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Vol. 138, No. 4 YAKUGAKU ZASSHI 138, 459 464 (2018) 459 日本における研究不正の実例とメディアでの取り上げられ方 榎木英介 Symposium Review Research Misconduct in Japan and How It Is Covered by the Media Eisuke Enoki Clinical Research Center, Kinki University Hospital; 377 2 Ohno-Higashi, Osaka-Sayama, Osaka 589 8511, Japan. (Received August 1, 2017) Cases of research misconduct (fabrication, falsiˆcation, and plagiarism) have been increasing worldwide, including in Japan. In particular, since 2006, many cases of research misconduct have been reported in Japan, and these cases have also been covered by the media. The 2014 case of the withdrawal of articles on STAP cells followed a rare course in which research misconduct became a full-blown social phenomenon. In recent years, even the University of Tokyo has experienced reported cases of research misconduct. In this report, I would like to introduce some representative cases of research misconduct in the ˆeld of life sciences over the past decade. These examples include studies conducted at Osaka University Graduate School of Medicine (2006), Osaka University Graduate School of Frontier Bioscience (2006), Ryukyu University School of Medicine (2010), Toho University School of Medicine (2012), The University of Tokyo Institute of Molecular and Cellular Biosciences (2013), and several cases outside of Japan. I will discuss what researchers should do to reduce the incidence of research misconduct. In addition, I will discuss how these cases were covered by the media, because the public's impression of research misconduct is formed by media coverage. Key words research integrity; research misconduct; fabrication; falsiˆcation; plagiarism 1. はじめに 近年, 日本人研究者によって行われた研究不正が 日本国内のみならず, 世界の研究者たちの知るところとなりつつあり, 日本の研究の国際的信用を低下させている.2014 年に発生した STAP 細胞論文 ( のちに撤回 ) 1) は, 捏造 (fabrication), 改ざん (falsiˆcation), 盗用 (plagiarism) の特定不正行為 ( 英語の頭文字をとって FFP と呼ばれる ) を含むものであり, 一般のメディアにも取り上げられ, 社会現象となるに至った. こうしたケースが, 世界の研究者にもよく知れ渡っているのである. しかし,STAP 細胞のケースは, メディアが筆頭著者の女性研究者の人となりを集中的に取り上げたがゆえに, 一人の個人の問題としてとらえられてしまった. それゆえ, 研究不正が起こる構造的な背景等を真摯に反省する姿勢が, 日本の科学コミュニ 近畿大学医学部附属病院臨床研究センター ( 589 8511 大阪府大阪狭山市大野東 377 2) e-mail: enoki@med.kindai.ac.jp 本総説は, 日本薬学会第 137 年会シンポジウム S03 で発表した内容を中心に記述したものである. ティ内に起こったとは言い難い. 残念ながら,STAP 細胞論文のケースを凌駕すると思われる研究不正の事例が, 日本人研究者によって引き起こされている. こうしたケースは日本国内よりむしろ国外でよく知られており, 日本人研究者の評判を落としている. また, 研究不正を犯した研究者に対する調査, 処分も統一性がなく, 大学の執行部が関与したとされる事例では, 不適切な調査のまま処分がないといった事例も報告されており, 研究不正の抑止効果が乏しいのが現状である. また,FFP に該当しなくても, 論文の著者名義の貸し借り ( ギフトオーサーシップ ) や多重投稿, 画像の切り貼りといった疑念のある行為 (questionable research practice; QRP ) は,FFP よりも数が多く,FFP より研究の進展を阻害する効果が大きいと言われている. こうした状況のなか, 日本の科学コミュニティは何をなすべきだろうか. そして,STAP 細胞論文のケースでは, 筆頭著者がプライバシーを暴かれるなど, 過度な報道がなされ, 自死者も出るなど, 報道の問題性が厳しく問わ 2018 The Pharmaceutical Society of Japan

460 YAKUGAKU ZASSHI Vol. 138, No. 4 (2018) Fig. 1. Relationship between FFP, RCR, and QRP れた. 科学に関する事件が発生したときに, 科学コミュニティがどのようにメディアに係わるかは, 福島第一原子力発電所事故以来議論となっているが, STAP 細胞のケースでも, 両者に適切な関係が築けたとは言えない. 本稿では, 日本国内で発生した研究不正の事例を基に, 研究不正を防ぐためにはどうすればよいかを考察したい. また, 研究不正の事例を基に, 科学者コミュニティとメディアの関係はどうあるべきか考察したい. 2. 特定不正行為 (FFP) と QRP はじめに, 言葉を定義しておきたい. 文部科学省は, 捏造 ( 存在しないデータ, 研究結果等を作成すること ), 改ざん ( 研究資料 機器 過程を変更する操作を行い, データ, 研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること ), 盗用 ( 他の研究者のアイディア, 分析 解析方法, データ, 研究結果, 論文又は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること ) の 3 つの行為を 特定不正行為 としている. 2) これらは FFP と称されることも多い. これらの行為が行われた場合は, 関与した研究者に処分が下されるのは世界的常識である. Steneck は, 全く問題なく, 公正に研究を行う行為である 責任ある研究活動 (responsible conduct of research; RCR) と FFP の間に,QRP( 疑念のある研究 ) があり, どこまでを問題ある行為とするかの線引きは難しいと指摘する (Fig. 1). 3) QRP の定義は様々であるが, 私の解釈もふまえると,QRP には多重投稿やギフトオーサーシップ ( 研究に係わっていない人を著者に加えた ) など, FFP に極めて近い行為から,100 回に 1 回しか再現できなかった 奇跡 のデータを論文に入れる行為, 自説に不利な実験結果の非開示や発表の遅れ, 実験データを小分けにして使いまわして違う論文にする行為 ( サラミスライスと呼ばれる ), 自説に有利な実験結果の選択的な発表や誇張といった行為, そして, 画像データの加工も含まれる. 画像データの加工に関しては, わずかにコントラストを変える行為から, 無関係なデータを切り取って貼り付ける行為など FFP にあたる行為まで幅広く, どこまでを処分の対象にすべきか, 科学コミュニティのコンセンサスで揺れ動く可能性がある. QRP は数が多いこともあり, むしろ FFP よりも研究の発展を阻害しているという指摘がある. しかし,QRP の認知度は日本では高くなく, 自らの行為が QRP に相当しているという自覚のないままこうした行為を行う研究者がいるのではないか. 3. 生命科学は研究不正が多発しているか STAP 細胞論文の事例が生命科学に関するものであり, また, 後述のように, 比較的知られた研究不正の事例が生命科学のケースが多いため, 生命科学では研究不正が多発しているという印象が強い. しかし, 研究不正の発生数は生命科学が多いのは事実 榎木英介 1971 年神奈川県横浜市生まれ.1995 年東京大学理学部生物学科動物学専攻卒. 同大学院中退後,2000 年に神戸大学医学部医学科に学士編入学.2004 年卒. 医師免許取得後, 初期研修を経て 2011 年より近畿大学医学部勤務. 病理専門医. 病理診断とともに, 研究公正に関する記事の執筆, 講演等を行うなど, 積極的に情報発信している.

Vol. 138, No. 4 (2018) YAKUGAKU ZASSHI 461 だが, 従事する研究者数あたりの発生率を計算すると, 生命科学はかならずしも突出しているわけではない. 4) 研究者が多いために, 数で圧倒し, 研究不正なら生命科学 という印象が生まれているのだ. しかし, 数が多いという事実は重い. 生物医学論文の 4% に複製がみられ, 5) がんに関する 1/4 の論文に加工があるという. 6) そして, 再現性が危機に瀕しているという重い指摘がある. かならずしも生命科学が突出しているわけではないが, 化学を筆頭に, 実験を行う研究の多くが再現できない. 7) 医学生命科学における論文の 70% が再現できず, 8) 論文が再現できないことによる被害額は年間 280 億ドルもの損害を生み出しているという. 9) 生命科学に限ったことではないが, 松澤の調査によれば ( 総数 94 人 ), 研究不正を行う動機には, ミス, 不注意, 未熟, 不適切処理 (13.8%), 認識不足, 誤認 (13.1%) といった, 意図せざるものが多くを占める. 4) こうした意図せぬ研究不正ならば, 教育や注意喚起で防げるだろう. しかし, 研究等の価値向上 (6.4%), 研究業績の向上 (6.4%) といった, 自らの利益に基づくものもあるし, 教授の指示 (2.1%) という組織ぐるみ, あるいはハラスメントに近いものもある. こうしたいわば確信犯による研究不正は, 教育の強化に頼るだけでは減らすことができない. 4. 日本人研究者は研究不正を犯し易いのか竹澤は, 論文の画像加工を検知するソフトウェアを開発し,Nature 誌,Proceeding of the National Academy of Sciences(PNAS) 誌における画像加工率を調べた. 10) すると, 日本人と思われる著者が入った論文の画像加工率は, そうでない場合に比べ高かったという. 論文監視サイト Retraction Watch による世界撤回論文ランキングでは,1 位,7 位,11 位に日本人生命科学研究者の名前が並ぶ 11) ( いずれも後述 ). こうしたことから, 日本人は研究不正を犯し易いのではないかという印象がある. だが,Fang らによれば, 研究不正 ( 若しくはその疑い ) による論文撤回数を国別でみると, アメリカ, ドイツ, 日本の順となっている. 12) 各国の研究者数はアメリカ (125 万人 ), 日本 (87 万人 ), ドイツ (36 万人 ) であり, 13) ドイツの研究不正, 率は突出している印象だ. とはいえ, 研究不正の発生率, 発生数は決して無 視できるものではなく, 日本人の生命科学研究者が研究不正を犯している事実は真摯に受け止める必要がある. 生命科学では, 画像の加工のし易さ, 労働集約的な研究環境, そして厳しい業績競争といった背景が, 研究不正を誘発していると思われる. 14) 5. 国内で発生した研究不正事例ここでは, 国内の事例を中心に, 生命科学で発生したいくつかの事例を紹介したい. 5-1. 大阪大学のケース 1(2006 年 ) 15) 大阪大学医学部の学部学生 A は, 学生時代から研究室に出入りし, 研究論文を発表していた. また, 一般向けの著書も刊行するなど, いわば スター学生 として名をとどろかせていた. しかし, 研究論文に書かれた遺伝子欠損マウスが実際は存在していなかったことが明らかになり, 論文は撤回された. だが指導教員は短期間の停職処分となったのみであった. 責任をなすりつけられたとして, 学生 A と親が大学に対し損害賠償請求訴訟を起こした ( のちに棄却 ). 学生 A の指導教員であった教授 B のグループは, 最も引用数の多い撤回論文世界一 という不名誉な論文を出しており ( 撤回しており ), 16) 研究室の体制に問題があったのではないかとの指摘もある. なお, 学生 A は 2017 年時点では麻酔科医として働いており, 研究不正を犯した者のその後のあり方の一例となっている. 5-2. 大阪大学のケース 2(2006 年 ) 17) 大阪大学大学院生命機能研究科で発生したケースは, 関係者が謎の死を遂げるという陰惨な結末を招いた. 同研究科の教授 C の下で研究をしていた D は, 自身が係わった研究に関する論文にデータ加工があることを知り, 教授に抗議したが聞き入れられなかった.D は自身の論文の撤回を論文誌に申し入れたのち, 研究室で死亡しているのが発見された. このケースでは, 教授 C が複数の部下に同じ研究をさせる, 研究を分割して別の部下にやらせる, 集まったデータを基に教授 C のみが論文を書くという不適切な体制があったことが明らかになっており, こうした環境が研究不正を誘発したと言われている. 5-3. 琉球大学医学部のケース 18) 2010 年, Blood 誌に掲載された琉球大学医学部の教授 E の

462 YAKUGAKU ZASSHI Vol. 138, No. 4 (2018) 研究グループの論文の内容に疑念があることが指摘された. これをきっかけに調査が行われ, 教授 E のグループから出た 41 報の論文に研究活動の不正行為 ( ねつ造, 改ざん ) があったことが認定された. うち 32 報の論文が撤回されているが, これは世界第 11 位の撤回論文数である. しかし, 教授 E は辞職することなく研究を続け, 最近まで, 科学技術研究費補助金 ( 科研費 ) も受給されていた. 文部科学省からの処分が確定したのが,2017 年 6 月 ( シンポジウム後 ) で, 研究費の申請禁止などが言い渡されたが, 文部科学省のウェブサイトにも実名は出ていない. 5-4. 東邦大学医学部のケース 19) このケースは, 論文撤回数 183 報という, 空前絶後, まさに世界一のケースだ. うち 172 報に研究不正があったとされる. 同大学の准教授 F は, 存在しない臨床研究を論文にするなど, 多数の研究不正を行った. こうして作られた虚偽の論文を地位や研究費の獲得に利用したと言われている. また, ある研究者と, 論文にお互いの名前をいれるという 密約 を結んで, 業績の水増しも行っている ( ギフトオーサーシップ ). 5-5. 東京大学分子細胞生物学研究所のケース (2013 年 ) 20) 東京大学分子細胞生物学研究所の教授 G( 当時 ) は,Nature 誌など一流誌に論文が多数掲載される著名な研究者であった. ところが, 論文の図表に疑義が呈され, 科学的に不適切な図を含むと判断される論文が 51 報に上り, うち 33 報が研究不正と認定された. こうしたことが起こった背景には, 仮置き と呼ばれる, 論文の図として仮説にあったものをとりあえず置いておくという独特な慣習, 成果を強要する高圧的な環境などがあったものとされる. 関係者は既に退職していたが,2017 年に懲戒解雇, 諭旨解雇の処分が決まった. 21) なお, このケースでも公平公正な調査が行われず, 処分ありきの無理な調査が行われたのではないかとの指摘もある. これは研究不正の調査全般に言えることである. ライフサイエンスの領域ではないが, 東北大学の学長が係わった研究不正疑義の事件では疑義を申し立てた東北大学の教授が処分を受けるなど, 公正, 公平な調査が行われていない. 22) 日本では研究不正の調査のあり方に大きな問題があると言うべきだろ う. 6. 日本の研究不正の処分は軽い以上, 日本の事例をいくつか紹介してみた. STAP 細胞論文のケースのように, 著者が報道被害を受けるほど叩かれるケースがあるので, 日本の研究不正の処分は重いと感じる方も多いかもしれない. しかし, 上述のように, 係わった研究者がおとがめなし, あるいは軽い処分で終わるケースも多く, 残念ながら多くの場合, 処分が軽すぎると言わざるを得ない. もう少し踏み込んで言えば, 末端の研究者に重い処分が下される一方, 上位の地位の研究者が処分なし, 軽い処分で終わるというような, トカゲのしっぽ切り のようなことが行われているのではないかと思われる. 白楽ロックビル氏は, こうした状況に, もはや研究者の自浄作用には期待できず, 研究不正は警察が捜査せよとさえ述べる. 23) 実際アメリカでは, 有罪判決を受け収監された研究者がいる. 近年の例では, ドンピョウ ハンは韓国出身のワクチン研究者であったが, 研究不正により不正に研究費を受け取ったとして有罪判決を受け, 現在収監中である. 24) 本シンポジウム後には, 中国が研究不正で健康被害をもたらした研究者に対して, 死刑もあり得る厳しい処分を課す法律を施行した. 25) 懲役刑や死刑が果たしてよいのか, 研究不正に司法が介入すべきか, 私自身は疑問を感じるが, 現在の日本の状況を考えると, 司法介入の可能性に期待を持たざるを得ない. 7. メディアとの付き合い方前述の通り,STAP 細胞論文のケースでは, 筆頭著者の女性研究者がいわば 報道刑 とでも言うべき過酷なバッシングを受けた.NHK が行った番組はのちに, 放送倫理 番組向上機構 (Broadcasting Ethics and Program Improvement Organization; BPO) から人権侵害の勧告を受けるに至った. 26) ところが,2014 年 12 月 26 日に東京大学分子細胞生物学研究所のケースと,STAP 細胞論文のケースが同時に最終報告書を公表し, 記者会見を行ったが, 報道関係者の多くは STAP 細胞論文の記者会見に出席していたという. 研究不正の規模と報道が一致していない. 2014 年の状況を考えると, ゴーストライターを用いて楽曲作品を発表していた事件や, 兵庫県議が

Vol. 138, No. 4 (2018) YAKUGAKU ZASSHI 463 号泣しながら記者会見を行った事例と並んで STAP 細胞論文のケースが報じられていた. メディアにとっては格好の 数字のとれる ネタだったと言えよう. しかしながら, こうした状況を マスゴミ と揶揄し, メディアを非難するだけでは意味がない. 世論はこうしたメディアを通じて形成されるのであり, 科学コミュニティも伝えるべきことはきちんと伝えていくべきである. どうすれば科学コミュニティとメディアの良好な関係を築けるだろうか. 私は 2014 年,STAP 細胞論文に関する研究不正に関して,30 を超えるテレビ番組に出演し, また, メディアから正確には数えられないほどの取材申し込みを受けた. そのなかにはバラエティ番組やタブロイド紙なども含まれる. 女性研究者の当時の所属機関である理化学研究所との関係などを考え, 取材を受ける人が限られていたという. 取材を受けていたのは, 私や上昌広氏など, 医師が多かった. それは医師が比較的地位が安定した職業であり, たとえなんらかの圧力を受けても, 地位を脅かされ, あるいは失業することを心配する必要がないからだ. あえてメディアの取材のなかに飛び込むことで見えてきたことがある. それは, メディアの論理を知ったうえで, ウィンウィンの関係を構築することの重要性である. 前述の通り, メディアは私企業として, より人々の知りたい話題を報道する. 紙面や報道の長さはほかのニュースとの奪い合いなのだ. 記者も私企業に属する組織人であり, 個人の意見より組織の利益を優先せざるを得ないことが多い. また, メディアは広報機関ではないため, 研究機関の論理に沿って報道してくれるわけではない. こうしたことを理解したうえで, お互いに利益となる関係を構築するためにはどうすればよいか. それには, メディアと科学コミュニティの間に 中間的 な組織体を構築することが重要だ. 27) 科学に関する事件が発生したときに, メディアが知りたいと思う質問に, 専門知を用いてこたえられる組織, そして, メディアと研究機関の論理を知ったうえで, どちらの言いなりにもならない組織である. こうした組織は, 諸外国には存在しており, 非営利組織の形態をとることも多い. 日本にもこうした組織は一部存在するが, まだ弱く影響力に乏し い. こうした部分を強化していく必要がある. 日本では, 学協会や日本学術会議など, 個々の研究機関から独立した組織が, こうした役割を担えると思っているが, まだ十分とは言えない. 8. おわりにこのように,STAP 細胞論文のケースや, それを上回る研究不正のケースが数多く存在している. しかし, 一部を除いて注目を浴びないためか, あるいは研究不正や QRP が広く蔓延しているためか, 科学コミュニティは, 研究不正を犯した研究者をスケープゴートにするばかりで, 研究不正を起こす背景を分析し, そこから教訓を得るという当事者意識が乏しいのが現状だ. 研究不正,QRP は, 調査にあたる研究者, 論文を追試する研究者, そして, 研究不正によって不当に地位に就いた研究者がいるために, 活躍の場が与えられなかった研究者の時間, カネを奪う, いわば人類にとって損失をもたらす行為と言っても過言ではない. このことを自覚したうえで, いわば 自分ごと として研究不正対策を行う研究者が一人でも増えることを願っているし, また, 中間的な組織 を作り活動する人たちが増えることを願っている. そうでないと, いずれ 研究不正は警察が捜査せよ という声が高まるに違いない. 日本薬学会のような学協会は, 一大学の利害を超えて研究不正に取り組むことができる 中間的な組織 になり得る. 今後の活動に大いに期待しているし, そうなった場合は, ともに活動できることを願っている. 利益相反開示すべき利益相反はない. REFERENCES 1) Suda M., ``Netsuzo no kagakusha: STAP saibo jiken,'' Bungeishunju Ltd., Tokyo, 2014. 2) Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT). ``Guidelines for Responding to Misconduct in Research.'': http: //www.mext.go.jp / b _ menu/houdou/26/08/ icsfiles/aˆeldˆle/ 2014/08/26/1351568_02_1.pdf, cited 14

464 YAKUGAKU ZASSHI Vol. 138, No. 4 (2018) 3) Steneck N. H., Sci. Eng. Ethics, 12, 53 74 (2006). 4) Matsuzawa T., Journal of Information Processing and Management, 56, 156 165 (2013). 5 ) Baker M., Nature, doi:10.1038 / nature. 2016.19802 (2016). 6) Grens K., ``Widespread Data Duplication.'': http://www.the-scientist.com/?articles.view/ articleno / 43321 / title / Widespread-Data- Duplication/, The Scientist Web, cited 13 7) Baker M., Nature, 533, 452 454 (2016). 8) Wadman M., Nature, 500, 14 16 (2013). 9 ) Baker M., Nature, doi:10.1038 / nature. 2015.17711 (2015). 10) Takezawa S., Science Postprint, 1, e00024 (2014). 11) The Retraction Watch. ``The Retraction Watch Leaderboard.'': http://retractionwatch. com/the-retraction-watch-leaderboard/, cited 12 12) Fang F. C., Steen R. G., Casadevall A., Proc. Nati. Acad. Sci. USA, 109, 17028 17033 (2012). 13) Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT). ``Kagaku gijutsu yoran.'': http://www.mext.go.jp/b_ menu/toukei/006/006b/1377329.htm, cited 14 14) Enoki E., ``Uso to zetsubo no seimeikagaku,'' Bungeishunju Ltd., Tokyo, 2014. 15) ``Osaka daigaku igakubu Ronbun fusei jiken.'' Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/ wiki/%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5% A4%A7%E5%AD%A6%E5%8C%BB%E5 %AD%A6%E9%83%A8%E8%AB%96% E6%96%87%E4%B8%8D%E6%AD%A3% E4%BA%8B%E4%BB%B6, cited 13 July, 2017. 16) Retraction Watch. ``Top 10 most highly cited retracted papers.'': http://retractionwatch. com / the-retraction-watch-leaderboard / top- 10-most-highly-cited-retracted-papers/,cited 13 17) The Molecular Biology Society of Japan. ``Ronbun chosa working group houkokusho.'': http://www.mbsj.jp/admins/ ethics _ and _ edu / doc / WG _ rep _ and _ iken sho.pdf, cited 13 18) Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT). ``Ryukyu daigaku igakukenkyuka kyouju no kenkyu katsudou jou no fuseikoui (netsuzou kaizan) no nintei nitsuite.'': http://www.mext.go.jp/ a_menu/jinzai/fusei/1386785.htm,cited13 19) Japanese Society of Anesthesiologists. ``Fujii Yoshitaka si ronbun ni kansuru chousa tokubetsu iinkai houkokusho.'': http:// www.anesth.or.jp/ news2012/ pdf/ 20120629_ 2.pdf, cited 13 20) The University of Tokyo. ``Bunshisaibouseibutsugaku kenkyusho kyu Kato kenkyushitsu ni okeru ronbunfusei ni kansuru chousa houkou (saishu).'': http://www.u-tokyo.ac.jp/ content/400007786.pdf, cited 13 21) The University of Tokyo. ``Choukai shobun (soutou) no kouhyou nitsuite.'': http:// www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_290303_ j.html, cited 13 22) Editorial, Nature, 496, 5(2013). 23) Kenkyu Rinri (Nekato). ``1-5-5. Kenkyu Nekato wa keisatsuga sousa seyo!.'': http:// haklak.com/page_ffp_crime.html,cited13 24) Kenkyu Rinri (Nekato). ``Dong-Pyou Han.'': http://haklak.com/page_dong-pyou_han. html, cited 13 25) enago academy. ``Kenkyu fusei o okonatta kenkyusha ga shikei ni!?'': https://www. enago.jp / academy / chinese-crackdown- _ 201706/, cited 13 26) Broadcasting Ethics and Program Improvement Organization. ``STAP saibou houdou ni taisuru moushitate ni kansuru iinkai kettei.'': http://www.bpo.gr.jp/?p=8946, cited 13 27) Enoki E., Japanese Journal of Science Communication, 18, 109 115 (2015).