第 3 編九州帝国大学の拡充 第 3 章法文学部の創設 第 1 節法文学部の創設の経緯 (1) 高等教育の拡張 原敬内閣の 高等諸学校創設及拡張計画大要 1918( 大正 7) 年 9 月に原敬は 四大政綱の 1つとして 教育の再興 を掲げた 第 1 次世界大戦終結後 各国が競って学校施設の充実や国

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1 九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository 九州大学百年史第 1 巻 : 通史編 Ⅰ 九州大学百年史編集委員会 出版情報 : 九州大学百年史. 1, 九州大学バージョン :published 権利関係 :

2 第 3 編九州帝国大学の拡充 第 3 章法文学部の創設 第 1 節法文学部の創設の経緯 (1) 高等教育の拡張 原敬内閣の 高等諸学校創設及拡張計画大要 1918( 大正 7) 年 9 月に原敬は 四大政綱の 1つとして 教育の再興 を掲げた 第 1 次世界大戦終結後 各国が競って学校施設の充実や国力の回復に努めている情勢を鑑み 教育振興や学校増設をもってその政綱の 1 つとした 原内閣においては中橋徳五郎文部大臣が中心となって 高等教育機関創設および拡張の計画を立てた ( 教育史編纂会 明治以降教育制度発達史 第 5 巻 教育資料調査会 1964 年 p.1205) 同年 12 月 26 日には学校大増設計画が中橋文相談として新聞紙上で公表された 原内閣は 12 月から翌年 3 月にわたって開かれた第 41 議会に高等教育機関の拡張計画費として 天皇からの内帑金 1000 万円を含む 4453 万円余を提出し 最終的に貴衆両院を通過することになる 原内閣は 高等諸学校創設及拡張計画大要 を議会に表示したが そこでは大学の収容力増加のために 東北帝国大学と九州帝国大学に法学部を設置することが以下のように予定されていた ( 前掲 明治以降教育制度発達史 第 5 巻 p.1211 原文に句読点を追加) 大学ノ収容力増加ヲ図ラサルヘカラス 其ノ方法ハ既設大学学部ノ拡張及新設之ナリ 其ノ内新設ノ学部トシテハ 京都帝国大学ニ農学部ヲ 東北帝国大学及九州帝国大学ニ各法学部ヲ置カントス そこで表示された計画表によると 大学の学部創設は 4 学部が予定されて 240

3 第 3 章法文学部の創設 いた ( 前掲 明治以降教育制度発達史 第 5 巻 pp 原文の罫線省略 ) 二高等諸学校創設及拡張計画表一創設スヘキ学校 中略 四帝国大学学部 四学部 中略 三高等諸学校創設及拡張建築工事著手年度別 一諸学校並大学学部創設 学校種別 校数 後略 中略 帝国大学学部四 後略 法学部二 後略 工学部一 後略 農学部一 後略 その一方で 文学部は収容能力に余裕があることから 以下のように拡張計画から外されていた ( 前掲 明治以降教育制度発達史 第 5 巻 pp ) 一 大学ノ拡張ニ関シ 中略 法学部及文学部ニ付テハ現在文学部ノ規模ニ収容ノ余力アルヲ以テ今回ノ拡張トシテハ法学部ノミニ止メ 後略 以上の経過を経て 東北帝大と九州帝大に法学部が創設されることになったが 中橋文相は 法学部を九州に置く理由を以下のように述べていた ( 第四十一回帝国議会貴族院予算委員会議事速記第九号 1919 年 2 月 20 日 p.97) ソレカラ学校ノ位置ノコトニ付テ質問ガアリマシタガ ソレハ十分斟酌ヲシ其地方ノ為ニナルヤウニ考ヘテ行ク見込デ居リマス 例ヘテ見マスルト九州ノ大学ニ法科大学ヲ置クト云フノハ 九州ノ書生ヲ全部京都ト 241

4 第 3 編九州帝国大学の拡充 東京へ集メテ来ルト云フコトハ余程工合ガ悪ルイダラウ 勿論収容力ノ 関係ガアリマスカラ 東京ノ法科モ多少拡張ヲ致シマス 京都ノ法科モ 相当ノ拡張ハ致シマスガ 二十五校カノ高等学校カラ行クノニハ未ダ足 こしらリマセヌカラ九州ニ拵ヘル 九州ナドハ其方ニ向イタ学生ガ出ル所デス カラ 向フニ拵ヘマシタナラバ宜カラウト考へテ居リマス しかし審議においてこの九州設置案と並んで 北海道設置案も議論されて かずゆきいた模様である 1919 年 3 月 12 日の予算委員会において江木千之は 法科 大学を九州帝国大学と北海道帝国大学に設置することは 空想 だと批判し ていた ( 第四十一回帝国議会貴族院予算委員会議事速記録第十四号 1919 年 3 月 12 日 p.165) 而カモ六年以内ニ九州ニモ法科大学ヲ置ク 北海道ニモ法科大学ヲ置ク ト云フヤウナコトハ 是ハ甚ダ失礼ナガラ私ハ空想トホカ考ヘヌ しげじろうこれに対して 3 月 13 日の予算委員会において政府委員松浦鎮次郎は 総 合大学ガ完成スル上カラ九州ニ法学部ガナイ 仙台ニ法学部ガナイト云フコ トハ遺憾ナ点デ 後略 と九州設置案を擁護していた ( 第四十一回帝国議 会貴族院予算委員会議事速記録第十五号 1919 年 3 月 13 日 p.178) 以 上のような議論を経て 高等教育機関創設および拡張計画の継続費予算が可 決されたのであった 法学部から法文学部設置へところが 貴族院において法学部の増設では飽き足らないという意向が示され 法学士は幅広い教養を持つべきだという意向が示された こうして第 41 議会の貴族院の予算第三分科会の審議において 計画の内容に関して 高等教育機関創設拡張ノ計画ハ尚調査研究ノ余地アルモノト認ムルニ依リ政府ハ宜シク教育諮問機関ニ諮リ其答申ニ重キヲ置キ適当ノ措置ヲ取ラレムコトヲ望ム という意見が付されたのである ( 前掲 明治以降教育制度発達史 第 5 巻 p.1238) その結果 高等教育機関創設および拡張計画は教育調査 242

5 第 3 章法文学部の創設 委員会に附議し 新構想で検討し直すべきとされたのであった 1919( 大正 8) 年 11 月 27 日 教育調査委員会はいろいろと検討した結果 年度における東北帝大と九州帝大の法学部設置を変更し 法文学 部を設置することを答申した 法学部から法文学部へ変更された事情につい て 12 月 2 日付の 東京朝日新聞 は 九大と法文学部変更の理由 とい う見出しの下 以下のようにコメントしている ( 資料編 Ⅰ-183 p.416) 過般臨時教育委員会に於て大正十年度に於ける東北帝国大学法学部及び 同十一年度に於る九州帝国大学法学部の創設を変更して法文学部と為せ し事は既報の如くなるが 其理由とする所は従来法学部は法律専門の研 はし究に趨り形式主義に流れ 又文学部は兎角超越主義に陥り世情に通ぜざ る余弊あるを以て 各其極端に走るの弊を緩和せんとするに在り 中略 従来の法学部は余りに権利義務の思想に拘泥せしを以て 之に対して哲 学 歴史等の文学的科目を加ふるにあり 中略 行政官等となるには寧 ろ円満なる知識を有して好都合なるべく 又文学部に対しては法学通論 或は政治学等の科目を教授し 以て超越的の文学部生に対し世間的知識 を注入するものにして 此点に於て法文学部制は存在の意義を有するも のなるべし こうして 年度において東北帝大と九州帝大の法学部創設を変 更し 法文学部が置かれることになった しかしながら 当時の予算面から みて 従来の帝大のように法学部 経済学部 文学部の 3 学部を新設するこ とが困難であったため これに対して理想主義的意義づけを行い 実質的に は 3 学部を 1 学部に圧縮して 高校卒業生の急増対策に備えようという意図 があったことは否定できない にもかかわらず 法学部と文学部とを研究上 ならびに教育上の観点から提携させ 包括するという理想から法文学部の設 置がなされたことは事実である 243

6 第 3 編九州帝国大学の拡充 (2) 法文学部の構想 東北帝大と九州帝大の法文学部構想東北と九州の両帝大において法文学部が設置されることになったが 九州帝大法文学部は東北帝大に 2 年遅れて開設されることになる 1923( 大正 12) 年 12 月に東京帝大法学部教授の美濃部達吉が 正式に法文学部創立委員を委嘱された しかし美濃部が 同年 4 月に開学式を迎えた東北帝大 図 3-8 美濃部達吉 の法文学部作りを参考にした形跡は見られ ない これは美濃部の個性に根差すもので あった 両大学の法文学部が予定通り 44 講座に達した時点で両者を比較すると 東北帝大法文学部は総合性をもたせる工夫がなされ 学問の有機的総合化が図られていた 貴族院の付帯決議にある 調和のとれた円満な知識人の養成 といった理念を東北帝大は忠実に実現しようとしていたことが窺える 東北帝大法文学部の理念は 同大法文学部創立委員に任命された佐藤丑次郎に依るところが大きい 当時京都帝大法学部教授であった佐藤が創立委員に任命され 正式に創立事務を開始したのは 1920 年 11 月である これ以降 佐藤は 調和のとれた円満な知識人の養成 といった理念の実現を目指して多様な人材を集めることになる 文科系については すでに名のある教授陣を確保し 法科系と経済系関係については 主に若手の人材が集められた ( 東北大学百年史編集委員会編 東北大学百年史四部局史一 東北大学研究教育振興財団 2003 年 p.428) 佐藤自筆による 1922 年 7 月 8 日付の文部省宛文書である 法文学部の組織に関する内申書 において 新たに設置する法文学部は 既成大学ノ三学 244

7 第 3 章法文学部の創設 部ヲ鎔解シテ有機的ニ化成シタル一大学部 であり 日本の従来の大学が 3 学部に分かれていたのとは異なり 一層優良ノ成績ヲ挙 げることが期待できる と述べている さらに佐藤は 法文学部ノ長所 として ここでは 一方ニ於テハ 最広ク各講座ノ教授力ト研究力トヲ伸張スルコト が可能であり 他ノ一方ニ於テハ 頗ル自由ニ各学科目ヲ取捨配合スルコト が可能であり この点で既成大学の 3 学部に比べて 遥ニ有利ナル地位 にある と主張していた この佐藤の法文学部の理念が 1922 年 11 月の教官内定者たちの会議で承認され 法文学部の基本方針となった ( 前掲 東北大学百年史四部局史一 p.178) こうして 1922( 大正 11) 年 8 月 29 日の勅令 396 号によって東北帝大法文学部が開設された この勅令と同時に公布 施行された勅令第 398 号によって最初に設置された講座は 憲法学 1 民法学 1 経済学 1 史学 2 哲学 1 印度学 1 心理学 1の 8 講座であった 初代の学部長には 創立準備委員長を務めた佐藤が就任した ( 前掲 東北大学百年史四部局史一 p.179) 創設時の法文学部の教育方針とカリキュラムは 佐藤の考えに則ったもので 当初の 法文学部規程 には 学生ハ各自学修スヘキ科目ヲ自由ニ選択スルコトヲ得 とあり 規程の説明には 本学部ハ学修ノ自由ヲ尊重シテ一定ノ課程ヲ設ケス とされていた その際 学生は 20 単位を履修し 卒業試験 ( 筆記試験または論文試験 ) に合格すれば 其ノ受験シタル科目 に応じて 法学士 文学士 経済学士の称号が与えられることになっていた ( 前掲 東北大学百年史四部局史一 p.180) 以上が東北帝大法文学部の特徴の一部であるが 佐藤に 3 年遅れて 1923 年 12 月に美濃部がようやく九州帝大法文学部創立委員を嘱託された 美濃部は創立委員就任以前から 候補者の物色を図り 法科 経済科については直接意中の人物と交渉し 文科方面については東京帝大文科の関係教授に斡旋方依頼していた 法文学部設立の理念については 美濃部は以下のように発言している ( 福岡日日新聞 1924 年 3 月 31 日付朝刊 原文に句読点を 245

8 第 3 編九州帝国大学の拡充 追加 ) 前略 法文学部といふと此法学部とか文学部とかを機械的に合併した 者のゝやうに考へて居る者もあるが 九大の法文学部はそんな者ではな く 従来法学を履修した者は法学万能で一般的の常識がなく 文学部出 身者は又文学に偏して法律上の智識がない 此等は由来相俟つて研究す べきものなのに かく偏するのは学部分離の形式に拘泥する余弊である 法律 文学何れを修める者も相互に法律的智識と文学的常識を具有する 者にしたい方針の下に 永久に融合統一した者とするつもりである 中 ど略 今は法文学部を哲学科 法学科 経済学科といふやうにしたら怎う かと思つて居る 中略 学部としては永久に統一したいと思つて居る 中略 真野総長も経済学科に重きを置く考であるが此方面に多く努力した い 東北大学の法文学部は其顔触れから見ると文学部に重きを置かれて 居る様に思はれる 後略 このように美濃部もまた 貴族院の付帯決議の 調和のとれた円満な知識 人の養成 という理念の下 法律と文学のいずれかを修める者も 相互に法 律的知識と文学的知識を具有する者にしたいという構想を抱いていたことが わかる 美濃部が先行事例の東北帝大法文学部が 文学部 に重きを置いて いるとみなしていたことは興味深い また真野文二総長が九州帝大では経済 学科に重きを置く考えであったことを踏まえたうえで 美濃部が経済学科に 重きを置く努力をしたいと主張している点は重要である その後 美濃部は 真野総長の意向を受けて 経済学科に重きを置いた法文学部構想を主張し 実施することになる 美濃部達吉の法文学部構想の特徴 東北帝大が 卒業試験で受験し合格した科目に応じて 文学士 法学士 経済学士の称号を与えていたのに対して 九州帝大では 当初 哲学科 法 246

9 第 3 章法文学部の創設 律科 経済科の 3 学科に分け 各学科修了者に文学士 法学士 経済学士の 称号を与える計画であった ( 本章第 2 節 (1) 参照 ) そのうえで美濃部は九 州には工業地帯があることから 経済学を特色とした法文学部にしたい旨を 述べていた ( 福岡日日新聞 1924 年 3 月 29 日付夕刊 ) 前略 学科は哲学 法律 経済の三科目に分れて居るが我大学の法文 学部は独り東北大学と九州大学の二ケ所に開設するのみであつて九州に 於ては工業地帯の関係もあり経済学の如き研究上に便宜を有する事も多 からうし特色ある法文学部にしたいと思つて居る この経済学を法文学部の特色にしたいという美濃部の構想は 予定されて いた経済学科の教官内定者にも共有されていたようである 法文学部で商業 政策を講義することが内定していた竹内謙二は 以下のように述べている ( 福岡日日新聞 1924 年 10 月 8 日付朝刊 原文に句読点を追加 ) 開校期は建築の方の関係もあるであらふが 主な理由は経済の方の教授 連が四月迄には間に合はぬ為めで 先月発表せられた官制には四月迄に 帰来する教授八人を予定して八講座を置くことになつて居り 講座の系 けだ統を調べると文科が主になつて居るが 蓋し之れは教授の関係で五月の 開校前迄には四月中に帰来する経済の教授数人を加へた新しい官制が発 布せられ 九大の法文科は経済方面に最も留意し経済を以て特色たらし めるに至るであろう 当時 九州帝大法文学部の特長は経済学にあると盛んに喧伝されていた しかし法文学部開講直前に至って 美濃部は従来の経済学を特長とすると喧 伝されてきた法文学部について 以下のように述べるに至った ( 福岡日日新 聞 1925 年 3 月 24 日付朝刊 原文に句読点を追加 ) 九大法文学部の特色としては 予め之と云ふ特色を存する訳けではない が 之は追々教授によつて自然に其特色が発揮さるゝやうになると思ふ もが 若し其特色を求むるとしたならば法律経済哲学等は長所とする所で あろうし 文学歴史等の長所は寧しろ東大か京大か或は早稲田か慶應大 247

10 第 3 編九州帝国大学の拡充 学に伝統的長所を求むるがいゝと思はれる 法律経済哲学等の長所を九 大法文学部に求むる事は土地との関係上全然縁故のない事でもあるま い このように美濃部は 経済だけでなく 法律 哲学をも法文学部の長所に 加えていたのである しかし彼の実際の構想には法律 経済 哲学 文学 歴史という優先順位があったようである しかも法科に関して美濃部は 法 文学部に定石通りに民事訴訟法 刑事訴訟法を配置し 東京帝大法学部の規 模を一回り小さくして従来の編成方式を踏襲した さらに彼は講座編成では 東京帝大 京都帝大の旧例を縮小したかたちで踏襲したのであった 美濃部は 法律経済哲学 を法文学部の長所とする一方で 文学歴史 は 他大学に伝統的長所を求めるがいいと述べており これは まさに法学 経 済学 哲学重視 文学 歴史学軽視ともとれる発言であった 実際に美濃部 は 官吏養成という在来の帝国大学法学部の伝統を法文学部の枠内で適用貫 徹しようとしており 法科第一 経済科第二 文科第三 という軽重を考え ていた このことは 美濃部から法文学部創設期教官が直接聞いていたので あった それ故 美濃部は法科 経済科 文科の 3 学科分立を当然としてお り 文部当局者の意向とは必ずしも一致していなかった こうした文科軽視の美濃部は 法文学部創設後 文科の方は何でも宜い と述べており 文科の教授の反感を買っていた これについて当時の新聞は 次のように報じている ( 福岡日日新聞 1926 年 5 月 2 日付朝刊 原文に句 読点を追加 ) 九大法文学部にては 其の創設の初めより経済方面に重きを置き 総て の編成が専ら此の見地に基きて組織せられたものである為め 経済に属 する研究及び講義等は頗る重大視せられて居るに拘らず 文科方面に対 ややしては稍冷淡の謗 そしり さへ免かれ得なかつたものであるが 先般美濃部学部 長が来学の際に 文科の方は何うでも宜い と云ふ様な口吻があつたと か云ふので 文科関係の教授中には之れを遺憾とするものが多い 右に 248

11 第 3 章法文学部の創設 就き文科関係の諸教授の意見を聴くに 中略 少し文科方面にも力を入れて貰ひ度いと云ふ 後略 美濃部が文科に重点を置いているとみなしていた東北帝大とは反対に 九州帝大法文学部は創設当初 文科軽視ともいえる組織運営がなされていたのであった 第 2 節法文学部の創設 (1) 法文学部の創設 幻の哲学科構想 1924( 大正 13) 年 4 月 5 日 第 180 回評議会に美濃部達吉の案からなる法文学部仮規程が提出され 原案の通り決定された 仮規程案は全部で 9 条からなったが 第 1 条においては 本学部ニ左ノ三学科ヲ置ク哲学科法律学科経済学科 となっていた この仮規程は 翌年 4 月 1 日から施行される予定であった その際 哲学科における授業概要は 22 科目を挙げているものの 史学 文学部門はほとんど考慮されていなかった 美濃部は 法律学と経済学の基礎学としての哲学を重視していたが 既述のように史学 文学については関心を示さなかった 文部省に提出した九州帝大学通則中の法文学部設置による改正条項のうち称号については 法文学部哲学科文学士 / 法文学部法律学科法学士 / 法文学部経済学科経済学士 となっていた 哲学科でもって文学士と称する条項については文部省が同意せず その結果 1924 年 10 月 14 日の評議会で 法文学部受験シタル科目ニ応ジ法学士 文学士又ハ経済学士 と訂正するに至った そもそも美濃部は 法 文 を結ぶ法文学部の構想を 哲学的側面から基礎付けようとしたが 結局 文部省に妥協せざるを得なかった 249

12 第 3 編九州帝国大学の拡充 図 3-9 法文学部創設に関する勅令 (1924 年 ) 国立公文書館所蔵 この美濃部の哲学科の構想は 西洋の大学における哲学部に倣ったものとさ れる 法文学部の創設 1924( 大正 13) 年 9 月 25 日の勅令第 220 号によって 法文学部に教授 8 人 助教授 2 人 書記 2 人が配置されることになった また同日勅令第 224 号によって 法文学部の設置が公布された さらに同日勅令第 225 号によっ て 法文学部に哲学 哲学史 1 倫理学 1 社会学 1 民法 1 政治学 1 政 治史 外交史 1 経済学 1 西洋史学 1 の 8 講座が設置されるに至った つ いに法文学部が法令上設置されたのであるが 法文学部事務所は当分の間 農学部内に置かれることになった 事務官坂根友敬の管理の下 西尾広 中 西葛二両書記が事務を担当し 執務を開始している 翌 10 月には 大島直 治 ( 哲学 哲学史 ) が美濃部と同時に教授に任ぜられている さらに 11 月 ちかおには 東季彦 ( 民法 ) と藤澤親雄 ( 政治史 外交史 ) が 12 月には四宮兼之 ちょうじゅきち ( 倫理学 ) 佐佐弘雄( 政治学 ) 翌年 2 月には長壽吉 ( 西洋史学 ) が教授 に任ぜられた この間 石濱知行 ( 経済学 ) 山之内一郎 ( 憲法 ) が助教授に 250

13 第 3 章法文学部の創設 任ぜられ 農学部勤務の竹内謙二 ( 経済学 ) がその後法文学部助教授に転じた 大島が最初に教授に任じられたのは 美濃部がやや事情に疎い文科方面を担当し 美濃部を助けて創設事務を進めるためであったとされる 大島は 1924 年 12 月末に 他の教授に先だって着任し 翌年に前記教官が順次着任するに至った 同年末 在京中の大島 四宮 東 佐佐 山之内らが文部省に集まり 美濃部作成の法文学部規程の草案に検討を加え 翌年 1 月 14 日その正式制定をみている 法文学部規程は 入学 授業 試験 在学期間 聴講生の 5 章に分けられ 第 3 章試験第 9 条で 学士と称することを得るには 本学部の授業科目中 18 単位の試験に合格し かつ外国語学を履習して その試験に合格したものでなければならない とされた 第 10~12 条で法学士 文学士 経済学士と称することを得る条件を以下のように規定している ( 資料編 Ⅰ-190 pp ) 第十条法学士ト称スルコトヲ得ルニハ左ノ諸科目中十二単位ノ試験ニ合格シ且左ノ諸科目ヲ除クノ外本学部ノ授業科目中ヨリ任意ニ選択スル六単位ノ試験ニ合格シタル者ナルコトヲ要ス 単位数 単位数 法理学 一 憲法 一 行政法 二 民法 四 民事訴訟法 二 刑法 二 刑事訴訟法 一 商法 二 社会法 一 国際公法 二 国際私法 一 日本法制史 一 西洋法制史 一 政治学及政治学史 二 政治史及外交史 一 第十一条文学士ト称スルコトヲ得ルニハ左ノ諸科目中十二単位ノ試験 251

14 第 3 編九州帝国大学の拡充 ニ合格シ且左ノ諸科目ヲ除クノ外本学部ノ授業科目中ヨリ任意ニ選択 スル六単位ノ試験ニ合格シタル者ナルコトヲ要ス 単位数 単位数 哲学概論 一 西洋古代哲学史 二 西洋近世哲学史 二 論理学及認識論 一 国家及社会哲学 二 倫理学及倫理学史 三 心理学 三 社会学 三 教育学 三 宗教学 三 美学 二 東洋美術史 二 西洋美術史 二 支那哲学史 二 印度哲学史 二 史学概論 一 国史 四 西洋史 三 東洋史 三 文学概論 一 国文学 三 支那文学 三 英文学 三 仏文学 三 独文学 三 第十二条経済学士ト称スルコトヲ得ルニハ左ノ諸科目中十二単位ノ試 験ニ合格シ且左ノ諸科目ヲ除クノ外本学部ノ授業科目中ヨリ任意ニ選 択スル六単位ノ試験ニ合格シタル者ナルコトヲ要ス 単位数 単位数 経済学概論 二 貨幣論 一 銀行論 一 国際金融論 一 農業政策 一 工業政策 一 商業政策 一 交通政策 一 社会政策 一 保険学 一 殖民政策 一 経済史 一 経済学史 一 社会思想史 一 252

15 第 3 章法文学部の創設 財政学二統計学一政治学及政治学史二社会学 ( 概論 ) 一法文学部の規程が制定される一方で 1925 年 3 月には本館前面が落成し 事務所を従前の農学部から新築事務所に移すことになった そうして法文学部第 1 回教授会が同年 3 月 24 日に開催された その出席者は 美濃部学部長事務取扱 大島教授 長教授 四宮教授 東教授 藤澤教授 佐佐教授 石濱助教授 山之内助教授 竹内助教授であった そこでは 教官候補者に関する報告がなされるとともに 入学試験が主な議題となった また大島と東が投票の結果 評議員に選出された さらに 大島が美濃部不在中の代理に選出された 法文学部の開学 1925( 大正 14) 年 1 月 14 日に大学本部は 法文学部学生募集要項を新聞紙上において公表した ( 福岡日日新聞 1925 年 1 月 15 日付夕刊 ) さらに同月 21 日には官報において法文学部学生募集要項が発表された そこでは 予定定員は学生宿舎の関係を考慮して 当初の 300 名から 200 名に変更された また出願期日は 第 1 次締切 2 月 15 日とされた その結果 高等学校卒業生 61 名と学士号を有する者 13 名の計 74 名が優先入学者として決定された 第 1 次締切後 第 2 次締切は 3 月 31 日とされ 高等学校出身者も専門学校出身者と同列に受験させる方針から 専門学校出身者を主とする 327 名に対して選抜試験が行われた その結果 入学許可者は 128 名 ( 競争率約 2.5 倍 ) であった 入学試験科目は 英独仏の外国語のうち志願者選択の 1か国語についての欧文和訳であり いずれも 3 題で各科組み合わせの試験委員 3 人が出題した そのため 各外国語それぞれに文学 経済学 法学の内容が盛り込まれ 語学力のみならず法文学部の学科を履修するに足る能力をあわせて試験するものであった こうした法文学部入学試験の意義について大島 253

16 第 3 編九州帝国大学の拡充 直治は 之れで従来法文学を修むるに適当な素質と準備とはあり乍ら或る止むを得さる事情のために此種の研究に入ることの出来なかつた者も始めて其目的を達し得る道が開けた 図 3-10 法文学部本館 (1928 年 ) 左手より法文学部本館 心理学教室 附属図 書館 訳である ( 福岡日日新 聞 1925 年 4 月 14 日 付夕刊 ) と述べている 以上の結果 法文学部の入学者総数は 202 名となった 高等学校出身者を除くいわゆる傍系入学の専門学校 39 校中では 高等商業学校が圧倒的に多く 外国語学校 高等師範学校がこれに次いだ また 高等学校出身者では福岡高等学校が 1 位で 第五高等学校が 2 位であり 九州地区の地元高校が多数を占めた こうして 1925 年 4 月 20 日 ( 月 ) に法文学部開学式が開催されるに至った 法文学部は精神文化の源泉だとして 従来 学生以外入場させなかった先例を破って新聞記者も入場させた 開学式においては 美濃部は 学風を作ることは主として学生諸君にある と述べるとともに 法文学部の意義を 混沌たる均整のとれた文化人を作る ことにあると述べた その後 教官と学生らによる茶話会 ( 会費 30 銭 ) が開催された (2) 法文学部の教育 法文学部の授業 開学式の翌日の 21 日 ( 火 ) から法文学部の授業は開始された ここで同 254

17 第 3 章法文学部の創設 学部の 1925( 大正 14) 年度第 1 学期の授業時間割表を紹介することにしよ う この授業時間割表は 開学式直前の 4 月 15 日の教授会で正式に決定さ れた 法文学部 1925 年度第 1 学期授業時間割表 月 欧洲最近世史 民法 経済学原論 英語 憲法 最近外交史 独語仏語 火 政治学史 西洋倫理思想史 仏語 特別講義 経済学演習 水 西洋近世哲学史 民法 英語 木 欧洲経済史概論 欧洲最近世史 経済学原論 英語 憲法 金 民法 最近外交史 西洋倫理思想史 独語 土 西洋近世哲学史 政治学史 英語 経済学演習欧洲経済史概論 英語 なお 講義題目と授業時間数および担任教官は 以下の通りである 講義題目 授業時間数 担任教官 西洋倫理思想史 4 時間 大島教授 政治学史 4 時間 佐佐教授 西洋近世哲学史 4 時間 四宮教授 憲法 3 時間 山之内助教授 民法 ( 総則 ) 5 時間 東教授 欧洲経済史概論 3 時間 石濱助教授 欧洲最近世史 4 時間 長教授 特別講義 1 時間 長教授 経済学原論 4 時間 高田教授 255

18 第 3 編九州帝国大学の拡充 経済学演習 3 時間竹内助教授最近外交史 4 時間藤澤教授開学当初 8 講座の教官 10 名が第 1 学期の授業を担っており しかも第 1 学期の授業内容は 法学 政治学 経済学 哲学を中心に編成されていた この点は美濃部が法文学部の長所として強調した 法学経済学哲学 の編成に近いものであった 開学式の翌月の 5 月 18 日には 勅令第 196 号によって 14 講座が設置されることになった その内訳は 哲学 哲学史第二 経済学第二 同第三 同第四 憲法 法理学 国際法 国際私法第一 同第二 財政学 心理学 教育学 英文学 独文学 国史学であった こうして法文学部は 22 講座になり 1925 年度第 2 学期の授業内容はより充実したものになった 第 2 学期の授業時間割表を紹介すると以下の通りである 法文学部 1925 年度第 2 学期授業時間割表 午 前 午 後 月 欧洲最近世史 哲学 教育学概論 英語 論理学及認識論 経済学演習 独語 火民法 ( 物権第一部 ) 倫理学演習 経済学演習 仏語 英文学 独文学 独語 英語 仏文学 水西洋近世論理学及哲学史認識論 教育学仏語社会思想史 憲法 木民法 ( 物権第一部 ) 仏語欧洲最近世史経済学概論 金経済学概論英文学哲学英語 独文学 仏文学 独語 独語 土社会思想史西洋近世哲学史倫理学演習仏語 256

19 第 3 章法文学部の創設 一見して明らかなように 第 1 学期には皆無であった英文学を始め外国文学関係の授業が加わっており 文科を中心とした時間割になっている 第 1 学期と第 2 学期を通じて哲 学関係の授業に重きが 図 3-11 法文学部教官 (1927 年頃 ) 置かれていたことがわ かる これも美濃部の構想の影響であろう 法文学部の講座担当教官の陣容 1926( 大正 15) 年 5 月 12 日には勅令第 121 号によって 哲学 哲学史第三 民法第二 経済学第五 国史学第二 宗教学 支那哲学史 印度哲学史 国文学 仏文学 行政法 民事訴訟法 刑法 刑事訴訟法 商法第一 法制史の 14 講座がさらに設置された ついに 1927( 昭和 2) 年 10 月 7 日に勅令第 307 号によって 民法第三 経済学第六 同第七 商法第二 美学 美術史 支那文学 社会法 東洋史学の 8 講座が設置され 予定されていた 44 講座全部の開設をみることになった 1928 年 3 月の時点における法文学部の各講座と担任を示すと 以下の通りである ( ただし 休職者を除く ) 倫理学講座担任政治史 外交史講座担任哲学 哲学史第一講座担任政治学講座担任西洋史学講座担任 教授文学士大島直治教授法学士藤澤親雄教授文学博士四宮兼之教授法学士佐佐弘雄教授文学士長壽吉 257

20 第 3 編九州帝国大学の拡充 教育学講座担任 まつなみたいがん 教授文学士松濤泰巌 経済学第一講座担任 社会学講座分担経済学第二講座担任哲学 哲学史第三講座担任英文学講座担任独文学講座担任心理学講座担任財政学講座担任国史学第一講座担任経済学第四講座担任 教授文学博士高田保馬教授法学士石濱知行教授文学士中島慎一教授文学士豊田實教授文学士片山正雄教授文学博士佐久間鼎教授経済学士三田村一郎教授文学士長沼賢海教授法学士大森研造 国際法 国際私法第二講座担任教授 西山重和 国文学講座担任 教授文学士春日政治 宗教学講座担任 教授文学士佐野勝也 りゅうしょう ( 在外研究中 ) 教授文学士干潟龍祥 仏文学講座担任 教授文学士成瀬正一 国際法 国際私法第一講座担任教授法学士大澤章 経済学第三講座担任 さきさか教授経済学士向坂逸郎 かのこぎかずのぶ ( 欧洲出張中 ) 教授文学博士鹿子木員信 商法第一講座担任支那哲学史講座担任東洋史学講座担任美学 美術史講座担任行政法講座担任 教授法学士野津務 教授文学士楠本正継 しゅんしょう教授文学士重松俊章 教授文学士植田壽蔵 まさぞう助教授法学士宇賀田順三 法文学部の教育の特徴 44 講座全てを開設した法文学部の教育上の特徴は 第 1 に学生の自由を基 258

21 第 3 章法文学部の創設 調とした合理的制度である そこでは 履修科目に必修制 選択制の制度を設けず もっぱら選択制の下に多数の科目の中にグループを作り 法科 経済科 文科の分科制度を設 け 一に学生の自由を 確認して 探究しよう 図 3-12 法文学部本館大講義室 (1928 年 ) とする学科を専修させたことがその特徴である 必修と選択制の前提条件を学生の学問的良心において信頼し これを学生の自由選択にまかせ 語学 3 単位の必修制を除き 必修制の病弊を克服しようとした点もまた特徴であった 第 2に優良可の複合制の不備に対する反省から 成績発表を合格不合格の単一制にした点も特徴として指摘できる 複合制の常として学生を点取主義に追いやり 勉学の結果が成績であるべきを 反対に結果を前提としての勉学に堕するという本末転倒になるという反省に立ったものであった その際 成績は外部に発表しないことになっていた 法文学部の選択成績単一制 学期単位講義制 自由な演習制度 授業時間自由制などは 学生の自由を学制の中において顕現させたものといえよう 法文学部の学制は その制定時においては新しく その精神において進歩的であった この学制は 学生の自由尊重を基調とする大正学制の産物ともいえる こうした自由の上に自律的な責任を付加して 九州帝大における学問的生命を生成発展せしめる という学制の主旨は 広く学生の共感を得て 法文学部発展の活力となったのであった こうした法文学部の開学当初の教育について 第 1 回卒業生の具島兼三郎は以下のように回想している ( 具島兼三郎 奔流 わたしの歩いた道 九 259

22 第 3 編九州帝国大学の拡充 州大学出版会 1981 年 p.37) 講義は概して新鮮で熱のこもったものが多く 世間ではそれに触れることをタブーとしていたような問題でも 大胆にそれに対して分析のメスが振われ 世間では危険思想とみなされている思想でさえも そのなかには人道的な側面があり 合理的な側面があることが教えられた その上 講義は自分の好みに応じて 法律や政治の講義であろうと 経済 歴史 哲学 文学の講義であろうと 自分のききたいものを自由にきける仕組みになっていたので イヤなものを無理につめこまれるのと違って 学生の方にも意欲があり 教室には熱気がこもっていた 1928( 昭和 3) 年に法文学部は第 1 回の卒業生を出したが 翌年 3 月に第 2 回の卒業生を出す頃には 大学院生も数名存在するようになっていた 大学院生の学位請求がいつあるかわからないため 学位規程の改正がなされ 10 月に認可された 学位ニ関スル規程 において 九州帝国大学において授与すべき学位として 医学博士 工学博士 農学博士の次に 法学博士 文学博士 経済学博士が加えられた こうして法文学部は学士だけでなく 博士の学位をも授与できるようになったのであった 第 3 節女子学生の入学 (1) 帝国大学における男女共学問題 女性に閉ざされた大学教育法文学部の発足に際して注目を浴びた重要課題の 1つに女子学生の入学を認めるかどうかという問題があった 当時帝国大学の学部への入学資格については 大学令 で 当該大学予科ヲ修了シタル者 高等学校高等科ヲ卒リタル者又ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ之ト同等以上ノ学力アリト認メラレタ 260

23 第 3 章法文学部の創設 ル者トス と定められていた ( 大学令 大正 7 年勅令第 388 号 ) このため 東京 京都 東北 九州の各帝国大学においては 1913( 大正 2) 年にいち早く正規の女子学生入学を認めた東北帝国大学理科大学という唯一の例外を除いて 帝国大学入学者の中心は旧制高等学校卒の男子であって 女子には入学資格が認められないという暗黙の了解が共有されていた 政府が力を入れたオーソドックスな中高等教育は男子のための中学校 高等学校 帝国大学というルートであるのに対し 女子に用意された主要な教育ルートは基本的には高等女学校という中等教育機関までであって これに続く高等教育としては原則として専門学校もしくは女子高等師範学校があるのみであった 1918 年の高等学校令が高等学校の入学者を男子に限定していたこともあり 女性が高等学校や大学に入学する道は基本的に閉ざされていたのである ( 佐喜本愛 九州大学の歴史と女性 p.2 /history2.php) 東北帝大の女子入学許可こうした構図に大きな一石を投じたのが上述の東北帝国大学理科大学による女子学生入学許可であった 具体的には 同大学は大正二年 ( 一九一三 ) 高等学校 大学予科卒業者等を収容して欠員ある場合に限り入学することができる者として専門学校程度の学校を指定し さらに試験という条件つきで中等教員免許状所有者などを有資格者と定め ( 川添昭二 女性の帝国大学入学について 九州大学を中心に 福岡県女性史 女性学ノート 創刊号 1993 年 p.3) この条件に該当すれば女性にも入学資格を付与することとしたのである 同大学の澤柳政太郎総長の発案によるこの方針は 明らかに大学の入学資格に関する大学令等の関連規定に対する従来の一般的な解釈や文部省の方針に抵触するものであり 文部省からも強い難色が示された しかし 澤柳は帝国大学令に女子の大学入学を明示的に禁止する字句や条項がなく また理科大学規則も 中等教員資格者 とのみ規定して特に男子と限定 261

24 第 3 編九州帝国大学の拡充 していないことなどを根拠として 自らの主張を貫き女子の受験 入学の実 現にこぎつけた ( 湯川次義 近代日本の女性と大学教育 教育機会開放を めぐる歴史 不二出版 2003 年 p.55) 1913( 大正 2) 年 8 月 澤柳の ときゆき後をうけた北条時敬総長のもとで実施された入試では中等教員免許状所有者 として受験資格を認められた 4 名の女性が受験し このうち牧田らく ( 数学 科 ) 黒田ちか ( 化学科 ) 丹下むめ ( 同 ) の 3 名が合格して いずれも帝国 大学史上初の正規女子学生となった ちなみに 受験当時牧田 (24 歳 ) は東 京女子高等師範学校授業嘱託 黒田 (29 歳 ) は同校助教授 丹下 (40 歳 ) は日本女子大学校助手であった ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.57) 東北大門戸開放の意義と評価東北帝大の女子学生への門戸開放に対する当時の教育関係者や新聞などの受け止め方としては 概して女子大学生の誕生を歓迎する論調が強かった ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.69) 女子学生への大学教育開放の先鞭を付けその先例となった意義は大きく その後の女子高等教育のあり方に与えた影響も少なくなかったといえよう その一方で この時の開放方針は結局一度限りの特例的な措置に終わってしまい 次年度以降まで継続することはなかった 事実 これ以後 10 年間 同大学への正規女子学生の入学は絶え 上記 3 名につぐ入学者を迎えるのは 1923( 大正 12) 年になってからであった その理由としては主として以下のようなことが指摘されている (1) 文部省が開放後も否定的な見解を繰り返していたことから明らかなように 文部省の政策的支持を欠いていたこと (2) 東北帝大の開放姿勢自体が沢柳の個人的主導性に支えられていた性格が強く 彼の転出後まで継続性を有するほど確固たるものではなかったこと (3)1910 年代前半のこの時期にはまだ女性たち自身の高等教育要求は弱く 第 1 次世界大戦後のような女子高等教育への理解の深まりも見られない ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.71) さらに言えば 女子入学の方針を提唱した沢柳自身 女子への開放の 262

25 第 3 章法文学部の創設 趣旨について 独立しなければならぬ不幸の女子の為めに必要なのであります 女子の為めに専門教育 職業教育が必要無き丈け国家 社会の為めにも 女子の為めにも幸福であります とか 決して女子の高等教育を大に奨励す可しといふような意見から ではなく 少数の志望者を 女子であるからとて拒むに及ぶまい というだけのことだなどと述べていることからも分かるように もともと女性に対する高等教育にも男女共学にも否定的な思想の持ち主であった ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.52 p.64) このことも 最初の開放措置がその時限りでいったん中断してしまった大きな理由の 1つだったと思われる 大学への女子入学検討の機運がもう少し広がるまでにはこの時からさらに 10 年ほどの時が過ぎるのを待たねばならなかった (2) 九州大学への女子学生入学 女性への門戸開放機運の高まり 1910 年代後半から 1920 年代にかけて ようやく大学の門戸開放 女子大学 女子高等専門学校の制度化等が具体的な課題として認識されるようになった その背景には第 1 次世界大戦中のヨーロッパにおいて現れた女性の活発な社会的活動や女性の潜在的能力に対する高い評価が日本における旧来の女性観に衝撃を与えたことや 20 世紀初頭の世界的なデモクラシーの高揚や労働運動の台頭のもと 日本でもいわゆる 婦人問題 が世論の注目を集め その潮流の中で女子高等教育に積極的な雰囲気が生じたことなどの事情があった ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.131) 工学部女子聴講生受け入れ問題 こうした流れの中で 九州帝国大学では工学部が 1922( 大正 11) 年の新 学期をひかえた 2 月 応用化学科に限って 婦人 の聴講を許す旨表明し 263

26 第 3 編九州帝国大学の拡充 これに呼応するかたちで同年 4 月 東京女子高等師範学校の卒業生で筑紫高等女学校の女性教師馬場ヒトヱが 化学工芸学通論 の聴講を出願した そして これを契機に九大における女子入学の可否についての検討が開始されることになった 工学部では 4 月 19 日の教授会において 一般婦人聴講生ノ許可否 について協議した結果 聴講差支ナキモノ とし 馬場の聴講を認める旨決定して評議会の了承を求めた これを受けた 4 月 25 日の評議会は 九大として最初の例でもあるので 本件ハ一応他ノ学部教授会ノ意見及学生監ノ意見ヲモ聞クノ必要アリ という判断を下し ひとまず決定を先送りすることとした これを受け 工学部では今回の 一般婦人ノ聴講 許可は今後工学部全体の 男女共学 制度の採用にも影響を及ぼしかねないという観点から この件について男女共学採用の是非も含めて 5 月 3 日の教授会においてさらに審議を重ねた その結果 男女共学制度導入については慎重な態度を採ることを確認した上で 工学部ニ於ケル専攻科生及聴講生トシテハ婦人ニ許可シ差支ナシ との決定を下した あくまで正規学生の枠外の 専攻科生及聴講生 の資格に限定した女子学生の聴講許可であることをあらためて確認したわけである ついで開かれた 5 月 23 日の評議会は 各学部ともに工学部聴講生として 婦人ノ入学 を許可することに異論がないことを確認した上で 学生監の異存がないことを条件に入学を許可すること また もし学生監に異存があれば評議会でさらに審議することを決定した これを受けた 5 月 27 日の評議会において学生監の意見を徴したところ 2 名の学生監のうち河村幹雄 ( 工学部教授 ) が 調査ノ上確答 したいと述べたため聴講可否の決定はさらに延期されることになった この間 地元新聞は連日のようにこの馬場ヒトヱの聴講出願問題に紙面を割き 学内の某々教授の意見を掲載したり かつて医学部の解剖学教室に女性聴講の先例があることを報道したりした 河村は長い時間をかけて東大 京大 東北大 日大について男女共学に関する調査を行い あわせて英米両国における男女共学 264

27 第 3 章法文学部の創設 の実情についても調査を行い これを踏まえて 10 月 20 日の評議会において 一般的ニハ男女共学ハ望シカラズ とし 故ニ女子聴講生ノ入学ガ男女共学ノ実ヲ生ズル恐アル場合 之ヲ許可セザルヲ希望ス と男女共学についてきわめて否定的な答申を行った 河村はさらに評議員からの質問に応じて 女性に 研学ノ便 を与えてもよい条件として 1 特殊部門ニ於テ専攻科乃至大学院程度ノ学力ヲ有シ 2 年齢ニ於テモ一般大学卒業生以上ニ達シ 3 熱心学術攻究ノ目的ヲ以テ出願 した場合であって 4 正課生選科生ノ学修ニ妨ナキ範囲内ニ於テ という諸点を示した ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.205) ここには河村の年来の持論である 大学に至るまでの男女別学論 ( 前掲 女性の帝国大学入学について p.6) が如実に現れているといえよう 評議会は河村の意見を参考にさらに審議した結果 一般的な男女共学の可否についてはしばらく決定を見合わすこととし 女子が聴講生としての入学を希望する場合には 其ノ資格等ヲ当該学部ニ於テ十分調査シ入学ヲ許スコトアルベキコト を決定した 結局 おおよそ工学部教授会の決定と同様の内容に落ち着いたといえる なお 女子聴講生許可の問題は結局男女共学の問題にかかわることを顧慮して 真野総長は同年 11 月 大学令においては女子がいかに位置づけられるかについて文部省に照会を行った 九大としては従来の慣例および実際の事情等を顧慮して 大学令は男子のみに適用されるものと考えていたからである しかるに 文部省の見解は九大当局にとっては意外にも 大学令は制定当時からすでに女子の入学を顧慮したもので とくに女子入学を許可するという文言はなくとも 法の精神はこれを女子にも適用するというものであった これを受け 吉町太郎一工学部長は 11 月 22 日の工学部教授会において 大学令の対象には女子を含むというのが文部省の意向である旨報告している こうしてようやく工学部における女子聴講生入学の道が馬場の出願後 7か月を経て正式に承認されたが 馬場が志望した 化学工芸学通論 が当該学 265

28 第 3 編九州帝国大学の拡充 期には開講されていなかったため 工学部は出願書類を本人に返付した その後馬場から再度聴講願が出されることはなかったため 結局馬場の聴講は実現することなく 女子聴講生問題はひとまず立ち消えとなったが 2 年後の 1924 年には福岡高等女学校教諭の平野千代子が工学部数学科の 函数論 の聴講を願い出て許可され 九大最初の婦人聴講生 が実現した ( 福岡日日新聞 1924 年 5 月 3 日付 ) 法文学部の女子正科入学許可この間 1922( 大正 11) 年 6 月には 全国に先がけて最初の公立女子専門学校として 県立福岡女子専門学校が設立された 福岡県内の公私立高等女学校の拡充発展に対応して 県内に女性のための高等教育機関を新たに設置することはもはや教育界にとって必然的な措置となっていたのであり それはまた福岡県のみならず全国共通の動向でもあった こうした流れに加えて 大学令が女性の大学入学を拒まないという理解もすでに浸透していたので 女性が九大に正規学生として入学する日が来るのはもはや時間の問題であった そして 九大に法文学部が新設されることになったのを契機に 既存の医 工 農 3 学部も含めた女性の正科入学の可否の問題が本格的に取り上げられることとなった 1925 年新設予定の法文学部では学部長事務取扱美濃部達吉の主導のもとで女子入学に道を開く方針を定め 学部の学力検定受験資格者の中に 女子高等師範学校もしくはこれと同等以上の者 を含める旨明記した法文学部規程案を準備していた 1924 年 12 月 9 日開催の評議会はこの規程案について審議した結果 真野総長不在のため総長の意見を聞いた上で大学全体として考慮する必要があるとしながら 法文学部規程案第 1 条中の学力検定受験資格者のうち 女子高等師範学校 の文言を削除し その他の条項については原案通り認める決定を行った この知らせを受けた美濃部は 翌 12 月 10 日法文学部を女子に開放する必要を訴え 評議会決定の再考を求める書簡を総 266

29 第 3 章法文学部の創設 図 3-13 女子入学に関する美濃部達吉書簡 ( 部分 1924 年 ) 長宛に送付した ( 図 3-13) 美濃部の意見の要旨は以下のようなものであった ( 資料編 Ⅰ-186 p.417) 法文学部規程で女子高等師範学校卒業生の入学を許可することについて 九大に新例を開くものとして賛成を得られなかったのは遺憾の極みである もとより広く男女共学を許すことは利弊相半ばし大いに考慮を要するが 法文学部規則の趣旨は必ずしも広く男女共学を許すという点にあるわけではない 女子高等師範学校の卒業生に対してなお一層の文学的諸学科を研究する便宜を与えることを通じて 一層優良な女子教員を養成しようという趣旨である その人数も極めて少数に限るべきことは言うまでもない また 僅少の婦人が講座に列席しても何らの弊害がないことは東京帝大における経験に照らしても確信できる 優良な高等女子教員を得ることは一般女子教育の向上のためにも非常に必要なことであり また東北帝大においてすでに先例のあることでもある 本件は本学部の関係教授会合の協議会において熟議の上全員一致で決定したことでもあるので ぜひ再議の上 賛成いただきたい 本来なら美濃部自ら評議会に出席の上意見を述べるべきところだが 公務のため出席できないため書面で意見をお伝えする次第である 12 月 16 日 総長出席のもとに開かれた評議会では総長が美濃部の書簡を 267

30 第 3 編九州帝国大学の拡充 読み上げ これをもとに法文学部規程についての再審議が行われた結果 前回削除を決めた 女子高等師範学校 を再び規程中に挿入することとし あわせて工学部と農学部の規程にも同一の字句を入れることとした その後この両学部については学部教授会の意見を徴したところ 工学部は至急決定する必要を認めないとして規程の改正を見送り 農学部は法文学部と同様に規程中に 女子高等師範学 図 3-14 九大の 男女共学 を描いた漫画 明治大正昭和社会漫画集 第 1 巻 (1931 年 ) 所収の 男女共学 の想像図 校 を挿入することとした この結果 法文 農の両学部 において九州帝国大学として 初めての女子正科学生の入学資格が認められることになった 翌 1925 年 1 月 14 日 法文学部規程が制定されたが その第 1 条の入学者 学力検定受験資格者の規定は次のとおりであった ( 資料編 Ⅰ-190 p.421) 九州帝国大学通則第六条第二号ニ依リ本学部ニ於テ行フ学力検定試験 ヲ受クルコトヲ得ルハ高等師範学校 女子高等師範学校 高等商業学校 もしく若ハ外国語学校ヲ卒業シタル者又ハ専門学校卒業者ニシテ本学部ニ於 テ適当ト認メタル者ニ限ル 九大初の女子学生入学 1925( 大正 14) 年 4 月に実施された初めての法文学部入学者選抜の結果 268

31 第 3 章法文学部の創設 は 高等学校 大学卒業の無試験入学者 74 名 受験志望者 327 名中実際の 受験者数は 240 名余で うち試験合格者は 128 名であった 女性の受験者は 3 名いたが そのうち 2 名が合格した 東京女子大学出身で経済学士志望の 織戸登代子 (29 歳 ) と奈良女子高等師範学校出身で文学士志望の調須磨子 (26 歳 ) である 彼女たちに対する社会的関心は高く 地元新聞は全受験者中の 2 人の成績順位まで紹介したほか 婦人だからとて決して手心した者ではな い 極めて厳密な試験の結果堂々たる男子に対して遜色のなかった者である という大島学部長代理の談話まで伝えていた ( 福岡日日新聞 1925 年 4 月 14 日付夕刊 ) 一方 美濃部達吉は女子学生の入学について 追々日本でも 女子に職業が与えられるようになれば志望者も増加するに至るであろう と 述べるとともに 将来女子の入学が増加して男女半数とでもなれば或いは共 学の弊害を認むるに至るやも知れぬが 僅かに 2 名であるからその弊もなか ろう と述べていた ( 福岡日日新聞 1925 年 4 月 19 日付夕刊 ) 一足飛び に男女共学へと突き進むような懸念を抱かせることもない 自らの想定した 範囲内での順調な女子入学の滑り出しに対する美濃部の満足感が伝わってく るようである 調須磨子は奈良女子高等師範学校卒業後 2 年間都城高等女学校教師を経験 した後 東京帝大文科の聴講生として 1 年間哲学を学んだという経歴の持ち 主であったが 九大志望の動機については 本人自ら本格的に哲学を研究し 自分の思想をしっかりしたもの にするためには聴講生としての資格では 不十分だと考え 正科生としての入学の道が開かれた九大入学を希望したと 語っていた ( 福岡日日新聞 1925 年 2 月 5 日付 ) 彼女はまた 入学 2 年 後に行われた大学新聞によるインタビュー記事の中で 私達女性に大学の門 ママ戸を解放されたことは全く私達の命が救はれた様に思ひます とも述べてい るが ( 九州大学新聞 第 3 号 1927 年 10 月 10 日 ) これは当時の後続女 子学生たちの多くも等しく共有する思いだっただろう こうして 紋付袴を 以て制服とし襟章を袴紐に付 けた女子学生の姿が大学内に見られるように 269

32 第 3 編九州帝国大学の拡充 なった 調 織戸の 2 人は 1928( 昭和 3) 年に卒業したが この時も新聞は彼女たちのことを 異彩を放つ紅二点の女学士 という見出しで大きく取り上げた ( 福岡日日新聞 1928 年 3 月 30 日付 ) 以後 毎年のように 卒業期には女子学生の動向が地元新聞紙上を賑わせた ちなみに 調は フッサールの現象学批判 という卒業論文で文学士となり 織戸は ローザ ルクセンブルクの資本蓄積の研究 という卒業論文で日本初の女性経済学士となった なお 調は在学中から福岡市西新町に高等女学校卒業者のための私塾百道女子学院を創立して自ら院長となり 卒業後も女子教育に尽力しつつ 大学院に残って四宮兼之教授のもとで哲学を研究していたが 若くして 1930 年 8 月に没した 織戸は卒業後しばらく大学に残って研究を続けていたが 後に郷里横浜に帰りその後の消息は不明である 女子入学者の増加 定着調 織戸の 2 人の入学を契機に九大への女性入学者は続出した 1926( 大正 15) 年には日本女子大出身の渡辺けい ( 独文専攻 ) が入学し 1927( 昭和 2) 年には梅花女子専門学校出身の松田フミ子 ( 社会学専攻 ) 日本女子大出身の小笠原雛代 ( 国文専攻 ) 星子菊代( 英文専攻 ) の 3 名が入学した このうち星子は戦後郷里熊本の県立熊本女子大学で教鞭をとり 定年退職後は筑紫女学園短大で 80 歳になるまで英語教育に従事した その後約 20 年間の女性の九州帝大入学者は約 30 名にのぼる 卒業者の多くは消息不明であるが 福岡女子専門学校から入学し 1947 年に卒業した城野節子が九州大学最初の女性教授としてフランス文学を教授するなど 短大や大学で教鞭をとった卒業生も多い ( 前掲 九州大学の歴史と女性 p.6 以上のような点において 九州帝国大学の女子学生への門戸開放は 女性への門戸開放が定着化する流れをつくったものと高く評価されている ( 前掲 近代日本の女性と大学教育 p.209) 270

33 第 3 章法文学部の創設 第 4 節法文学部の内紛 (1) 内紛事件の発生とその推移 木村亀二教授不信任決議 1927( 昭和 2) 年 10 月 創設間もない法文学部の屋台骨を揺るがし社会 的にも大きな注目を集めた法科教官同士の内部抗争事件が勃発した 法文学 部内訌事件 九大事件 等と呼ばれるこの事件は 最終的には対立する両派 教授陣のそれぞれ 3 名ずつがその責任を問われて休職処分を受け 大学を去 るという深刻な結果を招き その後の法文学部の教育研究活動に多大なダメ ージを与えることになった この紛争は 終始法文学部内における木村亀二教授 ( 法科 法理学 ) の日 頃の言動に反発する教官たち ( 反木村派 ) と木村を支持する教官たち ( 木村 派 ) の間の対立関係を軸として展開していったが その具体的な推移は以下 のとおりである 両派の軋轢はもともと法文学部創設時以来胚胎し その後ことあるごとに 醸成されてきた学部内の対人関係上の感情的対立に主として起因するものと 見られているが その対立関係が学部全体を巻き込む決定的対立として爆発 するに至る過程には 2 つの画期があった その第 1 は 1927 年 3 月 9 日に すえひこ開催された法文学部臨時教授会において 東季彦ほか計 6 名の発議による木 村教授不信任案が出席者 25 名中賛成 23 票の多数をもって可決されたことで ある ちなみに その不信任決議の文面は 吾人ハ法文学部教授木村亀二君 ヲ信任セズ 依ツテ同君ガ評議員其ノ他一切ノ委員ノ地位ヲ退クコトヲ要求 ス というものであった ( 第 70 回法文学部教授会議事録 ) この結果を受け て 木村はただちに評議員辞任願を四宮兼之学部長代理宛に提出し その後 6 月に至るまでの 3 か月間教授会への欠席を続けた なお 後任評議員には 西山重和教授が選出された 271

34 第 3 編九州帝国大学の拡充 東たち 6 名がこのとき木村不信任案を教授会に提出した直接の具体的理由は不明だが 自分たちより後から九大に着任した木村が 当時 30 歳という若輩の身でありながら教授会の場で理想主義を振りかざし 文科の老教授連を理詰めでやり込めるなどしばしば法文学部運営を混乱させたことや 前年 12 月に木村が同僚教授を相手に福岡市内中洲のカフェーで引き起こした乱闘事件スキャンダルが学内でうやむやに処理されたこと等々に対して 法文学部創設以来文科の長老教授らとともに学部運営を担ってきた東 藤澤親雄 佐佐弘雄ら法科の先輩教授を中心とする者たちが木村批判を爆発させたものという見方が有力である ( 七戸克彦 九州帝国大学法文学部内訌事件 東京帝国大学 京都帝国大学の内紛 辞職事例との比較 法政研究 年 3 月 pp ) 刑事訴訟法嘱託講師人事を巡る混乱 かざはややそじ 第 2の画期となったのは同じく 1927( 昭和 2) 年 9 月に発生した風早八十二 教授 ( 刑法 刑事訴訟法講座 ) が進めていた刑事訴訟法嘱託講師人事案件を巡る紛争である 9 月 21 日教授会において法科の東 西山 藤澤 佐佐 瀧川政次郎 風早の 6 教授および浅野正一助教授の 7 名から 先に風早が法科協議会に提案し木村の強硬な反対によっていったん否決された福岡地方裁判所判事西村義太郎を刑事訴訟法講師嘱託候補者に推薦するという人事案件が提出された 当時 法文学部教授会のもとには人事や講座新増設等 法科 経済科 文科それぞれに固有の重要事項を審議する機関として各科協議会が置かれ 各科固有の重要事項については事前に各科協議会の議を経て教授会で審議するという学部議事運営がなされていた 東らの行動は形式的にはこうした従来のルールに反して 法科協議会否決案件について直接教授会に再審議提案するものであった そこで 木村らは一事不再理の原則等を理由にこれに強く反発したが 審議採決の結果可 19 名 否 10 名 棄権 1 名をもって提案は可決され 西村に 1 年間刑事訴訟法講師を嘱託することに決した 272

35 第 3 章法文学部の創設 ちなみに この直後には風早がこの件による引責辞職の意思を表明し その後教授会からの説得により辞意を撤回するという一幕もあった この人事問題紛糾の直接の原因は 当該人事に関して自らが法科協議会から選考を一任されたと理解していた風早が 教授会に先立つ法科協議会において西村を推薦する旨の提案を行ったのに対し 木村が いつもの形式論理によって 法科協議会議事録に風早に全権を委任する旨の文言がないから 風早の人選は無効であると主張し これに同調した杉之原らによって 風早の人事は否決されて しまったことであった ( 前掲 九州帝国大学法文学部内訌事件 p.201) ちなみに これにより苦境に陥った風早はその後文科の長老教授らと同様に反木村派に与することになっていった もっとも 他方で風早の側にもそれ以前から 外国に留学したときあつめてきた外国の法律雑誌のバックナンバーを教授会にはからずに研究室に売ってしまう ( 杉之原舜一 波瀾万丈 一弁護士の回想 日本評論社 1991 年 p.23) といった独断専行的行為が見られ 木村から厳しく追及されたことがあったことなどにも留意しておく必要があるだろう ところで そもそも風早による西村判事の講師採用提案は これに先立って風早の依頼を受けた長崎控訴院長からの西村推薦を踏まえたものであり さらに西村は九大講師嘱託を受諾するという条件のもとにすでに福岡地裁判事に転任してきていたという事情もあった このためこの人事をいまさら覆すことになれば 風早が立場上大変な苦境に陥るばかりでなく 大学と裁判所との間にも深刻な問題が生ずるであろうことは明らかであった 東ら 7 名が連名で西村の刑事訴訟法講師嘱託人事の再審議を提案したのはこうした事情に配慮したためであった 上述のとおり結局この人事案は教授会で承認され問題はひとまず落着したかにみえたが この教授会の席上木村が先の 3 月教授会における木村不信任決議を嘲笑する発言を行ったことが 教授会侮辱行為にあたり木村の無反省ぶりを示すものだとして 日頃から木村に反感を抱いていた多くの教授たちからあらためて烈しい反発を招き 対立を再燃さ 273

36 第 3 編九州帝国大学の拡充 せる結果となった ( 福岡日日新聞 1927 年 10 月 25 日付朝刊 ) 木村派 反木村派の対立激化学部創設以来学部長事務取扱の職にあった美濃部達吉が 当初の予定通り学部長事務取扱を辞任した翌日の 10 月 9 日 この日から新学部長に就任した四宮兼之に対して 法科の 4 教授 ( 東 藤澤 佐佐 瀧川 ) と文科の 2 教 まつなみたいがん 授 ( 松濤泰巌 片山正雄) 計 6 名が 学部議事規則に基づき木村の進退に関 する件を議題として緊急の臨時教授会を開催するよう要求したのである これに対し四宮はこの要求は大学教授の地位に関する不可侵の原則に抵触するものであるから議題にすることはできないとして彼らの要求を拒絶したばかりか 10 月 19 日に開催が予定されていた定例教授会をも 都合により という理由で開催を見送った 10 月 13 日 この措置に憤慨した反木村派の東 佐佐 藤澤 瀧川 風早の法科 5 教授が 教授会が開催されないからにはもはや非常手段に訴えるしかないとして 木村および木村を支持する 4 名 ( 大沢章 西山 山之内一郎 杉之原舜一 ) の計 5 名の教官を弾劾しその排斥を求める建白書を大工原銀太郎総長および四宮学部長宛に提出した なお その際建白書の署名者を法科教授 5 名だけにしたのは 弾劾対象が法科の教授 助教授に限定されていることでもあり 今後この紛争が法文学部全体を 2 分する大規模な紛争に拡大するようなことを避けて極力法科内でその解決を図りたいという意向が関係者の間で強く働いたためであると見られている また 木村以外の 4 教授が木村同様弾劾の対象とされたのは 彼らが木村の進退を議題とする教授会を開催しないよう学部長に働きかけるなど木村擁護の姿勢を強く示していた ( と反木村派は理解した ) ため 木村とともにその支持者をも除かなければ法科の徹底的改革は望めないと考えたためであった 10 月 25 日 福岡日日新聞 が 九大法文学部 教授間の紛争ばく発佐々氏等五教授結束して木村教授の処置を迫る容れられなければ五人は 274

37 第 3 章法文学部の創設 れんべい連袂して辞職する同学部内に対立する穏健派と過激派の争ひ という大見 出しのもとに この建白書提出の事実および法文学部法科教授間の深刻な内 紛事件発生を報じ ( 資料編 Ⅰ-195 p.444) 事件は広く社会的注目を浴び ることになった ここに至って弾劾を受けた側の木村派 5 名 ( 木村 大澤 西山 山之内 杉之原 ) ももはや事態の静観を許さなくなったと判断し 10 月 31 日 建白書に真っ向から反論し自らの立場の正当性を主張する声明書 を発表した その要旨は 今回の事件は弾劾者側と自分たちとの間の大学の 本質に関する見解の本質的対立に基づいている 一言で言えば 弾劾者側は 常に主として情実と利益に基づいて大学の事に対するのに対し 自分たちは 共同目的に関する理論的主張に基づいて行動してきた 自分たちが求めてき きはんたのは大学を感情的羈絆から解放して自由な学問的団体とすることにある 自分たちは真理と理論とのためにあくまで闘う準備と決心を有している と いうものであった 11 月 1 日付 福岡日日新聞 はその内容を 木村氏擁護 の五教授さく夜声明書を発表文辞頗る激越 なる見出しのもとに大々的 に報道した ( 資料編 Ⅰ-196 pp ) この声明書に対して 佐佐は真 理または理論云々ということが単に抽象的 観念的に述べられているだけで 不信任決議への対応等自分たちが提起した具体的な問題の本質を回避した遁 辞にすぎないと反駁を加えた ( 資料編 Ⅰ-196 p.447) こうして両者の対 立はますます深刻な事態に突入するとともに 事件に対する社会的な注目は 広がり 新聞各紙は連日のように大々的に事件の推移や背景について報道を 繰り広げた この間法文学部内では高田保馬 大森研造らの経済科 6 教官が第三者的立 場を標榜して積極的に対立両派の調停に乗り出す動きを示したが 反木村派 の態度が非常に強硬だったこともあり 結局大方の賛同を得る調停案を具体 化させることができないまま調停作業は暗礁に乗り上げた その背景には 文科教授陣の中に法科の反木村派と気脈を通じる者が少なくなく 弾劾建白 書提出の動きもこれらの文科教授の了解を得た上でのことだったという事情 275

38 第 3 編九州帝国大学の拡充 があったと見られている 他方 この問題が外部勢力による大学への干渉 学内自治の侵害等を引き起こしかねないことを憂慮した学生の側にも問題の早期解決を求める動きが生じた 法文学部における高等学校出身者の組織した学生の社交団体である高等学校連盟は 11 月 2 日この問題に関する声明書を発表し 学内自治確立のために 1 日も早く内紛を止めるよう要求した また 学生自治組織たる法文会は 11 月 5 日緊急法文会役員総会を開催し 大学の自治的本質に鑑み一日も早く自治的に円満解決せられたき意味の建白書を総長に呈上する事 法科の十教授に対し 中略 学内の問題は学内で解決する様再考を促す事 等を協議し 翌 6 日学内自治のために速やかに紛争解決を希望する旨の建白書を総長 法科 10 教授 経済科文科諸教授等宛に郵送した ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 6 日 7 日付朝刊 ) 同時に 当時理学部新設要求などのために上京中であった総長に対して 一刻も早く大学に戻り法文学部内における問題の解決に努力するよう求めること等の 3か条の申し合わせ事項を発表した ( 資料編 Ⅰ-197 p.448) (2) 総長の介入による処分の決定 休職処分発動と関係者の反応 1927( 昭和 2) 年 11 月 6 日東京から帰福した大工原総長は もともと学部内のことは学部内で解決する方針で この問題が四宮学部長のもとで円満に解決されることを強く望んでいたようであるが 11 月中旬に至り経済科による調停の失敗が確定的となった後 強硬的な総長決裁による解決へと方針を転換した 11 月 22 日 反木村派の東 風早 瀧川 および木村派の木村 山之内 杉之原の 6 名に対して 突如文官分限令第 11 条 1 項 4 号に基づく休職処分が発令されたのである 事実上の免職処分であり いわゆる喧嘩両成敗のかたちを取った両派 3 名ずつに対する厳しい処分であった 処分公表後 総長は新聞紙上で このまゝ放つて置く事の出来ない事情となりました 276

39 第 3 章法文学部の創設 ので学内の秩序平和を保持する為涙を揮って 中略 休職の処分を執るに至つた次第であります と語っている ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 25 日付夕刊 ) ところで 一貫して槍玉に挙げられていた木村はともかく あとの 5 名については両派各 5 名の中からなぜ彼らが処分対象に選ばれたのか その理由が必ずしも明らかでない とりわけ瀧川に対する処分は本人をはじめ関係者の多くにも驚きをもって受け止められた 当初は木村派から 3 名 反木村派から 2 名の計 5 名が処分対象となる予定だったのが ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 19 日付朝刊 ) 土壇場になって瀧川が追加されたという事情もあったからである 実際瀧川自身が処分発表直後に 僕は新に休職になつたのは全く原因がどこにあるのかわからぬ と語っているし ( 東京朝日新聞 1927 年 11 月 23 日付朝刊 ) 同じ反木村派のリーダー格で処分を免れた佐佐も 瀧川君がやられたのは意外です と述べている ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 23 日付朝刊 ) なお この処分についての瀧川以外の 5 名の反応は次のようなものであった 木村は こんな事になるということは真に不意打ちであつた 中略 学部のためにいゝようにと努力して来て 中略 大学のためにかゝる不祥の渦中に投ぜられて犠牲となつたことは遺憾なこと と述べ 山之内は 学説上の争ひか何かで堂々とやつた結果であつたらあきらめもつくが 兎に角運が悪かつたと思つて居る と述べ 杉之原は 僕自身として弾劾された理由が判らぬ 中略 一種の災難といふ外はない と語っている ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 19 日付朝刊 ) また 東は 何うした理由で休職になつたのかその理由はまだ何んとも聴いてゐませんが 中略 万事はその理由を聴いた上で決定しようと考えてゐます マア今は只謹慎してゐるだけで何事も詳しい事は申上げられません と語り 風早は 此の処分に対しては大に云ひたい事もありますが 中略 自分としては決して間違つた事をしたのでなく 又斯うしなければならない立場だつた事を飽くまで信じてゐます などとコメントした ( 福岡日日新聞 1927 年 11 月 23 日付朝刊 ) 277

40 第 3 編九州帝国大学の拡充 一方 法文学部学生は 11 月 25 日 500 名の参加を得て法文会普通会員大会を開催し 五教授一助教授休職に関する教授会の態度を遺憾とす 総長の専断に反対す 等を内容とする決議を行った 新聞はこれを 法文学部内訌のなごり という見出しのもとに伝えている ( 資料編 Ⅰ-199 p.450) 処分を左右した東大法学部長の意向大工原総長が 6 名の休職処分を決定するに際しては 総長自身の強硬姿勢に加えて 法文学部創立以来一貫して法科の教官人事に決定的影響力を有していた東京帝国大学法学部の当時の学部長中田薫の意向が強く働いたものと考えられている 具体的には 大工原から相談を受けた中田が内紛の解決策として 6 名の休職処分案をその穴埋め人事案とのセットで大工原に提示し これを大工原が受け入れたものと考えられている ( 前掲 九州帝国大学法文学部内訌事件 p.204) この点については佐佐の後任の今中次麿( 政治学 ) が後年 創立後日の浅い九大の法文学部の人事問題は 殆ど東京大学法学部長の支配下にありました 九大学長大工原氏は常に東大と相談して事を運び 後略 と回想している( 今中次麿先生追悼記念事業会編 今中次麿 生涯と回想 法律文化社 1982 年 p.40) ことも参考になる ちなみに 上述のごとく瀧川が後から休職処分の対象者に追加された件について その理由が瀧川と中田との間の師弟関係上の確執に関連しているのではないかと示唆する見解があるが ( 前掲 九州帝国大学法文学部内訌事件 p.204) その推測もあながち否定できないように思われる また 総長が最終的にこのような厳しい処断に踏み切るにあたっては この紛争以前から法文学部教授会と総長との間で学外の政治活動に参加した法文学部学生への懲戒処分のあり方等をめぐって 学部自治を主張する法文学部教授会と総長との間で何度か軋轢が生じていたことも少なからぬ影響を及ぼしていたのではないかと思われる たとえば 1926( 大正 15) 年 11 月には法文学部教授会の議を経ず学生に懲戒処分を科した総長に対して教授会が 278

41 第 3 章法文学部の創設 抗議を申し入れ 総長が美濃部学部長事務取扱に対して遺憾の意を表明した上 今後法文学部ニ関スル事件ハ必ズ教授会ノ議ニ付シ 其ノ議決ハ成ルベク之ヲ尊重 する旨の 覚書 を手渡す結果になるという事件があった ( 第 57 回法文学部教授会議事録 1926 年 11 月 16 日 ) また 翌年 5 月の水平社事件批判演説会に参加した学生が警察に検束され殴打された事件 ( 福岡日日新聞 1927 年 5 月 29 日付朝刊 ) の発生に際しては 法文学部教授会が警察への抗議声明書を公表したのに対し その直後に総長から四宮学部長代理に対して その公表が正規の学内手続きを経ていないという厳しい指摘がなされ 責任を感じた四宮が辞任を申し出るという事件 ( 辞意は結局後日撤回されたが ) もあった 総長と法文学部教授会との間の日頃のこうしたぎくしゃくした関係も内紛事件の処理に微妙な影を落としていたのではないだろうか 東 瀧川両教授の復職問題休職処分を受けた 6 名はいずれも処分の 2 年後の 1929( 昭和 4) 年のうちに九大教授の地位を去ることになった このうち東と瀧川については 1928 年 11 月に東が教授会に辞表を提出したのをきっかけに一時両教授の復職問題が教授会の懸案事項として浮上し 翌年 1 月には 東 瀧川両休職教授を復職せしめられんことを希望 する旨の教授会決議が行われた ただちに会議を中断して春日学部長以下 3 名の委員が総長邸に出向き この決議に基づき両教授の復職承認を求めたが 総長は即座にこれを拒否した 春日の報告によれば 総長はその理由として瀧川については 人格上 の問題 東については 学問上 の問題があると指摘したほか 両氏ノ復職ハ学部内将来ノ平和ニ害 があると述べたという ( 第 124 回法文学部教授会議事録 1929 年 1 月 26 日 ) おそらく休職教官中両教授のみに限って復職させては他の休職教官との関係でバランスを欠くし またすでに動き始めていた後任人事にも悪影響を及ぼしかねない等の懸念も働いたものであろう 両教授の復職を 279

42 第 3 編九州帝国大学の拡充 強く主張していた経済科の高田保馬 大森研造 竹内謙二 文科の豊田実 佐久間鼎ほかの法文学部 6 人の教授は 総長のこの措置に不満の意を表し 総長と対立するに至った 学内の他学部教授会も当時 6 教授事件 といわれたこの問題には頭を悩まされ とくに医 工両学部の評議員はこの問題の解決のために評議会もしくはこれに準ずる会議の開催を求めたが 総長はその要求に応えなかった 結局 1929 年 1 月総長は法文学部教授会の承認を経ないまま東の辞表を文部省に進達し 東は辞表の受理を待って同年 6 月 12 日付けで退官した なお 残る 5 名はいずれも 2 年間の休職期間満了をもって同年 11 月 21 日付けで免官となった (3) 内紛の影響と根本的原因 法科空洞化の危機と教官人事充足の進展 以下 内紛事件の与えた影響と事件の根本的原因について簡単に触れてお きたい 一時に 6 名もの教授陣を失うことになったこの事件は 発足間もな い法文学部の運営に大きなダメージを与えた くわえて 休職処分を免れた 反木村派の佐佐は 1928( 昭和 3) 年 3 月の第 2 次日本共産党検挙事件 (3 15 事件 ) を契機とする政府の左翼思想弾圧方針の標的の 1 人として指弾さ さきさかれ 同年 4 月経済科の向坂逸郎 石濱知行両教授とともに 左傾教授 とし て九州帝国大学を追われ 同じく反木村派の藤澤は 1930 年 8 月東光書院創 立のために依願退職して九大を去った この 2 名の離任も法文学部とりわけ 法科の空洞化にますます拍車をかけることになった この結果 法科では当 分の間多くの授業科目の担当を東京帝国大学および京都帝国大学からの応援 講師による臨時講義で賄わなければならなくなった 法文学部では休職処分 決定直後からこの対応策を模索し 大工原総長とともに中田東大法学部長と 面談折衝の結果 1927 年度は急遽東大および京大から以下のような臨時講師 みずまいずたろうの協力を得ることととなった 東大から三潴信三 ( 民法総則 ) 末広厳太郎( 親 280

43 第 3 章法文学部の創設 しげとお族相続法 ) 牧野英一( 刑法各論 ) 穂積重遠 ( 特別講義 ) の 5 教授 京大か ら中島玉吉教授 ( 債権各論 ) という顔ぶれである ( 第 91 回法文学部教授会 議事録 1927 年 12 月 7 日 ) さらに 翌年 3 月には 1928 年度授業担当者と して東大から上杉慎吉 ( 憲法 ) 小野清一郎 ( 法理学 ) 牧野英一 ( 刑法総論 ) 三潴信三 ( 民法物権 ) 京大から中島玉吉 ( もしくは末川博 )( 民法総則 ) 牧 健二 ( 法制史 ) 等の教授陣を臨時講師に迎えることが決まった ( 第 102 回 法文学部教授会議事録 1928 年 3 月 7 日 ) いずれも短期間の集中講義方式 である 4 月の新学期を迎えて上記の法科臨時講義の予定が発表されたが これは離職教授の後任の専任教授人事の遅滞と講座充実の日の遠いことを意 味するものとして 学生たちを大いに落胆させた 同年 6 月 3 日に開催され た第 3 回法文会総会には 450 名の学生が集まり 総長および春日正治学部長 に対して すみやかに後任教授の選任を希望する旨の緊急動議が満場一致で 可決された 法文会は同年 7 月 6 日にも 300 名余の学生を集めて臨時総会を 開催し 教授補充促進の叫びをあげている さらに 12 月には法文会による 補充促進期成聯盟の創立が図られたが 大学行政に立ち入る危険性があると する大学当局の規制によって 結局その創立大会は中止されるに至った その後も法科の人員補充は法文学部の焦眉の課題でありながら 必ずしも 迅速に進展したわけではなかったが 着実に教授陣の新規採用や昇進人事等 が進められ 徐々に教育研究体制の復旧に向かっていった 1928 年 4 月に は佐治謙譲助教授 ( 国法学 ) 6 月には田中和夫講師 ( 民事訴訟法 ) 10 月に は菊池勇夫助教授 ( 社会法 ) 11 月には今中次麿教授 ( 政治学 ) が着任し まさぞう同年 10 月には宇賀田順三助教授 ( 行政法 ) が教授に昇任した また 1929 年 5 月には舟橋諄一助教授 ( 民法 ) が着任し 1930 年 2 月には金田平一郎 助教授 ( 法制史 ) 1931 年 11 月には上原道一助教授 ( 刑法 刑事訴訟法 ) 1932 年 8 月には河村又介教授 ( 憲法 ) が着任し 同年 12 月には林田和博講 あんの師 ( 憲法 行政法 ) が助教授に昇任した 1935 年 5 月には阿武京二郎教授 ひでなが ( 民法 ) が着任している この間京大教授宮本英脩 ( 刑法 刑事訴訟法 ) が 281

44 第 3 編九州帝国大学の拡充 1929 年 1 月から 4 年間 東大教授三潴信三 ( 民法 ) が 1930 年 1 月から 3 年間それぞれ京大 東大との兼任教授となって授業を担当した こうして法文学部は教官不足による学部空洞化という危機的状況から徐々に脱却していったのである 美濃部学部長招致計画とその頓挫なお この間 6 教官休職処分決定直後の 1927( 昭和 2) 年 12 月には 四宮学部長が 本学部空前の紛擾 の責任を理由に教授会に学部長辞任を申し出て承認され ただちに藤澤教授からその後任として先に学部長事務取扱を辞任したばかりの美濃部を東大教授兼任のかたちで学部長に推薦招致する旨の提案がなされた ( 前掲 第 91 回法文学部教授会議事録 ) その後の学部長選挙では圧倒的多数をもって美濃部が選出され 美濃部も当初は受諾の意向を示していたようだが ( 第 93 回法文学部教授会議事録 1927 年 12 月 17 日 ) 総長 東大法学部長その他関係者の同意を得ることができず 美濃部からも自身が学部長となれば 更ニ紛争ヲ起ス恐レ があることを理由に就任辞退の回答がなされ 美濃部学部長 は実現に至らなかった ( 第 99 回法文学部教授会議事録 1928 年 2 月 1 日 ) そして 文科の春日政治( 国文学 ) が 2 月 5 日教授会において学部長に選出された また 1929 年 3 月には大工原が総長辞任を申し出 学内の承認を得て 9 月に辞任した 健康を害したことが辞職理由の 1つに挙げられていたが 法文学部の内紛問題 同学部教授補充問題さらには休職教授復職問題をめぐる紛糾等が相次ぐ大学の現状に対して不満が溜まっていたことも大きな理由の 1つだったと推測されている 紛争の遠因と美濃部の責任 最後に この紛争事件の詳細については いまだに不明な点が少なくない が 紛争の性格そのものは事件に関係した某教授が述べているように 無邪 282

45 第 3 章法文学部の創設 気な腕白者が暴れた 体のものであって 20 代の若輩者の傍若無人な言動が 法科教員の大量欠員のみならず 中略 時の九大総長 大工原銀太郎の辞任まで引き起こした ( らしい ) というある意味滑稽きわまりない前代未聞の事件だった ( 前掲 九州帝国大学法文学部内訌事件 p.146) また 紛争発生当時からしばしば指摘されていたとおり 事件の遠因が法文学部創設時における創立委員長美濃部によるいかにも拙速かつ慎重さを欠いた法科教官人事にあったこと および法科教官相互の争いが学部内で収拾されることなく激化の一途をたどり ついには破局的な結末を迎えるに至った大きな理由の 1つが美濃部のあまりにも自由放任主義的な学部運営にあったことも否定できないところである 主として東大文科の教授に人選を依頼して集めた文科教官の多くが高校 高専からの転入で 概して保守的傾向が強く年齢層も相対的に高かったのに対し 美濃部が直接人選を行った法科 経済科の教官の大半は東大助手から一躍教授に昇進して着任してきた若手教官であって 両者の平均年齢には数年の開きがあった このため 両者の間には思想上も学問観においても大きな相違があり 法文学部という同じ学部に身を置く両者の間に早晩何らかの対立が発生するであろうことは最初から大方の予想するところでもあった ちなみに 紛争発生の 1927( 昭和 2) 年当時 両派 10 名の年齢は年長順に東 41 歳 大澤 37 歳 西山 35 歳 藤澤 34 歳 山之内 31 歳 木村 佐佐 瀧川 杉之原が 30 歳 風早にいたっては弱冠 28 歳であった 彼らの中には山之内 佐佐 風早のように左翼的思想を奉ずる者もいれば藤澤や東のように右翼的思想の持ち主もいたが 佐佐が東 藤澤と反木村派で共闘し 山之内と風早が袂を分かったことなどにみられるように 両派がこうした思想や学問観の対立をもとに形成されていたわけではけっしてなかった 一言で言えば 木村に代表される法科の若手教官の日頃の傍若無人ともいえる言動を契機に学部内で高まっていた感情的な対立が たまたま思想上の相違を差し置いて結束しあう法科教官 2グループ間の紛争として表面化したというのがこの事件の真相だったというべきである 283

46 第 3 編九州帝国大学の拡充 ところで 紛争発生時に法文学部長事務取扱の任にあった美濃部はこの紛争に対してどのように対応していただろうか 上述のとおり 美濃部は 1927 年 10 月に学部長事務取扱を辞しているが この年の教授会にはわずか 1 度しか出席していない ここから分かるように この間美濃部には学部運営に主体的に責任をもって関与する姿勢がほとんど見られない もし美濃部が対立する両派の仲介の労をとる等 紛争解決を目指して積極的な動きをみせていたならば おそらくここまで紛争が深刻化することはなかったのではないだろうか 美濃部による無責任体制ともいうべき学部運営の代償はあまりにも大きかったといわねばなるまい 284

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