1 和 歌 山 県 和 歌 山 市 戦 災 殉 難 者 供 養 塔 2 和 歌 山 市 戦 災 死 者 追 悼 法 要 追 悼 写 真 提 供 和 歌 山 市 汀 公 園 和 歌 山 県 和 歌 山 市 西 汀 丁 27 (JR 南 海 電 鉄 和 歌 山 市 駅 徒 歩 15 分 ) 和 歌 山 市 昭 和 28 年 5 月 歳 事 名 : 和 歌 山 市 戦 災 死 者 追 悼 法 要 会 場 : 汀 公 園 戦 災 死 者 供 養 塔 前 (JR 南 海 電 鉄 和 歌 山 市 駅 徒 歩 15 分 ) 時 : 平 成 23 年 7 月 9 ( 土 ) 例 年 7 月 9 開 催 参 列 者 数 : 約 400 人 和 歌 山 市 戦 災 遺 族 会 爰 寶 塔 者 爲 戰 災 殉 難 者 各 靈 證 大 菩 提 也 左 側 面 願 以 此 功 徳 平 等 施 一 切 同 発 菩 提 心 往 生 安 楽 國 右 側 面 光 明 遍 照 十 方 世 界 念 佛 衆 生 攝 取 不 捨 昭 和 二 十 年 七 月 九 没 次 第 ( 平 成 23 年 度 ) 説 明 太 平 洋 戰 爭 の 戰 勢 いよ いよ 急 迫 を 告 げる 昭 和 二 十 年 七 月 九 米 軍 飛 行 機 B29の 大 編 隊 わが 市 に 来 襲 し 深 更 三 時 間 に 亘 って 焼 夷 攻 撃 を 恣 にし た 市 街 は 紅 蓮 の 炎 に 包 まれ 焦 熱 地 獄 阿 鼻 叫 喚 の 巷 と 化 し 此 處 約 千 五 百 坪 の 空 地 に 避 難 する 市 民 無 慮 数 千 忽 ち 大 旋 風 吹 き 起 つて 四 辺 の 猛 焔 凄 烈 を 加 へ 無 残 非 業 に 倒 れる 市 民 七 百 四 十 八 名 に 上 る 後 市 内 に 散 在 した 戰 災 犠 牲 者 の 遺 体 を 併 せ 累 計 千 数 百 体 を 荼 毘 に 附 して ここに 合 同 埋 葬 した 実 に 和 歌 山 開 市 以 来 の 大 悲 惨 事 にして 戰 爭 の 惨 虐 また 説 くに 忍 びない 乃 ち 供 養 塔 建 設 會 成 つて 大 慈 大 悲 の 尊 像 を 安 置 し 謹 みて 無 辜 にして 戰 爭 の 犠 牲 となつた 市 民 の 靈 を 慰 め 平 和 の 悲 願 達 成 を 祈 るものである 昭 和 二 十 八 年 五 月 和 歌 山 市 長 髙 垣 善 一 謹 書 昭 和 廿 年 七 月 九 夜 太 平 洋 戦 爭 の 魔 手 は 遂 に 南 国 の 理 想 郷 和 歌 山 市 の 上 に 伸 び 家 を 焼 き 人 を 殺 し 其 惨 禍 恰 も 地 獄 図 絵 に 似 て 眼 を 掩 わしむ 其 夜 難 をこの 地 に 避 けたる 者 不 幸 にして 戦 火 の 犠 牲 となり 地 下 に 骨 を 埋 む 鬼 哭 愁 々 悲 しくも 亦 痛 ましき 哉 此 の 戦 爭 犠 牲 者 に 対 し 終 戦 後 の 混 迷 にも 拘 わらず 佛 教 会 の 奉 仕 により 法 要 を 怠 らず 且 は 有 志 相 寄 りて 供 養 塔 建 設 期 成 会 を 起 し 普 ねく 浄 財 を 集 め 焦 土 を 整 備 し 努 力 精 進 する 事 久 し 幸 にして 久 保 吉 光 君 の 協 力 により 昭 和 廿 八 年 一 月 廿 五 建 設 の 工 成 る 慈 悲 菩 薩 の 尊 像 在 します 処 緑 樹 の 陰 に 彩 花 を 点 ず 誠 に 平 和 の 楽 園 なり 諸 霊 永 へに 安 住 の 地 とならば 関 係 者 の 喜 び これに 過 ぎず 刻 して 萬 代 に 伝 えんと 爾 云 願 主 和 歌 山 新 聞 社 小 畠 正 幸 188 189
3 和 歌 山 県 和 歌 山 市 中 橋 地 蔵 尊 4 和 歌 山 大 空 襲 戦 没 者 追 悼 法 要 追 悼 写 真 提 供 和 歌 山 新 報 社 中 橋 北 側 和 歌 山 市 福 町 (JR 南 海 電 鉄 和 歌 山 市 駅 徒 歩 10 分 ) 有 志 一 同 昭 和 45 年 7 月 5 歳 事 名 : 和 歌 山 大 空 襲 戦 没 者 追 悼 法 要 会 場 : 汀 公 園 戦 災 死 者 供 養 塔 前 (JR 南 海 電 鉄 和 歌 山 市 駅 徒 歩 10 分 ) 時 : 平 成 23 年 7 月 9 ( 土 ) 例 年 7 月 9 開 催 参 列 者 数 : 約 10 人 個 人 であり 記 載 せず 説 明 次 第 ( 平 成 23 年 度 ) 缘 起 なし 昭 和 二 十 年 七 月 九 和 歌 山 市 が アメリカ 軍 の 大 空 襲 を 蒙 った 際 地 区 住 民 の 方 々が 戦 火 より 逃 れん として 中 橋 及 び 城 北 橋 下 の 内 堀 川 の 水 中 に 避 難 されましたが 折 悪 く 満 潮 時 に 直 面 し 多 数 の 人 々が なし 死 亡 されました その 霊 を 弔 う 為 に 地 蔵 尊 を 建 立 し 中 橋 地 蔵 尊 と 名 付 けました 昭 和 四 十 五 年 七 月 五 建 立 有 志 一 同 190 191
5 和 歌 山 県 海 南 市 戦 災 死 者 慰 霊 地 蔵 尊 長 保 寺 和 歌 山 県 海 南 市 下 津 町 上 689 (JR 下 津 駅 より 海 南 市 コミュニティバス 長 保 寺 下 車 すぐ) 長 保 寺 073-492-1030 下 津 町 戦 没 者 遺 族 会 昭 和 33 年 9 月 台 座 前 此 の 世 界 がいつまでも 平 和 であります 様 に 天 台 座 主 大 僧 正 玄 秀 平 和 地 蔵 尊 台 座 左 側 面 昭 和 二 十 年 當 下 津 町 に 於 ける 昭 和 三 十 三 年 秋 彼 岸 願 主 下 津 町 戰 災 死 者 遺 族 会 戰 災 歿 者 諸 精 霊 の 御 冥 福 と 永 劫 の 安 泰 を 祈 り 茲 に 平 和 地 蔵 尊 を 安 置 し 奉 る 台 座 右 側 面 維 持 昭 和 三 十 三 年 秋 彼 岸 奉 建 功 徳 主 下 津 町 戰 災 歿 者 遺 族 會 台 座 裏 願 わくば 爾 今 全 世 界 人 類 永 遠 の 平 和 を 成 就 せしめ 給 へ 願 以 此 功 徳 普 及 於 一 切 我 等 與 衆 生 皆 共 成 佛 道 192 193
和 歌 山 県 海 南 市 追 悼 6 下 津 町 戦 災 死 没 者 慰 霊 祭 歳 事 名 : 下 津 町 戦 災 死 没 者 慰 霊 祭 会 場 : 長 保 寺 (JR 下 津 駅 より 海 南 市 コミュニティバス 長 保 寺 下 車 すぐ) 時 : 平 成 23 年 9 月 24 ( 土 ) 例 年 9 月 第 4 週 の 土 曜 開 催 参 列 者 数 : 約 35 人 海 南 市 下 津 町 戦 災 遺 族 会 次 第 ( 平 成 23 年 度 ) 1. 入 場 2. 開 会 の こ と ば 3. 四 奉 請 4. 祭 主 慰 霊 のことば 5. 来 賓 追 悼 のことば 6. 電 報 披 露 7. 導 師 法 則 8. 読 経 全 員 焼 香 9. 回 向 10. 祭 主 挨 拶 11. 閉 会 の こ と ば 12. 退 場 慰 霊 のことば お 彼 岸 を 迎 え ここ 国 宝 長 保 寺 本 堂 に 於 いて 海 南 市 長 神 出 正 巳 様 和 歌 山 県 知 事 仁 坂 吉 伸 様 はじめ 多 数 のご 来 賓 の 方 々をお 迎 えして 慰 霊 祭 を 催 す 事 が 出 来 ました ここに 謹 んで 慰 霊 の 言 葉 を 申 し 上 げます 昭 和 20 年 7 月 当 時 の 下 津 町 は 化 財 に 囲 まれ 農 業 漁 業 地 場 産 業 にと 裕 福 で 平 和 な 町 でした 何 の 前 触 れもなく 敵 機 の 無 差 別 爆 撃 により 老 若 男 女 を 問 わず 尊 い 命 が 瞬 時 の うちに 召 されました その 数 52 名 に 達 したのであります さながら 地 獄 絵 図 そのものでした 安 心 して 銃 後 の 守 りを 固 め 国 家 に 忠 誠 であった 御 霊 はさぞ 無 念 のことであったでしょ う 残 された 肉 親 の 思 いも いかばかりであったか 慙 愧 の 念 にかられるばかりでした 戦 争 というものは 国 家 の 権 限 において 国 家 が 始 めるものです 当 時 の 情 勢 下 ではやむお えない 事 情 であるにせよ 銃 後 の 国 民 の 生 命 財 産 を 国 家 の 責 任 において 守 るのが 当 然 のこ とだと 思 います しかし 未 だ 守 れなかったことへの 謝 罪 の 言 葉 すらございません 戦 後 66 年 時 は 移 り 本 は 平 和 で 豊 かな 国 家 を 造 り 上 げました 当 の 海 南 市 下 津 町 に 於 いても 人 々の 心 は 和 み 住 みよい 町 に 成 りました 遺 族 にとっても 肉 親 と 財 産 を 奪 われ 途 方 に 暮 れる 毎 でしたが お 互 いの 協 力 努 力 により 以 前 と 変 わらぬ 又 それ 以 上 の 々を 過 ごしております これも 偏 に 御 霊 のご 加 護 の 賜 物 と 心 いたしております 残 された 遺 族 にとりましても 諸 霊 の 安 らかん 事 をお 祈 りいたすと 共 に 市 当 局 コスモ 石 油 レプリカンツ( 株 ) その 他 地 域 の 皆 様 方 のご 尽 力 ご 協 力 をいただきまして 永 年 にわたり 慰 霊 祭 を 行 って 参 りました 私 達 の 力 の 続 く 限 り 慰 霊 祭 を 続 けて 参 ります 御 霊 が 安 らかに 御 眠 り 頂 かん 事 をお 祈 り 申 し 上 げ 慰 霊 の 言 葉 といたします 平 成 23 年 9 月 24 海 南 市 下 津 町 戦 災 遺 族 会 会 長 194 195
7 和 歌 山 県 有 田 市 有 田 市 戦 没 者 戦 災 死 者 追 悼 追 悼 歳 事 名 : 有 田 市 戦 没 者 戦 災 死 者 追 悼 会 場 : 和 歌 山 県 有 田 市 化 福 祉 センター 大 会 議 室 (JR 箕 島 駅 徒 歩 5 分 ) 時 : 平 成 23 年 4 月 29 ( 金 ) 例 年 4 月 中 旬 開 催 参 列 者 数 : 216 人 有 田 市 市 民 福 祉 部 福 祉 課 0737-83-1111( 代 表 ) 次 第 ( 平 成 23 年 度 ) 1. 開 会 2. 国 歌 斉 唱 3. 黙 祷 4. 追 悼 の 詞 : 有 田 市 長 5. 追 悼 の 詞 ( 来 賓 ) : 和 歌 山 県 知 事 有 田 市 議 会 議 長 和 歌 山 県 議 会 議 員 有 田 市 遺 族 連 合 会 長 6. 電 報 披 露 7. 献 花 8. 副 市 長 挨 拶 9. 閉 会 写 真 提 供 有 田 市 本 ここに 多 数 のご 遺 族 ご 来 賓 の 皆 様 をお 迎 えし 平 成 23 年 度 有 田 市 戦 没 者 戦 災 死 者 追 悼 を 執 り 行 うにあたり 先 の 大 戦 で 亡 くなられた 全 ての 御 霊 に 対 し 謹 んで 追 悼 の 詞 を 申 し 上 げます 諸 霊 には 先 の 大 戦 また 事 変 において 勇 ましくも 戦 場 に 赴 かれ あるいは 銃 後 の 守 りのなかで 痛 ましくも 散 華 されました ご 家 族 の 祈 りもむなしく あなた 方 は 再 び 帰 らぬ 人 となられましたが あなた 方 の 尊 い 志 は ご 遺 族 はもとより 本 国 民 一 人 ひとりの 胸 に 深 く 刻 まれ 家 族 を 愛 し 地 域 の 絆 を 尊 び 国 を 守 る 心 としてしっかり 受 け 継 がれてまいりました しかし 私 たちは あなた 方 が 我 が 命 を 捧 げられ 築 かれた 平 和 と 社 会 の 豊 かさに 浸 り ややもすると 私 たちが 大 切 にすべき 心 を 見 失 いがちであります 戦 後 に 生 まれた 世 代 が 我 が 国 で 大 半 を 占 める 今 戦 争 体 験 の 風 化 が 危 惧 されており ますが 先 人 の 方 々が 懸 命 にこの 郷 土 を 築 き 上 げていただいたことに 感 謝 の 念 を 持 ち 先 人 の 方 々に 恥 じぬよう その 魂 そしてその 心 を 引 き 継 ぎ 未 来 へとつないでいくこ とが 今 を 生 きる 私 たちに 課 せられた 責 務 として しっかりと 歩 みを 進 めてまいりたい と 存 じます 人 を 大 切 にする 時 代 心 の 時 代 といわれている 今 そして 未 曾 有 の 大 災 害 に 見 舞 われているこのような 時 こそ 私 たちは 今 まで 以 上 に 心 を 合 わせ 手 を 取 り 合 って 社 会 の 構 築 に 取 り 組 まなければなりません 私 も 市 長 として 市 民 の 皆 様 の 大 切 なふるさとへの 思 いを 生 かし 誰 もが 心 豊 かに 暮 らせる そして 元 気 で 活 力 あふれるふるさとづくりに 全 身 全 霊 を 尽 くしてまいりま すことを また 被 災 地 への 復 興 支 援 を 最 大 限 行 ってまいりますことをここにお 誓 い 申 し 上 げます 今 は 唯 ふるさと 有 田 市 の 安 泰 を 見 守 ってくださいますことを 願 い 御 霊 の 永 遠 に 安 らかなご 冥 福 をお 祈 りし 追 悼 の 詞 といたします 平 成 23 年 4 月 29 有 田 市 長 望 月 良 男 196 197
8 和 歌 山 県 新 宮 市 戦 災 震 災 復 興 顕 彰 新 宮 市 民 会 館 和 歌 山 県 新 宮 市 新 宮 7696 (JR 新 宮 駅 より 熊 野 交 通 バス 新 宮 市 民 会 館 前 下 車 すぐ) 新 宮 市 総 務 部 総 務 課 0735-23-3333( 代 表 ) 新 宮 市 昭 和 53 年 12 月 21 戦 災 震 災 復 興 顕 彰 第 二 次 世 界 戦 争 による 戦 禍 に 加 え 昭 和 21 年 南 海 道 大 地 震 の 二 重 災 害 に 打 ち 昭 和 五 十 三 年 十 二 月 二 十 一 新 宮 市 長 瀬 古 潔 建 之 のめされた 新 宮 市 が 焼 土 の 中 から 立 ち 上 がり 県 下 屈 指 の 近 代 都 市 として 明 るく 復 興 を 遂 げたのは 新 宮 市 長 杉 本 喜 代 松 翁 をはじめとする 先 人 各 位 の 卓 抜 なる 指 導 力 と 市 民 の 努 木 田 泰 夫 選 力 に 負 うところが 大 きい このたび 市 制 施 行 45 周 年 を 記 念 するにあたり 謹 んで 先 人 の 労 を 謝 し 高 くその 功 を 顕 彰 する 所 以 である 198 199
9 和 歌 山 県 新 宮 市 慰 霊 塔 南 谷 墓 地 和 歌 山 県 新 宮 市 新 宮 字 南 谷 3465 (JR 新 宮 駅 より 熊 野 交 通 バス イオン 新 宮 店 前 下 車 徒 歩 5 分 ) 新 宮 市 生 活 環 境 課 0735-23-3333( 代 表 ) 新 宮 市 昭 和 51 年 9 月 慰 霊 塔 昭 和 十 九 年 十 二 月 七 震 災 による 罹 災 者 霊 昭 和 二 十 年 四 月 七 月 八 月 戦 災 による 罹 災 者 霊 昭 和 二 十 一 年 二 月 二 十 一 震 災 による 罹 災 者 霊 石 柱 表 戦 災 震 災 犠 牲 者 のみ 霊 よ 安 らかに 石 柱 左 側 面 昭 和 五 十 一 年 九 月 新 宮 市 200 201