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ディケンズ フェロウシップ 日 本 支 部 年 報 第 29 号 The Japan Branch Bulletin The Dickens Fellowship XXIX 2006

The Japan Branch Bulletin of the Dickens Fellowship No. 29 ISSN : 1346-0676 Edited by Eiichi Hara Editorial Board Keiji Kanameda Ryota Kanayama Eiichi Hara Yumiko Hirono Toyoko Matsumura Toshikatsu Murayama Midori Niino Toru Sasaki Fumie Tamai Shiro Yamamoto Typeset by Yuji Miyamaru Published annually by the Japan Branch of the Dickens Fellowship Department of English Literature Graduate School of Arts and Letters, Tohoku University Kawauchi 27 1, Aoba-ku, Sendai, Miyagi-ken, 980 8576 Japan Tel: +81 (0)22 795 5961 http://wwwsoc.nii.ac.jp/dickens/ 2006 The Japan Branch of the Dickens Fellowship

目 次 巻 頭 言 Queen Mab s Chariot over the Wasteland 原 英 一 1 引 継 ぎを 終 えて 西 條 隆 雄 3 論 文 バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 藤 井 晶 宏 5 書 評 ディケンズ( 著 ) 伊 藤 下 笠 隈 元 ( 訳 ) アメリカ 紀 行 川 澄 英 男 18 ディケンズ( 原 作 )ポランスキー( 監 督 ) 映 画 /DVD オリバー ツイスト Allan Conrad Christensen, 楚 輪 松 人 24 Nineteenth-Century Narrative of Contagion: Our Feverish Contact Jenny Holt 29 大 井 浩 二 旅 人 達 のアメリカ コベット クーパー ディケンズ 川 澄 英 男 34 新 井 潤 美 不 機 嫌 なメアリー ポピンズ イギリス 小 説 と 映 画 から 読 む 階 級 Fellowship s Miscellany 木 村 晶 子 40 ディケンズにおける 自 殺 の 諸 相 松 岡 光 治 43 イギリス 通 信 川 村 恵 子 53 カンタベリー 滞 在 留 学 記 松 本 靖 彦 59 News and Reports ディケンズ フェロウシップ 第 100 回 国 際 大 会 原 英 一 67 国 際 大 会 に 参 加 して 永 岡 規 伊 子 74 2005 年 度 秋 季 総 会 81 2006 年 度 春 季 大 会 88 特 別 寄 稿 左 側 に 転 覆 する 列 車 ディケンズと 脳 梗 塞 について 金 山 亮 太 93 ディケンズとキャサリンは 和 解 できたか? 寺 内 孝 108

Dickens and the Moving Age Tony Williams 120 ディケンズ フェロウシップ 日 本 支 部 規 約 144 年 報 への 投 稿 について 146 フェロウシップ 会 員 の 執 筆 業 績 (2005 2006) 148 役 員 一 覧 152 お 問 い 合 わせ 先 153 支 部 会 員 名 簿 不 掲 載 について 153 編 集 後 記 154 口 絵 :Catherine Hogarth (Sketch by Daniel Maclise, 1842) Restoration House, Rochester

vii CONTENTS Editorial Queen Mab s Chariot over the Wasteland............................. Eiichi Hara 1 Passing the Torch to our New President............................. Takao Saijo 3 Article The State in Barnaby Rudge................................... Akihiro Fujii 5 Reviews Dickens, American Notes, trans. by Ito, Shimogasa, and Kumamoto.......... Hideo Kawasumi 18 Oliver Twist, based on Dickens, directed by Roman Polanski............. Matsuhito Sowa 24 Allan Conrad Christensen, Nineenth-Century Narratives of Contagion: Our Feverish Contact................. Jenny Holt 29 Koji Oi, America Seen by Travelers: Cobbett, Cooper, Dickens............ Hideo Kawasumi 34 Megumi Arai, Why Is Mary Poppins So Cross: The British Class System Seen in Novels and Films.............. Akiko Kimura 40 Fellowship s Miscellany Aspects of Suicide in the Works of Dickens....................... Mitsuharu Matsuoka 43 A Letter from Oxford....................................... Keiko Kawamura 53 Living and Studying in Canterbury............................. Yasuhiko Matsumoto 59 News and Reports The 100th Annual Conference of the Dickens Fellowship at Amsterdam........... Eiichi Hara 67 Dickensians in Holland....................................... Kiiko Nagaoka 74 Annual General Meeting of the Japan Branch 2005.................................. 81 The Japan Branch Spring Conference 2006......................................... 88 Special Guest Articles The Carriage that Goes Over on the Left Side: Dickens and Cerebrovascular Accident...........Ryota Kanayama 93 Was Dickens Reconciled with Catherine?...................... Takashi Terauchi 108 Dickens and the Moving Age.................................Tony Williams 120 Agreements, Japan Branch of the Dickens Fellowship.................................. 144 Publications by Members of the Japan Branch, 2005 2006............................... 146

viii ディケンズ フェロウシップ 日 本 支 部 (2005 2006) 2005 年 度 総 会 日 時 :2005 年 10 月 8 日 ( 土 ) 場 所 : 甲 南 大 学 1 号 館 141 講 義 室 プログラム 総 合 司 会 日 本 副 支 部 長 青 木 健 ( 成 城 大 学 教 授 ) 開 会 (13:50 14:50) 開 会 の 辞 日 本 支 部 長 西 條 隆 雄 ( 甲 南 大 学 教 授 ) 挨 拶 久 武 哲 也 ( 甲 南 大 学 文 学 部 長 ) 研 究 発 表 (14:50 15:50) 司 会 中 村 隆 ( 山 形 大 学 助 教 授 ) 吉 田 朱 美 ( 北 里 大 学 講 師 ) The Mystery of Edwin Drood における 平 衡 と 不 均 衡 吉 田 一 穂 ( 甲 南 大 学 非 常 勤 講 師 ) Great Expectations 作 品 のテーマと self help のコンテクスト 講 演 (16:10 16:50) 司 会 山 本 史 郎 ( 東 京 大 学 教 授 ) 金 山 亮 太 ( 新 潟 大 学 助 教 授 ) 左 側 に 転 覆 する 列 車 ディケンズと 脳 梗 塞 について 特 別 講 演 (16:50 18:00) 司 会 佐 々 木 徹 ( 京 都 大 学 助 教 授 ) Michael Slater (Professor Emeritus of Birkbeck, University of London) Dickens s Lives 閉 会 (18:00) 閉 会 の 辞 日 本 支 部 長 西 條 隆 雄 懇 親 会 (18:10 ) 会 場 : 甲 南 大 学 5 号 館 カフェパンセ 2006 年 度 春 季 大 会 日 時 :2006 年 6 月 10 日 ( 土 ) 会 場 : 山 口 大 学 大 学 会 館 2 階 会 議 室 プログラム 総 合 司 会 武 井 暁 子 ( 山 口 大 学 助 教 授 ) 開 会 (13:50 14:50) 開 会 の 辞 日 本 支 部 長 原 英 一 ( 東 北 大 学 教 授 ) 挨 拶 吉 田 一 成 ( 山 口 大 学 教 育 学 部 長 ) 講 演 1 (14:10 14:50) 司 会 小 野 寺 進 ( 弘 前 大 学 助 教 授 ) 寺 内 孝 ディケンズはキャサリンと 和 解 できたか? 講 演 2 (15:00 15:40) 司 会 玉 井 史 絵 ( 同 志 社 大 学 助 教 授 ) 栂 正 行 ( 中 京 大 学 教 授 ) チャールズ ディケンズの 家 サマセット モームの 家 特 別 講 演 (16:00 17:50) 司 会 西 條 隆 雄 ( 甲 南 大 学 教 授 ) Tony Williams (Member of Headquaters) Dickens and the Moving Age 懇 親 会 (18:00 ) 会 場 : ホテルニュータナカ

巻 頭 言 Editorial Queen Mab s Chariot over the Wasteland 日 本 支 部 長 原 英 一 Eiichi Hara, Honorary Secretary to the Japan Branch In 1970, the centenary year of the death of Charles Dickens, a number of people in Japan who loved the author and his work established the Tokyo Branch of the Dickens Fellowship. The first president and honorary secretary of the Branch was Professor Koichi Miyazaki, the foremost Dickens scholar in Japan at the time. After him, Professor Shigeru Koike and Professor Takao Saijo kept alive the adventurous spirit of the branch. By their strenuous efforts it has grown into one of the most significant of the overseas branches of the Fellowship. In 2000 it was renamed the Japan Branch and a new charter was granted to the then honorary secretary Takao Saijo. It was around 1976 when I first entered the organization but, thirty years on, I still find much to explore and to comprehend fully in the great novelist and his immortal work. When I began to study Dickens, the trend of literary criticism was rapidly shifting from Structuralism to Post-Structuralism and then to Deconstruction. I was not immune to some of the strongly asserted new credos of the time: that a literary text is not the product of an isolated, individual genius but a complex structure or texture into which past texts, both literary and nonliterary, are densely interwoven, and that these texts echo and re-echo each other and will continue to do so in the future. This did not necessarily run counter to the historical methodology in which I had been nurtured as a young scholar. As I was very much intrigued by theatricality in Dickens s novels, I began to search for its origins in the works of eighteenth-century novelists. To my surprise, it was Samuel Richardson, not Fielding or Smollett, that proved most rewarding in terms of the dramatic presentation of characters and situations. Stimulated by the discovery of this unexpected kinship, I was led to examine the dramas of the preceding periods. I delved deeper and deeper into the past, reading first the plays of the Restoration and then, skipping over the Interregnum, Caroline, Jacobean,

and Elizabethan city comedies and domestic plays. We believe that Dickens is unique, that he is an inimitable. However, it is undeniable that his novels were firmly rooted in the tradition of urban literature created by Ben Jonson (Dickens s favourite), Thomas Dekker, and Thomas Middleton and inherited by Restoration dramatists. I have established for myself that it is this fertile soil of dramatic, chiefly comic, tradition going back more than two hundred years that made it possible for Dickens s genius to take root, sprout, and shoot up to such a height of achievement. I believe I am at last ready to grapple with this giant again, having cultivated this soil by myself. During the last thirty years, the cultural and social environment surrounding not only English studies but also literary studies in general has undergone a great change. Academics of my generation have always been beset and troubled with interminable reforms of the university system in Japan. The final outcome of all the upheavals is a situation in which the study of the humanities is unjustly held in disrepute, even despised. Academic disciplines that cannot earn money or have little to do with utility are being neglected and discarded as superfluous. Today the study of literature is, to quote Mr Dombey, merely a piece of base coin that couldn t be invested a bad Boy nothing more. We are dismayed to find a legion of Pecksniffs and Bounderbys arrogantly striding not only over political and economic grounds but also on our campuses. Hard times are being renewed with a vengeance. Paradoxically, however, in this age dominated by callous utility, Dickens s humanism seems to shine again all the more powerfully. Fancy is not there solely to regenerate a Gradgrind; it has the innate potential to push back or shrewdly divert the onset of vandalism, to restore vitality and radiance to civilization. I would like to believe that Dickens s gift to us, if we continue to treasure it, will ultimately transform itself into Queen Mab s chariot, soaring in triumph over the modern wasteland of sterile pragmatism and money-worship. Looking back on my own career, I cannot help feeling how small my contribution to the activities of the Fellowship has been. I am well aware of my own unworthiness as the honorary secretary of the Japan Branch. I cannot hope to emulate the dedication, self-sacrifice, and resourcefulness Professor Saijo has shown during the past six years. However, I may find an excuse for accepting the task in persuading myself that I have been given the chance to repay a part of the great debt I owe to Dickens and to the members of the Fellowship. I will never forget the warm response, questions and comments (which, though astute, were never lacking in kindness and encouragement) when I read my first paper at a conference of the Japan Branch. Our membership consists mostly of academics but the organization has always maintained a friendly, often convivial, atmosphere not always seen in other academic societies. Relying fully on the help of my friends, I would like to do my best to strengthen the bond of fellowship among us and to make sure that Dickens s humanitarian values are handed down to the next generation.

引 継 ぎを 終 えて Passing the Torch to our New President 前 日 本 支 部 長 西 條 隆 雄 Takao Saijo, Ex-Honorary Secretary to the Japan Branch 1999 年 1 月 より6 年 あまり 支 部 長 をつとめた. 理 事 の 皆 さんに 助 けら れながら, 電 子 化 と 国 際 化 の 大 波 をなんとか 乗 りきることができたかと ホッとしている.この 間,たえず 念 頭 を 離 れなかったのは, 会 員 諸 氏 に どんなプログラムを 提 供 することができるかということであった. 会 場 に 行 けば 何 か 得 るものがある, 何 か 楽 しいことがあるとの 期 待 感 をもっ ていただきたいと, 講 演 やシンポジウムのほかに 小 池 コレクション とか,ディケンズの 記 念 切 手,ロンドン 呼 売 商 人 の 図 版,19 世 紀 イギリ スの 出 版 に 関 する 文 献,ディケンズの 読 んだ 児 童 本 などを 展 示 してみた. 英 国 大 使 館 をお 借 りし, 日 本 国 内 でありながらパスポートを 携 帯 して 参 加 した 春 季 大 会 (2004 年 6 月 ) や,ギャスケル 協 会 との 合 同 大 会 (2004 年 10 月 ) を 開 いたことも, 楽 しい 話 題 提 供 になったかもしれない. 就 任 直 後, 待 ったなしの 大 仕 事 はホームページの 立 ち 上 げだった. 松 岡 光 治 理 事 のリーダーシップのもとに, 会 員 名 簿, 過 去 のプログラムお よび 活 動 記 録,さまざまな 記 事 論 文 研 究 文 献 の 電 子 化 が 進 められ, 他 の 学 会 に 先 駆 けてホームページの 公 開 ができたのは 誇 るべき 事 業 だった. いろんな 方 に 研 究 室 の 片 隅 や 机 の 引 出 しの 底 をかきまわして 東 京 支 部 設 立 趣 旨 や 過 去 のプログラムを 探 してもらう 一 方,すでに 出 版 されて いる 文 献 集 については 著 者 や 出 版 社 に 手 紙 を 出 して 掲 載 許 可 をいただき, 日 本 支 部 の 歩 みをほぼ 正 確 に 記 録 に 残 すことに 成 功 した.これによって 会 員 諸 氏 は 支 部 の 歩 みと 活 動 の 跡 を 簡 単 に 知 りうることができるように なったし, 事 務 局 の 仕 事 量 はおどろくほど 軽 減 し, 海 外 の 研 究 者, 読 者 の 間 でも 評 判 となって, 支 部 の 名 は 大 いに 高 まった. ディケンズ フェロウシップは 都 市 を 中 核 として 支 部 を 作 っているの で,1970 年 の 発 足 当 時, 私 たちは 東 京 支 部 の 名 で 認 可 を 受 けた. 国 内 では 最 初 から 日 本 支 部 の 名 称 で 活 動 しているので 別 に 支 障 がある

わけではないが, 海 外 では 依 然 東 京 支 部 として 扱 われているので, この 際 日 本 支 部 に 変 更 するのがよいとの 理 事 会 の 結 論 を 得 て,これ を 支 部 総 会 に 提 案 し 了 承 を 得 た.そこでロンドン 本 部 に 支 部 名 変 更 を 申 請 し,2000 年 7 月,この 件 がロチェスターにおける 年 次 総 会 で 正 式 に 認 可 され, 日 本 支 部 に 新 チャーター が 贈 呈 された. 名 称 の 正 式 な 変 更 と 同 時 に, 組 織 の 停 滞 と 閉 塞 を 未 然 に 防 ぐため, 支 部 規 約 を 一 部 改 正 し, 新 たな 提 案 や 試 みに 対 応 しやすい 体 制 を 目 指 した. 年 報 については, 現 支 部 長 原 英 一 氏 の 尽 力 によって 一 新 されたこと を 特 筆 しなければならない. 就 任 一 年 目 の 終 わりには, 学 問 と 親 睦 を 織 りまぜた 現 行 の 年 報 がお 目 見 えし, 審 査 論 文 フェロウシップ ミ セラニー その 他 を 載 せて, 学 びかつ 読 んで 楽 しめる 会 報 が 会 員 諸 氏 の 手 に 渡 った. 国 立 国 会 図 書 館 で ISSN 登 録 をすませ, 正 式 に 学 術 雑 誌 とし て 認 定 された 年 報 は, 内 外 のディケンズ 研 究 についての 情 報 もたく さんあり, 好 評 を 博 している. 海 外 の 著 名 なディケンズ 研 究 者 を 招 待 することも, 窮 屈 な 予 算 内 で 何 とか 企 画 し,ほぼ 毎 年 のように 特 別 講 演 を 開 いた.こういえば 華 々しく 聞 こえはするが,これはいくつかの 大 学 で 同 時 に 講 演 会 を 開 いて 旅 費 滞 在 費 を 補 ってもらったからこそ 実 現 した 離 れ 業 であって,その 成 功 のた めに 献 身 的 にお 世 話 下 さった 方 々には 心 から 感 謝 している. 海 外 研 究 者 との 交 流 と 親 睦 は, 日 本 におけるディケンズ 理 解 を 大 きく 高 め, 同 時 に ロンドン 本 部 と 日 本 支 部 をしっかり 結 んだ. 前 支 部 長 のときには Philip Collins, Malcolm Andrews, Andrew Sanders が 来 日 されたが, 私 の 任 期 中 に も Michael Slater (1999 年, 2005 年 ), Paul Schlicke (2000 年 ), Lillian Nayder (2002 年 ), Adrian Poole (2003 年 ), Alan Shelston (2004 年 ), Alan Dilnot (2005 年 ) をお 招 きし,これによって 会 員 諸 氏 の 間 に 交 流 と 親 睦 の 輪 を 広 げる ことができたのではないかと 思 う. 国 際 大 会 には,まるで 海 外 の 知 己 に 会 うような 気 軽 さで 参 加 できることもあり, 参 加 者 の 数 も 増 えた. 一 方, 実 際 にそうした 研 究 者 の 指 導 の 下 で 研 究 をすすめ 学 位 を 取 得 する 会 員 も 生 まれ,あらたな 交 流 の 輪 も 広 がってきた. 日 本 支 部 にはいい 環 境 が 整 いつつある.いっそうの 飛 躍 を 祈 りたい.

ディケンズ フェロウシップ 日 本 支 部 年 報 第 29 号 (2006 年 10 月 ) バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 The State in Barnaby Rudge 藤 井 晶 宏 Akihiro Fujii ディケンズの 数 少 ない 歴 史 小 説 の 一 つ バーナビー ラッジ は,18 世 紀 末 のゴードン 騒 動 を 描 いた 小 説 として 知 られている.ゴードン 騒 動 とは,1780 年 に カトリック 反 対 を 旗 印 にしたプロテスタント 連 盟 の 指 導 者 ジョージ ゴードン 卿 の 扇 動 により, 多 くのロンドン 市 民 が 巻 き 込 まれるように 加 わって いき, 最 終 的 には 市 民 の 死 者 が 数 百 人 を 超 えたという 約 一 週 間 に 及 ぶ 暴 動 のこ とだ. ただし 小 説 は, 前 半 の 三 分 の 一 まではゴードン 騒 動 とは 無 関 係 であり, 幾 組 かの 抑 圧 する 権 威 的 な 父 親 とその 息 子 の 関 係, 家 同 士 の 確 執, 或 いは 昔 の 殺 人 事 件 をめぐる 人 物 たちなどを 中 心 に 展 開 している.ゴードン 騒 動 に 関 する 描 写 が 小 説 の 中 心 を 占 めるようになるのは,ゴードン 卿 が 第 35 章 に 登 場 してから だ. 反 カトリックの 運 動 を 繰 り 広 げるゴードン 卿 一 行 はこのとき,サフォーク 州 からロンドンに 向 かう 途 中 であり,それまで 多 くの 群 衆 を 熱 狂 させてきたこ とが 語 られる.その 後 は 反 カトリックの 運 動 とそれに 関 わる 人 たちを 中 心 に 話 が 展 開 し, 後 日 カトリック 救 済 法 の 廃 止 を 求 めて,ゴードン 卿 たちが 多 くの 群 衆 を 引 き 連 れ 議 会 へ 行 進 していく 場 面 が 続 き,その 後 に 強 烈 な 印 象 を 与 える 暴 動 の 描 写 が 続 くことになる. ゴードン 卿 たちが 廃 止 を 求 めたカトリック 救 済 法 とは,その 二 年 前 の 1778 年 に 成 立 したもので,それまでカトリックの 司 祭 がその 子 弟 にカトリックの 教 育 を 行 なえば 死 ぬまで 監 獄 に 入 れられるとか,カトリック 教 徒 が 土 地 を 買 っ たり 相 続 した 場 合 に 無 効 とされる 等 の 不 利 益 を 改 めることを 目 的 としたものだ った. 1 結 局,カトリック 救 済 法 廃 止 の 請 願 が 議 会 に 拒 否 され,これに 納 得 で きないゴードン 卿 が 議 会 前 に 集 まった 群 衆 を 煽 る 演 説 を 行 ったことをきっかけ に,その 夜 群 衆 がカトリックの 教 会 を 襲 撃 し, 一 週 間 に 及 ぶ 暴 動 が 始 まるこ

バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 とになる.それ 以 前 からゴードン 卿 の 秘 書 ガシュフォードが 画 策 していたと いうこともあり,その 後 は 一 般 庶 民 をも 巻 き 込 んで, カトリック 反 対 ( No Popery! Lord George! Down with the Papists (269)) を 旗 印 にしながらも, 実 際 に は 盲 目 的 な 破 壊 のための 破 壊 へと 突 き 進 んでいったのだ. ディケンズ 自 身 は, 反 カトリック 運 動 を 扇 動 する 側 される 側 の 双 方 に 最 初 か ら 批 判 的 だった. 扇 動 する 側 のゴードン 卿 は, 群 衆 に 向 かって 我 々は 成 功 し なければならない という 決 起 を 促 すようなことを 言 う 一 方 で, 神 が 我 々の 努 力 を 祝 福 してくれるだろう とか, 国 王 は 我 々の 願 いをかなえてくれるだ ろう といった, 議 会 を 超 えて 力 を 揮 うことが 可 能 な 他 の 権 威 に 頼 る 発 言 をし ていて,その 態 度 も 発 言 の 内 容 同 様, 子 供 じみていて 優 柔 不 断 ではっきりしな かったとディケンズに 評 されている (376). 一 方, 議 会 の 外 に 集 まってゴードン 卿 の 演 説 を 聞 いていた 群 衆 に 対 して も,ディケンズは ロンドンのくずとカス (the very scum and refuse of London (374)) と 呼 ぶなど 否 定 的 だ. 結 局 彼 らは 反 カトリック を 契 機 に 暴 力 を 解 放 したに 過 ぎず, 初 めからゴードン 卿 の 意 図 を 遂 行 する 集 団 ではなかった.それ はのちに 暴 徒 を 先 導 することになる 馬 丁 のヒューと 絞 首 刑 執 行 人 デニスが, 暴 動 以 前 に 次 のような 会 話 を 交 わしていたことからも 明 らかだ. No Popery, brother! cried the hangman. No Property, brother! responded Hugh. Popery, Popery, said the secretary[gashford] with his usual mildness. It s all the same! cried Dennis. It s all right. Down with him, Master Gashford. Down with everybody, down with everything! (288) No Popery が No Property に, Down with the Papists が Down with everything へと 簡 単 にすりかわってしまい, 彼 らにとって 両 者 は 同 じことなのだ. 一 旦 解 放 されてしまった 暴 力 は, 圧 倒 的 な 勢 いでロンドンを 席 捲 し,もはや 誰 かに 止 めることができるものではなかった. 暴 徒 がニューゲイト 監 獄 を 襲 撃 したとき,その 鍵 を 開 けるように 群 衆 に 迫 られても 頑 として 応 じなかったゲイ ブリエル ヴァーデン(ディケンズは 最 初 彼 を 主 人 公 にすることを 考 えていて, 彼 の 名 を 小 説 のタイトルにしようとしていた)や,かつての 恋 人 を 群 衆 から 救 い 出 したエドワード チェスターやジョー ウィレットの 英 雄 的 な 行 為 は, 確 かに 印 象 には 残 るものの, 群 衆 の 暴 力 を 止 めるという 点 で 全 く 無 力 であること にかわりはない. 後 でも 触 れるように, 最 終 的 には 国 が 軍 隊 に 武 力 行 使 をする ことを 認 めて, 暴 動 はようやく 鎮 圧 される.この 小 説 を 普 通 に 読 む 限 り, 軍 隊

藤 井 晶 宏 の 武 力 による 暴 動 鎮 圧 は 当 然 かつ 正 当 な 行 為 に 見 える. その 理 由 の 一 つは 暴 徒 の 暴 力 が 常 軌 を 逸 していることだろう.ディケンズは 当 初,ベドラム 精 神 病 院 から 出 てきた 男 たちによって 暴 徒 が 率 いられるという 設 定 を 考 えていたことが 知 られているが, 2 この 事 実 が 暗 示 しているように,デ ィケンズが 描 く 彼 らの 暴 力 は 一 種 の 狂 気 を 帯 びていた. 結 局 そのアイデアはあ きらめたようだが,ベドラム 精 神 病 院 の 患 者 と 暴 徒 との 親 近 性 はディケンズ の 頭 から 離 れなかったようで,ある 箇 所 では 暴 徒 たちがベドラムから 出 てきた 男 たちと 比 較 されているし (If Bedlam gates had been flung open wide, there would not have issued forth such maniacs as the frenzy of that night had made. There were men there, who danced and trampled on the beds of flowers as though they trod down human enemies, and wrenched them from the stalks, like savages who twisted human necks. (423)),それ 以 外 にも, 暴 徒 と 狂 気 を 関 連 させる 描 写 は 多 い. 確 かに, 暴 動 が 狂 気 を 帯 びればそれだけ 鎮 圧 されるべき 暴 力 ということになり, 鎮 圧 す る 軍 隊 の 武 力 行 使 に 正 当 性 を 与 えていくことになる.しかし, 正 気 か 狂 気 かと いうのは 実 は 大 した 問 題 ではない. 後 でも 触 れるように, 軍 隊 の 武 力 行 使 の 正 当 性 はそうしたことを 根 拠 にしているわけではないからだ. 筆 者 が 注 目 するのは, 実 際 に 暴 動 を 鎮 圧 できたのが 軍 隊 だけだったという 事 実 だ. 軍 の 武 力 行 使 は 国 家 の 意 思 を 体 現 しているから,その 意 味 で 国 家 のみが 群 衆 の 暴 力 を 上 まわる 暴 力 を 行 使 できたということになる.これは 決 して 偶 然 生 じた 事 態 ではなく, 国 家 にとって 根 本 的 な 問 題 に 関 わっている. 国 家 という 存 在 にとって, 強 力 な 暴 力 を 行 使 し 得 ることは, 非 常 に 重 要 な 要 素 だからだ. 3 仮 にそのことを 意 識 しなくとも, 軍 隊 が 暴 徒 を 鎮 圧 することに 対 して 当 然 だと か 正 当 だという 感 覚 を 抱 くとすれば,こうした 国 家 観 と 無 関 係 ではあり 得 ない. この 論 では,こうした 暴 動 に 対 する 国 家 の 対 応 に 注 目 することで,この 小 説 に おいて 国 家 がどのような 姿 をみせているかを 考 察 したい. * * * 自 分 の 家 が 迫 り 来 る 暴 徒 の 標 的 となっていたカトリック 教 徒 のワイン 商 人 は, 暴 動 に 対 して 何 ら 防 衛 手 段 を 講 じようとしない 何 人 もの 治 安 判 事 やロンド ン 市 長 に 苛 立 って(ロンドン 市 長 の 対 応 の 悪 さが 暴 動 を 激 化 させてしまったこ とは 事 実 だ), 市 長 と 次 のようなやりとりをしている. [W]hat am I to do? Am I a citizen of England? Am I to have the benefit of the laws? Am I to have any return for the King s taxes?

バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 I don t know, I am sure, said the Lord Mayor; what a pity it is you re a Catholic! Why couldn t you be a Protestant, and then you wouldn t have got yourself into such a mess? (467) ワイン 商 人 がカトリックであることを 理 由 に, 何 もせずにすませようとする 市 長 の 怠 慢 についてはひとまず 置 いておくとして,ワイン 商 人 の 発 言 に 注 目 しよ う. 彼 が 求 めているのは 国 家 の 庇 護 であり, 税 金 の 対 価 として, 彼 はそれを 受 ける 当 然 の 権 利 があると 主 張 している.ここには, 国 民 が 各 自 で 強 力 な 武 力 を 蓄 えたり, 暴 力 を 勝 手 に 行 使 することができない 以 上, 国 家 が 国 民 を 守 るべき だという 国 家 観 がうかがえる. 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ここで 連 想 するのは,マックス ウェーバーが 国 家 を 正 当 な 物 理 的 暴 力 行 0 0 0 0 0 0 使 の 独 占 を( 実 効 的 に) 要 求 する 人 間 共 同 体 である と 定 義 し, 国 家 の 側 で 許 容 した 範 囲 内 でしか, 物 理 的 暴 力 行 使 の 権 利 が 認 められないということ つ まり 国 家 が 暴 力 行 使 への 権 利 の 唯 一 の 源 泉 だと 述 べていることだ. 4 マ イロン マグネットもディケンズとウェーバーのこうした 考 えとの 親 近 性 に 言 及 しているが, 5 バーナビー ラッジ の 場 合, 明 らかに 国 家 の 許 容 しない 暴 力 を 行 使 しているのは 暴 徒 であり,それに 対 抗 する 軍 隊 の 武 力 行 使 は, 国 家 が 見 せた 正 当 な 暴 力 行 使 の 唯 一 の 権 利 の 主 張 だったということができる.しかしこ こで 整 理 しておかなければいけない 問 題 は,なぜ 軍 隊 の 武 力 行 使 が 正 当 な 物 理 的 暴 力 の 行 使 になるのかということだ. 繰 り 返 しになるが,それは 破 壊 を 繰 り 返 す 暴 徒 が 狂 気 をはらんでいるのに 対 して, 軍 隊 がそうでないからではな く, 全 く 別 の 問 題 だ. ウェーバーは 正 当 性 の 根 拠 の 型 として 三 つの 型 を 挙 げている.つまり 伝 統 的 支 配 カリスマ 的 支 配 合 法 性 による 支 配 の 三 つ.ただし 現 実 にはこう した 純 粋 な 型 では 見 つからず,これらは 複 雑 に 変 容 したり 結 合 したりしている という. 6 ここに 目 的 の 道 徳 的, 倫 理 的 正 しさという 側 面 が 入 っていないが, 無 論 それはあってはいけないということではなく,ある 方 が 望 ましいに 違 いはな いにしても, 正 当 性 を 構 成 するのに 絶 対 に 必 要 な 条 件 ではないということにな る.こうしたことを 踏 まえて バーナビー ラッジ を 見 てみると,まだ 軍 隊 が 武 力 行 使 をしていない 段 階 で 二 人 の 兵 士 が 交 わしている 会 話 は, 軍 隊 が 武 力 を 行 使 する 正 当 性 を 成 り 立 たせるものについて 示 唆 に 富 んでいることがわか る. Call me out to stop these riots give me the needful authority, and half-adozen rounds of ball cartridge

藤 井 晶 宏 Ay! said the other voice. That s all very well, but they won t give the needful authority. If the magistrate won t give the word, what s the officer to do? (444) 一 人 目 の 兵 士 が 言 っていることは 一 言 で 言 えば, 必 要 な 権 威 ( 権 限 )と 弾 薬 があれば, 暴 動 を 止 められるということだ. 弾 薬 は, 暴 動 鎮 圧 のために 物 理 的 に 強 い 力 を 持 つ 必 要 があることを 示 していてわかりやすいが, 興 味 深 いのはも う 一 方 の 権 威 ( 権 限 )だ. 二 人 目 の 兵 士 が 言 うように,その 権 威 ( 権 限 )とは 言 葉 (word) に 過 ぎないけれど,それがない 限 り 正 当 性 を 成 り 立 たせること ができず, 将 校 は 何 もできないのだ.この 場 合, 必 要 な 権 威 ( 権 限 )を 与 える 治 安 判 事 なりロンドン 市 長 なりの 個 人 的 な 資 質 は 問 題 ではない( 現 に, 治 安 判 事 も 市 長 も 迅 速 に 対 応 する 能 力 を 欠 いていて,ふさわしい 資 質 を 備 えていると はいえない). 権 威 ( 権 限 )は 制 度 に 組 み 込 まれていて, 武 力 行 使 の 容 認 とい う 内 容 さえあれば, 言 葉 として 発 せられることで 正 当 な 力 を 持 つようにできて 0 いる.その 正 当 性 の 根 拠 は, 先 ほどのウェーバーの 分 類 に 従 えば,その 内 容 を 制 0 定 法 規 の 妥 当 性 に 対 する 信 念 と, 合 理 的 につくられた 規 則 に 依 拠 した 客 観 的 な 権 限 とに 基 づいた 支 配 と 説 明 している, 合 法 性 による 支 配 に 近 いとい えるだろうか. 7 結 局 彼 らが 必 要 とする 権 威 を 得 て, 正 当 な 武 力 の 行 使 が 可 能 になる 瞬 間 は, 以 下 のときだった. 確 かに 実 際 に 与 えられる 権 威 は 声 明 (proclamation), つまり 言 葉 にすぎなかった. At last, at seven o clock in the evening, the Privy Council issued a solemn proclamation that it was now necessary to employ the military, and that the officers had most direct and effectual orders, by an immediate exertion of their utmost force, to repress the disturbances; and warning all good subjects of the King to keep themselves, their servants, and apprentices, within doors that night. There was then delivered out to every soldier on duty, thirty-six rounds of powder and ball; the drums beat; and the whole force was under arms at sunset. (515) 国 王 の 近 くに 位 置 する 枢 密 院 が 声 明 を 出 して, 暴 動 を 鎮 める 手 段 として 武 力 の 行 使 を 認 め, 国 王 の 臣 民 は 外 出 を 制 限 するよう 要 請 される.その 声 明 に 続 い て,それまでほとんど 機 能 していなかったロンドン シティが 機 能 し 始 める (The City authorities, stimulated by these vigorous measures, held a Common Council; (515)).さらには,ロンドンの 様 々な 場 所 で 兵 士 ではない 人 も 武 装 し 配 置 につ

10 バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 くなどして,またたく 間 に 臨 戦 態 勢 が 整 い, 破 壊 の 限 りを 尽 くしながら 近 づい てくる 暴 徒 を 待 ち 受 けることになる.これはまさに, 必 要 な 権 威 を 得 て, 国 家 のシステムが 機 能 し 始 めていることを 示 していた. These arrangements being all made simultaneously, or nearly so, were completed by the time it got dark; and then the streets were comparatively clear, and were guarded at all the great corners and chief avenues by the troop. [...] More chains were drawn across such of the thoroughfares as were of a nature to favour the approach of a great crowd, and at each of these points a considerable force was stationed. (515) 間 もなくロンドン 中 を 火 の 海 にしながら 押 し 寄 せてきた 暴 徒 に, 兵 士 たちの 発 砲 する 銃 声 が 響 き 渡 り, 多 くの 通 りは 戦 場 と 化 すことになる. 市 内 は 混 乱 を 極 めるが, 声 明 が 出 された 水 曜 日 の 翌 々 日 の 金 曜 日 には 暴 動 をほぼ 鎮 圧 すること で, 軍 はその 強 力 な 力 を 証 明 してみせた.しかし 国 家 の 暴 力 は 暴 徒 の 破 壊 行 為 を 止 めただけではなく,すぐに 次 の 段 階 に 移 っていくことになる.しかもそれ は, 強 い 武 力 を 前 提 にしてのみ 可 能 なことだった. * * * 軍 隊 は 強 い 武 力 (strong military force (558)) でロンドンの 秩 序 を 回 復 する と, 次 は, 暴 徒 たちを 容 赦 なく (with unrelenting vigour (558)) 探 し 出 し 拘 束 す るという 暴 力 を 行 使 し 始 める.しかし 200 人 以 上 の 暴 徒 を 射 殺 するのも, 100 人 以 上 の 暴 徒 を 拘 束 するのも (Upwards of two hundred had been shot dead in the streets [...]. A hundred were already in custody, and more were taken every hour. (558)), 国 家 による 一 連 の 正 当 な 暴 力 の 行 使 なのだ. 勿 論,この 行 為 は 合 法 的 なものだ. 合 法 であることは,その 行 為 が 暴 力 であることと 矛 盾 しな い.ベンヤミンによると,むしろ 法 は 暴 力 を 独 占 しようとする という.さ らに,ベンヤミンは 法 の 手 中 にはない 暴 力 は,それが 追 求 するかもしれぬ 目 的 によってではなく,それが 法 の 枠 外 に 存 在 すること 自 体 によって,いつでも 法 をおびやかす ために, 法 はその 目 的 を 守 るためではなく, 法 そのものを 守 るために, 法 の 外 にある 暴 力 を 取 り 締 まらなければならないという. 8 では 何 故 国 家 の 暴 力 は 法 の 中 にあり, 法 を 脅 かすことがないのかといえば, その 法 がそもそも 暴 力 行 使 の 独 占 を 要 求 する 国 家 によって 定 められたからだ, ということになる.つまり 合 法 性 というものは, 国 家 がみずからの 暴 力 の 優 位

藤 井 晶 宏 11 性 に 基 づいて 法 を 措 定 し, みずからを 合 法 的 だと 規 定 しながら, 他 の 暴 力 を 違 法 なものとして 取 り 締 まる という 自 己 準 拠 的 な 構 造 によってはじめ て 確 立 されるからだという. 9 みずからの 存 在 を 支 える 根 拠 をみずから 生 み 出 すという 自 己 準 拠 的 な 構 造 といえば, the authority erected by society for its own preservation という 語 句 を 連 想 しないだろうか (387). ここで, 国 家 が 自 ら 作 った 根 拠 によって 合 法 とされた 暴 力,それも 暴 力 が 法 秩 序 のなかに 現 出 するときの 最 高 の 形 態 である 生 死 を 左 右 する 暴 力 とベン ヤミンが 呼 んだ, 死 刑 について 考 えることは 理 にかなっているだろう. 10 バー ナビー ラッジ には, 絞 首 刑 執 行 人 のデニスという 脇 役 ながら 興 味 深 い 人 物 が 登 場 していて, 死 刑 と 法 について 考 えるのに 格 好 の 材 料 を 提 供 してくれてい る. 彼 は 死 刑 という 国 家 によって 合 法 とされた 暴 力 を 行 使 することを 仕 事 に していて,その 立 場 を 守 ることが 全 ての 行 動 の 基 準 になっているような 男 だ. あまりにもそれが 一 貫 しているため,ディケンズ 的 にユーモラスでもあるのだ が,それが 暴 徒 によるニューゲイト 監 獄 襲 撃 という 小 説 のクライマックスに 実 に 印 象 的 な 形 で 現 われていて, 単 にユーモラスとして 片 付 けられない 存 在 にな っている. 彼 は 暴 徒 の 一 人 として 積 極 的 にニューゲイトの 襲 撃 に 参 加 するが,そこに 閉 じ 込 められていた 死 刑 囚 を 解 放 することにだけは 反 対 する. 他 の 囚 人 はともか く,その 翌 々 日 の 木 曜 日 に 死 刑 になる 予 定 の 四 人 の 死 刑 囚 だけは, 自 分 の 手 で 死 刑 になるべきだと 考 えているのだ. 死 刑 囚 も 含 めて 全 ての 囚 人 を 解 放 しよう とする 仲 間 のヒューに 抵 抗 して,デニスが 持 ち 出 すのが 合 法 性 という 正 当 性 だ ( Don t you respect the law the consitootion nothing? (503)).しかしデニ スの constitootion とは, 一 言 で 言 えば 絞 首 刑 の 執 行 のことであり, 彼 にとっ ては 絞 首 刑 が 法 そのものなのだ(もっともベンヤミンが 言 うように, 死 刑 が, 暴 力 という 法 の 根 源 が 代 表 的 に 実 体 化 され たものだとすれば, 彼 の 絞 首 刑 重 視 は 必 ずしも 的 外 れではないのかもしれない). 11 法 を 犯 すものが 国 家 の 敵 で あるように, 彼 の constitootion を 侵 害 するものはすべて 彼 の 敵 なのだ.その ことを 証 明 するようにデニスは,ニューゲイトで 彼 に 逆 らって 死 刑 囚 まで 解 放 したヒューとその 仲 間 たちを, 群 衆 を 鎮 圧 するためにいた 兵 士,つまりそれま で 敵 だった 兵 士 に 引 き 渡 してしまう.ところが,そのときに 逃 げ 出 そうとした スタッグを 兵 士 が 射 殺 すると, 今 度 デニスはその 兵 士 に 怒 りを 向 ける. 理 由 は ここでも constitootion の 侵 害 だ. Look at this man. Do you call this constitootional? Do you see him shot

12 バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 through and through instead of being worked off like a Briton? Damme, if I know which party to side with. You re as bad as the other. What s to become of the country if the military power s to go superseding the ciwilians in this way? Where s this poor feller-creetur s rights as a citizen, that he didn t have me in his last moments! (535) 死 刑 を 絞 首 刑 にしてもらうことが 国 民 の 権 利 だと 主 張 するかのようなこの 場 面 のデニスは,グロテスクでさえあるといっていいだろう.いずれにしてもこ こで 明 らかなのは, constitootional であること,つまり 絞 首 刑 のみを 認 め,い かなる 形 であれそれを 侵 害 するものを 敵 視 するという 彼 の 態 度 であり,さらに constitootion を 守 ることが 国 のためになるという 彼 の 発 想 だ.この 発 想 は 彼 に 一 貫 したもので, 彼 は 暴 動 がまだ 始 まる 前 にゴードン 卿 一 行 と 会 って 自 分 の 考 えを 述 べたときにも, 同 様 の 発 言 をしていた. 異 なっているのは,この 段 階 で はまだ constitootion を 侵 害 する 恐 れのあるものが,カトリックに 限 られてい たことだ. If these Papists gets into power, and begins to boil and roast instead of hang, what becomes of my work! If they touch my work that s a part of so many laws, what becomes of the laws in general, what becomes of the religion, what becomes of the country! (284 85) デニスの 知 識 の 正 確 さに 関 してはともかく,ここで 確 認 しておきたいのは 彼 の 絞 首 刑 執 行 = constitootion の 重 視 こそが, 反 カトリック(プロテスタント) の 英 国 と 一 体 だということだ. 彼 は 別 の 箇 所 で 絞 首 刑 という 仕 事 を Protestant, constitutional, English work とも 呼 んでいた (284). これをデニスだけのユニークな 発 言 といってすませられないのは, 絞 首 刑 は ともかく, 反 カトリックと 英 国 人 の 結 びつきが 彼 独 自 の 思 い 付 きではなく, 多 くの 人 に 共 有 されたものだったからだ.つまりそこでデニスは, 国 家 とは 異 な る,もっと 同 質 な 人 間 たちによって 構 成 される 共 同 体 に 属 しているのだ. 歴 史 的 事 実 としても,プロテスタントであることが 英 国 民 としてのアイデンティテ ィを 形 成 するのに 大 きな 役 割 を 果 たしたように, 12 デニスはその 共 同 体 の 一 員 としてのアイデンティティを 手 に 入 れていた.その 共 同 体 とは, 暴 動 の 首 謀 者 ゴードン 卿 がカトリックを 非 難 するときに un-english Papist と 呼 ぶことを 可 能 にし (270), 各 地 で 多 くの 人 を 集 めて 演 説 をしては 人 々を 熱 狂 させ, 一 つの 反 カトリックの 大 きな 勢 いを 生 み 出 す (roll with a noise like thunder (270)) こと を 可 能 にしたのと 同 じものだ. 暴 動 は,プロテスタントの 英 国 人 という 以 外,

藤 井 晶 宏 13 本 来 は 全 く 無 関 係 で 多 様 な 人 たちが,ゴードン 卿 という 一 つの 対 象 を 共 有 する ことによって( 彼 がロンドンにやってきたときには, 多 くの 人 が 彼 の 顔 を 知 っ ていた (281)), 一 つの 行 動 をとるに 至 るまで 結 びついた 結 果 だった. 絞 首 刑 の 執 行 = constitootion を 何 より 重 視 するデニスが, 同 時 にこのプロ テスタントの 英 国 人 としての 一 体 感 を 共 有 できたということは, 我 々にあるこ とを 気 づかせてくれる.つまり,プロテスタントの 英 国 人 という 条 件 は 暴 徒 た ちのみにあてはまるものではなく, 彼 らと 対 立 することになる 国 家 の 権 力 を 行 使 する 側 の 人 間, 例 えば 国 王 やロンドン 市 長 にも 当 てはまるということだ.ゴ ードン 卿 が 請 願 を 議 会 に 拒 否 されたときに, 国 王 に 自 分 たちの 共 同 体 の 利 害 を 代 表 させようとして, 国 王 ならば 自 分 たちの 願 いをかなえてくれると 言 ったの も 理 由 のないことではなかったのだ.また,ロンドン 市 長 や 治 安 判 事 が 暴 動 に 対 して 対 応 が 遅 れたのも, 基 本 的 に 彼 らが 暴 徒 と 共 通 の 基 盤 の 上 に 立 っていた ことと 関 係 があると 考 えられないことはない. 上 で 既 に 引 用 したが, 市 長 がワ イン 商 人 に 向 かって 言 った [W]hat a pity it is you re a Catholic! Why couldn t you be a Protestant [...]? という,プロテスタントでないことに 責 任 があるかのよう な 言 葉 は,ワイン 商 人 のみがその 共 同 体 から 締 め 出 されていたことを 暗 示 して いないだろうか.あえて 乱 暴 な 言 い 方 をすれば, 暴 徒 と 権 力 側 は 潜 在 的 に 共 犯 関 係 にあったということだ. ここで 改 めて 考 えたいのは, 暴 徒 によるニューゲイト 襲 撃 の 意 味 だ. 小 説 全 体 のクライマックスとしても 印 象 的 な 大 事 件 であるこの 襲 撃 は, 今 までたどっ てきた 文 脈 に 従 うと,この 潜 在 的 な 共 犯 関 係 を 壊 すという 点 で 大 きな 意 味 を 持 っていたことになる.マグネットのいうように, 監 獄 が,それを 通 じて 国 家 の 力 が 直 接 に 働 く 社 会 機 関 のひとつであるとするなら, 13 監 獄 を 襲 撃 することは 国 家 に 対 する 直 接 の 攻 撃 を 意 味 することになる.それに 応 じるように 翌 日, 枢 密 院 が 武 力 行 使 を 認 める 声 明 を 出 したのは,それまで 潜 在 的 に 同 質 なものとし て 認 めていた 暴 徒 を 今 後 敵 視 するという 意 思 を 表 明 したものだと 考 えられる. あらためてデニスに 話 を 戻 して 考 えてみると, 彼 はこうした 国 家 のパロディ としてみえてこないだろうか. 彼 も 元 来 は,プロテスタントの 英 国 人 として 暴 徒 と 同 じ 共 同 体 に 属 する 一 人 だった.ところが, 暴 徒 がニューゲイトを 襲 撃 し 死 刑 囚 を 解 放 することで 法 の 一 部 にふれたとき, 彼 と 共 同 体 との 一 体 感 は 失 われてしまった. 以 後, 彼 にとっても 暴 徒 は 敵 でしかなくなったのだ. * * *

14 バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 誤 解 のないように 付 け 加 えておかなければならないが,ディケンズはデニ スに 対 しても 法 に 対 しても, 決 して 肯 定 的 ではない.この 論 の 初 めに,ディ ケンズが,ゴードン 卿 を 初 め 暴 徒 たちに 対 して 厳 しい 批 評 を 加 えていることに 触 れたが,それらを 取 り 締 まる 法 に 対 しても 批 判 的 だった. 議 会 前 に 集 まった 群 衆 の 大 半 が ロンドンのくずとカス と 評 されていたことは 既 に 触 れたが, 実 は 何 よりも 法 がこうした 連 中 を 増 加 させたとも 書 かれていた (the very scum and refuse of London, whose growth was fostered by bad criminal laws, bad prison regulations, and the worst conceivable police (374)). 暴 動 が 鎮 圧 された 後 に, 多 くの 人 が 死 刑 に,つまり 合 法 的 に 命 を 奪 われた. ディケンズは 足 の 不 自 由 な 少 年 たちや,あわれな 女 性 たちも 死 刑 になったこ とを 告 げた 後,こうした 結 果 をもたらす 法 の 不 当 性 を 暗 示 している (In a word, those who suffered as rioters were, for the most part, the weakest, meanest, and most miserable among them. (597)).さらに 同 じ 頃 よく 見 られた, 死 刑 囚 が 刑 場 に 送 られていく 幾 つかのこうした 光 景 についてこうも 言 っている. [S]ome so moving in their nature, and so repulsive too, that they were far more calculated to awaken pity for the sufferers, than respect for that law whose strong arm seemed in more than one case to be as wantonly stretched forth now that all was safe, as it had been basely paralysed in time of danger. (597) そうした 中 バーナビーにも 死 刑 が 宣 告 されていた. 生 まれつき 精 神 的 に 未 発 達 な 彼 は, 昔 からの 仲 間 ヒューに 誘 われ 何 もわからないまま 暴 動 に 加 わり, 暴 徒 の 先 導 をするなどの 大 活 躍 をしたためだ.ディケンズは,バーナビーに 対 する 死 刑 判 決 が 法 の 尊 厳 を 確 立 するためであり, 絞 首 台 こそがその 尊 厳 の 象 徴 (584) だったのだと 皮 肉 をこめて 述 べている. 一 方 それとは 対 照 的 に, 死 刑 執 行 当 日 の 朝 のバーナビーの 態 度 は 高 く 評 価 していて, 死 刑 囚 の 中 で 一 人 だけき ちんと 身 支 度 を 整 えているさま(とはいっても,いつもの 孔 雀 の 羽 を 帽 子 にさ したり,ぼろぼろの 服 を 着 ているのだが)を some lofty act of heroism だと 表 現 している (593).しかしそれと 同 時 に,こうした 彼 の 立 派 な 態 度 が 彼 を 救 う ことには 全 く 役 立 たないと 付 け 加 えることも 忘 れない. But all these things increased his[barnaby s] guilt. They were mere assumptions. The law had declared it so, and so it must be. (593)

藤 井 晶 宏 15 バーナビーを 高 く 評 価 するほど, 法 のいかがわしさが 際 立 ってくるが,いくら ディケンズが 法 に 対 して 皮 肉 であっても, 法 は, 自 らがそう 判 断 した 以 上 そう であるに 違 いないという 論 理 を 成 り 立 たせてしまう 力 を 持 っている. 合 法 性 が, 自 己 準 拠 的 な 構 造 の 上 に 成 立 していること,そしてこの 合 法 性 の 背 後 には, 強 力 な 国 家 が 控 えていることは 既 に 述 べた. ところが,バーナビーだけは 死 刑 を 免 れる. 法 の 強 い 腕 をのがれるのだ. きまぐれに 伸 びる 強 い 腕 であったにしても,それを 逃 れるにはそれにふさ わしい 方 法 が 存 在 する. 最 後 にそのことについて 触 れておかなければならない. * * * バーナビーの 釈 放 は, 彼 を 小 さい 頃 から 知 っていたヴァーデンとヘアデイ ルの 尽 力 の 結 果 だった.だが,その 詳 しい 内 容 は 我 々に 知 らされることがない. 我 々にわかっているのは,この 二 人 が 様 々な 方 面 に 手 を 尽 くしたこと, 裁 判 関 係 の 人 だけでなく 皇 太 子 から 国 王 に 対 しても 訴 えたこと,それが 最 終 的 には 国 王 の 関 心 をひくことに 成 功 し,その 結 果 今 度 はその 下 の 大 臣 との 面 会 が 行 われ, その 後 わずか 三, 四 時 間 後 には 釈 放 されたことだけだ (609). 興 味 をひかれる のは, 二 人 の 行 なったことが,かつてゴードン 卿 がカトリック 救 済 法 の 廃 止 を 求 めてそれに 失 敗 したときに, 議 会 を 飛 び 越 えるように 国 王 の 支 持 を 期 待 した のと, 形 としてよく 似 ていることだ.つまり,この 二 つのケースでは, 国 王 が 法 を 超 える 力 を 持 つことが 共 通 の 了 解 事 項 となっているのだ. 法 を 無 効 にし 得 るその 強 い 力 を 稼 動 させるかどうかは, 国 王 の 関 心 をひくかどうかにすべてか かっている. 何 故 国 王 がそのことに 関 心 を 持 つかに 関 しては, 偶 然 に 依 存 して いるのだが,その 力 そのものは 国 家 というシステムの 中 であらかじめ 国 王 に 割 り 当 てられている 権 力 として 存 在 している. バーナビーが 釈 放 されたとき 多 くの 人 はそれを 喜 び, 救 出 に 尽 力 したヴァー デンとともに 国 王 と 英 国 (Old England) を 万 歳 三 唱 で 称 えている.これは 言 う までもなく, 正 当 な ことを 行 なった 国 王 と, 正 当 な ことが 行 われる 国 と しての 英 国 を 肯 定 する 行 為 だ.バーナビー 釈 放 の 正 当 性 に 関 しては,どこにも その 根 拠 が 示 されていないが(といっても,それは 読 者 にとって 納 得 できない という 意 味 ではない), 少 なくとも 合 法 性 でないことは 間 違 いない.むしろそ の 正 当 性 は,ディケンズが 批 判 しているような 多 くの 問 題 を 抱 える 法 を 否 定 し てその 行 為 が 為 されたということにある,と 言 った 方 がいいかもしれない.し かし 忘 れてならないのは, 国 王 の 正 当 な 判 断 が 下 されたあとも, 武 力 や 法 で 弾 圧 する 国 家 が 消 滅 したわけではないということだ.

16 バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 暴 動 に 関 しては 徹 底 的 な 弾 圧 に 及 び, 主 導 者 を 含 め 多 くの 暴 徒 を 死 刑 に 追 い やるという, 武 力 や 法 に 基 づいた 国 家 としての 側 面 と, 法 を 無 効 にしてまでも バーナビーを 救 出 するという 正 当 な 行 為 をする 国 王 が 体 現 する 国 家 として の 側 面 は 決 して 別 々のものではないし, 矛 盾 なく 統 合 されているわけでもない. 軍 や 法 が 多 くの 人 を 死 に 追 いやった 後,バーナビー 一 人 を 救 出 することで, 多 くの 人 (おそらくディケンズや 読 者 も 含 まれる)に 国 王 の 行 為 が 称 賛 されると いうことは, 国 家 というものがこれらの 側 面 を 適 宜 使 い 分 けることによって 生 き 延 びていることを 示 しているように 見 える. 最 後 に 我 々が 目 にするのは, 暴 動 からこうして 秩 序 を 回 復 することによって,もっともしたたかに 勝 利 をおさ めた 国 家 の 姿 だといえるだろう. 14 注 1 ディケンズは 小 説 の 中 でカトリック 救 済 法 のことを 次 のように 書 いている. [A]n act for abolishing the penal laws against Roman Catholic priests, the penalty of perpetual imprisonment denounced against those who educated children in that persuasion, and the disqualification of all members of the Romish church to inherit real property in the United Kingdom by right of purchase or descent. Chales Dickens, Barnaby Rudge, Oxford Illustrated Dickens (1841; Oxford: Oxford University Press, 1961; 1987) 277. 以 下, 引 用 はすべてこの 版 を 用 い, 頁 数 のみ 示 す. 2 John Butt, and Kathleen Tillotson, Dickens at Work (London: Methuen, 1957) 79. 3 萱 野 稔 人 は, 後 でこの 論 でも 触 れることになるマックス ウェーバーによる 国 家 の 定 義 に 言 及 しながら, 国 家 が 国 家 として 機 能 するためには, 起 こりうる 不 当 な 暴 力 よりも 強 大 な 暴 力 が 蓄 積 されていなければならないこと,また, 国 家 と は 社 会 のなかでもっとも 強 力 な 暴 力 を 行 使 できる 存 在 であると 述 べている. 萱 野 稔 人, 国 家 とはなにか ( 以 文 社,2005)13. 4 マックス ヴェーバー. 職 業 としての 政 治 脇 圭 平 訳. 岩 波 文 庫 ( 岩 波 書 店, 2005) 9 10. 5 Myron Magnet, Dickens and the Social Order (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1985) 150. 6 ヴェーバー 11 12. 7 ヴェーバー 11. 8 ヴァルター ベンヤミン. 暴 力 批 判 論 暴 力 批 判 論 野 村 修 編 訳. 岩 波 文 庫 ( 岩 波 書 店,1999)35. 萱 野 28 29.

藤 井 晶 宏 17 9 萱 野 29. 10 ベンヤミン 42 43. 11 マグネットは For Dennis, hanging [...] is the constitution. The gallows are not just an instrument of the constitution: they are the whole constitution. と 述 べている (164).ベ ンヤミン 43. 12 Linda Colley, Britons: Forging the Nation 1707 1837 (New Haven: Yale University Press, 1992) 18. また 18 世 紀 の 英 国 のカトリック 教 徒 について,コリーは in law [...] they [Catholics] were treated as potential traitors, as un-british とも 述 べている (19). 13 Magnet 115. 14 この 論 はあくまで, バーナビー ラッジ にみる 国 家 の 姿 を 考 察 したものであり, 必 ずしもディケンズの 国 家 観 を 論 じたものではない. 彼 が 国 家 というものに 対 し てどのような 考 え 方 をしていたかについては,こうした 考 察 を 踏 まえながら 改 め て 考 えてみる 必 要 があることは 言 うまでもない.

書 評 REVIEWS チャールズ ディケンズ 著, 伊 藤 弘 之 下 笠 徳 次 隈 元 貞 広 訳 アメリカ 紀 行 上 下 巻 (Charles Dickens, American Notes, trans. by Hiroyuki Ito, Tokuji Shimogasa, and Sadahiro Kumamoto) ( 上 巻 433 頁 下 巻 435 頁, 岩 波 書 店,2005 年 10 月 11 月, 本 体 価 格 上 巻 900 円 下 巻 900 円 ) ISBN: 4003222962; 4003222970 ( 評 ) 川 澄 英 男 Hideo Kawasumi 2006 年 夏,7 月 13 日 16 日 に か け て 米 国 Ralph Waldo Emerson Society と Nathaniel Hawthorne Society 並 びに Poe Studies Association 主 催 の Transatlanticism in American Literature: Emerson, Hawthorne, and Poe というタイトルを 掲 げた 大 会 がオックスフォード 大 学 で 開 かれた. 大 会 の 企 画 案 によれば,エマソン,ホーソ ン,ポーなどの 作 家 が 英 国 やヨーロッパをどう 見 ていたのか,また, 英 国 ヨー ロッパはそうした 三 人 の 作 家 をどう 受 け 止 めていたのかなどを 中 心 に, 大 西 洋 を 挟 んだ 両 国 は 互 いにどのような 認 識 を 有 していたのか,そして 19 世 紀 における transatlantic encounter が 今 日 の 社 会 文 化 にどのような 影 響 をもたらしたのか, などが 討 議 されたようである. エマソンに 関 して 言 えば, 生 涯 に 三 度 ほど 英 国 を 訪 れているが, 第 一 次 訪 問 はディケンズがアメリカを 訪 れた 時 の 年 齢 と 同 じ 29 歳 の 時 で,1833 年,ほぼ 6 週 間 英 国 に 滞 在 している ( 主 にヨーロッパを 旅 しており,ヨーロッパには 7 8 ヵ 月 滞 在 した ).アメリカを 旅 したディケンズは,この 国 を 好 きになれません. ここに 住 む 気 にはなりません. 性 に 合 わないのです これは 私 が 見 に 来 た 共 和 国 ではありません と 友 人 にアメリカの 印 象 を 語 っているが, 若 きエマソンも 日 記 に Glad I bid adieu to England, the old, the rich, the strong nation, full of arts & men & memories; nor can I feel any regret in the presence of the best of its sons that I was not born here. I am thankful that I am an American (1833 年 9 月 2 日 )と 記 している.

書 評 19 第 2 次 訪 問 はディケンズのアメリカ 訪 問 から 5 年 後 の 1847 48 年 にかけての 8 ヵ 月 に 及 ぶイギリス 滞 在 である ( 加 えてフランスにも 1 ヵ 月 程 滞 在 している ). その 間, 貴 族, 政 治 家, 富 豪, 科 学 者 らと 会 見 し,またディケンズを 始 めとする, カーライル,マーティノー,サッカレー,テニソン,G エリオットらの 文 人 とも 語 り 合 う 機 会 をもっている.そして 帰 国 後 8 年 の 歳 月 を 経 た 後,1856 年 8 月,イギリス 論 とも 呼 ぶべき English Traits ( 英 国 国 民 性 )を 出 版 する.ディケ ンズの アメリカ 紀 行 などと 読 み 比 べることで, transatlantic な 視 点 からの 比 較 研 究 が 可 能 になる 両 国 間 の 差 異 や 同 質 性 が 明 らかになるのである.なか でも 興 味 深 いのは,ディケンズとエマソンが 両 国 をそれぞれ 観 察 し,それがい かに 自 国 とは 異 なるかを 語 っているにもかかわらず, 両 国 の 共 通 点 として,デ ィケンズはアメリカを ドルと 政 治 の 話 しかしない 国 とし,エマソンはイギ リスを materialism の 横 暴 に 支 配 される 国 である,としているところである. Anglo-Saxon が transatlantic な 拡 大 の 中 で 共 有 していった 同 質 性 が materialism への 一 途 な 傾 倒 であることを, 二 人 の 文 人 は 教 えてくれる. 英 米 関 係 の 研 究 は 大 いなる 差 異 は 勿 論 のこと, 細 かな 類 似 点 にも 注 意 が 向 けられるべきであろう. いずれにせよ, 両 国 の 比 較 研 究 は, 両 国 を 理 解 する 上 で 大 きな 意 味 を 持 っている. こうした 英 米 関 係 の 研 究 が 近 年 とくに 注 目 されてきたことは, 最 近 日 本 英 文 学 会 でも トランスアトランティック 英 米 交 流 文 化 論 とのテーマでシンポ ジウムが 行 われたことなどからもわかる.しかしこうした 動 きは 今, 急 に 始 まっ たものではなく, 既 に W. A1len, Transatlantic Crossing: American Visitors to Britain and British Visitors to America in the Nineteenth Century (1971); R. Downs, Images of America: Travelers from Abroad in the New World (1987); F. Dulles, Americans Abroad: Two Centuries of European Travel (1964); E. Earnest, Expatriates and Patriots: American Artists, Scholars, and Writers in Europe (1968); B. Lease, Anglo-American Encounters: England and the Rise of American Literature (1981); A. Lockwood, Passionate Pilgrims: The American Traveler in Great Britain (1981); J. Mesick, The English Traveller in America, 1785 1835 (1970); C. Mulvey, Anglo-American Landscapes: A Study of Nineteenth-Century Anglo-American Travel Literature (1983); Transatlantic Manners: Social Patterns in Nineteenth-Century Anglo-American Travel Literature (1990); A. Nevins, ed., America through British Eyes (1948); M. Pachter, ed., Abroad in America: Visitors to the New Nation, 1776 1914, (1976); P. Rahv, Discovery of Europe: The Story of American Experience in the Old World (1947); S. Spender, Love- Hate Relationships: English aud American Sensibilities (1974); R. Spiller, The American in England (1976); W. Stowe, Going Abroad: European Travel in Nineteenth-Century American Culture (1994); C. Strout, The American Image of the Old World (1963); R. Weisbuck, Atlantic Double-Cross: American Literature and British Influence in the Age

20 書 評 of Emerson (1986) などの 研 究 書 を 含 めた 多 くの 著 作 が 上 梓 されているのである. しかし 今 日 の 英 国, 米 国 を 理 解 するためにも,また 英 米 関 係 のプロトタイプを 知 る 上 でも,とくに 合 衆 国 独 立 後 の 18 世 紀 末 から 19 世 紀 にかけての 文 献 を 読 み 解 いていく 必 要 があろう.アメリカからイギリス ( あるいはヨーロッパ ) へ 渡 っ てその 印 象 を 綴 った 作 家 やジャーナリストなどには,アーヴィング (W. Irving), クーパー(J. Cooper),ブライアント(W. Bryant),エマソン(R. W. Emerson), ホーソーン(N. Hawthorne),ホームズ(O. Holmes),ストウ(H. Stowe),メル ヴィル(H.Melville)ロウウェル(J. Lowell),トウェイン(M. Twain)アダム ズ(H. Adams)ジェイムズ(H. James)セジウィク(C. Sedgwick), シゴーニー (L. Sigourney),カークランド(C. Kirkland),ジャクソン(H. Jackson),ウィリ ス(N. Willis),グリーリー(H. Greeley),ヘドリー(J. Headley),リピンコット (S. Lippincott),ギルド(C. Guild),スモーリー(G. Smalley),ウィンター(W. Winter),フィールド(K.Field),ライディング(W.Rideing),プレスコット(W. Prescott),テイラー(B.Taylor),オウムステッド(F. Olmsted)などが 挙 げられ ようが, 著 作 のほとんどは 日 本 語 に 訳 されていない 状 況 である 実 に 宝 の 山 がまだそのままになっているのである. イギリスからアメリカヘ 渡 った 文 人 たちはどうであろうか.フランシス ト ロロップ(F. Trollope),マーティノー(H. Martineau),マリアット(F. Marryat), ディケンズ(C. Dickens)サッカレー(W. Thackeray),マシュー アーノルド (M.Arnold)を 始 めとして,ウォンジー(H. Wansey),コベット(W. Cobbett), ナットール(T. Nuttall),バッキンガム(J. Buckingham),ホール(B. Hall),ハ ミルトン(T. Hamilton),グラッタン(T. Grattan),ライエル(C.Lyell),ステュ アート = ウォートリー(E. Stuart-Wortley),ケンブル(F. Kemble),マケイ(A. Mackay),ラッセル(W.Russell)など 数 多 くの 作 家 や 文 化 人 がいるが,やはり 依 然 としてその 作 品 のほとんどは 翻 訳 されていない. 日 本 人 のアングルから 英 米 関 係 を 眺 める 事 には, 英 米 人 が 互 いに 見 つめ 合 うのとは 違 った 眼 差 しが 可 能 になるはずであって, transatlantic な 研 究 に transpacific な 視 線 が 添 えられることを 願 いたい.そしてそうした 研 究 活 動 は 原 典 を 読 むことで 進 められるのであるが, オリジナル が 日 本 語 に 訳 され, 研 究 者 に 限 らず, 誰 でも 気 軽 に 手 に 取 って 読 めるようになることが 望 ましい. 裾 野 の 広 さが 活 発 な 研 究 活 動 に 繋 がるからである. 日 本 人 による tansatlantic な 研 究 と 翻 訳 が 一 層 進 むことを 願 っている. しかしこの 度,われわれの 前 に 立 ちふさがる 山 積 みにされた 書 物 の 壁 の 一 角 に, 意 義 ある 光 が 差 し 込 んできたことは 誠 にありがたく, 喜 ばしいことである. ディケンズの 作 品 が 近 年 フェローシップの 会 員 を 中 心 に 次 々に 訳 され, 未 訳 の 訳 の 作 品 がほとんど 無 くなっていく 中 で,American Notes だけは 何 故 か 手 つかず

書 評 21 のままになっていたからである.やっとそれが 翻 訳 され ディケンズのアメリカ へ 入 っていくことが 以 前 にもまして 容 易 になってきたのである. アメリカ 紀 行 は 言 うまでもなく 作 家 ディケンズ の 観 察 と 洞 察 が 記 された 旅 行 記 であるが,そこにはボズとしてのディケンズ, 社 会 改 革 家 として のディケンズの 両 面 が 鮮 やかに 表 れている. 長 い 航 海 の 後, 始 めて 目 にする 新 世 界 ボストンの 爽 やかな 朝.パーキンズ 視 力 障 害 者 協 会 マサチューセッツ 園 で の 心 に 残 る 体 験 ( それは 港 を 見 渡 す 高 台 に 建 てられている. 入 口 の 所 でちょっ と 立 ち 止 まり,そこからの 光 景 全 体 がいかに 新 鮮 で, 開 放 感 にあふれているか に 目 を 瞠 ったとき きらめく 泡 が 絶 えず 水 面 に 湧 きあがり, 波 の 上 で 陽 に 輝 き, 下 界 がまるで 天 界 のように 明 るい 光 できらめき 返 り,その 光 があたり 一 面 に 満 ちあふれているかのようだった! また,はるか 遠 くの 海 上 の 船 の 帆 から 帆 へと 目 を 移 し, 静 かで 遠 く 深 い 青 空 にただ 一 つ 輝 く 白 い 小 さな 点 となっている 雲 をじっと 眺 めたとき,ふと 振 り 向 くと, 一 人 の 盲 目 の 少 年 が 目 の 見 えない 顔 をそちらに 向 け,まるで 彼 もまた 遠 方 の 荘 厳 な 光 景 を 何 か 感 じ 取 っているかの ようにしているのが 目 に 入 った.そのとき, 私 はその 場 所 がとても 明 るいこと に 何 か 悲 しいものを 感 じ, 彼 のためにむしろもっと 暗 くあって 欲 しいという 奇 妙 な 願 いを 心 に 抱 いた.もちろんそれは 瞬 間 的 な, 単 なる 気 紛 れでしかなかっ たのだが,それでも 私 は 強 くそう 感 じたのだった. ( 上 巻 72 73)). さらに,ディケンズの 小 説 から 抜 け 出 してきたようなテーラー 牧 師 の 説 教. ロンドンの 裏 通 りを 描 くディケンズの 筆 が 捉 えたニューヨークの 貧 民 窟.ブロ ードウェーをゆっくりと 家 路 につく 片 耳 の 豚 ( 彼 はすべての 点 において 共 和 主 義 豚 で, 気 が 向 く 所 どこへでも 出 かけ, 最 上 流 社 会 の 人 たちと 対 等 に 優 位 の 立 場 でとまでは 言 わないが 交 わる.なぜなら, 彼 が 姿 を 現 わすと 皆 が 道 をあけ, 最 も 横 柄 な 者 たちでさえも 彼 が 通 り 過 ぎるときには 道 を 譲 るからである, 彼 が それを 望 むなら. 彼 は 偉 大 なる 哲 学 者 で, 先 に 述 べた 犬 たちによってでもなけ れば,めったに 動 揺 させられることもない. 実 際, 殺 された 仲 間 その 亡 骸 は 肉 屋 の 戸 口 の 側 柱 を 飾 っている に 注 がれる 彼 の 小 さな 目 が 潤 んでいるの をときどき 見 かけるかもしれない.しかし 彼 は 鼻 を 鳴 らし, 生 きることなんて こんなものさ. 生 きとし 生 けるものすべて 食 用 豚 さ! と 叫 びながら, 再 びぬか るみに 鼻 を 埋 め, 溝 に 沿 ってよたよた 歩 き ( 上 巻 195)). また, 悪 路 に 轍 をとられ, 跳 ね 上 がる 泥 を 必 死 によけながら 抜 け 出 そうとも がく, 馬 と 馬 車,そして 乗 客 と 読 者. 小 さな 運 河 船 に 乗 り 合 わせた, 疑 問 文 で しか 話 をしない 男 との,ディケンズにしか 描 けないユーモラスな 会 話.オハイ オ 川 を 下 り, 不 安 を 胸 に 開 拓 の 地 に 入 っていく 貧 しい 人 々の 群 れ( 皆,まるで 石 になってしまったかのように, 降 り 立 った 所 にじっと 立 ったままでボートを 見 送 っている 彼 らは 手 を 振 ることもせず,なおもそこに 立 っている

22 書 評 そしてあたりも 暗 くなり, 彼 らはほんの 小 さな 点 になってしまう 老 女 は 古 い 椅 子 に 坐 り,ほかの 者 たちはみな 彼 女 のまわりに 立 ったまま, 身 動 き 一 つ せずに. ( 上 巻 355 56)). 華 やかな 旗 がいくつもたなびくシンシナティの 禁 酒 大 会. 太 陽 が 止 まってしまったかのようにギラギラと 照 りつける 川 の 果 てしな い 流 れの 中 に 見 る, 陰 欝 な 沼 地 ケアロ. 日 もくれかかる 欝 蒼 としたオハイオの 森 枝 葉 を 大 きく 広 げて 立 ちはだかる 大 木 が 様 々な 影 を 創 り 出 す.そして 神 の 間 近 に 身 を 置 く 創 造 の 奇 跡 ナイアガラ 瀑 布 ( ああ, 緑 に 輝 く 水 のなんという 落 ち 方! その 水 がありったけの 力 と 威 厳 をもって 私 の 上 に 落 ちてくる ナイ アガラは, 美 のイメージとなって 一 瞬 のうちに 私 の 心 に 刻 まれ, 胸 の 鼓 動 が 止 まるまで, 変 わることなく, 消 えることなく,そこにとどまることになったのだ, 永 遠 に. あたり 一 面 に 降 り 注 ぎ, 刻 々と 変 わる 虹 がつくり 上 げる 絢 燗 たる アーチの 周 囲 に 織 りなされていく 天 使 たちの 涙,その 色 とりどりの 滴 の 中 にな んという 天 の 約 束 が 光 り,きらめいていたことか! ( 下 巻 42 43)).こうした ア メリカ 紀 行 に 出 会 うと, 旅 行 記 なのかボズの 小 説 なのかと 思 ってしまう. 作 家 ディケンズの 伸 びやかな 筆 致, 心 に 触 れる 描 写 に 溢 れている. またディケンズは 行 く 先 々で 公 共 施 設 を 訪 れている.ボストンの 盲 学 校, 理 想 的 な 労 働 条 件 の 下 で 女 工 たちの 働 くローウェルの 工 場.そしてフィラデルフ ィアでは 東 部 刑 務 所 での 悲 痛 な 体 験 を 第 7 章 の 大 部 分 を 使 って 報 告 してく れている.さらに, 特 別 居 留 地 に 強 制 移 住 させられていくインディアンたちへ の 禁 じ 得 ぬ 同 情 の 念 と 弾 圧 への 批 判 を 静 かに 滲 ませるディケンズは, 奴 隷 制 度 について, 既 に 2 カ 所 でその 非 道 さを 描 いているにもかかわらず,わざわざ 特 別 な 一 章 を 17 章 として 付 け 加 えることで, 読 者 の 胸 に 明 確 なメッセージを 届 け ようとしている. このように,ディケンズの 社 会 改 革 家 としての 面 目 躍 如 とした アメリカ 紀 行 である. 勿 論 そうした 側 面 はディケンズのいくつかの 小 説 を 読 めば 当 然 わかる ことなのだが, アメリカ 紀 行 にはそれが 直 接 的 な 形 をとって 表 されていて, それをテーマに 読 み 進 めるのも 紀 行 の 一 つの 読 み 方 である.いずれにせよ, アメリカ 紀 行 がディケンズの 全 ての 小 説 と 有 機 的 に 繋 がっていて,ディケン ズの 宇 宙 に 真 実 を 求 めようとするならば, アメリカ 紀 行 も 決 して 欠 かせない 重 要 な 作 品 と 言 えるのである.その 意 味 からもこの 程 の 伊 藤 下 笠 隈 元 各 氏 の 訳 業 は 大 きな 価 値 をもつと 言 えよう. その 翻 訳 に 際 しての 困 難 を, 解 説 で ディケンズはほかの 人 とは 違 う 独 特 の 視 点 あるいは 独 自 の 感 覚 を 持 ち,それを 言 語 化 する 場 合, 通 常 とは 著 しく 異 な った 語 や 表 現 を 用 い, 語 と 語 の 一 種 独 特 な 組 み 合 わせを 創 り 出 したりする.そ のような 創 造 的 な 言 語 を 忠 実 に 翻 訳 しようとすれば, 意 味 のとれない,ないし は 意 味 の 解 し 難 い 訳 文 となる と 打 ち 明 けておられるが, 確 かに 味 や 香 り

書 評 23 を 出 すのは 大 変 なことである. 例 えばディケンズの 文 体 的 手 法 としての, 語 や 句 の 反 復 についてであるが, 石 炭 の 煤 の 降 るどんよりした 古 都 ロンドンと 対 比 された, 明 るい 朝 の 光 に 包 まれたボストンは When I got into the streets upon this Sunday morning, the air was so clear, the houses were so bright and gay; the signboards were painted in such gaudy colours; the gilded letters were so very golden; the bricks were so very red, the stone was so very white, the blinds and area railings were so very green, the knobs and plates upon the street doors so marvellously bright and twinkling と 描 かれているが,それを, こ の 日 曜 日 の 朝, 通 りに 入 っていくと, 空 はよく 晴 れわたり, 家 々はとても 明 るく 華 やいでいた. 看 板 はとてもけばけばしい 色 彩 で 塗 られ,メッキの 文 字 はとても 濃 い 金 色 で, 煉 瓦 はとても 濃 い 赤 色 で, 石 はとても 濃 い 白 色 で,ブラインドや 敷 地 の 手 すりはとても 濃 い 緑 色 で, 通 りに 面 したドアのノブや 表 札 は 驚 くほど とても 明 るく 輝 いていた と 訳 し, 度 重 なる so, very の 反 復 を, 訳 語 を 変 え たくなる 誘 惑 を 退 けて, とても 濃 い と 素 朴 に 畳 み 掛 けて, 原 文 の 味 を 出 し, 新 大 陸 の 都 市 を 色 鮮 やかに 訳 出 している.さらに 第 5 章 では,なだらか 丘, 木 々 の 生 い 茂 る 渓 谷, 緩 やかに 流 れる 川 に 囲 まれたニューイングランドの 典 型 的 な 町 を Every little colony of houses has its church and school-house peeping from among the white roofs and shady trees; every house is the whitest of the white; every Venetian blind the greenest of the green; every fine day s sky the bluest of the blue とディケンズ は 描 写 しているが, 訳 者 は 家 々が 寄 り 集 まった 小 さな 集 落 のすべてが 自 分 た ちの 教 会 と 学 校 を 持 ち, 家 々の 白 い 屋 根 や 陰 なす 木 々の 間 からそれらの 建 物 が 姿 を 覗 かせている.すべての 家 が 白 の 中 でも 一 番 の 白 色 で,ヴェネチアン ブラ インドはすべての 緑 の 中 でも 一 番 の 緑 色 で, 晴 れた 日 の 空 はすべての 青 の 中 で も 一 番 の 青 色 である と, 単 語 の 反 復 とユニークな 繋 がりを, 敢 えて 単 純 な 訳 語 を 選 んで 処 理 することで, 原 文 の 香 り を 漂 わせることに 成 功 している. また, 反 復 と 並 んでディケンズによってよく 用 いられる 言 語 現 象 として 連 語 (collocation)と 逸 脱 (deviation)を 取 り 上 げ, 例 えば 第 7 章 での 囚 人 の 抱 く 恐 怖 感 の 深 まりを, 徐 々に ( by degrees ), じわじわと,だが 確 実 に ( by slow but sure degrees ), ゆっくりと, 徐 々に ( by slow degrees )と,イディオムを 少 しずつ 変 型 させることで 表 現 している 点 に 注 目 し,そうした 原 文 のもつ 広 が りを 残 すように 努 めたとのことである.これだけの 長 さを 持 った 作 品 であれば, うっかりすればそうした 文 体 の 特 徴 に 十 分 配 慮 せず 先 へ 行 ってしまうこともあ るかと 思 われるが, 細 心 の 注 意 を 払 ってなされた 訳 業 であることが 伝 わってく る. 最 後 に 付 け 加 えたいのは, 詳 細 な 注 が 付 いていることで, 訳 者 の 解 釈 も 交 え た 極 めて 丁 寧 な 解 説 になっている.それと, 下 巻 に 収 められたフォースターの デ

24 書 評 ィケンズの 生 涯 よりの 第 3 章 アメリカ の 翻 訳 も, アメリカ 紀 行 の 行 間 を 読 み 解 く 上 で 大 きな 助 けとなってくれている. アメリカ 紀 行 のアメリカと, ディケンズの 生 涯 のアメリカとの 距 離 をその 場 で 感 じ 取 ることができるのは, アメリカ 紀 行 の 理 解 には 大 いに 役 立 つことだからである. いつ 出 るのか と 思 っていただけに,この 度 の 翻 訳 への 感 謝 と 安 堵 感 はひと しおである.ここはどう 解 釈 したらいいのか,どう 訳 したらいいのかと 迷 って いた 研 究 者 にとっても,また,ただ 興 味 あるからといって 手 にする 読 者 にとっ ても, 実 に 有 り 難 いことなのである. チャールズ ディケンズ 原 作,ロマン ポランス キー 監 督,ロナウド ハーウッド 脚 本,バーニー クラーク 主 演 オリバー ツイスト Oliver Twist, a film based on the novel by Charles Dickens, Directed by Roman Polanski, Screenplayed by Ronald Harwood, and Acted by Barney Clark ( 映 画,フランス イギリス チェコ 合 作,2 時 間 10 分, Oliver Twist Productions LLP,2005 年 1 月 日 本 公 開 ; DVD, 東 芝 エンターテインメント,2006 年 6 月, 本 体 価 格 5,800 円 ) ( 評 ) 楚 輪 松 人 Matsuto Sowa 1. 選 ばれなかったディケンズの 映 画 今 年 度 の The Guardian Hay Festival で 注 目 されたイベントのひとつが 本 棚 か ら 銀 幕 へ ( From Bookshelf to Silver Screen ) と 銘 打 って 最 良 の 文 芸 映 画 を 選 ぶ 世 論 調 査 であった. 主 催 者 は 書 籍 販 売 促 進 活 動 協 会 (The Book Marketing Society) と 日 刊 紙 The Guardian である.2006 年 6 月 2 日,そのトップ 10 が 発 表 され, 古 今 を 通 じて 最 良 の 文 芸 映 画 としての 栄 冠 を 勝 ち 得 たのはハーパー リー (Harper Lee ; 1926 ) のピューリツァー 賞 受 賞 作 アラバマ 物 語 (To Kill a Mockingbird; 1960) の 映 画 化 作 品 (1962 年 ) であった. 発 表 されたトップ 10 は 英 国 の 一 般 大 衆 の 好 みが 窺 える 興 味 深 いラインアップではあるが, 意 外 にも,デ ィケンズの 映 画 は 選 外 であったのである.

書 評 25 この インターネットによる 国 民 投 票 の 実 施 にあたり 主 催 者 はあらかじめ 50 の 作 品 を 候 補 作 としてリストアップし, 国 民 はその 中 から 投 票 することにな っていた. 再 び 意 外 に 思 ったのは 候 補 作 に 選 ばれたディケンズの 映 画 が Oliver Twist であったことである. 何 故, 主 催 者 は Great Expectations をはずしたのだろ う. そもそも,1998 年 の 映 画 誕 生 百 周 年 の 記 念 の 年, 英 国 映 画 協 会 (British Film Institute) が 発 表 した 英 国 映 画 協 会 によるベスト 100 作 品 ( The BFI 100 ) で 見 事 にベスト 10 入 りし, 第 5 位 に 選 ばれたのがデイヴィッド リーン (1908 91) 監 督 脚 本 の 大 いなる 遺 産 (1946 年 )ではなかったか. 確 かに Oliver Twist にもすぐれた 映 画 作 品 はある. The BFI 100 で 第 46 位 に 入 選 した 同 じくリーン 監 督 脚 本 の オリヴァ ツイスト (1948 年 )のビデオの 宣 伝 文 には 孤 児 オ リヴァの 波 乱 に 富 んだ 冒 険 と 感 動 のドラマ. 文 豪 ディケンズの 映 画 化 では 定 評 のあるデイヴィッド リーン 監 督 の 初 期 の 名 作 とある.オリバー 役 を 演 じた J. H. Davies が 挿 絵 画 家 ジョージ クルックシャンク (1792 1878) の 描 くイラストに そっくりのあの 映 画 であり,それよりも 何 よりも,もう 一 人 の 画 家 G ドレがW B ジェロルドの ロンドン 巡 礼 (1872) に 寄 せた,あの 忘 れがたいモノクロー ムの 世 界 を 再 現, 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 英 国 に 甦 らせた 名 作 である. また, The BFI 100 の 第 77 位 に 食 い 込 んだキャロル リード (1906 76) 監 督 の オリバー! (1968 年 ) は, 手 元 の 映 画 辞 典 によれば, チャールズ デ ィケンズの 孤 児 物 語 オリバー ツイスト をライオネル バートが 舞 台 ミュ ージカル 化 したものを 巨 匠 C リードが 映 画 化. 最 後 の 華 麗 なるミュージカル 映 画 とも 言 われるテクニカラー 大 作 ( ぴあシネマクラブ 外 国 映 画 編 )と ある.ディケンズの 真 骨 頂 であるポエトリーとヒューモアが 溢 れている 佳 作 で ある. 確 かに,これら 二 つの Oliver Twist 映 画 は,いずれも 英 国 映 画 史 上 に 残 る 不 朽 の 名 作 であろう. 無 論, The BFI 100 は 映 画 関 係 者 1,000 人 による 投 票 結 果 であって, 好 みや 判 断 基 準 も 多 種 多 様 な 本 棚 から 銀 幕 へ の 国 民 投 票 による 結 果 と 異 なるのは 当 然 である. しかし,Oliver Twist とは.ディケンズ 映 画 の 候 補 として 選 んだ 主 催 者 の 目 論 見 はいまひとつはっきりしないが, 敢 えて 類 推 すれば. 題 名 は 知 ってい る,でも 見 たことのない 名 作 と 言 われる 映 画 よりも, 新 作 で 馴 染 みのある 映 画 を 優 先 したということか.この 世 論 調 査 の 直 近 の 映 画 作 品 と 言 えば, 他 ならぬ ポランスキー 監 督 の オリバー ツイスト ( 英 国 でのロードショー 公 開 は 2005 年 10 月 7 日 )だったのである. ポランスキー 監 督 の 新 作 は 話 題 性 や 宣 伝 活 動 も 十 分 だった.もしこの 映 画 が リーン 監 督 やリード 監 督 の 作 品 のような 名 作 であったなら. 恐 らく,こ の 国 民 投 票 でも 善 戦 し, 必 ずやトップ 10 に 食 い 込 めるはずであった.さすれ

26 書 評 ば 今 日 のディケンズ 研 究 の 一 層 の 発 展 に 寄 与 し, 主 催 者 の 思 惑 どおりに ディ ケンズ 産 業 は 今 一 度 息 を 吹 き 返 し,ディケンズに 関 する 書 籍 販 売 促 進 活 動 に 貢 献 するところ 大 となるはずであった.しかし, 当 ては 外 れた. 映 画 はブレ ークすることはなかった. 事 実,マスコミの 映 画 評 はどれを 読 んでも 芳 しくない. しかし,ひとつの 注 目 すべき 映 画 評 が 存 在 する. 三 つの 点 でそれは 注 目 に 値 す る. 第 一 に, 数 少 ない 好 意 的 な 映 画 評 のひとつであること. 第 二 に,その 大 胆 かつ 挑 発 的 な 記 事 のヘッドラインの 言 葉. 第 三 に, 何 にもまして,その 執 筆 者 が, 現 在,ディケンズ 研 究 において 最 も 注 目 される 人 物 の 一 人,ジョン アーヴィ ング (1942 ) その 人 に 他 ならないからである. 2. 作 家 の 描 くディケンズ 像 は 問 題 の 映 画 評 とは ガーディアン 紙 (2005 年 9 月 16 日 ) に 掲 載 された A regular right-down good un である.ネット 上 でも 公 開 されているこの 記 事 の 見 出 しの 言 葉 に 曰 く. ディケンズ 愛 好 家 ジョン アーヴィングは, 何 故,ロマン ポランスキーの 新 作 映 画 オリバー ツイスト が,デイヴィッド リーン, キャロル リード,さらには 原 作 者 ディケンズさえも 凌 ぐものであるか 説 明 す る ( Dickens fan John Irving explains why Roman Polanski s new film of Oliver Twist trumps versions by David Lean, Carol Reed even Dickens himself. ) この 映 画 評 は, 果 たしてポランスキー 監 督 に 対 する 最 大 限 のオマージュか,それとも 眉 唾 物 か. アーヴィングと 言 えば, 飼 い 犬 に ディケンズ と 命 名 するほどのディケン ジアンで,そのディケンズに 対 する 熱 い 思 いは グレートブックス の 第 18 巻 大 いなる 遺 産 ( 丸 善 )やバンタム クラシックス 版 の 同 小 説 にも 序 文 を 寄 せていることにも 明 白 である.(この 序 文 の 翻 訳 がかつて リテレール に 掲 載 されていた さすがは スーパー エディター 故 安 原 顯 である!)ま た,その 短 篇 &エッセイ 集 ピギー スニードを 救 う 話 ( 新 潮 社 )では,アー ヴィングはディケンズを 小 説 の 王 様 だと 言 って 憚 らない.アーヴィングは ポランスキーの 新 作 映 画 を 絶 賛 する 理 由 を 幾 つか 挙 げているけれども, 本 当 に デイヴィッド リーン,キャロル リード,さらには 原 作 者 ディケンズさえも 凌 ぐものであるか どうか. 果 たしてその 映 画 評 は, 数 ある 映 画 評 の 掃 き 溜 めに 鶴 なのか,はたまた 裸 の 王 様 なのか. 実 際 にネット 上 で 直 接 読 んで いただくのが 一 番 である. 確 かに, 映 画 監 督 のディケンズ 理 解 が 頼 りない 場 合 があるにはある. 例 えば 1997 年 のアルフォンソ キュアロン 監 督 の 大 いなる 遺 産 はその 適 例 である. また, 作 家 と 言 えども,そのディケンズ 理 解 が 信 用 できないこともある. 例 えば, The Sunday Times (2002 年 8 月 4 日 ) の 書 評 記 事 一 体 全 体, 作 家 の 描 くディケ