關於外務省網站十六題「尖閣諸島的問與答」逐題駁斥全文
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- ただきよ たけすえ
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1 日本外務省ウェブサイト 尖閣諸島情勢に関する Q &A16 問 に対する反発全文 Q1 尖閣諸島についての日本政府の基本的な立場 はどのようなものですか 日本側の主張 尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり 現に我が国はこれを有効に支配しています したがって 尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません わが方の反発理由 一 釣魚台列島は歴史や地理 地質 利用経歴及び国際法から見ても 中華民国固有の領土であり 台湾の付属島嶼であることは疑う余地がない 二 日本は対外的に釣魚台列島の領有権を擁してあると 1
2 主張していますが 明治時代の公文書 ( 例えば 明治 18 年日本外交文書 ) では 釣魚台列島の領有権はわが国にあると認めています 例えば 1885 年 ( 明治 18 年 ) 日本内務大臣山県有朋が沖縄県令西村捨三に釣魚台列島を踏査し 国標 を設置するよう密令しました 同年 9 月 22 日 西村が極秘書簡で当該列島は昔から中国に命名され また公文書にも記載されているため 踏査後にすぐ 国標 を建設するのには時宜に適さないので 暫く見合わせるべきであると返事しました 当時の山県有朋は さらに外務大臣井上馨の意見を伺いました 10 月 21 日 井上馨は山県有朋に宛てた極秘文書 親展第 38 号 をもって 特に清国にはその名にも付し 近時清国新聞等にもわが政府において台湾近傍清国所属の島を占領せんとする等の風説を掲載し わが国に対して猜疑を抱き 頻に清政府の注意を促しているところでもあり という報道があったため 国標を建て開拓等に着手するは他日の機会に譲るべきだろう と指摘しました そのため 日本の踏査と国標を建設する案が見送られ 2
3 たわけです この日本の公文書は 日本が前から釣魚台列島は清国領であることが分かり 無主地でないことを知っていた証拠です 当時 国標の建設を見合わせたのは 自国の力不足を体得して勝手に動けないだけなのであり しかし その時も 他日の機会に譲って 再処理すればいいとも表明しました 三 日本が釣魚台列島の領有権は清国にあると分かっていながら 1895 年 1 月 日清戦争で清国が敗れた隙間を利用し 無主地 と 先占 を口実に 内閣の秘密決議をもって こっそりと併合しました しかし この盗み取った行為は 対外的に公表されていなかっただけでなく 翌年 (1896 年 ) 沖縄県の面積を画定する日本天皇 勅令 13 号 の中にも編入されていませんでした 従って 外部 ( 清国と国際社会 ) はこのようなことを知るゆえんはありませんでした このような内閣決議案は政府内部の意思表示に過ぎず 対外的に効力がなく 勿論 我が国を拘束することもできません 四 前述した歴史的論拠は わが国と日本側の文献に散見 3
4 しているほか 日本学者である井上清教授と田村忠禧教授も彼らの著作の中で同じ論点を提出しました 即ち 日本が当該列島は清国の領土であり 無主地 でないことを知っていながら 依然として 先占 を口実にして盗み取り 日本の主張は国際法に違反しているため 最初から無効です Q2 尖閣諸島に対する日本政府の領有権の根拠は何です か 日本側の主張 1. 第二次世界大戦後 日本の領土を法的に確定した 1951 年のサンフランシスコ平和条約において 尖閣諸島は 同条約第 2 条に基づいて日本が放棄した領土には含まれず 同条約第 3 条に基づいて 南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれました 1972 年発効の沖縄返還協定によって日本に施政権が返還された地域にも含まれています 4
5 2. 尖閣諸島は 歴史的にも一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しています 即ち 尖閣諸島は 1885 年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い 単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく 清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で 1895 年 1 月 14 日に現地に国標を建設する旨の閣議決定を行って 正式に日本の領土に編入しました この行為は 国際法上 正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています ( 先占の法理 ) 尖閣諸島は 1895 年 4 月締結の下関条約第 2 条に基づき 日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません わが方の反発理由 一 釣魚台列島は 中国の明王朝 (16 世紀 ) から台湾の付属島嶼として存在していました 清王朝は1683 年に台湾を領土に編入し 1812 年に釣魚台列島を噶瑪蘭廳 ( いまの宜蘭県 ) の管轄下に組み入れました 5
6 Q1 で述べた日本外務大臣井上馨が内務大臣山県有朋に宛てた極秘書簡 親展第 38 号 に触られた中国の世論とは 1885 年 9 月 6 日付け 上海 申報 に書かれた記事 台島警信 であり その中には 文匯報に朝鮮から伝えられた消息が掲載され 台湾北東部にある島々が 近頃日本人がその島に日章旗を掲げており 占拠する傾向がある と報道されました 年 4 月 17 日 清国と日本が調印した 下関条約 第 2 条には 台湾全島及びその付属各島嶼 を割譲すると記載されていたため 釣魚台列島は勿論 その中に含まれています 二 日本が1895 年 1 月 閣議で釣魚台列島を盗み取った行為は 国際法に違反しているため 最初から無効であり わが国を拘束することができません 従って 日本過去の釣魚台列島を有した唯一の法的根拠は 下関条約 です しかし 日本が第二次世界大戦敗戦後 1943 年の カイロ宣言 1945 年の ポツダム宣言 1945 年の 日本降伏文書 及び1 952 年台北で調印された 日華平和条約 等の一連 6
7 の国際法的文書の規定に基づき 釣魚台列島が台湾とその付属島嶼及び澎湖諸島とともに 中華民国に返還されるべきです 三 日本が釣魚台列島は 無主地 だと主張し 1895 年 1 月 釣魚台列島を領土に編入したやり方は こっそりと盗み取った行為にあたりますので 最初から無効です その理由は 次の通りです ( 一 ) 釣魚台列島は明と清王朝にわが国の海上防衛区域及び領土に組み入れられ 歴史的にも多くの文献がそれを証明できます 決して日本が主張した 無主地 ではありません ( 二 ) 日本が釣魚台列島はわが国が領有権を持っていることを知っていながら 1895 年 1 月 日清戦争が勃発した期間中に 極秘閣議でこっそりと釣魚台列島を併合し 国際法が定めていた 先占 は 無主地 を前提にしなければならないという要求に合致していません それと同時に この閣議決定は 対外的に公表されず また Q1 で述べた天皇 勅令 13 号 によって公表されてもいませんでした 従 7
8 って 外部の人間がそれを知るゆえんはありませんでした このような決議は日本政府内部の意思決定に過ぎず 国際法の先占に関する規定に合致していないし 対外的に効力がなく 当然 わが国を拘束することはできません ( 三 ) 前述した歴史的論拠は わが国の文献に散見しているほか 日本学者である井上清教授及び田村忠禧教授も 彼らの著作の中で同じ論点を提出しました 即ち 日本が当該列島は清王朝 中国の領土であることを分かっていながら 盗み取ったものであり 国際法上の 先占 にはあたりません ( 四 ) 国際法によると 先占 の成立は 無主地 であるという前提を確認しなければなりません また 文明国家が承認している一般国際法の原則によると 無主地の確認 と 占領の宣告 が国際法上の 無主地 を有効に 先占 する原則の不可欠な要件です また 国際法の 国は違法作為或いは不作為によって合法権利或いは資格の取得をしてはならない という原則に基づき 日本当時の違法行 8
9 為は 合法権利を取得した基礎にしてはならないことが自明です ( 五 ) 日本当時 国際法の 無主地の確認 と 占領の宣告 を理解していないわけではありませんでした 例えば 明治政府が1891 年に硫黄島を編入した際 1891 年 8 月 19 日の閣議後 同年 9 月 9 日 勅令第 190 号をもって それを公表しました なお 明治政府が1898 年 南鳥島を編入した際 1898 年 7 月 1 日の閣議後 同年 7 月 24 日 東京府告示第 58 号をもって公表しました 従って 日本の秘密裏に釣魚台列島を 先占 した行為は 国際法と国際慣習に合致していないだけでなく 国内の実践とも一致していません 四 日本が1885 年以降 釣魚台列島に対して何度も徹底調査したことがあると主張していますが 事実ではありません ( 一 ) 日本明治時期の公文書では 日本が1885 年 10 月 釣魚台列島に対して一回のみの実地調査 (Q1 わが方の反発理由 二を参照) を行いました し 9
10 かし 調査の結果は 中国の領土であることを認め 当時の外務大臣井上馨が釣魚台列島が 清国国境にも接近しており 台湾近傍清国所属の島 であることがわかり かつ この際 公然と国標を建設する等の処置を行えば 清国の疑惑を招くだろう 同年 11 月 沖縄県令西村捨三も公文書の中で 本件は清国と関係あり 事件が起こればどう対応すればいいか分からないため 御指示を乞う と書いてありました ( 二 )7 年後 即ち1892 年 1 月 27 日 沖縄県令丸岡莞爾が海軍大臣樺山資紀宛の書簡で 釣魚台列島は 調査未完成 の島嶼であることに鑑み 海軍に 海門艦 を釣魚台列島に派遣し 実地調査を行ってほしいと要求しましたが 海軍は 季節険悪 という理由で派遣しませんでした ( 三 )9 年後 即ち1894 年 5 月 沖縄県令奈良原繁が内務省に書簡を送り 1885 年に初めての実地調査を行って以来 二度と実地調査を行っていないことを確認しました 1894 年 8 月にいたるまで 10
11 日清戦争が勃発し 日本軍が清王朝の北洋艦隊を大敗して 10 月 24 日 鴨緑江を跨って中国本土に侵入し 11 月 21 日 旅順を占領しました 清王朝が敗戦の間際 1894 年 12 月 日本内務省が釣魚台列島を併合するタイミングが熟したと見て 併合案は清国との交渉に関わるが 今昔の情況は違った と指摘していました ( 四 ) 従って 日本が1885 年以降 沖縄当局が何度も釣魚台列島に対して実地調査を行い 及び釣魚台列島が 無主地 であるといった主張は 全部事実ではありませんでした 日本側の学者井上清及び村田忠禧両教授も 同じ論点を提出しています 五 日本は 釣魚台列島が歴史上において ずっと日本領土である南西諸島の一部に属されている と主張していますが これも事実に反しています 例えば 琉球王国 ( ) はそもそも日本の領土ではありません 日本の薩摩藩が1609 年琉球に侵入し 琉球北部の奄美大島を薩摩に割譲するよう逼りました しかし 日本の版図は依然として南琉球本島と 11
12 南部諸島に及んでいませんでした 日本は1879 年武力で一方的に琉球を併合したもので 1895 年秘密裏に釣魚台列島を併合したことと 不正な方式で領土を拡張した侵略行為です Q3 日本は尖閣諸島を有効に支配しているとのことです が 具体例を教えてください 日本側の主張 年ごろから尖閣諸島で漁業等に従事していた沖縄県在住の民間人から国有地借用願が出され 1896 年に明治政府はこれを許可しました この民間人は この政府の許可に基づいて尖閣諸島に移民を送り 鳥毛の採集 鰹節の製造 珊瑚の採集 牧畜 缶詰製造 燐鉱 鳥糞の採掘等の事業を経営しました このように明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え 許可を受けた者がこれに基づいて同諸島におい 12
13 て公然と事業活動を行うことができたという事実は 同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです 2 また 第二次世界大戦前において 国又は沖縄県によ る尖閣諸島の現地調査等が行われていました 3 第二次世界大戦後 尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約第 3 条によって 南西諸島の一部として 米国の施政権下に置かれたため その後 1972 年 5 月 15 日に尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還されるまでは 日本が尖閣諸島に対して直接支配を及ぼすことはできませんでした しかし その間においても 尖閣諸島が日本の領土であって サンフランシスコ平和条約によって米国が施政権の行使を認められていたことを除いては いかなる外国もこれに対して権利を有しないという同諸島の法的地位は 琉球列島米国民政府及び琉球政府による有効な支配を通じて確保されていました 13
14 4 さらに 尖閣諸島を含む沖縄の施政権が日本に返還 された後について 幾つかの例を挙げれば 以下の とおりです (1) 警備 取締りの実施 ( 例 : 領海内で違法操業を行う 外国漁船の取締り ) (2) 土地所有者による固定資産税の納付 ( 民有地である 久場島 ) (3) 国有地としての管理 ( 国有地である大正島 魚釣島 等 ) (4) 久場島及び大正島について 1972 年以来 日米地位 協定に基づき 日本国 における施設 区域として我 が国から米国に提供 (5) 政府及び沖縄県による調査等 ( 例 : 沖縄開発庁による利用開発調査 ( 仮設へリポートの設置等 )(1979 年 ) 沖縄県による漁場調査(1981 年 ) 環境庁によるアホウドリ航空調査の委託 (1994 年 )) 14
15 わが方の反発理由 一 Q2 で述べたように 日本は1895 年 1 月 日清戦争で清王朝を大敗した際 こっそりとわが国の釣魚台列島を併合した盗み取った行為は 当時の日本が対外的に公開せず 清王朝と国際社会はそれを知るゆえんはなく 当時 当然に抗議を提出することができませんでした 二 1895 年 4 月 17 日 清国と日本が 下関条約 に調印し 釣魚台列島を含む台湾全島及びその付属島嶼を日本に割譲し 1945 年日本が敗戦したまでの5 0 年間 釣魚台列島が台湾の付属島嶼である以上 下関条約 の規定に基づき 台湾とともに日本の領土として割譲された以上 当時の日本人が当該列島を実効支配し 及び利用したことは当然のことであり 諸外国がそれを抗議する筋はありません 三 1945 年から1972 年まで 米軍が1951 年 サンフランシスコ平和条約 に基づき 占領と管理した期間中に 釣魚台列島は日本の統治下にあったもので 15
16 はなく またどの国の名義下で統治されたものでもなく そのため米軍の統治管理は主権的な意味合いはありません また 当時の米軍は1954 年 中華民国とアメリカ相互防衛条約 に基づき 台湾海峡の安全を防衛している関係で 中華民国とアメリカの本件に関して交渉する必要もなくなりました 1968 年から今日に至るまで 釣魚台列島をめぐって係争問題となり 中華民国政府も再三にわたって領有権を主張し 日本に対して何度も抗議を提出し 日本が指摘した実効支配によって派生した時効的な問題はそもそも存在していませんでした 四 第二次世界大戦後 アメリカが日本に琉球諸島の施政権を返還したことは 第二次世界大戦同盟国の同意を得ていませんでした 従って 琉球諸島等の北緯 29 度以南の南西諸島は サンフランシスコ平和条約 第 3 条の規定に基づき アメリカに管轄を委託した以上 管理当局として サンフランシスコ平和条約 や カイロ宣言 ポツダム宣言 のいずれに基づいても アメリカは一方的に琉球と釣魚台列島の主権帰 16
17 属を決める権限はありません 1953 年 8 月 アメリカが琉球諸島北部の奄美大島を日本に返還しようと決めた時 わが国外交部は11 月 24 日 アメリカの駐中華民国大使に覚書を手渡し 初めて琉球に対する最終処置 中華民国はそれに関する意見を発表する権利と責任があると表明しました 五 アメリカと日本が 沖縄返還条約 に関する交渉を開始して以来 わが政府は釣魚台列島の主権を維持するため アメリカと日本の間違った行為に対して 何度も声明を発表し 且つ厳正な交渉を展開しました 例えば (1)1971 年 4 月 9 日 米国国務院が釣魚台列島の施政権は1972 年に琉球とともに日本に返還すると声明を出しました 同年 6 月 11 日 わが外交部は厳正たる声明を発表し 釣魚台列島は台湾省の付属島嶼であり 地理的位置や地質構造 歴史的な連帯及び台湾省住民が長期にわたって継続的に利用した気配などにより 疑いなく中華民国領土の一部であり わが国は断固として当該列島の施政権と琉球を日本に返還することを受け入れず 関係諸国がわが国 17
18 の当該列島に対する主権を尊重し 合理的で且つ合法的な措置を取り アジア太平洋地域の深刻な結果をもたらしてくれないよう表明しました (2) 同年 6 月 17 日 アメリカと日本が 沖縄返還条約 に調印しました 国内の民衆と海外にいる華人がデモ活動を発動し 強い抗議をしました 同年 12 月 2 日 わが政府は釣魚台列島を台湾省宜蘭県頭城鎮大渓里の管轄下に組み入れました (3)1972 年 5 月 9 日 わが外交部は アメリカがその年の5 月 15 日に 琉球諸島と釣魚台列島を日本に移管することに対して声明を発表し 中華民国政府は断固としてアメリカが釣魚台列島と琉球の施政権を日本に 移管 することを反対すると示しました 中華民国政府は完全な領土を維持する神聖たる職責に基づき 絶対に釣魚台列島に対する領有権を放棄しません 六 その他 わが駐米大使周書楷が1971 年 3 月 15 日 抗議文を米側に手渡し 釣魚台列島はわが国固有の領土であると説明しました アメリカは1971 年 5 月 26 日 わが国への返事書簡の中で アメリカは日本 18
19 から取得した施政権を日本に返還することは 中華民国の主権への主張を損なっていないと表明しました 米上院は後に補足説明を行い 施政権を日本に返還しただけで 主権問題に対して中立的な立場をとっており 即ち 中日双方が協議を通じて解決すべきであると見ていました 以上のような外交文書から見れば アメリカの施政権を移管したことは 日本が確かに領有権をもっていることを意味していませんでした アメリカは主権問題に対して中立的な立場をとっており 中日双方が協議を通じて解決すべきであるという立場は未だにも変わっていません 七 釣魚台列島は古来中国人によって発見 命名され 航海標識や操業 漁具の修復及び島での鳥の卵の採集や薬の採取 台風よけなどに利用されました 二次大戦後 一部の人々が釣魚台列島で漁船のスクラップしたり沈没船を引き上げたり トロッコレールや仮埠頭を建造したりして いずれも台湾漁民の海での生活と密接な関係があり わが方によって長期にわたって利用され 有効に管轄された証拠となります 19
20 八 また アメリカの1856 年に制定された 鳥糞法 を参考し 米国民が米国領域外 他国の管轄下に属されていない島嶼で 鳥糞を取得 ( 即ち開発を行う ) し そして平和的にその島嶼を占有し 政府がそれを告知され 米国はそれを付属島嶼として見なすことができ 管轄権を有すると認められています これは沿海国が告知され また国民が隣接島嶼に対する利用状況が分かれば 管轄範囲に組み入れられることを説明しています 日本が1895 年 1 月 こっそりと釣魚台列島を併合した前 中国人がとっくに長期にわたって釣魚台列島を利用 ( 例えば 操業 漁具の修復 鳥の卵の採集 薬の採取 台風よけなど ) していました 況してや 明 清王朝の時代 早い段階から釣魚台列島を海上防衛の区域と版図に組み入れました Q4 中国 ( ないし台湾 ) による尖閣諸島の領有権に関する 主張に対して 日本政府はどのような見解を有してい ますか 20
21 日本側の主張 1. 従来 中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的 地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません 2. また そもそも 中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは 1968 年秋に行われた国連機関による調査の結果 東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった 1970 年代以降からです それ以前には サンフランシスコ平和条約第 3 条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても 何ら異議を唱えていません 中国側は 異議を唱えてこなかったことについて何ら説明を行っていません 3. なお 1920 年 5 月に 当時の中華民国駐長崎領事か ら福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発 21
22 出された感謝状においては 日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島 との記載が見られます また 1953 年 1 月 8 日人民日報記事 琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い においては 琉球諸島は尖閣諸島を含む 7 組の島嶼からなる旨の記載があるほか 1958 年に中国の地図出版社が出版した地図集 (1960 年第二次印刷 ) においては 尖閣諸島を 尖閣群島 と明記し 沖縄の一部として取り扱っています さらに 米軍は米国施政下の 1950 年代から尖閣諸島の一部 ( 大正島 久場島 ) を射爆撃場として利用していましたが 中国側が当時 そのことについて異議を呈した形跡はありません わが方の反発理由 一 Q1 と Q2 わが方の反発理由 で述べたように 釣魚台列島はわが国固有の領土であり 台湾の付属島嶼であるという歴史的記録が多くあり 決して日本が主張している 無主地 ではありません 22
23 二 日本が1895 年に釣魚台列島を盗み取った後 いわゆる 尖閣諸島 に呼称を改まり また勝手にそれを沖縄県に編入し 外部の人間はそれを知るゆえんはなく 清国も勿論抗議を提出することができませんでした 日本のこのような国際法に違反し 他国の領土を盗み取った侵略行為は 最初から無効です しかし 当時の国際社会はそれを知ることができず 日本のこの行動は 敗戦後ある程度時間が立っても いわゆる 尖閣諸島 の呼称を通して 釣魚台列島は中華民国固有領土の真実なことをカムフラージュして 第二世界大戦後 日本に対する処理 カイロ宣言 などを含む一連の国際法的文書の日本に対す要求は 完全に実現されていません 三 国際社会が 尖閣諸島 はイコール釣魚台列島ということを知らない情況の下 サンフランシスコ平和条約 第 3 条が 誤って釣魚台列島を琉球とともにアメリカの施政下に置かれていました しかし アメリカが1971 年わが国の抗議文への返事書簡の中で 釣魚台列島の施政権を日本に返還することは 領有権の 23
24 移転を意味していないことを説明してくれました 釣魚台列島をめぐる領有権の争議は 日本と中華民国が自己解決すべきであると示していました 四 況してや わが国と中国大陸がともにサンフランシスコ講和会議への参加に要請されていなかったし サンフランシスコ平和条約 に調印しておらず 講和会議で異議を申し立てることはできませんでした わが国は翌年 即ち1952 年 4 月 日本と台北で 華日和平条約 に調印しました しかし 華日和平条約 第 4 条には 中日間の1941 年 12 月 9 日までに締結したすべての条約 専約及び協定は 戦争の結果によって無効になる と定められています この和平条約によると 下関条約 はすでに廃棄され そのため 釣魚台列島は台湾及びその他の付属島嶼とともにわが国に返還されるべきです 五 いわゆる地図の問題 日本がわが国 1933 年に出版した地図 The Republic of China New Atlas の中で 釣魚台列島を日本領土に書き入れたことを質疑しました 実は 清国が日清戦争で敗れた後に調印 24
25 した 下関条約 は 台湾全島及びその付属島嶼 を日本に割譲しました そのため 1895 年 下関条約 の調印と発効した後 1945 年第二次世界大戦が終息された前の50 年間 台湾全島及びその付属島嶼 釣魚台列島を含めて全部日本の領土となりました 前述した地図は1933 年に出版されたものであり 当時の国際現実をそのまま反映しただけです 六 台湾及びその付属島嶼及び澎湖諸島は 1895 年から1945 年までの50 年間 下関条約 によって日本の領土となり そのため 日本が中華民国の駐長崎領事馮冕が1920 年に発出した感謝状を引用し 当時の釣魚台列島は日本の領土を承認した言い方は間違っていませんでした 日本はこれをもってわが国の外交官が釣魚台列島は日本の領土であることを承認した証拠にしたことは 日本が台湾とその付属島嶼 ( 釣魚台列島を含む ) を50 年間も統治したことを忘れたようですね 七 日本がわが国政府は1968 年国連機関 アジアと極東経済委員会 による調査結果が出され 釣魚台列島 25
26 の周辺水域に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて釣魚台列島に注目が集まったという言い方は 余りにも不公平だと思います というのは ( 一 ) 中華民国が1912 年に建国され 当時台湾の付属島嶼である釣魚台列島はすでに日本に 尖閣諸島 と呼称を改まられ そして沖縄県に組み入れられ10 数年も立ちました 抗戦勝利後 わが国政府は1945 年 10 月 25 日 台北で日本の台湾総督安藤利吉の投降を受けた際 接収したファイルや書類 全部日本統治時代の総督府によるものであり 中華民国政府はその前に台湾を統治したことはなく わが政府と当時の国際社会は日本が1895 年に盗み取り そして1900 年に 尖閣諸島 に呼称を改まったものはわが国の釣魚台列島であることを知るゆえんはなかったからです ( 二 ) 実は 日本も1968 年に釣魚台列島をめぐる係争が国際問題化になった後 はじめて積極的に釣魚台列島の領有権を主張するようになったのです 年 5 月 初めて釣魚台列島で国標を建設するなどをも含めています ( 三 ) 日本が1895 年日清戦争 26
27 で清国が敗れた隙間を狙い 国際法に違反した方式で釣魚台列島を盗み取ったものであり 最初から無効です 況してや カイロ宣言 から 華日和平条約 に至るまでの一連の国際法的文書に基づき 下関条約 はすでに廃棄され 台湾及び釣魚台列島を含むすべての付属島嶼はわが国に返還されるべきです これは 後日 国連の調査報告が釣魚台列島の周辺水域に石油埋蔵の可能性があるということと次元が違った議題であり 直接な因果関係はありません それにしても 日本の釣魚台列島を盗み取った違法行為といった事実をカバーすることもできません 言い換えれば 日本のわが国の領土を盗み取った行為は 国際法において最初から無効で 当該列島の周辺水域に石油埋蔵があるかないかと関係なく 直ちに釣魚台列島をわが国に返還するべきです Q5 中国政府は 尖閣諸島は日本側が主張するような無主 地であったのではなく 古来から中国固有の領土であ り 歴史資料によれば中国人が最も早くに発見 命名 27
28 及び利用し 中国の漁民がこの海域で漁業等の生産活動に従事し 中国の東南沿海の民衆が魚釣島を航海標識とし 明代には中国側の冊封使によってすでに発見 認知されており 中国の海上防衛区域に含まれた台湾の付属島嶼であったと主張していますが 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 日本は 1885 年以降 沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い これらの島々が単に無人島であるだけでなく 清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で 沖縄県編入を行ったものです 2. 従来 中国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的 地理的ないし地質的根拠等として挙げてきている諸点は いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません 例 28
29 えば 国際法上 島を発見したり 地理的な近接性があることのみでは 領有権の主張を裏付けることにはなりません また 最近 中国側は中国国内の多くの歴史的文献や地図を根拠に 中国が尖閣諸島を歴史的に領有している ( 無主地ではなかった ) 旨主張していますが その根拠とされている文献の記載内容は 原文を見れば分かるとおり 領有権を有することの証拠とするには全く不十分なものです 具体的には (1) 中国側は 明の冊封使である陳侃の 使琉球録 (1534 年 ) に 釣魚嶼 黄毛嶼 赤嶼を過ぎ 古米山を見る 乃ち琉球に属する者なり との記述があることをもって 古米山 は現在の久米島であり 久米島より西側にある尖閣諸島は中国の領土であったことを意味していると主張しています また 中国側は 徐葆光 中山伝信録 (1719 年 ) に 姑米山琉球西南方界上鎮山 ( 注 : 姑米山は琉球の西南側の境界上の山である ) との記述があることも 同様に久米島以西が中国に属してきたことの根拠であるとしています しかし これらの文献では 久米島が 29
30 琉球に属することを示す一方 久米島以西にある尖 閣諸島が明や清に属することを示す記述は全くあり ません (2) 中国側は 胡宗憲 籌海図編 (1561 年 ) の 沿海山沙図 などの地図に 尖閣諸島が記載されており 同諸島は明の海上防衛の範囲に入っていたと主張しています しかし 同書では 同諸島が明の海上防衛の範囲に入っていたかどうかは明らかではなく 地図に記載があることをもって尖閣諸島が当時一般に中国領として見なされていたことを示すことにはなりません 3. 日本側が行った調査では むしろ 20 世紀以降 1950 年代や 60 年代までにおいても 中国側が尖閣諸島を日本の領土であると認めていたと考えられる事例があることが確認されています 例えば (1) 米軍は米国施政下の 1950 年代から尖閣諸島の一部 ( 大 正島, 久場島 ) を射爆撃場として利用していましたが 30
31 中国側が当時 そのことについて異議を呈した形跡は ありません (2)1920 年 5 月に 当時の中華民国駐長崎領事から福建省の漁民が尖閣諸島に遭難した件について発出された感謝状においては 日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島 との記載が見られます (3)1953 年 1 月 8 日人民日報記事 琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い においては 琉球諸島は尖閣諸島を含む 7 組の島嶼からなる旨の記載があります (4)1958 年に中国の地図出版社が出版した地図集 世界地図集 (1960 年第二次印刷 ) においては 尖閣諸島を 尖閣群島 と明記し 沖縄の一部として取り扱っています わが方の反発理由 一 日本が釣魚台列島はわが国固有の領土であることを証 31
32 明できる歴史資料が豊富にあることを知っていながら わざとそれを軽視しています 周知の通り 中国の歴史的文献は昔から釣魚台列島が明王朝の海上防衛区域と清王朝の版図に編入されたことを存分に説明しています 清王朝の公文書から説明しましょう ( 一 ) 清康熙 61 年 (1722 年 ) 台湾を視察に来た御使である黃叔璥が著した 台海使槎録 巻二 武備 の中に 台湾府水師艦隊のパトロール路線を綴り さらに 山の後方 大洋の北 釣魚台という山があり 大船十数隻停泊できる という記録があります ( 二 ) 乾隆 12 年 (1747 年 ) 范咸の 重修台湾府志 及び乾隆 29 年 (1764 年 ) 余文儀の 続修台湾府志 どちらも黃叔璥の記載を全文転載しました ( 三 ) 咸豐 2 年 (1852 年 ) 陳淑均の 噶瑪蘭廳志 と同治 11 年 (1872 年 ) 台湾知府兼台湾守備司令の周懋琦の 全台図説 の中にも 山後の大洋に釣魚台という島があり 大船十数隻停泊できる という記録があります ( 四 ) 同治 10 年 (1871 年 ) 陳壽祺の 重纂福建通志 32
33 では 釣魚台のことを 巻 86 海防 各県衝要 に記載され そして噶瑪蘭廳 ( 今の宜蘭県 ) の管轄下に組み入れました 地方志の 歴史的記録 管理 教化 の性質から言えば 清の地方志の海軍巡視船が釣魚台列島に停泊した記載は 歴史的記録を残したものとなっているほか 清王朝の持続的且つ有効的に統治した具体的な根拠となりました 上述した地方志は釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり 清国固有の領土であることを十分証明できます ( 五 ) また 清の同冶 2 年 (1863 年 ) 官製出版した 皇朝中外一統輿図 も釣魚台列島を中国の領土に含めています 当時の外国地図もそうでした 二 その他 明 清時代の 使琉球録 は いずれも官職身分の冊封使によって著したものであり いずれも公式文書に属されたものであり その中に 黒水溝 ( 即ち現在の沖縄トラフ ) を 中外の界 にすると明記しており 黒水溝をもって 海を画定して 国境線にする と説明しており 例えば 次のような例があります 33
34 ( 一 ) 清代の冊封使である周煌が1756 年に書いた 琉球国志略 の中に 島全体が海に囲まれ 海面の西には黒水溝をもって閩の海と隣接している と書いてあり また前任冊封使 ( 汪楫 ) の 黒水溝の意味とは 中外の界なり という記載をそのまま継承しています ( 二 ) 清代の最高学府である国子監で教鞭をとっていた潘相は 乾隆時期で刊行した 琉球入学見聞録 の中にも 黒水溝は中外の境界線 だと明記しています ( 三 ) 清の同冶 2 年 (1863 年 ) 官製出版した 皇朝中外一統輿図 は釣魚台列島を中国の領土に組み入れました そのため 清の光緒 5 年 (1879 年 ) 日本が琉球藩を廃止して沖縄県に設置する直前 琉球の紫金大夫向徳宏が日本外務卿寺島宗則に宛てた返書の中で 琉球は36 島あり 久米島と福州の間に 繋がっている島々 は 中国の領土であることを確認しました そのため 光緒 6 年 (1880 年 ) 日本の穴戸璣 駐華公使が清の総理衙門に提出 34
35 した 琉球を二分割する という提案の中でも 再度中 琉間には 無主地 が存在していないことを証明しました 三 日本側が Q4 で触れた地図の問題や駐長崎領事馮冕の感謝状 及び琉球が1950 年代にアメリカの施政下に置かれたなどの問題は Q4 わが方の反発理由 の内容を参照してください ここには重複しません Q6 中国政府は 1800 年代までに中国や日本を含む外国で制作された地図が尖閣諸島は中国に属することを示している旨を主張していますが 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 地図の用途や作製者等は様々であり その存在のみをもって領有権の主張を裏付けることにはなりません 我が国は 1885 年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い 単に 35
36 尖閣諸島が無人島であるだけでなく 清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で 1895 年 1 月 14 日に現地に国標を建設する旨の閣議決定を行って 尖閣諸島を正式に日本の領土に編入しました これに対し 我が国が 1895 年に編入する以前に中国が尖閣諸島に対する領有権を確立していたという主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠は示されていません また 中国政府が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは 1970 年代以降のことです 2. 中国側が その主張の根拠の一つとしている林子平の 三国通覧図説 (1785 年 ) の中の地図については それが当時の領土認識を示すことを意図して作成されたものか明らかではなく そもそも台湾の大きさを沖縄本島の 3 分の 1 程度に描くなど 正確な知識の裏付けもありません ( 注 : 実際は 台湾の面積は沖縄本島の 30 倍 ) わが方の反発理由 36
37 一 18 世紀から19 世紀にかけて中国 日本及び西洋の地図は原則的に釣魚台列島を中国の領土に組み入れ それに関する歴史資料が多くあり それを否認できません ( 一 ) 明の時代に 日本に使節として赴任した鄭舜功は嘉靖 35 年 (1556 年 ) 日本一鑒 という本の中に 釣魚嶼 小東( 即ち台湾のこと ) の付属島嶼なり と記録し 地図も添付しました このことからも 16 世紀の中期から釣魚台列島が台湾の付属島嶼であるということが分かります ( 二 ) その他 釣魚台列島を中国の版図に組み入れた中国の歴史図鑑が多くあります 具体的な例を挙げますと 次のようなものがあります 例えば 1579 年 ( 明の万暦 7 年 ) 明の冊封使蕭崇業が著した 使琉球録 の中にある 琉球過海図 1629 年 ( 明の崇禎 2 年 ) 茅瑞徵が編纂した 皇明象胥録 年 ( 清の乾隆 32 年 ) に描かれた 坤輿全図 1863 年 ( 清の同治 2 年 ) に刊行された 皇朝中外一統輿図 等があります 37
38 ( 三 ) 日本が釣魚台列島を清王朝の版図に盛り込んだ地図も多くあります 1785 年 ( 乾隆 50 年 日本天明 5 年 ) 日本人の林子平が刊行した 三国通覧図説 の中の 琉球三省並びに三十六島之図 では 釣魚台列島を中国とともに赤色に塗り 琉球三十六島の薄黄色と日本の薄緑に塗り分けていました これは釣魚台列島は中国領であることを認めていた証拠です 林氏が この数カ国の地図は 小生が杜撰したものではない と自白し 清の康煕 58 年 (1719 年 ) 中国冊封副使の徐葆光が著した 中山伝信録 と添付した地図を基にして描いたものだと指摘しました 当該書籍は古代著名な歴史書であり 歴代に中 日 琉三カ国の学者に尊崇され 当該地図が釣魚台列島を琉球三十六島の外に組み入れ そして中国大陸と同じ色に塗り 釣魚台列島は中国領土の一部であることを意味しています その他 例えば (1)17 02 年 ( 元禄 15 年 ) 日本幕府が編纂した 元禄国絵図の琉球国先島諸島図 (2)1719 年新 38
39 井白石が編纂した 南島志 の中に描かれた 琉球国全図 (3) 沖縄県島尻博物館所蔵の 琉球全図 ( 年代不明 ) (4)1854 年 ( 嘉永 7 年 ) 枷雩圓長山貫が描いた 唐土輿地全図 ( 即ち 中国領地図の意 台湾と彭佳嶼 黄尾嶼 赤尾嶼等の付属島嶼を中国領に組み入れました ) (5)1 873 年 大槻文彦が書いた 琉球新志 に添付された 琉球諸島全図 などがあります ( 四 ) そのほか 日本が言ったように 釣魚台列島が1 895 年以来 日本の領土であれば 何故その後の日本官製地図の中で 南西諸島 の地理範囲内に 一度も 尖閣諸島 という用語が出現しなかったのでしょうか 1930 年 日本が台湾を統治して35 年後 帝国陸地測量部が出版した 吐噶喇 ( トカラ ) 及び尖閣諸島図 で 初めて釣魚台列島を沖縄県教師黒岩恆が1900 年に呼んでいた 尖閣諸島 という名を冠したのです 第二次世界大戦後 1951 年 サンフランシスコ和平条約 に基づき 日本は釣魚台列島を含む台湾 39
40 本島とその付属島嶼を放棄しなければなりません そのため 日本国土院が1961 年 4 月 4 日 第 878 号文書が審査した 日本の地理 < 九州編付録 >に掲載された 九州地方 と 南西諸島 の地図の中で 尖閣諸島 ( 即ち 釣魚台列島 ) を現したことなく これは決して特例ではありません 1963 年 11 月 20 日 帝国書院が出版した 日本地図集 及び1969 年 4 月 1 日 鈴木泰二が編纂し 日本図書館協会によって選定発行された ( 学研 ) 学習百科大事典 第 2 巻 日本の地理 の中の 南西諸島 の地図も 尖閣諸島 を見当たることはできませんでした 実は 第二次世界大戦後から1968 年前後まで わが国と日本は釣魚台列島を巡る係争が表面化された前 及び1970 年日本とアメリカが交渉し 琉球の施政権を日本に返還するよう勝ち取った前 日本は釣魚台列島の領有権を手に染めたことなく 釣魚台列島を日本の版図に盛り込みませんでした ( 五 ) 実は 1895 年前に 西洋の地図はいずれも中 40
41 国の音読みの名称で釣魚台列島を表記しました 例えば 1809 年 フランス人ピエ ラピヒが描いた 東シナ海沿岸各国図 (Pierre Lapie and others The Map of East China Sea Littoral States) が 釣魚嶼 黄尾嶼 赤尾嶼を台湾と同じ色に塗りました 1811 年 イギリスが出版した 最新の中国地図 (A New Map of China) 1859 年アメリカが出版した コートンの中国 (Colton s China) 1877 年イギリス海軍が編纂した 中国東シナ海沿海の香港から遼東湾までの海図 (A Map of China s East Coast: Hongkong to Gulf of Liao-Tung) などの地図では いずれも中国語の音読み呼称で釣魚台列島を表記しています また 年 駐中国のフランス宣教師であるアントニック ガビエル (Antoine Gaubil) が中国冊封使徐葆光の 中山伝信録 に基づき 及び駐北京琉球使節との談話によって回想録を書き 1758 年に エース会宣教師書簡集 に刊行されました その書簡集に 台湾のキールン山から琉球那覇港までの針路図 41
42 (Chinois de la Forteresse de Kilongchan a Napakiang) を添付しました 地図の中の釣魚嶼 黄尾嶼 赤尾嶼は それぞれ中国名の発音によってフランス語に翻訳されました 二 日本が主張した1885 年以来 何度も尖閣諸島に徹底的な実地調査を行ったことに対して 日本側が公表した歴史資料では いわゆる 調査 は事実ではありません わが方は Q2 及び Q5 の反発理由で日本の公式文書を引き出して反発しました 日本政府 もし本当に釣魚台列島に対して 徹底した実地調査 を行った事実があれば 具体的な証拠 ( 例えば 文献や写真 ) を提出してください また それに併せて 1894 年 5 月間 沖縄県令奈良原繁が内務省宛てた書簡の中で 1885 年初めて実地調査を行って以来 一度も実地調査を行っていなったことを どうやって説明すればよいのでしょうか もし 奈良原繁県令の話が正しければ 現在日本政府の言い方はうそになりますね 42
43 Q7 中国政府は 日本は日清戦争を通じて尖閣諸島を掠め取った その後 台湾とその全ての付属島嶼及び澎湖諸島が不平等条約である 馬関条約 ( 下関条約 ) によって割譲され そのまま日本に編入されたと主張していますが 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 日清講和条約 ( 下関条約 ) によって 日本が清国より譲り受けた台湾及びその附属諸島嶼については 同条約はその具体的範囲を明記していませんが 交渉経緯等からしても 尖閣諸島が同条約 ( 第 2 条 2) の台湾及びその附属諸島嶼に含まれるという解釈を根拠付けるようなものはありません 2. また 日本は既に日清戦争以前の 1885 年から 尖閣 諸島に対して清国を含むどの国の支配も及んでいな いことを慎重に確認しつつ 同諸島を正式に日本の領 43
44 土として沖縄県に編入するための準備を行っています 日本政府は 下関条約に先立つ 1895 年 1 月の閣議決定により 尖閣諸島を沖縄に編入し 日清戦争後においても 尖閣諸島を 割譲を受けた台湾総督府の管轄区域としてではなく 一貫して沖縄県の一部として扱っていました 3. こうした事実から明らかなとおり 日本は 日清戦争の前後を通じて 尖閣諸島が清国の領土であった台湾及びその附属諸島嶼の一部であったと考えたことはありません したがって 下関条約による割譲の対象とすることもあり得なかったわけです 4. また 日華平和条約において 日本はサンフランシスコ平和条約第 2 条に基づき 台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利等を放棄したことが承認されていますが 日華平和条約の交渉過程ではこのような経緯からも尖閣諸島の領有権は一切議論されていません このことは 尖閣諸島が従来から日本の領土であることが当然の前提とされていたことを意味します 44
45 わが方の反発理由 一 日本政府は1971 年から再三にわたって 1885 年以降 何度も実地調査を行い 釣魚台列島が清国の領有地でないことを確認し 無主地 であることと主張していました そのため 1895 年 日本内閣の釣魚台列島を併合する決議は 日本の釣魚台列島を取得した根拠 即ち国際法上の先占に当たります しかし 前述 Q2 わが方の反発理由の中で わが方は日本明治時代の公文書を引き出し 日本が1885 年 内務大臣の山県有朋が沖縄県令の西村捨三に釣魚台列島を踏査し 国標を建設するよう明確に指示しました 結局 西村捨三は報告の中で 釣魚台列島は清国に領有される恐れがあり この時期に国標を設立すべきではないと提言しました それ以外 日本政府は釣魚台列島に対して実地調査を行ったことなく いわゆる 何度も調査した という言い方は事実ではありま 45
46 せん 1895 年 1 月 日本が釣魚台列島を盗み取った時 当然それは無主地ではなく 清国の領有地であることをよく知っているはずです しかし 日清戦争すでに勝利したため 日本は配慮する必要はなく 併合することにしましたが 故意に対外的に公表しませんでした 他国の領土を盗み取り また秘密裏にして公表しなかったため 国際法においては最初から無効です 従って 1895 年 4 月の 下関条約 は 日本が1895 年釣魚台列島の主権を取得した唯一の法的根拠です もし 日本は 釣魚台列島と 下関条約 と関係がないと思うならば 具体的で且つ明確な証拠を提出しなければなりません さもなければ 日本が1895 年 1 月に釣魚台列島を盗み取った行為が 最初から無効である状況の下において 日本は明らかに 釣魚台列島は日本に属される 法的根拠を提出することができないことになります 二 下関条約 第 2 条の規定によると 清王朝は 台湾 全島及びすべての付属島嶼 を日本に割譲します 釣 魚台列島はそもそも台湾の付属島嶼であるため 当然 46
47 彭佳嶼等のその他の付属島嶼とともに 台湾本島と一 緒に日本に割譲されました そのため 日本が釣魚台 列島を取得した唯一の法的根拠は 下関条約 です 三 日本は 下関条約 に基づき 清王朝と日本は上述した条約により 及び条約に添付された台湾地図によって 海の境界線を画定すると主張しました 日本側は当該地図は山吉盛義が1895 年 3 月によって描かれ その内の一枚は台湾諸島全図 もう一枚は澎湖島と台湾北部のものであり 釣魚台列島を含まれていないと主張しています しかし 現在 日本アジア歴史資料センター (JACAR) に公開されたオリジナルな日本語版の 下関条約 では 台湾地図を添付していませんでした 日本側の上述した言い分を裏づけられませんでした また 現在わが故宮に所蔵された 下関条約 の光緒皇帝御覧本及び日本天皇が批准した原本によりますと 遼東半島の地図だけを添付しており 台湾地図を添付していなかった だから日本側の言い分はまったく根拠ありませんでした 四 1941 年 我が国は真珠湾攻撃の翌日 ( 即ち12 月 47
48 9 日 ) 日本に宣戦布告した際 中日間に締結されたすべての条約 協定 合同等を一切破棄すると表明しました 1943 年 同盟国の カイロ宣言 は 明白に 日本国が清国人より盗み取った一切の地域 例えば東北 4 省 台湾 澎湖諸島等を中華民国に返還することにあり また 日本国は暴力及び貪欲により略取した一切の地域より駆逐させなければならないと謳っています 1945 年 7 月 同盟国の ポツダム宣言 では 改めて カイロ宣言 の条件は 必ず履行させなければならない と定めました 1945 年 9 月 日本天皇が署名した 日本降伏文書 の第 1 条及び第 6 条の中でも 明白に ポツダム宣言 を受け入れると宣言しました それと同時に 1951 年の サンフランシスコ平和条約 の第 2 条と1952 年の 日華平和条約 の第 2 条は 明確に 日本は台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利 権原及び請求権を放棄する と規定しています その他 日華和平条約 は 更に第 4 条に 1941 年 12 月 9 日前に中日間で締結されたすべての条約 協約及び協定は 48
49 戦争の結果として無効となった と規定しており 再度に 下関条約 を破棄することを確認したため 日本は前述した法律文書によって 釣魚台列島を中華民国に返還するべきです 五 日本が一方的に 釣魚台列島は日本領土 ( 南西諸島の一部 ) だといい 下関条約 と関係がないという言い方は 説得力はありません 日本が盗み取った方式で 1895 年 1 月 清国が日清戦争で敗れた際に こっそりと清王朝である中国領土の釣魚台列島を併合し 国際法に違反したため 最初から無効です また 釣魚台列島は日本が武力で或いは貪欲により掠め取った土地であるため カイロ宣言 をはじめとするその後の一連の同盟国が戦後の国際新秩序を構築する関連の国際法的文書により 釣魚台列島を東北 4 省及び台湾 澎湖と同じように 中華民国に返還するべきです Q8 中国政府は 1885 年の日本の外務大臣から内務大 臣に宛てた書簡等を取り上げ 明治政府は尖閣諸島の 49
50 沖縄県への編入前に同諸島が中国の領土であること を認識していた旨を主張していますが 日本政府はど のような見解を有していますか 日本側の主張 年の外務大臣の書簡は 編入手続を行う過程における一つの文書であり そこには清国の動向について記述があるのは事実ですが 日本政府として 清国が尖閣諸島を領有していると認識していたとは全く読み取れず 同書簡はむしろ当時尖閣諸島が清国に属さないとの前提の下 我が国がいかに丁寧かつ慎重に領土編入の手続を進めてきたかを示すものです 外務大臣が同書簡の中で実地踏査を支持していることからも 尖閣諸島を清国の領土であると考えていなかったことは明らかです 50
51 2 また 1885 年に内務大臣から外務大臣に宛てた書簡 でも尖閣諸島に 清国所属の証跡は少しも相見え申 さず と明確に記載されています わが方の反発理由 一 日本の言い方は明らかに重点を避けており 故意に歴史的事実を無視しています さらに 釣魚台列島の位置づけの重要性を語っていません 前述各問題の わが方の反発理由 で指摘したように 釣魚台列島は明 清時代に相次いでわが国の海上防衛地域と領土の範囲内に編入され 歴史資料もそれを証明することができ 決して日本が主張したような 無主地 ではなく 日本の公文書もそれを認めています 二 前述した Q1と Q2 の わが方の反発理由 で指摘したように 日本明治政府の公文書 明治 18 年日本外交文書 は すでにそれを認めています 1885 年 日本内務大臣山県有朋が沖縄県令西村捨三に釣魚台 51
52 列島を踏査し 国標 を設置するよう密令しました 同年 9 月 22 日 西村が極秘書簡で 当該列島は昔から中国に命名 利用され また公文書にも記載されているため 踏査後にすぐ 国標 を建設するのには時宜に適さないので 暫く見合わせるべきであると返事しました 当時の山県有朋はさらに外務大臣井上馨の意見を伺いました 10 月 20 日 井上馨は山県有朋に宛てた極秘文書 親展第 38 号 をもって 特に清国にはその名も付し 近時清国新聞等にもわが政府において台湾近傍清国所属の島を占領せんとする等の風説を掲載し わが国に対して猜疑を抱き 頻に清政府の注意を促しているところでもあり と指摘し また 国標を建て開拓等に着手するは他日の機会に譲るべきだろう と提言しました そのため 踏査と国標の建設を見合わせたわけです 明らかに 沖縄県令にしても 内務大臣或いは外務大臣にしても 釣魚台列島は清国の領土であることが分かっていました しかし 強制的に占領する時期はまだ尚早ということで 他日の時期が熟した時に占領すると決めたでしょう 52
53 1894 年から1895 年にかけての日清戦争は 成熟した時期を日本に提供したわけです 三 日本が釣魚台列島はわが国の領土であることを分かっていながら 1895 年 1 月 日清戦争 清国が敗れた際に 内閣秘密決議の方式でこっそりと併合し 対外的に公表していないだけでなく 翌年 勅令 13 号 の ( 沖縄県の範囲画定 ) の中にも盛り込まれず 外部の人間は まったくそれを知るゆえんはありませんでした この種の決議は内部の意思表示に過ぎず 対外的には効力なく 当然わが国を拘束することができません 四 先述した歴史的論拠はわが方の文献に散見しているほか 日本の学者井上清教授と村田忠禧教授も彼らの著作の中で同じ論点を提出しました 即ち 日本は当該列島は清国領と知っていながら 盗み取ったので 国際法上の 先占 にはなりません 五 日本の釣魚台列島を盗み取った行為は一度も対外的に公表していないだけでなく 琉球政府が釣魚台列島で建てた標杭も 1969 年 5 月にいたるまで はじめ 53
54 て建てたのです 他国が知るゆえんがなく 抗議する機会もありません そのため 日本のこの国際法に違反した行為は 最初から無効です 日本も歴史的論拠はわが方に叶わないことを知っており わざと無視し 当該列島はそもそも 無主地 だと弁解し 自分は 先占 によって取得したと詭弁を振りまわったのでしょう Q 年に尖閣諸島を日本の領土に編入するに当 たり 十分な調査が尽くされなかったのではないです か 日本側の主張 尖閣諸島は 1885 年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い 単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく 清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で 1895 年 1 月 14 日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って 正式に日本の領土に編 54
55 入したものです この行為は 国際法上 正当に領有権を取 得するためのやり方に合致しています ( 先占の法理 ) わが方の反発理由 一 日本政府は1971 年に 日本は1885 年以降沖縄当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い これらの島々が単に無人島であるだけでなく 清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で 沖縄県編入を行ったものです このような言い方は 完全に事実に反したものです 現存する1885 年から1895 年まで明治時代の公文書がそれを証明できるのです 二 鍵となる証拠の一つ目は 1892 年 1 月 27 日 沖縄県の丸岡莞爾知事が樺山資紀 海軍大臣に書簡を出し 釣魚台列島は 探査未完成 の島嶼であるため 海軍に 海門艦 を釣魚台列島に派遣し 実地調査を行うよう要望しました しかし 海軍省は 季節険悪 55
56 を理由に派遣しませんでした 三 鍵となる証拠の二つ目は 1894 年 5 月 12 日 沖縄県知事の奈良原繁が内務省へ送った書簡では 明治 18 年 (1885 年 ) から本県の警部が調査団を派遣して以来 その間に実地調査を行っておらず 確実な事項を報告できるようなものはない と表明しました 上述した公文書は 現在日本政府が宣言した 尖閣諸島に対して再三にわたって徹底的な調査を行った という言い方をきっぱり覆すものであるほか 当時の日本政府が確かに日清戦争の勝利に乗じて釣魚台列島を盗み取ったことを証明しています 四 従って 釣魚台列島と日清戦争によって台湾を割譲することと切っても切れない関係があります 日本は1 879 年正式に琉球を併合した後 積極的に領土の拡張に乗り出しました 現在の日本外務省外交史料館 国立公文書館及び防衛省防衛研究所付属図書館に所蔵されている史料から見ても分かります 1885 年 ( 明治 18 年 ) から 日本明治政府は釣魚台列島の占領を企んでいます 前述 Q1 Q2 Q8の わが方の反 56
57 発理由 の部分で指摘したとおり 1885 年 山県有朋 内務大臣が沖縄県令の西村捨三に釣魚台列島を踏査した後 国標を設置するよう要求しましたが 西村捨三が探査した後 当該列島は昔から中国に発見 命名され また史料にも記載されているため この時期に国標を建設するのは時宜に適さないので 暫く見合わせるべきと提言しました 内務大臣はさらに極秘に外務大臣井上馨にも意見を伺い 井上馨は極秘文書 親展 38 号 をもって内務大臣に 近時清国新聞等にもわが政府において台湾近傍清国所属の島を占領せんとする等の風説を掲載し わが国に対して猜疑を抱き 頻に清政府の注意を促しているところでもあり これについては この際 公然と国標を建設等の処置を行えば 清国の猜疑を招くだろう と書いてありました また 実地踏査等のことは いずれも官報及び新聞紙に掲載する必要はない と要求しました 明治政府の国標を建設することは このことによって 一旦中止しました 五 清の光緒 20 年 (1894 年 )7 月 中日間に日清戦 57
58 争が勃発しました 同年 10 月 日本が海陸の戦場でともに決定的な勝利を収めた後 明治政府は 今昔の情況は違う と 機が熟したと見て 1895 年 1 月 14 日に内閣で秘密決議を通して 沖縄県の釣魚台列島における国標の建設を承認しました ( しかし 琉球政府は1969 年 5 月 釣魚台列島をめぐる係争が発生した後 はじめて釣魚台列島で標杭を設置したのです ) 六 しかし 上述した内閣の秘密決議は 慣例の天皇の勅令によって正式に頒布されることなく 外部はこのような 先占 に対して 知る所以はありませんでした 文明国家が認めている一般の国際法原則では 無主地の確認 と 占領の宣告 は いずれも国際法上で 無主地 を有効に 先占 する原則の不可欠なプロセスであり さもなければ他国はどうやってそれを知り それを踏まえて承認するかどうかの外交的判断をするのでしょうか また 国家が違法的な作為或いは非作為な手段を通じて 合法的な権利或いは資格を取得してはならない と定めており 釣魚台列島はわ 58
59 が国の領土であるため 日本がこっそりと併合した作為は国際法に違反したため 最初から無効だということが自明です 七 その他 日本外務省のウェブサイトで言及した 年の軍艦 金剛 の発着記録によれば 同艦は水路部測量班長 加藤海軍大尉を乗船させ 同年 6 月に那覇から先島群島 ( 尖閣諸島方面 ) に向かっており また 日本水路誌 (1894 年刊 ) 等には 年及び1888 年の加藤大尉の実験筆記 ( 実地調査に基づく記録 ) に基づくものとして 魚釣島 ( 日本人の用語 ) 等の概況が記載されていることが挙げられる といったことをもって 明治政府が実地調査を行ったことを証明しようとしました しかし 実は 現在防衛省防衛研究所に所蔵され 軍艦 金剛 の18 87 年の航海記録を調べてみたら 同艦が釣魚台列島に行っていないことが分かりました なお 日本水路誌 (1894 年刊 ) の中に 魚釣島 等に関する記載は 実は英国が1884 年 The China Sea Directory Vol.4 に掲載された内容を写ったもの 59
60 であり その内容は 1886 年に日本語訳され 日本の 寰瀛水路誌第一卷下 に掲載されたため 加藤と関係がないことが分かりました 八 従って 日本内閣が1895 年 1 月 14 日の秘密決議は 政府内部の意思表示に過ぎず 対外的に効力なく 国際法の要件にも合致していません 当時の清国を拘束することができず 勿論 現在の我が国を拘束することもできません 実は 日本政府が釣魚台列島を盗み取るという決議をした後も 国標の設立や派兵など具体的な行動でこれらの島嶼を占拠したことはありませんでした 琉球政府が釣魚台列島に国標を建てたのも 1969 年 5 月 釣魚台列島をめぐる係争が発生した後に建てられたものです 日本が釣魚台列島を盗み取った3ヵ月後 (1895 年 4 月 17 日 ) 清国は日本に台湾を割譲する 下関条約 に調印しました 双方は5 月 8 日に引継ぎを行い 台湾 ( 釣魚台列島を含む ) が正式に日本の領土となりました そのため 日本が釣魚台列島の主権を取得したとする根拠は国際法に違反して最初から無効であり 先占 による 60
61 ものではなく 当時の国際法に違反しない 割譲 に よって取得したものです Q10 日本政府は 1895 年の閣議決定を対外的に明らか にしておらず 秘密裏に行ったのではないですか 日本側の主張 1895 年の閣議決定が当時公表されなかったのは事実ですが これは当時における他の一般の閣議決定についても同様だったと承知しています 右閣議決定以来 日本は 民間人の土地借用願に対する許可の発出や国及び沖縄県による実地調査等 尖閣諸島に対して公然と主権の行使を行っていたので 日本の領有意思は対外的にも明らかでした なお 国際法上 先占の意思につき他国に通報する義務があるわけではありません 61
62 わが方の反発理由 一 一国政府 ( 日本内閣 ) の決定は 対外的に公表するかどうかは その国によって決めます しかし その決議は国際社会で法的効果が発生するかどうかは 国際法に基づいて認定させなければなりません 二 日本が1891 年に大東諸島を取得した際に国際法に基づき 対外的に公表しました 1895 年 1 月 日本がこっそりと釣魚台列島を併合したやり方とまったく違っていました これは 当時の日本が国際法の規定をよく理解していることを説明しています 即ち 新たな領土の取得は 国際社会に公表し 周知する必要があるということです 1885 年の ベルリン条約 は 無主地 に対する先占は 対外的に公表しなければならないと説明しています 従って 日本が秘密裏に閣議決定で清国の領土である釣魚台列島を盗み取った行為は 国際法に違反しているため 最初から無効です 62
63 三 日本はその後 日本内閣が当時 勅令 13 号 を頒布し 正式に釣魚台列島の主権を取得したと弁解しましたが 日本外務省の公文書では 日本の駐中華民国大使が最初に 勅令 13 号 を引き出して弁解しましたが 後に後悔しました というのは 勅令 13 号 は 沖縄県が郡県制度を実施するものに関する公告だけであり 釣魚台列島主権の編入と関係なく 日本の言い分は前後不一致な事を証明しています 本当のことは 日本が釣魚台列島はわが国に属されていることを知っていながら 1895 年 1 月 日清戦争で清国が大敗した際 内閣の秘密決議を通して こっそりと併合し 対外的に公表していないどころか 翌年 勅令 13 号 の中にも盛り込まれず そのため 外部はそれを知る所以はありませんでした 四 もし 日本が指摘したように 釣魚台列島が1895 年以降日本に属したものならば なぜ日本官製出版した地図 南西諸島 の地理範囲は 一度も 尖閣諸島 という文字を出現したことなく 1930 年日本帝国陸地測量部が測絵した 吐噶喇 ( トカラ ) 及び尖閣諸 63
64 島図 に至って はじめて釣魚台列島を沖縄県教師黒岩恒が1900 年に呼んでいた 尖閣諸島 の呼称を冠して定着したのです 日本は1895 年 1 月 違法に釣魚台列島を盗み取ったですが まだ主権をクローズアップした行動をとっておらず 国標も1969 年 5 月 釣魚台列島をめぐる係争が発生した後に建てられたものです 五 文明国家が認めている一般的な国際法原則によると 無主地の確認 と 占領の宣告 は 国際法において 無主地 を有効に 先占 する原則の不可欠な手続きです 日本の閣議は秘密裏に行われたものであり 且つ対外的に公表されていないため あくまでも内部の意思表示に過ぎず 対外的に効力なく わが国或いはその他の国を拘束できず 当然 国際法上での効力はありません 国際法の 国家は違法の作為或いは非作為によって合法的な権利或いは資格を取得してはならない という原則に基づき 日本のこっそりとわが国の釣魚台列島を併合した行為は 国際法に違反し 最初から無効です 64
65 六 明治 42 年 (1909 年 ) 古賀辰四郎が藍綬褒章を授与された際 古賀氏に関する履歴資料では 明治 年戦役は終局し 皇国大捷の結果 台湾島は帝国の版図に帰し 尖閣列島またわが所属たること という記載がありました また 大正 2 年 (1913 年 ) の 宮古郡八重山郡漁業調査書 の中にも 古賀氏が釣魚台列島を無料で借受けできたのは 日清戦争によって台湾が日本の領土に編入されたものによるという記載がありました 従って 日本の民間も釣魚台列島は無主地ではなく 日本は日清戦争によって当該列島を取得したと見ています 言い換えれば 釣魚台列島は日清戦争によって日本の戦利品となったわけです Q11 中国政府は 1943 年 カイロ宣言 またその後の1945 年 ポツダム宣言 を日本が受け入れた結果 尖閣諸島は台湾の付属諸島として 台湾とともに中国に返還された旨を主張しています また 65
66 中国を排した状況で締結された サンフランシスコ平和条約 により 米国の施政下におかれることとなった南西諸島に尖閣諸島は含まれておらず 年 12 月に米国政府は 琉球諸島の地理的限度 を発表して米国の管理範囲を無断で拡大し 年に米国が沖縄の施政権を日本に返還する際に尖閣諸島もその返還地域に組み入れられた 中国政府は一貫して尖閣諸島が日本の領土と認めていない旨を主張していますが 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. カイロ宣言 や ポツダム宣言 は 当時の連合国側の戦後処理の基本方針を示したものですが これらの宣言上 尖閣諸島が カイロ宣言 にいう 台湾 の附属島嶼に含まれると中華民国を含む連合国側が認識していたとの事実を示す証拠はありません 66
67 2. そもそも 戦争の結果としての領土の処理は 最終的には平和条約を始めとする国際約束に基づいて行われます 第二次世界大戦の場合 同大戦後の日本の領土を法的に確定したのは サンフランシスコ平和条約 であり カイロ宣言 や ポツダム宣言 は日本の領土処理について 最終的な法的効果を持ち得るものではありません 3. 日本は サンフランシスコ平和条約 第 2 条 (b) により 日本が日清戦争によって中国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島の領有権を放棄しましたが 尖閣諸島はここにいう 台湾及び澎湖諸島 に含まれていません なぜなら 尖閣諸島は サンフランシスコ平和条約 第 3 条に基づき 南西諸島の一部として米国が施政権を現実に行使し また 1972 年の沖縄返還により日本が施政権の返還を受けた区域にも明示的に含まれているからです 4. サンフランシスコ平和条約 締結に際し 尖閣諸島は日本の領土として残されましたが 主要連合国である米 英 仏 中国 ( 中華民国及び中華人民共和国 ) 67
68 のいずれも異議を唱えていません むしろ 中国は 1953 年 1 月 8 日人民日報記事 琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い において 米国が カイロ宣言 や ポツダム宣言 で信託統治の決定がなされていない琉球諸島を 琉球諸島の人々の反対を顧みず占領したと非難していますが 同記事には琉球諸島は尖閣諸島を含む 7 組の島嶼からなる旨の記載があり 尖閣諸島が琉球諸島の一部であることを認めています 中国は サンフランシスコ平和条約 の締約国ではありませんが 日本は当時承認していた中華民国 ( 台湾 ) との間で日華平和条約を締結しました 同条約において 日本は サンフランシスコ平和条約 第 2 条に基づき 台湾及び澎湖諸島等に対する全ての権利等を放棄したことが承認されていますが 同条約の交渉過程では 日本領として残された尖閣諸島については一切議論されていません このことは 尖閣諸島が従来から日本の領土であることが当然の前提とされていたことを意味します 68
69 年秋に行われた国連機関による調査の結果 東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まり 1970 年代以降になって 中国政府及び台湾当局が独自の主張を始めました それ以前には サンフランシスコ平和条約 第 3 条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対しても 何ら異議を唱えていません 何ら異議を唱えていなかったことについて 中国政府は何ら明確な説明を行っていません わが方の反発理由 一 前述した通り 1895 年 4 月に締結された 下関条約 は 日本が1895 年に釣魚台列島の領有権を取得した唯一の法的根拠です 日本が第二次世界大戦敗戦後 1943 年の カイロ宣言 1945 年の ポツダム宣言 1945 年の 日本降伏文書 及び1 952 年の 日華平和条約 など一連の国際法的文書の規定によると 釣魚台列島を台湾本島及びその付属 69
70 島嶼 並びに澎湖諸島とともに中華民国に返還するべきです 二 カイロ宣言 が 明確に同盟国がカイロ会議を開く目的を 日本国が清国人より盗み取った一切の地域 例えば東北 4 省 台湾 澎湖諸島等を中華民国に返還することにあり 日本国はまた暴力及び貪欲により日本国の略取した他の一切の地域より駆逐させなければならない と謳っています 1945 年 7 月 26 日 中華民国 アメリカ イギリス ソ連等の連合国が共同で発表した ポツダム宣言 第 8 条では 改めて カイロ宣言 の条件は 必ず履行させなければならない と定めました 1945 年 9 月 2 日 日本の天皇が連合国軍の最高元帥に無条件で降伏する際に調印した 日本降伏文書 の中でも 明白に ポツダム宣言 を受け入れると宣言しました こうして 日本降伏文書 は ポツダム宣言 を受け入れ ポツダム宣言 は カイロ宣言 が実施せねばならぬと規定しているので 事実上 日本降伏文書 は三つの文書を明確に結びつけたのです この三つの文書は米国務省が 70
71 1969 年に出版した 米国 年条約及び国際協定編纂 第 3 冊第 及び ページに収録され また 日本降伏文書 は1946 年の 米国法規大全 第 59 冊第 2の部分 第 ページと 1952 年の 国連条約集 第 139 冊第 ページに収録され また1948 年日本外務省が編纂した 条約集 第 26 集第 1 巻第 ページ 第 ページと第 639ページもこの三つの文書を収録しています 従って これらの文書は 日本 アメリカとわが国において条約或いは国際協定と見なされているため いずれも法的拘束力を持っています 三 それと同時に 1951 年の サンフランシスコ平和条約 と 1952 年の 日華平和条約 は 明確に 日本は台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利 権原及び請求権を放棄する と規定しています 1952 年の 日華和平条約 は 更に第 4 条に 1941 年 1 2 月 9 日前に 中日間で締結されたすべての条約 協 71
72 約及び協定は 戦争の結果として無効となった と規定しています 第 10 条も台湾と澎湖諸島住民の中華民国国籍を確認し 書簡第 1 号も この条約は中華民国の領土に適用すると規定しています 従って 釣魚台列島は中華民国の領土に復帰するべきです 四 日本政府が カイロ宣言 ポツダム宣言 日本降伏文書 及び 日華和平条約 は いずれも釣魚台列島を言及していないと見ていますが 実は 釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり 台湾に含まれており しかし 台湾の付属島嶼は釣魚台列島だけでなく その他に また彭佳嶼 綠島 蘭嶼 小琉球等がいずれも台湾の一部であり 一々列挙する必要はなく 下関条約 第 2 条には 台湾全島及びその付属島嶼 と規定してあり 各島嶼の名前も列挙されていませんでした 五 もし 日本が釣魚台列島と 下関条約 ポツダム宣言 日本降伏文書 及び サンフランシスコ平和条約 と 日華和平条約 等と関係がないと思うならば 具体的で且つ明確な証拠を提出しなければなりませ 72
73 ん 前述したとおり 実際には 日本の公文書は日本が明治時代からすでに釣魚台列島は清国の領土であることを知っており 日本政府が完全に 釣魚台列島は日本に属される という法的根拠を提出することができず 日本が1895 年 1 月 釣魚台列島を盗み取った不正な行為は 勿論最初から無効です 六 釣魚台列島は 日本が暴力或いは貪欲により掠め取った地域であるため カイロ宣言 及びその後の一連の連合国の戦後の国際秩序を構築する各関連法的文書に基づき 当該列島は東北 4 省及び台湾 澎湖諸島等とともに中華民国に返還するべきです Q12 台湾 ( 中華民国 ) はともかく 中国 ( 中華人民共和 国 ) は サンフランシスコ平和条約 上の尖閣諸島の 取り扱いには反対していたのではないですか 日本側の主張 73
74 サンフランシスコ平和条約 締結後の尖閣諸島の扱いは 国際的には公知であり 中華人民共和国が当時これを承知していないはずはありません 現に中国共産党の機関紙である人民日報は 1953 年 1 月 8 日の記事 琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い において 米国の施政権下に入った琉球諸島の中に 尖閣諸島を明示的に含めて記述しています その後も同国は 1970 年代まで サンフランシスコ平和条約第 3 条に基づいて米国の施政権下に置かれた地域に尖閣諸島が含まれている事実に対して 何ら異議を唱えていません また 中国側は 異議を唱えてこなかったことについて何らの説明も行っていません わが方の反発理由 一 Q11 の わが方の反発理由 で指摘したように 年 4 月に締結された 下関条約 は 日本が18 95 年に釣魚台列島の領有権を取得した唯一の法的根拠です 日本が第二次世界大戦敗戦後 1943 年 74
75 の カイロ宣言 1945 年の ポツダム宣言 年の 日本降伏文書 及び1952 年の 日華平和条約 など一連の連合国が戦後によって確定された国際法的文書の規定に基づき 釣魚台列島を台湾本島及びその付属島嶼 並びに澎湖諸島とともに中華民国に返還するべきです これらの宣言 公告 降伏書或いは条約 米国にしても 日本或いは中華民国にしても いずれも国際条約或いは協定と見なされており この三カ国に対して いずれも拘束力を持っています Q11 の わが方の反発理由 の三で述べたとおりです 1951 年の サンフランシスコ平和条約 は 中華民国が締約国ではなく 同条約の第 3 条には 日本が指摘した釣魚台列島を言及していなかったし 中華民国と日本が1952 年に調印した 日華平和条約 の第 2 条に 中華民国は日本が同平和条約に基づき 台湾 澎湖諸島や南沙諸島 及び西沙諸島に関するすべての権利 権原及び請求権を放棄することを承認する 台湾の部分は もちろん 釣魚台列島を含めています 1952 年 日華平和条約 をめぐって交渉展開され 75
76 た際 双方が釣魚台列島について言及しなかったのは 釣魚台列島はそもそも台湾の付属島嶼だったので 一々言及する必要はないからです 1895 年の 下関条約 第 2 条も 台湾全島及びその付属島嶼 と定めただけで 一々列挙しませんでした 日本政府は 条約の中に釣魚台列島を列挙しなかったことを口実に 尖閣諸島は日本の領土だという事を 当たり前の前提 に見ることはできません 二 1895 年 日本政府が秘密裏に釣魚台列島を国土に編入し 直ちにそれを沖縄県政府の管轄下に置かれました また 大正年間 ( ) に 釣魚台列島を英語の Pinnacle Islands から 尖閣諸島 に翻訳しました 戦後 引継ぎした際 釣魚台列島は台湾の管轄下にあるものではないから もう一つは 尖閣諸島 という称呼も 同諸島はわが国固有の領土である釣魚台列島だということを判別できないからです 1945 年連合国軍が勝利した最初 3 0 数年前に日本によって名前が改まられた 尖閣諸島 は 即ちわが国固有の領土である釣魚台列島のこ 76
77 とに気がつきなかったからです 三 実は わが政府は当初 アメリカが琉球諸島及び釣魚台列島の施政権を日本に移管しようとした時 すでに反対の立場を申し入れました Q3 で述べたように 外交部は米国が琉球諸島北部の奄美大島を日本に返還すると決定した際 1953 年 11 月 24 日 米国の駐中華民国大使に覚書を手渡し 琉球諸島に対する最終的な扱いに対して 中華民国は意見を述べる権利と責任があると表明しました その他 アメリカは 1971 年 5 月 26 日 外交書簡でわが国の米国駐在大使である周書楷に宛てた抗議書簡への返事の中に アメリカが日本から取得した施政権を日本に返還することは 中華民国の主権をめぐる主張を損なっていないと表明しました 米国上院がその後 補足説明を行い 施政権を日本に返還するだけで 主権問題に対して米国は中立的な立場をとっており 中日双方が協議を通じて解決すべきであると表明しました Q13 中国政府は 日本の尖閣諸島における立場とやり方 77
78 は 世界反ファシスト戦争の勝利の成果に対する公然たる否定であり 戦後国際秩序と国連憲章の趣旨 原則に対する深刻な挑戦であると主張していますが これに対し 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 日本による尖閣諸島の領有権の取得は第二次世界大戦とは何ら関係がないものです 第二次世界大戦後の日本の領土に関する法的な処理を行ったサンフランシスコ平和条約や関連条約も尖閣諸島が日本の領土であることを前提とした処理が行われています また サンフランシスコ平和条約に基づく処理の前に 尖閣諸島について中国や台湾が領有権を主張したこともありません 2. しかし 1968 年秋に行われた学術調査の結果 東シ ナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖 78
79 閣諸島に注目が集まると 中国政府及び台湾当局は 1970 年以降になって 同諸島の領有権について独自の主張を始めました さらに 最近 中国は こうした自国の独自の主張を正当化するために 突如として新たに 第二次世界大戦の結果 などという議論を持ち出し 日本があたかも第二次世界大戦後の国際的枠組みを歪めているかのような主張をしています しかし 日本との関係で第二次世界大戦の結果を処理した国際的枠組みである サンフランシスコ平和条約 に基づいた処理に対して異議を申し立てている中国の行動こそが 戦後国際秩序への深刻な挑戦と言えるでしょう 3. また 二国間の見解の相違を安易に過去の戦争に結び付けることは 物事の本質から目をそらすものであり 説得力をもつものではなく また非生産的です そもそも中国は 日中両国首脳が署名した 2008 年 5 月の日中共同声明において 中国側は, 日本が 戦後 60 年余り 平和国家としての歩みを堅持し 平和的手段により世界の平和と安定に貢献してきて 79
80 いることを積極的に評価した と明確に述べてい ます 4. 第二次世界大戦の結果 などという議論を持ち出しても 平和愛好国家として歩んできた戦後半世紀の日本の正当な主張を否定することはできず また 尖閣諸島に係る中国の独自の主張を正当化することはできません わが方の反発理由 一 わが国は 釣魚台列島が台湾の付属島嶼であり わが国固有の領土であることを厳正たるに声明します 日本が過去 釣魚台列島を擁した唯一の法的根拠は 下関条約 によるものです しかし 戦後 下関条約 が廃棄され 1943 年の カイロ宣言 1945 年の ポツダム宣言 1945 年の 日本降伏文書 及び1952 年の 日華平和条約 など一連の拘束力のある国際法的文書の規定に基づき 釣魚台列島を台 80
81 湾本島及びその付属島嶼 並びに澎湖諸島とともに中華民国に返還するべきです 二 日本は サンフランシスコ平和条約 と 日華平和条約 の締結は ともに 尖閣諸島 を日本の領土の前提下において行われたものだと見ています この言い方は 何らの根拠もありません この二つの条約は 台湾だけ触れて 台湾の付属島嶼を触れていなかったからです 台湾の付属島嶼を列挙しなかったことを理由に 釣魚台列島が日本の領土だと見てはいけません 台湾の付属島嶼が多いから いずれも列挙されなかったし まさかそういった島々はすべて日本の領土になるわけではないでしょうね 三 日本が2012 年以降 釣魚台列島を 国有化 にしたなど わが国と日本との関係発展に損なった一方的なやり方 わが国の主権に深刻な損害を与え さらに戦後の国際秩序と国際法に基づいて平和的に係争を解決する原則及び国連憲章の宗旨に違反しているものであり わが国としては 厳正に注意し 強く抗議します 81
82 四 Q6 の わが方の反発理由 で指摘したように 年の サンフランシスコ平和条約 によると 日本は釣魚台列島を含む台湾全島とその付属島嶼を放棄しなければなりません 従って 日本国土院が19 61 年 4 月 4 日付け 第 878 号文書で審査した 日本の地理 ( 九州編付録 ) に載ってある 九州地方 及び 南西諸島 の地図の中に すでに放棄した 尖閣諸島 ( 即ち 釣魚台列島 ) を現れていませんでした これは 決して特例ではありません 1963 年 11 月 20 日 帝国書院が出版した 日本地図集 及び1969 年 4 月 1 日 鈴木泰二が編纂し 日本図書館協会が選定し 発行した ( 学研 ) 学習百科大事典 第 2 巻 日本の地理 の中の 南西諸島 図 いずれも 尖閣諸島 を見当たりませんでした 実は 第二次大戦後から1970 年前まで 日本が出版した地図の中の 南西諸島 は 原則的には 尖閣諸島 ( 釣魚台列島 ) を見当たりませんでした これは 日本が 1970 年までに 中華民国所属の釣魚台列島に手を染めることができず 1968 年の国連アジア極東経 82
83 済委員会が行った調査報告が出され 東シナ海大陸棚に豊富な石油や天然ガスの埋蔵があるとの指摘がなされ 日本が初めて貪欲の念を生じ 釣魚台列島は南西諸島の一部であるという主張を言い出したのです 五 釣魚台列島周辺の大陸棚を勝ち取るため 日本が19 70 年 9 月 17 日 尖閣諸島の領有権に関する 声明を発表し 釣魚台列島を沖縄県八重山行政区に組み入れ 1895 年 1 月 14 日 閣議が正式に八重山群島北西にある 魚釣島 久場島 を沖縄県に編入し また 沖縄県令の秘密書簡によって 同県で標杭を建設する 明治 29 年 (1896)4 月 1 日 勅令 13 号 に基づき 当該列島に対して国内法の編入措置をとり 当該列島は地方行政区分においては八重山郡に編入される と指摘しました しかし Q1 Q2 Q10 及び Q13 の わが方の反発理由 で指摘したとおり 勅令 13 号 はただ沖縄県が郡県を実施する公告に過ぎず 釣魚台列島の領有権の編入とまったく関係ありません 日本の強引な言い分は 却って1 968 年国連が東シナ海に石油埋蔵の可能性がある 83
84 と発表された後 釣魚台列島に対する領有権の主張を強化しようという企みを露呈しました しかし それは歴史上と国際法上の根拠は全くありません 六 わが国は 1968 年国連が東シナ海に石油埋蔵の可能性があると発表された後 はじめて釣魚台列島に対する領有権を主張したものではなく 釣魚台列島は1 683 年に清国領となり 台湾の付属島嶼だったからです わが国は 1958 年 大陸棚条約 の締約国であり 釣魚台列島が台湾から102 海里離れており わが国の大陸棚に位置しています 1970 年 8 月 2 1 日 わが国の立法院が同条約の批准にあたり 同条約の第 6 条に留保の主張を提出しました 一 海岸隣接或いは向かいの両国以上の国 その大陸棚境界線の画定が その国の領土の自然延伸の原則に合致すべきです 二 中華民国の大陸棚の境界線を画定する際には 海面に露出する何らの島嶼を計算しません 以上の第 2 点から見れば わが国としては 釣魚台列島 この海面に露出した島嶼を存在可能性のある石油の利権を争うため もっと広範囲な大陸棚を主張する 84
85 のに利用しなかった最も良い証明です Q14 中国政府は 1972 年の日中国交正常化及び19 78 年の平和友好条約を締結する交渉の過程において 両国の指導者は 釣魚台問題 は放置し 以後の解決に委ねることにつき重要な了解と共通認識に達した と主張していますが これに対し 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 尖閣諸島が我が国固有の領土であることは 歴史的にも国際法上も疑いないところであり 現に我が国はこれを有効に支配しています 尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していません 2. このような我が国の立場は一貫しており 中国側と の間で尖閣諸島について 棚上げ や 現状維持 について合意したという事実はありません この点 85
86 は 公開されている国交正常化の際の日中首脳会談の記録からも明らかです このような我が国の立場については 中国側にも幾度となく明確に指摘してきています わが方の反発理由 一 釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり その行政管轄権は台湾省宜蘭県頭城鎮大渓里に属し 歴史的 地理的 地質的 使用経歴や国際法から見ても 釣魚台列島が中華民国固有の領土であることは疑う余地がない 歴史的にも国際法上から見ても 日本の論拠は極めて薄弱であり ひいては間違っています わが方は 以上に述べた13 問の反発理由の中で 一々それを分析し 説明しました 二 2012 年 9 月 日本政府が釣魚台列島を 国有化 したことによって 東シナ海の緊張を引き起こしました わが国は直ちに抗議し また馬英九総統が同年 8 月 5 日に提言した 東シナ海平和イニシアチブ に基 86
87 づき 各関係者に (1) 自制し いたずらに対立をエスカレートさせるべきでなく (2) 係争を棚上げして 対話と意思疎通を図ることを諦めず (3) 国際法を遵守し 平和的手段で紛争を処理する (4) コンセンサスを求め 東シナ海行動基準 を制定する (5) 東シナ海の資源の共同開発を進めるメカニズムを構築する などを呼びかけました 具体的なステップとしては 三組の二者間対話 と 一組の三者間対話 の二段階に分けて 対抗の代わりに対話を 協議によって争議を棚上げ という方法で 東シナ海の資源の共同開発を進める可能性について模索します 三 東シナ海平和イニシアチブ が提出された後 国際社会からの重視と評価を得ました 2013 年 4 月 1 0 日 わが国と日本が第 17 回の漁業協議を行った後 正式に 台日漁業に関する取り決め に調印しました この取り決めは 東シナ海平和イニシアチブ の平和的手段で係争を解決する精神を体現したものであり 東シナ海におけるわが国漁民の操業権を維持するこ 87
88 とに成功しました 米国のケリー国務長官が 年 8 月 13 日 ハワイにあるイースト ウェストセンター (East-West Center) で講演した際 アメリカの 南シナ海及び東シナ海の島嶼をめぐる問題に対して 米国は中立的な立場を取っていること を表明したほか とりわけ 台日の漁業に関する取り決め を例に挙げて 領土をめぐる争議があっても 依然として互いに地域の安定を促すことができ 大国 小国にしても 各関係者が連携しながら平和な手段で解決しなければならない と指摘しました 四 これから中華民国政府は引き続き釣魚台列島に対する主権の主張を堅持し また 東シナ海平和イニシアチブ を踏まえ 平和的且つ実務的な方式を通して係争を解決し さらに地域の安全維持のために全力を挙げて取り組んでいく所存です Q15 尖閣諸島に関するアメリカの立場 : 尖閣諸島に関し これまでアメリカ政府はどのような立場をとって いますか 88
89 日本側の主張 1. 尖閣諸島は 第二次世界大戦後 サンフランシスコ平和条約第 3 条に基づき 南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ 1972 年発効の沖縄返還協定 ( 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 ) によって日本に施政権が返還されました サンフランシスコ講和会議におけるダレス米国代表の発言及び 1957 年の岸信介総理大臣とアイゼンハワー大統領との共同コミュニケに明示されているとおり 我が国が南西諸島に対する残存する ( 又は潜在的な ) 主権を有することを認めていました 2. また 米国は 日米安全保障条約第 5 条の適用に関し 尖閣諸島は 1972 年の沖縄返還の一環として返還されて以降 日本国政府の施政の下にあり 日米安全保障条約は尖閣諸島にも適用されるとの見解を明確にしています 89
90 2. 尖閣諸島の久場島及び大正島については 1972 年の沖縄返還の際に その時点で中国が既に独自の主張を始めていたにもかかわらず 日米地位協定に基づき 日本国 における施設 区域として我が国から米国に提供されて今日に至っています 3. このほか 次のような事実も指摘できます (1) 尖閣諸島地域における台湾漁民等による領海侵入 不法上陸等が頻発したことに関し 1968 年 8 月 3 日付けの外務省発在京米大宛てた口上書により 米国政府が侵入者の取締り及びかかる侵入の再発防止のため必要な措置をとるよう要請したのに対し 米側は侵入者の退去等の措置をとった旨回答した (2)1971 年に作成された CIA の報告書 (2007 年に秘密指定解除 ) には 尖閣諸島は一般的に琉球諸島の一部と考えられている との記述に加え 尖閣諸島の主権に対する日本の主張は強力であり その所有の挙証責任は中国側にあるように思われる と記述されている 90
91 わが方の反発理由 一 日本が1895 年にわが国の釣魚台列島を盗み取った後 いわゆる 尖閣諸島 に名を改まり そして勝手に沖縄県に編入しました 日本国のこの国際法に違反した秘密行為は 勿論 最初から無効です しかし 当時の国際社会は実態が分からず 日本のこの措置は 戦後ある程度の時間が立っても いわゆる 尖閣諸島 の呼称を通して 釣魚台列島は中華民国固有の領土であるという真実のことをカムフラージュして 第二次世界大戦後 日本に対する取り扱い カイロ宣言 を含める一連の国際法的文書 その要求の内容が完全に実現されなかったに至るわけです 二 国際社会が 尖閣諸島 イコール釣魚台列島であることがわからない情況の下 サンフランシスコ平和条約 第 3 条が誤って釣魚台列島を琉球諸島とともにアメリカの施政権下に置かれていたのです また アメリカは1971 年に 日本が琉球に対して 依然としていわゆる 残存する主権 (residual sovereignty) を 91
92 持っていることと判断し 日本と 沖縄返還条約 を結ぶことに決定し 釣魚台列島及び琉球を含める南西諸島を日本に 返還 しようとした際 わが国も直ちに抗議を提出しました Q3 と Q12 で述べたように 当時 わが国の駐米大使周書楷が同年 3 月 15 日 アメリカ国務省に宛てた書簡の中で 釣魚台列島はわが国固有の領土であり アメリカは施政権を日本に渡すべきではないと厳正に抗議しました アメリカは5 月 26 日 即ち 日米が6 月 17 日 沖縄返還条約 が締結される前 正式にわが国への返事書簡の中で アメリカは日本から取得した施政権を日本に返還することは 中華民国の領有権に関する主張を損なっていないと表明しました アメリカ上院は その後 補足説明を行い 施政権を日本に返還しただけで 主権問題に対して 中立的な立場をとり 中日双方が協議を通じて解決すべきだということを示しました 以上のような外交文書から見れば アメリカが施政権を移管したことは 日本が領有権を持っていることを認定したものではありません アメリカは 主権問題に対 92
93 して 中立的な立場をとっており 中日双方が協議を通じて解決すべきだと見ており アメリカのこの立場は いまも変わっていません 三 アメリカの釣魚台列島の主権に対して ずっと中立的な立場を取っており また明確に釣魚台列島の主権を巡る問題は国際的な争議がある問題だと説明しています 例えば 2013 年 1 月 ヒラリー国務長官がアメリカを訪問した岸田文雄外相と会談した際 釣魚台列島をめぐる領有権は国際的な争議が存在していると指摘しました アメリカのオバマ大統領が201 4 年 4 月 23から24 日にかけて日本を訪問し 安倍首相と共同記者会見を行った際においても アメリカは釣魚台列島の領有権の帰属に対して どちらの立場をも取っていないと表明しました ケリー国務長官も 8 月 13 日 ハワイのイースト ウェストセンター (East-West Center) で講演した際 再度に 南シナ海や東シナ海の島嶼をめぐる問題に対して 我々は何らの立場をも取っていない と説明しました 四 釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり わが国固有の領 93
94 土であり 琉球諸島と関係ありません 日本の釣魚台列島を占拠する唯一の法的根拠は 下関条約 によるものであり しかし 戦後 下関条約 はすでに廃棄され 日本が当然に釣魚台列島をわが国に返還するべきです Q16 尖閣三島の所有権の国への移転 : 中国は 日本政府が2012 年 9 月に尖閣三島の所有権を取得したことに対し 激しく反発しています これに対し 日本政府はどのような見解を有していますか 日本側の主張 1. 尖閣諸島が我が国固有の領土であることは 歴史的にも国際法上も疑いのないところであり 現に我が国はこれを有効に支配しています 尖閣諸島をめぐり解決すべき問題は存在せず 今般 日本政府が尖閣三島の所有権を取得したことは 他の国や地域との間で何ら問題を惹起すべきものではありません 94
95 2. 他方 中国政府は尖閣諸島に対して独自の主張を行っていることは事実です 我が国としてこれを受け入れることはありませんが 政府は 大局的観点から 中国に対して 今般の所有権の移転は 尖閣諸島を長期にわたり平穏かつ安定的に維持 管理するために行うものであり 1932 年まで国が有していた所有権を民間の所有者から再び国に移転するものに過ぎないことを説明してきました 日本政府としては, 東アジアの平和と安定に責任を有する国として 引き続き中国側に対し 日中関係の大局を見失わずに, 冷静に対応することを働きかけていく考えです 3. また 中国各地で反日デモが発生し 日本側公館に対する投擲等の行為 在留邦人に対する暴力的行為 日本企業に対する放火 破壊 略奪が発生したことは極めて遺憾です いかなる理由であれ 暴力的行為は決して許されるものではなく 意見の相違に対する不満は平和的に表現されるべきです 中国側に対しては 在留邦人や日本企業等の安全確保とともに 今回損害 95
96 を被った企業の救済が適切になされることを求めて います わが方の反発理由 一 釣魚台列島はわが国固有の領土であり わが国の同意を得る前に 日本の釣魚台列島に対する何らの行為は いずれもわが国の主権を深刻に損なっているものであり わが国は断固として反対し 強く抗議します 二 日本が 2012 年釣魚台列島を 国有化 にする目的は 当該列島を長期にわたり平穏かつ安定的に維持 管理するために行うものであり 国有化 は日本内部の土地の所有権の移転に過ぎず その他の国 と関係がないという言い方は 実効支配を強化しようという企みがあり わが国としては 厳正たる抗議を提出します 三 日本が 1895 年に釣魚台列島を盗み取った後 その土地に対する管理は 当時の国際情勢の変遷に対応するため 最初は 国有化 をとり 後に 私有化 96
97 をとり 再び 国有化 を取りました 日本が 国有化 をとることによって釣魚台列島に対する管理を強化し 日本が有効に統治権を行使している証拠の一つにしようとしています しかし この取り組みは 日本の釣魚台列島を盗み取った行為を合法化させることができないほか 日増しに緊張が高まった釣魚台列島を巡る領有権問題が国際争議化となり 緊張がエスカレートになったことにつれて 国際法及び国連憲章が掲げている平和的な手段で係争を解決する原則にも合致しておらず 日本側がそれに関するすべての責任を負うべきです 97
Ⅰ 授業Aと授業Bを観察しましょう
セミナー 日本の領土問題 担当 : 福地俊夫 Ⅰ 外国語学習で論ずべき問題か? 1 私の経験 2 社会的に賛否両論のあるトピック (controversial topics) 3 パウロ フレイレの識字教育での実践 Ⅱ 国境について 1 1648 年ウェストファリア条約によって国境の概念が明確化 2 領海 :12 海里 ( 約 22.5 キロ ) 接続水域( 予防に留まり 強制措置まで含まれない )
〔問 1〕 A所有の土地が,AからB,BからCへと売り渡され,移転登記も完了している
( 宅建 ) 要点解説講義 要点確認テスト 1 権利関係 1 問題 制限時間 20 分 問 1 意思無能力者又は制限行為能力者に関する次の記述のうち 民法の規定及び判例によれば 正しいものはどれか 1 意思能力を欠いている者が土地を売却する意思表示を行った場合 その者が意思能力を回復した後に その意思表示を取り消すことができる 2 未成年者が土地を売却する意思表示を行った場合 その未成年者が婚姻をしていても
朝日 TV 2015/4/18-19 原発政策安倍内閣は 今後の電力供給のあり方について検討しているなかで 2030 年時点で 電力の 2 割程度を 原子力発電で賄う方針を示しています あなたは これを支持しますか 支持しませんか? 支持する 29% 支持しない 53% わからない 答えない 18%
朝日 TV 2015/4/18-19 原発政策安倍内閣は 今後の電力供給のあり方について検討しているなかで 2030 年時点で 電力の 2 割程度を 原子力発電で賄う方針を示しています あなたは これを支持しますか 支持しませんか? 支持する 29% 支持しない 53% わからない 答えない 18% 国の原子力規制委員会は 東日本大震災のあとに決めた新たな基準に基づいて 止まって いる原子力発電所の審査を進めています
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尖閣諸島問題 - 歴史的考察 - 2013 年 1 月 5 日京都外国語大学客員教授元駐ポルトガル大使原聰 I. 歴史を考察する 2012 年 9 月 26 日 野田総理は国連総会で演説し 法の支配を確立 し 自らの主義主張を一方的な力や威嚇を用いて実現しようとする のではなく 叡智 をもって 国際司法裁判所 ICJの強制管轄権を受諾する ことにより 互いの間の紛争をルールに基づいて理性的に処理 しよう
尖閣諸島周辺海域における中国公船及び中国漁船の活動状況について 平成 28 年 8 月 9 日 事案の概要 (1) 平成 28 年 8 月 5 日午後 1 時 30 分頃 中国漁船に続いて 中国公船 ( 中国政府に所属する船舶 )1 隻が尖閣諸島周辺領海に侵入した その後 8 日午後 6 時までに
尖閣諸島周辺海域における中国公船及び中国漁船の活動状況について 平成 28 年 8 月 9 日 事案の概要 (1) 平成 28 年 8 月 5 日午後 1 時 30 分頃 中国漁船に続いて 中国公船 ( 中国政府に所属する船舶 )1 隻が尖閣諸島周辺領海に侵入した その後 8 日午後 6 時までに 最大 15 隻の中国公船が同時に接続水域に入域 延べ17 隻が領海に侵入した 約 200~300 隻の漁船が尖閣諸島周辺の接続水域で操業するなかで
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1 A 所有の土地について A が B に B が C に売り渡し A から B へ B から C へそれぞれ所有権移転登記がなされた C が移転登記を受ける際に AB 間の売買契約が B の詐欺に基づくものであることを知らなかった場合で 当該登記の後に A により AB 間の売買契約が取り消されたとき C は A に対して土地の所有権の取得を対抗できる (96-51) 2 A が B の欺罔行為によって
1 アルゼンチン産業財産権庁 (INPI) への特許審査ハイウェイ試行プログラム (PPH) 申請に 係る要件及び手続 Ⅰ. 背景 上記組織の代表者は
1 アルゼンチン産業財産権庁 (INPI) への特許審査ハイウェイ試行プログラム (PPH) 申請に 係る要件及び手続 -------------------------------------------------------------------------- Ⅰ. 背景 上記組織の代表者は 2016 年 10 月 5 日 ジュネーブにおいて署名された 特許審査手続における協力意向に係る共同声明
に含まれるノウハウ コンセプト アイディアその他の知的財産権は すべて乙に帰属するに同意する 2 乙は 本契約第 5 条の秘密保持契約および第 6 条の競業避止義務に違反しない限度で 本件成果物 自他およびこれに含まれるノウハウ コンセプトまたはアイディア等を 甲以外の第三者に対する本件業務と同一ま
コンサルティング契約書 ケース設定 : 委託者であるクライアント A 株式会社が 一定の事項に関する専門的なアドバイスや相談を求め これに対して受託者であるコンサルタント B 株式会社が応じる場合を想定しています 東京都 A 株式会社 ( 以下 甲 という ) と東京都 B 株式会社 ( 以下 乙 という ) とは 〇〇に関するコンサルティング業務の提供に関し 以下のとおり契約を締結する 前文にあたる部分は
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内部統制ガイドラインについて 資料 内部統制ガイドライン ( 案 ) のフレーム (Ⅲ)( 再掲 ) Ⅲ 内部統制体制の整備 1 全庁的な体制の整備 2 内部統制の PDCA サイクル 内部統制推進部局 各部局 方針の策定 公表 主要リスクを基に団体における取組の方針を設定 全庁的な体制や作業のよりどころとなる決まりを決定し 文書化 議会や住民等に対する説明責任として公表 統制環境 全庁的な体制の整備
前提 新任務付与に関する基本的な考え方 平成 28 年 11 月 15 日 内 閣 官 房 内 閣 府 外 務 省 防 衛 省 1 南スーダンにおける治安の維持については 原則として南スー ダン警察と南スーダン政府軍が責任を有しており これを UNMISS( 国連南スーダン共和国ミッション ) の部
前提 新任務付与に関する基本的な考え方 平成 28 年 11 月 15 日 内 閣 官 房 内 閣 府 外 務 省 防 衛 省 1 南スーダンにおける治安の維持については 原則として南スー ダン警察と南スーダン政府軍が責任を有しており これを UNMISS( 国連南スーダン共和国ミッション ) の部隊が補完してい るが これは専ら UNMISS の歩兵部隊が担うものである 2 我が国が派遣しているのは
(Microsoft Word - \201iAL\201jAG-Link\227\230\227p\213K\222\350.doc)
AG-Link 利用規定 第 1 条 ( 定義 ) 本規定において使用する用語を以下の通り定義します 1 弊社東京海上日動あんしん生命保険株式会社をいいます 2AG-Link 弊社が提供し 主として代理店および 募集人が使用する情報システムを利用したサービスの呼称です 3 代理店弊社と募集代理店委託契約を締結し 保険業務に従事するものをいいます 4 管理者代理店におけるAG-Linkの管理者をいいます
個人情報保護規定
個人情報保護規程 第 1 章総則 ( 目的 ) 第 1 条この規程は 公益社団法人日本医療社会福祉協会 ( 以下 当協会 という ) が有する会員の個人情報につき 適正な保護を実現することを目的とする基本規程である ( 定義 ) 第 2 条本規程における用語の定義は 次の各号に定めるところによる ( 1 ) 個人情報生存する会員個人に関する情報であって 当該情報に含まれる氏名 住所その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの
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JICA 事業評価ガイドライン ( 第 2 版 ) 独立行政法人国際協力機構 評価部 2014 年 5 月 1 JICA 事業評価ガイドライン ( 第 2 版 ) ( 事業評価の目的 ) 1. JICA は 主に 1PDCA(Plan; 事前 Do; 実施 Check; 事後 Action; フィードバック ) サイクルを通じた事業のさらなる改善 及び 2 日本国民及び相手国を含むその他ステークホルダーへの説明責任
PowerPoint プレゼンテーション
< 防衛装備移転三原則と企業実務 > 一企業から見た実務的な側面 2014 年 9 月 20 日浜松ホトニクス株式会社製品管理統括部鈴木一哉 2 浜松ホトニクスの概要 主要製品 : 光センサー 光源 ( レーザー等 ) 光学機器 部品 カメラ 計測装置 主要用途 : 医療用途 産業用途 分析用途 売上高 :1,000 億円 ( 連結 ) 輸出比率 :60% 従業員数 :3,100 名 3 防衛装備とその部分品
http://www.clo.jp 左列 左から ポーンプロム カーンチャンアチャリ弁護士 ジェーソン ツアン弁護士 アンドリュー スリロ弁護士 山本祥世弁護士 ジェラルト ロー弁護士 中央 中務尚子弁護士 モデレーター 右列 左から フォルフェ アルフォンソ メロ弁護士 キュン ハン ソン弁護士 停止などがある場合にのみ正当に解雇することができる をした場合 3年から4年の期間がかかる
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排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律要綱第一目的この法律は 我が国の排他的経済水域及び大陸棚が天然資源の探査及び開発 海洋環境の保全その他の活動の場として重要であることにかんがみ 排他的経済水域等の保持を図るために必要な低潮線の保全並びに排他的経済水域等の保全及び利用に関する活動の拠点として重要な離島における拠点施設の整備等に関し 基本計画の策定
〔問 1〕 抵当権に関する次の記述のうち,民法の規定によれば,誤っているものはどれか
( 宅建 ) 要点解説講義 要点確認テスト 2 権利関係 2 問題 制限時間 20 分 問 1 不動産の物権変動の対抗要件に関する次の記述のうち 民法の規定及び判例によれば 誤っているものはどれか なお この問において 第三者とはいわゆる背信的悪意者を含まないものとする 1 甲不動産につき兄と弟が各自 2 分の1の共有持分で共同相続した後に 兄が弟に断ることなく単独で所有権を相続取得した旨の登記をした場合
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NHK 平和に関する意識調査 単純集計結果 調査期間 2017 年 6 月 21 日 ( 水 )~7 月 25 日 ( 火 ) 調査方法 郵送法 調査対象 18 歳 19 歳限定地域 : 全国 2017 年 7 月末時点で18 歳 19 歳の国民 1200 人 20 歳以上の成人地域 : 全国 2017 年 7 月末時点で20 歳以上の国民 1200 人 いずれも住民基本台帳から層化無作為 2 段抽出
学習指導要領
(1) 私たちの時代と歴史 現代の社会やその諸課題が歴史的に形成されたものであるという観点から 近現代の歴史的事象と現在との結び付きを考える活動を通して 歴史への関心を高め 歴史を学ぶ意義に気付かせる 開国前後から第二次世界大戦終結までの政治や経済 国際環境 国民生活や文化の動向について 相互の関連を重視して考察させる 都立世田谷泉高校学力スタンダード身近な社会 地域の事象や 現代の課題を追求するなかで
シマンテック テスト用CA認証業務運用規程(テストCPS)日本バックエンド
お客様は Symantec Corporation( 注 )( 以下 シマンテック という ) の テスト用証明書運用規程 ( 以下 テスト CPS) を慎重にお読みください お客様が テスト用証明書 あるいはテスト用 CA ルート証明書 ( これらの定義については後述 ) の発行を依頼 使用 あるいは依拠されるに際して お客様は (1) このテスト CPS の定める規定を遵守する法的な責任を負っていること
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第 6 章報告及びフォローアップ 6-1 この章では 最終会議の進め方と最終会議後の是正処置のフォローアップ及び監査の見直しについて説明します 1 最終会議 : 目的 被監査側の責任者が監査の経過を初めて聞く 監査チームは 被監査者に所見と結論を十分に開示する責任を負う データの確認 見直し 被監査側は即座のフィードバックと今後の方向性が与えられる 6-2 最終会議は サイトにおいて最後に行われる監査の正式な活動です
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ノルウェーとロシアがバレンツ海の境界線問題に合意 2010 年 5 月 20 日 調査部 宮本善文 1 ポイント 1. ノルウェーの現状 埋蔵量と生産量 鉱区設定地域 政策 2. ノルウェーとロシアは大陸棚の境界線の確定に合意 公式発表 ロシアとの交渉( 相互の主張 交渉方法 ) 埋蔵量 3. 日本企業へのインプリケーション 2 1-(1) 埋蔵量と生産量 (@ 欧州 ユーラシア ) 埋蔵量 ( 億
SGEC 附属文書 理事会 統合 CoC 管理事業体の要件 目次序文 1 適用範囲 2 定義 3 統合 CoC 管理事業体組織の適格基準 4 統合 CoC 管理事業体で実施される SGEC 文書 4 CoC 認証ガイドライン の要求事項に関わる責任の適用範囲 序文
SGEC 附属文書 2-8 2012 理事会 2016.1.1 統合 CoC 管理事業体の要件 目次序文 1 適用範囲 2 定義 3 統合 CoC 管理事業体組織の適格基準 4 統合 CoC 管理事業体で実施される SGEC 文書 4 CoC 認証ガイドライン の要求事項に関わる責任の適用範囲 序文この文書の目的は 生産拠点のネットワークをする組織によるCoC 認証を実施のための指針を設定し このことにより
文書管理番号
プライバシーマーク付与適格性審査実施規程 1. 一般 1.1 適用範囲この規程は プライバシーマーク付与の適格性に関する審査 ( 以下 付与適格性審査 という ) を行うプライバシーマーク指定審査機関 ( 以下 審査機関 という ) が その審査業務を遂行する際に遵守すべき事項を定める 1.2 用語この基準で用いる用語は 特段の定めがない限り プライバシーマーク制度基本綱領 プライバシーマーク指定審査機関指定基準
ISO9001:2015規格要求事項解説テキスト(サンプル) 株式会社ハピネックス提供資料
テキストの構造 1. 適用範囲 2. 引用規格 3. 用語及び定義 4. 規格要求事項 要求事項 網掛け部分です 罫線を引いている部分は Shall 事項 (~ すること ) 部分です 解 ISO9001:2015FDIS 規格要求事項 Shall 事項は S001~S126 まで計 126 個あります 説 網掛け部分の規格要求事項を講師がわかりやすく解説したものです
O-27567
そこに そこがあるのか? 自明性 (Obviousness) における固有性 (Inherency) と 機能的クレーム (Functional Claiming) 最近の判決において 連邦巡回裁判所は 当事者系レビューにおける電気ケーブルの製造を対象とする特許について その無効を支持した この支持は 特許審判部 (Patent and Trial and Appeal Board (PTAB))
ICSID ファクトシート
国際投資紛争解決センター (ICSID) に関する基本情報. ICSID とは? ICSID は国際的な投資紛争解決のための主要な機関である 多国間の国際条約である 国家と他の国家の国民との間の投資紛争の解決に関する条約 (ICSID 条約 ) に基づいて設立された ICSID 条約は 966 年 0 月 日に発効し 03 年 6 月 30 日現在で 58 か国が署名し 9 か国が批准している ICSID
安全保障会議 ( 現行 ) の概要 ( 構成 ) 委員長 : 内閣官房長官 委 安全保障会議 ( 構成 ) 議長 : 内閣総理大臣 事態対処専門委員会 内閣総理大臣の諮問に基づき 以下の事項を審議 国防の基本方針 防衛計画の大綱 対処基本方針 武力攻撃事態 / 周辺事態等への対処 / 自衛隊法第 3
資料 3 説明資料 国家安全保障会議の創設に関する有識者会議 ( 第 1 回会合 ) 平成 25 年 2 月 15 日 ( 金 ) 安全保障会議 ( 現行 ) の概要 ( 構成 ) 委員長 : 内閣官房長官 委 安全保障会議 ( 構成 ) 議長 : 内閣総理大臣 事態対処専門委員会 内閣総理大臣の諮問に基づき 以下の事項を審議 国防の基本方針 防衛計画の大綱 対処基本方針 武力攻撃事態 / 周辺事態等への対処
Microsoft Word IHO S-66 日本語版(表紙・目次).docx
- 23 - 第 2 章 : 旗国海事当局一覧 注 : このリストは完全ではない 国名ウエイブサイト アンティグア バーブーダ オーストラリア バハマ バルバドス ベルギー バミューダ カナダ ケイマン諸島 中国 キプロス デンマーク フィンランド フランス ドイツ ジブラルタルギリシャホンコン ( 中国 ) インドアイルランドマン島イタリア 日本韓国リベリアマレイシアマルタマーシャル諸島オランダニュージーランドノルウェーパナマフィリピンポーランドロシアシンガポール南アフリカ
法第 20 条は, 有期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合, その相違は, 職務の内容 ( 労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度をいう 以下同じ ), 当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して, 有期契約労働者にとって不合
Q45. 有期契約労働者が正社員と同じ待遇を要求する 1 問題の所在有期契約労働者の労働条件は個別労働契約, 就業規則等により決定されるべきものですので, 正社員と同じ待遇を要求することは認められないのが原則です しかし, 有期契約労働者が正社員と同じ仕事に従事し, 同じ責任を負担しているにもかかわらず, 単に有期契約というだけの理由で労働条件が低くなっているような場合には, 期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止
宇佐美まゆみ監修(2011)『BTSJ入力支援・自動集計システム』、及び
宇佐美まゆみ (2012) BTSJ 文字化入力支援 自動集計 複数ファイル自動集計シス テムセット (2012 年改訂版 ) 利用許諾契約書 宇佐美まゆみ ( 以下 甲 という ) と ( 以下 乙 という ) は BTSJ 文字化入力支援 自動集計 複数ファイル自動集計システムセット (2012 年改訂版 ) の学術的な利用に関して 以下のとおりの利用許諾契約書を交わすこととする ( 利用許諾
高橋公明 明九辺人跡路程全図 神戸市立博物館 という地図がある 1663年に清で出版された地 図で アジア全域 ヨーロッパ さらにはアフリカまで描いている 系譜的には いわゆ る混一系世界図の子孫であることは明らかである 高橋 2010年 この地図では 海の なかに 日本国 と題する短冊形の囲みがあ
テキストのなかの明州 高 橋 公 明 1 地図にひかれた2本の線 清国十六省之図 図1 という地図が名古屋市の蓬左文庫にある 中国製の地図を基本にして 朝鮮半島や日本列島を充実させて 1681年 延宝9 に日 本で木版印刷されたものである すでに江戸幕府は日本人が中国へ行くことを禁じていた 時代にあたる この地図のなかで目につく特徴の一つは 海のなかに2本の赤い線が引い てあることである いずれも東西に引かれており
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58 韓国の歴史教科書 現在韓国では 国定教科書 検定教科書 認定教科書とい 二 現在の韓国の歴史教科書とその構成要素 が審査 認定したものです 歴史関連の教科書は 表1 の 通り 小学校以外はすべて検定教科書です 教科書を構成する諸要素と深く関係しています その構成要 どの教科がどのような種類の教科書として編纂されるかは 部が著作権を持つ教科書であり 教育部で編纂し ひとつの 素を概観してみると
<4D F736F F D2093C192E895578F8089BB8B408AD A8EC08E7B977697CC FC90B394C5816A2E646F6378>
特定標準化機関 (CSB) 制度実施要領 平成 15 年 8 月 27 日 ( 制定 ) 平成 29 年 3 月 15 日 ( 改正 ) 日本工業標準調査会 標準第一部会 標準第二部会 1. 制度名称 制度名称は 特定標準化機関 (Competent Standardization Body) 制度 ( 通称 シー エ ス ビー制度 ) とする 2. 目的日本工業規格 (JIS) の制定等のための原案作成
第26回 知的財産権審判部☆インド特許法の基礎☆
インド特許法の基礎 ( 第 26 回 ) ~ 知的財産権審判部 ~ 河野特許事務所 弁理士安田恵 1. はじめにインドには知的財産権審判部 (IPAB: Intellectual Property Appellate Board) が設置されており 審判部は 中央政府又は特許意匠商標総局の長官によって行われた各種決定 命令 指示に対する審判請求事件 特許取消などの事件を管轄している 審判部における審理対象を概観する
〔問 1〕 Aは自己所有の建物をBに賃貸した
( 宅建 ) 要点解説講義 要点確認テスト 4 権利関係 4 問題 制限時間 20 分 問 1 Aは 所有する家屋を囲う塀の設置工事を業者 Bに請け負わせたが Bの工事によりこの塀は瑕疵がある状態となった Aがその後この塀を含む家屋全部をCに賃貸し Cが占有使用しているときに この瑕疵により塀が崩れ 脇に駐車中の D 所有の車を破損させた A B 及びCは この瑕疵があることを過失なく知らない
[ 指針 ] 1. 組織体および組織体集団におけるガバナンス プロセスの改善に向けた評価組織体の機関設計については 株式会社にあっては株主総会の専決事項であり 業務運営組織の決定は 取締役会等の専決事項である また 組織体集団をどのように形成するかも親会社の取締役会等の専決事項である したがって こ
実務指針 6.1 ガバナンス プロセス 平成 29( 2017) 年 5 月公表 [ 根拠とする内部監査基準 ] 第 6 章内部監査の対象範囲第 1 節ガバナンス プロセス 6.1.1 内部監査部門は ガバナンス プロセスの有効性を評価し その改善に貢献しなければならない (1) 内部監査部門は 以下の視点から ガバナンス プロセスの改善に向けた評価をしなければならない 1 組織体として対処すべき課題の把握と共有
靖国神社問題の解決に向けて
靖国神社問題 S.Y. ( カンボジア ) 経済学部 要旨 : 近年日中と日韓関係を悪化させる原因の一つは 靖国神社参拝問題である 中国と韓国にとって 靖国神社を参拝するということは日本が行った戦争を正当化するということと同様である 一方 日本政府によると 単なる 平和を誓う という意図で参拝を行っている そのような靖国神社参拝の意図の解釈の違いでその問題が起こった また そもそも首相が公式に靖国神社に行くのは日本国憲法に反するのではないかという批判もあった
業務委託基本契約書
印紙 4,000 円 業務委託基本契約書 契約 ( 以下 甲 といいます ) と ( 選択してください : 株式会社ビーエスピー / 株式会社ビーエスピーソリューションズ )( 以下 乙 といいます ) は 甲が乙に対して各種研修 教育 コンサルティング業務 ( 以下 本件業務 といいます ) を委託することに関し 以下のとおり基本契約 ( 以下 本契約 といいます ) を締結します 第 1 条 (
第16講 第二次世界大戦とドイツの戦略(1)
2019 年 10 月 24 日 第 20 講 第二次世界大戦とドイツの戦略 (1) http://usmbooks.com/feldzug_polen.html 対ポーランド戦争 (1939 年 9 月 1 日開戦 ) 独ソによる 分割 ( カーゾン線 ) http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/a/a4/ac_polandmap.gif/300px-ac_polandmap.gif
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個人情報に関する基本情報 社会福祉法人東京雄心会 ( 以下 法人 という ) は 利用者等の個人情報を適切に取り扱うことは 介護サービスに携わるものの重大な責務と考えます 法人が保有する利用者等の個人情報に関し適性かつ適切な取り扱いに努力するとともに 広く社会からの信頼を得るために 自主的なルールおよび体制を確立し 個人情報に関連する法令その他関係法令及び厚生労働省のガイドラインを遵守し 個人情報の保護を図ることを目的とします
「諸外国の大学教授職の資格制度に関する実態調査」1
はじめに諸外国の大学教授職の資格制度に関する実態調査について 羽田貴史 ( 東北大学 ) 1. 調査の趣旨拡大した大学教育において, 質の保証は喫緊の課題であり, 大学教員の資格が改めて問い直されている 従前より大学教授資格制度を持つドイツやフランスの他, 近年は英国や北欧諸国においても大学教員の教育能力の資格化が進められている 我が国においても, 平成 20 年 学生課程教育の構築に向けて 答申が,
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浜松市障害者入院時コミュニケーション支援事業実施要綱 ( 目的 ) 第 1 条 この要綱は 意思疎通を図ることが困難な障害者が医療機関に入院したとき 当該障害者が当該医療機関に派遣されるコミュニケーション支援員を介して 医療従事者との意思疎通を図り 円滑な医療行為を受けることができるよう支援することを目的として実施する浜松市障害者 入院時コミュニケーション支援事業 ( 以下 本事業 という ) について
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平成 24 年 4 月から 介護職員等による喀痰吸引等 ( たんの吸引 経管栄養 ) についての制度がはじまります ~ 介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律 ( 平成 23 年法律第 72 号 ) の施行関係 ~ 平成 23 年 11 月 厚生労働省 たんの吸引等の制度 ( いつから始まりますか ) 平成 24 年 4 月から 社会福祉士及び介護福祉士法 ( 昭和 62 年法律第
特定個人情報の取扱いの対応について
特定個人情報の取扱いの対応について 平成 27 年 5 月 19 日平成 28 年 2 月 12 日一部改正 一般財団法人日本情報経済社会推進協会 (JIPDEC) プライバシーマーク推進センター 行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律 ( 以下 番号法 という ) が成立し ( 平成 25 年 5 月 31 日公布 ) 社会保障 税番号制度が導入され 平成 27 年 10
