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答申第585号

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JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (2) 今 年 の 6 月 に 群 馬 県 富 岡 製 糸 場 が 世 界 文 化 遺 産 に 登 録 さ れました 日 本 には 古 都 京 都 奈 良 の 文 化 財 など 14 の 文 化 遺 産 と 屋 久 島 知 床 半 島 など4つの 自 然 遺 産 がユネスコに 登 録 されています では ロシアの 世 界 遺 産 はいくつあるでし ょうか 2014 年 11 月 1 日 現 在 ロシアには 15 の 文 化 遺 産 10 の 自 然 遺 産 が 登 録 されています( 一 覧 表 は 5 ページに 掲 載 ) 今 回 は 主 に 首 都 モスクワとその 周 辺 の 世 界 遺 産 をご 紹 介 し ます モスクワ 川 から 見 たクレムリンの 城 壁 と 内 部 の 建 築 群 モスクワには 1990 年 に 登 録 された クレムリンと 赤 の 広 場 と 2004 年 に 登 録 された ノヴォデヴィチ 修 道 院 の 建 造 物 群 そして コローメンスコエの 主 の 昇 天 教 会 (1994 年 登 録 ) の 三 つの 世 界 文 化 遺 産 があります モスクワのクレムリンと 赤 の 広 場 クレムリンとは 城 塞 の 意 味 中 世 ロシアにおいて 多 く の 都 市 は 中 心 部 にクレムリンを 備 えていました モスクワ 以 外 では ノブゴロド ニジニ ノブゴロド アストラハン カザンなど のクレムリンが 有 名 です(カザンのクレムリンは 2000 年 に 文 化 遺 産 登 録 されています) モスクワのクレムリンは 全 長 2.25km 20 の 塔 門 を 備 え 内 部 には 様 々な 時 代 の 宮 殿 や 寺 院 ( 大 聖 堂 )が 林 立 しています 城 壁 の 高 さは 5~19m 厚 さは 6m もあります 12 世 紀 に 原 型 となる 城 塞 が 築 かれ 15 世 紀 末 には 現 在 とほぼ 同 じ 外 観 のク レムリンになったと 言 われています ( 上 )スパスカヤ 塔 の 時 計 盤 クレムリンの 城 壁 にそびえる 20 の 尖 塔 クレムリンの 城 壁 の 上 には 20 の 塔 門 がつながっています もっとも 高 い 塔 はトロイツカヤ 塔 で 80m 先 端 には 赤 くルビー 色 に 輝 く 星 が 取 りつけられています この 塔 門 がクレムリン 観 光 の 入 口 になります 赤 の 広 場 に 面 したスパスカヤ 塔 には 17 世 紀 に 時 計 が 取 り 付 けられました スパスカヤ 塔 は 現 在 公 用 入 口 となっており 政 府 要 人 や 外 国 の 賓 客 が 黒 い 車 に 乗 っ て 出 入 りしています クレムリン 内 には 建 造 物 と 見 どころがいっぱいです トロイ ツカヤ 塔 から 中 に 入 り クレムリン 大 会 宮 殿 の 巨 大 な 建 物 を 右 手 に 見 ながらまっすぐに 行 くと 教 会 が 建 ち 並 ぶ 大 聖 堂 広 場 に 出 ます ウスペンスキー 大 聖 堂 ( 生 神 女 就 寝 大 聖 堂 )/1479 年 帝 政 時 代 には ロシア 皇 帝 (ツァーリ)の 戴 冠 式 がこ こで 行 われました 現 在 でも ロシア 連 邦 大 統 領 就 任 式 で ロシア 正 教 会 による 祝 福 が この 大 聖 堂 で 行 われていま す アルハンゲリスキー 大 聖 堂 /1509 年 5 つの 丸 屋 根 を 持 つ 大 聖 堂 イワン 雷 帝 (1530~1584)ほか 歴 代 皇 帝 の 納 骨 堂 となっています ブラゴヴェシチェンスキー 大 聖 堂 /1489 年 皇 帝 皇 后 の 私 的 な 礼 拝 所 として 使 用 されました 建 立 当 初 は 1 個 だった 丸 屋 根 はすぐに 3 個 に 増 やさ れ その 後 もさらに 追 加 現 在 では 9 個 の 丸 屋 根 が 金 色 の 輝 きを 放 っていま す このほか 大 聖 堂 広 場 に は 総 主 教 宮 殿 ヴェルホ スパスキー 聖 堂 チェレム ノイ 宮 殿 付 属 教 会 リザパラジェーニヤ 教 会 十 二 使 徒 教 会 ラザーニ 教 会 などがあります

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (3) 大 聖 堂 広 場 の 教 会 群 の 西 にはロシア 皇 帝 (ツアーリ)の 宮 殿 最 後 にクレムリン 内 の 観 光 スポットをもう 二 つ が 立 ち 並 んでいます 大 砲 の 皇 帝 グラノヴィータヤ 宮 殿 /1491 年 1586 年 に 鋳 造 された 主 玄 関 が 白 い 多 面 体 の 石 で 飾 られているためグラノヴィー 大 砲 で 口 径 890mm タヤ( 多 面 体 )の 名 がついています 公 式 行 事 外 国 使 節 団 の 重 量 40 トン 前 におか 接 見 レセプション 会 場 などに 使 われた 宮 殿 です れた 弾 丸 は1つ 1 トン チェレムノイ 宮 殿 /1636 年 幸 いにもまだ 一 度 も 発 16 世 紀 に 建 設 された 2 階 建 て 宮 殿 の 上 に 3 4 階 が 増 築 さ 砲 されたことはありません れています この 宮 殿 は 歴 代 皇 帝 (ツァーリ)の 御 所 でした( 一 鐘 の 皇 帝 般 公 開 はされていません) 1735 年 作 高 さ 6.14m 重 量 200 ト クレムリン 大 宮 殿 /1849 年 ン 世 界 最 大 の 鐘 鋳 造 中 に 火 災 に 全 長 125m 奥 行 き 63m もの 大 建 築 外 観 は 3 階 建 てです 遭 い 消 火 の 水 で 一 部 分 が 欠 け 落 ち が 内 部 は 2 階 建 てです 1 階 は 皇 帝 の 私 室 2 階 は 国 家 行 事 て 未 完 成 のまま 終 わったものです に 使 われた 大 ホールとなっています 内 部 には 19 世 にの 家 具 したがって これまで 誰 もこの 鐘 の 音 シャンデリア 絨 毯 絵 画 彫 刻 などの 美 術 工 芸 品 がふんだん を 聞 いたことがありません にちりばめられています 国 立 クレムリン 宮 殿 ( 旧 クレムリン 大 会 宮 殿 )/1961 年 クレムリン 内 の 最 も 新 しい 建 物 で ソ 連 時 代 に 完 成 ソ 連 共 産 党 大 会 や 中 央 委 員 会 総 会 に 用 いられた 6000 人 収 容 の 大 建 築 です 90 年 にクレムリンが 世 界 遺 産 登 録 された 時 この 宮 殿 のみがその 近 代 性 のために 指 定 から 外 されました 武 器 庫 ( 武 器 宮 殿 アルジェイナヤ パラータ) 武 器 庫 という 名 前 ですが 後 に 戦 利 品 やロマノフ 家 の 宝 物 を 保 管 するようになり 1720 年 にピョートル 大 帝 の 命 令 によっ て 美 術 館 となりました 武 器 庫 の 一 角 に ダイヤモンドをちりば めた 王 冠 や 世 界 一 大 きなダイヤ オルロフ を 展 示 する ダイ ヤモンド 庫 があります 大 聖 堂 広 場 の 東 側 赤 の 広 場 に 面 した 城 壁 の 内 側 に 立 ち 並 ぶ 建 物 群 は 現 代 ロシアの 政 治 中 枢 です ロシア 大 統 領 府 ( 元 老 院 ) 帝 政 時 代 は 元 老 院 ソ 連 時 代 になって レーニン 以 来 歴 代 指 導 者 の 執 務 室 となり ソ 連 崩 壊 後 はロシア 大 統 領 の 官 邸 として 使 用 されています ロシア 大 統 領 官 邸 1930 年 代 初 めに 建 造 ソ 連 時 代 はソ 連 最 高 会 議 幹 部 会 舘 でした 大 統 領 府 など 周 囲 の 建 物 と 同 じ 黄 色 の 外 観 で 統 一 さ れ よく 調 和 がとれています アレクサンドロフスキー 庭 園 クレムリン 北 西 部 の 外 側 にある 公 立 公 園 アレ クサンドロフスキー 庭 園 には 無 名 戦 士 の 墓 があ り 永 遠 の 火 が 灯 されて います 結 婚 式 を 挙 げた カップルが 献 花 に 訪 れる 定 番 地 になっています 赤 の 広 場 ロシア 語 でクラースナヤ プローシシャチ 長 さ 695m x 幅 130m の 広 大 な 広 場 です クラースナヤは 赤 い と 美 しい の 二 つの 意 味 をもっていますが 美 しい 広 場 というほうが 元 の 意 味 に 近 いようです 1493 年 モスクワ 大 公 国 のイワン 3 世 が 自 らの 居 城 であ るクレムリンの 前 の 市 街 地 を 広 場 として 整 理 させたのが 起 源 と 言 われています 以 後 モスクワ 大 公 国 や ロシア 帝 国 (ロマノ フ 朝 )の 重 要 な 国 家 行 事 がこの 広 場 で 行 われるようになりまし た 石 畳 が 敷 かれて 現 在 のように 整 備 されたのは 17 世 紀 後 半 のことです ソ 連 時 代 には 革 命 記 念 日 (11 月 7 日 )の 軍 事 パレードが 毎 年 ここで 行 われ かつては 広 場 に 隣 接 する レーニン 廟 ととも に 社 会 主 義 の 聖 地 と 目 されていました ロシアに 変 わった 今 日 では ファッションショーやコンサートの 会 場 CM 撮 影 など 広 場 の 商 業 的 利 用 も 頻 繁 に 行 われるようになっています( 上 の 写 真 は クリスマスツリーで 飾 られた 赤 の 広 場 )

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (4) 広 場 に 隣 接 する 建 物 としては 南 西 側 にクレ ムリンの 城 壁 とレーニン 廟 北 東 側 にグム 百 貨 店 があり その 南 北 を 国 立 歴 史 博 物 館 と 聖 ワ シリー 大 聖 堂 がおさえて います 赤 の 広 場 に 関 連 する 観 光 スポットもいくつか 紹 介 しておきましょう 聖 ワシリー 寺 院 (ポクロフスキー 聖 堂 ) 聖 ワシリー 寺 院 は 1560 年 に 対 モンゴル 戦 争 を 記 念 して イ ワン 雷 帝 によって 建 てられました 赤 の 広 場 とセットでよく 写 真 に 撮 られるロシアでもっともよく 知 られた 寺 院 です 9つの 玉 ネ ギ 型 ドームと 鮮 やかな 色 彩 がひときわ 目 立 ちます あまりの 美 しさに 驚 いたイワン 雷 帝 が 二 度 とこのような 美 しい 建 物 が 作 られないように 設 計 した 2 人 の 技 師 の 眼 をくりぬいたという 逸 話 はよく 知 られています グム 百 貨 店 赤 の 広 場 に 面 して クレムリンの 反 対 側 に 建 つ 百 貨 店 19 世 紀 末 に 建 てられた 工 場 を 改 装 したもので 内 部 は 吹 き 抜 けに なった 3 階 建 てになっています ソ 連 時 代 は 日 用 品 や 食 料 品 を 売 る 国 営 百 貨 店 でしたが 現 在 では 有 名 ブランド 店 やみや げ 物 店 カフェやファーストフード 店 が 並 ぶ 観 光 名 所 となって います ヴァスクレセンスキー 門 赤 の 広 場 の 北 側 の 入 口 で 国 立 歴 史 博 物 館 に 接 して 建 つ 門 もとの 門 は 17 世 紀 に 建 てられましたが ソ 連 時 代 の 1931 年 に 破 壊 されて 撤 去 されました 現 在 の 門 は ソ 連 崩 壊 後 の 1995 年 に 再 建 されたものです 門 の 前 には 全 ロシア 道 路 の 起 点 と 書 かれた 標 識 があります 日 本 でいえば 東 京 の 日 本 橋 です ね 国 立 歴 史 博 物 館 1872 年 にアレクサンドル 2 世 の 命 によって 設 立 された 博 物 館 で 収 蔵 品 450 万 点 におよぶモスクワを 代 表 する 歴 史 博 物 館 です 原 始 時 代 から 古 代 中 世 ロシア そしてロシア 革 命 ま でのロシアの 歴 史 が 展 示 されています なお 革 命 後 の 歴 史 については トヴェルスカヤ 通 りにある 現 代 史 博 物 館 で 扱 っています レーニン 廟 ロシア 革 命 の 指 導 者 レーニンの 遺 体 を 永 久 保 存 する 記 念 館 です レーニン 廟 の 存 続 をめぐっては ソ 連 崩 壊 後 賛 否 両 論 ありましたが 今 でもモスクワの 観 光 名 所 の 一 つとして 多 くの 観 光 客 が 訪 れています ノヴォデヴィチ 女 子 修 道 院 の 建 造 物 群 1514 年 にスモレンスク(モスクワ 西 方 350km)がモスクワ 大 公 国 に 併 合 されたのを 記 念 して モスクワ 大 公 ワシリー3 世 の 命 で 創 建 されました( 完 成 は 1524 年 ) 修 道 院 はモスクワ 川 の 湾 曲 部 に 建 てられ クレムリンの 出 城 としての 役 割 も 持 ってい たため 城 壁 で 囲 まれています 城 壁 内 には 1525 年 建 設 のスモレンスキー 大 聖 堂 をはじめ ウスペンスカヤ 教 会 門 の 上 のポクロフスカヤ 教 会 プレオブ ラジェンスカヤ 教 会 鐘 楼 など 貴 重 な 古 い 建 造 物 が 残 ってい ます 城 壁 の 外 には 湖 があり この 湖 越 しに 見 る 修 道 院 も 大 変 美 しく チャイコフスキーはこの 湖 を 散 策 しながらバレエ 曲 白 鳥 の 湖 の 構 想 を 練 ったという 逸 話 が 伝 わっています 湖 は 冬 に なるともちろん 凍 結 します そして この 湖 は 19 世 紀 の 間 モ スクワで 最 も 有 名 なスケートリンクでした(トルストイの アン ナ カレーニナ にもこの 湖 のスケートリンクが 登 場 します) 修 道 院 内 にはたくさん の 墓 地 がありますが 有 名 人 が 多 く 眠 るノヴォデ ビッチ 墓 地 は 修 道 院 の 外 南 側 の 外 壁 に 隣 接 しています 1930 年 代 に モスクワの 都 市 改 造 で 多 くの 墓 地 がつぶされる ことになり 多 くの 有 名 人 の 墓 がノヴォデビッチ に 移 されました 作 家 詩 人 では アント ン チェーホフ ニコライ スモレンスキー 聖 堂 イ ゴーゴリ イワン ツル ゲーネフ ミハイル ブルガーコフ 音 楽 家 ではドミトリー ショ スタコービッチ セルゲイ プロコフィーエフ 政 治 家 ではニキー タ フルシチョフ( 夫 妻 ) アンドレイ グロムイコ(ソ 連 外 相 ) ボ リス エリツィン(ロシアの 初 代 大 統 領 )といった 人 たちがノヴォ

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (5) デビッチ 墓 地 に 眠 っています ソ 連 時 代 には 修 道 院 は 閉 鎖 され 国 立 歴 史 博 物 館 の 分 館 となっていました 修 道 院 内 の 多 くの 建 物 がアパートに 転 用 さ れたため これにより 建 物 は 建 て 替 えや 破 壊 を 免 れたと 言 わ れています 第 二 次 大 戦 で 苦 境 に 立 ったスターリンは ロシア 正 教 の 支 援 を 得 るために 宗 教 政 策 を 緩 和 しました 1943 年 に モスクワ 神 学 校 が 開 設 され 戦 後 大 聖 堂 は 信 者 に 返 還 され ました ソ 連 崩 壊 後 はふたたび 女 子 修 道 院 として 復 活 していま す コローメンスコエの 主 の 昇 天 教 会 コローメンスコエは モスクワの 南 モスクワ 川 沿 いの 高 台 に 広 がる 自 然 保 護 公 園 で 14~17 世 紀 の 教 会 や 木 造 建 築 が 立 ち 並 んでいます コローメンスコエの 名 前 がロシアの 歴 史 に 初 めて 登 場 したの は 14 世 紀 の 初 めのこと その 後 歴 代 のモスクワ 大 公 とツァ ーリによってこの 地 に 別 荘 が 建 てられました 中 でも 有 名 なの は 1667 年 に 建 設 されたアレクセイ ミハイロビッチ 大 公 の 木 造 離 宮 です この 離 宮 は7つの 木 造 建 築 と 石 造 りの 教 会 が 回 廊 で 結 ばれていました 各 木 造 建 築 には 多 角 尖 塔 やボーチカ ( 半 円 の 尖 塔 ) クーブ( 曲 線 屋 根 )など ロシア 建 築 に 特 徴 的 な 屋 根 がついていました 離 宮 には 270 の 部 屋 と 3000 の 窓 が あったと 伝 えられています その 建 物 が 釘 一 つ 使 わずに 建 て られていたため 諸 外 国 から 世 界 で 8 番 目 の 不 思 議 と 呼 ば れていました 離 宮 は 18 世 紀 後 半 に 解 体 されましたが 当 時 の 40 分 の 1 の 模 型 が 残 されており 今 でも 往 時 をしのぶこと ができます コローメンスコエで 現 存 するもっとも 古 い 建 物 は 1532 年 に 建 てられたヴォズネセーニエ 教 会 ( 主 の 昇 天 教 会 )です 建 築 材 料 は 基 礎 が 石 材 と 煉 瓦 で 屋 根 は 木 造 です 右 上 の 写 真 に 見 るように 屋 根 は 玉 ネギ 型 ではなく 八 角 の 尖 塔 となってい ます これはロシア 正 教 会 の 聖 堂 のもっとも 初 期 の 形 の 一 つ だと 言 われています 1925 年 にコローメンスコエは ソ 連 政 府 によって 野 外 文 化 博 物 館 となり この 地 の 古 い 建 築 が 保 護 されるとともに 国 内 各 地 の 古 い 木 造 建 築 石 造 建 築 がここに 移 築 されました 木 造 建 築 には ピョートル 大 帝 が 1702 年 に 住 んだ 小 屋 (アル ハンゲリスクから 移 築 ) ニコロ カレーリスキー 修 道 院 の 聖 門 (プロエーズナヤ 門 ) 蜜 酒 製 造 所 (プレオブラジェンスキー 村 から 移 築 )などがあります また 石 造 建 築 には イアオン プレチュチャ 教 会 ゲオルギ ー 鐘 楼 などがあり 内 部 は 絵 画 彫 刻 民 芸 品 などを 展 示 す る 博 物 館 として 使 われています コローメンスコエにはモスクワ 市 内 から 地 下 鉄 で 簡 単 に 行 く ことができます( コローメンスカヤ 駅 下 車 徒 歩 10 分 ) ロシアの 世 界 遺 産 一 覧 < 文 化 遺 産 > ( ) 内 は 登 録 年 モスクワのクレムリンと 赤 の 広 場 (1990 年 ) サンクトペテルブルグ 歴 史 地 区 と 関 連 建 造 物 群 (1990 年 ) キジー ポゴスト(キジー 島 の 木 造 教 会 建 築 )(1990 年 ) ノブゴロドと 周 辺 の 文 化 財 (1992 年 ) ソロヴェツキー 諸 島 の 文 化 的 歴 史 的 遺 産 群 (1992 年 ) ウラジーミルとスズダリの 白 亜 の 建 造 物 群 (1992 年 ) セルギエフ パサドの 至 聖 三 者 聖 セルギイ 大 修 道 院 の 建 造 物 群 (1993 年 ) コローメンスコエの 主 の 昇 天 教 会 (1994 年 ) クルシュー 砂 州 (2000 年 ) フェラポントフ 修 道 院 の 建 造 物 群 (2000 年 ) カザン クレムリンの 歴 史 的 建 築 的 複 合 体 (2000 年 ) デルベントのシタデル 古 代 都 市 要 塞 建 築 物 群 (2003 年 ) ノヴォデヴィチ 修 道 院 の 建 造 物 群 (2004 年 ) ヤロスラヴリの 歴 史 地 区 (2005 年 ) シュトルーヴェの 測 地 弧 (2005 年 ) < 自 然 遺 産 > コミの 原 生 林 (1995 年 ) バイカル 湖 (1996 年 ) カムチャツカの 火 山 群 (1996 年 拡 大 2001 年 ) アルタイの 黄 金 山 地 (1998 年 ) 西 カフカース (1999 年 ) 中 部 シホテ-アリン (2001 年 ) ウヴス ヌール 盆 地 (2003 年 ) ウランゲル 島 保 護 区 の 自 然 体 系 (2004 年 ) プトラナ 台 地 (2010 年 ) レナ 石 柱 自 然 公 園 (2012 年 )

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (6) 西 脇 邦 雄 ジオ 政 策 研 究 所 理 事 長 橋 口 哲 夫 ティグレ 連 合 会 理 事 長 ら 12 名 のモンゴル 訪 問 団 が 8 月 29 日 からモ ンゴルの 首 都 ウランバートルを 訪 れました 訪 問 団 は オユ ン 環 境 大 臣 と 会 見 し モンゴルの 知 的 障 がい 児 施 設 建 設 へ の 協 力 寄 金 (2500 ドル)を 手 渡 すとともに 日 本 の ODA( 政 府 開 発 援 助 )でできたカシミア 工 場 などを 見 学 また 大 草 原 での 乗 馬 トレッキングやツーリストゲルで 満 天 の 星 空 を 満 喫 し モンゴルの 大 自 然 を 楽 しみました 以 下 は 西 脇 理 事 長 からいただいたモンゴル 訪 問 記 です ( 編 集 部 ) * * * 8 月 29 日 から 9 月 2 日 まで ティグレの 橋 口 理 事 長 韓 国 商 工 会 議 所 の 高 山 会 長 らとともにモンゴルを 訪 問 しました 橋 口 さんはモンゴル 訪 問 30 回 を 超 えるベテランで 旅 行 の 企 画 からアテンドまでしていただき 大 感 謝 です 興 で 経 済 発 展 するのは 難 しい 中 国 が 近 すぎる 石 炭 銅 銀 などの 資 源 輸 出 をしているが それだけでなく 観 光 や 農 業 に 力 を 入 れたい 原 発 の 話 になり 政 府 はウラニウムの 輸 出 を 考 えているが 輸 送 ルートの 住 民 が 恐 れて 反 対 運 動 が 起 きている といった 話 もお 聞 きしました 私 たちの 訪 問 の 前 の 週 には 中 国 の 習 近 平 国 家 主 席 がモ ンゴルを 訪 問 20 何 項 目 の 協 定 を 提 案 帰 国 の 翌 日 にはロ シアのプーチン 大 統 領 が 訪 問 と 海 のないモンゴルは 大 国 にはさまれた 中 をどう 生 きるのか?その 苦 悩 も 感 じさせられ ました オヨン 環 境 大 臣 と 会 談 寄 付 金 を 手 渡 す 今 回 のモンゴル 訪 問 は オヨン 環 境 大 臣 が 主 催 するゾルグ 財 団 の 知 的 障 がい 者 施 設 の 建 設 プロジェ クトを 支 援 すること 安 原 記 念 財 団 か ら 月 5 万 円 2 年 間 の 留 学 生 奨 学 金 の 提 案 を 伝 えることも 大 き な 目 的 でした 到 着 した 日 の 夜 さっそくオヨン 大 臣 と 会 い 寄 金 を 贈 呈 知 的 障 がいの 子 ども 達 にいい 教 育 ができるように 少 しでもお 役 に 立 てればと 思 います 留 学 生 奨 学 金 の 提 案 にもとても 喜 んでいただきました 通 訳 のツヨさんの 話 では 大 臣 は 国 民 的 な 人 気 の 持 ち 主 です 1 億 ドルの 国 家 予 算 がいまでは 10 億 ドルに 成 長 した ソ 連 崩 壊 後 の 混 乱 期 から 日 本 にはとても 大 きな 支 援 をいただい ている 今 後 も 一 層 の 協 力 関 係 に 期 待 したい 若 者 の 教 育 が 重 要 なテーマ 人 口 が 少 なく 市 場 規 模 の 小 さいモンゴルでは 他 の 途 上 国 のように 繊 維 産 業 などの 振 ウランバートルは 不 動 産 バブル ウランバートルの 空 港 は 壮 大 な 草 原 の 中 にありますが 市 内 に 向 かって 少 し 車 で 走 ると マンションの 建 設 現 場 があち こちで 見 られます 1 m2 1300$ の 看 板 こんな 郊 外 で 坪 40 万 円? 市 内 中 心 部 には 億 ション が 登 場 しています どうやら ウランバートル 市 内 は 不 動 産 バブルのようです ( 写 真 は ウランバートルの 観 光 ポイント ザイサンの 丘 から 見 えるマンション 群 ) 現 地 で りんくうゲートタワーIGT クリニックの 堀 ドクター の 次 兄 大 島 博 行 さんに 会 いました モンゴルの 自 然 に 魅 せられて 1985 年 から 夏 の 間 のガイドやビジネスアドバイザ ーをされています 堀 ドクターの 縁 で 大 阪 府 泉 佐 野 市 とモ ンゴル トウブ 県 との 交 流 も 氏 のお 仕 事 砂 漠 植 林 ツアーの ガイドなどもされています 大 島 さんの 話 では ペレストロイカのあと 政 府 は 国 民 に

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (7) 0.7 km2の 土 地 所 有 を 認 めた その 土 地 から 金 や 銀 ウラニウ ウムが 採 れるとなり ドイツや 中 国 の 資 本 が 入 り 込 んで 土 地 権 利 書 の 値 段 が 吊 上 がりバブル 状 態 になった とのこと いわゆる 資 源 バブルです どうして 官 僚 の 人 が 億 ションに たくさん 入 れるのでしょう? など 興 味 深 い 話 を 聞 かせてい ただきました 冬 が 厳 しいモンゴルでは 夏 の 間 しか 建 設 工 事 ができない のですが 建 設 現 場 には 多 くの 中 国 人 労 働 者 が 働 きに 入 っ ています モンゴルにはすでに 4 万 人 の 中 国 人 が 住 み 着 い ていると 言 われています 韓 国 勢 も 韓 流 ドラマの 放 映 権 を 無 料 にし まず 文 化 ファッションからモンゴルの 若 者 に 浸 透 し ています i phone を 持 ち おしゃれなスーツを 着 こなして アメリカ 留 学 が 流 行 りの 若 者 達 ロシア 語 が 準 公 用 語 の 社 会 主 義 時 代 に 生 きて 来 た 中 高 年 世 代 遊 牧 を 中 心 とする 伝 統 的 な モンゴルの 生 活 様 式 を 守 る 人 たち 世 代 ギャップや 経 済 格 差 の 広 がりはどこもたどる 道 なのでしょうか ( 写 真 は ウランバートル 市 内 のバス 停 夕 方 の 帰 宅 時 ) 写 真 は 案 内 してくれた 少 年 たち みな 乗 馬 の 名 手 以 下 日 記 風 にモンゴル 訪 問 のエピソードを 綴 ります ツーリストゲルでの 乗 馬 トレッキング 2 日 目 (8 月 30 日 )は ウランバートル 郊 外 のツーリストゲ ルで 一 泊 しました ウランバートル 市 内 から 車 で 1 時 間 半 ほど 走 ると 大 草 原 にツーリストゲルが 立 ち 並 んでいました 近 代 的 なビル 街 か ら 昔 ながらのゲル( 遊 牧 民 のテント)での 生 活 の 落 差 にま ず 驚 きます また 昼 夜 の 気 温 差 の 大 きさも 日 本 の 比 ではあ りません ウランバートル 市 内 では 朝 は 10 くらい 吐 く 息 が 白 い 日 もありました 昼 は 20 を 超 えてバスのエアコンが 入 ります そして ツーリストゲルの 夜 はストーブを 焚 いて 寝 ました 夜 中 に 燃 料 を 継 ぎ 足 してくれるはずだったのですが 係 の 人 が 明 け 方 にしか 来 なかったので 寒 くて 寝 られない 人 が 続 出 ダウンに 防 寒 パンツ 毛 布 に 身 を 包 み 明 け 方 2 の 気 温 に 耐 えました でも 皆 で 見 た 満 天 の 星 は 絶 景 で した 遠 くにあるのにすごく 近 くにあるように 見 える 山 々 夏 なのに 虫 がいません ゲルの 屋 根 はストーブの 煙 突 が 突 き 出 て 丸 く 空 いたままですが 何 も 入 ってきません それほ ど 自 然 が 過 酷 なのかも 知 れません ツーリストゲルではモン ゴル 馬 に 乗 ってトレッキングを 楽 しみました モンゴル 馬 は 韓 国 済 州 島 の 馬 のルーツ 頑 丈 でよく 働 く 元 の 時 代 に 韓 半 島 に 入 った と 同 行 の 高 山 さん 遊 牧 民 の 子 供 たちは 3 才 から 馬 を 操 るそうです 私 たちのグ ループには 10 才 の 少 年 がついて 巧 みに 馬 を 操 りながら 案 内 をしてくれました 少 年 の 操 る 馬 はおとなしく 駆 けるの に 私 たちの 乗 る 馬 は 勝 手 に 走 ったり 枝 だらけの 茂 みに 突 っ 込 んだり 小 川 で 水 を 飲 んだりと なかなか 思 うようにい きません 私 も 隙 をみて 枝 に 突 撃 され もう1 人 は 水 飲 みし ながらしゃがまれてズボンがびしょびしょ モンゴル 馬 は 人 に 慣 れておとなしいと 聞 いていましたが 馬 は 人 を 見 分 けま す?? 途 中 遊 牧 民 のゲルを 訪 れて 馬 乳 酒 ヤギのチーズや 生 バターをいただきました ゲルの 中 では おばあさんから 孫 までの 共 同 生 活 家 畜 は75 頭 飼 っているけれど 羊 や 馬

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (8) の 顔 はすべて 見 分 けることができるんだそうです まは4 人 くらいにもどっているとのこと モンゴルは30 代 以 下 ツーリストゲルから 亀 石 ( 亀 の 形 をした 大 きな 岩 )まで 往 復 が 過 半 数 (53%)を 占 める 若 い 国 なのです なぜかおいしい 2 時 間 のトレッキングは 忘 れられない 体 験 でした ラーメンの 店 もあるモンゴルの 市 場 風 景 でした 9 月 1 日 に 新 学 期 が 始 まる 9 月 1 日 はモンゴルの 新 学 期 です モンゴルの 学 制 は 6-3-3 制 で 小 1から 高 3までが 同 じ 広 場 に 集 まって9 月 1 日 に 入 学 と 新 学 期 を 祝 います 早 起 きしてホテルの 周 りを 散 歩 していたら うまくこの 新 学 期 風 景 に 出 会 いました 車 での 送 り 迎 えも 多 く 広 場 は 大 渋 滞 でした スマホで 両 親 や 祖 父 母 が 記 念 写 真 を 撮 り 小 さな 花 を 新 入 生 にプレゼントします どこの 国 もかわいい 子 どもの 笑 顔 は 宝 物 です この 人 だ れ? ~ 保 護 者 のような 顔 をしながら 写 真 をパチリです 写 真 ゲルの 中 は 意 外 と 広 い ウランバートルの 市 場 風 景 3 日 目 (8 月 31 日 )は 市 内 に 戻 り 庶 民 の 市 場 と 百 貨 店 へ 行 きました 日 曜 日 だ っ た ので 商 品 を 運 び こむ 車 と 買 物 客 で 市 場 は 大 混 雑 乳 製 品 はさすがにモ ンゴル 製 ですが 野 菜 や 果 物 は 中 カシミア 工 場 私 は 日 本 担 当 マネージャー エルヘンバヤル ツェン ゲルズルです 大 阪 では 西 川 ふとん カタログハウス 千 趣 会 などにわが 社 の 製 品 を 納 めています 日 本 製 の 機 械 が 動 くカシミア 工 場 は 日 本 政 府 の 無 償 援 助 で 作 られました 製 品 のブランド 名 は GOBI フランス イ タリア 中 国 韓 国 などに 輸 出 されています すごく 綺 麗 な 色 彩 と 手 作 業 での 縫 製 仕 上 げ モンゴル 人 の 繊 細 な 一 面 が 製 品 に 現 れています 販 売 所 には 旅 行 客 が 一 杯 でした ケーキ( 上 )と 乳 製 品 ( 下 ) 国 産 百 貨 店 には 大 きなケーキが 並 ん でいました 大 家 族 で 食 べるので 大 きい ら し い 昔 は 子 供 7-8 人 は 当 たり 前 ペレストロイカの 混 乱 期 は 子 供 が 2 人 やっとだったが い

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (9) 伝 統 舞 踊 劇 場 モンゴル 滞 在 最 後 の 夜 は 伝 統 舞 踊 劇 場 へ 1 人 の 歌 手 が 二 つの 声 を 同 時 に 出 すホーミーを 初 めて 聞 きました 大 草 原 に 響 き 渡 るような 豊 かな 声 量 肩 と 手 の 動 きが 早 く 飛 び 跳 ねるダンス アクロバット 伝 統 楽 器 馬 頭 琴 の 演 奏 日 本 の 雅 楽 のような 不 思 議 な 面 の 舞 日 本 にたどり 着 いた 芸 能 ルーツを 見 ているような 感 覚 でした 本 の 紹 介 ロシア 縦 横 無 尽 未 踏 の 大 国 四 輪 の 旅 池 田 正 弘 著 / 東 洋 書 店 刊 / 定 価 ;2500 円 + 税 * * * 今 回 の 旅 行 では JIC 大 阪 の 小 原 浩 子 さんに 大 変 お 世 話 になりました 充 実 した 旅 行 日 程 を 組 んでいただき 感 謝 しています モンゴルには 夏 の 間 は 成 田 空 港 から 週 5 便 関 西 空 港 からも 火 曜 日 と 金 曜 日 の 週 2 便 の 直 行 便 が 飛 んでいます ( 冬 季 は 成 田 -ウランバートル 間 週 2 便 ) 今 回 の 旅 では 帰 国 日 が 直 行 便 の 飛 ばない 9 月 にかかったためソウル 経 由 で 大 韓 航 空 (KE)を 利 用 しましたが ソウル 経 由 北 京 経 由 も ふくめて モンゴルへのアクセスは 随 分 便 利 になりました( 直 行 便 の 飛 行 時 間 は 4 時 間 半 で 日 本 との 時 差 は 1 時 間 ) 現 地 通 貨 よりも 米 ドルが 通 じるとのアドバイスでドルを 持 っ て 行 きましたが 本 当 にそのとおりでした ウランバートル 空 港 には VIP サービス(1 人 =30 ドル?)もあります 一 般 客 とは 別 に 入 国 審 査 を 受 け バッゲージのピックアップサービ スが 付 いているので とても 楽 です 初 めての 人 にはお 奨 め です 空 港 からウランバートル 市 内 までは 交 通 渋 滞 すると 聞 いていたのですが 結 構 スムーズに 30 分 ほどでホテルに 着 きました 日 本 の 4 倍 の 面 積 に 人 口 はわずか 290 万 人 羊 の 数 は 1200 万 頭 と 人 間 よりもはるかに 多 い 遊 牧 国 家 なだらか な 起 伏 がどこまでも 続 く 大 平 原 そして 日 本 の 大 相 撲 で 活 躍 するモンゴル 力 士 たちの 故 郷 モンゴルは 本 当 に 魅 力 の ある 国 です 日 本 とモンゴルの 交 流 を 続 けるために これからも JIC さ んと 協 力 して モンゴル 旅 行 の 企 画 を 作 っていきたいと 思 い ます ロシア NIS 貿 易 会 のモスクワ 事 務 所 長 を 長 く 務 め 昨 年 9 月 に 旅 行 中 の 沖 縄 与 那 国 島 で 急 逝 された 池 田 正 弘 さん の 著 書 が 東 洋 書 店 から 刊 行 されました 池 田 さんはモスクワ 日 本 商 工 会 ( 現 ジャパンクラブ)の 事 務 局 長 を 兼 務 しており ジェーアイシー 旅 行 センターも 2006 年 にモスクワ 事 務 所 を 開 設 して 以 来 随 分 お 世 話 になってきました 池 田 さんは 1976 年 に 東 京 外 国 語 大 学 を 卒 業 後 ソ 連 東 欧 貿 易 会 ( 現 ロシア NIS 貿 易 会 )に 入 り 長 期 にわたって モスクワでの 勤 務 生 活 を 送 りました その 間 ロシア 各 地 を 訪 れ 多 くの 友 人 知 人 を 作 りつつ 日 本 とロシアのビジネス 関 係 の 発 展 に 尽 力 しました 池 田 さんの 足 跡 はほとんどロシア 全 土 に 及 んでいます 現 在 80 余 りあるロシアの 州 地 方 のうち なんと 60 以 上 の 地 域 を 訪 問 したといいます 本 書 は 自 らハンドルを 握 り 車 に 乗 ってロシア 全 土 を 走 りまわった 経 験 をもとに 著 者 がそ れぞれの 土 地 の 印 象 や 出 会 った 人 物 エピソードなどを 書 き 綴 った 旅 行 記 です 33 項 目 の 目 次 を 見 るだけで 池 田 さんが 訪 れた 町 や 地 域 の 広 さと 多 彩 さがよくわかります アストラハン 豊 かで 華 やかな 画 風 を 育 てた 町 ボルガ 水 源 母 なる 川 はここから 始 まる ノーヴァヤ イギルマ タイガの 奥 地 ムルマンスク オーロラ 紀 行 コストロマ 黄 金 の 環 の 魅 力 ハンティ マンシースク ロシアのクウェート ホールイ ロシアの 工 芸 の 里 トムスク シベリアで 最 も 美 しい 町 クラスノダール 州 棕 櫚 の 木 が 茂 る 黒 海 のリゾート あなたはここに 初 めて 来 た 日 本 人 だ 本 書 には 池 田 さ んが 地 元 のロシア 人 にこう 言 われる 場 面 がよくでてきます ロシアには 外 国 人 が 一 度 も 訪 れたことのない 魅 力 的 な 町 や 地 方 がまだまだたくさんあります 本 書 によってロシアの 魅 力 を 新 たに 発 見 したり 再 発 見 したりする 人 は 多 いに 違 いあ りません 旅 好 きで 人 好 きだった 池 田 さんの 著 書 に 誘 われて ま だ 行 ったことのないロシアの 町 や 村 を 訪 れて ありのままの ロシアを 感 じてみたいものだと 思 うのは 私 だけではないはず です 池 田 さんのご 冥 福 をお 祈 りします (F)

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (10) начинает отображать результаты сразу, при вводе みなさん 朗 報 です! いつでもどこでも 使 えるロシア 語 検 索 アプリが 誕 生! 日 本 語 の 俗 語 表 現 や 挨 拶 も 調 べ ることができます 露 語 ミニ 辞 典 開 発 者 : Shokichi Abe 阿 部 昇 吉 阿 部 昇 吉 先 生 が いつでもどこでも 使 える 便 利 なロシ ア 語 検 索 アプリを 開 発 されました 以 下 簡 単 にご 紹 介 します(このアプリ 日 本 人 だけでなくロシア 人 にとっ ても 日 本 語 検 索 にとっても 便 利 です なので ロシア 語 での 紹 介 文 もつけておきます ロシア 人 の 知 り 合 いや 友 人 にも 是 非 ご 紹 介 ください) この 露 語 ミニ 辞 典 は 日 本 語 の 見 出 し 語 で 1 万 3000 語 ロシア 語 の 見 出 し 語 で 1 万 1000 語 用 例 は 約 7000 を 収 録 してあります ロシア 語 やひらがな 片 仮 名 や 漢 字 を 一 文 字 入 力 した だけで 一 瞬 で 単 語 の 検 索 が 開 始 されます また メモ からの 単 語 検 索 も 可 能 です びびる や マジ? などの 俗 語 表 現 や 挨 拶 など 見 出 し 語 としてふんだんに 掲 載 しています また 用 例 は 日 常 生 活 でよく 使 われるものを 選 んでいます 検 索 した 単 語 は 履 歴 として 残 るので 再 度 調 べたい 時 に 重 宝 します また 必 要 に 応 じてマークをつけておくこ とも 出 来 ます 掲 載 単 語 に 独 自 の 註 を 付 けたり 画 像 を 添 付 したりし て オリジナルの 辞 典 として 育 て 上 げることが 可 能 です 註 :アクセント 部 分 は 赤 で 表 記 してあります 動 詞 の 完 了 体 は 印 で 明 示 してあります ё はロシア 語 キーボー ドで е を 長 押 ししてください Приложение «Русско-японский японско-русский карманный словарь» является самым большим словарём современного японско-русского и русско-японского перевода в AppStore! Словарь содержит более 13000 слов и выражений. В словаре используется "Живой поиск", который первой буквы. Для удобства использования, слова объеденены в категории. Словарь содержит как отдельные слова, так и наиболее употребляемые выражения. (Включая жаргон). Каждое слово или выражение сопровождается примером использования из жизни. Приложение поддерживает функцию избранных слов. Вы можете помечать нужные Вам слова и они будут выводиться в главном окне. При наборе в поиске нужного Вам слова, избранные слова будут исчезать, а в результатах поиска отображаться все слова соответствующие тексту ввода. Благодаря приложению «Русско-японский японско-русский карманный словарь» Вы можете просматривать историю просмотров слов, что позволит Вам быстро найти ранее употребляемые слова. Одной из удобных функций является добавление заметки к слову. Вы можете, как добавить текстовую заметку, так и добавить изображение с камеры, что позволит людям с хорошей зрительной памятью быстро запоминать сложные слова. Для тех, кто ценит время, добавлена функция автоматической вставки слова из буффера обмена. Интерфейс программы поддерживает два языка: русский и японский. この App は iphone ipad の 両 方 に 対 応 しています 価 格 : 1,200 カテゴリ: 辞 書 / 辞 典 /その 他 リリース: 2014 年 10 月 16 日 バージョン: 1.1 サイズ : 3.9 MB 言 語 : 英 語 販 売 元 : Shokichi Abe 互 換 性 : ios 7.1 以 降 iphone ipad および ipod touch 対 応 この App は iphone 5 に 最 適 化 されてい ます 是 非 使 ってみてください

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (11) 日 本 語 教 師 のボランティア 派 遣 に 取 り 組 んでいた 基 本 的 に 追 悼 鈴 木 啓 介 さん 永 遠 の 教 師 鈴 木 啓 介 さんが 4 月 16 日 に 亡 くなられた 鈴 木 さんはロシ ア 語 の 達 人 で 経 団 連 の 日 ソ 経 済 委 員 会 事 務 局 に 長 く 勤 めら れたのち 静 岡 県 立 大 学 さらに 九 州 大 学 の 教 授 に 転 じ 後 進 の 指 導 にあたられた 本 人 の 遺 志 により 葬 儀 はごく 身 近 な 方 々だけで 行 われたが 6 月 29 日 に 横 浜 で 親 交 があった 人 たちが 集 まって 偲 ぶ 会 が 開 かれた これを 機 に お 世 話 にな った 鈴 木 啓 介 さんの 思 い 出 を 一 筆 書 かせていただきます * * * JIC 国 際 親 善 交 流 センターとしては 1981 年 11 月 に 大 阪 で 開 催 した 日 ソ 経 済 シンポジウム のパネラーを 鈴 木 啓 介 さん にお 願 いして 以 来 のお 付 き 合 いとなる その 後 も ナホトカ 青 年 の 船 (81 年 から 91 年 まで 毎 夏 実 施 )の 船 上 講 座 の 講 師 を お 願 いし 日 ソ 経 済 交 流 や 極 東 シベリア 開 発 について 講 演 を していただいた(1985 年 1987 年 ) 講 師 として 乗 船 してもらっ ただけなのに 現 地 ではちゃっかりと 代 表 団 の 通 訳 をお 願 いし たり 青 年 交 流 や 現 地 視 察 のプログラムについても 適 切 なアド バイスをいただいた また 当 時 JIC 会 長 だった 上 田 卓 三 衆 議 院 議 員 が 国 会 質 問 で 日 ソ 関 係 を 取 り 上 げるときは 必 ず 鈴 木 さんに 連 絡 してご 意 見 を 伺 った 米 ソ 冷 戦 に 引 きずられてソ 連 (ロシア)との 経 済 交 流 の 拡 大 が 思 うようにできなかった 当 時 の 経 済 界 の 不 満 と 本 音 を 拾 い 上 げ 上 田 会 長 がポイントをついた 国 会 活 動 で 日 ソ 関 係 の 改 善 に 取 り 組 むことができたのは 鈴 木 啓 介 さんのお 力 と 援 助 によるところが 大 きい 君 んとこの 先 生 はいいよな 怖 いものなしだから 本 当 に 勇 気 があるよ 他 の 議 員 なんて 日 ソ 関 係 で 何 か 発 言 するとすぐに 右 翼 が 街 宣 カーでワァワァ 言 いに 来 るから 票 が 減 る のを 恐 れてシュンとなっちまって 全 然 頼 りにならねえんだ と 鈴 木 さんも 上 田 会 長 を 頼 りにされていた 大 学 の 教 師 に 転 じられた 後 は JIC のロシア 語 留 学 を 教 え 子 の 学 生 たちに 薦 めていただいた 実 際 鈴 木 門 下 生 の 何 人 かが JIC を 通 じてロシアに 留 学 し 現 在 も 日 露 関 係 の 前 線 で 活 躍 されている * * * 九 州 大 学 を 定 年 退 官 される 前 だったか 後 だったか 定 かで はないが 新 橋 の 鈴 木 さん 行 きつけの 居 酒 屋 でお 会 いした 時 に おい シルバー ボランティアをやるんだ 君 んとこの 日 本 語 教 師 インターンシップに 参 加 させてくれよ と 切 り 出 された 時 には 驚 いた 旧 七 帝 大 の 教 授 であれば 退 官 後 私 学 の 教 授 ポストは 引 く 手 あまたのはずなのに それを 全 部 蹴 っ 飛 ばし て ロシアか 中 央 アジアで 日 本 語 教 師 をやりたいというのだ 当 時 JIC ではロシア 旧 ソ 連 諸 国 への 民 間 支 援 事 業 として は 大 学 でロシア 語 を 勉 強 している 学 生 あるいは 卒 業 直 後 の 青 年 を 対 象 に 現 地 で 日 本 語 を 教 える 代 わりに その 報 酬 をロ シア 語 の 授 業 と 宿 泊 ( 学 生 寮 )で 受 け 取 るというもので 給 料 は 出 てもごくわずか せいぜい 月 額 50 ドル~100 ドル 程 度 だっ た 鈴 木 先 生 はもちろんロシア 語 の 授 業 など 必 要 ない 上 級 のロ シア 語 話 者 だ 逆 に 日 本 語 だけでなく 専 門 の 国 際 経 済 や 日 ロ 経 済 の 講 義 をやってもいいとおっしゃる 高 齢 者 でも 社 会 に 貢 献 する 方 法 はあるはずだ かつてソ 連 やロシア 語 と 関 わ った 同 年 輩 の 仲 間 のシルバーボランティアの 先 駆 けになるん だ という 熱 意 に 押 し 切 られて 日 本 語 教 師 インターンシップ に 参 加 していただくことになった 記 録 をたどると JIC では 1996 年 にクラスノヤルスク 大 学 に 日 本 語 教 師 を 派 遣 したのを 皮 切 りに 1997 年 にはニジニノブ ゴロド 言 語 大 学 モスクワビジネス 経 営 大 学 ペテルブルグ 第 83 学 校 ( 通 称 バラの 学 校 ) キルギス 国 立 大 学 カザフ 外 国 語 大 学 カムチャツカ 国 立 海 洋 アカデミーなどに 教 師 を 送 り 出 し ている カザフ 外 国 語 大 学 で 1996 年 3 月 から 日 本 語 を 教 えていた 西 川 直 広 さんが ちょうど 1 年 半 の 契 約 を 終 えてウズベキスタンに 移 るのと 入 れ 替 わりに 97 年 11 月 から 鈴 木 啓 介 先 生 がカザフ 外 国 語 大 学 に 赴 任 されることになった カザフの 受 け 入 れ 態 勢 はひどいですよ という 西 川 さんの 忠 告 通 り カザフ 外 国 語 大 学 では 散 々の 目 に 遭 って 結 局 西 川 さんの 後 を 追 ってウズ ベキスタンの 大 学 に 移 られることになったが どこに 行 っても 学 生 を 可 愛 がること 尋 常 ではなく ほとんど 無 きに 等 しい 報 酬 で 講 義 を 続 け 学 習 意 欲 のある 学 生 への 時 間 外 講 義 や 日 本 留 学 の 世 話 など 教 育 活 動 に 情 熱 を 注 がれた JIC の 日 本 語 教 師 インターンシップはその 後 も 2000 年 代 初 めまで 細 々と 継 続 したが 現 地 の 受 け 入 れ 条 件 が 十 分 に 整 わ ない 中 で 日 本 側 のボランティア 精 神 にだけ 頼 るのはおのずと 限 界 があったこと 同 時 に 日 本 外 務 省 の 対 ロシア 支 援 事 業 に 日 本 語 教 師 派 遣 が 組 み 込 まれ 給 料 などを 日 本 政 府 が 支 給 する 形 できわめて 条 件 の 良 い 派 遣 条 件 が 拡 大 したこと この 二 つの 要 因 によって 終 息 せざるを 得 なかった しかし この 取 り 組 みは 形 を 変 えたロシア 語 留 学 という 側 面 を 持 ちつつも ソ 連 崩 壊 後 の 社 会 的 経 済 的 混 乱 の 中 で ロシア 旧 ソ 連 での 日 本 語 教 育 熱 をボランティアで 支 えるという まさに JIC らしい 活 動 の 一 つだったと 今 でも 思 っている JIC らしさ を 大 人 の 立 場 で 支 え 励 ましていただいた 鈴 木 先 生 に 今 も 感 謝 している (2014.7.30 記 / 伏 田 昌 義 ) 鈴 木 啓 介 さん 略 歴 1934 年 生 まれ 東 京 外 国 語 大 学 ロシア 語 科 卒 業 西 日 本 新 聞 社 記 者 商 社 勤 務 などを 経 て 経 団 連 日 ソ 経 済 委 員 会 事 務 局 1988 年 静 岡 県 立 大 学 教 授 1992 年 九 州 大 学 教 授 1997 年 定 年 退 官 後 シルバー ボランティア として カザフ ウズベクで 日 本 語 教 師 2014 年 4 月 16 日 永 眠

JIC インフォメーション第 181 号 (1995 年 5 月 29 日第 3 種郵便物認可) ジーマの町を歩けば ドミトリー トカチェンコ タリン大学 院生 ヘルシンキ ペテルブルグ間は 高速列車アレグロ号で ご存知だと思いますが ロシアはとても広い国で 鉄道の 車両は伝統的に座席車よりも寝台車が多いです 列車の旅 は 家族や友達と一緒に乗って 乗り合わせた他の乗客と おしゃべりして 家でつくった もしくはお婆さんに作ってもら った 食べ物を持ちこんで 乗務員に紅茶を作ってもらって 飲むという具合に 列車の車両は賑やかで 全くソ連時代 の共同アパートに似た感じでした 知らない人と同じ部屋で 寝起きをともにすると おもわず同じ家族のように感じること もあったのではないかと思います ただし 最近はビジネス旅行が多くなり 長い距離や時間 を短縮するために 旅の便利さを追求することが優先される ようになりました 昔と違って 隣の人と話をしようともしない 旅人が増えました 目的地までの行程を短くして 途中でで きるだけ事件がないようにするやりかたです 昔の 寄り道旅 行 や 冒険旅行 とは全然違いますが 便利にはなりまし た 10 月にヘルシンキからペテルブルグにアレグロ号で行き ました ヘルシンキ ペテルブルグ間の距離は 400 キロほ どで 通常は4時間で行ける距離ですが 途中でフィンラン ド EU 連合 とロシアの国境があるので 両国のパスポート 検査 税関検査で結構時間がかかります 列車の場合もそ うです 最近 ウクライナ問題をめぐる対ロ制裁でヨーロッパからロ シアへのチーズや肉の輸入が禁止されたので ペテルブル 2014 年 11 月 10 日発行(12) グっ子の中でい わゆる 食料品ツ アー が人気にな りました もちろん 持 ち込 め る 食 料 品 の 量 は限 られ ており その検査 をロシアの税関 がおこないます 2010 年までは ヘルシンキ ペテ ヘルシンキの鉄道駅 ルブルグ間を ヤン シベリウス という列車が約 6 時間かけ て走っていました 6 時間のうち 2 時間は国境検査でした フィンランドのヴァイニッカラ市と ロシアのヴィーボルグ市で その検査は大体1時間ずつかかりました 2010 年末からは アレグロ という高速列車が走っていま す 移動時間は 3 時間 36 分です まず フィンランドの国境 守備兵はヴァイニッカラの前の駅で列車に乗って 列車が 走る間に検査をして ヴァ イニッカラで降ります 列車 がロシアに入ると ヴィーボ ルグでロシアの国境守備 兵が乗って 同様に列車 が走る間に検査をしてペテ ルブルグで降りるのです さらに シベリウス号と違っ て アレグロ号の速度は 220 キロです おかげで乗車時間が大幅に短縮されまし た ヘルシンキからペテルブルグまで飛行機だと1時間です が チェックインの時間や中心部から空港までの移動の手 間などを考えると アレグロ号の方が便利です アレグロ号 は もともとフランスのアルストム工場で製造されるイタリア企 画の列車車両です もちろん フィンランドとロシアは北国な ので 気温が零下 40 度でも走れるタフな列車です アレグロ号はヘルシンキ ペテルブルグ間を1日 4 往復し ています 乗車券は 一等 134 ユーロ 二等 84 ユーロです 食堂車にはバーもあり 軽食もとることができます チケット は出発地のオペレーターの WEB サイトで購入できます E チケット 私はヘルシンキ発だったので フィンランド共和 国鉄道 VR のサイト www.vr.fi で買いました もちろん 鉄道駅では紙のチケットを購入することができます 19:00 にヘルシンキ中央駅を出て ロシア時間 1時 間 の 23:36 にペテルブルグのフィンランド駅に到着しまし た 旅は楽しかったです アレグロは イタリア語で allegro 楽しい と意味します フィンランド ロシアの旅 はアレグロ号がお薦めです

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (13) とってはその 天 国 がソチ 生 まれ 変 わったソチ 2014 年 冬 期 オリンピックが 行 われたソチで この 11 月 20 日 23 日 に WRO(World Robot Olympiad = 国 際 ロボッ ト 競 技 会 )が 開 催 されます 日 本 から 120 名 の 代 表 団 がモス クワ 経 由 でソチを 訪 れる 予 定 で JIC がそのグループの 旅 行 手 配 をすることになりました そこで 9 月 下 旬 に JIC 東 京 の 神 保 さんと 一 緒 にソチへ 下 見 に 行 ってきました ソチは 南 ロシアの 黒 海 北 岸 のリゾート 地 です ロシアは 北 国 なので タイやハワイのような 暖 かい 海 とビーチはありま せんが ロシア 最 南 のコーカサス 山 地 と 黒 海 の 間 に 位 置 す るソチは ロシア 唯 一 の 亜 熱 帯 地 方 なのです ロシアの 総 面 積 (1700 万 平 方 キロ)の 5000 分 の 1 に 過 ぎないのです が ロシア 人 でも 外 国 人 でもはじめてソチに 行 く 人 は あ れ?これロシア? 温 かいねえ と 思 います ソチに 行 くと た しかに 暖 かい 海 があって 高 い 山 があって 厳 しい 雪 の 冬 はなくて 普 通 の 大 平 原 のロシアのイメージと 全 く 違 います 現 在 ソチが 位 置 する 地 方 には 19 世 紀 の 半 ばまで 独 立 のアディグ 人 (チェルケス 人 )という 山 岳 民 族 が 住 んでいまし た 彼 らは 黒 海 南 岸 の 同 じイスラム 教 のオスマン 帝 国 (トル コ)との 交 易 で 生 活 を 立 てていました ロシア 帝 国 は 19 世 紀 に 北 コーカサスまで 領 土 を 拡 張 して アディグ 人 を 黒 海 沿 岸 からコーカサス 山 脈 の 北 の 平 地 やオスマン 帝 国 に 追 放 し 19 世 紀 後 半 から 20 世 紀 初 めにかけてロシア 人 やウクラ イナ 人 同 じキリスト 教 のアルメニア 人 やギリシャ 人 を 入 植 さ せました そして 社 会 主 義 革 命 (1917 年 )の 後 ソビエト 政 府 はソチを 保 養 地 としてリゾート 開 発 しました 特 別 な 許 可 がない 限 り 外 国 に 行 くことができなかったソ 連 時 代 には 休 暇 に 多 くのソ 連 人 がソチに 行 きました(*もう 一 つの 人 気 の ある 保 養 地 はクリミア 半 島 でした) 夏 休 みもソチ 恋 人 とのロマンチックな 旅 もソチ 新 婚 旅 行 もソチ 長 く 寒 い 冬 にうんざりしたロシア 人 は いつ も 暖 かいビーチリゾートの 天 国 を 夢 見 ていました ソ 連 人 に でした ソ 連 崩 壊 後 ロシア 人 はお 金 さえあれば 自 由 に 外 国 に 行 けるよ うになりました エジプト やトルコ タイなどに 行 ってみると 海 はソチの 黒 海 より 暖 かいし 施 設 は 立 派 だし サービスの レベルも 高 いことが 明 ら かになりました しかも ソチより 値 段 が 安 い 所 すらあります そのため ソチをやめて 外 国 に 行 く 人 が 増 えました ソチのもうひとつの 特 徴 は 海 岸 から 60 キロも 内 陸 に 入 る と 2000 メートル 級 の 山 があって 冬 にスキーができることで す 夏 も 冬 も 有 望 なリゾート 資 源 があることはソチの 大 きな 魅 力 です しかしながら 当 時 は 海 岸 部 と 同 じように スキー 施 設 は 外 国 と 比 べて 失 敗 貧 弱 不 便 というところで 2007 年 に 冬 季 オリンピックの 2014 年 ソチ 開 催 が 決 定 されたわけです 私 は 2006 年 と 2009 年 にソチに 行 ったことがあります 今 回 冬 季 オリンピック 開 催 後 のソチに 初 めて 行 くことになって 以 前 とどういう 変 化 があるか とても 楽 しみにしていました 行 ってびっくりするか 行 ってがっかりするか そして いよいよ 9 月 22 日 にソチ のアドレル 空 港 に 到 着 し ました ロシアのマスコミでよく 言 われるのは オリンピ ックは 地 理 的 にはソチ だけれども 実 際 には 5 年 間 でゼロから 作 られた 新 しい 町 で 開 催 されたと いうことです 確 かに オ リンピックの 施 設 は 黒 海 の 近 くの 元 は 沼 地 だった 場 所 に 建 設 されたのです 地 理 的 に 言 えばソチのはずれです 到 着 してまずびっくりしたのは 近 代 的 な 空 港 ターミナルで すが つぎに 空 港 からホテルに 向 かうと 立 派 なオリンピック 施 設 の 灯 が 見 えて その 全 景 がとても 印 象 深 かったです 私 たちが 泊 ったホテルも 新 しかったです ホテルから 10 分 ぐらい 歩 くともう 黒 海 の 岸 です ビーチには あっちこっち に 通 じるプロムナードがあり 自 転 車 と 人 が 行 き 来 していまし た ロシア 最 南 のビーチ というポスターがあって 確 かに 南 1キロ 先 にはロシア アブハジアの 国 境 があります オリンピック パーク ソチ 中 心 部 空 港 クラスナヤ ポ

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (14) リャーナ( 山 岳 地 区 )の 間 には 急 行 列 車 が 走 っています し EU(ヨーロッパ 連 合 )に 加 わりました ラトビアで 市 民 権 を 以 前 は 曲 がりくねった 山 道 を 通 って 車 かバスでしか 山 岳 持 つロシア 人 は 自 由 にヨーロッパで 仕 事 ができるようになっ 地 区 に 行 けなかったのですが 今 では 立 派 な 高 速 道 路 が たので 先 祖 の 国 であるロシアに 戻 らない 人 が 多 いのです 通 り 鉄 道 路 線 が 整 備 されて とても 便 利 になっていました バルテゼルスからリガの 中 心 部 までは 車 で 30 分 地 下 駐 クラスナヤ ポリャーナに 着 いたら ロシアではなくまるで 日 車 場 に 車 を 置 いて リガの 散 歩 を 始 めました 本 か 外 国 にいるような 気 がしました 新 しく 生 まれ 変 わったソ 新 市 街 のアルベルト 通 り(Alberta iela)は ユーゲント シ チを 見 て 私 はとても 嬉 しくなりました ュティールの 逸 品 が 並 ぶ 気 持 ちよくて 歩 きやすい 一 角 で 新 しく 建 設 されたオリンピック 施 設 や 高 速 道 路 とともに 以 す アルベルトはリガの 創 立 者 の 名 前 で ユーゲント シュテ 前 のソ 連 時 代 のペンションがいっぱい 建 ち 並 ぶリゾート 地 ソ ィールとは ドイツ 語 で Jugendstil( 青 春 様 式 )といい いわゆ チ 冬 季 オリンピックのホストを 無 事 終 えて これからはスポ るアール ヌーヴォーを 意 味 しています( 注 ) 簡 単 に 言 えば ーツをはじめ 様 々なイベントでお 客 様 を 歓 迎 することでしょ その 原 則 は 直 角 や 直 線 のかわりに 自 然 の 屈 曲 を 使 うこと う です 特 に 植 物 や 動 物 の 像 が 人 気 でした アルベルト 通 り モスクワ ペテルブルグ ヴラジオストックに 続 いて ロシ には 19 世 紀 から 20 世 紀 初 頭 にかけて 建 てられた8つのユ アでもう 一 つの 新 しい 都 市 が 外 国 のお 客 様 にオープンされ ーゲント シュティールの 建 物 があり そのうちの 一 つの 中 に た!これがソチを 5 年 ぶりに 訪 れた 私 の 感 想 です 空 港 や は 博 物 館 があります 鉄 道 道 路 ホテルといった 観 光 インフラが 整 備 され 人 々 リガの 中 心 部 をダウガヴァ 川 が 流 れています(ダウガヴァ の 行 き 来 が 活 発 になり その 地 方 の 歴 史 文 化 地 理 に 触 れ はラトビア 語 の 名 前 で ロシア 語 ではザーパドナヤ ドビナで る 機 会 が 増 えれば 増 えるほど 私 たちの 世 界 もより 平 和 的 す) ユネスコ 世 界 遺 産 に 登 録 されているリガの 旧 市 街 は になるだろうと 思 います ダウガヴァ 川 の 右 岸 に 位 置 しています 12 世 紀 ごろからドイ 最 近 の 噂 では 近 いうちにソチ 空 港 は オープンスカイ ツ 人 商 人 の 入 植 が 始 まり ハンザ 同 盟 の 都 市 として 栄 えたリ 制 度 が 適 用 され ビザ 無 しで 3 日 間 の 滞 在 が 許 可 されるよう ガ 旧 市 街 には 当 時 の 教 会 や 商 人 の 家 がひしめくように 建 になるそうです 楽 しみです ち 並 んでいます 私 たちは 聖 ペトロ 教 会 の 尖 塔 にある 展 望 台 に 上 りました 70 メートルぐらいの 高 さですが 旧 市 街 や リガの 旅 今 年 1 月 の 話 ですが ラトビアのリガに 行 ってき ました モスクワに 住 んで いる 私 の 友 達 が リガ 郊 外 の バ ル テ ゼ ル ス 市 (Baltezers)に 別 荘 を 持 っていて エストニアに 近 いので 遊 びに 来 ないかと 誘 ってくれたのです リガの 旧 市 街 タリンからリガまで 車 で 行 きました 距 離 は 300 キロぐらい 車 で4 時 間 半 かかります エストニアとラトビアは 同 じシェン ゲン 協 定 加 盟 国 なので 国 境 はあるけれどパスポート 検 査 や 税 関 はありません ご 存 知 の 通 り リガはラトビアの 首 都 です 人 口 70 万 人 で バルト 三 国 最 大 の 都 市 です その 人 口 の 47%はラトビア 人 ですが 40%がロシア 人 です 半 分 ロシアの 町 と 言 ってもい いくらい リガの 町 を 歩 いているとラトビア 語 もロシア 語 もよく 聞 こえます かつてラトビアはソ 連 の 一 部 でした ソ 連 時 代 には 生 活 水 準 のより 高 いラトビア 共 和 国 に 多 くのロシア 人 が 働 きに 行 きました 当 時 ラトビアを 含 めたバルト 三 国 は 国 内 の 海 外 と 言 われました ソ 連 崩 壊 後 ラトビアは 独 立 ダウガヴァの 魅 力 的 な 景 色 がよく 見 えます 旧 市 街 は 年 末 のクリスマス マーケットの 時 期 に 一 番 賑 やかとなります 冬 に 来 ると 聖 ペトロ 教 会 の 上 は 風 が 強 くて 寒 いので 下 におりてホット ワインを 飲 むのがお 薦 めで す 一 日 歩 き 疲 れて 3つのナイフ という 名 前 のレストランに 行 きました 旧 市 街 にある 多 国 籍 料 理 のレストランです メニューは 少 ないけど 皆 オリジナルな 味 です ウェイタ ーもとても 友 情 的 でした 夜 中 に 車 でバル テゼルスに 戻 って 翌 朝 タリンに 帰 ってきました ところで リガは 2014 年 のヨーロッパ 文 化 首 都 のひとつで す(もう 一 つの 文 化 首 都 はスヴェーデンのウメオ 市 です) そ れに 関 わるプロジェクトがラトビア 国 立 図 書 館 の 新 ビル 建 設 で 外 形 はバルト 海 の 波 か 海 辺 の 砂 丘 を 思 わせます その コレクションにはロシア 語 の 文 献 もたくさんあります もうひと つのプロジェクトは 元 発 電 所 の 建 物 の 中 に 造 られた 近 代 美 術 館 です また リガへ 行 きましょう 注 ;アール ヌーヴォー(フランス 語 :Art Nouveau)は 新 しい 芸 術 を 意 味 する 19 世 紀 末 ~20 世 紀 初 頭 にヨーロッパで 流 行 した 美 術 運 動 植 物 模 様 や 自 由 曲 線 を 組 み 合 わせた 装 飾 や 鉄 やガラスといった 当 時 の 新 素 材 の 利 用 が 特 徴 分 野 は 建 築 工 芸 品 グラフィックデ ザインなど 多 岐 にわたる

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (15) (その1) 白 井 秀 治 (JIC 東 京 ) 20 年 前 僕 はロシアに 留 学 していた 留 学 していた 僕 は 大 学 の 寮 に 住 んでいた 毎 週 末 繰 り 広 げられるヴェチェリンカ( 学 生 パーティー) では 数 え 切 れないほどのビール 瓶 タバコの 煙 大 音 量 の 音 楽 それ 以 上 の 酔 っぱらった 学 生 の 大 声 がフロア 全 体 を 覆 っていた 多 国 籍 の 学 生 寮 それはそれで 楽 しい 週 末 だった ただ 大 学 三 年 時 からのクルサバヤ ラボータ( 進 級 論 文 )や 学 位 論 文 を 本 気 で 書 くには 集 中 力 に 欠 ける 環 境 の ため 寮 を 去 ることに 決 めた 多 くの 友 達 が 大 学 寮 に 残 る ため 寮 からそれほど 離 れていないクバルチーラ(アパー ト)に 引 っ 越 した 静 かな 環 境 に 移 った 三 年 生 の 秋 夏 前 までの 騒 々しさが 少 々 懐 かしく 感 じられる 毎 日 だった 9 月 も 半 ばにもなる と 同 じような 理 由 で 引 っ 越 したフランス 人 の 友 達 が 週 末 に 昼 過 ぎから 僕 のクバルチーラへとやってくるようにな った 恐 らく 僕 と 同 じような 感 覚 にあったのだろう Как дела?(カーク ジェラー?) 調 子 はどう? Нечего нового...(ニェチヴォー ノーヴァヴァ) 特 に 何 も принесла(プリニェスラー) 持 ってきたわ знаю...(ズナーユ) 知 ってる という 何 となく 村 上 春 樹 的 な 会 話 から 始 まり 僕 たちは たわいもない 話 をし チップスを 食 べながらビールを 夜 中 まで 飲 み 続 けた そんなある 週 末 朝 から 誰 かが 僕 の 家 のドアをノックし た( 呼 び 鈴 が 鳴 らないことが 多 い) いつもの 友 達 だろう とドアを 開 けたが そこに 立 っていたのは 季 節 外 れの 黒 のタイトなミニスカートに 白 いブラウスのボタンを 胸 元 まで 開 けた 髪 の 長 い 15 歳 位 の 知 らない 女 の 子 だった おまけに 彼 女 の 足 元 には 茶 色 のミニチュアダックスが いた 突 然 の 見 知 らぬ 来 客 に 僕 は 言 葉 を 失 った паспорт(パースパルト) 数 秒 たってから 彼 女 は 言 っ た パスポート? покажи поспорт, говорю!(パカジー パースパルト ガヴァリュー!) パスポートを 見 せてって 言 ってるの! зачем?(ザチェーム) なんで? Ты Китаец или кореец?(ティ キターエツ イーリ カレェーエツ?) あんた 中 国 人 それとも 韓 国 人? 当 時 韓 国 人 留 学 生 がたくさんいた Нет, японец(ニェート ヤポーニェッツ) いや 日 本 人 だけど не верю!(ニェ ヴェーリュ) 信 じないわ!... なんのこっちゃ?と 心 の 中 でつぶやいた 時 間 も 凍 りついていた 僕 の 家 のドア そんなところに 何 も 知 らないフランス 人 の 友 達 が 大 量 のビール 瓶 をいつものようにビニール 袋 に 入 れて 現 れた 友 達 の 頭 に 後 光 が 差 しているように 見 えた Гость?(ゴースチ) と 友 達 お 客 さん? Сам не знаю(サーム ニェ ズナーユ) 僕 は 即 答 した 自 分 でも 分 からない Он японец??(オン ヤポーニェッツ) 彼 女 は 僕 を 親 指 で 指 しながら 訊 いた この 人 日 本 人 なの? Да,японец. А я француженка(ダー ヤポーニェッツ. ア ヤー フランツージェンカ) そうよ で 私 はフランス 人 Очень приятно. А у Вас бутылки?(オーチン プリヤ ートナ ア ウ ヴァス ブッティールキ) よろしく ビールあるの? なんでそこで 態 度 が 大 きく 変 わるんだ! 僕 は 声 を 出 さずに 言 った

JIC インフォメーション 第 181 号 (1995 年 5 月 29 日 第 3 種 郵 便 物 認 可 ) 2014 年 11 月 10 日 発 行 (16) Ну... Да..заходи к нам(ヌ ダー ザハジー ク ナー ム) 友 達 は 僕 の 家 のキッチンへ 行 った そうね んじゃ おいで Спасибо(スパシーバ) どーも やれやれ なんでお 前 がそう 言 うんだよ!と 友 達 に 僕 は 目 で 訴 えたが 彼 女 とミニチュアダックスは 既 に 部 屋 に 入 り 込 んでいたのは 言 うまでもない もちろん 僕 たちは 何 もしゃべらなかった ミニチュアダックスを 連 れた 彼 女 はビールを 1 本 と 煙 草 を 2 本 吸 ってから 出 て 行 った Кто она?(クトー アナー) 友 達 が 訊 いた だれだったの? Не знаю(ニェ ズナーユ) 知 らない Ну Давай! За гость!(ヌゥ ダヴァイ!ザ ゴース チ!) 友 達 が 言 った それなら 彼 女 に 乾 杯! За гость(ザ ゴースチ) 僕 は 復 唱 した 彼 女 に 乾 杯 その 後 彼 女 と 一 緒 に 無 言 で 数 回 飲 んだ ミニチュアダックスを 連 れてる 女 の 子 は 初 回 だけだっ た 彼 女 は 僕 をヤポーネェッツ( 日 本 人 )と 呼 んだ 僕 は 敢 て 彼 女 の 名 前 は 訊 かなかった 彼 女 も 名 乗 らなかった あれから 20 年 以 上 経 つ 彼 女 は 何 をしているのだろう 時 々 思 い 出 す 25 年 間 の 実 績 だから JIC のロシア 語 留 学 JIC ロシア 語 留 学 研 修 は JIC 国 際 親 善 交 流 センターが 日 本 で 最 初 に 旧 ソ 連 ロシアの 諸 大 学 と 直 接 契 約 により 開 始 した 私 費 留 学 システムです この 25 年 間 で JIC がロシアに 送 り 出 した 留 学 生 は 長 期 短 期 合 わせて 2,800 名 以 上 にのぼります 安 心 の 現 地 アフターケア 留 学 中 はできる 限 り 自 分 のことは 自 分 でやっていただくのが 語 学 力 上 達 の 道 です しかし 一 人 ではどうしても 解 決 できない 大 学 との 交 渉 ごとや 緊 急 事 態 の 際 の 連 絡 対 応 など 留 学 される 皆 様 をバック アップするために JIC では 各 受 入 機 関 と 緊 密 な 連 絡 体 制 を 整 えて います モスクワ 国 立 大 学 922,500 円 ( 授 業 料 10 ヶ 月 ) サンクト ヘ テルフ ルク 国 立 大 学 823,000 円 ( 授 業 料 10 ヶ 月 ) ウラシ オストク 極 東 連 邦 大 学 508,000 円 ( 授 業 料 10 ヶ 月 ) 上 記 の 金 額 以 外 に 別 途 寮 費 手 配 料 渡 航 費 用 ビザ 代 金 および 取 得 手 数 料 などがかかります JIC ロシア 留 学 デスク ロシア 留 学 旅 行 のお 問 合 せ ご 相 談 に 応 じます お 気 軽 にお 越 しください 東 京 事 務 所 平 日 9:30-18:00 03-3355-7294 大 阪 デスク 平 日 9:30-16:00 06-6944-2341 必 ず 事 前 にご 予 約 ください 今 年 もあっという 間 に 1 年 が 過 ぎようとしていま す 以 前 は 夏 だけがとても 忙 しく それ 以 外 は 割 と 暇 だったのに 最 近 は 年 中 せわしないように 感 じます これは 仕 事 が 増 えたからか それとも 年 ごとの 老 化 で 労 働 効 率 が 低 下 しているからか 会 社 も 人 も 1 年 ごとに 年 を 重 ねるのは 避 けられません しか し 年 をとったからといって 即 老 いにつながるわ けではありません 青 春 とは 人 生 のある 期 間 ではな く 心 の 持 ち 方 を 言 う 歳 を 重 ねただけでは 人 は 老 いない 理 想 を 失 う 時 初 めて 老 いる (ウルマン 青 春 ) この 言 葉 を 励 みに 夢 を 追 い 続 けたいと 思 い ます 少 し 早 いですが 来 年 もよい 年 にするため に 皆 さん 今 から 頑 張 りましょう!( 伏 田 ) 14 年 12 月 13 日 留 学 相 談 会 12 月 29 日 年 末 仕 事 収 め 15 年 1 月 5 日 新 年 営 業 開 始 1 月 16 日 長 期 留 学 4 月 出 発 生 申 込 み 締 切 3 月 上 旬 長 期 留 学 4 月 生 事 前 説 明 会 4 月 上 旬 長 期 留 学 4 月 生 出 発 4 月 上 旬 JIC 東 京 ロシア 語 講 座 スタート! JIC 大 阪 ロシア 語 講 座 スタート! 最 新 情 報 は JIC のホームページに 随 時 掲 載 します その 他 のロシア 情 報 も 満 載 です!!