戦 後 復 興 期 の 屋 外 彫 刻 設 置 に 関 する 研 究 ~アーバンデザインとしての 屋 外 彫 刻 の 歴 史 的 展 開 に 関 する 研 究 Ⅱ~ 山 本 陽 1 2 篠 原 修 1 正 会 員 工 修 ( 株 )オリエンタルコンサルタンツ( 151-0071 東 京 都 渋 谷 区 本 町 3-12-1, E-mail:yamamoto-yu@oriconsul.com) 2 正 会 員 工 博 政 策 研 究 大 学 院 大 学 ( 106-8677 東 京 都 港 区 六 本 木 7-22-1, E-mail:shinohara@grips.ac.jp) 屋 外 彫 刻 を 活 用 した 良 好 な 公 共 空 間 を 形 成 するためには,アーバンデザインとしての 配 慮 が 必 要 である. 本 研 究 は, 我 が 国 で 西 洋 の 技 法 を 用 いて 公 共 空 間 に 屋 外 彫 刻 が 設 置 された 明 治 以 降 の 時 代 のうち, 戦 後 復 興 期 を 対 象 として, 屋 外 彫 刻 の 内 容 や 設 置 目 的, 設 置 場 所 との 意 味 的 なつな がり, 設 置 方 法 などアーバンデザインの 観 点 から 分 析 を 行 い, 同 時 代 の 特 徴 について 考 察 を 行 っ た.その 結 果, 戦 前 には 見 られなかった 人 物 一 般 や 抽 象 的 な 表 現 の 屋 外 彫 刻 が 登 場 したことや, 同 時 代 特 有 のものとして, 建 築 や 広 場, 街 路 と 一 体 となり 都 市 の 骨 格 となる 空 間 を 形 成 する 設 置 が 行 われていたことなどを 明 らかにした. キーワード : 屋 外 彫 刻, アーバンデザイン, 戦 後 復 興 期 1.はじめに くつかは, 彫 刻 単 体 としての 表 現 の 内 容 や 設 置 場 所 など の 観 点 から 彫 刻 公 害 といった 言 葉 で 批 判 されるもの (1) 研 究 の 背 景 現 在 我 が 国 の 公 共 空 間 には, 数 多 くの 屋 外 彫 刻 が 設 置 されており, 公 共 空 間 の 構 成 要 素 の 一 つとなっている. これら 公 共 空 間 に 設 置 される 屋 外 彫 刻 は, 近 年 パブリ ックアートなどとも 呼 ばれる 場 合 もあるが, 美 術 館 など 特 定 の 目 的 を 持 った 人 々のみが 訪 れる 場 所 とは 異 なり, 人 々が 否 応 なく 目 にする 場 所 に 設 置 されるため,その 内 容 が 公 共 空 間 にふさわしいものであることが 求 められる. そして, 公 共 空 間 へ 設 置 する 上 では, 彫 刻 単 体 として の 妥 当 性 だけではなく,アーバンデザインとして, 取 り 巻 く 空 間 全 体 に 対 する 位 置 づけ( 意 味 や 配 置 の 妥 当 性 )や, 周 辺 を 含 めた 景 観 形 成 に 対 する 配 慮 も 必 要 である. しかし,これまで 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 のい もあり, 必 ずしもアーバンデザインとしての 配 慮 がなさ れているわけではない. このような 状 況 を 踏 まえ, 今 後, 屋 外 彫 刻 を 活 用 した より 良 い 公 共 空 間 の 形 成 を 図 っていくためには,これま でに 設 置 された 屋 外 彫 刻 がどのような 目 的 や 意 図 で 設 置 され,また,アーバンデザインとしてどのような 配 慮 が なされていたかを 振 り 返 り, 屋 外 彫 刻 の 設 置 の 在 り 方 を 考 察 することが 望 まれる. 筆 者 らは, 我 が 国 の 公 共 空 間 に 西 洋 美 術 の 影 響 を 受 け た 屋 外 彫 刻 が 設 置 された 明 治 時 代 以 降, 現 代 に 至 るまで の 屋 外 彫 刻 の 内 容 や 目 的, 場 所 との 意 味 的 つながり, 設 置 にまつわる 体 制 等 の 観 点 から,アーバンデザインとし ての 屋 外 彫 刻 の 歴 史 的 展 開 を 研 究 してきた( 表 -1). 表 -1 屋 外 彫 刻 設 置 の 変 遷 ( 筆 者 の 既 往 研 究 1) から 引 用 ) 時 代 内 容 目 的 場 所 との 意 味 的 つながり 明 治 ~ 戦 前 特 定 の 人 物 の 像 ( 銅 像 ) 故 人 の 顕 彰, 国 家 主 義 の 鼓 舞 等 像 主 の 経 歴 やまつわる 出 来 事 に 関 連 ( 戦 前 の 金 属 回 収 と,GHQ 占 領 下 での 政 府 等 による 軍 国 主 義 等 の 排 除 ( 撤 去 等 )により 皇 族 以 外 の 屋 外 彫 刻 ( 銅 像 )の 多 くが 失 われる) 戦 後 ~1960 年 人 物 一 般 の 像, 抽 象 的 な 彫 刻 平 和 や 自 由, 復 興 の 象 徴, 都 市 の 美 化 等 戦 災 を 受 けた 場 所 等 1960 年 代 抽 象 的 な 彫 刻 ( 素 材 多 様 化 ) アメニティ, 文 化 振 興 等 無 いものが 多 い 1970 年 代 人 中 心 の 都 市 空 間 形 成, 都 市 内 のキ ャラリー 化 等 場 所 を 踏 まえ 作 品 制 作 1980 年 代 都 市 外 のキ ャラリー 化 等 自 然 環 境 の 利 用 1990 年 代 アニメキャラクター 都 市 再 開 発 での 個 性 付 加 等 地 元 出 身 の 作 家 2000 年 代 都 市 再 整 備 の 中 心 等 作 品 制 作 に 地 域 の 人 々が 関 与
前 報 2) において, 戦 前 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 ( 銅 像 ) は, 彫 刻 の 内 容 や 設 置 場 所 が 相 応 しいかが 行 政 により 判 断 され,その 結 果 として, 当 時 の 価 値 判 断 として 公 共 空 間 に 相 応 しい 彫 刻 が 設 置 され, 場 所 との 意 味 的 つながり が 確 保 されることが 多 かったこと, 配 置 に 関 しては, 敷 地 外 や 敷 地 内 建 築 物 等 周 辺 環 境 に 対 して 配 慮 がなされて いたことを 示 し,アーバンデザインの 観 点 を 考 慮 した 公 共 空 間 への 屋 外 彫 刻 設 置 が 行 われていたことを 明 らかに した. 本 研 究 では, 戦 前 に 公 共 空 間 に 設 置 されていた 屋 外 彫 刻 ( 銅 像 )の 多 くが 金 属 回 収 やGHQ 占 領 下 の 政 府 等 に よる 軍 国 主 義 や 超 国 家 主 義 の 排 除 ( 撤 去 移 設 )により 失 われた 戦 後 から, 公 共 空 間 への 屋 外 彫 刻 の 設 置 が 全 国 的 に 広 がるきっかけとなった 自 治 体 による 彫 刻 設 置 事 業 が 開 始 されるより 前 の,1960 年 以 前 の 時 代 ( 以 降, 戦 後 復 興 期 )に 着 目 する. (2) 研 究 の 目 的 本 研 究 では, 戦 後 復 興 期 に 公 共 空 間 に 設 置 された 彫 刻 について,その 内 容 や 設 置 目 的, 場 所 との 意 味 的 つながり, 設 置 方 法 ( 場 所, 位 置 等 )を 分 析 し, 考 察 を 行 うことを 目 的 とする. (3) 用 語 の 定 義 本 研 究 における 公 共 空 間 とは, 広 場 や 公 園, 街 路 と いった 誰 もが 自 由 に 往 来 できる 場 所 のことをいう.ただ し, 公 有 地 だけではなく, 民 有 地 であっても, 誰 もが 自 由 に 往 来 できる 場 所 は 公 共 空 間 ととらえる. 一 方, 誰 も が 自 由 に 往 来 できる 場 所 であっても, 大 学 等 教 育 研 究 施 設 や 民 間 企 業 敷 地 内 等, 主 にその 場 所 に 所 属 した 集 団 のみが 往 来 する 場 所 については, 公 共 空 間 には 含 まない. 本 研 究 における 屋 外 彫 刻 とは, 屋 外 の 公 共 空 間 に 恒 久 的 に 設 置 することを 目 的 として 設 置 された 彫 刻 のこと をいう. また, 誰 もが 自 由 に 立 ち 入 ることができない 場 所 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 であっても, 敷 地 外 から 自 由 に 眺 め ることが 可 能 なことが 確 認 できたものは, 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 としてとらえる. (4) 調 査 方 法 本 研 究 では, 彫 刻 単 体 に 関 する 内 容 や 設 置 目 的 とい った 情 報 に 加 え, 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 をアー バンデザインの 観 点 から 分 析 するため 屋 外 彫 刻 設 置 に 関 する 規 制 や 体 制, 屋 外 彫 刻 と 設 置 場 所 との 意 味 的 つな がり, 周 辺 環 境 との 関 係 性 についても 調 査 を 行 った 個 別 の 分 析 対 象 に 関 する 調 査 項 目 を 表 -2に 示 す. 調 査 にあたっては, 文 献 等 から 各 項 目 の 内 容 を 抽 出 すると 共 に, 設 置 当 事 や 現 在 の 写 真 や, 現 地 確 認 により 設 置 位 置 や 向 きを 特 定 した. 表 -2 調 査 項 目 調 査 項 目 1 屋 外 彫 刻 の 内 容 2 作 者 3 設 置 の 目 的 4 設 置 場 所 5 設 置 場 所 との 意 味 的 なつながり 6 設 置 方 法 調 査 結 果 の 例 形 態. 設 置 年 等 作 者 名 平 和 を 祈 念, 被 災 者 の 慰 霊 等 街 路, 広 場, 公 園, 水 辺 等 被 災 地, 物 語 の 舞 台 等 配 置 : 街 路 と 軸 線 を 形 成 等 向 き: 建 築 側 を 向 く 等 (5) 既 往 研 究 及 び 本 研 究 の 位 置 づけ 本 研 究 に 関 連 する 先 行 研 究 は 以 下 がある. 1 戦 前 から 現 代 に 至 るまで 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 の 歴 史 的 展 開 を, 彫 刻 の 内 容 や 配 置, 体 制 などの アーバンデザインの 観 点 から 考 察 し, 各 時 代 に 見 ら れる 特 徴 を 考 察 したもの( 筆 者 1) ) 2 戦 前, 東 京 府 内 の 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 ( 銅 像 )について,アーバンデザインの 観 点 から 分 析 し たもの( 筆 者 ら 2) ) 3 戦 後 から1950 年 代 を 対 象 に 全 国 で 設 置 された 屋 外 彫 刻 の 内 容 について 考 察 したもの( 竹 田 3) ) 本 研 究 では,1の 分 析 方 法 及 び, 時 代 区 分 を 踏 襲 し, 2の 分 析 対 象 とした 時 代 区 分 ( 戦 前 ) 後 の 時 代 を 対 象 と する. 3は, 本 研 究 と 同 様 の 時 代 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 を 対 象 としているものの, 主 に 屋 外 彫 刻 単 体 の 内 容 や 表 現, その 社 会 的 背 景 などの 考 察 にとどまっており, 本 研 究 で 扱 う 配 置 方 法 やその 時 代 的 特 徴 を 含 めた 屋 外 彫 刻 の 特 性 については, 十 分 な 考 察 がなされていない 点 で 異 なる. ただし, 本 研 究 で 対 象 とする 屋 外 彫 刻 は,3で 扱 わ れている 屋 外 彫 刻 を 再 度 調 査 し,その 一 部 を 研 究 対 象 と して 用 いている. 2. 屋 外 彫 刻 設 置 の 動 向 と 分 析 対 象 (1)GHQ 占 領 下 の 政 府 による 戦 前 の 銅 像 の 撤 去 移 設 戦 前 は, 当 時 の 規 制 等 に 基 づき 屋 外 彫 刻 の 内 容 や 設 置 場 所 が 相 応 しいかを 行 政 が 判 断 した 上 で, 故 人 の 顕 彰 や 軍 国 主 義 の 鼓 舞 を 目 的 とした 特 定 の 人 物 を 題 材 とした 像 ( 銅 像 )が, 公 共 空 間 に 設 置 されていたが, 戦 時 中 の 金 属 回 収 により, 皇 族 のものなどを 除 く 多 くが 失 われた. そして, 戦 後 のGHQ 占 領 下 の 政 府 により, 軍 国 主 義 又 は 超 国 家 主 義 思 想 の 宣 伝 鼓 舞 を 目 的 とした 屋 外 彫 刻 等 の
新 規 建 設 の 禁 止 及 び, 同 様 の 目 的 で 設 置 された 既 存 の 屋 外 彫 刻 等 の 撤 去 が 指 示 され, 東 京 都 の 旧 万 世 橋 駅 前 に 設 置 されていた 広 瀬 杉 野 像 ( 図 -1) 等, 戦 前 の 金 属 回 収 を 免 れたものの 一 部 が 撤 去 移 設 された. 図 -1 戦 前 万 世 橋 駅 前 広 場 に 設 置 されていた 広 瀬 杉 野 像 広 瀬 中 佐 が 軍 神 として 称 えられるきっかけとなった 日 露 戦 争 のエピソードが2 体 の 銅 像 で 表 現 され, 当 時 繁 華 街 であった 万 世 橋 駅 前 広 場 に 設 置 されていた. ( 写 真 出 展 : 国 立 国 会 図 書 館 ウェブサイト URL http://www.ndl.go.jp/scenery/index.html) わせた 群 像 が 多 くみられた( 図 -2). また, 抽 象 的 な 表 現 の 人 物 像 ( 図 -3)や 塔, 複 数 の 場 所 への 同 一 の 彫 刻 の 設 置 (NO.27,32)などが 見 られた. 戦 前 は, 規 制 等 に 基 づき, 特 定 の 人 物 を 題 材 とした 像 が,その 人 物 の 所 属 した 組 織 や 関 係 した 場 所 に 設 置 さ れることが 多 かった. そのため, 特 定 の 人 物 を 題 材 としない 人 物 一 般 の 像 はほとんど 見 られず 表 現 する 内 容 が 読 み 取 りにくい 抽 象 的 な 表 現 も 見 られなかった.また, 戦 前 では, 同 一 の 人 物 を 題 材 にした 像 であっても, 設 置 場 所 に 応 じて 屋 外 彫 刻 の 表 現 の 妥 当 性 が 考 慮 されていたため, 同 一 の 彫 刻 が 別 の 場 所 に 設 置 されることが 無 く, 人 物 一 般 や 抽 象 的 な 表 現 の 屋 外 彫 刻 は 戦 後 復 興 期 の 特 徴 といえる. その 他 には, 地 域 の 名 産 ( 図 -4)や 伝 統 行 事 を 表 現 し たものや, 橋 梁 の 高 欄 としての 機 能 を 有 するもの (NO.10)が 見 られ, 戦 前 と 比 較 し 屋 外 彫 刻 の 題 材 や 対 象 が 多 様 化 したといえる. (2) 戦 後 から1960 年 頃 までの 屋 外 彫 刻 の 設 置 戦 後 復 興 期 は, 軍 国 主 義 等 を 宣 伝 鼓 舞 するものでな ければ, 屋 外 彫 刻 の 設 置 に 関 する 規 制 は 無 かった. また,1960 年 代 以 降 の 自 治 体 による 彫 刻 設 置 事 業 のよ うに 自 治 体 毎 に 彫 刻 や 作 者, 設 置 場 所 などを 決 定 するた めの 手 続 きや 体 制 が 定 められていなかったため, 行 政 に よる 一 定 の 基 準 に 基 づく, 公 共 空 間 に 相 応 しいかの 確 認 は 行 われていなかった 時 代 といえる. そして,そのような 状 況 の 中, 戦 前 には 見 られなか った 人 物 一 般 や 動 物 を 題 材 にしたものや, 抽 象 的 な 表 現 のものなどが 設 置 された. 図 -2 人 物 一 般 の 群 像 の 例 NO.19 宇 部 産 業 祈 念 像 枝 が 若 葉 を 出 した 植 物 になったスコップを 持 って いる 男 女 の 像 [ 設 置 場 所 : 宇 部 市 真 締 川 公 園 ] (3) 分 析 対 象 戦 後 から1960 年 までに 設 置 された 屋 外 彫 刻 の 全 てを 把 握 可 能 な 資 料 はなく, 現 在 ではそれらの 多 くが 撤 去 や 移 設 され, 現 地 に 存 在 しない 場 合 が 多 いことから, 本 研 究 では, 竹 田 ( 前 掲 3) )の 調 査 により 得 られた60 事 例 のう ち, 現 在 も 設 置 当 初 の 場 所 に 存 在 するもの,もしくは, 現 在 は 設 置 当 初 の 場 所 に 存 在 しないが 文 献 等 から 設 置 当 事 の 配 置 等 が 把 握 できるもの43 事 例 及 び, 調 査 の 過 程 で 得 られた 事 例 を 追 加 し(2 事 例 ),45 事 例 を 分 析 対 象 とし た. 抽 出 した 分 析 対 象 を 表 -3に 示 す. 図 -3 抽 象 的 な 表 現 の 人 物 像 の 例 NO.29 春 風 に うたう [ 設 置 場 所 : 札 幌 市 南 9 条 緑 地 ] 3. 屋 外 彫 刻 の 分 析 (1) 屋 外 彫 刻 の 内 容 屋 外 彫 刻 の 内 容 は, 具 象 的 な 表 現 の 人 物 一 般 ( 男 性 や 女 性, 子 供 )の 像 及 び それら 人 物 の 像 などを 組 み 合 図 -4 地 域 の 名 産 を 表 現 した 彫 刻 NO.30 神 戸 肉 の 但 馬 牛 地 域 の 名 産 である 但 馬 牛 の 像 [ 設 置 場 所 : 神 戸 市 須 磨 海 浜 公 園 ]
表 -3 分 析 対 象 一 覧 名 称 形 態 設 置 年 作 者 設 置 場 所 現 況 備 考 1 平 和 の 塔 抽 象 1949 年 中 野 四 郎 駅 前 広 場 ( 浦 和 駅 ) 再 建 移 設 B 2 自 由 裸 婦 像 1950 年 乗 松 巌 公 園 ( 日 比 谷 公 園 ) 現 存 3 平 和 の 像 裸 婦 の 群 像 1950 年 菊 池 一 雄 公 園 ( 三 宅 坂 公 園 ) 現 存 4 平 和 の 女 神 裸 婦 像 1950 年 日 高 正 法 街 路 ( 大 丸 心 斎 橋 前 ) 移 設 5 平 和 像 男 性 像 1951 年 広 井 吉 之 助 駅 前 広 場 ( 長 岡 駅 ) 移 設 6 建 設 と 平 和 男 女 の 裸 像 1952 年 分 部 順 治 駅 前 広 場 ( 前 橋 駅 ) 移 設 A 7 原 爆 死 没 者 慰 霊 碑 慰 霊 碑 1952 年 丹 下 健 三 公 園 ( 平 和 記 念 公 園 ) 現 存 8 豊 穣 女 性 の 群 像 1953 年 中 川 為 延 公 園 ( 日 比 谷 公 園 ) 現 存 9 復 興 平 和 記 念 碑 女 性 子 供 の 群 像 1953 年 樽 谷 清 太 郎 街 路 ( 八 幡 市 民 会 館 前 ) 現 存 10 平 和 大 橋 西 平 和 大 橋 親 柱 高 欄 1954 年 イサムノグチ 公 園 ( 平 和 記 念 公 園 ) 現 存 11 みどりの 塔 裸 婦 像 1954 年 新 谷 英 夫 公 園 ( 須 磨 浦 公 園 ) 再 建 12 平 和 の 像 男 性 の 裸 像 群 像 1954 年 野 田 惟 恵 公 園 ( 沖 縄 戦 跡 国 定 公 園 ) 現 存 13 平 和 像 裸 婦 像 1954 年 岡 本 錦 朋 緑 道 ( 西 川 緑 道 ) 現 存 14 平 和 祈 念 像 男 性 の 裸 像 1955 年 西 村 西 望 公 園 ( 長 崎 市 平 和 公 園 ) 現 存 15 自 由 の 群 像 裸 婦 の 群 像 1955 年 菊 池 一 雄 公 園 ( 千 鳥 ヶ 淵 公 園 ) 現 存 16 愛 男 性 像 1955 年 横 江 嘉 純 駅 前 広 場 ( 東 京 駅 ) 撤 去 中 17 平 和 の 鳩 鳩 の 像 1955 年 山 本 常 一 建 築 脇 ( 文 化 科 学 館 脇 ) 現 存 18 牧 童 子 供 鹿 の 群 像 1956 年 峯 孝 公 園 ( 札 幌 市 大 通 公 園 ) 現 存 19 宇 部 産 業 祈 念 像 男 女 の 群 像 1956 年 山 内 壮 夫 公 園 ( 真 締 川 公 園 ) 現 存 20 平 和 の 群 像 女 性 子 供 の 群 像 1956 年 矢 野 秀 徳 港 ( 小 豆 島 土 庄 港 ) 現 存 21 みどりのリズム 女 性 の 群 像 1956 年 清 水 多 嘉 示 公 園 ( 岡 山 市 後 楽 園 前 ) 現 存 22 希 望 の 像 男 性 の 裸 像 1956 年 岡 本 錦 朋 街 路 ( 岡 山 市 役 所 前 ) 現 存 23 鉄 都 誕 生 記 念 碑 男 女 の 裸 像 群 像 1957 年 樽 谷 清 太 郎 公 園 ( 高 炉 台 公 園 ) 失 24 堀 川 町 原 爆 慰 霊 碑 抽 象 1957 年 坂 手 護 街 路 ( 広 島 市 新 天 地 ) 現 存 25 翼 の 像 裸 婦 像 1958 年 朝 倉 文 夫 駅 構 内 ( 上 野 駅 ) 現 存 26 青 年 像 男 性 の 裸 像 1958 年 野 々 村 一 男 駅 前 広 場 ( 名 古 屋 駅 ) 移 設 B 27 新 聞 少 年 少 年 像 1958 年 朝 倉 響 子 公 園 ( 有 栖 川 宮 記 念 公 園 ) 現 存 28 希 望 女 性 と 鳩 の 群 像 1958 年 山 内 壮 夫 街 路 ( 札 幌 市 民 会 館 前 ) 現 存 29 春 風 にうたう 抽 象 1958 年 山 内 壮 夫 緑 地 ( 南 9 条 緑 地 ) 現 存 30 神 戸 肉 の 但 馬 牛 牛 の 像 1958 年 広 部 兵 三 公 園 ( 須 磨 海 浜 公 園 ) 現 存 31 原 爆 の 子 の 像 女 性 の 像 1958 年 菊 池 一 雄 公 園 ( 平 和 記 念 公 園 ) 現 存 32 新 聞 少 年 少 年 像 1958 年 朝 倉 響 子 緑 道 ( 西 川 緑 道 ) 現 存 33 森 の 歌 抽 象 1959 年 山 内 壮 夫 公 園 ( 札 幌 市 中 島 公 園 ) 再 建 移 設 A 34 殉 難 学 徒 の 像 女 性 像 1959 年 不 明 公 園 ( 半 田 市 雁 宿 公 園 ) 現 存 35 祇 園 太 鼓 男 性 の 群 像 1959 年 米 治 一 駅 前 広 場 ( 小 倉 駅 ) 移 設 A 36 平 和 記 念 像 女 性 像 1959 年 翁 朝 盛 公 園 ( 仙 台 市 勾 当 台 公 園 ) 現 存 37 泉 の 像 女 性 の 裸 像 群 像 1959 年 本 郷 新 公 園 ( 札 幌 市 大 通 公 園 ) 現 存 38 笛 を 吹 く 少 女 女 性 像 1959 年 山 内 壮 夫 公 園 ( 札 幌 市 中 島 公 園 ) 移 設 A 39 母 と 子 の 像 女 性 子 供 の 群 像 1959 年 山 内 壮 夫 公 園 ( 札 幌 市 中 島 公 園 ) 移 設 A 40 瞳 孔 抽 象 1959 年 新 谷 英 夫 寺 社 ( 神 戸 市 長 田 神 社 ) 現 存 41 牧 歌 男 女 の 裸 像 群 像 1960 年 本 郷 新 駅 前 広 場 ( 札 幌 駅 ) 移 設 A 42 花 の 塔 抽 象 1960 年 新 谷 英 夫 街 路 ( 神 戸 市 下 山 手 街 園 ) 現 存 43 水 の 守 護 神 女 性 像 1960 年 ト ナル ホート 公 園 ( 横 浜 市 山 下 公 園 ) 現 存 44 嵐 の 中 の 母 子 像 女 性 子 供 の 群 像 1960 年 本 郷 新 公 園 ( 平 和 記 念 公 園 ) 現 存 45 祈 りの 像 男 女 子 供 の 群 像 1960 年 横 江 嘉 純 公 園 ( 平 和 記 念 公 園 ) 現 存 朝 鮮 戦 争 勃 発 サンフランシスコ 平 和 条 約 発 効 神 武 景 気 (~1957 年 ) 国 連 加 盟 新 安 保 条 約 締 結 移 設 A: 敷 地 内 への 移 設, 移 設 B; 敷 地 外 への 移 設 (2) 作 者 作 者 のうち, 最 も 事 例 数 が 多 いのが 山 内 壮 夫 の6 事 例 であり, 次 いで 菊 池 一 雄, 本 郷 新, 新 谷 英 夫 が3 事 例 で 多 い. 山 内 壮 夫 や 菊 池 一 雄, 本 郷 新 は, 戦 前 から 政 治 的 工 作 を 否 定 し, 純 粋 芸 術 を 目 指 す 新 制 作 協 会 に 所 属 し, 戦 前 の 軍 国 主 義 を 鼓 舞 するような 軍 人 を 題 材 とした 彫 刻 ( 銅 像 )とは 異 なる 彫 刻 を 目 指 した 作 者 達 であり, 戦 後 復 興 期 以 降 の 自 治 体 による 彫 刻 設 置 事 業 等 においても 引 き 続 き 作 品 が 設 置 されている 作 者 である. また, 分 析 対 象 とした45 事 例 のうち, 戦 前 に 屋 外 彫 刻 ( 銅 像 )を 製 作 していたことが 確 認 できた 作 者 は, 朝 倉 文 夫 だけであり, 戦 前 の 作 者 と 大 きく 異 なっている. また, 山 内 壮 夫 の 作 品 のうち5 事 例 は, 自 身 が 出 身 の 北 海 道 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 であり, 本 郷 新 や 新 谷 英 夫 の 作 品 も 自 身 の 出 身 の 地 域 に 設 置 されているものが 多 く, その 他 の 事 例 の 作 者 も 設 置 場 所 周 辺 の 出 身 の 作 者 の 場 合 が 多 い. (3) 設 置 目 的 設 置 目 的 は, 平 和 や 復 興 の 記 念 ( 祈 念 )や 慰 霊 など 抽 象 的 な 概 念 のものが 多 く 見 られた. また, 戦 争 を 題 材 とした 小 説 ( 二 十 四 の 瞳 )の 映 画
化 を 記 念 し, 平 和 を 象 徴 する 屋 外 彫 刻 を 設 置 したもの (NO.20)や, 商 工 会 議 所 等 団 体 や 企 業 の 周 年 記 念 (NO.3,15,30)や 設 置 場 所 の 整 備 記 念 (NO.28,29)に 屋 外 彫 刻 を 設 置 するものが 見 られた. 地 域 の 出 来 事 や, 団 体 や 企 業 の 記 念 といった 限 られ た 範 囲 の 人 々にのみ 関 係 した 内 容 を 記 念 することを 目 的 として 公 共 空 間 に 屋 外 彫 刻 が 設 置 されたのは, 規 制 等 が 行 われていた 戦 前 とは 異 なる 点 といえる. (4) 設 置 場 所 設 置 場 所 は, 公 園 緑 道 緑 地 が 最 も 多 く,28 事 例 で 全 45 事 例 の 半 数 以 上 を 占 め. 次 いで 駅 前 広 場 (7 事 例 )や 街 路 (6 事 例 )が 多 い. 公 園 に 設 置 された 彫 刻 のうち,7 事 例 は 戦 災 や 慰 霊 を 記 念 した 公 園 ( 沖 縄 戦 跡 国 定 公 園, 広 島 市 平 和 記 念 公 園, 長 崎 市 平 和 公 園 )に 設 置 されていると 共 に, 屋 外 彫 刻 が 設 置 された 駅 前 広 場 や 街 路 のうち4 事 例 は, 戦 災 復 興 都 市 計 画 が 実 施 された 箇 所 ( 前 橋 市, 長 岡 市, 名 古 屋 市, 八 幡 市 )であった. また, 戦 前 の 金 属 回 収 や 戦 後 の 撤 去 により 失 われた 銅 像 等 の 台 座 をその 場 で 利 用 して 異 なる 屋 外 彫 刻 を 設 置 した 事 例 があった( 図 -5). 図 -5 戦 前 に 寺 内 正 毅 像 が 設 置 されていた 台 座 に 設 置 されている 平 和 の 像 (NO.3) (3 体 の 裸 婦 像 に よる 群 像 )[ 設 置 場 所 : 千 代 田 区 三 宅 坂 公 園 ] (5) 屋 外 彫 刻 と 設 置 場 所 の 意 味 的 つながり 彫 刻 と 設 置 場 所 の 意 味 的 つながりは, 戦 争 被 害 を 受 けた 場 所 に 平 和 や 復 興, 慰 霊 を 記 念 ( 祈 念 )することを 目 的 とした 屋 外 彫 刻 を 設 置 する 事 例 が 多 く 見 られた. 戦 前 の 場 合 は, 屋 外 彫 刻 の 題 材 となった 特 定 の 人 物 が 設 置 場 所 の 組 織 を 代 表 する 故 人 であるなど, 屋 外 彫 刻 の 内 容 ( 特 定 の 人 物 )と 設 置 場 所 が 直 接 的 なつながりを 有 していたのに 対 し, 戦 後 復 興 期 では, 設 置 目 的 と 設 置 場 所 がつながりを 有 していることが 多 く,それら 屋 外 彫 刻 の 内 容 が 人 物 一 般 の 像 であることから, 平 和 や 復 興, 慰 霊 の 記 念 ( 祈 念 )といった 設 置 目 的 を 読 み 取 ることは 難 しく, 結 果 として 屋 外 彫 刻 と 設 置 場 所 の 意 味 的 つなが りは 分 かりにくいものになっている. また, 地 域 の 名 産 や 伝 統 行 事 を 表 現 した 屋 外 彫 刻 で は, 内 容 と 設 置 場 所 が 意 味 的 なつながりを 有 しているも のの, 必 ずしもその 場 所 である 必 要 は 無 い 広 がりをもっ た 地 域 とのつながりであり, 戦 前 と 比 較 した 場 合, 意 味 的 なつながりは 薄 いといえる. 抽 象 的 な 表 現 の 屋 外 彫 刻 の 場 合 は,さらに 意 味 的 つ ながりが 薄 い(もしくは 無 い)といえる. (6) 設 置 方 法 設 置 方 法 は, 特 徴 的 なものが2 種 類 あった( 表 -4). 前 者 は, 駅 前 広 場 や 駅 前 広 場 に 接 続 する 街 路 に 設 置 されたもので, 該 当 する6 事 例 のうち,4 事 例 が 戦 災 復 興 都 市 計 画 の 実 施 箇 所 であり, 建 築 ( 駅 舎 )や 広 場, 街 路 といった 社 会 基 盤 整 備 と 一 体 となり 軸 線 を 形 成 し, 都 市 の 骨 格 となる 空 間 を 形 成 している.このうち, 駅 前 広 場 内 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 の 向 きは, 駅 舎 側 を 向 くもの, 街 路 側 を 向 くもの,2 体 の 彫 刻 により 両 方 を 向 くものの 3パターンが 見 られた. 戦 前 には, 軍 施 設 や 官 施 設 の 建 築 と 屋 外 彫 刻 により 軸 線 を 形 成 しているもの( 図 -9)や, 屋 外 彫 刻 の 内 容 ( 特 定 の 人 物 )の 向 きにより, 距 離 の 離 れた 場 所 との 関 係 性 を 有 しているもの( 図 -10)が 見 られたが, 上 記 の ような 都 市 の 骨 格 を 形 成 する 規 模 のものは 見 られず, 戦 後 復 興 期 における 特 徴 的 な 設 置 方 法 であるといえる.ま た, 戦 後 復 興 期 より 後 の 時 代 と 比 べても 同 様 の 規 模 のも のは 見 られない. 後 者 は, 平 和 祈 念 像 (NO.14)のように, 公 園 等 敷 地 全 体 のデザインの 中 心 となる 位 置 に,ランドマークやア イストップとなる 規 模 の 屋 外 彫 刻 を 設 置 したものであり, 戦 後 復 興 期 以 降, 現 代 まで 見 られる 設 置 方 法 である. その 他 の 事 例 では, 公 園 内 の 散 策 路 脇 に 設 置 したも の 等, 周 辺 環 境 との 配 置 的 関 係 が 薄 いものが 多 かった. 4. 全 体 のまとめ 戦 後 復 興 期 には, 行 政 等 による 規 制 等 が 無 い 状 況 下 で, 抽 象 的 な 目 的 や, 限 られた 人 々にのみ 関 係 した 出 来 事 の 記 念 を 目 的 としたものなど, 戦 前 には 見 られない 多 様 な 目 的 により 屋 外 彫 刻 が 設 置 された. しかし,その 屋 外 彫 刻 の 内 容 は, 人 物 一 般 や 抽 象 的 な 内 容 の 場 合 が 多 く, 結 果 として, 設 置 目 的 や 設 置 場 所 との 意 味 的 つながりが 読 み 取 りにくいものが 多 かった. 設 置 方 法 は, 周 辺 環 境 と 一 体 に 都 市 の 骨 格 となる 空 間 が 形 成 されている 戦 後 復 興 期 特 有 のものが 見 られた 一 方, 敷 地 内 外 との 配 置 的 関 係 が 薄 いものも 多 く 見 られた. 以 上 がアーバンデザインの 観 点 から 分 析 した, 戦 後 復 興 期 の 公 共 空 間 における 屋 外 彫 刻 設 置 の 特 徴 である.
本 稿 では 扱 っていないが, 戦 後 復 興 期 後 の1960 年 代 以 降 は, 全 国 の 自 治 体 による 彫 刻 設 置 事 業 が 盛 んになり, 戦 後 復 興 期 に 登 場 した, 設 置 場 所 との 意 味 的 つながりが 読 み 取 りにくい(もしくは 無 い) 屋 外 彫 刻 が, 表 現 や 素 材 を 多 様 化 しながら 都 市 内 外 に 設 置 され,その 一 部 は 彫 刻 公 害 といった 批 判 を 受 けることとなった. 今 後, 屋 外 彫 刻 を 活 用 したより 良 い 公 共 空 間 を 形 成 して 行 く 上 では, 後 の 時 代 に 引 き 継 がれず 失 われてしま った 戦 前 や 戦 後 復 興 期 にアーバンデザインとしての 配 慮 がなされていたものの 知 見 を 活 かしつつ, 取 り 組 んでい くことが 望 ましい. 参 考 文 献 1) 山 本 陽 :アーバンデザインとしてのパブリックアートの 歴 史 的 展 開 に 関 する 研 究, 政 策 研 究 大 学 院 大 学 開 発 政 策 プログラム 修 士 論 文,2010 2) 山 本 陽, 篠 原 修 :アーバンデザインとしての 屋 外 彫 刻 の 歴 史 的 展 開 に 関 する 研 究 ~ 戦 前 の 東 京 府 内 公 共 空 間 に 設 置 された 屋 外 彫 刻 をケーススタディとして~, 土 木 史 研 究 講 演 集,No.30,pp.235-242,2010 3) 竹 田 直 樹 : 日 本 における1950 年 代 の 彫 刻 設 置 事 業,ランド スケープ 研 究,No.64(5),pp.461-464,2001 表 -4 戦 後 復 興 期 の 特 徴 的 な 設 置 方 法 設 置 方 法 模 式 図 代 表 的 な 事 例 の 写 真 該 当 する 事 例 NO.5 平 和 像 ( 長 岡 駅 ) 駅 舎 と 駅 前 広 場, 街 路 と 一 体 となって 都 市 空 間 を 形 成 しているもの 図 -6 復 興 平 和 記 念 像 ( 女 性 と 子 供 の 群 像 ) ( 写 真 提 供 : 八 幡 市 民 会 館 ) NO.6 建 設 と 平 和 ( 前 橋 駅 ) NO.9 復 興 平 和 記 念 像 ( 八 幡 市 民 会 館 前 ロ ータリー) NO.16 愛 ( 東 京 駅 ) NO.26 青 年 像 ( 名 古 屋 駅 ) NO.41 牧 歌 ( 札 幌 駅 ) (6 事 例 ) 公 園 等 敷 地 デ ザインの 中 心 となっている もの 図 -7 平 和 像 ( 男 性 の 像 ) ( 写 真 出 典 : 長 岡 市 制 100 周 年 e ライフ ラリー) 図 -8 平 和 祈 念 像 ( 男 性 の 像 ) ( 写 真 出 典 : 長 崎 市 HP) NO.14 平 和 祈 念 像 ( 長 崎 市 平 和 公 園 ) NO.23 鉄 都 誕 生 記 念 碑 ( 高 炉 台 公 園 ) (2 事 例 ) 図 -9 戦 前 陸 軍 参 謀 本 部 に 設 置 されていた 有 栖 川 宮 熾 仁 親 王 像 ( 軍 施 設 と 軸 線 を 形 成 ) ( 写 真 出 展 : 国 立 国 会 図 書 館 ウェブサイト URL http://www.ndl.go.jp/scenery/index.html) 図 -10 皇 居 前 広 場 に 設 置 されている 楠 正 成 像 ( 近 接 する 皇 居 の 方 向 に 正 面 ( 顔 )を 向 けている) ( 写 真 出 展 : 国 立 国 会 図 書 館 ウェフ サイト URL http://www.ndl.go.jp/scenery/index.html)