日 本 大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 紀 要 No.13, 177-186 (2012) ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム 楽 曲 と 演 奏 小 林 敬 子 日 本 大 学 大 学 院 総 合 社 会 情 報 研 究 科 Benjamin Britten s War Requiem Text and Performance KOBAYASHI Keiko Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies British composer Benjamin Britten (1913-1976) created many important works of music, and among them, War Requiem (1962) is probably the most significant as both text and performance. Britten alternates poems of Wilfred Owen (1893-1918), the WWI soldier and anti-war poet, with the Latin words of the Requiem Mass, criticizing its conventions, and thus highlighting the tragedies of war rather than merely mourning the dead and comforting the living. The work was commissioned to celebrate the rebuilding of Coventry Cathedral, which was destroyed by Nazi Germany in World War II. In opposition to the intention of the commission to celebrate the war victory and Christian faith, Britten dedicated the work to his friends who had died in the war, criticizing both the war and conventional religious consolation. Inviting singers from the former enemy countries and performing a work critical of Christianity in the cathedral were considered extremely unconventional. Since then, however, War Requiem has been performed on various occasions to commemorate the war and the dead. In this thesis, I will examine how Britten developed his principled opposition to war and violence, and then I would like to examine the text of War Requiem as well as several important performances, considering the meaning of the work, relevant to all of us now, as a principled act of opposition to war and violence. 1. はじめに イギリスの 作 曲 家 ベンジャミン ブリテン (Benjamin Britten 1913-1976)は 来 年 2013 年 に 生 誕 100 周 年 を 迎 える 20 世 紀 に 世 界 では 二 度 の 大 戦 及 び 地 域 の 紛 争 があり 人 々の 悲 しみは 絶 えること がなかった 21 世 紀 に 入 っても テロに 発 した 戦 争 領 土 紛 争 中 東 の 国 々の 内 戦 を 含 む 不 安 定 な 状 態 が 続 き 冷 戦 が 終 結 してから 20 年 以 上 経 つが 世 界 は 少 しも 平 和 な 状 態 に 向 かわない 今 ブリテンを 考 察 することにどのような 意 味 があるのであろうか 20 世 紀 前 半 ブリテンが 作 曲 家 として 認 められて きた 頃 英 仏 とドイツの 間 で 戦 争 が 始 まり 第 二 次 大 戦 へと 拡 大 する ブリテンの 戦 争 レクイエム (War Requiem)は 戦 争 の 悲 惨 を 奏 し これを 告 発 す る 戦 争 レクイエム は 従 来 の 教 会 における 死 者 のためのミサ 曲 を ただ 踏 襲 したものではない 古 くからのラテン 語 の 定 型 詩 と 反 戦 詩 人 ウィルフレ ッド オウエン(Wilfred Owen 1893-1918)の 詩 を 交 互 に 配 置 し 曲 をつけたものである オウエンは 第 一 次 世 界 大 戦 の 終 結 一 週 間 前 に 戦 死 した 彼 は 戦 争 の 悲 劇 特 に 兵 士 の 苦 悩 を 生 々しく 詩 に 書 いた ブ リテンはオウエンの 反 戦 詩 とラテン 語 の 詩 を 対 話 さ せることにより 戦 争 の 悲 惨 をより 明 確 に 描 くこと に 成 功 している
ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム 1962 年 に 初 演 され 今 年 2012 年 で 50 年 となる 5 月 30 日 コヴェントリーの 聖 マイケル 大 聖 堂 では 初 演 50 周 年 を 記 念 した 演 奏 会 が 開 かれた この 半 世 紀 コヴェントリーを 始 め ロンドン ベルリン 広 島 東 京 他 様 々な 場 所 で 演 奏 され 反 戦 メッセ ージを 伝 えてきている 本 稿 では まず ベンジャミン ブリテンが 時 代 と 関 わって 非 暴 力 反 戦 主 義 者 となっていった 経 緯 を 明 らかにする その 上 で 戦 争 レクイエム が 社 会 的 暴 力 への 抗 議 として 書 かれたものであること を 確 認 する オウエンの 詩 とミサ 定 型 詩 がどのよう に 交 わっているか テキストとしての 楽 曲 の 分 析 を 行 い ブリテンの 反 戦 の 意 図 が 演 奏 において どの ように 表 出 され どのように 人 々に 受 け 止 められた かを 考 える 戦 争 には 勝 者 や 敗 者 はなく それに 関 わったすべての 人 々が 不 幸 であり それを 認 識 する ことが 死 者 の 魂 を 慰 めることになるのだというブ リテンの 考 えを 明 らかにしたい 今 日 この 曲 が 繰 り 返 し 演 奏 されるのは この 曲 の 意 味 を 改 めて 我 々 自 身 に 問 いかける 為 なのである 2. 反 戦 主 義 者 としてのブリテン ブリテンは 反 戦 主 義 者 として 知 られているが そ の 源 はどこにあるのか ハンフリー カーペンター ( Humphrey Carpenter )の Benjamin Britten: A Biography をもとに 考 えていく ブリテンはイギリス ローストフトに 生 まれた 幼 少 時 より 作 曲 を 試 み ピアノ ヴィオラのレッスンも 受 けた 8 歳 でサウ ス ロッジ プレパラトリー スクール(South Lodge Preparatory School)に 入 学 した 彼 はこの 学 校 で 少 年 たちが 教 師 による 性 的 虐 待 身 体 的 虐 待 を 受 けて いることを 知 り 衝 撃 を 受 けた それは 受 け 入 れる べきものであるとの 認 識 が 生 徒 間 に 広 まっていたか らである 強 者 による 弱 者 への 暴 力 的 支 配 に 対 して の 嫌 悪 感 が この 頃 より 始 まった 1933 年 に 父 が 死 去 し 自 活 するために 詩 人 W. H. オーデン(Wystan Hugh Auden 1907-1973)に 協 力 し 記 録 映 画 を 作 った 英 詩 についてオーデンから 啓 発 され 彼 の 詩 に 作 曲 することも 始 めた オーデンは ブリテンより 7 歳 年 上 で プレパラトリー スクー ルで 教 えていたが 既 に 左 翼 の 詩 人 として 知 られて いた オーデンの 人 柄 と 詩 に 流 れる 反 戦 思 想 にブリ テンは 影 響 を 受 ける オーデンの 詩 にある 反 権 威 主 義 は 当 時 台 頭 し 始 めたナチスへの 嫌 悪 感 を 呼 び 起 こすことになった 1936 年 に 始 まったスペイン 市 民 戦 争 は 多 くの 文 化 人 を 巻 き 込 んだ オーデンはこの 戦 争 に 参 加 する 旨 ブリテンに 伝 えたが ブリテンはそれを 引 き 止 めた 1937 年 には 中 国 侵 略 を 進 めていた 日 本 や ス ペイン 内 戦 でフランコ 将 軍 を 支 援 していたイタリア 東 方 への 侵 略 計 画 をすすめていたドイツに 対 して 英 国 は 寛 大 な 政 策 をとっていたが 1938 年 にドイツ がプラハを 占 領 した 時 点 で 宥 和 政 策 による 平 和 確 保 は 幻 想 であることがはっきりした ドイツは 独 ソ 不 可 侵 条 約 を 結 んだのち ポーランドに 侵 攻 した ドイツとの 戦 争 の 色 が 濃 厚 になる 1939 年 4 月 こ の 戦 争 を 避 けるためにイギリスをあとにすることを 決 め 友 人 のピーター ピアーズ(Peter Pears 1910-1986)と 共 にサザンプトンからケベックに 向 け て 出 発 した ピアーズとは 同 性 愛 の 関 係 にあり 生 涯 を 共 にしている 当 時 同 性 愛 は 罪 であり 彼 は 社 会 からの 疎 外 を 感 じていた 戦 争 へと 傾 倒 してい く 国 家 に 対 して 同 性 愛 者 であるブリテンとピアー ズは 社 会 的 には 既 に 一 度 主 流 から 降 りていたとも 言 える 英 仏 は 1939 年 9 月 3 日 にドイツに 宣 戦 布 告 を 行 なう ニューヨークに 渡 ったブリテンは その 地 に 在 住 の 芸 術 家 たちと 交 流 を 始 めるが イギリス 本 国 から は 軍 人 一 般 の 人 々のみならず 音 楽 家 からもか なりの 非 難 を 浴 びている 友 人 たちからの 帰 国 しな いようにとの 忠 告 に 従 ったが 次 第 に 生 活 費 に 困 る ようになる そうした 折 知 人 の 出 版 業 者 ラルフ ホークス(Ralph Hawkes 1898-1950)から 日 本 政 府 が 日 本 の 皇 紀 2600 年 奉 祝 曲 を 各 国 作 曲 家 に 依 頼 し ているという 話 を 聞 き その 委 嘱 を 受 けた この 時 期 日 本 は 中 国 へ 侵 攻 しつつも まだ 第 二 次 大 戦 に 参 加 はしていなかった ブリテンは シンフォニア ダ レクイエム を 委 嘱 作 品 として 書 いたが 日 本 政 府 からは 神 武 天 皇 ノ 神 霊 ヲ 讃 フル 奏 祝 楽 曲 ノ 内 容 ヲ 有 セザル 節 との 理 由 で 演 奏 を 拒 否 された こ れについて ブリテンは 1941 年 の ニューヨーク サン のインタビューで 次 のように 説 明 している 178
小 林 敬 子 I m making it just as anti-war as possible I don t believe you can express social or political or economic theories in music, but by coupling new music with well known musical phrases, I think it s possible to get over certain ideas. I m dedicating the symphony to the memory of my parents, and, since it is a kind of requiem, I m quoting from the Dies Irae of the requiem mass. One s apt to get muddled discussing such things all I m sure of is my own anti-war conviction as I write it.(carpenter 146) 1940 年 頃 には 反 戦 主 義 者 として 生 きることを 既 に 自 覚 していたのである シンフォニア ダ レク イエム は 両 親 の 死 を 悼 んで 書 いたものではある が 結 果 的 に 日 本 軍 国 主 義 を 批 判 したものとなっ た この 作 品 は 戦 争 レクイエム を 予 告 したもの と 思 われる その 後 しばらくアメリカ 滞 在 を 続 けたが 帰 郷 の 念 から 1942 年 にはピアーズとともにイギリスに 帰 った 彼 の 渡 米 は 良 心 的 兵 役 拒 否 と 認 められた 1945 年 広 島 に 原 爆 が 投 下 されたときには ロナ ルド ダンカン(Ronald Duncun 1914-1982 詩 人 脚 本 家 作 家 )とともに オラトリオ わが 過 失 を 書 いている ダンカンは この 野 蛮 な 行 為 への 抗 議 として ブリテンに 作 曲 を 促 したのである ブリテ ンは 日 本 軍 国 主 義 を 批 判 する 一 方 で 日 本 の 原 爆 の 災 禍 と 原 爆 投 下 の 道 義 的 責 任 をも 音 楽 としたのであ る 同 年 オペラ ピーター グライムス がロンドン で 初 演 された この 作 品 も 冤 罪 や 虐 待 そして 強 者 と 弱 者 の 関 係 を 内 容 とし ブリテンの 社 会 的 弱 者 に 対 する 思 いが 込 められている ブリテンはその 後 オールドバラに 永 住 することを 決 め 戦 後 1948 年 に オールドバラ 音 楽 祭 を 創 設 した ピアーズの 友 人 たちによって 演 奏 される あまり 規 模 の 大 きくない 自 分 たちのフェスティバルをここでしたらどうだろ うか との 言 葉 に 触 発 されたものだ 一 方 で ピア ーズとの 同 棲 に 村 民 から 奇 異 の 目 で 見 られること もあり ここでも 疎 外 を 感 じていた 1948 年 のガンジーの 死 には 大 きな 衝 撃 を 受 け で きればレクイエムのような 形 式 で 曲 を 書 きたいとラ ルフ ホークスに 告 げている そして 1962 年 反 戦 の 意 図 を 込 めて 書 いた 戦 争 レクイエム は 戦 後 最 高 の 反 戦 の 楽 曲 として 世 界 中 で 演 奏 されている 3. 反 戦 メッセージとしての 戦 争 レクイエ ム コヴェントリー 芸 術 協 会 (Coventry Arts Committee)は 1958 年 10 月 コヴェントリーの 聖 マイケル 大 聖 堂 の 献 堂 式 で 演 奏 する 曲 の 作 曲 をブリ テンに 依 頼 した その 結 果 できあがったのが 戦 争 レクイエム であり 1962 年 5 月 30 日 に 初 演 と なった 1940 年 ドイツ 軍 のコヴェントリー 空 爆 によって 500 年 の 歴 史 を 持 つ 聖 マイケル 大 聖 堂 は 破 壊 された しかし 爆 撃 の 翌 日 再 建 が 決 定 されている 再 建 は 挑 戦 ではなく 信 念 と 信 頼 未 来 への 希 望 を 意 図 するものであり 苦 難 憎 しみを 人 々から 取 り 去 り たかったと 当 時 の 主 任 司 祭 のディック ハワード (Dick Howard)は 述 べている 大 聖 堂 の 再 建 は 建 築 家 ベイジル スペンス(Sir Basil Spence 1907-1976)に 託 された ドイツ 軍 に 破 壊 された 古 い 聖 堂 の 残 骸 を 残 しながら 現 代 的 な 教 会 に 合 体 させたものである ブリテン 自 身 にとって この 曲 は 友 人 4 人 を 個 人 的 に 追 悼 する 曲 として 書 き 始 められた 出 版 されたスコアには 以 下 のよう に 書 かれている In loving memory of Roger Burney, Sub-Lieutenant Royal Naval Volunteer Reserve Piers Dunkerley, Captain Royal Marines David Gill, Ordinary Seaman Royal Navy Michael Halliday, Lieutenant Royal New Zealand Volunteer Reserve (Carpenter 406) ロジャー バーニーはピアーズの 友 達 であったが フランスの 潜 水 艦 に 乗 船 中 撃 沈 された ピアーズ ダンカリーはノルマンディー 作 戦 で 負 傷 したが 1959 年 の 夏 に 自 殺 した デビッド ギルは 古 い 知 179
ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム り 合 いであったが 地 中 海 での 戦 闘 で 亡 くなった マイケル ハリディは 学 友 であったが 従 軍 中 行 方 不 明 になった 友 人 達 の 死 は 彼 に 深 い 悲 しみをも たらし この 曲 を 書 くきっかけとなった ブリテンはこのオファーを 受 けたときから 戦 争 に 参 加 した 国 々の 声 楽 家 によるソロを 入 れること ラテン 語 の 詩 文 も 入 れることという 計 画 を 持 ってい た 1961 年 10 月 にはベイジル コールマン(Basil Coleman 1930-2011)に 今 コヴェントリーの 作 品 を 書 いているが 最 高 か もしくは 最 低 のものかも しれない しかし 常 に 自 分 と 一 緒 である と 告 げ ている 曲 の 構 成 は 伝 統 的 なラテン 語 の 礼 拝 文 と オウエンの 詩 を 対 比 対 立 させている ラテン 語 の 礼 拝 文 は 死 者 の 魂 を 慰 めるために 書 かれた 言 葉 で あるが そこにオウエンの 詩 が 激 しく 突 き 刺 さって いく 最 後 の 奇 妙 な 出 会 い ではやっと 両 方 が 溶 け 合 うがそれまでの 対 立 はすさまじい 従 来 のキリ スト 教 の 無 力 を 糾 弾 している 初 演 の 反 応 は 良 かった ウィリアム マン(William Mann 1924-1989)は 初 演 五 日 前 に 楽 譜 を 見 て この 曲 はブリテンの 傑 作 であると 書 き 初 演 後 の 批 評 で は ブリテンが 今 までに 我 々に 与 えてくれた 最 高 傑 作 である と 書 いている 脚 本 家 のピーター シェイ ファー(Sir Peter Shaffer 1926-)は タイム&タイ ド に 感 動 し 批 評 することも 厚 かましい と 書 いている ブリテンはスコアの 内 表 紙 にオウエンの 詩 を 掲 載 し 自 らにとっても 戦 争 と 戦 争 の 悲 惨 が 曲 のテーマ であり 作 曲 の 動 機 であるとしている My subject is War, and the pity of War. The Poetry is in the pity All a poet can do today is warn. ジャスティン タケットによると 歴 史 家 のジェ イムス ハーバートは スペンスの 意 図 がドイツ 軍 の 残 酷 な 爆 撃 の 証 拠 を 残 すことにある と 考 え ま た 破 壊 をそのままにすることによって 罪 深 いドイ ツの 攻 撃 の 記 念 物 としている と 述 べている コヴ ェントリー 芸 術 協 会 は 英 国 の 復 興 連 合 国 の 勝 利 を 示 すものととらえた しかし こうした 考 えに 対 してブリテンは 異 議 を 唱 えた 勝 利 者 としてのイギ リスを 祝 うのではなく 被 害 者 は 加 害 者 にもなり 戦 争 はあらゆる 人 々にとってただ 悲 惨 な 結 果 をも たらすことを 示 した お 互 いに 痛 みを 分 かち 合 うこ とで 人 々に 平 和 がもたらされることを 示 唆 した そ して 聴 衆 がそのことを 感 じ 取 ったからこそ この 曲 は 胸 を 打 つものとなったのである 4. 戦 争 レクイエム 各 曲 を 考 察 する この 作 品 は 6 部 構 成 となっている 第 1 章 レクイエム エテルナム Requiem aeternam 第 2 章 ディエス イレ Dies Irae 第 3 章 オフェルトリウム Offertorium 第 4 章 サンクトゥス Sanctus 第 5 章 アニュス デイ Agnus Dei 第 6 章 リベラ メ Libera me 第 1 章 レクイエム エテルナム 4 分 の 4 拍 子 ゆっくりと 厳 粛 にと 指 示 がある 第 1 章 は 大 き く 二 つに 分 けられる ラテン 語 の 典 礼 文 と オウエ ンの 詩 の 英 語 の 部 分 である ラテン 語 の 典 礼 文 は コーラスによって 掛 け 合 いで 歌 われる オウエンの 詩 は 戦 争 の 残 虐 さと 兵 士 の 悲 しみを 歌 っているが ブリテンはテノールのソロ バリトンのソロで 表 す まず 重 く 響 き 渡 るゴングとともに 弱 く ユニ ゾンで cis d と 始 まる 鎮 魂 の 鐘 が 絶 え 間 なく 鳴 らされる ソプラノとテノールが 低 く ファ =fis の 音 で Requiem aeternam とつぶやく 再 び Requiem aeternam とバスとアルトがつぶやくが これはド=c で 出 てくる これはソプラノとテノー ルに 対 して 増 4 度 である 3 度 目 に 出 てくる Requiem aeternam では ソプラノとテノール アルトとバスで 同 じ 音 程 で 掛 け 合 いをする 弦 楽 器 がユニゾンで 増 音 程 減 音 程 を 含 む 不 安 定 な 動 き を 続 ける 中 鐘 は 執 拗 に 鳴 っている レクイエム 永 遠 の 休 息 を と 語 りかけているにも 関 わらず 音 自 体 はそれを 裏 切 っている 歌 詞 に 即 しているので あれば 本 来 平 穏 であるべき 音 が 不 安 を 誘 い 言 葉 と 音 が 全 く 一 致 していない これは 勿 論 ブリテ ンが 意 識 的 にしていることである タケットの 論 文 180
小 林 敬 子 にあるとおり アイロニーである 弦 楽 器 がユニゾ ンで 緊 張 を 持 って 上 昇 を 続 けるが 急 にソプラノ アルト テノール バスとたたみかけるように et lux perpetua, luce at eis 絶 えざる 光 を 彼 等 の 上 に 照 らし たまえ とフォルテで 重 なり 合 う ここの 音 程 も c fis c fis と 上 から 重 なりながら 下 がってくるが この 減 5 度 の 音 程 は 増 4 度 の 裏 返 しである ブリテンはこ の 音 程 にこだわっている 増 音 程 減 音 程 は 不 安 定 であり 人 々に 不 安 感 焦 燥 感 をもたらし 悲 劇 を 予 測 させる コーラスは Requiem aeternam とつ ぶやきつつ ごく 弱 く 終 わる 拍 子 と 速 度 が 変 わり 少 年 たちとオルガンがユニゾンで tedecet hymnus,deus in Sion, 神 よ 主 の 讃 美 をふさわしく 歌 えるのはシオンにおいてである と 速 い 速 度 で 歌 い だす 複 雑 な 音 程 だが 少 年 の 声 を 使 い 透 明 感 が ある 速 度 の 変 化 も 大 きいが 拍 子 の 変 化 が 激 しく 4 分 の 6 拍 子 4 分 の 3 拍 子 4 分 の 4 拍 子 が 1 小 節 ごとにめまぐるしく 変 わる Exaudi orationem meam 主 よ 我 らの 祈 りを 聞 きたまえ からは 4 分 の 5 拍 子 2 分 の 3 拍 子 が 入 れ 替 わり 2 分 の 3 拍 子 が 4 分 の 6 拍 子 に 置 き 換 えられて だんだんと 弱 くなり 消 え 入 るように 落 ち 着 いていく この 部 分 も c,fis で の 掛 け 合 い 重 なり 合 いである 再 び 鐘 が 鳴 り 始 め ゆっくりと Requiem aeternam とコーラスが 唱 え 始 める 最 初 の 弦 の 動 きが 再 現 され 盛 り 上 がったのち 再 び pp で 終 わる しかし 一 瞬 の 空 白 ののち ハープ の 素 早 い 分 散 和 音 に 乗 って テノールが What passing bells for these who die as cattle? 家 畜 のように 死 んだ 人 々を 弔 う 鐘 なのか と 歌 い 始 める 何 のための 鐘 なのか と 怒 りを 込 めて 抗 議 している ここで 使 われている 詩 は 戦 死 の 宿 命 にある 若 者 た ちへの 聖 歌 である What candles may be held to speed them all? 彼 等 にさよならを 言 うためにどんな ロウソクを 立 てればよいというのか と 緊 張 が 続 い た 後 前 出 した 少 年 のコーラスと 同 じメロディーで オーボエ クラリネット テノールのソロが 歌 い 継 がれ 最 後 に 向 かう テノールの 怒 りは あきらめ へと 変 わり and each slow dusk a drawing down of blinds そして 毎 日 のゆるやかに 暮 れゆく 夕 闇 を 引 き おろす 日 覆 いとせよ とつぶやきながら 終 わる 最 後 には f c f a.ファラドの 音 程 に 変 わり 解 決 して ごく 弱 く 消 え 入 るように 終 わる 若 者 に 死 が 訪 れた のである 第 2 章 ディエス イレ 4 分 の 4 拍 子 初 めのトランペットやホルンのファンファーレは 怒 りの 日 のラッパであるとともに 現 実 の 戦 争 の 突 撃 のトランペットでもある ベルリオーズ ヴ ェルディ フォーレの 各 レクイエムにおいても 神 の 怒 りのラッパの 響 きはあるが ブリテンの 響 きは 軍 隊 そのものである グレゴリオ 聖 歌 の 怒 りの 日 は 有 名 な 曲 で f e f d e c d d ファミファレミト レレと 始 まる この 戦 争 レクイエム も 初 めの 部 分 は 使 われている 音 は 大 体 同 じ 組 み 合 わせで d e f e g f e d レミファ ミソファミレと 始 まる その 後 にまたしても 突 撃 ラ ッパが 響 く tuba mirum spargens sonum per sepulchral regionum coget omnes ante thronum 不 思 議 なる 響 きのラッパが この 世 の 墓 の 上 に 鳴 り 渡 り ものみなを 玉 座 の 前 に 集 めん と 礼 拝 文 は 語 るが 誰 も 蘇 りはしない ただ 傷 つき 死 んでいくだけで ある だからこそ バリトンが bugles sang と 歌 い 始 める 部 分 が 意 味 を 持 つ 川 岸 で 死 の 淵 にいる 少 年 た ちをなぐさめるラッパの 響 きでもある 曲 は 静 まり liber scriptus へと 続 く すべての ことを 書 き 記 されしものが この 世 を 裁 くために 持 ち 出 されん とソプラノが 歌 う 次 の Quid sum miser tunc dicturus? テノール ソプラノと 重 なり 合 う ところの 後 ろでは ティンパニが 静 かにリズムを 刻 む この 動 きは 仏 教 の 木 魚 の 響 きを 思 い 起 こさせる 第 1 曲 目 の 冒 頭 部 分 にも 鎮 魂 の 鐘 がなる ブリテ ンは 日 本 に 2 週 間 ではあるが 滞 在 したこともあり 仏 教 の 読 経 を 耳 にしたこともあるのではないか ソプラノの 後 ろで Salva me, fons pietatis 我 をも 救 いたまえ 憐 れみの 泉 よ とコーラスが 静 かに 歌 うが これは 死 者 のつぶやきである バリトンとテ ノールが 掛 け 合 いながら we ve sniffed the green thick odour of his breath われわれは 死 の 息 の 緑 の 濃 い 臭 いをかいできた と 歌 われた 後 静 かに recordare と 女 性 合 唱 が 入 る この 部 分 は 透 明 で 美 しい 思 い 出 したまえ 慈 悲 深 きイエズスよ と 歌 われるこの 181
ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム 部 分 はどの レクイエム においてもラクリモサと 並 んで 特 に 美 しい 部 分 である 再 びディエス イレが 登 場 したのち テノール ソロで move him into the sun 太 陽 のもとに 彼 を 動 か せ と 語 る むなしさ (Futility) と 言 う 詩 である が 敵 地 で 亡 くなったばかりの 若 い 兵 士 の 遺 体 を 前 にして 歌 われている この 語 りは 感 動 的 である オ ウエンの 詩 はどれも 素 晴 らしいが この むなしさ は 特 に 心 を 打 つ 最 後 は 合 唱 で 静 かに Pie Jesu Domine,dona eis requiem 慈 悲 深 きイエズスよ 彼 ら に 平 安 を 与 えたまえ と 終 わる 最 後 の 和 音 は 第 一 章 と 同 じく f a c ファラドで 終 わる この 部 分 にも 静 かに 鎮 魂 の 鐘 の 音 が 聞 こえてくる この 曲 には 1 曲 目 に 見 られる 特 徴 的 な 音 程 はない 第 3 章 オフェルトリウム 変 則 拍 子 オルガンに 乗 り 少 年 たちが 主 よと 呼 びかけ 続 ける しかし Quam olim Abrahae promisisti, 主 がそ の 昔 アブラムに 約 束 した から 動 きが 激 しくなる バリトンが so Abram rose, and clave the wood 主 の 命 にしたがってアブラムは 起 き 上 がり たきぎを 割 りにでかけていった と 語 り 始 めるが イサクの My Father, where the lamb for this burnt-offering? お 父 さん 犠 牲 の 羊 はどこに? とか 細 くつぶやく 声 にもアブラムは 躊 躇 しない 背 景 には 軍 隊 ラッパも 聞 こえる 突 如 ハープの 響 きとともに 天 使 の 声 が アブ ラムに 行 為 の 中 止 を 命 じるが ここでもアブラハム は 天 の 声 を 無 視 し わが 子 を 殺 す ここでの 天 使 の 声 は バリトンとテノールの 二 重 唱 である 少 年 た ちの 祈 りにも 関 わらず アブラムは 全 く 動 じない 天 使 が hostias et preces tibi Dominus Deus Sabaoth 主 よ 称 賛 の 犠 牲 と 祈 りとわれらは 主 にささげ 奉 る と 呼 びかけるが 称 賛 の 犠 牲 ではなく 無 駄 な 死 で あり 天 使 の 言 葉 は 何 の 意 味 もなさない ここに 参 考 として この 場 面 の 原 詩 とその 訳 を 示 す 少 年 のコーラス DomineJesu Christe,Rex gloriae, 栄 光 の 主 主 イエス キリストよ Libera animas kmnium fidelium 死 んだ 信 者 すべての 霊 魂 を Defunctorum de poenis inferni, et de profondo lacu: 地 獄 の 罰 と 底 しれない 深 淵 とから 救 い 出 し Libera eas de ore leonis, ne absorbeat eas tartarus, それらを 獅 子 の 口 から 解 き 放 ちたまえ ne cadant in obscurum かれらを 冥 府 に 落 とさず やみに 投 げたもうこと なかれ Sed signifer Sanctus Michael repraesentet eas in lucem sanctam : しかし 旗 手 聖 ミカエル 主 よ 称 賛 の 祈 りとわれらは 主 に 捧 げ 奉 る Quam olim Abrahae promisisti,et semini ejus. 主 がその 昔 アブラハムとその 子 孫 らに 約 束 したも うたその 生 命 へ バリトン 及 びテノール ソロ So Abram rose, and clave the wood, and went, 主 の 命 に 従 い アブラムは 起 き 上 がり たきぎを 割 り 出 かけて 行 った And took the fire with him, and a knife. 火 とナイフをたずさえて And as they sojourned both of them together, そして 二 人 が 一 緒 に 立 ちどまった 時 Isaac the first-born spake and said, 長 男 のイサクはアブラムに 話 しかけて 言 った My Father,Behold the preparations, fire and iron, お 父 さん 火 と 鉄 具 の 準 備 がととのいましたが But where the lamb for this burnt-offering? 丸 焼 きにする 犠 牲 の 山 羊 はどこにいるのですか Then Abram bound the youth with belts and straps, すると アブラムは 息 子 を 帯 と 皮 ひもで 縛 り And builded parapets and trenches there, そこに 柵 をたて 溝 を 掘 り And stretched forth the knife to slay his son. わが 子 を 殺 そうと ナイフを 突 き 出 した When lo! And angel called him out of heaven, とその 時 見 よ 天 より 天 使 が 彼 に 呼 びかけ 言 っ た Saying, Lay not thy hand upon the lad, その 若 者 らおまえの 手 を 下 してはいけない Neither do anything to him, Behold, 182
小 林 敬 子 また その 子 に 何 もしてはならない A ram, caught in a thicket by its horns; 見 よ, 角 を 藪 にひっかけた 一 頭 の 雄 羊 が 見 えるだ ろう Offer the Ram of Pride instead of him. 息 子 の 代 わりに 高 慢 の 雄 羊 を 神 に 捧 げよ But the old man would not so, but slew his son,- しかし 老 人 はそうはせず わが 子 を 殺 し And half the seed of Europe, one by one. かくして ヨーロッパの 種 の 半 分 を ひとつずつ 絶 やしたのだった 老 人 と 若 者 の 寓 話 (The Parable of the Old man and the Young) 少 年 のコーラス Hostias et preces tibi Dominus Deus Sabaoth 主 よ 称 賛 の 犠 牲 と 祈 りとわれらは. tu suscipe pro animabus illis, 主 に 捧 げ 奉 る quarum hodie memoriam facimus: 今 日 記 念 する 霊 魂 のためにこれを 受 け 入 れたまえ face as, Domine,de morte transpire ad vitam. 主 よ かれらを 死 から 生 命 へと 移 したまえ 第 4 章 サンクトゥス 変 則 拍 子 グロッケンシュピール シンバル ヴィヴラフォ ーンのクレッシェンドで 始 まり ソプラノが sanctus 聖 なるかな と 始 まる 仏 教 的 な 響 きの 鐘 が 鳴 り sanctus と 力 強 く 3 回 唱 える その 後 pleni sunt caeli et terra gloria tua 主 の 栄 光 は 天 地 に 満 つ をバス テノール アルト ソプラノと 積 み 重 なり 23 小 節 かけてクレッシェンドしていくが 不 安 が 満 ちている しかし 登 りきった 頂 上 で 輝 かしいトランペットを 中 心 としたファンファーレと ともに hosanna in excelsis 天 のいと 高 きところに ホザンナ( 主 を 誉 めたたえよ) が 合 唱 で 繰 り 返 され る 39 小 節 繰 り 返 されるが 33 小 節 目 から 静 まって 行 き benedictus ベネディクトゥス とソプラノが 静 かに 澄 んだメロディーを 歌 い 始 める 合 唱 がソプ ラノに 追 随 して ベネディクトゥス を 唱 える 同 じメロディーを 合 唱 と 弦 楽 器 フルート クラリネ ットが 完 全 8 度 完 全 5 度 で 追 う この 音 程 には 違 和 感 がつきものだが 密 やかに 演 奏 されるため そ れほど 聴 きづらくはない ラテン 語 の 聖 句 の 部 分 は 各 曲 において オーケストラも 同 じメロディーをユ ニゾンで 奏 する 場 合 が 多 くみられるが 聖 句 を 唱 え るということに 主 眼 を 置 いているからであろう 始 めのファンファーレに 戻 り 主 の 栄 光 をたたえ る ホザンナ( 主 を 誉 めたたえよ)で 終 わる ただ ここに 続 くオウエンの 詩 は all death will He annul, all tears assuage?すべての 死 を 取 り 消 し すべての 涙 を 鎮 めてくれるのだろうか と まるで 自 問 自 答 す るようである ベネディクトゥスが 輝 かしく 終 わっ たあとだけに 虚 しさと 落 胆 が 際 立 つ 第 5 章 アニュス デイ 16 分 の 5 拍 子 Fis,e,d, cis,h,c,d,e,f,g(ファ ミ レ ド シ ド レ ミ ファ ソ)と 下 降 上 昇 のうねりが 17 小 節 弦 楽 器 がユニゾンでごく 弱 めにゆっくりと 動 き 続 け テノールが 静 かに 歌 い 始 める One ever hangs where shelled roads apart. In this war He too lost a limb, 弾 丸 を 撃 ち 込 まれた 十 字 路 で 人 はいつもた めらいながら 立 ち 止 まる この 戦 争 では 主 イエス もまた 片 足 を 失 いたもうた 悲 しみに 満 ちた 歌 であ る 主 の 使 徒 たちは 逃 亡 し 兵 士 たちがイエスとと もにいると 歌 っている 続 いてごく 弱 く Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, dona eis requiem 神 の 子 羊 世 の 罪 を 除 きたもう 主 よ 彼 らに 休 息 を 与 えたまえ とユニゾンでつぶやく 弦 楽 器 のユニゾンと 合 唱 のユニゾンが 交 代 に 102 小 節 目 まで 続 く 102 小 節 目 の 最 後 に 変 化 が 起 こる 弦 楽 器 のユニゾンは fis から 同 じ 形 を 繰 り 返 す ブリ テンはここで 強 く 抗 議 している the scribes on all the people shove, and bawl allegiance to the state 法 学 者 たちはすべての 国 民 たち に 口 やかましく 言 い 国 家 に 対 する 忠 誠 を 押 し 付 け るが の 部 分 である but they who love the greater love しかし 大 いなる 愛 を 愛 する 者 たちは の 部 分 からはあきらめが 感 じられ 絶 望 して 終 わる 最 後 に 彼 らに 永 遠 の 休 息 を 与 えたまえ とテノール 183
ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム がつぶやいて 終 わる しかし 永 遠 の 休 息 を 懇 願 し つづけても 休 息 は 来 ないのである 第 6 章 リベラ メ 4 分 の 4 拍 子 低 く 弱 く 執 拗 に 叩 かれる 打 楽 器 に 乗 って リベ ラ メ とコーラスがかけあいで 入 り 不 協 和 音 の 上 に 半 音 階 で 音 量 が 増 していく リベラ メ の 最 終 音 を 次 に 引 き 継 ぎながら 進 み オーケストラが 半 音 階 で 不 安 定 に 上 昇 していく この リベラ メ と 唱 えているのは 戦 争 の 犠 牲 者 となった 亡 くなっ た 兵 士 たちなのだろうか うごめきながら 地 獄 で つぶやいている この 緊 張 感 に 耐 えられなくなった ころ 神 の 鉄 鎚 が 下 る 打 楽 器 群 がディエス イレ の 突 撃 ラッパを 再 現 させる 人 間 が 戦 闘 を 続 けるか ぎり libera me 私 を 解 放 してください と 呼 びかけ 続 けていても 神 は 許 してくれない 許 してくれな くても 人 間 は 許 しを 求 め 続 ける テノールのソロで it seemed that out of battle I escaped 私 は 戦 場 を 抜 け 出 し とささやくように 入 る I said, here is no cause to mourn ここには 嘆 く 理 由 はない と 呼 びかけ バリトンが None, said the other, save the undone years そうだとも 破 滅 させた 歳 月 を 除 いてはね The pity of war, the pity war distilled 戦 争 の 憐 れさ 戦 争 が 蒸 留 した 憐 れさ と 答 える The pity of war, はブリテンがこの 曲 の 楽 譜 の 冒 頭 に 記 した 部 分 である ブリテンが 最 も 伝 え たかったメッセージがここにある ここに 会 話 して いる 手 足 をもがれた 二 人 には もう 憎 しみはどこに も 無 い そして この 曲 の 最 も 感 動 的 な 場 面 に 入 る テノールとバリトンソロが let us sleep now 一 緒 に 眠 ろう と お 互 い 溶 けあうように 呼 びかけあう ここでこの 曲 は 初 めて 安 らぐ 敵 も 味 方 もなく た だ 戦 争 の 犠 牲 者 としてお 互 いに 慰 めあいながら 静 かに 眠 るだけなのである 鎮 魂 の 鐘 とともに 天 上 からは 天 使 たちの 合 唱 が 聞 こえてくる 静 かにア ーメンと 唱 えながら 最 後 に f a c ファラドと pppp でやっと 解 決 する 5. 演 奏 1962 年 の 戦 争 レクイエム 初 演 から 今 日 までの 主 な 演 奏 会 を 日 時 場 所 演 奏 者 を 含 めてここに 示 す 1962 年 5 月 30 日 初 演 イギリス コヴェント リー 聖 マイケル 大 聖 堂 指 揮 者 ベンジャミン ブリテン Sop. ヘザー ハーパー(Heather Harper) Ten. ピーター ピアーズ(Peter Pears) Bar.フィッシャー ディスカウ(Fischer-Dieskau) 1962 年 11 月 ドイツ 初 演 ドイツ ベルリン 指 揮 者 コリン デイヴィス(Colin Davies) 1963 年 1 月 イギリス ロンドン 指 揮 者 ベンジャミン ブリテン Sop. ガリーナ ヴィシネフスカヤ (Galina Vishnevskaya) Ten. ピーター ピアーズ(Peter Pears) Bar.フィッシャー ディスカウ(Fischer-Dieskau) 1963 年 7 月 ニュージーランド ウェリントン 指 揮 者 ジョン ホプキンス Sop. アンジェラ ショー(Angela Shaw) Ten. ピーター ベイリー(Peter Bailie) Bar. グレアム ゴートン(Graham Gorton) 1964 年 1 月 オランダ アムステルダム Sop. ガリーナ ヴィシネフスカヤ (Galina Vishnevskaya) Ten. ピーター ピアーズ(Peter Pears) Bar. フィッシャー ディスカウ(Fischer-Dieskau) 1965 年 2 月 日 本 初 演 指 揮 者 デイヴィッド ウィルコックス (David Wilcocks) Sop. 伊 藤 京 子 Ten. 中 村 健 Bar. 立 川 澄 人 1985 年 日 本 広 島 指 揮 者 小 澤 征 爾 1998 年 ロシア 指 揮 者 ロストロポーヴィチ(Mstilsav Rostropovich) 小 澤 征 爾 Sop. 森 川 栄 子 Ten. Bar. 不 明 2008 年 3 月 23 日 東 京 墨 田 区 指 揮 者 高 関 健 Sop. 木 下 美 穂 子 Ten. 吉 田 浩 之 184
小 林 敬 子 Bar. 福 島 明 也 2012 年 5 月 30 日 初 演 50 周 年 記 念 イギリス コ ヴェントリー 指 揮 者 アンドリス ネルソンズ(Andris Nelsons) Sop. クリスティン オポレイス(Kristine Opolais) Ten. マーク パドモア(Mark Padmore) Bar. トマス クアスソフ(Thomas Quasthoff) 前 述 のように この 曲 はドイツ 軍 に 爆 撃 破 壊 され たコヴェントリーの 聖 マイケル 大 聖 堂 の 再 建 を 祝 す 献 堂 式 のために 書 かれた 作 品 である 当 初 ブリテ ンはドイツ イギリス ロシアのソリストを 予 定 し ていた しかし ロシア 側 が 予 定 されていた 女 性 歌 手 の 出 国 を 認 めなかったため ソプラノは 英 国 の 歌 手 に 変 更 になった かつての 敵 国 同 士 が お 互 いに 同 じステージで 演 奏 することは 平 和 の 証 であろう フィッシャー ディスカウは 演 奏 会 で 奇 妙 な 出 会 い を 歌 いながら 感 動 のあまり 落 涙 したほどで ある 死 んだ 友 人 達 辛 かった 過 去 が 心 に 呼 び 起 こ された とディスカウは 語 っている 聴 衆 はどのよ うに 受 け 取 ったのだろうか 大 聖 堂 の 再 建 英 国 の 復 興 を 祝 う 曲 を 期 待 した 者 は 戦 争 の 悲 惨 と 犠 牲 者 の 弔 うものであったことに 戸 惑 いながらも 感 動 し たであろう 戦 後 ヨーロッパにおいてソビエトを 中 心 とする 共 産 主 義 国 と アメリカを 中 心 とする 資 本 主 義 国 の 対 立 により 世 界 は 二 分 されたが この 冷 戦 最 中 1962 年 にはベルリンでもコリン デイヴィスの 指 揮 で 演 奏 されている ベルリンはヒトラーの 根 拠 地 で あり ドイツ 降 伏 のシンボリックな 都 市 であったの が 61 年 にベルリンの 壁 が 築 かれ 東 西 冷 戦 の 最 前 線 となっていた 最 終 曲 奇 妙 な 出 会 い では イ ギリス 兵 士 とドイツ 兵 士 が 傷 つきながら 一 緒 に 眠 ろ うという 内 容 であり 終 戦 平 和 戦 争 への 反 省 を 込 めて かつての 敵 国 で 演 奏 している イギリスで の 初 演 と 間 をおかずに 演 奏 したことにも 意 味 がある 1963 年 に 行 なわれたロンドンでの 演 奏 では 初 演 で 予 定 されていたソプラノのヴィシネフスカヤが 初 めて 登 場 した この 演 奏 は 録 音 され 5 ヶ 月 で 20 万 枚 の 売 り 上 げとなった 聴 衆 の 心 を 打 った 証 拠 であ る また この 年 には 南 半 球 初 演 として ニュージ ーランドで 演 奏 されている 1964 年 には オランダで 初 演 されている 多 くの ユダヤ 人 が 犠 牲 となった 場 所 である 日 本 では 1965 年 にデイヴィッド ウィルコック スの 指 揮 で 読 売 交 響 楽 団 が 初 演 している また 1985 年 には 広 島 で 小 澤 征 爾 の 指 揮 で 演 奏 されている 小 澤 は 終 戦 後 40 年 の 区 切 りに 広 島 での 演 奏 を 希 望 し ていた 原 爆 の 犠 牲 者 を 弔 うためである また 小 澤 は 1998 年 にはロシアで 演 奏 している このときは チェリストのロストロポーヴィチが 当 時 のエリツ ィン 大 統 領 に 直 談 判 して 実 現 したものである 1997 年 11 月 に 当 時 の 橋 本 龍 太 郎 首 相 がエリツィン 大 統 領 とのクラスノヤルスク 会 談 で 20 世 紀 中 に 領 土 問 題 を 解 決 することを 目 指 すという 合 意 がなされたこ とにロストロポーヴィチは 感 動 し エリツィン 大 統 領 に 直 談 判 して 実 現 したものである 歌 詞 はロシア 語 に 歌 われたため ロシア 人 聴 衆 のすすり 泣 く 声 が 指 揮 をしている 小 澤 征 爾 に 聞 こえたほどであった さらに 日 本 では 2008 年 東 京 大 空 襲 のあった 3 月 に 被 害 の 大 きかった 墨 田 区 で 演 奏 されている 戦 争 の 被 害 者 は 兵 士 達 だけではなく 一 般 の 人 々も 巻 き 込 まれる 空 襲 の 中 で 逃 げ 場 を 失 った 人 々が 火 に 焼 かれていく 姿 をまざまざと 感 じさせてくれる だからこそ この 曲 は 演 奏 者 演 奏 日 時 場 所 が 意 味 を 持 つ 社 会 性 の 大 きい 曲 なのである 筆 者 は 2012 年 5 月 30 日 に 初 演 50 周 年 の 記 念 に 聖 マイケル 大 聖 堂 で 行 なわれたネルソンズ 指 揮 の 演 奏 会 を TV で 視 聴 する 機 会 を 持 ったが いかに 時 場 所 が 重 要 な 曲 であるかを 実 感 した 高 く 神 々 しい 教 会 の 窓 から ステンドグラスを 通 して 光 がそ そがれている そのなかを 少 年 少 女 達 の 天 使 のよ うな 歌 声 で 安 らかに 囁 かれるレクイエムの 歌 詞 に 歌 うというより むしろ 投 げつけるようなオウエン の 激 しい 怒 りが 垂 直 に 突 き 刺 さる その 異 質 な 響 き に 耳 を 疑 い 言 葉 を 失 う 戦 争 を 止 められなかった 信 仰 ただ 音 楽 を 聞 くだけでも 心 を 揺 さぶられる が 厳 かで 包 み 込 まれるような 光 の 中 で その 光 を 糾 弾 するようなオウエンの 叫 びを 聞 いて 英 語 が 母 国 語 ならば どれほど 衝 撃 を 受 けるのだろうかと 思 う 思 わず 涙 がこぼれそうになる 音 楽 と 周 囲 の 環 境 が 一 体 化 したときには 驚 くほど 五 感 に 直 接 的 に 185
ベンジャミン ブリテンの 戦 争 レクイエム 訴 えてくるのである 6. 結 論 ブリテンの 戦 争 レクイエム は 死 者 の 魂 の 安 静 を 願 うというより むしろ 意 図 的 に 反 戦 を 表 し ているものである 彼 は 徹 底 した 反 戦 主 義 者 として 生 涯 を 貫 いた 社 会 的 弱 者 に 目 を 向 け 当 時 の 社 会 常 識 に 音 楽 を 通 して 疑 問 を 突 きつけた 彼 は 中 産 階 級 出 身 で 英 国 の 激 しい 階 層 差 別 から は 無 縁 であったが 本 来 優 しく 繊 細 な 性 格 であり 暴 力 への 嫌 悪 感 が 強 かった 社 会 的 暴 力 肉 体 的 暴 力 言 語 による 暴 力 など あらゆる 暴 力 に 対 して 拒 否 を 示 し 特 に 戦 争 に 対 しては 耐 え 難 い 拒 否 感 を 示 した 戦 争 忌 避 の 渡 米 の 結 果 人 々から 非 難 を 受 け ている また 彼 は 同 性 愛 者 ゆえに 当 時 の 社 会 か ら 疎 外 されることも 多 かった 1936 年 に 作 曲 された シンフォニア ダ レクイ エム の 第 1 曲 涙 の 日 では 明 らかにティンパ ニの 響 きは 爆 撃 音 である 両 親 の 魂 の 安 らぎを 求 め るだけではなく 既 に 戦 争 レクイエム と 共 通 す る 不 穏 な 響 きに 満 ちている 彼 は この 曲 を 出 来 る 限 り 戦 争 反 対 ということで 作 ったと 述 べ また こ の 曲 を 書 いたことにより より 戦 争 反 対 の 信 念 が 強 まったとも 言 っている オーケストラ 作 品 であり 歌 詞 は 持 たないが 音 自 体 が 焦 燥 感 を 持 ち 戦 争 の 恐 怖 と 言 い 知 れぬ 不 安 感 をもたらす 戦 争 レクイエム は シンフォニア ダ レク イエム のテーマを さらに 追 及 したものである 第 一 次 大 戦 の 惨 状 を 詩 によって 伝 え 後 世 に 警 告 し たオウエンの 詩 を 取 り 入 れることにより よりメッ セージがはっきりとした 1962 年 に 第 二 次 大 戦 の 惨 状 を 音 楽 とオウエンの 詩 を 結 合 させることにより 表 現 し 警 告 したのである さらに 演 奏 のあり 方 自 体 にも 同 様 のメッセージが 込 められている 楽 曲 と 演 奏 の 両 方 に 反 戦 のメッセージが 託 されている 点 に 戦 争 レクイエム の 普 遍 性 があると 言 えよう ( 文 献 ) Carpenter, Humphrey. Benjamin Britten: A Biography. London: Faber and Faber, 1993. Tackett, Justin. Dona Nobis Pacem: The IronicMessage of Peace in Britten s War Requiem. College Undergraduate Research Electronic Journal (2006) http://repository.upenn.edu/curej/72 オウエン ウィルフレッド 佐 藤 芳 子 訳 ウィルフ レッド オウエン 戦 争 詩 篇 第 1 巻 近 代 文 芸 社 1993 年 (ウェブサイト) Howard, Dick. Our History. http://www.coventrycathedral.org.uk/about-us/our-histor y.php.2012.4.202. (Received:September 30,2012) (Issued in internet Edition:November 1,2012) 参 考 資 料 ( 楽 譜 ) Britten, Benjamin. War Requiem Op66.Full Orchestral Score. London: Boosey & Hawkes, 1962. 186