良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

牧会の祈り

創世記5 創世記2章4節b~25

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

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2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

ます しかしこれでは義に飢え渇いているとはとても言えないのではないでしょうか また自分の生活を振り返って こう質問してみてください 自分は果たして毎日をどんな基準によって歩んでいるだろうか と 神から見て何が正しいことかを考え その義に従って義の道を歩もうとしているか それとも義のことはあまり考えず

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

牧会の祈り

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

しイエス様は 5 章 20 節でこう言っておられました わたしはあなたがたに言います あなたがたの義が 律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ あなたがたは決して天の御国に入れません 律法学者やパリサイ人は 当時のユダヤの社会で最も道徳的な人たちと敬われていた人々です 彼らは当然 自分たちは正

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

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2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

牧会の祈り

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

マタイ 10 章 39 節 失うから見出す命 1A 天の御国と闇の国 1B 狼の中の羊 2B 主人の受けた仕打ち 3B キリストの告白 2A 平和でなく剣 1B 家族関係 2B 社会関係 3B 自己実現 3A 自己中心な社会 1B 自分探し の援助活動 2B 自分探し の弟子活動 3B 探せば失う原

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28


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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

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Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

29 Vol.127


* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

世の中の人は信頼できる と回答した子どもは約 4 割 社会には違う考え方の人がいるほうがよい の比率は どの学年でも 8 割台と高い 一方で 自分の都合 よりみんなの都合を優先させるべきだ は 中 1 生から高 3 生にかけて約 15 ポイント低下して 5 割台にな り 世の中の人は信頼できる も

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

牧会の祈り

スライド 1

ることができない信仰の弱い者 もう言葉にならないようなうめきや渇きや絶望を心に抱えている それで苦しんでいる そこで倒れようとしている そういう者のそばに すっと入ってきてくださって 今隣に座っていい? と やさしく 具体的に 一緒に座ってくださって 私に寄りかかってきなよ と 私に頼っていいよ と

聖書マタイによる福音書 11:15~19 ( 第 53 講 ) 題 肉の思いから解放された信仰によって変えられる ( 序 ) 自己願望から物事を見る弊害を理解する * すべての人間は アダムが犯した罪人として 汚染された DNA を受け継ぎ 自己中心の生き方をするようになってしまいました それが当た

生徒用プリント ( 裏 ) 入力した内容はすべて記録されている!! 印 : 授業で学んだこと 管理者のパソコンには どのパソコンから いつ どのような書き込みがされたか記録されています 占いだけではなく メールや掲示板の内容も同じように記録されています もし 悪意のある管理者から個人情報が洩れたらど

本文/p02表2:目次プロフィール

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1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

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Taro-小学校第5学年国語科「ゆる

第4回報告書 100人男子会×女子会!学生だけの本音ミーティングinとやま(平成27年11月7日)

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

基調講演

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

こんにちは! ふっさんです 今回は 時間で数万円を 今 稼ぐ方法をレポートにまとめたので公開します 僕がこのレポートを作った理由は 多くの人が抱える 2 つの悩みを解決するためです. 稼げる自信がなくて 不安です 2. 教材などを買って学びたいが お金を捻出するのが難しいです というものです まず

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案3                            ⑤なかまの誘い方(小学校低学年)

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

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Transcription:

聖書 : ローマ 12:17~21 説教題 : 善をもって悪に打ち勝つ 日時 :2016 年 6 月 5 日 ( 朝拝 ) ローマ書 1~11 章で素晴らしいキリスト教の教理について見て来た私たちは この 12 章から その神への感謝をどのように具体的な生活の中で現わすべきかについて パウロのメッセージを読んでいます 今日の箇所で扱われているのは 私たちが誰かから悪をされた場合のことです クリスチャンになれば いつも神によって守られて 悪いことが何も起こらないようになるわけではありません 14 節で見たように むしろクリスチャンであるということで 人々から迫害されるということが起こって来ます あるいはこの世はまだ天国ではありませんので 様々な悪がのさばっています そういう世にある者として様々な悪のとばっちりを受けることもあります それらの自分になされた悪にどう対処するか ここで述べられていることは そういう状況でも神に喜ばれる生活の仕方があるということです 私たちはそこでも神への礼拝生活 (12 章 1~2 節 ) ができるのです 今日の御言葉を見るにあたって初めに押さえておきたいことは ここで述べられていることは互いの個人的な関係におけるあり方であるということです 社会の中で起こる悪にふさわしい罰は下さないのがキリスト教なのではありません 悪はやはりきちんとさばかれ その報いが与えられるべきです 正義は実行されなければなりません しかしそれは公的な立場に立てられた人によってなされるべきことであると聖書は述べています そのことが次の 13 章で扱われます そしてそのこととセットで聖書が述べていることは 私たちは個人的な立場で私的に報復してはならないということです 個人個人が勝手に誰かへの懲罰的行為に走ってはならない 今日の御言葉は その個人の立場にある者についての命令です 17 節にまず 悪に悪を報いることをせず とあります 私たちはそうしやすい者です やられたらやり返す 目には目を 歯には歯を された通りに仕返しする いや 傷つけられた分 もっと上乗せしてと しかし すべての人が良いと思うことを図りなさい とパウロは言います ここに今日まず注目すべき大事なことが語られています それはすべての人にどう思われるかを良く考えるということです この すべての人が良いと思うこと という部分は 直訳では すべての人の前で

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見るかを良く考えなさい! と言っています どうしてそうなのでしょうか それは人々の前での私の振る舞いは 神の栄光に関わるからです Ⅱコリント 8 章 21 節 : それは 主の御前ばかりでなく 人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです Ⅰテモテ 3 章 7 節 : また 教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません 人々はある意味で私たちを良く見ています ですからそこで人々から良いと見られるような人であることは大事なことなのです もちろんだからと言って私たちは人々の考え方に合わせるのではなく あくまでも基準は神の御言葉なのですが しかし本当に良いことは人々にも良いと認められるはず そのことを考えて行動するということです より具体的なことが 18 節にこうあります あなたがたは 自分に関する限り すべての人と平和を保ちなさい 原文には もし可能なら という言葉が入っています ( 新共同訳 : できれば せめてあなたがたは すべての人と平和に暮らしなさい ) これはすべての人と平和に暮らすことが可能でない場合もあり得ることを示しています たとえばこちらがそのための働きかけをしても 相手に全くその意思がない場合 関わりを拒絶して来る場合 あるいは相手と平和の関係を持つために信仰において妥協するしかないという場合 私たちはそこまでして人間と平和になるようにとは言われていません しかしこの 18 節の意図は できなくても良い言い訳を見つけることではなく 努力してすべての人と平和であるように努めよ! ということです イエス様も山上の説教で 平和をつくる者は幸いです その人たちは神の子どもと呼ばれるから と言われました 平和のない所に平和を造り出すこと これは主の弟子が取り組むべき課題です もし私たちがその関係を結ぶことが難しそうな人と平和の関係が生まれるように努力して歩んだらどうでしょうか それは人々に大きなインパクトを与えるでしょう あの人は普通とは違う あの人は平和を造り出す人だ! と そう見られるように励まなければならないのです その反対であってはならないのです クリスチャンは喧嘩っ早いとか すぐ論争するとか よく周りに争いごとが起きているなど

と言われないように むしろあの人は何か平和を持っている それが周りに流れ出ているようだと見られるような生き方をするように と 17 節の 図りなさい という言葉は 前もって良く考える とか 計画する という意味の言葉です 悪が自分に対してなされた時 自分の行動は人々に見られていることを覚えて まず良く考える そして神の御名がたたえられるために 神の平和が外に流れ出て行くようなあり方を考えて行動する これが神に喜ばれ 神を礼拝する私たちの生き方であるということです さてなされた悪に対して私たちがどうすべきかについて一つのことは分かりましたが ある人は 悪の問題はどうなるのか と思うかもしれません 悪はそのまま放置されて良いのか 適切な罰が下されなくて良いのかと それに対して 19 節はこう語ります 愛する人たち 自分で復讐してはいけません 神の怒りに任せなさい それは こう書いてあるからです 復讐はわたしのすることである わたしが報いをする と主は言われる 先に述べたように 聖書は個人的な立場で私的に報復してはならないと語っています 復讐をするのは神であると言われています 私たちはそのことを受け止めつつも 自分が願うタイミングで相手に罰が下らないとイライラします そしてついには待ち切れなくなって この悪を見逃すのは神の御心ではないなどと主張して 神が立てている権威に訴えるという方法を取らずに 自分の手で私的に報復行動に出ようとする しかしこれは私たちが勝手に裁判官の椅子に座って裁判を行なうようなものです 神が それはわたしがする と仰っているのに それを信じず 神の椅子を横取りするような暴挙です マタイの福音書 7 章 1~5 節に さばいてはいけません というイエス様の言葉があります あれも公的な裁判までを否定するものではなく あくまで私的な個人的なさばきを禁止するものです そこで言われているように 私たちは自分の目の中に梁が入っているような者であるにもかかわらず相手の目の中のちりが気になって それを取りたいと申し出るような者です そんな私たちにはとても公正な判断などできません ある人は不敬虔の本質は 私たちが神の位置に取って代わろうとすることだと言いました 私たちはそのような罪を犯さないように自戒しなければなりません 神に怒りに任せなさい と言われています しかしこの言葉は 私はさばかないが 神が厳しくさばいてくださることを期待 し それを願うという意味ではありません 時々 次の 20 節と合わせてそのよう

に理解する人がいます 20 節で私たちは敵が飢えたなら食べさせ 渇いたら飲ませなさいと言われています そうすることによって あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです と ある人はここを 私たちは敵に対して善を行なうことによって 益々厳しい罰がやがての日に相手に下るための準備をするという意味に読みます 善を行なっても悔い改めないであろう敵の上には 将来一層重いさばきが下る そのことを予測しながら今は耐え忍ぶという風に しかしこれはローマ書 12 章の文脈に合いません 14 節では 迫害する者を祝福せよ と言われました 呪いの気持ちと混じってはならないと言われました ですから 19~20 節も 相手の上にやがてさばきが下ることを楽しみに待ちながら 表面的に良いことをするという意味ではないのです それでは結局 私たちが裁判官の席になおしがみ着いていることにならないでしょうか ですから 神の怒りに任せなさい というのは 神に一切をお委ねするということです 神が正しいさばきを行なってくださることに信頼して 自分があれこれ言うことはもうやめる むしろ私たちが集中すべきは 20 節にある通り 敵が飢えたら彼に食べさせ 渇いたら飲ませるということです そうする時にあなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになります これはどういう意味でしょうか それは相手に体の中が熱くなるような恥の感覚を与えるということでしょう その人は思ってもみなかったクリスチャンからの善を受けて まるで燃える炭火を頭に積まれるようなショックを覚える そして自分のしたことを正しい光の下で振り返り ついには考え方の大転換 悔い改めへ導かれる この言葉は箴言 25 章 21~22 節からの引用と考えられますが もともとの箇所でもそういう意味で使われていると考えられます 私たちはなぜそこまでしなければならないかと思うかもしれません ひどいことをされたのに 相手に善を返し 相手の悔い改めと救いにまで仕えなければならないのかと しかし良く考えれば これは神が私たちにしてくださったことでした ローマ書 5 章 8 節 : しかし私たちがまだ罪人であったとき キリストが私たちのために死んでくださったことにより 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます 神は反抗する私たちのためにご自身の一人子を与えてくださり 私たちに良くしてくださいました 霊的に飢えていた私たちにまことの食物を与え 渇いていた私たちにキリストにあってまことの飲み物をくださいました 私たちはその神の愛に激しく打たれ まさに燃える炭火を頭に積まれたのです そして自分の罪を悟り 人生の根本的な転換へと導かれました その神がしてくださったことに

感謝して 私たちも神にならって歩むようにと言われているのです 最後の 21 節はまとめです まず 悪に負けてはいけません とあります 注目すべきは 敵に負けてはいけませんとあるのではないことです 悪 に負けてはいけない つまり私たちがそこで戦っている真の相手は 私に悪を行なった人というよりは 悪 なのです もし私たちが相手の悪に応じて悪を返したら 相手には勝っても 悪には負けたことになります なぜなら相手が犯した悪に加えて私も悪を犯したからです 悪はこの世で 2 倍になりました これはサタンの王国拡張のために一層手を貸したことに他なりません そうではなく 私たちが召されているのは善をもって悪に打ち勝つことです 敵に良くすることです それによって悪の広がりにストップをかけることができる むしろ神の御心にかなうことが地に広がり 神の御国が拡がることにつながる 私たちはそのようにサタンの国が拡がるのか あるいは神の国が拡がるのか という戦いのただ中にあるのです 果たして私たちはどちらの国が栄えるために日々身を投じているでしょうか 最終的な審判の日が来ていない今日は様々なことが未解決のように見えます 理不尽なことがまかり通っているように見えます しかし今日の箇所からもう一度心に留めたいことは 神はすべてを見ておられて かの日には必ず完全に正しいさばきをなされるということ わたしがさばく わたしが報いをする と神は言っておられます 私たちはそのことを信じ 深い慰めと平安を頂いているでしょうか このことを信じるなら 私たちは自分の手でやり返すことに躍起にならなくて良いのです むしろ私たちはそのことからは解き放たれた者として 自分はここでどのように歩むことによって神に喜ばれる生活ができるのかということに集中すればいいのです 実に今日の御言葉のチャレンジは 私たちは誰かに悪をされた時の対処においても 神への礼拝生活ができるということです ひどいことをされた時 そこで神に私の感謝を表す生き方ができる 人々の前で神の御名がたたえられるための生き方ができる サタンの国が衰退し 神の国がいよいよ進展するために仕えることができる すべてを見ている神は そのような私たちの歩みもつぶさに見ておられ やがての日には 良くやった 良いしもべだ と言ってくださることでしょう その日を楽しみにして 私たちは神への礼拝生活をささげて行きたいと思います 自分の小さな名誉や自尊心のために振り回されて一生を無駄に費やしてしまうのではなく 神の栄光とその御国のために自分の生涯をささげ 用いられ また豊

かに報われる歩みへ進みたいと思います