熊 本 県 南 阿 蘇 村 に 伝 わる 江 戸 時 代 中 期 の 土 砂 災 害 の 伝 承 と 自 治 会 による 防 災 活 動 への 利 用 徳 島 大 学 環 境 防 災 研 究 センター 西 山 賢 一 徳 島 県 立 博 物 館 中 尾 賢 一 防 災 科 学 技 術 研 究 所 若 月 強 はじめに 熊 本 県 阿 蘇 地 方 は,2012 年 7 月 11~12 日 にかけて, 総 雨 量 500mm を 超 える 記 録 的 な 豪 雨 に 襲 われ, 多 数 の 斜 面 崩 壊 とそれに 起 因 する 土 石 流 による 土 砂 災 害,さらには 河 川 の 氾 濫 による 浸 水 被 害 を 被 った( 例 えば, 宮 縁,2012; 酒 井 ほか,2013 など). 阿 蘇 地 方 ではこれまでも, 同 様 の 豪 雨 災 害 をくり 返 し 受 けてきており, 最 近 では 1990 年 7 月 豪 雨 により, 大 きな 被 害 を 受 けた( 例 えば, 石 川,1990; 平 野 ほか,1990; 平 野,1991; 大 八 木 ほか,1991; 山 下 ほか,1992; 村 田 渋 谷,1992 など).このほか,2001 年 にも 斜 面 崩 壊 が 発 生 している( 植 ほか,2001; 深 沢 ほか, 2002; 宮 縁 ほか,2004).また,1953 年 6 月 豪 雨 は, 阿 蘇 カルデラから 流 下 する 白 川 の 洪 水 によ り, 下 流 の 熊 本 市 を 含 め,400 人 以 上 の 犠 牲 者 を 出 した 履 歴 を 持 つ. ところで, 阿 蘇 火 山 の 噴 火 災 害 は, 過 去 1,000 年 以 上 にわたって 記 録 が 残 されてきたものの( 渡 辺,2001), 阿 蘇 地 域 における 1953 年 より 古 い 豪 雨 災 害 の 記 録 は 極 めて 乏 しい. 気 象 観 測 記 録 が 残 されていない 江 戸 時 代 以 前 の 土 砂 災 害 は, 古 文 書 や 伝 承, 供 養 塔 などの 種 々の 記 録 によるほか はない. 阿 蘇 地 域 における 土 砂 災 害 の 発 生 間 隔 を 推 定 するには,こうした 古 記 録 の 発 掘 と 検 討 と が 必 要 である. 同 時 に, 過 去 の 災 害 記 録 を, 地 域 住 民 らによる 自 主 的 な 防 災 活 動 へ 取 り 込 むこと で, 一 般 に 低 頻 度 である 土 砂 災 害 に 対 する 地 域 の 防 災 力 の 向 上 が 期 待 される. 今 回 筆 者 らは, 熊 本 県 阿 蘇 郡 南 阿 蘇 村 ( 旧 長 陽 村 ) 立 野 地 区 ( 図 1)に 伝 承 されてきた 土 砂 災 害 の 口 伝 と 供 養 塔 の 存 在 を 知 り,2012 年 7 月 ならびに 2013 年 4 月 28 日 に 聞 き 取 り 調 査 と 現 地 調 査 を 実 施 した. 以 下 にその 調 査 結 果 を 報 告 する. 聞 き 取 りと 現 地 調 査 に 当 たっては, 立 野 区 区 長 ( 当 時 )の 中 尾 久 澄 様 と, 立 野 地 区 連 絡 協 議 会 の 久 保 田 将 様, 供 養 塔 を 管 理 されている 後 藤 博 昭 様 にご 協 力 いただきました.また, 長 野 浩 典 様 ( 大 分 東 明 高 等 学 校 教 諭 )には, 南 阿 蘇 村 に 残 る 幕 末 ~ 明 治 期 の 古 文 書 長 野 内 匠 日 記 の 内 容 についてご 教 示 いただきました. 記 して 感 謝 申 し 上 げるとともに, 今 回 の 災 害 に 被 災 された 方 々に, 心 よりお 見 舞 い 申 し 上 げます. 伝 承 記 録 の 概 要 江 戸 時 代 中 期 ( 年 代 不 明 )の 田 植 え 時 期 の 共 同 作 業 後, 豪 雨 となり,だご 汁 会 ( 田 植 えの 慰 労 会 )の 最 中 に 現 在 の 南 阿 蘇 村 立 野 地 区 の 背 後 にある 山 地 斜 面 が 崩 壊 し, 崩 壊 土 砂 が 山 麓 の 住 宅 街 を 襲 った.この 崩 壊 の 犠 牲 者 は 16 名 に 達 した.その 崩 壊 地 は 現 在 も クエヤマ( 崩 山 ) とよば れている. 国 道 57 号 線 脇 にある 墓 地 内 に, 犠 牲 者 の 供 養 塔 ( 図 2)が 現 在 まで 保 存 されているが, 災 害 記 録 を 伝 える 表 示 などはない.この 崩 壊 地 は,2012 年 崩 壊 地 ( 図 3,4)と 同 様 に, 明 瞭 な 谷 地 形 ではなく, 等 高 線 の 屈 曲 がほとんどない 平 滑 斜 面 にあたる. 地 形 的 に 明 瞭 な 滑 落 崖 が 観 察 で -49-
きないことから,おそらく 斜 面 表 層 の 薄 い 土 層 の 崩 壊 と 推 定 され, 東 隣 で 発 生 した 2012 年 崩 壊 と 類 似 した 土 砂 移 動 であった 可 能 性 がある. 2012.7.12 崩 壊 江 戸 中 期 の 崩 壊 地 ( 崩 山 ) 供 養 塔 ( 墓 地 ) 0.5km 図 1 南 阿 蘇 村 立 野 地 区 の 地 形 概 要 なお, 長 陽 村 史 ( 長 陽 村,2004)には 江 戸 時 代 の 土 砂 災 害 の 記 述 はない.また, 時 代 はやや 下 るが, 立 野 地 区 の 近 くの 長 野 村 で 書 かれた 膨 大 な 日 記 長 野 内 匠 日 記 ( 文 化 10 年 (1813) 明 治 20 年 (1887))にも, 土 砂 災 害 の 記 述 はみられない( 長 野 浩 典 氏, 私 信 ). 古 文 書 等 での 土 砂 災 害 記 録 の 確 認 は, 今 後 の 課 題 として 残 されている. 図 2 南 阿 蘇 村 立 野 地 区 の 墓 地 に 現 存 する 供 養 塔 ( 正 面 中 央 ) -50-
図 3 2012 年 豪 雨 で 発 生 した 斜 面 崩 壊 の 全 景. 図 4 2012 年 豪 雨 で 崩 壊 した 滑 落 崖. 根 系 を 密 に 含 む 表 層 約 0.5m の 黒 ボク 土 が 崩 壊 した. 立 野 地 区 連 絡 協 議 会 の 活 動 江 戸 時 代 中 期 の 災 害 記 録 の 発 掘 を 行 った 立 野 地 区 連 絡 協 議 会 では,2012 年 豪 雨 災 害 の 前 から, それ 以 外 の 災 害 記 録 の 聞 き 取 りや, 集 落 背 後 の 山 地 斜 面 の 安 全 点 検 活 動 などを 行 ってきていた( 立 野 地 区 連 絡 協 議 会,2008;2020;2012).その 結 果, 昭 和 ( 年 代 不 明. 昭 和 40 年 代?)にも, 斜 面 崩 壊 が 少 なくとも 3 箇 所 で 発 生 したほか, 昭 和 55 年 (1980 年 )に 1 箇 所, 平 成 18 年 (2006 年 ) にも 1 箇 所,いずれも 集 落 背 後 で 斜 面 崩 壊 が 発 生 したことが 明 らかにされていた.このうち, 平 -51-
成 18 年 の 崩 壊 地 は, 伝 承 による 江 戸 時 代 中 期 の 崩 壊 地 ( 崩 山 )とほぼ 同 位 置 とされている.この ように, 過 去 に 発 生 した 複 数 の 災 害 記 録 が 地 元 の 自 治 会 により 発 掘 され,2012 年 災 害 前 から, 地 域 の 自 主 的 な 防 災 活 動 に 取 り 込 まれてきたことは 注 目 される. 土 砂 災 害 の 発 生 頻 度 は 一 般 に 低 く, 高 頻 度 のシラス( 非 溶 結 の 火 砕 流 堆 積 物 ) 急 崖 や 花 崗 岩 斜 面 でも 10 2 年 オーダーで, 付 加 体 堆 積 岩 からなる 斜 面 では 10 3 年 オーダーとさらに 長 いため, 過 去 の 災 害 記 録 が 残 されておらず, 斜 面 に 自 生 する 樹 木 の 年 輪 年 代 測 定 や, 崩 壊 土 砂 に 含 まれる 火 山 灰 (テフラ)の 同 定,あるいは 炭 質 物 の 14 C 年 代 測 定 といった 方 法 を 用 いるしかない( 下 川 ほか, 1989; 吉 永 西 城,1989; 吉 永 小 岩,1996; 杉 原 ほか,2010; 阪 口 ほか,2013).このことを 反 映 して, 筆 者 も 土 砂 災 害 被 災 地 で, 地 元 の 方 から, これまで** 年 生 きてきて,うちの 裏 山 が 崩 れたことは 一 度 もなかった.まさか 崩 れるとは, 想 像 もしていなかった という 意 見 を 複 数 回 伺 ったことがある.これらの 体 験 談 は,100 年 以 上 に 及 ぶ 土 砂 災 害 の 発 生 間 隔 を 考 えると, 山 間 地 の 住 民 にある 程 度 共 通 した 意 識 と 考 えられる.このことは, 正 常 化 の 偏 見 とも 相 まって, 豪 雨 時 の 避 難 行 動 がなかなか 実 現 されない 理 由 の 一 つと 考 えられる. 土 砂 災 害 時 の 住 民 の 避 難 行 動 に 関 する 検 討 例 も 少 なく, 十 分 な 知 見 が 得 られていない( 寺 戸,1985,1986; 牛 山,2008). 一 方, 今 回 対 象 とした 阿 蘇 地 域 の 場 合, 土 砂 災 害 の 発 生 頻 度 がかなり 高 く, 過 去 100 年 程 度 以 内 にも, 複 数 回 の 斜 面 崩 壊 が, 比 較 的 狭 い 地 域 内 で 散 発 的 に 発 生 している.2012 年 災 害 では, 立 野 地 区 の 西 隣 に 位 置 する 新 所 地 区 で, 斜 面 崩 壊 による 犠 牲 者 が 出 た. 阿 蘇 地 域 は, 急 崖 をなすカ ルデラ 斜 面 の 山 麓 部 に 住 宅 が 点 在 する 地 形 的 条 件,すべての 斜 面 に 対 して 流 れ 盤 となる 降 下 テフ ラ 層 が 斜 面 表 層 を 被 覆 するとともに, 透 水 性 や 強 度 が 大 きく 異 なる 火 砕 流 堆 積 物 や 溶 岩 流 が 累 積 した 地 質 構 造 をなす 地 質 的 条 件,さらには 梅 雨 末 期 の 豪 雨 が 降 りやすい 気 象 学 的 な 条 件 を,それ ぞれ 有 するため, 土 砂 災 害 を 繰 り 返 して 受 けやすい 地 域 といえる. 今 後 は, 立 野 地 区 と 同 様 に, 阿 蘇 カルデラの 地 域 住 民 自 らによる 過 去 の 災 害 履 歴 の 発 掘 と,その 結 果 を 地 域 の 防 災 活 動 に 積 極 的 に 取 り 込 んでいくことが 重 要 と 考 えられる.このことは, 土 砂 災 害 の 発 生 頻 度 がさらに 少 ない 他 地 域 の 山 間 地 の 住 民 にとっても, 十 分 参 考 になる 活 動 といえよう.なお, 筆 者 らは, 阿 蘇 地 域 における 崩 壊 堆 積 物 の 編 年 作 業 を 現 在 進 めており, 稿 を 改 めて 報 告 する 予 定 である. 文 献 長 陽 村 (2004) 長 陽 村 史. 熊 本 県 長 陽 村,992p. 深 沢 浩 植 弘 隆 入 江 由 希 子 飽 田 恵 介 井 上 享 郁 (2002) 阿 蘇 カルデラ 内 壁 斜 面 で 発 生 し た 土 石 流 流 下 現 象 についての 地 形 学 的 考 察. 第 11 回 熊 本 自 然 災 害 研 究 会 研 究 発 表 会 要 旨 集, 23-30. 平 野 宗 夫 林 重 徳 下 津 昌 司 鈴 木 敦 巳 早 川 誠 而 棚 橋 由 彦 (1990)1990 年 7 月 九 州 中 北 部 豪 雨 による 災 害 の 特 徴 と 概 要. 自 然 災 害 科 学,9-2,64-72. 平 野 宗 夫 ( 研 究 代 表 者 )(1991)1990 年 7 月 九 州 中 北 部 豪 雨 による 災 害 の 調 査 研 究. 文 部 省 科 学 研 究 費 突 発 災 害 調 査 研 究 成 果 重 点 領 域 研 究 自 然 災 害 総 合 研 究 班. 石 川 芳 治 (1990) 平 成 2 年 7 月 熊 本 県 一 の 宮 町 で 発 生 した 泥 流 流 木 災 害. 土 木 技 術 資 料,32-9, 64-67. 宮 縁 育 夫 大 丸 裕 武 小 松 陽 一 (2004)2001 年 6 月 29 日 豪 雨 によって 阿 蘇 火 山 で 発 生 した 斜 面 崩 壊 とラハールの 特 徴. 地 形,25,23-43. -52-
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