第 6 回 1990 年代以降の日本経済と IT( 情報化 ) 投資 1 1990 年代以降の日本経済と IT 投資 (1)1990 年代の日本経済の低迷から回復へ GDPへの各項目寄与率推移 0.07 0.06 0.05 0.04 0.03 0.02 0.01 0.00 1980 年 -0.01 1985 年 1990 年 1995 年 2000 年 2005 年 -0.02-0.03 GDP 成長率民間企業設備寄与度公的固定資本形成寄与度 民間最終消費支出寄与度政府最終消費支出寄与度純輸出寄与度 日本は 80 年代には情報化ではアメリカに迫る勢いを見せながら 90 年代始めのバブル経済崩壊以降 設備投資は急激に減少し 情報化投資も激減した 91 年 2 月平成景気のバブル崩壊以降景気後退を続け 公共投資の増加などによって 95 年春からは緩やかな回復を見せたが バブル崩壊の後処理に追われ 民間設備投資が長期低迷し 情報化の分野でも致命的な出遅れを生み出した 経済審議会はこの 10 年間の時期を 失われた 10 年 ( 経済審議会 1998) と表現している そして 1990 年代末より企業が生産性を向上させ国際競争力を強化するために IT 革命 が叫ばれるようになり 2000 年の IT バブルとその崩壊 ( 第 7 回 ) をはさみながらも 2000 年代に入ると企業の IT 投資も伸びていくようになり 経済も持続的に成長しているように見える 27
(2) バブル崩壊と中小企業設備投資は需要項目として現在の景気動向に影響を与えるだけでなく その蓄積が将来中長期的にサプライサイドに影響する 設備投資は不況対策のための公共事業の増加もあって 95~96 年にかけては増加基調だったが 97 年以降 税制改革や金融破綻などにより失速 中小企業の不振などによって減速した 特にバブル経済とその崩壊によって 中小企業での債務負担が増加し 設備投資にマイナス影響を与えた これは景気回復の過程において大企業と中小企業の格差拡大につながるものであった (3)IT 投資と労働代替効果また 1990 年代末より企業が生産性を向上させ国際競争力を強化するために IT 革命 が叫ばれるようになり 2000 年代に入ると企業の IT 投資も伸びていくようになった 一方 IT 投資は労働代替効果に象徴されるリストラや格差拡大などの負の側面が進んでいるのも事実である (IT 情報化によって生じる格差の具体的な問題は第 11 回以降で ) % 日本とアメリカの失業率の推移 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 0 1970 年 1975 年 1980 年 1985 年 1990 年 1995 年 2000 年 2005 年 日本アメリカ 出所総務省 労働力調査 U.S. Department of Labor Bureau of Labor Statistics 28
2 日本の情報通信政策と日本経済 (1) ニューメディア ブームとその終焉 (1980 年代 ) アメリカの 情報スーパーハイウェイ構想 は 日本の動きに刺激されたものでもあった ( 第 4 回 ) 日本の情報通信政策の転機となったのは日本経済が好調であった 1980 年代である 1985 年に 電気通信事業法 が改正され NTT が民営化される そして この分野で新たな企業が参入することが可能になると同時に ( 第 1 種通信事業者 ) 電気通信回線を用いて 異なるコンピュータ間を接続させて通信を成立させ 各種のサービスを行う VAN(Value Added Network= 付加価値通信網 ) 業者も登場してきた ( 第 2 種通信事業者 ) それと前後し 1984 年にNTTによるINS 1 が開始され ニューメディア として当時のマスコミにももてはやされた 新しいメディアとして 双方向性 が強調され キャプテン 2 やCATVなどのサービスがこの時期に始まり テレビ会議や双方向医療システムなども試験的に導入された しかしながら 当時は回線のスピードが遅く使い勝手も悪かったり 法令が整備されてなかったり そもそも必要な情報が少なかったりなどの理由でほとんど普及しないままニューメディア ブームは終焉し 情報通信のインフラだけが残ったと言われている 実現するかマルチメディア社会 (NHK クローズアップ現代 1994.5.15) 1 INS(Information Network System: 高度情報通信システム )NTT が ISDN 回線を使って三鷹 武蔵野両市で実験的に導入したサービス テレビ会議や双方向医療システムの他 通信網を使った各種の行政サービスも試された 2 キャプテン システム (Character And Pattern Telephone Access Information Network System: 文字図形情報ネットワークシステムの略称 ) ニューメディア のころに始まった 電話回線を通じて家庭やオフィスのテレビ画面にセンターのコンピュータに蓄積された文字や図形の情報を利用者のリクエストに応じて映し出す双方向通信機能をもった情報ネットワークシステム NTT が INS の実験で始めた他 ローカル キャプテン を始めた自治体も多いが いずれも使い勝手が悪かったり ユーザに必要な情報が不足したりで 普及せず インターネットの普及とともに消滅していった 29
(2) マルチメディア構想と地域情報化 (1990 年代 ) 1990 年代になるとパソコンと Windows の普及による画像処理技術の進歩と インターネットや WWW によって マルチメディア という言葉が流行した アメリカの 情報スーパーハイウェイ構想 にも触発され 全国の自治体で ハイウェイ構想 や マルチメディア構想 が掲げられ 特に 90 年代半ばから拡大した公共投資がこれに拍車をかけた 1995 年は自治体にとっての マルチメディア元年 といわれ 表 3-1に見られるように各自治体がこのマルチメディアによる まちおこし を進めようと取り組み マルチメディアが地方からの情報発信や新しい地域活性化政策として位置づけられていた 3 国家戦略としても NTTのB-ISDN 構想は郵政省 ( 当時 現総務省 ) によって FTTH(Fiber To The Home) 構想 4 へと発展した ここでは光ファイバー敷設による市場効果だけでなく それに関連したマルチメディア産業の市場創出については試算している 光ファイバー ケーブルを用いた情報基盤整備によってマルチメディア市場は 1990 年の 16 兆円から 2010 年には光ファイバー網市場ともあわせて 123 兆円に拡大し 243 万人の雇用が創出されるとしてい 図マルチメディア市場規模の変化 ( 郵政省 1994 情報通信基盤プログラム による ) 3 具体的にはパソコン通信網に観光案内や県内世論調査の結果 物価指数などの経済指標などの情報を流したり 自治体への質問や意見を電子メールで受け取る あるいは NTT などと共同で県庁や商店街 中小企業などを光ファイバー ケーブルで結び 商店街の売り出し情報やビデオメール テレビ会議などの共同実験など また 神戸市や大分県 和歌山県のように インターネットを通じて市政 観光情報を流し 直接世界に向けて情報発信している例もあった 島根県でも 1994 年 9 月に県内の情報システムづくりを目指す しまね情報フロンティア 21C プラザ 情報ネットワーク整備 などの事業で 県内のどの地域からも平等に情報に接することのできるパソコン通信の整備 マルチメディアによる情報の交流拠点の機能強化などが掲げられていた 4 郵政省 ( 当時 現総務省 ) は諮問機関である電気通信審議会に 21 世紀に向けたあらたな情報通信基盤の整備の在り方について 諮問を行い 同審議会は 1994 年 5 月 30 日に 21 世紀の知的社会への改革に向けて - 情報通信基盤プログラム - という答申を行い 2010 年までに全家庭にまで光ファイバー ケーブルを張り巡らす計画を打ち出した 30
しかしながら 1990 年代に入ってからのバブル経済の崩壊は市場拡大 雇用創出を生み出すどころか 90 年代全般の日本経済の長期低迷に帰結した 80 年代 ~90 年代の情報化戦略は 地域に必要なサービスを定着させることなく 高次の中枢管理機能や 金融機能 国際機能を東京に一極集中させ サービスの経済化によるサービス産業の拡大や企業の研究開発部門の拡大がこれをさらに加速化させたと言えよう 特に 80 年末のバブル経済は一極集中の帰結であり 90 年代の日本経済の低迷は まさにそのツケを背負ってきたのであるが この点で情報化政策は見直されることはなかった (3)IT 革命と e-japan 戦略 ~ 光の道 構想(2000 年代 ) 日本経済の低迷が続いた 90 年代の後半から情報通信技術 (IT:Information Technology) とその投資 (IT 投資 ) の遅れが要因であると認識されるようになり IT 革命 という言葉が強調されるようになった そして 2001 年には政府によって 5 年以内に世界最先端の IT 国家となることを目指す とした e-japan 戦略 が発表され 超高速ネットワークインフラの整備の他 電子商取引の推進 電子政府の実現などの政策目標が掲げられた その結果 ブロードバンドを中心とした超高速ネットワークインフラの整備はこの数年間に急速に進み ブロードバンドの普及を中心とした超高速ネットワークインフラの整備 ( 第 1 回 ) を背景に 2003 年には IT の利活用を促進させる e-japan 戦略 II が発表された そしてブロードバンド ゼロ地域の解消や 携帯電話不感地帯の解消の早期実現を図る デジタル ディバイド解消戦略 を取りまとめてきた総務省は が 2009 年から グローバル時代における ICT 政策に関するタスクフォース をスタートさせ 2010 年 12 月に 光の道 構想に関する基本方針を決定した 光の道 構想は 2015 年ごろをめどに日本のすべての世帯における光ファイバーを中心とした超高速ブロードバンド利用の実現を目標とするものである 一方 ブロードバンド戦略などの情報化戦略は 民間活力 を中心に進められているため 採算性のない地域における情報インフラの格差や そこから生じる経済格差 地域格差が心配される 31