ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

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ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

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2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

あるそうです 彼についても聖書に記された名はこれのみです アンデレ そしてこの ピリポ ギリシャ語名が連続して記されたこの事実は イスラエルの民に繋がる異邦人に対する神のご計画が繰り返しによって強調されていると考えられます 神は決してイスラエルだけを選んでおられるわけではないのです 神のご計画はイス

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

バプテスマのヨハネが逮捕されました その詳細はこのマルコの福音書 6 章に記されていますが ここではイェシュアが福音を宣べ伝え始めるきっかけとなっているように記されています つまりヨハネが捕らえられることと イェシュアがガリラヤに行って福音を宣べ伝え始めることには何等かの結びつきがあるということです

創世記5 創世記2章4節b~25

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

マルコの福音書のヘブル的考察 黙れ 出て行け マルコの福音書 1:23~28 はじめに今日はイエス キリストの十字架の死からの復活を祝う イースター という祭りの日にあたり 世界中の教会でこれにちなんだ催しや取り組みがなされています ところで皆さんは イースター という名前の意味を御存知でしょうか

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

牧会の祈り


創世記5 創世記2章4節b~25

十字架に関するへブル的考察 キリスト教といえば 十字架 です 今回はこの十字架と またこれに関わった幾人かの人物に関するへブ ル的考察を試みてみました 1. 十字架 祭司長たちや役人たちはイエスを見ると 激しく叫んで 十字架につけろ 十字架につけろ と言った ピラトは彼らに言った あなたがたがこの人

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

ミドラーシュ(4月27日)

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

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2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

牧会の祈り

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

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1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

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このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

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2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

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あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

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07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

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2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

比喩:その他

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

ヘブル人への手紙1章

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

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このメッセージは ヨセフが兄たちを見ている目を通して キリストが私たちをご覧になって いる目を学ぼうとするものである Ⅰ. 第一のテスト 1. ヤコブの決断 (1) 激しい飢饉がやって来たので 10 人の息子たちをエジプトに送る (2) ベニヤミンは残す 1 わざわいが彼にふりかかるといけない 2

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

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に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

牧会の祈り

シリーズ キリストの再臨と終末の預言 -No.2( 改訂 ) キリストの空中再臨と教会の携挙 ( その二 ) 教会の 携挙 についての聖書的根拠 ベレーシート 前回は シリーズ キリストの再臨と終末の預言 の第一回目として キリストの空中再臨と教会の携挙 について学びました このことはとても重要な教

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

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Rev 11:19 それから 天にある 神の神殿が開かれた 神殿の中に 契約の箱が見えた また いなずま 声 雷鳴 地震が起こり 大きな雹が降った 1これは 鉢の裁きが始まる前の天の神殿の状況描写である 2 默 15:1 は それを引き継いでいる (2) 天にもう一つの巨大な驚くべきしるしを見た 1

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

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神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる者 それはイェシュアが父なる神から遣わされた神の御子であるということ またイェシュアはキリストすなわちメシアであるということです メシアとは 油注がれた者 という意味であり イスラエルの指導者である王 預言者 祭司としての働きを融合した存在です またメシアは ダビデの子 とも呼ばれ イスラエルを再び建て直し そこに王座を設け 地上の全ての国々 民族を永遠に治められる王であるという意味もあります ちなみにメシアの語源である 油を注ぐ という意味の動詞マーシャハ ש מ) (ח は本来 ヤコブ ( 後のイスラエル ) が生まれた地に帰るということを 指し示しています 新改訳改訂第 3 版 創世記 31:13 わたしはベテルの神 あなたはそこで 石の柱に油をそそぎ わたしに誓願を立てたのだ さあ 立って この土地を出て あなたの生まれた国に帰りなさい この御言葉から 油注がれた者 メシアとは イスラエルの民 ユダヤ人たちを再び 生まれた国 に帰らせること すなわち彼らの父祖であるアブラハムに神が与えると約束されたカナンの地 またダビデがそこに王国を建て上げたイスラエルの地に集めることが指し示されていると考えられます イェシュアがメシアとして再びこの地に来られる時 それが成就すると考えられます このように イェシュアがメシアであるとは 単なる名前や存在を表しているのではなく 神の御子イェシュアを通して 父なる神 御父 すなわちイスラエルの神である主がなそうとしておられるご計画が指し示されたものであり 聖書全体に記された全ての預言が成就することが指し示されていると考えられます これら神の約束 ご計画の実現を受け入れ 信じて待ち望む者が イエスがキリストであると信じる者 であり また 神によって生まれた者 のことであると考えられます そして 神によって生まれた者 は 生んでくださった方 すなわち神を愛し また同様に生まれた者をも愛することが述べられています 2. 重荷とならない 5:2 私たちが神を愛してその命令を守るなら そのことによって 私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります 5:3 神を愛するとは 神の命令を守ることです その命令は重荷とはなりません 1

以前取り扱った同じヨハネの手紙第一の 3:23 でこのように述べられていました 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネの手紙 3:23 神の命令とは 私たちが御子イエス キリストの御名を信じ キリストが命じられたとおりに 私たちが互いに愛し合うことです このように 神を愛するとは 神の命令を守ること であり また 神の命令とは 御子イエス キリストの御名を信じ 互いに愛し合うこと であると言えます そして その命令は重荷となりません と筆者ヨハネは述べています 一見信じること また愛し合うことは努力や忍耐など ある種の労苦が伴うと考えてしまいます しかしヨハネはそれを 重荷となりません と言っています なぜなら 神の命令 である 御子イエス キリストの御名を信じる こととは 先ほど述べた イエスはキリストであると信じる ことと同じ意味であり 神がご計画され 約束され そして御子イェシュアによって成し遂げられるものであり 言わば神が そしてイェシュアが負っておられる責任 重荷 であり 神を信じる者にとってそれは 重荷 ではなくむしろ良い知らせ 福音 であるからです また 神の命令 である キリストが命じられたとおりに 互いに愛し合うこと とは ヨハネの福音書 13 章に記された イェシュアが弟子たちに与えられた 新しい戒め のことであると考えられます 新改訳改訂第 3 版 ヨハネの福音書 13:33 子どもたちよ わたしはいましばらくの間 あなたがたといっしょにいます あなたがたはわたしを捜すでしょう そして わたしが行く所へは あなたがたは来ることができない とわたしがユダヤ人たちに言ったように 今はあなたがたにも言うのです 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう 互いに愛し合いなさい わたしがあなたがたを愛したように あなたがたも互いに愛し合いなさい 13:35 もし互いの間に愛があるなら それによってあなたがたがわたしの弟子であることを すべての人が認めるのです 13:36 シモン ペテロがイエスに言った 主よ どこにおいでになるのですか イエスは答えられた わたしが行く所に あなたは今はついて来ることができません しかし後にはついて来ます この御言葉は イェシュアが十字架にかかられる前夜 ご自分が弟子たちから離れて行かれること しかし後にはついて来ます という約束についてのものです またその約束とは続く 14 章に記された 新改訳改訂第 3 版 ヨハネの福音書 14:2 わたしの父の家には 住まいがたくさんあります もしなかったら あなたがたに言っておいたでしょう あなたがたのために わたしは場所を備えに行くのです 14:3 わたしが行って あなたがたに場所を備えたら また来て あなたがたをわたしのもとに迎えます わたしのいる所に あなたがたをもおらせるためです 2

という内容を指し示しています これはイェシュアがこの地上に再び戻って来られる 地上再臨 と その前に起こる 空中携挙 空中再臨 をも指し示した神のご計画の最終段階とその完成が述べられていると考えられます このような文脈の中で語られた 互いに愛し合いなさい という戒めが 単に仲良く平和に暮らしなさいという意味でないことは明らかです イェシュアはご自分が再び来られることを信じて待ち望むことを覚えさせるためにこの戒め 命令を与えられたと考えられます 花婿が花嫁を迎えに来るように イェシュアが私たちを迎えるために来られること そしてイェシュアがいる所 わたしのいる所に あなたがたをもおらせる こと これもまた私たちにとって 重荷 ではなく良い知らせ 福音 であると言えます ですからヨハネは その命令は重荷とはなりません と述べたのだと考えられます 3. 世に勝つ 5:4 なぜなら 神によって生まれた者はみな 世に勝つからです 私たちの信仰 これこそ 世に打ち勝った勝利です 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう イエスを神の御子と信じる者ではありませんか 世に勝つ と聞くとやはり争いや戦いをイメージしてしまいますが ここで 勝つ と訳されてい るヘブル語はナーツァハ מ) (ח צ と言い 本来は歌や楽器を導く 指揮する 指揮者 の意味で使われてい る言葉で 正確には楽器を奏でながら合唱を指導するような ちょうど銘形先生がピアノを弾きながら賛美を導くような様子を表す言葉がこのナーツァハです ですから 世に勝つ者 とは 世と戦い 攻撃してこれを打ち負かすという意味ではなく 賛美を導く人が礼拝者たちの心と思いを神に向けさせ その御言葉に耳を傾けさせるように 心を開かせるように導くというような形で世に対して働きかけていくことが私たち イエスを神の御子と信じる者 の働きであることが述べられ また勧められていると考えられます 4. 御霊 水 血 5:6 このイエス キリストは 水と血とによって来られた方です ただ水によってだけでなく 水と血とによって来られたのです そして あかしをする方は御霊です 御霊は真理だからです 5:7 あかしするものが三つあります 5:8 御霊と水と血です この三つが一つとなるのです ヨハネは 御霊と水と血 という表現を用いてイエス キリストすなわちイェシュアはメシアであることを証ししようとしています 一般的に 証しする 証言する とは ある出来事や行為などを明らかにするというイメージがありますが 御霊と水と血 と聞いてすぐにこれがイェシュアの何を表そうとしているのかをはっきりと理解できる人がいるでしょうか この あかしする ことをヘブル語でウードで初めて使われた言葉です と言い 創世記 43:3 (ד וע) 新改訳改訂第 3 版 創世記 43:3 しかしユダが父に言った あの方は私たちをきつく戒めて あなたがたの弟といっしょでなければ 私の顔を見てはならない と告げました 3

ここで 戒めて と訳されているのが聖書で最初のウードです この箇所はエジプトの宰相となったヤコブの子ヨセフが 兄弟たちに突き付けた条件についてのものですが ウードが あなたがたの弟と一緒で という条件を満たさなければ 見てはならない という戒めを指し示していることが解ります またウ ותע וע) ードの名詞形 証し という意味のエードゥート ) は モーセの幕屋の時代に作られた契約の箱の別称 あかしの箱 についての記述で初めて使われており この あかしの箱 もまた中を 見てはならない ものであり モーセの時代にはこの箱そのものさえ限られた者しか 見てはならない ものでした このようにヘブル語の視点で見るならば あかしする とは 限られた人 またはある条件を満たすことによって見ることが許されるが 本来は隠されていることを意味する言葉であると考えられます この あかし についてヨハネは後述の 5:13 で あなたがたが永遠のいのちを持っていることを よくわからせるためです と述べています つまり 御霊と水と血 はメシアであるイェシュアを指し示しており そして同時に 永遠のいのち をも指し示しているということだと考えられますが では 御霊 水 血 の三つがそれぞれ指し示すものとは一体何でしょうか (1) 御霊 ( ומ ר) まず第一に 御霊 についてですが これをヘブル語でルーアハ と言います これが聖書で最初に使われたのが創世記 1:2 の天地創造の初めの状態が記された箇所です ここにルーアハの持つ本来の意味があると考えられます 新改訳改訂第 3 版 創世記 1:1 初めに 神が天と地を創造した 1:2 地は茫漠として何もなかった やみが大水の上にあり 神の霊が水の上を動いていた 神の霊が水の上を動いていた と記されている部分に神の 霊 ルーアハが使われています この文章はその前の やみが大水の上にあり という文章と同じ ~が~の上にある という形式で記されていることが解ります これは聖書中に頻繁に見られる 並行法 パラレリズムと呼ばれる表現方法で 最初の文章の内容を 別の言葉に言い換え 補足する形で繰り返して述べているものだと考えられます つまり以下のようになると考えられます やみ 神の霊 大水 ( の上に ) 水 ( の上に ) あり 動いていた このように考えるならば 神の霊 すなわち 御霊 とは やみ を言い換えたものであることが解ります 聖書において やみ はあまり聞こえの良い言葉ではありませんが 全てを覆い隠す 見えなくす る存在のことであり ここに使われているヘブル語のホシェフ ח) (מ ש には 秘密の場所 という意味もあ り 明らかにされていない 隠された秘密という意味があると考えられます ですから 神の霊 御霊 ( ומ ר) ルーアハとは 隠された神の秘密 のことであると言えます またこれは前回述べましたが ルーアハ 4

を構成する三つのヘブル文字 人の頭 を象り 頭 思考 計画 を意味するレーシュ ( ) 釘や鉤 (ו) を象り 定める 決める 提示する ことを意味するヴァーヴ そして 柵 を象り 存在( 守られる ) 命( 生かされる ) 働き ( 用いられる (מ) ことを意味するヘット ( から ルーアハすなわち 霊 とは 思考に働きかけ 行動や働きを決定づけるものという意味があると考えられ ですからそれは 知識と情報 という言葉に言い換えることができると述べました このように解釈するならば 神の霊 御霊 とは 明らかにされていない 隠された 神の知識と情報 のことであり そしてそれはある目的 計画を成し遂げるための行動 働きを伴ったものであると考えられます (2) 水しかし隠されたもの 明らかなものではないにしても この神の秘密は 大水の上に そして 水の 上に と記されているように ここに使われているヘブル語アル ペネー פ וחע) (ת נ には ~ の上に 前 に 表面に という意味があり 次に取り上げる 水 を包む 導く 覆うような存在であると考えられます ですから第二に 水 とは 御霊 すなわち 神の情報と知識 である神のご計画の下にあり その後に従い 神のご計画に覆われた存在であると言えます 神のご計画に従って地に下られ ただ神にのみ従い そのご計画のためだけに働かれた御方 これが神の御子イェシュアご自身を指し示していることは言うまでもありません そしてイェシュアとは 神の霊 すなわち明らかにされていない 隠された神の秘密 神の知識と情報 を明らかにする御方であり 神のご計画を成就 実現 完成させる御方であるということがこの 水 という言葉に表されていると考えられます ヨハネの福音書でイェシュアはこのように述べておられます 新改訳改訂第 3 版 ヨハネの福音書 3:5 イエスは答えられた まことに まことに あなたに告げます 人は 水と御霊によって生まれなければ 神の国に入ることができません 水と御霊によって つまりイェシュアと そしてイェシュアによって成し遂げられる神のご計画によってのみ 人は神のご計画の完成である神の国に入ることができるということが示されていると考えられます イェシュアが御父である神に逆らい その関係を切るならば 人は 神の国に入ることができません また神のご計画だけでは それを実現させる 完成させる存在がいなければ 人は 神の国に入ることができません 水と御霊 すなわち 神の霊が水の上に あることによってのみ神のご計画は果たされ 神の国 は完成し そこに入るべき人が入ることができるということが示されていると考えられます このように 水 とは神のご計画を完成させるイェシュアご自身を指し示していると考えられます (3) 血 そして第三に 血 についてです これをヘブル語でダーム ד) (ע と言い 創世記 4:10 で最初に使われ ているため そこにこの言葉の持つ本来の意味があると思われます 5

新改訳改訂第 3 版 創世記 4:8 しかし カインは弟アベルに話しかけた 野に行こうではないか そして ふたりが野にいたとき カインは弟アベルに襲いかかり 彼を殺した 4:9 主 はカインに あなたの弟アベルは どこにいるのか と問われた カインは答えた 知りません 私は 自分の弟の番人なのでしょうか 4:10 そこで 仰せられた あなたは いったいなんということをしたのか 聞け あなたの弟の血が その土地からわたしに叫んでいる これは人類史上最初の殺人であるアダムの息子カインとアベルに起こった出来事です カインはその弟であるアベルを殺してしまいました そこで神はカインに対し 聞け あなたの弟の血が その土地からわたしに叫んでいる と仰せられました ここにダームが使われています このように 血 ダームは 土地からわたし( 神 ) に叫んでいる 存在であることが解ります 地から神に向かって叫び求める存在とは誰でしょう それは御霊とともに イェシュアよ 来てください と言うイェシュアの花嫁であると考えられます 新改訳改訂第 3 版 ヨハネの黙示録 22:17 御霊も花嫁も言う 来てください これを聞く者は 来てください と言いなさい 渇く者は来なさい いのちの水がほしい者は それをただで受けなさい この 花嫁 とは私たち教会のことであると信じ 告白します また いのちの 水 がほしい者は 受けなさい とあるように 水 が再臨のイェシュアを指し示しています そして神に向かってイェシュアを呼び求める者 それは恵みと哀願の 霊 を注がれたイスラエルの民 ユダヤ人であるとも言えます 新改訳改訂第 3 版 ゼカリヤ書 12:10 わたしは ダビデの家とエルサレムの住民の上に 恵みと哀願の霊を注ぐ 彼らは 自分たちが突き刺した者 わたしを仰ぎ見 ひとり子を失って嘆くように その者のために嘆き 初子を失って激しく泣くように その者のために激しく泣く これは終わりの日に 自分たちが突き刺した者 すなわち神の御子イェシュアを十字架にかけて殺したことを悔いて嘆くようになることを預言しています まさに流された血について その土地から わたしに叫んでいる ことが示されていると言えます そしてイェシュアは彼らユダヤ人たちに対してこのように言われました 新改訳改訂第 3 版 マタイの福音書 23:39 あなたがたに告げます 祝福あれ 主の御名によって来られる方に とあなたがたが言うときまで あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません 6

祝福あれ 主の御名によって来られる方に とユダヤ人たちがイェシュアを 主の御名によって来られる方 キリストすなわちメシアとして認めて呼び求める時まで イェシュアは来られません つまり彼らがこのように叫び求めるその時 イェシュアは神のご計画の完成である 神の国 を完成させるためにこの地に帰って来られるということです このように 血 ダームとは神の御子であるイェシュアを呼び求める 叫び求める 御霊 を注がれた人 人々の存在を指し示していると考えられます 筆者ヨハネは イエス キリストは 水と血とによって来られた方です ただ水によってだけでなく 水と血とによって来られたのです と述べています つまりイェシュアは 水によって すなわち神のご計画に従うためだけでなく 血によって すなわち地からイェシュアを呼び求める者たちの声に応えるために そしてその者たちを救い 神の国 に入らせるために来られる御方であるということが示されていると考えられます このように 御霊と水と血 とは 隠された神の秘密である神のご計画を明らかにし それを成就 完成するための存在としてのイェシュアと そしてそのイェシュアを御霊によって呼び求める人々すなわちイスラエルと教会の存在を指し示しており これら三つが一つとなる ことによってのみ 神のご計画は完成することを表していると考えられます 5. 永遠のいのち 5:9 もし 私たちが人間のあかしを受け入れるなら 神のあかしはそれにまさるものです 御子についてあかしされたことが神のあかしだからです 5:10 神の御子を信じる者は このあかしを自分の心の中に持っています 神を信じない者は 神を偽り者とするのです 神が御子についてあかしされたことを信じないからです ですから 神のあかし とは 神がおられる 存在することを証明するものではなく 神が何をなそうとしておられるのかという 神のご計画 がどのようなものであるかを 限られた者にのみ明らかにされるものであると言えます そしてその限られた者とは 神の御子を信じる者 とは そのご計画の成就 完成を信じ受け入れて待ち望む者のことであると言えます 5:11 そのあかしとは 神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ そしてこのいのちが御子のうちにあるということです 5:12 御子を持つ者はいのちを持っており 神の御子を持たない者はいのちを持っていません 5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは あなたがたが永遠のいのちを持っていることを あなたがたによくわからせるためです このように 神のご計画の完成を 筆者であるヨハネは 永遠のいのちを持つこと と表現していると考えられます なぜなら 神の国 とそこに入るすべてのものは永遠の存在となるからです 神がこのことをご計画されたその目的は 神と人がともに生きる 永遠に生きるためであることがここに述べられていると考えられます 6. 神のみこころ 7

5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら 神はその願いを聞いてくださるということ これこそ神に対する私たちの確信です 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば 神に願ったその事は すでにかなえられたと知るのです このような御言葉を読むと 私たちの願いをかなえてくださる神という捉え方をしてしまいがちですが かなえられるのは 神のみこころにかなう願い のみです つまり 神のみこころ だけがなるのです その 神のみこころ を知り それを自分の願いとするならば その願いは必ずかなうのです これはまさに十字架にかかられる前夜 イェシュアが祈られた祈りそのものです 新改訳改訂第 3 版 ルカの福音書 22:42 父よ みこころならば この杯をわたしから取りのけてください しかし わたしの願いではなく みこころのとおりにしてください このように イェシュアはまさに みこころにかなう願い をしました ですからイェシュアによってな される神のご計画は必ず成就するということを知りましょう 5:16 だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら 神に求めなさい そうすれば神はその人のために 死に至らない罪を犯している人々に いのちをお与えになります 死に至る罪があります この罪については 願うようにとは言いません 5:17 不正はみな罪ですが 死に至らない罪があります 罪には二種類あり 死に至らない罪 と 死に至る罪 があることが述べられています それらが具体的にどのようなものであるのかは述べられていません 文脈から考えるならば 重要なのは 神のみこころ であり 神が いのちをお与えになる 者とそうでない者とがいるということです 当然のことながら それを決めるのは私たち人ではなく神です ですから私たちが 神に求めなさい と勧められている祈りと願いは 死に至らない罪 を犯している者 すなわち神が いのちをお与えになる 者に それが与えられますようにというものであり 私たちが選んだ人にそれが与えられますようにという類のものではないということです 誤解してはいけません 私たちの祈りと願いが神を動かすのではありません まず 神のみこころ というご計画があり それを果たされるイェシュアがおられ ただそれだけがなるようにと祈り求めることが 先ほど述べた 御霊と水と血 の中の 血 としての 神に向かって求める存在である私たちの持つべき考え 取るべき姿勢であると考えられます 7. 警戒しなさい 5:18 神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを 私たちは知っています 神から生まれた方が彼を守っていてくださるので 悪い者は彼に触れることができないのです 神によって生まれた者 とは 今すでに神を信じ また神の御子イェシュアを信じている者のことであり 先ほどの 死に至らない罪を犯している 者 神が いのちをお与えになる 者とは 今はまだ信じてはいないが 後に 神のみこころ により いのち を与えられる すなわち信じるようになる者のことではないかと思われます 神に いのち を与えられた者 すなわちこの 神によって生まれた者 8

に対して もはや罪を犯すことも また 悪い者 すなわちサタンも 神がその人に与えられた いのち を奪うことも消し去ることもできないということが示されていると考えられます 5:19 私たちは神からの者であり 世全体は悪い者の支配下にあることを知っています 5:20 しかし 神の御子が来て 真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています それで私たちは 真実な方のうちに すなわち御子イエス キリストのうちにいるのです この方こそ まことの神 永遠のいのちです 今や 世全体 が反キリスト サタンの支配下にあります どんなに優れた知恵や考え方 すばらしいと感じる知識や情報も そこに神の御子イェシュアが 神のご計画のために来られるキリストすなわちメシアであることが表されていないならば イェシュアの存在とその働きを指し示すものでないならば それは神からのものではなく サタンからのものです ですから私たちはこれらのものに対して常に警戒する必要があります 5:21 子どもたちよ 偶像を警戒しなさい 偶像を警戒 するとは 前回述べたように それが神からのものであるか そうでないかを見分ける 見極めることであると思われます しかしそこで重要なのは偽物を見破るにはまず本物をよく知る必要があるということです ですから私たちにとって重要なのは イェシュアを知り またイェシュアがなそうとしておられる神のご計画をよく知るということです 私たちの持つべき願いである 主イェシュアよ 来てください という祈りは ただイェシュアの再臨を求めるというだけのものではなく 今日私たちが受け取ることができるイェシュアについての 知識と情報 を求め そして受け取ることを求める祈りであるとも思われます ですからイェシュアを求めてまいりましょう イェシュアが何をし そして何をなさろうとしておられるのかという 神のご計画を求めてまいりましょう 9