業者に配布 性は見出せない しかも 石垣島白保の儀礼でも している注文用のタブロー絨毯のカタログを利用 水と潮 を合わせていた そこで 沖縄本島の東 した 御廻りと 波照間島および石垣島白保の豊年祭を 検討の結果 タブロー絨毯のデザインには欧米 検討し 潮と水を合わせる儀礼の意味を読み解く の絵画やイランのミニアチュール 細密画 がオ には その共通点である来訪神の存在が重要であ リジナルとして先行することがわかった 一方で ることを明らかにした 風景のデザインに関しては 欧米風とイラン風の 二種類に分けることが可能であるが 例外的にイ 松井幸一 研究員 ラン風の風景 とくにタブロー絨毯の産地である 伝播による信仰の変容 石敢當の形態 空間的 サルドルードの風景 に関してはオリジナルの絵 分布を事例に 画が存在しないものも存在することがわかった 石敢當は元々 中国発祥の信仰である その起 源は岩石信仰や塞ノ神に求められ 岩石のもつ強 田辺めぐみ 非常勤研究員 固さや神秘性を崇拝し 不幸や災難を禁ずること 祈りの風景 青衣の女 から辿るマルグリッ ができると信じられていた 中国から日本に伝播 ト ドルレアンの子宝祈願 し最も普及したのが沖縄県 当時の琉球である 世俗信者の日々の祈祷に用いられた時祷書には 琉球の石敢當は中国伝来の意味をよく踏襲してい 写本注文主や所有主の 祈りのかたち が多く認 たが その後日本各地に伝播 普及する過程で石 められる それらは従来 各写本に挿入された個 敢當の持つ意味や設置場所の空間的意味が失われ 人的な祈祷文や祈祷者像によって確認されてきた ていく 特に秋田県では現在 石敢當は信仰とし しかし 伝統的なキリスト教図像や無意味な装飾 て設置されている箇所が非常に少なく 信仰が伝 と見なされてきた欄外装飾を 写本の制作経緯や 播によって本来の意味を失っていく過程を垣間見 当時の社会的 政治状況などから改めて捉え直す ことにより 具体的な祈念内容を把握し得ること ることができる が近年徐々に明らかになっている かかる研究成 11 第九十三号 二〇一七年十月十九日 果を踏まえた上で 本発表では マルグリット ドルレアンの時祷書 フランス国立図書館ラテン 語一一五六B番 の欄外装飾に頻出する 青衣の 女 を手掛かりに 当該写本の当初所有主であっ たマルグリット ドルレアンの子宝祈願の様々な 表象を明らかにし それらが彼女自身のみならず 娘マリの男児出産 さらにはブルターニュ公家の 繁栄を願うためものであることを報告した 第十二回 主幹 和田葉子 西洋文学における信仰とフィクショ ン研究 班 一 西と東の訓読 訓点 再訪 東西 の文献に見る訓読 訓点 の比較 概要 三年前の二〇一四年十月 西と東の訓読 訓 点 と題して コーネル大学教授のジョン ホイ ットマン氏と在外委嘱研究員で ノースカロライ ナ大学教授のパトリック オニール氏二名の講師 によるコロキアムを開催した これがきっかけと なって ホイットマン氏は 私たちの研究班の在 外委嘱研究員として共同研究をすることとなった 今回 この二名が 新たに展開させた共同研究の 成果を発表した ホイットマン研究員は漢籍 仏 典のテキストに記された語句の発音や意味を注釈 した 音義 と 中世の西洋で作成されたラテン

12 パトリック オニール 在外委嘱研究員 The Earliest Evidence for Construe Marks in会を開催した 講演題目は 歴史研究的突破 余英時先生論学的方法 歴史研究上の突破 余 the West: a preliminary investigation 私たちの研究班で行っている 漢文に見られる 英時先生の学問方法 と題して中国語で行われた 訓点と中世ヨーロッパの注解の比較に関する共同 司会進行役は吾妻重二研究員が担当した 研究の一部として ホイットマン研究員はさらな 講演の対象となった余英時氏は現代を代表する る両者の類似点を指摘した すなわち 東洋にお 中国研究者として知られ アメリカ プリンスト いては 訓点から音義 そして 辞書に至る編纂 ン大学名誉教授であるとともに本学名誉博士号授 の過程と 西洋における注釈から注釈集 そして 与者でもある 中国政治思想研究を専攻する謝教 田野村忠温 大阪大学教授 日本最初期英語研究 書 の 依 拠 資 料 と 編 集 諳 厄 利 亜 言 語 和 解 諳厄利亜興学小筌 諳厄利亜語林大成 沈国威 研究員 荀子言語観の近代語研究への投 射 乾善彦 研究員 古代変体漢文体資料における同 訓の一字漢語と二字漢語 語の語彙目録の編纂過程を比較した オニール研 語彙集 の二つの伝統の間の類似点である オニ 授は近年 余英時氏の学問につき盛んに紹介 研 究員は 西洋における最も古い訓点を探し当てる ール研究員は 七世紀にアイルランドで書かれた 究を行っており 今回の講演となった に見ら という大胆な試みに挑戦した さらなる新しい発 福音書の写本 Codex Usserianus Primus 講演は配布資料およびパワーポイントを用いつ れる一連のドライポイントの すなわち イン つ文化とは何か 文化研究はどうあるべきかとい 見を求めて 今後もこの共同研究は継続する クを使用せず 強く押してくぼみをつけることに ったトピックから始まり 余英時氏の生い立ちや 発表要旨 よって記された 注解について そのいくつか 経歴 代表的研究とその特色等幅広い内容にわた ジョン ホイットマン 在外委嘱研究員 は文法と統語法を明らかにするために付けられた り 中国の宗教や思想 歴史研究について示唆に 訓点資料と中世欧州の注釈資料のもう一つの類似 ものであり また その他のものは テキストの 富む貴重な報告であった glossae collectae中で 非常に離れている語と語の関係を示すこと 点 訓点 音義 辞書と gloss 出席者は本学大学院生を中心に二十名を超える lexicon の編纂過程 を目的としていることを解明した ラテン語のテ 盛会で 講演終了後 活発な質疑応答が交わされ 西洋文学における信仰とフィクション研究班で キストの いわゆる訓点の研究は進んでおらず た 行っている 漢文に見られる訓点と中世ヨーロッ 特 に 西 洋 最 古 の 訓 点 を こ の Codex Usserianus に発見した意味は世界的にも重要である パの注解の比較に関する共同研究の一つの成果と Primus して さらなる東西 両者の類似点を 指 摘 し た すなわち 東洋のテキストに見られる 訓点から 第十四回 二〇一七年十二月八日 音義 そして 辞書に至る編纂の過程と 西洋の ラテン語のテキストに見られる 個々の注釈から 第十三回 二〇一七年十二月五日 言語接触研究班 四 注釈集へ そして そこから語彙集に 至 る 過 程 主幹 沈 国威 というこれら二つの伝統の間に相違点があること 東アジア宗教儀礼研究班 二 を明らかにした 今回の発表では 日本における 概要 吾妻重二 漢文だけでなく 韓国 チベット その他のアジ 言語接触研究班は 十二月八日 今年度第十四 アの地域における漢文の訓点と音義の実例を挙げ 概要 回研究例会を開催した 発表者は テクストから 西洋の注解資料との類似点を示した 台湾 東呉大学の謝政諭教授を外部講演者とし 見る東西の言語接触という視点から 下記の題目 て迎え 二〇一七年度東西学術研究所第十三回例 で研究発表を行った 第九十三号 12

13 大学院生を含め 五〇余名の参加者が集まった いる 特別スピーカとして大阪大学の田野村忠温教授は 日本最初期の英語学習書を三点取り上げ 書志 乾 善彦 研究員 収録語彙項目等にわたって考察された 沈国威研 古代変体漢文体資料における同訓の一字漢語と 究員の発表は 荀子の言語に関する言説から中国 二字漢語 語の特質と十九世紀以降の新語創出との関係を論 漢文訓読という 制度 が 和訓 和音を可能 じたものである 乾善彦研究員の発表は 日本語 にし 訓読のことば が 変体漢文という表記体 の語彙体系と中国語のそれとの相違を文献資料に を可能にした 漢文訓読は ひとつの文字列にふ よって捉えるものである 発表の後 質疑応答が たつのことばを走らせるという 複層性をもつ 同 行われた じ文字列が中国語でも日本語でもよめるのである その結果 古代の語彙を考える場合 とくに漢語 発表要旨 においては それが音読されたか訓読されたかは 大きな問題となる それは 字音語が生活語彙の 中にどの程度含まれていたかという問題でもある そこで 万葉集と 正倉院文書 続日本紀宣命と の漢語を比較再検討し 以下のことを述べた 万葉集に用いられたことばを 日常生活のこと ば の典型とみるには問題も残るが 万葉集の二 字漢語は 基本的にひとつの語でよまれ 複合語 の割合は極めて少ない それに対して 宣命の二 字漢語は二字一訓よりも逐字訓読される場合が多 い 正倉院文書では ほぼ同じ表現が 一字語で も二字語でもあらわされる それらが 逐字訓読 されたことは蓋然性が低いといわざるをえないが それは宣命の特殊性をあらわにするものであろう 宣命では二字漢語を逐字訓読することで より厳 かな表現を現出したのではなかったか だとする と 日常語において 二字漢語がそのまま述語に はなりにくく 一字漢語にくらべて字音語が基本 語にはなりにくかったかたことになるということ であろう 述語部分の二字漢語は表記の上でのみ あった 通時的に見れば 和漢混淆文成立期に二字漢語 19 沈 国威 研究員 荀子言語観の近代語研究への投射 本発表は 荀子の 正名 に見られる言語思想 と近代中国での荀子の受容を取り上げたものであ る 二十世紀初頭 荀子の 正名 は 翻訳 訳 語 新国語の創出にあたり 言語思想の資源とし て 注 目 さ れ 章 太 炎 黄 遵 憲 胡 以 魯 劉 半 農 傅斯年らに頻繁に言及された 荀子が 正名 を 完成した戦国時代中期の社会と言語情況は 世 紀末のそれを彷彿させるためか 発表者は 荀 子の言説は言語の本質と中国語の特質を端的に言 い当てたところに注目した それは 言語能力と は 最低限にコミュニケーションを行う能力 辞 達則已矣 の他に 美しく表現できる 言之無文 行之不遠 の側面もある いずれも孔子の言葉だ が 荀子は戦国時代の言語社会の現実と結びつけ て指摘していることに意義が大きい そして中国 語の特質は 内容より形式が重要であると考えて いる点である ここでの形式は 文字数のことで ある 二十世紀初頭の中国語は まさに荀子の時 代と同じ問題に直面していると発表者は主張して 13 第九十三号 二〇一七年十二月八日 が増大するのは 漢語を多く含む文体に応じるも のであったのだろう 第十五回 主幹 原田正俊 東アジア宗教儀礼研究班 三 概要 今回の例会では 日本と東アジアの交流を検討 するものとして 鎌倉時代後期の南宋 元 日本 の外交交渉と日本から中国に渡った入宋僧の関与 についての報告が行われた モンゴル襲来といっ た日本社会の危機に際して 禅僧がどういう立場 をとったのかは大きな課題であるが 史料の残存 も少なく十分な研究が進んでいない 個々の僧侶 の行動を深く掘り下げる必要性を参加者で共有し た 信仰の面では 曹洞宗寺院に残る大権修理菩薩 像は 大陸の神が日本にどのような形態で受け入 れられるかについての事例であり 道教神や在地 の神々の転化という点でも注意しなければならな いテーマであり 事例の蓄積に関して意見が交わ された また 東アジア諸地域において人を祀ることが どのような形態で行われたかの検討もなされた 日本における人神信仰が特殊なのか 中国 朝鮮 と同じなのか 各地の事例が挙げられて議論がな された 儀礼の面では 密教儀礼と法流の拡散は日本で

14 これまで注目されてきたものであるが 中世後期 広げていた北朝 室町幕府方が醍醐寺三宝院と法 大権修理 利 菩薩像 は招宝七郎像型が採用さ の動向は手薄な分野であり 神祇との関係性も含 楽寺との関係性を利用し 三宝院院主賢俊 光済 れたものと思われる め今後の課題との意見も出された を介して伊勢国内の北朝祭主への支援や 法楽寺 内の南朝へ転向した勢力などへの対処をおこなっ 井上智勝 委嘱研究員 発表要旨 ていたことが確認でき 当該期における醍醐寺三 日本ヒトガミ信仰論再考 東アジア大陸諸国と 曽 昭駿 準研究員 宝院 伊勢国太神宮法楽寺両者の関係は 南朝 の比較を通じて 入宋僧桂堂瓊林と南宋 元 日本の交渉 方が優勢であった伊勢国における数少ない北朝 日本のヒトガミ信仰は 従来主として民俗学の モンゴル襲来に至るまでの国際背景に関しまし 幕府方拠点構築の媒介として重要視されていたこ 視点から 御霊信仰と 祟らずとも人が神に転化 ては近年来 一連の新たな中国 朝鮮史料を紹介 とが明らかとなった しうるとする吉田神道の理論に依拠して説明され され 活発に検討された 従来明白ではなかった てきた しかし 日本を対象にした民俗学研究の 高麗側 元朝側の外交活動が明らかになった中 長谷洋一 研究員 文脈だけでは 日本のヒトガミ信仰は十分に理解 入宋僧桂堂瓊林は南宋側に依頼され モンゴルの 曹洞宗寺院における 大権修理菩薩像 につい することができない かかる認識から本報告では 外交活動を妨害するような存在として注目される て 東アジア大陸諸国 中華 ベトナム 朝鮮 で 多数の曹洞宗寺院の 大権修理 利 菩薩像 展開するヒトガミ祭祀 就中 儒教祭祀の文脈か が その南宋使者に至るまでの成り立ちや帰国後 の動静に関する研究は展開していない 本報告を は招宝七郎像型であることは既に二階堂善弘氏の ら日本のヒトガミ信仰を捉え直す試みを行った もって桂堂瓊林の入宋参学の師である虚舟普度を 論考に詳しい また黄檗宗での 大権修理 利 釈奠や宗廟祭祀 名官祭祀 忠臣 功臣祭祀 生 端緒とし 南宋最末期において五山官寺の住持僧 菩薩像 は華光菩薩像の像容である 福井 永平 祠などの具体相と 日本における同様 近似の祭 と政治権力者との関係を考察した上 桂堂瓊林が 寺 神奈川 総持寺 東京 豪徳寺などをはじめ 祀の具体相を比較検討し 儒教イデオロギーが浸 南宋使者に至るまでの経緯を明らかにした さら とするなど一部の曹洞宗寺院では華光菩薩像型を 透する近世日本においては 儒教の経典の影響を に モンゴル襲来へと向かう時代状況にあって 採用している 管見では曹洞宗寺院で華光菩薩像 無視することはできず それに依拠した様々なヒ 桂堂瓊林をはじめとする渡航経験を持つ中世禅僧 型を採用する事例は 先の事例を含め全国で一九 トガミ祭祀が展開したことを論じた 例が確認できる の外交観を分析してみた 史料ではともに 大権 と記され判別は困難だ が 洞上伽藍雑記 では 䂨額之相 執笏の相 があったことを伝える 曹洞宗寺院での初見は延 第十六回 二〇一七年十二月九日 宝五年 一六七七 の東京 豪徳寺 大権修利菩 薩倚像 とみられる 日本文学研究班 二 隠元来日後 曹洞宗内では宗義 清規から黄檗 主幹 長谷部 剛 との交渉を保ち 深く影響を受けた革新派 容檗 派 と道元の教えに立ち返る復古派 反檗派 が 概要 対立していた このことから容檗派が本山の主導 関肇研究員 文学部教授 による研究発表 唐 権を持った時期での 大権修理 利 菩薩像 は 華光菩薩型 が 反檗派が主導権を持った際の 人お吉のために 十一谷義三郎 時の敗者 を 第九十三号 14 橘 悠太 準研究員 中世後期における醍醐寺三宝院と伊勢国太神楽 法楽寺 鎌倉時代後期より醍醐寺三宝院との関係性を有 していた伊勢国太神宮法楽寺であるが 南北朝時 代になると両者の関係がうかがえる史料の増加が 顕著となる 本発表では そうした史料上にあら われる両者の関係が南朝方の影響力が強い地域で あった伊勢国においてどのような意味をもってい たのか考察した その結果 南朝方と内乱を繰り

15 めぐって および増田周子研究員 文学部教 増田周子 研究員 授 による研究発表 火野葦平 異民族 研究 火野葦平 異民族 研究 インパール作戦 従 インパール作戦 従軍手帖 創作ノー ト 考 察 軍手帖 創作ノート 考察 を行った 火野葦平 異民族 は インパール作戦の原住 民特殊工作を描いた作品である この作品には 発表要旨 火野が実際にインパール作戦に従軍して見聞きし 関 肇 研究員 たことが生かされ 実在した人物も偽名や実名で 唐人お吉のために 十一谷義三郎 時の敗者 登場する そこで 火野が記したインパール作戦 をめぐって 従軍手帖 と 異民族 を対比させ どういう点 幕末期の伊豆下田を舞台に 日米修好通商条約 が実際の戦争とオーバーラップするのか あるい 締結交渉のために来航したアメリカの外交官タウ はしないのかを検討する さらに 創作ノート ンセンド ハリスに侍妾として仕えたとされる日 も用いながら 最終的には 作品のテーマについ 本 人 女 性 を め ぐ る 物 語 で あ る 十 一 谷 義 三 郎 の て考察した 唐人お吉 は 発表後まもなくお吉ブームを呼び 起こし 繰り返し演劇や映画に仕組まれて息の長 い 命 脈 を 保 ち つ づ け て い る た だ そ の 声 価 は 彼の 唐人お吉 から離れて独り歩きし 悲劇的 第十七回 二〇一七年十二月十七日 なヒロインとしてのお吉と外交官ハリスとの関係 身体 論研究班 二 をめぐる歴史的な逸話を広く社会に浸透させる役 割を果たしたものとして あるいは映画や演劇の 映画 For Example をめぐって 原作として知られてはいても その小説自体はほ 主幹 三村尚彦 とんど顧みられていない しかしながら この小 説は たんなるお吉をめぐる物語の源泉としての 概要 地位にとどまるべきものではなく 今日なお読み 荒川修作監督 荒川修作 マドリン ギンズ脚 継がれるに足る すぐれた文学的価値を有してい の上映 ると考える しかも それは十一谷義三郎の文学 本の一九七一年制作映画 For Example 活動におけるひとつの転換点を形作るものであり とそれに関する講演 総合討論を行った 外部講 さらにメディアとその読者層やテクストと挿絵と 演者として 近現代芸術論 映画論がご専門の平 の翻 For Example の関わりなどについても重要な示唆を含んでいる 倉圭氏 横浜国立大学 と 本発表では これらの問題を解明するための基礎 訳者で建築家の辻真悟氏をお招きした 平倉氏は ショットごとの緻密な分析を通して 的な考察を行った 撮影地の特定 カメラアングルの For Example 特徴 映画主演であるジョナサン リーズの身体 15 第九十三号 二〇一七年十二月十八日 の動きに関するダンス的解釈などについて論じら れた 辻氏は 七〇年代の映像作品においてすで に 荒川 ギンズの後期思想 建築する身体 天 命反転 がどの程度見いださせるかという観点か ら お話いただいた お二人の講演の後 総合討論ではドキュメンタ リー映画の体裁をとっている本作品の解釈につい てフロアを交えて活発な討論がなされた 当日の 参加者 関係者除く は約六〇名となり 盛会で あった 第十八回 主幹 和田葉子 西洋文学における信仰とフィクショ ン研究 班 二 コロキアム 蘇る ケルズの書 新しい視点による新しい解釈 の試み 概要 横浜在住の ケルズの書 の復元模写と色の研 究者である萩原美佐枝氏を招き コロキアムを開 催した 八〇〇年頃制作された ケルズの書 は 聖書を記した写本であり 現在は アイルランド の首都ダブリンにあるトリニティ コレッジの図 書館に収められている これが世界で最も美しい 本だと言われる理由は そこに非常に細かい図柄 に多くの色を施した装飾模様が描かれているから である

16 第九十三号 16 在外委嘱研究員であり ノース カロライナ大 学チャペルヒル校教授オニール氏は まず この 写本の装飾模様がどのように解釈し得るのか に ついて論じた 次に 萩原氏は オリジナルの顔 料を求めて ケルズの書 の装飾模様の色彩 を蘇らせる と題した講演で ケルズの書 の装 飾模様がどのようにして描かれ どんな顔料が使 用されていたのかを解明した 氏は 現在 当時 の技法を使って オリジナルを出来る限り正確に 復元する試みを続けている この講演会の最後に は 羊皮紙や実際に使用した顔料や羽ペンを会場 で披露し 参加者はそれらを使って実際に装飾画 を描く体験をすることもできた 今回 二名のス ピーカーが ケルズの書 を新たな視点から考察 し そこから得られた知見は西洋美術史の域を超 え 広く中世ヨーロッパ史研究に資する って行われた事とキリストによって語られた言葉 が 現代のキリスト教徒たちにもあてはめられる ものと考えられるような解釈である 例えば キ リストの受難と復活は キリストのように死の苦 しみに耐えねばならないが天国での復活を願うこ とができるという教えになっている 三 神秘的 な解釈 すなわち 様々な寓意的 終末論的 数 霊 術 的 予 計 論 的 キ リ ス ト 論 的 な 解 釈 で あ る これらの観点に照らして ケルズの書 に見られ る装飾画を考察すると そこに様々なレベルの意 味が表されていることが明らかとなる 第十九回 二〇一七年十二月二十日 東アジア宗教儀礼研究班 四 吾妻重二 パトリック オニール 在外委嘱研究員 The interpretative background to the Book of 概要 ケルズの書 の解釈の背景について Kells 泊園書院および私塾を主なテーマとして 前半 八〇〇年頃制作された ケルズの書 には聖書 が記されているが 詩篇と福音書のみにケルトの 三名 後半二名の合計五名による研究発表が行わ 装飾画が施されているのは非常に興味深い事実で れた 司会は吾妻重二研究員が担当した ある これらの装飾画はただ美しいだけでなく まず前半においては 横山俊一郎非常勤研究員 そこから どのようにしてアイルランド人が福音 が 泊園門人研究の現状と今後のデジタルリソー 書を読み 解読したかをうかがい知ることができ スの活用について と題して 泊園文庫蔵の門人 る 中世の他の地域のキリスト教徒と同様 アイ 帳 成績表 塾の出入表など 現在整理中の門人 ルランド人も聖書を様々なレベルで読むよう訓練 記録につき その概要と入力状況について報告し されていた すなわち 一 歴史的な文脈におけ た ジェレミー ウッド準研究員は 藤澤南岳のキ る文字通りの解釈による読み 例えば 福音書は キリストの生涯を語った物語である 二 道徳的 リスト教観についての一考察 と題して発表し な解釈 すなわち 福音書の中で キリストによ 藤澤先生談叢録 をはじめとする泊園文庫所蔵資 発表要旨 料を用いて 泊園書院第二代院主儒者南岳がキリ スト教をどのように捉え また批判していたのか を詳しく考察した さらに吾妻重二研究員は 植野武雄について 泊園出身の東洋学者 と題して 泊園書院出身の 東洋学者である植野武雄につき その生涯と学問 を詳細に論じるとともに 植野が満鉄奉天図書館 の図書館員として中国 朝鮮 日本にわたる文化 交渉学の先駆的業績を挙げたことに対し 再評価 を促した その後 十分間の休憩をはさみ 後半には髙橋 あやの非常勤研究員が 中山城山の天文暦算学と 泊園書院 と題して発表した 藤澤東畡の師であ った高松の中山城山の天文暦算学 特に 淮南子 天文訓の研究の内容と意義について実証的に論じ た 荘子 研究における城山の泊園学への継承に ついても指摘がなされた 佐藤トゥイウェン非常勤研究員は ベトナムの 東 京 義 塾 の 創 立 者 で あ る 梁 文 玕 と 梁 溫 如 家 訓 について と題して 二十世紀初頭 トンキン 現 ハノイ に私塾 東京義塾 を創設した梁文玕 ル オン ヴァン カン の作とされる 梁溫如家訓 をとり上げ その儒教的要素および近代的要素を めぐる特色を明らかにした いずれも泊園書院および私塾に関する最新の研 究成果であり 各発表の後の質疑応答および最後 の総合討論とあわせて きわめて充実した研究例 会となった

17 であった藤澤東畡 一七九四 一八六四 のキリ する中朝日文化交流史の研究などはきわめて高い 発表要旨 スト教観を明らかにして検討した その結果 東 水準にあり 中国や日本の学界における研究をリ 横山俊一郎 非常勤研究員 畡はキリスト教に対して極めて批判的であったこ ードしていたと思われる 石濱純太郎からの影響 泊園門人研究の現状と今後のデジタルリソースの とを確認した 次に キリスト教の歴史やその教 も看過できない 活用について 派の相違に対する南岳の理解について考察した しかし これまで植野に着目した論考はまった 本発表では 泊園門人研究において門人全体の その理解には多少誤解が見られるにしても 南岳 く存在しない ここでは東アジアにおける文化交 統計データが活かされていない現状を指摘したの はある程度キリスト教に関する知識はあったこと 渉学の先駆者としての植野につき その生涯と業 ち 今後活用すべきデジタル資料として 現在発 がわかった 次に 南岳のキスト教の教理に対す 績を詳しく述べた さらに資料には附録として詳 表者が整理している泊園文庫蔵の諸記録を説明し る見解とその排耶論について考察した その結果 細な著述目録を載せた た 以下 南岳 黄鵠 黄坡の門人ごとに分類し として南岳は儒教思想における 人倫 と 礼 た諸記録とその主な活用点を示す の観点からキリスト教を批判したり さらにキリ 髙橋あやの 非常勤研究員 Ⅰ 南岳門人 スト教における奇跡や超自然的現象の信仰を厳し 中山城山の天文暦算学と泊園書院 ①登門錄 泊園書院の門人名簿 南岳門人 通 く批判したりしていることを明らかにした 最後 まず中山城山について紹介した 中山城山は泊 期 の特定 ②生員勤惰表 塾生の毎月の成績表 に 南岳のキリスト教に関する情報の拠所と泊園 園書院初代院主の藤澤東畡の師であり 江戸時代 入退塾時期と成績推移の把握 ③應門簿 毎日 文庫に見られるキリスト教関係資料について考察 後期の讃岐国高松藩 現在の香川県 の儒者であ の書院の出入状況 帰省頻度と院外活動の把握 した 全部で八点の資料を確認できたが 南岳が る 藤川東園に医術と古文辞学を学び 経学や文 Ⅱ 黄鵠門人 実際にこれらを参考にしたかは不明である 学 史学のみならず 国学 兵学 医学 天文学 ④束脩領收錄 泊園書院の束脩受領簿 黄鵠門 以上により 藤澤南岳のキリスト教観は非常に 卜占にも精通する 人 通期 の特定 ⑤通學生勤惰表 泊園書院通 否定的であることを明らかにした 彼にとってキ 中山城山と泊園書院の藤澤東畡は手紙のやりと 学生の出席簿 授業科目の把握 ⑥通學生月謝 リスト教たる宗教は聖人の道を阻害し 礼を知ら りも多く 親密な関係にあった 学問上の交流の 領收簿 泊園書院通学生の月謝受領簿 黄鵠門 ない野蛮な外国人の思想であるため排すべきもの 一例として 中山城山 校正天文訓 の城山注が 人 後期 の特定 に当たるものであった 泊園文庫 淮南子 の天文訓に 城山先生曰 と Ⅲ 黄坡門人 して書き入れられている点が挙げられる また ⑦登門錄 泊園書院分院の門人名簿 入退塾時 吾妻重二 研究員 中山城山旧蔵の郭注荘子 服部南郭校訂本 には 期の把握 ⑧月謝領收簿 泊園書院分院 のち本 植野武雄について 泊園出身の東洋学者 中山城山 鼇山の書き入れがある 泊園文庫の郭 戦前 東洋学者として活躍した植野武雄 一八 注荘子には 院 の学生の月謝受領簿 黄坡門人 分院 本 城山按 で始まる書き入れが複数あ 九七 一九四九 につき その生涯と学問につい り 中山城山から藤澤東畡 そして南岳へと受け 院期 の特定 て報告した 継がれる学統を体現している さらにはそれが 植野武雄は泊園書院出身の東洋学者である 植 藤澤東畡箋 南岳疏 荘子南華真経箋疏 の成立 野はソウルの京城帝国大学助手 ついで満鉄奉天 へと繋がっているといえる 図書館の図書館人として また東洋学者として多 くの業績をあげた とりわけ満洲地方を中心とす る地方志や漢籍目録学研究 使朝鮮録 を中心と ジェレミー ウッド 準研究員 藤澤南岳のキリスト教観についての一考察 本稿は藤澤南岳 一八四二 一九二〇 のキリ スト教観を明らかにすることを目的とした その 方法として まず泊園書院の初代院主で南岳の父 17 第九十三号

18 佐藤トゥイウェン 非常勤研究員 景 特に教育状況について言及するとともに 梁 発表要旨 ベトナムの東京義塾の創立者である梁文玕と 梁 温如家訓 の近代的思想 実学的教訓や 近現代 溫如家訓 について のベトナムの知識人の認識 思想を明らかにした 齋藤鮎子 非常勤研究員 ル い 富士宮市における山宮御神幸道の再考 梁温如家訓 は 梁文玕 Lương Văn Can, オン ヴァン カン が著わした後 本発表は 二〇一五年度から継続して調査研究 Lương Ngọc ルオン ゴック ヒエン により編纂され している 富士山に関係する信仰 の一部である Hiên 印刷所により刊行され 一九二四年に Nghiêm Hàm 山宮御神幸道の復原に関する試論 ⅰを発展させ たものであり 現在 ベトナム国家図書館および 第二十回 二〇一八年一月十七日 たものである フランス国立図書館に所蔵される 山宮御神幸は 十六世紀後半から一八七四 明 十九世紀末から二十世紀初頭にかけて ベトナ 治七 年まで行われていた富士山本宮浅間大社の 比較信仰文化研究班 三 ムはフランス植民地であったため ベトナム社会 神事である その内容は 浅間大神の宿った鉾を 主幹 新谷英治 では 維新運動や東遊運動など 様々な運動が起 持つ神職らが 富士山本宮浅間大社と山宮浅間神 こった そのため ベトナム社会で東西の文化が 社との間を往復する その行路には 丁目石と呼 概要 接触した結果 ベトナムの儒者は二派に分かれた ばれる石碑が五〇基ほどあったようだが 現存す 本研究班は日本および世界の様々な 祈りの場 るものは五基のみで 順路 行路ともその詳細は 一つは東京義塾運動のリーダーを代表とする愛国 および進歩的儒者であり もう一つは潘佩珠 チ の様相とその役割 意義を検討することにより人々 明らかにされていない ャン チョン キムなどを先駆者とし 東西文化 の 祈り に見られる普遍性と個別性を探ろうと 本研究では 山宮御神幸に関する複数の資料ⅱ の融合を主張し かつ民族精神を持つ儒者である 試みている 今回の研究例会では 地理学 民俗 から ランドマークや地名を拾い 当時の地名と という指摘がある また 近代的思想 実学 国 学 歴史学を専門とする三名がそれぞれ 富士宮 照らし合わせながら行路を断定した これらをも 語字 ローマ字表記 フランス語の教育施設であ 市における山宮神幸の道筋の復元を通じて日本の とにデジタルマップを作製して可視化を試みた る東京義塾は 一九〇七年に梁文玕とその他の先 神社信仰のあり方を解明する試み 戸隠の聖地と 進的な儒者たちによって 北圻 トンキン 現在 しての構造を クチ オク 理論で解明する試み ⅰ新谷英治編 二〇一七 祈りの場の諸相 東西 十六世紀の地中海航海案内書に現れる 祈りの場 学術研究所研究叢書 ユニウス出版 二一 四 のハノイ に建てられた 五 このようなベトナム社会において 二十世紀初 ヒドゥル イルヤース ヒドゥル イルヤースル 富士の研究Ⅱ浅 頭に出版された梁文玕 梁温如家訓 には 十九 クの実態を探る試みを内容とする研究報告を行な ⅱ浅間神社社務所編 一九七三 間神社の歴史 名著出版 古今書院一九二九年 世紀以前までにベトナム知識人による 家訓 文 い それらをうけて質疑応答 討論を行なった の複製 献には見られない実学や近代的思想 国語字 ロ 静岡県富士郡大宮町 富士宮市における山宮御神 土屋勝太郎編 一九八七 ーマ字表記 やフランス語学習といった 新学 齋藤鮎子 準研究員 誌 大宮町誌復刻刊行会 一九三〇年の複製 幸道の再考 的内容が豊富に含まれている 恐らく このよう 寛文十 一六七〇 年浅間大社絵図写 浅間神 な 梁温如家訓 の内容形成に影響を与えたのは 森 隆男 非常勤研究員 聖地 戸隠の空間 社社務所編 一九七三 浅間文書纂 名著出版 ベトナムの社会背景や東京義塾の教育方針であっ 新谷英治 研究員 地中海航海案内書に見える 一 九 三 一 年 の 複 製 第 一 七 章 四 和 尚 宮 崎 氏 文 祈りの場 たことが予想される 書 山宮御神幸路間數覺 本発表では 二十世紀初頭のベトナムの社会背 第九十三号 18

19 森 隆男 非常勤研究員 聖地 戸隠の空間 昨年 拙著で提起した クチ オク の視座で 聖地 戸隠の空間構造を検証した 昨年夏に江戸 時代の参詣道を実際に歩き 石碑や遺構を確認し ながらいくつかの結界が少なくとも三重の聖域を 創出していることを確認した それらはまず政治 権力の侵入を防ぎ 次に女人禁制を守ることと密 接に関わっている しかし女人堂や奥院の前に建 立された女人結界碑の位置には空間上のずれがあ り 比較的あいまいな認識がなされていたように 思われる 戸隠においてこのタブーが顕在化する のは 家康によって千石の神領が安堵され 奥院 と中社 宝光院の間に明確な序列がうまれた江戸 時代初期以降と考えられる また戸隠山の地主神 は九頭龍神で 本地は弁財天である ここには他 の修験の聖地と共通する 女性性 を認めること ができる その背景には修験の聖地化以前に 農 民による水神信仰が存在したことを考える必要が ある 新谷英治 研究員 地中海航海案内所に見える 祈りの場 十六世紀前半にオスマン朝治下でピーリー ラ イースによって編纂された地中海航海案内書 キ ターブ バフリエ には 九二七年本系写本 九 三二年本系写本いずれにおいてもヒドゥル イル ヤースないしはヒドゥル イルヤースルクなる表 現が現れ またそれらが現れる地点は地中海東北 部に限られる ヒドゥル イルヤースは聖ゲオル ギオス信仰と関わることが指摘されているが キ ターブ バフリエ で言及されるヒドゥル イル ヤース ヒドゥル イルヤースルクの実態は キ 19 第九十三号 ターブ バフリエ 本文の記述からは判然としな 発表要旨 い 九三二年本系写本に現れる五箇所のうちの三 箇所について二〇一七年夏にエーゲ海 ギリシア で報告者が行なった現地調査から知られるところ では ヒドゥル イルヤース ヒドゥル イルヤ ースルクは聖ゲオルギオス教会堂の存在と深く関 わっているように思われる 第二十一回 二〇一八年一月二十七日 主幹 玄 幸子 非典籍出土資料研究班 三 概要 次の通り研究班研究員による研究発表が行われ た 毛利英介 非常勤研究員 石刻史料による遼代外交儀礼研究の試み 秦 徳昌墓誌銘 より 本報告では 中国遼寧省建平県 遼 契丹 中 京東北近郊 で一九九〇年に出土した遼 秦徳昌 墓誌銘 に注目して 十一世紀のいわゆる東アジ アの外交儀礼に対して検討を行った 秦徳昌なる 人物は遼の第七代皇帝である興宗の側近として活 動した武臣の漢人官僚であり かかる活動の一環 として高麗 北宋 西夏に対して外交使節として 赴いた経歴が墓誌銘の記述により知られる 取り 分け 一〇四四年の西夏に対する派遣は遼 西夏 両国が交戦状態にあった時期における派遣であり 墓誌銘でも当時の西夏の君主である李元昊との会 話を含めた詳細な記述が残される 今回は当該部 分に見られる 正坐 并坐 という両者の対面 時に紛糾した席次に関する表現に対する分析を中 心として議論した ここで言う 正坐 が単独で 南面することを指すのは他の用例などからほぼ問 題がないが それに比して対等な関係を示すであ ろう 并坐 が具体的に示すものは複数の可能性 が存在して未確定である 今後の更なる追究を期 したい 毛利英介 非常勤研究員 石刻史料による遼代外 交儀礼研究の試み 秦徳昌墓誌銘 より 李 宇一 準研究員 唐代神策外鎮に関する一考 察 森部 豊 研究員 近年の唐朝の羈縻支配に関す る研究動向 個別報告は別記参照 会場から 高田委嘱研究 員はじめ山口正晃大手前大学准教授 東アジア宗 教儀礼研究班非常勤研究員の藤原崇人氏から質問 および意見がだされ 活気のある討論が展開され た 李 宇一 準研究員 唐代神策外鎮に関する一考察 従来の 神策外鎮 に関する研究は 外鎮 に 対する定義が異なっている為 その構成の基準も 一致していない すると 今まで 神策外鎮 の 全体像が未だに見つからない そこで 本発表は 従来にある 神策外鎮 の定義をまとめて分析し

20 第九十三号 20 その基準を統一して 外鎮の構成を明らかにしな がら その構成が神策軍全体或いは唐王朝の存続 に対して与えた影響を検討したものである 第一章では 両 唐書 資治通鑑 陸宣公 奏議 等史料にある長安以外に駐屯する神策軍の 種類と先行研究にある 神策外鎮 の定義をまと めて整理し 其々の異同点を分析した結果 神策 外鎮 を 屯営 左右行営 遥隷行営 の三 種類に再定義した 第二章では 再定義した 神策外鎮 を基準に して 唐代人の詩文集或いは編纂史料や石刻史料 等から 外鎮 の構成を検討した また 其々の 組織構造を分析したことによって 外鎮 の存在 は徳宗朝から僖宗朝まで神策軍全体の軍事力の保 有或いは西北地域の安定を維持した要因であった ことが分かった 森部 豊 研究員 近年の唐朝の羈縻支配に関する研究動向 本発表は 二〇一五年に発表された王義康の羈 縻支配に関する論文の内容紹介を中心に 今後の 唐朝羈縻支配研究の方向性をさぐるものであった まず 唐朝の羈縻支配に関する研究史の概略を説 明した後 本論に先立ち 従来の伝統的な唐朝羈 縻支配の見方を提示した すなわち それは 唐 へ帰順してきた 異民族 の首領に唐の官職 州 刺史 県令 を与え その部族集団を羈縻州県と して間接的に統治し 州刺史等の職は世襲すると いうものである それに対し 近年の研究では以下の新しい点が 指摘されている それらは ①羈縻州は一元的で はないこと ②羈縻州県内に漢人の州県官の存在 が認められること ③羈縻府に監視役 長史 が 設置されていたこと そして④羈縻州で府兵制が る 伊勢物語の伝説 第八十四段の場合 と 施行されていたことの四点である 特に王義康 唐 題する研究発表 長谷部剛研究員による 戦争と 代中央派員出任蕃州官員吏員考 史学集刊 二 漢詩 新聞 泊園 所掲の藤澤黄坡作を中心に 〇一五 六 は 石刻資料を利用し 羈縻州県に と題する研究発表の四部構成であった そ 派遣されていた漢人官僚の事例を一六例以上あげ れぞれの課題に関する研究活動の中途報告であり ている いずれも日本古典文学研究の領域に属する内容で これを踏まえ 今後の羈縻州研究再考の道をさ あった ぐってみた まず 羈縻州をどうとらえるのかで 発表要旨 あ る が 羈 縻 州 に は 二 種 類 あ り そ の う ち 一 字 の漢字で表現される羈縻州は準正州とみなせ 北井佑実子 非常勤研究員 るのではないか 遼寧朝陽出土の墓誌から 羈 文学作品としての 貫之集 前半部屏風歌に 縻州に折衝府が置かれていたことが明らかになる ついて が こ の 羈 縻 州 は 一 字 羈 縻 州 で あ る ま た 今日伝わる 貫之集 の伝本中 近世以降最も 営州界域の 一字羈縻州 では漢人による文書行 流布したのは歌仙家集本で 九巻八八九首の歌が 政があった可能性がある これらの問題が 今後 収められている その構成は 巻一 巻四 屏風 巻六 賀部 唐の羈縻支配を考えていく上での一つのポイント 歌五三二首 巻五 恋部一四四首 二四首 巻七 別部四二首 巻八 哀傷部二七 になるだろう 首 巻九 雑部一二〇首 となっている 九巻仕 立てで 八八九首のうち屏風歌が五三二首 歌集 全体の半数以上を占めている 貫之は 屏風歌歌 人として 生涯多くの屏風歌を詠んだ 屏風歌は 第二十二回 二〇一八年一月二十七日 自ら進んで詠むものではなく 権門貴紳からの依 頼によって詠む 従って 貫之が生涯多くの屏風 日本文学研究班 三 歌を詠んだことは 彼自身にとってたいへん名誉 主幹 長谷部 剛 なことであると言えよう 貫之が歌人として活躍した平安時代前期 これ 概要 ほどまとまった形で屏風歌が収録されている作品 は他に 類 を み な い 本 発 表 で は 貫 之 集 と い う 一文学作品を評価していく上で 前半部屏風 歌 巻一 巻四 をとりあげ その意義について 調査を試みた 今回の研究例会は 北井佑実子非常勤研究員に よる 文学作品としての 貫之集 前半部屏風 歌について と題する研究発表 福留瑞美非 常勤研究員による 中世和歌における万葉表現の 受容 あかねさす紫野ゆき標野ゆき 歌の場 合 と題する研究発表 山本登朗研究員によ

21 福留瑞美 非常勤研究員 中世和歌における万葉表現の受容 あかねさ す紫野ゆき標野ゆき 歌の場合 万葉集二〇番 茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は 見ずや君が袖振る という和歌は その作者の額 田王の人物像との関係により 現代では研究論文 や学術書だけではなく 小説 ドラマ エッセイ 漫画などの新たな文芸にも取り上げられることも あって 歴史や古典を多少嗜む人にとっては有名 な和歌と言える このようによく知られている二〇番歌ではある が その解釈については時代ごとにかなり揺れが あった そこで本発表では どのように二〇番歌 が解釈されて受け継がれていったのか 当時の歌 人達がどのような説を受け入れて和歌として摂取 してきたのかを 時代ごとに確認していった そして それらの解釈の中においてもかなり奇 抜と思われる 紫の雪 説でさえ 表現の面白さ ということに注目されて 受け継がれていく実態 があったことを提示した 山本登朗 研究員 伊勢物語の伝説 第八十四段の場合 伊勢物語については 多くの伝説が伝えられて いる 伊勢物語の周縁に さまざまな時代に多様 な注釈が作られ 比較的身分の高い人々はそれら によって伊勢物語を理解し 享受してきた その さらに外縁に 伊勢物語を改作したさまざまな文 学作品や芸能があり 一般的な大衆はそれらを通 して伊勢物語を享受していた そして さらにそ の外側に広がっているのが伝説の世界である 今回は 主人公とその母の和歌の贈答で構成さ れる第四十八段に注目し 京都市の大原野に伝え 21 第九十三号 国威 第一部は KU ОRCASユニット 研究 集会 として キャラクターと言語 をテーマに 金水敏 大阪大学 村上春樹のキャラクター分析 と翻訳 岡島昭浩 大阪大学 近代方言意識史を目指して 西郷隆盛はどう語らせられてきたか 第二部 デジタルアーカイブと言語分析 をテ ーマに 内田慶市 研究員 KU ОRCASの目指す もの 中国語とデジタル化の現状と未来 當山日出夫 花園大学 文字研究とコンピュータ 仮名と Unicode 仮 のこれまでとこれから JIS 名 上阪彩香 大阪大学 テキストマイニングを用い た近世浮世草子の検討 沈国威 研究員 近代語研究とコーパス られている 業平父母塔 と呼ばれている三基の 第二十三回 二〇一八年二月十日 五輪塔を取り上げてみた この 業平父母塔 は さかのぼると正徳元年 一七一一 刊の 山州名 言語接触研究班 五 跡志 にも記載があって それ以前から その場 主幹 沈 所が伊勢物語の主人公 在原業平の母の住んだ場 所として伝えられていたことが知られる 概要 付近の十輪寺にはまた別の伝説も伝わり 業平 の供養塔も実在する 江戸時代このあたりを領地 としていた花山院家は 和歌にもすぐれた家であ り これらの伝説と花山院家の間に何らかの関わ りがあった可能性も大きい 今後は その方向も 含め さらに追求を進めたいと考えている 長谷部剛 研究員 戦争と漢詩 新聞 泊園 所掲の藤澤黄坡作を 中心に 新聞 泊園 には 泊園書院第四代院主 藤澤 黄坡の漢詩が多く収められており そのなかには 刊行された詩集 三惜書屋初稿 および 三惜書 屋二稿 未収録の詩があるので 黄坡の漢詩を読 み解く上できわめて貴重である 特に刊行された 詩集には未収録の詩には 太平洋戦争における日 本軍シンガポール占領を奉頌する詩 第一次祝捷 日記喜 など 戦争讃美の漢詩が含まれており これは明治 大正 昭和期の日本漢詩の特徴の一 つと言えるものである 今回の発表では 近藤芳美 戦争と短歌 を参 考しながら 太平洋戦争 および日中戦争 に従 軍した日本人兵士には短歌を詠む者がいたので 過酷で残虐な戦争の実態を記した短歌が確認でき るものの 戦争期 漢詩を詠む者は高齢化し 後 方で戦争の現実を知らないまま 日本の戦捷を讃 美する詩を作り続けていたことを指摘した 第一部は基調講演として 金水敏先生は村上春 樹の 海辺のカフカ のキャラクターの言語を役 割語という切り口から分析 岡島昭浩先生は西郷 隆盛を主たる分析対象とし 方言がキャラクター 形成にどのように関わってきたのかを論じた 第二部は デジタルアーカイブと言語分析とい う総合テーマの下で 発表者は それぞれの分野 の視点からどのように研究が積み重ねられてきた かと同時に 今後の研究動向について最新の研究 1

22 沈 国威 研究員 近代語研究とコーパス 近代語研究とコーパス というテーマで 近代 語研究の任務について 一 語源記述 つまり語 の由来に対する言語使用者の強い関心に答えるた め 二 語彙体系の近代化過程を解明するためと 論じ 特に言葉に対する時代の要請がどのように 実現されたのか が 近代語研究に従事するも のとして答えなければならないことを近代の科学 叙述を成立させる事項に関連しながら考え方を述 べた 更にこのような近代語研究は どのような コーパスを求めるか つまり近代語コーパスの役 割と限界をしっかり認識した上で 研究を展開し なければならないことを 基本語化現象 を例に 発表要旨 近藤昌夫 研究員 赤い鳥 のチェーホフ クリスマス物語の再 話をめぐって 第二十四回 二〇一八年二月二十七日 赤い鳥 のチェーホフの再話傾向を分析し 大 西洋文学における信仰とフィクショ 正 から昭和初期に至る再話基準の変化とチェーホ ン研究班 三 フ 受容の一端を明らかにした 西洋文学における宗教とテキス 分析の結果 前期は 民主的社会運動などの時 勢にたいし 社会性よりも精神性を再話基準に トの関係 さらに後期は 子供の純性 の追求を目的として 主幹 和田葉子 実践性を強めたことがわかった 三重吉がストー リィを破壊してまでチェーホフの再話で重視した 概要 のは 情操の育成のための繊細な心理描写であっ クリスマスをテーマにしたロシア文学の日本に た おける大正から昭和初期に至る受容 十四世紀に このような再話方針に基づく 赤い鳥 のチェ アイルランドで生まれた中英語作品が書かれた社 ーホフの受容についていえば 絶望の詩人 シ 会的コンテキスト そして フランス文化と文学 ェストフ とは一線を画し 社会的側面 人間性 に深く流れてきた古代ローマ キリスト教 古代 ユーモア 心理描写の妙を同時代の読者に提供す ギリシャの影響について 三名の研究員が発表を ることで わが国の近代的子供像の形成に寄与し 行った 各研究員が扱った時代と地域はそれぞれ たといえる だが クリスマス物語が複数再話さ 大きく異なっているが いずれも 西洋文学に異 れていたにもかかわらず 童心主義 大正自由教 なる地域の文化が強い影響を与えながらも その 育 さらに志賀直哉のチェーホフ像の影響もあっ 根幹にはキリスト教が存在していることを明らか て背景にある降誕祭の文化まで踏み込んだ理解に にした は至らなかった なお 鼓宗研究員は コスタリカの現代詩 フランシスコ カルロス モンヘの選詩集を通し 和田葉子 研究員 収録の て を発表予定であったが インフルエンザのた London, British Library, MS Harley 913 に見られる逆さまの世界 め 発表を行えなかった The Land of Cokaygne 一三四〇年頃 アイルランドで筆写されたと考 えられている London, British Library, MS には ラテン語 英語 フランス語で Harley 913 書かれた作品が収録されている この中に ラテ 成果を発表した 挙げ 考察した 発表後 討論及び質疑応答を行った 学内外か ら五〇名以上が参加した 発表要旨 内田慶市 研究員 KU ОRCASの目指すもの 中国語とデ ジタル化の現状と未来 デジタルアーカイブと言語分析と銘打ったワー クショップにおいて KU ОRCASと目指 すもの 中国語とデジタル化の現状と未来 と 題して発表を行った 昨年の十月に文科省の私立大学研究ブランディ ング事業に採択されて成立した関西大学アジア オープン リサーチセンターの目指すもの 特に 三つのオープン化と各ユニットの研究テーマ等に ついて述べ 更には 中国語の自然言語処理等に ついても現状と課題について報告を行った 第九十三号 22

23 ン語で書かれた Missa de potatoribus 大酒飲み 文明の衝突 は ソヴィエト連邦の崩壊によるイ 第二十五回 二〇一八年三月六日 のミサ という 明らかに厳粛なミサをパロディ デオロギー対立時代の終焉と それに伴う民族紛 東アジア宗教儀礼研究班 五 にした作品がある 酒の神のバッカスを讃えつつ 争の時代の到来を予告した ほどなく二〇〇一年 アジアにおける道教と民間信仰 男たちが飲む 打つ 買う を楽しむ内容になっ イスラム原理主義の過激派がニューヨークの貿易 ている したがって この作品は 中世のヨーロ センタービルにテロを仕掛けた 異民族間の対立 の展開 ッパで 若い学生がどんな無礼も公然と許されて が顕著な形で現れ ハンチントンの予告が現実の 二階堂善弘 いた愚者の祭りのために書かれ 詠唱された可能 ものとなった 文化的アイデンティティーは言語 性が高いと思われる 人々はこの祭りの日には 歴史 宗教などさまざまであるが 言語について 概要 身分の上下 人間と動物 男と女を逆転させ 日 言えば 西ヨーロッパはラテン語とギリシャ語が ごろのうっぷんを晴らすのである 基盤になっている フランス語はそれら二言語か アジアにおける道教と民間信仰の展開 という 同じ写本に 当時の聖職者の堕落ぶりを描いた ら派生したので その実例を具体的な語彙を挙げ テーマで アメリカ合衆国ラトガース大学の劉迅 とい て紹介した また 十六世紀フランスの宗教戦争 教授と 本学の二階堂善弘教授の二名が研究発表 中英語による諷刺詩 The Land of Cokaygne う作品がある この詩を 愚者の祭りという観点 が象徴するように宗教が違うと人々は殺し合うこ を行った 司会は 本学吾妻重二教授が担当した から読み直してみると 多くの 逆さま の要素 とがある フランスはカトリックの国で その文 劉迅教授の発表は中国語で行われた タイトルは が盛り込まれていることがわかる 例えば 中世 化がフランス人の生活に浸透している証左を 子 清末道教主導和踐行的士人藝術 精英文化與地 には東の果てに楽園があるといわれていたが コ 供の命名に聖人 聖女の名を用いることに求めた 方社會 以河南南陽的玄妙觀為中心的研究 と ケインの国は西の果てにある そして 動物も糞 また フランスのプロテスタントの雄カルヴァン いうものである 中国大陸の河南省南陽にある玄 もなく 花が咲き乱れ 宝石や贅沢な食べ物がど は 過酷な神権政治を展開したが そのカルヴァ 妙観という道観を中心として 道教の道士のみな こにでもある 修道士は食欲と肉欲を満足させて ン主義は英国に渡ってピューリタニズムになった らず 多くの読書人や信徒を巻き込んだ形での芸 おり 聖職者のあるべき姿とは真逆である この カルヴァンの 世俗内禁欲 と 禁欲的労働 の 術活動 および文化的な様々な活動が行われた 詩の最後に 作者は 男性に呼びかけ この国に 教えは 金儲けを卑下する風潮を覆し 商業活動 その展開と実例について詳しい報告が行われた 行きたければ 七年間 豚の糞尿の海を泳いで行 にお墨付きを与えたのである マクス ウェーバ 発表ののち 大阪府立大学教授の大形徹教授をは かねばならないが 試してみる価値はある と締 ーによれば こうしたプロテスタンティズムこそ じめとして多くの研究者が質問し 活発な討論が 行われた 引き続き 二階堂教授は マレーシア めくくっている この糞尿の海は 懺悔の苦行の が近代資本主義の精神なのである シンガポールの華人廟における特殊性 地域信 パロディであると思われるが この詩では 苦行 仰との習合を中心に とのタイトルで発表を の結果 素行の悪い修道士たちの住む国に到着す 行った マレーシアとシンガポールの華人廟の特 る し た が っ て こ れ も 逆 さ ま で あ る The も愚者の祭りの娯楽の一環であ 色について説明を行った 特に華光大帝や清水祖 Land of Cokaygne ったと考えられる 師などの例を挙げて論じ またマレーシアの土地 神ダトゥと華人祭祀の混淆についても論じた こ ちらも発表後は奈良学園大学の山田明広講師をは じめとして多くの質問が出され やはり活発な討 論が展開された 川神傅弘 客員研究員 フランスの文化と文学について 一九九八年サミュエル ハンチントンの著した 23 第九十三号

24 第二十六回 長谷部 二〇一八年三月七日 主幹 日本文学研究班 四 概要 大島薫研究員による研究発表 近代日本の文化 政策 グーテンベルク印刷博物館に寄贈された 日本の印刷物をめぐって を行い さらにハ インリッヒ ハイネ大学教授島田信吾氏を講師と 剛 2 第十七回研究例会に引き続き 同一テーマの第 二ラウンドとして荒川修作監督 荒川修作 マド リ ン ギ ン ズ 脚 本 の 一 九 七 一 年 制 作 映 画 For の上映とそれに関する講演 総合討論 Example を行った 今回は外部講演者として 各国での映 画祭のディレクターを務め 映画論 特に実験映 画に造詣の深い山下宏洋氏 イメージ フォーラ ム をお招きした 山下氏は 従来映画史研究のなかで荒川 ギン ズの映画がどのように位置づけられるかを 他の いわゆる 実験的映像 映画 との比較の中で論 じてくださった そこでは主に以下の三つの論点 が提示された 一 身体の動きを分析的に研究す ることと映像 映画の関係 二 ドキュメンタリ ーとフィクションの境界 三 映画が鑑賞者の感 覚にどのように作用するか これらのトピックを 荒川 ギンズ作品および他の映像作品と照らし合 わせながら 詳細にお話いただいた 山下氏の講演の後 総合討論では 本学文学部 映 像 文 化 専 修 の 堀 潤 之 教 授 に も ご 登 壇 い た だ き 荒川 ギンズの映画作りの観点 音楽の使い方 ナレーションの意味 映画という媒体に対する荒 川 ギンズの姿勢など フロアを交えて活発な討 論がなされた 大島 薫 研究員 て ラウンド 近代日本の文化政策 グーテンベルク印刷博物 館に寄贈された日本の印刷物をめぐって グーテンベルク印刷博物館 ドイツ マインツ 概要 には ドイツ政府の要請で一九四〇年に国際文化 振興会から寄贈された 日本で印刷された典籍が 所蔵されている なかで 片仮名古活字三巻本と 称される 宝物集 現在は上 下巻のみ所蔵 は 原題簽を有する 日本には存在していない これ までの研究において原題簽は確認されていない テクストであると確認できる 原題簽を有するテ クストが出現したことから 片仮名古活字三巻本 宝物集 は嵯峨本であったことが明らかにあった わけだが では日本国内でも稀少な 原題簽を有 するテクストが寄贈されれたのは 如何なる理由 からであったのだろう 本発表では 国際文化振 興会が 欧米に向けて日本の伝統文化を紹介する ことによって どういった成果をあげていると報 告していたか また大陸への侵略を進めるなかで 日本の伝統文化をもって如何なるイメージを欧米 に対してアピールしようとしていたかについて提 示した して招き 人間の尊厳 グローバル化する社会 第二十七回 二〇一八年三月十一日 発表要旨 のなかで と題する講演をしていただいた 身体論研究班 三 二階堂善弘 研究員 発表要旨 映 画 をめぐっ マレーシア シンガポールの華人廟における特殊 For Example 性 地域信仰との習合を中心に マレーシア シンガポールの華人廟における特 主幹 三村尚彦 殊性 地域信仰との習合を中心に というタ イトルで発表を行った まずシンガポールにおい て 福建系や広東系などの来歴を無視した 聯合 廟 が建てられている問題を論じた 次に マレ ーシアやシンガポールの華光大帝が 二郎神と混 同されている問題について指摘した そして閩南 四大聖王の信仰が他の地域と異なっている点につ いて論じ 三大祖師の祭りが台湾地域と異なる点 についてもふれた 併せて マレーシアの土地神 ダトゥとの信仰の混淆 また華人廟においてガネ ーシャ神などのヒンドゥー教の神が祭祀される状 況についても報告した 最後に 封神演義 の地 域信仰への影響についても論じた 第九十三号 24

25 事情探索者たち Ⅱ 東西学術研 五頁 二〇一七年五月 彙報 二 〇 一 八 年 三 月 近 究所資料集刊 代英華字典環流 從羅存德 井上哲次郎到商 刊 務印書館 思想史 七 台湾中央研究院 査 一 出版物 内 田 慶 市 編 著 読有 專號 英華字典與思想史研究 六四 一 二〇一七年四月一日 二〇一八年三月三十一日 北京官話全編の研究 付影印 語彙索 〇二頁 二〇一七年五月 内田慶市編 引 下巻 東西学術研究所資料集刊 The Emergence of Modern Chinese-Foreign 二〇一八年三月刊 東西学術研究所紀要 第五十輯 二〇一 Language Dictionary: Ideas and Practice 査読有 XXXIV by Leuven Chinese Studies 中谷伸生著 七年四月刊 日本の近世近代絵画と文化交渉 東西 内田慶市編 the Ferdinand Verbiest Institute of the 学 術 研 究 所 資 料 集 刊 二 〇 一 八 年 三 東西学術研究所々報 第九十二号 二〇 University of Leuven. pp 十 月刊 一七年五月刊 九 二十世紀之交的 新名詞 和新国語 孫 江ほか編 学衡名家講演録 南京大学出版社 吾妻重二編 二 研究員の研究活動 査 読 無 第 一 巻 五 〇 六 二 頁 二 〇 一 七 年 泊園 第五十六号 二〇一七年六月刊 二〇一七年四月一日 二〇一八年三月三十一日 五月 内田慶市編 厳 北京官話全編の研究 付影印 語彙索 言語接触研究班 復的 格致 従培根到斯宾塞 以 天演 引 中巻 東西学術研究所資料集刊 論 前後為中心 亜洲概念史研究 南京大学 沈 国威 研究員 二〇一七年五月刊 査 読 有 第 三 号 四 九 八 一 頁 二 〇 一 七 年 著書 吾妻重二編著 四月 泊園書院と漢学 大阪 近代日本の水脈 現 代漢語詞彙義系 共編著 関西大学東西 関西大学創立 周年記念泊園書 研究発 学術研究所 全四三〇頁 二〇一八年三月 権LI 考 概念範疇的確立及詞化 東西学術研 厳 院シンポジウム論文集 表 漢字文化圏近代語研究会二〇一八年度国 復與科学 単著 鳳凰出版社 南京 全 究所研究叢刊 二〇一七年八月刊 二九〇頁 二〇一七年五月 際シンポジウム 語彙史から概念史へ 二〇一 近 松浦 章編著 八年三月二十四日 南京大学 代日中語彙交流史 改訂新版新装版 単 近 著 笠間書院 全四七三頁 二〇一七年五月 天保七年薩摩片浦南京船金全勝號資料 代語研究とコーパス 研究発表 東西学 江戸時代漂着唐船資料集十 東 論文 術研究所第十五回研究例会 二〇一八年二月十 二〇一八 対譯與解読 厳復 政治講義 Ⅳ 共著 日 関西大学 西学術研究所資料集刊 年二月刊 或 問 査 読 無 三 二 号 一 三 九 一 五 六 頁 善 鄰 譯 書 館 與 明 治 期 的 漢 學 家 以 岡 本 監 輔 及其 東洋新報 為中心 研究発表 二〇一 吾妻重二編著 二〇一七年十二月 家礼文献集成 日本篇 七 東西学術 対 譯與解読 厳復 政治講義 Ⅲ 共著 七年十二月十五日 香港中文大学 文化交渉学 二〇一八年三月 或 問 査 読 無 三 一 号 一 六 七 一 八 二 頁 研究拠点経費 研究所資料集刊 近 研究発表 日 刊 二〇一七年六月 代漢語の基本語化について 厳 翻訳史研究 香港 本語学会二〇一七年秋季大会 二〇一七年十一 陶 徳民編著 復譯詞引発的若干思考 中文大学 査読有 二〇一六号 一九〇 二一 月十一日 金沢大学 平山省斎と岩瀬忠震 開国初期の海外 第九十三号

26 二〇一七年六月二十一日 華中師範大学 外国 その他 科 学之於厳復 読 西学門径功用 研究発 漢 語学院 表 ワークショップ 科学 術語 理解 闡 字との接触と受容 漢検漢字文化研究所連 釈與傳播 二〇一七年十一月一日 復旦大学 近 代 関 鍵 詞 的 誕 生 與 科 学 叙 事 研 究 発 表 続 講 座 二 〇 一 八 年 一 月 二 十 七 日 二 月 十 七 國際學術研討會 中國近代核心概念的翻譯與 日 三月二十四日 漢字ミュージアム多目的室 文化交渉学研究拠点経費 詞彙的体系與二語詞彙習得 講演 国際学 傳 播 二 〇 一 七 年 六 月 三 日 香 港 中 文 大 学 橘 の 寺 の 長 屋 に 万 葉 の 戯 笑 歌 を よ む 術研討会 近代東亜歴史 思想 語言的接触與 文化交渉学研究拠点経費 飛鳥史学文学講座 二〇一七年十一月十二日 研究発表 東アジア文 互動 二〇一七年十一月三日 上海東華大学 近 飛鳥公民館 代語研究と概念史 シンポジウ 化交渉学会第九回国際シンポジウム 二〇一七 飛 外国語学院 文化交渉学研究拠点経費 鳥を生きた万葉歌人 女性篇 概 ムパネリスト かんだい明日香まほろば講座 年五月十四日 北京外国語大学 文化交渉学研 念 史 研 究 的 内 涵 與 外 延 理 論 與 方 法 論 視 角 的再梳理 研究発表 工作坊 概念 詞語的 二〇一七年七月十六日 有楽町朝日ホール 究拠点経費 歴史脈絡 二〇一七年九月二十五日 北京外大 為 了 実 現 国 語 的 科 学 中 日 近 代 的 国 語 建 構 万 葉集を原文で読もう 箕面市文化財愛好会 講演 二〇一七年五月十一日 中国科学院大 平成二十九年度歴史講演会Ⅰ 二〇一七年四月 全球史研究院概念史研究センター 国 二十四日 箕面市文化 交流センター 語的科学 科学的国語 文之類別與複音詞 学 研究発表 国際学術研討会 現代文学與書写 我 們為什麼需要二字詞 講演 二〇一七 内田慶市 研究員 年五月十日 北京外国語大学中文学院 語 言 二 〇 一 七 年 九 月 二 十 三 日 北 京 大 学 著書 中文系 乾 善彦 研究員 い 北 わゆる 基本語化 現象について 言語接 京 官 話 全 編 の 研 究 付 影 印 語 彙 索 引 下 触と語彙体系の近代化 基調講演 第五回中 論文 巻 共著 内田慶市編著 関西大学東西学術 再び 您 に関わる 日韓朝言語文化比較研究国際シンポジウム 二 万 研究所資料集刊四〇 三 葉集のテキストと注釈 仙覚と契沖の場合 日本文学研究ジャーナル 査読無 第 ことがら 関西大学出版部 一 十四頁 全 〇一七年八月十八日 延辺大学 一九一五 與漢語的近代化 基調講 五号 五一 六二頁 二〇一八年三月 九五四頁 二〇一八年三月 辞源 北 演 国際学術研討会 商務印書館與中国現代 京 官 話 全 編 の 研 究 付 影 印 語 彙 索 引 中 巻 内田慶市編 関西大学東西学術研究所資 文化的興起 二〇一七年八月十日 北京商務 韓 国 中 央 図 書 館 蔵 小 野 篁 歌 字 尽 と 慶 長 版 和玉篇 第一一五回国語語彙史研究会 二 料集刊四〇 二 関西大学出版部 全七五六 印書館 漢語的近代化與日語 講演 二〇一七年六 頁 二〇一七年五月 〇一七年四月二十二日 同志社大学 A Study of Cultural Interaction and 月二十三日 武漢工程大学 外国語学院 文化 調査 資料収集など 林 交渉学研究拠点経費 原美術館 二〇一八年三月二日 三月十日 Linguistic Contact Approaching Chinese 日 講演 二〇一七年 昭 V&R 和美術館 二〇一七年八月三十一日 語学術論文写作浅談 Linguistics from the Periphery 太田記念美術館 二〇一七年七月二日 九月三 六月二十三日 華中師範大学 日本語系 Unipress, 281p, 2017 近代譯詞創制研究的幾個問題 レクチャー 十日 二〇一八年一月十八日 中 国語と私 共著 好文出版 全一一三頁 万 華中師範大学 翻訳史サマースクール 二〇一 二〇一七年三月 葉文化館 二〇一七年六月十日 十一日 八 月二十日 八月三十日 二〇一八年二月二十五 論文 七年六月二十二日 華中師範大学 十 講演 日 Research on CHINESE LANGUAGE 九 二十世纪之交的新国語和新名詞 第九十三号 26

27 The translation of culture. Aesop in the East from the point of view of cultural 基調講演 ISCAL International interactions Symposium on Culture, Arts, and Literature 二〇一七年八月八日 大阪コンベンショ STUDIES BY MISSIONARIES FROM THE 2017 END OF 16TH TO THE END OF THE ンホール FERDINAND VERBIEST 周 边看中心 汉语研究的一个方法 研究発 19TH CENTURY 査読有 pp. 表 東アジア文化交渉学会第九回国際シンポ INSTITTUTE, KU LEUVEN ジウム 二〇一七年五月十四日 北京外国語大 学 文化交渉学研究拠点経費 何 禮之在明治維新期西書翻譯中的貢獻 研究 デジタル アーカイブに関する口頭発表 発 表 第 二 回 中 国 翻 訳 史 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム K U ORCAS オープン プラットフォ ームが切り拓く新しい人文知の未来 研究発 二〇一七年十二月十四日 香港中文大学 關 表 KU ORCASキックオフ シンポジ 於江沙維的漢語研究以 漢字文法 的北京話 研究発表 第五回澳門学国際シン 為主 ウム デジタルアーカイブが開く東アジア文化 ポジウム 二〇一七年十一月二十五日 暨南大 研究の新しい地平 二〇一八年二月十七日 関 学 西大学 文 基調講演 国 K 化交渉学と言語接触研究 U ORCASの目指すもの 中国語と 際シンポジウム 東アジア文明 継承と創造 デジタル化の現状と未来 KU ORCAS 二〇一七年十一月十八日 浙江大学 第一回研究集会 東西学術研究所第二十三回研 文 講演 二〇一七年 究例会 二〇一八年二月十日 関西大学 化交涉学和汉语研究 十月二十三日 上海師範大学 調査 資料収集など 漢 基調講演 第九回 欧 亜 日中独オーストリア 博士院生フォーラ 語研究的周辺方法論 世界漢語教育史研究学会 二〇一七年十月二十 ム 二〇一七年九月二十九日 十月三日 北京 二 日 華 東 師 範 大 学 文 化 交 渉 学 研 究 拠 点 経 外国語大学 費 資料収集 言 リ ヨン図書館 フランス および日中伊院生フ 葉を学ぶとは 中国語へのいざない 講 演 二〇一七年十月十六日 関西大学北陽高 ォーラムとバチカン図書館との協定調印式 ロ 校 ーマおよびバチカン 二〇一七年九月七日 白線の内側でお待ち下さい 言葉を学ぶとは 十六日 I 講演 二〇一七年九月四日 岐阜総合学園 IIF世界会議 バチカン市国 二〇一七 什 么 是 翻 译 从 文 化 交 涉 学 的 视 角 講 演 年六月五日 十日 二〇一七年八月三十日 東北大学 デジタル アーカイブのための資料調査 大 日本印刷のデジタル関係展示の調査 二〇一 七年九月二十一日 バ チカン図書館 二〇一七年九月十一日 十六 日 27 第九十三号 研究員 リ ヨン図書館 フランス での宣教師の資料収 集 二〇一七年九月七日 十日 奥村佳代子 論文 北 京 官 話 全 編 の 研 究 付 影 印 語 彙 索 引 下 巻 関西大学東西学術研究所資料集刊四〇 三 関西大学出版部 北京官話全編 における 人称代詞 十五 二十二頁 全九五四頁 二 〇一八年三月 唐 話の伝播と変化 岡島冠山の果たした役割 東アジア文化交渉研究 査読有 第十 一号 六十五 七十八頁 二〇一八年三月 関西大学東西学術研究 唐話纂要 の三字話 所紀要 査読有 第五〇輯 三 十八頁 二〇 一七年四月 有 謀生之術 的漢語詞彙翻譯 關 世渡の杖 其 三 唐 通 事 的 非 日 語 漢 語 詞 彙 研 究 発 表 中国翻訳史国際シンポジウム 二〇一七 年十二月十四日 香港中文大学 十 八世紀日本的漢語學習 唐話 和 唐話 概念的變化 研究発表 世界漢語教育史学会 二〇一七年大会基調講演 二〇一七年十月二十 一日 華東師範大学 關 1593 的 語 於 中 文 版 Docttrina Christiana 言 研究発表 東アジア文化交渉学会第九回 国際シンポジウム 二〇一七年五月十四日 北 京外国語大学 文化交渉学研究拠点経費 調査 資料収集など リ ヨン図書館 フランス 二〇一七年九月七日 十日 サ ンフランシスコ大学 アメリカ 二〇一七年

28 委嘱研究員 八月二十三日 九月一日 木津祐子 力衛 委嘱研究員 著書 図 共著 おうふう 第 説 近代日本の辞書 二 三 四章全一六〇頁 二〇一七年九月 キ 共著 郭南 リシタンが拓いた日本語文学 燕編著 明石書店 辞書は伝道への架け橋であ る メドハーストの辞書編纂をめぐって 一 六〇 一九〇頁 全四一四頁 二〇一七年九月 論文 金 翻譯史研究 上 字塔的認識及其意象形成 海復旦大學出版社 査読無 第六輯 一二〇 一五二頁 二〇一七年五月 陳 著書 稲畑耕一郎教授退休記念論集 中国古籍文化 研究 共著 東方書店 京都大学文学研究科 蔵 説文古本攷 田呉炤校本について 上冊二 八一 二八九頁 全四九四頁 二〇一八年三月 探 検家へディンと京都大学 残された六〇枚 の模写が語るもの 共著 木津祐子 田中和子 ヘディンと漢籍 京都大学学術出版会 二三 七 二四八頁 齊召南著 水道提綱 巻二十二 訳注 二六六 二七〇頁 全二七八頁 二〇 一八年三月 楊 凱栄教授還暦記念論文集 中日言語研究論 叢 共 著 朝 日 出 版 社 木 村 英 樹 大 西 克 也 松江崇 木津祐子 中国語史における疑問 詞の指示特性 七 五三頁 全七七二頁 二 〇一七年七月 第九十三号 28 ラ イデン大学 デン ハーグ王立図書館 大英 農 奴 概 念 的 誕 生 及 意 義 擴 展 研 究 発 表 図書館 オックスフォード大学にて十九世紀の 概 念 史 研 究 的 亞 洲 轉 向 研 討 會 二 〇 一 八 年 蘭和辞典および英和和英辞書の調査 二〇一七 三月二十四日 南京大學學衡研究院 年八月二十九日 九月十二日 麥 都 思 的 辭 典 編 纂 及 其 贊 助 人 研 究 発 表 その他 丸 第二屆中國翻譯史國際研討會 二〇一七年十二 山真男 現代政治の思想と行動 の中国語全 訳 現代政治的思想與行動 丸山真男著 陳 月十五 十六日 香港中文大学 作 力衛譯 北京 商務印書館 序 目錄一 一六 爲近代士人 知識倉庫 的日本漢文文獻概觀 以 西洋史記 為個案分析 研究発表 西 頁 正文一 五六五頁 二〇一八年三月第一版 文匯學人 上海 方經驗與近代中日交流的思想連鎖 二〇一七年 漢 語歐化過程中的日語因素 文匯報 二〇一八年一月五日 十二月四日 中央研究院近代史研究所 研究発 共產黨宣言 的版本變遷與現代中國 伊伏啓子 客員研究員 表 近代東亞知識人的國家構想 學術研討會 二〇一七年十二月二日 中央研究院近代史研究 有 所 關 世渡の杖 謀生之術 的漢語詞彙翻譯 近代日本漢文資料について 研究発表 域 其一 以生活用語為中心 研究発表 第 外漢籍与漢字文化圈工作坊 二〇一七年十一月 二 屆 中 國 翻 譯 史 國 際 研 討 會 贊 助 者 的 角 色 二十四日 復旦大学 二〇一七年十二月十四日 香港中文大学 日 語対近代漢語文体的影响 研究発表 現 早 起西方汉语教材里的量詞功能 研究発表 代文学与書写語言国際研討会 二〇一七年九月 世界漢語教育史研究會第九屆年會 二〇一七年 二十四日 北京大学 十月二十一日 華東師範大学 宣 教師メドハーストの辞書編集と 訓蒙図彙 近 代欧文資料に見る中国語の品詞分類につい の利用 研究発表 国際シンポジウム 書物 て 研究発表 東アジア文化交渉学会第九回 にみる絵とことばの三五〇年 二〇一七年七 国際シンポジウム 二〇一七年五月十四日 北 月二十五日 国際日本文化研究センター 京外国語大学 近代中日概念的時間差 以 文學 与 教育 調査 資料収集など リオン市立 為例 研究発表 中國近代核心概念的翻譯 Bibliothèque Municipale de Lyon 図書館 資料調査 二〇一七年九月八日 九日 與傳播 學術研討會 二〇一七年六月二日 香 マ テ オ リッ チ 港中文大学 USF Ricci Institute Library 研究所図書館 UC Berkeley East Asian 調査 資料収集など 中 津 市 立 図 書 館 松 本 清 張 記 念 館 岩 瀬 文 庫 カリフォルニア大学東アジア図書館 Library ハー バー ド 大 学 燕 中津 小倉 西尾 二〇一八年二月二十日 二 Harvard-Yenching Library 京図書館 資料調査 二〇一七年八月二十三日 十三日

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