1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

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2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

Microsoft Word - ◎中高科

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

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牧会の祈り

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

創世記5 創世記2章4節b~25

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

出エジプト記 25 章 主の語られる聖所 1A 幕屋のための奉納物 1-9 2A 聖所の祭具 B 至聖所 C 契約の箱 C 宥めの蓋 B 聖所 C パンの机 C 燭台 本文 出エジプト記 25 章を開いて

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

ヘブル人への手紙1章

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

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牧会の祈り

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

牧会の祈り

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

Microsoft Word - Pastors_no_furi.doc

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

生徒用プリント ( 裏 ) なぜ 2 人はケンカになってしまったのだろう? ( 詳細編 ) ユウコは アツコが学校を休んだので心配している 具合の確認と明日一緒に登校しようという誘いであった そのため ユウコはアツコからの いいよ を 明日は登校できるものと判断した 一方 アツコはユウコに対して 心

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2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

Joshua Chapter 3-4 “God’s people move forward by FAITH

2017 年 9 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 11 回第 3 の警告 (3)- 励ましの言葉 - 第 3 の警告 (3) について学ぶ Ⅰ. 信者の救いに関する確信 (9~12 節 ) 1.9 節 Heb 6:9 だが 愛する人たち 私たちはこのように言いますが あなたがたについ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

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第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

                 

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

Ⅱ. 信仰生活の再建 : エズラの指導 (7~10 章 ) 1. エルサレムに到着するエズラ (7~8 章 ) 2. 民の罪を告白するエズラ (9 章 ) 3. 国を清めるエズラ (10 章 ) 結論 : 私たちへの適用 1. 悔い改めの力 2. みことばの力 エズラ記を通して リバイバルの原則につ

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

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2 神はイスラエルをぶどうの木 ぶどうの実にたとえられました 神に選ばれたイスラエルは 本来その実を結ばせるべき存在でした しかし 聖書は次のように語っています エレミヤ書 2:21 わたしは あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに どうしてあなたは わたしにとって 質の悪い雑種のぶど

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

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Taro .01元旦礼拝

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者

5 節ごとに 洗礼者ヨハネ 殺される 6:14-15 ( そして ) イエス ( 彼 ) の名が知れ渡ったので ヘロデ王の耳にも入った 人々は言っていた 洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ だから 奇跡を行う力が彼 ( のうち ) に働いている そのほかにも 彼はエリヤだ と言う人もいれば 昔

Microsoft Word - N-Mar GH-神の子を神が見捨てた!

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

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1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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バプテスマのヨハネが逮捕されました その詳細はこのマルコの福音書 6 章に記されていますが ここではイェシュアが福音を宣べ伝え始めるきっかけとなっているように記されています つまりヨハネが捕らえられることと イェシュアがガリラヤに行って福音を宣べ伝え始めることには何等かの結びつきがあるということです

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

: 目次 : P3 Part1 聖書とは? P4 Part2 神とは? 1 唯一の神 P5 P10 2 イエス キリスト 3 聖霊 P14 4 唯一の神の本質とは? P16 Part3 救いとは? 1 救いをもたらす力 P18 P21 2 救われる ( 義とされる ) 条件 3 信仰と行い この冊子

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さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

Rev 11:19 それから 天にある 神の神殿が開かれた 神殿の中に 契約の箱が見えた また いなずま 声 雷鳴 地震が起こり 大きな雹が降った 1これは 鉢の裁きが始まる前の天の神殿の状況描写である 2 默 15:1 は それを引き継いでいる (2) 天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た 1

生徒用プリント ( 裏 ) 入力した内容はすべて記録されている!! 印 : 授業で学んだこと 管理者のパソコンには どのパソコンから いつ どのような書き込みがされたか記録されています 占いだけではなく メールや掲示板の内容も同じように記録されています もし 悪意のある管理者から個人情報が洩れたらど


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Transcription:

成熟を目指して (5) 神の臨在にふれる礼拝その 2 1. はじめに おはようございます 前回 神の臨在にふれる礼拝その1として カインとアベル アブラハムとイサクの記事を通していくつかの点についてご一緒に学びました アベルは羊の初子の中から最上のものをささげ アブラハムは最愛の子イサクをささげることを通して 私たちは何をささげればよいのか また私たちはどのように神に近づけばよいのか ということを学びました 前回のお話のポイントとしては 1) 礼拝とは 神に近づくこと であり 神とともにいること 2) 旧約聖書の時代は神に近づくためにいけにえが必要であった 3) イエス キリストのあがないにより 私たちが神に近づくためのいけにえは不要となった 4) 私たちの奉仕が神を礼拝することであり 神に対するささげものであるということでしたが 実はこのようなポイントを字面だけで理解しても私たちの霊的な生活 礼拝にはよい影響を与えることが難しく 礼拝が儀式化してしまう可能性があることをお話ししました 礼拝の目的は 儀式を執り行うことではなく 神にお会いすることです 出エジプト記 29:42 に教えられている 旧約聖書における礼拝の場所は 会見の天幕 という名前で呼ばれました 出 29:42 これは 主の前 会見の天幕の入口で あなたがたが代々にわたって 絶やすことのない全焼のい けにえである その所でわたしはあなたがたに会い その所であなたと語る 神に会うことを目的として 神はユダヤ人に礼拝を示されました この点は大変重要です 礼拝とは宗教的儀 式ではなく 神にお会いし 神のみことばを聞くための時間です 私たちは どのような場所であっても ど のような時間であっても 神にお会いすることができる立場に変えられたのです さて ユダヤ人に与えられた神の祝福は大変大きなものでしたが 私たちはユダヤ人に与えられた祝福よりも 大きなもの 偉大なものをいただきました ユダヤ人に与えられたものと私たちに与えられたものの比較を ヘブル書の記者はこのように教えています 8:5 その人たちは 天にあるものの写しと影とに仕えているのであって それらはモーセが幕屋を建てようと したとき 神から御告げを受けたとおりのものです 幕屋 すなわち会見の天幕が天にあるものの 写しと影 であるなら 私たちには 天にあるもの すなわち 写しと影 の本体をいただいていることがわかります 今日から何回かにわけて 私たちにとっての会見の天幕とは何か? ということについて考えてみたいと思います 言い換えれば 私たちが神とお会いすることに焦点を絞って いくつかの角度から学ぶということになります 2. 幕屋 ( 会見の天幕 ) としての御子 まず ヨハネの福音書 1:14 を開きましょう

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考えたいと思います この 住まわれた というのは まさしく御子が私たちと同じ肉体を持って現れて下さり ヨハネだけでなく当時の人間社会に住んでくださったということですが ギリシャ語では 私たちの間に幕屋を張られた または イエスの肉体という天幕を張られた という意味があるようです 先ほどお読みしたヘブル人への手紙 8:5 をもう一度開きたいと思います 8:5 その人たちは 天にあるものの写しと影とに仕えているのであって それらはモーセが幕屋を建てようと したとき 神から御告げを受けたとおりのものです 神は モーセに対して幕屋を建て その中に青銅の祭壇 青銅の洗盤 聖所 至聖所を作るように命じました 画面は 上から見た幕屋の図ですが 旧約聖書に定められたさまざまな規定や儀式については 興味がある人にとってはおもしろいテーマですが そうでなければ考えたこともない! ということかもしれませんので 今日はすこしだけご一緒に考えたいと思います ( 簡単に平面図の説明 ) さて この幕屋は 天にあるものの写しと影であったことが教えられていますが ヨハネの福音書 1:14 によると この幕屋は 実はイエスそのものであり イエスの型であることがわかります すなわち ヘブル書 8:5 に教えられている天にはこの天幕の実物があり モーセはそれをかたどった幕屋を この地上でその写しと影として作った ということになろうかと思います 次回以降 この幕屋について少し学ぶ機会を持つことができればと思いますが 今日は旧約聖書に教えられている幕屋 会見の天幕がイエスの型であったことを覚えていただければと思います さて 私たちが神とお会いするために 最も重要な 神がしてくださったこと と言えば やはり神のひとり 子である御子を私たちの世界にお遣わし下さったことです 先ほど開きました ヨハネの福音書 1:14 には 1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた

と教えられていますが ヨハネは 私たちにとって 見えない神 が見える形を取られた すなわち人となってくださったこと また 見える形を取られただけではなく 私たちの間に住まわれた すなわち私たちと関係のある存在になってくださったことについて教えました では 神である御子が見える形を取ってくださったことから考えてみたいと思います 3. 見える神 旧約聖書では はじめの人であるアダムは エデンに置かれた園で生活していたと教えられています 彼らがどのように神と交わっていたのかはわかりませんが 彼らは神からの声を直接聞いていました ところが 蛇にそそのかされて 食べてはいけないと命じられていた園の中央の木から食べてしまったことで 彼らは園から追い出され もはや園には戻ることができなくなった というのが創世記のはじめに教えられています 実は 聖書はアダムが 神を見ていた とはっきりと教えているわけではありませんが 少なくとも自由に神と交わることができる環境であったエデンの園から追放されたことで 神と自由に交わることができなくなったと理解することができます 昔 私たちのコミュニケーションは 見える 相手とのコミュニケーションということが前提でした しかし 手紙や電話 最近ではインターネットや SNS という技術によって 見えない相手とのコミュニケーションがどんどん発達してきました 特に 若い世代では見えない相手とのコミュニケーションの方が多いのかもしれませんし 見える相手とのコミュニケーションよりも見えない方がやりやすい時代になってきているかもしれません 仕事においても コミュニケーションの手段は直接会う 電話で話す メールでやり取りするという3つの方法になると思いますが 重要な用件については やはり直接会ってお伝えすることが多いと思います それぞれの手段には良し悪し メリットとデメリットがありますが 直接会うことができない場合 その相手が重要であればある程 コミュニケーションが難しくなることが多いと思います 逆に言えば 顔を見ることなくコミュニケーションを取り続けても問題がない関係というのは 大した関係でない場合か 特殊な場合だけだろうと思います コミュニケーションの入り口が目に見えない状態であっても その人との関係が重要になればなる程 直接会うことが必要になってきます 人にとって 神が重要な存在であれば やはり直接お会いすることが重要だろうと思います 私たちにとって 今 この目で神を見ることはできないかもしれませんが 神は私たちに聖霊を与えてくださったことを通して 神との直接的なコミュニケーションを取ることができるようにしてくださいました また 目で見ることがなくても 聖霊は祈りや聖書 礼拝を通して 神を私たちの中にイメージさせてくださることを経験された方もたくさんいらっしゃると思います そのイメージは人によって違うと思いますが そのイメージが聖霊によって描かれたものであれば どのような違いがあろうと そのイメージを通して私たちは力や励まし 慰め 導きをいただくことができるのです 何よりも イエスが人となって 見える形で現れてくださったことにより 新約聖書の記者たちは目に見える神がどのような方で 何をされて 何を語られたのかについて書き留めました 私たちにとっては 2000 年近く前のことですが 聖書を通して大変近く 親しくイエスのことを感じることができるのは 新約聖書の記者たちがイエスを見ることができたからです 彼らが実際に見たイエスを書き留めたからこそ 私たちはイエスをより具体的に学ぶことができるのです アダムの失敗により 十分に交わること イメージすること そし

て直接見ることが断たれた状態から イエスによって そして与えてくださった聖霊によって 神と十分に交 わり イメージし 直接見た結果としての新約聖書を通して神を学ぶことができるようになっていることは 大変大きな恵みであることを今日再認識したいと思います また 御子は私たちの間に住んでくださいました 4. 私たちの間に住まわれた神 見ることはできるが 手に届かないものがあります 例えば 高級な美術品や工芸品は 見ることはできますが 手に取って触ることはできません また 著名な人もそうかもしれません おそらく 今日集まってくださった方々の中に 日本であれば安倍首相 アメリカであればトランプ大統領にお会いした方はいらっしゃらないかと思います 安倍首相であれば 場合によってはどこかで見かけたことがある方がいらっしゃるかもしれませんが トランプ大統領になると 見かけることすらない方だろうと思います 見ることができるだけでも 私たちにとっては 見えない 状態よりもずっと理解しやすくなりますが その方と直接お話しすることができるなら その方に対する理解が深まります しかも 一生に 1 回しか会えないような人よりも 同じ空気を吸い 同じ水を飲み 同じ環境で生活している人の方が 理解が深まることは言うまでもないと思います ヨハネは イエスが人となってくださっただけでなく 私たちの間に住まわれた と教えました 事実 イエスは ヨセフとマリヤの子としてこの地上に誕生し 30 年間彼らとともに生活されました また 30 歳になられたときに 人々の前に出て教え始められましたが イエスは多くの時間を大勢の人たちとともに過ごされました 同じヨハネが書いた ヨハネの手紙第 1 の冒頭で ヨハネはこのように教えています 1:1 初めからあったもの 私たちが聞いたもの 目で見たもの じっと見 また手でさわったもの すなわち いのちのことばについて ヨハネは イエス キリストが 単なる人 ではなく 神のひとり子であることを信じていましたが 彼は私 たちとは違い 実際にイエス キリストの時代に生き イエス キリストとともに生活した人でした そのヨ ハネは イエスに対する自分自身のアプローチを 5 段階に分けて表現しました まず 彼はイエスが 初めからあったもの と教えています これは イエスが神であることを象徴しています ヨハネがイエスに出会った瞬間からではなく 神の永遠のご計画の中にあって自分自身も 計画されていた すなわち偶然ではなく 神のご計画の中に 自分自身も組み込まれていたことを イエスを通して知りました 自分自身は有限の存在であるが イエスは違う この方は天地の創造主であり すべてのこと すべてのものの初めから存在している方 無限の存在であることを示しました 2 番目は 私たちが聞いたもの と教えています 彼は実際 イエスから直接 イエスの話を聞いた人物の一人です ただし 彼の 聞き方 は時間とともに変わっていきます まず 彼は漁師としてガリラヤ湖で魚を取っていたとき イエスは宣教を開始されました そのときは 遠くの方で 先生 のような方が話をしているのを見て 遠くから聞いていただけです しかし イエスがガリラヤ湖でヤコブとヨハネに声をかけられ 弟子となってからは 自分自身の師の話として イエスの話を聞いていました やがて イエスは十字架にか

けられますが 彼はイエスの母とともに十字架の下にいて イエスの最後の言葉を聞きます イエスが息を引き取られ 葬られ よみがえられた後 再びイエスに出会い イエスの話を聞きます 彼は 遠くで話されているのを聞いている状態から 少しずつイエスに近づき イエスに最も近いところで話を聞くようになりました 近いというのは物理的な距離だけではなく 精神的な距離も同じように近くなっていきました ただ 聞こえていただけではなく またただ耳から音として聞いていただけではなく イエスの話 イエスの言葉の深さを徐々に知り それを味わいながら聞いていたのです 3 番目は 目で見たもの です 見えない神が見える形をもってヨハネの前に現れて下さったのですが 彼は自分自身の目でイエスを見たことを証言しています 人間が人間を見るなら 見えて当たり前ですが ヨハネはイエスが十字架にかかり 葬られ よみがえられたことを通して この方が人となられた神であることを理解し 信じ 受け入れました 見えるはずのない また見ることが許されない神を 自分の目で見ることが許されたことをヨハネが理解したのは イエスが本当に神の子であることを信じ 受け入れたときです 見えるはずのない 見ることが許されていない神を 自分の目で見たことを知ったときに 彼はどれほど驚いたことでしょうか はじめの人アダム以降 誰もまともに見ることはおろか 一瞥すらできなかった方を 彼は見ていたのです 4 番目は じっと見 です 見ただけではなく 見ることができただけではなく ヨハネは人の子をじっと見ていました この じっと見 は 別の訳によると じっと見つめ と訳されています じっと見る じっと見つめることには 見る人の意思が反映されていると思います ただ見ているだけではなく 意思をもって見る 意思をもって見つめる ヨハネはどのような意思を持っていたのでしょうか ヨハネ自身は漁師でした ヨハネ以外のイエスの弟子は 取税人や熱心党員 漁師という職業だった人たちで 後にイエスの使徒となるパウロや イエスと問答し イエスの埋葬の手伝いをしたニコデモのような律法学者ではありません イエスの弟子が律法をどのように理解していたかはわかりませんが イエスの時代では 決して尊重されてはいなかった人たちを弟子にして イエスは宣教活動を行っていました イエスが語る言葉 イエスの話は しばしば律法学者たちとの論争となり 彼らはイエスを殺そうと画策する程でした ですから イエスと行動を共にしていた弟子たちにとっても 命が狙われるような危険といつも隣り合わせになっていたのです しかし イエスの言葉 イエスの話を聞き 一方でそれに反論する律法学者の話を聞いて ヨハネはイエスが一体何者なのか? ということを確かめなければならなかった その確証を得る必要があったと思います イエスを理解するために イエスが話す言葉を理解するために 彼はいつもイエスをじっと見なければならなかった 見つめなければならなかった それくらい 彼はイエスのことをよく理解していた ということを言いたかったのかもしれません 最後に 手でさわったもの です 3 番目の 目で見たもの と同じように 人であればいくらでもさわることができるのでしょうが 神であれば見ることはおろか さわることなどできるはずがありません しかし 実際にイエスをさわることができるほどの関係であったことを ヨハネは告白しました さわることができるのは関係性の近さだけではなく 距離の近さも表現しています 実際 神は私たちが見ることもさわることもできないような はるか彼方にいらっしゃる方ではなく 私たちの近くにいらっしゃる方であることを ヨハネはここで示したかったように思います イザヤ書 59:1 には 逆説的な教えとしてこのように教えられています 59:1 見よ 主 の御手が短くて救えないのではない その耳が遠くて 聞こえないのではない 59:2 あなたがたの咎が あなたがたと あなたがたの神との仕切りとなり あなたがたの罪が御顔を隠させ

聞いてくださらないようにしたのだ 咎や罪がなければ 神は救うことができるほど近くにおり イスラエルの声 イスラエルの叫び声が聞こえるところにいるのだ とイザヤは教えました 神は近くにおられるのに 仕切りとなるものがあるために 神との距離が遠くなってしまったかのような状況になってしまっている このように教えられていることを前提に ヨハネの告白 手でさわったもの を考えるなら それまでに解決されていなかった罪の問題が解決され 実際に手が届くところに神がいらっしゃること また本当にふれることができる関係性になったことを言いたかったことがわかります いかがでしょうか ヨハネの告白を通して 神が私たちの間に住まわってくださったことを 彼自身が体感し たことが理解できると思います 私たちが神とお会いするために 最も重要な 神がしてくださったこと として 神のひとり子である御子を私たちの世界にお遣わし下さったことを ヨハネの福音書 1:14 から少し学んでみました 御子がこの世に来られたことにより 私たちはこの方を見ることができ またこの方とともに住むことができるようになりました もう一度 ヨハネの福音書 1:14 を開きましょう 1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 旧約聖書の時代 特に律法の時代は 定められた方法により 選ばれた人たちだけが神の前に出て 神の御声を聞くことができました しかし 終わりの時代 すなわち私たちの時代においては 神に贖われた者として 自由に 誰でも神の前に進むことができ 聖霊を通して神にお会いすることができるようになりました その道を開いてくださったのは 御子イエス キリストです この方は神であられるのに 私たちが見ることのできる形を通して 私たちがともに住むことができる方として 私たちにご自身を示し 事実私たちとともに住んでくださる方となってくださいました 私たちに求められているのは そのために何かをするのではなく その事実を受け入れ そのように生きることだけだと思います くどいようですが 私たちに与えられたこのすばらしい恵みと祝福は 私たちがこれから何かの努力をして徐々に得ていくものではなく 既にこのような立場が与えられていることをしっかりと理解したいと思います 5. 見える方 ともに住まわれた方は どこを目指されていたのか さて 今日 皆さんとご一緒に 神は見える方となってくださった また私たちとともに住まわれたことについて学びました しかし もし神が見えること 一緒に住むことがゴールであるなら これ以上のことは必要ではなかったはずです ところが イエスは 見える形で現れて下さり 人とともに住まわってくださいましたが その状態を延々と続けられるのではなく 自ら地上でのご生涯に終止符を打たれました それが 十字架です 天にある幕屋そのものである御子ご自身が 見える形で私たちの間に住まわることだけでは解決できない問題 がありました それは ヘブル人への手紙 9:1-10 に教えられています

9:1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました 9:2 幕屋が設けられ その前部の所には 燭台と机と供えのパンがありました 聖所と呼ばれる所です 9:3 また 第二の垂れ幕のうしろには 至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ 9:4 そこには金の香壇と 全面を金でおおわれた契約の箱があり 箱の中には マナのはいった金のつぼ 芽を出したアロンの杖 契約の二つの板がありました 9:5 また 箱の上には 贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました しかしこれらについては 今いちいち述べることができません 9:6 さて これらの物が以上のように整えられた上で 前の幕屋には 祭司たちがいつもはいって礼拝を行なうのですが 9:7 第二の幕屋には 大祭司だけが年に一度だけはいります そのとき 血を携えずにはいるようなことはありません その血は 自分のために また 民が知らずに犯した罪のためにささげるものです 9:8 これによって聖霊は次のことを示しておられます すなわち 前の幕屋が存続しているかぎり まことの聖所への道は まだ明らかにされていないということです 9:9 この幕屋はその当時のための比喩です それに従って ささげ物といけにえとがささげられますが それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません 9:10 それらは ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので 新しい秩序の立てられる時まで課せられた からだに関する規定にすぎないからです また 10:1-4 にはこのように教えられています 10:1 律法には 後に来るすばらしいものの影はあっても その実物はないのですから 律法は 年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を 完全にすることができないのです 10:2 もしそれができたのであったら 礼拝する人々は 一度きよめられた者として もはや罪を意識しなかったはずであり したがって ささげ物をすることは やんだはずです 10:3 ところがかえって これらのささげ物によって 罪が年ごとに思い出されるのです 10:4 雄牛とやぎの血は 罪を除くことができません 旧約聖書に示された幕屋では 人が神にささげる礼拝は完全なものにはならず そして人の罪の問題も解決しない ということが教えられています 特に 9:8 が重要かと思います 前の幕屋 すなわち旧約聖書に示されている幕屋が存続している限り まことの聖所 すなわち天にあるまことの聖所への道は明らかにされていない この明らかにされていないという部分は ギリシャ語の聖書によると 開かれていない という意味もあるようです ですから 旧約聖書の幕屋が存続している間は 本当の聖所に至る道が開かれていないということになります では どうすればよいのか 何がこの問題を解決することができるのか 答えはシンプルです 旧約聖書に規定されている幕屋を廃止して 完全な幕屋に進まなければならない その完全な幕屋とは何か? この完全な幕屋こそイエス キリストである と聖書は教えています ですから イエスは見える神として 一緒に住まわれる神としての立場を この地上に延々と続けられるのではなく 旧約聖書に規定されている幕屋を廃止しなければならなかった では その幕屋をどこで廃止されたのか それが十字架です 最後にマタイの福音書 27:45-51 を開きたいと思います

27:45 さて 十二時から 全地が暗くなって 三時まで続いた 27:46 三時ごろ イエスは大声で エリ エリ レマ サバクタニ と叫ばれた これは わが神 わが神 どうしてわたしをお見捨てになったのですか という意味である 27:47 すると それを聞いて そこに立っていた人々のうち ある人たちは この人はエリヤを呼んでいる と言った 27:48 また 彼らのひとりがすぐ走って行って 海綿を取り それに酸いぶどう酒を含ませて 葦の棒につけ イエスに飲ませようとした 27:49 ほかの者たちは 私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう と言った 27:50 そのとき イエスはもう一度大声で叫んで 息を引き取られた 27:51 すると 見よ 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた そして 地が揺れ動き 岩が裂けた イエスの十字架の記事ですが イエスが息を引き取られた直後に 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた と教えられています この神殿の幕は 幕屋の聖所と至聖所との間にあった幕ですが 神はこの至聖所で大祭司と会うことを約束されていました 神は 確かにアブラハムの子孫に対して この会見の天幕を通してご自身を現わすことを約束されましたが それは年に一度 しかも大祭司に対してだけ現わされたのです その幕屋を廃止しなければ 今 私たちに与えられている自由な礼拝 賛美への道は開かれないのです 本日はここまでとさせていただいて 次回はイエス キリストの十字架についてご一緒に考えたいと思います 十字架は確かに私たちの罪を赦すために大変重要なものでしたが 罪を赦すためだけではなかったことを ご 一緒に考えたいと思います では 祈りましょう