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Transcription:

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ~ 施 釉 陶 器 の 分 類 年 代 観 とその 歴 史 的 背 景 ~ 西 野 範 子 Vietnamese Ceramics inherited for Tea-ceremony in Japan: Classification, Dating and the Background of the Asian Trade History NISHINO Noriko ベトナムの 窯 業 村 で 生 産 された 陶 磁 器 が 日 本 に 渡 り 茶 道 という 文 化 的 脈 略 の 中 で 使 用 された 所 謂 安 南 と 呼 ばれるそれらのベトナム 陶 磁 器 は 日 本 において 今 で も 大 切 に 伝 世 されており 近 年 では 伝 世 ベトナム 茶 陶 と 同 類 の 陶 磁 器 が 発 掘 調 査 に より 出 土 している 伝 世 茶 陶 および 出 土 資 料 を 包 括 的 に 分 類 し 筆 者 と 西 村 昌 也 のベトナム 陶 磁 の 分 類 と 編 年 研 究 (2005)から 生 産 年 代 を 比 定 した その 結 果 ベトナム 産 茶 陶 の 生 産 年 代 を 14 世 紀 15 世 紀 16 世 紀 前 半 16 世 紀 後 半 ( 第 3 四 半 期 と 第 4 四 半 期 ) 17 世 紀 前 期 に 分 期 し 各 時 期 に 関 する 茶 陶 がもたらされた 国 際 交 易 の 背 景 について 明 らかに した また 朱 印 船 貿 易 時 代 には 日 本 からベトナムへの 注 文 生 産 が 行 われていたこ とが 確 実 で 注 文 生 産 の 仲 介 役 に 和 田 理 左 衛 門 が 関 わった 可 能 性 ついて 文 献 史 と 考 古 学 的 視 点 から 論 証 した キーワード 安 南 焼 ベトナム 陶 磁 茶 陶 朱 印 船 貿 易 鉢 場 (バッチャン) 和 田 理 左 衛 門 はじめに 3-400 年 前 のベトナムの 小 さな 窯 業 村 落 で 当 時 の 技 術 をもって 生 産 された 陶 磁 器 が 船 で 日 本 に 運 ばれることによって 時 の 権 力 者 が 情 念 を 持 って 珍 重 した 高 級 な 茶 陶 となった それらの 茶 陶 は 現 在 ま でも 大 切 に 保 管 され その 伝 来 については 箱 書 等 から 理 解 することが 可 能 なものも 多 い これらのベ トナム 産 茶 陶 をとりまくベトナムおよび 日 本 の 歴 史 的 環 境 を 考 えながら 生 産 年 代 や 流 通 使 用 といっ た 問 題 について 本 稿 で 論 じてみたい 163

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 ベトナム 産 の 茶 陶 に 関 しては すでに 満 岡 西 田 (1984) 1) 西 田 (1993) 2) 林 屋 (1995-96) 3) Cort (1997) 4) 赤 沼 (2002) 5) などの 研 究 論 文 があり 根 津 美 術 館 と 茶 道 資 料 館 では 東 南 アジア 産 の 伝 世 茶 陶 を 精 力 的 に 集 め それぞれ1993 年 2002 年 に 展 覧 会 が 開 催 された 6) 他 町 田 市 立 博 物 館 愛 知 県 美 術 館 徳 川 美 術 館 なども 所 蔵 する 伝 世 ベトナム 陶 磁 を 紹 介 している 7) 各 図 録 には 展 示 品 一 点 ずつに 対 し 伝 来 箱 書 釉 調 文 様 胎 土 重 ね 焼 き 痕 請 来 年 代 年 代 注 文 品 かどうかの 指 摘 等 詳 細 な 解 説 が 記 載 されている しかし 日 本 伝 世 のベトナム 陶 磁 を 包 括 的 に 分 類 し 年 代 比 定 を 行 った 上 で 茶 陶 の 背 景 を 捉 える 研 究 はなく それゆえ 上 述 の 研 究 は 陶 磁 器 の 年 代 比 定 に 1 世 紀 から 2 世 紀 の 年 代 幅 を 持 たせて 論 ぜられてきた 筆 者 らはベトナム 国 内 外 の 発 掘 資 料 や 表 採 資 料 を 包 括 的 に 分 析 し 型 式 や 示 準 資 料 を 参 照 にして 編 年 案 を 提 示 することで 各 陶 磁 器 に 対 して 25~50 年 単 位 で 年 代 を 与 えることを 可 能 にした( 西 村 西 野, 2005 8) : 以 下 西 村 西 野 分 類 と 略 称 ) この 編 年 研 究 を 基 盤 にし 茶 陶 として 伝 世 するベトナム 陶 磁 器 の 年 代 を 分 析 することで 今 までに 明 らかにされなかった 新 しい 結 論 を 提 出 する 伝 世 のベトナム 茶 陶 には 所 謂 安 南 焼 とよばれる 陶 磁 器 と 南 蛮 と 呼 ばれる 焼 締 陶 がある こ の 2 種 は 用 途 が 異 なり 安 南 焼 は 陶 磁 器 自 体 が 商 品 であったのに 対 し 焼 締 陶 南 蛮 は 主 に 商 品 運 搬 のための 容 器 として 使 用 した 後 転 用 されて 茶 陶 となったものである 9) 本 稿 では 前 者 を 中 心 に 論 じ 焼 締 陶 については 別 の 機 会 にしたい 本 論 文 では 伝 世 茶 陶 ( 施 釉 陶 磁 器 )66 点 を 分 類 の 対 象 とし た 本 稿 は 3 章 で 構 成 され 第 1 章 で 伝 世 ベトナム 茶 陶 の 分 類 と 年 代 観 を 提 示 し 第 2 章 で 日 本 出 土 1) 満 岡 忠 成 西 田 宏 子 南 海 陶 磁 と 日 本 世 界 陶 磁 全 集 16 南 海 ( 小 学 館,1984)236-253 頁 2) 西 田 宏 子 南 蛮 島 物 南 海 請 来 の 茶 陶 南 蛮 島 物 南 海 請 来 の 茶 陶 ( 根 津 美 術 館,1993)109-124 頁 3) 林 屋 晴 三 茶 の 湯 の 場 における 請 来 陶 磁 と 和 物 陶 磁 の 交 流 東 洋 陶 磁 vol.25( 東 洋 陶 磁 学 会,1995-96)39-47 頁 4)Louise Allison Cort Vietnamese Ceramics in Japanese Context, Vietnamese Seramics A Separate Tradition, (Art media Resources. John Stevenson and John Guy ed1997)63-83 頁. 5) 赤 沼 多 佳 伝 世 品 に 見 る 南 蛮 茶 道 具 の 様 相 平 成 14 年 秋 季 特 別 展 わび 茶 が 伝 えた 名 器 東 南 アジアの 茶 道 具 ( 茶 道 資 料 館,2002)150-159 頁 6)それらの 展 覧 会 の 図 録 には 根 津 美 術 館 南 蛮 島 物 南 海 請 来 の 茶 陶 ( 根 津 美 術 館,1993)と 茶 道 資 料 館 平 成 14 年 秋 季 特 別 展 わび 茶 が 伝 えた 名 器 東 南 アジアの 茶 道 具 ( 茶 道 資 料 館,2002)がある 7) 徳 川 美 術 館 新 版 徳 川 美 術 館 蔵 品 抄 4 茶 の 湯 道 具 ( 徳 川 美 術 館,2000) 町 田 市 立 博 物 館 ベトナムの 青 花 大 越 の 至 上 の 華 ( 町 田 市 立 博 物 館,2001) 愛 知 県 陶 磁 資 料 館 学 芸 部 学 芸 課 茶 陶 木 村 定 三 コレクション ( 愛 知 県 美 術 館,2006) 等 の 図 録 が 出 版 されている 8) 西 村 昌 也 西 野 範 子 ヴェトナム 施 釉 陶 器 の 技 術 形 態 的 視 点 からの 分 類 と 編 年 10 世 紀 以 降 の 施 釉 碗 皿 を 中 心 に 上 智 アジア 学 23 号 ( 上 智 アジア 学 会,2005)81-122 頁 西 村 西 野 分 類 は 発 掘 で 出 土 例 の 多 い 碗 皿 が 中 心 であり 碗 皿 に 関 しては 詳 細 な 年 代 観 を 与 えることが 可 能 である その 他 の 器 種 に 関 しては 認 識 している 年 代 幅 が 碗 皿 ほど 細 かくはない 9) 焼 締 陶 器 の 中 でも 建 水 に 使 用 されるミースエン 窯 産 の 窯 は 建 水 に 見 立 てられ 商 品 としてもたらされたと 考 えられ ている 森 村 健 一 15-17 世 紀 における 東 南 アジア 陶 磁 器 からみた 当 時 の 日 本 文 化 史 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 研 究 報 告 第 94 集 陶 磁 器 が 語 るアジアと 日 本 ( 吉 岡 康 暢 編,2002)251-275 頁 の263 頁 164

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) の 茶 陶 を 分 析 し 第 三 章 で 所 有 者 や 伝 来 過 程 歴 史 資 料 を 参 照 にしてベトナム 茶 陶 の 生 産 や 流 通 背 景 の 復 元 を 試 みる なお この 研 究 は 既 公 表 論 文 10) から 発 展 させたものである 論 文 の 中 では すべての 陶 磁 に 対 して 写 真 図 版 を 掲 載 することができなかったので 引 用 した 陶 磁 器 の 出 典 に 関 して 下 記 ( 枠 内 )のように 出 展 を 省 略 記 載 した 長 谷 部 楽 爾 1972 年 原 色 日 本 の 美 術 29 請 来 美 術 ( 陶 芸 ) 小 学 館 原 色 : 図 録 番 号 三 上 次 男 編 1984 年 世 界 陶 磁 全 集 16 南 海 小 学 館 南 海 : 図 録 番 号 福 岡 市 美 術 館 1992 年 ベトナムの 陶 磁 福 岡 : 図 録 番 号 根 津 美 術 館 1993 年 南 蛮 島 物 南 海 請 来 の 茶 陶 根 津 美 術 館 根 津 : 図 録 番 号 徳 川 美 術 館 2000 年 新 版 徳 川 美 術 館 蔵 品 抄 4 茶 の 湯 道 具 尾 張 徳 川 : 図 録 番 号 町 田 市 立 博 物 館 2001 年 ベトナムの 青 花 大 越 の 至 上 の 華 町 田 市 立 博 物 館 町 田 : 図 録 番 号 茶 道 資 料 館 2002 年 平 成 14 年 秋 季 特 別 展 わび 茶 が 伝 えた 名 器 東 南 アジアの 茶 道 具 茶 道 資 料 館 茶 道 : 図 録 番 号 愛 知 県 陶 磁 資 料 館 学 芸 部 学 芸 課 2006 年 茶 陶 木 村 定 三 コレクション 愛 知 県 美 術 館 木 村 定 三 コレ: 図 録 番 号 第 1 章 伝 世 ベトナム 茶 陶 の 分 類 1-1. 分 類 の 基 準 まず 茶 陶 として 伝 世 したベトナム 陶 磁 器 を 器 形 高 台 型 式 文 様 釉 調 重 ね 焼 き 技 法 などから 分 類 した 分 類 手 法 は 筆 者 らの 既 出 分 類 案 ( 西 村 西 野 分 類 )と 異 にしないが 伝 世 品 は 完 形 資 料 で あり 陶 磁 器 の 口 縁 形 から 高 台 形 までの 全 形 を 理 解 するという 点 において 高 台 資 料 だけよりも 当 然 な がら 情 報 量 が 多 い また 茶 陶 として 運 ばれたベトナム 陶 磁 には ベトナム 国 内 でもまだ 出 土 例 のない 珍 しい 陶 磁 器 も 多 い よって 伝 世 陶 磁 器 の 中 での 分 類 を 試 みることにした 11) また 年 代 区 分 については 100 年 間 を 2 分 割 する 場 合 前 半 後 半 3 分 割 する 場 合 前 期 中 期 後 期 4 分 割 する 場 合 第 1 四 半 期 ~ 第 4 四 半 期 と 記 述 する 1-2.ベトナム 茶 陶 の 分 類 最 初 に 器 種 ( 茶 碗 建 水 皿 深 鉢 平 鉢 盃 台 水 指 水 注 花 入 茶 入 )で 分 類 し 型 式 や 製 作 技 術 で 細 分 した 茶 道 界 の 器 種 名 は 筆 者 らの 分 類 器 種 呼 称 と 異 なっている 例 えば 茶 碗 に 甌 ( 深 鉢 ) が 含 まれ 建 水 と 短 銅 桶 水 指 と 広 口 壺 茶 入 と 小 壷 というような 違 いが 10)Nishino Noriko Niên đại và vị trí của gốm sứ Việt Nam được sử dụng trong trà đạo Nhật Bả-Căn cứ vào nghiên cứu gốm sứ Việt Nam những năm gần đây qua phương pháp Khảo cổ học, Văn Hóa Phương Đông Truyền thống và Hội nhập, (Nhà xuất bản Hà Nội, trường đại học khoa học xã hội và nhân văn2007)427-432 頁. 11) 但 し 筆 者 は 伝 世 品 を 実 見 したわけではなく 図 録 などの 写 真 資 料 からの 研 究 を 中 心 とする よって 成 形 技 法 な ど 詳 細 に 観 察 できなかったものに 関 しては 図 録 の 説 明 書 きを 参 照 にした 165

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 ある しかし 器 形 分 類 の 枠 組 みとしては 一 致 するため 茶 道 界 での 呼 称 を 分 類 の 大 枠 として 用 いた また 陶 磁 器 の 呼 称 として 茶 道 界 で 用 いられる 安 南 や 染 付 は 考 古 学 では ベトナム 青 花 とう 用 語 を 用 いる 場 合 が 多 い できるだけ 名 前 から 陶 磁 器 そのものが 思 い 描 ける 呼 称 を 用 いるのが よいと 判 断 し 茶 陶 関 係 については 茶 陶 に 呼 称 された 呼 び 名 で 記 載 した 考 古 学 的 脈 略 で 出 土 したベ トナム 陶 磁 のみ 考 古 学 で 普 段 使 用 している 用 語 を 用 いた 1. 茶 碗 12) 茶 碗 A 類 (14 世 紀 半 ばから 後 半 ) 茶 道 73 安 南 白 釉 茶 碗 ( 図 1 ) 根 津 96 安 南 白 釉 茶 碗 外 面 体 部 にヘラ 削 りで 蓮 弁 文 が 描 かれる 2 点 の 高 台 型 式 は 少 し 異 なるが 14 世 紀 半 ばから14 世 紀 後 半 に 位 置 づけられる 白 磁 筒 型 深 鉢 である 見 込 みには 茶 道 73 に 目 跡 が 3 点 根 津 96 には 目 跡 が 4 点 あると いうが 写 真 で 提 示 されておらず その 形 などは 不 明 である 13) ベトナムでは Âu( 甌 )と 呼 ばれ 比 較 的 よ く 見 られるタイプである 図 1 茶 碗 A 類 茶 道 73 ( 図 1 )は 小 堀 遠 州 (1579-1647)の 所 持 品 である 14) 遠 州 は15 歳 ごろより 古 田 織 部 から 茶 道 を 習 い 始 め 21 歳 の 時 に 伏 見 六 地 蔵 屋 敷 にて 本 人 にとって 最 初 と 思 われる 茶 会 を 催 していることか ら 17 世 紀 前 半 にこの 茶 碗 を 所 持 していたことになろう 根 津 96 は 遠 州 蔵 帳 記 載 の 茶 碗 で 内 箱 蓋 表 に 遠 州 が 烏 子 手 15) 唐 茶 碗 と 記 す 神 尾 蔵 帳 に 記 されており 小 堀 権 十 郎 の 筆 で 唐 茶 碗 と 記 している 16) 小 堀 権 十 郎 が 遠 州 の 三 男 であること 神 尾 元 勝 (1591-1667 年 )は 遠 州 に 茶 を 習 ったこと から この 茶 碗 も 茶 道 73 と 同 様 に 小 堀 遠 州 と 関 連 があるのは 間 違 いないだろう 茶 碗 B 類 (15 世 紀 末 ) 根 津 91 安 南 染 付 花 唐 草 文 茶 碗 ( 図 2 ) 根 津 美 術 館 蔵 普 通 の 碗 より 高 い 高 台 をもつもので 高 足 碗 と 筆 者 らは 仮 称 している 西 村 西 野 分 類 の 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 3 類 もしくは H - 4 類 と 同 類 である ベトナムでもよく 出 土 するタイプであり ハイズォン 省 ゴ イ 窯 で 同 類 陶 器 の 生 産 が 確 認 されている( 図 3 ) 菊 花 花 芯 を 渦 巻 き 文 で 描 き 唐 草 文 のツタは 枝 分 かれ 12) 茶 碗 A 類 は ベトナムでは Au( 甌 )と 分 類 されており 西 村 西 野 分 類 には 含 まれていない 13)14 世 紀 の 年 代 を 持 つ 目 跡 は 三 角 形 をしている 14) 茶 道 資 料 館 図 版 解 説 平 成 14 年 秋 季 特 別 展 わび 茶 が 伝 えた 名 器 東 南 アジアの 茶 道 具 ( 茶 道 資 料 館,2002) 255 頁 15) 蔵 帳 のひとつ 神 尾 家 御 道 具 帳 とも 神 尾 備 前 守 蔵 帳 とも 言 われる 井 口 海 仙 末 宗 廣 永 島 福 太 郎 監 修 神 尾 蔵 帳 神 尾 元 珍 神 尾 元 勝 原 色 茶 道 大 辞 典 ( 淡 交 社,1975)223 頁 16) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 図 版 目 録 南 蛮 島 物 南 海 請 来 の 茶 陶 ( 根 津 美 術 館,1993)196 頁 166

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) が 少 なく 簡 単 なタッチで 2 筆 もしくは 3 筆 のみで 描 かれ 葉 は 筆 を 上 下 に 振 って 描 かれる 碗 内 面 の 口 縁 下 部 の 文 様 帯 は 筆 で 押 した 17) だけの 単 純 な 文 様 である ホイアン 沖 沈 船 (15 世 紀 第 三 四 半 期 )の 文 様 と 比 較 して 簡 略 化 されていることが 明 らかである また 器 形 的 には 福 岡 80 や 福 岡 81 と 類 似 するが 茶 碗 B 類 福 岡 80 福 岡 81 の 順 に 体 部 下 部 が 膨 らみを 持 ち 口 縁 部 に 向 かっ て 垂 直 に 立 ち 上 がるように 変 化 しており 時 期 的 変 化 に 対 応 すると 考 える 福 岡 81 の 文 様 は クランアオ 沈 船 出 土 の 青 花 壷 ( 図 4 ) 18) や 湧 田 古 窯 跡 五 彩 碗 の 文 様 と 類 似 する 19) 以 上 のことから 茶 碗 B 類 には15 世 紀 第 4 四 半 期 の 年 代 を 与 えたい 図 2 茶 碗 B 類 図 3 茶 碗 B 類 参 考 ハイズオン 省 ゴイ 窯 址 出 土 図 4 茶 碗 B 類 参 考 クランアオ 沈 船 出 土 図 5 茶 碗 B 類 参 考 沖 縄 湧 田 窯 出 土 茶 碗 C 類 (16 世 紀 前 半 から 半 ば) 根 津 108 安 南 染 付 蓮 弁 文 茶 碗 ( 図 6 ) 松 井 文 庫 蔵 高 台 部 が 擂 られている 20) 高 台 接 地 部 を 堅 いヤスリ 状 の 工 具 で 擂 って 平 らに 削 ったのだろうか ベ トナムでは 高 台 部 が 擂 られたものはまだ 確 認 されていない しかし この 陶 磁 器 に 描 かれた 文 様 は ベトナムの 同 時 期 流 通 品 に 普 遍 的 である 文 様 は 西 村 西 野 分 類 の 輪 状 釉 剥 ぎ H - 4 類 に 属 する 図 7 を 簡 略 化 したものである ホイアン 沖 沈 船 資 料 にも 口 縁 部 下 部 の 外 面 の と 点 々の 文 様 は 存 在 するが 17)1997 年 5 月 から1999 年 6 月 まで クアンナム 省 ホイアン 沖 のクーラオチャム 沈 没 船 から 多 量 の 陶 磁 器 が 収 集 発 掘 された 出 土 資 料 については Nguyễn Đình Chiến, Phạm Quốc Quân Gốm sứ trong năm con tàu cổ 2008 や Butterfields Treasures from the Hoi An Hoard Important Vietnamese Ceramics from a Late 15th /Early 16thCentury Cargo(2000)のサ ンフランシスコとロサンジェルスにおける 展 示 図 録 ( 競 売 用 )に 紹 介 されている 18) 長 嶺 均 第 V 章 出 土 遺 物 沖 縄 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 第 111 集 湧 田 古 窯 跡 (I) 県 庁 舎 行 政 棟 建 設 に 係 る 発 掘 調 査 ( 沖 縄 県 教 育 委 員 会,1993):85 頁 19) 筆 者 の 年 代 観 は ホイアン 沖 沈 船 (15 世 紀 第 3 四 半 期 ) 湧 田 古 窯 赤 絵 碗 (1500 年 前 後 ) クランアオ 沈 船 (16 世 紀 前 期 ) である 20) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16)200 頁 167

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 図 6 茶 碗 C 類 図 7 茶 碗 C 類 参 考 ナムディン 省 バックコック ソムベング 地 点 出 土 図 7 は より 簡 略 化 され 当 類 は 図 7 例 をさらに 簡 略 化 したものである ホイアン 沈 船 よりも 二 段 階 ほ ど 後 出 する 資 料 となる よって 16 世 紀 前 半 から 半 ばに 位 置 づけられるであろう この 茶 碗 は 熊 本 県 の 松 井 文 庫 所 蔵 である 松 井 家 は 代 々 肥 後 細 川 藩 の 筆 頭 家 老 を 務 め 細 川 家 とと もに 文 化 芸 能 に 造 詣 深 い 家 柄 で 初 代 康 之 は 千 利 休 の 高 弟 で 茶 道 に 秀 でていた 八 代 城 は 八 代 海 に 面 し 海 を 渡 れば 天 草 諸 島 長 崎 などとの 交 通 にも 便 利 であり 立 地 から 海 上 交 易 で 栄 えたことを 伺 わせ てくれる 茶 碗 D 類 (16 世 紀 前 半 から 半 ば) 南 海 318/ 根 津 97 安 南 白 釉 茶 碗 逸 翁 美 術 館 蔵 根 津 98 安 南 白 釉 碗 この 類 型 は 器 形 的 には 西 村 西 野 分 類 の 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 4 類 にみられるような 体 部 下 部 の 膨 らみや 口 縁 部 に 向 かって 体 部 がやや 垂 直 に 立 ち 上 がる 形 態 に 類 似 するが 高 台 が 高 いものではない よっ て 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 4 分 類 に 後 出 するタイプであり I - 1 類 の 前 も しくは 同 時 期 に 位 置 づけられ 21) 16 世 紀 前 半 から 半 ばの 年 代 と 比 定 でき る ベトナムで 一 般 的 に 流 通 している( 図 8 ) 南 海 318/ 根 津 97 の 外 面 は 無 文 であるが 内 面 には 見 込 みに 円 圏 線 が 2 本 入 る 根 津 98 は 外 面 および 内 面 にも 呉 須 圏 線 が 描 かれる 双 方 器 形 および 製 作 技 術 が 同 じである 無 地 安 南 といわれる 茶 碗 で 伝 世 するものは 不 思 議 に 同 じような 形 をしていた 22) とあるように このタイプの 碗 が 好 んで 選 ばれ 日 本 に 持 ち 帰 られたのだろう 根 津 98 は 片 桐 石 州 (1605 図 8 茶 碗 D 類 参 考 ナムディン 省 バックコック ソムベング 地 点 出 土 21) 西 村 西 野 前 掲 注 8 )の 分 類 の 中 で 16 世 紀 の 年 代 に 関 しては 細 分 を 要 する 部 分 である 22) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16) 論 文,196 頁 168

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) -1673)が 所 持 していた 茶 碗 E 類 (15 世 紀 後 期 から16 世 紀 初 頭 ) 根 津 95 安 南 色 絵 花 文 茶 碗 器 形 から 判 断 すると 高 足 碗 である 西 村 西 野 分 類 の 輪 状 釉 剥 ぎ H - 3 類 に 近 く 年 代 は15 世 紀 後 期 23) から16 世 紀 初 頭 に 位 置 づけられる 文 様 が 非 常 に 珍 しいもので 他 に 類 を 見 ない 柳 営 御 物 黒 塗 りの 外 箱 蓋 表 に 金 粉 字 形 で 台 徳 院 様 ヨリ 御 拝 領 紅 安 南 蓋 裏 金 粉 字 形 権 現 様 御 遺 物 / 駿 府 御 分 物 物 之 内 と 記 される 茶 碗 F 類 (16 世 紀 中 期 ) 原 色 109/ 南 海 319/ 根 津 94/ 茶 道 72/ 尾 張 徳 川 69 紅 安 南 茶 碗 ( 図 9 ) 徳 川 美 術 館 蔵 この 茶 碗 も 高 足 碗 であるが このタイプの 高 台 形 はベトナムで 出 土 例 がまだない また 文 様 も 他 の 類 例 を 見 たことがない 茶 碗 F 類 は B E 類 よりも 体 部 下 部 が 膨 らみ 高 台 部 が 内 側 に 窄 む 逆 台 形 である 後 出 する 茶 碗 I 類 とは 異 なるという 形 態 差 が 読 み 取 れる 碗 全 面 に 文 様 を 配 置 する 点 や 器 形 から17 世 紀 には 下 らない また17 世 紀 以 降 に は 赤 の 顔 料 は 用 いられなくなる 非 常 に 位 置 づけの 難 しい 資 料 である が 茶 碗 B E 類 よりも 後 出 し 茶 碗 I 類 よりは 遡 ると 考 え 16 世 紀 中 期 に 位 置 づけておきたい 尾 張 徳 川 家 に 伝 来 している 図 9 茶 碗 F 類 (カラー 図 版 170 頁 も 参 照 ) 茶 碗 E F 類 はともに 非 常 に 珍 しい 文 様 で 今 回 確 認 できた 茶 陶 ベトナム 陶 磁 の 中 で 色 絵 茶 碗 は 唯 一 上 記 2 点 のみで 他 には 茶 入 れが 1 点 確 認 できるのみである また 2 点 とも 徳 川 家 が 所 蔵 している ことから 紅 安 南 と 呼 ばれたこの 2 点 は 大 変 珍 重 され 当 時 の 最 高 権 力 者 が 所 持 するような 高 級 品 であったことが 伺 える 茶 碗 G 類 (16 世 紀 後 半 ) 町 田 105 染 付 菊 唐 草 文 茶 碗 ( 図 10) 大 阪 市 立 美 術 館 蔵 ( 田 万 コレクション) 先 に 直 線 で 区 画 し ラマ 式 連 弁 の 描 き 方 内 面 口 縁 下 の 文 様 が 小 さ い 丸 で 表 現 されているという 点 等 において 非 常 に 珍 しい 体 部 下 位 は 張 り 口 縁 径 が 広 く 器 形 的 にも 非 常 にめずらしく 年 代 の 位 置 づ けが 難 しい 資 料 である 見 込 みに 輪 状 の 釉 剥 ぎがあり 高 台 内 が 確 認 できないが 西 村 西 野 分 類 では 高 足 碗 である 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 4 図 10 茶 碗 G 類 23) 徳 川 将 軍 家 に 所 蔵 された 名 物 道 具 家 康 の 修 蔵 が 基 礎 となり 家 光 の 時 代 に 膨 張 した ( 井 口 海 仙 監 修,1975 柳 営 御 物 原 色 茶 道 大 辞 典 淡 交 社 :938 ) 169

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 図 9 茶 碗 F 類 紅 安 南 茶 碗 徳 川 美 術 館 蔵 図 63 鉢 場 (バッチャン) 社 阮 氏 家 譜 北 国 日 本 人 ( 和 田 ) 理 左 衛 門 と 著 170

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 41 水 指 B 類 安 南 絞 手 獅 子 文 耳 付 水 指 図 42 参 考 資 料 燭 台 右 上 福 泰 萬 々 年 之 貮 季 夏 右 下 嘉 林 縣 鉢 場 社 裴 富 多 造 171

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 類 に 近 い 体 部 下 位 が 張 る ユニークな 文 様 という 点 において 16 世 紀 前 半 のベトナム 陶 器 群 よりも 年 代 が 下 る 傾 向 がみられ 16 世 紀 後 半 に 位 置 づけておく 茶 碗 H 類 (17 世 紀 前 半 ) 根 津 107 安 南 染 付 鳥 文 茶 碗 ( 図 11) 根 津 美 術 館 蔵 この 茶 碗 も 珍 しい 資 料 で 年 代 比 定 が 難 しい 見 込 みに 輪 状 の 釉 剥 ぎがある 器 形 は 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 3 4 類 のような 高 足 碗 の 高 台 成 形 技 術 の 同 じ 系 譜 上 に 位 置 づけられるが 器 形 や 呉 須 のにじみ 方 は 17 世 紀 前 半 のものに 類 似 するので 同 時 期 に 位 置 づけておきたい 朽 木 植 昌 伝 来 品 朽 木 稙 昌 は1643 年 に 生 まれ 1714 年 に 死 亡 1660 年 より 茨 城 県 土 浦 藩 主 1669 年 より 丹 波 福 知 山 藩 主 であった 図 11 茶 碗 H 類 茶 碗 I 類 (16 世 紀 後 半 ) 根 津 92 安 南 染 付 花 唐 草 文 茶 碗 根 津 美 術 館 蔵 根 津 110 安 南 染 付 花 文 茶 碗 根 津 美 術 館 蔵 町 田 106 根 津 93 安 南 染 付 人 物 文 碗 大 越 国 銘 ( 図 12)( 財 ) 大 和 文 華 館 蔵 安 南 染 付 大 越 文 字 茶 碗 このタイプの 碗 も 非 常 にめずらしい 高 台 は 高 く 作 出 され 実 見 で きていないが 記 述 からは 重 ね 焼 き 痕 をもたない 高 台 の 製 作 技 術 や 器 形 は 図 14( 輪 状 の 釉 剥 ぎ H - 4 類 )と 類 似 するが このタイプの 碗 は 体 部 に 膨 らみをもたせ 口 縁 部 が 垂 直 に 立 ち 上 がり 碗 の 体 部 は 高 く 作 出 される 文 様 の 割 り 付 け 方 法 が 図 14と 類 似 すれども 各 モ チーフの 形 がそれぞれ 異 なる 根 津 110 の 蔓 草 文 のモチーフは 図 18(ハイズォン 省 のゴイ 窯 址 出 土 碗 :16 世 紀 半 ば)の 蔓 草 文 を 形 式 化 企 画 化 したものであり また 図 12( 町 田 106)の 人 物 画 も 図 13(ゴ イ 窯 址 出 土 碗 :16 世 紀 半 ば)の 人 物 文 と 類 似 している この 類 型 に 属 図 12 茶 碗 I 類 する 4 碗 の 蓮 弁 内 のパルメット 文 は 小 さな 渦 巻 きを 横 に 二 つならべ その 下 に 再 度 渦 巻 や 半 円 が 描 かれている 一 度 筆 を 離 して 描 く 蓮 弁 内 図 13 茶 碗 I 類 参 考 ハイズオン 省 ゴイ 窯 址 出 土 の 花 弁 文 様 の 描 き 方 は 図 15(ゴイ 窯 出 土 皿 )や 図 16( 延 成 萬 々(1578 24) -1585) 年 の 記 念 銘 をもつ 燭 台 )に 類 似 する 根 津 92 の 高 台 外 側 の 半 円 を 重 ねる 文 様 は 図 15の 見 込 みにも 確 認 できる この 類 型 に 属 する 4 点 の 伝 世 茶 碗 は 形 態 や 文 様 の 割 り 付 け 方 法 に 非 常 に 強 い 共 通 性 があり 年 代 的 幅 はそれほどないものと 思 われる 上 述 したゴイ 窯 址 出 土 の 青 花 文 碗 の 後 に 位 置 づけられるものであるが 24)Nguyễn Đình Chiến Cẩm Nang Đồ gốm Việt Nam có minh văn thế kỷ XV-XIX, (Viện bảo tàng, lịch sử Việt Nam 1999)120 頁,N 8 ) 172

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 14 茶 碗 I 類 参 考 ハイズオン 省 バックニン 省 ファーホー 遺 跡 採 集 品 図 15 茶 碗 I 類 参 考 ハイズォン 省 ゴイ 窯 址 出 土 どのくらい 後 に 位 置 づけられるのかが 問 題 である また 延 成 萬 々 年 銘 記 燭 台 の 文 様 との 類 似 性 を 考 えると 16 世 紀 後 半 に 位 置 づけておきたい こ の 類 型 の 碗 は モチーフ 的 には ベトナムのもの しかみられず 注 文 生 産 ではないと 考 える また 図 12の 碗 体 部 にはコバルトで 大 越 国 と 書 かれ ている 1174 年 から1803 年 まで 中 国 歴 代 王 朝 に よるベトナムに 対 する 正 式 な 呼 称 は 安 南 であ った 25) が 自 称 するときは 大 越 と 呼 んだ 26) 図 16 茶 碗 I 類 参 考 燭 台 延 成 萬 々 年 之 初 三 月 三 十 日 黄 造 福 寧 茶 碗 J 類 (16 世 紀 後 半 ) 根 津 111 安 南 染 付 壽 字 茶 碗 ( 図 17) 永 青 文 庫 蔵 根 津 112 安 南 染 付 長 字 文 茶 碗 不 審 庵 蔵 根 津 113 安 南 染 付 藤 花 文 茶 碗 根 津 111 ( 図 17)は 高 台 が 擂 られているが もとは 根 津 112 根 津 113 と 同 じような 高 台 作 りであったと 思 われ 27) 残 存 部 の 施 釉 範 囲 のありかたからも 凹 凸 のある 高 台 であったと 考 える 葉 文 は 図 18から 変 化 し 茶 碗 I 類 の 根 津 110 安 南 染 付 花 文 茶 碗 と 非 常 によく 図 17 茶 碗 J 類 25) 和 田 正 彦 安 南 ベトナムの 事 典 ( 同 朋 社,1999)70 頁 26)ベトナムの 民 族 主 義 を 語 る 際 必 ず 引 用 される 文 章 に 黎 利 の 参 謀 役 阮 廌 の 手 になる 独 立 宣 言 惟 うに 我 が 大 越 は 文 獻 の 邦 たり がある( 八 尾 隆 生 黎 初 ヴェトナムの 政 治 と 社 会 ( 広 島 大 学 出 版 会,2009) 5 頁 しかし 朱 印 船 貿 易 時 代 には トンキン( 東 京 ) 鄭 氏 も 広 南 阮 氏 も 共 に 安 南 の 国 号 を 用 いて 徳 川 将 軍 に 国 書 を 送 っている ( 永 積 洋 子 17 世 紀 中 期 の 日 本 トンキン 貿 易 について 城 西 大 学 大 学 院 研 究 年 報 第 8 号,( 城 西 大 学 大 学 院 経 済 学 研 究 科,1992)22-23 頁 27) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16)201 頁 173

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 類 似 することから 16 世 紀 後 半 に 位 置 づけられる 根 津 113 の 文 様 は 九 州 陶 磁 文 化 館 No.84の 染 付 欧 字 文 ガリポ ット 28) に 描 かれた 草 の 文 様 に 類 似 し 西 洋 のモチーフ 起 源 と 推 測 で きる 高 台 部 に 凹 凸 をつけて 成 形 し 根 津 113 の 外 面 体 部 に 凸 線 が 作 出 される 点 も 非 常 にめずらしい 根 津 112 は 如 心 斎 (1705-51 年 )が 箱 書 する 茶 碗 K 類 (17 世 紀 前 半 ) 伝 世 茶 碗 の 中 では このタイプが 最 も 多 く 11 点 確 認 できた そ のため 器 形 呉 須 文 様 で 茶 碗 K 1 類 と 茶 碗 K 2 類 に 細 分 するこ とが 可 能 となった 茶 碗 K 1 類 根 津 101/ 茶 道 76 安 南 染 付 絞 手 蜻 蛉 文 茶 碗 北 村 美 術 館 蔵 南 海 320/ 根 津 100 安 南 染 付 絞 手 蜻 蛉 文 茶 碗 ( 図 19) 図 18 茶 碗 J 類 参 考 ハイズオン 省 ゴイ 窯 址 出 土 根 津 美 術 館 蔵 根 津 106/ 茶 道 77 安 南 染 付 絞 手 蜻 蛉 文 茶 碗 孤 篷 庵 蔵 根 津 104/ 茶 道 78 安 南 染 付 絞 手 海 老 文 茶 碗 ( 図 20) 大 樋 美 術 館 蔵 根 津 105 根 津 102 安 南 染 付 絞 手 文 字 入 り 茶 碗 安 南 染 付 絞 手 蜻 蛉 文 茶 碗 根 津 103/ 尾 張 徳 川 70 安 南 染 付 絞 手 蜻 蛉 文 茶 碗 徳 川 美 術 館 蔵 茶 道 80 安 南 染 付 絞 手 茶 碗 図 19 茶 碗 K 1 類 図 20 茶 碗 K 1 類 28) 九 州 陶 磁 文 化 館 開 館 10 周 年 記 念 海 を 渡 った 肥 前 のやきもの 展 ( 九 州 陶 磁 文 化 館,2000)74 頁 図 21 茶 碗 K 1 類 参 考 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 出 土 174

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 23 茶 碗 K 2 類 図 22 図 21 資 料 の 実 測 図 茶 碗 K 2 類 茶 道 74 安 南 染 付 鳳 凰 文 茶 碗 ( 図 23) 茶 道 75 安 南 染 付 鳥 文 茶 碗 ( 図 24) 木 村 定 三 コレ75 安 南 遊 漁 文 茶 碗 ( 図 25) 愛 知 県 美 術 館 ( 木 村 定 三 コレクション) 蔵 茶 碗 K 類 は 高 台 接 地 部 以 外 全 面 に 施 釉 され 体 部 下 位 に 膨 らみをもち 体 部 から 口 縁 部 にかけてほぼ 垂 直 に 立 ち 上 がる 口 縁 部 は 外 反 しない 高 台 型 式 では 西 村 西 野 分 類 円 盤 形 トチン B - 5 類 に 所 属 するものである 円 盤 形 トチン B - 5 類 は 細 分 が 可 能 であり K 類 は 円 盤 形 トチン B - 5 類 のなかでも 図 24 茶 碗 K 2 類 初 期 に 位 置 づけられ 17 世 紀 前 半 に 位 置 する 内 面 の 重 ね 焼 き 痕 は 根 津 103 と 茶 道 80 のみに 3 図 25 茶 碗 K 2 類 点 の 目 跡 が 確 認 されている K 1 類 に 関 しては 使 われている 文 様 がベトナム 出 土 品 には 見 られない 成 形 後 に 碗 を 指 で 凹 ませて 口 縁 部 円 形 を 歪 ませるなど 茶 人 好 みの 作 風 であり この 高 台 型 式 において 器 体 上 部 が 筒 形 に 近 い 器 形 は ベトナム 出 土 品 にはない 従 って 多 くの 研 究 者 が 指 摘 したように 注 文 生 産 品 であることは 間 違 いない また 文 様 や 器 形 などから 陶 工 への 注 文 が 細 部 にわたっていたと 理 解 できる 長 崎 市 金 屋 町 出 土 の 茶 碗 ( 図 21 22)は 図 20と 類 似 する 伝 世 茶 碗 と 同 類 品 の 発 掘 例 はこの 1 点 のみである 茶 碗 K 2 に 関 して 文 様 の 自 体 はベトナム 的 であるが 図 23と 図 25は 高 台 部 を 半 円 形 に 切 り 落 として いる 日 本 で17 世 紀 前 期 に 流 行 った 割 高 台 を 注 文 したのだろう 器 形 は 茶 碗 K 2 類 のほうが K 1 類 より 腰 部 に 丸 みをて 口 縁 に 向 かってたちあがる 文 様 や 装 飾 は 茶 碗 K 1 類 に 蜻 蛉 や 海 老 などの 限 られたモチーフが 使 用 されるのに 対 して 茶 碗 K 2 類 には ベトナ ム 出 土 陶 磁 器 にも 見 られるモチーフが 使 用 されている また 茶 碗 K 2 に 描 かれた 圏 線 は 施 釉 されない 部 分 において 褐 色 に 発 色 する 茶 碗 K 1 類 と K 2 類 の 差 異 は 生 産 地 の 違 いによるものと 考 える 175

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 茶 碗 L 類 (17 世 紀 前 半 ) 根 津 99 安 南 染 付 筋 文 茶 碗 ( 図 26) 永 青 文 庫 蔵 この 類 型 の 碗 は ベトナムでもよく 見 られるものだが 当 時 の 高 級 品 であり 出 土 例 は 多 くない 図 27 29) と 類 似 する 中 国 陶 磁 を 模 倣 しているが 中 国 陶 磁 には 漢 文 が 文 様 的 に 描 かれており ベトナムで は 点 文 や+ 文 に 置 き 換 えられている 高 台 接 地 部 は 低 く 擂 られ 輪 状 の 釉 剥 ぎをもつという 30) 施 釉 技 法 文 様 から 17 世 紀 前 半 に 位 置 づけられる 細 川 家 伝 来 図 26 茶 碗 L 類 図 27 茶 碗 L 類 参 考 茶 碗 M 類 茶 道 79 安 南 絞 手 船 人 物 茶 碗 ( 図 28) 木 村 定 三 コレ74 染 付 船 頭 文 碗 ( 図 29) 愛 知 県 美 術 館 ( 木 村 定 三 コレクション) 蔵 南 海 Fig.159 安 南 染 付 舟 人 物 文 碗 高 台 部 が 高 く 台 形 状 に 裾 広 がりに 成 形 されており ベトナムで 確 認 したことがない 大 変 珍 しいタイプであ る この 類 型 の 陶 磁 器 は 3 点 とも 舟 文 が 描 かれてい る この 舟 文 はベトナムの 典 型 的 な 小 舟 であり 図 30 31) や 図 31 32) 等 のように 他 のベトナム 陶 磁 にも 見 られる しかし 茶 碗 M 類 の 場 合 非 施 文 部 を 大 きく 取 り 珍 しい 高 台 形 を 持 つことから 注 文 生 産 の 可 能 性 があろ う 図 28 茶 碗 M 類 29)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long Vietnamese Blue and White Ceramics (Sochial sciences Publishing House, 2001)437 項,no310) 30) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16)197 頁 輪 状 の 釉 剥 ぎであるならば 西 村 西 野 2005 分 類 の 輪 状 の 釉 剥 ぎの 新 しい 類 型 に 加 えなければならない 31)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long 前 掲 注 29)405 頁,no.266 32)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long 前 掲 注 29)434 頁,no.306 図 29 茶 碗 M 類 176

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 30 茶 碗 M 類 参 考 舟 文 碗 図 31 茶 碗 M 類 参 考 舟 文 深 鉢 茶 碗 N 類 ワシントン 美 術 館 所 蔵 F1897.62 西 村 西 野 編 年 の 円 盤 形 トチン B - 3 もしくは C - 1 類 に 属 し 16 世 紀 末 から17 世 紀 前 期 に 位 置 づけら れる Yamanaka and Co.( 山 中 商 会 )よりチャールズ フリーヤーが1897 年 に 購 入 したものであり 日 本 に 新 品 で 購 入 され 明 治 時 代 まで 茶 碗 として 用 いられたと 考 えられる(Louise Cort 私 信 ) 現 在 のと ころ 1 点 のみ 確 認 されており 製 作 年 代 が16 世 紀 末 あるいは17 世 紀 前 期 かで 茶 碗 が 日 本 にもたらされ た 背 景 解 釈 が 変 わるところである 2. 建 水 根 津 125 安 南 染 付 魚 文 建 水 建 水 は 1 点 のみ 確 認 されている 口 縁 が 釉 剥 ぎで 見 込 みに 目 跡 が 三 点 ある 内 側 にトチンを 載 せて 小 さい 陶 磁 器 を 入 れて 口 縁 同 士 を 重 ね 焼 成 したと 考 えられる 外 面 口 縁 下 の 突 帯 は 茶 碗 M 類 の 根 津 113 安 南 染 付 藤 花 文 茶 碗 や 水 指 B 類 の 安 南 染 付 龍 文 耳 水 指 水 指 C 類 の 茶 道 81 82 安 南 絞 手 耳 付 水 指 花 入 でも 見 られる この 器 形 には ベトナムの 焼 締 陶 に 寸 銅 鉢 があるが 施 釉 陶 器 で の 確 認 例 はまだない 3. 皿 (17 世 紀 前 期 ) 南 海 325 染 付 蜻 蛉 文 皿 南 海 327 染 付 鹿 文 輪 花 皿 南 海 329 染 付 笠 文 皿 ( 図 32) 静 嘉 堂 文 庫 美 術 館 蔵 根 津 137 安 南 染 付 絵 替 菊 形 皿 五 枚 木 村 定 三 コレ77 安 南 染 付 蜻 蛉 文 輪 花 皿 ( 図 34) 愛 知 県 美 術 館 ( 木 村 定 三 コレクション) 9 枚 の 皿 が 確 認 されている 口 縁 装 飾 や 文 様 にバリエーション があるが 直 径 19cm 前 後 という 共 通 したサイズで 造 られている 懐 石 料 理 に 用 いるために 同 一 サイズを 要 したのだろう これら 図 32 染 付 笠 文 皿 も ベトナムでは 類 例 のないものであり 注 文 生 産 であろう 第 2 章 で 論 ずるように 京 都 堺 大 阪 177

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 図 34 染 付 蜻 蛉 文 輪 花 皿 図 33 染 付 笠 文 輪 花 皿 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 出 土 長 崎 で 出 土 している 出 土 資 料 には 龍 文 が 描 かれるものが 多 い 図 32( 南 海 329 )の 笠 文 は 文 様 の 割 り 付 け 方 は 異 なるが 金 屋 遺 跡 出 土 染 付 皿 ( 図 33)にも 見 られる 4. 鉢 安 南 326 安 南 染 付 菊 花 唐 草 文 鉢 ( 図 35) 静 嘉 堂 文 庫 美 術 館 蔵 図 35 染 付 菊 花 唐 草 文 鉢 この 鉢 も 1 点 しか 確 認 例 がなく 非 常 に 珍 しい 輪 状 の 釉 剥 ぎを 持 ち 底 部 に 鉄 渋 が 施 され 口 縁 部 が 一 カ 所 のみ 指 で 凹 まされている 注 文 生 産 であろう 5. 平 鉢 (17 世 紀 前 期 ) 茶 道 93 南 海 328 安 南 絞 り 手 平 鉢 安 南 染 付 雲 龍 文 獣 足 平 鉢 ( 図 36) 静 嘉 堂 文 庫 美 術 館 蔵 個 人 蔵 ( 図 37) 木 村 定 三 コレ76 安 南 染 付 鼓 形 平 鉢 ( 図 38) 愛 知 県 美 術 館 ( 木 村 定 三 コレクション) 蔵 178

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 36 染 付 雲 龍 文 平 鉢 図 38 平 鉢 図 37 染 付 平 鉢 この 平 鉢 は 懐 石 の 折 に 焼 物 鉢 として 好 まれた 33) 南 海 328 の 直 径 が24.1cm 茶 道 93 が 直 径 21.1cm と 大 小 あれども 文 様 の 割 り 付 けや 器 形 を 同 じにして 造 られている 4 点 全 てに 共 通 する 口 縁 部 外 周 の 三 つの 丸 文 は 陶 磁 器 の 文 様 としては 珍 しく 家 紋 であろうか 畳 付 のみ 露 体 であるのは 17 世 紀 以 降 の 碗 皿 に 確 認 できる 施 釉 方 法 である 図 36の 見 込 みの 文 様 は 平 鉢 のほうが 丁 寧 に 描 かれてはいるが 次 章 で 述 べる 長 崎 金 屋 遺 跡 や 京 都 堺 で 出 土 した 皿 の 龍 文 と 類 似 する 施 釉 方 法 龍 文 の 様 式 から 17 世 紀 前 期 に 位 置 づけて 問 題 ないだろう 6. 盃 台 (17 世 紀 前 期 ) 茶 道 92 安 南 染 付 龍 文 盃 台 盃 台 も 1 点 のみ 確 認 されており 非 常 に 珍 しい 口 縁 部 平 面 に 点 文 を 施 し 内 面 の 際 に 圏 線 を 施 すな どの 点 で 上 述 した 平 鉢 に 類 似 する 年 代 も 同 時 期 に 推 定 しておく 7. 水 指 水 指 の 伝 世 例 も 多 く 今 回 12 点 確 認 できた 器 形 から A B C D の 4 類 に 分 類 した 33) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14)260 頁 179

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 水 指 A 類 (14 世 紀 ) 肩 に 蓮 弁 が 凸 文 で 施 される 筒 型 の 蓋 付 き 陶 器 で ベトナムでは 蔵 骨 器 として 使 用 されることがある 34) 透 明 釉 が 施 される 根 津 57/ 茶 道 85 安 南 蓮 弁 文 水 指 ( 図 39) 京 都 国 立 博 物 館 蔵 原 色 96/ 根 津 68/ 南 海 p315fig.156 安 南 黄 白 釉 水 指 根 津 美 術 館 蔵 南 海 316 黄 白 釉 蓮 弁 文 耳 付 水 指 図 39( 根 津 57/ 茶 道 85 )は 大 沢 家 が 所 有 していたものである 大 沢 家 当 主 は 平 次 平 蔵 の 船 長 として 乗 船 して 1633 年 に 渡 越 してい 図 39 水 指 A 類 るので その 頃 持 ち 帰 ったものと 理 解 されている 原 色 96/ 根 津 68/ 南 海 南 海 316 は 非 常 に 類 似 した 資 料 であり 双 方 は 根 津 57/ 茶 道 85 よりも 肩 部 に 膨 らみをもつが 口 縁 部 型 式 貼 り 付 け 蓮 弁 文 は 類 似 しており 陳 朝 期 に 位 置 づけられる 資 料 である 水 指 B 類 (17 世 紀 前 期 ) 水 指 B 類 は 筒 型 を 基 本 とした 蓋 付 きの 容 器 で 外 面 には 獅 子 や 龍 などを 貼 花 文 で 施 し 飛 雲 や 珠 文 を 染 付 で 残 りの 空 間 に 余 白 をもたせて 描 かれる 茶 道 83 安 南 絞 手 獅 子 文 耳 付 水 指 茶 道 84 安 南 絞 手 獅 子 文 耳 付 水 指 ( 図 41) 根 津 71 安 南 染 付 龍 文 双 耳 水 指 根 津 美 術 館 蔵 南 海 322/ 根 津 72/ 茶 道 87 安 南 絞 手 龍 文 耳 付 水 指 ( 図 40) 京 都 国 立 博 物 館 蔵 原 色 108/ 根 津 70 妙 心 寺 桂 春 院 蔵 安 南 染 付 雲 文 龍 文 耳 水 指 図 40 水 指 B 類 茶 道 83 と 茶 道 84 ( 図 41)は 獅 子 の 貼 花 文 を 持 つが この 獅 子 文 を 作 った 型 と 類 似 した 型 で 成 形 した 獅 子 文 が 福 泰 萬 々 年 之 弐 季 夏 嘉 林 縣 鉢 場 社 裴 富 多 造 と 刻 まれる 燭 台 に 貼 り 付 けられてい る( 図 42 35) ) この 燭 台 は1643-1649 年 に 嘉 林 県 鉢 場 社 の 裴 富 が 造 っ ている この 燭 台 に 貼 り 付 けられた 蓮 弁 文 も 茶 道 83 の 胴 部 の 蓮 弁 文 と 同 じである この 蓮 弁 文 と 同 様 の 文 様 が 香 跡 寺 細 字 甲 午 年 十 一 月 十 六 日 造 順 安 府 嘉 林 縣 鉢 場 社 裴 富 造 作 の 燭 台 にも 見 られ 1654 年 に 同 じく 裴 富 が 造 っている 36) 陶 器 製 作 用 の 型 は 数 十 年 間 使 用 できるので 獅 子 貼 花 文 の 型 の 使 用 年 代 を1640 年 代 の 前 後 10 年 つ 図 41 水 指 B 類 (カラー 図 版 171 頁 参 照 ) 34) 陳 朝 期 は 禅 宗 をはじめとする 仏 教 がさかんな 時 代 であった 35)Nguyễn Đình Chiến 前 掲 注 24)169 頁,N82 36)Nguyễn Đình Chiến 前 掲 注 24)168 頁,N83,84 180

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 42 水 指 B 類 参 考 (カラー 図 版 171 頁 参 照 ) まり1630 年 代 から1650 年 代 頃 の 間 と 想 定 しておく 茶 道 83 や 茶 道 84 の 水 指 も 裴 富 に 近 い 人 物 による 製 作 であろう 南 海 322/ 根 津 72/ 茶 道 87 原 色 108/ 根 津 70 も 水 指 の 器 形 として 異 なるが 類 似 した 型 から 起 こ した 龍 文 が 貼 り 付 けられていることから 近 い 時 期 に 生 産 されたものであろう 南 海 322/ 根 津 72/ 茶 道 87 ( 図 40)の 水 指 は 末 次 平 蔵 の 船 の 長 として 乗 船 していた 大 沢 家 当 主 四 郎 右 衛 門 が1633 年 の 渡 航 時 に 持 ち 帰 ったという 水 指 B 類 が1630 年 代 にバッチャン 社 で 生 産 された 可 能 性 は 高 いだろう 水 指 C 類 根 津 69/ 茶 道 88 安 南 絞 手 龍 文 耳 付 水 指 ( 図 43) 京 都 国 立 博 物 館 蔵 水 指 B 類 に 属 させることも 可 能 であるが 粗 略 なように 思 われる 37) とあるように 胎 土 も 灰 色 であると 記 される 38) この ような 筒 型 の 蓋 付 き 壺 は ベトナム 国 内 においてそれほど 出 土 するものではないが 龍 文 スタンプ 文 貼 付 文 はベトナム 国 内 流 通 品 にも 見 られるものであり 注 文 生 産 ではないかもしれ 図 43 水 指 C 類 37) 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16)187 頁 38) 所 謂 ベトナムでバットダン( 瓦 質 施 釉 陶 器 )と 呼 ばれる 赤 色 や 灰 色 の 胎 土 に 白 化 粧 を 施 す 資 料 であり 17 世 紀 に 胎 土 が 次 第 に 灰 色 ~ 黒 灰 色 そして 赤 色 となる バットダンの 最 初 期 の 資 料 であろう 181

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 ないので 別 類 型 とした 水 指 B 類 の 原 色 108/ 根 津 70 とは 肩 部 と 口 縁 部 の 器 形 が 類 似 し 外 面 下 部 の 如 意 頭 スタンプ 文 は 薄 くて 見 えにくいが 類 似 している 時 期 的 にも 近 い 年 代 が 考 えられよう 水 指 D 類 水 指 の 体 部 を 球 形 に 作 り 体 部 上 方 に 凸 線 を 2 本 施 し 線 の 間 に 小 さな 花 形 貼 花 文 を 6 ヶもしくは 4 ヶ 並 べている 把 手 として 蜥 蜴 のような 動 物 を 二 カ 所 につけている 茶 道 81 安 南 絞 手 耳 付 水 指 茶 道 82 安 南 絞 手 耳 付 水 指 Louise Allison Cort 1997 39) :Fig.7 安 南 絞 手 耳 付 水 指 この 作 風 の 壺 はベトナムの 伝 統 的 な 器 として 造 られ 日 本 で 水 指 にみたてられたもの 40) とあり 現 代 の 茶 人 からみても 異 国 風 という 印 象 があるのだろう 茶 道 82 と Louise Allison Cort 1997:Fig.7 は 器 形 が 非 常 によく 似 ており 同 時 期 の 資 料 であることが 理 解 できる 貯 蔵 用 の 壺 は 焼 締 め 陶 が 主 に 用 いられ 施 釉 磁 器 製 壺 はベトナム 国 内 においても 出 土 が 稀 である 高 台 内 の 鉄 銹 はこの 時 期 ほとんど 見 られず 明 らかに 高 級 品 であり 注 文 生 産 の 可 能 性 があると 考 える 8. 水 注 南 海 323/ 茶 道 86 安 南 寿 字 水 注 ( 図 44) 京 都 国 立 博 物 館 蔵 同 類 のタイプがベトナムにも 見 られる 41) 貼 り 付 け 文 は16 世 紀 末 から17 世 紀 に 流 行 するが この 水 注 は 大 沢 家 当 主 四 郎 右 衛 門 が 持 ち 帰 ったものであるため 17 世 紀 前 期 に 位 置 づけておきた い 9. 花 入 1 点 1 点 器 形 や 文 様 が 異 なり グルーピングすることが 難 しいが 便 宜 的 に 長 い 胴 部 を 持 つ 花 入 を A 類 器 体 が 3-4 段 で 構 成 され 3 段 目 (もしくは 2 段 目 )が 袋 状 にふくらみをも つ 形 状 のものを B 類 角 瓶 状 のものを C 類 とした 図 44 寿 字 水 注 花 入 A 類 茶 道 69 安 南 染 付 龍 文 花 入 南 海 19 銘 白 衣 ベトナム 陶 磁 器 の 中 でも 大 変 珍 しい 資 料 であり 他 に 類 例 がない ラマ 式 蓮 弁 の 2 3 本 のうちの 1 本 の 線 を 太 く 描 くのは ある 一 時 期 にしか 現 れない トプカプサライ 美 術 館 の 大 和 八 年 (1450 年 ) 銘 を 39)Louise Allison Cort 前 掲 注 4 )72 頁 Fig.7 40) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14),257 頁 41)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long 前 掲 注 29)442 頁,no.319 182

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) もつ 天 球 壷 も 太 いラマ 式 蓮 弁 の 線 がある 4 弁 の 花 弁 をもつ 文 様 は ホイアン 沖 沈 船 にも 見 られ 15 世 紀 後 半 まで 続 く 文 様 であることが 指 摘 できる 足 部 の 波 頭 文 および ラマ 式 連 弁 内 のパルメット 文 様 は 元 染 付 を 模 倣 した 陶 磁 器 に 多 くみられるが 文 様 が 鈍 くなっており 元 染 付 の 模 倣 陶 磁 より 年 代 が 下 る ことが 推 測 できる また このタイプの 波 頭 文 とラマ 式 連 弁 は ホイアン 沈 船 の 陶 磁 器 には 確 認 できな い よって この 花 入 は ホイアン 沈 船 より 遡 り ベトナムで 元 染 付 が 模 倣 される14 世 紀 後 半 の 陶 磁 器 より 年 代 を 下 り 15 世 紀 前 半 に 位 置 づけられる 花 入 B 類 文 様 はそれぞれ 異 なる 根 津 11 安 南 染 付 雲 龍 文 花 入 ( 逸 翁 美 術 館 )は 口 縁 部 に 貼 り 付 けられた 花 弁 ラマ 式 連 弁 の 中 に 渦 巻 文 を 縦 に 繋 げて 渦 巻 きの 外 周 に 点 や 線 を 描 く 文 様 などは 16 世 紀 後 半 に 多 く 見 られる また 龍 文 の 42) 体 部 や 鱗 は 1587 年 を 持 つ 燭 台 のモチーフに 類 似 するため 16 世 紀 後 半 に 位 置 づけてよいだろう 根 津 14 安 南 染 付 花 唐 草 文 双 耳 花 入 ( 香 雪 美 術 館 蔵 )も 珍 しい 資 料 である Bui Minh Tri 2002: 398, no.255と 文 様 の 各 区 画 に 使 われるモチーフが 似 ている 16 世 紀 に 位 置 づけられる 根 津 13/ 茶 道 70 の 安 南 絞 手 龍 文 花 入 および 根 津 12 の 安 南 染 付 龍 文 花 入 は 呉 須 の 滲 み 方 根 津 13 の 貼 花 文 龍 文 の 描 き 方 から17 世 紀 の 初 頭 に 位 置 づけたい 茶 道 71 安 南 絞 手 耳 付 花 入 は 器 形 はやや 異 なるが 根 津 12 の 文 様 構 成 に 類 似 する 龍 文 の 耳 には 緑 釉 が 施 されている 青 花 陶 磁 に 緑 釉 が 施 されることは 大 変 珍 しいが 17 世 紀 前 半 には 燭 台 に 貼 花 文 を 張 り 巡 らし 所 々に 緑 釉 を 施 すスタイルが 流 行 る またビンロウ 樹 の 実 を 噛 むときに 用 いる 石 灰 壺 の17 世 紀 例 にも 緑 釉 が 上 部 にのみ 施 されている 花 入 C 類 南 海 324/ 町 田 109 染 付 狩 猟 文 双 耳 花 生 ( 図 45) 出 光 美 術 館 蔵 町 田 市 立 博 物 館 (2001) 43) が 指 摘 するように 口 縁 下 に 描 かれた 宝 珠 文 は 根 津 87の 安 南 絞 手 龍 文 耳 付 水 指 の 文 様 と 類 似 する また 貼 花 文 は Bui Minh Tri 2001: 434 44) と 類 似 する 17 世 紀 前 期 に 位 置 づけられることで 間 違 いないだろう このような 方 形 の 花 瓶 は ベ トナムには 確 認 できないことから 西 田 (1984)や 町 田 市 博 物 館 (2001)が 指 摘 したように 注 文 生 産 の 可 能 性 が 高 いだろう 10. 茶 入 茶 入 は 4 点 それぞれ 器 形 や 文 様 も 異 なるため 一 点 ずつ 紹 介 する 図 45 花 入 C 類 42)Nguyễn Đình Chiến 前 掲 注 24)130-131 頁 43) 矢 島 律 子 作 品 目 録 ベトナムの 青 花 大 越 の 至 上 の 華 ( 町 田 市 立 博 物 館,2001)102 頁 44)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long 前 掲 注 29) 183

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 根 津 89 安 南 色 絵 花 文 茶 器 ( 赤 絵 小 壷 )は 線 で 区 画 され 六 角 形 の 中 に 描 かれた 草 文 は ホイアン 沈 船 資 料 に 類 似 する 文 様 が 確 認 で きる また 赤 色 で を 描 き その 空 間 に 緑 色 の 点 を 描 くモチーフ や 肩 部 の 蓮 弁 文 もホイアン 沈 船 に 確 認 できる しかし 文 様 はホイ アン 沈 船 資 料 よりも 若 干 簡 略 化 しており 器 形 もホイアン 沈 船 出 土 小 壷 より 肩 部 や 腰 部 の 張 りが 少 ないことから ホイアン 沈 船 よりや や 年 代 の 下 る 資 料 であると 考 えられる またクランアオ 沖 沈 船 資 料 の 赤 絵 の 文 様 ほど 退 化 していないので クランアオ 沖 沈 船 の 年 代 よ りは 年 代 が 遡 るだろう 従 って 15 世 紀 末 から16 世 紀 最 初 期 に 位 置 づけるのがよい 図 46 草 花 文 茶 入 根 津 90 安 南 染 付 文 字 入 り 茶 入 は ベトナムでは 珍 しい 器 形 であり 注 文 生 産 の 可 能 性 が 高 い 呉 須 の 滲 み 方 や 貼 花 文 から17 世 紀 前 期 に 位 置 づけられる 茶 道 89 安 南 絞 手 牛 人 物 文 茶 器 について ベトナムで 風 景 画 が 陶 磁 器 に 頻 繁 に 描 かれるようになるの が16 世 紀 であり また 肩 部 の 波 濤 文 も16 世 紀 にみられる 器 形 としては 大 変 珍 しく 17 世 紀 前 期 に 注 文 生 産 した 可 能 性 も 残 しておきたい 45) 茶 道 90 安 南 絞 手 草 花 文 茶 器 ( 図 46)は 本 来 茶 器 ではなかった 46) と 考 えられている 側 視 した 草 花 を 描 く 文 様 は16 世 紀 にみられるため 16 世 紀 に 見 立 てて 日 本 へ 持 ち 帰 られたか 17 世 紀 の 前 期 に 注 文 生 産 として 作 陶 された 可 能 性 がある 11. 香 炉 茶 道 91 安 南 絞 手 竹 文 香 炉 の 1 点 のみである これも 茶 入 れの 茶 道 90 と 同 じ 根 拠 から 16 世 紀 も しくは17 世 紀 前 期 に 位 置 づけられる 第 2 章 日 本 出 土 のベトナム 茶 陶 の 分 析 伝 世 した 茶 陶 と 同 タイプのベトナム 陶 磁 が 日 本 で 出 土 している それらは すでに 廃 棄 されてしまっ たものである また 伝 世 した 茶 陶 の 中 に 同 タイプの 資 料 は 確 認 できなかったが 出 土 地 点 や 共 伴 遺 物 群 から 茶 陶 として 使 われたと 考 えられるベトナム 陶 磁 器 についても 言 及 する 2-1. 伝 世 したタイプと 同 類 の 茶 陶 1. 白 磁 肩 部 蓮 弁 貼 花 文 壷 ( 水 指 A - 1 類 ) 東 京 大 学 埋 蔵 文 化 財 調 査 室 の 富 山 藩 上 屋 敷 跡 から 白 磁 肩 部 蓮 弁 貼 花 文 壷 が 出 土 している これは 非 45) 今 まで 上 述 してきたすべての 製 品 において 注 文 生 産 品 と 考 えられる 陶 磁 器 が17 世 紀 前 期 であり 16 世 紀 に 確 認 でき ないことから17 世 紀 前 期 の 注 文 生 産 という 記 述 をした 46) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14)259 頁 184

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 常 に 強 く 火 を 受 けており 看 護 婦 宿 舎 地 点 の 第 三 遺 溝 面 巨 大 な 採 土 坑 SK299より 出 土 している この 地 点 は 1639 年 の 富 山 藩 成 立 により 上 屋 敷 に それ 以 前 は 加 賀 藩 の 下 屋 敷 に 含 まれていた SK299の 覆 土 は 一 部 焼 土 層 で 形 成 しており 火 災 の 年 代 は 1683 年 以 前 に 位 置 づけられると 推 定 されている 47) この 白 磁 水 指 が 廃 棄 された 年 代 の 下 限 は1683 年 となる 2. 安 南 染 付 海 老 文 茶 碗 ( 図 21 22: 茶 碗 K 類 ) 伝 世 した 茶 陶 の 中 では 最 も 数 の 多 かったタイプの 茶 碗 であるが 日 本 出 土 例 は 1 点 のみ 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 より 出 土 している 48) 金 屋 遺 跡 出 土 の 茶 碗 ( 図 21 22)は 体 部 から 口 縁 部 にかけて 筒 状 に 成 形 し 口 縁 部 外 反 せず 高 台 部 は 比 較 的 細 く 作 られる 施 釉 後 高 台 接 地 部 が 削 られている 釉 薬 は 焼 成 不 良 ではないのに 発 色 が 悪 い 施 釉 範 囲 および 白 化 粧 の 範 囲 は 高 台 接 地 部 を 除 くすべてであるが 非 常 に 薄 く 施 され 透 明 感 なく 釉 化 されていない 胎 土 は 白 粒 黒 粒 を 含 む 硬 質 な 灰 白 色 である 親 指 によ り 軽 く 一 度 凹 まされる 凹 みが 小 さく 女 性 の 親 指 がはまるほどなので 成 形 したのは 女 性 なのではな いかと 考 える 当 例 は 発 掘 区 B 3 C 3 地 区 から 出 土 しており 17 世 紀 初 頭 を 下 限 とする 層 位 より 出 土 している 49) 3. 安 南 染 付 皿 伝 世 茶 陶 には 9 点 あり 日 本 出 土 の 同 類 資 料 も 確 認 できた 範 囲 で 京 都 市 左 京 三 条 二 坊 十 六 町 に 青 花 龍 文 菊 形 皿 が 1 枚 堺 環 濠 都 市 遺 跡 では 青 花 龍 文 皿 片 と 青 花 龍 文 輪 花 皿 片 が 1 点 ずつ 大 阪 城 でも 青 花 龍 文 皿 が 1 点 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 では 青 花 龍 文 皿 1 点 ( 図 48) 青 花 龍 文 輪 花 皿 2 点 ( 図 47) 青 花 笠 文 皿 1 点 ( 図 33) 計 8 点 に 及 ぶ 50) 支 焼 具 痕 が 見 込 みに 3 点 もしくは 4 点 観 察 される 器 形 は 類 似 する が 文 様 や 口 縁 部 の 装 飾 高 台 部 調 整 においてヴァリエーションがある 最 も 多 く 出 土 が 確 認 できた 金 屋 町 遺 跡 は 長 崎 港 に 隣 接 する 丘 陵 の 一 角 で 港 を 見 下 ろす 高 台 上 にあ たり 海 運 の 利 用 に 良 好 な 位 置 である 1592 年 頃 町 が 建 設 されたが 江 戸 時 代 の 古 地 図 が 残 っていな い 当 該 地 点 の 居 住 者 については 分 かっていないが 近 接 する 箇 所 には 長 崎 の 代 官 職 を 務 めた 村 山 等 安 (?~1619 年 )の 屋 敷 があった 51) 4 枚 の 青 花 皿 については 土 壙 7 (18 世 紀 代 )より 1 点 土 壙 14(17 世 紀 中 葉 から18 世 紀 代 )より 2 点 土 壙 49(16 世 紀 後 半 から17 世 紀 初 頭 )より 1 点 出 土 している 出 土 層 位 は 違 うが 上 述 した 安 南 染 付 海 老 文 茶 碗 を 含 め すべて 発 掘 区 南 西 の 石 垣 に 囲 われた 敷 地 内 から 出 土 47) 成 瀬 晃 司 医 学 部 附 属 病 院 看 護 婦 宿 舎 地 点 発 掘 調 査 略 報 東 京 大 学 構 内 遺 跡 調 査 年 報 1 1996 年 度 ( 東 京 大 学 埋 蔵 文 化 財 調 査 室,1997)21 頁 48) 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 協 議 会 2002 金 屋 町 遺 跡 オフィスメーション( 株 )ビル 建 設 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 報 告 49) 第 Ⅲ 期 を 4 層 相 当 とし 17 世 紀 初 頭 に 起 こった 大 火 後 の 生 活 面 から 3 層 による 整 地 ( 盛 土 )がなされる 以 前 までの 時 期 が 中 心 であり 第 Ⅳ 期 を 5 層 位 かから 地 山 までとし 16 世 紀 末 頃 の 今 町 の 町 建 て 当 初 から17 世 紀 初 頭 に 起 きた 火 災 層 を 用 いた 整 地 の 遺 溝 面 が 中 心 である 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 協 議 会 前 掲 注 48) 50)この 他 にも 同 様 の 絵 柄 皿 が 数 枚 出 土 しており まとまった 出 土 数 を 示 すという( 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 協 議 会 前 掲 注 48)38 頁 51) 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 協 議 会 前 掲 注 48) 1 頁 185

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 することから 廃 棄 年 代 は 異 なれども この 敷 地 内 に 居 住 していた 世 帯 が 使 用 し 伝 世 し 廃 棄 されたものであろう 当 初 は 同 一 人 物 が 所 持 していたであろ うと 推 察 する また 同 じ 敷 地 の 石 囲 い 内 から 53 点 (ベトナム 長 胴 瓶 が52 点 ベトナム 瓶 が 1 点 ) 囲 いの 外 に は ベトナム 長 胴 瓶 が19 点 瓶 が 3 点 出 土 している また 石 垣 外 側 には 印 判 手 碗 1 点 が 出 土 している 居 住 者 は 村 山 等 安 などと 関 係 した 可 能 性 も 考 え られ ベトナム 貿 易 にも 強 く 関 わって いた 人 物 であろう 染 付 皿 は 4 点 共 釉 も 胎 土 も 同 じで ある 52) が 施 釉 範 囲 や 高 台 の 削 り 方 が それぞれ 異 なることが 確 認 できる 例 えば 図 47は 高 台 の 削 りが 角 張 り 外 面 体 部 下 部 まで 施 釉 され 施 釉 範 囲 より 上 部 に 白 化 粧 が 施 される 図 48は 高 台 接 地 部 の 削 りを 細 かく 何 周 も 轆 轤 回 転 を 利 用 して 削 っている 釉 は 高 台 接 地 部 まで 白 化 粧 は 高 台 接 地 部 以 外 全 てに 施 される 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 協 議 会 2002 No.61 53) は 高 台 接 地 部 以 外 全 面 に 白 化 粧 が 施 され 釉 は 体 部 下 部 までのみ 施 される このように 釉 薬 や 白 化 粧 を 施 す 範 囲 や 高 台 削 り の 方 法 が 異 なるということは 一 人 の 陶 工 が 生 産 したものではないことが 理 解 できる 図 47 青 花 龍 文 輪 花 皿 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 出 土 図 49 青 花 龍 文 輪 花 皿 堺 環 濠 都 市 遺 跡 (SKT528 地 点 ) 出 土 図 48 青 花 龍 文 皿 長 崎 市 金 屋 町 遺 跡 出 土 図 50 青 花 龍 文 皿 堺 環 濠 都 市 遺 跡 (SKT 3 地 点 ) 出 土 大 阪 堺 環 濠 都 市 遺 跡 では SKT 3 地 点 において16 世 紀 中 頃 から 後 期 にかけての 遺 溝 から 出 土 した 54) 資 料 52) 釉 は 貫 入 あり 透 明 感 あり やや 灰 黄 緑 色 かかる 胎 土 は 非 常 に 硬 質 で 白 色 粒 を 非 常 に 多 く 含 む 53) 長 崎 市 埋 蔵 文 化 財 協 議 会 前 掲 注 48) 54) 續 伸 一 郎 堺 環 濠 都 市 遺 跡 出 土 のベトナム 陶 磁 近 世 日 越 交 流 史 日 本 町 陶 磁 器 ( 桜 井 清 彦 菊 池 誠 一 編, 2002)286 頁 当 類 型 の 染 付 皿 の 年 代 観 が 筆 者 の 年 代 観 とずれるために 見 直 す 必 要 がある 186

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) として 位 置 づけられている( 図 49 50) 2-2. 茶 陶 に 使 用 したと 考 えられる 日 本 出 土 ベトナム 陶 磁 伝 世 品 としては 確 認 できないが 発 掘 調 査 により 出 土 し 茶 陶 に 使 用 されたと 考 えられるベトナム 陶 磁 について 言 及 する 5 類 が 認 定 でき 16 世 紀 の 初 頭 に 位 置 づけられる 青 花 葉 文 碗 大 分 で 多 く 出 土 す る 白 磁 印 花 碗 大 津 城 出 土 の 青 花 劃 花 印 花 碗 17 世 紀 前 半 に 位 置 づけられる 青 花 龍 文 茶 碗 同 じく17 世 紀 半 に 位 置 づけられ 粗 製 の 青 花 皿 および 鉄 絵 皿 である 1. 青 花 葉 文 碗 ( 図 51 52: 西 村 西 野 分 類 輪 状 釉 剥 ぎ I - 1 及 び I - 2 類 の 同 じ 文 様 のタイプ) 体 部 から 口 縁 部 にかけて 滑 らかに 外 反 するのが 特 徴 的 な 碗 である また 何 より 体 部 に 描 かれた 変 わ った 葉 文 もこの 器 形 にのみ 現 れる 葉 文 の 他 に 鳥 文 もよく 描 かれる ベトナムではよく 出 土 するタイ プであるが 日 本 出 土 例 は 4 点 のみであり 日 本 例 4 点 には 全 てこの 葉 文 が 描 かれている 高 台 部 は 上 部 が 厚 く 下 部 は 細 く 高 台 内 は 垂 直 に 削 られる 釉 は 接 地 部 まで 施 されている 興 味 深 いのは 出 土 地 点 が 鹿 児 島 県 諏 訪 之 瀬 島 切 石 遺 跡 大 分 県 竹 田 市 久 住 町 小 路 遺 跡 長 崎 県 瑞 穂 町 陣 の 内 遺 跡 沖 縄 県 今 帰 仁 の 今 本 地 点 であり 他 ベトナム 陶 磁 の 出 土 地 点 が 大 名 が 所 在 した 遺 跡 や 大 型 港 市 遺 跡 であるのとは 対 照 的 である 陣 の 内 遺 跡 出 土 ベトナム 陶 磁 は 長 崎 県 の 南 部 島 原 半 島 の 北 麓 に 位 置 する 瑞 穂 町 に 属 し 遺 跡 は 有 明 海 から500m しか 離 れておらず 海 が 見 渡 せる 地 点 である 内 外 面 全 域 に 白 化 粧 と 釉 が 高 台 内 には 全 面 にチョコレートボトムを 施 される 輪 状 の 釉 剥 ぎを 持 つ 高 台 接 地 部 は 摩 滅 でつるつるしており よく 使 用 されていたことが 分 かる 当 遺 跡 からはベトナム 陶 磁 の 他 タイのスコータイ 産 陶 磁 器 も 出 土 図 51 青 花 葉 文 碗 鹿 児 島 県 諏 訪 瀬 島 切 石 遺 跡 出 土 図 52 図 51 資 料 の 実 測 図 している 陣 の 内 遺 跡 のすぐ 近 くには 鍵 峰 遺 跡 があり 55) 城 を 築 いた 人 物 との 関 わりも 考 える 必 要 があ 55) 長 崎 県 教 育 委 員 会 長 崎 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 年 報 9 [ 平 成 12 年 度 調 査 分 ] 長 崎 県 文 化 財 調 査 報 告 書 第 164 集 (2002) 187

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 ろう 56) こうじ 小 路 遺 跡 は 大 分 県 竹 田 市 久 住 町 大 字 仏 原 字 小 路 に 所 在 する 遺 跡 の 標 高 は610m 前 後 で 遺 跡 からの 眺 望 が 良 く 南 東 の 芹 川 下 流 方 向 に 遠 く 大 分 県 郡 方 面 を 望 むことができる 小 路 遺 跡 出 土 の 土 師 質 土 器 の 分 析 から 府 内 大 友 城 下 町 で 多 く 出 土 するタイプの 土 師 質 土 器 の 出 土 し 製 作 技 術 が 酷 似 することか ら 大 友 氏 が 管 理 下 におく 土 器 製 作 集 団 が 製 作 したものか もしくは 大 友 氏 の 土 器 製 作 工 房 から 工 人 を 派 遣 して 製 作 したものと 推 定 され 大 友 氏 との 政 治 的 な 結 びつきを 指 摘 している 当 地 域 は 朽 網 氏 が 領 していたが 天 正 14 年 (1586 年 ) 朽 網 氏 は 島 津 軍 の 豊 後 侵 入 の 際 に 島 津 方 についたためその 後 断 絶 す る 考 古 学 的 調 査 の 成 果 から 周 囲 に 小 規 模 な 館 や 寺 院 を 伴 う 地 方 領 主 クラスの 館 であり 館 の 開 始 年 代 は15 世 紀 後 半 代 で 盛 期 が16 世 紀 前 葉 から 中 葉 前 後 までであり 最 終 年 代 が16 世 紀 中 葉 から 後 葉 にか けてで 島 津 軍 の 侵 入 年 代 まで 下 がらない 可 能 性 が 高 い 朽 網 繁 貞 の 時 代 は 大 友 16 代 政 親 17 代 義 右 の 加 判 衆 に 名 を 連 ねており 大 規 模 な 館 造 成 にふさわしい 実 力 者 とされる 繁 貞 の 戦 死 のあとを 継 いだ 親 満 も 加 判 衆 を 努 めたが 20 代 義 艦 の 時 の1516 年 に 朽 網 氏 はいったんと 途 絶 える 入 田 氏 から 養 子 に 入 り 跡 を 継 いだ 鑑 康 も 加 判 衆 になるなど その 実 力 は 島 津 の 豊 後 侵 入 まで 続 く 57) 考 古 学 的 成 果 と 文 献 史 から 大 友 氏 との 関 連 性 が 強 い 館 で その 最 終 年 代 が16 世 紀 中 葉 から 後 葉 にかけてであり 盛 期 が16 世 紀 前 葉 から 中 葉 であることも ベトナム 陶 磁 の 年 代 が16 世 紀 前 半 に 納 まることを 裏 付 けている この 他 華 南 三 彩 や 高 麗 壺 も 出 土 しており 大 友 館 跡 で 出 土 例 と 類 似 する 遺 物 が 出 土 している 諏 訪 之 瀬 島 は 九 州 本 島 から 南 西 に 約 204km の 洋 上 にあり トカラ 列 島 のほぼ 中 央 に 位 置 する 火 山 島 である 切 石 遺 跡 からは 海 に 対 しての 眺 望 が 絶 好 であり 切 石 港 は 古 くからの 船 の 発 着 場 であることを 考 えあわせると 切 石 遺 跡 の 立 地 はまさに 船 による 交 通 を 意 識 した 地 点 に 営 まれていたといえるだろ う 58) 碗 の 出 土 量 が 多 く 明 らかに 茶 陶 だと 考 えられる 天 目 碗 や 唐 津 も 多 く 出 土 しており ベトナム 青 花 碗 も 茶 陶 として 使 用 された 可 能 性 があろう この 3 点 は 九 州 の 地 方 の 地 方 領 主 クラスの 人 物 が 関 わった 地 点 で 出 土 し 少 路 遺 跡 と 諏 訪 瀬 島 の 青 花 碗 においては 共 伴 遺 物 群 から 茶 陶 として 使 用 された 可 能 性 は 十 分 考 えられる また 流 通 は 公 的 なも のではなく 小 規 模 で 私 的 な 交 易 ( 後 期 和 冦 など)であったことが 理 解 できる 2. 白 磁 印 花 碗 ( 図 53 54 55 56) 伝 世 品 としては 1 点 も 確 認 のできなかった 白 磁 印 花 碗 は 豊 後 国 大 友 府 内 から 最 も 多 く 出 土 する こ 32-33 頁 56)16 世 紀 後 半 代 に 機 能 していた 遺 跡 であり 日 本 城 郭 体 系 によると 神 代 貴 茂 の 家 臣 の 鍵 峰 七 郎 の 居 城 といわれる が 鍵 峰 城 跡 とされているところは 宿 城 跡 であり 鍵 峰 城 跡 は 同 遺 跡 の 東 北 東 側 と 考 える 意 見 もあるが 陣 の 内 遺 跡 が 鍵 峰 城 跡 の 近 くであることは 間 違 いないようである 城 が16 世 紀 後 半 に 機 能 していたということは 16 世 紀 前 半 には 相 当 の 富 があったことは 間 違 いないだろう 57) 大 分 県 久 住 町 教 育 委 員 会 小 路 遺 跡 上 屋 敷 遺 跡 県 営 担 い 手 育 成 圃 場 整 備 事 業 都 野 西 部 築 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 II ( 大 分 県 久 住 町 教 育 委 員 会,2000) 4,128-147 頁 ) 58) 熊 本 大 学 文 学 部 考 古 学 研 究 室 諏 訪 之 瀬 島 切 石 遺 跡 熊 本 大 学 文 学 部 考 古 学 研 究 室 研 究 報 告 第 1 集 ( 熊 本 大 学 文 学 部 考 古 学 研 究 室,1994) 1 頁 188

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) れが 茶 陶 として 使 われたであろうことは 坪 根 (2006) 59) に 詳 しく 大 友 宗 麟 の 茶 の 湯 に 関 する 逸 話 は 数 多 く 残 されており 60) その 茶 人 ぶりは 有 名 である また 考 古 学 的 調 査 からは 大 友 府 内 町 跡 南 半 地 域 の 図 53 白 磁 印 花 碗 大 分 県 府 内 12 次 調 査 出 土 図 54 図 53 資 料 の 実 測 図 図 56 図 55 資 料 の 実 測 図 図 55 白 磁 印 花 碗 大 分 市 大 友 府 内 町 跡 第 53 次 調 査 (S200) 出 土 59) 坪 根 伸 也 大 友 府 内 の 茶 の 湯 論 豊 後 国 大 友 府 内 における 出 土 茶 道 具 からみた 茶 の 湯 の 様 相 関 西 近 世 考 古 学 研 究 14 考 古 学 から 見 た 安 土 桃 山 の 茶 の 湯 文 化 ( 関 西 近 世 考 古 学 研 究 会,2006) 60) 坪 根 伸 也 前 掲 中 59)から 大 友 宗 麟 の 茶 の 湯 に 関 するエピソードには 以 下 のようなものが 伺 える 永 禄 2 年 (1559)の 久 我 晴 通 が 宗 麟 に 出 した 書 状 には 宗 麟 の 手 前 を 所 望 したい 旨 が 記 されており 京 都 の 公 家 にま で 茶 の 湯 の 傾 倒 ぶりが 知 られていた( 大 友 家 文 書 大 分 県 史 料 26 諸 家 文 書 補 遺 2 ) 天 正 14 年 (1586) 4 月 には 宗 麟 が 大 坂 城 に 豊 臣 秀 吉 を 訪 ねた 際 に 千 利 休 が 秀 吉 の 問 いに 対 し ( 宗 麟 は)なか なかの 数 寄 者 です と 答 えたことも 宗 麟 の 茶 人 ぶりの 紹 介 によく 引 用 される( 大 友 家 文 書 大 分 県 史 料 33 大 友 家 文 書 録 3 ) 同 時 に 本 人 家 中 の 名 物 蒐 集 も 積 極 的 におこなわれた 弘 治 3 年 (1557)に 毛 利 元 就 が 宗 麟 の 弟 である 大 内 義 長 を 攻 めた 時 元 就 が 義 長 の 処 遇 を 兄 宗 麟 に 問 い 合 わせた 際 に 宗 麟 は 弟 の 助 命 を 請 わず 瓢 箪 茶 入 を 望 んだというエピ ソードものこされている[ 山 口 県 立 美 術 館,1988] この 時 の 瓢 箪 茶 入 が 8 代 将 軍 足 利 義 政 村 田 珠 光 武 野 紹 鴎 大 内 義 隆 大 友 宗 麟 豊 臣 秀 吉 上 杉 景 勝 に 伝 わった 大 名 物 上 杉 瓢 箪 茶 入 である 189

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 ほぼ 全 域 で 茶 道 具 を 確 認 でき 61) 府 内 12 次 調 査 では 天 正 十 四 (1586) 年 の 焼 土 から 三 個 体 以 上 の 白 磁 印 花 文 碗 が 出 土 しており 破 断 面 を 漆 継 ぎにより 補 修 した 痕 跡 があるという 62) この 白 磁 印 花 文 碗 は 大 分 63) の 他 大 阪 京 都 和 歌 山 愛 媛 などで 出 土 する その 出 土 地 点 の 一 つ 堺 の SKT47 地 点 においても 白 磁 印 花 文 は1596~1615 年 の 大 火 面 検 出 層 から 福 建 広 東 窯 系 壷 漳 州 窯 系 方 形 香 合 硯 器 是 と 建 水 唐 津 窯 系 酒 杯 備 前 擂 鉢 ( 懐 石 料 理 用 ) 朝 鮮 王 朝 陶 磁 黄 褐 釉 碗 ( 蕎 麦 茶 碗 )と 共 伴 して 出 土 してい る 64) 今 回 の 伝 世 茶 陶 には 確 認 できなかったが 茶 陶 として 使 用 された 可 能 性 は 高 いだろう 天 正 14 年 に 大 友 宗 麟 が 島 津 氏 からの 圧 迫 による 窮 状 を 豊 臣 秀 吉 に 訴 えた 話 は 有 名 であり 1586 年 に 大 阪 城 で 豊 臣 秀 吉 と 会 見 した 折 りにも 千 利 休 が 中 々 数 寄 ( 西 国 盛 衰 記 )と 大 友 宗 隣 を 評 価 した 65) ことから も 推 測 の 範 囲 内 ではあるが 大 友 氏 が 所 持 する 珍 しい 白 磁 印 花 文 茶 碗 が 秀 吉 などの 手 に 渡 ったことは 十 分 考 えられよう 天 正 13 年 (1585)の 宣 教 師 の 記 録 には 国 主 フランシスコは 何 年 か 前 四 カ 国 が 彼 の 息 子 の 嫡 子 に 服 従 するのを 拒 んで 住 民 が 反 乱 を 起 してからは 貧 しくなったので 日 本 で 非 常 に 珍 重 されている 彼 の 或 る 品 を 売 るため 堺 の 市 に 送 った 66) ( イエズス 会 日 本 報 告 集 第 Ⅲ 期 第 7 巻 ) と あり 1580 年 ごろには 購 入 どころか 所 持 品 を 手 放 さなければならなかった 状 況 が 示 されている つまり 大 分 豊 後 府 内 では1580 年 代 の 遺 構 や 包 含 層 整 地 層 に 白 磁 印 花 文 碗 の 出 土 例 が 集 中 し 同 例 が 出 土 する 和 歌 山 根 来 寺 は1589 年 焼 亡 とされる 67) が 白 磁 印 花 碗 が 大 友 府 内 にもたらされた 時 期 に 関 して 坪 根 (2006)が 示 すように 68) 主 に 第 1 a 期 (1573 年 から1578 年 )もしくはそれ 以 前 に 茶 陶 の 収 集 が 行 われ たのだろう 1586 年 の 島 津 氏 の 侵 攻 により 大 友 氏 が 破 れ 衰 退 の 一 途 をたどることは 有 名 であるが 69) 1578 年 の 日 向 高 城 耳 川 の 闘 いでの 敗 戦 によるダメージは 大 きく 上 述 するような 財 政 難 から 名 物 類 を 手 放 さねばならない 状 況 に 陥 った 70) 江 戸 時 代 に 編 纂 された 大 友 興 廃 記 には 新 田 肩 衝 等 14 点 の 茶 器 と 玉 澗 作 の 絵 画 をはじめとする 絵 画 墨 蹟 19 点 が 宗 麟 所 持 として 記 録 されている 一 方 で こうした 財 力 にまかせた 蒐 集 活 動 も 必 ずしもすべてが 思 惑 どおりに 運 んだのではなかった 博 多 の 島 井 宗 室 が 所 持 していた 楢 柴 肩 衝 を 宗 麟 が 強 く 望 んだが 宗 室 に 断 られ 実 現 していな い( 島 井 家 文 書 福 岡 県 史 近 世 史 料 編 福 岡 藩 町 方 (1)) 61) 坪 根 前 掲 注 59) 62) 吉 田 寛 陶 磁 器 からみた 大 友 南 蛮 貿 易 戦 国 大 名 大 友 氏 と 豊 後 府 内 鹿 毛 敏 夫 編 ( 高 志 書 院 刊,2008)328 頁 63) 吉 田 前 掲 注 62)328 頁 愛 媛 県 湯 築 城 周 辺 の 城 下 町 とされる 道 後 町 遺 跡 で 出 土 しているという 64) 森 村 前 掲 注 9 )263 頁 65) 吉 田 寛 戦 国 期 の 大 名 茶 人 大 友 宗 隣 の 大 友 氏 館 跡 淡 交 第 58 巻 第 5 号,No.712(2002)75-79 頁 66) 文 章 の 続 それは 柘 榴 位 の 大 きさで 小 さく 釉 ぐすりをかけた 茶 碗 で 或 る 種 の 葉 を 挽 いて 粉 にしたものを 入 れるために 用 い 一 般 に 何 かの 度 毎 に 熱 湯 を 加 えて 飲 むためのものである この 貴 重 な 宝 物 のことを 日 本 の 最 大 最 良 の 地 の 領 主 羽 柴 筑 前 殿 が 聞 き 日 本 中 で 有 名 な 器 だったため 非 常 に 欲 しがり その 器 のために 一 万 五 千 クルザ ードを 出 すことにし さらに 好 意 を 示 すためその 代 金 を 非 常 に 遠 い 豊 後 まで 陸 路 山 口 の 国 を 通 って 運 ぶよう 命 じ た 67) 吉 田 前 掲 注 62)328 頁 68)は 都 市 構 造 変 遷 を 0 段 階 から 6 段 階 設 定 し その 第 5 6 段 階 以 降 をさらに 第 Ⅰ a(1573 年 から1578 年 ),Ⅰ b 期 (1578~1586 年 ) 第 Ⅱ 期 (1586~1602) 第 Ⅲ 期 (1602 年 以 降 )に 分 けた 69) 天 正 14 年 (1586 年 ) 府 内 は 島 津 軍 により 悉 く 焼 き 尽 くされたことが 宣 教 師 の 記 録 にあるという 坪 根 伸 也 前 掲 中 59) 70) 坪 根 前 掲 注 59) 190

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 交 易 に 関 しては 吉 田 (2008)に 詳 しく 1540 年 代 から1560 年 代 にかけて 府 内 に 5 度 にわたるポルト ガル 船 の 寄 港 記 録 1550 年 代 に 宗 麟 が 後 期 倭 冦 の 中 国 側 の 首 領 である 王 直 らを 利 用 して 対 密 貿 易 を 実 施 した 試 み 71) 1573 年 に 発 給 された 大 友 氏 奉 行 人 連 署 書 状 から 大 友 宗 麟 らが 南 蛮 貿 易 のために 中 国 南 72) 部 から 東 南 アジア 諸 国 をも 射 程 において 貿 易 船 を 海 外 に 派 遣 していた 事 実 を 指 摘 している つまり 16 世 紀 半 ばから 豊 後 に 白 磁 印 花 文 碗 がもたらされた 可 能 性 が 高 いことがわかる 大 分 で 出 土 している 白 磁 印 花 碗 は 高 台 型 式 および 重 ね 焼 き 技 法 により 2 種 類 が 確 認 できた 一 つは 円 盤 形 トチンを 用 いた 重 ね 焼 き( 図 53 54) もうひとつは 口 縁 重 ね 焼 ( 図 55 56)である 73) 3. 滋 賀 県 大 津 城 出 土 外 面 劃 花 青 花 碗 ( 図 57 58) 外 面 劃 花 青 花 碗 は 滋 賀 県 大 津 城 出 土 より 出 土 している 大 津 城 は 天 正 14(1586) 年 豊 臣 秀 吉 の 命 により 現 在 の 浜 大 津 一 帯 に 築 かれた 城 である 74) このベトナム 陶 磁 は 第 三 包 含 層 (16 世 紀 後 半 から17 世 紀 初 頭 の 年 代 が 与 えられる)より 出 土 している 第 三 包 含 層 は 本 丸 築 城 時 の 埋 め 立 て 土 の 直 上 の 大 津 城 廃 城 後 の 整 地 層 であり 信 楽 平 水 指 (もしくは 建 水 ) 志 野 向 付 瀬 戸 の 天 目 茶 碗 瀬 戸 美 濃 の 水 指 明 染 付 碗 李 朝 平 茶 碗 などの 茶 道 具 が 共 伴 しており このベトナム 外 面 劃 花 青 花 碗 も 茶 道 具 として 用 いられたことが 指 摘 されている 75) ベトナムでも 大 変 珍 しく 日 本 については 大 津 城 が 唯 一 であ る 器 体 は 非 常 に 薄 いのが 特 徴 的 で 釉 は 全 面 にかかるが 口 縁 部 と 高 台 接 地 部 周 辺 は なで ( 削 りではない)により 無 釉 である 外 面 には ヘラ 削 りによる 蓮 弁 刻 花 口 縁 下 部 に 図 57 外 面 劃 花 青 花 碗 滋 賀 県 大 津 城 跡 出 土 2 本 線 のヘラ 削 り 線 が 施 され 内 面 には 花 文 が 比 較 的 鮮 やか な 青 色 のコバルトで 細 い 線 が 丁 寧 に 描 かれている 内 面 中 央 と 口 縁 下 部 にコバルトの 圏 線 が 施 される 高 台 型 式 からは 16 世 紀 後 半 に 位 置 づけられる 共 伴 遺 物 の 土 師 器 皿 20 点 がす べて16 世 紀 後 半 に 位 置 づけられていることから 16 世 紀 後 半 にこのベトナム 青 花 碗 が 使 用 されたことも 間 違 いなかろう 71) 吉 田 前 掲 注 60)337-338 頁 鹿 毛 2006 十 五 十 六 世 紀 大 友 の 対 外 交 渉 戦 国 大 名 の 外 交 と 都 市 流 通 ( 思 文 閣 出 版,2006)より 引 用 72) 吉 田 前 掲 注 62)309-310 頁 図 58 図 57 資 料 の 実 測 図 73)その 違 いが 年 代 差 であると 考 えられ ポルトガル 船 後 期 倭 冦 大 友 宗 麟 の 貿 易 船 という 運 ばれた 手 段 との 関 連 性 も 含 めて 今 後 詳 細 に 研 究 したい 74) 大 津 市 教 育 委 員 会 2003 大 津 市 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 (29) 大 津 城 跡 発 掘 調 査 報 告 書 ー 浜 大 津 公 共 駐 車 場 スカイ プラザ 浜 大 津 建 設 に 伴 うー 大 津 市 教 育 委 員 会 75) 吉 永 眞 彦 大 津 城 跡 1600 年 一 括 茶 陶 関 西 近 世 考 古 学 研 究 会 例 会 2006 年 6 月 24 日 発 表 レジュメ 191

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 4. 大 阪 城 出 土 青 花 龍 文 碗 ( 図 59 60) ベトナム 龍 文 青 花 碗 が 大 阪 城 OF92-18 次 調 査 地 ( 修 道 町 1 丁 目 に 所 在 )より 出 土 している この 碗 は ベトナムでも 多 くは ないが 確 認 でき ハイズォン 省 ホップレー 窯 から 鉄 絵 龍 文 碗 が 出 土 している 76) 17 世 紀 前 期 の 高 級 品 である 龍 文 は 皇 帝 に 関 連 する 陶 磁 器 であると 考 えられている この 龍 文 碗 を 商 人 などが 見 立 てて 持 って 帰 ってきたのだろう その 青 花 碗 は 第 4 b 層 上 面 より 検 出 された SK411 遺 溝 より 出 土 し 同 じ 土 壙 から ベ トナム 焼 締 壷 も 出 土 している 1 時 期 前 の 第 4 c 層 上 面 で 検 出 された SK403は SK411のすぐ 隣 の 遺 溝 であるが 同 遺 溝 から 4 点 のベトナム 中 部 産 長 胴 瓶 と 波 状 文 を 持 つ 球 形 壺 そして 徳 川 初 期 の 国 産 陶 磁 器 や 中 国 陶 磁 が 出 土 している 他 この 敷 地 に 住 んでいた 人 が 海 亀 の 甲 羅 や 鼈 甲 を 扱 っており 薬 種 として 図 59 青 花 龍 文 碗 大 阪 城 出 土 搬 入 されていることから 輸 入 業 を 営 んでいた 可 能 性 が 非 常 に 高 い 77) という 5. 粗 製 のベトナム 青 花 鉄 絵 皿 ( 図 61 62) 石 川 県 の 金 沢 広 坂 遺 跡 において まとまってベトナムの 青 花 皿 が 出 土 した( 図 61) 金 沢 城 の 南 側 に 位 置 する 武 家 屋 敷 であ り この 青 花 皿 は 寛 永 大 火 (1631 年 1635 年 )の 年 代 を 下 限 と する 年 代 のわかる 良 好 な 資 料 である 17 世 紀 前 半 の 居 住 者 に ついて 記 す 資 料 は 残 されていないが 武 家 が 居 住 したことが 推 測 されている 78) 金 沢 城 下 町 の 武 家 屋 敷 で 数 枚 まとまって 皿 が 使 用 されたということは 懐 石 具 として 用 いられたのだろう 他 に 類 似 したタイプの 陶 磁 器 が 長 崎 や 堺 環 濠 都 市 などでも 出 土 している 堺 環 濠 都 市 では 1615~1630 年 に 廃 棄 された 層 より 出 土 している 79) これも 年 代 の 下 限 を1635 年 に 押 さえられる 貴 重 な 資 料 である 図 60 図 59 資 料 の 実 測 図 76)Bui Minh Tri and Kerry Nguyen Long 前 掲 注 29)239 頁,no.231) 77) 大 阪 市 文 化 財 協 会 大 阪 城 跡 Ⅱ 2006 78) 庄 田 知 充 石 川 県 広 坂 遺 跡 高 岡 町 遺 跡 と 出 土 陶 磁 器 ヴェトナム 青 花 などと 産 地 不 明 の 褐 釉 四 耳 壺 貿 易 陶 磁 研 究 (2003)No.23:23-29. 79) 續 伸 一 郎 前 掲 注 54)286 頁 図 61 青 花 鉄 絵 皿 金 沢 広 坂 遺 跡 出 土 192

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 図 62 青 花 鉄 絵 皿 堺 環 濠 都 市 遺 跡 出 土 第 3 章 ベトナム 茶 陶 の 分 析 から 復 元 する 歴 史 的 背 景 第 1 2 章 で 記 した 各 茶 陶 の 年 代 観 を 俯 瞰 すると ベトナム 産 茶 陶 の 生 産 年 代 は 14 世 紀 15 世 紀 16 世 紀 前 半 16 世 紀 後 半 ( 第 3 四 半 期 と 第 4 四 半 期 ) 17 世 紀 前 半 に 分 けることが 可 能 である 以 下 茶 陶 から 明 らかにできた 歴 史 的 背 景 を 論 じたい( 表 1 参 照 ) A.17 世 紀 初 頭 にもたらされた14 世 紀 の 年 代 をもつ 茶 道 具 14 世 紀 以 前 に 位 置 づけられる 茶 陶 には 茶 碗 A 類 の 白 磁 劃 花 蓮 弁 深 鉢 ( 図 1 )と 水 指 A 類 の 白 磁 肩 部 蓮 弁 貼 花 壷 ( 図 39)がある 14 世 紀 に 位 置 づけられる 6 点 は ベトナムでもよく 流 通 した 陶 磁 器 類 であ る 壱 岐 対 馬 大 宰 府 博 多 で14 世 紀 の 陶 磁 器 が 多 量 に 出 土 するが 博 多 で 黄 緑 がかる 透 明 釉 の 外 面 劃 花 連 弁 深 鉢 ( 甌 )が 出 土 する 程 度 で 多 くみられるものではない ベトナムでの 陶 磁 器 の 購 入 はどのように 行 われたのか それを 知 る 良 好 な 資 料 が 京 都 下 鳥 羽 の 大 沢 家 当 主 四 郎 右 衛 門 (~1639)が 一 括 所 持 するベトナム 陶 磁 である( 図 39 40 43 44) すでに 茶 道 資 料 館 が 指 摘 するように 4 点 のうち 連 弁 文 水 指 ( 図 39)は14 世 紀 の 古 作 が 持 ち 帰 られ 他 は17 世 紀 初 頭 の ものであり 安 南 絞 手 龍 文 耳 付 水 指 は 注 文 に 応 えた 作 である 80) 四 郎 右 衛 門 は 末 次 平 蔵 の 船 の 長 として 乗 船 したとされ 1633 年 に 交 趾 に 船 を 出 している 安 南 国 の 洪 郡 公 時 代 である 徳 隆 五 年 (1633 年 八 月 ) の 書 状 によると 四 郎 右 衛 門 光 中 は 洪 郡 公 から 日 本 の 貨 物 を 購 入 するための 銀 を 預 かり 翌 年 それを 届 けたという 81) 同 じ 作 風 の 白 磁 連 弁 水 指 が 現 東 京 大 学 本 郷 キャンパスにあった 富 山 藩 の 上 屋 敷 もしくは 加 賀 藩 の 下 屋 敷 に 比 定 される 敷 地 内 から 出 土 し 1683 年 の 年 代 を 下 限 としている また 14 世 紀 の 白 磁 碗 2 点 のうち 1 点 は 小 堀 遠 州 が 所 持 もう 一 点 は 神 尾 蔵 帳 に 記 載 されたもので 小 堀 遠 州 の 三 男 の 権 十 郎 が 箱 書 している 2 点 の 類 似 する 作 風 のものが 選 ばれて 日 本 にもたらされたの 80) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14):258-259 81) 西 田 宏 子 前 掲 注 2 ):120) 193

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 表 1 ベトナム 茶 陶 の 編 年 案 ( 茶 碗 ) 194

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) だろう 上 述 の14 世 紀 の 年 代 をもつベトナム 陶 磁 は すべて 17 世 紀 のコンテクストをもつため 17 世 紀 にベトナムにおいて14 世 紀 の 古 作 を 茶 道 具 と 見 立 てて 日 本 に 持 ち 運 ばれたのは 間 違 いないだろう B. 徳 川 家 所 蔵 の 非 常 に 稀 なる 高 級 品 15 世 紀 に 位 置 づけられる 陶 磁 器 は 沖 縄 では 多 く 出 土 しているが 日 本 列 島 本 土 での 出 土 例 はない 柳 営 御 物 の 安 南 染 付 龍 文 花 入 は ベトナム 染 付 の 最 盛 期 である15 世 紀 の 中 でも 特 に 稀 なる 高 級 品 である 徳 川 家 所 蔵 品 に 関 しては 他 に 茶 碗 E 類 と 茶 碗 F 類 ( 図 9 )の 紅 安 南 茶 碗 があり これもまだ 他 では 類 を 見 ず 珍 重 品 高 級 品 として 日 本 に 持 ち 運 ばれたことは 間 違 いなかろう 今 回 確 認 できた 限 りで 龍 文 花 入 や 紅 安 南 を 徳 川 家 のみが 所 有 しているということは 非 常 に 限 定 された 入 手 方 法 によるものと 理 解 できる これは 15 世 紀 ~16 世 紀 に 日 本 に 運 ばれたものを 徳 川 家 が 所 持 したか 朱 印 船 貿 易 によ り 骨 董 品 である 珍 重 品 がもたらされたのかのいずれであろう 龍 文 花 入 は 数 奇 者 大 名 であった 土 屋 相 模 守 ( 政 直 1641-1722)から 将 軍 家 に 献 上 されたものであり 82) 17 世 紀 に 請 来 された 可 能 性 も 高 い ま た 紅 安 南 も 当 時 の 最 高 級 の 茶 道 具 を 大 名 などが 徳 川 家 に 献 上 した 可 能 性 もあろう C.16 世 紀 前 半 倭 寇 との 関 連 性 か 後 の 時 代 の 見 立 てか 16 世 紀 前 半 に 位 置 づけられるものは 茶 碗 C 類 の 安 南 染 付 蓮 弁 文 茶 碗 茶 碗 D 類 の 安 南 白 釉 碗 根 津 89 の 安 南 色 絵 花 文 茶 器 そして 長 崎 雲 仙 の 陣 の 内 遺 跡 大 分 竹 田 市 小 路 遺 跡 鹿 児 島 諏 訪 之 瀬 島 切 石 遺 跡 今 帰 仁 今 本 地 点 で 出 土 した 青 花 葉 文 碗 が 挙 げられる 伝 来 由 来 の 分 かるものが 八 代 の 松 井 家 の 茶 碗 そして 出 土 地 が 分 かるものが 今 帰 仁 の 1 点 の 他 はすべて 九 州 である 16 世 紀 半 ばには 倭 寇 に よる 密 貿 易 が 指 摘 されており 83) これらのベトナム 陶 磁 の 流 通 も 倭 寇 による 小 規 模 な 限 られた 交 易 によ る 可 能 性 があろう まだ 安 南 焼 と 名 づけられなかった 頃 から 先 駆 けて 九 州 で 茶 道 具 として 使 用 され た 可 能 性 もあろう D. 高 台 が 擂 られた 茶 碗 について 細 川 家 と 松 井 家 の 関 係 今 回 扱 ったベトナム 茶 陶 の 中 で 図 6 ( 茶 碗 C 類 の 安 南 染 付 連 弁 文 茶 碗 : 根 津 108 ) 図 17( 茶 碗 J 類 の 安 南 染 付 壽 字 茶 碗 : 根 津 111 ) 図 26( 茶 碗 L 類 の 安 南 染 付 筋 文 茶 碗 : 根 津 99 )の 3 点 のみ 高 台 が 擂 られている 84) ベトナムでの 高 台 型 式 には 見 られないものであり 非 常 に 珍 しい 高 台 成 形 後 施 釉 後 に 糸 切 りなどで 削 られた 可 能 性 よりは 西 田 鈴 木 が 指 摘 するように 擂 られた のだろう この 3 点 に 関 する 非 常 に 興 味 深 い 点 は 図 6 が 松 井 家 伝 来 図 17と 図 26が 細 川 家 伝 来 ということである 八 代 城 主 である 松 井 家 は 肥 後 細 川 藩 の 筆 頭 家 老 を 務 め 細 川 家 とともに 文 化 芸 能 に 造 詣 深 い 家 柄 であった 82) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14)254 頁 83) 中 島 楽 章 桃 木 至 朗 交 易 時 代 の 東 東 南 アジア 海 域 アジア 史 研 究 入 門 ( 桃 木 至 朗 編 岩 波 書 店,2008)90-97 頁 84) 根 津 96 の14 世 紀 に 位 置 づけられる 安 南 白 釉 茶 碗 も 高 台 は 擂 られている( 西 田 宏 子 鈴 木 裕 子 前 掲 注 16):196)と あるが 14 世 紀 の 深 鉢 (Au)に 分 類 される 高 台 型 式 にこの 資 料 のように 低 い 高 台 をもつものがあり 実 見 していな いので 断 定 はできないが 擂 られていない 可 能 性 がある 195

周 縁 の 文 化 交 渉 学 シリーズ 1 東 アジアの 茶 飲 文 化 と 茶 業 という これらの 茶 碗 3 点 は 細 川 家 と 松 井 家 の 非 常 に 強 い 繋 がりを 示 す 物 的 証 拠 である また どち らかは 分 からないが 細 川 家 松 井 家 の 好 みの 現 れでもあり 入 手 した 茶 碗 にさらに 手 を 加 えて 自 分 の 好 みにした 図 6 が16 世 紀 前 半 図 17が16 世 紀 後 半 図 26が17 世 紀 前 半 であり 同 時 に 高 台 接 地 部 を 低 く 平 らに 削 ったならば17 世 紀 前 半 以 降 だろう E. 大 友 宗 麟 が 所 持 した 白 磁 印 花 碗 嘉 靖 36(1557) 年 頃 沿 岸 の 海 賊 討 伐 の 助 力 を 契 機 に ポルトガル 人 はマカオへの 定 住 とこの 地 での 公 益 活 動 を 許 可 された 85) また 1540 年 代 から1560 年 代 のポルトガル 船 の 府 内 への 寄 港 記 録 1550 年 代 の 後 期 倭 冦 を 利 用 の 可 能 性 大 友 宗 麟 の 貿 易 船 による 交 易 の 事 実 などから 宗 麟 が 九 州 という 立 地 の 優 位 性 を 生 かして 海 外 の 情 報 をいち 早 くキャッチして 実 行 していたことがわかる 次 の F で 示 す 交 易 の 拡 大 以 前 に 宗 麟 は 独 自 のルートで 海 外 とのつながりを 持 っていた 大 阪 城 堺 京 都 和 歌 山 で 出 土 している 印 花 白 磁 碗 が 大 分 から 運 ばれた 可 能 性 も 高 いのではないだろうか F.16 世 紀 第 4 四 半 期 の 交 易 の 活 発 化 と 好 みの 変 化 16 世 紀 末 にはポルトガル 人 が 広 東 福 建 沿 岸 で 密 貿 易 に 参 入 し やがて 寧 波 近 海 の 双 嶼 にポルトガル 人 中 国 人 日 本 人 が 結 集 し 密 貿 易 の 一 大 拠 点 が 出 現 し さらには 後 期 倭 寇 がかえって 東 南 沿 海 に 拡 大 していった 86) つまり 16 世 紀 末 にベトナム 陶 磁 がまとまって 日 本 に 運 ばれる 背 景 があったよう だ 茶 碗 G 類 茶 碗 I 類 の 高 足 碗 茶 碗 J 類 の 安 南 染 付 壽 字 茶 碗 花 入 B 類 安 南 染 付 雲 龍 文 花 入 ( 根 津 11) 安 南 染 付 唐 草 文 双 耳 花 ( 根 津 14)らが その 時 代 に 運 ばれたものだと 考 える 谷 は 詳 細 な 茶 会 記 の 研 究 から 天 正 年 間 に 茶 人 の 道 具 使 用 に 大 きな 変 化 があり 天 正 14 年 (1586 年 ) 前 後 をその 画 期 とし 背 景 に 利 休 によって 主 導 された 新 しい 数 寄 理 念 による 茶 道 具 に 対 する 評 価 替 があったことを 指 摘 している 87) 東 山 名 物 を 初 めとした 唐 物 嗜 好 から 和 物 や 朝 鮮 陶 磁 への 変 化 であ る 88) そのような 茶 人 の 嗜 好 の 変 化 の 時 期 と 国 際 交 易 の 東 南 アジア 地 域 への 拡 大 と そしてベトナムで 茶 人 好 みの 染 付 が 生 産 されていたという 偶 然 性 が 重 なって もたらされたものがこの 時 期 の 茶 陶 であろ う G. 朱 印 船 貿 易 時 代 のベトナム 茶 陶 17 世 紀 前 期 朱 印 船 貿 易 時 代 のベトナム 茶 陶 がもっとも 多 く 伝 世 しており この 時 代 の 盛 んなベトナ ムとの 密 接 な 交 易 関 係 が 伺 える 85) 矢 野 仁 一 1928:100 岡 美 穂 子 2008 ヨーロッパ 勢 力 の 台 頭 と 日 本 人 のアジア 進 出 海 域 アジア 史 研 究 入 門 桃 木 至 朗 編 岩 波 書 店 :98-106より 引 用 86) 中 島 桃 木 前 掲 注 83)91 頁 87) 谷 晃 2001 茶 会 記 の 研 究 ( 淡 交 社,2001) 88) 谷 晃 前 掲 注 79)199 頁 196

日 本 の 伝 世 ベトナム 茶 陶 ( 西 野 ) 1 ) 注 文 生 産 された 茶 碗 の 形 今 回 指 摘 した 注 文 生 産 品 とされる 安 南 染 付 茶 碗 茶 碗 K 類 ( 図 19 20) 茶 碗 N 類 ( 図 23 24 25) は 注 文 生 産 品 であり ベトナム 国 内 で 流 通 しているタイプと 器 形 が 異 なることは 既 に 述 べた これら に 共 通 するのは 筒 形 の 所 謂 半 筒 茶 碗 であることである 日 本 の 桃 山 から 江 戸 時 代 の 志 野 や 織 部 楽 茶 碗 京 焼 きなどといった 茶 碗 の 多 くが 口 縁 部 を 直 行 させる 筒 型 の 形 をしていることから これら のベトナム 陶 磁 器 も 筒 形 を 意 識 して 注 文 されたのだろう また 碗 の 円 形 を 故 意 に 歪 ませることや 割 高 台 は 当 時 の 日 本 人 の 茶 人 の 好 みや 流 行 を 大 いに 反 映 している ベトナムの 飯 茶 碗 は 口 縁 が 開 く 器 形 をもつ 伝 統 がある ただ 17 世 紀 初 頭 にベトナム 国 内 で 流 通 する 碗 に 口 縁 が 直 立 する 無 地 の 茶 碗 が あり それは 逆 に 日 本 の 注 文 生 産 の 形 に 影 響 を 受 けたのかもしれない 89) 茶 碗 N 類 ( 図 28 29)に 関 しては 碗 を 深 く 高 台 を 高 く 裾 広 がりに 作 出 するなどいわゆる 呉 器 と 類 似 する 肥 前 においては 1637 年 に 取 り 潰 されたと 考 えられる 天 神 森 窯 などからも 呉 器 を 模 倣 した 茶 碗 が 出 土 している 高 麗 茶 碗 を 意 識 したことが 明 らかな 碗 は 寛 永 年 間 (1624~1644 年 )に 多 く 見 られ るという 90) また 京 焼 においても17 世 紀 に 高 麗 茶 碗 が 模 倣 されたことが 論 じられている 91) 高 麗 茶 碗 の 写 しの 流 行 を 反 映 して この 茶 碗 N 類 が 注 文 されたのであろう つまり 17 世 紀 前 期 に 注 文 された 安 南 染 付 茶 碗 は 正 に 当 時 の 日 本 茶 道 界 での 嗜 好 を 反 映 している 天 正 年 間 に 茶 人 の 嗜 好 が 変 化 し その 後 朱 印 船 貿 易 時 代 に 日 本 人 がベトナムの 地 に 居 住 し 安 南 絞 り 手 が 日 本 人 の 注 文 で 生 産 された 安 南 焼 の 誕 生 は コバルトで 文 様 を 描 く 技 術 がまだ 残 っているベトナ ムの 窯 業 村 の 存 在 在 ベトナム 日 本 人 の 巧 みな 注 文 という 様 々な 要 因 が 重 なって 成 立 したことになる 2 ) 生 産 地 比 定 の 可 能 性 茶 碗 K 類 の K 1 類 ( 図 19 20 21)と K 2 類 ( 図 23 24 25)の 違 い また 水 指 B C 類 ( 図 40)と 水 指 D 類 の 違 いが 時 期 の 違 いではなく 生 産 地 の 違 いによるものだと 考 える 92) 当 時 バッチャンと ハイズォンで 生 産 が 活 発 に 行 われていたが バッチャン( 鉢 場 ) 社 裴 富 多 造 と 銘 記 された 燭 台 の 獅 子 と 連 弁 の 貼 花 文 とほぼ 同 形 の 貼 花 文 が 貼 り 付 けられた 水 指 が 水 指 B 類 にあることから 水 指 B 類 はバ ッチャンで 生 産 された 可 能 性 が 高 いだろう また 水 指 B 類 の 茶 道 87 は 明 らかに 日 本 の 注 文 に 応 え 93) た 作 とされ ベトナムでもこれらの 文 様 器 形 をもつ 陶 磁 器 が 出 土 しないことから 注 文 生 産 として 89) 禅 院 で 使 用 していた 御 器 と 称 する 漆 塗 椀 に 形 が 似 ていたからつけられたとか 朝 鮮 の 食 器 を 意 味 する 五 器 に 由 来 し ているとか 言 われているが 茶 の 湯 の 伝 承 の 常 として 形 があるわけではない( 谷 晃 前 掲 注 79)268 頁 しかし 大 振 りで 見 込 みが 深 く 高 台 が 裾 広 がりになる 朝 鮮 陶 器 を 呉 器 と 呼 んでいるようである 谷 晃 前 掲 注 87)268 頁 によると 茶 会 記 に 呉 器 を 初 見 するのは 近 江 孤 蓬 庵 蔵 小 堀 遠 州 茶 会 記 の 寛 永 八 年 (1631 年 )であるというが 寛 永 十 八 年 の 可 能 性 もあり 他 には 松 屋 九 重 茶 会 記 の 寛 永 十 二 年 にも 登 場 する 遅 くとも 寛 永 の 中 頃 までには 入 ってきたとされる 90) 大 橋 康 二 肥 前 のやきものと 高 麗 茶 碗 高 麗 茶 碗 論 考 と 資 料 ( 高 麗 茶 碗 研 究 会 編,2003)160 頁 91) 岡 桂 子 京 焼 のなかの 高 麗 茶 碗 高 麗 茶 碗 論 考 と 資 料 ( 高 麗 茶 碗 研 究 会 編,2003)189-201 頁 92) 筆 者 は 出 土 資 料 以 外 この 茶 陶 の 胎 土 や 釉 薬 を 実 見 できておらず ベトナムおよび 日 本 出 土 資 料 分 析 の 経 験 と 写 真 資 料 からの 形 式 や 様 式 からの 分 析 となるが 伝 世 資 料 を 実 見 する 機 会 があれば 研 究 を 深 めたい 93) 茶 道 資 料 館 前 掲 注 14)258 頁 197