た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

Similar documents
聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

PowerPoint Presentation

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Microsoft Word - ◎中高科

夢を超えたもの_Culture A.indd

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

創世記5 創世記2章4節b~25

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Microsoft Word - Pastors_no_furi.doc

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

牧会の祈り

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

聖書マタイによる福音書 11:15~19 ( 第 53 講 ) 題 肉の思いから解放された信仰によって変えられる ( 序 ) 自己願望から物事を見る弊害を理解する * すべての人間は アダムが犯した罪人として 汚染された DNA を受け継ぎ 自己中心の生き方をするようになってしまいました それが当た

< F2D838F815B834E B B>

この度は特別 無料レポートをご請求いただきまして 誠にありが とうございます 感謝します このレポートが あなたの人生を好転させるきっかけとなることを 祈りながら作成しました 何か一つでも 今後の人生の糧となるようでしたら この上ない私 の幸せです どうぞ楽しみながら読み進めてください ネットで幸せ

れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

カルヴアン キリスト 教 綱 要 ~ カール パ)J,ト f 和 解 論 ~ カルヴアン fキリスト 教 綱 要 ~ Lehre~ ~ ~

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

目次 1 ストーリーを構成する 5 つの要素... 3 要素 1 はじめに ( 挨拶 )... 3 要素 2 DVD の流れの紹介... 5 要素 3 なぜ できないのか( 問題の原因 )... 6 要素 4 ノウハウ... 7 要素 5 サポート Copyright c 2012 R

nininsankyaku_2016spring

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください

Taro-プレミアム第66号PDF.jtd

しイエス様は 5 章 20 節でこう言っておられました わたしはあなたがたに言います あなたがたの義が 律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ あなたがたは決して天の御国に入れません 律法学者やパリサイ人は 当時のユダヤの社会で最も道徳的な人たちと敬われていた人々です 彼らは当然 自分たちは正

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

161013_pamph_hp

VIP 限定特別先行アフィリエイトに参加して特典を受け取るには下記ボタンから Asia アフィリエイセンターにログインして ASP 内の キャンペーン一覧 からキャンペーン概要を参照してください まだ Asia アフィリエイトセンターに登録されていない方はこの PDF の一番下に登録方法を記載してい

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

表1_4_ol


ども これを用いて 患者さんが来たとき 例えば頭が痛いと言ったときに ではその頭痛の程度はどうかとか あるいは呼吸困難はどの程度かということから 5 段階で緊急度を判定するシステムになっています ポスター 3 ポスター -4 研究方法ですけれども 研究デザインは至ってシンプルです 導入した前後で比較

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

Adobe Photoshop PDF

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

Microsoft Word - 佐々木和彦_A-050(校了)

こんにちは! ふっさんです 今回は 時間で数万円を 今 稼ぐ方法をレポートにまとめたので公開します 僕がこのレポートを作った理由は 多くの人が抱える 2 つの悩みを解決するためです. 稼げる自信がなくて 不安です 2. 教材などを買って学びたいが お金を捻出するのが難しいです というものです まず

牧会の祈り

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

Microsoft Word - MBF_1John_03.docx


2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

<4D F736F F F696E74202D208ED089EF959F8E F958B5A8F70985F315F91E630338D E328C8E313393FA8D E >

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

fmm151021完.pdf

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

< CC96BD815B924E82AA8B9D8EF382B582DC82B782A CC96BD82F093BE82E982B182C682CD834E838A C982C882E982B182C682C988CB9

マタイ 10 章 39 節 失うから見出す命 1A 天の御国と闇の国 1B 狼の中の羊 2B 主人の受けた仕打ち 3B キリストの告白 2A 平和でなく剣 1B 家族関係 2B 社会関係 3B 自己実現 3A 自己中心な社会 1B 自分探し の援助活動 2B 自分探し の弟子活動 3B 探せば失う原

剣 弓 帯まで与えました ヨナタンはサウル王の子であり 普通に考えれば次の王です その彼がダビデを愛し ダビデを認めて 自分の権利を喜んでダビデに与えた ここにヨナタンの賞賛すべき信仰が示されています この後触れる今日のテーマに関係することですが ダビデに嫉妬する人がいるとするなら それはこのヨナタ

意図の力 新年のための明確な道筋を設定するシッダ ヨーガ瞑想ティーチャースワーミ シャーンターナンダ 新しい始まり 新たな意図 新年を迎えるにあたり 私たちはそれが持つ私たちへの可能性を も歓迎することになります あなたはこれからの一年に何を望みますか あなたの精神の旅が どのように展開すると思い描

こうして 無明 = 無智などが条件 原因となって 苦しみが生じることを説いている 逆にいえば 無智がなくなれば 苦しみがなくなる ということでもある 無智と苦しみは相互依存であり どちらも絶対的な存在ではない ということになる もう少しわかりやすくいえば 十二支縁起は 無明 = 無智から来る自我執着

会津若松市男女共同参画情報紙ぱーとなー

006 物質は思考が生み出す

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

相談窓口の御案内 消費者ホットライン ( 最寄りの消費生活センター等を御案内します ) 電話番号 188( いやや!) 警察相談専用電話電話番号 #9110 2

億万長者解体新書

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

BULL20

小次郎講師のトレーダーズバイブル第33回.pages

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

mr0703.indd

Information Theory

【ウェブ立ち読み用】大江解題_クボキ indd

裁判員制度 についてのアンケート < 調査概要 > 調査方法 : インサーチモニターを対象としたインターネット調査 分析対象者 : 札幌市内在住の20 歳以上男女 調査実施期間 : 2009 年 11 月 10 日 ( 火 )~11 月 11 日 ( 水 ) 有効回答者数 : N=450 全体 45

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

Microsoft Word - MBF_1John_01.docx

jibunshijo_i.pages

Transcription:

聖書 Ⅱ コリント 5:6~10 ( 第 18 講 ) 題 古いからだを理解した信仰人生を生きる ( 序 ) 確かな根拠がある自信を持っているか * 信仰者が 自信のない向かい方をしているならば その歩みは不安定なものになってしまいます もちろん 自信と言っても 自分の能力や知能や才能に対しての自信のことではありません そのような自信は 傲慢で鼻持ちならないお化けでしかないと言えるでしょう それでは 何に対して自信を持っているべきでしょうか それは 自分の抱いている希望がどれほど確かなものであるか その希望の実現に至るまでの信仰人生がどれほど価値あるものであるかという点についての自信が 信仰者の抱くべき自信です * 言葉を補って言うならば 神が信仰者に対して約束して下さっている驚くべき希望と そこに至るまでの信仰人生において 聖霊を遣わし 責任を持って導いて下さるという 何の不安もない最高の信仰人生であることについて それに対して その場限りではなく なくなってしまうことのない自信を持つようになった人が信仰者だと言えます * もし このような自信を持つことができないなら その信仰人生は 前回もたとえましたが 海に浮かぶ木片のようなものでしかなく 見た目はこの世で安定しているように見えたとしても 一度荒れ狂う波が押し寄せてきたら この世の波に翻弄され どこに行くのか分からない先行き不安と どうなってしまうのかという怖れと 世の流れの強さに押し流される歩みでしかないと言えるでしょう * このようなサタンの誘惑に満ち 私たちの心を惑わし 不安をあおってくるこの地上において生きていかなければな 1 らないのが信仰人生ですから 余程確かな土台と 希望と 確かな目標と 前進していくための力がどうしても必要になってきます もしこれがなければ 人生の敗北は目に見えているからです * 現実に この地上人生を生きるようにされているのが私たちの人生ですから これらを持っているかどうかが重要になってくるでしょう それでは このような自信をどのようにして持つことができるのでしょうか それは 単に自分にそのような自信があると思い込ませるだけなのか それとも これだとはっきりと言える根拠があるのか これらのことを パウロの信仰から また そこで語られている内容から 私たちの信仰人生においても そのような確かな自信を持って向かうことができるようになっているかどうかを 考えて見る必要があるでしょう (1) パウロの確信に満ちた証言の意図 * パウロが コリントのクリスチャンたちに伝えたかったことは 永遠性を持った見えない事柄についてでありました 目に見える一時的なものは この地上に生きている限りは目の前に現れ続け 心を奪い 理性で生きるように仕向け 心を乱そうと迫ってきます しかし 信仰者はこの地上にいながら 見えないものに目を向け 見えないお方と結びついているという驚くべき霊的事実に心を留め 見えない世界を望みつつ そこに至る時までは 今置かれているこの地上における人生を 有意義な人生として生きるようにされていると言ってきました * そのために与えられている地上の幕屋は 罪の影響を残している古いからだではありますが 罪の呪縛から解放され 2

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだが与えられ 新しい心が与えられるその時が来るまでは 地上の幕屋を大事にし 神から預けられたからだとして有効利用するように導かれていると言ってきました * このように この地上にあって生きる上で 信仰者が持っているべき自意識を明確に示し その地上の幕屋は 欠けたものではあっても 私に預けられたからだ 心 それに付随するすべてのものを 私らしさを現すものとして受けとめ よみがえりのからだに大変換されるにふさわしい状態に整えられるための歩みが大事だと伝えてきたのです * それが 確かなことである保証として 神は 手付金である聖霊を与えて下さった だから私たちは心強いと言っています この心強いという言葉は 自信を持って大胆に行動するとか 勇敢にふるまおうと確信して向かう姿を現す言葉ですから 私たちがここまで大胆に言い切ることができるのは この与えられた聖霊のお蔭だと言ったのです * パウロが 揺れることなく いつも大胆に言い切って勧めることができるのは この手付金をいつも手にしていたからで 彼の思いの中で疑いの思いが出てくることはなかったのです ここまで聖霊に信頼できる人であったからこそ その信仰は揺れなかったのです * はっきりとした言葉にそれを言い換えるなら これを言っているのは私ではなく 私の口を用いて 聖霊が語ってお 3 られる言葉だと言っているのです 何という大胆な告白でしょうか 逆にそのように言えないとしたら これほど不確かな信仰はないし 見えるものに心を奪われる感覚や 5 感を重視する理性がしゃしゃり出てきて 見えないものに信頼を置くという 世的に見れば 不確定要素が満載の信仰を持ち続けることはできないでしょう * 見えないものに目を注いで歩むという信仰が なぜそれほど大事なのか その信仰に立つことが間違いではないと保証されている聖霊が与えられているという事実を確信することがなぜ大事なのか パウロは 自らの確信に満ちた証言として このことを語ってきたのです それはもちろん あなたがたもその信仰に立って 揺れることなく歩み続けてほしいという叫びにも似た思いが強くあったからです (2) 自分の状態を知って 信仰によって歩く * しかし その信仰に立っていたら この地上の幕屋に大きな変化が現れるようになると言って希望を持たせるようなことは言わないのです この地上の幕屋を住居としている私の霊は この住居が滅びに向かっているものであるがゆえに それが壁となって 主から離れているという事実があることを隠そうとはしません * もちろん これは主から見捨てられている状態という意味ではなく 救われても 古いからだを持っているという事実はなくならないので キリストの贖いを頂いた霊は 神と深く結びつけられても からだは汚れから離れることはできず その事実は解消されないと言っています もちろんこれは 神が与えて下さった救いの力に限界があるからと言っているのではありません 人間の側の信仰に完全性 4

がないからです そのことをもう少し考えてみましょう * もし人間の信仰に 見えないお方に対する信仰 見えない霊的事実に対する完璧な信仰を現すことができるなら 神は 私たちの霊を一気に解放して下さるだけではなく 古いからだに残っている罪の影響力をも吹き飛ばして下さったことでしょう しかし 信仰が完璧な人間は一人もいないので 霊だけが解放されるのが限度だったのです その信仰のレベルでは 古いからだから 罪の汚染力を弾き飛ばして完全に回復する事ができるほどの力はなかったのです ということは この古いからだを持っている間は 人間の信仰は完璧にはなれないとも言えるのです * これを簡単な図式で表すなら神のあわれみによる救いの力 + 信仰 = 救われた状態この図式は 神の救いの力が完全なものであっても 人間の信仰が完璧でないがゆえに 霊は完全に神のものとして 神に結びついたのですが 古いからだは不信 揺れ 疑い 怖れ 不満などを抱えたままの状態でしかないことを現しています だからパウロは 肉体を宿としている間は主から離れていることを よく知っていると言ったのです * だから そのような救われた状態にある者としての生き方はどうすればいいのか 次の 7 節で 一言で言っているのです だから私たちは 見えるものによらないで 信仰によって歩いているのであると もっと分かりやすく言えば 5 感や理性によって生きることをしないで 神に結びついた霊によって生きていると言ったのです * なぜなら 5 感や理性は古いからだに結びついていますが 霊は神に結びついていますから 罪の中から救い出された者は 罪の影響力が残っている古いからだによって生きる 5 ことをしないで 神に結びついた解放された霊によって 神から流れてくる救いの力そのものである御言葉を頂きながら生きること これが信仰によって歩くことなのです * 私たちの信仰が完全ではなくても 霊によって生きていこうとすれば 不十分な信仰を補おうとして そこに聖霊が働いて下さり 導いて下さり 5 感や 理性や 肉の思いや 人間の知恵で生きていこうとする思いを抑えて 御言葉を通して霊の思いを起こさせ 信仰によって歩くことができるようにして下さるのです そしてこれが 見えないものに目を注ぐ生き方なのです (3) 信仰を乱そうとするあらゆる思いと決別する * 8 節で再び 私たちは心強いと言いました 自信を持って大胆に行動し 勇敢にふるまおうと確信していると言ったのです この言葉を繰り返しているのは 私たちの立っている信仰の位置を理解してほしい それが分かれば 私が語っていることを理解してもらえると考えていたからです * こう語った後 私が本当に願っていることは 早くこの古いからだから離れて 天に属するよみがえりのからだが与えられ それによって内なる人が完成し 主と共に住むことができるようになることが一番の願いだと言いました * もちろんこれは 古いからだはどちらでもいい 早くよみがえりのからだが欲しいと言っているのではありません 古いからだも 神から預けられた大事なからだであるから 大切にしなければならないのですが 終わりの時が来て その古いからだよりもはるかに優れた 完成されたよみがえりのからだが与えられると約束されているので そちらの方を待ち望んでいると言ったのです 6

* このことは ピリピ書でもこう言っています その真意を理解するために補足して引用しますと 私にとっては ( 古いからだを持って ) 生きることはキリスト ( と共に生きることであり キリストを証しすること ) であり 死ぬことは ( 天に属するよみがえりのからだが与えられるので ) 益である と ( ピリピ 1:21) * その後で 私の心からの願いを言えば この世を去ってキリスト共にいることであり 実はその方がはるかに望ましい しかし 肉体にとどまっていることは この地上にあって 神のみ栄えを現すためにさらに必要だと感じている と言って 自分の願いを優先しているのではなく 願いを持ちながらも 主の御心を優先していると言ったのです * Ⅱ コリント書の方では 別の表現で 肉体を宿としているにしても それから離れているにしても ただ主に喜ばれる者となるのが 心からの願いである と言いました 古いからだを持って生きていることも重要であり 天に属するからだが与えられることはもっと素晴らしい すなわち 生きることも 御国に入れて頂くことも どちらにしても主に喜ばれる者としての姿を現すことになると信じていたのです 生きることも 死ぬことも信仰によって意味のあることとして 神にあって受けとめることができるのです * 何という深い信仰理解でしょうか パウロの信仰は 生死を超えた 永遠に結びついた今を生きているという理解の下で歩んでいるのです どうしてこのような生き方ができたのでしょうか 彼にとって 自分の信仰が完璧なものでなくても 主に喜ばれることを第 1 に置いて生きていましたから 生死を超えた 永遠に結びついた今を生きていくことができたのです 7 * 古いからだを持って生きている今も大事な時であり よみがえりのからだを頂いて生きる 時間を超越した永遠の時もさらに大事な時であって どちらも神に喜ばれる私であると信じていたのです そこには 生死の境は全くないのです 仏教的に言う三途の川は 神の世界にはありません 古いからだからよみがえりのからだに変換する時はありますが その住居に住んでいる私の霊は 永遠なる神に結びついている今を生きているので 境目はないのです * パウロの信仰は 聖霊による正しい福音理解を基にした信仰ですから そこには 彼の人間的な思いは少しも入ってはおらず 見えないものをしっかりと見つめていた霊の目ですべてを判断していましたから 生死の境目を考えることはなく ただ 住居がいつか完全なものに変換される時があるという福音を心に留めつつも 今すでに天国人とされていて 永遠なる神に結びついた今の時を生きることの大切さを感じていたのです * そして最後のところで 終わりの時に行われる 神による裁きにも触れているのです 終わりの時は 単に住居が変換されるという単純なものではなく 古いからだを住居とした生き方をしてきた者を 裁きの座に引き出し 善であれ悪であれ 私たちが行ってきたことに応じて報いを受けると言いました * この話の流れから考えられることは ここでは 裁きの座に引き出される信仰者に対して言及されていることが分かります 永遠に結びついた今を生きている信仰者であっても 古いからだを持ち そこに残っている罪の影響力を排除することができず 時には不安 怖れ 不信 惑い 小さな疑い 不満など 信仰を揺さぶろうとするあらゆる思 8

いから完全に解放されたわけではありません それらが裁きの座において明らかにされると言われているのです 何と恐ろしい事柄について触れているのでしょうか * 善であれ悪であれとは 神に喜ばれることであれ 神を悲しませることであれと言うことでしょう そのような 信仰で生きようとしながらも 目に見えないものに目を注ぐ生き方ができず 5 感にも 理性にも頼ることができないがゆえに 時には心を正しくコントロールできず 信仰を揺さぶろうとするあらゆる思いに乱されることが出てくるのです 各々の思いに応じて報いられると言われています * なぜこのようなことが語られているのでしょうか パウロは 信仰者が すぐ信仰を揺さぶろうとするあらゆる思いに乱されやすいところを残していることをよく知っていました それを放置したり 甘く考えたり ごまかしたりせず 自分の弱さとしっかり向き合って 古いからだを持ちながらも 見えないお方を霊の目で見 信仰を乱そうとする思いときっぱりと決別する強い決意を持つように勧めるためであったと考えられます * 信仰とは 見えない主に信頼していくだけではなく 信仰を乱そうとするあらゆる思いと決別する意志を現していくことも含まれているのです これを放置したり 甘く考えたり ごまかしたりしている間は その信仰は安定せず 潰されやすい要素を残すことになるのです ( 結び ) 信仰的自信を強く持って向かう * パウロの信仰姿勢から学んできましたが その信仰姿勢の根幹にあったのが 彼の内に満ち溢れている自信であったと見てきました それは 自分の能力に対する自信ではな 9 く 神の約束と その約束が実現する時に至るまでの すなわち この地上における歩みにおいて 育てて下さる聖霊のみわざへの厚い信頼が私の支えとなっているという自信であり 確信であり 力であったのです * 信仰者は どうして不安げなのでしょう それは 見えないものに対する信頼が 信仰の中心だから 時にはこれで大丈夫だろうかと 古いからだから出てくる乱す思いに負けるところを持ち続けているからでしょう * 私たちは これまでの歩みの中で 御国についての希望が最高の拠り所であったし その時に至る時までの歩みにおいて 聖霊が責任を持って導き続けて下さってきたのを味わい続けてきたのだから いまさら惑わなくてもいいはずなのに それでも心を乱されるのが人間なのです 古いからだを持っている間は 主から離れているという事実はなくならないからです 罪の影響力を保持し続けている古いからだから 信仰を乱し 不信へと引き連れていこうとするあらゆる思いが出てきます * これは 信仰が不足しているから 古いからだまできよくなることができず 霊だけが日ごとに新しくされていくのですが からだはよみがえりのからだが与えられるまで待たなければならないのです それでは 古いからだから出てくる神から離れている思いを 誰もとどめることはできないのでしょうか 聖霊の助けを得て 霊が成長していくことによって汚れを制御し きよい思いを現すことができるようになっていきますが 主から離れている状態を改善するところまで行かないのが現状です * それでは 全く望みはないのでしょうか 肉体を宿としている間は 望みはないのです パウロは決してきれいごと 10

は言いません 霊は永遠なる神と結びついているのですが 古いからだと心は主から離れているのです そのような私たちを 聖霊はどのように助けて下さっているのでしょうか 希望と聖霊による信仰人生についての自信を持って向かうことを大事にするように助けて下さっています * この自信は 自分の現状を悲観的には見ません 神にある希望は消えることなく 聖霊による信仰人生に何の不安もありません この自信を持ち続けているなら 古いからだから出てこようとする主から離れたあらゆる思いを それは見えるもので判断しようとする思いであったり 見えないものに対する惑い 不安 怖れ 不満 裁きなどであったりしますが 信仰によってそれを制御し この自信から出てくる感謝と喜びと平安とが 内から溢れてくるようになるのです これはごまかしではありません * 古いからだから出てくる乱す思いが勝つか 信仰的自信から出てくる思いが勝つか 主から離れている思いが強いか 聖霊によって整えられている霊の思いの方が強いか これが信仰者の状態として表に出てきて ある人は平安を失い 喜びが見えなくなり 心を乱します 5 感 理性 肉の思いなどに引っ張られている間は 古いからだの方が強いのですが それらを抑え込み 信仰的自信を強く持って向かうならば 聖霊が助けて下さり 見えないお方としっかりと結びついている喜びに溢れるのです * パウロが示した内容から見える大事なことは 肉体を宿としている間は主から離れていることを事実として受けとめ 主から離れることのない霊を すなわち 見えないものに目を注ぐ向かい方を前面に出していくならば 思いが乱されることはないという点でした 11