子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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創世記5 創世記2章4節b~25

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

創世記5 創世記2章4節b~25

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

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大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

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2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

係ない 私がやりたいことをやる 私の欲望を満たしたいのだと まさに このような人のことがここに記されているのです 先にも言ったように このような人たちはどこの国にもどの時代にも溢れていることを私たちは知っています このような 性的な罪 について話した後 次に 2. 偶像崇拝の罪 20 節 20 節に

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

ヘブル人への手紙1章

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

のはよいものの 何か別のことを行なっているようで結局 同じところに行き着くことがあります 思い出すと 私は高校生の時に勉強に行き詰まりました それで落ち込むことが多くなったのですが 主の憐れみで 推薦入試で 大学に早めに入学できたのです それで私は思いました これで やり直そう 大学生になったのだか

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

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テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

牧会の祈り

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

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2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

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ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

牧会の祈り

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Ⅱ. 信仰生活の再建 : エズラの指導 (7~10 章 ) 1. エルサレムに到着するエズラ (7~8 章 ) 2. 民の罪を告白するエズラ (9 章 ) 3. 国を清めるエズラ (10 章 ) 結論 : 私たちへの適用 1. 悔い改めの力 2. みことばの力 エズラ記を通して リバイバルの原則につ

カインの性格

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

sermon

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だ

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

2 1. 神の 恵み によって 誇れる人 1) ギデオン ギデオンという人は勇士として知られていますが 元々はそうではありませんでした むしろ彼は臆病者でありました 彼はミデアン人の襲撃を恐れ 酒ぶねの中で 隠れるようにして小麦を打っていました 士師記 6 章 6:14 すると 主は彼に向かって仰せ

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

比喩:その他

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

黙示録 3 章 7-13 節 忠実な教会 1A 聖なる 真実な方 7 2A 主に知られた行ない 8 3A 報い B 中傷者からの擁護 9 2B 試練の時からの守り 10 3B 冠 11 4B 都での安全 本文 黙示録 3 章 7 節からです フィラデルフィヤにある教会に対する

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

Joshua Chapter 3-4 “God’s people move forward by FAITH

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

存在する 弟子訓練は 人が思考 感情 行動において よりキリストに似た者となることを手助けするプロセスである このプロセスは 人が新しく生まれたときから始まり 残る生涯中続くものである このキリストを わたしたちは宣べ伝えており すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように 知恵を尽くしてすべ

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

2 神はイスラエルをぶどうの木 ぶどうの実にたとえられました 神に選ばれたイスラエルは 本来その実を結ばせるべき存在でした しかし 聖書は次のように語っています エレミヤ書 2:21 わたしは あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに どうしてあなたは わたしにとって 質の悪い雑種のぶど

エゼキエル書 8-9 章 神殿での偶像礼拝 1A 大いなる忌み嫌うべきこと 8 1B 妬みの偶像 1-6 2B 隠れた行ない B タンムズと太陽 B 神の憤り A 町の虐殺 9 1B 神殿にいる天使たち 1-2 2B 額の印 3-7 3B 惜しみない裁き 8-

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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エレミヤ書 7 章 2-4 節 主の宮 という偽り 1A 建物に頼る偽り 1B イエスの宮清め 2B 心の動機 2A 不正や偶像礼拝 1B キリスト者として 2B 汚れからの分離 本文 エレミヤ書 7 章を開いてください 私たちの聖書通読の学びは 先週で 5 章まで来ましたが 今日の午後礼拝で 6 章から 8 章まで読みます 今朝は 7 章 2 4 節に注目してお話ししたいと思います 2 主の家の門に立ち そこでこのことばを叫んで言え 主を礼拝するために この門にはいるすべてのユダの人々よ 主のことばを聞け 3 イスラエルの神 万軍の主は こう仰せられる あなたがたの行ないと わざとを改めよ そうすれば わたしは あなたがたをこの所に住ませよう 4 あなたがたは これは主の宮 主の宮 主の宮だ と言っている偽りのことばを信頼してはならない 今 預言者エレミヤは エルサレムにある神殿の所にまで行って そこで礼拝のために門を通る人々に預言をしなさいと命じられています 以前 アーサー ホランドという伝道師が 新宿駅前のアルタの前で 赤信号で横断歩道の前で待っている人々に少し高いところから福音を語りかけていましたが ちょうどそんな感じで門を通る人々に神の言葉を語っていました 主の宮ですから そこに主が住んでおられる すなわち礼拝するところであったのですが これは主の宮 主の宮 主の宮だ という偽りの言葉を信頼するな と説いています なぜかというと 彼らは主の宮に来ていること自体に安心感を持っていました バビロンがかなり力を持っていて ユダの国もバビロンに従わないといけない圧力をかけられていた時に それでも主の宮があるから 主が守ってくださるという声に聞き従うことのないように と説いたのです もし 自分の行ないと業を悔い改めることがなければ あなたがたは追い出されることになると警告しました 事実 間もなくしてバビロンがこの神殿を徹底的に破壊し エルサレムの住民は殺され 残りは捕え移されるのです 1A 建物に頼る偽り 1B イエスの宮清め同じことが イエス様の時代にも起こりましたね イエス様が地上におられた時は エルサレムにヘロデ大王の建てた荘厳な神殿がありました 世界の七不思議には入っていませんが 入ってもおかしくない 大理石によって造られたものでした 今でもその遺跡の一部は残っており 今の CG の技術で 立体映像でかなりの詳細を眺めることができます それはそれは すごいものです 弟 1

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたのです ユダヤ人の指導者たちは悔い改めず それでローマに紀元 70 年に 神殿が破壊され ユダヤ人は世界に散らされたのです そのヘロデの建てた神殿に戻りますと 礼拝者に対して演出効果もあります 南にあるシロアムの池から都上りの坂を上り 南壁にまで来ます そこで服を完全に着替えて ミクバ すなわち浸礼漕に入ります そして上がってくることによって 自分は新しく生まれたのだとみなします そして 傷のないいけにえの羊や牛を携えます 階段を上がるのですが ちょうどトンネルの中を通るようになっていて そこから出てくると正面に 神殿の側面が大きく見える外庭に出てきます この 暗いところから太陽光の反射でまばゆく輝く大理石の建物によって 神の栄光の輝きを受けているかのような錯覚を受けるのです ですから この神殿がまさか破壊されるとは思わなかったでしょうし 祭司たちは事実 ローマが自分たちを追い出すなど考えつきもしなかったそうです しかし そのようなすばらしい神殿の建物といけにえの制度の中には 巧妙な集金システムが組み込まれていました ローマの貨幣はカイザルの銘があるので汚れているとし 神殿の貨幣シェケルに変えないと献金ができないということで 両替商が発達していました そこには 両替手数料があり それで祭司たちは収益を得ていました そして 携えてくる牛や羊についても その体に傷や欠陥があればそれは神に捧げることができないという律法がありますから 見つけた場合は 祭司認定の家畜を購入しなさいということで これもまた高価なものでした こうやって 神殿に来るユダヤ人は絶えることはないですから いつまでもお金が生み出される体制があって 祭司たちは裕福になっていたのです そこでイエス様が最後の週にエルサレムに入られて 宮清めを行なわれたのです 両替の台を倒すなどして そして彼らに言われました マタイ 21:13 わたしの家は祈りの家と呼ばれる と書いてある それなのに あなたがたはそれを強盗の巣にしている 祈りの家という言葉は イザヤ書に出てくる言葉です そして 強盗の巣というのは エレミヤがここ 7 章で 11 節に語っている言葉です 神殿の管理はユダヤ教の中でもサドカイ派が行なっていましたが パリサイ派もまたこの神殿に入ってきた時は 自分はきちんと主に捧げているという自負を持っていました パリサイ派と 取税人の祈りの対比の喩えのことを思い出してください 神よ 私はほかの人々のようにゆする者 不正な者 姦淫する者ではなく ことにこの取税人のようではないことを 感謝します 私は週に二度断食し 自分の受けるものはみな その十分の一をささげております ( ルカ 18:11-12) このように 自分のしていることを確認して 他の人たちよりは自分はやっていると人と比べて 満足している状態でした このような形で 人々は神殿礼拝によって自分たちは守られている 救われていると思っていたのです 2

2B 心の動機さて 今日 神殿と呼ばれている所はどこでしょうか? そうです 私たちキリストを信じる者たちの集まる教会が 御霊が住まわれる神の宮と呼ばれています 1コリント 3:16 あなたがたは神の神殿であり 神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか 私たちは 教会に来ているその動機はどうなっているでしょうか? 日曜に 主が甦られたこの日に共に集まることはとても良いことです いや しなければならないことです どんなことがあっても この日は主を礼拝するために開けるというのは ちょうどどんなに忙しくても歯は磨くのと同じように 選択ではなく キリスト者としてはしていくものです 習慣とすべきものです けれども それがいつの間にか 惰性 となっていることはないでしょうか? 日曜日は行くもの ということで 教会には来ているものの ただ足を運んでいる なぜ来ているのか 主を心から喜んでいるのか 分からなくなっているということはないでしょうか? あるいは 義務 で来ているということもあるでしょう 奉仕を頼まれているから 教会を休むことはできないとして来ていることがあるかもしれません 担当が回ってくる時は それをこなしていなければいけませんが なければ礼拝に来ている意味があまり感じられないのであれば それは義務感で来ていることになります あるいは 他の教会の人たちに見られているから 牧師に見られているから 休む訳にはいかないと思う時もあるかもしれません または 日曜日に教会に来ればとりあえず 自分はクリスチャンとしての面子や自信が持てるということもあるかもしれません これらはみな ただ来ている という事実だけで自分を安心させている動機です それは 神の宮そのものに信頼を置いてしまっているユダヤ人と同じになっています そこで 私たちが集まる動機をヘブル書の著者が教えてくれています ヘブル 10:21-25 また 私たちには 神の家をつかさどる この偉大な祭司があります そのようなわけで 私たちは 心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ からだをきよい水で洗われたのですから 全き信仰をもって 真心から神に近づこうではありませんか 約束された方は真実な方ですから 私たちは動揺しないで しっかりと希望を告白しようではありませんか また 互いに勧め合って 愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか ある人々のように いっしょに集まることをやめたりしないで かえって励まし合い かの日が近づいているのを見て ますますそうしようではありませんか 一緒に集まることをやめたりしなさいで ますますそうしようではありませんか と言っています けれども やみくもにそれを言っているのではなく しっかりとした根拠があります 一つは 私たちのために血を流してくださった方が 私たちの教会の大祭司としておられるということです 私たちは このことを受け入れているでしょうか? 何もしなくても それでも一切の罪をご自身の血で清めてくださった方がおられるのです! この喜びがありますか? すると 私たちは神に近づきたいと願うようになります これが 私たちが礼拝に集う最も大きな動機です そしてもう一つは 希望を告白する ということです その希望とはキリストご自身であり キリストが戻っ 3

て来られることです 私たちは この方のみが堅い礎であり 他は揺らいでしまうものであることを知っています だから 集います そして 三つ目に励まし合うことです キリストが戻って来られるまで その信仰の競走を終えるまで しっかりと愛の実践をすることができるように励まし合います ですから あなたの罪がキリストの血で清められたこと 神に近づくこと キリストとその到来にこそ希望があること そして互いに励まし合うことです これが 集まる理由であります 2A 不正や偶像礼拝そして エレミヤはエルサレムの神殿に来る人々に 神からの戒めを与えています 9 しかも あなたがたは盗み 殺し 姦通し 偽って誓い バアルのためにいけにえを焼き あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている 10 それなのに あなたがたは わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち 私たちは救われている と言う それは このようなすべての忌みきらうべきことをするためか 彼らは 礼拝に来ているのですが その生活の中でこれらの罪を犯していました 盗み 殺し 姦通し 嘘をつき そして偶像礼拝をしていました これらのことをしていたら 礼拝をしていると言っても 取り除かれてしまうことを警告しています 1B キリスト者としてそこで私たちは 同じことを問わないといけません 教会に集っているということが 私たちの救いになっているのではないことを今 お話ししました では 何をもって自分がキリスト者であることを証明するのでしょうか? まず コリント人への手紙第一 6:9-11 を読みます あなたがたは 正しくない者は神の国を相続できないことを 知らないのですか だまされてはいけません 不品行な者 偶像を礼拝する者 姦淫をする者 男娼となる者 男色をする者 盗む者 貪欲な者 酒に酔う者 そしる者 略奪する者はみな 神の国を相続することができません あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした しかし 主イエス キリストの御名と私たちの神の御霊によって あなたがたは洗われ 聖なる者とされ 義と認められたのです もし教会に定期的に来ていて 私はクリスチャンだと言っても 結婚以外の関係で性的な関わりを持っているのであれば その人は自分をクリスチャンだということは難しくなります このような汚れから洗われて 聖なる者とされて 義と認められたのがクリスチャンです 何か自分が貪っているものはあるでしょうか? その他 偶像礼拝をしていながら 貪っていながら 酒に酔いしれることは数知れず それで教会に来ている自分はキリスト者だと言ったら 自分を欺いているのです 同じような内容が ガラテヤ書 5 章 19-21 節にもあります 肉の行ないは明白であって 次のようなものです 不品行 汚れ 好色 偶像礼拝 魔術 敵意 争い そねみ 憤り 党派心 分裂 分派 ねたみ 酩酊 遊興 そういった類のものです 前にもあらかじめ言ったように 私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません ここでは肉の欲だけでなく 知的な高慢も書いてあります 自分が正しいと思って 相手に敵意を抱いていること 争いの心 そねみ 憤り 分裂や妬み これらを持ちながらなおのこと 4

平気で教会に来られているということは 自分自身が信仰の中に立っているのかどうか 確かめ ないといけません そして ヨハネの手紙第一 3 章 9-12 節も読んでみます だれでも神から生まれた者は 罪のうちを歩みません なぜなら 神の種がその人のうちにとどまっているからです その人は神から生まれたので 罪のうちを歩むことができないのです そのことによって 神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします 義を行なわない者はだれも 神から出た者ではありません 兄弟を愛さない者もそうです 互いに愛し合うべきであるということは あなたがたが初めから聞いている教えです カインのようであってはいけません 彼は悪い者から出た者で 兄弟を殺しました なぜ兄弟を殺したのでしょう 自分の行ないは悪く 兄弟の行ないは正しかったからです 私たちが 兄弟や姉妹を恨んでいたり 憎んでいたらどうでしょうか? 神から出た者ではない とはっきりと言っています 平気で罪を犯して そのままに放置している人 兄弟に対して憎しみを抱いて そのままにしている人 その人は もはや神の愛に留まっていません どこかで外れてしまっています 自分自身がキリスト者であるという保障がありません 2B 汚れからの分離したがって 私たちは聖なる神の霊が住まわれる宮なのです 悔い改めが必要です 汚れから離れることが必要です そうすることによって 主が親しく私たちの間に住んでくださいます 2コリント 6:14-18 不信者と つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません 正義と不法とに どんなつながりがあるでしょう 光と暗やみとに どんな交わりがあるでしょう キリストとベリアルとに 何の調和があるでしょう 信者と不信者とに 何のかかわりがあるでしょう 神の宮と偶像とに 何の一致があるでしょう 私たちは生ける神の宮なのです 神はこう言われました わたしは彼らの間に住み また歩む わたしは彼らの神となり 彼らはわたしの民となる それゆえ 彼らの中から出て行き 彼らと分離せよ と主は言われる 汚れたものに触れないようにせよ そうすれば わたしはあなたがたを受け入れ わたしはあなたがたの父となり あなたがたはわたしの息子 娘となる と全能の主が言われる 5