市 川 団 十 郎 の 系 譜 平 成 16 年 3 月 1 日 ( 月 )~4 月 30 日 ( 金 ) 昨 年 阿 国 歌 舞 伎 から 400 年 の 節 目 を 迎 えた 歌 舞 伎 その 歌 舞 伎 において 今 日 まで 常 に 特 別 な 地 位 を 占 め 最 も 大 きな 名 前 とされてきたのが 市 川 団 十 郎 の 名 跡 である 元 禄 時 代 の 初 代 から 十 二 代 目 を 数 える 現 在 の 団 十 郎 に 至 るまで それぞれの 時 代 を 代 表 す る 名 優 がこの 名 を 受 け 継 いでいる 団 十 郎 の 歴 史 はそのまま 歌 舞 伎 の 歴 史 といっても 過 言 ではないだろう 2004 年 5 月 七 代 目 市 川 新 之 助 が 十 一 代 目 市 川 海 老 蔵 を 襲 名 する 未 来 の 十 三 代 目 団 十 郎 が 約 束 されている 新 之 助 の 海 老 蔵 襲 名 は 歌 舞 伎 史 の 新 たな 1 ページである この 機 に 当 館 が 所 蔵 する 様 々な 資 料 から 市 川 団 十 郎 の 系 譜 をさぐっていきたい ご 覧 になる 上 でのご 注 意 < > 内 の 記 号 は 当 館 の 請 求 記 号 です 一 部 の 資 料 については 資 料 保 存 の 関 係 上 マイクロフィルム 等 からの 複 製 を 展 示 してお ります 請 求 記 号 が YA YB YD YDA YDM で 始 まる 資 料 をご 利 用 の 際 は マイクロ フィルムでの 閲 覧 となります( 展 示 期 間 中 のご 利 用 も 可 能 です) 印 の 付 いた 資 料 (2 団 十 郎 舞 台 似 顔 絵 8 八 代 目 団 十 郎 死 絵 13 歌 舞 伎 十 八 番 ) は 当 館 のホームページ 内 貴 重 書 画 像 データベース で 画 像 をご 覧 になれます (URL:http://www3.ndl.go.jp/rm/index/html) 8 八 代 目 団 十 郎 死 絵 を 貴 重 書 画 像 データベース でご 覧 になる 場 合 は タイトルに 猿 白 院 成 清 日 田 信 士 と 入 力 して 検 索 してください - 1 -
展 示 資 料 一 覧 < 江 戸 時 代 の 市 川 団 十 郎 初 代 ~ 八 代 > しばらく 荒 事 の 創 始 者 初 代 団 十 郎 暫 助 六 等 今 に 伝 わる 人 気 狂 言 を 確 立 した 二 代 目 木 場 の 親 玉 として 庶 民 に 親 しまれ 侠 客 や 文 人 とも 親 交 の 深 かった 四 代 目 江 戸 歌 舞 伎 の 絶 頂 期 に 劇 界 に 君 臨 した 五 代 目 歌 舞 伎 十 八 番 を 制 定 した 七 代 目 美 貌 を 謳 われ 幕 末 歌 舞 伎 を 華 やかに 彩 った 八 代 目 団 十 郎 をぬきにしては 江 戸 歌 舞 伎 は 語 れない 1. 当 世 小 国 歌 舞 伎 [マイクロ 複 製 ] <YDA1753> 元 禄 12 年 (1699) 森 田 座 興 行 初 代 市 川 団 十 郎 作 正 本 屋 小 兵 衛 開 版 狂 言 本 荒 事 の 創 始 者 と いわれる 初 代 団 十 郎 作 の 狂 言 本 である 当 時 の 団 十 郎 の 舞 台 姿 を 彷 彿 とさせる 初 代 団 十 郎 は 演 技 に 才 能 を 示 しただけでなく 自 分 が 演 じるための 狂 言 を 創 作 する 才 能 にもめぐまれた 現 在 の 歌 舞 なるかみしょうにん あらじしおとこのすけ 伎 でも 演 じられている 鳴 神 上 人 や 荒 獅 子 男 之 助 の 原 型 を 作 ったのも 初 代 団 十 郎 である 2. 団 十 郎 舞 台 似 顔 絵 [ 複 製 ] < 寄 別 3-3-2-2> 歌 川 豊 国 画 元 祖 から 七 代 目 までの 団 十 郎 の 舞 台 姿 摺 物 をまとめて 貼 りこんだ 画 帳 各 絵 には 狂 歌 が 添 えられている このシリーズにはこの 7 枚 の 他 に 七 代 目 の 筆 跡 で 八 代 目 としるされた ういろううり 子 供 の 外 郎 売 の 舞 台 図 が 加 わるらしい 八 代 目 の 襲 名 に 関 係 する 摺 物 だったのだろうか 3. 役 者 全 書 [マイクロ 複 製 ] 八 文 字 屋 自 笑 編 安 永 3 年 (1774) 刊 <YDA4206> 役 者 に 関 する 様 々な 事 象 を 扱 った 書 物 役 者 にちなんだ 様 々な 商 品 が 並 ぶ 中 に 団 十 郎 煎 餅 の 名 がみえる 形 は 丸 く 団 十 郎 の 名 前 と 団 十 郎 家 の 紋 三 升 が 刻 印 された 煎 餅 だったらしい 好 もぐさ きな 役 者 のグッズを 集 めるファン 心 理 は 今 も 昔 もかわらないものなのか この 他 に 団 十 郎 艾 なども 売 り 出 された 4. 市 川 団 十 郎 代 々 服 部 幸 雄 著 講 談 社 2002.2 <KD487-G65> みます いちかわ ごうし かまわぬ 役 者 は 江 戸 時 代 の 流 行 発 信 源 団 十 郎 家 の 定 紋 三 升 や 市 川 格 子 鎌 ぬ 等 様 々なデ ザインが 考 案 され 巷 間 に 流 布 した - 2 -
えどのはなさつきのちりぎは 5. 六 代 目 団 十 郎 追 善 稗 史 東 発 名 皐 月 落 際 [マイクロ 複 製 ] 曲 亭 馬 琴 作 歌 川 豊 国 画 寛 政 11 年 (1799) 刊 <YDA5172> 22 歳 で 夭 折 した 六 代 目 団 十 郎 の 地 獄 巡 りを 題 材 にした 黄 表 紙 助 六 暫 等 団 十 郎 のお 家 芸 が 盛 り 込 まれている この 他 多 くの 出 版 物 で 団 十 郎 は 取 り 扱 われており いかに 団 十 郎 が 庶 民 に 愛 されたかが 窺 える 6. 三 座 役 者 給 金 取 調 書 [マイクロ 複 製 ] <YDA5754> 天 保 13 年 (1842) 江 戸 三 座 の 代 表 があつまり 給 金 を 協 定 した 記 録 当 時 の 人 気 役 者 達 の 給 金 と 役 者 間 の 序 列 が 窺 えて 興 味 深 い あまりの 給 金 の 高 騰 ぶりに しばしば 幕 府 から 取 り 締 まりがあっ たが 人 気 役 者 の 給 金 はどんどん 跳 ね 上 がった 千 両 役 者 千 両 というのは 現 代 のお 金 にして 約 6000~8000 万 円 貨 幣 価 値 が 下 がった 幕 末 には 千 両 役 者 は 沢 山 でたようだが 江 戸 も 初 期 の 頃 には 数 えるほどしかいなかったよ うだ 7. 資 料 集 成 二 世 市 川 団 十 郎 立 教 大 学 近 世 文 学 研 究 会 編 和 泉 書 院 1988.3 <KD487-E6> 享 保 20 年 (1735)3 月 17 日 の 二 代 目 市 川 団 十 郎 の 日 記 に 朝 10 時 ごろに 芝 居 見 物 の 女 性 20 人 ほ どがお 手 洗 いを 借 りるという 口 実 で 二 代 目 の 家 を 見 物 しに 来 た というエピソードが 記 されている ファンの 熱 狂 ぶりは 現 代 と 変 わりない 様 子 二 代 目 にしてみれば 迷 惑 な 話 だが このことからもそ の 人 気 のほどがうかがえる 8. 八 代 目 団 十 郎 死 絵 [ 複 製 ] < 寄 別 2-5-1-1> その 美 貌 で 絶 大 な 人 気 を 誇 った 八 代 目 は 32 才 で 自 殺 する とりわけ 女 性 の 人 気 をあつめた 八 代 目 であっただけに 人 間 の 女 性 だけではなく 雌 猫 までがその 死 を 嘆 き 悲 しんだと 言 われた 展 示 資 料 の 中 にも 泣 いている 猫 が 描 かれており どことなく 微 笑 ましい 八 代 目 の 劇 的 な 死 は 伝 説 となり この 他 にも 三 百 種 を 超 える 膨 大 な 死 絵 が 出 版 された しにえ 死 絵 人 気 役 者 が 亡 くなった 時 にその 死 を 惜 しみ 追 悼 する 目 的 で 販 売 された 錦 絵 の 一 種 特 に 八 代 目 の 死 絵 は 事 件 後 争 って 出 版 され 刊 行 を 急 ぐあまりいい 加 減 な 内 容 のものも 多 か った 現 代 の 週 刊 誌 のスキャンダル 記 事 の 競 争 ともよく 似 ている 八 代 目 団 十 郎 死 絵 を 貴 重 書 画 像 データベース でご 覧 になる 場 合 は タイトルに 猿 白 院 成 清 日 田 信 士 と 入 力 して 検 索 してください 9. 世 事 見 聞 録 武 陽 隠 士 著 青 蛙 房 2001.9( 原 本 は 文 化 年 間 頃 刊 ) <GB349-G13> - 3 -
幕 末 の 世 相 や 風 俗 を 記 録 した 資 料 芝 居 が 流 行 の 発 信 源 となり 特 に 女 性 からは 熱 狂 的 に 支 持 さ れていた 一 度 芝 居 を 見 たる 女 は 三 度 の 食 事 に 替 へても 懇 望 いたし 殊 に 年 若 の 女 などは 芝 居 にいけば 親 の 事 も 夫 の 事 も 忘 れ 果 て 歌 舞 伎 は 江 戸 時 代 における 最 大 の 娯 楽 だった 10. 役 者 花 実 論 江 戸 編 [マイクロ 複 製 ] 役 者 評 判 記 リールNo.68 雄 松 堂 出 版 <YD-436> 天 明 年 間 に 五 代 目 団 十 郎 の 評 価 は 飛 躍 的 に 上 昇 した 天 明 2 年 (1782) 刊 行 の 役 者 評 判 記 役 者 花 実 論 では 極 上 上 吉 に 格 付 けされ 花 といえば 桜 役 者 といえば 団 十 郎 のこと と 賞 賛 されてい る この 頃 団 十 郎 が 江 戸 に 誕 生 してからちょうど 100 年 が 経 過 し 代 々 続 いた 団 十 郎 という 役 者 そ のものが 尊 ぶべき 特 別 な 存 在 だと 認 識 されるようになる 役 者 評 判 記 役 者 の 芸 評 芸 の 位 付 けその 他 の 品 評 を 好 劇 家 の 対 談 形 式 で 記 した 書 物 横 本 三 冊 で 京 都 江 戸 大 坂 に 分 けるのが 通 常 11. かわら 版 新 聞 江 戸 明 治 三 百 事 件 : 第 1 巻 平 凡 社 1978.2 <GB341-56> 病 気 で 舞 台 を 休 んでいた 団 十 郎 が 成 田 の 不 動 明 王 のご 利 益 によって 回 復 したことを 報 じたかわ ら 版 役 者 の 病 気 回 復 がこれほど 世 間 を 騒 がせたのも 団 十 郎 の 人 気 ゆえのことだろう 12. 絵 本 夢 の 江 戸 歌 舞 伎 服 部 幸 雄 著 岩 波 書 店 2001.4 <KD484-G32> 江 戸 時 代 に 行 われていた 歌 舞 伎 は 大 衆 娯 楽 の 王 様 であった 当 時 の 人 たちにとって 歌 舞 伎 を 見 に ととの 行 くのは 何 日 も 前 から 当 日 着 ていく 衣 服 を 調 えたり 前 の 晩 嬉 しくて 眠 れず 明 け 方 に 起 きて 化 粧 をしたりするほど 楽 しみなものだった 歌 舞 伎 が 今 よりももっと 人 々にとって 身 近 な 娯 楽 だった 時 代 の 様 子 が 生 き 生 きと 描 かれている 13. 歌 舞 伎 十 八 番 [ 複 製 ] 三 世 歌 川 豊 国 画 恵 比 寿 屋 庄 七 嘉 永 5 年 (1852) 刊 < 寄 別 2-7-2-1> 七 代 目 団 十 郎 が 選 定 した 歌 舞 伎 十 八 番 の 舞 台 図 歌 舞 伎 十 八 番 は 団 十 郎 家 の 得 意 芸 の 集 大 成 でも あり また いかに 団 十 郎 家 が 古 くからつづく 名 門 かということを 世 に 示 すための 権 威 付 けの 役 目 もはたした 助 六 図 の 手 前 : 揚 巻 の 助 六 奥 : 髭 の 意 休 すけろく 吉 原 へ 毎 日 通 い 遊 客 に 喧 嘩 を 売 っては 刀 を 抜 かせる 侠 客 それが 助 六 である 強 い 上 に 男 ともきりまる 前 で 気 風 がよい 人 気 者 だ 実 は 彼 は 源 氏 の 宝 刀 友 切 丸 を 探 すために 喧 嘩 をしていたのであ いきゅう った 友 切 丸 の 持 主 意 休 と 対 決 し 刀 を 取 り 戻 すという 物 語 助 六 の 小 気 味 よい 啖 呵 は 江 戸 っ 子 たちを 大 いに 喜 ばせた 矢 之 根 曽 我 五 郎 時 宗 - 4 -
赤 穂 浪 士 に 限 らず 仇 討 というテーマは 人 気 が 高 い 矢 之 根 は 曽 我 五 郎 十 郎 兄 弟 の 仇 ま ご 討 が 題 材 である 初 夢 に 兄 の 十 郎 が 敵 に 捕 らわれている 姿 を 見 た 五 郎 は 通 りかかった 馬 子 むち の 馬 を 奪 い 馬 につけてあった 大 根 (!)を 鞭 にして 兄 を 救 うために 飛 び 出 していく 正 月 気 分 いっぱいの 芝 居 だ < 明 治 から 平 成 の 団 十 郎 / 九 代 ~ 十 二 代 > 江 戸 から 明 治 への 過 渡 期 歌 舞 伎 の 近 代 化 を 目 指 し 役 者 の 地 位 向 上 を 果 たした 九 代 目 颯 爽 とした 美 男 ぶりと 魅 力 的 な 芸 風 で 海 老 さま ブームをまきおこした 十 一 代 目 現 在 の 劇 壇 で 重 きをなしつつある 現 十 二 代 目 団 十 郎 そして 様 々なメディアで 活 躍 し 未 来 の 十 三 代 目 団 十 郎 として 嘱 目 されている 現 新 之 助 江 戸 時 代 初 期 に 誕 生 した 市 川 団 十 郎 という 名 が 今 も 確 実 に 息 づいていることを 彼 らが 証 明 してくれる 14. 市 川 家 秘 伝 隈 取 図 巻 七 世 市 川 団 十 郎 著 演 芸 珍 書 刊 行 会 大 正 3 <340-30> 15. 明 治 役 者 絵 版 画 帖 明 治 初 期 刊 行 <YDM74900> 九 代 目 団 十 郎 等 明 治 を 代 表 する 役 者 達 の 錦 絵 帳 明 治 期 浮 世 絵 の 特 徴 である 赤 が 印 象 的 16. 団 菊 回 想 録 演 芸 画 報 明 治 42 年 7 月 臨 時 増 刊 号 <YA5-1262> 明 治 36 年 (1903)9 月 に 没 した 九 代 目 団 十 郎 と 同 じ 年 の 2 月 に 没 した 五 代 目 菊 五 郎 を 追 悼 した 特 ふくちおうち いはらせいせいえん せきねしせい 集 記 事 二 人 は 明 治 の 歌 舞 伎 の 黄 金 時 代 を 築 いた 立 役 者 であった 福 地 桜 痴 伊 原 青 々 園 関 根 只 誠 など 当 時 を 代 表 する 芝 居 通 が 執 筆 している すけろくゆかりのえどざくら 17. 歌 舞 伎 十 八 番 助 六 由 縁 江 戸 桜 神 田 国 蔵 編 万 字 屋 錫 太 郎 明 治 17.5 <YDM88616> 歌 舞 伎 十 八 番 の 演 目 のあらすじや 主 要 な 台 詞 を 記 した 絵 入 筋 書 本 18. 歌 舞 伎 十 八 番 : 市 川 団 十 郎 お 家 狂 言 久 保 田 彦 作 紅 英 堂 明 治 16 年 <YDM74797> 19. 演 劇 御 覧 の 事 東 京 日 日 新 聞 [マイクロ 複 製 ] 明 治 20 年 4 月 28 日 <YB-6> 明 治 20 年 (1887)4 月 26 日 から 29 日 の 4 日 間 にわたって 当 時 の 外 相 井 上 馨 の 邸 宅 で 明 治 天 皇 - 5 -
ふくちおうち 皇 后 らを 主 賓 に 招 いての 天 覧 劇 が 催 された その 様 子 を 詳 細 に 記 したこの 記 事 は 福 地 桜 痴 の 筆 に よるものであろう また この 天 覧 劇 は 電 灯 による 照 明 が 用 いられた 最 初 の 演 劇 であることでも 有 名 である 20. 特 集 団 十 郎 襲 名 興 行 をみる 演 劇 界 昭 和 37 年 5 月 <Z11-81> 十 一 代 目 襲 名 興 行 の 舞 台 記 録 海 老 さま ブームを 巻 き 起 こした 九 代 目 海 老 蔵 は 団 十 郎 と いう 名 跡 があまりに 大 きいため 襲 名 を 長 い 間 躊 躇 していた 54 歳 にしてようやく 十 一 代 目 団 十 郎 を 襲 名 する 九 代 目 団 十 郎 没 後 59 年 間 にわたって 空 白 だった 団 十 郎 が ここにようやく 復 活 し た 21. 松 助 芸 談 尾 上 松 助 邦 枝 完 二 著 青 々 堂 出 版 部 1947 <KD487-12> 明 治 20 年 (1887)に 井 上 馨 邸 で 行 われた 天 覧 劇 の 模 様 を 回 想 した 記 事 明 治 の 中 頃 はまだ 封 建 社 会 の 名 残 が 色 濃 く 歌 舞 伎 役 者 も 河 原 者 などといわれその 地 位 は 決 して 高 いものではなかった そ んな 時 代 に 行 われた 天 覧 劇 は 歌 舞 伎 役 者 にとって 破 天 荒 の 快 挙 であり 歌 舞 伎 の 社 会 的 地 位 の 向 みずごり 上 のきっかけとなった 九 代 目 団 十 郎 は 天 覧 劇 にそなえて 水 垢 離 などを 行 ったが 前 日 には 食 事 も 喉 を 通 らなくなり 4 日 間 の 公 演 を 終 えた 後 には 体 重 が 3 貫 目 ( 約 11kg)も 減 っていたという 22. 原 色 日 本 切 手 図 鑑 :1970 年 版 図 鑑 編 集 委 員 会 編 日 本 郵 趣 協 会 1969 <693.8-G29> 昭 和 25 年 (1950)に 日 本 の 文 化 発 展 に 尽 力 した 明 治 以 降 の 偉 人 を 描 いた 文 化 人 切 手 シリー ズが 発 売 された 野 口 英 世 や 福 沢 諭 吉 に 並 んで 九 代 目 団 十 郎 も 選 ばれている 新 時 代 に 相 応 しい 歌 舞 伎 のあり 方 を 模 索 し 役 者 の 地 位 向 上 に 努 めたことが 評 価 された 23. サザエさん 朝 日 新 聞 [マイクロ 複 製 ] 昭 和 28 年 9 月 12 日 <YB-2> 十 一 代 目 団 十 郎 がまだ 海 老 蔵 を 名 乗 っていた 頃 源 氏 物 語 で 光 源 氏 を 演 じて 大 評 判 を 得 世 間 で は 海 老 さまブーム がまきおこった そんな 人 気 絶 頂 のさなか それまで 秘 密 にされていた 妻 子 の 存 在 が 公 になり 新 聞 等 でも 話 題 になった サザエさんにも 取 り 上 げられている 24. 歌 舞 伎 源 氏 物 語 : 十 一 代 目 市 川 団 十 郎 十 二 代 目 市 川 団 十 郎 新 之 助 - 三 代 の 光 源 氏 平 凡 社 2001.12 ( 別 冊 太 陽 ) 25. 市 川 新 之 助 論 <KD481-G100> - 6 -
犬 丸 治 著 講 談 社 2003.3 ( 講 談 社 現 代 新 書 ) <KD487-H4> 昨 年 大 河 ドラマ 宮 本 武 蔵 で 話 題 となった 新 之 助 様 々なメディアに 登 場 し その 名 は 歌 舞 伎 ファン 以 外 にも 広 く 知 られるようになった 今 年 5 月 新 之 助 は 海 老 蔵 になる 十 三 代 目 団 十 郎 への 道 を 一 歩 を 踏 み 出 した 団 十 郎 12 代 の 歴 史 の 上 に これから 彼 がどんな 足 跡 を 残 していく のだろうか 26. 十 一 世 市 川 団 十 郎 石 井 雅 子 著 朝 日 ソノラマ 1981.6 <KD487-55> 石 井 雅 子 撮 影 の 写 真 集 27. 海 老 蔵 から 団 十 郎 へ 十 二 代 目 市 川 団 十 郎 襲 名 薄 井 賢 三 写 真 集 英 社 1985.4 <KD487-76> 薄 井 賢 三 撮 影 十 二 代 目 襲 名 時 の 写 真 集 <KABUKI 海 外 からみた 歌 舞 伎 > 明 治 以 降 日 本 を 訪 れる 外 国 人 の 増 加 とともに 歌 舞 伎 は 世 界 に 広 がっていく 1928 年 の ソビエト 公 演 を 皮 切 りに 海 外 での 歌 舞 伎 上 演 も 盛 んに 行 われている 今 回 の 新 之 助 襲 名 興 行 も アメリカ 巡 業 を 行 った 現 十 二 代 目 団 十 郎 襲 名 興 行 に 続 き パリでも 行 われる 予 定 KABUKI は 世 界 の 人 々の 目 にどのように 映 っているのだろうか 28. Kabuki Drama (Tourist library ; 23) Syutaro Miyake Board of Tourist Industry, Japanese Govt. Railways, 1938 <KD481-A7> 旅 行 者 向 けに 日 本 の 文 化 や 伝 統 芸 能 を 紹 介 したシリーズ 本 書 では 歌 舞 伎 の 成 り 立 ち 劇 場 や 舞 台 装 置 演 技 や 演 出 の 特 徴 などが 簡 単 に 説 明 されている 歌 舞 伎 十 八 番 の 一 つである 助 六 が 有 名 な 演 目 として 紹 介 されている 29. 歌 舞 伎 海 外 公 演 の 記 録 荒 木 千 佳 史 著 松 竹 1992.8 <KD484-E21> 松 竹 株 式 会 社 創 業 百 年 を 記 念 して 出 版 された 歌 舞 伎 海 外 公 演 の 記 録 写 真 はニューヨークのメト ロポリタンオペラハウスで 行 われた 十 二 代 目 団 十 郎 襲 名 公 演 の 時 のもの 30. Le théâtre japonais. A. Iacovleff & S. Elisseeff, Paris, 1933 <Sd-98> 東 京 帝 国 大 学 に 留 学 し 吉 右 衛 門 のファンだったという 日 本 通 の 著 者 の 歌 舞 伎 概 論 挿 絵 が 興 味 - 7 -
深 い 演 技 に 重 点 を 置 いた 研 究 書 である ヤコフレフの 描 いた 役 者 のリアルな 挿 絵 は 躍 動 感 にあふ れ 浮 世 絵 に 描 かれた 歌 舞 伎 を 見 慣 れた 目 にはとても 新 鮮 に 映 る 挿 絵 解 説 残 念 ながら この 本 が 刊 行 された 時 期 は 九 代 目 は 既 に 故 人 で 団 十 郎 不 在 の 空 ほととぎすこじょうのらくげつ 白 期 間 であった 左 頁 は 市 村 右 左 衛 門 右 頁 は 沓 水 鳥 孤 城 落 月 ( 大 阪 城 落 城 の 際 主 家 豊 かつもと 臣 家 を 救 おうとする 片 桐 且 元 の 苦 悩 を 描 いた 芝 居 )の 一 場 面 が 描 かれている 31. 小 泉 八 雲 新 輯 : 第 2 巻 ラフカディオ ハーン 著 田 部 隆 次 編 大 日 本 雄 弁 会 講 談 社 1949 <YD5-H-a930-50> 小 泉 八 雲 はアメリカで 新 聞 記 者 をしていたころ 日 本 の 芝 居 を 随 分 いろいろ 観 に 行 ったらしい 来 日 後 は 人 込 みが 苦 手 なため あまり 観 劇 には 出 かけなかったが 団 十 郎 ( 九 代 目 )の 芝 居 は 良 いから 是 非 見 に 行 くようにと 節 子 夫 人 に 勧 めている 32. Grand Kabuki overseas tours 1928-1993. Shochiku Co. 1994 <KD484-A6> 歌 舞 伎 の 海 外 公 演 は 昭 和 3 年 (1928) 市 川 左 団 次 一 行 のソビエト 公 演 が 最 初 である 戦 前 における 本 格 的 な 海 外 公 演 はこの 1 回 きり 特 に 第 二 モスクワ 芸 術 専 門 劇 場 での 公 演 は 連 日 満 員 の 盛 況 ぶり だった 積 極 的 に 海 外 で 公 演 活 動 が 行 われるようになったのは 昭 和 30 年 (1955) 以 降 のこと 演 目 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 だんまり 娘 道 成 寺 鷺 娘 番 町 皿 屋 敷 修 善 寺 物 語 操 三 番 叟 花 見 踊 鳴 神 鳥 辺 山 心 中 33. Kabuki, the popular stage of Japan Zoë Kincaid,London, 1925 <Ea-26> いはらせいせいえん 海 外 で 初 めて 出 版 された 本 格 的 な 歌 舞 伎 概 論 序 文 からは 筆 者 が 伊 原 青 々 園 や 劇 場 関 係 者 のほか 中 村 歌 右 衛 門 尾 上 梅 幸 といった 役 者 ら 多 数 の 日 本 人 から 助 言 を 得 ていたことがわかる 34. Japanese plays and play-fellows Osman Edwards, London, 1901 イギリスで 出 版 された 歌 舞 伎 能 などの 舞 台 見 物 記 小 泉 八 雲 に 献 じられている <D-17> - 8 -
主 要 参 考 文 献 市 川 団 十 郎 代 々 服 部 幸 雄 著 講 談 社 2002.2 <KD487-G65> 市 川 団 十 郎 研 究 文 献 集 成 中 山 幹 雄 著 高 文 堂 2002.4 <KD1-G34> 歌 舞 伎 国 立 国 会 図 書 館 / 松 竹 株 式 会 社 編 松 竹 株 式 会 社 1952 <774-Ko548k> 江 戸 後 期 歌 舞 伎 資 料 展 目 録 国 立 国 会 図 書 館 編 1981.10 <KD1-44> 歌 舞 伎 人 名 事 典 新 訂 増 補 野 島 寿 三 郎 著 日 外 アソシエーツ 2002.6 <KD2-G67> 歌 舞 伎 名 作 事 典 改 訂 新 版 演 劇 出 版 社 1996.8 <KD481-G11> 団 十 郎 十 二 代 の 略 譜 初 代 1660~1704 正 義 の 味 方 が 隈 取 をし 荒 々しい 立 ち 回 りで 悪 人 をやっつけるという 演 技 のパターン である 荒 事 の 創 始 者 団 十 郎 といえば 荒 事 という 団 十 郎 像 を 作 り 上 げた 人 物 である ま た 初 代 は 演 技 に 卓 越 した 技 量 をみせただけではなく 自 分 の 主 演 する 狂 言 を 自 作 した 今 に 残 る 鳴 神 上 人 や 荒 獅 子 男 之 助 の 原 型 を 作 り 上 げたのも 初 代 である 十 二 代 約 300 年 にわたる 団 十 郎 の 歴 史 は まさにこの 人 物 から 始 まった 二 代 目 1688~1758 二 代 目 は 初 代 の 荒 事 芸 を 引 き 継 ぎ さらに 発 展 させた 人 物 である 助 六 暫 等 後 の 歌 舞 伎 十 八 番 に 含 まれる 多 くの 荒 事 劇 を 創 始 し 江 戸 庶 民 から 絶 大 な 人 気 を 得 た 一 説 に 千 両 役 者 という 称 号 は 二 代 目 団 十 郎 から 始 まったともいわれる その 後 の 江 戸 歌 舞 伎 における 市 川 団 十 郎 家 の 地 位 を 不 動 のものにした 功 労 者 その 他 俳 諧 にも 才 能 を 示 し 当 時 一 流 の 俳 諧 師 である 其 角 とも 交 流 があった 作 品 の - 9 -
一 部 は 没 後 に 出 版 された 柏 莚 狂 句 集 に 収 められている 柏 莚 とは 二 代 目 の 俳 名 三 代 目 1721~1742 三 代 目 は 5 歳 で 二 代 目 の 養 子 になり 7 歳 で 初 舞 台 15 歳 で 二 代 目 存 命 中 に 三 代 目 団 十 郎 を 襲 名 した 三 代 目 に 団 十 郎 の 名 を 譲 った 後 も 海 老 蔵 と 名 を 改 め 舞 台 で 活 躍 しつづけ た 二 代 目 の 庇 護 の 下 順 調 に 技 量 をのばしていった 三 代 目 であったが 22 歳 で 惜 しまれな がら 夭 逝 した 彼 の 早 すぎる 死 により これ 以 後 10 年 余 り 市 川 団 十 郎 の 名 跡 は 途 絶 える こととなる 四 代 目 1711~1778 江 戸 堺 町 の 茶 屋 の 息 子 として 生 まれ 3 歳 で 初 代 松 本 幸 四 郎 の 養 子 となる 24 歳 で 養 父 の 名 を 継 ぎ 二 代 目 松 本 幸 四 郎 となった 敵 役 なかでも 誠 実 な 人 と 見 せかけて 実 は 大 悪 人 であるという 実 悪 の 役 を 得 意 とした やがて 二 代 目 団 十 郎 の 養 子 になり 44 歳 で 四 代 目 団 十 郎 を 襲 名 した 襲 名 当 初 は 四 代 目 の 写 実 的 で 屈 折 した 人 物 表 現 は 初 代 二 代 目 団 十 郎 によって 作 り 上 げられた 明 快 で 楽 天 的 な 荒 事 にはなじまず 江 戸 の 人 々から 団 十 郎 らしくない として 批 判 をうけた しかし この 時 期 大 阪 では 初 代 並 木 正 三 江 戸 には 初 代 桜 田 治 助 という 名 作 者 が 活 躍 し それまでの 単 純 明 快 な 勧 善 懲 悪 だけではない 洒 落 と 写 実 にとんだ 作 品 がうまれていた こうした 時 代 の 流 れの 中 四 代 目 の 芸 風 は 新 しい 団 十 郎 像 として 人 々に 受 け 入 れられていった 66 歳 のとき 突 然 剃 髪 し 引 退 自 宅 が 木 場 にあったことから 木 場 の 親 玉 といわれ 引 退 後 も 劇 壇 に 大 きな 影 響 力 を 持 ちつづけた 五 代 目 1741~1806 四 代 目 の 実 子 である 五 代 目 は 30 歳 の 時 団 十 郎 を 襲 名 した 五 代 目 は 四 代 目 の 芸 風 を 受 け 継 ぎ 実 悪 系 統 の 敵 役 を 得 意 としたが これまでの 団 十 郎 がほとんど 演 じてこなかった 女 形 の 役 や 道 化 役 を 演 じるなど 積 極 的 に 芸 域 を 広 げていった その 背 景 には この 時 代 初 代 中 村 仲 蔵 や 二 代 目 市 川 八 百 蔵 など 写 実 的 な 芸 風 の 役 者 が 人 気 を 博 していたことがあっ たと 思 われる 観 客 の 好 みは 明 らかに 変 わってきていた 五 代 目 もそれは 十 分 に 理 解 し ていたが 団 十 郎 らしく あることを 求 められる 彼 は 仲 蔵 や 八 百 の 様 に 写 実 にはしるこ とはできなかった このような 苦 悩 をかかえながらも 五 代 目 は 常 に 花 の 団 十 郎 であり つづけ 江 戸 歌 舞 伎 界 に 君 臨 した 病 気 がちだったこともあり 51 歳 で 引 退 その 後 は 蜀 山 人 烏 亭 焉 馬 など 当 時 一 流 の 文 人 達 と 交 流 を 深 めた 六 代 目 1778~1799 五 代 目 の 実 子 14 歳 の 若 さで 団 十 郎 を 襲 名 した 若 く 美 しい 花 のある 団 十 郎 として - 10 -
多 くの 人 々から 愛 されたが 22 歳 で 病 没 その 死 を 悼 んで 死 絵 や 出 版 物 が 販 売 された 七 代 目 1791~1895 七 代 目 は 五 代 目 の 孫 にあたる 9 歳 の 時 六 代 目 が 急 逝 し 翌 年 10 歳 で 団 十 郎 を 襲 名 した 七 代 目 が 活 躍 した 時 代 はいわゆる 化 政 文 化 の 絶 頂 期 で 歌 舞 伎 も 大 きな 変 化 の 時 代 であっ た 鶴 屋 南 北 が 筆 を 奮 い 生 世 話 といわれる 社 会 の 最 下 層 にいきる 男 女 の 姿 を 時 には 猥 雑 に 時 には 残 酷 に 描 きだす 狂 言 を 次 々と 生 み 出 した 団 十 郎 はその 南 北 作 の 桜 姫 東 文 章 の 清 玄 釣 鐘 権 助 東 海 道 四 谷 怪 談 の 民 谷 伊 右 衛 門 など 二 枚 目 でありながら 冷 酷 非 道 な 悪 事 を 働 く 色 悪 を 演 じ 新 たな 団 十 郎 像 を 開 拓 した また 現 在 上 演 されてい る 狂 言 の 中 で 最 も 人 気 の 高 い 狂 言 の 一 つ 勧 進 帳 の 初 演 も 七 代 目 である 天 保 13 年 当 時 人 気 絶 頂 にあった 七 代 目 は 身 分 不 相 応 な 奢 侈 の 生 活 を 送 っているとし て 江 戸 追 放 を 幕 府 から 命 ぜられる 以 後 9 年 にわたり 団 十 郎 は 江 戸 を 離 れることになる 9 年 後 許 されて 江 戸 に 戻 った 時 は 人 気 はすっかり 息 子 八 代 目 にうつっていた これ 以 後 再 び 江 戸 を 離 れ 転 々と 各 地 の 芝 居 に 出 演 し 69 歳 で 波 乱 の 生 涯 を 閉 じた 八 代 目 1823~1854 七 代 目 の 長 男 として 誕 生 した 八 代 目 は 生 後 1 ヶ 月 にして 初 舞 台 を 踏 んだ その 後 10 歳 で 団 十 郎 を 襲 名 順 風 満 帆 の 役 者 人 生 のスタートであった しかし 天 保 の 改 革 により 芝 居 小 屋 は 江 戸 の 中 心 から 浅 草 に 強 制 的 に 移 動 させられ 父 七 代 目 は 江 戸 を 追 放 される 歌 舞 伎 は 危 機 的 な 状 況 下 におかれた この 局 面 を 救 ったのが 若 き 八 代 目 の 絶 大 な 人 気 であった 八 代 目 は 美 貌 の 役 者 として 知 られ 特 に 女 性 から 熱 狂 的 な 支 持 をうけた また 明 烏 花 濡 衣 の 時 次 郎 与 話 情 浮 名 横 櫛 の 切 られ 与 三 郎 など 現 在 でも 上 演 される 人 気 狂 言 を 初 演 している 殊 に 切 られ 与 三 郎 役 は 八 代 目 生 涯 の 当 たり 役 であり 作 者 三 代 目 瀬 川 如 皐 の 名 を 不 朽 のものとした 浅 草 移 転 後 一 時 は 火 の 消 えたようになっていた 芝 居 小 屋 も このような 八 代 目 の 活 躍 で 以 前 にも 増 す 賑 わいを 取 り 戻 した だが 悲 劇 は 突 然 おとずれた 大 阪 での 旅 興 行 の 初 日 前 夜 八 代 目 は 自 殺 する 時 に 32 歳 その 原 因 をめぐって 様 々な 噂 が 飛 び 交 ったが 確 実 なことはわかっていない 早 すぎ る 美 貌 の 人 気 役 者 の 死 を 悼 んで 三 百 種 を 超 える 死 絵 が 出 版 され 死 後 もその 人 気 は 長 く 衰 えなかった 九 代 目 1838~1903 七 代 目 の 五 男 として 生 まれた 九 代 目 は 生 後 まもなく 河 原 崎 座 の 座 元 六 代 目 河 原 崎 権 之 助 の 養 子 となり 河 原 崎 長 十 郎 後 には 権 十 郎 と 名 乗 った 名 優 七 代 目 団 十 郎 の 実 子 し かも 座 元 の 養 子 という 立 場 から 青 年 時 代 の 九 代 目 は 常 に 別 格 の 扱 いをうけて 華 やかな 役 を 演 じた 同 時 代 に 活 躍 した 五 代 目 菊 五 郎 とともに 幕 末 江 戸 歌 舞 伎 の 人 気 を 二 分 した 時 代 は 江 戸 から 明 治 に 移 る 河 原 崎 家 から 市 川 家 に 戻 った 九 代 目 は 37 歳 で 団 十 郎 を 襲 - 11 -
名 する これ 以 後 団 十 郎 は 歌 舞 伎 に 大 きな 変 革 をもたらす 従 来 の 歌 舞 伎 の 演 技 演 出 を 大 胆 にかえ 活 歴 物 といわれる 脚 本 の 筋 や 内 容 を 史 実 に 忠 実 に 描 き 小 道 具 衣 装 まで もを 精 確 に 考 証 する 新 しい 歌 舞 伎 を 上 演 した 長 い 間 江 戸 歌 舞 伎 に 親 しんできた 庶 民 から は 反 発 をかったが 九 代 目 は 歌 舞 伎 を 新 時 代 の 高 尚 な 芸 術 に 改 良 するべく 邁 進 した そのかいあって 明 治 20 年 天 覧 劇 が 実 現 する 井 上 馨 邸 で 行 われたこの 歌 舞 伎 公 演 は 明 治 天 皇 皇 后 をはじめとする 皇 族 内 外 の 高 官 が 列 席 し 盛 大 に 行 われた 長 い 間 賤 し められてきた 役 者 の 社 会 的 身 分 がこの 時 公 に 認 められたといえる と 同 時 に それまで 反 体 制 側 にたつ 庶 民 の 演 劇 であった 歌 舞 伎 が 急 速 に 庶 民 の 側 から 離 れていく 象 徴 的 な 出 来 事 でもあった これほど 活 歴 にこだわった 九 代 目 であったが 晩 年 は 再 び 古 典 歌 舞 伎 を 演 じるよう になる 数 々の 大 役 を 見 事 に 演 じ 劇 聖 とまで 称 えられた 十 代 目 1882~1956 十 代 目 は 日 本 橋 の 豪 商 の 次 男 として 生 まれた 名 跡 を 譲 るべき 男 子 に 恵 まれなかった 九 代 目 の 娘 婿 として 市 川 家 に 入 った しかし 九 代 目 は 素 人 出 身 の 十 代 目 に 団 十 郎 の 名 を 継 がせるつもりはなく 十 代 目 が 役 者 として 舞 台 にたつことはなかった だが 九 代 目 没 後 十 代 目 は 突 然 役 者 を 志 し 五 代 目 市 川 三 升 と 名 乗 った しかし 中 年 過 ぎてからの 役 者 修 行 では 役 者 として 大 成 するはずもなく 評 価 は 低 かった また 先 代 九 代 目 があまりに 偉 大 な 役 者 でありすぎたために 人 々の 思 い 出 に 残 る 九 代 目 の 面 影 に 十 代 目 は 苦 悩 することになる そのためか 十 代 目 が 生 前 に 団 十 郎 を 襲 名 することはなく 生 涯 市 川 三 升 の 名 で 通 した 彼 の 死 後 十 一 代 目 団 十 郎 によって 十 代 目 団 十 郎 の 名 跡 が 故 人 に 追 贈 された 十 一 代 目 1909~1965 十 一 代 目 は 七 代 目 松 本 幸 四 郎 の 長 男 として 誕 生 した 30 歳 で 十 代 目 団 十 郎 の 養 子 となり 翌 年 九 代 目 市 川 海 老 蔵 を 襲 名 した 美 男 で 姿 の 良 い 海 老 蔵 は 助 六 源 氏 物 語 等 で 女 性 の 熱 狂 的 な 人 気 をよび 海 老 さま ブームをまきおこした 昭 和 三 十 一 年 十 代 目 が 没 すると にわかに 海 老 蔵 の 十 一 代 目 襲 名 が 世 間 で 取 りざたさ れるようになる 十 代 目 は 生 前 に 団 十 郎 を 襲 名 しなかったため 事 実 上 団 十 郎 の 名 跡 は 50 年 あまり 空 白 のままであった 人 気 実 力 ともに 兼 ね 備 えた 海 老 蔵 の 団 十 郎 襲 名 は 誰 もが 待 ち 望 むところであった 昭 和 三 十 七 年 待 望 の 十 一 代 目 団 十 郎 が 誕 生 する じつに 59 年 ぶりり 団 十 郎 復 活 であった しかし わずか 3 年 後 56 歳 で 没 する 早 すぎるその 死 は 誰 もに 惜 しまれた 十 二 代 目 1946~ 現 団 十 郎 は 十 一 代 目 の 長 男 にあたる 7 歳 で 初 舞 台 11 歳 で 六 代 目 市 川 新 之 助 を 襲 名 - 12 -
する 市 川 家 の 御 曹 司 として 恵 まれた 役 者 人 生 のスタートであったが 19 歳 で 最 大 の 庇 護 者 であり 指 導 者 であった 父 十 一 代 目 を 失 う それ 以 後 様 々な 役 を 演 じ 役 者 としての 実 力 を 備 えていった 昭 和 60 年 38 歳 で 十 二 代 目 を 襲 名 する 襲 名 興 行 はアメリカでも 行 われた 大 らかな 明 るい 芸 風 で 広 く 人 気 を 集 めている 平 成 歌 舞 伎 を 支 える 人 気 役 者 の 一 人 である 国 立 国 会 図 書 館 03(3581)2331-13 -