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早稲田大学博士論文概要書 治療行為と刑法 早稲田大学大学院法学研究科 天田悠 1

序論一本稿の目的刑法上 医師の治療行為は 人の身体 健康に必然的に干渉するその問題性ゆえに 構成要件論 法益論 違法 ( 阻却 ) 論をはじめ 古くから犯罪論における試金石のひとつとして扱われてきた そして現在 わが国の通説的見解によれば 治療行為は 傷害罪の構成要件に該当し それが 患者の生命 健康を維持 回復する必要のあるときに行われ ( 医学的適応性 ) 医学的に認められた正当な方法で行われ( 医術的正当性 ) かつ 患者に対して十分な説明ないし情報提供をしてその承諾を得て行われたかぎりで ( 患者の承諾 ) 刑法 35 条後段の正当 ( 業務 ) 行為として違法性が阻却されると解されている しかし 治療行為の刑法的評価の枠組み とくにその正当化判断の枠組みについては 実際上不分明な点も多いのが現状である この点がもっとも先鋭化するのが 患者の意思に反し またはその承諾を得ずに行われる専断的治療行為の問題においてである これによれば たとえば 喉頭がんの治療のために 患者の承諾を十分に得ることなく患部を切除したという事例 ( 喉頭がん事例 ) や 患者が事前に反対したにもかかわらず 手術が必要な状態にあると判断した医師が 患者を救うためにその脚を切断したという事例 ( 四肢切断事例 ) において これらの行為は正当化されるか もし正当化されるとすれば その範囲および限界はどこまで及ぶかが問題となる 本稿は こうした問題を解決するための基礎的研究として 治療行為の刑法的評価を規定する思考枠組み ( 以下 治療行為論 という ) の理論的基礎を明らかにすることを目的とする 刑法学において 治療行為 を論ずる理論的 実践的意義は 以下の2 点にある すなわち 第 1に 本稿は 刑法理論に基づいて 治療行為 という現象を分析することをつうじて 刑法理論そのものの再検討を要請するという意味を有する つまり 本稿の狙いは 治療行為 という問題領域を媒介としながら 刑法理論上の基本問題を相互に関連づけながら検討することにより 今後 刑法理論における各研究領域の議論を深めていくための基本的視角を獲得しようとすることにある 第 2に 本稿は 医事刑法の分野においてもっとも根源的な問題である 治療行為 の性質を明らかにすることで 将来の医事刑法研究における理論的支柱を打ち立てるという意味を有する 医療過誤 美容整形 性別適合手術 臨床試験 治療的実験 安楽死 尊厳死および治療の中止 差控えといった医事刑法における各問題領域は いずれも治療行為の延長線上に位置するものである 本稿は 治療行為の刑法的評価を明らかにすることで 将来の医事刑法研究のための理論的原点を規定し 医療が引き起こす現代的諸問題を考察する際の基本的姿勢を確立しようとするひとつの試みである 二本稿の構成 以上の問題意識から 本稿は以下のような構成をとる 第 1 章では わが国における議論の到達点と問題点を明らかにすることで 本稿の具体 2

的な検討課題を設定する ここでは まず 治療行為は傷害罪の構成要件に該当し その違法性を阻却するためには 患者の承諾が必要であるとする 治療行為傷害説 と 治療行為が医学上適正に行われた場合は はじめから傷害罪の構成要件に該当しないとする 治療行為非傷害説 をめぐる議論の現況を明らかにする 結論として 第 1 章では 現在有力な 患者の自己決定権 を過度に強調する傾向には問題があること こうした傾向に歯止めをかけるためには 違法 ( 阻却 ) 論の分析に先立って まず 先行研究がこれまで棚上げしてきた構成要件論と法益論の分析に取り組まなければならないことを示す そのために 本稿は 治療行為をめぐる議論を 100 年以上積み重ねてきたドイツ法 スイス法 オーストリア法の知見を参照する まず 第 2 章では ドイツにおける判例 学説の系譜をたどり 各時代の特徴と傾向を整理 分析することで ドイツ法の到達点と現在の課題を明らかにする ここでは 判例を契機とする治療行為傷害説の抬頭と これに対抗する治療行為非傷害説の議論を確認し 現在までの議論の到達点を明らかにする この作業をつうじて ドイツ法の基本的姿勢を明らかにし わが国にこれまで欠けていた分析の視点をより明確化する つづく第 3 章では ドイツ刑法改正作業の歴史的展開を追跡し 治療行為の刑事規制をめぐる議論の現状を明らかにする ここでは 1900 年以降に起草された専断的治療行為処罰規定の保護法益を分析し この作業をつうじて 専断的治療行為による 身体 利益侵害の内容と構造を解明し 現行刑法上保護されるべき 患者の自己決定権 の範囲を明らかにする必要があることを示す 第 2 章と第 3 章の分析を受けて 第 4 章では 日独刑法における傷害罪の保護法益論を分析することで 本稿における 治療行為論 体系の基本的骨格を呈示する ここでは まず ドイツ傷害罪規定の制定過程をたどることで 問題解決のためには 傷害罪における 身体 法益の内実とそれに対する自己決定権の位置づけを明らかにする必要があることを示す つぎに 傷害罪の保護法益をめぐる学説の2 大潮流の内容を批判的に分析し これによって 治療行為論 体系を構築するための示唆を獲得する さらに 第 5 章では ドイツ法と議論状況が似たスイス法の議論を取り上げ 本稿の法益論的枠組みを補強するためのさらなる視点を獲得する 具体的には 専断的治療行為に関する2 件の最高裁判例を分析し そこから抽出した視点に基づいて学説を整理する そして ドイツ法やオーストリア法と比較することで スイス法における 身体 法益論の到達点を特定し わが国への導入可能性を模索する そして 第 6 章では 以上の比較法的検討から得られた知見を総合することで 本稿における 身体 法益論の枠組みと それに基づく 治療行為論 体系の理論的基礎を呈示する ここでは 傷害罪における 身体 法益の内容と構造を明らかにすることで 本稿における 治療行為論 体系の骨格を規定し 具体的な事例の処理を示すことで本稿の枠組みをさらに具体化する さらに 以上の分析から得られた解釈論上の帰結を踏まえて 刑法によって禁止すべき専断的治療行為の範囲を明らかにする 3

第 1 章わが国の議論と課題の設定第 1 章は わが国の議論の到達点を明らかにし 本稿の具体的な検討課題を確定することを目的とする そのために まず わが国における議論の系譜を分析し つぎに その分析によって抽出された視角を手がかりに 治療行為傷害説と治療行為非傷害説をめぐる議論の現況を明らかにする 第二次世界大戦前の学説は ドイツから上記両説を継受したものの 刑法 35 条後段の正当 ( 業務 ) 行為規定の抽象的な適用論に終始していた そのため 専断的治療行為が患者のいかなる利益を侵害し いかなる犯罪を構成するのかは必ずしも明らかではなかった そうしたなかにあって 戦後 藤木英雄は 構成要件と違法性の関係を検討することで 治療行為非傷害説の理論的基礎づけを試みた これに対して 町野朔は 治療行為傷害説の立場から 違法阻却原理と 患者の承諾 の関係を分析することで 治療行為の正当化原理の解明に取り組んだ 町野の功績は 第 1に 専断的治療行為の罪責 つまり同意原則違反の具体的帰結を明らかにした点 第 2に 専断的治療行為が侵害するのは 患者の身体の処分権であると明示した点にある しかし 町野のように 身体の処分権は傷害罪の保護法益そのものである という命題を前提に 法益主体の意思を 身体 法益の内容に直接読み込むと 専断的治療行為の場合 客観的 優越利益 保護を理由として当該行為を正当化することはきわめて困難となる 町野の理論枠組みはこの点で問題を含む 町野以降の学説においては 承諾 ( およびそれと結びついた自己決定権 ) の刑法的意味に着目することで治療行為の評価を規定する 承諾論によるアプローチ が有力化する このアプローチの特徴は 刑法各則に定められた犯罪すべてを統合した 総論的な 承諾論体系の構築を目指す点にある しかし 身体に対する罪と自由や財産に対する罪とを同一次元で扱うことは 刑法上保護されるべき自己決定権の内容を過度に抽象化するおそれがある 承諾論によるアプローチは 医師の説明義務の範囲を大幅に拡大し 承諾要件の過度の厳格化をもたらす点で問題がある こうした傾向に歯止めをかけるためには 違法 ( 阻却 ) 論の分析に先立って まず これまで棚上げにされてきた構成要件論と法益論の分析に取り組まなければならない すなわち 傷害構成要件が保護する 身体 法益の内容を解明し 患者の自己決定権の刑法上の位置づけを明らかにする必要がある このような作業を経てこそ 治療行為の刑法的評価を規定することが可能となる これが 本稿が採用する 法益論的アプローチ である 以上のように わが国の先行研究において 身体 法益の内実解明という問題は十分に取り上げられてこなかった 本稿は この理論的間隙を埋めるために 以下の2つの課題を設定する すなわち 第 1に わが国に大きな影響を与えているドイツ法 およびこれと状況が一部共通するスイス法とオーストリア法の議論から分析の素材と視点を抽出する そして これらの比較法的検討をつうじて これまでのわが国に欠けていた あるいは手薄だった分析視角をより明晰化する ( 第 2 章 ~ 第 5 章 ) 第 2に 以上の比較法的分析から 4

得られた素材と視点を総合することで 本稿における 身体 法益論の基本的枠組みを明 らかにし その枠組みに基づいて 治療行為論 体系の理論的基礎を呈示する ( 第 6 章 ) 第 2 章ドイツ法の系譜的考察 (1) 判例 学説の展開第 2 章は ドイツ法における判例 学説の歴史的発展過程をたどり 第 1 章で設定した課題を達成するための基本的な分析視角を得ることを目的とする ドイツの判例は 個別的考察方法に基づく治療行為傷害説を採用し 100 年以上にわたってこれを維持している これに対して 治療行為非傷害説の内容は 全体的考察方法を採用する点で一致しているが 細かな点では帰一しない ただ 治療行為非傷害説のなかにも 1 傷害罪の保護法益論によって問題解決を図るアプローチと 2 適法化メルクマールの措定 操作によって説明を試みるアプローチが存在する このうち1のアプローチは 治療行為との関係で傷害罪の保護法益をどのようにとらえるかを問うものであり わが国に欠けていた視点を提供するという意味で 一定の参照価値が認められる 次章以降は この法益論の検討をさらに深めていく必要がある これに対して 2のアプローチは (ⅰ) 当該治療による危険の緩和 減少や (ⅱ) 成功 失敗によって 治療行為の刑法的性質を特徴づけようとするものである しかし (ⅰ) 傷害罪の成否が危険の増加ないし緩和 減少に左右される理論的根拠は必ずしも明らかではなく そこにいう 危険 概念の内実もあまりに不明瞭である また (ⅱ) 治療行為の成功 失敗に基づく評価は 治療 結果 概念のとらえ方 および全体的考察方法の不徹底について問題がある 次章以降は 1のアプローチの分析に焦点を絞り ドイツ法の到達点をさらに詳細に跡づける必要がある 第 3 章ドイツ法の系譜的考察 (2) 刑法改正作業の展開第 3 章は ドイツ法の判例 学説の到達点にあたる刑法改正作業の歴史的展開をたどり その到達点と課題を示すことで 専断的治療行為による 利益 侵害の内実と 治療行為の刑事規制のあり方を考察するための視点と素材を得ることを目的とする 1900 年代以降 ドイツの刑法改正草案は 専断的治療行為と傷害罪の問題を切りはなし 専断的治療行為を処罰の対象とする独立の犯罪構成要件を創設するための努力をつづけてきた この専断的治療行為処罰規定の保護法益をめぐって ドイツの刑法改正諸草案は その保護法益が患者の 身体 利益とは別次元に属する 患者の自己決定権 そのものであるという点で共通する しかし 患者の自己決定権を刑法上いかに位置づけ いかに保護するかという点で 改正諸草案はなお見解の一致をみておらず まさにこの点に関する議論の蓄積が不十分であるがゆえに 刑法典の改正は現在も実現していない 専断的治療行為による 身体 利益侵害の内容と構造を明晰に言語化し 現行刑法上保護されるべき 患者の自己決定権 の範囲を明らかにする必要がある 5

第 4 章治療行為と傷害罪の保護法益第 2 章と第 3 章の分析を受けて 第 4 章は ドイツ刑法の傷害罪の保護法益を分析することで 身体 法益論の基本的視座 およびこれに基づく 治療行為論 体系の基本的骨格を明らかにすることを目的とする まず ドイツ刑法 223 条の傷害罪規定の制定過程をたどることで ドイツ法の歴史的発展経緯を明らかにする その結果 本稿は 治療行為をめぐる問題を解決するためには 傷害罪の保護法益の本質にさかのぼった理論的検討が不可欠であり とりわけ 身体 法益の意味内容およびそれに対する自己決定権の位置づけを明らかにする必要があることを示す つぎに 傷害罪の保護法益をめぐる学説の2 大潮流 すなわち 傷害罪の保護法益をめぐる第 1の潮流 ( 傷害罪における身体 健康を生物学的 身体的不可侵に限定する立場 ) と 第 2の潮流 ( 傷害罪における身体 健康を生物学的 身体的不可侵に限定しない立場 ) の内容を批判的に分析し わが国への導入可能性を模索する ドイツ法の伝統的立場は 傷害罪における身体 健康を生物学的 身体的不可侵に限定する第 1の潮流である だが 身体とそれに対する自己決定権を截然ときりはなすことが妥当か そもそもそれが可能かについては かねてから疑問が呈されてきた この疑問を理論的に定式化したのが第 2の潮流であるが この第 2の潮流は 法益概念の過度の精神化をもたらす点 身体に対する罪と自由に対する罪との区別を形骸化しうる点で問題がある しかし 第 2の潮流が 身体から遊離し あるいは身体からきりはなされた自己決定権に警鐘を鳴らし 身体とそれに対する自己決定の自由との緊密性を示した点は 傾聴に値する 以上の分析から 本稿は ( 事実的基礎を有する生活 生存の基盤としての ) 身体 から遊離したかたちで 患者の自己決定権を論じることはできない という命題を導出する この命題は 患者の自己決定権の問題性が 自由に対する罪でも専断的治療行為処罰罪でもなく 身体 傷害罪にこそ その原点があることを意味するものである 第 5 章スイス法の比較法的考察第 5 章では 第 4 章の分析から明らかとなった法益論的枠組みを相対化し これをさらに強化するために ドイツ法と議論を一部共有するスイス法の議論を取り上げる ここでは 専断的治療行為に関する2 件の最高裁判例を分析し そこから抽出した視点に基づいて学説を整理し さらに ドイツ法やオーストリア法との異同を明らかにすることで スイス法における 身体 法益論の到達点を特定する ドイツ法と同様 スイス法も 専断的治療行為による患者の 利益 侵害の本質を探究するために 傷害罪の法益分析に取り組んできた その特徴は 身体 法益の一身専属性を重視し かかる法益理解と治療行為傷害説を結びつける点にある これによれば スイス法は 傷害罪の法益を身体的不可侵に限定しつつも そのかぎりでの法益主体の処分権を認めることで 治療行為傷害説の妥当性を基礎づけている このような理解によると 6

オーストリア刑法 110 条やドイツ刑法改正草案のような専断的治療行為処罰規定は不要と なる スイス法の法益理解は ドイツ法の法益論を補い わが国の議論を一歩先にすすめ るための有益な視点となりうる 第 6 章治療行為論の理論的基礎と刑事規制の指針第 6 章では 以上の分析から得られた比較法的知見を総合することで 本稿における 身体 法益論の基本的枠組みを明らかにし その枠組みに基づいて 治療行為論 体系の理論的基礎を呈示したうえで さらに 専断的治療行為に対する制裁のあり方について提言を行う まず 傷害罪が保護する 身体 法益の内容および構造を明らかにすることで 治療行為傷害説の妥当性を基礎づける 治療行為論の理論的基礎は 二元的構造を有する傷害罪の法益論によって規定される これによれば 身体 利益の中核をなすのは 現実的 事実的基礎を有する基体としての 身体 利益である 治療行為は かかる意味における身体利益を侵害することを根拠に 傷害罪の構成要件を充足する そのうえで 患者の承諾による身体法益の要保護性の減退ないし否定に加えて ここにさらに 患者の健康の維持 回復という積極的な実体利益が実現されるという意味での優越的利益保護の観点によって 違法阻却の可否が検討される しかし 身体 利益の内容は 以上に尽きるものではない すなわち 身体と人格を 統合体 として保護するという要請のもとでは 患者の身体に対する処分権ないし自己決定権も 利益衡量における重要な要因となりうる ただし かかる利益は 優越的利益衡量による違法阻却の場面において 基体としての 身体 利益と結びつくときにはじめて機能する 身体とそれに対する処分権を截然ときりはなし 基体性から遊離したかたちで自己決定権を論じることはできないからである 本稿の法益論的枠組みによれば 1 喉頭がん事例と 2 四肢切断事例の処理はつぎのようになる 1 専断的治療行為の違法阻却の場面では 客観的な 身体 利益侵害の衡量が判断の基軸となるが 患者の身体処分権ないし自己決定権の侵害も 利益衡量の重要な要因となりうる これによれば 傷害罪の成否は 患者本人の利益衡量に委ねられることになり.. 最終的にはその患者だけが 声の喪失をともなう治療か それとも発声能力を失わないが他の不確実な療法か そのうちのどちらがその人の健康にとってより望ましいのかを決定することができる したがって たとえば 患者が声帯の保持に対する利益をとくに重視するにもかかわらず その意思に反して喉頭を切除したような場合 その行為は違法である 2 四肢切断事例において問題となる行為 たとえば 手足の切断行為や臓器摘出行為も 傷害罪の構成要件を充足する その根拠は 身体に対する重大な傷害が惹起されたからでも 身体の枢要部分や基本的な生活機能が損なわれたからでもなく 患者の身体的実 7

体に対する侵害結果が発生したからにほかならない 本稿の立場によれば 重大な基体の侵害 等のメルクマールによる 特別扱い は認められない さらにこれと関連して たとえば 四肢の切断以外に助かる方法がないという場合は その患者本人による強固な明示的拒否の意思があれば そのかぎりでの自己決定権を尊重して これに優越的利益を認めることが可能である かくして 本稿の法益論的枠組みによれば 専断的治療行為は 刑法理論的には傷害罪を構成する したがって オーストリア刑法 110 条やドイツ刑法改正草案のような専断的治療行為処罰規定をわが国に導入する必要はない しかし 医師の専断的治療行為すべてに刑事制裁を科す必要もない すなわち 専断的治療行為を処罰の対象とするにしても そのすべてを刑罰でカヴァーするのではなく きわめて重大かつ悪質な行為のみを禁止すれば足りると考える そのために 本稿は 客観的要件 主観的要件および刑事訴追という各視点から 刑法によって禁止すべき専断的治療行為の範囲を画定していくことを提案する 結語本稿の検討によって得られた成果は 以下のとおりである 第 1に わが国の先行研究を分析し 治療行為論の基本的枠組みを規定するためには 法益論的アプローチによる検討が必要であることを明らかにした これまでの議論には 専断的治療行為によって 患者のいかなる 利益 が侵害されるのか という視点が著しく不足していた そこで 本稿は 傷害罪の保護法益論に着目し これを分析することで治療行為の刑法的評価を規定するという分析視角を打ち出した 第 2に 比較法的分析に基づき 諸外国における法益論的アプローチの到達点を明らかにした ドイツ スイス オーストリアといったドイツ語圏刑法学の国々は 患者の自己決定権と 身体 利益侵害の関係を検討することで この課題に取り組んできた この点 ドイツ刑法改正諸草案とオーストリア法は 専断的治療行為による利益侵害の内実が 患者の 身体 利益とは別次元に属する 患者の自己決定権 そのものであると解するが この立場は理論的にみて問題を含む これに対して ドイツとスイスの判例は 専断的治療行為は患者の 身体 利益侵害であるという立場を一貫して支持しており 本稿もこの立場が妥当であると考える したがって 治療行為をめぐる問題の核心は 傷害罪における 身体 利益の内容理解 およびこれに対する自己決定権の位置づけにある 第 3に 傷害罪における 身体 概念の内容と構造を明らかにすることで 本稿における 治療行為論 の基本的視座を呈示した 治療行為論の理論的基礎は 二元的構造を有する傷害罪の法益論によって規定される これによれば 専断的治療行為による患者の 利益 侵害の中核をなすのは 現実的 事実的基礎を有する基体としての 身体 利益である 治療行為は この利益を侵害することを根拠に 傷害罪の構成要件を充足する その帰結として 本稿は オーストリア刑法やドイツ刑法改正諸草案のような専断的治療行為 8

処罰規定をわが国に導入する必要はないとしつつ さらに 客観的要件 主観的要件および刑事訴追という各視点から 刑罰をもって禁止すべき断的治療行為の態様を限定することを提案した もっとも これらの問題の解決のためには 構成要件論と法益論のさらなる分析が必要となる さらに 被害者の承諾 の法理やリスク ( 危険 ) の引受けについてはもちろん 緊急避難論 不作為犯論 そして過失犯論からの検討も不可欠である いずれも今後の課題である 以上 9