次に 神戸の文化行政のあゆみについてご説明します
戦後の文化行政の黎明期 戦後間もないころの文化施策は 昭和 23 年 (1948 年 ) に教育委員会が開設した政治 文学 経済などの 社会教育講座 が中心でした そのような中で 美術では 昭和 24 年 (1949 年 ) から始まり 小磯良平画伯 ( 昭和 58 年に文化勲章受賞 ) や田村孝之介画伯 ( のち二紀会理事長 ) らが関わられた 神戸市民美術教室 が全国的に有名となりました この教室は現在 区民センター等で開催されている 絵画教室 に受け継がれており この美術教室が神戸の美術界に果たした役割は大きいと考えられます また 母親コーラス など音楽を親しむ団体が発足し その活動は 合唱の神戸 合唱王国兵庫 として全国的に有名になりました 昭和 38 年 (1963 年 ) に 21 団体の合唱団により 神戸市母親コーラス連絡協議会 が結成され その精神が現在にも受け継がれています
この時期には 芸術文化の鑑賞の場や機会の提供が徐々に行われるようになりました 昭和 43 年 (1968 年 ) に 神戸須磨離宮公園現代彫刻展 が開催され 以降平成 10 年 (1998 年 ) まで 2 年ごとに開催しました このときから 彫刻 に対する取り組みが盛んになってきました 能 狂言の分野では 昭和 47 年 (1972 年 ) 湊川神社内に 湊川神社創建 100 年祭記念事業として 神戸における能楽の殿堂としての神能殿がオープンしました また 神戸市有数の庭園である相楽園内にある旧小寺家厩舎を 厩画廊 として 市民の芸術作品発表の場に活用しました ( なお 相楽園 は 昭和 16 年 (1941 年 ) に第 11 代市長 小寺謙吉氏 ( 昭和 22~24 年在職 初代公選市長 ) から神戸市に譲渡されました 相楽園 内には 旧ハッサム住宅 ( 英国人貿易商ハッサムが明治 35 年ごろ建てたもので 昭和 38 年に北野町から移築 昭和 36 年国重文指定 ) 旧小寺家厩舎 ( 明治 43 年ごろに所有者の小寺謙吉氏が厩舎としてこの地に建てたもの 昭和 45 年国重文指定 ) 船屋形 ( 江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた 川御座船 ( かわござぶね ) の屋形部分だけが陸上げされたもので 昭和 55 年に垂水からこの地に移築 昭和 28 年国重文指定 ) の 3 つの国指定重要文化財があり 旧ハッサム住宅と旧小寺厩舎は毎年春と秋に公開されています )
神戸を代表するまつりとしては昭和 8 年 (1933 年 ) から みなとの祭 が開催されていましたが この みなとの祭 と昭和 42 年 (1967 年 ) に神戸開港 100 年祭の一環として開催された 神戸カーニバル が昭和 46 年 (1971 年 ) に統合され 市民がつくる 神戸まつり となり 現在まで親しまれてきています
文化振興への基礎づくり 昭和 40 年代の後半には 市民の余暇活用と生涯学習という観点から文化活動の推進が取り上げられるようになり 神戸市の体制としましても 市長部局と教育委員会が共同して文化行政に取り組むことになりました この市民の余暇活用という観点からは 市民の間で登山 ハイキングの需要が高いということを背景に 六甲山を貴重なレクリエーション空間として活用し 六甲山の自然に親しみ 同時に神戸の良さを知ってもらう神戸ならではのイベントとして 昭和 50 年 (1975 年 ) に KOBE 六甲全山縦走大会 が始まりました 須磨浦公園から宝塚まで六甲連山 50 数キロメートルという長いコースですが 現在も多くの参加をいただいています
文化施策の基礎となる基盤整備にも力を入れていきました 文化施策の柱としては 昭和 48 年 (1973 年 ) に文化功労者の表彰制度が設けられ これに基づき 毎年文化賞及び文化奨励賞が贈られるようになりました また 同年 芸術活動を行う人々による相互協力と市民のための芸術文化の推進を図るため 神戸市民芸術文化推進会議 が設立され 昭和 56 年に 神戸芸術文化会議 となり 現在でも多くの会員が所属しています さらに 演劇 コーラス 音楽など神戸文化の殿堂として 同年 9 月 神戸文化ホール がオープンしました 昭和 48 年は 神戸の文化行政の歴史上 とても重要な節目の年であったと言えます
市民レベルの文化振興を図るため 市民の日頃の美術活動の発表の場としての 市民美術展 ( 昭和 48 年 ) クラシックやポピュラーなどの分野ごとにアマチュア音楽家の育成と市民音楽の普及を図る 市民音楽祭 ( 昭和 52 年 (~ 平成 3 年 )) が開催され 演劇部門では 市民演劇祭 ( 昭和 49 年 (~ 平成 9 年 )) が開催されました また 昭和 49 年には 文芸活動の発表の場として 市民文芸集 ともづな が発行され 以降昭和 60 年に第 13 号まで刊行されました なお 現在では その ともづな を発展させ こうべ市民文芸 として発行されており 市民の文芸創作活動に発表の機会と場を提供しています さらに 市民の文化活動の拠点として 兵庫 ( 昭和 48 年 ) 六甲道 ( 昭和 49 年 ) 新長田 ( 昭和 52 年 ) の各勤労市民センターが順次開設され また 北区民センター ( 昭和 49 年 ) 東灘文化センター ( 昭和 51 年 ) なども開設されました なお 1 区 1 区民センター等を整備する考え方のもと 現在では各区に区民センターまたは勤労市民センターが整備されています
また この頃から 彫刻のあるまちづくり が始まりました すでに 神戸須磨離宮公園現代彫刻展 を昭和 43 年から開催していましたが さらに 昭和 56 年 (1981 年 ) に 神戸具象彫刻大賞展 が開催され 以降平成 8 年 (1996 年 ) まで 2 年ごとに開催しました これら 2 つの彫刻展の入賞作品を中心に 彫刻を道路や公園 公共施設等に設置する 彫刻のあるまちづくり を進めました 昭和 48 年 (1973 年 ) には 神戸文化ホールから神戸駅前に至る みどりと彫刻のみち が整備され また 昭和 56 年 (1981 年 ) にはフラワーロード沿いの 花と彫刻の道 も整備されました その他 様々な公共施設 公園等に彫刻を設置することで 彫刻の街こうべ として全国的にも高い評価を得てきました その結果 魅力ある都市景観を形成し 市民のこころを和ませる潤いのある街づくりに効果をあげてきました 現在 市内に 500 点を超える彫刻作品が設置されています なお 神戸市では 神戸らしい魅力ある美しいまちなみ ( 景観 ) をまもり そだてていくため 全国に先駆けて昭和 53 年 (1978 年 ) に 都市景観条例 を制定し 北野町 山本通地区 旧居留地地区 など 伝統的な建造物が集中しているまちなみ保全に努めてきています
クラッシック音楽の本格的な取り組みのひとつとして 昭和 56 年 (1981 年 ) には 神戸市室内合奏団 が設立されました この合奏団は地方自治体が全国で初めて設立した室内楽団で 現在は 神戸市室内管弦楽団 ( 平成 30 年 4 月 ~) として 全国的に高い評価をいただいています 昭和 56 年には 神戸博ポートピア 81 が華々しく開催され その中で ジャズイベントなど様々な文化イベントが実施されました このようなイベントが 後の ジャズストリート のように 昭和 62 年以降に華ひらいていきました
幅広い文化施策の展開 昭和 57 年 (1982 年 ) には 教育委員会文化課にあった文化に関する仕事を 市長部局の市民局に移し 全市で統括的に文化行政の取り組みを進めていく体制を整えました この年には 市民の幅広い多様な文化的欲求に対応し 神戸文化を育て 自由な発想にもとづく文化活動の豊かな展開をすすめるために神戸市民文化振興財団を設立しました また 同じくこの年に神戸市立博物館をオープンしました
昭和 56 年 (1981 年 ) から 神戸文化ホールなどの市内の文化施設で 内外の音楽 美術 映画 演劇などの幅広い文化行事を集中的に開催する 神戸秋の芸術祭 を開催しました (~ 平成 6 年 (1994 年 )) また 昭和 57 年 (1982 年 ) には 北野町一帯で国内外のプロ アマが集いジャズを演奏する 神戸ジャズストリート がはじまりました さらに 昭和 60 年 (1985 年 ) には ユニバーシアード神戸大会の関連文化行事として 神戸国際フルートコンクールや日本アマチュアシャンソンコンクールを開催しました 両コンクールとも回を重ねるごとに 高い評価を受けるようになっていきました
より豊かな市民文化の振興へ 平成に入るとさらに一層の文化振興を図っていきましたが そのひとつとして平成元年 (1989 年 ) には 地方自治体で初めてのプロの混声合唱団である神戸市混声合唱団が創設され 高い評価を受けるとともに 平成 6 年 (1994 年 ) には 室内合奏団とともにさらに飛躍させ 神戸の音楽文化をより一層推進するため 神戸市演奏協会を創設しました 文化施設の整備としては 平成 3 年 (1991 年 ) に埋蔵文化財センターがオープンするとともに 西区民センターや東灘区民センターの整備や企業との協働によるタウンギャラリーの展開など 整備充実に努めました
美術分野では 平成 4 年 (1992 年 )11 月に 小磯良平画伯の偉業を顕彰する小磯記念美術館を六甲アイランドにオープンし また わが国洋画壇の登竜門としての 小磯良平大賞展 を創設しました ( なお 小磯良平大賞展は 創設以来 10 回の開催を数え 延べ 1 応募者数 7,588 名 2 応募作品点数 11,309 作品 3 展覧会来場者数 160,816 名を数えるなど 公募展としての一定の成果をあげたことから 第 10 回展 ( 平成 25 年度開催 ) をもって休止としました ) 市民の美術を中心とした芸術文化等に触れる機会と発表のスペースの提供のため 平成元年 (1989 年 ) の市役所 1 号館開庁とともに 1 号館 2F のスペースに 市民ギャラリー を設置しました 平成 7 年 ~13 年は震災で閉鎖しましたが 14 年から再開し 現在も運営を行っています さらに 神戸市立博物館では 平成 5 年 (1993 年 ) の アーバンリゾートフェア 93 の一環として ルーヴル美術館 200 年展 を開催し 約 60 万人の方に鑑賞いただきました
平成 7 年 (1995 年 )1 月 17 日に発生した阪神 淡路大震災により 多くの尊い命が失われ 神戸市民の多くはその生活基盤に大きな打撃を受けました 文化施設も例外ではなく大きな被害を受けるとともに 20 年以上継続して開催してきた 神戸まつり も中止することとなりました
震災復興と文化政策 震災によって 文化施設は大きな被害を受けるとともに 使用可能な施設は避難所として被災者の救援にあたりました これら施設も 3 年後の平成 10 年 (1998 年 )4 月に全て再開することができました 一方 震災の翌年から毎年 1 月 17 日に開催されている神戸市室内合奏団と神戸市混声合唱団による レクイエムの夕べ は 1 月 17 日の文化事業として定着しています なお 平成 30 年 (2018 年 ) から 1.17 祈りのコンサート として新たな一歩を踏み出しました また 平成 17 年 1 月には 震災 10 年の節目として 混声合唱団と NHK 交響楽団とのジョイントコンサートを実施しました なお 震災の年には 指揮者小澤征爾さんによる被災市民激励コンサートをはじめ 多くのコンサートが開催され 神戸市民は励まされ勇気づけられました この震災復興の中で 得た経験や学んだ教訓を踏まえ 神戸文化の将来像 基本方針などを 神戸市文化指針 として平成 7 年 (1995 年 )12 月に策定しました
また 新たに芸術文化に関する施設の整備も行いました 平成 8 年 (1996 年 )4 月には 戦前 神戸の都市文化を育んできた新開地に新しい神戸文化の創造拠点として 神戸アートビレッジセンター をオープンしました また 平成 9 年 (1997 年 ) に 日本ではじめてのファッションに関する美術館として 六甲アイランドに 神戸ファッション美術館 を整備しました 平成 15 年 (2003 年 ) には 兵庫区切戸町の遊休施設 ( 旧ガデリウス社屋 ) を利用し アート職人が創作活動や地域住民等との交流活動を行い アートを活かしたまちづくりを進めていく実験的プロジェクトとして 兵庫津 NEO アルチザン工房 を開設しました ( なお この遊休施設を暫定利用した実験的プロジェクトとしては一定の成果をあげたものと評価できたことから 平成 21 年 3 月をもってこの事業は終了しました )
さらに 文化振興事業の推進として 平成 8 年 (1996 年 ) と平成 11 年 (1999 年 ) には 神戸市立博物館において 日仏の文化交流とすばらしい芸術作品の鑑賞機会として オルセー美術館展 を開催しました 平成 8 年には約 46 万人 平成 11 年には約 48 万人の方々に鑑賞いただきました 平成 13 年 (2001 年 ) には 神戸 21 世紀復興記念事業を開催しました 21 世紀への架け橋コンサート オカリナフェスティバル 神戸アーバンオペラハウス 10 周年記念公演など多彩な文化事業を開催する一方で 1000 人のチェロ 新長田スティールパンオーケストラ など 市民が主体となり行政がサポートする新しい文化事業の形が出てきました
震災 10 年を機に まちの魅力を再度見つめ直し 文化を活かしてこれからの神戸をどのように創っていくのかを 市民とともに考える基本理念として 神戸文化創生都市 を平成 16 年 12 月 4 日に宣言しました 文化の担い手の主役は 市民であるという認識のもと 芸術家等の自主性の尊重を前提として 神戸らしさ を活かしながら 地域文化を育て 市民生活に愉しみと潤いを与えつつ 人が集まり 魅力あふれる文化のまちを実現していくことを宣言したものです ( 文化創生 という言葉には, 人, 都市, 情報など今ある資源を活かしながら, 常に新しい産業や人の流れを創出していく創造都市像をもとに, 生命を尊び, 日々の生活を大切にする自律した市民が, 個性ある生活スタイル ( ライフスタイル ) を主体的に創り出し, 街が生き生きとして賑わいや活力を生み出していくような 人間主体の街 神戸 を創る という意味を込めています この文化創生都市を神戸の目指す都市像と位置づけたいと思います )
ここで 文化創生都市推進の様々な取り組みを進めるうえで 基礎となっていた施策体系について説明します まず 神戸の文化に関する基本理念として 前述の 神戸文化創生都市宣言 を掲げています この宣言の考え方を反映する形で 平成 17 年度に 2010 年度 ( 平成 22 年度 ) を目標年次とする全市の中期計画 神戸 2010 ビジョン のアクションプランの一つとして 文化創生都市推進プラン を策定しました このプランに基づき 平成 18 年度から 22 年度にかけて様々な事業を展開してきました そして 平成 22 年度に 2015 年度 ( 平成 27 年度 ) を目標年次とする全市の中期計画 神戸 2015 ビジョン の重点施策の一つとして 文化芸術を活かしたまちづくりの推進 を掲げ 平成 23 年度から 27 年度にかけてそれに基づき取り組みを行ってきました この 文化芸術を活かしたまちづくりの推進 については これまでの文化芸術の取り組みを踏まえてさらなる新たな展開として 市民の文化芸術の多様性 重層性をより一層醸成するとともに 文化芸術を都市の魅力や活力につなげていくため 文化芸術創造の基盤となる 人づくり 仕組みづくり を進めるものです その事業内容として 市民の文化芸術活動のさらなる充実 文化芸術を活かしたまちづくり活動の促進 文化芸術を担う人材の育成 文化施設の機能強化 の 4 点を掲げ その内容に沿った具体的な事業を進めました なお 現在は 平成 27 年に策定した 2020 年度 ( 平成 32 年度 ) を目標年次とする全市の中期計画 神戸 2020 ビジョン の実行計画の一つとして 神戸の文化 芸術の創造発信プロジェクト を掲げ 具体的な事業実施を行っています
文化創生都市づくりに向けて 文化創生都市宣言や施策体系を踏まえ 文化創生都市づくりに向けた取り組みとして 2 年に 1 度 神戸ビエンナーレ を開催しました ビエンナーレとは イタリア語で 2 年に 1 度という意味ですが 芸術分野では 2 年に 1 度開催する国際現代美術展をさします ただ 神戸ビエンナーレ は芸術文化の更なる振興とまちのにぎわいづくり 活性化につなげる具体的な取り組みとして現代美術に限らず 音楽 伝統芸術 生活文化の発信なども含んだ幅広いジャンルにわたる総合芸術祭として開催しました 平成 19 年秋に初めて開催し 平成 27 年までに 2 年ごと計 5 回開催しました
文化施設の管理運営としては 市における舞台芸術文化の中核施設である 神戸文化ホール 創造型芸術文化施設としての 神戸アートビレッジセンター 各区の文化 コミュニティ活動の拠点である 区民センター などの施設について 平成 17 年度より順次 指定管理者制度を導入していきました また 神戸ゆかりの文学作品や文学資料を展示するとともに 文学講座など文学に関する事業を行う施設として 神戸文学館 を整備しました この施設は 灘区の王子公園にあった王子市民ギャラリーを転活用し 平成 18 年 (2006 年 )12 月 4 日に開館しました さらに 神戸にゆかりのある芸術家の美術作品を収蔵 展示する美術館として 神戸ゆかりの美術館 を整備しました この美術館は 六甲アイランドにある神戸ファッション美術館多目的室を改修し 平成 19 年 (2007 年 )3 月 23 日に開館しました なお 阪神間モダニズムを象徴し 東灘区住吉山手の歴史を色濃く反映する旧乾邸を 貴重な文化遺産として将来の世代に引き継ぎ 新たな文化振興の資源として発信することで デザイン都市 神戸 を推進していくため 平成 23~24 年度に整備工事を行い 保存 活用を図ってきました
市民の芸術文化活動を支援することで 協働による芸術文化活動の積極的な展開を図りました 平成 16 年度から まちのアートステージ として まちの賑わいづくりを考える地域と 神戸を中心に活躍するアーティストをマッチングし 神戸のまちをステージとしてジャズやフルートなどのコンサートを開催しています なお 平成 30 年度からは 名称を KOBE MUSIC STAGE としています 市民の芸術文化の創作発表 鑑賞機会を提供する活動を支援するため 平成 4 年度から 芸術文化活動助成 として会場費や特別事業費の助成を行っています 平成 24 年度からは新たな展開として 2 つの事業を創設しました まちの再生 活性化に寄与する文化芸術創造支援助成 は 市内に拠点を有し 主体的に文化芸術の創造活動を行うアート系 NPO などが まちの魅力向上や地域課題への対応に寄与するアートイベントなどを実施する取組みに対し助成を行うものです 芸術文化アウトリーチ助成 は 老人ホーム等の福祉施設などを直接訪問して音楽演奏などを行う事業 ( アウトリーチ ) を実施する芸術文化団体に助成を行うものです また 阪神 淡路大震災 20 年を機に ジャズに関わるイベント主催者 ライブハウス プロデューサー ミュージシャンをはじめ市民 企業 行政が一つに集い ジャズの街神戸 の活性化 発信力の強化を図ることを目的に ジャズの街神戸 推進協議会を設立し 平成 26 年 10 月から本格的に活動をスタートしました 協議会では ジャズの街神戸 の全国への発信力を高めるため 中高校生によるジャズオーケストラ KOBE YOUTH JAZZ ORCHESTRA の創設 活動の実施 KOBE JAZZ DAY 4/4 ( 神戸ジャズの日 ) 記念イベントの開催などに取り組んでいます
市では 平成 27 年度に 神戸 2020 ビジョン を策定し 人口減少社会に突入している中で 神戸が 未来を担う若者に選ばれるとともに 市民がいつまでも安心して豊かなくらしを享受できるまちとなるよう取組みを進めていくこととしました その中で 選ばれる都市としての魅力向上のために重要と考えられる 文化 芸術の創造発信プロジェクトを掲げました
文化芸術の創造発信の取り組み このような流れの中で 文化芸術事業の一つの転機となったのが フルート事業です 神戸国際フルートコンクールについては 国内外で高い評価を受ける一方で 市民への還元や浸透 財政負担の観点等で課題があるとして 市は平成 27 年 10 月に公費による補助金支出は行わない方針を表明しました これを受け コンクールの存続を求める市民 団体の支援活動が広がり コンクールのための多額の寄附の申し出があったことから 平成 27 年 11 月に 第 9 回コンクールを開催する方針を決定するとともに コンクール存続へ気運が盛り上がったこの機会を捉え コンクールを核とした 神戸国際フルート音楽祭 を開催することも併せて決定しました 音楽祭の開催にあたっては 市民団体や神戸を中心とした音楽家 音楽関係者が参画し検討を行い 主体的に事業を実施することで音楽祭 コンクールを盛り上げました また 経済界有志により 神戸国際フルートコンクール応援実行委員会 が設立され 第 9 回コンクール最終日にガラ コンサートと祝賀記念パーティーを開催するなど 事業を支えていただきました
文化芸術の創造発信を行う担い手として 神戸市民文化振興財団の強化の取り組みを進めました 具体的には 公益財団法人神戸市民文化振興財団と公益財団法人神戸市演奏協会の合併を平成 28 年 4 月 1 日に行いました 神戸市民文化振興財団は 音楽 演劇等の幅広いジャンルの文化振興事業 文化ホール 区民センターの管理運営 施設を活用した自主事業等により 地元の芸術文化団体を育成し 市民に文化芸術活動の場 機会及び情報を提供しています また 神戸市演奏協会は 文化創生都市神戸唯一のプロの音楽団体として 他都市では例の少ない特色ある室内合奏団 ( 昭和 56 年設立 ) 及び混声合唱団 ( 平成元年設立 ) の 2 つの音楽団体を運営 育成し 市民に身近で質の高い音楽を提供していました この 2 つの財団を合併し 新たな神戸市民文化振興財団として生まれ変わるのを機に 理事長には初めて 民間企業の役員経験者であり 神戸 兵庫の多くの文化人をはじめとして国内外の文化芸術にも明るい人材を迎えました 一新した役員体制の下 神戸市民文化振興財団が有する人的ネットワークやノウハウと 専門性の高い神戸市室内合奏団と神戸市混声合唱団が所属する神戸市演奏協会との合併により 市民還元 顧客獲得の推進に資するより幅広い文化事業を展開していくことで市民文化の発展につなげるとともに マネジメント能力を強化し 経営基盤の強化を図っていくこととしました
平成 29 年は神戸開港 150 年にあたり 様々な記念事業が行われましたが 文化芸術でも魅力ある事業を展開しました 主要事業の一つとして 前述の 神戸国際フルート音楽祭 を 3 月 18 日から 6 月 11 日まで開催しました 神戸らしい会場でのコンサートや 神戸国際ちくわ笛音楽祭 旧居留地での フルート 300 人アンサンブル など 140 のプログラムを実施しました 第 9 回神戸国際フルートコンクールでは 国内外の 46 名の出場者がその音色を競い合いました 音楽祭の盛り上がりもあり 認知度が大きく向上したコンクールの本選は大会始まって以来の満席となりました また コンクール最終日の 6 月 4 日には経済界有志により ガラ コンサートとパーティーが開催され その収益が次回コンクールの財源として市に寄付されました 産官民が一体となってコンクールを盛り上げ 市民への浸透 還元が図られたことにより 次回コンクール開催への道筋がつけられ 音楽祭は成功裏に終わりました もう一つの主要事業として 港都 KOBE 芸術祭 を 9 月 16 日から 10 月 15 日までの 30 日間 開催しました 神戸開港 150 年を記念し 神戸港の魅力を最大限に活かす芸術祭として 時を刻み 豊かな広がりへ をテーマに 国内外で活躍する作家 19 組を招へいしました 港を象徴する突堤や係船杭のほか 神戸の海や港の玄関口となるターミナル施設には 個性あふれる 22 のアート作品が展開されました 来場者は 11 万人を上回り 神戸のまち並みと六甲の山並みを背景として 時間や気候によって移り変わる海や風も感じながらのアート鑑賞を体験していただきました また 市民チーム 神戸アートクルー として延べ約 800 人のボランティアが参加しました 広報活動や作品制作補助 来場者へのおもてなし活動等を行い 芸術祭を支えました