8 20 5 6 9 4 10 21 1 11 13 7 3 2 12 22 14 摩国府 17 定域 18 15 19 23 25 16 24 33 26 32 27 28 29 31 0 500 1000 1500 第5図 2000ⅿ 遺跡の位置及び周辺の遺跡 1 25,000) 16 30
2.7ⅿ 2.7ⅿ 2.7ⅿ 2.7ⅿ 460 454 453 461 462 2.7ⅿ 2.7ⅿ 2.7ⅿ 2.7ⅿ 3 456 459 455 2.7ⅿ 2.7ⅿ 458 2.7ⅿ 2.6ⅿ 457 0 5 1 20 第85図 杭列8断面図 113
493 2.4ⅿ 497 2.4ⅿ 2.4ⅿ 494 2.4ⅿ 2.4ⅿ 2.4ⅿ 498 496 2.4ⅿ 2.4ⅿ 2.4ⅿ 2.4ⅿ 495 499 500 2.6ⅿ 2.6ⅿ 2.6ⅿ 2.6ⅿ 0 5 1 20 第93図 杭列10断面図 124
651 650 652 654 653 656 657 655 658 660 659 663 0 661 662 第104図 猿面硯⑴ 141 5 1
693 692 695 694 697 696 698 699 700 0 5 1 1 4 第114図 軒丸瓦 軒平瓦 151 701
702 703 705 704 1 0 5 1 4 第115図 軒平瓦 152 1
706 707 6 709 708 0 10 1 5 第116図 丸瓦⑴ 153 2
710 711 712 0 10 1 5 第117図 丸瓦⑵ 154 2
713 714 715 0 10 1 5 第118図 丸瓦⑶ 155 2
716 717 718 0 10 2 1 5 第119図 平瓦⑴ 156
719 720 722 721 0 10 1 5 第120図 平瓦⑵ 157 2
723 724 725 0 10 20 1 5 726 第121図 平瓦⑶ 158
727 728 0 10 729 2 1 5 第122図 平瓦⑷ 159
0 10 2 1 5 730 第123図 第5節 平瓦⑸ 層 縄文時代前期 の遺物 縄文時代前期の遺物としては 曽畑式土器と杭が A 13区下層確認トレンチⅦ層で出土した 出土し た層は標高0ⅿ付近に堆積している 層である ト 731 レンチ調査のみであったので 遺物包含層の広がり や遺構の有無については不明である 出土遺物 第126図 749は曽畑式土器の深鉢である 胴部には2条1組 の沈線文が残り 直径6 の補修孔が外側から穿た れている 遺存状態は良好で 外面には煤が多量に 付着している 同類の土器は 摩国 寺跡でも出 土している 750は芯持材を利用した丸杭である 杭先を1面に 加工している 杭先には加工の際の刃こぼれ痕が顕 著に残っている 160 第124図
な川内川の自然堤防 旧河道 後背湿地の 布から するように発達した礫州の可能性がある ④最上部 みると 川内川は全体として右岸側から左岸方向に の砂 シルト層は 現在の微地形に対応した河成堆 移動してきたことがわかる 積物で 基底の標高がほぼ0ⅿによくそろう それ は2種類ある 一つは現川内川に近いところにある最 大層厚5ⅿほどの砂層で 川内川の自然堤防堆積物 3 地質環境 である もう一つはその背後にある5ⅿほどの厚さ 低地の地質環境は新幹線敷設に伴う試錐資料の解 の泥質堆積物で 後背湿地堆積物である 京田遺跡 析から知ることができる それは 川内平野を横断 はこうした湿地堆積物の地形環境下に位置している し 川内川左岸の京田遺跡の北側 第130図のA地点 ことがわかる 現在の地表面は近年の埋め立てのた から川内川 第130図のB地点 を横切り 右岸の低 め 現在はほぼ水平となっている しかし 埋め立 地の勝目地区 第130図のC地点 まで約6 の長さ ては後背湿地では厚く 自然堤防では薄いため 埋 に及ぶ この断面で約60本以上の試錐資料が得られ め立て部 た こうした多数の試錐資料に加えて それらの資 の低湿地の比高差が出現することがわかる を除くと 微高地をなす自然堤防と背後 料の基底深度が 標高 30ⅿに及び かなりの箇所 川内川左岸の基底地形 で沖積層基底にまで達しており ほぼ沖積層全体の 右岸に比べて左岸の沖積層基底はこの断面では浅 断面 すなわち最終氷期最大海面低下期以降の堆積 い 第131図下 現川内川の位置にある深い古川内 物の粒度と堆積構造が明らかになった さらにここ から空間的 時間的な古環境変遷を推定し 京田遺 跡の古環境的背景を知ることができる 京田遺跡 川内川右岸の基底地形 右岸において沖積層基底地形は大きく三つの埋没 谷の存在を示す 第131上図 台地 川 内 川 いの京田遺跡 下にある埋没谷は谷底が標高 20ⅿで 他の二つに 比べて浅い それは古川内川に流れ込む支流の谷底 であろう 他の二つの埋没谷はこの試錐資料ではそ の全貌を明らかにすることができないが その谷底 は平面的には川内川近く 標高-30ⅿより低い位置に 存在する それは最終氷期最大海面低下期 1万8000 川内駅 年前頃の後期旧石器時代 の古川内川谷底であると みることができる 平佐川 川内川右岸の沖積層 これらの基底地形を沖積層が埋積する それは1万 8000年前以降現在までの間に海や河床 氾濫原に堆 積した物質である この沖積層は全体として ①最 N 1 下部の礫層 ②中部の厚いシルト 砂層 ③上部砂 礫層 ④最上部砂 シルト層の四つの層に 隈 之 城 川 けられ る ①最下部の礫層は 旧谷底を埋積するもので 現川内川 い付近のものは厚さが10ⅿ以上ある そ れは 沖積層基底礫層をなし 最大海面低下期頃の 川内川やその支流の河床礫とみなすことができる ②中部の厚さ20ⅿ以上の厚い砂 シルト層は 縄文 0 海進期とそれ以後の海面安定期に 当時の内湾に堆 2 積した物質とみられる ③上部砂礫層は 厚さ5ⅿ ほどで 上限の標高が0ⅿ付近によくそろう この 礫層は 上流への 布状況を確認しないと断定でき ないが 標高や連続性からみて 当時の内湾を閉鎖 第130図 地質断面位置図 灰色部は台地 丘陵 白色部は低地と台地 丘陵の境界は 1999年国土地理院発行 数値地図25000 (地図画像 鹿 児島 から作成 168
京田 2 241 遺跡遠景 跡 図版
図版 遺跡近景 a b c b a 自然流路2 埋土 b c 西壁土層 A-7区) 西壁土層 A-13区) 242 a b a b
図版 自然流路2完堀状況 a b c c 自然流路2 埋土 自然流路2 埋土 自然流路2土層断面 自然流路2土層断面 243
図版 ① ② ③ ④ ① ② ④ ⑤ 自然流路2木製品出土状況 ウケ状遺構杭断面 ⑤ ③ 244 ウケ状遺構
図版 井堰状遺構 築材出土状況 第13図20) 245
図版 ① ② ③ ④ ⑥ ⑤ ① ③ 築材の穿孔 ⑥ 土坑1 ⑦ ④ ⑦ 246 陽物形木製品出土状況 土坑2 ⑤ 杭列1
図版 自然流路1完掘状況 b c ④ ⑤ 自然流路1 埋土 自然流跡1土層 247
図版 ① ② ③ ④ ⑤ ① ③ ⑤ 土坑3完堀状況 土坑4完堀状況 水田跡1検出状況 ② ④ 248 土坑3出土ドングリ 土坑6出土ドングリ
図版 a b b c ① a b b ② ③ ① ③ 水田跡1土層断面 第 44図土層断面3 木材集積遺構 ④ ② ④ 249 水田跡1土層断面図 第 44図土層断面2) 木材集積遺構の下から出土した曲柄三又鍬と柄 c
図版 水田跡2検出状況 水田跡2土層断面 250
図版 ② ① ③ ④ ① 杭列5 ② 杭列5断面 251 ③ 杭列6 ④ 杭列7
図版 ② ① 溜め池状遺構木製品出土状況 ③ ④ 杭列8 252 溜め池状遺構出土曲物 溜め池状遺構出土遺物 墨書のある須恵器)
図版 ① ② ③ ① 水田3検出状況 ③ ④ 杭列9断面 ④ ② 253 杭列9
図版 ① ② ① 水田4検出状況 ② 254 水田4完堀状況
図版 ① ① ③ ⑤ ② ③ ④ ⑤ 水田4完堀状況2 Ⅷ層縄文土器出土状況 作業風景 木製品洗浄作業 ② ④ 255 水田4水口部 自然流路2木製品検出作業
図版 706 711 713 715 丸瓦 716 719 平瓦 275