知多教会説教 主の洗礼日 イザヤ書 42:1-7 使徒言行録 10:34-38 ルカによる福音書 3:15-22 2016/01/10 知多教会牧師 : 花城裕一朗 聖霊が目に見える姿で 私たちの父である神と主イエス キリストからの恵みと平和が あなた がたにあるように アーメーン 本日の第一の日課において 預言者イザヤは言いました ( イザヤ 42:1) 見よ わたしの僕 わたしが支える者を わたしが選び 喜び迎える者を 彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す このイザヤの預言の言葉は 本日与えられた福音書の場面において実現したと言うことができるでしょう 即ち イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場面においてです 本日の福音書には次のように書かれてあります ( ルカ 3:21-22) 民衆が皆洗礼を受け イエスも洗礼を受けて祈っておられると 天が開け 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た すると あなたはわたしの愛する子 わたしの心に適う者 という声が 天から聞こえた 1
私たちは 父と子と聖霊の 三位一体の神を信じています 即ち 父なる神様 子なる神イエス キリスト そして聖霊なる神様です この中で 最も分かりにくい 私たちにとってイメージがしづらいものは何かと言えば それは間違いなく 聖霊なる神様でありましょう 新約聖書でも 旧約聖書でも 時々 霊 という言葉で 聖霊なる神は登場してくるのですけれども 父なる神 子なる神に比べてみれば これは圧倒的に目立ってはいませんし イメージしづらい 分かりにくい存在だと思います しかしながら 目だっていない イメージしづらい 分かりにくいからと言って 聖霊なる神様が 私たちにとって重要ではない ということでは決してありません むしろ 聖霊なる神様は 私たちの救いのために必要不可欠な存在でありますし その重要性は 父なる神様 子なる神イエス キリストと何ら変わらない程であります ただ やはり 父なる神 子なる神イエス キリスト 聖霊なる神は それぞれの立場があって 役割が違うのだということです では 聖霊なる神様の第一の役割は何かと言えば それは 子なる 神イエス キリストを指し示す ということです 人間を イエス キリスト 2
へと導いて キリストへの信仰に至らせる そして キリストに関するあらゆる知識を悟らせ 理解させる それが 聖霊なる神の第一の役割です そのことは 本日与えられた福音書を見ても分かります 聖霊は あまり目立って活動される方ではなくて 本来 目立たずに 人の見えない所で 気付かない所で お働きをなさる御方です しかし 本日の福音書の場面では 本来ならば 起こり得ないことが起こりました それは何かと言うと ( ルカ 3:22) 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た ということです これは 本来ならば 起こり得ないことです 聖霊の存在が 人間の目に見えるような形をとったのは 聖書に書かれていることに基づけば この イエス様の洗礼の時と もう一つは 聖霊降臨のペンテコステの時 この 2 回しかありません その他の記述では 聖霊の 声 は聞こえますけども 姿形が人間の目に見えるというのは 本来的にこれは起こり得ないことなのです だとしたら 聖霊なる神について 本来起こり得ないことが起こったとしたならば それは 何のために? どんな目的があって起こったのか? それを私たちは問いかけねばならないでしょう 洗礼者ヨハネについて言えば このような しるし が示されなくても 3
イエス様のことは分かっていたはずです 洗礼者ヨハネについて言えば 彼には何の しるし も必要ありませんでした 彼は イエス様をひと目見た瞬間 この方こそメシアである と 分かりました そのことはマタイ福音書 3 章に書かれてある通りです しかし民衆はどうだったでしょうか?( ルカ 3:15) にこうあります 民衆はメシアを待ち望んでいて ヨハネについて もしかしたら彼がメシアではないかと 皆心の中で考えていた とあります ですから 聖霊についてのこのような しるし は ヨハネのところに集まっていた民衆のため また 私たちすべての人間のために 起こった出来事なのだと言うことができるでしょう 即ち この方こそ主 メシアである ということを もはや間違えようのない仕方で 誤解の余地が無いような仕方で はっきりと 人々に明らかにし 告げ知らせるために 聖霊について このような しるし が与えられたのだと言うことができます ですからこの出来事は イエス様の顕現の出来事 人々の前にイエス様が明らかに示された出来事として 福音書で伝えられているのであります そして 父なる神様は 聖霊が鳩のように目に見える姿で降って来る という このような しるし だけには止まらないのです 父なる神様は これに更に加えて これ以上は無いと言うほどの 駄目押しのこと 4
をして下さいました それは何か? 父なる神様は お言葉を聞かせて下さったのです 何と言われたのでしょうか ( ルカ 3:22) あなたはわたしの愛する子 わたしの心に適う者 という声が 天から聞こえた とある通りです 私たちは 福音書で示されているこの出来事から 二つのことを受け取りましょう 一つは イエス様が確かにメシアであり 私たちの救い主であるということです このことを 神様は 聖霊が鳩のように目に見える姿で現れるという奇蹟 しるし をもって 私たち人間すべてに示してくださいました そしてそれだけでなく 神様は ご自身の言葉をもハッキリと聞かせるという これもまた驚くべき奇蹟の しるし をもって 示してくださいました 神様がこれだけのことを為さったのであれば 後は私たち 人間の側に任されているのです 神様のご意志に答えて 受け取る側に立ちたいと思います そしてもう一つ 私たちは 次のことも受け取りましょう 即ち 聖霊は 本来的に目には見えませんし そのお働きは目立たないのだけれども それでも聖霊は 確かに存在しておられるのだということ そして イエス キリストを自分の救い主として信じる時 また 信じて水の洗礼を受ける時 今日のイエス様と同じように 聖霊が 私たちの所にも降って来られているのだということ このことを信じて受け取りましょう 聖 5
霊は 私たち一人一人のところに降って来ており 共におられるということ イエス キリストと父なる神様は 聖霊を通して 私たちといつも共におられる それによって私たちは 神と一つに結ばれているのだということ このことをも 私たちは今日の福音書の出来事から受け取りたいと思うのです 最後に 本日の第一の日課に戻ってみましょう ( イザヤ 42:2-4) 彼は叫ばず 呼ばわらず 声を巷に響かせない 傷付いた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく裁きを導き出して 確かなものとする 暗くなることも 傷付き果てることもないこの地に裁きを置くときまでは 島々は彼の教えを待ち望む この言葉は イエス様の将来のお働きをも 預言しているものだと言えます イエス様は 叫ばず 呼ばわらず 声を巷に響かせずに ひっそりと静かに 民衆たちと一緒に洗礼を受けました またそれから後も イエス様のお働きは 決して 高圧的だったり 仰々しく大々的だったりすることはなくて むしろ 傷付いた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく イエス様は働かれるのです しかしイエス様は そのように為さりつつも 今日の御言葉にある通り 裁きを導き出して 確かなものとする のであります この世の観点からすれば 教会の働き イエス キリストの働きは 大 6
きなものには見えないかもしれません しかし この世が気付かない所で 確実に 確かに 裁き は置かれようとしているのです なぜなら 聖書の言葉が あるいはまた イエス キリストが語った言葉が 終わりの日に 裁きを導き出す ( ヨハネ 12:48) と はっきりと聖書で証言されているからです 私たち一人一人に与えられている聖霊は イエス様のお働きと同じで この世から見れば 目立った存在ではないでしょう しかし 私たちがその存在に気付こうが気付くまいが 聖霊は 傷付いた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことなく そのように私たちの中で働いてくださる そして確かに 私たちを 裁き から救い出してくださるということです 今日のイエス様の洗礼の出来事の内に 私たちの救いの原点を見出して 私たちに与えられている聖霊のお働きによって これからの信仰の歩みを導いていただきましょう そのためにご一緒に祈りを捧げたいと思います 祈りましょう 7