核 データニュース,No.102 (2012) 読 者 の 広 場 (I) 吉 田 研 究 室 で 過 ごした 日 々 元 武 蔵 工 業 大 学 吉 田 研 究 室 OB 羽 倉 尚 人 naoto_hagura@hotmail.com 1. 特 別 な 日 東 急 大 井 町 線 尾 山 台 駅 の 改 札 を 出 て 左 に 進 むと ハッピーロード 尾 山 台 という 商 店 街 が 環 八 1 まで 続 く いつでも 沢 山 の 人 が 行 き 交 う 非 常 に 活 気 のある 商 店 街 だ 2012 年 3 月 3 日 の 朝 この 日 私 は いつものようにこのハッピーロードを 武 蔵 工 業 大 学 あらため 東 京 都 市 大 学 2 の 世 田 谷 キャンパスへ 向 け 歩 いていた しかし 頭 の 中 はいつもと 違 ってい た 我 が 恩 師 吉 田 正 教 授 ( 以 降 吉 田 先 生 と 記 す)の 最 終 講 義 のこの 日 これまでの 数 々の 思 い 出 と 本 番 の 段 取 りで 頭 が 一 杯 だった 図 1 尾 山 台 駅 とハッピーロード 3 1 都 内 の 幹 線 道 路 環 状 八 号 線 の 略 称 2 東 京 都 市 大 学 (http://www.tcu.ac.jp/) 3 ハッピーロード 尾 山 台 公 式 サイト(http://www.oyamadai.com/)より - 66 -
2. 出 会 い 吉 田 先 生 との 出 会 いは 2003 年 の 夏 研 究 室 見 学 会 のときであった 当 時 先 生 は 一 般 教 養 科 目 を 担 う 教 育 研 究 センターに 所 属 されており 研 究 室 という 器 はあるものの 卒 論 生 はいない 状 態 であった 学 部 生 向 けの 物 理 の 授 業 と 大 学 院 生 向 けの 原 子 力 関 係 の 授 業 を 担 当 されていたが 私 はたまたまそれまで 吉 田 先 生 の 講 義 を 受 けたことがなかっ たので この 日 初 めてお 会 いし お 話 を 伺 うことになった そもそもなぜ 学 科 外 の 研 究 室 に 見 学 に 行 く 機 会 を 得 たかということだが 当 時 学 科 主 任 をされていた 相 沢 乙 彦 先 生 が 教 育 研 究 センターのような 学 科 外 の 研 究 室 へも 希 望 が あれば 行 けるという 道 を 開 いてくださったことによる 非 常 に 幸 運 にして 吉 田 先 生 と 出 会 うことができた 数 名 の 仲 間 とともに 吉 田 先 生 の 研 究 室 に 入 ると デスクには 大 きな 画 面 のマッキン トッシュの PC 書 棚 には 原 子 核 物 理 や 原 子 炉 物 理 の 書 籍 に 加 え 研 究 論 文 の 数 々がファ イルされていた また デスクの 片 隅 には B777 の 飛 行 機 の 模 型 が 飾 られていた 研 究 紹 介 の 中 では これまでに 執 筆 された 論 文 や 崩 壊 熱 の 学 会 標 準 について 紹 介 卒 論 テー マとしてどういうことができるのかといった 説 明 があった 中 でも 学 会 標 準 の 作 成 者 の 一 人 として 名 前 が 掲 載 されているのを 見 て 凄 い 先 生 がいる と 心 躍 らせたことを 今 でも 記 憶 している 炉 物 理 核 データ 関 係 の 研 究 室 に 入 りたいと 思 っていた 私 は 吉 田 研 究 室 に 入 ることに 決 めた 3. 今 日 の 段 取 り ハッピーロードは 環 八 まで 緩 い 上 り 坂 になっている まだ 時 間 が 早 いため いくつか あるコンビニを 除 いて ほとんどのお 店 は 開 店 準 備 中 だ そんな 様 子 を 横 目 に 今 日 の 最 終 講 義 の 準 備 状 況 や 段 取 りのことを 頭 の 中 で 確 認 した これまでに 出 席 のご 連 絡 をいただいた 方 々は 全 国 各 地 から 90 名 を 超 える 改 めて 吉 田 先 生 の 偉 大 さを 実 感 した 従 来 東 京 都 市 大 学 の 最 終 講 義 では 先 生 ご 自 身 による 最 終 講 義 と 懇 親 会 の 場 での 親 交 の 深 い 方 のご 挨 拶 という 流 れが 一 般 的 である しかし 今 回 は これに 加 えて 同 じ 分 野 で 活 躍 されている 研 究 者 の 方 に 特 別 講 演 をしていただき 出 席 者 特 に 学 生 に 対 して 核 データ 分 野 について 理 解 を 深 めてもらうことを 目 的 とする 構 成 とした そこで 特 別 講 演 として 吉 田 先 生 と 30 年 以 上 親 交 のある 東 工 大 の 井 頭 先 生 と 原 子 力 機 構 の 片 倉 純 一 氏 ( 現 長 岡 技 術 科 学 大 学 教 授 )にご 講 演 を 依 頼 した お 二 人 に 特 別 講 演 の 依 頼 をすると 非 常 にお 忙 しいにもかかわらず 快 くお 引 き 受 けいただいた 井 頭 先 生 には 核 データ 研 究 最 前 線 と 題 して 核 データの 測 定 としての 観 点 からお 話 をしていただく 予 定 である 片 倉 氏 には 臨 界 安 全 と 原 子 炉 崩 壊 熱 と 題 してお 話 が 伺 える 予 定 である 続 いて 吉 田 先 生 による 最 終 講 義 題 目 は 実 験 グループを 求 めて 歩 いた 世 界 であ - 67 -
る ライフワークとして 取 り 組 まれてきた 崩 壊 熱 の 話 や 東 芝 時 代 の 話 が 伺 える 予 定 で ある そして 懇 親 会 では 先 生 と 親 交 の 深 い 方 のご 挨 拶 のほかにスライドショーやビデ オメッセージを 用 意 している 何 よりも 今 日 は 吉 田 先 生 に 楽 しんでいただける 会 にしたいと 思 っている 4. こちらから 進 んで 出 て 行 かないと ハッピーロードを 抜 け 環 八 の 交 差 点 を 過 ぎると 多 摩 川 まで 下 り 坂 である 大 学 まで は 後 5 分 といったところだ 吉 田 先 生 は 常 々 この 坂 の 下 にこもっていてはダメだ どんどん 外 へ 出 て 行 かない と と 仰 っていた 世 田 谷 の 住 宅 街 ののんびりとした 空 気 の 中 に 日 々 埋 没 していると 流 れに 取 り 残 されてしまう この 坂 の 下 までわざわざ 訪 れる 人 は 少 ないのだから こち らから 進 んで 出 て 行 かないと との 思 いがあったと 伺 ったことがある 企 業 から 大 学 へ 移 られた 先 生 は 大 学 に 移 った 当 初 学 外 に 沢 山 仲 間 を 作 り 学 内 だけでなく 外 とのつ ながりが 大 切 だと 感 じたと 話 されていた 実 際 原 子 力 学 会 の 会 合 や 原 子 力 機 構 東 工 大 や 早 稲 田 大 国 内 にとどまらず 海 外 へも 積 極 的 に 出 かけて 行 き 様 々に 活 躍 をされ てこられた この 方 針 は 吉 田 研 究 室 の 重 要 な 柱 の 一 つであった 学 会 や 研 究 会 に 積 極 的 に 出 て 行 くように 学 生 に 対 しても 指 導 された ちょっと 敷 居 が 高 いと 感 じる 海 外 での 発 表 にもこ の 考 え 方 が 後 押 しした このおかげで 本 当 にいろいろな 経 験 を 積 むことができた 今 でも 原 子 力 学 会 の 学 生 連 絡 会 4 に 参 加 する 東 京 都 市 大 学 の 学 生 は 多 く 研 究 だけではなく 多 様 な 学 会 活 動 において 学 外 の 方 と 多 く 接 する 機 会 を 持 つことができ 非 常 に 有 意 義 な 経 験 を 積 むことができているのではないかと 思 う 5. 震 災 崩 壊 熱 の 専 門 家 として 2011 年 は 言 うまでもなく 大 変 な 年 であった 吉 田 先 生 は 崩 壊 熱 の 専 門 家 として 数 多 くのメディア 対 応 をするなど 活 躍 された 震 災 直 後 の 混 乱 した 中 で 可 能 な 限 り 信 頼 性 の 高 いデータを 基 に 必 要 以 上 に 不 安 を 与 えないよう 冷 静 に 慎 重 に 情 報 を 発 信 す ることは 大 変 なことであったと 想 像 する 未 だ 余 震 の 続 く 震 災 から 一 週 間 後 大 学 の 学 位 授 与 式 の 日 に 学 生 に 対 して 原 子 力 業 界 はこれから 非 常 に 厳 しくなるが 原 子 力 の 重 要 性 は 今 後 も 変 わらない と 仰 ってい たことが 印 象 的 であった 当 時 は 事 故 の 収 束 に 向 けたあらゆる 努 力 がなされていた 現 在 でも 福 島 の 復 興 既 存 プラントの 再 稼 動 に 向 けた 取 り 組 みなど 多 くの 問 題 を 抱 え ている 4 日 本 原 子 力 学 会 学 生 連 絡 会 (http://www.genshiryoku.com/) - 68 -
私 は 吉 田 研 究 室 で 崩 壊 熱 というテーマを 通 じて 一 つひとつのデータを 地 道 に 積 み 上 げるということと それらのデータを 大 局 的 理 論 によって 全 体 として 捉 え 評 価 すると いうことを 学 んできた 今 回 の 福 島 事 故 に 端 を 発 する 原 子 力 を 取 り 巻 く 問 題 に 対 しても 地 道 な 努 力 とともに 大 局 的 に 物 事 を 捉 え どうあるべきかを 考 えることも 同 時 に 行 わ れるべきであると 理 解 している 6. 46 名 の 卒 業 生 研 究 室 に 着 くと 既 に 沢 山 の 学 生 が 集 まっており 最 終 的 な 準 備 作 業 が 進 められてい た 準 備 に 協 力 してくれた 学 生 に 対 しては この 場 を 借 りて 感 謝 したい 2003 年 の 秋 本 間 君 と 私 の 2 名 からスタートした 吉 田 研 の 学 生 は 2011 年 度 には 一 学 年 8 名 の 規 模 となり この 約 10 年 の 間 にのべ 46 名 が 吉 田 先 生 の 指 導 を 受 け 卒 業 した 一 卒 業 生 の 私 が 言 うのもおかしいが 吉 田 先 生 ほど 学 生 から 慕 われている 先 生 はいな いのではないかと 思 う それは 吉 田 先 生 の 人 柄 によるものであると 思 う 人 生 で 最 後 の 学 生 としての 時 期 に 吉 田 先 生 とともに 過 ごせたことは これから 先 の 人 生 におい てこれ 以 上 にない 大 切 な 心 の 支 えになるといっても 過 言 ではないと 思 っている 7. そして 本 番 2012 年 3 月 3 日 13:30 2 号 館 21C 教 室 続 々と 聴 講 生 が 集 まってきた 写 真 1 講 義 室 (2 号 館 21C 教 室 ) ここから 先 は 当 日 会 場 にいらした 方 のお 楽 しみとして 詳 細 な 内 容 の 紹 介 は 別 の 機 会 に 譲 りたい 以 下 に 当 日 の 様 子 を 写 真 で 紹 介 する ご 出 席 いただいた 方 は 写 真 を 見 て 思 い 出 していただければと 思 う 残 念 ながら 欠 席 された 方 は 写 真 を 見 て 想 像 し ていただければと 思 う - 69 -
さぁ いよいよ 楽 しい 講 義 の 時 間! 図 2 最 終 講 義 目 次 写 真 2 特 別 講 演 ( 井 頭 先 生 ) 写 真 3 特 別 講 演 ( 片 倉 氏 ) 写 真 4 最 終 講 義 ( 吉 田 先 生 ) - 70 -
写 真 5 東 京 都 市 大 中 村 学 長 写 真 6 懇 親 会 8. 感 謝 の 一 言 吉 田 研 究 室 で 過 ごした 日 々は すべてが 大 切 な 思 い 出 です 吉 田 先 生 には 感 謝 の 言 葉 しかありません 先 生 は 学 内 においては 東 京 都 市 大 学 早 稲 田 大 学 大 学 院 共 同 原 子 力 専 攻 の 東 京 都 市 大 学 側 の 初 代 専 攻 主 任 学 外 においては 学 会 の 理 事 部 会 長 支 部 長 などを 歴 任 さ れ お 忙 しい 日 々だったと 思 います どうぞこれからは 少 しゆっくりとした 時 間 を 持 た れて 塩 野 七 生 のローマ 人 の 物 語 を 読 み 返 したり お 気 に 入 りの 南 仏 へご 旅 行 されたり してください 時 には 自 由 が 丘 か 二 子 玉 川 あたりで 飲 みましょう!その 日 を 楽 しみにしております 以 上 写 真 7 集 合 写 真 - 71 -