展 覧 会 の 見どころ ルノワールの全 貌を 印 象 派 時 代の最 高 傑 作 代 表 作とともに辿る全 10章 はじめに ムーラン ド ラ ギャレットの舞 踏 会 1章 印 象 派 へ 向かって 2章 私は人物画家だ 肖像画の制作 世 界でも有 数のルノワール コレクションを誇る とオランジュリー 美 術 館 本 展 覧 会 は 両 美 術 館 が 所 蔵 する 1 0 0 点を超える絵 画 や 彫 刻 デッサン パステル 貴 重な資 料 の 数々によって画 家ピエール オーギュスト ルノワール 1841-1919 の全 貌に迫ります 初来日 メ チ エ 3章 風 景 画 家の手 技 p.8-9 4章 現 代 生活 を描く 5章 絵の労働者 ルノワールのデッサン 最 晩 年の知られざる大 作 6章 子どもたち 7章 花の絵のように美しい 浴 女たち 8章 ピアノを弾く少 女たち の周 辺 写 実 的な初 期 作 品 から 薔 薇 色 の 裸 婦を描いた晩 年 の 大 作 まで 多 様な展 開を見 せたその画 業 全 1 0 章を通して 肖像や 風 景 風 俗 花 子ども 裸 婦といった画 家 が 愛した主 題をご 9章 身近な人たちの絵と肖像 画 初来日 10章 裸 婦 芸 術に不 可 欠な形 式のひとつ p. 15 紹 介します 同 時 に 革 新 的な印 象 派 の 試 み から 伝 統 へ の 回帰 両 者の融 合 へと至る軌 跡も浮かび上がるでしょう 画 家が った道のりは 常に挑 戦であり 終わることのない探 究でした そして このたび ルノワールの 最 高 傑 作 ムーラン ド ラ ギャレットの舞 踏 会 1 8 7 6 年 が日本ではじめて展 示されます 幸 福に身を委ねる人々 揺れる木 漏れ日 踊る筆 触 本 物の とオランジュリー美 術 館のルノワール作 品 が 一 堂に会 することで実 現 する夢の競 演 1 2 田舎のダンス 都会のダンス ピアノを弾く少 女たち 横たわる裸婦 ガブリエル ともにオルセー美術館 オルセー美術館 オランジュリー美術館 ピアノの前のイヴォンヌと 大きな裸婦 あるいは 45年ぶりに 揃って来日 ルノワールに出 会う またとない機 会となるでしょう 3 クリスティーヌ ルロル クッションにもたれる裸婦 オランジュリー美術館 オルセー美術館 主催者 p. 10 p. 12 p. 13 p. 14
1章 2章 印 象 派 へ 向 かって 私は人 物 画 家だ 肖像 画 の 制 作 本 展 は ルノワールの 印 象 派 へ の 歩 みを示 す 2 点 の 輝 かしい 作 品で幕を開 けます 磁 器 の 絵 付 け 職 人を経て 早い時 期から 人 物 画 家 であると自負していたルノワール 初 期にはパトロンや親しい仲 間の肖像を描き 何より 国 立 美 術 学 校や私 設のアトリエで絵 画を学んだ若きルノワールは モネやシスレーとの出 会いを通して 新しい絵 女 性の肖像 画に長けていました モデルは モンマルトル界 隈の若い労 働 者 から 社 交 界の有 名 人までさまざま 画を志 すようになりました 猫と少 年 には 歴史や神話といった主題を捨て 日常を率直に描写した先輩画家クー こうした肖像 画は 小 説 家マルセル プルーストによる美しい賛 辞を生みました たちまち世 界は 世 界は一 度だ ルベやマネの影 響 がうかがわれます そして 5 年 後に制 作された 陽 光のなかの裸 婦 エチュード トルソ 光の けではなく 独創的な芸術家が現れた回数だけ創造されたのだ 私たちの目に 古い世界とはまるで違って見える 効 果 には 戸 外の光 大 胆な筆 触 色 彩を帯びた影といった印象派の美学が凝縮されています 女たちが 街の中を通る 以 前の女たちとは違う つまりそれはルノワールの女たちというわけなのだ 失われた 時を求めて より 猫と少 年 4 陽光のなかの裸婦 エチュード トルソ 光の効果 クロード モネ 読 書 する少 女 1868 年 油 彩 カンヴァス 123. 5 66 cm 1876 年 頃 油 彩 カンヴァス 81 65 cm 1875 年 油 彩 カンヴァス 85 60. 5 cm 1874-1876 年 油 彩 カンヴァス 46. 5 38. 5 cm RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Jean-Gilles Berizzi / RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / 本 作における 理 想 化の拒 否や神 話 的 主 題の モンマルトルのアトリエの庭でポーズを取る女 性 モネとルノワールは 1860 年代初頭に出会い 印 モデルは 1870 年 代 半ばの 作 品に多く登 場 す 不 在 青白い肌は ルノワールが 称 賛していた 第 2 回印 象 派 展に出品された本 作は 肌の上に 象 派 時 代の仲 間として その友 情は生 涯 続きま る モンマルトル出身の少 女 マルゴ 彼 女 が 若 マネの裸 婦にも見られる特 徴 モデルの少 年の まだらに置かれた緑と紫が物 議をかもした一 方 した 本 作は お互いが 最も影 響を与え合った くして命を落としたとき 画 家 は 嘆き悲しみまし 出自は 不 明です が ルノワールによる極 めてま み ず み ずしい色 彩には好 意 的な批 評も集まりま 時 期の 1 点で 仕 事 着を着て制 作に励むモネの た 繊 細に重 ねられた 色 彩 が 光を浴 びた 少 れな男性裸体画です した 姿が描かれています 女を浮き彫りにしています 5
3章 メ チ エ 4章 風景画家の手技 現 代 生 活 を描く その画 業を通じてルノワールは風景画にも力を注ぎ 特に 1870 年代には 油彩作品の 4 分の 1を風景が占めていま 1 8 6 3 年の有 名な評 論 現 代 生 活の画 家 のなかで詩 人ボードレールは 画 家 が 描くべきは過 去ではなく現 在で す また 1880 年 代に外 国を旅したことによって 新しい場 所が作 品に現れるようになります 室 内で完 成されると あると主 張し 移ろいやすく 儚く ささやかなもの を捉える素 早い描 写を称 賛しました ルノワールが 描いた しても 彼にとって風 景 画とは戸 外のものでした アトリエの和らいだ光の中では想 像 すらできない色 調を用いるよ 現 代は ダンスホールや酒 場 カフェ 郊 外の舟 遊びといった 1 9 世 紀のパリ生 活に特 徴 的なものば かり 小 説 うになる 風 景 画 家の手 技とは何というものだろう 天 気 が 変わってしまうから 1 0 枚のうち完 成できるのは 家のゾラは そんなルノワールの作 品を 現 代 的な側 面の幸 福な探 求 と形 容しました 1 枚だけだ こうした困 難にもかかわらず 画 家は 自然との取っ組み合い を断 念 することはありませんでした この章は モンマルトルの庭や パリ郊 外のセーヌ河 畔での余 暇を描いた作 品 からはじまります そして 画 家 が 生きた時 代 への関 心を最もよく示 すのが 他ならぬ ムーラン ド ラ ギャレットの舞 踏 会 1 4 0 年 前に描 か れたこの絵は ダンスホールで陽 気に踊る市 井の人々の喜びを今に伝えてくれます 本 作の理 解を深めるために 同 様のモティーフを描いた同 時 代の作 品に加え 画 家の次 男で映 画 監 督のジャン ルノワールによる映 画も紹 介し ます 最後に 画家が舞踏会というテーマに長く魅了された証である 2 点のダンスの大作で本章を締めくくりましょう イギリス種の梨の木 1873 年 頃 油 彩 カンヴァス 66. 5 81. 5 cm 1 現 代 的な側 面の幸 福な探 求 草原の坂道 1876-1877 年 油 彩 カンヴァス 60 74 cm 風 景なら その中を散 歩したいと思わせるよう な絵 が 好きだ と語ったルノワールにふさわしい 作品 子どもを連れて坂 道を降りてくる女 性の日 傘と ひなげしの深紅色が 草原の緑とコントラ ストをなしています ぶらんこ アルフォンシーヌ フルネーズ 1876 年 油 彩 カンヴァス 92 73 cm 1879 年 油 彩 カンヴァス 73. 5 93 cm RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / 当時ルノワールはモンマルトルのコルト通りにアト 遠 方にセーヌ川を望 むテラスに座るのは パリ リエを借りていました そ の 裏 手 にあった 木 の 郊外の行楽地シャトゥーに今も残るレストラン フ 生 い 茂る庭でぶらんこに乗る 流 行 のドレスに ルネーズ の主 人の娘 精 妙な色 合いと 淡く 身を包んだ娘ジャンヌ 彼 女は画 家 お 気に入り 軽 やかなタッチによるやわらかな質 感 が 特 徴 的 のモデルでした 紫 がかった青い影と 木 漏れ です 日が織りなす 美しい日常のひとこま 6 7
2 モンマルトル ムーラン ド ラ ギャレットの 舞踏会にて ムーラン ド ラ ギャレットとは パリの北にあるモンマルトルの丘で 使われなくなった 2 台の風 車 ムーラン のふもとに 1855 年にオープンしたダンスホール 小 麦と牛乳の焼き菓子 ギャレット が人気を呼び この名で呼ばれ るように 日曜日には 午後 3 時から真夜中まで 広い庭でダンスパー ティーが開かれました 息子ジャンが父の思い出を綴った わが父 ルノワール によると 母親が働いているあいだ一人きりになる子ど もたちを見て託児所を作ろうと思い立ったルノワールは ムーラン ド ラ ギャレットで資金を募るための仮装舞踏会を催したそうです アンリ リヴィエール ムーラン ド ラ ギャレット 1885-1895 年 Musée d'orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / モデルはモンマルトルの娘や友人の画家たち 中央のベンチに座るのは仕 立 屋で働く娘エステル 彼 女に寄り掛 読 かる姉ジャンヌは ぶらんこ p. 7 でもモデルをつとめました 書する少女 p. 5 に描かれたマルゴは 画面左でピンク色のド レスを着て踊っています 彼 女の踊りの相 手や 手 前のテーブル を囲む男性は ルノワールの画家仲間たち そして 画面右端に 座るカンカン帽の青 年 印 象 派を擁 護した批 評 家のジョルジュ リ ヴィエールは この作 品に惜しみない賛 辞を贈りました これは 歴 史の 1 頁であり パリっ子の生 活の貴 重な 極めて正 確な記 録 である ルノワールより以 前には誰もこういった日常の出 来 事をこ れほどの大作の主題として取り上げることを思いつかなかった ムーラン ド ラ ギャレット コーランクール通り ソル通り ルピッ ク通 り ムーラン ド ラ ギャレットの舞 踏 会 サン ヴ ァンサン 通り 1876 年 油 彩 カンヴァス 131. 5 176. 5 cm コルト通 り コルト通りのアトリエ モンマルトルのダンスホールで 踊りや 会 話に興じる若 い男女 ルノワールは 人々の喜び 着 飾った姿 彼 らを包 む 光を 1 枚 の 絵 に結 晶させています 同 時 代 の風 俗という主 題と 細やかなタッチで木 漏 れ日を描く 技 法 が 融 合した 印 象 派 時 代の傑 作と呼ぶにふさわし い作 品です ぶらんこ とともに第 3 回 印 象 派 展に出 モンマルトル コルト通りのアトリエと庭 1904 年撮影 Bridgeman Images/PPS通信社 8 サクレ クール寺院 品され 大きな話 題を集めました 9
3 5章 ダンス 絵 の 労 働 者 ルノワールのデッサン 印 象 派の画 家たちは 素 早いタッチで 座る裸婦 あるいは 身づくろい 見たものを直 接 描くという美 学を絵 画に 1890 年頃 鉛 筆 白チョーク サンギーヌ 擦 筆 厚 紙 62 51 cm 持ち込 むことで 伝 統 的な方 法 やヒエ ラルキーを覆しました その一 方でルノ Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Martine Beck-Coppola ワールは 印 象を描きとめ 構 成を練 1880 年 以 降 古 典 的 伝 統に関 心を り 新しいアイデアを試 すためのデッサ 示 すようになったルノワールにとって 裸婦は恰好のモティーフでした この ンにも熱 心に取り組んでいます また若 デッサンは 彼 が 敬 愛 する18 世 紀ロ い頃 磁 器の絵 付け職 人として腕を磨 ココの画 家も多用した 赤くやわらか いた彼 は 画 家になっても地 道な修 練 な素 材サンギーヌで描かれています をおろそ かにしませ んでした ある日 ルノワールの絵具箱とパレット 文 学 者たちとの 昼 食 の 席で 彼はこん 絵 具 箱 パレット 絵 具 皿 容 器 筆 な風に語ったそうです 結局のところ パレットナイフ チューブ入り油 絵 具 私 は自分 の 手 で 働 いているよ だから 37 44 8 cm RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Gérard Blot / 労働者さ 絵の労働者だね 6章 子どもたち ルノワールが 子どもを描いた作 品には ジュリー マネ のように注 文に応え たものと 3 人の息 子ピエール ジャン クロードをモデルに自発 的に描いた作 品 という 2 つの種類があります 子どもた ちは 幾 度となく彼らを描き出す 父の絵 筆 のもとで成 長していきました のちに 田舎のダンス 1883 年 油 彩 カンヴァス 180. 3 90 cm 1883 年 油 彩 カンヴァス 179. 7 89. 1 cm RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / ジャンは 家 庭を持ったことがルノワー ルの制 作にとってどれほど重 要であった かを強 調しています 夢中になって息 都会のダンス でシルクの夜会服をまとう女性は ユトリロの 子をデッサンしながらも 自分自身に対 母として知られ のちに画家として活躍する 17 歳のシュザン して 忠 実 でありたいと願っていた から ヌ ヴァラドン けがでサーカスをやめ モデルになりました 田 舎のダンス で木 綿の晴れ 着 姿で踊る娘は のちにルノワー この生まれたばかりの肉 体のビロードの ルの妻となるアリーヌ シャリゴ 当 初はいずれもヴァラドンが ような感 触を表 現 するという単に外 面 的 描かれる予定でしたが シャリゴが嫉妬したのだとか この頃 な関 心を超えて 自分の内 的 世 界を再 印 象 派の限 界を語っていたルノワールでしたが 背 景 から浮 かび上がるような人物の描写には その先へ進もうとしていた ことがうかがわれます 10 都会のダンス 構築しはじめていたのだ ジュリー マネ あるいは 猫を抱く子ども 1887年 油彩 カンヴァス 65.5 53.5 cm 道 化師 ココの肖像 1909 年 油 彩 カンヴァス 120 77 cm オランジュリー美術館 ジャン ヴァルテル ポール ギヨーム コレクション RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / RMN-Grand Palais (musée de l'orangerie) / Franck Raux / ジュリーの両親であるベルト モリゾと モデルは ココの 愛 称で知られる三 ウジェーヌ マネ エドゥアール マネ 男クロード この 頃ルノワールはリウ の弟 は 8 歳の愛娘の肖像画をルノ マチにより腕を大きく動 か せなくなっ ワールに依頼しました 夫妻が相次い ていたため イーゼルに 滑 車を取り で世を去ったとき マラルメとルノワー 付けてカンヴァスの位 置を調 整し こ ルがジュリーの後見人となっています の等身大に近い作品を仕上げました 11
7章 花 の 絵 のように美しい 9章 身 近な人たちの 絵と肖像 画 か つてルノワールは ドラクロワによる戦 闘 図 ルノワールは生涯を通じて 注文に応え 身の を目にして 花の絵のように美しい と称えま 周りからモデルを見 つけ出 す 熱 心な肖像 画 した 彼にとって花 の 絵は美 の 基 準だったの 家でした 後年に描かれた人物画や肖像画の で す 同 時に それ は 絵 画 市 場 の 需 要に応 特徴は ゆったりとした形と入念な彩色 画商 えるための 制 作であり 友 人たちへ の 贈り物 ヴォラールは 画 家が家 事 手 伝いの娘に唯 一 であり 実 験の場でもありました 花を描くと 求めたのは 光をしっかりと吸い込む肌 だっ 頭 が 休まります モデルと向き合うときの 精 神 たと回 想しています 妻アリーヌが 次 男ジャン の 緊 張とは 別 物なので す 花を描くとき 私 を身ごもったときに呼び 寄 せた遠 縁の娘ガブリ は 1 枚のカンヴァスを失うことを恐れ ずに さま エルは その後 20 年間 晩年の画家のよきモ ざまな色 調を置き 色を大 胆に試みます こう デルとなって200 点 近くの作 品に登 場していま した試 行 錯 誤 から得られた経 験を 他の絵に す 触 覚 的で愛 撫 するような絵 筆は 親 密な 応 用 するのです とルノワールは打ち明けて います 桟敷席に置かれたブーケ 1880 年 頃 油 彩 カンヴァス 40 51 cm オランジュリー美術館 ジャン ヴァルテル ポール ギヨーム コレクション RMN-Grand Palais (musée de l'orangerie) / Franck Raux / 感 情とともに 肌の色 合いや衣 服の質 感を描 き出す画家の喜びを伝えています 薔 薇を持 つガブリエル 1911 年 油 彩 カンヴァス 55. 5 47 cm 8章 ピアノを弾く少 女たち の 周 辺 少 年 時 代 聖 歌 隊に入っていたルノワールは 音 楽を愛し 音 楽 家や音 楽 評 論 家とも交 流し ました ピアノを弾く少 女たち は 印 象 派 左 ピアノを弾く少 女たち 1892 年 油 彩 カンヴァス 116 90 cm の画家による作品の中で 当時の現代美術館 RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / ともいうべきリュクサンブール美 術 館が 1892 年 本 作 が 国 家 買い上 げとなったあと ルノワール自身は に購 入した 最 初 の 絵 画です ルノワールの 友 人である詩 人マラルメと批 評 家ロジェ マル 最 後と思われるこのヴァージョンに手を入れすぎたと感じ ていたようです が 穏やかな色 彩や絹のような質 感は 画 家としての成 熟を感じさせます クスの 尽 力により実 現しました 制 作 依 頼を 受けて描 かれた 6 点 のヴァージョンのうち 美 術局長によって選ばれ 国家が購入したのが 現 在オルセー 美 術 館 が 所 蔵 する本 展 の出 品 作です 中産階 級の娘を描いたこの時 期の作 右 ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ ルロル 1897-1898 年 頃 油 彩 カンヴァス 73 92 cm オランジュリー 美 術 館 ジャン ヴァルテル ポール ギヨーム コレクション RMN-Grand Palais (musée de l'orangerie) / Franck Raux / 品には 理 想 化された構 図と 調 和のとれた この姉妹の父 ルノワールの友人で画家のアンリ ルロル 色 彩が特 徴 的です は 美 術 品 収 集 家でもあり 背 後の壁にはドガによる踊 り子と競 馬の絵が掛けられています 音 楽も愛 好した彼 のサロンには ドビュッシーも出入りしました 12 13
10 章 裸婦 芸 術に不 可 欠な形 式 のひとつ ピエール オーギュスト ルノワールと リシャール ギノ 1890-1973 水 または しゃがんで洗濯する女 大 1917 年? ブロンズ アレクシス リュディエによる鋳 造 123 69 135 cm ルノワールは 画 業のはじめの 1860 年代には裸 婦に取り組んでいましたが 続く20 年 間はあまり描かず 再びこの RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF 芸 術に不 可 欠な形 式 に戻ってきたのは 1890 年代のことです 彼はラファエロやティツィアーノ ルーベンスといっ た過 去の巨 匠たちと競いながら 神 話ではなく地 上を舞 台に裸 婦 像を描きました その背 景となったのは 画 家が ルノワールが 彫 刻 家リシャール ギノの協 力の 1907 年に広 大な土 地を購 入して住みはじめた南フランスのカーニュ このアルカディアの地で画 家は 悪 化 するリ もと制 作した 一 連 の 洗 濯 する女 の 彫 像 のうち ウマチ 第 1 次 世 界 大 戦に従 軍した息 子たちの負傷 妻アリーヌの死に直 面しながら 最 善を尽くしきるまでは死 最も大きな 1 点 画 家 は 1888 年 に 川 辺 で 洗 濯 する農 婦を描 いてから20 年 の 時を経て 再 ぬわけにいかない と 裸 婦の大 作に挑み続けました 上 横たわる裸 婦 ガブリエル 1906 年 頃 油 彩 カンヴァス 67 160 cm びこの主題に彫刻として形を与えました 横たわる裸 婦という主 題は ルノワールが 敬 愛 していたティツィアーノにまで遡り 19 世 紀には 浴 女たち 1918-1919 年 油 彩 カンヴァス 110 160 cm この大 作はルノワールの人 生における最 後の数 か月に制 作されました リウマチで動 かなくなっ オランジュリー美術館 ジャン ヴァルテル ポール ギヨーム コレクション アングルやマネが それを再 解 釈した作 品を残し た手に括り付けられた絵 筆は その苦 闘を思わ RMN-Grand Palais (musée de l'orangerie) / Hervé Lewandowski / ています 東 洋 趣 味の背 景に裸 婦を描く オダ RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / せないほど軽やかに 豊かな緑と薔薇色の裸婦 リスク の主 題も流 行しましたが ルノワールは 下 大きな裸 婦 あるいは クッションにもたれる裸婦 1907 年 油 彩 カンヴァス 70 155 cm を描き出しています 晩 年 の 彼と親 交 のあった そういった要 素は暗 示 するだけにとどめて カー マティスは本作を 最高傑作 と称え ルノワー ニュのアトリエに 設えられ たベッドに 寝 そ べる ル自身も ルーベンスだって これには満足した 気だるげで官能的な裸 婦を描きました だろう と語ったとされています RMN-Grand Palais (musée d'orsay) / Hervé Lewandowski / 14 15
1841 年 仕 立 屋の父とお針 子の母のもと リモージュに生まれる 3 歳の時にパリに転 居 1854 年 4 年 間ほど 磁 器 工 房で絵 付け職 人として修 業を積む 1861 年 シャルル グレールのアトリエに入って絵画を学び モネやシスレーら印象派の画家と出会う 1862 年 パリの国 立 美 術 学 校に入 学 2 年 後 サロンに初 入 選を果たす 1869 年 モネと戸 外 で の 制 作 に 励 み 移ろう光を捉 える方 法を模 索して 印 象 派 の 先 駆 けとなる 作 品を生み出す 1874 年 モネ シスレー ピサロ セザンヌらとともに第 1 回 印 象 派 展を開 催 7 点の作 品を出 品 1876 年 第 2 回 印 象 派 展に 陽 光のなかの裸 婦 など 1 8 点あまりを出 品 1877 年 第 3 回 印 象 派 展に ぶらんこ ムーラン ド ラ ギャレットの舞 踏 会 など 2 1 点を出 品 1879 年 第 4 回印 象 派 展には参 加 せ ず サロンへの出品を再 開 好 評を博 す この頃 のちに妻と なるアリーヌ シャリゴと出 会う 1881 年 アルジェリアとイタリアを旅行 印象派時代の光の描写と 輪郭線や肉付けによる古典主義的 な人 間 描 写の融 合を試みるようになる 1883 年 マドレーヌ大 通りに 新しく開 店したデュラン リュエル 画 廊 で はじめてルノワールの 大 規 模な回 顧 展 が開かれる 都 会のダンス 田舎のダンス など 70 点が展 示された アトリエで座るルノワール 1885 年 アリーヌが長男ピエールを出産 1894 年に次男ジャン 1901 年に三男クロードが生まれる 1892 年 以降 1888 年 リウマチ性 関 節 炎の最 初の発 作に襲われる 1892 年 ピアノを弾く少 女たち が 国 家 買 上 げとなる Musée d'orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / 1896 年 ルノワールが 遺 言 執 行 人として尽 力した カイユボット コレクションの遺 贈 がフランス政 府 に認められる 1902 年 健 康 が 悪 化 リウマチの激しい発 作に見 舞われるようになる 1907 年 南 仏カーニュに土 地を購 入 終の棲 家となるレ コレット荘を建てる 1914 年 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 息 子のピエールとジャンが 従 軍し 負傷 1915 年 妻アリーヌが 死 去 1919 年 家 族に見 守られるなか 穏やかに息を引き取る 享 年 7 8 [ 開催 概 要 ] 観 覧 料 会期 2016 年 4 月27日 水 8 月22日 月 毎 週 火 曜日休 館 ただし5 月3日 火 祝 8 月16日 火 は開館 開館時間 10 : 00 18 : 00 金曜日 8月6日 土 13日 土 20日 土 は20 : 00まで 入場は閉館の 30 分前まで 会場 観 覧 料 税 込 一般 大学生 高校生 当日 1, 600 円 1, 200 円 800 円 前売 団体 1, 400 円 1, 000 円 600 円 団体は 20 名以上 中学生以下無料 障害者手帳をお持ちの方と付添の方 1 名は無料 高校生無料観覧日については追って発表します 前 売 券 販 売 期 間 2016 年 1 月27日 水 4 月26日 火 国立新美術館では 4 月25日 月 まで 4 月27日 水 以降は 当日券の販売 企画チケット お得な早 割ペア券 2 枚 1 組 2, 200 円 を 2016 年 1 月27日 水 3 月31日 木 まで期間限定販売 チケット販 売 場所 国 立 新 美 術 館 開 館日のみ 早 割 ペア券は取り扱いなし チケットぴあ ローソンチケット イープラスほか 主 要プレイガイド 手 数 料がかかる場合がございます 国立新美術館 企画展示室1E 東京 六本木 お問い合わせ 03-5777 - 8600 ハローダイヤル 主催 展 覧 会ホームページ http://renoir.exhn.jp 国 立 新 美 術 館 オランジュリー美 術 館 日本 経 済 新 聞 社 後援 在日フランス大使館 アンスティチュ フランセ日本 プレス問い合わせ オランジュリー美 術 館 所蔵 ルノワール展 広 報 事 務局 ユース プランニング センター内 150-8551 東京都渋谷区渋谷 1-3 - 9-3 F TEL: 03-3486 - 0575 FAX: 03-3499 - 0958 Email: renoir@ypcpr.com 国 立 新 美 術 館 106-8558 東京都港区六本木 7-22 - 2 http://www.nact.jp/ アクセス 東京メトロ千代田線 乃木坂駅 青山霊園方面改札6出口 美術館直結 都 営 地 下 鉄 大 江 戸線 六本木駅 7 出口から徒歩約 4 分 東 京メトロ日比 谷線 六本木駅 4 a 出口から徒歩約 5 分 本展はパリのオルセー美術館 オランジュリー美術館の学術協力のもとに企画 され 数 多くの名 画が特別に出品されます Exposition organisée et réalisée avec la collaboration scientifique et les prêts Orsay et de l Orangerie, Paris exceptionnels des Musées d