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Transcription:

2012 年度 先進研究奨励 費研究報告書 氏 名 : 福岡あゆみ 学 年 : 博士後期課程 1 年 研究課題名 :H マティスのオダリスク ベルネーム = ジュヌ画廊との契約書を めぐって 研究目的と意義 本研究は フランス人画家アンリ マティス (1869-1954) と パリのベルネーム=ジュヌ画廊との間で結ばれていた契約にまつわる基礎的研究であり 画家が描いた作品の主題である オダリスク と 画廊との契約内容との関係性を明らかにし 大戦間期にフランスで活躍した画家たちの主題選択の意図や意味を 画廊との契約関係という側面から解明することを目的とする マティスの オダリスク に関わる先行研究には 1951 年アルフレッド バーが上梓したモノグラフや 1987 年に発表されたケネス シルヴァーの論文などが代表としてあげられるのだが ( 詳しくは修士論文の第一章の研究史を参照のこと ) これらはもっぱら美学的ないしは美術史的観点からの考察にとどまっており 戦間期という特定の時代における画廊との契約内容という社会学的側面から調査した例は 報告者の提出した修士論文が初めてであり この新たな視点からの調査 研究がもたらす知見は極めて重要な意義をもつと思われる 今回の研究計画では 特に以下の 3 つの点を検討することを目的とした 1フランスにおける最新のマティス研究の動向 特に 2012 年にパリで開催されたマティスの大規模な展覧会 Matisse Paires et series ( マティス 対と連作 ) は どのような観点から対や連作を考察しているか またベルネーム=ジュヌ画廊との契約との関連性は指摘されているか 2 マティスはベルネーム = ジュヌ画廊にどの作品を ペア として納入していたのか ま た そこに内在する両者の思惑はいかなるものであったか 3 オダリスクを描いていた当時 マティスはベルネーム = ジュヌ画廊以外の画廊や蒐集家 たちとどのように関わっていたのか

研究の経緯 2012 年 12 月 26 日資料収集於 :Centre Pompidou(place Georges Pompidou 75004 Paris,France) Matisse Paires et series( マティス 対と連作 ) 展に関する資料収集 および所蔵されているマティス作品の観察 撮影 2012 年 12 月 27 日資料収集於 :Musée de l'orangerie(jardin des Tuileries 75001 Paris,France) ポール ギヨームに関する資料収集 および所蔵されているマティス作品の観察 撮影 2012 年 12 月 28 日資料収集於 :Hôtel des Invalides(129 rue de Grenelle 75007 Paris,France) 常設展示 Département contemporain, les deux guerres mondiales 1871-1945 において 第一次世界大戦下のフランスに関する資料収集 2012 年 12 月 29 日資料収集於 :Musée d'orsay(62, rue de Lille 75343 Paris Cedex 07,France) 所蔵されている作品の観察 (1917 年頃からマティスと交流の深かったルノワールを中心に ) 2013 年 3 月 23 日研究報告発表題目 :H. マティスのオダリスク ベルネーム=ジュヌ画廊との契約書をめぐって第 1 回西南学院大学国際文化学会於 : 西南学院大学 研究成果 本研究の成果は 2013 年 3 月 23 日に行われた第 1 回西南学院大学国際文化学会で発表 した その要旨は以下の通りである 問題提起 20 世紀を代表する画家アンリ マティスは 1917 年から1930 年代にかけて オダリスク という主題を扱った一連の作品を制作した マティスがなぜ度々オダリスクを描いたのかという問題はこれまで 美術史的な観点からの解釈や 第一次世界大戦後のフランスにおける古典主義的な伝統への回帰あるいはフランスの植民地主義といった同時代の文化的 社会的 政治的文脈に結び付ける解釈がさかんに行われてきた しかし オダリスク制作当時のマティスは パリのベルネーム=ジュヌ画廊と契約関係にあり 互いに契約書を交わして作品の制作や売却に関わる取り決めを行っていた つまり マティスのオダリスク作品の成立ちやそれを制作する意図には ベルネーム=ジュヌ画廊との契約という枠組

みが少なからず反映していたと考えられる 本発表では 分析対象として1917 年 9 月から1 926 年 9 月にかけて制作されたマティスのオダリスク作品群を取り上げ その主題選択の意図や意味を ベルネーム=ジュヌ画廊との契約関係 さらに第一次世界大戦後の時代状況から検討する 分析 考察 2012 年に提出した修士論文では まず マティスとベルネーム =ジュヌ画廊との契約書の内容全てを明らかにした その上で とりわけ第三 四 五回目 (1917 1920 1923 年 ) の契約書内のⅢ 1 条で予定された分配は以下のように行われる : 私はあなたに毎回 同じ大きさのペアの絵 あるいは類似した大きさの絵を提供することを配慮する そして2 枚の絵が仕上がる度ごとに その選択の優先権を我々はくじで決める という条項に注目し 契約とオダリスクという主題との関係性を考察した 修士論文の範囲では 作品の納入経緯や分配について また画廊へ提供されたペアの絵の特定などが詳細にできなかったため 今回の発表では 特に三 四回目の契約期にあたる1917 年 9 月 19 日から1926 年 9 月 19 日までの納入 売却経緯を中心に分析を行い どの作品が同時に納入され どう分配されたのか またペアとして納入された作品があればそれはどの作品か これらを明らかにすることを目的とした 分析 考察の結果 契約書内のⅢでは同じ 大きさ の作品をペアとして納入することと記されていたが 条項 3においては 同じ 主題 という意味を含んでいた可能性が高く マティスはしばしば同じ 主題 の作品をペアとして画廊へ納入していた したがって オダリスクをはじめとする同一の主題を持つ作品群は 契約書で定められた条項にのっとった ペア の数々である可能性が高く その背景には次のような意図があることを述べた ひとつは マティスが自らの作品の市場価値をベルネーム=ジュヌ画廊の協力を得ながら確立しようとする意図である 戦争による経済的不安をはやくから察していたマティスは 取引現場の裏側で積極的にベルネーム=ジュヌ画廊と手を結び 作品売買の仲介のみならず 展覧会や出版での評判を上げてもらおうという思惑があった そのため ベルネーム=ジュヌ画廊を会場として行う展覧会をはじめ 画廊側が積極的に行っていたマティスのプロモーションに対しては 多くの場合直接の協力を行っていたと考えられる 画商らはこのような展覧会のために 統一のとれた大きさ 類似の主題をもった作品を望み 調和のある雰囲気がまとまったシリーズとしての印象を与えるような展示構成に力を注いでいた マティスと画商の仕事上の相談がどのような内容であったか また主題に関する約束が互いに交わされたかどうか これらをはっきりと示すものはなく引き続き調査が必要ではあるが 少なくとも1914 年 8 月の戦争勃発により蒐集家たちが絵に金を使うなどということをしなかった戦中から1921 年頃の時期において マティスはベルネーム=ジュヌ画廊への協力としてしばしば同主題の作品をペアとして納入していた可能性が高い もうひとつは マティス自身が自らの作品を所有しようとする意図である 契約上の取

り決めでは 自らが特別な大きさあるいは主題をもつ絵を所有したい場合 少なくとももう一枚のペアを作り画廊へ差し出す必要があった 特にオダリスクという主題を持つ作品は 1922 年にマティスのオダリスクの中の一枚 Odalisque( 今日のタイトルは Odalisque à la culotte rouge ) (1921 年 / 油彩 / カンヴァス /65.0 90.0cm/ ポンピドゥーセンター 国立近代美術館 ) が国家によって買い上げられたことから それ以降 マティスを含み ベルネーム一族や蒐集家といった多くの人々がこの主題を持つ作品の所有を望んだことが納入 売却経緯から明らかである したがって マティスがオダリスクという主題を持つ作品を所有しようとする場合においては 同主題の作品を少なくとも一枚は同時に納入する必要があり 所有しようとしない場合においても画廊の要望に答える意味で複数枚の納品を行っていたと考えられる 結論 1917 年 9 月 19 日から1926 年 9 月 19 日までの作品の納入 売却経緯を分析することによって マティスはしばしば同じ 主題 の作品をペアとして画廊へ納入していたことが明らかとなった オダリスクをはじめ 同一の主題を持つ作品群は 第三回以降の契約書の条項にのっとった ペア の数々である可能性が高い このように同一主題の作品を複数枚納入する理由には マティスが自らの作品の市場価値を画廊の協力を得ながら確立しようとしていたこと さらに マティス自身が自らの作品を所有しようとしていたこと これら二つの意図が存在し またその背景には 第一次世界大戦による美術市場の崩壊と画家の経済的不安が大きく関わっている この発表を通し 目的に挙げた 3 点については以下のような成果を得ることができた 研究目的 1についてパリのポンピドゥー センター (Centre Pompidou, Paris) にて行われた展覧会 Matisse Paires et series ( マティス 対と連作 ) は 申請者の研究課題と奇しくも一致した企画で マティスの同主題の対 ( ペア ) になる作品や連作にスポットをあてたものである 期間が 2012 年 6 月 18 日迄のため残念ながら会期中には見ることができなかったが 現地に赴いてできる限り関連資料の収集を行った それらの資料を検討した結果 対や連作についてベルネーム=ジュヌ画廊との契約内容から考察した点は見当たらず 調査 研究の方法はこれまでと同様 美術史的 美学的な観点からの分析にとどまっていた 唯一 図録に収録された Isabelle Monod-Fontaine の論考が 第三回目 (1917 年 ) の契約書 Ⅲの条項 ペア の文言について触れているが 詳細な考察までにはいたっていない 研究目的 2 について ベルネーム = ジュヌ画廊が出版するカタログ Henri Matisse chez Bernheim-Jeune に公

開されているマティス作品の納入 売却記録から マティスがどの作品をペアとして画廊へ納入していたのか それら作品の特定を試みた 今回の発表では特に三 四回目の契約期にあたる 1917 年 9 月 19 日から 1926 年 9 月 19 日までの納入 売却記録を中心に検討し 主題と契約の関係性やそこに内在する両者の思惑がいかなるものであったのかを時代状況と共に明らかした また 第一次世界大戦中やその後のフランス国内の状況や美術市場については Hôtel des Invalides で行われていた常設展示 Département contemporain, les deux guerres mondiales 1871-1945 の中で収集した資料や 1912 年 6 月からフランス メッスのポンピドゥ センター (Centre Pompidou-Metz) で開催された展覧会 1917 のカタログなどを主に参照した 研究目的 3について契約中はマティスの作品の大半がベルネーム=ジュヌ画廊に任されていたとはいえ 他の画廊や個人蒐集家との関係が マティスやベルネーム=ジュヌ画廊そして契約内容や作品にも影響を及ぼしていたであろうことは想像に難くない 今回は 1918 年にマティスとピカソの二人展を自らの画廊で行うなどしてマティスとの関係も深かったポール ギヨームについて調査を行った 現在ギヨームのコレクションはパリのオランジュリー美術館に保管されているが その中にはマティスのオダリスクも数点含まれている なにより 研究対象であるこれらのオダリスクを詳細に観察し その上で できる限り関連資料の収集を行った 手に入れた資料の中にマティスが売り込み市場にどの程度関わったのかを具体的に示すものは何もないが この調査においてポール ギヨーム画廊 (1914 年開業 ) と同時期にパリで活躍していたすべての画廊の当時の所在を明らかにすることができたため 今後これらの資料をもとに考察を続けていく 課題申請時の研究計画では 特にベルネーム =ジュヌ画廊の資料室が保管しているマティスにまつわる基礎的資料の収集を目的としたが 渡仏時期と調査先画廊の長期休暇とが重なったためやむなく計画を一部変更した したがって今後の課題としては ベルネーム=ジュヌ画廊の資料室の資料閲覧を行い マティス作品が実際どのように納入 売却されていたのかについては画廊への聞き取り調査を行うこと これらを今後の課題としてあげておきたい また今回発表した納入 売却経緯は マティスがオダリスクを制作していた時代の一部にすぎず オダリスク制作期の全ての時代について取引の詳細をとらえ検討を行うことなど 取り組むべき課題は多い しかし このような 画廊との契約内容 という新しい視点からの一連の考察は これまで美術史的あるいは美学的な観点からのみ語られていたマティス論に一石を投じるものであり 同一主題のシリーズや連作についても この研究をもって新たな議論が開かれる可能性がある 今回の調査 発表をきっかけとして 今後も引き続き研究を発展させていく所存である