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表1

Transcription:

フローベールとミシュレ 二つの革命をめぐって 木内 尭 はじめにフローベールはミシュレの著作の熱心な読者であった 同時代の作家に限定すれば ミシュレはユゴーの次に フローベールがその著作を最も熱心に読んだ作家であると言えるのではないか フローベールは 1861 年にミシュレ本人に宛てた書簡において コレージュ時代に ローマ史 (1831) をはじめとするミシュレの著作を ほとんど官能的な悦びを覚えながら貪り読んだこと そしてその後も 民衆 (1846) や フランス革命史 (1847-1853) などの著作を通じて ミシュレの作品に圧倒されつづけたことを 告白している 1) フローベールは時としてミシュレに対して批判的な意見も述べているが 2) この歴史家に対する敬服の念は生涯変わることはなかったと言っていいだろう しかし これまでのフローベール研究において ミシュレの存在はあまり重要視されてこなかった たしかに フローベールの サランボー (1862) がミシュレの ローマ史 に想を得た作品であることは 文学史の定説である 3) それに加えて 近年の研究では サランボー とミシュレの 司祭 女性 家族 (1845) の関連も指摘されている 4) しかし サラ 1)Lettre à Jules Michelet du 26 janvier 1861 (Gustave Flaubert, Correspondance, édition présentée, établie et annotée par Jean Bruneau, et par Yvan Leclerc pour le dernier volume, Gallimard, «Bibliothèque de la Pléiade», 1973-2007, 5 vol., t. III, pp. 141-142). また 1867 年にミシュレ本人に宛てた書簡では 自分が最も繰り返し読んだフランスの作家はミシュレであると フローベールは述べている Lettre à Jules Michelet du 12 novembre 1867 (ibid., t. III, p. 701). 2) たとえば 愛 (1858) や 女性 (1859) といったミシュレの著作に対して フローベールは否定的な見解を述べている Lettre à Théophile Gautier du 27 janvier 1859 (ibid., t. III, pp. 10-11) ; lettre à Ernest Feydeau du 29 novembre 1859 (ibid., t. III, p. 59). 3)Voir Albert Thibaudet, Gustave Flaubert, Gallimard, 1935, p. 145. 4)Voir Agnès Bouvier, «Jéhovah égale Moloch : une lecture antireligieuse de

284 ンボー 以外のフローベールの作品に関して ミシュレの影響やミシュレの作品との間テクスト性といった問題が論じられることは これまでほとんどなかった 本論文では フローベールの 感情教育 (1869) とミシュレの フランス革命史 の二作品を取り上げることによって この二人の作家の関係に新たな光を当てることを目指したい この二つの作品は 革命という歴史的な事件を題材にしているという点において共通していると ひとまずは言うことができる ミシュレが フランス革命史 において 1789 年に始まるフランス革命を描いているのに対し フローベールは 感情教育 において 1848 年の二月革命を描いている もっとも どちらの作品も革命という歴史的な事件を題材にしているとは言っても その描き方は大きく異なる たとえば この二つの作品における民衆の描き方は 正反対のものである ミシュレが フランス革命史 において 民衆を革命の先導者として理想化した形で描いているのに対し フローベールは 感情教育 の二月革命の場面において 民衆を無秩序で破壊的な烏合の衆として描いている 5) ミシュレは 感情教育 を読んだ後で この小説を酷評する文章を日記に書きつけているのだが 6) この二人の作家の民衆の描き方の違いを鑑みれば ミシュレがこの小説を気に入らなかったことは 何ら驚くに値しない しかし 二つの作品のあいだには共通する部分があることも また事実である 本論文では 両作品の共通項を浮き彫りにすることによって これまでの研究では見過ごされていた フローベールとミシュレの親近性を明らかにすることを試みたい 具体的にはまず フローベールの書簡集の読解を通じて この小説家がミシュレの フランス革命史 をどのように受容したのかを明らかにし その上で 感情教育 の執筆過程において フランス革命史 が果たした役割を検討することにしよう Salammbô», Romantisme, nº 136, 2007, pp. 109-120. 5) 感情教育 における民衆の表象については 以下の論考を参照 小倉孝誠 歴史と表象近代フランスの歴史小説を読む 新曜社 1997( 第六章 フロベールの 感情教育 と革命の詩学 ). 6)1869 年 11 月 20 日の日記 Jules Michelet, Journal, texte intégral, établi sur les manuscrits autographes et publié pour la première fois, avec une introduction, des notes et de nombreux documents inédits par Claude Digeon, Gallimard, tome IV, 1976, p. 182.

フローベールとミシュレ 285 1. フローベールとフランス革命史フローベールが 感情教育 の執筆にあたって 二月革命に関する著作を大量に読み漁ったことは よく知られている 7) しかし フローベールがこの小説の執筆中に フランス革命に関する著作にも関心を寄せていたことは これまであまり注目されてこなかった フローベールは 感情教育 の執筆中に 少なくとも三つのフランス革命史を読んでいる その三つのフランス革命史とは フィリップ ビュシェとピエール ルーによる フランス革命議会史 (1834-1838) 8) ルイ ブランの フランス革命史 (1847-1862) 9) そしてミシュレの フランス革命史 である 10) ミシュレの フランス革命史 を読んだのは もちろんこれが初めてではない 1869 年にミシュレに宛てた書簡において フランス革命史 を読み返すのはこれが六度目か七度目であると フローベールは述べている 11) 二月革命を題材とする小説の執筆中に フローベールがフランス革命史に関心を寄せたのは なぜだろうか これには主に二つの理由が考えられる 一つ目の理由は 二月革命の前夜にフランス革命に関する著作が相次いで出版されたということだ ミシュレとルイ ブランのフランス革命史の刊行が開始されたのは どちらも 1847 年 2 月のことである 同じ年にはさらに ラマルチーヌの ジロンド派の歴史 (1847) とアルフォンス エスキロスの 山岳派の歴史 (1847) も出版されている フランス革命史の相次ぐ出版は二月革命の前触れであったと考えることができる ちなみに 感情教育 の第 2 部第 2 章のダンブルーズ家の夜会の場面において フランス革命に関する著作の相次ぐ出版に保守主義者が憤る様子が描かれてい 7)Voir Alberto Cento, Il Realismo documentario nell «Éducation sentimentale», Napoli, Liguori, 1967. 8)Voir lettre à George Sand du 31 octobre 1868 (Correspondance, t. III, p. 820) ; lettre à Jules Michelet du 2 février 1869 (ibid., t. IV, p. 14). 9) ルイ ブランの フランス革命史 については 革命の起源と原因 を論じた第 1 巻についての読書ノートが残されている ( 整理番号 Ms g 226 7 f o 239- f o 240v o ) この読書ノートは以下のウェブサイトで閲覧することができる Édition électronique des dossiers de Bouvard et Pécuchet (URL : http://www.dossiers-flaubert. fr). 10) フローベールは 感情教育 執筆中の書簡において 以上三つの著作の他にも エルネスト アメルの ロベスピエール伝 (1865-1867) など フランス革命に関する複数の著作に言及している Lettre à George Sand du 19 septembre 1868 (Correspondance, t. III, pp. 804-805) ; lettre à George Sand du 2 février 1869 (ibid., t. IV, p. 16). 11)Lettre à Jules Michelet du 2 février 1869 (ibid., t. IV, p. 14).

286 るが 12) この場面はミシュレとルイ ブランのフランス革命史への暗示的 な言及である 二つ目の理由は 社会主義者がフランス革命史をしばしば執筆していたということだ フローベールが 感情教育 の執筆にあたって 社会主義に関する文献を渉猟したことは すでに知られている通りである 13) この小説の執筆中に フィリップ ビュシェやルイ ブランなどの社会主義者が記したフランス革命史を読んだのは 社会主義に関する文献調査の一環としてであったと言うことができる 先に挙げた三つのフランス革命史のうち フローベールが肯定的な評価を与えているのは ミシュレの著作のみである それでは この小説家はミシュレの革命史を読んで 具体的にはどのような部分に関心を抱いたのだろうか まず注目すべきは フローベールが 感情教育 執筆中の書簡において 正義 と 恩寵 という二つの概念を繰り返し用いていることだ 14) 複数の研究者がすでに指摘しているように この二つの概念はミシュレの革命史から借用したものである 15) ミシュレは革命史の序論において フランス革命を 恩寵 に対する 正義 の戦いと定義している 16) しかし フローベールがミシュレの革命史を読んで関心を持ったのは この二つの概念だけではない フローベールが書簡においてミシュレの革命史に直接言及している箇所はけっして多くはないのだが 17) その数少ない言及箇所において 二度に 12)Gustave Flaubert, L Éducation sentimentale, édition présentée et annotée par Pierre- Marc de Biasi, Librairie Générale Française, «Le Livre de Poche classique», 2002, p. 258. 13) この点については 以下の論考を参照 小倉孝誠 革命と反動の図像学一八四八年 メディアと風景 白水社 2014 年 ( 第九章 知の生成と変貌 感情教育 のなかの社会主義 ). 14)Lettre à George Sand du 8 octobre 1867 (Correspondance, t. III, p. 693) ; lettre à George Sand du 31 octobre 1868 (ibid., t. III, p. 820). 15)Voir Gisèle Séginger, Flaubert. Une poétique de l histoire, Strasbourg, Presses Universitaires de Strasbourg, 2000, p. 65. また フローベールは 感情教育 執筆中の書簡において 同時代の政治的状況を論じる際 ルソーとヴォルテールの二人を繰り返し対置しているが この二人の対置もミシュレの フランス革命史 から借用したものであると言えるかもしれない Voir Ibid., p. 122. 16)Jules Michelet, Histoire de la Révolution française, édition établie et annotée par Gérard Walter, Gallimard, «Bibliothèque de la Pléiade», 1952, 2 vol., t. I, p. 76. 17) フローベールの書簡集におけるミシュレの革命史への直接的な言及は五箇所のみ (Correspondance, t. II, p. 428 et p. 430 ; t. III, p. 141 et p. 728 ; t. IV, pp. 13-14)

フローベールとミシュレ 287 わたって この歴史家によるロベスピエール批判に触れていることは 注目に値する フィリップ ビュシェやルイ ブランはロベスピエールを社会主義の先駆者として理想化して描いているが 18) ミシュレは彼らとは反対に この革命家を徹底して批判的な筆致で描いている 興味深いのは フローベールがミシュレによるロベスピエール批判を話題にするとき きまって社会主義の問題にも言及していることだ 問題の書簡を詳しく見てみよう まず 1853 年にルイーズ コレに宛てた書簡では ロベスピエール自身が ひとつの政府 であったというミシュレの分析に賛同を示した上で 共和派の政府狂 の連中がこの革命家を好きなのはまさにその理由によると述べている 19) 共和派の政府狂 の連中とは 主に同時代の社会主義者のことであると考えていいだろう また 1869 年にミシュレ本人に宛てた書簡では 自分も ジャコバンの坊主どもとロベスピエールとその息子たち が大嫌いであると述べている 20) ロベスピエールの息子たちとは 感情教育 の執筆にあたってその著作を大量に読み漁った社会主義者たちのことに他ならない この二通の書簡は フローベールがミシュレによるロベスピエール批判を社会主義という自らの関心に引きつけながら読んでいたことを示している 21) 2. ミシュレ フランス革命史 からフローベール 感情教育 へそれでは 感情教育 の執筆中にミシュレの革命史を読んだことは この小説の執筆に具体的にはどのような影響を及ぼしているのだろうか 感情教育 の執筆過程においてミシュレの革命史が果たした役割を明らかにするために この小説のある二つの場面に注目したい その一つ目は 18)Voir François Furet, «La Révolution sans la Terreur? Le débat des historiens du XIX e siècle», dans La Révolution en débat, Gallimard, «folio histoire», 1999, p. 39. 19)Lettre à Louise Colet du 7 septembre 1853 (Correspondance, t. II, p. 428). 20)Lettre à Jules Michelet du 2 février 1869 (ibid., t. IV, p. 13). 21) もっとも フローベールは 感情教育 執筆中の書簡や社会主義についての読書ノートにおいて 社会主義者の反革命的な傾向も強調している しかし この場合 フローベールが問題にしているのは 1789 年を起源とする自由主義の系譜であって 1793 年を起源とするジャコバン主義の系譜とは切り離して考えるべきである 1789 年と 1793 年という二つの革命の区別については フランソワ フュレの論考を参照 François Furet, La Gauche et la Révolution française au XIX e siècle. Edgar Quinet et la question du jacobinisme. 1865-1870 [1986], Hachette littéraire, «Pluriel», 2001.

288 1848 年の 知性クラブ の場面だ [ ] 当時は誰もがあるモデルを手本にしていて ある者はサン ジュスト ある者はダントン またある者はマラを それぞれ真似していたので セネカルはブランキに似ようと努めていた このブランキ自身 ロベスピエールを模倣していたのであるが 22) 感情教育 第 3 部第 1 章のこの一節において フローベールは 1848 年の革命家たちがフランス革命の革命家たちをモデルにしていたことを 示唆している このような歴史観が マルクスやトクヴィルをはじめとする同時代の思想家たちの歴史観ときわめて似通ったものであることは これまでの研究においても指摘されてきた通りである 23) しかし ミシュレも似たような歴史観を提示していることは これまでの研究では見過ごされていた 1868 年に フランス革命史 に新たに追加した序文において ミシュレは 1848 年前後の状況について次のように書いている 人々はあの陰鬱な亡霊たちに自らを同一視しようとしていた ある者は ミラボー ヴェルニョー ダントン またある者は ロベスピエールであった 24) 感情教育 と フランス革命史 どちらのテクストにおいても ある者 という不定代名詞が使用されている点が 目を引く まるで ミシュレの序文を下敷きにして フローベールは 知性クラブ の場面を書いたかのようである しかし 現実には そのような可能性はきわめて低いと言わざるを得ない フローベールは 感情教育 の第 3 部第 1 章を 新たな序文を付された フランス革命史 が刊行されよりも前に 書き終えているからだ フローベールがこの章を書き終えたのは 1868 年 10 月 25) フランス革命史 の新版が刊行されたのは 1868 年 11 月である 26) ここでは 22)L Éducation sentimentale, p. 450. 23) この点については 以下の論考を参照 小倉孝誠 革命と反動の図像学一八四八年 メディアと風景 ( 第八章 二月革命と作家たち ). 24)Histoire de la Révolution française, t. I, p. 10. 25)Voir lettre à George Sand du 17 octobre 1868 (Correspondance, t. III, p. 811). 26)Voir Paul Viallaneix, Michelet, les travaux et les jours. 1798-1874, Gallimard,

フローベールとミシュレ 289 二人の作家が同じ時期に同じような歴史観を提示しているという事実を 確認するだけに留めておこう 感情教育 の中には ロベスピエールの名前がセネカルと結びつけられる形で引用される場面が もうひとつある セネカルが 主人公フレデリックとの会話の中で ロベスピエールを自ら引き合いに出す場面だ [ ] セネカルは 権威 に賛成すると述べた [ ] 共和主義者は大衆の無能ぶりを激しく非難しさえした ロベスピエールは 少数の権利を主張して ルイ 16 世を国民公会へと連れ出し 民衆を救った 目的が事態を正当化する 独裁も時には必要だ 暴君が善を為すのであれば 圧政も万歳だ! 27) 感情教育 第 3 部第 4 章のこの一節において フローベールは 社会主義者のセネカルがその権威主義的な志向を露わにする瞬間を描いている 1851 年の 12 月 2 日のクーデターの後 官憲となったセネカルは かつての仲間であるデュサルディエを殺害するのだが この一節はそのような展開を予告している セネカルのセリフの後半部分 つまり 独裁も時には必要だ 暴君が善を為すのであれば 圧政も万歳だ! という箇所は 感情教育 の中でも最も頻繁に引用される文章のひとつである しかし セネカルのセリフの前半部分 つまりロベスピエールを引き合いに出している箇所に関しては これが具体的にどのような歴史的な事実を指すものであるのか これまでの研究では十分に論じられてこなかった セネカルがここで想起しているのは ロベスピエールが 1792 年 12 月 28 日に国民公会で行った演説である まずは この演説の歴史的な背景を 簡単に振り返っておこう 第一共和制の樹立後 ルイ 16 世の処遇をめぐって いわゆる国王裁判が国民公会において開始される ロベスピエールをはじめとする山岳派の議員は 国王の処刑を断固として主張していた それに対し ジロンド派の議員は 国王の処刑を回避するために 国民投票の実施を提案する 山岳派は 国民投票を実施すれば国王の処刑が困難に «Bibliothèque des Histoires», 1998, p. 505. 27)L Éducation sentimentale, p. 552.

290 なると考え ジロンド派の提案に反対をするのだが 国民投票を実施しようという提案を退けるのは 容易なことではない なぜなら そのようなことをすれば 民主主義の原則に背くことにもなりかねないからだ ロベスピエールは 少数派の権利 というものを主張することによって この難局を切り抜けようとする それが 1792 年 12 月 28 日の演説である 少数派は至るところにおいて永遠の権利を有している 真実の声を あるいは彼らが真実であると考えるものの声を 述べるという権利である 徳は地上において常に少数派にあった 少数派がいなければ 地上は暴君と奴隷で溢れているのではないか? ハムデンとシドニーは少数派だった 断頭台の露と消えたのだから [ ] 必要とあらば シドニーやハムデンのような仕方で自由のために尽くす人がここに多くいることを 私は知っている たとえ五十人しかいないとしても 彼らの存在を思うだけで 多数派を惑わせようとするあの卑怯な策士たちは皆震え上がるに違いない 28) ロベスピエールはこの演説において ルソーが 社会契約論 (1762) で展開した 一般意志 をめぐる議論に依拠している 29) ルソーによれば 一般意志 は必ずしも 人民の決議 に一致しない 一般意志 は常に正しく公益を目指すのに対し 人民の決議 は常に同じように公正であるわけではないからだ ルソーはさらに 人民は幸福を望みながらも 何が幸福であるかを必ずしも理解しているわけではない 人民が腐敗することはありえないが 欺かれることはあるとも 述べている 30) ロベスピエー 28)Discours de Maximilien Robespierre à la Convention nationale du 28 décembre 1792 (Œuvres de Maximilien Robespierre, Presses Universitaires de France, t. IX, 1958, pp. 198-199). 29) この点については 以下の論考を参照 遅塚忠躬 フランス革命における国王処刑の意味 フランス革命とヨーロッパ近代 同文舘出版 1996 年 pp. 71-156. 30)Jean-Jacques Rousseau, Du Contrat social, dans Œuvres complètes, édition publiée sous la direction de Bernard Gagnebin et Marcel Raymond, Gallimard, «Bibliothèque de la Pléiade», t. III, 1985, p. 371. 感情教育 において 社会契約論 はセネカルが熟読した書物のひとつとして取り上げられている (L Éducation sentimentale, p. 224) また フローベールは 感情教育 の執筆中に 社会契約論 の詳細な読書ノートを作成している この読書ノートはルーアン大学のフローベー

フローベールとミシュレ 291 ルは 少数派の権利 すなわち 一般意志 の名の下に 国民投票 すなわち 人民の決議 に反対をしており ルソーの論理を忠実になぞっていると言うことができる フローベールはセネカルのセリフを書くにあたって ミシュレの革命史の一節を参照している ミシュレは革命史において 国民投票をめぐる山岳派とジロンド派の論争を取り上げた後に 山岳派の主張が孕む危険について 次のような批判を行なっている 山岳派は少数派の権利を公然と主張した 彼らは民衆を救うと主張したのであるが それはその主権を尊重することなしにであった 誠実であり 愛国的であり 英雄的でありながら 彼らはしかしながら このようにして危険な道へと踏み込んだのだ 多数派が何の意味も持たず 最良の人々 が どのような人数であろうとも 優位に立つべきであるとするならば この 最良の人々 は ごくわずかな人数にも成り得る ヴェネツィアの十人委員会のように十人 法王や国王のようにたった一人にさえも 山岳派が国王を倒したのは 王政が依拠する原理に自ら依拠することによってでしかなかった その原理とは 権威の原理であり 国王を復活させることになっていたかもしれない原理である 彼らはこの原理から断頭台を導き出した そこから玉座を導き出すこともできた 31) フローベールがセネカルのセリフを書くにあたって参照したのは この一節である そのことを明らかにするために 感情教育 の草稿をつづいて引用しよう 山岳派は 92 年 12 月 民衆に判断を委ねれば万事休すであることを理解していた 少数派の権利 ( 徳は地上において常に少数派である ) を主張し ルイ 16 世を国民公会によって裁かせたのは ロベスピエールである 山岳派は民衆の主権を尊重することなしに 民衆を救った ル センターのウェブサイトで閲覧することができる (URL : http://flaubert.univrouen.fr/manuscrits/rousseau.php) 31)Histoire de la Révolution française, t. II, p. 166.

292 最良の人々が優位に立たなければならない どれだけ少人数であろうとも 何よりもまず目的だ! ともかく圧政に従わなければならないだろう 我々は専制政治へと向かっている 臨時政府の後には 執行委員会 その後には行政長官 12 月 10 日の大統領職と つづいているのだから 32) フローベールはこの草稿において ミシュレの革命史で用いられている文章を二つ ほとんどそのまま書き写している 山岳派は民衆の主権を尊重することなしに 民衆を救った という一文と 最良の人々が優位に立たなければならない どれだけ少人数であろうとも という一文である この二つの文章は決定稿では削除されているが フローベールがミシュレの革命史を参照しながらセネカルのセリフを執筆したことを 明確に証拠立てている 興味深いのは 感情教育 の中でセネカルがロベスピエールの演説に言及する時期と ミシュレが国王裁判の章を執筆 刊行した時期が 重なり合っていることだ 小説の中でセネカルがロベスピエールの演説に言及するのは 1851 年 1 月中旬のことである 33) それに対して ミシュレが国王裁判の章を執筆したのは 1850 年 3 月から 7 月にかけて そしてこの章を含む フランス革命史 の第 5 巻が出版されたのは 1851 年 3 月のことだ 34) このような年代の一致は けっして偶然ではないだろう しかし 偶然でないとしたら このことはいったい何を意味しているのだろうか この問いに答えるために 最後に 二つの革命 というテーマに焦点を当てなが 32)Manuscrit de L Éducation sentimentale, Bibliothèque nationale de France, Département des Manuscrits, NAF 17609, f o 8. 行政長官 とは六月暴動後に権力を掌握したカヴェニャック将軍 12 月 10 日の大統領職 とは 1848 年の 12 月 10 日に第二共和政の大統領に選ばれたルイ ナポレオンを指す なお 感情教育 の草稿について 詳しくは以下の研究を参照 Kazuhiro Matsuzawa, Introduction à l étude critique et génétique des manuscrits de «L Éducation sentimentale» de Gustave Flaubert. L amour, l argent, la parole, Tokyo, France Tosho, 1992, 2 vol. 33)Voir L Éducation sentimentale, p. 551. 34)Voir Paul Viallaneix, op. cit., pp. 353-355 et p. 364. ただし 国王裁判に関する章は この第 5 巻の出版に先行する形で 1850 年後半にすでに刊行されている (1850 年度の フランス書誌 に記載あり ) つまり セネカルがミシュレの フランス革命史 の国王裁判の章を読んだ上で ロベスピエールの演説に言及していると考えることも けっして不可能ではない

フローベールとミシュレ 293 ら 二つのテクストの比較を試みたい 3. 二つの革命をめぐってミシュレは先に引用した革命史の一節において 山岳派が国王裁判の際に主張した 少数派の権利 について 議論を展開している この歴史家によれば 少数派の権利 を主張し 民衆の主権を否定することは たとえそれが民衆を救うためであったとしても 許されるべきではない なぜなら 少数派の権利 を認めることは 専制政治を正当化することにつながるからだ フランソワ フュレは ミシュレが革命史において 少数の支配者集団が民衆の名の下に民主的権力を奪い取ることが孕む危険 について きわめて現代的なヴィジョン を打ち出していると指摘しているが 35) 少数派の権利 をめぐるミシュレの議論のうちに まさにそのような現代的なヴィジョンを見出すことができる もっとも ミシュレが 少数派の権利 を批判的に分析するのは これが初めてではない 二月革命前夜のコレージュ ド フランスの講義録においても 少数派の権利 に対する批判を展開している 36) この講義録では ルソーが民衆の権利を十分に基礎づけなかったため また大革命も彼の理論にほとんど何も付け加えなかったため その結果として 少数派の政府 が蘇ってしまったのだと述べている 37) しかしこの時点ではまだ 少数派の権利 は専制政治の正当化につながるという視点は提示されていない ミシュレが国王裁判の章を執筆したのは すでに触れたように 1850 年の 3 月から 7 月にかけてのことである ファルー法の制定や選挙資格の制 35) François Furet, «Michelet», in Dictionnaire critique de la Révolution française [1988], sous la direction de François Furet et Mona Ozouf, Flammarion, «Champs», t. V, 2017, p. 204. 36)1848 年 2 月 3 日の講義録 当時 ミシュレには講義の中止命令が出されており 1848 年 2 月 3 日の講義も実際に行われることはなく 講義録のみが印刷 配布された 37)Jules Michelet, Cours au Collège de France, publiés par Paul Viallaneix avec la collaboration d Oscar A. Haac et d Irène Tieder, Gallimard, «Bibliothèque des Histoires», t. II, 1995, pp. 354-355. ミシュレによるルソー批判については 以下の論考を参照 Raymond Trousson, «Michelet lecteur de Rousseau», dans Défenseurs et adversaires de J. J. Rousseau. D Isabelle de Charrière à Charles Maurras, Honoré Champion, «Les Dix-huitièmes siècles», 1995, pp. 149-165.

294 限 さらには検閲の強化など 反動的な施策が次々と採用された時期だ また この時期 大統領のルイ ナポレオンは更なる権力の拡大を虎視眈々と狙っていた ミシュレが国王裁判の章において 少数派の権利 は専制政治の正当化につながるという 以前よりも一歩踏み込んだ視点を打ち出しているのは 同時代の反動的な政治状況とルイ ナポレオンの台頭を前にして 共和制の存続に危機感を抱いたためではないだろうか ミシュレの革命史に執筆当時の政治的状況が反映されていることは これまでにもしばしば指摘されてきた 38) 少数派の権利 をめぐる議論に関しても 執筆当時の政治的状況の反映を見て取ることができるのではないか 少数派の権利 をめぐるミシュレの議論に ルイ ナポレオンの存在が影を落としていることは クーデターの一ヶ月後に弟子のウジェーヌ ノエルに宛てた書簡において この問題を再び取り上げているという事実からも 裏付けられる ミシュレはこの書簡において 少数派の権利は 歴史の最大の謎 であり また現在の自分の最大の関心事であると述べた上で この少数派の権利により 圧政に回帰する可能性もある と論じている 39) ミシュレがここで クーデターにより独裁体制を事実上確立したルイ ナポレオンのことを考えているのは 間違いないだろう フローベールは 感情教育 において 少数派の権利 についてのミシュレの議論を まったく新しい歴史的文脈に置き換えているように見える つまり セネカルにロベスピエールの演説を引き合いに出させることによって 第一共和政初期の国王裁判に関連してミシュレが展開した議論を 第二共和政末期というまったく異なる歴史的文脈に置き換えていると 言うことができるわけだ しかし実のところ このように歴史的文脈を入れ替えることによって フローベールはミシュレの議論をそれが書かれた時期に置き直しているに過ぎない フローベールは ミシュレの革命史の国王裁判の章が第二共和政後半の反動的な政治状況の中で執筆されたこと 38)Voir Paule Petitier, «Lectures de la Révolution française», in Le XIX e siècle : science, politique et tradition, sous la direction d Isabelle Poutrin, Berger-Levrault, 1995, p. 251 ; Sayaka Sakamoto, «La représentation de Charlotte Corday dans l Histoire de la Révolution française de Jules Michelet», Études de langue et littérature françaises, nº 98, 2011, p. 34. 39)Lettre à Eugène Noël du 6 janvier 1852 (Jules Michelet, Correspondance générale, textes réunis, classés et annotés par Louis Le Guillou, Honoré Champion, «Textes de littérature moderne et contemporaine», t. VII, 1997, p. 20).

フローベールとミシュレ 295 そして執筆当時の政治的状況がその記述に影を落としていることを的確に把握した上で 感情教育 において同じ時期の政治的状況を描くのに このテクストを利用したのではないだろうか そうすることで この歴史家に対して 目配せを送っていたと言うことはできないだろうか 少なくとも フローベールとミシュレの二人ともが 第一共和政と第二共和政という二つの異なる時代のあいだに アナロジーを見て取っていることは 間違いない 第一共和政がジャコバン派の独裁に行き着いたのと同じように 第二共和政もルイ ナポレオンの独裁へと突き進んでゆく いずれの場合にも 王制の崩壊後に生まれた共和制が 独裁制に帰着する フローベールは セネカルにロベスピエールの演説を引用させることによって 第二共和政の歴史が第一共和政の歴史の反復であることを示唆している ミシュレは 第一共和政の歴史の記述に第二共和政の政治的状況を反映させているが それは歴史が繰り返すことに対して危機感を抱いていたために他ならない この二人の作家と同じように マルクスも ルイ ボナパルトのブリュメール 18 日 ( 1852) において 第一共和政と第二共和政のあいだにアナロジーを見て取っている しかし マルクスがルイ ナポレオンのクーデターはナポレオン一世のクーデターの焼き直しであると考えているのに対し フローベールとミシュレはナポレオン三世の登場をむしろ恐怖政治の再来と捉えていること また マルクスが第一共和政と第二共和政のあいだにアナロジーを見て取ることによって両者の断絶を強調しているのに対し フローベールとミシュレはどちらかと言えば二つの時代の連続性に着目しているということに 注意しておきたい このような共通点を確認した上で フローベールのテクストにあってミシュレのテクストにはないものは何かと問うならば それは社会主義の問題ということになるだろう フローベールの独創は 少数派の権利 に関するミシュレの議論を社会主義の問題へと接続したこと 少数派の権利 は専制政治の正当化につながるというミシュレの警告を社会主義者に対して差し向けたことにある アメリカの批評家エドマンド ウィルソンは フローベールの政治学 と題する論文において マルクスには見えていなかった社会主義の危険 すなわち社会主義的イデオロギーが持つ独裁主義的な傾向を フローベールは看取していたと指摘している 40) この卓抜な指摘に付け加えなければならないことがあるとしたら それはフローベー

296 ルが社会主義の危険を察知することができたのは 単に社会主義者の著作を読むことによってだけではなく ミシュレの革命史を読むことを通してであったということ また社会主義の危険を小説において描くことができたのは 少数派の権利 をめぐるミシュレの議論を受け継ぐことによってであったということだ おわりに本論文では フローベールが 感情教育 の執筆中にミシュレの フランス革命史 を読み そして社会主義者セネカルがその権威主義的な志向を露わにする場面を描くにあたって この歴史家による 少数派の権利 をめぐる議論を参照していたことを 明らかにした フローベールもミシュレと同じように 第一共和政と第二共和政という二つの異なる時代を 重ね合わせるようにして描いている しかし 少数派の権利 に関するミシュレの議論を社会主義の問題へと接続したのは フローベールの独創である フローベールは ミシュレによるロベスピエール批判を社会主義という自らの関心に引きつけながら読んでいたわけだが この歴史家による 少数派の権利 をめぐる議論を参照する際にも ロベスピエールから社会主義へと批判の対象をずらしているのである それでは 以上の考察から フローベールとミシュレという二人の作家の関係に関して どのような新しい視点を提示することができるだろうか 一般には この二人の作家の政治観は まったく相容れないものであると考えられている たしかに ミシュレが民主主義への信念をけっして失わなかったのに対し フローベールは民主主義に対して一貫して懐疑的な態度を取りつづけた しかし この二人の作家は 専制政治に対して徹底して批判的であるという点で 実は共通している フローベールは 1857 年にある知人に宛てた書簡において 自分は 熱烈な自由主義者 であり あらゆる専制政治を嫌悪すると述べている 41) フローベールがミシュレと 40)Edmund Wilson, «The Politics of Flaubert», The Triple thinkers [1938], New York, Oxford University Press, 1963, pp. 82-83. 41)Lettre à Mademoiselle Leroyer de Chantepie du 30 mars 1857 (Correspondance, t. II, p. 698). フローベールの 自由主義 については 以下の論考を参照 Françoise Mélonio, «Flaubert, libéral enragé?», in Savoirs en récit I. Flaubert : la politique, l art, l histoire, textes réunis et présentés par Anne Herschberg Pierrot, Presses Universitaires de Vincennes, «Manuscrits Modernes», 2010, pp. 15-33.

フローベールとミシュレ 297 共有しているのは このような自由主義の精神である フローベールが ミシュレによるロベスピエール批判を社会主義批判という形で受け継いで いるのは まさにこの熱烈な自由主義ゆえにであったと言えるだろう 日本学術振興会特別研究員PD Manuscrit de L Éducation sentimentale, NAF 17609, fo8 (détail)