はじめに 川名の由来庄内川水系その 1 瀬戸市 83 長久手市 14 尾張旭市 8 名古屋市守山区 11 春日井市 44 の川名 1. 庄内川 瀬戸市 83 の川名 (1) 瀬戸の沿革

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1 シリーズ Vol.2 (No.1) 川名が語るふるさとの歴史 愛知の川名 庄内川水系 瀬戸市 長久手市 尾張旭市 名古屋市守山区 春日井市 写真 定光寺の庄内川 瀬戸市 撮影 平成 26 年初夏 平成 27 年 3 月

2 はじめに 川名の由来庄内川水系その 1 瀬戸市 83 長久手市 14 尾張旭市 8 名古屋市守山区 11 春日井市 44 の川名 1. 庄内川 瀬戸市 83 の川名 (1) 瀬戸の沿革 (2) 蛇ケ洞川と 8 支流 ) じゃがほらがわ蛇ケ洞川 かみはだがわ 上半田川町の沿革 ) かまがほらがわ竈ケ洞川 ) なわぼらがわ縄洞川 ) おおいしもとがわ大石本川 ) わかみやほらがわ若宮洞川 ) ななまがりがわ七曲川 ) ひなたがわ日向川 ) きたひなたがわ北日向川 しもはだがわ下半田川町の沿革 ) ひがしくつかけがわ東沓掛川 くつかけ沓掛の沿革 (3) 定光寺川と 1 支流 ) じょうこうじがわ定光寺川 ) いりがほらがわ杁ケ洞川 じょうこうじ定光寺町の沿革 (4) 水野川と 33 支流 ) みずのがわ水野川 みずの水野町の沿革 ) かくかほらがわ角ケ洞川 ) ひのでがわ日の出川 ) かたぐさがわ片草川 かたくさ片草町の沿革 ) ひがしやまがわ東山川 ) しらいわがわ白岩川 しらいわ白岩町の沿革 ) しなのがわ品野川 しなの品野の沿革 ) いわはなほらがわ岩花洞川 ) かねじがわ金地川 ) くすほらがわ楠洞川 ) おおどしもがわ大戸下川 目次 12) なかほらがわ中洞川 ) きたやまがわ北山川 ) かにがわ蟹川 ) おおぼらがわ大洞川 かみしなの上品野の沿革 なかしなの中品野の沿革 ) やまさきがわ山崎川 ひろのた広之田町の沿革 ) とりはらがわ鳥原川 とりはら鳥原町の沿革 ) いちろべえがわ市郎兵衛川 きたおか北丘町の沿革 おちあい落合町の沿革 しもしなの下品野の沿革 ) よどこがわ余床川 よどこ余床町の沿革 ) そのがわ曽野川 かみみずの上水野町の沿革 ) やとこがわ八床川 やとこ八床町の沿革 ) やまぼしがわ山干川 ) うぶすながわ産砂川 その曽野町の沿革 ) といがさわがわ樋ケ沢川 ) かずなりがわ数成川 ) かまがほらがわ釜ケ洞川 あかつき暁町の沿革 あなだ穴田町の沿革 ) ぢぞうがわ地蔵川 ) しんでんがわ新田川 かみほん上本町の沿革 ) ごぜんがわ御前川 ) おだつまがわ小田妻川 おだづま小田妻町の沿革 ) からさわがわ唐沢川 ) えびづるがわ海老弦川 ) あざばたがわ麻畑川 ) ほんごうがわ本郷川 じつけん十軒町の沿革

3 ほんごう本郷町の沿革 (5) 瀬戸川と 12 支流 ) せとがわ瀬戸川 瀬戸の沿革 ) こんやたがわ紺屋田川 ) こせとがわ古瀬戸川 ) はいどがわ拝戸川 ひがしこせと東古瀬戸 町の沿革 ごいづか五位塚町の沿革 ) いちりづかがわ一里塚川 いちりづか一里塚町の沿革 ) いんじょがわ印所川 ひがしいんぞ東印所町の沿革 ) ひがしいばらがわ東茨川 ) にしいばらがわ西茨川 はぎどの萩殿町の沿革 ) じんやがわ陣屋川 ) まごたがわ孫田川 かみじんや上陣屋 町の沿革 なえば苗場町の沿革 ) さくらがわ桜川 ) かんえもんがわ勘右衛門川 やまて山手町の沿革 ) あさひさかいがわ旭境川 あかづ (6) 赤津川と 10 支流 ) あかづがわ赤津川 あかづ赤津の沿革 ) きたとごしがわ北戸越川 ) とごしがわ戸越川 ) しらさかがわ白坂川 しらさか白坂町の沿革 ) じんじょぼらがわ尋所洞川 ) きのしたがわ木ノ下川 ) ひがしやまじがわ東山路川 ) やまじがわ山路川 ) しのだがわ篠田川 ) きたかいしょがわ北海上川 ) かいしょがわ海上川 かいしよ海上町の沿革 (7) 矢田川の 14 支流 ) やとがわ屋戸川 やと屋戸 町の沿革 ) わかみやがわ若宮川 わかみや若宮町の沿革 ) よしだがわ吉田川 みやじ宮地町の沿革 ) はちまんがわ八幡川 やまぐち山口町の沿革 ) やくしがわ薬師川 うえのやま上ノ山町の沿革 ) しんめいがわ神明川 みなみやまぐち南山口町の沿革 かけした掛下町の沿革 ) いまばやしがわ今林川 いけだ池田町の沿革 いまばやし今林町の沿革 ) えっちゅうかわ越中川 ) だいろくがわ大六川 だいろく台六町の沿革 ) こめいずみがわ米泉川 にしこめいずみ西米泉町の沿革 ひがしこめいずみ東米泉町の沿革 ) べんてんがわ弁天川 べんてん弁天町の沿革 ) いばやしがわ井林川 ) みなせがわ水無瀬川 ひしのだい菱野台の沿革 ) ほんじがわ本地川 ほんじ本地の沿革 (8) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 かみはんだがわ 1) 上半田川村字名 しもはんだがわ 2) 下半田川村字名 くつかけ 3) 沓掛村字名 かみしなの 4) 上品野村字名 なかしなの 5) 中品野村字名 しもしなの 6) 下品野村字名 かみみずの 7) 上水野村字名 なかみの 8) 中水野村字名 しもみすの 9) 下水野村字名 あかづ 10) 赤津村字名 せと 11) 瀬戸村字名 やまくち 12) 愛知郡山口村字名 ひしの 13) 愛知郡菱野村字名 ほんぢ 14) 愛知郡本地村字名

4 3. 長久手市 14 の川名ながくて (1) 長久手の沿革 (2) 香流川と 12 支流 ) かなれがわ香流川 いのこし猪子石の沿革 ) いちのいがわ一の井川 ) しんめいがわ神明川 ) ひがしやまがわ東山川 ) しみずがわ清水川 ) みぞのいりかわ溝ノ杁川 ) ほりこしがわ堀越川 ) ごんだいがわ権代川 ) こうおけがわ香桶川 ) かりまたがわ雁又川 ) かもたがわ鴨田川 ) つかたがわ塚田川 ) ふじのきがわ藤ノ木川 (3) 天白川水系の 1 支流 ) いほりがわ井堀川 (4) 明治 15 年愛知郡町村字名調 ながくて 1) 長久手村字名 やさこ 2) 岩作村字名 くまはり 3) 熊張村字名 まへくま 4) 前熊村字名 尾張旭市 8 の川名おわりあさひ (1) 尾張旭の沿革 (2) 矢田川の 5 支流 ) さんばがわ三葉川 ) いしはらがわ石原川 ) いなばがわ稲葉川 いなば稲葉の沿革 ) にたんだがわ二反田川 いんば印場の沿革 ) てんじんがわ天神川 あらい新居の沿革 (3) 天神川の 3 支流 ) ごうくらがわ郷倉川 ) すながわ砂川 ) きたやまがわ北山川 さんごう三郷の沿革 (4) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 いんば 1) 印旛村字名 あらい 2) 新居村字名 いなば 3) 稲葉村字名 さんごう 4) 三郷村字名 いま 5) 今村字名 みののいけ 6) 美濃ノ池村字名 名古屋市守山区 11 の川名もりやま (1) 守山の沿革 (2) 庄内川の 8 支流 ) しらとりがわ白鳥川 ) おおやがわ大矢川 かみしだみ上志段味の沿革 ) のぞえがわ野添川 なかしだみ中志段味の沿革 ) ながとがわ長戸川 しもしだみ下志段味の沿革 ) ながねがわ長根川 ) ふかざわがわ深沢川 ) とうらいがわ到来川 きっこ吉根の沿革 ) しらさわがわ白沢川 (3) 矢田川と 2 支流 ) やだがわ矢田川 やだ矢田の沿革 ) すみよけがわ隅除川 ) もりやまがわ守山川 (4) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 かみしだみ 1) 上志段味村 なかしだみ 2) 中志段味村 しもしだみ 3) 下志段味村 きっこ 4) 吉根村 もりやま 5) 守山村 おばた 6) 小幡村 かわ 7) 川村 だいえいじ 8) 大永寺村 おおもりがいと 9) 大森垣外村 おおもり 10) 大森村 やた 11) 矢田村 春日井市 44 の川名かすがい (1) 春日井の沿革

5 うぐい (2) 鯎川と 8 支流 ) うぐいがわ鯎川 たまの玉野町の沿革 ) かきのきがわ柿ノ木川 ほその細野 町の沿革 とのはら外之原の沿革 ) やながわ柳川 ) をうぎみちがわ小木道川 ) さいぞうがわ才蔵川 ) かくれやまがわ隠山川 ) しんいけがわ新池川 ) かましばがわ鎌芝川 ) もものきがわ桃ノ木川 (3) 繁田と放水路 ) しげたがわ繁田川 ) しんしげたがわ新繁田川 てがわ出川町の沿革 ) みあらいがわ身洗川 こうぞうじ高蔵寺の沿革 (4) 内津川と 28 支流 ) うつつがわ内津川 うつつ内津の沿革 ) うつつかみまちがわ内津上町川 ) きたやまがわ北山川 ) しみずなかほらがわ清水中洞川 ) ごかむらがわ五ケ村川 さいを西尾村の沿革 ) しらかわ白川 ) いもじほらかわイモジ洞川 ) あぜちほらがわ畔地洞川 ) にしほらがわ西洞川 ) すぎほらがわ杉洞川 ) いわがねがわ岩ケ根川 ) こまがえりほらがわ駒返洞川 ) あまがほらがわ尼ケ洞川 あけち明知の沿革 ) てらほらがわ寺洞川 ) くろすけがわ黒助川 ) くろすけほらがわ黒助洞川 ) はかえだほらかわ墓枝洞川 ) おたがほらがわお多賀洞川 ) ひきさわがわ引沢川 ) かみやがわ神屋川 かぎや神屋町の沿革 ) さかしたがわ坂下川 さかした坂下町の沿革 ) おおたにがわ大谷川 ) おくやまほらがわ奥山洞川 ) ひがしおおたにがわ東大谷川 はざま廻間の沿革 ) うつつがわほうすいろ内津川放水路 おおどめ大留町の沿革 ) じぞうがわ地蔵川 ) じぞうがわほうすいろ地蔵川放水路 ) しんじぞうがわ新地蔵川 ) だいせんじがわ大泉寺川 だいせんじ大泉寺の沿革 しもいちば下市場の沿革 (5) 八田川と 2 支流 ) はったがわ八田川 はったしんでん八田新田村の沿革 はったよきちしんでん八田与吉新田村の沿革 ) じょうねほらがわ定根洞川 ) いくじがわ生地川 ひがしの東野町の沿革 さいぎょうどう (6) 西行堂川と 4 支流 (7) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 とのはら 1) 外之原村字名 てがわ 2) 出川村字名 うつつ 3) 内津村字名 あけち 4) 明知村字名 さいを 5) 西尾村字名 かみや 6) 神屋村字名 さかした 7) 坂下村字名 はざま 8) 廻間村字名 だいせんじしんでん 9) 大泉寺新田村字名 巻末資料集河川案内図 資料 1 写真集 資料 13 尾張建設事務所管内図一級河川一覧表 --- 資料 21 愛知の川名編集委員会監修磯貝洋尚 ( 地名文化研究会会員 ) 委員長吉永次男委員川﨑明神戸譲田中利佳

6 はじめに川は昔から流域に住む人々の暮らしと密接な関わりを持ち その流域独特の風土や文化を創造し 育ててきました また川から大きな恵みを受けて生活の場を確保し 産業を発達させてきました 一方では しばしば氾濫を起こし 人々の生活を脅かしますことがありました 河川と闘い 利用し 幾多の遍歴を経して現在の河川を作り上げてきました そうした河川と流域の人々との歴史的なかかわりの中で 集落の歴史 地名の語言由来を収録しました 近年 河川の整備が進む中で 自然としての河川 風土や文化としての河川の姿が次第に薄れてきています 本誌を通して 先人達の川と共生の苦労 功績と知恵を感じとることが出来ると思います 本書は愛知の川名 矢作川水系 に続いて 庄内川水系 を編集したものです 河川一般 流域降雨や雪解け水などが地表や地下を通って その川に流れ込んでいる全地域をさします 水系同じ流域内にある本川 支川 派川とこれらに関連する湖沼を総称してこう呼ばれます 本川流量 長さなどが最も重要と考えられる あるいは最長の河川のことを呼びます 支川本川に合流する河川のことをいいます さらに本川に直接合流する河川を 一次支川 一次支川に合流する河川を 二次支川 と呼びます 川ことば一般的に 最も上流に源流を持ち 海へ注ぐ河川を本流 本流に合流する河川を支流といい 本流は 途中でいくつもの支流を合わせ 流量を多くし 川幅を広げて海へ注いでいます そこで これら本流と各支流のまとまりを 水系 といい 通常 本流の名前をつけて 川水系 といいます 庄内川本流と各支流のまとまりを 庄内川水系 といいます なお 地形の関係などにより本流から分かれて別のところで海へ注ぐ河川 ( 派川 ) をもつ水系もあります 放水路河川の途中から新しく人工的に開削し 直接海または他の河川に放流する水路のことで 分水路 と呼ばれることもあります 捷水路河川の湾曲部を矯正して 洪水を安全に流下させるために開削した水路です 国や都道府県では通常 本流を 本川 支流を 支川 と呼んでいます そして これらの河川を 河川法で 国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で 政令で指定した河川で建設大臣が指定してもの を一級河川 ( 第 4 条 ) これ以外の水系で 公共の利害に重要な関係がある河川で都道府県知事が指定したもの を二級河川 ( 第 5 条 ) また これ以外の河川で 市町村長が指定したもの を準用河川 ( 第 100 条 ) と規定されています このことから 一級河川のまとまりを 一級水系 二級河川のまとまりを 二級水系 と呼んでいます i

7 一級水系 二級水系といった河川管理上の区別河川別及び管理者一覧表 変遷時の流れとともに移り変わること ここでは 例えば 村の沿革 の場合では その一つに 地名の変遷 というように沿革の細目として取り扱った 本流と支流 渓流 源流の使い分けについて 本流ここでは 庄内川 である この本流にも上流 中流 下流 ( 域 ) といった地域 ( 流域 ) の名称を使う場合がある 河川管理者河川は好況に利用されるものであって その管理は 洪水や高潮などによる災害の発生を防止し 公共の安全を保持するよう適正に行わなければなりません この管理について権限をもち その義務を負う者が河川管理者です 具体的に 一級河川については 建設大臣 二級河川については都道府県知事 準用河川については市町村長 と河川法に定められています 一級水系国土保全上または国民経済上 特に重要な水系は建設大臣が直接管理します 一級水系は現在 全国で 109 あり 庄内川水系はこのうちの 1 つです ( 平成 26 年 6 月現在 ) 支流本川に合流する河川のこと 本川の右岸側に合流する支川は 右支川 左側に合流する支川を 左支川 また 本川に直接合流する支川を 一次支川 一次支川に合流する支川を 二次支川 というが ここでは これらの全てを 支流 と称した 渓流一般に谷川の流れを指すが ここでは 本川に直接流入する沢などもいう また 地域により 渓流 という言葉を使わないところもあるが ここでは 渓流という名称 ( 例 : 川に注ぐ渓流 ) を使用した 源流河川の始まりは 岩や斜面から染み出す湧水から始まる これは次第に幅を広げながら斜面を下りやがてはっきりとした流れる地形をつくり出す 前記の 渓流 と明確な区分はないが ここでは 河川の始まりのところ とした 本書の用語の見方 読み方河川の名前 ( 川名 ) について最初に呼び名 ( ひらがな ) を表示し 次に名称 ( 漢字 ひらがな カタカナ ) を記載している 沿革と変遷について 沿革物事の移り変わり 今日までの歴史 変遷ともいうが ここでは少し広い範囲で捉えた 沿革には 変わらぬモノ ( 沿 ) と変わるモノ ( 革 ) があり この場合 名称などが消滅した場合も含む 源頭谷の最上流 尾根に到達する場所を源頭という 河川の源頭部は谷頭侵食によって隣接流域にまで入り込み 結果として流域界を移動させ 河川の流域を広げることがある また 時として 隣接する河川の途中から上流側をごっそりと奪い取ることすらあり このような現象は河川争奪と呼ばれる 河川争奪は隣接流域間で河床高度や流量 河床勾配等が著しく異なり 河川の侵食力に大きな差があると起こりやすい 一般に 上流部を争奪された河川は その流量に不調和な幅広い無能谷を有することが多い ii

8 しょうない 1. 庄内川 川名の由来: 愛知郡誌 に上流の美濃国内( 岐阜県 ) ときを土岐川と呼び 尾張国内 ( 愛知県 ) では庄内川に統一されるまでは 村ごとに 玉野川 勝川 枇杷島川 番場川 一色川 味鋺川 小田井川などと呼ばれ 地域によって異称があった 庄内川という名称は 流域に山田荘という荘園があったことに由来するという 出典 地名辞書 みのみかわ 川の概要: 美濃三河高原 ( 岐阜県恵那郡山岡町にあきそやはぎる夕立山 ) に源を発し 木曽川 矢作川の 2 大水系の間を南西流して伊勢湾に注ぐ 一級河川 流長 96km 流域面積 1,010 km2 年間総流出量は 8 億 2,236 万m3 ( 昭和 13~59 年の枇杷島地点における平均 ) 流域の地形: ほぼ長方形をした流域の上流部は岐阜県域で 佐々ささらぎおり良木川 小里川 ( 平成 16 年 3 月に小里川つまきダム竣工 ) 妻木川などの支流を集めながら 多くのみずなみときたじみ狭窄部と瑞浪 土岐 多治見などの小盆地を貫流する 多治見の南西で愛知 岐阜県境の丘陵地に峡谷をうがち 濃尾平野に出る しんかわあらいぜきさなげやだ 新川洗堰で新川を分派し 猿投山に発する矢田川いせを合わせたのち 名古屋市の北 西部を迂回して伊勢湾に入る 名古屋城: 左岸に名古屋城を取り囲むように流れているため 城を水害から守るために何回も普請を行っているが 宝暦 7(1757) 年 安永 8(1779) 年 嘉永 3(1850) 年 明治元 (1868) 年 同 29(1896) 年などに大被害を受けている 舟運: 舟運は 本支流ともに下流部においてのみ利用されていた ( 庄内川流域史 ) 古くは荘園の米の積出しに利用され 中世後期には庄内川を溯航して清洲まで舟が行き来していた 利水: 利水は農業用水が主 庄内川の汚染等: 流域の地質が風化しやすいのに加たじみときみずなみえ 上流域の土岐川沿岸は多治見 土岐 瑞浪などの窯業地帯で陶磁器原料の採掘 洗浄 中流部以下の工場廃液 さらに名古屋市の都市下水などの流入で 下流部の汚濁は甚だしく わが国有数の白濁河川といわれた てんめいまた 下流の洪水も頻繁で 五条川との間には天明年間 (1781~1789) 新川が開削された 昭和 46 年の水質汚濁防止法の施行以来 工場 事業所への規制強化などの諸施策により 近年は清流化がふじまえ進み 河口周辺 ( 藤前干潟 ) は国内最大級のシギ チドリ類飛来地 平成 14(2002) 年ラムサール条約の登録湿地に指定された 全国の庄内川: 愛知県 ( 一級庄内川水系 ) 岡山県 ( 一級旭川水系 ) 福岡県( 一級遠賀川水系 ) 宮崎県( 一級大淀川水系 ) に存在する 角川日本地名大辞典 とき土岐川 ( 庄内川の上流域 岐阜県では土岐川と呼ぶ ) 川名の由来: 土岐市を冠した川名 川の概要 : 源である夕立山 ( 標高 727m) の北麓からびょうぶやま屏風山断層崖を流れ 中切付近で急に西に方向を変えてからは いわゆる東濃の第三紀丘陵地帯を流れて えなみずなみときたじみ恵那市 瑞浪市 土岐市 多治見市などの市街地付近かすがいをほぼ北東から南西に流れ 春日井市で愛知県に入り しょうない川名を 庄内川 と変えて伊勢湾に注ぐ 愛知県春日井市との県境付近の春日井側では 玉野川 と呼ばれる場所もある 岐阜県内の流路延長約 51km( 河川法区域延長約 43km) 県内の瑞浪市域で左岸に佐々ささらぎおり良木川 小里川 ひよし瑞浪 土岐両市の境で右岸に日吉川 土岐市域で左岸ひだつまきたかだおおはらに肥田川 妻木川 多治見市域で右岸に高田川 大原かさはらいちのくら川 左岸に笠原川 市之倉川など多くの支流を合わせる 土岐川とこれらの支流に沿った地域では 第三紀層に由来する良質の陶土を産し 古くから製土業や陶磁器製造業などが盛んに行われた また小里川の上流に沿った山岡町では 大正年間から寒天生産が行われている 出典 角川日本地名大辞典 -1 -

9 2. 瀬戸市 83 の川名せと (1) 瀬戸の沿革 地勢: 猿投山西麓 地内を瀬戸川 水野川が流れる 地名由来伝: 海路の磯近く山島の間をいう ( 塩尻 ) すえどころ陶所が転じたもの ( 瀬戸新窯記 ) 山間の狭い所をせと迫所という ( 地名考 ) などの諸説がある 焼物とともに長い歴史を歩んできた陶都 地名の変遷: 古代は 春日部郡 和名抄官郷 ( 余戸郷 ) であったと推察 室町期は 尾張国山田郡瀬戸村 江戸期 ~ 明治 22 年は尾張国春日井郡瀬戸村 明治 13 年東春日井郡に所属 明治 22 年市制町村制施行による瀬戸村となる 明治 25 年町制施行により瀬戸町となる 大正 14 年赤津村 旭 村今 美濃ノ池を合併 同時に 旧 ) 瀬戸町は瀬戸となり 赤津 ( 旧 : 赤津村の地域 ) 今 美濃ノ池の 3 大字を加えて 4 大字の編成となる 昭和 4 年市制施行 昭和 26 年水野村 同 30 年幡山村 同 34 年品野町を合併 昭和 17 年から区画整理などが始まり 大字は廃止 新町 245 町が起立 現在に至る いちりづかいちょうのきいずみはるさめはぎ昭和 17 年一里塚町 銀杏木町 泉町 春雨町 萩どのたねだにしいばらにしほんまちにしいんぞ殿町 刎田町 西茨町 西本町 1~2 丁目 西印所町 にしくらしょにしとみづかにしだににしはいとにしぼら西蔵所町 西十三塚町 西谷町 西拝戸町 西洞町 にしごうにしこせとにしごんげんとうえいとうほん西郷町 西古瀬戸町 西権現町 陶栄町 陶本町 1~ どうせんとうしろうとうせいとうげん 6 丁目 道泉町 藤四郎町 陶生町 陶原町 1~6 丁おうじのさわかわい目 王子沢町 川合町 上ノかみのきりかまがみたきのゆ切町 窯神町 滝之湯町 そぼかいしんどうなかぼらなかごうなかやまなかぎり祖母懐町 新道町 仲洞町 仲郷町 中山町 仲切町 うまがじょうくらしょくまのやくしやまわきまえだ馬ケ城町 蔵所町 熊野町 薬師町 山脇町 前田町 ふかがわごいづかこせとえびすてらもとあずま深川町 五位塚町 古瀬戸町 蛭子町 寺本町 東町 あさひまちあきばさいわいさかえまちみやざとみなみなかのきり朝日町 秋葉町 幸町 栄町 宮里町 南仲之切町 きょうまちゆのねひがしいばらひがしいんぞ京町 1~2 丁目 湯之根町 東茨町 東印所町 ひがしごんげんひがしとみづかひがしぼらとうごうひがしこせと東権現町 東十三塚町 東洞町 東郷町 東古瀬戸ひがしはいともとまちせとがわすえひろ町 東拝戸町 元町 1~3 丁目 背戸側町 末広町 1 すはらすぎつかひがしほんまちひがしやすど ~3 丁目 須原町 杉塚町 東本町 1~2 丁目 東安戸みなみあずまみやわきやすどこんやだ町 南東町 宮脇町 安戸町 紺屋田町となる なお 昭和 28 年に幡山村と境界変更が行われた 記録: 明和 4 年の洪水によって砂入地が多くなったかまどという 宝永 4 年の地震で多くの竈が破壊されたが 藩の保護を受けて立ち直ったという しかし この保ろくろ護政策により窯株制 一子相続の制 永代轆轤一挺の制などの統制をも受け 享和 2 年には御蔵会所が設け られて販売の自由も奪われた 明治 6 年陶原学校開設 明治 28 年瀬戸陶器学校 ( 現 : 県立瀬戸窯業高校 ) 設立 同 38 年瀬戸自動鉄道 ( 現 : 名鉄瀬戸線 ) 尾張瀬戸駅開業 昭和 30 年代には大学 公共施設の建設や 大型住宅団地の造成などが進んだ 同 49 年瀬戸市新総合計画により産業を基盤とした緑あふれる文化都市づくりを行ってきた 寺社: 神社は 八王子社 ( 深川神社 ) 山神社 社宮神 権現 八王子社は式内社で藤四郎作と伝える国宝狛犬がある 寺院は 曹洞宗宝泉寺 ほかに薬師堂 庚申堂があった 角川日本地名大辞典 抜粋 (2) 蛇ケ洞川と 8 支流 1) じゃがほらがわ蛇ケ洞川 ( 庄内川支流 ) かみはだがわしもはだがわ < 上半田川町 下半田川町 > 川名の由来: 昔は 山崩れは大蛇が暴れて起すと言われていた 地滑りをジャバミ 山抜をジャヌケなどというように ジャガホラ も山崩れの多い洞を表現した川名と推察 川の概要: 岐阜県境の上半田川町を源流に 上下半田川町地内を西流し 竈ケ洞川 縄洞川 大石本川 若宮洞川 七曲川 日向川 北日向川 沓掛川など 8 支流を集め 庄内川に注ぐ準用河川 半田川地名由来: 蛇ケ洞は地崩れの多い洞をいう 地名伝: 退治した大蛇の血が花柄のように流れ花川と呼ばれるようになり それが転訛して半田川になったと伝承されている 参考 ) 当地域は陶磁器の産地で 陶土の採取により山地崩壊が激しく 笠原町でも江戸時代に幕府の笠松代官所の裁定で 原因者負担 ( 窯元組合が資金を拠出 ) で治山事業を行った歴史がある かみはだがわ上半田川町の沿革 地勢: 蛇ケ洞川上流域の山間部 こよう 名所旧跡: 縄文石器の出土地や中世落武者伝承 古窯 し址の分布など古い歴史をもつ 地名由来伝: 花川伝説に 蛇が淵の大蛇を射た血が -2 -

10 3 日 3 晩花柄のように流れ花川と呼ぶようになり 転じて半田川となったという 地名の変遷: 戦国期は半田川と称された 江戸期は 尾張国春日井郡上半田川村 明治 13 年東春日井郡上半田川村 同 22 年上品野村の大字となる 明治 39 年品野村 大正 13 年品野町 昭和 34 年瀬戸市上半田町となる 記録: 元禄年間に当村 下半田川村と美濃国笠原村 ( 現 : 岐阜県笠原町 ) との間に村境 入会権をめぐる争論が生じ 同 14 年幕府の評定所へ訴え 尾張側の勝訴となった 村民はそれを記念して 134 段の石段を築き白山社を勧請 毎年 6 月 22 日には絵図びらきを行っている 寺社: 神社は 権現 ( 金峰神社 ) 山神 白山 寺院は曹洞宗吉祥寺 ( 吉祥庵 ) 頭痛を治す喜平治祭りで名高い 角川日本地名大辞典 抜粋 2) かまがほらがわ竈ケ洞川 ( 蛇ケ洞川支流 ) かみはだがわ < 上半田川町 > かまがほら 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上半田村字 竈ケ洞 の名を冠した川名 県境を挟んだ岐阜県笠原町には土砂崩壊を起こした原因者 ( 窯元 ) 負担で治山事業を行った記録がある かみはだ 川の概要: 岐阜県笠原町との分水嶺を源頭に上半田がわ川町地内を南流し 蛇ケ洞川に合流する谷川 かまがほら 竈ケ洞地名の由来 : カマ ガホラのカマは魚の頭部と胴体の境を言い 田畑のカマは田畑の境を指すことから 美濃国との 境 から流れる洞のある所を表現タツした地名と推察 現在は砂防等の事業名では 寵ケ洞と呼んでいる 3) なわぼらがわ縄洞川 ( 蛇ケ洞川支流 ) かみはだがわ < 上半田川町 > じゃばみ 川名の由来: 縄は蛇のように見えるので 蛇這のように地すべりを起こす洞を縄洞と表現した川名と推察される かみはだがわ 川の概要: 上半田川町地内の独立した山 402.8m の南斜面を源流域とする谷川 4) おおいしもとがわ大石本川 ( 蛇ケ洞川支流 ) かみはだがわ < 上半田川町 > かみはだがわおおいしもと 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上半田川村字 大石本 の名を冠した川名 川の概要: 笠原町との分水嶺を源頭に 南に流れ金峯神社の門前を経て蛇ケ洞川に注ぐ谷川 大石地名の由来: 定かでないが 大石本は神々が天いわくら孫降臨される磐座のある所を表現したと推定される あるいは大石が土砂崩落下した発生場所を記録する地名か 5) わかみやほらがわ若宮洞川 ( 蛇ケ洞川支流 ) かみはだがわ < 上半田川町 > 川名の由来: 定かでないが金峯神社を若宮と称し若宮の西側の洞を表現した川名と推察 川の概要: 金峯神社の西側の洞 ( 谷 ) に出来た砂防堰堤を水源に南流し 蛇ケ洞川に注ぐ谷川 6) ななまがりがわ七曲川 ( 蛇ケ洞川支流 ) かみはだがわ < 上半田川町 > 川名の由来: 七曲がりしながら登る急な山路に沿って流れる川を称した川名と推察 川の概要: 北丘町 余床町の山林を源流域に北流し 西流する蛇ケ洞川に注ぐ谷川 7) ひなたがわ日向川 ( 蛇ケ洞川支流 ) しもはだがわ < 下半田川町 > 川名の由来: 日当たりの良い盆地を流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 笠原町との分水嶺を源頭に下半田川町地内を西流し 途中で北日向川を集め蛇ケ洞川に注ぐ谷川 8) きたひなたがわ北日向川 ( 蛇ケ洞川支流 ) しもはだがわ < 下半田川町 > 川名の由来: 日向川に注ぐ北側の日向川を意味した川名と推察 川の概要: 多治見市市之蔵町との分水嶺を源頭に下半田川町内を南流し 205 号線と交差する辺りで日向川に合流する小川 -3 -

11 しもはだがわ下半田川町の沿革 地勢: 蛇ケ洞川中流域から下流域の山間部に位置する 名所旧跡: 地内川西島には土豪尾関氏の城秦川城のこようし跡が残る 尾呂地区にある江戸期の古窯址群の大規模な発掘調査が昭和 60 年から始められた 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡下半田川 江戸期は春日井郡下半田川村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年掛川村の大字となる 明治 39 年品野村 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 39 年瀬戸市下半田川町となる 寺社: 神社は 八剣社 愛宕社 秋葉社 山神社 神明社 ( のち大正 6 年八剣社に合祀 ) ほかに阿弥陀堂があった 角川日本地名大辞典 抜粋 9) ひがしくつかけがわ東沓掛川 ( 蛇ケ洞川支流 ) じょうこうじ < 定光寺町 > 川名の由来: 吸収合併され定光寺町となった 旧 ) くつかけ東春日井郡 沓掛村 の名を冠した川名 川の概要: 掛川公民館あたりを源流にセントレジャー定光寺と掛川小学校の間を北流し 蛇ケ洞川に注ぐ小川 沓掛地名の由来: 庄内川添いの地方道 15 号線から 地方道 205 号線を通り 笠原 市之倉への近道がある わらじその山路に沿って草鞋 ( 沓 ) を売る店がある あるいは宿の在る集落の意味 くつかけ沓掛の沿革 地勢: 庄内川左岸の山間部 名所旧跡: 地域内には半ノ木 月山古窯など 鎌倉期 ~ 織豊期の古窯址が数基分布している 地名の変遷: 戦国期は 尾張国春日部郡くツかけ 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年掛川村の大字となる 明治 39 年品野村 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 39 年瀬戸市定光寺町となる 寺社: 江戸期 定光寺領 定光寺古領があった 定光寺は建武 3 年覚源禅師の開基と伝え 妙心寺派中本寺格として七堂伽藍を有した 藩祖徳川義直が遊猟の際などに訪れた縁で 慶安 3 年彼が没すると廟所が建 立され 寛文 2 年当村と下半田川村に寺領 300 石を与えられた 角川日本地名大辞典 抜粋 (3) 定光寺川と 1 支流 1) じょうこうじがわ定光寺川 ( 庄内川支流 ) じょうこうじ < 定光寺町 > 川名の由来: 川が流れる 定光寺町 の名を冠した川名 川の概要: 定光寺町と余床町の分水嶺 EL327m を源頭にする杁ケ洞川と 沓掛川との分水嶺から流れる定光寺川が合流して西流し 庄内川に注ぐ渓流 定光寺地名の由来: 徳川義直公を弔う定光寺に由来する 2) いりがほらがわ杁ケ洞川 ( 定光寺川支流 ) じょうこうじ < 定光寺町 > いり 川名の由来: 杁は農業用水を意味することから 成願寺川に沿う耕作地の水源となる洞 = 谷を流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 源流の定光寺町地内の東南にある山林を北流し 定光寺川に注ぐ小川 じょうこうじ定光寺町の沿革 地勢: 庄内川上流左岸に位置する 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡定光寺 昭和 39 年 ~ 現在の瀬戸市定光寺町の町名 もとは瀬戸市沓掛 寺社: 臨済宗妙心寺派 応夢山定光寺 暦応 3 年水野致国の外護により平心処斎が開創 記録: 文明 9 年の火災 永正 7 年の地震 天文元年の火災などしばしば災害にあった 元和 8 年 5 月 28 日に徳川義直が近辺に遊猟し 寺歴を知って寺領 10 石を沓掛村のうちで寄付したという 角川日本地名大辞典 抜粋 (4) 水野川と 33 支流 1) みずのがわ水野川 ( 庄内川支流 ) かたくさうちだ < 片草町 ~ 内田町まで瀬戸市を東西に縦走 > 川名の由来: 河口の旧村名 水野村 の名を冠した川名 -4 -

12 川の概要: 矢作川水系との分水界である美濃 尾張 三河 三国の国境に聳える三国山 701m を源頭に西流し かくかほらかたぐさしなのみずの 1 角ケ洞川 2 片草川 3 品野川 4 水野川と川名を変しなのなかみずのうち町 ~ 品野町 ~ 中水野町など約 14 町を経て内 かたくさえて片草 だ田町地内で 庄内川に注ぐ流路長 12,374m の一級河川で 33 の支流がある 水野地名の由来: 水沼の地が水野に転訛したと推察される みずの水野町の沿革 地勢: 水野川流域 四方を標高 200~300m の山に囲まれた小盆地に位置する みずぬ 地名の変遷: 古くは水沼と称したという 鎌倉期は 尾張国山田郡水野郷 水野上 水野中 水野下郷に分かれていた 戦国期天正年間以降は 上水野郷 中水野郷 下水野郷となった 明治 22 年上水野 中水野 下水野の 3 ヶ村が合併して東春日井郡水野村成立 昭和 26 年瀬戸市の一部となる 昭和 34 年瀬戸市水野町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 川の概要: 水野川の上流区間 2 番目の川名 三国山かくかほらしなのを源流に片草町地内を流れ角ケ洞川と合流し品野川と川名を変えて水野川に至る 片草地名の由来: 飯田街道の峠を下る所の集落を表現した地名と推察される クサは下るの意 かたくさ片草町の沿革 地勢: 品野川最上流域の山間部に位置する 名所旧跡: 赤座新兵衛の居城と伝える片草城址がある 地名の変遷: 戦国期は 尾張国春日部郡片草 江戸期は春日井郡片草村 明治 22 年上品野村の大字となる 明治 39 年品野村 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 39 年瀬戸市片草町となる 記録: 村内の三国山は尾張 美濃 三河の国境にあったため 柿野村との間で山境争論があった 上品野村の祥雲寺と柿野村の荘厳寺との間で壇役紛議などがあった 明治 23 年に開通した通称中馬街道が改修され国道 363 号となった 角川日本地名大辞典 抜粋 2) かくかほらがわ角ケ洞川かたくさ ( 水野川最上流部の川名, 品野川支流 )< 片草町 > かみはだがわときつるさとかきの 川名の由来: 上半田川町と土岐市鶴里町柿野との境界 角地 = 門地 を流れる洞川を表現した川名と推察 川の概要: 水野川最上流部の川名 矢作川との分水界 美濃 三河 尾張の境界 三国山 を源頭に 地かたくさ内を西流し片草川と合流後に川名を片草川と改め西流する渓流 3) ひのでがわ日の出川 ( 片草川支流 ) かたくさ < 片草町 > 川名の由来: 三国山から朝日が昇る所を流れる川を表現した川名と推定 川の概要: 美濃 三河 尾張の分水嶺 三国山 を源頭に 片草町地内を西流し片草川に注ぐ谷川 4) かたぐさがわ片草川 ( 品野川支流 ) かたくさ < 片草町 > かたぐさ 川名の由来: 川が流れる 片草村 の名を冠した川名 5) ひがしやまがわ東山川 ( 白岩川支流 ) しらいわ < 白岩町 > 川名の由来: 東の山 ( 三国山 ) から流れる川を表現した川名と推察 川の概要 : 三国山 701m を源流に西流し 白岩川に合流する谷川 6) しらいわがわ白岩川 ( 品野川支流 ) しらいわ < 白岩町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 白岩村 の名を冠した川名 川の概要: 豊田市藤岡町との分水嶺を源頭に東山川を集めて白井岩村地内を北西に流れ品野川に注ぐ谷川 白岩地名の由来: シラは竜が暴れて土砂崩れを起す地名 洪水災害を起こす河川沿いには竜神の怒りを鎮めるために白鬚神社が祀られている またシラは 摺る 擦る 滑る 英語のスリップ スライディングと語感が似ており万国共通語かもしれない -5 -

13 参考 ) 広辞苑 にはシラは 洞に棲み船乗りを襲う海の魔物スキュラ ( ギリシャ神話 ) とある しらいわ白岩町の沿革 地勢: 品野川最上流域の山間部に位置する 地名の変遷: 戦国期は 尾張国春日部郡しら岩郷 江戸期は 春日井郡白岩村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年上品野村の大字となる 記録: 飯田街道の道筋は当村の北の三ケ瀬 ( 坂瀬 ) 坂が急崖となり街道一の難所であったという 角川日本地名大辞典 抜粋 7) しなのがわ品野川 ( 水野川 3 番目の川名 ) かたくさしなの < 片草町 ~ 品野町 > 川名の由来: 水野川の上流区間 3 番目の川名で 川が流れる所の地名 旧 ) 品野村 を冠した川名 川の概要: 片草川を始め多くの川を集める品野川は 水野川の上流区間ともいう シナノ 品野地名の由来: 品野とは 田畑が山の中腹にあって階段状になっていることに由来する地名という 地形が しなる ように緩傾斜の野原を シナノ と言う しなの品野の沿革 地勢: 庄内川左岸の山間部から品野川流域の山間部にかけて位置する 地名由来: 狭義には中世の科野郷 広義には江戸期の 8 ヶ村が統合した東春日井郡品野村 ( 町 ) をさす 尾張志 によれば 品野とは野に高下の品々あるをいふ名 で 田畑が山の中腹にあって階段状になっていることに由来する地名という 名所旧跡: 中世以降の古窯址群からも瀬戸市 赤津地区と並ぶ陶磁器産地の歴史を持つことがうかがわれ 現在も窯業生産が盛んである 地名の変遷: 室町期は尾張国春日部郡科野郷 明治 39 年 東春日井郡下品野村 上品野村 掛川村が合併して品野村成立 合併各村の大字を継承した 8 大字を編成 大正 13 年 1 月 1 日町制施行 東春日井郡品野町 昭和 40 年瀬戸市品野町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 8) いわはなほらがわ岩花洞川 ( 品野川支流 ) しらいわ < 白岩町 > しらいわ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 東春日井郡白岩村字 岩ハナ の名を冠した川名 川の概要: 愛岐トンネルの白岩町側出口の谷から 363 号線を潜って品野川に注ぐ谷川 岩ハナ地名の由来: 岩花は 岩の端 の転で 岩の端にある洞を意味する 9) かねじがわ金地川 ( 水野川支流 ) かみしなの < 上品野町 > かねじ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上品野村字 金地 の名を冠した川名 川の概要: 白岩村と上品野村との境界尾根を源頭に地内を北流し 白岩浄水場あたりで西に湾曲し 363 号線を潜って品野川に注ぐ谷川 金地地名の由来: カネジ地名は大工道具の直角形をかねじゃくした曲尺のように 角状に角ばった土地を意味する地名 10) くすほらがわ楠洞川 ( 金地川支流 ) かみしなの < 上品野町 > 川名の由来: 山崩れした洞を流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 東海環状自動車道の高桁橋の下あたりから楠洞製陶所付近を経て金地川に合流し 水野川に注ぐ谷川 くずほら参考 ) 楠洞は土砂崩れが発生した洞 ( 崩洞 ) を好字 2 文字化した川名と推察される 11) おおどしもがわ大戸下川 ( 中洞川支流 ) かみしなの < 上品野町 > 川名の由来: 大通りの下を流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 長江製陶所の南奥の岩巣山 480m を源頭に北西に流れ 国道 363 号線に沿って西流し中洞川と合流して品野川に注ぐ谷川 オードオードーリ 大戸地名の由来: 大戸は大通の好字化で 村の大通りを意味する -6 -

14 12) なかほらがわ中洞川 ( 水野川支流 ) かみしなの < 上品野町 > 川名の由来: 下流の大洞に対し やや幅が狭い中ほどの洞を表現した川名と推察 川の概要: 東海環状自動車道品野 IC 付近の洞を中洞と呼称し 東海環状自動車道の高架橋あたりを源頭に北北西に流れ 製陶所 商店街を抜けて大戸下川と合流して水野川に注ぐ谷川 中洞の由来: 下流の大洞 ( 広い谷幅の洞 ) に対し やや狭い谷幅の洞を中洞と呼んでいる 13) きたやまがわ北山川 ( 水野川支流 ) かみしなの < 上品野町 > きたやま 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上品野村字 北山 の名を冠した川名 川の概要: 名古屋学院大学と品野台 CC の境界あたりかにしなのを源流に南流し 蟹川を集めて品野川に注ぐ谷川 北山地名の由来: 表記文字のとおり 上品野村の 北の方角の山 を意味する 14) かにがわ蟹川 ( 北山川支流 ) かみしなの < 上品野町 > 川名の由来: 北山川の横を流れる川で 蟹は横歩きするので 横川 とせず 蟹川 とした川名と推察 川の概要: 品野台 CC の中央付近から流れる小川で 北山川の横を平行して流れ 北山川と合流して品野川に注ぐ小川 15) おおぼらがわ大洞川 ( 水野川支流 ) なかしなのかみしなの < 中品野町 上品野町 > 川名の由来: 大洞 ( 幅の広い盆地のような地形 ) を流れる川を表現した川名 川の概要: 井山町を源流に東海環状自動車道品野 IC アプローチ道と平行して 中品野と上品野の境界を北流し品野川に注ぐ渓流 かみしなの上品野の沿革 地勢: 品野川流域の山間部に位置する 名所旧跡: 城跡に科野城跡 桑下城跡 科野城は土塁 曲輪 堀切跡が残り 永禄元年織田勢と城主松平 家重との間に合戦があったことを伝える 地名の変遷: 中世には中品野 下品野を含めて科野郷と呼ばれた 江戸期は 尾張国春日井郡上品野村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年東春日井郡の上かみはだ品野 白岩 片草 上半田川の 4 ヶ村が合併して上品野村となる 明治 22 年の旧村名を継承した 4 大字を編成 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 39 年瀬戸市上品野町となる じゅんこうき 記録 : 徇行記 によれば 信州岩村街道に沿い人馬の継場で馬持ちは駄賃稼ぎをするものもあった まましづめた 美濃国曽木村 水上村 細野村 猿爪村 大川村しらずみなどから白炭 鍛冶屋炭が運ばれ 隣郷印場村 大森村あたりから買いにきて名古屋に送られた 明治 22 年上品野村役場と上品野尋常小学校を上品野の稲荷神社境内に建設 同境内に上品野村創陶碑が建ち 陶磁器工業地発展の基礎を築いたことを記している 明治期以降に盛んになった家内工業的陶磁器生産地であったが 昭和 42 年からの名古屋学院大学の移転 品野台 CC ゴルフ場建設 住宅団地造成などにより都市化が進んだ 寺社: 神社は稲荷神社 稲荷明神 秋葉権現 大物主神 保食神 山神 氏神などを合祀 寺院は 曹洞宗祥雲寺 天台宗菩提寺 ほかに庚申堂があった 角川日本地名大辞典 抜粋 なかしなの中品野の沿革 地勢: 鳥原川と水野川の合流点付近に位置する 名所旧跡: 鳥原川の谷には縄文早期の岩屋堂 鳥原遺跡 縄文中期 ~ 弥生中期の境井の先史遺跡 森屋敷古墳 中世古窯址群などがある 石場川が片草川 ( 水野川 ) に合流する山崎の丘 ( 通ほうきょういんとう称五輪山 ) には高さ45~78cm の宝篋印塔が数基あり 戦国期の山崎城址となっている おがたの井戸と呼ぶ古井も残る 地名の変遷: 中世には上品野 下品野を含めて科野郷と呼ばれた 江戸期は 尾張国春日井郡中品野村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年下品野村の大字となる 明治 39 年品野村 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 40 年岩屋町 鳥原町 井山町 品野町 1~8 丁目 中品野町 広之田町となる -7 -

15 記録: 雨池に広田池 かつケ池 給人池 薪問屋があって 瀬戸物焼の薪や干端薪を売り出し 信州街道なつめに沿った地域では馬宿をしていた また 棗の木が多く実を名古屋へ売り出した 桃を産し 浄源寺桃ともいい 味がすぐれたという 寺社: 神社は 八剣神社 八幡神社 八剣神社の境内社に神明社 天神社 源太夫社 八幡社 白山権現社 浅間社 また 八剣社には安政 4 年銘の馬頭観音板石碑 同 5 年銘の常夜灯があり 八幡社の境内社に熊野社 神明社 源太夫社 寺院は曹洞宗浄源寺 寺山 5 町 2 反余を有し 禅宗様の回遊式庭園と桃樹でも有名であった ほかに岩屋薬師 ( 岩屋堂 ) 庚申堂があった 岩屋薬師の薬師仏木像は行基の作と伝える 明治期に窯業が興り 富農が窯屋を兼業する半農半工的性格が強かった 角川日本地名大辞典 抜粋 16) やまさきがわ山崎川 ( 水野川支流 ) ひろのた < 広之田町 > やまさき 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 中品野村字 山崎 の名を冠した川名 川の概要: 品野台 CC の西側を走る国道 248 号線に沿って広之田町地内を南流し 水野川に注ぐ小川 山崎地名の由来: 中品野村の山 ( 現 : 品野台 CC) の端の土地を 山崎 と言う 野町品野交番前で水野川に注ぐ渓流 トリハラトリハラ 鳥原地名の由来: 鳥原は 採原の好字 2 文字化で しんしょく川辺の野原が採り払われた所 ( 浸蝕 ) を記録した地名と推察される とりはら鳥原町の沿革へいゆ 地名由来伝: 行基が聖武天皇の病気平癒を祈念して 3 体の仏像を彫刻し石室に安置した時 野鳥が木の実をくわえて宝前に供えたという伝説によるという ( 浄源寺由緒 ) 地名の変遷: もとは瀬戸市中品野 下品野の各一部 昭和 40 年瀬戸市鳥原町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 18) いちろべえがわ市郎兵衛川 ( 水野川支流 ) きたおかおちあい < 北丘町 落合町 > 川名の由来: 河口付近の左右両岸の形状が路地塀のような形状を表現した川名と推察 川の概要: 北丘町地内から南流し 落合町との境界の山間を流れ直線になって水野川に注ぐ谷川 きたおか北丘町の沿革もとは瀬戸市下品野の一部 昭和 40 年に瀬戸市北丘町となる 昭和 48~53 年にかけて農免道路を建設 角川日本地名大辞典 抜粋 ひろのた広之田町の沿革もとは瀬戸市中品野の一部 昭和 28 年頃開拓された地で 同 31~32 年に品野町営広之田住宅 40 戸が建設され 国道沿線には製陶工場 学校 ゴルフ場なども進出 昭和 40 年広之田町起立 角川日本地名大辞典 抜粋 17) とりはらがわ鳥原川 ( 水野川支流 ) とりはら < 鳥原町 > 川名の由来: 鳥原川中流部の地名 旧 ) 中品野村字 鳥原 の名を冠した川名 川の概要: 愛知国定公園に指定されている岩屋町の山林を源流に 岩屋地内を北流し 岩屋堂公園 を経て北西に湾曲し 細長い鳥原町地内を北西に流れ 品 おちあい落合町の沿革もとは瀬戸市下品野の一部 地勢: 水野川中流域に位置する 名所旧跡: 町の西端 水野川が大きく蛇行する天白山南麓はかつての落合城址で 下品野村の西に有りと記載される 地名の変遷: 戦国期は 尾張国春日部郡落合 近世 下品野村のうちとなる 昭和 40 年瀬戸市落合町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 しのしなの下品野の沿革 地勢: 水野川上流域の小盆地 名所旧跡: 豊かな陶土と燃料の赤松に恵まれて 古こようしく窯業地を形成し 多くの古窯址を残す -8 -

16 地名の変遷: 中世には上品野 中品野を含めて科野郷と呼ばれた 瀬戸市に合併する以前の東春日井郡品野町は江戸期の 8 ヶ村から成り 行政の中心は下品野にあった 江戸期は 尾張国春日井郡下品野村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年東春日井郡下品野 中品野の 2 ヶ村が合併して下品野村となり 大字下品野 大字中品野となる 明治 39 年品野村の一部となり 当村の2 大字は品野村の大字に継承 大正 13 年品野町 昭和 34 年からは瀬戸市の大字 昭和 40 年鳥原町 窯町 品野町 1~8 丁目 落合町 八床町 北丘町 岩屋町となる 記録: 信州飯田街道筋にあり中馬の継馬地として栄えたが のち上品野村も継ぎ立て地となり当村の駄数は減少 古くから陶工の株があり陶工 19 戸 竈屋 17 本とある いわゆる瀬戸山離散によって他領に移住していた陶工が藩祖徳川義直に召喚され 慶長 15 年当村みずなみにも美濃国恵那郡水上村 ( 現 : 岐阜県瑞浪市 ) から加藤新右衛門 三右衛門が帰ってきた 享和 2 年に藩の御蔵会所が設けられ製品を勝手に売れなくなった 文化年間に瀬戸村などで始まった新製染付焼を作ることすりばちはできず 摺鉢や半胴の類を焼き出すのみだったという 寺社: 神社は 神明社 山之神社 寺院は 曹洞宗久雲寺 全宝寺 ( 阿弥陀堂 ) ほかに長光院の廃寺跡があったという 角川日本地名大辞典 抜粋 19) よどこがわ余床川 ( 水野川支流 ) よどこ < 余床町 > よどこ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村字 余床 の名を冠した川名 川の概要: 定光寺自然休養林を源流に 208 号線に沿って 曽野町と水北町の境界を南に流れ水野川に注ぐ小川 ヨアマルベトコ 余床地名の由来: 余床の余は古代の余戸の余を 床は住居の戸を意味し 往時は 50 戸に満たない集落であアマリベったと推察され 余床は 余戸 の転と考えられる アマリベ参考 ) 余戸 : 古代律令制における郡の下の里 ( 郷 ) の一種で その性格については諸説あるが 一応 50 戸を一里 ( 郷 ) として編成したそのあまりを余戸とした とされる アマベ アマルベ アマリ ヨドなどと呼称されることもある 小学館国語大辞典 よどこ余床町の沿革もとは瀬戸市上水野の一部 古くは夜床 与床と称していたようである 恂行紀 昭和 39 年瀬戸市余床町となる 昭和 53 年国道 248 号広之田町と結ぶ農免道路が完成 同 56 年曽野町の一部を編入 角川日本地名大辞典 抜粋 20) そのがわ曽野川 ( 余床川支流 ) よどこ < 余床町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村の字 曽野 の名を冠した川名 川の概要:208 号線を挟んで余床川下流右岸の水野山を源流に南流し 余床川に注ぐ谷川 スソノ 曽野地名の由来: 曽は 山尾根 を意味し 野は裾野 に位置する町を表現した地名と推察される かみみずの 上水野町の沿革 地勢: 水野川と数成川の合流点付近に位置する どうとうそせき 名所旧跡: 穴田古墳群 東曽野の堂塔礎石 ( 白鳳期 ) 長田 八幡前の条里遺構 中世以降の古窯址群など史跡に富む 地名の変遷: 戦国期は 尾張国春日部郡上水野郷 天正年間以前には水野郷のうちで水野上郷と称した 江戸期は 春日井郡上水野村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年水野村の大字となる 昭和 26 年からは瀬戸市の大字 昭和 年に 上陣屋町 下陣屋町 進陶町 小金町 西追分町 東松山町 西松山町 上本町 上水野町 暁町 穴田町 水北町 曽野町 余床町となる 昭和 56 年穴田町の一部を編入 記録: 徳川義直は狩猟を好み しばしば水野山で鹿あんでん狩を行い 村内北脇に行殿を設けた 寛文元年これが御林方役所となり 春日井 愛知両郡ほかの山林 陶工の採掘や築窯を管理した 明治 7 年御林方役所の役人屋敷を釜ノ洞に設けたため 同所で窯焼きをしていた 4 戸が他所へ移住して当村の窯業は廃絶した ( 瀬戸窯焼物師伝記 ) この穴田古窯は名古屋城 定光寺焼香殿の瓦類などを焼造した窯所であった -9 -

17 産物に松茸 初茸があり また白色の小金石を産出し 磨いて石碑とした 明治 40 年当村磯村桂太郎ら 8 名の共同出資で磁器製造を始め 水野窯業発展の基礎を築いた 同 57 年穴田南第 1 2 号の発掘調査が行われた 寺社: 神社は 氏神八幡社 八剣社 八王子社 山神社 曽野稲荷 文化 14 年京都伏見から勧請した曽野稲荷 寺院は臨済宗感応寺 ほかに観音堂 弁財天堂 薬師堂 ( 法松院 ) 弥陀堂 薬師堂 毘沙門堂があった 角川日本地名大辞典 抜粋 21) やとこがわ八床川 ( 水野川支流 ) やとこ < 八床町 > 川名の由来: 源流域の地名 旧 ) 下品野村字 八床 の名を冠した川名 川の概要: 八床町地内の品川 CC を源流に八床町 穴田町を北西に流れ水野川に注ぐ小川 ヤチ 八床地名の由来: ヤトコは 谷地 ( 湿地 ) の所 ( 床 ) の転訛地名と推察され 山間部の湿地帯に位置する所を好字 2 文字化した地名と推察 やとこ八床町の沿革もとは瀬戸市下品野の一部 昭和 40 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 地名由来伝: 一帯に良質の陶土層が重なっていたことからという 江戸期は八床御林 御鳥林の山林地帯であったが 近代に入って粘土鉱山として開発が進んだ 角川日本地名大辞典 抜粋 22) やまほしがわ山干川 ( 産砂川支流 ) その < 曽野町 > 川名の由来: 一説 ) ヤマは 山 ホシは 星 と解釈すれば 多くの山の間を流れる川を表現した川名とヤマホシ推察 二説 ) 山 干 は裸山にされた所を流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 旧 ) 上水野村字曽野は山間地で 河口域のみが平坦地になっている 水野川に合流する直前に産砂川と合流して水野川に注ぐ谷川 23) うぶすながわ産砂川 ( 水野川支流 ) その < 曽野町 > 川名の由来: 陶土を採取した跡地に造成された曽野町から 降雨のたびに砂が流出する川を表現した川名と推察 川の概要: 曽野町地内の山林を源流に曽野町内を南流し 水野川に合流する直前の山干川に注ぐ小川 その曽野町の沿革 そのもとは瀬戸市上水野の一部 字 ( 曽野 にしひがし 西東 その 曽野 ひがしその東曽野 ) 曽根と呼ばれたこともある 名所旧跡: 穴の宮の地名が残り 付近の方形の礎石どうとうそせきは白鳳期の堂塔礎石という説もある 地名の変遷: 昭和 39 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 昭和 56 年水北町の一部を編入し 一部を余床町に編入 角川日本地名大辞典 抜粋 24) といがさわがわ樋ケ沢川 ( 水野川支流 ) すいほく < 水北町 > といかさわ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村字 樋ケ沢 の名を冠した川名 川の概要: 水北町の中央をと樋のように真直ぐに北から南に流れ水野川に注ぐ谷川 樋ケ沢地名の由来: 山間部の中央を北から南に樋のように流れる沢の在る所を表現した地名 25) かずなりがわ数成川 ( 水野川支流 ) おだづま < 小田妻町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村字 数成 の名を冠した川名 川の概要: 水野川左岸の市民公園あたりを源流に小田町内を北北西に流れ途中で釜ケ洞川を集めて水野川に注ぐ小川 数成地名の由来: 一説 ) 川沿いの水田が 数の内にかずら入る所 を表現した地名と推察 二説 ) カズナリは 葛 の根が沢山採れる所 を表現したと推察 26) かまがほらがわ釜ケ洞川 ( 数成川支流 ) あかつきあなだかみみずの < 暁町 穴田町 上水野町 > かまのほら 川名の由来: 川が流れる所 旧 ) 上水野村字 釜之洞

18 の名を冠した川名 川の概要: 上水野町の陶土採取場山裾と暁町 穴田町の境界を北流し 数成川に合流する 土取場に設けられた多くの沈殿池を集めて流れる排水路 釜ケ洞地名の由来: カマ地名は魚の頭と胴体の境の カマ と同じで 境界 を意味し 暁町 穴田町と上水野町土取場との 境界を流れる洞 を表現した地名 かみほん上本町の沿革もとは瀬戸市上水野の一部 昭和 39 年に起立した町名 旧 ) 上水野村字上新田の開発年代は不明であるが 江戸中期以降の村絵図には前山北斜面に新田島が描かれている 昭和 56 年一部を中水野町に編入 同 59 年一部が上松山町 1~2 丁目となる 昭和 11 年瀬戸 ~ 高蔵寺間の省営バスが迂回するようになり 当地域の市街化が進んだ 角川日本地名大辞典 抜粋 あかつき暁町の沿革もとは瀬戸市上水野の一部 昭和 39 年起立した町名 昭和 年一部を穴田町に編入 昭和 58 年暁地区工業団地造成事業実施 造成に先だち古墳 3 基が明らかにされた 角川日本地名大辞典 抜粋 あなだ穴田町の沿革もとは瀬戸市上水野の一部 昭和 39 年起立した町名 昭和 44 年から工業団地造成に先立ち穴田古墳群の発掘を実施 同 56 年一部を上水野町に編入し 同年 同 59 年暁町の一部を編入 角川日本地名大辞典 抜粋 27) ぢぞうがわ地蔵川 ( 水野川支流 ) かみほん < 上本町 > みなみぢぞう 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村字 南地蔵 の名を簡略化した川名 川の概要: 市民公園を源流に北流し 瀬戸水野郵便局付近で水野川に注ぐ排水路 南地蔵地名の由来: 地蔵様が祀られている所を表現した地名と推察 28) しんでんがわ新田川 ( 水野川支流 ) かみほん < 上本町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野村字 西新田南 の名を簡略化した川名 川の概要: 水野川左岸 上本町 上本松山町にある市民公園を源流に上本町地内を北に流れ水野川に注ぐ排水路 シンデン 新田地名の由来: 西 南は方位地名 新田 は江戸期に新たに開墾された水田を意味する 29) ごぜんがわ御前川 ( 水野川支流 ) すいほくみさわ < 水北町 三沢町 > 川名の由来: 定光寺に弔われる徳川義直公を 御前 と呼び 御前の墓所から流れ出る川を表現した川名と推察 川の概要: 定光寺自然休養林を水源に水北町南流し 下流で三沢町との境界を流れ水野川に注ぐ小川 30) おだつまがわ小田妻川 ( 海老弦川支流 ) おだづま < 小田妻町 > 川名の由来: 小さな田んぼの先端 ( 山林 ) から流れる川を表現した川名と推察 川の概要: 小田妻町市民公園を源流にすみれ台を北流し 唐沢川 海老弦川と合流して水野川に注ぐ小川 小田妻地名の由来: 昔の上中下水野村の字には小田地名は見当たらない 小田川名が先行してその後新しツマい町名がうまれたか 妻地名は先端を意味し 小さな水田の先端の所を表現した地名と推察される おだづま小田妻町の沿革もとは瀬戸市中水野の一部 昭和 39 年に起立した町 昭和 40 年代に水野住宅団地などの造成により大変貌した 一部が同 49 年から同 59 年の間に さつき台 1~5 丁目 すみれ台 1~5 丁目 ひまわり台 1~5 丁目 はぎの台 1~4 丁目 ききょう台 1~3 丁目 ゆりの台 日の出町 本郷町 北松山 1~2 丁目 上松山町 1~2 丁目 北脇町 松原町 山手町 水南町 東横山町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 -11 -

19 31) からさわがわ唐沢川 ( 海老弦川支流 ) おだづま <はぎの台 すみれ台 小田妻町 > 川名の由来: 唐沢は空沢に通じ 普段は水が流れない沢で 降雨時のみ水が流れる沢を表現した川名と推察 川の概要: 南山中学あたりを源流に はぎの台 すみれ台を北流し 小田妻町 1 丁目で 小田妻川と合流し 海老弦川とともに水野川に注ぐ小川 32) えびづるがわ海老弦川 ( 水野川支流 ) <ききょう台 > えびづる 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 下水野村字 海老弦 の名を冠した川名 川の概要: ききょう台を源流に北々東に流れ 本郷町東あたりで小田妻川 唐沢川と合流し 水野川に注ぐ小川 ツル 海老弦地名の由来: ツルは水が流れる通路 = 通流の好字 2 文字化 往時は 海老の足のように多くの通流 ( 湧き水の染み出し ) が在る所を表現た地名と推察 33) あざばたがわ麻畑川 ( 水野川支流 ) じっけん < 十軒町 > あざ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 下水野村字 麻畠の名を冠した川名 川の概要: 北水野坂を源流に十軒町を ( 山裾を ) 北流し 本郷町で水野川に注ぐ準用河川 アザバタ 麻畑地名の由来: 麻畑は 字端 の転にて 山と農地の境の土地を好字 2 文字化して表記されたと推察される あるいは表記文字のとおり麻が栽培していた畑か ばた 34) ほんごうがわ本郷川 ( 水野川支流 ) じっけん < 十軒町 > 川名の由来: 川が流れる所の呼称地名 本郷 を冠じゅんこうきした川名 徇行記 参照 とうごくさんとうごく 川の概要: 東谷山を水源に十軒町の東谷を北に流れ水野川に注ぐ準用河川 じっけん十軒町の沿革もとは瀬戸市下水野の一部 昭和 39 年起立した町 昭和 年に本郷町 内田町 鹿乗町と境界変更 じゅんこうき 地名の由来: 徇行記 に定光寺道筋の当地に 人家ナキコトヲ瑞竜公イカゝト思食 本郷ヨリ農屋十戸移サシメ とあるのが地名の起源という 名所旧跡: 東谷山頂の尾張戸神社への表参道口にあたり 毎夏無病と災厄防除を願う東谷山参りの近在の人々でにぎわった 角川日本地名大辞典 抜粋 ほんごう本郷町の沿革もとは瀬戸市下水野 中水野の各一部 昭和 39 年に起立した町名 江戸期に水野川右岸にあった集落が 明和 4 年の洪水で海老づるケ根のふもとに移転したのが本郷である 昭和 56 年十軒町 小田妻町と境界変更 同 59 年県立瀬戸北高校開校 角川日本地名大辞典 抜粋 (5) 瀬戸川と 12 支流 1) せとがわ瀬戸川 ( 矢田川支流 ) せと < 瀬戸市 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村 の名を冠した川名 川の概要: 上流の赤津川から川名を瀬戸川と改め 12 支流を集めて西に流れ 川名を矢田川と改め庄内川に注ぐ流路長 9,344m の一級河川 せとせと 瀬戸地名の由来: 山間の狭い所 狭処を瀬戸と表記したと推察される せと瀬戸の沿革 2.(1) 瀬戸の沿革 参照 せゆう 名所旧跡: 信長が瀬戸特産の施釉陶器としての 瀬戸物 製陶技術の独占と流通の保護を図った政策として注目される 安政年間には三井商店によりアメリカ合衆国輸出用の食器 100 個の注文を受け 当村におけこうしる輸出の嚆矢ともなった ( 県史 3) 2) こんやたがわ紺屋田川 ( 瀬戸川支流 ) しなのひがしいんぞ < 品野町 東印所町 > こんやた 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 紺屋田 の名を冠した川名 川の概要: 品野町と東印所町の境界を南流し 古瀬

20 戸川と合流して 瀬戸川と川名を改める 瀬戸川最上流に注ぐ小川 紺屋田地名の由来: 紺屋の白袴の例えから 人手が入らずいつも荒れている田を表現した地名と推察 参考 ) 小学館国語大辞典 こん や 紺屋 :1 染物を業とする家 また その人 もとは藍染屋をいったが 後には広く染物屋をいう あさって染物屋 こうや 2 紺屋の明後日 : 紺屋は天候に支配されがちであるため 明後日になればできると言っては期日を延ばすことが多く あてにならないこと 転じて 一般に約束のあてにならないことのたとえ 3 しろばかま紺屋の白袴 : 他人のためにばかり忙しく 自分のことには手がまわらないことのたとえ また いつでもできるにもかかわらず 放置しておくことにもいう 一説に 染色の液を扱いながら 自分のはいている白袴にしみ 1 つつけないという職人の意気を表したことばであるとする こうかきの白袴 こうやの白袴 3) こせとがわ古瀬戸川 ( 瀬戸川支流 ) ひがしこせとごいづか < 東古瀬戸町 五位塚町 > こせと 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 古瀬戸 の名を冠した川名 川の概要: 五位塚町地内の馬ケ城ダムを水源に 東古瀬戸町と位塚町との境界を南西に流れ 紺屋田川と合流して 瀬戸川と川名を改める 瀬戸川最上流に注ぐ小川 いにしえ 古瀬戸地名の由来: 古の瀬戸を表現した地名 4) はいどがわ拝戸川 ( 瀬戸川支流 ) にしはいどひがしはいどこせと < 西拝戸町 東拝戸町 古瀬戸町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 拝戸 の名を冠した川名 川の概要: 拝戸町地内の山林を源流に 212 号線に沿って西流し 古瀬戸町地内で瀬戸川に注ぐ渓流 はいど 拝戸地名の由来: 坏土を採取する所を好字化した地名と推察 2 陶磁器を作るのに用いる土 ひがしこせと東古瀬戸町の沿革昭和 17 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市瀬戸の一部 角川日本地名大辞典 抜粋 ごいづか五位塚町の沿革昭和 17 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市瀬戸の一部 町名は陶祖春慶の墓があったことによるという 5) いちりづかがわ一里塚川 ( 瀬戸川支流 ) かわいしおくさはぎどのいちりづかすえひろ < 川合町 塩草町 萩殿町 一里塚町 末広町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 一里塚 の名を冠した川名 川の概要: 赤津川との分水嶺の山林を源流に河合町 塩草町の境界を 33 号線に沿って北西流し 一里塚町を経て末広町地内で 瀬戸川に注ぐ渓流 一里塚地名の由来: 一里塚の道標があった所を表現した地名 いちりづか一里塚町の沿革昭和 17 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市瀬戸の一部 町名は 一里塚の道標があったことによる 角川日本地名大辞典 抜粋 6) いんじょがわ印所川 ( 瀬戸川支流 ) ひがしいんぞちょう < 東印所町 > いんじょ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 印所 の名を冠した川名 川の概要: 水野川の支流八床川 数成川との分水嶺を源頭に 東印所町と西印所町との間を南流し記念橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 印所地名の由来: 小学館国語大辞典 によれば インジョには 印書 隠所 淫女 引接 引摂などがあるが 往時に淫女屋 ( 女郎屋 ) が在った所を好字化した地名と推察 参考 ) 小学館国語大辞典 はいど 坏土 :1 坏 はまだ焼いてない土器の意 参考 ) 小学館国語大辞典 いんしょ 印書 :1 書き付け ものの特色を注記し

21 た書類 2 捺印のある文書 3 文字を印字または印刷すること また 印刷した書物 印本 いんじょ 隠所 :1 隠れる所 世を避けて隠れ住む場所 2あらわでない場所 隠すべき部分 3 便所のこと いんじょ( ヂョ ) 淫女 婬女 :1 好色な女 多こび情な女 いんにょ 2 媚を売る女 遊女 いんにょ いんじょう( ゼフ ) 引接 引摂 : 仏語 阿弥陀仏や菩薩が念仏の人の臨終にあらわれて浄土に導き 救いとること いんせつ いんじょう じ( インゼフ ) 引接寺 ひがしいんぞ東印所町の沿革昭和 17 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市瀬戸のひとつ 角川日本地名大辞典 抜粋 7) ひがしいばらがわ東茨川 ( 瀬戸川支流 ) はぎどの < 萩殿町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 瀬戸村字 東茨 の名を冠した川名 川の概要: 萩殿町地内の山林を源流に 155 号線沿いに地内を北西に流れ 西茨川と合流して瀬戸大橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 茨地名の由来: イバラには植物の茨 唐風の建築物 端女郎 射払う 茨差などの意味が隠されているが 当地は植物の茨の原野であった所を表現した地名と推察 参考 ) 小学館国語大辞典 いばら 茨 荊 棘 :1とげのある低木類の総称 カラタチ バラなど 多くやぶのように茂るものについていう 2 苦難 苦痛などのたとえにいう いばらからはふの道 3 建築の唐破風などで 弧線が集まって生じたはしじょろう角点 4 端女郎 の異称 茨に刺( 美しい茨の花には痛い刺がある意から ) 表面が美しいものには かえって恐ろしいものが隠れていることのたとえ 5 茨のみち道 困難な状況 苦難に満ちた人生などにたとえていさかもぎう 6 茨を逆茂木にしたよう ( とげのある木で逆茂木からを作って敵や獣の侵入を防いだところから ) 辛いこと 転じて 辛くて舌にしみることのたとえ 古く酒の味 にいうことが多い いはらう( 射払う ): 矢を射て敵を追い払う いばらさし( 茨差 ): 鷹狩りに用いる狩杖の先端の二またに分かれている部分 8) にしいばらがわ西茨川 ( 瀬戸川支流 ) はぎどの < 萩殿町 > 川名の由来: 東茨川の西側を流れることから付けられた川名 川の概要: 東茨川の西側を流れ 東茨川と合流して暗渠で瀬戸大橋辺りで瀬戸川に注ぐ排水路 萩殿地名の由来伝: 大正天皇行啓の時 萩御殿が建てられたことによると伝わる はぎどの萩殿町の沿革昭和 17 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 昭和 57 年からは 1~5 丁目がある もとは瀬戸市瀬戸の一部 町名は明治 43 年大正天皇行啓の時 萩御殿が建てられたことによる 一部が 昭和 53 年原山台 1~8 丁目 同 56 年萩山台 1~9 丁目となる 同 57 年春雨町 東茨町 西茨町と境界変更 角川日本地名大辞典 抜粋 9) じんやがわ陣屋川 ( 瀬戸川支流 ) かみじんやいんぞ < 上陣屋町 印所町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 東春日井郡上水野村には陣屋地名が無く 昭和になって 起り立つ った町の名 陣屋 を冠した川名と推察 川の概要: 水野川との分水嶺を成す山林を源流に 印所町と上陣屋町との境界を南西に流下し 吉田橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 10) まごたがわ孫田川 ( 瀬戸川支流 ) なえばかみじんや < 苗場町 上陣屋町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上水野 中水野村の字には孫田地名の記載がない 崖の所を流れる川 を表現した川名と推察される 川の概要: 上陣屋町の山林を源流に 苗場町と上陣屋町の境界を南西に流下し 新大橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流

22 参考 ) 北設楽地方の方言で 崖 断崖をマコ マゴと言う マゴタ川は 崖の所を流れる川 を好字化し 孫田川 と表記したと推察 かみじんや上陣屋町の沿革昭和 32 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市上水野の一部 角川日本地名大辞典 抜粋 なえば苗場町の沿革昭和 32 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市中水野の一部 町名は県の苗場が所在したことによる 松林の多い山林であったが 戦後製陶 電機工場 スーパー 大手運送会社などが立地し 宅地化も進んだ 角川日本地名大辞典 抜粋 11) さくらがわ桜川 ( 瀬戸川支流 ) なえば < 苗場町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 中水野村には桜地名は無い サクラは狭鞍にて 狭い山合い を流れる川を好字化した川名と推察 川の概要: 水野川との分水嶺を成す源流 旧 ) 中水野村の山林を源頭に南流し 内浦橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 12) かんえもんがわ勘右衛門川 ( 瀬戸川支流 ) やまて < 山手町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 中水野村には勘右衛門地名は無い カンエは勘会 官営の意味もあり 官営で造られた水門の在る川 を表現した川名と推察 こうはん 川の概要: 源流山手町の山林を源頭に南流し 效範橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 参考 ) 小学館国語大辞典 かんえ かんかい( 勘会 ): 律令制で 国司 郡司などの地方官の行政の実際と公の帳簿とを照合すること かんえい( クヮン ) 官営 : 事業などを政府が経営していること 官業 国営 官営の事業 やまて山手町の沿革昭和 32 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市中 水野の一部 江戸期は横山道と定光寺道に囲まれた山林地帯であった 昭和 30 年代以降は新興住宅地となった 一部が 同 43 年松原町 同 59 年西松山町となり 同年小田妻町 1~2 丁目の一部を編入 角川日本地名大辞典 抜粋 13) あさひさかいがわ旭境川 ( 瀬戸川支流 ) せとおわりあさひ < 瀬戸市 尾張旭市 > 川名の由来: 表記の通り瀬戸市と尾張旭市の境界を流れる事から付けられた川名と推察 川の概要: 森林公園の山林を源流に境界を南流し 三郷橋辺りで瀬戸川に注ぐ渓流 あかづ (6) 赤津川と 10 支流 1) あかづがわ赤津川 ( 矢田川支流 ) しらさかあかづ < 瀬戸市白坂町 ~ 赤津町 > あかづ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 赤津村 の名を冠した川名 川の概要: 西加茂郡との境界である戸越峠を源頭に 旧 ) 赤津村地内を西に流れ 10 支流を集めながら川名を矢田川に改める 矢田川最上流部の川 赤津地名の由来: アカのアは雨 天のように淡水を意味し カは処の意で 津は多く集まる所 アカ ツは 水が多く集まる所を意味すると推察される あかづ赤津の沿革 位置: 赤津川流域 猿投山北麓の小盆地に位置する 名所旧跡: 中世 近世の古窯址が多く 古瀬戸時代の窯業中心地 地名の変遷: 南北朝期 ~ 戦国期は 尾張国山田郡飽津保 江戸期 ~ 明治 22 年は 尾張国春日井郡赤津村 明治 22 年市制町村制施行による赤津村となる 大正 14 年瀬戸町赤津となる はちおうじ昭和 4 年からは瀬戸市の大字 昭和 18 年八王子町 はせぐちにしかま長谷口町 西窯 こそらきたしらさか小空町 北白坂 にししらさか町 西白坂 とうめい かまもと たいし 町 東明町 窯元町 太子 しんめい しらさか なかしらさか そうさく町 惣作 町 ひがししらさか 町 新明町 白坂町 中白坂町 東白坂 みなみしらさか はりはら たこやま はざま 町 南白坂町 針原町 凧山町 巡間町 かねばもんぜんしおくさひがしやまじかみやまじにしやまじ鐘場町 門前町 塩草町 東山路町 上山路町 西山路やまじなかばたあかづ町 山路町 中畑町 赤津町となる 記録: 慶長 15 年藩主徳川義直が美濃国の郷ノ木とい

23 う所にいた竈屋たちを呼び寄せ 再び焼物の村となった 宝永 4 年の地震により多くの竈が破壊されたが藩の保護で立ち直ったという 第 2 次大戦後窯業が復興し 赤津焼の中心地区となっている 寺社: 神社は 式内社の八王子社 八幡 2 社 神明社 白山社 赤童子社 山神 4 社 寺院は 真宗高田派万徳寺 曹洞宗雲興寺 万徳寺の塔頭に宝如坊 善知坊 雲興寺の塔頭に大愚軒 ほかに観音堂があり 雲興寺は曹洞宗の中本寺格 寺領 139 石余を三州本徳村に有した 角川日本地名大辞典 抜粋 2) きたとごしがわ北戸越川 ( 赤津川支流 ) きたしらさか < 北白坂町 > 川名の由来: 猿投山 ~ 三国山に続く尾張国と三河国との国境であり分水界を抜ける小原街道の通称 戸越峠 の北側を流れる川を表現した川名 川の概要: 西 - 東に走る小原街道の分水嶺の山を北から南に流れ 赤津川に注ぐ渓流 北戸越地名の由来: 戸越峠は国境の峠であるが 戸越峠 から隣村同士のお付き合いの深さが伺われる 3) とごしがわ戸越川 ( 赤津川支流 ) ひがししらさか < 東白坂町 > 川名の由来: 川が流れる通称 戸越峠 の名を冠した川名 川の概要: 東西に走る小原街道を軸として戸越峠の南側を流れる渓流 戸越地名の由来: 戸は集落を意味し 集落を越える峠を表現した地名 雨を降らし土砂崩壊を起す坂道と推察 しらさか白坂町の沿革 位置: 赤津川上流域 名所旧跡: 中世の名刹で 盗難除けで名高い雲興寺の門前 戸越峠を越える三州小原道の渓口にあって早くから集落が成立し 弘化 2 年には 31 戸を数えた 地名の変遷: 室町期は 尾張国山田郡白坂 白坂雲興寺領 昭和 18 年瀬戸市赤津の一部 現在は 瀬戸市白坂町 角川日本地名大辞典 抜粋 5) じんじょぼらがわ尋所洞川 ( 赤津川支流 ) しらさか < 白坂町 > 川名の由来: 川が流れる雲興寺の 尋所 の名を冠した川名 川の概要: 雲興寺の西側を北から南に流れ赤津川に注ぐ渓流 尋所地名の由来: 案内すること また その人 嚮導 案内所あるいは川が案内されて境内を流れる川を意味するか 小学館国語大辞典 6) きのしたがわ木ノ下川 ( 赤津川支流 ) かまもとなかばたしんめい < 窯元町と中畑町 新明町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 赤津村の字 木之下 の名を冠した川名 川の概要: 窯元町と中畑町の境界を東から西に流れ中畑町で赤津川に注ぐ渓流 木之下地名の由来: 木ノ下川の流れる谷は分水嶺 ( 字白坂 ) 近くまで続く深い谷で キは危 = 白坂を意味し 危険な所の下 を好字二文字化して表現したと推察される 4) しらさかがわ白坂川 ( 赤津川支流 ) にししらさか < 西白坂町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 赤津村の字地名 白坂 の名を冠した川名 現 ) 白坂町を流れる川 川の概要: 白坂町地内を北から南へ流れ赤津川に注ぐ渓流 白坂地名の由来: よく土砂崩壊を起こす坂道 シラはギリシャ神話の海の怪物 = 竜を意味し 竜が暴れ大 7) ひがしやまじがわ東山路川 ( 赤津川支流 ) ひがしやまじ < 東山路町 > 川名の由来: 山路川の東側を流れる事から付けられた川名と推察 川の概要: 猿投山西斜面を流れ 山路川と合流して赤津川に注ぐ渓流

24 8) やまじがわ山路川 ( 赤津川支流 ) ひがしやまじにしやまじ < 東山路町 西山路町 > 川名の由来: 旧 ) 赤津村の字地名 山路 を冠した川名 川の概要: 東山路町と西山路町の境界を北西に流れ 西流する東山路川と合流し 赤津川に注ぐ渓流 山路地名の由来: 表記文字の通り猿投山を越えて西加茂郡に抜ける山路の通る所を表現した地名 9) しのだがわ篠田川 ( 赤津川支流 ) にしやまじかいしょ < 西山路町 海上町 > 川名の由来: 水源のため池 篠田池 の名を冠した川名 川の概要: 篠田ため池を水源に海上町と西山路町の境界を西流れして赤津川に注ぐ小川 ( 灌漑用水 ) 篠田の由来: 篠の葉のように細長い棚田地帯を表現した池名と推察される 10) きたかいしょがわ北海上川 ( 赤津川支流 ) かいしょ < 海上町 > 川名の由来: 海上川の北側を流れる事から付けられた川名 川の概要: 猿投山麓西斜面の海上町地内を西流し 北流する海上川と合流して赤津川に注ぐ渓流 ニアリ と見える 町の東端の物見山は 張州府志 に 云武田信玄ノ置戍ノ古塁也 と地名の由来を伝えている 角川日本地名大辞典 抜粋 (7) 矢田川の 14 支流 1) やとがわ屋戸川 ( 矢田川支流 ) やと < 屋戸町 > やまくち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡山口村字 屋戸 の名を冠した川名 川の概要: 猿投山麓北西斜面に位置する屋戸町地内を流れ矢田川に注ぐ谷川 屋戸地名の由来: ヤトは 谷戸 の好字化で表現した地名と推察される 戸は集落を意味する やと屋戸町の沿革 近代 もとは瀬戸市山口の一部 昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 江戸期の村絵図には 屋頭島 と記すが 古くは 矢頭 と書いたという 名所旧跡: 山口八幡社の警固祭りに使用される 9 本の銀鷹の矢のまといだしは 武田信玄の武将山田信濃守の物見ケ嶺の大蛇退治の言伝えが馬標となっている 町の西境は大坪町に続く条里遺構があり 集落化の嚆矢を誇りにこの字をあてたという 角川日本地名大辞典 抜粋 11) かいしょがわ海上川 ( 赤津川支流 ) かいしょ < 海上町 > やまくち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡山口村字 海上 の名を冠した川名 川の概要: 猿投山麓西斜面の海上町地内を北西流し 西流する北海上川と合流して赤津川に注ぐ渓流 海上地名の由来: カイショは 会所 の転にて この地で猿投山の東に位置する三河国の人と交流 ( 会合 ) する洞 ( 集落 ) と推察される 2) わかみやがわ若宮川 ( 矢田川支流 ) わかみや < 若宮町 > やまくち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡山口村字 若宮 の名を冠した川名 川の概要: 山口町と若宮町の境界を南流し 矢田川に注ぐ小川 若宮地名の由来: 本宮がどこか分からないが 本宮の祭神の分霊を奉斎したお宮の所在する所を表現した地名 ( 山口八幡社と推察 ) かいしょ海上町の沿革もとは瀬戸市山口の一部 昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 地名の由来伝: 徇行記 には 又支邑ヲ海上洞ト云 是海上洞御林ノ麓ニアリ 本郷ヨリ十八町ホト隔山奥 わかみや若宮町の沿革もとは瀬戸市山口の一部 昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 1~3 丁目がある 昭和 8~10 年にかけて建設された山口堰がある 同 57 年一部を塩草町に編入 角川日本地名大辞典 抜粋

25 3) よしだがわ吉田川 ( 矢田川支流 ) みやじ < 宮地町 > 川名の由来: 定かでないが 葦原地帯を良田に開墾した所を川名で表現した川名と推察 川の概要: 矢作川水系との分水界 ( 豊田市八草町愛知工業大学キャンパス北側斜面 ) から宮地町地内を北流し 矢田川に注ぐ小川 みやじ宮地町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市山口の一部 角川日本地名大辞典 抜粋 4) はちまんがわ八幡川 ( 矢田川支流 ) やまぐち < 山口町 > 川名の由来: 川が流れる山口町地内に祀られる 山口八幡社 の名を冠した川名 川の概要: 菱野団地南斜面を愛知環状鉄道沿いに山口町地内を南流し 山口八幡社の山裾を流下して矢田川に注ぐ小川 やまぐち山口町の沿革 位置: 矢田川上流 名所旧跡: 大坪 大六の縄文遺跡 塚原 吉田の古墳群 大坪 柳ケ坪の条里遺構などが分布する 産業: 瀬戸の焼物の発生は 11 世紀中葉の平安灰釉陶窯である山口谷東奥の広久手古窯址群に始まる 地名由来伝: 山口の地名は三河国猿投山への入口であることによるという 地名の変遷: 古代 奈良期 ~ 平安期は 山口郷 和名抄 尾張国山田郡十郷の 1 つ 和名抄 諸本に訓は付されていない 中世 戦国期は 尾張国山田郡山口村 近世 江戸期 ~ 明治 22 年は 尾張藩領尾張国愛知郡山口村 明治 22 年市制町村制施行により愛知郡山口村となる 同 39 年幡山村大字山口となる 昭和 30 年からは瀬戸市の大字山口 昭和 年に八幡台 1~9 丁目 萩山台 1~9 丁目 菱野台 1~4 丁目 宝ケ丘町 八幡町 せいれい町 若宮町 1~3 丁目 広久手町 南山口町 上之山町 1~3 丁目 宮地町 今林町 石田町 大坂町 池田町 矢形町 柳ケ坪町 屋戸町 山口町 田中町 掛下町 1~2 丁目 吉野町 大坪町 かいしょ白山町 1~2 丁目 緑町 海上町となる 記録: 明和 4 年の猿投山決壊の後 洪水で砂入地が増加 農間余業に薪をとり名古屋へ売り出し 瀬戸焼二番ものを知多郡周辺へ売り出した 弘化 4 年の村絵図には給知 蔵入地が入り組み 三州八草道 菱野村道 八割坂雨池など 7 か所の雨池などが見える 明治初期山口谷に蛙目粘土が発見され 窯業を興す人や瀬戸に山口蛙目の名で送られるようになった 明治 27 年珪砂を発見 ガラス原料として生産されるようになると 瀬戸地区は全国最大の生産地となった 寺社: 神社は 八幡 ( 式内社山口神社 ) 神明 多度権現 富士浅間 八剣宮 山之神 4 寺院は真宗高田派本泉寺 ほかに薬師堂 観音堂があった 角川日本地名大辞典 抜粋 5) やくしがわ薬師川 ( 矢田川支流 ) うえのやま < 上ノ山町 > やまくち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡山口村に在った 薬師堂 の名を冠した川名 * 掛下町の沿革参照 川の概要:2 丁目と 3 丁目辺りから国道 155 線に沿かけしたって上ノ山町地内を北流し 掛下町に入って御嵩神社の近くを流下して矢田川に注ぐ小川 うえのやま上ノ山町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 1~3 丁目がある もとは瀬戸市山口の一部 上の山団地建設に先だって広久手古窯址群の発掘調査が続けられている 角川日本地名大辞典 抜粋 6) しんめいがわ神明川 ( 矢田川支流 ) みなみやまぐちかけした < 南山口町 掛下町 > やまくち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡山口村に在った 神明宮 の名を冠した川名 * 掛下町の沿革参照 川の概要: 南山口町を源流に南山口町と掛下町の境界を北流し 矢田川に注ぐ小川 みなみやまぐち 南山口町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市山口の一部 昭和 46 年に窯業技術センター 窯業訓練校が進出して以来 大型公共施設の建設が続く 同

26 年から南山古窯址群の発掘調査を実施 かけした掛下町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 1~2 丁目がある もとは瀬戸市山口の一部 弘化 4 年の村絵図では 蕨ケ洞御林 の南山丘陵に薬師堂 神明宮が鎮座 丘陵から大川 ( 矢田川 ) に神明川 薬師川が流入する 菱野道沿いの神明下の集落が現在の町内で 当時 8 戸の農屋と 卯新田御蔵入 の記載がある 角川日本地名大辞典 抜粋 7) いまばやしがわ今林川 ( 矢田川支流 ) いまばやしいけだ < 今林町 池田町 > 川名の由来: 川が流れる 今林町 の名を冠した川名 川の概要: 源流の菱野団地を南流し 今林町地内を経て池田町で矢田川に注ぐ小川 はやし 今林地名の由来: にぎ合っている所 囃 囃子 を好字化した地名と推察 いけだ池田町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市山口の一部 角川日本地名大辞典 抜粋 いまばやし今林町の沿革昭和 56 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市山口の一部 角川日本地名大辞典 抜粋 8) えっちゅうかわ越中川 ( 矢田川支流 ) みなみやまぐち < 南山口町 > 川名の由来: 定かでないが 愛知郡から春日井郡へと郡境を越えて流れる 3 川 ( 神明川 越中川 大六川 ) のうち 真ん中の川を表現した川名と推察される やまくち 川の概要: 陶磁美術館が位置する 旧 ) 愛知郡山口村字南山を源流に西流し 209 号線沿いに南山口町地内を北流し 209 号線を暗渠で潜り矢田川に注ぐ小川 六 の名を冠した川名 川の概要: 愛知県立大長久手キャンパスの建つ 旧 ) 山口村南山を源流に 長久手町と瀬戸市南山口町とのだい境界を北西に流れ 南山口町地内に入って北流し 台ろく六町を経て弁天町で矢田川に注ぐ渓流 大六地名の由来: 丘陵地形の地から 大麓 を好字化した地名と推察 だいろく 台六町の沿革昭和 54 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市菱野村字大六 江戸期の村絵図にも記載される地名であるが 近年まで山林丘陵地であった 最近は弁天川 大六川沿いに住宅 工場が進出している 10) こめいずみがわ米泉川 ( 矢田川支流 ) みどりふくもとこめいずみ < 緑町 福元町 米泉町 > ひしの 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡菱野村字 米泉 の名を冠した川名 川の概要: 緑町を源頭に今林町と福元町の境界を南流し 矢田川に注ぐ小川 米泉地名の由来: 米耕作に必要な泉の在る所を表現した地名 * 東米泉町 ヨコフキ洞 からの川筋 ( 米泉川 ) が山口村境にあって * 西米泉町 カマガ洞池 から引水した にしこめいずみ 西米泉町の沿革昭和 53 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市菱野の一部 江戸期の村絵図では 氏神 ( 熊野社 ) の森の東に東島集落があり カマガ洞池 から引水した田の一圃ごとに知行家臣名を記載した地にあたる ひがしこめいずみ 東米泉町の沿革昭和 53 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市菱野の一部 江戸期の菱野村絵図では ヨコフキ洞 からの川筋 ( 米泉川 ) が山口村境にあって 山すそに 山ノ神 大川端に 神明 の社が描かれている 9) だいろくがわ大六川 ( 矢田川支流 ) みなみやまぐち だいろく べんてん < 南山口町 台六町 弁天町 > ひしの 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡菱野村字 大 11) べんてんがわ弁天川 ( 矢田川支流 ) みなみがおかべんてんしんでん < 南ケ丘町 弁天町 新田町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡菱野村に存在

27 した 弁天池 の名を冠した川名と推察 川の概要: 南ケ丘町の丘陵を源流に弁天町と新田町の境界を北流し 幡山中学の脇を流れて矢田川に注ぐ小川 在ったと推察される 川の概要: 菱野団地を源流に 西流し幡野町から南西に湾曲しながら神川町 長根町 高根町境界を流れて矢田川に注ぐ排水路 参考 ) 小学館国語大辞典 べんざいてん べん てん 弁天 辯天 辨天 :1 弁才天の略 2 美しい女 3( 俗に蛇は弁才天の使いであるというところから ) 蛇の異称 べんざい てん 弁才天 辯才天 弁財天 辨財天 : 1( 弁才天 辯才天 ) は梵 Sarasvatl( 薩 薩伐底の訳語 ) 天竺 ( インド ) の神の名 聖河の化身という 仏教にはいって舌 財 福 智慧 延寿などを与え はっぴ災厄を除き 戦勝を得させるという女神 像は 八臂けんじゃく ( 弓 箭 刀 斈 斧 杵 輪 羂索を持つ ) または 二臂 ( 琵琶を持つ ) 大弁才天 弁天 2 七福神の一 吉祥天と混同され あるいは穀物の神である宇賀神とも同一視されて 多く 弁 ( 辨 ) 財天 と書き 福徳や財宝を与える神とされたもの その像は 宝冠 青衣の美しい女神で 琵琶をひいている 弁天 ひしのだい菱野台の沿革昭和 53 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 はじめ 1~2 丁目 昭和 55 年 1~2 4 丁目 同 56 年からは 1~4 丁目がある もとは瀬戸市菱野 山口の各一部 菱野 角川日本地名大辞典 抜粋 14) ほんじがわ本地川 ( 矢田川支流 ) にしわきやまたひがしほんじさかうえ < 西脇町 山の田町 東本地町 坂上町 > ほんぢ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡 本地村 の名を冠した川名 川の概要: 西脇町地内の権道治池を水源に 山の田町と東本地町の境界を北西流し 坂上町地内で矢田川に注ぐ排水路 本地地名の由来: この土地を治めた領主の本拠地の地を表現した地名と推察 べんてん弁天町の沿革昭和 54 年 ~ 現在の瀬戸市の町名 もとは瀬戸市菱野の一部 江戸期の村絵図では ノッタ洞 ソッタ洞 の 卯新田 と 山ノ神 の社を描く地区である 12) いばやしがわ井林川 ( 矢田川支流 ) いまばやしいしだひがしこめいずみ < 今林町 石田町 東米泉町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 愛知郡菱野村字 井林 の名を冠した川名 川の概要: 菱野団地八幡台の丘陵を源流に 今林町地内を西流し 209 号線を暗渠で潜ってから石田町と東米泉町の境界を南流し 矢田川に注ぐ小川 井林地名の由来: 水田耕作の水源となる林のある所を表記した地名と推察 13) みなせがわ水無瀬川 ( 矢田川支流 ) ひしのだいはたのかみかわながねたかね < 菱野台 幡野町 神川町 長根町 高根町 > 川名の由来: 降雨時に水が流れ 普段は水が無い川を表した川名 * 旧 ) 愛知郡菱野村時代には 唐沢で 参考 ) 小学館国語大辞典 ほんじ( ヂ ) 本地 :1 仏語 本地垂迹説によるもので 世の人を救うために神となって垂迹したその本の仏菩薩をいう 神はこの世に仮に姿を表した垂迹身で 仏菩薩をその真実身である本体とするもの たとえば 天照大神の本地は大日如来だとする 2もとの姿 本体 物の本源 3 本性 本心 正気 4 漆下きうるし地の最も丈夫なもの のり 水を用いず生漆だけで練り合わせたものを下地に用いる ほんじ本地の沿革 位置: 瀬戸川と矢田川の合流点付近の沖積低地に位置する ほむじ 地名由来伝: 地名は誉治村によるという ( 尾張風土記 ) 名所旧跡: 本地大塚古墳は前方後円墳で 市文化財に指定されている 地名の変遷: 江戸期 ~ 明治 22 年は 尾張国愛知郡本地村 同郡内に本地村が 2 ヶ村あったため 菱野本地

28 村とも称した ( 地名考 ) 明治 22 年幡野村の大字本地となる 昭和 30 年からは瀬戸市の大字本地 昭和 年に原山町 新郷町 幡野町 井戸金町 坊金町 山の田町 駒前町 小坂町 坂上町 東本地町 1 ~3 丁目 西原町 1~2 丁目 高根町 1~3 丁目 西本地町 1~2 丁目となる じゅんこうき 記録 : 徇行記 によれば 明和 4 年の洪水で砂入地が増加 農間余業に瀬戸物炭薪を売り歩き 桐の木 古かね類を買い歩いて小商いをする者もあり またほめのうかに瑪瑙を産出した 社寺: 神社は 八幡 斎宮神 山神 2 寺院は曹洞宗宝生寺 境内の雨ふり地蔵は同寺創建時からあり 雨乞に霊験あらたかという 角川日本地名大辞典 抜粋 (8) 明治 15 年愛知県東春日井郡町村字名調 地名学研所複製 かみはんだがわ 1) 上半田川村字名ほしやまなかたひらむかヱやましんでんじんぐうえのきど星山 中平 向山 新田 神宮 榎戸 洞まヱだこはやしわせだみやのいりををいしもと前田 小林 早稲田 宮之入 大石本 宝田つかほらかまあがほらまがりがねこやがね柄洞 竈ケ洞 曲ケ根 小屋ケ根 しもはんだがわ ほらとちほら 栩洞 ほうでんみなみひら 南平 2) 下半田川村字名さかやしきかいといしだひがしやしきぬまのだ坂屋敷 改外 石田 東屋敷 沼之田 西山田みやのまヱはしばひヱたやすみばかみやまえ宮之前 橋場 冷田 休場 カミタ 神屋前 向畑さんじろさかおろふじ三次郎坂 尾呂 富士 くつかけ 3) 沓掛村字名ををまきみなみをもたきたをもただいとうををむ大牧 南面田 北面田 大道 應夢山たびらひろみしもうちがいとうかみうちがいとう田平 廣見 下内垣外 上内垣外 後田ケがほら洞 かみしなの にしやまだひがしやまだ 東山田 むかヱばた さんせいれんどじょさか 青簾 鰌坂 うしろだはんのきいり 半ノ木 杁 4) 上品野村字名じげんじみなみををなかむらこなかむらなわて慈源寺 南 大中村 小中村 縄乎 ヲトケ 山下きたじまかねじいちのせむかひだかましたくわしたいりのほら北島 金地 一野瀬 向田 竈下 桑下 杁野洞 一野坪ヱのきしたかいづくれまちにしやまきたやまひがしやま榎下 會津 呉町 ヲハカ 西山 北山 東山 南山 なかしなの 5) 中品野村字名ひかしやまををほらかつがほら東山 大洞 勝ケ洞 鳥原ごたんだいやまひと 五反田 井山 人代 はなのき花之木 やました いちのつぼ みなみやま とりはらしょうほらはちまんまヱこヱだ 庄洞 八幡前 小枝 だいもりやしきひっこしおくはた 森屋敷 引越 奥畑 にしやま西山 前田 しもしなの まヱだしもちょう 下町 だ田 山崎 やまさきむかう 迎 かわひろの川 廣之田 た 6) 下品野村字名おおまつとうしろたなかしまさいめごたんだほらたひがしじましみず大松戸 後田 中島 才目 五反田 洞田 東島 清水ほらうえたをちあいまえかまたにくたんださかいひがしだ みやまえ洞 植田 落合前 竃谷 九反田 境井 東田宮前 やまざきをちあいひちだんだしまたにしだこざかむかひやまとりはやし山崎 落合 七反田 嶌田 西田 小坂 向山 鳥林 やとこばんばつつみほらひがしやまにしやまきたやま八床 馬場 堤洞 東山 西山 北山 かみみずの 7) 上水野村字名にししんでんみなみにししんでんきたはねしゃぐうじにしむかいヱひがし西新田南 西新田北 刎 社宮地 西向 東しんでんきたひがししんでんみなみやすどみなみぢぞうじんぐうどうきた新田北 東新田南 安戸 南地蔵 神宮堂 北地蔵みなみすぎたきたすぎたかまのほらかずなりあなたやまのはなむかし南杉田 北杉田 釜之洞 數成 穴田 山之花 昔田をさだきたわきごうばたきのもとはちまんまヱひがしやまはたにし長田 北脇 郷畑 木ノ元 八幡前 東山畑 西山畑やぶたこかねこその藪田 小金 小曽野 樋ケといかさわそのかみのしま沢 曽野 上之嶋 前田まるやままるやましたにしひがしそのひがしそのつくりいしあなの丸山 丸山下 西東曽野 東曽野 作石 穴之宮かやかりにしほらにしよどこよどこしもさわ萱刈 西洞 西余床 余床 下沢 なかみの 8) 中水野村字名 ぢぞう た やまばた まヱだ みや まえまとばなかとのさんだんたたあがたひがしうらごがつでんごうやしき前間戸場 中殿 三反田 縣 東浦 五月田 郷屋敷 かわらばたいしたしちろさやしたてらやしきうちつぼやまのかみ川原畑 石田 七郎左 屋下 寺屋敷 内坪 山ノ神 くもあらしもりのわきゆささつつみしたとぐちよこやまかわひらいな雲嵐 森ノ脇 湯笹 堤下 戸口 横山 川平 稲ごみろくちきたやまみなみやま込 禄地 北山 南山 しもみすの 9) 下水野村字名えびづるごうじまあざばた海老弦 郷島 麻畑 井ノ口なかおさはんしやしき井りおいわ中筏 半四屋敷 入尾 岩割瀬 よつや四ツ谷 かみやしんでん 神屋新田 あかづ 10) 赤津村字名しほのくさ塩之艸 今坂いけつほもちだ池坪 餅田 辻 いのくちつちぼとけじゅうけんやいしはら 土佛 十軒屋 石原 わりぜヱつほうちやしきうしろた 荏坪 内屋敷 後田 こんざかかはらだををしかぐちかねばこがいと 川原田 大鹿口 鐘場 ヤケ 小谷戸 つじのかいどやまぢかみやまぢこばさまもんぜんノ谷戸 山路 上山路 小廻間 門前 そうさくにしだこねなかじまこそらおおそらにしじょろ惣作 クコ 西田 小根 中島 小空 大空 西女郎まヱしろまえきのしたわきだしんばさままヱだひがしじょろうまヱ前 城前 木之下 脇田 新廻間 前田 東女郎前 はりはらきたはせぐちみなみはせぐちしらさか 北長谷口 南長谷口 白坂 針原 せと 11) 瀬戸村字名じゅうさんつかやすとやまわきいちのつぼ十三塚 安戸 山脇 一ノ坪 前側 まえかわせとかわいけた 背戸側 池田 いんじょみやわきはねたこんやたこせとはいとひがしほらなかほら印所 宮脇 刎田 紺屋田 古瀬戸 拝戸 東洞 仲洞 ひがしごうまヱたやくしくらじょなかのきりごういちりづか東郷 前田 薬師 蔵所 仲ノ切 郷 一里塚 上ノかみのきりひがしいばらにしいばらひがしいぬつかにしいぬつかもりしみずた切 東茨 西茨 東犬塚 西犬塚 森 清水田

29 やまくち 12) 愛知郡山口村字名てんじんいしだををさかいけだろくたんだ天神 石田 大坂 池田 六反田 柳きたやまかいしょひろくてやと北山 海上 廣久手 屋戸 大坪 やなケが つぼ坪 若宮 おおつぼみなみやま 南山 わかみやたなか 田中 ひしの 13) 愛知郡菱野村字名 みなみやまわらび 蕨 南山 にしひらひらじやう 平定 西平 はね 羽根島 東島 しまもろ 諸 ひがしじまやま 山 ぎはく木 白山下 ほら洞 大六 だいろくおおくさ 大草 のうにしのの納 西野々 土取 ず砂 新田 ほら洞 大洞 しんでんやまのかみだい 山之神 臺 あさ字 中島 さんした 釜ケかまが ををほらまえた 前田 ほらごんどう洞 権藤路 じ つちとりふくこしろしたにしわきまえだ 福古 城下 西脇 前田 ろく六 宮前 みやまヱこめずみなかきり 米泉 仲切 なかしまふくもとにほんぎあかしげいばやしふたまた 福元 二本木 赤重 井林 二又 ほら洞 長根 なかね ほんぢ 14) 愛知郡本地村字名 やまのた山ノ田 いどがねをうくして 井戸金 大久湫 坂上 さかうえぼうがねこがはこざか 坊金 小川 小坂 にしかはらなかきり井ほりはらしたはらやまてんぱくしんやしきしんでん西川原 仲切 井堀 原下 原山 天白 新屋敷 新田 なべたまヱだみなみうらしんでんやしきこままえ鍋田 前田 南浦 新田屋敷 駒前

30 3. 長久手市 14 の川名ながくて (1) 長久手の沿革 地勢: 尾張平野東部 香流川上流域 地名由来伝: 地名の くて は本来湿地を表し 鴨田川沿いに細長く延びた低湿地をいうと伝える 名所: 南部丘陵には須恵器窯や山茶碗窯などの跡がある 長久手古戦場 ( 国史跡 ) 徳川家康 羽柴秀吉戦の地 2005 年に開催され愛知万博会場跡地を利用したモリコロパーク 地名の変遷: 戦国期は尾張国愛知郡長くて郷 江戸期は尾張藩領愛知郡長久手村 [ 北熊村 大草村 前熊村 岩作村 長久手 ( 長湫 ) 村 ] があった 明治 10 年 大草村 北熊村が合併し熊張村となる 明治 22 年市制町村制施行愛知郡長湫村となる 明治 22 年熊張村 前熊村が合併し上郷村となる 明治 39 年愛知郡長やさこ久手村 上郷村 岩作村 長湫村が合併して長久手村が成立し 岩作 長湫 熊張 前熊の 4 大字を編成 昭和 46 年から愛知郡長久手町となる 平成 24 年 1 月 4 日に市制施行し長久手市となる 寺社: 神社は 熊野 金神 山神 2 社 富士 明神 ( 景行天皇社家康戦勝祈願の神社として有名で 太刀 銭 提灯などが奉納された ) 寺院は 真宗高田派常照寺 ( 仏寿坊 ) 曹洞宗常昌庵 ( 明暦年間廃寺 ) 真言宗豊善院 じゅんこうき 記録 : 徇行記 によれば 集落は先達島 日向島 東島 北島 山屋敷島 中ノ島 西中島 洞島 西ノ島の 9 瀬戸に分かれ 散在していた このうち中ノ島 西ノ島が本郷 農地は村落前面の平坦地にあったが 水利に恵まれず 丘陵の谷間には多くの雨池が築かれ 寛政年間の村絵図では 村内に 38 ヶ所の用水池が数えられた 明治 6~20 年にかけて香流川 香桶川などに下川原橋 ( 香流橋 ) 先達橋 富士浦橋が架設され 四隣を結ぶ主要道が整備された 明治 39 年岩作に長久手尋常高等小学校を設置 大正 3 年現在地に新築移転 昭和 43 年東名高速道路 同 45 年猿投グリーンロード ( 県道力石名古屋線 ) 開通 昭和 44 年市営地下鉄東山線が藤ケ丘まで延長 同じ頃県立芸術大学 県農業総合試験場 愛知青少年公園などの設置が相次いだ 2005 年万国博覧会 愛地球博 会場となる (2) 香流川と 12 支流 1) かなれがわ香流川ながくて < 長久手市 > いのこしかなれ 川名の由来: 河口部の 旧 ) 猪子石村の字 香流 の名を冠した川名 やさこさがみね 川の概要: 豊田市と長久手市との分水嶺岩作三ケ峰を源頭に長久手市を北西に流れ 前熊町辺りで西に湾曲して名古屋市名東区を流れ千種区猪高町で矢田川に合流する流路長 16,636m の一級河川で 14 支流を集める かなれかなれ 地名の由来: 香流は川流の好字化で 川が流れる所を意味した地名と推察される いのこし猪子石の沿革猪越とも書かれた かなれ 地勢 : 香流川を挟んだ平坦地と南部の緩やかな丘陵地よりなる 地名の由来: 猪に似た石が 2 つあることによる ( 尾張志 ) 石の 1 つは東の山頂にあり牝石と呼び もう 1 つは香流川の端にあり牡石と呼ぶ ( 地名考 ) 猪高村誌 によれば 当地域一帯は洪積台地であり 大石が出ることはなく 当然 2 つの石は人為的に運ばれたものとして 古墳の蓋石あるいは玄室に使った石と紹介している 名所旧跡: 村の南西に蓬莱洞 一名を蓬莱山と呼ぶ地があり 徇行記 によれば この名は八剣宮のある熱田社の蓬莱名によるもの あるいは古仏の肩にヨモギが生えていた伝説によるともいわれる また 長久手の戦の伝説として 戦場へ向かう途中 一足先に山へ登った主君が松の木の下で山下の家臣に こっちだ こっちだ と招いたといわれる まねき松 や 敵陣を偵察するため未明に山に登り夜が明けるのを待ったといわれる あけ坂 などの地名が残っている 地名の変遷: 南北朝期 ~ 戦国期は 尾張国山田郡猪子石郷 江戸期は尾張国愛知郡猪子石村 明治 22 年愛知郡藤森 猪子石 猪子石原の 3 ヶ村が合併して愛知いたか郡猪子石村成立 明治 39 年猪高村の一部となり 当村の 3 大字は猪高村の大字に継承 昭和 30 年からは名古屋市千種区猪高町となる 昭和 50 年一部が名東区猪高町猪子石となる 寺社: 寺院は黄檗宗長福寺 曹洞宗月心寺

31 神社は 神明 八剣 観音の 3 社 ( 寛文覚書 ) 社が奉られる所を表現した地名と推察される 2) いちのいがわ一の井川 ( 香流川支流 ) まえぐま < 前熊 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 前熊村字 一ノ井 の地名を冠した川名 川の概要: 一の井地内のため池を水源に北東に流れ 香流川最上部に注ぐ小川 一の井地名の由来: イチノイのイチには [ 一 市 位置 位地 城 都 ] イには[ い 井 射 胃 尉 居 衣 入 鋳 夷 ] などの意味があるが 最初に出来た井 ( ため池 ) のある所を表現した地名と推察される 参考 ) 小学館国語大辞典 いち- 一- :1 一つの 一人の 一市民 2[ ある ] 戦後の一時期に 3[ つまらない ] 私は一小役人にすぎない いちな 一名 市名 城名 都名 : 琵琶法師の付けけんぎょうる名字 城一検校が後宇多天皇から 城 の字を賜わったのに始まる はじめ 城 のち 都 にかえ 更に 市 一 の字を用いていずれも いち と読んだ のちに座頭にも用いる いち( ヰ ) 位置 位地 :1ある人 物 事柄などが 全体または他との関係で占める場所 置かれるべき場所 北極星の位置 2( する ) ある場所を占めること また その場所 山の南に位置する 3 人の地位や立場 嫁としての位置 い( ゐ ) 井 : 泉や流水から 水をくみとる所 はしり井 また 地を掘り下げ 地下水をたくわえて汲くちみとる仕掛けのもの 井の口 せき止めてある水を落とす口 3) しんめいがわ神明川 ( 香流川支流 ) くまはり < 熊張 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 熊張村字 神明 の地名を冠した川名 川の概要: 神明地内を源頭に西流し 東山川 清水川を集めて東平地辺りで香流川の注ぐ小川 神明地名の由来: 伊勢神宮の領地か あるいは神明 参考 ) 小学館国語大辞典 じんぎ しんめい 神明 :1 神 神祇 2 祭神としての天照大神の称 また それをまつった神社 神明社 3 神のようにあきらかなこと 4 衆生の神識 ( 精神 たましいなどの主体 ) 精神力 4) ひがしやまがわ東山川 ( 香流川支流 神明川支流 ) くまはり < 熊張 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 熊張村字 東山 の地名を関した川名 川の概要: 瀬戸市との境界峰を源頭に東山と福井の境を南流し 馬堤あたりで神明川に合流する小川 東山地名の由来: 表記文字の通り 熊張村の東の方位にある山を表現した地名 5) しみずがわ清水川 ( 香流川支流 神明川支流 ) くまはり < 熊張 > 川名の由来: 清水が湧き出る川 から付けられた川名と推察される 川の概要: 瀬戸市南ケ丘町との分水峰を源頭に 東山と松杁の間を南に流れ 神明川に合流して香流川に注ぐ小川 6) みぞのいりかわ溝ノ杁川 ( 香流川支流 ) くまはり < 熊張 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 熊張村字 溝ノ杁 の地名を冠した川名 川の概要: 岩作雁又 北山地内を源頭に 南西に流下し 岩作落合辺りで香流川に注ぐ小川 溝ノ杁地名の由来: ミゾは地を細長く掘って水を通イリす溝の意味 杁は 農業用水路を意味し 用水路が掘られた所を表現した地名と推察される 7) ほりこしがわ堀越川 ( 香流川支流 ) くまはりやさこ < 熊張 岩作 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 岩作村字 堀越 の地名を冠した川名 川の概要: 前熊一の井を源流に 岩作と前熊の境を

32 北流し 香流川に注ぐ小川 堀越地名の由来: ホリコシの堀は 地を長く掘って水を通した所 コシは [ 越 腰 古史 古枝址 古祠 ] などの意味があるが 堀を掘って農業用水路を流した所を好字化した地名と推察される 8) ごんだいがわ権代川 ( 香流川支流 ) やさこ < 岩作 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 岩作村字 権代 の地名を冠した川名 川の概要: 権田夷 中権代 桃の木洞辺りを源流に 蛇洞 狐洞の境を北流し 高根前辺りで香流川に注ぐ小川 権代地名の由来: ゴンダイの裾に山崩れ地を示唆する字蛇洞が在る事から ゴンダイ= 崩壊の丘 を表現するに 暴れ者を意味する権太の丘 権太台 を好字 2 文字化した地名と推察される 9) こうおけがわ香桶川 ( 香流川支流 ) ながくて < 長久手 > 川名の由来: 旧 ) 長久手村字 香桶 の地名を冠した川名 川の概要: 深廻間を源流に 山の越 史跡古戦場 仏が根 香桶と深田 大久手 下権田の境を北流し 香桶で西に湾曲し 香流川に注ぐ小川 香桶地名の由来: コウオケは村中の水が桶のように溜まる浸水常習地を表現した 村の桶 ( 郷桶 ) を好字 2 文字化した地名と推察される 10) かりまたがわ雁又川 ( 香流川支流 ) やさこ < 岩作 > 川名の由来: 旧 ) 岩作村字 雁又 の地名を冠した川名 川の概要: 源流の岩作雁又を西南に流れ 岩作落合辺りで香流川に注ぐ小川 ( 準用河川 ) 雁又地名の由来: 恐らく山路が 空を飛ぶ雁の編隊の用に く の字のように二又に分かれた所 を表現した地名と推察される 11) かもたがわ鴨田川 ( 香流川支流 ) ながくて < 長久手 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 長久手村字 上下 鴨田 の地名を冠した川名 川の概要: 景行天王社 常照寺辺りを源流に 北西に流れ 原山で塚田川を集め 川名を藤ノ木川と改め 藤里町辺りで香流川に注ぐ小川 ( 準用河川 ) 鴨田地名の由来: カモタは よい手本 すぐれた模範を意味する 佳模の田 を好字化した地名と推察される 12) つかたがわ塚田川 ( 香流川支流 ) ながくて < 長久手 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 長久手村字 東西 塚田 の地名を冠した川名 川の概要: 名古屋市名東区と長久手市塚田の境を北流し 原山辺りで鴨田川と合流して 川名を藤ノ木川と改め香流川に注ぐ小川 ( 普通河川 ) 塚田地名の由来: ツカタは地形から見て 塚のように 小高い処 を好字化した地名と推察される 13) ふじのきがわ藤ノ木川 ( 香流川支流 ) ふじさとしもやま < 名東区藤里町 長久手市下山 > 川名の由来: 香流川に合流する河口の 旧 ) 愛知郡藤森村 * 字 藤ノ木 の地名を冠した川名 * 現 : 名古屋市名東区藤里町 川の概要: 鴨田川 塚田川を集め名古屋市名東区と長久手市の境を流れ 名古屋市守山区と交点辺りで香流川に注ぐ小川 藤ノ木地名の由来: フジノキは川淵が侵食され危険な処を意味する 淵除 を好字化した地名と推察される (3) 天白川水系の 1 支流 1) いほりがわ井堀川 ( 植田川支流 ) ながくて < 長久手 名東区 > 長久手市は その殆どが庄内川水系であるが 旧 ) 愛知郡長久手町の西南端 ( 名古屋市名東区沿い ) を水源とする植田川 ( 二級河川天白川水系 ) の支流に井堀川があり 長久手市内の僅かな流域を有している

33 川名の由来: 旧 ) 長手村字 上下井堀 猪高町井堀 の地名を冠した川名 川の概要: 長久手市と東名高速道との交点に在るため池を水源に名古屋市と長久手市の境を北西に流れ天白川支流植田川に注ぐ小川 井堀地名の由来: 掘って造られたため池 のある所を好字化した地名と推察される (4) 明治 15 年愛知県郡町村字名調ながくて 1) 長久手村字名ろうほくしもかわらしもやまひらいけみなみはらやまひがしはらやまなかがはら樓木 下川原 下山 平池 南原山 東原山 中川原 にしはらやまくさかけひがしはらいけだかみかはらあらただん西原山 西原 草掛 東原 池田 上川原 荒田 段ノのうえはらやしきやまをけかみかもたごこいけにしばさましもかもた上 原屋敷 山桶 上鴨田 五合池 西廻間 下鴨田 しみじりおおひらひがしつかたにしつかたしもさくたきたさくたにし志味尻 大平 東塚田 西塚田 下作田 北作田 西さくたかみさくたなかさくたにしのねうちこしとくさぶかみこ作田 上作田 中作田 西ノ根 打越 徳佐婦 上小いぼりくまだいほらいのくてしもこいほりみなみこいほりを井堀 熊田 猪洞 猪ノ湫 下小井堀 南小井堀 下リりさかしもいほりかにはらかみいほりねたけ坂 下井堀 蟹原 上井堀 根嶽 市ケいちがほらちょうした洞 丁子田 かたひらうづかしょうぶいけねのかみわきくぼやまひがしぼらにしぼら片原 卯塚 菖蒲池 根ノ神 脇 久保山 東洞 西洞 かみつくりうしろやまさくらつくりのたのぼうのうしろにしうらなかだ神作 後山 櫻作 野田野 坊ノ後 西浦 仲田 なわていりがいけとたがいちょうはいひがしばさまうしかみまヱみやわき畷 杁ケ池 戸田外 長配 東廻間 氏神前 宮脇 ふじうらひがしうらしろやしきすなこきぶたけやまのたやまこヱ富士浦 東浦 城屋敷 砂子 喜婦嶽 山ノ田 山越 しょうにうづかむさしづかふかばさまほとけがねこうをけからすかばさま勝入塚 武蔵塚 深廻間 仏ケ根 香桶 鴉ケ廻間 せんたつしもごんたかみごんたまるねおおくてすげいけよこみち先達 下権田 上権田 丸根 大久手 菅ケ池 横道 ふかだぼをふり深田 棒振 まついり松杁 観音堂あはた阿畑 中井わせだいばらが早稲田 茨ケ廻間みぞのいりいわ溝ノ杁 岩廻間 まへくま かんのんどうあまつつみだんどめひがしだなかやまえすけろく 雨堤 段留 東田 中屋前 輔六 なかいえびすいりがねごうまえよしがはさまだいにち 蛭子 入ケ根 郷前 葦ケ迫間 大日 はさまいりのほらとりいまえむまつつみひらちきたうら 杁ノ洞 神門前 馬堤 平地 北浦 はさましんぎょうだりつか 眞行田 立花 4) 前熊村字名しもたねのうへ下田 根之上 西脇ひろをもてなかい廣面 中井 志水 にしはきほりこしみそしたまヱ 堀越 溝下 前しみつてらたはしの 寺田 橋之本 やまねのはら山 根之原 原山もといちのい 一ノ井 はらやま やさこ 2) 岩作村字名うきヱいどかねたかやまさるりつかきたやまいろがねにしうら浮江 井戸ケ根 高山 申立花 北山 色金 西浦 もとかどすみだひがししましもだみなみしまごたんだひらこかけ元門 隅田 東島 下田 南島 五反田 平子 欠ばなむかヱばたしもしまごんだいをちあいなかごんたいなかをさごんた花 向畑 下島 権代 落合 中権代 長筬 権田 いしたをりとがひらにししまもものきぼらやふたきつねほらくて石田 折戸ケ平 西島 桃ノ木洞 藪田 狐洞 久手だじゃぼらしらばりむかえだつかもとたかねまヱやせのきかべ田 蛇洞 白針 向田 塚本 高根前 八瀬ノ木 壁ノのもとひらちたかねてらやまうちまんばながいけををねなかなは本 平池 高根 寺山 内万場 長池 大根 中縄てしもほりこしなかしまびわかいけなかわきとかさむひがしなかふくい手 下堀越 中島 琵琶ケ池 中脇 床寒 東中 福井 はせたなかねはら早稲田 中根原 城ノしろのうちなかねみぞそひほりこしみやまえ内 中根 溝添 堀越 宮前 なかつるみやうしろてらだとちくびさがみねとりりかなかりつか長鶴 宮後 寺田 泥亀首 三ケ峰 酉立花 中立花 まるねかりまたとらやま丸根 雁又 寅山 くまはり 3) 熊張村字名しもだどうわきこふけひがしひらち下田 堂脇 小深 東平地 小稲葉まヱだいしばしをみさかひがしやまえのきの前田 石場 汐見坂 東山 榎之下 こいなばひろたふかだふくい 廣田 深田 福井 したこいがはさまさるひら 鯉ケ廻間 申平

34 4. 尾張旭市 8 の川名おわりあさひ (1) 尾張旭の沿革 地勢: 矢田川中流域に位置する 地名の由来: 日露戦争の戦勝国として国運の上昇を示す日の出のイメージから名付けられた 地名の変遷: 明治 39 年 東春日井郡の印場村 新居村 八白村が合併して旭村成立 印場 新居 稲葉 三郷 今 美濃ノ池の 6 大字を編成 大正 14 年 今 美濃ノ池の 2 大字は瀬戸町に編入し 4 大字となる 昭和 20 年 本地ケ原が起立し 5 大字となる 昭和 23 年町制施行 同年尾張旭町と改称し 同時に市制施行 その際 市域は 3 大字数十町となる 記録: 昭和 10 年代には工場立地が進行し 人口急増 また 戦後名古屋市のベッドタウン化が進行 昭和 28 年守山町 幡山村と境界変更 角川日本地名大辞典 抜粋 (2) 矢田川の 5 支流 1) さんばがわ三葉川 ( 矢田川支流 ) いだしもい < 井田町 下井町 > 川名の由来: 溝のように川とも言えない半端な細い流れを好字化した川名と推察される 川の概要:208 号線辺りを始点に井田町と下井町の境を南流し 矢田川に注ぐ溝川 2) いしはらがわ石原川 ( 矢田川支流 ) いなばみなみはらやまきたやまにしの < 稲葉町 南原山町 北山町 西の野町 > 川名の由来: 矢田川に注ぐ川原が 石の川原であった事から付けられた川名と推察 なお 川が流れる 旧 ) 稲葉村の字名に石原が無い ( 小地名か?) 川の概要: 南原山町赤土 ~ 南原山辺りを水源に 北山町と西の野町の境を南西に流れ 稲葉町地内で矢田川に注ぐ小川 3) いなばがわ稲葉川 ( 矢田川支流 ) にしのいなば < 西の野町 稲葉町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 稲葉村の村名 稲葉 を冠した川名 川の概要: 旭小学校あたりを水源に西の野町内を西に流れ 同町 2 丁目で南に直角に曲り 稲葉町内で矢 田川に注ぐ細流 稲葉地名の由来: 収穫した稲穂を干すために 農民におばが共同使用した特定の草原 また空地 稲寄せ場 鳰場 小学館国語大辞典 いなば稲葉の沿革 地勢: 矢田川中流域に位置する ゆき 地名由来: 地名は 天武天皇 5 年の新嘗祭に斎忌 ( 斎庭 ) の稲穂を一之御前神社に積んだことから稲庭と称し のち転訛したもの 名所旧跡: 白山古墳 古石塔 陶片散布地がみられる 天正 12 年 4 月 小牧 長久手の戦の時 徳川方は 其勢四千五百騎ニテ 稲場口江被遣 と この軍勢はまず当地に遣わされたという ( 小牧御陳長湫御合戦記 / 大日料 11 6) 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡稲葉 江戸期は春日井郡稲葉村 明治 13 年東春日井郡に所属 明治 22 年八白村の大字となる 明治 39 年旭村 昭和 23 年からは旭町の大字 昭和 45 年 ~ 現在の尾張旭市の町名 昭和 20 年旭町本地ケ原 昭和 45 年尾張旭市西の野町 稲葉町 北山町 下井町 長坂町 上の山町 井田町となる 昭和 57 年北山町 西の野町と境界変更 寺社: 神社は 氏神の一之御前社 ほかに山神 3 白山 西之宮神 洲原大明神 八幡 県神 神明があったが のち明治 44 年一之御前社に合祀 寺院は 臨済宗少林寺 記録 : 徇行記 によれば池は あなた池上池 あなた池下池 神田池上池 神田池下池 用水は瀬戸川用水を利用 狩宿村の井田村杁より引かれた水は井田村を通り当村に送られた 明治 18 年 稲葉学校開設 明治 39 年稲葉小学校は旭第二尋常小学校となるが 同 41 年新居に移転 昭和 46 年 第一学校給食調理場完成 同 52 年稲葉保育園開園 同 55 年コミュニティセンター宮浦会館完成 角川日本地名大辞典 抜粋 4) にたんだがわ二反田川 ( 矢田川支流 ) ひがしいんば < 東印場町 > 川名の由来: 川が流れる印場町 二反田 の地名を冠した川名 川の概要: 印場町二反田地内を流れ 矢田川に注ぐ

35 細流 地名の由来: 水田の面積を表現した地名と推察 5) てんじんがわ天神川 ( 矢田川支流 ) おおくてきたはらやまひがしだいどうにしだいどうひがしいんば < 大久手町 北原山町 東大道町 西大道町 東印場いんばもととうめいにしわきたいまじり町 印場元町 東名西町 脇田町 守山区今尻町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 印場村に奉られる式内社渋川神社 ( 蘇父川天神 ) の名を冠した川名と推察 川の概要: 大久手町地内を源流に 原山町 東大道町 西大道町 東印場町 印場元町地内を西南西に流れ 途中で郷倉川 砂川 北山川を集め 東名西町で大きく南に湾曲し 今尻町内で矢田川に注ぐ一級河川 いんば印場の沿革 地勢: 矢田川中流域 ゆき 地名由来: 天武天皇 5 年新嘗祭のための斎忌斎田にいみにわ定められたことに由来し 斎庭から斎場 印庭 印場と転訛したという 名所旧跡: 延喜式 神名帳に見える式内社渋川神社をはじめ 須恵器古窯群 古墳 条里遺構 中世の城址などが点在する 地名の変遷: 室町期から戦国期は 尾張国春日部郡印場 印庭 陰葉とも書く 江戸期は 春日井郡印場村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年市制町村制施行により東春日井郡印場村印場村となる 大字は編成せず 同 39 年旭村印場となる 昭和 23 年旭町 同 45 年からは尾張旭市の大字 昭和 45 年庄中町 東印場町 印場元町 同 46 年霞ケ丘町 桜ケ丘町 同 53 年東山町 西山町 庄南町 大塚町 吉岡町となり 同 54 年庄南町に編入 寺社: 神社は 式内社渋川神社 ( 蘇父川天神 ) 八竜社 ( 高糟神社 ) 直会神社 山神社 寺院は臨済宗良福寺 ほかに薬師堂 毘沙門堂 庚申堂 観音堂があった 記録 : 徇行記 によれば 用水は宮崎用水 野田用水 舟橋用水を利用 池は大水口洞池 大水口洞上池 狐洞池 虫ノ池 虫ノ上池 線迫間池 ナンマ川池 北山ノ内鞍骨池 当村は水害が多く 明和 4 年の田畑川欠書上帳では 砂深ニて地並難成分 などとして 62 石余の砂入高が書き上げられている ( 尾張旭市誌 ) また 下流の大森村とは たびたび水論を起こしているが当村は譲らなかったという ( 同前 ) 明治 6 年 良福寺に渋川学校設立 同 9 年斎場学校と改称 同 38 年瀬戸自動鉄道が開通し 停車場が開設された 昭和 10 年代から住宅地化が始まり 同 30 年代から名古屋市のベッドタウン化が進行 印場尋常小学校は明治 39 年旭第四尋常小学校となり 大正 8 年旭第三実業補習学校を付設 同 14 年旭渋川小学校と改称 あらい新居の沿革 地勢: 矢田川中流右岸 天神川流域に位置する 地名の由来: 地名は水野良春が新しく居を構えたことによるという ( 地名考 ) 荒井 新井とも書く( 尾張志 ) 名所旧跡: 良春の居館址 水野氏ゆかりの寺社 城跡がある 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日井郡新居郷 江戸期は春日井郡新居村 明治 13 年 東春日井郡に所属 同 22 年市制町村制施行により東春日井郡新居村となる 大字は編成せず 明治 39 年 旭村大字新居となる 昭和 23 年旭町 同 45 年からは尾張旭市の大字 ( 旭村 旭町の役場が置かれた ) 一部が昭和 年に南原山町 東栄町 大久手町 旭ケ丘町 北原山町 新居町 東大道町 西大道町 城前町 城山町 旭前町 平子町 柏井町 旭台 東大久手町となる 新居町は 旧 ) 新居村の本郷を中心とした地域 寺社: 神社は 多度大明神 ( 現 : 多度神社 ) 明神 権現 天道 白山 諏訪明神 山之神 ( これらはのち明治 44 年多度神社に合祀された ) 寺院は 臨済宗退養寺 ( 東寺 ) 洞光院( 西寺 ) なお 尾張志 によれば道浄寺があったといい ほかに薬師堂 庚申堂があった 記録 : 徇行記 によれば 池は平池 濁池 山田池 今池 山田下池 一斗ケ池 長池 3 ヶ所 藤池 ヨクケ迫間池 大久手池 今池の近くの館跡は御殿と呼ばれ 藩主の狩猟の際の仮殿があった 明治 6 年魁昇学校設立 ( 同 9 年新葉学校 同 18 年新居学校 ) 明治 39 年鉄道開通で 聾石 新居 平池の 3 駅を開設 昭和 10 年代を中心に陶磁器業関係の工場立地が目立ち 同

36 30 年代以降は名古屋市のベッドタウン化が強まった 昭和 20 年代にかけて小学校 中学校の統廃合や開校が行われた 昭和 47 年あたご保育園開園 同 58 年名古屋女子商科短期大学開校 (3) 天神川の 3 支流 1) ごうくらがわ郷倉川 ( 天神川支流 ) ひがしいんば < 東印場町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 印旛村にあった村の倉庫 郷倉 を表した川名と推察 川の概要: 城山公園あたりを源流に城前町地内を南流し 東印場町と西大道町の境で天神川に注ぐ小川 2) すながわ砂川 ( 天神川支流 ) ひらこひがしいんば < 平子町 東印場町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 印旛村は水害常習地で 村の記録から田畑を侵食し 砂が深く堆積するとあり 砂地 を流れることから付けられた川名と推察 川の概要: 平子町辺りを源流に城前町茅池を南流し 61 号線砂川交差点を経て東印場町地内で天神川に注ぐ小川 3) きたやまがわ北山川 ( 天神川支流 ) いんばもと < 印場元町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 印旛村字 北山 の地名を冠した川名 川の概要: 旭前町西新田 ~ 新田洞辺りを水源に 南流し 天神川に架かる旭橋辺りで天神川に注ぐ小川 北山地名の由来: 文字の通り村の北側にある山の地を表現した地名 さんごう三郷の沿革矢田川中流右岸に位置する 地名は 3 ヶ村が合併して成立したことによる 中世の城址が残る 近代 三郷村: 明治 11~22 年の村名 はじめ春日井郡 明治 13 年からは東春日井郡のうち 井田 瀬戸川 狩宿の 3 ヶ村が合併して成立 明治 22 年八白村の大字となる 近代 三郷: 明治 22 年 ~ 昭和 46 年の大字名 はじめ八白村 明治 39 年旭村 昭和 23 年旭町 同 45 年か らは尾張旭市の大字 農業地域であったが 昭和 10 年以降 陶磁器関連工業をはじめ工場の進出が著しく 人口増加 また 昭和 30 年代を中心に工業地化 住宅地化が進行し 人口はさらに倍増した 同 45 年三郷町 瀬戸川町 井田町 同 46 年狩宿町となる 近代 三郷町 : 昭和 45 年 ~ 現在の尾張旭市の町名 もとは三郷の一部 瀬戸街道沿いを中心として市街地化の著しい地域 昭和 50 年東部老人いこいの家開館 同 55 年の世帯数 603 人口 2,210 一部が同年東栄町 同 年東三郷町 狩宿新町 瀬戸川町となる (4) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 日本地名学研究所複製 いんば 1) 印旛村字名しぶかわむかヱだむかヱばたひがしむこヱばた渋川 向田 向畑 東向畑 吉岡つかつぼにたんだいちりやまこしみず塚坪 弐反田 壱里山 越水 北島ケがほら洞 よしをかみなみじまとりい 南島 鳥居 きたじまほそだきたやましょく 細田 北山 卓 あらい 2) 新居村字名みなみはらやまいしはらあかつちでやしきねのはなくろつちををくて南原山 石原 赤土 出屋敷 根ノ鼻 黒土 大湫まえなかまつばらををくてかみきりとにごりいけしもきりとすはみなみ前 中松原 大湫 上切戸 濁池 下切戸 諏訪南 だまやしきいちのそなるくてひらいけうらおおくぼみむたいけ陀摩屋敷 一ノ曽 鳴湫 平池浦 大久保見 六田池 そかはさまやまのうちはらだめいさいきりかみのたいまいけした曽ケ廻間 山ノ内 原田 明才切 上ノ田 今池下 てらたにしうらやまのたきのもとごたんだむかヱまヱごりんつか寺田 西浦 山ノ田 木ノ本 五反田 向前 五輪塚 まヱたしもだいどうろくべーまえかみたいどうやせの前田 下大道 六兵衛前 上大道 八瀬ノしろまヱながいけしたちがいけつんぼいしやせのき城前 長池下 茅池 聾石 八瀬ノ木しんでんぼらにししんでんひらこえびづる新田洞 西新田 平子 海老蔓 柏井 かしわい きまヱいしかわ木前 石川 にしひろく西 廣久手 いなば 3) 稲葉村字名きたしんでんきたやまあんしょうじまめづかみなみにしのの北新田 北山 安女寺 豆塚 南西野之 森前ながいけごううしろだろくたんだまヱのうヱなかぞね長池 郷 後田 六反田 前之上 中曽根 宮浦しもいひえだはねうちまくちやまはたみなみやま下井 冷田 刎内 間口 山畑 南山 さんごう 4) 三郷村字名いのうえやしたなかきりまヱた井ノ上 屋下 中切 前田 下川原しもんつくりどいしたかわはらた四門作 土井下 川原田 樋越ごうしまにしやまきたしんでん郷島 西山 北新田 て もりまヱいちみち 市道 みやうらみやした 宮下 しもかわらなかたすみたしんでん 中田 角田 新田 といこしじょうのうたはったんた 定納田 八反田 いま 5) 今村字名きつたうちうらなかきたうしろたてらやまいちばながねはらやま吉田 内浦 中北 後田 寺山 市場 長根 原山

37 きょうぼうひくちかわにしをち京保 樋口 川西 落 田端きたわきまごたをいわけ北脇 孫田 追分 たばたよこやまうらやま 横山 浦山 平 ひら 川北 かわきた みののいけ 6) 美濃ノ池村字名みなみたもりこしまヱだ南田 森腰 前田 川田まるねした丸根下 かわたしんめい 神明 なわとりいばたやまの繩 鳥居畑 山之田 た

38 5. 名古屋市守山区 11 の川名もりやま (1) 守山の沿革 < 名古屋市 > 地勢: 矢田川と庄内川に挟まれた丘陵地と低地 地名由来伝: 地名の由来は 地名考 が 続紀に和同三年正月初て守山戸を充て諸山の木を伐ことを禁むとあれば爰も古へ山守を置れたる所歟 と説くが 丘陵や山林の森山のこととの伝承もあって不詳 名所旧跡: 守山区守山の字市場 宝勝寺一帯に守山城跡があり 城跡を示す石碑がある ( 城郭大系 9) 地名の変遷: 古くは山田荘に属していた 戦国期は はじめ尾張国山田郡守山 のち春日部郡守山 江戸期は春日井郡守山村 明治 22 年二城村の大字となる 明治 22 年瀬古村と孝心村合併し 高間村となる 明治 22 年 金屋坊 川 守山 大永寺 大森垣外の 5 ヶ村が合併して二城村成立 明治 39 年 東春日井郡守山町 高間村 二城村 小幡村 大森村が合併 小幡村が小幡となるほかは合併各村の大字を継承して 10 大字を編成 おおもりがいと昭和 19 年 小幡から廿軒家 同 22 年大森垣外から牛牧が起立し12 大字となる 昭和 16 年名古屋市北区 同 28 年旭町と境界変更 同 29 年守山市の一部となり 町制時の 12 大字は同市の大字に継承 役場を守山に設置 町村の大字を継承して 16 大字を編成 市役所は 旧 ) 守山町役場をあて 志段味支所を置く 昭和 38 年 名古屋市守山区となり 当市の 16 大字は同市同区の大字に継承 昭和 43 年金屋 1~2 丁目 守牧町 金屋 1~2 丁目 同 48 年松坂町 城土町 川上町 白沢町 高島町 同 53 年西川原町 鳥神町 新守町 永森町 大永寺町 村前町 村合町 川村町 森宮町 川北町 川宮町 同 57 年天子田 1~4 丁目 原境町 向台 1~3 丁目 同 59 年今尻町 大森 1~5 丁目 弁天が丘 元郷 1~2 丁目 八剣 1~2 丁目 藪田町 脇田町 同 60 年小幡 1~5 丁目 茶臼前 同 61 年本地が丘 同 62 年森孝 1~4 丁目 四軒家 1~2 丁目が起立 同 62 年現在 53 か町 16 大字を数える 寺社: 神社は白山社 浅間 2 社 八幡社 山神 2 社 洲原社 寺院は天台宗白山寺 臨済宗長母寺 見性寺 ( 見寿庵 ) 曹洞宗宝勝寺 竜雲寺 浄土宗誓願寺 のち明治 10 年頃 白山寺 見性寺は廃寺 竜雲寺は宝勝寺に合 併した 明治 9 年の地租改正に伴い それまで入り組んでいた村境も明瞭になったが この時長母寺は矢田村に属することになった 記録: 元禄 10 年徳川光友の長母寺宝篋印塔参詣の際には大森村から橋板を借りて仮橋を架けた 寛政 5 年 守山村宮社御除地書上帳によれば たびたびの水難により枝郷秦江は往古 23 軒程が今 7 軒になり 枝郷大門の 11 軒は明和 4 年に全て流失し 守山城の下に移転したという この明和 4 年の水害で長母寺が本村から切り離されたほか 被害は 350 石余にのぼり 守山村の給人 13 人全てが影響をうけた 明治 8 年宝勝寺に守山学校開校 明治 30 年 ~ 大正 14 年まで歩兵 33 連隊 昭和 3~20 年まで騎兵 3 連隊があった 明治 38 年開通の瀬戸自動鉄道は翌 39 年電化され 町内に昭和初年 7 駅があった また連隊跡には米軍が駐留していたが 昭和 32 年に撤収 同 34 年から陸上自衛隊が移駐 同年の伊勢湾台風では 死者 15 名 家屋の全半壊 1,976 戸 田畑冠水 350ha の被害があった 昭和 46 年 区役所小幡へ新築移転 跡地に守山図書館を新設 角川日本地名大辞典 抜粋 (2) 庄内川の 8 支流 1) しらとりがわ白鳥川 ( 庄内川支流 ) かみしだみ < 上志段味 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上志段味村字 白鳥 の地名を冠した川名 川の概要: 東谷山フルーツパーク下方のため池を水源に北北西に流下し 愛知県立大学守山キャンパス脇を流れため池を経由して 河口の 旧 ) 上志段味字白鳥地内で庄内川に注ぐ渓流 白鳥地名の由来: シラ トリのシラは龍を指し トリは侵食を示唆する すなわち シラトリ川の流域は * 龍が暴れて土砂崩壊を起こす土砂崩壊常習地を意味すると推察される * 広辞苑 シラ Scylla=ギリシャ神話の海の怪物 2) おおやがわ大矢川 ( 庄内川支流 ) かみしだみ < 上志段味 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 上志段味村字 大矢 の地名を冠した川名

39 川の概要: 東谷山フルーツパーク内のため池を水源に北北西に流れ 白鳥塚古墳の脇を流れ白鳥地内で庄内川に注ぐ渓流 大矢地名の由来: オーヤは大谷の好字化と推察される 当地は谷をコクと撥音する風習があるので矢と表記したと推察 かみしだみ上志段味の沿革 地勢: 庄内川左岸 地名由来伝: 志段味の地名は 尾張山 ( 東谷山 ) の峰からしたたる水の幅広く落ちる所からきているといわれる ( 地名考 ) 名所旧跡: 旧石器 縄文 弥生 古墳 ~ 室町の各時代の遺跡や遺物包含地 国史跡で県内最古の時期に属する白鳥塚古墳や東谷山古墳群などがある 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡上志段味村 明治 22 年志談村の大字となる 明治 25 年 分離独立して上志段味村となる 明治 39 年 志段味村上志段味となる 昭和 29 年守山市 同 38 年からは名古屋市守山区の大字 寺社: 神社は勝手明神 八剣大明神 山神の 3 社 勝手明神は南朝の遺民が乱を避けて当村に移り住み 吉野の勝手明神を勧請したものという ( 張州府志 ) 寺院は曹洞宗久岑寺 ほかに庚申堂がある 記録: 雨池 4 ヶ所 ( 大くて池 馬船池 新池 白鳥池 ) があり また 山からの猪や鹿を防ぐために 960 じゅんこうき間の鹿垣土居が築かれていた 徇行記 によれば 地内集落は河原島 上ノ島 羽島 中屋敷 樹木屋敷に分かれている 天保 15 年の村絵図を見ると 寺社 集落は沖積地にあるが こののち庄内川の氾濫を避けて現在地に移転することになる ( 守山市史 ) 昭和 20 年東谷山開拓村ができ 養鶏やブドウの生産にあたる 昭和 55 年東谷山フルーツパーク開園 角川日本地名大辞典 抜粋 3) のぞえがわ野添川 ( 庄内川支流 ) なかしだみ < 中志段味 > 川名の由来: 中流部の 旧 ) 中志段味村字 野添 の地名を冠した川名 川の概要: 森林公園ゴルフ場を源頭にしたため池を 水源に 諏訪神社脇を抜けて上中志段味と中志段味の境を北西に流下し 野添橋を抜けて安川原と天白の境で庄内川に注ぐ渓流 野添地名の由来: ノゾエは表記文字の通り 東谷山の裾野に広がる野原に沿った所を表現した地名と推察 なかしだみ中志段味の沿革 地勢: 庄内川左岸 名所旧跡: 古墳時代から室町期の集落遺跡である天白 元屋敷遺跡と湿ケ遺跡がある 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡中志段味村 以降上志段味村と同じ 寺社: 神社は諏訪大明神 熊野権現社 天王社 山神社 記録: 松山 36 町があり 山からの猪や鹿を防ぐためししがきに 750 間の鹿垣土居が築かれていた 徇行記 によれば 下志段味村ヨリツゝキ四区ニ分ル 江端島 郷島 山島 寺林島ト云 雨池が 13 ヶ所あった 地内南部の平原は諏訪ノ原といい 大森村へ出る山道があった 寛政 4 年の村絵図では沖積地に集落や村社が見えるが 庄内川の氾濫のため のち段丘上へ移転する 明治 41 年諏訪原新田共済会発足 副業として諏訪原新田養蚕組合による生糸生産がある ( 守山市史 ) 昭和 49 年県立守山高校開校 角川日本地名大辞典 抜粋 4) ながとがわ長戸川 ( 庄内川支流 ) しもしだみ < 下志段味 > 川名の由来: 中流部の 旧 ) 下志段味村字 長戸 の地名を冠した川名 川の概要: 滝の水池を水源に 下志段味地内を北西に流れ 町道 15 号線との交点あたりの長戸を経て落合 西島辺りで庄内川に注ぐ渓流 長戸地名の由来: ナガトは表記文字の通り 街道沿いに長く続く家並み表現した地名と推察 しもしだみ下志段味の沿革 地勢: 庄内川左岸 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡下志段味村 明治 22 年志談村の大字となる 明治 39 年志段味村

40 昭和 29 年守山市 同 38 年からは名古屋市守山区の大字 寺社: 小字名に東禅寺 真光寺の名があるが 現在寺はない 神社は八幡社 山之神 記録: 古くは本田 新田ともに出水かかりであったが 享保 7 年上志段味寺裏地内の庄内川に伏越樋管を設け 次に中志段味地内庄内川から取水して本田を灌漑した ( 守山市史 ) また 新田用水のために雨池も造られた 徇行記 によれば 玉野川ノ東ニ農屋建ナラヒ一村立ノ所ニテ竹木ヨク茂レリ 明和 4 年の洪水で玉野川が決壊し 高 180 石余が砂入地となったという 支村にカラス島 池田島 幸原島がある ( 徇行記 ) 明治 40 年 尚善養蚕組合設立 養蚕はその後益々盛んになるが 戦争の激化に伴い食糧増産のため衰え 第 2 次大戦後は兼業化が進んだ 昭和 35 年品川白煉瓦守山工場誘致 角川日本地名大辞典 抜粋 西流し 至来地内で庄内川に注ぐ渓流 至来地名の由来: 庄内川観音寺跡などから トウライは来世を言う 仏語の当来 の好字化した地名と推察される 参考 ) 小学館国語大辞典 とう らい 当来 :( 当然に来るはずの時の意 ) 仏ちぐう語 未来 将来 また 来世 当来世 当来の値遇 ( 仏みろくぼさつ語 ) 来世で弥勒菩薩の出世に会うこと とうらい どうし( タウライダウシ ) 当来導師 : 仏語 来世に出現するという導師 弥勒菩薩をさす 当来弥勒 とうらい みろく( タウライ ) 当来弥勒 : 未来とそつてんに出現するという弥勒菩薩 弥勒菩薩は兜率天に住み 釈迦の入滅後 五六億七千万年を経てこの世に現れ 衆生を教化すると信じられているところからの称 5) ながねがわ長根川 ( 長戸川支流 ) しもしだみ < 下志段味 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 下志段味村の字地名ながね 長根 を冠した川名 川の概要: 順正寺あたりを水源に下志段味長根地内を西南に流れ長戸川に注ぐ小川 長根地名の由来: 地形が改変されているかもしれないが 長根は張り出した長い尾根地形を意味する地名 6) ふかざわがわ深沢川 ( 庄内川支流 ) しもしだみきっこ < 下志段味 吉根 > 川名の由来: 河口の 旧 ) 下志段味村字 深沢 地名を冠した川名 川の概要: 吉根を源頭に 笹ケ根花咲台を湾曲しながら北に流れ 深沢地内で庄内川に注ぐ渓流 深沢地名の由来: 表記文字のとおり 深い沢の地を表現した地名 7) とうらいがわ到来川 ( 庄内川支流 ) きっこ < 吉根 > 川名の由来: 河口の 旧 ) 吉根村字 至来 の地名を冠した川名 川の概要: 階子田地内の山林を源頭に 吉根地内を きっこ吉根の沿革 地勢: 庄内川左岸に位置する 地名由来伝: 地名は桔梗を村民がキッコと呼びならわしたことから 誤って吉根と書くようになったというが ( 地名考 ) 不詳 名所旧跡: 観音寺の寺跡 八幡社の本宮も庄内川近くにある 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡吉根 江戸期しだみは日井郡吉根村 同 22 年志談村の大字となる 明治 39 年志段味村 昭和 29 年守山市 同 38 年からは名古屋市守山区の大字 寺社: 神社は八幡 神明 山神 寺院は天台宗竜泉寺 曹洞宗観音寺 ( 天明 8 年再興 ) 記録: 南のはずれ 丘陵が庄内川にせまる断崖上に天台宗竜泉寺がある 延暦年間最澄の開創と伝える 集落はかつて庄内川近くの低地にあったらしい 現在水田となっている所に 旧家の元屋敷といわれる所が各所にある 観音寺の寺跡 八幡社の本宮も庄内川近くにある いずれも明和 4 年の洪水をはじめ たび重なる水害を逃れて 順次高所に移ったものという 寛文覚書 によれば 雨池 6 ヶ所 ( 柳洞池 本持沢池 武兵池 濁池 釜池上下 北洞池 ) があり 用水は雨池かかりであった 徇行記 によれば 民戸ハ其道

41 ( 名古屋道 ) ヨリ東又ハ北ヘ附五六ケ所ニ散在ス 水害ニ遭シヨリ土ヲ砂入地ヘクリカヘシナトシ 支村には下島 山ノ手島 菩提島 元屋敷 下郷島があった ( 徇行記 ) 明治 8 年神明山の下にトンネルを掘り 庄内川から取水しようとする神明用水の工事に着工 翌 9 年完成 ( 守山市史 ) 第 2 次大戦後は農業離れが進み 兼業化が著しい グリンビュー 名楽苑 県営吉根住宅などの住宅団地も造られ 宅地化が進む 角川日本地名大辞典 抜粋 8) しらさわがわ白沢川 ( 庄内川支流 ) おばたりょくちまつさか < 小幡緑地 松坂町 > 川名の由来: シラは龍が暴れる沢を意味し 流域に土砂崩壊地が多い沢 川を表現した川名 通称 白沢渓谷 と呼ばれている 川の概要: 吉根地内を源頭に 西流し緑ケ池 ハナレ松池を経由して 名古屋第 2 環状自動車道を潜り大きく北に湾曲し 小幡緑地公園内を北流し 川北町地内で庄内川に注ぐ渓流 参考 ) 広辞苑 シラ=ギリシャ神話の海の怪物スキュラとある (3) 矢田川と 2 支流 1) やだがわ矢田川 ( 庄内川支流 ) 川名の由来: 河口の村名 旧 ) 西春日井郡 矢田村 の村名を冠した川名 川の概要: 豊田市藤岡町との分水嶺を源頭に西流し 瀬戸市 尾張旭市 名古屋市守山区 北区を経て庄内川に注ぐ流路長 16,709m の一級河川である 主な支流に赤津川 瀬戸川 香流川 隅除川 守山川などの河川がある 地名の由来: 一説 ) 往時は川辺 ( 谷 ) 沿いに水田耕作がされていた集落 谷田 ( タニダ ヤダ ) が好字 2 文字化され 矢田と表記された地名と推察される 二説 ) もとは谷田で やだとは北隣する山田のまを略したもので 呼び分けたものともいわれる ( 地名考 ) やだ矢田の沿革 地勢: 矢田川左岸に位置する 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡矢田 江戸期は春日井郡矢田村 明治 13 年から西春日井郡に所属 明治 22 年六郷村の大字矢田となる 大正 10 年名古屋市東区矢田町となる 一部が昭和 18 年大幸町 同 21 年北区矢田町 同 54 年東区矢田南 1~5 丁目 古出来 2~3 丁目 出来町 3 丁目 同 55 年東区萱場 2 丁目 同 59 年東区大幸南 1~2 丁目 同 62 年東区矢田東となる 昭和 21 年 ~ 現在の名古屋市北区の町名となる 寺社: 寺院は臨済宗漸東寺 神社は六社大明神 白山社 神明社 記録: 矢田川の南岸 名古屋城下と瀬戸を結ぶ瀬戸街道沿いに集落が発達 街道を挟んで東に東島 西には中島 西島と 3 つの集落があった 用水は大曽根村と共同で大幸村内からとり入れていた 元禄年間の洪水による矢田川の氾濫によって沿岸村々の村域に発生していた飛地などを 明治 10 年整理 このため長母寺を含め 矢田川の南岸は守山村から矢田村となる 2) すみよけがわ隅除川 ( 矢田川支流 ) おばた < 小幡 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 小幡村字 隅除 の地名を冠した川名 川の概要: 東名高速道と尾張旭市との境界が重なる大森北あたりを源頭に 小幡緑地を南西に流下し 大森 2 丁目地点で大きく南に湾曲し 隅除を経て矢田川に注ぐ渓流 隅除地名の由来: スミ ヨケは隅 角を除けた所を表現した地名と推察される 参考 ) 小学館国語大辞典 すみ 隅 角 :1 物や場所の中央でないところ かこまれた区域のかど または端の方 すみっこ 部屋のすみ いきぬ 角を= 入れる [= 切る 抜く ]: 江戸時代 男子が一すみいれがみ四歳になり 角入髪にすること すみぬく 角入髪 よけ 避 除 : よけること 特に 危難をさけるためのまじない また そのためのもの 魔よけ 厄よけ 風よけ 霜よけ 泥よけ など

42 3) もりやまがわ守山川 ( 矢田川支流 ) もりやま < 守山 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 守山村の村名を冠した川名 川の概要: 隅除川の交点辺りから 503 号線沿いに西流れ 30 号線に係る宮前橋付近の宮前橋緑地で矢田川に注ぐ排水路 守山地名の由来: モリ ヤマのモリには [ 森 守 盛 漏 洩 ] などの意があり ヤマには [ 夜摩 山 矢間 ] などの意があるが 監視する森の山 を表現した地名と推察 さまや やま 矢間 :1 矢が立つ隙間 矢の立つ狭間 = 矢 ざま狭間 (4) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 日本地名学研究所複製 かみしだみ 1) 上志段味村かわらどうこうにのわじうもくなかやしきまヱやまををつか川原 道光 二ノ輪 樹木 中屋敷 前山 大塚 羽根かみじまやまのだひがしやまかいととうこくあんかわら上島 山ノ田 東山 海東 東谷 安川原 西浦がわらはねまヱもうちうありずかおおくてした川原 羽根前 茂中 蟻塚 大久乎下 竹ノたけのこし腰 庚申むまあらひふちふかだををやところげほらたてらやま馬洗淵 深田 大矢 所下 潤田 寺山 白鳥かかりいなほったしんでん掛 稲堀田新田 はね にしうらほそ 細こうしん しろとり 青リあをり 参考 ) 小学館国語大辞典 もり 漏 洩 : 水などのもること 水などのもる器物 もり 守 : 監視すること 監視しまもること また その人 番人 島守 野守 など 多く複合語として用いられる もり 森 杜 :1 神社などのある神域で 神霊の寄りつく樹木が高く群がり立った所 2 樹木が多くこんもりと茂った所 もり 盛 :1 盛りあげること また そのものや 分量 2 土器の小さいもの 物を盛るところからいう 3 人と 役割 任務 分担費用 所属集団 乗船などの事物との対応関係をつくること また その関係 その関係を同じくする人または事物の集合 割り当て 割りつけ 配分 配置 なお 衆盛 番盛 船盛など 熟しても用いられる やま 夜摩 :( 梵 YDma の音訳 または梵 SuyDma 須やまてん夜摩の略 善時 時分などと訳す ) 仏語 夜摩天 まえんまた その天の主 = 閻魔 やま 山 :1 地表にいちじるしく突起した部分 高くそびえたつ地形 また それの多く集まっている地帯 山岳 古くは 神が住む神聖な地域とされ 信仰の対象とされたり 仏道などの修行の場とされたりもした 2 墓場 墳墓 山陵 みやま 3 土を盛り 石を積んで1に擬してつくったもの 築山 4 祭礼に出だしかひる山車で 1の形に作った飾り物 舁き山と曳き山とやまほこの二種類がある また 山鉾の総称 5 猪 鹿などを捕らえるために仕掛ける落とし穴 6 遊女 女郎 なかしだみ 2) 中志段味村したてらはやししたじょうのううえてらはやしかにはらあぶらいしからいけのそヱ下寺林 下定納 上寺林 蟹原 油石 唐池 野添 いっぽんぎひかしかいとうさわだてんはくみやうらもとやしきにした一本木 東海道 沢田 天白 宮浦 元屋敷 西田 さいいどながれををやしきふなばさるしんでんにしやまじましけはかまヱ才井戸流 大屋敷 船場 申新田 西山島 湿 墓前 ひがしやまじまほらはたふたつつかからそよせものふじつかにしあらこ東山嶌 洞畑 二ツ塚 可良索 四畝物 藤塚 西荒古 くねのてひがしはらひがしあらこやまだみなみはらををほらくちにしはら曲畦 東原 東荒子 左山田 南原 大洞口 西原 ながねきったほら 吉田洞 長根 しもしだみ 3) 下志段味村しんこうじきたばたはさまながをさおちあいくまだやけだ真光寺 北畑 廻間 長幾 落合 熊田 焼田 前田ひがししんがいにししんがいいけだにしのはらいけだんじけんとう東新外 西新外 池田 西之原 池段寺 剣當先うヱのやまからそこくごめひがししんでんよこづつみながねつくり上之山 唐曽 石米 東新田 横堤 長根 作リ道ながとにごりいけしまのうちかぜごししんばやしきつたあなが長戸 濁池 島之内 風越 新林 吉田 穴ケ洞ながばさまはせ長廻間 生下りさがりみなみあれたきたあれたこだん 南荒田 北荒田 小段 西島じうヱとうぜんじふかざわ寺 上東禅寺 深沢 きっこ 4) 吉根村ひのごふかざわかみしまこしみずささねやまじま日ノ後 深沢 上島 越水 笹根 山島 下江かどた角田 釜ケかまがほらやまをきみぞはたこやまヱかわ洞 山沖 溝畑 小屋前 川 中田とうらいはしごだたいこがねながはさままつほら至来 階子田 太鼓ケ根 長廻間 松洞 まヱだ さき みち ほら にしじましたとうぜん 下東禅 したごなかばた 仲畑 なかたかわだ 川田 もりやま 5) 守山村さらやしきかけまちみなみやまのうえまちきたちゃうすやまやしき更屋敷 欠ケ 町南 山ノ上 町北 茶臼 山屋敷 ひがしやまきたやまいさかいちばだいもんはたえかみながれつかもと東山 北山 井坂 市場 大門 秦江 上流 塚本 くわじまとりはみりうちたかなわばばしもながれかわたにしす桑嶋 鳥羽見 柳内 高縄 馬場 下流 川田 西砂 まくろをべさんををみかどつじみやはさまながいけまヱだ間黒 尾部 山王 三角 辻 宮廻間 長池 前田 みやちとりいををじまばんじょうしまのふじづかにしはさま宮地 鳥居 大島 番城 嶌野 藤塚 西廻間

43 おばた 6) 小幡村すみよけやはぎ隅除 野萩 大坪 ををつぼじゃがしらすぎのきいちのつほねこさくなかい 蛇頭 杉之木 一之坪 猫作 中井 ひしいけををたいふせとかわむこふこぞうめんにしぞうめんた菱池 大田井 伏戸 川向 深河 存命 西存命 田べっとうひがしなえだこかきはなのきおおさきこめのはんのき 別當 東苗田 小垣 花之木 大嵜 米野 半之木ろくひようだごたんだこもしましろしたみやのこしなかををたちよた六俵田 五反田 菰島 城下 宮ノ腰 中太田 千代田 にしををたころくころくまヱなかををたまヱかわさきはったんだ西太田 小六 小六前 中太田前 川嵜 八反田 さんたんだしもたれみやうらにじうけんやちょうえいじしんでんにししんでん三反田 下垂 宮浦 廿軒家 長栄寺新田 西新田 なかしんでんじょうとうなかしままヱ 常燈 中島前 栗ノ木 東島前 御建間 中新田大谷 弐軒家 大清水 北山 山脇 池下 茶臼前 嶽ノ水 小林 東嶋 中嶋 南嶋 西島 切野 西浦市場 浦市場 大屋敷 北島 松葉 北屋敷 沢向 諏訪前 稲荷前 東城 西城 かわむら 7) 川村 ( 二城村 ) こうたこうすにしかはらひかししまやまきはこさかひかしやまかけした高田 鴻巣 西川原 東島 山際 小坂 東山 欠下 かはわきやなきはらこうあいにししまかうたたいもんもとみやしちょう川脇 柳原 村合 西島 川田 大門 元宮 四丁はたいたはし畑 板橋 だいえいじ 8) 大永寺村 ( 二城村 ) はやししろのうちひがしばたみやまヱやなぎどしんぐうてんじんまヱてらまヱ林 城之内 東畑 宮前 柳戸 新宮 天神前 寺前 じゃくねんしもながれををいりひがしじまにしじまうらかわだてらうら若年 下流 大杁 東嶋 西嶋 浦川田 寺後 かめいど亀井戸 おおもりがいと 9) 大森垣外村 ( 二城村 ) かけくちやまやしき欠口 山屋敷 村合はったんだかげぐちにしやま八反田 影口 西山 村前なかやま中山 むらあいきたやしきみやひがしみやにしかわだ 北屋敷 宮東 宮西 川田 むらまヱかなやむらひがしむらきたしろやま 金谷 村東 村北 城山 おおもり 10) 大森村ををしみずやぶたごたんだかけのしたなか大清水 藪田 五反田 欠ノ下 中町田しらはりふなはしひがしじまにしなかじまにししんでん白晴 舟橋 東島 西中島 西新田 壇ノ浦ごぜんほらひがしやまのたきたやつるぎべんてんほらかい御膳洞 東山田 北八剣 弁天洞 階所わきだろくたんだいましりのだあまごだ脇田 六反田 今尻 野田 天子田 下市場ろくがつかじょうのうやまやしきむかヱのたやつるぎ六ケ塚 定納 山屋敷 向野田 八剣 ちょうだもとごうつくた 元郷 附田 だんのうらはちりゅう 八龍 しょくつごさか 沓合坂 しもいちばはらざかい 原境 やた 11) 矢田村ひがしかやばにしかやばみなみさい東萱場 西萱場 南才道いっちょうだ一町田 三ケさんかつぼ坪 馬下はさまひかしまヱなみにし廻間 東前並 西前並とりしんでんてらはたてらにし酉新田 寺畑 寺西 どうきたさいどうををつぼろくしょひがし 北才道 大坪 六所東 むまをろしふくしまだんのうえいしだごたんだ 福島 段之上 石田 五反田 まえなみすみだやなきはらみやまえそんない 角田 柳原 宮前 村内

44 6. 春日井市 44 の川名かすがい (1) 春日井の沿革 地勢: 濃尾平野東部 庄内川右岸に位置する 地名の由来: 郡名 春日井郡 によるという 地名の変遷: 明治 11 年春日井原新田村と長斎新田が合併して春日井村成立 明治 13 年からは東春日井郡 明治 22 年東春日井郡の春日井村 稲口新田 如意申新田の 3 ヶ村が合併して春日井村成立 旧村名を継承した 3 大字を編成 昭和 18 年 勝川町 鳥居松村 鷹来村 篠木村が合併して春日井市成立 合併各町村の大字を継承した 27 大字を編成 昭和 33 年 高蔵寺町 坂下町を合併 また それ以前の昭和 23 年から区画整理などにより新町が設置され現在に至る 昭和 年に春日井町 春日井上ノ町 宗法町 下屋敷町 黒鉾町 四ツ家町 新開町 高山町 西高山町 宮町 中町 西屋町 前並町 大手町となる 記録: 明治 6 年 春日井原新田村に設立された隆旺 ( 盛 ) 学校は一時閉鎖されたが 同 17 年春日井原学校として再開 同 20 年尋常小学春日井学校となる 明治 24 年尋常小学春日井学校は同年濃尾地震で全壊し新光寺で授業再開 のち竜昌寺に移り 同 25 年春日井尋常小学校と改称 同 39 年勝川町の一部となり 村制時の 3 大字は同町の大字に継承 こうしょう昭和 18 年 軍需工場鳥居松工廠 鷹来工廠の操業で 一時的に人口が急増し軍需都市として春日井市誕生 昭和 34 年伊勢湾台風で被害を受けた 同 40 年代から流入人口が増加し 全国屈指の人口急増都市となる 昭和 6 年小牧 ~ 上飯田間にガソリンカーが走り 春日井駅が設置された ( 現 : 名鉄小牧線 ) 同 19 年小牧飛行場建設 同 33 年以来自衛隊基地 名古屋空港の一部となる 角川日本地名大辞典 抜粋 うぐい (2) 鯎川と 8 支流 1) うぐいがわ鯎川 ( 庄内川支流 ) たまのきづきとのはらほその < 玉野町 木附町 外之原町 細野町 > 川名の由来: 魚の名前が川名になるのは大変珍しい うぐい昔は魚の鯎が多く棲息していたことから付けられた川名と思われる 小学館国語大辞典はうぐい ( うぐひ ) 石斑魚 をコイ科の魚 体長約 30cm 産卵期には雌 おいぼし雄とも全身に白色円錘形の小突起 ( 追星 ) を生じ 体側には三条の赤いたてじまが現われる 日本各地に分布し 淡水型と降海型とがある はや あかはら くうぐいうらき と紹介する 愛知県内弥富市に鯏浦町がある うぐひうらうぐい江戸期まで鯏浦村であった 魚の鯎が多くいたと伝わる 川の概要: 細野町大久手池を水源に南流し外之原町 木附町を経て玉野町で中央線を潜り鯎川橋あたりで庄内川に注ぐ渓流で 支流には柿ノ木川 柳川 小木道川 才蔵川 隠山川 新池川 鎌芝川 桃ノ木川の 8 支流がある たまの玉野町の沿革 地勢: 庄内川の右岸に位置し 北隣の外之原村からうぐい流れる鯎川と玉野川 ( 庄内川 ) との合流点にあり 南の玉野川北岸地域に田畑や集落が発達している 集うぐい落の南に玉野川の渡し場があった 中央部に鯎川が流れる 地名の由来伝: 往昔 庄内川の流れが玉の如き清流であったことからとも 周囲に緑の山がありその間に平野があることからともいう 地名の変遷: 南北朝期 ~ 戦国期は尾張国春日部郡篠木荘玉野郷 江戸期は春日井郡玉野村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年玉川村の大字となる 昭和 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日玉野町となる 寺社: 五社神社 御岳神社 臨済宗太平寺 五社神社の祭礼には馬の塔 棒の手が行われ 文政 11 年の検藤流の免許 1 巻などが残る 夏祭りには文政年間頃のからくり人形をもつ山車が練る 記録: 雨池は釜ケ池 山神洞池 鹿ケたいら上池 同下池から鮎の運上銀を出した 昭和 40 年代に高蔵寺ニュータウンの開発が始まるとともに道路などが整備され 次第に宅地化が進行した 2) かきのきがわ柿ノ木川 ( 鯎川支流 ) ほその < 細野 > 川名の由来: 洪水で土砂が浸蝕されて出来た川を表現した川名と推察 カキ ノキは 欠 除 の意にて 洪水で土砂が浸蝕されたことを示唆する

45 川の概要: 多治見市諏訪町との境界峰を源頭に山中うぐいを西南に山中を流れ鯎川に注ぐ渓流 地名の由来: カキノキは欠除の意で 洪水で浸蝕された ( 除かれた ) 土地をいう ほその細野町の沿革もとは春日井市外之原の一部 昭和 34 年に春日井市細野町となる 同 56 年一部が高森台 石尾台となる 3) やながわ柳川 ( 鯎川支流 ) とのはら < 外之原町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 外之原村字 柳 地名を冠した川名 うぐい 川の概要: 春日井砕石あたりを源流に西南に流れ鯎川に注ぐ谷川 地名の由来: 定かでないが字図形が柳の枝葉のように細く曲がっている土地と推察される とのはら外之原の沿革うぐい 地勢: 鯎川上流域の山間部に位置する 南北に貫く中央の谷あいを責川が玉野川 ( 庄内川 ) へ流れ 責川周辺に集落が形成されている たけいなだねのみこと 地名の由来伝: 景行天皇 42 年内津に建稲種命を祀った際 その南方外にあるので外之原と称したとあり ( 内々神社古文書 / 高蔵寺町誌 ) 地名考 にも 内津に対へたるもの歟 とある 名所旧跡: 大久手古墳があり 高蔵寺ニュータウンの開発から石室は玉川小学校側に復元されているが たかつきへんこ昭和 4 年小規模な石室の中に人骨と高坏 偏壺を発見 人骨は発見当時頭部を北にしてほぼ原形を存していたという 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡外原 江戸期は春日井郡外之原村 外原村 外ノ原村 外野原村とも書いた 明治 13 年東春日井郡に所属 明治 22 年玉川村の大字となる 明治 39 年高蔵寺村 昭和 5 年高蔵寺町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日外之原町 木附町 細野町となる 昭和 56 年一部が石尾台 押沢台 高森台となる 寺社 : 社寺は 白山神社 大国主社 臨済宗林昌寺 真言宗延命寺 ( 廃寺 ) 白山神社および八大竜王( かまど神 ) の祭礼には 剣刀流 検藤流などの棒の手 獅子屋台を中心に神楽獅子舞が行われた また篠木合宿で使われた馬の塔の標具が残る 記録: 北に細野 (20 戸 ) 南に木付( 木附 )32 戸の枝郷があった ( 徇行記 ) 角川日本地名大辞典 抜粋 4) をうぎみちがわ小木道川 ( 鯎川支流 ) とのはら < 外之原町 > をうぎみち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 外之原村字 小木道 地名を冠した川名 川の概要: 多治見市諏訪町と境界峰を源頭に西南にうぐい流れ鯎川に注ぐ小川 地名の由来: ヲウギミチはアオギミチ [ 仰道 拝道 ] の意にて 多治見市諏訪町との分水嶺から昇る旭を拝む拝礼の道を表現した地名と推察される 川添いの山中に牛臥大明神が祀られている 5) さいぞうがわ才蔵川 ( 鯎川支流 ) とのはら < 外之原町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 外之村字 才蔵 地名を冠した川名 川の概要: 外之原中公民館の東に在る才蔵古池を水源に西流から大きく南に湾曲し 外之原町地内で鯎川に注ぐ渓流 ウグイ 才蔵地名の由来: サイは 鯎 ゾウは です の意味があり ウグイ川の支流を好字化した地名と推察 参考 ) 小学館国語大辞典 にごいうぐい さい:1 似鯉 の異名 2 鯎 の異名 ぞう( ざう ): 連語 ( に候 の意の にそう の変化 一説に 助動詞とも ) でございます です * 謡曲 自然居士 その舟漕ぐ櫂のことざうよ 6) かくれやまがわ隠山川 ( 鯎川支流 ) とのはら < 外之原町 > かくれやま 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 外之原村字 隠山 地名を冠した川名

46 うぐい 川の概要: 隠山池を水源に西に流れ鯎川に注ぐ小川 地名の由来: 定かでないが この山のおかげで背後の畑の年貢を免れたことに由来すると推察される 7) しんいけがわ新池川 ( 鯎川支流 ) たまのきづき < 玉野町 木附町 > 川名の由来: 江戸時代に作られた新しい溜池 新池 を水源とする川を表現した川名と推察 川の概要: 玉野町と木附町の境界にある二つの溜池うぐいを水源に 西流し鯎川に注ぐ小川 8) かましばがわ鎌芝川 ( 鯎川支流 ) とのはら < 外之原町 > かま 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 外之原村字 鎌芝地名を冠した川名 川の概要: 石尾台あたりを源流に木附町内を南流し うぐい鯎川に注ぐ排水路 地名の由来: カマは魚の頭と胴体の境目をいう カマ と同じで 江戸時代の高蔵寺村と外之村との境にある芝刈り地をいう 鎌芝川は境界を流れる川かもしれない しば 9) もものきがわ桃ノ木川 ( 鎌芝川支流 ) きづき < 木附町 > もも 川名の由来: 川の先端が百に分岐した川を表現したもももも川名と推察 桃は漢数字の百を意味し キは分岐する岐にて 先端が多数に分岐した川を好字 2 字化した川名と推察 川の概要: 航空自衛隊高蔵寺分屯基地と木附町の境を南流し 鎌芝川に注ぐ排水路で 水源が 4~5 に分岐している (3) 繁田と放水路 1) しげたがわ繁田川 ( 庄内川支流 ) てがわおおどめ < 出川町 大留町 > さぎた 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 出川村字 鷺田 地名を好字 2 字化した川名と推察 また新は河川改修後に繁田川に 新 の文字を冠した川名 繁田川の流れさきだる昔の出川村には鷺田地名がある なお周辺の ( 高蔵 寺村 大留村 白山村 気噴村 ) 村の字地名に繁田はない 川の概要: 繁田公園辺りを源頭に南流し 大留町で庄内川に注ぐ小川 鷺田地名の由来: 鷺田の由来は定かでないが 野鳥の鷺が良く見られる水田地帯と推察され 昔は鷺の餌となる小魚など自然豊な環境であったことが想像される 2) しんしげたがわ新繁田川 ( 庄内川支流 ) 繁田川の放水路として繁田川に隣接して 昭和 42 年に設けた人口河川 新繁田川は 高蔵寺ニュータウンを源とし 途中 みあらい身洗川が合流し 庄内川に合流する河川延長約 2.1km 流域面積 3.3 km2の河川で 河道は 0.9km から 1.6km の約 0.7km の右岸が有堤になっているほかは 掘込河道である 河川幅は約 10m 河床勾配は 1/350~1/200 である 河川の整備は 繁田川とともに 高蔵寺ニュータウンの開発に伴う河川改修が 昭和 36 年から昭和 42 年に実施された この河川改修は 高蔵寺ニュータウンの開発に伴い繁田川の流路を途中から南流するように流路を変え 下流において身洗川が合流するように開削する工事で この工事により現在の流路となった たかくらこの改修以前は 河川の東に位置する高座山付近に源を発する身洗川が新繁田川にあたる てがわ出川町の沿革うつつ 地勢: 内津川の下流域に位置する 地名の由来: 地名考 に 此むらの中央平地の所より清水湧出て常に絶ず田井の用水一村これに溢れて余沢隣村に及ぶ 此故に出川の名ありといふ とある いで往昔は伊伝川と呼び その後伊を取って清音で呼ぶようになった 各地に湧水が多く 大清水の小字名がある 名所旧跡:4 世紀末と推定される大塚古墳があった 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡出川 出河 手川とも書く 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年不二村の大字となる 明治 39 年高蔵寺村 昭和 5 年高蔵寺町 同 33 年からは春日井市の大字となる 内津川

47 改修工事が昭和 7 年から同 9 年に行われた 同 34 年 1 月 1 日出川町となる 記録: 安政年間に亜炭が発見され 井戸掘りで掘りあげた黒いくずが燃えたので 井屑 たき火をしていたら黒い岩のようなものが燃えたので 岩木 川から拾ってきたので 川木 などと呼ばれた ( 春日井市史地区誌編 1) 角川日本地名大辞典 抜粋 3) みあらいがわ身洗川 ( 新繁田川支流 ) たかくら < 高座町 > 川名の由来: 定かでないが この川で身を洗い清める儀式が行われていたことを継承する川名と推定される たかくら 川の概要: 高座山 194m の西斜面の二つの谷の一つを源流に 西南に流れ新繁田川に注ぐ渓流 たかくら 高座地名の由来: 高座山は神々が天孫降臨される山であり 縄文人のイワクラ 巌盤 岩倉 信仰の霊山と推察され 五社大明神 山王大権現 燈明山高蔵寺などがある また遺跡も多い これらの事項から この川は身を清める潔斎の儀式が行われた川と推察される こうぞうじ高蔵寺の沿革たかくら 地勢: 庄内川右岸 高座山を中心とする丘陵地に位置する 名所旧跡: 玉野川の東北岸には太鼓岩 竜宮岩などの奇岩が並び 徇行記 には 玉野村ヘ至ル水辺絶景ナリ とある 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡高蔵寺村 明治 13 年東春日井郡の所属 同 22 年玉川村の大字となる 昭和 5 年町制施昭和 33 年 1 月 1 日春日井市の一部となり 町制時の 10 大字は同市の大字に継承 昭和 34 年春日井市高蔵寺町となる 昭和 年に気噴町 高座町 白山町と境界変更 寺社: 神社は 五社大明神社 八幡宮 弁財天 山神 ほかに薬師堂などが見える 記録 : 寛文覚書 雨池は洞口池 弐反田池 風呂か谷池 一ノ沢池 給人池 徇行記 によれば 安政 3 年村の頭百姓卯蔵の提案によって隣村玉野村の用水の分水を願い出て許可を得 工事費 30 両を佐枝氏から借 金して安政 5 年に完成した 江戸後期の村絵図によれば 北方に山が連なり 頂上に高蔵宮 ふもとに承平 3 年創建と伝える天台宗高蔵寺と塔頭の跡が見える ( 春日井市史地区誌編 1) 12 坊あったものが 永禄年間の戦乱のため実相坊のみとなり これが現在の高蔵寺のもととなった 明治 44 年中央本線全通 大正 8 年玉野信号所として開設した定光寺駅が大正 13 年常設の駅になった 明治 41 年高座尋常高等小学校を新設 大正 2 年 ( 一説に同 8 年 ) 愛岐水力電気の発電所設置 また 同 6 年には玉川水力電気が創立し 463 戸が点灯した 同 7 年米騒動が起こる 昭和 16 年陸軍の高蔵寺工廠のため約 121 万坪が買収され 軍需の中心地に一変した 大正 8 年創業の中央窯業に続いて 昭和 8 年創業の近藤工業が生糸を 同 12 年創業の丸福製陶所が碍子を製造した 亜炭の採掘は一層盛んになり 昭和初年には年額約 28 万円に達した ( 春日井市史 ) 明治 33 年中央線高蔵寺駅が開設され 同 35 年名古屋 ~ 中津川間の開通により玉川村の中心的地位を占めたかくらるようになった 昭和 34 年 1 月 1 日高蔵寺町 高座町となる 昭和 36 年愛知用水の通水 同 41 年町の北部に高蔵寺ニュータウンの建設が始まるとバスターミナルができ 住宅地および商店街となった 高蔵寺駅はニュータウンの発展 中央本線の列車本数の増加 さらに同 63 年第三セクターにより開通した愛知環状鉄道のため改築された 角川日本地名大辞典 抜粋 (4) 内津川と 28 支流 1) うつつがわ内津川 ( 庄内川支流 ) うつつかすがい < 内津町 ~ 春日井市地内 > うつつとうげ 川名の由来: 源頭の 内津峠 に由来する川名 川の概要: 岐阜県多治見市との分水嶺 内津峠 を源頭に南流し 22 支流を集めて春日井市桜佐町内で庄内川に注ぐ流路長 13,945m の一級河川 うつ 内津地名の由来: 山稜を越える峠道は地形が空ろ (U うつつとうげ形に抜けた ) になった所を通る この地形を 内津峠 やまとたけるのみことと表現した 大和尊命伝説が内津神社に伝わる 内津峠 は春日井市と岐阜県多治見市の境にある峠 標高 236m 現在は国道 19 号が県境を内津トンネルで越

48 えるが 江戸期は下街道の峠であった うつつ内津の沿革 地勢: 内津川上流域の山間部に位置する 地名の変遷: 室町期は尾張国春日部郡内津 宇津々とも書く 江戸期は春日井郡内津村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年内津 西尾 明知の 3 ヶ村が合併 内津村の大字となる 明治 39 年坂下村 昭和 3 年坂下町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日内津町となる 寺社: 神社は式内社内々神社 尾張で最も古いといみこしとぎょわれ 篠木 33 ヶ村の総鎮守である 祭礼に神輿渡御があり 水野代官所から代官が出張してきたという 寺院は天台宗妙見寺 曹洞宗見性寺 妙見寺は内々神社の神宮寺 角川日本地名大辞典 抜粋 2) うつつかみまちがわ内津上町川 ( 内津川支流 ) うつつ < 内津町 > かみまち 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 内津村字 上町 の地名を冠した川名 川の概要: 国道 19 号線北山トンネルあたりを源頭に 南に流れ内々神社門前を経て旧道に沿って流れる内津川に注ぐ渓流 上町地名の由来: 内津村は内津川の上流から上町 中町 下町 北山 南山 清水の 5 区画の字地名が付けられ 上町は一番上流に位置する区画 3) きたやまがわ北山川 ( 内津川支流 ) うつつ < 内津町 > きたやま 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 内津村字 北山 の地名を冠した川名 川の概要: 国道 19 号線内津サービス脇の池を水源に南流し 妙見稲荷社の門前を流れて内津川に注ぐ渓流 北山地名の由来: 表記文字のとおり 村の北方に在る山の所を表現する地名 4) しみずなかほらがわ清水中洞川 ( 内津川支流 ) うつつ < 内津町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 内津村字 清水 地名を冠した 清水地内の真ん中の洞 ( 谷川 ) を表現し た川名と推察 川の概要: 土岐川との分水嶺を源頭に渓谷を西に流れ見性寺の脇を流れて内津川に注ぐ谷川 5) ごかむらがわ五ケ村川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > 川名の由来: この川の水源である五ケ村溜池は 五つの村が共同で作ったことを継承する川名と推察される 川の概要: 五ケ村池を水源にオールドレイク GC コースを南流し 19 号線を潜って内津川に注ぐ渓流 さいを 地名の由来: 五ケ村とは 西尾村と内津川下流部の村々と想像されるが不詳 さいを西尾村の沿革うつつ 地勢: 内津川最上流域の山間部に位置する 地名の由伝: 日本武尊の伝説から馬の尾が西方を向いたからとも 山の尾根が西方に連なっていることによるともいう 寛文 9(1669) 年頃の雨池は岩かね池と記述されている 地名の変遷: 明治 22 年東春日井郡内津村の大字となる 明治 39 年坂下村 昭和 3 年坂下町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日春日井市西尾町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 6) しらかわ白川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > さいをしらかわ 川名の由来: 旧 ) 西尾村の字地名 白川 を冠した川名 川の概要: オールドレイク GC コース内の池を水源に南流し 日吉神社近くで内津川に注ぐ渓流 地名の由来: シラカワは竜が暴れ土石流が多く発生する川名で 恐らくこの白川の流域も崩壊地が多かったと推察される 7) いもじほらかわイモジ洞川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > さいをほら 川名の由来: 旧 ) 西尾村の字地名 イモジ洞 を冠した川名 川の概要: 明知町との境界付近を南流し 日吉神社

49 の門前を経て 19 号線を潜って内津川に注ぐ渓流 イモジ洞地名の由来: イモジは 村外れの所 に在る洞を意味する地名用語 8) あぜちほらがわ畔地洞川 ( 内津川支流 ) あけち < 明知町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 明知村字 畔知洞 地名を冠した川名 川の概要: 明知町企業団地の東側を南流し 19 号線を潜り明知町内で内津川に注ぐ谷川 畔知洞地名の由来: 畔知洞は畔地洞にて 田畑の畔のように村の端にある洞を表現した地名と推察される 9) にしほらがわ西洞川 ( 内津川支流 ) あけちかぎや < 明知町 神屋町 > にしのほら 川名の由来: 源流部の 旧 ) 明知村字 西之洞 地名を冠した川名 川の概要: 明知町企業団地の北側を源頭に南流し 内津川に注ぐ谷川 西之洞地名の由来: 表記文字のとおり明知町の西側に位置する洞 ( 谷地形 ) の所を表現した地名と推察 10) すぎほらがわ杉洞川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > 川名の由来: スギはすき [ 漉 抄 ] に通じ 恐らく大雨で土砂が漉き取られ ( 浸蝕されて ) 出来た洞川と推定される 川の概要: 内津町と西尾町の境を西に流れ内津川に注ぐ細流 11) いわがねがわ岩ケ根川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > さいをいわかね 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 西尾村字 岩ケ根 地名を冠した川名 川の概要: 廻間町と西尾町との境界尾根を源流に 西尾地内を西に流れ内津川に注ぐ谷川 岩ケ根地名の由来: 表記文字のとおり 岩尾根 の所を表現した地名と推察される 12) こまがえりほらがわ駒返洞川 ( 内津川支流 ) さいお < 西尾町 > こまかえ 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 西尾村字 駒返り 地名を冠した川名 川の概要: 西尾町地内を西に流れ 安祥寺の門前を流れ 19 号線で内津川に注ぐ小川 駒返り地名の由来: 馬も引き返すほど険しい崖地形の洞を表現した地名と推察 13) あまがほらがわ尼ケ洞川 ( 内津川支流 ) あけち < 明知町 > あまがほら 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 明知村字 尼ケ洞 地名を冠した川名 はざま 川の概要: 廻間町との境界尾根を源頭に春日井球場まで西流し 南に湾曲し明照寺辺りで寺洞川と合流し明知町内で内津川に注ぐ小川 あまがほらはざま 尼ケ洞地名の由来: アマガホラは天ケ洞にて 廻間村の境界尾根を好字化した地名と推察される あけち明知の沿革うつつ 地勢: 内津川上流域の山間部 地名の由来伝: 日本武尊が東征の際当地の辺りで夜が明け始めたことからという 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡明地村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年内津村の大字となる 明治 39 年坂下村 昭和 3 年坂下町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日春日井市明知町となる 記録 : 寛文覚書 によれば 雨池は雨堤池 西洞新池 平堤池 いもじや池 徇行記 によれば 下街道に沿って信州から往来する小荷駄牛馬宿 ( 牛宿 3 馬宿 4) があった 御留藪 6 ヶ所 雨池 6 ヶ所 寺社: 鎮守は西尾村にある日吉神社 寺院は 曹洞宗明照寺 ( 明知庵 ) 真言宗光明院 光明院南の小高い岡に安政 6 年建立の廿二夜の石碑があり 明治期から大正期に近村まで知られ 明知のにじゅうにや廿二夜様 という名鉄バス停もあった 角川日本地名大辞典 抜粋

50 14) てらほらがわ寺洞川 ( 内津川支流 ) あけち < 明知町 > 川名の由来: 寺院 ( 明照寺 ) の入り口を流れる洞から附けらた川名と推察 川の概要: 尼ケ洞川の南を流れる洞川で 尼ケ洞川に平行して西流し 洞の入り口に建つ寺院の門前を経て尼ケ洞川と合流し 内津川に注ぐ小川 15) くろすけがわ黒助川 ( 黒助洞川支流 ) あけちかぎや < 明知町 神屋町 > 川名の由来: 明知村の端っこ ( 隅 ) を流れる谷川から付けられた川名と推察される はざま 川の概要: 寺洞川の南を流れる川で 廻間村の境界尾根を造成し各種学校施設などが集まる学園団地を水源とし 明知村と神屋村の境界を西に流れ内津川に注ぐ準用河川 16) くろすけほらがわ黒助洞川 ( 墓枝洞川支流 ) かぎや < 神屋町 > 川名の由来: 黒助川と対の洞で いずれが本流か 明知村の端っこの洞川 ( 谷川 ) を表現した川名と推察 川の概要: 学園団地を水源とし神屋村地内を西に流れ 字北海道 で北に湾曲し 坂下中学校あたりで再度西へ曲がり墓枝洞川に注ぐ谷川 黒助地名の由来: クロは 隅 スケは 谷間 洞は 谷沢地形 を意味すると推察される 17) はかえだほらがわ墓枝洞川 ( 内津川支流 ) かぎや < 神屋町 > 川名の由来: 内津川に合流する直前に黒助洞川など 多くの枝川を集める 計枝 を好字化した川名と推察される 川の概要: 愛知学園の建つ山と春日井東高校が建つ山の谷間を西に流れ 県道 508 号線辺りで大きく北へ湾曲し 坂下中学あたりで西に曲がり坂下中学脇を経て 河口で黒助洞を集め内津川に注ぐ谷川 参考 ) 小学館国語大辞典 1. はか 計 量 果 捗 :1 稲を植えたり刈ったり また 草を刈ったりする時などの分担範囲 かりば か 2 目あて あてど はかり * 源氏物語 浮舟 からをだに憂き世の中にとどめずばいづこをはかと君も恨みん 3 仕事などの進みぐあい はかどり い 果が行く : 仕事などが順調に進む 効果があがる はかどる 果もなし:( これといったあてもないの意から ) はかない たよりない 2. えだ 枝 肢 :1 草木の芽の幹 茎から分かれて生長した部分 2もとから分かれ出たもの 分派したもの また そのような形をとったもの 人や獣の手または足 四肢 ( 1から転じて 手足のように四方に延び広がるという意から ) 一族 子孫 やから うから 3 本来の意義から別れた考え 異説 えだみち 3. 枝道の略 [ 接尾 ]1 木の枝を数えるのに用いる かご 2 木の枝につけた贈り物を数えるのに用いる また籠や長持に入れた贈り物を数えるのに用いられる場合もある * 大和物語 三 捧げ物 一えだせさせてたまなぎなたへいへ 3 薙刀を数えるのに用いる 柄 4 扇を数えるのに用いる 枝さす 枝が芽ばえ伸びる * 万葉集 213 こちごえださせるちに枝刺有ごと 5 樹木が立ち並ぶ なろんこう 枝を鳴らさず :( 論衡 に 太平之世 五日一風 十日一雨 風不レ鳴レ条 雨不レ破レ塊 とあるところから ) 世の中が治まって平和であることのたとえ 18) おたがほらがわお多賀洞川 ( 内津川支流 ) かぎや < 神屋町 > 川名の由来: 多賀神社の名を冠した川名と推察される 今は無いが 往古に滋賀県の 多賀神社 がこの地に奉られていたかも 川の概要: 神屋町の山林を源流に 西流し観音寺脇を流れて内津川に注ぐ谷川 19) ひきさわがわ引沢川 ( 内津川支流 ) かぎや < 神屋町 > ひきさわ 川名の由来: 河口の 旧 ) 神屋村字 引沢 地名を冠した川名 川の概要: 犬山市との境界峰を源頭に南流し 明知町地内を経て神屋町引沢にて内津川に注ぐ

51 引沢地名の由来: 明知町から神屋町に導水されたように見える沢を表現した地名と推察 地名の由来: 表記文字のとおり犬山市との境界峰より南東側に傾斜した山裾の地を表現した村名と推察 20) かみやがわ神屋川かぎや < 神屋町 > 川名の由来: 旧 ) 神屋村を南北に縦断する川であり 旧 ) 神屋村の名を冠した川名 川の概要: 神屋向集会場あたりを源流に八幡神社を経て 19 号線に沿って神屋町地内を南流し 萬寿寺あたりで内津川に注ぐ 神屋地名の由来伝: 鉤の地形と日本武尊が東征の際足を留めたという伝説による カミヤは 上谷 の好字化と推察される かぎや神屋町の沿革うつつ 地勢: 内津川中流域から上流域にかけて位置する 地名の由来伝: 鉤の地形と日本武尊が東征の際足を留めたという伝説による 名所旧跡: 御手洗宮の小祠がある 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡神屋村 加木屋村とも書いた 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年神坂村の大字となる 明治 39 年坂下村 昭和 3 年坂下町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日神屋町となる 寺社 : 神社は 八幡 熊野権現 村神 大日 弥勒 山之神 4 寺院は 曹洞宗観音寺 ほかに庚申堂があった 記録: 昭和 36 年愛知用水が完成 同 42 年神屋団地 同 46 年ネオポリス 同 51 年かすが台などの住宅団地が丘陵地に建設され 急激に人口増加した 昭和 43 年愛知県心身障害者コロニー 同 53 年県立春日井東高校開設 角川日本地名大辞典 抜粋 21) さかしたがわ坂下川さかした < 坂下町 > さかした 川名の由来: 川が流れる村名 坂下村 を冠した川名 川の概要: 坂下 6 丁目あたりを源流に坂下町内を南東に流れ 199 号線と内津川が交差するあたりで内津川に注ぐ準用河川 さかした坂下町の沿革うつつ内津川上流域の山間部に位置する 東側を和泉村 西側を一色村といった 地名考 に和泉 一色の 2 村を合わせて坂下宿と呼ぶとある 地名の由来: 尾張藩祖徳川義直の建てた狩宿 ( 坂下御殿 ) 取壊しの際下された 寛永 14 年の坂下新町居屋敷取立免許状 ( 伊藤善仁氏蔵 ) が坂下の初見である これにより 3 月 7 日 ( 今は 4 月第 1 日曜日 ) の義直の命日に 坂下御殿跡で源敬 ( 義直の諡名 ) さままつりが行われている 地名の変遷: 明治 11 年和泉村と一色村が合併して春日井郡坂下村となる 明治 13 年からは東春日井郡坂下村 明治 22 年内津村と合併し神坂村の大字となる 昭和 3 年 町制施行坂下町となる 昭和 33 年 1 月 1 日春日井市の一部となり 町制時の 7 大字は同市の大字に継承 昭和 34 年 1 月 1 日春日井市坂下町となる 記録: 明治 13 年万寿寺に明治天皇 民家に三条実美 伊藤博文 山田顕義ら 450 余人が昼食休みをとった 昭和 34 年 ~かすが台などの団地が東西の丘陵地に建設され 住宅地となった 旧下街道沿いの坂下商店街の共同店舗も国道 19 号と高蔵寺ニュータウンと結ぶ白山線沿いに建ち 官公庁も移転し新しい町並みが出来つつある 昭和 54 年坂下小学校から神屋小学校が独立 角川日本地名大辞典 抜粋 22) おおたにがわ大谷川 ( 内津川支流 ) はざま < 廻間町 > おおたに 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 廻間村字 大谷 地名を冠した川名 川の概要: 築水池を水源に廻間町内を南流し 途中で奥山洞川 東大谷川を集め内津川に注ぐ 流路長 2,891m の一級河川 大谷地名の由来: 表記文字のとおり大きな谷が在る所を表現した地名

52 23) おくやまほらがわ奥山洞川 ( 大谷川支流 ) はざま < 廻間町 > おくやま 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 廻間村字 奥山 地名を冠した川名 川の概要: 県立春日台養護学校と県愛知警察学校の間にある洞 ( 谷 ) を南に流れ 大谷川に注ぐ谷川 奥山地名の由来: 明知村 神屋村との境界尾根を指して廻間村は 奥の山 と表現した 24) ひがしおおたにがわ東大谷川 ( 大谷川支流 ) はざま < 廻間町 > 川名の由来: 大谷川の東側を平行して流れることから付けられた川名と推察 川の概要: 高森台を水源に大谷川と平行して南流し しもみしんでん字 下己新田 で大谷川に注ぐ はざま廻間の沿革うつつ 地勢: 内津川支流大谷川流域の山間部 きょうあい 地名の由来伝: 地名は狭隘な地であることによる ( 地名考 ) 名所旧跡: 廻間古墳群が発見された 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡ハサマ 江戸期は春日井郡廻間村 迫間村とも書いた 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年神坂村の大字となる 明治 39 年坂下村 昭和 3 年坂下町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日廻間町となる 昭和 56 年一部が藤山台 高森台となる 寺社: 鎮守は岩船大明神 寺院は曹洞宗宝珠寺 記録 : 寛文覚書 によれば 井関 1 ヶ所 雨池は宮のうかんよぎょう脇池 とゞめき池 山ノ田池 9 徇行記 に農間余業 に山稼ぎをする者多く 薪を小牧の市に出し また馬ひ稼ぎで下街道の荷物を名古屋へ継送し 名古屋から枯うお魚 塩などを濃州高山などへ送ったという 水不足のため溜池が多く なかでも明治 35 年造成の築水池は広大 角川日本地名大辞典 抜粋 25) うつつがわほうすいろ内津川放水路てがわおおどめ < 出川町 大留町 > 川名の由来: 内津川を分流させて庄内川へ放流することから付けられた川名 川の概要: 松本町と出川町の境で新しく水路を掘削し 大留町地内で庄内川に放流する 東部丘陵地の流域開発に伴い 下流域の能力不足解消 浸水被害の軽減を目的に 中流部の出川橋上流で分派し 庄内川の東名高速上流へ放流する放水路 昭和 56 年度より事業採択 大留下 出川中部土地区画整理事業の中から公共施設として用地を生み出され 人々が水と緑の憩える場 豊かな自然と触れあえる場 を理念に県内最初の ふるさとの川モデル事業 として事業が行われた 平成 3 年 9 月 18 日 19 日にかけての集中豪雨により内津川が破堤し 春日市市街地を中心に甚大な被害が発生した 平成 4 年より都市河川内水対策特別緊急事業に採択を受け 事業が加速され平成 9 年完成した おおどめ大留町の沿革 地勢: 庄内川右岸に位置する 起伏の少ない低地であるため古くから水田開発が進められてきた 名所旧跡: 上大留村と下大留村が合併して成立 上大留村と下大留村の境界に弘法堂がある もとは まわり弘法 であったものを 明治 4 5 年頃村境に安置したといい 遠くからの参詣者も多かったという 地名の変遷: 戦国期は尾張国春日部郡大留 明治 22 年雛五村の大字となる 明治 39 年高蔵寺村 昭和 5 年高蔵寺町 同 33 年からは春日井市の大字 昭和 34 年 1 月 1 日大留町となる 記録: 昭和初期までは桑園が多く養蚕が盛んで 製糸工場もあった 明治 33 年中央線が開通し 高蔵寺に停車場が開設されてからは高蔵寺方面との関わりが強まった 昭和 40 年以降人口は増加しつつあり 区画整理により市街地が形成されている 角川日本地名大辞典 抜粋 26) じぞうがわ地蔵川 ( 内津川支流 ) だいせんじ < 大泉寺町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 大泉村の字 石佛 を地蔵に言い換えた川名と推察 川の概要: 地内の金ケ口池を水源に南西に流下し 東名高速道を潜り 下市場町地内の林島樋管で分流させ 一部は庄内川に 一部は新川に流域変更した一級河川

53 春日井市の市街地及び地蔵川流域の浸水被害軽減を目的に 関田町上流域からの流出量全部を 内津川を経て庄内川へ放流する河川である 昭和 55 年より着手し内津川下流の JR 中央線橋梁の改築とショートカットを行い 平成 19 年に完成にしている 地蔵川は春日井市の中央部を流れ 八田川を伏せ越し ( サイフォン ) でくぐりぬけている 地蔵地名の由来: 石佛の地蔵が祀られている所を表現した地名と推察 この川は文永年間 (1265~1275) 川の中から地蔵尊が発見されたので地蔵川と名づけられた その地蔵尊を祀ったのが地蔵寺 27) じぞうがわほうすいろ地蔵川放水路かすがい < 春日井市 > 下流部の洪水の軽減を図るため 林島町でショートカットし 内津川に合流する放水路 春日井市に位置する内津川は 名古屋市のベッドタウンとして高蔵寺ニュータウンなどの大規模な宅地開発などによる市街地の進展に対応するために 内津川放水路が計画され 平成 9 年度に完成した また 水害が頻発する地蔵川 新地蔵川の被害軽減を目的に 地蔵川放水路が平成 21 年度に完成した 28) しんじぞうがわ新地蔵川かすがい < 春日井市 > 現在の八田川は 合流点より約 1km 地点で新地蔵川じぞうと交差している これは 地蔵川が従来低平地の排水を集め八田川とともに庄内川に合流し 庄内川の出水に会えば排水ができなくなり 内水氾濫が発生していしんじぞうたため 新川まで新水路 ( 新地蔵川 ) を開削して抜本的に氾濫の被害を除去する工事により 現在の河道形状となった この工事は愛知県が実施し 昭和 32 年に新地蔵川の開削に着手し 昭和 43 年に概成した 29) だいせんじがわ大泉寺川 ( 地蔵川支流 ) だいせんじ < 大泉寺町 > 川名の由来: 川が流れる 旧 ) 大泉村の名を冠した川名 川の概要: 大泉町地内の鋏池 奥池を水源に東南に流れ 国道 19 号線を潜り 南々西に曲がり東名高速道 辺りで南にジグザグに曲がり 地蔵川に注ぐ準用河川 大泉寺地名の由来: 今は無いが 往古に金剛山大泉寺のあった所と伝承される だいせんじ大泉寺の沿革うつつ 地勢: 内津川下流右岸に位置する 地名の由来伝: 尾張志 に 此地にむかし金剛山大泉寺という禅刹ありしが 同郡池之内村に移しかばその跡を開墾して大泉寺新田と名つく とある 寺跡は潮見坂墓地公園となってわからないが古瓦 石などがあり 火災で焼失したあと退休寺の建立で移転再建を余儀なくされたという 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡大泉寺新田村 大泉寺新田とも称した もと出川村の一部 承応 2 年同村から分村して成立 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年小木田村の大字となる 明治 39 年篠木村 昭和 18 年からは春日井市の大字 一部が昭和 23 年 残余は同 28 年 1 月 1 日に大泉寺町となる 昭和 28 年大泉寺新田を編入 同 58 年一部を東野町に編入 寺社: 神社は八幡社 寺院は浄土宗退休寺 正保年間藩士小野沢五郎兵衛の隠居所として建立 元禄 8 年寺領 30 石を与えられた 門前に助けの井戸があり 五郎兵衛が街道で倒れた女の旅人の霊を慰めるために掘らせたもので 水不足の時でもかれないという ( 春日井市史地区誌編 2) 記録: 明治 24 年の土地利用図では丘陵の大部分が山林で 南西部の水田はいくつかの溜池によっている 集落は旧下街道沿いに見られ その周囲は畑地 その後山林が切り開かれ桑畑となったが 養蚕の衰退でモモ ブドウ カキなどの果樹園となった 馬車組合が安全を祈って立てた馬頭観音が処々にみられた 昭和 41 年潮見坂墓地 ( 平和公園 ) の第一期完成 同 43 年県立春日井商業高校の開校 国道 19 号バイパス ( 現 : 国道 19 号 ) の部分開通と開発が進む 一方 昭和 30 年に開設された養護老人ホームを同 55 年改築 同 59 年デイ サービスセンター開所 角川日本地名大辞典 抜粋 しもいちば下市場の沿革うつつ 地勢: 内津川下流域に位置する

54 地名の由来: 古老の話によると馬市が立ち 西の方を下の市場 東の方を上の市場と呼んでいたからという 郷倉のつまに馬の紋のあるのはそのことを伝えるというが不詳 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡下市場村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年小木田村の大字となる 明治 39 年篠木村 昭和 18 年からは春日井市の大字 昭和 23 年下市場町 金ケ口町 十三塚町 篠木町 浅山町 同 28 年 1 月 1 日十三塚町となる 同 56 年一部が北城町になる 寺社: 神社は神明社 大明神社 寺院は曹洞宗慈眼寺 開基は梶田繁政 記録 : 寛文覚書 によれば 雨池に かなか口池 大清水池 徇行記 によれば 枝郷に四ツ谷 低地は水田が広がり微高地は畑となっていた 下街道 ( 現 : 県道内津勝川線 ) は昭和 30 年代に道筋を南方に移し 沿道に住家や商店も建てられた 同 58 年東部中学校から南城中学校が分離独立した 角川日本地名大辞典 抜粋 (5) 八田川と 2 支流 1) はったがわ八田川 ( 庄内川支流 ) かちがわ < 勝川町 > はったしんでんはった 川名の由来: 江戸時代に開発された八田新田村 八田よきちしんでん与吉新田村に由来する川名と推察 川の概要: 小牧市内を流れる 定銀洞川 を水源に南流し 浅宮公園で 生地川 を集め勝川町地内を経て御幸本町地内で庄内川に注ぐ 流路長 11,574m の一級河川 春日井市追進町あたりで地蔵川と合流し庄内川に流れていたが 庄内川の洪水量を減らすため八田川と分離し地蔵川を暗渠で潜らせ 新地蔵川と名を改め新川に流域変更する改良工事が行なわれた はりた 八田地名の由来: ハッタは墾田の意で 江戸時代に新しく開墾した地を言う はったしんでん 八田新田村の沿革 地名の由来: 愛知郡八田村の清右衛門によって開発されたことによる 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡八田新田村 もと上条村の一部 延享 3 年縄入れされてのち同村か かにらら分村したと思われるが不詳 明治 11 年和爾良村の一部となる 記録: 明暦年間頃 清右衛門によって開墾されはじめ その後美濃国加茂郡曽原村から甚右衛門がやってきて協力して開拓し 寛文 4 年新木津用水が竣工してから開発が進んだ 角川日本地名大辞典 抜粋 はった八田 よきちしんでん 与吉新田村の沿革 地勢: 八田川下流左岸に位置する 地名の変遷: 江戸期は尾張国春日井郡八田与吉新田村 明治 13 年東春日井郡に所属 同 22 年柏井村の大字となる 同 39 年勝川町柏井となる 記録 : 徇行記 によれば 八田新田の次の項に記されているが同新田との関係は不詳 享保 12 年縄入とあり 用水の便の悪い村であった 明治 33 年中央線が開通し 勝川駅の開設により当地も住宅が増加 角川日本地名大辞典 抜粋 2) じょうねほらがわ定根洞川 ( 八田川支流 ) おおくさ < 小牧市大草町 > じょうねほら 川名の由来: 小牧市の大草村の字地名 定根洞 を冠した川名 八田川の最上流部の川名で 本来は八田川に統一されるが 行政区画が異なるので大草村の字地名から定根洞川とした 定銀洞川は字地名 定根洞 の転訛あるいは誤記か? 川の概要: 大山水系との分水嶺を源頭に小牧市大草町地内を南東に流れ八田川と川名を変える 地名の由来: 当郷は鎌倉円覚寺領であったので 字地名 定根洞 も仏教語の五根の一つである じょうこん参考 ) 定根 : 仏語 五根 ( または五力 ) の一つ 禅定のこと 禅定は煩悩をおさえて悟りに向かわせる働きがあるから根という 小学館国語大辞典 3) いくじがわ生地川 ( 八田川支流 ) おおくさひがしの < 小牧市大草町 春日井市東野町 > 川名の由来: 村名は変遷して不詳 定かでないが 当地は新田開発が盛んに行われた地域であり 手が加わっていない生地のままの字地名 生地 を冠した川名と推察される

55 川の概要: 源流の小牧市大草町から南流して春日井市東山町に入り六軒屋町で八田川に注ぐ 流路長 2,398m の一級河川 地名の由来: きじ 木地 生地 素地 : 生地 素地 古くは 木地 とも 手を加えない自然のままの性質 状態 生まれつきの性質 もともとの性質 状態 と紹介される 小学館国語大辞典 ひがしの東野町の沿革昭和 23 年 ~ 現在の春日井市の町名 もとは春日井市八幡の一部 江戸期に開拓が始まった地 昭和 58 年西島町 南下原町 六軒屋町 十三塚町 大泉寺町 下原町の各一部を編入 同年一部が東野新町となる 角川日本地名大辞典 抜粋 さいぎょうどう (6) 西行堂川と 4 支流春日井市上田楽町から小牧市の南西部にある南外山にかけて大山川の支流にあたる西行堂川がある ももやまこの河川は 1) きたやまがわ北山川 < 桃山町 > たらが 2) いけだがわ池田川 < 田楽町 > 3) おおてがわ大おおでしんかい手川 < 大手町 > 4) うしやまがわ牛山川 < 新開町 > の 4 つの支流を抱えている この西行堂川は 小牧市南西部で大山川と合流し 北名古屋市南部と名古屋市北区との境で 合瀬川に合流した後 新川へ注ぐ さいぎょうどうこのため 西行堂川と 4 支流 については 次号しんかわ予定の庄内川水系新川で紹介することにしたい (7) 明治 15 年東春日井郡町村字名調 日本地名学研究所複製 とのはら 1) 外之原村かくれやまつかあなうえひらどうのすかままエいのくちなかた隠山 塚穴 上平 堂ノ須 釜前 井之口 中田 みやうしろかましばろくとむましんでんいしををしざはむかえたさいぞう宮後 鎌芝 六戸 午新田 石尾 押沢 向エ田 才蔵 をうぎみちやまばたにしやしきさかのしたまヱだにしでやなぎはんの小木道 山畑 西屋敷 坂之下 前田 西乎 柳 半廼きををくて木 大久乎 まヱひら前平 大平 ををひらヱのきつぼ 榎坪 うつつ 3) 内津村かみまちなかまちしみずきたやまみなみやましもまち上町 中町 清水 北山 南山 下町 あけち 4) 明知村あぜちほらかみのださいをぐちやまのだ畔知洞 上之田 西尾口 山之田 鳥ケからすがたんあまが段 尼ケ洞しやうのたじゅうはちわりしょうじにしあつかねひがしあつかね庄之田 十八割 障子 西厚金 東厚金 桐野ほらふじしんでんなかしんでんさんげんやひきさわとんめいにし洞 富士新田 仲新田 三軒屋 引沢 頓明 西追分 さいお 5) 西尾村むらかみたんぼ村上田圃 西之浦にしばんば西番場 向新田 ほら きりのにしの 西之をひわけ にしのうらなかのしままヱしんでんこま 中之嶌 前新田 駒返りかヱりばんば 番場 むかヱしんでんいわかねかけのしたしらかわほら 岩ケ根 欠ノ下 白川 イモジ洞 かみや 6) 神屋村ひきさわしんでんををとりきたごうみなみごうむらかみてらひがしにしまつ引沢 新田 大酉 北郷 南郷 村上 寺東 西松ばひがしまつばかいどうもりをこしみやまえむかえばたくまのうえ葉 東松葉 海道 森 越 宮前 向畠 熊野上 じふくみやのうえやきやまほそくちながさかををうちだんのうヱたま地福 宮之上 焼山 細口 長坂 大内 段之上 玉ばたそのををやしきかみとくちしもとくちみたらし畑 園 大屋敷 上戸口 下戸口 御乎洗 さかした 7) 坂下村ををねみやうらきたの大根 宮浦 北ノ街道みやまヱ宮前 十人上納はちまんまヱじんでんはやし八幡前 神田 林浦 かいどうををしんでんしもたれかみまちいしきごう 大新田 下垂 上町 一色郷 じゅうにんじょうのうさるしんでんしもまちひがしやしきすぎもり 申新田 下町 東屋敷 杉森 うらせんじ 善師 はざま 8) 廻間村やまのたとくらごたんだしもすぎもりひがしなかた山ノ田 戸倉 五反田 下杉森 東中田 間瀬口しんでんかみみしんでんいしがめしんがいなかやしきかみすぎもりうら新田 上巳新田 石亀 神谷 中屋敷 上杉森 浦屋敷かみしんでんひがしやしきじぞうまヱををほらかみやほらおちじゅう上新田 東屋敷 地蔵前 大洞 神屋洞 落重 東出はまいばうしろのたあさがほらひがしかみたにしかみたしもらん浜居場 後ノ田 朝ケ洞 東神多 西神多 下乱林かみらんはやしあけちほらみやたきてらきむまずいたかもり上乱林 明知洞 宮瀧 寺木 馬不入 高森 大谷をくやまどうずやま奥山 堂頭山 だいせんじしんでん 9) 大泉寺新田村いしぼとけしゃしたをを石佛 社下 大池下 いけしたををにしやまはた 大西 山畑 ませぐちしもみ 下巳やしき ひがしで はやし ををたに てがわ 2) 出川村しこくださきだなかだいどかみ四石田 鷺田 中田 井戸神 樋田ためともさんだんだみなみで為朝 三反田 南出 三本木つぼをさこめたををしみずひち坪 長 米田 大清水 七反田 といたををあとをにがしま 大跡 鬼ケ嶌 さんぼんきはなのきよぼしきたの 花之木 烏帽子 北之たんだふじにしふじををしま 富士 西富士 大嶋

56 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (2) 蛇ケ洞川と 8 支流 (3) 定光寺川と 1 支流 瀬戸市 庄内川 北日向川 日向川 定光寺川 東沓掛川 若宮洞川 大石本川 竈ケ洞川 縄洞川 杁ケ洞川 蛇ケ洞川 七曲川 竈ケ洞川 ( 上半田川町 ) 七曲川 ( 余床 ) 資料 - 1

57 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (4) 水野川と 33 支流 ( 水野川 ~ 市郎兵衛川 ) 瀬戸市 山崎川 市郎兵衛川 蟹川 北山川 角ケ洞川 水野川 岩花洞川 片草川 品野川 日の出川 金地川 大戸下川 楠洞川 東山川 大洞川 中洞川 白岩川 鳥原川 資料 - 2

58 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (4) 水野川と 33 支流 ( 余床川 ~ 本郷川 ) 瀬戸市 庄内川 余床川 曽野川 樋ケ沢川 産砂川 山干川 本郷川 御前川 水野川 新田川 麻畑川 地蔵川 数成川 八床川 海老弦川 唐沢川 小田妻川 釜ケ洞川 資料 - 3

59 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (5) 瀬戸川と 12 支流 瀬戸市 紺屋田川 印所川 孫田川 陣屋川 旭境川 勘右衛門川 桜川 瀬戸川 古瀬戸川 拝戸川 西茨川 東茨川 一里塚川 矢田川 陣屋川 ( 上陣屋町 ) 孫田川 資料 - 4

60 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (6) 赤津川と 10 支流 瀬戸市 木ノ下川 尋所洞川 白坂川 北戸越川 赤津川 東山路川 戸越川 篠田川 山路川 矢田川 北海上川 海上川 資料 - 5

61 河川案内図 2. 瀬戸市 83 の川名 (7) 矢田川の 14 支流 瀬戸市 瀬戸川 水無瀬川 井林川 今林川 八幡川 赤津川 米泉川 若宮川 矢田川 本地川 弁天川 薬師川 大六川 越中川 神明川 吉田川 屋戸川 資料 - 6

62 河川案内図 3. 長久手市 14 の川名 (2) 香流川と 12 支流 (3) 天白川水系の 1 支流 長久手市 矢田川 雁又川 溝ノ杁川 清水川 東山川 藤ノ木川 塚田川 神明川 鴨田川 権代川 井堀川 香桶川 堀越川 一の井川 香流川 雁又川 ( 西原 ) 藤ノ木川 ( 下川原 ) 資料 - 7

63 河川案内図 4. 尾張旭市 8 の川名 尾張旭市 (2) 矢田川の 5 支流 (3) 天神川の 3 支流 北山川 砂川 郷倉川 天神川 稲葉川 石原川 二反田川 三葉川 矢田川 石原川 郷倉川 資料 - 8

64 河川案内図 5. 名古屋市守山区 11 の川名 (2) 庄内川の 8 支流 (3) 矢田川と 2 支流 (2) 守山区 (3) 庄内川 大矢川 白鳥川 長根川 野添川 長戸川 到来川 深沢川 白沢川 庄内川 隅除川 守山川 矢田川 資料 - 9

65 河川案内図 6. 春日井市 44 の川名 (2) 鯎川と 8 支川 (3) 繁田と放水路 春日井市 鯎川 柿ノ木川 柳川 小木道川 鎌芝川 才蔵川 新繁田川 桃ノ木川 隠山川 繁田川 新池川 身洗川 庄内川 資料 - 10

66 河川案内図 6. 春日井市 44 の川名 (4) 内津川と 28 支流 ( 内津川 ~ 内津川放水路 ) 春日井市 白川 五ケ村川 北山川 内津上町川 イモシ 洞川 畔地洞川 西洞川 内津川 清水中洞川 岩ケ根川 杉洞川 引沢川 尼ケ洞川 駒返洞川 神屋川 お多賀洞川 墓枝洞川 黒助川 大谷川 寺洞川 黒助洞川 奥山洞川 坂下川 東大谷川 内津川放水路 庄内川 資料 - 11

67 河川案内図 6. 春日井市 44 の川名 (4) 内津川と 28 支流 ( 地蔵川 ~ 地蔵川放水路 ) (5) 八田川と 2 支流春日井市 定根洞川 八田川 生地川 内津川 地蔵川 大泉寺川 地蔵川放水路 新地蔵川 庄内川 新川 八田川と新地蔵川の交差部 八田川 新地蔵川 八田川 新地蔵川 八田川 新地蔵川 資料 - 12

68 写真集 1. 庄内川 庄内川 ( 定光寺 ) 庄内川 ( 鹿乗町 ) 庄内川 ( 鹿乗町 ) 2. 瀬戸市 83 の川名 竈ケ洞川 ( 上半田 ) 定光寺川 ( 定光寺町 ) 定光寺川 ( 定光寺町 ) 水野川 ( 中品野町 ) 水野川 ( 水野町 ) 水野川 ( 水野町 ) 資料 - 13

69 日の出川 ( 片草 ) 片草川 ( 片草町 ) 東山川 白岩川 ( 白岩町 ) 中洞川 ( 品野 ) 北山川 蟹川 北山川合流部 ( 品野町 ) 市郎兵衛川 ( 北岡町 ) 余床川 山干川新田川御前川 資料 - 14

70 海老弦川瀬戸川瀬戸川 紺屋田川孫田川勘右衛門川 尋所洞川 ( 白坂町 ) 山路川 ( 東山路町 ) 海上川 ( 海上町 ) 海上川 海上池 ( 海上町 ) 八幡川 ( 山口町 ) 水無瀬川 ( 菱野台 ) 資料 - 15

71 3. 長久手市 14 の川名 香流川 ( 西原 ) 香桶川 ( 岩作 ) 雁又川 ( 岩作下田 ) 雁又川 ( 西原 ) 鴨田川 ( 鴨田 ) 藤ノ木川 ( 下川原 ) 4. 尾張旭市 8 の川名 三葉川 石原川 天神川 ( 大森 ) 資料 - 16

72 5. 名古屋市守山区 11 の川名 大矢川 ( 志段味 ) 大矢川 ( 志段味 ) 野添川 ( 志段味 ) 長戸川 ( 志段味 ) 深沢川到来川 ( 吉根 ) 白沢川 ( 松坂町 ) 白沢川 ( 松坂町 ) 矢田川 ( 大森 ) 隅除川 ( 大森 ) 隅除川 ( 大森 ) 隅除川上流 雨池 ( 大森 ) 資料 - 17

73 6. 春日井市 44 の川名 鯎川 ( 外之原町 ) 鯎川 ( 外之原町 ) 鯎川 ( 玉野町 ) 柿ノ木川 ( 細野町 ) 柿ノ木川 ( 細野町 ) 柳川 ( 細野町 ) 新池川 ( 木附町 ) 鎌芝川 鯎川合流部鎌芝川 ( 木附町 ) 内津神社を流れる北山川 ( 内津町 ) 内津川 ( 西尾 ) 五ケ村川上流 五ケ村池 ( 西尾町 ) 資料 - 18

74 ゴルフ場の中を流れる五ケ村川 内津川と杉洞川合流部 ( 西尾 ) 岩ケ根川 ( 西尾 ) イモジ洞川 ( 明知町 ) 尼ケ洞川 ( 明知町 ) 尼ケ洞川 寺洞川合流部下流 ( 明知町 ) 春日井市民球場流域の寺洞川 ( 明知町 ) 西洞川 ( 明知町 ) 西洞川 内津川合流部 ( 明知町 ) 神屋川 ( 神屋町 ) 大谷川 内津川合流部 ( 廻間 ) 内津川破堤状況 (H3 年 9 月 ) 資料 - 19

75 ふるさとの川モデル事業 内津川放水路大泉寺川上流端の水源 ( 大泉寺町 ) 分派下流の地蔵川 ( 林島町 ) 堰の手前が地蔵川 下流が新地蔵川 地蔵川 ( 御幸町 ) 新地蔵川 八田川交差 新地蔵川 ( 御幸町 ) 八田川 ( 下原町 ) 定根洞川 定根洞川生地川 ( 六軒屋町 ) 生地川 ( 六軒屋町 ) 資料 - 20

76 尾張建設事務所管内図河川一覧表 1. 一級河川 39 河川 ( 流路長は県管理区間長 m) 河川法一級河川 番号 河川名 流路長 所在地 501 庄内川 52,697 岐阜 ~ 愛知県 502 矢田川 16,709 瀬戸 ~ 名古屋 503 守山川 2,708 瀬戸 ~ 名古屋 504 香流川 16,636 長久手 ~ 名古屋 505 隅除川 1,686 守山区 506 天神川 4,326 尾張旭 507 瀬戸川 9,344 瀬戸 508 新川 24, 大山川 15, 西行堂川 4, 池田川 3, 薬師川 7, 合瀬川 16, 中江川 2, 原川 3, 鴨田川 3, 水場川 5, 五条川 28, 巾下川 9,183 河川法一級河川 番号 河川名 流路長 所在地 522 矢戸川 5, 境川 6, 堀川 12, 新堀川 5, 八田川 11, 生地川 2, 地蔵川 9, 新地蔵川 4, 内津川 13,945 春日井 532 大谷川 2,891 春日井 533 長戸川 1,288 守山区 534 野添川 1,806 守山区 535 繁田川 700 春日井 536 新繁田川 1,950 春日井 537 水野川 12, 鯎川 4,207 春日井 539 外堀川 2, 新造川 1, 新中江川 1, 新境川 2, 二級河川 23 河川 河川法二級河川 番号 河川名 流路長 所在地 6201 天白川 22, 扇川 11, 大高川 3, 瀬木川 1, 手越川 2, 藤川 植田川 4, 繁盛川 2, 岩崎川 4, 山崎川 12, 日光川 41,034 河川法二級河川 6402 戸田川 6, 福田川 15, 境川 39, 五箇村川 5, 鞍流瀬川 5, 皆瀬川 4, 正戸川 2, 井堰川 1, 若王子川 1, 前川 2, 小石川 2, 阿野川 260 資料 - 21

77 3. 準用河川 ( 市町管理 ) 準用河川 番号 河川名 所在地 1 白沢川 守山区 2 長戸川 守山区 3 大矢川 守山区 4 久田良木川 名古屋 5 境川 名古屋 6 生棚川 名古屋 7 守山川 名古屋 8 隅除川 名古屋 9 藤ノ木川 名古屋 10 森孝川 名古屋 11 千種台川 名古屋 12 山崎川 名古屋 13 五軒家川 名古屋 14 瀬木川 名古屋 15 旭出川 名古屋 16 細口川 名古屋 17 神沢川 名古屋 18 藤川 名古屋 19 植田川 名古屋 20 前川 名古屋 21 大根川 名古屋 22 忠兵衛川 名古屋 23 永広下川 名古屋 24 鞍流瀬川 名古屋 25 東ノ川 名古屋 26 戸田川 名古屋 1 久田良木川 北名古屋 1 白川 北名古屋 準用河川 番号 河川名 所在地 1 蛇ケ洞川 瀬戸 2 麻畑川 瀬戸 3 孫田川 瀬戸 4 地蔵川 瀬戸 5 本郷川 瀬戸 1 牛山川 春日井 2 神屋川 春日井 3 坂下川 春日井 4 如意申川 春日井 5 地蔵川 春日井 6 大泉寺川 春日井 7 大手川 春日井 8 池田川 春日井 9 北山川 春日井 10 新繁田川 春日井 11 黒助川 春日井 1 道木川 小牧 2 池下川 小牧 3 新川 小牧 4 花塚川 小牧 5 陶川 小牧 6 河内屋川 小牧 7 蓮台川 小牧 8 安田川 小牧 9 小針川 小牧 10 後川 小牧 11 佐久間川 小牧 1 東出川 清須 準用河川 番号 河川名 所在地 1 篠木川 東郷町 2 小口川 東郷町 3 傍示本川 東郷町 4 小川 東郷町 5 千子川 東郷町 1 正戸川 豊明 2 坂部川 豊明 3 阿野川 豊明 4 井堰川 豊明 1 豊田川 日進 2 高上川 日進 3 細口川 日進 1 神明川 長久手 2 東山川 長久手 3 清水川 長久手 4 香桶川 長久手 5 鴨田川 長久手 6 権代川 長久手 7 堀越川 長久手 8 雁又川 長久手 9 植田川 長久手 10 藤ノ木川 長久手 1 久田良木川 豊山 2 堂前川 豊山 3 境川 豊山 1 郷倉川 尾張旭 2 二反田川 尾張旭 3 石原川 尾張旭 この整番は 尾張建設事務所管内図河川 砂防図 ( 平成 21 年 ) 内の 河川一覧表 より引用したものです 所在地については参考として下さい 資料 - 22

78 参考文献 字地名: 明治 15 年愛知県郡町村字名調を原本にした 愛知県地名集覧 基本とした地図データ: 愛知県尾張建設事務所管内図平成 23 年 6 月改訂縮尺 1/5 万 市町村の沿革: 日本地名大辞典 愛知県版角川書店 国語大辞典: 小学館国語大事典 著者略歴 磯貝洋尚 ( いそがいひろひさ ) 地名文化研究会会員 建設部門技術士 建設コンサルタント技術者として国内外のフィルダムの調査設計施工管理に従事 先人が警告する災害を地名から読み解く 中部各地の災害地名 ( 編著平成 21 年 8 月出版 ) 著者のことば 川名が語るふるさとの歴史シリーズ Vol.1 愛知の川名矢作川水系 ( その 1 その 2 その 3) 矢作川の源流域である豊田市管内の編集を終え シリーズ Vol.2 庄内川シリーズに着手しました その 1 は 瀬戸市 83 川名 長久手市 14 川名 尾張旭市 8 川名 名古屋市守山区 11 川名 春日井市 44 川名 合計 160 の川に付けられた名前の由来を推察しました 大半の川名は歴代の祖先が守り育てた大切な故郷の村名や字地名が冠せられています 市町村合併が繰り返され抹消された町村名も多いなか 川名が語る昔の故郷の様子に思いを馳せて見て下さい 磯貝洋尚 編集後記 今回掲載の 5 市 ( 瀬戸 長久手 尾張旭 春日井の各市及び名古屋市守山区 ) は 濃尾平野に広がる台地を主体とした中流域の区域で 川沿いに一部自然堤防が分布し 宅地化が進んでいる地域です 中流域の植生は シイやカシ等の照葉樹林とスギの人工林が広く分布し 丘陵地はアカマツ林 ネザサ ツツジ等 平野部は耕地 市街地が分布しています また 動物相では オオタカやミサゴ等の猛禽類 タヌキ キツネ等の哺乳類が河川区域を餌場として利用しています 中流域も終わりに近づくと 広い河川敷が発達し 河原にはオギ群落 カワヤナギ群落が見られます 河道は 瀬と淵 砂礫の州が分布する多様な環境が形成されており 砂礫地に営巣するチドリ類などを見ることもできます このように 川の流れは大地を潤し豊かな自然環境を育みます 一方で 山崩れや洪水など大災害をもたらすことも忘れてはならないでしょう 昨年の 8 月 20 日未明に広島市北部で土石流が発生し 70 名を超す犠牲者を出してしまいました なぎそ土石流となって流れたのは 7 月 9 日の長野県南木曽 なし町の梨子沢で起きた土石流と同じように花こう岩が風化してできた まさ土 でした 巨岩を先頭にして土砂のうねりが沢をかけおりてくるような様子が 伝説の大蛇を連想させたのでしょうか 人々は古くからじゃぬ 蛇抜け と呼んで 恐れてきました 南木曽には 蛇抜けの碑 と呼ばれる過去の土石流被害者の慰霊碑が 白い雨が降ると抜ける いい伝えとして立っています 先人の教えは 今みても的確な危険予知の指針といえます 東日本大震災で津波に襲われた岩手県では ここより下に家を建てるな という古い石碑が 被害を防ぐ指針になっていました 先人の教えるとおり どこが危険かを知り 危険を避けながら暮らす工夫に終わりはありません この冊子を片手に 春の河原へ出かけてみてはいかがでしょう ( 編集委員会 )

79 長久手市 ( 庄内川水系の流域図 ) 川名が語るふるさとの歴史愛知の川名庄内川水系 瀬戸市 長久手市 尾張旭市 名古屋市守山区 春日井市 平成 27 年 3 月発行編集愛知の川名編集委員会発行名古屋市中村区佐古前町 22 番 6 号 ( 株 ) 葵エンジニアリング内

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