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Transcription:

1 北 海 道 炭 鉱 産 業 の 歴 史 と 炭 鉱 (やま)の 記 憶 (1) 北 海 道 の 炭 鉱 の 始 まり 近 代 石 炭 生 産 の 前 史 北 海 道 の 石 炭 生 産 は 幕 末 の1860 年 前 後 に 始 まりました そのきっかけとなったのは 1853( 嘉 永 6) 年 のペリー 提 督 の 黒 船 来 航 及 び1854 ( 嘉 永 7) 年 に 江 戸 幕 府 とアメリカで 締 結 された 日 米 和 親 条 約 です 同 条 約 によって 下 田 ( 現 静 岡 県 下 田 市 )とともに 箱 館 (1869( 明 治 2) 年 函 館 に 改 称 )が 補 給 港 として 開 港 し 1639( 寛 永 16) 年 以 来 200 年 にわたって 続 いてき た 鎖 国 体 制 が 終 わりを 告 げました 日 米 和 親 条 約 と 同 じ 年 に 日 英 和 親 条 約 1855( 安 政 元 ) 年 に 日 露 和 親 条 約 1858( 安 政 5) 年 にはアメリカをはじめとする 英 仏 露 蘭 5カ 国 との 間 で 修 好 通 商 条 約 ( 安 政 五 カ 国 条 約 )が 締 結 されました これによって 箱 館 は 横 浜 長 崎 新 潟 神 戸 とともに 国 際 貿 易 港 となり 外 国 人 居 留 地 が 形 成 されました このような 外 国 貿 易 港 としての 箱 館 開 港 を 契 機 として 船 舶 への 燃 料 供 給 の 必 要 性 が 高 まりました 当 初 は 箱 館 周 辺 の 木 材 を 薪 として 供 給 していましたが 次 第 に 間 に 合 わなくなり 江 戸 幕 府 によって 1857( 安 政 4) 年 に 白 糠 炭 山 ( 釧 路 管 内 白 糠 町 ) 1862( 文 久 2) 年 には 茅 沼 炭 山 ( 後 志 管 内 泊 村 )が 開 発 されました しかし これら 炭 鉱 の 生 産 は 技 術 的 にも 未 熟 で 炭 層 の 質 量 の 点 からも 限 界 がありました 近 代 炭 鉱 の 成 立 1868( 明 治 元 ) 年 から1869( 明 治 2) 年 にかけて 幕 府 勢 力 の 最 後 の 抵 抗 であった 箱 館 戦 争 が 終 結 し 明 治 政 府 が 成 立 しました そして 1869( 明 治 2) 年 7 月 に 開 拓 使 が 設 置 され 欧 米 列 強 に 対 抗 するために 北 海 道 のある 天 然 資 源 の 開 発 が 必 要 となり 次 第 に 北 海 道 の 開 拓 が 政 府 の 重 要 課 題 となっていきました そのような 中 で 北 海 道 内 陸 部 における 開 発 の 先 兵 として 期 待 されたのが お 雇 い 外 国 人 の 地 質 学 者 ライマン(ベンジャミン スミス ライマン 1835~1920)の 調 査 によって 明 らかにされた 豊 富 に 埋 蔵 する 石 炭 でした ライマンは 1872( 明 治 5) 年 から1881( 明 治 14) 年 の 間 日 本 に 滞 在 し 調 査 を 行 っていました 近 代 炭 鉱 開 発 のスタートとなったのは 1879( 明 治 12) 年 開 鉱 の 官 営 幌 内 炭 鉱 ( 三 笠 市 )です 開 鉱 前 の1875( 明 治 8) 年 ~1876( 明 治 9) 年 に 黒 田 清 隆 伊 藤 博 文 山 県 有 朋 ら 政 府 要 人 が 次 々と 幌 内 を 訪 れ また 石 炭 運 搬 のための 幌 内 鉄 道 ( 小 樽 市 手 宮 ~ 三 笠 市 幌 内 )が 全 国 3 番 目 の 鉄 道 として1882( 明 治 15) 年 に 全 線 開 通 (1880( 手 宮 ~ 札 幌 間 が 部 分 開 通 )したことからわかるように 幌 内 炭 鉱 の 開 発 は 国 家 プロジェ クトだったのです 1889( 明 治 22) 年 幌 内 炭 鉱 は 開 拓 使 の 役 人 であった 堀 基 (ほり もとい)が 設 立 した 北 海 道 炭 礦 鉄 道 ( 北 炭 後 の 北 海 道 炭 礦 汽 船 )に 払 い 下 げられました 同 社 に よって1890( 明 治 23) 年 に 空 知 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 ) 夕 張 炭 鉱 ( 夕 張 市 )の 開 発 が 行 わ れ 1892( 明 治 25) 年 には 岩 見 沢 市 から 室 蘭 市 への 鉄 道 延 伸 が 図 られました - 1 -

(2) 新 鉱 開 発 による 石 炭 産 業 の 活 況 鉄 道 国 有 化 による 新 鉱 開 発 の 拡 大 1906( 明 治 39) 年 に 鉄 道 が 国 有 化 され 北 炭 による 優 良 鉱 区 と 鉄 道 輸 送 の 独 占 体 制 が 崩 れました これを 契 機 に 財 閥 系 企 業 を 中 心 とした 北 海 道 進 出 が 活 発 化 し 石 狩 炭 田 のみならず 釧 路 炭 田 や 留 萌 炭 田 でも 新 鉱 開 発 が 相 次 ぎました この 時 期 に 空 知 に 開 鉱 した 代 表 的 な 炭 鉱 として 三 井 鉱 山 登 川 ( 夕 張 市 に 開 鉱 され 1911( 明 治 44) 年 に 買 収 1919( 大 正 8) 年 北 炭 に 譲 渡 ) 三 井 鉱 山 砂 川 (1915( 大 正 4) 年 上 砂 川 町 に 開 鉱 ) 三 菱 鉱 業 美 唄 (1915( 大 正 4) 年 に 買 収 ) 三 菱 鉱 業 大 夕 張 (1916( 大 正 5) 年 に 買 収 ) 住 友 石 炭 鉱 業 唐 松 ( 三 笠 市 に 開 鉱 され 1916( 大 正 5) 年 に 買 収 ) 山 下 汽 船 歌 志 内 (1916( 大 正 5) 年 歌 志 内 市 に 開 鉱 1928( 昭 和 3) 年 に 住 友 石 炭 が 買 収 ) 大 倉 鉱 業 茂 尻 (1918( 大 正 7) 年 赤 平 市 に 開 鉱 1935( 昭 和 10) 年 に 雄 別 炭 礦 が 買 収 )などがあります その 頃 北 炭 は 鉄 道 買 収 資 金 を 輪 西 製 鉄 所 につぎ 込 んでいましたが 銑 鉄 生 産 の 要 である 高 炉 に 莫 大 な 資 金 を 必 要 としたうえ 原 料 の 鉄 を 噴 火 湾 沿 岸 で 採 れる 砂 鉄 にこ だわったため 技 術 的 な 問 題 から 充 分 に 操 業 ができない 状 況 が 続 いていました さらに 折 からの 不 況 で 需 要 が 低 迷 していた1912( 明 治 45) 年 に 北 炭 夕 張 鉱 で 二 度 にわたる 大 事 故 (それぞれ 死 者 267 名 216 名 )が 発 生 し 製 鉄 所 へ 資 金 が 集 中 していた 北 炭 は 一 挙 に 苦 境 に 陥 りました その 機 に 乗 じて それまで 北 炭 に 資 金 を 貸 し 出 していた 三 井 財 閥 は 北 海 道 で 優 良 な 鉱 区 を 独 占 していた 北 炭 を 系 列 下 に 収 め 1913( 大 正 2) 年 に 北 炭 会 長 として 団 琢 磨 ( 三 井 鉱 山 会 長 三 池 炭 鉱 を 近 代 炭 鉱 に 成 長 させた 技 術 者 その 後 三 井 合 名 理 事 長 となったが1932( 昭 和 7) 年 に 血 盟 団 事 件 で 暗 殺 された)を 送 り 込 みました これにより 北 海 道 での 石 炭 生 産 の 基 盤 を 作 った 三 井 は 1915( 大 正 4) 年 に 樺 太 に 三 井 系 の 王 子 製 紙 を 進 出 させ 三 井 鉱 山 で 産 出 した 石 炭 を 王 子 製 紙 へのボイラー 炭 として 供 給 します その 後 樺 太 は 三 井 主 導 で 開 発 が 活 発 化 し その 中 継 港 として 小 樽 港 が 大 活 況 を 呈 しました 1923( 大 正 12) 年 には 港 湾 機 能 拡 充 のため 小 樽 運 河 が 完 成 しました 戦 争 による 活 況 北 海 道 の 石 炭 生 産 は 世 界 恐 慌 (1929( 昭 和 4) 年 )の 影 響 で 足 踏 みを 続 けていま したが 次 第 に 戦 時 経 済 色 が 強 くなる1931( 昭 和 6) 年 の 満 州 事 変 以 降 は 軍 備 拡 張 に 乗 って 石 炭 市 況 は 一 気 に 活 性 化 したため 新 鉱 開 発 が 相 次 ぎました この 時 期 に 開 発 された 炭 鉱 として 北 炭 平 和 (1939( 昭 和 14) 年 夕 張 市 に 開 鉱 ) 北 炭 赤 間 (1936( 昭 和 11) 年 赤 平 市 に 開 鉱 ) 北 炭 天 塩 (1936( 昭 和 11) 年 小 平 町 に 開 鉱 ) 三 井 鉱 山 芦 別 (1939( 昭 和 14) 年 に 芦 別 市 に 開 鉱 ) 住 友 赤 平 (1938( 昭 和 13) 年 赤 平 市 に 開 鉱 ) 明 治 鉱 業 庶 路 (1940( 昭 和 15) 年 白 糠 町 に 開 鉱 )などがあり ます - 2 -

独 立 系 の 炭 鉱 では 日 本 鋼 管 系 の 新 幌 内 (1934( 昭 和 9) 年 三 笠 市 に 開 鉱 1941( 昭 和 16) 年 北 炭 に 併 合 ) 鈴 木 商 店 系 の 羽 幌 (1940( 昭 和 15) 年 羽 幌 町 に 開 鉱 )などが あります これら 旺 盛 な 新 鉱 開 発 と 既 存 炭 鉱 の 生 産 増 強 によって 戦 時 期 の1940( 昭 和 15) 年 ~1944( 昭 和 19) 年 には 全 道 の 石 炭 生 産 量 は 一 時 的 に 約 1500 万 トンに 達 し ました (3) 戦 後 から 石 炭 産 業 の 終 焉 まで 戦 後 復 興 期 太 平 洋 戦 争 終 結 後 は 無 理 な 採 炭 の 反 動 で 生 産 量 は 低 迷 し 1946( 昭 和 21) 年 に は 最 盛 期 の3 分 の1である500 万 トン 台 にまで 落 ち 込 み 鉄 道 輸 送 や 産 業 復 興 に 必 要 な 石 炭 不 足 が 深 刻 な 問 題 となりました 当 時 わが 国 唯 一 のエネルギー 資 源 であった 石 炭 なしには 戦 後 復 興 はあり 得 ないこ とから 1946( 昭 和 21) 年 に 石 炭 産 業 へ 優 先 的 に 資 源 を 投 入 して 復 興 を 果 たそうと いう 傾 斜 生 産 方 式 が 強 力 に 推 進 され 炭 鉱 は 活 況 を 呈 しました この 頃 NHK では 夜 のゴールデンタイムにラジオ 番 組 炭 鉱 に 送 る 夕 が 放 送 され 炭 鉱 の 出 炭 量 が 国 民 の 関 心 事 であったことが 窺 えます この 時 期 には 復 興 金 融 公 庫 の 融 資 によって 再 び 新 鉱 開 発 が 活 発 化 し 北 炭 では 平 和 二 坑 ( 夕 張 市 ) 清 水 沢 ( 夕 張 市 ) 角 田 ( 栗 山 町 ) 穂 別 ( 穂 別 町 ) 三 笠 山 ( 三 笠 市 途 中 で 開 発 中 止 となりましたが 後 に 北 炭 幌 内 立 坑 として 活 用 )が 三 井 鉱 山 で は 三 井 芦 別 二 坑 ( 芦 別 市 頼 城 ) 住 友 石 炭 では 奈 井 江 ( 奈 井 江 町 )が 開 発 されました 三 菱 鉱 業 では 芦 別 ( 芦 別 市 樺 太 からの 引 き 揚 げ 者 を 収 容 する 目 的 がありました)が 開 発 され 日 東 茶 志 内 炭 鉱 を 系 列 下 に 収 めました しかし これら 戦 後 に 開 発 された 炭 鉱 は 終 戦 直 後 の 石 炭 増 産 要 請 に 対 応 して 開 発 されたものの 経 営 条 件 が 劣 ったものが 多 くありました さらに 1949( 昭 和 24) 年 にGHQ 経 済 顧 問 として 来 日 したドッジ(ジョセフ ド ッジ)が 勧 告 したドッジ ラインによる 復 興 金 融 の 整 理 縮 小 の 影 響 を 受 けると 三 井 芦 別 二 坑 など 一 部 を 除 いて 開 発 規 模 の 縮 小 や 子 会 社 として 分 離 されるなど 戦 後 に 開 発 された 炭 鉱 は 短 期 的 な 生 産 を 担 っただけにすぎませんでした エネルギー 革 命 の 対 抗 - スクラップ アンド ビルド その 後 好 不 況 の 波 を 繰 り 返 しながらも 1957( 昭 和 32) 年 には 炭 鉱 数 158(う ち 石 狩 炭 田 で3 分 の2を 占 める)と 最 大 数 を 記 録 し 1960 年 前 後 には 機 械 採 炭 が 本 格 化 するなど 生 産 量 も 戦 前 の 水 準 までに 回 復 しました これが 第 二 のピークであり 炭 鉱 が 最 も 繁 栄 した 時 代 でもあります 戦 後 の 労 働 運 動 によって 炭 住 や 福 利 厚 生 施 設 は 充 実 し スポーツや 文 化 運 動 は 隆 盛 を 極 めました 映 画 は 札 幌 より 先 に 炭 鉱 の 映 画 館 で 封 切 られ 三 種 の 神 器 と 言 わ れた 白 黒 テレビ 冷 蔵 庫 洗 濯 機 が 道 内 で 最 も 早 く 普 及 したのは 炭 鉱 の 家 庭 でした - 3 -

しかし 繁 栄 は 長 くは 続 かず 1960 年 代 に 入 ると 原 油 の 輸 入 自 由 化 開 始 となり 石 油 が 急 激 に 普 及 して 石 炭 産 業 は 坂 道 を 転 げ 落 ちるように 斜 陽 化 します このよう な 事 態 にただ 手 をこまねいていたのではなく スクラップ アンド ビルド によ って 生 産 性 の 高 い 炭 鉱 への 積 極 的 な 投 資 によって 生 き 残 りを 図 りました 特 に 重 視 されたのは 運 搬 系 統 の 合 理 化 と 採 炭 方 式 の 機 械 化 です 運 搬 系 統 では 伸 びきった 坑 道 維 持 長 を 短 縮 するために 立 坑 が 掘 削 されました この 時 期 に 建 設 され た 立 坑 は 幌 内 夕 張 真 谷 地 空 知 ( 北 炭 ) 三 井 芦 別 三 井 砂 川 ( 三 井 ) 奔 別 赤 平 ( 住 友 ) 茂 尻 ( 雄 別 ) 羽 幌 ( 羽 幌 )などであり これらの 多 くは1980 年 代 まで 石 炭 生 産 を 継 続 する 基 となりました また 採 炭 機 械 の 合 理 化 では ホーベル( 炭 層 を 崩 すカンナのような 機 械 )に 続 い て 自 走 枠 (シールド 枠 )とドラムカッターの 組 み 合 わせによるSD 採 炭 が 代 表 的 な ものです このような 合 理 化 の 結 果 1960 年 代 には 全 道 出 炭 量 は2000 万 トンを 超 え 第 三 のピークを 迎 えました なかでも 炭 質 が 良 く 埋 蔵 量 も 豊 富 であった 石 狩 炭 田 は そ れまで 日 本 最 大 であった 筑 豊 炭 田 の 生 産 量 を 抜 き わが 国 最 大 の 産 炭 地 としての 地 位 を 不 動 のものにしました 斜 陽 による 生 産 集 約 と 終 焉 しかし 1970 年 代 に 入 ると 中 東 アフリカで 大 油 田 が 発 見 され 石 油 が 大 量 に 安 く 供 給 されるようになり また 液 体 であるため 輸 送 や 貯 蔵 が 石 炭 より 便 利 である ことから もはや 石 油 に 対 抗 できないことが 決 定 的 となり 4つのエリア(1 空 知 北 部 / 住 友 赤 平 三 井 芦 別 空 知 三 井 砂 川 2 空 知 中 部 / 北 炭 幌 内 3 空 知 南 部 / 北 炭 夕 張 新 三 菱 南 大 夕 張 北 炭 真 谷 地 4 釧 路 / 太 平 洋 )に 生 産 を 集 約 し 1000 万 トンの 生 産 量 を 維 持 しました 1980 年 代 に 入 ると 生 き 残 った 炭 鉱 も 段 階 的 に 閉 山 し およそ120 年 間 にわた り 北 海 道 の 発 展 を 牽 引 してきた 空 知 の 坑 内 堀 り 炭 鉱 は 1995( 平 成 7) 年 の 空 知 炭 鉱 閉 山 により 姿 を 消 しました 現 在 は 釧 路 コールマイン( 釧 路 市 旧 太 平 洋 炭 鉱 )で 限 定 的 な 坑 内 採 炭 が 行 われているに 過 ぎません - 4 -

(4) 閉 山 後 から 現 在 そして 炭 鉱 (やま)の 記 憶 閉 山 の 影 響 炭 鉱 によって 街 ができた 産 炭 地 域 では 基 幹 産 業 の 石 炭 産 業 が 崩 壊 すると 夕 張 市 にみられるように 経 済 社 会 的 な 困 難 が 一 気 に 噴 出 しました 人 口 は 最 盛 期 の 半 分 以 下 となり 高 齢 化 率 (65 歳 以 上 の 人 口 比 率 )は40%を 超 え ています 1960 年 代 に 炭 鉱 が 閉 山 した 他 の 国 内 産 炭 地 と 異 なり 北 海 道 では1980 年 代 まで 石 炭 生 産 が 続 いていたことによって 炭 鉱 なき 後 の 地 域 振 興 は 過 去 のもの ではなく 未 だ 現 実 的 な 問 題 とあると 言 えます 炭 鉱 (やま)の 記 憶 産 炭 地 域 の 多 くの 市 町 では 外 部 からの 企 業 誘 致 やテーマパークなど 地 域 の 歴 史 的 文 脈 に 背 を 向 けたものが 多 く 成 果 を 挙 げるに 至 りませんでした そこで 近 年 注 目 をされているのが 炭 鉱 遺 産 や 固 有 の 生 活 文 化 という 炭 鉱 (や ま)の 記 憶 を 手 がかりにした 地 域 再 生 に 向 けた 市 民 の 動 きです 新 千 歳 空 港 から 見 える 森 は かつて 坑 木 用 として 植 林 されたものだったりするなど 私 たちの 身 近 なところに 炭 鉱 (やま)の 記 憶 は 存 在 しています 鉄 道 網 テレビ 局 新 千 歳 空 港 の 滑 走 路 札 幌 のタクシー 会 社 など 今 日 の 便 利 な 生 活 は 石 炭 産 業 によってつくられた 基 盤 によって 支 えられているのです また 炭 鉱 で 使 われた 技 術 は 当 時 の 最 先 端 技 術 であったばかりでなく 今 の 時 代 にもその 技 術 が 様 々なところで 活 用 されています 例 えば 石 炭 を 掘 る 技 術 をトンネ ル 掘 削 に 活 かしたり 地 下 の 坑 道 へ 鉱 員 を 運 ぶための 高 速 エレベーターの 技 術 が 現 在 の 高 層 建 築 のエレベーターに 活 かされたりしています このように 長 く 日 本 の 産 業 の 発 展 に 大 きく 寄 与 している 炭 鉱 を 空 知 地 域 が 支 えて きたという 誇 りを 胸 に 郷 土 愛 を 育 むことが 地 域 づくりに 繋 がるのです 炭 鉱 (やま)の 記 憶 は 炭 鉱 なき 後 も 私 たちの 暮 らしの 中 に 息 づいています その 意 味 と 価 値 をもう 一 度 問 い 直 す 動 きを 通 じて 混 迷 を 深 める 日 本 の 未 来 にとって の 教 訓 とヒントを 得 ることができるのです - 5 -

参 考 1 炭 鉱 に 関 する 年 表 1853( 嘉 永 6) 年 ペリー 提 督 の 黒 船 来 航 1854( 嘉 永 7) 年 日 米 和 親 条 約 締 結 日 英 和 親 条 約 締 結 箱 館 港 開 港 1855( 安 政 2) 年 日 露 和 親 条 約 締 結 1857( 安 政 4) 年 松 浦 武 四 郎 が 空 知 地 域 に 露 頭 炭 の 炭 層 を 発 見 白 糠 炭 山 ( 釧 路 管 内 白 糠 町 )を 開 発 1858( 安 政 5) 年 英 米 仏 露 蘭 の5カ 国 との 修 好 通 商 条 約 締 結 1860( 万 延 元 ) 年 この 頃 北 海 道 の 石 炭 生 産 が 始 まる 1862( 文 久 2) 年 茅 沼 炭 山 ( 後 志 管 内 泊 村 )を 開 発 1868( 明 治 元 ) 年 箱 館 戦 争 勃 発 1869( 明 治 2) 年 箱 館 戦 争 が 終 結 開 拓 使 を 設 置 1872( 明 治 5) 年 地 質 学 者 ライマンが 地 質 調 査 を 開 始 (~1881( 明 治 14) 年 ) 1873( 明 治 6) 年 榎 本 武 揚 が 赤 平 付 近 で 石 炭 脈 を 発 見 1875( 明 治 8) 年 黒 田 清 隆 伊 藤 博 文 山 県 有 朋 ら 政 府 要 人 が 幌 内 を 視 察 (~1876( 明 治 9) 年 にかけて) 1879( 明 治 12) 年 官 営 幌 内 炭 鉱 開 坑 1880( 明 治 13) 年 幌 内 鉄 道 が 手 宮 ~ 札 幌 間 を 部 分 開 通 1882( 明 治 15) 年 全 国 3 番 目 の 鉄 道 として 幌 内 鉄 道 が 全 線 開 通 1889( 明 治 22) 年 官 営 幌 内 炭 鉱 が 北 海 道 炭 礦 鉄 度 に 払 い 下 げされる 1890( 明 治 23) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 により 空 知 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 ) 夕 張 炭 鉱 ( 夕 張 市 )の 開 発 が 行 われる 1892( 明 治 25) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 が 岩 見 沢 から 室 蘭 へ 鉄 道 延 伸 1906( 明 治 39) 年 鉄 道 国 有 化 1911( 明 治 44) 年 三 井 が 登 川 鉱 山 ( 夕 張 市 )を 買 収 1912( 明 治 45) 年 北 炭 夕 張 鉱 で 二 度 にわたる 大 事 故 が 発 生 1913( 大 正 2) 年 上 赤 平 駅 ( 現 赤 平 駅 )が 成 立 北 炭 会 長 に 団 琢 磨 が 就 任 飯 田 炭 鉱 ( 美 唄 市 ) 開 発 1915( 大 正 4) 年 三 井 鉱 山 砂 川 炭 鉱 ( 上 砂 川 町 ) 開 鉱 三 菱 が 三 菱 鉱 業 美 唄 炭 鉱 ( 美 唄 市 )を 買 収 樺 太 に 三 井 系 の 王 子 製 紙 が 進 出 1916( 大 正 5) 年 三 菱 が 三 菱 鉱 業 大 夕 張 炭 鉱 ( 夕 張 市 )を 買 収 山 下 汽 船 歌 志 内 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 ) 開 鉱 1918( 大 正 7) 年 大 倉 鉱 業 茂 尻 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 開 鉱 1919( 大 正 8) 年 三 井 が 登 川 鉱 山 ( 夕 張 市 )を 北 炭 に 譲 渡 1922( 大 正 11) 年 歌 志 内 村 から 分 村 して 赤 平 村 が 誕 生 1923( 大 正 12) 年 小 樽 運 河 完 成 1928( 昭 和 3) 年 住 友 石 炭 が 山 下 汽 船 歌 志 内 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 )を 買 収 1929( 昭 和 4) 年 世 界 恐 慌 発 生 1931( 昭 和 6) 年 満 州 事 変 勃 発 1932( 昭 和 7) 年 団 琢 磨 暗 殺 ( 血 盟 団 事 件 ) - 6 -

1934( 昭 和 9) 年 日 本 鋼 管 系 の 新 幌 内 炭 鉱 ( 三 笠 市 ) 開 鉱 1935( 昭 和 10) 年 雄 別 炭 礦 が 大 倉 鉱 業 茂 尻 炭 鉱 ( 赤 平 市 )を 買 収 1936( 昭 和 11) 年 北 炭 赤 間 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 開 鉱 北 炭 天 塩 炭 鉱 ( 小 平 町 ) 開 鉱 1937( 昭 和 12) 年 豊 里 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 開 鉱 1938( 昭 和 13) 年 住 友 赤 平 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 開 鉱 1939( 昭 和 14) 年 北 炭 平 和 炭 鉱 ( 夕 張 市 ) 開 鉱 三 井 鉱 山 芦 別 炭 鉱 ( 芦 別 市 ) 開 鉱 1940( 昭 和 15) 年 明 治 鉱 業 庶 路 炭 鉱 ( 白 糠 町 ) 開 鉱 鈴 木 商 店 系 の 羽 幌 炭 鉱 ( 羽 幌 町 ) 開 鉱 1941( 昭 和 16) 年 北 炭 が 新 幌 内 炭 鉱 ( 三 笠 市 )を 併 合 1943( 昭 和 18) 年 赤 平 村 から 赤 平 町 となる 1946( 昭 和 21) 年 政 府 が 日 本 経 済 の 緊 急 回 復 を 目 的 とする 傾 斜 生 産 方 式 を 決 定 1949( 昭 和 24) 年 GHQ 経 済 顧 問 ドッジが ドッジラインを 勧 告 1954( 昭 和 29) 年 赤 平 町 から 赤 平 市 となる 1962( 昭 和 37) 年 原 油 の 輸 入 自 由 化 開 始 1967( 昭 和 42) 年 豊 里 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 閉 山 1969( 昭 和 44) 年 茂 尻 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 閉 山 1973( 昭 和 48) 年 赤 間 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 閉 山 1994( 平 成 6) 年 住 友 赤 平 炭 鉱 ( 赤 平 市 ) 閉 山 1995( 平 成 7) 年 空 知 最 後 の 坑 内 堀 炭 鉱 であった 空 知 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 ) 閉 山 赤 平 市 のできごと 北 海 道 のできごと 日 本 世 界 のできごと 年 表 の 掲 載 内 容 は 本 ガイドマニュアルから 抜 粋 - 7 -

参 考 2 石 炭 出 炭 量 の 推 移 60,000 50,000 40,000 30,000 20,000 10,000 生 産 量 ( 千 トン) 0 M1 M9 M17 M25 M33 M41 T5 T13 S7 S15 S23 S31 S39 S47 S55 S63 H8 H16 年 度 全 国 北 海 道 出 典 : 北 海 道 経 済 部 産 業 立 地 エネルギー 局 資 源 エネルギー 課 - 8 -

参 考 3 主 な 炭 鉱 のプロフィール [ 赤 平 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 住 友 赤 平 炭 鉱 1937( 昭 和 12) 年 住 友 企 業 鉱 業 株 式 会 社 が 坂 炭 鉱 未 開 発 鉱 区 の 赤 平 地 区 及 び 山 下 上 赤 平 炭 鉱 を 合 わせて 開 発 するため 鉱 業 用 地 の 買 収 に 乗 り 出 す 1938( 昭 和 13) 年 住 友 鉱 業 株 式 会 社 が 開 坑 1994( 平 成 6) 年 閉 山 赤 間 炭 鉱 1938( 昭 和 13) 年 北 海 道 炭 礦 汽 船 株 式 会 社 が 開 坑 1965( 昭 和 40) 年 空 知 炭 鉱 ( 歌 志 内 市 )と 赤 間 炭 鉱 が 合 併 し 空 知 炭 礦 株 式 会 社 空 知 礦 業 所 赤 間 鉱 となる 1973( 昭 和 48) 年 閉 山 赤 間 炭 鉱 のズリ 山 は 標 高 197.65mあり 777 段 の 階 段 は 日 本 一 を 誇 る 茂 尻 炭 鉱 1918( 大 正 7) 年 大 倉 鉱 業 株 式 会 社 が 開 坑 1935( 昭 和 10) 年 雄 別 炭 礦 鉄 道 株 式 会 社 が 買 収 1969( 昭 和 44) 年 ガス 爆 発 事 故 により 閉 山 豊 里 炭 鉱 1937( 昭 和 12) 年 昭 和 肥 料 株 式 会 社 が 開 坑 1939( 昭 和 14) 年 日 本 電 気 工 業 株 式 会 社 と 合 併 し 昭 和 電 工 株 式 会 社 となる 1950( 昭 和 25) 年 東 海 産 業 株 式 会 社 が 買 収 1951( 昭 和 26) 年 東 海 鉱 業 株 式 会 社 が 買 収 1954( 昭 和 29) 年 豊 里 鉱 業 株 式 会 社 に 改 称 1967( 昭 和 42) 年 閉 山 [ 三 笠 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 北 炭 幌 内 炭 鉱 1879( 明 治 12) 年 道 内 最 初 の 大 規 模 かつ 近 代 化 炭 鉱 の 先 駆 けとなる 官 営 炭 鉱 として 開 坑 1889( 明 治 22) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 会 社 が 幌 内 鉄 道 とともに 払 い 下 げを 受 け 民 営 化 となる 1989( 平 成 元 ) 年 閉 山 北 炭 幾 春 別 炭 鉱 1886( 明 治 19) 年 官 営 炭 鉱 として 開 坑 1889( 明 治 22) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 会 社 が 幌 内 鉄 道 とともに 払 い 下 げを 受 け 民 営 化 となる 1920( 大 正 9) 年 現 存 する 道 内 最 古 となる 櫓 が 建 設 される 1957( 昭 和 32) 年 三 笠 調 整 ダムの 建 設 計 画 (その 後 廃 案 ) 及 び 自 然 発 火 事 故 などにより 閉 山 - 9 -

住 友 奔 別 炭 鉱 1902( 明 治 35) 年 奈 良 義 路 外 二 名 が 鉱 区 所 有 者 となり 開 坑 1906( 明 治 39) 年 山 県 勇 三 郎 が 買 収 1918( 大 正 7) 年 山 下 鉱 業 株 式 会 社 が 買 収 1928( 昭 和 3) 年 住 友 炭 砿 株 式 会 社 が 買 収 1946( 昭 和 21) 年 井 華 鉱 業 株 式 会 社 に 名 義 変 更 1952( 昭 和 27) 年 住 友 石 炭 鉱 業 株 式 会 社 に 名 義 変 更 1971( 昭 和 46) 年 合 理 化 のための 分 離 により 奔 別 炭 鉱 株 式 会 社 が 経 営 する も 閉 山 となる [ 夕 張 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 北 炭 夕 張 炭 鉱 1889( 明 治 22) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 会 社 が 設 立 され 夕 張 採 炭 所 を 創 設 1890( 明 治 23) 年 夕 張 炭 鉱 開 坑 1893( 明 治 26) 年 真 谷 地 炭 鉱 開 坑 1896( 明 治 29) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 株 式 会 社 に 社 名 変 更 1902( 明 治 35) 年 楓 炭 鉱 開 坑 1906( 明 治 39) 年 北 海 道 炭 礦 汽 船 株 式 会 社 に 社 名 変 更 1937( 昭 和 12) 年 平 和 炭 鉱 開 坑 1947( 昭 和 22) 年 清 水 沢 炭 鉱 開 坑 1975( 昭 和 50) 年 夕 張 新 炭 鉱 が 営 業 出 炭 開 始 平 和 炭 鉱 閉 山 1977( 昭 和 52) 年 夕 張 炭 鉱 閉 山 1980( 昭 和 55) 年 清 水 沢 炭 鉱 閉 山 1982( 昭 和 57) 年 夕 張 新 炭 鉱 閉 山 1987( 昭 和 62) 年 真 谷 地 炭 鉱 楓 炭 鉱 閉 山 三 菱 大 夕 張 炭 鉱 1898( 明 治 31) 年 福 山 坑 として 試 掘 開 始 1906( 明 治 39) 年 京 都 合 資 会 社 が 買 収 1916( 大 正 5) 年 三 菱 合 資 会 社 が 買 収 1918( 大 正 7) 年 三 菱 鉱 業 株 式 会 社 が 設 立 され 三 菱 合 資 会 社 より 鉱 業 事 業 を 継 承 1929( 昭 和 4) 年 北 部 ( 鹿 島 地 区 )に 採 炭 拠 点 を 移 行 1969( 昭 和 44) 年 石 炭 鉱 業 部 門 を 三 菱 大 夕 張 炭 礦 株 式 会 社 に 分 離 1973( 昭 和 48) 年 閉 山 三 菱 南 大 夕 張 炭 鉱 1966( 昭 和 41) 年 三 菱 鉱 業 株 式 会 社 が 南 大 夕 張 開 発 事 務 所 を 設 置 し 三 菱 南 大 夕 張 炭 鉱 の 開 発 に 着 手 する 1969( 昭 和 44) 年 石 炭 鉱 業 部 門 を 三 菱 大 夕 張 炭 礦 株 式 会 社 に 分 離 1970( 昭 和 45) 年 営 業 出 炭 開 始 1990( 平 成 2) 閉 山 - 10 -

[ 芦 別 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 三 井 芦 別 炭 鉱 1938( 昭 和 13) 年 三 井 芦 別 鉱 業 所 設 置 1939( 昭 和 14) 年 第 一 坑 開 坑 ( 炭 山 川 地 区 ) 1944( 昭 和 19) 年 第 二 坑 開 坑 ( 頼 城 地 区 ) 1992( 平 成 4) 年 閉 山 三 菱 芦 別 炭 鉱 1913( 大 正 2) 年 三 菱 鉱 業 株 式 会 社 が 上 芦 別 池 田 鉱 業 用 地 を 買 収 1917( 大 正 6) 年 営 業 出 炭 開 始 1933( 昭 和 8) 年 休 山 1948( 昭 和 23) 年 採 炭 を 再 開 1964( 昭 和 39) 年 閉 山 明 治 芦 別 炭 鉱 1935( 昭 和 10) 年 山 崎 幸 輔 が 開 坑 1939( 昭 和 14) 年 山 崎 幸 輔 が 東 芦 別 炭 鉱 株 式 会 社 を 設 立 1944( 昭 和 19) 年 明 治 鉱 業 株 式 会 社 が 買 収 1963( 昭 和 38) 年 閉 山 油 谷 芦 別 炭 鉱 1943( 昭 和 18) 年 当 鉱 一 帯 の 区 域 を 油 谷 鉱 業 株 式 会 社 が 買 収 1947( 昭 和 22) 年 開 坑 1965( 昭 和 40) 年 閉 山 芦 別 高 根 炭 鉱 1938( 昭 和 13) 年 芦 別 高 根 炭 礦 株 式 会 社 が 熊 ノ 沢 地 域 に 開 坑 1967( 昭 和 42) 年 閉 山 [ 歌 志 内 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 空 知 炭 鉱 1890( 明 治 23) 年 北 海 道 炭 礦 鉄 道 会 社 が 開 坑 1950( 昭 和 35) 年 当 時 の 最 新 技 術 を 用 いた 構 造 の 本 体 を 壁 で 覆 う 全 天 候 型 立 坑 を 竣 工 1995( 平 成 7) 年 北 炭 最 後 の 炭 鉱 として 閉 山 [ 上 砂 川 町 内 の 主 な 炭 鉱 ] 三 井 砂 川 炭 鉱 1914( 大 正 3) 年 三 井 鉱 山 株 式 会 社 が 開 坑 1964( 昭 和 39) 年 日 本 初 の 本 格 的 な 水 力 採 炭 を 開 始 1987( 昭 和 62) 年 閉 山 立 坑 と 立 坑 櫓 は 1991( 平 成 3) 年 ~2003( 平 成 8) 年 の 間 地 下 無 重 力 実 験 セ ンターとして 利 用 された - 11 -

[ 美 唄 市 内 の 主 な 炭 鉱 ] 三 井 美 唄 炭 鉱 1928( 昭 和 3) 年 三 井 鉱 山 株 式 会 社 が 日 本 石 油 株 式 会 社 から 光 珠 炭 鉱 を 引 き 継 ぎ 操 業 開 始 1950( 昭 和 25) 年 全 道 初 のカッペ 採 炭 を 採 用 1951( 昭 和 26) 年 三 井 新 美 唄 鉱 と 合 併 1962( 昭 和 37) 年 三 美 鉱 業 株 式 会 社 三 美 炭 鉱 を 設 立 1963( 昭 和 38) 年 三 井 美 唄 炭 鉱 閉 山 三 菱 美 唄 炭 鉱 1913( 大 正 2) 年 飯 田 美 唄 炭 鉱 として 開 坑 1915( 大 正 4) 年 三 菱 合 資 会 社 が 飯 田 美 唄 炭 鉱 を 買 収 し 三 菱 美 唄 炭 鉱 とな る 1972( 昭 和 47) 年 閉 山 出 典 赤 平 市 史 三 笠 市 史 夕 張 市 HP 芦 別 市 史 美 唄 市 HP - 12 -

2 炭 鉱 に 関 する 基 本 的 な 事 項 (1) 石 炭 炭 鉱 とは [ 石 炭 ができるまで] 石 炭 の 元 になるのは 古 生 代 から 新 生 代 古 第 三 古 生 代 紀 に 生 息 していた 植 物 です 倒 れて 積 み 重 なった 石 炭 紀 :2 億 8 千 万 年 前 頃 植 物 が 完 全 に 腐 敗 する 前 に 地 中 に 埋 もれ 泥 二 畳 紀 :2 億 2 千 万 年 前 頃 炭 となります やがてそれが 長 い 年 月 の 間 に 新 生 代 古 第 三 紀 炭 化 し 石 炭 となりました 7~2 千 万 年 前 頃 一 説 には 1mの 石 炭 の 層 ができるためには 泥 炭 10mの 植 物 の 積 み 重 ねが 必 要 だと 言 われていま 泥 状 の 炭 す 日 本 の 石 炭 の 元 になったのは 今 から 約 5 千 万 年 前 新 生 代 古 第 三 紀 に 密 生 していたメタセコイ アなどの 樹 木 です [ 炭 層 ] 炭 層 (たんそう) 地 層 中 に 層 状 にある 石 炭 の 層 石 炭 層 は 長 い 間 の 地 球 の 地 質 活 動 により 作 ら れてきました そのため 場 所 により 傾 斜 や 厚 さ 成 分 の 違 いはさまざまです その 違 いにより 異 なった 方 法 で 石 炭 を 掘 り 出 します 石 狩 炭 田 では 厚 さ1~2メートルの 中 厚 層 が 石 狩 炭 田 50%を 占 めています 夕 張 山 地 の 西 側 にある 日 本 最 大 激 しい 地 質 の 動 きによって 生 じた 断 層 の 付 近 の 炭 田 は 地 質 が 不 安 定 であるためガスの 発 生 や 岩 盤 の 南 北 に 約 85km 東 西 は 最 大 約 崩 落 が 多 く 採 炭 時 には 特 に 注 意 を 払 う 必 要 があ 30kmあり 面 積 は2300km2 りました 峰 延 山 地 を 境 に 北 部 を 空 知 炭 田 南 部 を 夕 張 炭 田 と 呼 ぶ [ 現 在 使 われている 石 炭 ] 石 炭 は かつて 炊 事 や 暖 房 の 燃 料 として 家 庭 内 でも 使 用 されていました また 蒸 気 機 関 車 (S L)の 燃 料 やナイロンなど 化 学 工 業 製 品 の 原 料 と しても 重 要 な 役 割 を 果 たしていました これらの 役 割 の 多 くが 石 油 に 転 換 してからは 日 常 生 活 で 石 炭 を 目 にすることはほとんどなくな りましたが 現 在 でも 発 電 や 製 鉄 に 使 用 され 非 常 に 重 要 なエネルギー 源 であることには 変 わりあ りません - 13 -

火 力 発 電 所 では 一 般 炭 が 用 いられ 石 炭 で 水 一 般 炭 を 熱 して 発 生 した 蒸 気 の 力 で 発 電 しています 発 燃 料 用 の 石 炭 電 電 力 量 の 構 成 は 石 炭 原 子 力 ガスが 各 々 1/4ずつとなっており 石 炭 ( 約 25%)は 石 油 ( 約 13%)の 倍 近 くあります 製 鉄 所 では 原 料 炭 が 用 いられます 高 炉 とい 原 料 炭 う 巨 大 な 筒 状 の 装 置 で 鉄 鉱 石 の 中 にある 鉄 分 を 粘 結 性 発 熱 量 の 高 い 石 炭 取 り 出 すために 還 元 ( 酸 素 を 取 り 除 く) 反 応 をさ せ 各 種 製 品 の 原 料 となる 銑 鉄 を 作 ります この 銑 鉄 (せんてつ) 工 程 で 原 料 炭 を 蒸 焼 きにしたコークスは 燃 料 と 高 炉 や 電 気 炉 などで 鉄 鉱 石 を 還 して 不 可 欠 な 存 在 です 元 して 取 り 出 した 鉄 コークス 実 は 現 在 日 本 は 世 界 一 の 石 炭 輸 入 国 なのです 石 炭 を 蒸 し 焼 き( 乾 留 )した 燃 約 6 千 万 トンの 原 料 炭 と 約 1 億 2 千 万 トンの 一 般 料 炭 を 輸 入 しています 輸 入 先 は オーストラリア が 最 大 で 全 体 の 約 2/3 その 他 はインドネシア 中 国 などからです [ 石 炭 の 分 類 ] 石 炭 には 炭 化 度 による 分 類 利 用 による 分 無 煙 炭 類 があります 炭 素 含 有 量 93~95% 燃 やしても 煙 の 少 ない 良 質 石 炭 炭 素 の 含 有 量 による 分 類 半 無 煙 炭 高 い 低 い 炭 素 含 有 量 80~90% 瀝 青 炭 無 煙 炭 瀝 青 炭 褐 炭 炭 素 含 有 量 83~90% 半 無 煙 炭 亜 瀝 青 炭 亜 炭 泥 炭 コークス 原 料 に 使 われる 亜 瀝 青 炭 利 用 による 分 類 炭 素 含 有 量 78~83% 一 般 炭 ( 燃 料 用 ) 電 力 ボイラー 用 等 ボイラー 燃 料 に 使 われる 原 料 炭 (コークス 用 ) 製 鉄 ガス 用 等 褐 炭 炭 素 含 有 量 70~78% 亜 炭 炭 素 含 有 量 70% 以 下 泥 炭 泥 状 の 炭 - 14 -

[ 炭 鉱 ] 炭 鉱 とは 石 炭 を 採 掘 している 鉱 山 をいい 露 天 掘 りと 坑 内 掘 りがあります 露 天 掘 りは 炭 層 が 地 表 に 露 出 している 炭 層 が 浅 いといった 場 合 の 採 炭 方 法 です 坑 内 堀 りは 炭 層 が 厚 く 深 い 場 所 にある 場 合 の 採 炭 方 法 で 掘 り 進 む 角 度 により 主 に 緩 傾 斜 層 ( 炭 層 傾 斜 20 以 下 )では 長 壁 式 と 柱 房 式 中 傾 長 壁 式 (ちょうへきしき) 斜 層 ( 炭 層 傾 斜 20 ~35 )では 鉄 柱 カッペ 方 炭 層 の 傾 斜 に 沿 って 水 平 な 坑 道 式 急 傾 斜 層 ( 炭 層 傾 斜 35 以 上 )では 長 壁 式 を 掘 り そこから 櫛 状 に 削 り 取 る 採 炭 切 羽 が 多 く 水 力 採 炭 法 も 採 用 していました 方 法 明 治 期 は 二 人 一 組 となり 手 掘 採 炭 が 行 われて 柱 房 式 (ちゅうぼうしき) おり 坑 道 がタヌキの 穴 ぐらのように 曲 がってい 炭 柱 を 残 し 碁 盤 目 状 に 炭 層 を るので タヌキ 掘 り と 言 われています 採 炭 する 方 法 昭 和 中 期 ころからは コールピックを 使 った 採 カッペ 炭 へ 進 歩 し その 後 坑 内 の 機 械 化 が 進 み 1960 金 属 製 の 梁 年 代 後 半 になると 巨 大 な 円 盤 の 回 転 により 炭 壁 切 羽 (きりは) を 切 り 崩 すドラムカッターが 導 入 され その 後 採 炭 現 場 切 羽 の 天 盤 を 鉄 製 の 支 柱 と 梁 で 支 え コンベアー とともに 自 分 で 前 進 することのできる 自 走 枠 によ コールピック る 採 炭 が 行 われました 石 炭 を 掘 り 崩 すための 小 型 手 持 採 炭 機 圧 縮 空 気 により 石 炭 を 割 技 術 の 進 展 により 深 く 掘 り 進 めることも 可 能 と り 砕 く なり 1970 年 代 には 切 羽 が 地 下 1000mに 達 し ドラムカッター 三 笠 市 の 幌 内 炭 鉱 は 1989( 平 成 元 ) 年 の 閉 山 時 スパイラル 形 の 端 面 にビットを には 国 内 最 深 の 地 下 1200mに 切 羽 がありまし 備 えたドラムを 回 転 させて 炭 壁 を た 切 削 する 機 械 - 15 -

(2) 石 炭 の 生 産 システム [ 炭 鉱 の 仕 事 ] 石 炭 を 探 す 昔 は 地 上 に 現 れている 炭 層 ( 露 頭 )から 最 初 の 坑 道 を 掘 り 始 めましたが 次 第 に 深 く 掘 り 進 むよう になってからは ボーリングによって 地 下 のどこ に 石 炭 の 層 があるか 調 べます この 調 査 をもとに どこにどのくらいの 石 炭 の 量 ( 埋 蔵 量 )があるか 知 ることができます 坑 道 をつくる 坑 道 は 坑 内 で 働 く 人 大 切 な 空 気 掘 った 石 炭 機 材 などを 運 ぶために 使 われます そのため 水 平 坑 斜 坑 立 坑 を 縦 横 無 尽 に 組 み 合 わせて 地 中 につくります 坑 道 を 掘 っているときに 大 量 の 出 水 にあえば 止 水 工 事 や 排 水 の 作 業 をします 坑 道 の 手 入 れを 怠 ると 強 い 地 圧 を 受 けていびつな 形 に 変 形 して しまうので 坑 道 を 維 持 する 仕 事 は 炭 鉱 の 最 も 大 切 な 作 業 の 一 つです 水 平 坑 は 道 路 トンネルのように 山 の 斜 面 か ら 石 炭 層 に 向 かって 水 平 に 掘 る 坑 道 です 費 用 や 技 術 的 に 最 も 簡 単 な 方 法 ですが 地 表 付 近 に 石 炭 がある 場 合 に 限 られる 欠 点 があります 排 水 処 理 技 術 が 未 熟 だった 明 治 期 の 開 発 当 初 に 多 く 見 られます 斜 坑 は 地 表 から10~20 度 の 傾 斜 で 坑 道 を 堀 り 人 はケーブルカー( 人 車 )で 石 炭 はトロッコ ( 炭 車 )やベルトコンベアーで 坑 内 と 結 ばれ 比 較 的 少 ない 投 資 で 掘 削 することができます しかし 採 炭 現 場 が 深 くなるにつれ 坑 道 距 離 が 伸 びることから 運 搬 コストが 大 きくなり 坑 内 での 実 働 時 間 が 減 るなどの 欠 点 があります 立 坑 は 地 面 から 垂 直 に 下 ろした 坑 道 で 巨 大 なエレベーター(ケージ)によって 人 や 石 炭 を 運 び ます 斜 坑 に 比 べて 膨 大 な 投 資 が 必 要 ですが 採 炭 現 場 が 深 くなっても 時 間 や 費 用 の 面 で 有 利 であるた め 1960 年 代 には 生 産 合 理 化 を 目 的 に 大 規 模 な 立 坑 が 盛 んに 建 設 されました - 16 -

1970 年 台 には 地 下 1000mにまで 達 するもの もあり 三 笠 市 の 幌 内 炭 鉱 は 1989( 平 成 元 ) 年 の 閉 山 時 に 国 内 最 深 の 地 下 1200mに 採 炭 切 羽 がありました 石 炭 を 掘 る 採 炭 の 場 所 が 決 まると その 両 端 に 上 沿 坑 道 と ゲート 坑 道 という 平 行 の 坑 道 を 堀 り この 間 をつ ないで 切 羽 ( 採 炭 現 場 )をつくります 切 羽 では ドラムカッターなどの 採 炭 機 械 を 使 って 石 炭 を 掘 り コンベアーでゲート 坑 道 まで 運 びます 採 炭 する 人 は 狭 く 傾 斜 している 切 羽 で 汗 と 炭 塵 にまみれながら 採 炭 機 械 を 運 転 したり 自 走 枠 などで 天 盤 を 支 えたり 次 の 仕 事 の 準 備 をし ます ドラムカッター スパイラル 形 の 端 面 にビットを 備 えたドラムを 回 転 させて 炭 壁 を 切 削 する 機 械 石 炭 を 運 ぶ 採 炭 するための 機 械 や 掘 り 出 された 石 炭 岩 石 を 運 ぶ 作 業 を 運 搬 といいます 明 治 時 代 には 人 力 や 馬 の 力 に 頼 っていましたが 大 正 から 昭 和 初 期 にかけて 次 第 に 機 械 化 され 戦 後 になると 圧 縮 空 気 や 電 力 を 使 うことにより 運 搬 能 力 が 飛 躍 的 に 増 大 しました 電 車 巻 上 機 ベルトコンベアーなどの 運 転 や 機 材 の 運 搬 軌 道 の 整 備 に 当 たる 人 は 炭 鉱 の 動 脈 ともいえる 大 切 な 仕 事 をしていました 石 炭 を 選 別 する 人 坑 内 から 運 ばれてきた 原 炭 には 岩 石 が 混 じって いるので 選 炭 という 作 業 が 必 要 となります か つては 選 炭 婦 が 岩 石 と 石 炭 を 拾 い 分 け 品 質 別 に 選 別 していましたが 昭 和 にはいると 水 や 油 などの 性 質 を 利 用 した 近 代 的 な 機 械 設 備 が 導 入 さ れました - 17 -

安 全 に 備 える 炭 層 には 強 い 圧 力 を 受 けているメタンガスが 潜 んでいます 採 炭 作 業 中 に 突 然 吹 き 出 したり 機 材 の 摩 擦 石 炭 の 酸 化 による 自 然 発 火 爆 発 など 地 上 で 考 えられないような 事 故 が 起 こる 危 険 性 が ありました 坑 内 の 保 安 に 当 たる 人 は ガス 抜 きや 機 材 の 点 検 整 備 を 行 い ガス 検 定 器 送 風 計 一 酸 化 炭 素 検 知 器 などの 測 定 機 器 を 用 いて 長 い 間 の 経 験 に よって 事 故 が 起 こらないような 対 策 をたてます 炭 鉱 の 安 全 を 守 るため 地 上 の 中 央 司 令 室 では 絶 え 間 ない 監 視 活 動 を 続 けて 安 全 を 保 っていまし た - 18 -

[ 炭 鉱 の 移 りかわり] 人 力 の 時 代 明 治 時 代 から 戦 前 までの 炭 鉱 は ほとんど 人 力 だけに 頼 り 先 山 と 後 山 が 一 組 で 働 いていました 先 山 (さきやま) 先 山 は ツルハシを 使 ったり タガネで 穴 を 掘 直 接 に 石 炭 を 採 掘 する 鉱 員 熟 って 発 破 を 使 ったりして 石 炭 を 崩 します 後 山 は 練 者 を 指 す 掘 られた 石 炭 をトロ( 炭 車 )に 積 み 込 む 仕 事 をして 後 山 (あとやま) いました トロの 置 いてある 場 所 が 切 羽 から 離 れ 先 山 と 一 組 となって 仕 事 をする ているときは 磐 箱 で 背 負 うか スラ 箱 で 引 き 出 人 または 技 術 未 熟 者 さなければなりませんでした タガネ 後 山 には 女 の 人 もたくさんいて 女 坑 夫 の 名 が 岩 石 を 穿 孔 または 突 きくずす 刃 残 っているほどです 先 のついた 鋼 の 棒 スラ 箱 馬 による 運 搬 木 製 や 竹 製 の 箱 形 運 搬 道 具 出 炭 量 が 多 い 炭 鉱 では 人 力 から 馬 を 使 って 炭 車 を 引 く 運 搬 に 変 わり 能 率 が 向 上 しました 馬 は 坑 内 の 暗 いところでも 目 が 見 えるといわれ ていますが 馬 丁 が 安 全 灯 を 持 って 馬 のすぐ 後 馬 丁 (ばてい) ろのトロに 乗 り 気 合 いをかけながら 引 かせていま 馬 の 世 話 や 馬 の 口 を 取 って 引 く した 人 坑 内 の 深 い 坑 道 で 働 く 馬 は 一 週 間 は 坑 内 で 働 かせ 一 週 間 は 坑 外 で 保 養 させることにしていま した 坑 外 に 出 るときの 馬 は 坑 口 の 光 が 見 えて くると 勇 み 立 って 喜 んだそうです 採 炭 運 搬 の 機 械 化 昭 和 中 期 頃 になると 動 力 として 圧 縮 空 気 が 広 く 用 いられるようになりました これによって コールピックで 石 炭 を 掘 るようになり 採 炭 切 羽 コールピック の 長 さも 伸 びて( 長 壁 式 採 炭 =ロング 採 炭 ) 大 量 尖 ったのみで 石 炭 を 突 きくず の 出 炭 ができるようになりました して 掘 削 する 手 持 機 械 運 搬 についても 機 械 化 が 進 み 切 羽 ではシェ ーカー コンベアーやチェーン コンベアーを 使 用 するようになり 運 搬 能 力 も 格 段 に 向 上 しまし た - 19 -

坑 内 の 電 化 戦 後 になると 電 気 的 な 火 花 や 高 温 を 外 に 出 さ ないように 耐 久 性 のある 容 器 を 使 用 するなどした 防 爆 型 電 気 機 器 の 普 及 によって 切 羽 までの 電 化 切 羽 (きりは) が 一 般 化 し これまでとは 比 較 にならない 高 性 能 採 炭 現 場 の 採 炭 機 械 (コールカッター ドラムカッターな コールカッター ど)が 直 接 石 炭 を 掘 るようになりました 超 硬 合 金 を 取 り 付 けたビット また 高 圧 の 圧 縮 機 ができてエアープラスター ( 穿 孔 切 削 するための 刃 を 備 え も 使 用 されるようになり 運 搬 機 も 各 種 チェーン た 掘 削 具 )を 配 したチェーンを 作 やベルトコンベアーとなりました 動 させて 炭 壁 を 切 削 する 大 型 採 炭 坑 道 を 支 える 支 保 は 木 枠 から 鉄 柱 カッペに 変 機 わり 安 全 度 は 一 層 高 まりました 鉱 車 も 大 型 の ドラムカッター 鋼 鉄 製 さらに 電 動 となり 能 率 は 向 上 しました スパイラル 形 の 端 面 にビットを また それら 技 術 の 多 くは ドイツをはじめと 備 えたドラムを 回 転 させて 炭 壁 を する 諸 外 国 から 導 入 されたことから 炭 鉱 技 術 者 を 切 削 する 機 械 は 新 技 術 の 導 入 に 熱 心 に 取 り 組 みました エアープラスター 空 気 発 破 のこと カッペ 金 属 製 の 梁 高 能 率 の 炭 鉱 への 移 行 支 保 1960 年 代 のエネルギー 革 命 によって 出 炭 能 支 柱 のこと 切 羽 や 坑 道 等 の 閉 率 が 低 い 炭 鉱 を 切 り 捨 てて 能 率 向 上 が 期 待 でき 塞 を 防 止 し 落 盤 倒 壊 による 負 る 炭 鉱 に 生 産 を 集 中 するスクラップ アンド ビ 傷 を 防 止 するため 天 盤 や 側 壁 を 支 ルド 政 策 が 採 られました える 枠 組 その 一 環 として 大 炭 鉱 の 採 炭 現 場 には 自 走 枠 鉱 車 やドラムカッターなどの 重 装 備 機 械 採 炭 が 導 入 さ 炭 鉱 で 使 用 する 木 材 や 道 具 など れ 出 炭 能 率 は 飛 躍 的 に 向 上 しました を 運 搬 する 車 その 結 果 石 炭 生 産 工 場 のように 近 代 化 され 一 人 当 たりの 出 炭 量 も 飛 躍 的 に 増 大 しました 日 本 のエネルギー 革 命 1962( 昭 和 37) 年 の 原 油 の 輸 入 自 由 化 をきっかけに 石 炭 から 石 油 への 転 換 が 急 激 に 進 んだこと スクラッフ アント ヒ ルト 政 策 能 率 が 低 い 小 炭 鉱 を 整 理 し 高 能 率 の 大 炭 鉱 へ 生 産 を 集 約 する 政 策 - 20 -