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シリーズ人権 しあわせ 人権と平和の天使 マララ 二〇一四年十二月十日 パキスタン の十七歳の少女マララが ノーベル平 和賞を受賞しました 今回は この少女について 学研版 の自伝をもとに綴ってみましょう 二〇一二年十月九日 帰校のバスの 中にマララはおりました バスが突然急停車をすると 覆面を した男二人が飛び乗ってきました す っ て い な い の で 命 は 大 丈 夫 と 思 う を 見 て マ ラ ラ は 大 声 で 泣 き ま し た な勇気を出してほしい 自分達の権利 す べ て の 子 ど も 達 に ど う か み ん していただいたと 感謝の言葉を述べ 与えてください との呼びかけにもな この呼びかけは また 世界の指導 者 達 に すべての子ども達に教育を の為に起ち上がってほしい と 父母も涙を流していました ました 大統領からはすべての費用は りました この後 パキスタンの大統領が見舞 いに訪れました 父は 最善の処置を 国が負担し また家族の英国滞在中は 経済的 身分的な保障をするからとの そして マララは一段と声高く 一 本のペンを以てたたかいましょう そ っての生活ができる りました その頃 住居も定まり 久 二〇一三年四月 マララの回復は早 く もう平素の生活ができるようにな を 変 え る の で す こ の 言 葉 で ス ピ ー 一冊の本 そして 一本のペンが世界 の で す 一 人 の 子 ど も 一 人 の 教 師 言葉をいただきました しぶりに 家族 チを終えました れこそが 私達の最も強い武器となる 直後 州知事の指示で より充実し た病院に転送されました ようになりました また マララは英 と 言うのでした こ こ で 頭 蓋 骨 の 一 部 を 切 除 し 血塊を除き 弾を取り除きました くなったことでした マララが十六歳の誕生日を迎えた 時 ニューヨークの国連本部でスピー チをすることになりました す べ て の 国 に 平 和 が 訪 れ す べ て の 子 ど も 達 が 教 育 を 受 け ら れ る よ う に その日まで 私マララはこの信念を貫 しましたが でも ここで 自分の主 文 中 敬 称 は 省 略 さ せ て い た だ き ま ように申しました きます と 強く 自分に言い聞かす 張を全世界に伝えることができるのだ した でした マララは精いっぱいの声で 全 世 界 の 貧 困 に 喘 ぐ 人 び と 労 働 を 自由を奪われた人びとに 私の思いを 岡本 次男 元四天王寺国際仏教大学講師 学研パブリッシング発刊 わたしはマララ 引用文献 と思うと 全身に勇気が湧いてくるの 当日 大きいホールで壇上に立った 時 一瞬 マララは足のすくむ思いが それに応えてマララは 自己の主張 に重ねて この後 世界の各地からマララの訴 こ の 時 何 よ り も 嬉 し か っ た の は えを支援する声が続々と届きました もう タリバンにねらわれることがな 激しい拍手がしばらくは鳴り止みま せんでした うになりました ハビリの処置が必要だ と説き その 国バーミンガムの学校に通学できるよ タリバンが マララは 我々 この頃 の世界に西洋文化を持ち込み 教育を 宗教から分離させようとした との声 明を出しました 為に英国の病院に移ることを熱心にす 夕刻になって たまたま英国から来 ていた二人の医師が訪れ 充実したリ 一味と分かりました すめました ぐに 女子教育を否定するタリバンの 唯一人 ヴェールで顔を覆っていなか どの子がマララだっ と 叫ぶなり 英国のクイーンエリザベス病院に移 送された翌朝 マララが目を覚ました ト機で実現してくれました 移送には様々な困難がありました ったマララを それと見てとったのか が アラブ首長国連邦が自国のジェッ いきなり三発の銃丸を発射すると 車 飛び乗った二人の男 銃声 女生徒 の悲鳴 男達の脱走 異常を察知した 時 今まで見たこともない緑色の部屋 外に飛び出しました 運転手は バスを全速力で 街の病院 にいました 周囲は何もかもピカピカ 強 い ら れ 学 校 に 行 け な い 子 ど も 達 英国に来て五日目 ようやく声が出 るようになりました そして間もなく 伝 え た い の で す つ づ け て マ ラ ラ は テロにおびえる人びと 世のすべての 両親と弟達が来てくれました その姿 で 清潔感に満ちていました に走らせました ました 医師が応急処置を済ませたところへ 学校の経営者である父が駆けつけて来 医 師 が 語 る 結 果 は 弾 は 脳 に 当 た 2015.1 3 マララさんのスケッチ像
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年始の業務案内 年始 1月5日(月)午前9時から まなみホール 農村環境改善センター 指定管理者が管理する施設 大宝地区 石川スポ ツ公園 グラウンド ゴル フ場 大宝地区公民館図書室 年始 1月4日(日)午前9時から 年始 1月4日(日)午前10時から 中央公民館図書室 テニスコート 町民体育館 青少年ス ポ ツセンタ 年始 無休 町の人口 平成26年11月30日現在 世帯数 町民憲章 金剛 城の山並みに抱かれて発展するわがまち河南町 町の面積 女8,231人 25.26 あけましておめでとうござい ます 広報担当になって三年目 のお正月を迎えました 担当に なった当初は 毎月 期日まで に広報を作ることに必死でした 今は この時期にあのシーンの 写 真 を 撮 っ て 記 事 に し よ う などと事前に計画を立てられる 築 こ う働く喜びと生きがいのあるまちを 造 ろ う健やかな人間をはぐくむ文化発展のまちを 育てよう思いやりと安らぎのある楽しいまちを 目指そう郷土を愛し人権を尊ぶ希望に満ちたまちを ようになってきました そんな 中 河内弁クイズの回答と一緒 にいただくコ メントに嬉し く な っ た り 反省したりと 刺激をもらっ 585-8585 大阪府南河内郡河南町大字白木 1359-6 TEL 0721 93 2500FAX 0721 93 4691 ホームページアドレス http://www.town.kanan.osaka.jp/ て い ま す 今 年も気持ちを 新たに頑張り ます 発行 編集 河南町役場総合政策部秘書企画課 毎年1月 26 日の 文化財防火デー に全国で防火訓練などが行われます 火災の多い時期 身近な文化財をみんなで守りましょう 明るいまちづくりのためこの憲章を定めます くめのいわはし もちおこふんぐん 男7,811人 ử 公民館 ぷくぷくド ム 総合運動場 ᵑᵕ 2.1 20 2015.1 をかしないしは なんのため くめのいわはし なぞのいし 総合保健福祉センター かなんぴあ や 寄り道編 8 久米の岩橋 持尾古墳群 役場 大宝連絡所 大宝地区公民館内 く り と 言 え そ う で す さ ら に 岩 橋 の す ぐ 近 く に は 持 尾 古 墳 群 が あ り ま す な ん と 標 高 6 35m と 府 内 最 高 所 の 古 墳 未 発 掘 な の で 断 言 は で き ま せ ん が 石 室 の特徴から 世紀中頃の古墳と考え ら れ ま す 実 は 岩 橋 伝 説 は よ り 古 い 文 献 資 料 に そ の 原 型 が 見 ら れ 合 せ て 考 え る と 岩 橋 は 奈 良 時 代 以 前 に 作 ら れ た 可 能 性 が 高 い の で す 奈 良 時 代 よ り 前 の も の で 花 崗 岩 を刳り抜くものは と考えると横 に登った岩橋山山頂から少し下っ 行者は 城の峰から金 口 式 石 槨 が 思 い 浮 か び ま す 今 後 昔 々 役 た と こ ろ 長 さ m 幅 m の 巨 峰 山 へ 通 う た め 諸 神 に 石 橋 を か 近くに岩橋そっくりの石槨を用いた 岩 で 上 面 の 窪 み に 板 の よ う な 溝 け る よ う 命 じ ま し た 神 た ち は 自 古墳が見つかるかも が 刻 ま れ 南 側 で 折 れ て い る 様 子 ら の 醜 さ を 恥 じ 夜 を 待 っ て 作 業 もちろん伝説通り橋かもしれませ はまさしく伝説に言う橋のようで し ま し た が 橋 を か け る の に 失 敗 ん し ま っ た く 別 の も の か も し れ ま す し て し ま っ た の で す 怒 っ た 役 行 せ ん こ の 付 近 は 胎 内 く ぐ り 鍋 者 は 一 言 主 神 を 呪 縛 し て 深 谷 に さ て さ て こ の 伝 説 は 本 当 な の 佂 石 鉾 立 石 な ど 巨 石 奇 岩 の あ でしょうか ちょっと考古学的に 押 し 込 め た ん だ と さ ふれるワンダーランドが広がってい 探 っ て み ま し ょ う ま ず 石 の 加 工 こ の 久 米 の 岩 橋 伝 説 は 江 戸 時 ま す ぜ ひ そ の 驚 き の 風 景 を 訪 れ て 代 の 河 内 名 所 図 会 に 伝 わ り ま す 技 術 で す が こ れ は 奈 良 県 に あ る み て く だ さ い 飛 鳥 時 代 の 巨 石 益 田 岩 船 と そ っ 教 育 課 岩 橋 が あ る の は 平 石 か ら 南 東 文 化 財 係 ゆり の花 町 さく ら の木 町 6,356世帯 16,042人 2015 1.1 1 平成27年 てくてくかなんかるた 久米の岩橋 持尾古墳群 1.8 前年同月より122人減 No. 505 41 7 わたしたちは 河南町民であることに誇りと責任をもち 伝えよう豊かな緑と歴史が薫るまちを