平 和 将 来 希 望 のご 計 画 ~クライストチャーチの 震 災 のこと~ 子 ども 学 科 八 巻 正 治
平 和 将 来 希 望 のご 計 画 主 はこう 言 われる バビロンに 七 十 年 の 時 が 満 ち たなら わたしはあなたたちを 顧 みる わたしは 恵 み の 約 束 を 果 たし あなたたちをこの 地 に 連 れ 戻 す わ たしは あなたたちのために 立 てた 計 画 をよく 心 に 留 めている と 主 は 言 われる それは 平 和 の 計 画 であっ て 災 いの 計 画 ではない 将 来 と 希 望 を 与 えるもので ある そのとき あなたたちがわたしを 呼 び 来 てわ たしに 祈 り 求 めるなら わたしは 聞 く わたしを 尋 ね 求 めるならば 見 いだし 心 を 尽 くしてわたしを 求 めるな ら わたしに 出 会 うであろう と 主 は 言 われる (エレミヤ 書 第 29 章 10~14 節 )
ヨブは 立 ち 上 がり 衣 を 裂 き 髪 をそり 落 とし 地 にひれ 伏 して 言 った わたしは 裸 で 母 の 胎 を 出 た 裸 でそこ に 帰 ろう 主 は 与 え 主 は 奪 う 主 の 御 名 はほめたたえられよ ( 旧 約 聖 書 ヨブ 記 第 1 章 20 21 節 )
私 は2 月 23 日 の 夜 にニュージーランドに 向 けて 成 田 空 港 から 飛 び 立 った クライストチャーチで 生 起 した 地 震 の 翌 日 そして 3 月 11 日 ( 金 )の 夕 方 7 時 のTVニュースで 今 回 の 大 災 害 を 知 った この 時 期 はデイセービング(サマータイム)のため 時 差 は4 時 間 すなわち 夕 方 7 時 は 日 本 時 間 の 午 後 3 時 3 月 14 日 のニュージーランド 航 空 での 日 本 への 帰 国 便 は ニュ ージーランドのレスキューチームと 一 緒 だった 14 日 の 夕 方 に 成 田 空 港 に 戻 ったが 仙 台 までのアクセスが 遮 断 されていたために 戻 ることができず やむなく 札 幌 に 飛 び し ばらく 滞 在 した やがてJALが 札 幌 から 山 形 空 港 までの 臨 時 便 を 就 航 することを 知 り 羽 田 ~ 札 幌 ~ 山 形 経 由 で ようやく 居 住 地 まで 戻 ってくることができた
クライストチャーチ 大 聖 堂 Christchurch Cathedral クライストチャーチ 大 聖 堂 は 市 中 心 部 の 大 聖 堂 広 場 に 立 っている 大 聖 堂 はイギリスの 著 名 な 建 築 家 ジョージ ギルバート スコット 卿 によって 設 計 された ゴシック リ バイバル 様 式 の 建 物 土 台 の 礎 は1864 年 に 着 工 したが 工 事 が 最 終 的 に 完 成 したのは1904 年 英 国 国 教 会 13.8% カソリック12.6% 長 老 派 10. 0% メソジスト 派 3.0% (キリスト 教 全 宗 派 合 計 約 56%) 無 宗 教 34.7% 等 (2006 年 国 勢 調 査 )
寄 り 添 い, 支 え 合 い, 分 かち 合 い のまなざし
今 年 2 月 のニュージーランド(NZ) 南 部 地 震 で 損 傷 したクライストチャーチ 大 聖 堂 を 日 本 人 建 築 家 の 坂 (ばん) 茂 さん(54)が 仮 設 の 建 物 で 再 生 させる 素 材 は 紙 だ 震 災 か ら1 年 となる 来 年 2 月 22 日 までの 完 成 を 目 指 し 急 ピッチで 準 備 を 進 めている すぐ 来 てくれませんか 4 月 大 聖 堂 のスタッフから 坂 さんに 電 話 が 入 った 坂 さん は 阪 神 大 震 災 ハイチ 中 国 四 川 など 世 界 の 被 災 地 で 紙 を 使 った 仮 設 住 宅 などを 手 が けてきた 東 日 本 大 震 災 でも 宮 城 県 女 川 町 でコンテナを 使 った 仮 設 住 宅 を 設 計 してい る 教 会 スタッフが そんな 坂 さんの 活 動 をインターネットで 偶 然 見 つけた 6 月 下 旬 坂 さんは 封 鎖 された 市 中 心 街 に 許 可 を 得 て 入 り 大 聖 堂 を 見 た 市 民 には 以 前 の 教 会 の 記 憶 がある その 幾 何 学 的 なデザインを 生 かそう 構 想 は1 日 で 固 まった 仮 設 の 大 聖 堂 は 高 さ 約 24メートルで 古 い 教 会 とほぼ 同 じ 尖 塔 部 分 はないが 前 面 と 後 部 の 三 角 形 の 形 を 生 かした 長 さ17メートル 重 さ 約 500キロある 紙 製 パイプを86 本 使 い テントのように 三 角 形 に 組 み 合 わせた 材 料 は 現 地 製 紙 といえども 強 度 はあり 現 地 の 基 準 も 満 たしているという 地 元 では 段 ボール 製 の 大 聖 堂 と 話 題 になっている 坂 さんは 無 償 で 設 計 を 引 き 受 けた 建 設 費 として 見 込 む400 万 NZドル( 約 2 億 5 千 万 円 )は 寄 付 などでまかなう 方 針 だ (2011 年 8 月 13 日 朝 日 新 聞 記 事 )
私 とヨブ 記 最 初 の 大 学 を 卒 業 した 後 私 は 東 京 都 の 肢 体 不 自 由 児 養 護 学 校 に 勤 務 した そして 青 山 学 院 大 学 の 夜 間 部 に 学 士 編 入 をして 学 んだ そのと きに 障 害 児 教 育 と 神 愛 なる 神 は 障 害 児 教 育 を どうとらえるか といった 卒 論 をまとめ た ヨブ 記 が そのテーマだった 日 々 脳 性 マ ヒ 児 や てんかん 発 作 等 で 苦 しむ 子 どもたちと 接 しながら なにゆえ 神 さまは 人 に 厳 しい 試 練 や 困 難 を 与 えるのか? について 考 えたかっ たからである しかし 充 分 なる 解 決 は 得 られなか った
選 びの 試 練 のまなざし しかし そうした 中 で 選 びの 試 練 が 存 在 することは 理 解 できた すなわち 愛 なる 神 さま は 祝 福 へのご 計 画 の 中 で 特 定 の 人 々を 選 ば れ 苦 難 や 試 練 を お 与 えになられるのだ とい うことである すなわち 人 の 目 からは 苦 難 や 試 練 としかと らえることができない 事 柄 であったとしても 神 さまのご 計 画 からみると そうした 苦 難 や 試 練 は 祝 福 なのである ととらえるまなざしである
何 事 にも 時 があり 天 の 下 の 出 来 事 にはすべて 定 められた 時 がある 生 まれる 時 死 ぬ 時 植 える 時 植 えたものを 抜 く 時 殺 す 時 癒 す 時 破 壊 する 時 建 てる 時 泣 く 時 笑 う 時 嘆 く 時 踊 る 時 石 を 放 つ 時 石 を 集 める 時 抱 擁 の 時 抱 擁 を 遠 ざける 時 求 める 時 失 う 時 保 つ 時 放 つ 時 裂 く 時 縫 う 時 黙 する 時 語 る 時 愛 する 時 憎 む 時 戦 いの 時 平 和 の 時 神 はすべてを 時 宜 にかなうように 造 り ま た 永 遠 を 思 う 心 を 人 に 与 えられる それでもなお 神 のなさる 業 を 始 めから 終 りまで 見 極 めることは 許 さ れていない ( 旧 約 聖 書 コヘレトの 言 葉 第 3 章 第 1~11 節 )
聴 従 信 仰 のまなざし ヨブは 立 ち 上 がり 衣 を 裂 き 髪 をそり 落 とし 地 にひれ 伏 して 言 った わたしは 裸 で 母 の 胎 を 出 た 裸 でそこ に 帰 ろう 主 は 与 え 主 は 奪 う 主 の 御 名 はほめたたえられよ (ヨブ 記 第 1 章 20 21 節 )
試 練 を 耐 え 忍 ぶ 人 は 幸 いです そ の 人 は 適 格 者 と 認 められ 神 を 愛 す る 人 々に 約 束 された 命 の 冠 をいただ くからです (ヤコブの 手 紙 第 1 章 12 節 )
忍 耐 した 人 たちは 幸 せだと わたしたち は 思 います あなたがたは ヨブの 忍 耐 に ついて 聞 き 主 が 最 後 にどのようにしてく ださったかを 知 っています 主 は 慈 しみ 深 く 憐 れみに 満 ちた 方 だからです (ヤコブの 手 紙 第 5 章 11 節 )
信 仰 とは 望 んでいる 事 柄 を 確 信 し 見 えない 事 実 を 確 認 することで す (ヘブライ 人 への 手 紙 第 11 章 1 節 )
また 子 供 たちに 対 するようにあなたがたに 話 されて いる 次 の 勧 告 を 忘 れています わが 子 よ 主 の 鍛 錬 を 軽 んじてはいけない 主 から 懲 らしめられても 力 を 落 と してはいけない なぜなら 主 は 愛 する 者 を 鍛 え 子 とし て 受 け 入 れる 者 を 皆 鞭 打 たれるからである あな たがたは これを 鍛 錬 として 忍 耐 しなさい およそ 鍛 錬 というものは 当 座 は 喜 ばしいものではな く 悲 しいものと 思 われるのですが 後 になるとそれで 鍛 え 上 げられた 人 々に 義 という 平 和 に 満 ちた 実 を 結 ばせ るのです (ヘブライ 人 への 手 紙 第 12 章 5~11 節 )
旧 約 の 時 代 (ヨブの 時 代 ) 律 法 と 裁 き のまなざし 新 約 の 時 代 ( 主 イエス キリスト 以 降 の 愛 と 赦 し のまなざし 時 代 )
愛 する 者 たち 互 いに 愛 し 合 いましょう 愛 は 神 から 出 るもので 愛 する 者 は 皆 神 から 生 まれ 神 を 知 っている からです 愛 することのない 者 は 神 を 知 りません 神 は 愛 だから です 神 は 独 り 子 を 世 にお 遣 わしになりました その 方 によ って わたしたちが 生 きるようになるためです ここに 神 の 愛 がわたしたちの 内 に 示 されました わたしたちが 神 を 愛 したのではなく 神 がわたしたち を 愛 して わたしたちの 罪 を 償 ういけにえとして 御 子 を お 遣 わしになりました ここに 愛 があります (ヨハネの 手 紙 Ⅰ 第 4 章 7~10 節 )
平 和 将 来 希 望 のご 計 画 主 はこう 言 われる バビロンに 七 十 年 の 時 が 満 ち たなら わたしはあなたたちを 顧 みる わたしは 恵 み の 約 束 を 果 たし あなたたちをこの 地 に 連 れ 戻 す わ たしは あなたたちのために 立 てた 計 画 をよく 心 に 留 めている と 主 は 言 われる それは 平 和 の 計 画 であっ て 災 いの 計 画 ではない 将 来 と 希 望 を 与 えるもので ある そのとき あなたたちがわたしを 呼 び 来 てわ たしに 祈 り 求 めるなら わたしは 聞 く わたしを 尋 ね 求 めるならば 見 いだし 心 を 尽 くしてわたしを 求 めるな ら わたしに 出 会 うであろう と 主 は 言 われる (エレミヤ 書 第 29 章 10~14 節 )
お 祈 りをいたしましょう 恵 み 豊 かなる 愛 なる 神 さま 今 朝 は, 苦 難 や 試 練 の 意 味 につ いて ニュージーランドの 地 震 および 聖 書 の 言 葉 を 通 して 学 ぶこ とができたことを 感 謝 いたします 私 たちの 生 涯 においては 予 期 せぬ 厳 しい 試 練 や 困 難 に 出 会 う ことが 多 くあります しかし そうした 試 練 や 困 難 は 愛 なる 神 さま の 深 きご 摂 理 であることを 聖 書 の 言 葉 から 学 ぶことができました どうか 神 さま 今 回 の 大 災 害 によって 激 しい 痛 みや 悲 しみを 抱 え ながら 歩 んでいる 被 災 当 事 者 の 方 々や この 学 舎 (まなびや)に 集 う すべての 学 生 教 職 員 たちの 歩 みを 良 き 方 向 へとお 導 きくださ いますように そして 苦 しみや 悲 しみの 中 にあっても 希 望 を 抱 き つつ 歩 むことができますように 必 要 なお 支 えを お 願 いいたしま す この 祈 りを 尊 き 主 イエス キリストのお 名 前 によって 信 じてお 祈 りを 申 し 上 げます ア~メン!